My online activities
検索
以前の記事
2013年 02月 2013年 01月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 2004年 10月 2004年 09月 2004年 08月 2004年 07月 2001年 01月 カテゴリ
全体 Math Science Book Log Misc Business Music IT Food Topic Movie Art Stat Politics Muttering Off Topic 未分類 ブログパーツ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2013年 02月 22日
ここ一年本業に忙しくて、数学/統計学や実装以外の抽象的なコンピュータ科学周辺の探索や勉強を怠っていた。このままではただのプログラマ兼委託データ解析屋兼経営者/起業家で終わってしまう危機感をずっと感じていた。相変わらず忙しさはあまり解消されないけれど、泣き言をいってもしょうがないので、スキマ時間をつくって修士レベルの教科書を読むことをリハビリにしようと思い習慣づけることを始めた。
今は機械学習再入門をしようと思い、読んでいるのはKevin P. Murphyの"Machine Learning"である。この本は本当にわかりやすく、よく書けていて素晴らしい。MATLABコードもついてきてほとんどの図と例を手元でリプロダクションすることができる。ちなみにMurphyはUBCのCS学部の准教授だったのだが去年そのアカデミック職を辞めてGoogleに入ってしまった。http://research.google.com/pubs/KevinMurphy.html むぅ、またしてもGoogleか…。 この"Machine Leaning"は索引抜きでも1000ページ超えの、北米によくある入門から最新の専門トピックまで幅広くカバーする「フルボディ」教科書で、まずはこれだけで自己完結し、内容も必要十分なものである。こういう「フルボティ」の教科書は読む方も大変だが、書く方はもっと大変だと思う。コンピュータ言語の入門書を書いた+特殊なWebフレーワークの翻訳をしただけのレベルの人間には、どんなレベルの忍耐が必要なのかかまったく想像がつかない。 この「フルボディ」教科書は大学・大学院教育では欠かせないリソースである。例えば、他のコンピュータ科学だとクヌース老師のTAOCP、"Concrete Mathematics"があるし、物理学の教科書でもランダウの物理学教程やファインマン物理学、スミルノフ高等数学教程などはまさにそれだ(まあ邦訳ではかなりの冊数に分冊化されてしまっているが…)。もっとスゴイのになると1970年後半までの成果を詰め込んだ一般相対性理論の「電話帳」MSW"Gravitation"がある。ちなみにこの本は邦訳が2年前の2011年に出ている。邦訳もこの量になればスゴイと思う。マクロ経済学の教科書でもアセモグルの"Introduction To Modern Economic Growth"やウッドフォード"Interest and Pries"やヤングビスト&サージェント"Recursive Macroeconomic Theory"などはまさに"フルボディで、マクロ経済学専攻の院生の必読書ながら読むのが大変だそう。僕は3年くらいまえにマクロ経済学マイブームがやってきて、戯れにヤングビスト&サージェントやアセモグルの本を購入したが、どちらも一章くらい読んで挫折したので、この分野については何も言えない。 まあとにかく、英語圏には一流の研究者が書く非常に質の高い厚い「フルボディ」の教科書が高くそびえ立ち、その山を登攀しないとプロとしての修行の入り口にも到達できないことになっている。つまり、知の体系の経典というか守り番として、そういう厚い学部上級から修士課程レベルの教科書が必要なのだ。しかし、日本にはそういうものはあまり存在しないように思う。これはなぜだろう?(次回に続く…) #
by yutakashino
| 2013-02-22 00:39
| Misc
2013年 02月 17日
終わりが全てを印象づけ、終わりの印象だけが 人間の記憶に残りがちだ。
これもダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー」に書いてあること(35章)だが、人間の自己認知には、経験する自己と記憶する自己という2つの自己があるそうだ。その自己の違いをカーネマンらは実験によって明らかにした。苦痛を伴う麻酔を使わない大腸内視鏡検査において、検査時間の大きい小さいと、最大の痛さの強度と、検査終了時の苦痛の強度について、検査時に記録を取り、そして検査終了後日数が経ってからの検査の印象を調査したそうだ。 それによると、記憶に基づく印象というのは、最大の痛さと検査終了時の痛さの平均値できまり、検査時間の長さは記憶された印象にほとんど影響を及ばさないそうだ。経験する自己と記憶する自己は違うのだ。つまり、あるプロセスにおいてそのプロセスが続くあいだは苦痛をできるだけ抑え、最後の印象を良くすれば、そのプロセスに対する良い印象が記憶に残るそうだ。 僕も別の文脈でこれに近い経験をした。終わりの印象がよくないと信頼がズタズタになる。 この文章も特定の個人に対して糾弾する意図は全く無く、過去のイベントに対する自分なりのメモをとることと、自分の気持ちの整理のために書いている。しかし、論理的に頭で整理がつくことと、自然と沸き上がってくる感情は全く別なものであり、ただ割り切れない悲しい思いで一杯になるだけだ。 なるほど、カーネマンが発見したとおり、人間の記憶は終わりがほとんど全てを決定するようだ。 #
by yutakashino
| 2013-02-17 19:31
| Misc
2013年 02月 16日
天才研究者の自伝、スーパースターアスリートの半生、難関試験の突破方法、成功する勉強法、起死回生の経営判断。書籍やネットには、いろいろなレベルでたくさんの成功譚であふれている。しかし、それを自分で活かすのは難しい。
それはなぜかというと、成功譚に内在する2つの要因が、他人や他の組織にその話を適用するのを難しくしているからだ。一つは環境条件。もう一つは内部情報。 成功譚を生み出すきっかけになった成功は、その成功した個人や組織の特殊な環境に極度に依存している。もし成功譚から「学んで」成功をしようと試みるなら、その環境条件に出来る限り近づかなければ、成功譚に書かれた成功のプロセスを辿ることができない。天才研究者と同じ知性を持つ、スターアスリートと同じ運動能力を持つ、V次回復した企業のリソースと環境を持つ。一般的にそういう条件を自分に想定するのは不可能である。これが成功譚を自分に応用することが難しいことの一つの理由である。 成功譚には、たいてい成功するまでに至ったプロセスやノウハウが克明に書かれていて、それが大きな読ませどころ聞かせどころである。しかし、そういったプロセスやノウハウはあくまで成功譚の語り手の感情や印象や記憶などの内部情報にもとづいて書かれたものが多く、第三者による網羅的な実証調査やメタ・アナリシスを含んだ統計分析などの外部情報データにもとづいているわけでない。ダニエル・カーネマンの名著「ファスト&スロー」の23章にあるが、感情や印象や記憶などの内部情報に基づく予想はたいてい誤った結果を産む。その錯誤を避たいときは、自分の境遇とできるだけ同じケースやクラスを見つけ、その統計データを外部情報として入手しなければならないのだ。内部情報に基づいた判断はたいてい大きく間違える。内部情報だけの成功譚は不可避的に自分に適用することができないのだ。 それでも人は成功譚やシンデレラ・ストーリーを好んで読む。そういった物語を「物語」として楽しむのは確かに面白い。自分を動かす言葉も幾ばくかはあるかもしれない。しかし、成功譚にあるプロセスやノウハウをそのまま自分に適用しようとするのは諦めたほうがよさそうだ。 #
by yutakashino
| 2013-02-16 12:35
| Misc
2013年 02月 14日
最近ようやく自分の今の職業的役割というものを受け入れることができるようになったかもしれない。
昔は例え片隅でも物理学に関わって研究者として生きることを望んでいたのだけれど、でも自分の若いエネルギーというかバイタリティというか、こめかみに血流を感じるような状態と、研究職というわりとスタティックで慎重さが重視される職業とにギャップがあって、結局耐え切れずに「キレ」て辞めてしまった。今考えるとバカそのものである。そしてあれから10何年も経つのであふれるバイタリティ的なものはだいぶ収まっている。残念というか、よかったというか。 ただ、その時にうまく扉を閉めずに飛び出してしまったので、職業プログラマになっても、「研究するポジション」的なものが自分の中に心の澱として残っていた。そのせいか、ジャーナルを購読したり、昔の研究を引っ張りだして計算を始めたり、別の分野の勉強をやりだしたりというように、職業エンジニアの傍ら、何年も中途半端なことばかりしていた。 いくつかの会社を経て、偶然自分で会社を始めるようになって、そして一緒に始めたビジネスのパートナー、全幅の信頼を置いていた人間に突然何の相談もなく辞表をメールで送りつけられ(!)て逃げられてしまって、結局自分一人で立つしか無いかと諦めた途端に、自分はやっぱりエンジニアなんだ、数理科学の素養をもったエンジニアなんだ、そしてそれで生きていくんだ、ということを受け入れることができるようになった。 まあそういう話。 #
by yutakashino
| 2013-02-14 20:59
| Misc
2013年 01月 12日
2013年ももう半月を過ぎようとしている。昨年は、本業のビジネスの危機とその後の回復、昨年2月に生まれた赤ん坊の世話、そして諸々の雑用にあまりに忙しすぎて、ブログの更新も趣味の読書も数理科学の勉強もまったくできなかった。その割にはTumblrやTwitterはストレス解消のために更新しているのだが…。まあブログが書けないくらい忙しいのがなによりなんだろう。なにより慶賀するべきなのは、赤ん坊は順調に育ち、他の家族は皆元気であり、親父のガンも小康状態であることだ。
2012年の水泳は、本業の忙しさとその後にきた長期の風邪のために9月10月11月に月に数度程度しかいけなくなって、2011年の距離を100kmも下回った200kmくらいしか泳げなかった。その後もなぜか体が変わったのか、今までのフォームで泳げなくなってしまい絶不調である。まあ、今は本業優先モードなので、仕方がない。 自分の外の状況に眼を向けると、国内の経済の状態も危機的になっているのに、一発でその危機を解決する打ち出の小槌ばかりを国民も為政者も求めていてとても怖い。まあこれについては、市井にいる庶民としては自分の家族とビジネスを守るために、出来る限り少し先を見ながら狡猾に動くしかないのかなと諦めるしかないのだが。 今年はどんなことがあるのだろう…。 #
by yutakashino
| 2013-01-12 17:03
| Log
|
ファン申請 |
||