或る日、
とは言え、人が部落単位で、豊かな知恵と経験に従った暮らしを営み、王族という者がいなかった遥か昔のことだが、・・・
常緑樹なる椎類の豊かな森が、半島の海にまで枝葉を垂れていた。海抜が上がるにつれ、楢、クヌギ類の木々がそれに取って代わる。落葉した木々に新緑が蘇る頃、椎類の杜では、1年を生きた古葉がさわさわと舞い落ちて来る。人は、打ち返す白い波の砂浜で、もしくは、葦原の続く平原で暮らしの合間に、けぶる椎の花の盛り上がるような木々を、杜を、見つめていた。
その時、
明るい日差しにも拘らず、青い空から雨がポツリポツリと降り始めた。
今で言う愛知県豊川付近の、森の中の事であった。
キハは、養母に手を引かれ、朝には水浴を済ませていた綺麗な体に白い絹の衣をつけて、山道を上がっていく。
椎の樹幹は、高くそびえている。木々の間は広く、降り積もった落ち葉はふかふかとした土になって青木や羊歯の類が所々に生えていた。
ひんやりとした空気が張りつめている。
お社に続く道は、上がるでもなくなだらかに続くように見える。掃き清められた箒の横縞模様に小さな足跡が点々と続いている。犬よりも僅かに小さい足跡であった。
角隠しが覆って顔は見えないが、時折横顔が垣間見える。鼻筋の通った涼しげな顔立ちのように見える。
山道の両脇には、提灯を持った子供たちがいる。どの顔も、キハを下から覗き込むようにして、まるで、自分のことのように高揚していた。
「もうすぐお社に着きますよ。」養母のイバが言った。
「・・・・・」キハは小さく頷いた。子供たちは順にキハの後ろに続いている。提灯の列が長くなり始めていた。
椎の木々から漏れる日差しで森の中は優しい光に包まれていた。とは言え、提灯の明かりも分かるほどであった。
椎類の木々の間から時折見える長い提灯の小さな明かりの列を、人たちは見た。濡れてしまうほどではない雨が降り続いている。日は西に傾き始めていた。
「おお・・・、今日は嫁入りか・・」口々に云った。
「子を沢山もうけて、田畑を荒らすねずみを退治してもらわねばのう。」
「そうだ。」
「そうだ。」
「実りの稲穂が無事であってほしいものだ・・・」
「このところ、なんでも遠い西方の森が切り倒されて、そこのねずみが逃げ込んで来ているからな・・・」
「赤松の立派な森が、三国にわたってなくなったらしい・・」
「去年は、せっかく実った稲穂を食い荒らされたからのう・・・」
思い出すように目を細めた古老は、かろうじて残してあったモミを今年作付けできたのは、あの狐が守ってくれたおかげである、と信じている。
人たちは鎮守の森に立派なお社を立てた。その隅に「稲成り明神」の祠を据えて、守護する日本狐を置いている。お社の並び左横隅にある。手前、広場の入り口右に、祭り道具および樂器等をしまう小屋がある。その向かいに、「稲成り明神」が見守る正面に、穀物を蓄えておく高床式の倉庫があった。
その日、
不吉な音に未明から起き出した人々はお社に集まっていた。地が動くようなゴーゴーでもなくザワザワでもなく、でもそれは、地響きの様でもあり不気味な音は真夜中から続いている。しかも、小さな鳴き声が集まって地が呻くような音も同時にしていた。
「なんだろう・・・」
「なんだ・・・」
子供たちは、ついに泣き出してしまった。
昨日、翌年のためのモミを倉に納めていた。これから、本格的な稲刈り作業に入ろうとする矢先である。
「た、大変だ・・・・」
「黒い波が襲ってきた・・・」
「どうしたというのだ?」
「く、黒い波が・・・田に・・・」
「・・・?」
田畑を見回りに行っていた男が息も絶え絶えに駆け込んできたのだった。
「一体、・・・」一体何が起こったというのだろうか?人々は不安の波に呑まれた。
と、その時・・
一匹のねずみがするすると現れ穀物蔵の前に来た。半立ちになり、鼻をひくひくと蠢かした。
「こ奴、・・」男がねずみを打とうとした。
「待ちャ・・・」「殺してはならん。」その声に、人々は振り返った。
美しい女がそこに立っていた。
どの男より背が高く、薄く白い絹の衣をまとっていた。透き通るような肌が見えるようであり、しかも、陶磁器のような薄い光に包まれている。
「おまえには聞くことがある。此処で、寝りん。」と言うと、ねずみは、そのままパタリと倒れて、クークーと寝息を立ててしまった。
お社の裏山をジーっと見据え、
「皆は、私の後に居りなさい。」そう言うと、すっと前に出て両手を大きく広げる。
「く、黒い波だ・・」田畑を見回りに言った男が、恐ろしげに声を発した。あちこちの木々の間からそれは押し寄せてきた。ぬらりとして、しかも、もこもこと湧き出るような黒い波は、広場に集まり始める。尽きることがない様に思えた。その波は女の前で二つに分かれると、穀物倉をよけてまた一つに交わり、流れていく。長い時が流れる。幾日すぎたかわからない。いや、もしかするとほんの一時だったかもしれない。人々の心がただ恐怖と一体何が起こっているのか分からない闇の中にいたから、時間そのものが、曖昧に歪んだままであった。黒い波は、ねずみの壮絶な群れであった。
実際は、3日間続いた。
その場に倒れる者、気丈にも立ってはいるが目が窪んで頬がこけている者、そして、女子供は屈みこんだまま動けなくなっていた。
「皆、・・・起きなさい」そう言うと、女は微笑を投げかけた。人々は生気を取り戻した。
「これ、ねずみ・・お前も起きイ・・」ねずみは直立不動の姿勢で、「キイッ・・」小さく鳴く。そのねずみに女は近づき、言った。
「なんでェ?」
「キッ・・チュウ、チュウ・・キッ・・キキキ。・・・・・・・」
「中国地方・・・赤松の林・・・刀鍛冶・・・フーンそれで?・・三叉の!・フムフム・・」
切れ切れに、念を押すような言葉が女の口から漏れた。ねずみは背伸びをするようにして口をパクパクと動かしている。いつの間にか女の背丈もねずみほどの大きさになっていて、人々はしゃがみこんでその話を聞き逃すまいとしていた。
「長門」から「石見」「出雲」「安芸」「備後」の山中には、赤松の原生林が膨大な広がりを見せている。低海抜は椎類の鬱蒼とした森があって、海抜が高くなるにつれ赤松が生えクヌギ、ブナなどの木々と混生している。山頂から中腹に赤松の原生林がある。これらの原生の林もしくは森は、「見作」「丹波」まで広がりをみせていた。
森には様々な動物が棲んでいた。特に、鳥類は多様な種類が棲み暮らし、四季に鳴き散らす模様調べがあった。体重が5キロを超えない小動物も幾多の種類が生存して、互いの生活圏を犯さない範囲で濃蜜に生きていた。
この「森の生活者」達は、森が常に再生を繰り返す息吹、つまり、吸っては呼き呼いては吸う「呼吸」、を感じ取っていたに違いない。
三叉の狐一族が朝鮮半島から「対馬」に流れ着き、更に海を渡り、今で言う萩の沖の「相島」に辿り付いた時には二世代となっていた。その二世代目に「シン」がいた。
「シン」一派は彼らを率い、更に「肥島」「大島」から長門「大井川」河口に付いたのは、この頃、流通が栄え人の中に権力と言うものが芽生えだした時であった。「取り決め事」は様々な現象を含むものであった。権力と支配、富は貧を作り出していた。これらはすべて、貧しいものからの搾取によって成り立っている。
「シン」は、親から聞き伝えられた特殊な「技術」を覚えていた。
父狐が本姿を現さなくなったのは、猟師との無益な争いを避ける為だけだろうか。家族を守る為だけに・・・。
福養橋の上流に三角テトラが4機転がっている。右岸の、橋げたの水止まりになる、その上流にある。左岸には同じ並びに、砂が堆積している中に十字ブロックが沈んでいる。
キユとユシがいる。橋下には水遊びの子供たちが騒いでいる。暑い日差しを避けて、幾人かの大人が橋の日影にいた。
水は心地良かった。水の中を覗くと透き通っていた。青っぽいが、汚れてはいない。何処までも見通せた。
十字テトラは砂に埋もれていた。うなぎの穴らしきものはなかった。下流側から順番に見ていく。一つ一つ、丁寧に見ていく。砂から出ている十字ブロックのコンクリートは、鮎が食んでいて手を添えるとツルツルとしている。小さな鮎が数尾で食んでいる。
一番上流の十字ブロックまで来た。指を丸めた位の穴が開いている。前方に回りこむと、川底と十字ブロックの間に隙間が開いていた。キユは、水につかりながら、ふっと息を吐いた。シュノーケルから勢い良く水が吐き出される。念のため十字ブロックの後ろを確かめた。2基のブロックは鉄筋で繋がっていて、両方とも前方には穴が開いていたが、左岸寄りのブロックの後ろに指を丸めたくらいの丸い穴が開いている。
その穴からは水が吹き上がってくる。小さな汚れ、埃のような塵が穴の奥から湧き上がってきて流れ去る。
生き物の呼吸に似ている。蠢く生き物の息遣いがそこにあった。
前方に回った。
キユは自分を落ちつかせた。胸が騒いだからだ。
鮎の切り身を針につけようとした時、背後でバシャバシャと水音がした。振り向くとユシが何やら抱きかかえ川岸に走っていく姿が見えた。
「わっ、わわわわー・・・」
大仰に騒いでいる。
「つっ・・、釣れたー」
キユも駆けつけた。
先程、土手を降りてうなぎを入れるために持ってきた缶を置いてある場所に、ユシを連れて行った。肩を押すように、ユシをそこに導いた。
何故なら、ユシは慌てていた。Tシャツにうなぎを抱きかかえてどうしたら良いのか、バタバタ走り回っていた。 ― と、
「とにかく、陸に行けば逃げられても良いかと思って・・・」いたらしい。
「素手だと逃げられるかも、だから、Tシャツだと良いと思って、・・・」
ユシは、うなぎを包むように抱きかかえた。までは良かったのだが、・・・。
そのTシャツがめくり上がり、ユシの尻尾が見え隠れしていたのだった。
「やったな、まま、落ち着け・・・・」ユシを座らせてから缶に水を入れて、うなぎを入れさせた。
橋の下の川遊びの人たちは、ユシの尻尾の事を誰も気づいていなかった。
「いきなり、バクッ・・三角テトラの下の穴・・・、それでうなぎが、・・鮎のえさ、・・・いきなりだモン・・、グイ―ッ・・、・・・」ユシの話は、帰る時もず―っと続いた。
で、・・・。
キユのうなぎ釣りはどうであったかと言うと、・・逃げられてしまった。
狐族は、日本古来種と大陸から来た三叉の狐族がある。
日本族の種は一本のふさふさとした黄金色の尾が特徴で、体毛は元が純白で毛先にかけて黄色が濃くなる。光線の具合で黄金に輝く時がある。そうでなくても、優美な尾の仕草が野山を駆ける時、全ての生き物が息を呑んでそれを見つめるほどだった。尾は体躯と同じ長さであった。体は絞まって小さく見えるが、それを補う幾分長めの体毛でしなやかな均整の取れた姿になっている。口元から胸と下腹にかけて純白な毛が密生し、一層、妖美な姿を引き立てている。
狐にしてみると、のろまでお調子者の犬族が追跡の叫び声を上げていようと、これをかわす事に厄介さを感じることはない。しなやかな尻尾で鼻先をくすぐったかに見えた瞬間、「コーン」と一啼き、瞬く間に姿を消す。その後、追跡者である犬の「キャイン」と泣き叫ぶ声を猟師は耳にすることだろう。1間もの高さに舞い上がった狐が犬の後方に降り立ち、刹那、その尻に深く噛み跡を残すことを猟師たちは知っていた。哀れな犬は尻を噛まれた後、とぼとぼと項垂れて猟師の元に帰って行くのである。
父親の狐がどれほどの家族愛を持っているか、それらを示す文献を見るまでもない。年を取った猟師が語る多くの物語が、父親の狐の献身的な家族愛を詠わずにはいられない。
雄の、父親の連れ添いと子供たちへの家族愛に満ちた行動が、時に、外敵(日本では多くの場合、子狐が鷲や鳶に殺される事だが)に本姿を晒さない事で家族を守ろうとする。
深い愛情だけではない、日本オオカミでさえ勇敢な父親の狐には敵わなかった。体重5キロ前後の父狐は、その3倍もの大きさの、日本オオカミでさえも寄せ付けない勇敢な生き物だった。
ましてや、日本オオカミと同じ体躯の猟犬など相手にしている風ではなかったに違いない。
臭跡を追いかける犬たちが、一瞬にして消えた相手から攻撃を受ける羽目に陥ったのはまだ幸せな未来を残された方であった。
キユと一緒に暮らしたエルという猟犬は、1週間山々を駆け巡らされ、しかも体重を半分に落とし帰ってきた。後10日後には衰弱の為に死に至ったのである。
キユはその時、エルの吠える声とその前方をしなやかに走る黄金色の生き物を見た。「ウオウ、ウオウ・・」と聞き覚えのある声が、向こうの谷間からこちらに向かって次第に大きくなって来るその遥か前方を、葉の落ちた冬枯れの木立の間に見え隠れする白に近い黄金色の生き物がいたのだった。
キユは、我は土から生まれたモノだと教えられてきた。しかし、あの生き物は、神が自らの手で作られたものだと思った。狡猾ではなく、知恵と果敢な勇気の持ち主が見せる不思議な力に出会ったものたちの末路は、神に触れたものの哀れな最後を思わせる。それから1週間、エルは帰って来なかった。
あの黄金色の生き物が、日本狐だったとキユは知った。
日本古来種の狐族は、雄の数が不明である。これに伴う家族数もよって、不明である。
いったい日本には、どれほどの狐族が住み暮らしていたのだろうか。
雄を見かけると、繁殖期には少なくてもつれあいと子供たちを入れて、5~9頭の狐がいることになる。数が知れると猟師は猟をする目的を持つことになり追跡の手を一層厳しくする。それは子供たちに危険が迫ることを意味する。もし難を遁れても母親は棲家を変えるために子供たちを一匹一匹、その巣穴に連れて行く労力を惜しまないとは言え、疲れ果てるであろう。こうして、父狐は自ら姿を見せない事で無益な争いを避けるようになった。
(狸穴 夢物語)
2尾目のうなぎ
・・・橋がある。
橋の真下に小さな堰堤があって、そこから下流は水を集めて左岸寄りを走る荒瀬となっている。滑落しているような瀬は一旦、鑑淵の頭で緩やかになるが、そのまま淵の切り立った岩盤に吸い寄せられるように流れ入っている。右岸に切り立つ岩盤の鑑淵は、川の水を直角に折り曲げ、大原の地に向かって注ぎ出している筈だが、その先は見えない。
小さな堰堤の上には、川の中央に三角テトラが二つある。テトラのすぐ上流に頭だけ出している氷山のような石があり、河床深く埋もれて不動の石になっている。僅かに出ている石には野鮎が縄張りを作って遊ぶ様が、橋の上から見える。
上流は、砂ぶちがあって左岸寄りに敷きテトラ15基が砂に埋もれているのが橋から見下ろせる。その上流は大石が点在して、その岩に急瀬から落ちてくる水流が多様な波模様を作っている。急瀬の上流は左に折れ曲がってその先は見えない。
地図上で見ると、丁度、この橋の地区は、上流から流れてくる川水が鋭角で右に折れそしてまた鋭角に左に折れ下がるような稲妻型になっている。稲妻型に折れている僅かな折れの中心部分に橋が掛かっていて、しかもその中央に掛かるこの橋からは、長く走る稲妻の上下流側、つまり、太平洋に注ぐ道程と上流山々から流れ落ちる水の群れが藁科となる川道を知ることは出来ないが、藁科川の中間に位置していることは確かである。更に上流大間川に落ちる福養の滝から名づけられた福養橋が、この橋の名である。
橋を国道362号線が渡り、国道は駆け上がるようなうねうねした山道になり、やがて稜線に沿って走り、亦うねうねとした山道を下り、大井川を超えると同じような山道の繰り返しで遠州気田川沿いに走り、浜松に辿り着く。東海道の本道に比べ、裏街道になるこの道は今でこそ舗装された路になっているが、当時には石ころと沢沿いを登る険しい細い道であったに違いない。
裏街道を歩まなければならない事情になった人々は、その悲しみに慣れた。それでも生きていく僅かな望みをこの道に見出したのであろうか。この道から逸れて、それでも平坦な地には集落があり、同名字の一族が住み暮らし、過去に別れを惜しんだ。季節の訪れを知らせる草花や小鳥たちに心を安らぎ、やがて訪れるそのものの季節には、汗水にして働く充足の時間が持たれている。日々の疲れは、夜に煌めく星や月灯かりで癒されたことだろうか。
それでも、人世には悲しみや労苦が付きまとっているのだと、キユは知っている。逸失する生を、僅かに失わずに保っているのは、生命の器官であろう故か。
人はそれぞれのサークルで暮らしているに過ぎない。神の意思は定まっているのであり、それゆえ真に自由なる魂はこの世に存在しない。解放された喜びは幻影の中でしかあり得ぬものなのか。キユは、その幻影の最中に沸々と生をたぎらせる事がある。人間族から離脱し、狸族としての本姿に戻った時であった。
遡上の確認
3月23日 午後 4;30
富厚里橋、川の中央に小さな分川がある。
その分川に10数尾の遡上鮎がいました。
左岸寄りの本流は、所々の石が磨かれているようです。
さて、
4月10日に、お花見会を開催します。
永浜さんの手料理が出ます。
参加者は、永浜携帯まで連絡して下さい。