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甲陽雑記

〜武田氏研究のページ〜

○冬期講座のご案内
 冬期の一般向け講座のご案内です。

●早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校
 「人物でたどる戦国史―史料からみた戦国武将の実像・元亀争乱編―」
 全10回 ・01月08日 〜 02月26日(毎週水曜・10時半〜12時)
 同時代史料をもとに、小説や講談・ドラマ、あるいは研究において定着してしまった虚像を考え直したり、あまり馴染みがないけれど戦国時代を考える上で重要な人物の紹介を行います。今期も引き続き、新年度NHK大河ドラマ「麒麟がくる」にあわせ、織田信長・明智光秀関連を扱います。冬期は、いわゆる「信長包囲網」関係大名を対象とします。ちょっと大河の進度と比べると、早すぎた(汗)。

※講座が開始すると、ウェブ上では「受け付け終了」と表示されますが、電話申し込みは継続して受け付けているそうです。ただし、受講料は変わらないとのこと。

 今年最後の更新になるかと思います。よいお年をお迎えください。
(2019-12-29)
○江戸川区子ども未来館での講座(2019年9月)
 9月28日(土)に、江戸川区子ども未来館で、小学校4〜6年生向けのオムニバス講座「歴史研究所 武士の時代へタイムトラベル」をやってきました。話してばかりですと退屈してしまいますので、ミニゲームを入れることにしています。今年は、「真田昌幸になって、第一次上田合戦で徳川軍をやっつける作戦を考えてみよう」みたいな感じのグループ学習をやってもらいました。

 元ネタは、上智大学中澤研究室が購入した第一次上田合戦絵図です。
この絵図は、「真田源五郎(源三郎の誤写)、今之伊豆守之事」などとあることから信之存命中成立で、使われている言葉は戦国のもの。徳川を敵としているから真田方、だが地理がおかしいので援軍を派遣した上杉作成絵図の写と考えられているものです。
 絵図そのものの詳細は、中澤克昭『真田氏三代と信濃・大坂の合戦』(吉川弘文館)を参照してください。

 どこがどうおかしいかというと、1)上田城が千曲川から離れている(当時の上田城は河岸段丘を利用した城)、2)徳川軍が千曲川南岸から北に向かって攻め寄せている、3)有力武将の内平岩親吉・大久保忠世は描かれているが、鳥居元忠の名前がなく、全軍撤退時に援軍としてやってきた井伊直政が平岩の部下として出てきている、といったところ。
 徳川軍は、上田城の東を南北に流れる神川(当時の発音は「かががわ」、千曲川の支流)を渡って、東から西に侵攻してきていますから、真田氏作成ではありえないミスです。なので、援軍を派遣した上杉作成ではないか、とされています。また誤写があるので、原本ではなく写になります。
 なおこれより新しい写が、『松代町史』編纂過程で作成されたようですが、戦国期の言葉がまったくわからなくなっており、誤写が増えて意味が通じない地図になっており、顧みられてきませんでした。
 なお、地理関係の間違いは、上杉の本格的援軍到着が閏8月2日の決戦後で、すでに戦場が千曲川以南に移っていたためと思われます。井伊直政がいるのも、撤退時の情報との混乱でしょう。

 ともかくこの絵図は、真田昌幸の作戦が非常に細かく記されており、非常に面白い。この絵図のおかげで、上田合戦の様子がかなり具体的にわかるようになってきました。これほど詳しくわかる戦国期の合戦は、ちょっとないです。『戦国遺文真田氏編』第一巻に翻刻したのですが、うっかり一行抜けてしまいました(最終巻あたりで訂正版を再収録したいと思います)。
 最初に第一次上田合戦の背景と、両軍の兵力(概算)、既知であった『三河物語』「室賀満俊覚書」の記述の説明と、図に出てくる「宿城」(惣構えの中城下町がある形)の説明をした後、絵図から文字情報を削除したコピーを配布しました。それが、下の地図を拡大してもらったものです。
第一次上田合戦絵図

 昌幸は、宿城に配置されている鉄砲や旗を使って、味方の軍勢や伏兵を動かしたのですが、説明は考えた末に省略しました。答えを誘導したくなかったもので。持ち駒は、真田昌幸軍、真田信幸軍、上杉景勝援軍、百姓(木製のマグネット)×3、忍者(左記マグネットに青テープ)×2、です。なお百姓は、15歳〜50歳の地下人と絵図にあるもの。忍者はカマリです。

 さて、全4班にわかれての、作戦会議開始です。まず、ポストイットにそれぞれ自分なりの作戦を書き出して、そこから話し合いで作戦を決める、というやり方をしました。 とりあえず絵図通りの作戦を考えて貰うので、徳川軍は南から北へ侵攻。絵図の中の赤線が道。その南に田んぼ、北に藪。北の山裾に蘆野が広がっています。上田城は北西、北東に取出=砦(砥石城)があります。千曲川から北は全部真田領、と説明。 うっかりしたのは、打ち合わせ不足で足軽のコマを作らなかったこと。ですが、かえって想像が広がりました。

 許可を得て、小学生の成果を出してみたいと思います(個人情報関係が出ていないことはチェック済みで、多少加工しています)。  昌幸は、宿城に配置されている鉄砲や旗を使って、味方の軍勢や伏兵を動かしたのですが、説明は考えた末に省略。
 まず第1班(順不同です…関係ないですが)。
第1班

 よく練っています。道を百姓兵が塞いでいます。城におびき寄せて、後ろから百姓兵で挟み撃ちにする、川を堰き止めて、川の水でやっつける。川に泥をいれて、ぬかるみを作る。田んぼに突き落とす。アイデアが豊富ですね。
 面白いのは、忍者部隊を最初から徳川の陣に配置して、攪乱工作をさせているところ。なお全発表が終わってから、当時の忍者はスパイもするけど、戦場では強襲部隊という説明をしました。さらに上杉の援軍を、徳川の後方に配置。これまた予想外です。

 第2班。
第2班

 蘆野の焼き討ちや、山裾に侵攻されることを警戒しています。忍者部隊は、西側の川を突破させないように配置。もう一部隊は藪に潜ませて夜襲(これは実際に昌幸がとった戦術です)。上杉の援軍に砥石城をまかせて、百姓を伝令用に使っています。さらに、山が襲われた場合、上杉別働隊を「作って」援軍に派遣させています。すごい自由な発想で、面白い。
 信幸を配置した宿城(惣構え内の城下町)に「出城を作る」というのは、真田丸からきた発想でしょうか。

 第3班。
第3班

 百姓は田んぼ防衛に配置。忍者を情報伝達と藪での伏兵に使っています。正規軍の人数を歩兵・鉄砲細かく書き込んでいます。こだわりのある設定ですね。そんな指示はもちろんしていないわけで、非常に面白い。このグループも、やはり山への攻撃を警戒しているようです。

 最後、第4班。
第4班

 こちらも千曲川西側からの渡河を懸念しているのですが、百姓は城下町防衛に専念させています。残りはというと、個々人のアイデア出しのために配った付箋で、兵隊の数を増やしています。足軽を入れ損ねたと書きましたが、そこをうまく補われました(笑)。やはり小学生の発想は、柔軟です。

 というわけで、僕としても非常に面白い結果がでました。ちなみに昌幸がこの時取った戦術は、絵図によると以下の通り。
1)宿城に配置した鉄砲で敵軍の位置を報告させる。
2)上田城に敵を引きつけて、わざと城内におびき寄せ、敵が引いたら出撃し、反撃されたら退却して挑発、を繰り返して夜になるのを待つ。
3)日暮れ時になったら、宿城に配置した旗1をふって砥石城に合図を送り、信幸を出撃させて敵の退路を塞ぐ。実際の徳川勢は東、つまり砥石城の南に退却している。
4)宿城の第2の旗をふって、山麓の蘆野に伏せさせた百姓に、鬨の声を挙げさせて、紙製の旗を振るう=本当の伏兵がいると思い込ませる。
5)敵が撤退に入ったら、宿城の第3の旗を振って、藪に合図を送る。藪からは足軽と百姓が鬨の声をあげ、二手に分かれて退却する敵を急襲。「カマリ」云々とあるので、忍びもいたし、足軽も忍び働きをした模様。
6)藪の伏兵に反撃しようとした敵を、北から信幸が急襲する。もう一方の部隊は、昌幸が上田城から出陣して藪のカマリ(忍び)と挟撃する。徳川勢は、神川のほうに追い詰められる。
7)途中の国分寺で合戦(信幸書状)。信幸によると1300人余を討ち取った、『三河物語』によると、300人余の損害。まあ間を取って数百人でしょうか。それでも徳川の損害は一割くらいに達しています。

 とにかく、小学生の発想が豊かで、自分でも楽しめました。来月もう一回あるのですが、そちらでもミニゲームを準備しています。
(2019-09-29)
○秋期講座のご案内
 秋期の一般向け講座のご案内です。

●早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校
 「人物でたどる戦国史―史料からみた戦国武将の実像・信長上洛編―」
 全10回 ・10月02日 〜 12月04日(毎週水曜・10時半〜12時)
 同時代史料をもとに、小説や講談・ドラマ、あるいは研究において定着してしまった虚像を考え直したり、あまり馴染みがないけれど戦国時代を考える上で重要な人物の紹介を行います。今期から、来年の大河ドラマにあわせ、織田信長・明智光秀関連を扱います。まずは、信長の尾張統一と、上洛に関わる人物(織田家臣・他大名)で、最後の第10回が光秀です。

※講座が開始すると、ウェブ上では「受け付け終了」と表示されますが、電話申し込みは継続して受け付けているそうです。ただし、受講料は変わらないとのこと。

 それから、武蔵野大学生涯学習の講座です。
「武田信虎は暴君であったのか」
 全1回 ・11月07日 (日曜・13時〜14時半)
 場所:千代田サテライト教室
 連続講座「武士の権力論 第八弾」のひとつです。こちらは、好きな講座だけ受講することが可能です。こちらは、総論または特論をお話しする講義です。信虎の話は、昨年度のNHKカルチャー横浜教室、江東区の連続講座、武田氏研究会講演ですでにしております。内容が重なる部分が多いと思いますので、その点はご留意ください。
(2019-09-17)
○夏期講座のご案内
 もう今週開始ですが、夏期の一般向け講座のご案内です。

●早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校
 「人物でたどる戦国史―史料からみた戦国武将の実像・関東動乱編―」
 全8回 ・07月10日 〜 09月04日(毎週水曜・10時半〜12時)
 同時代史料をもとに、小説や講談・ドラマ、あるいは研究において定着してしまった虚像を考え直したり、あまり馴染みがないけれど戦国時代を考える上で重要な人物の紹介を行います。今期は、関東の大名・国衆、そして古河公方です。ちょっと別件の仕事がらみで、整理し直しています。

 最近東国に偏っているので、濱口誠至君がやっている武家儀礼の講座も一緒にご紹介しておきます。
「戦国時代の政治と文化」
 全5回 ・07月10日 〜 08月07日(毎週水曜・13時〜14時半)

※どちらも講座が開始すると、ウェブ上では「受け付け終了」と表示されますが、電話申し込みは継続して受け付けているそうです。ただし、受講料は変わらないとのこと。
(2019-07-07)
○勤務先の異動
 本日(平成31年4月日)付で、東京都市大学共通教育部人文・社会科学系(人文・社会科学教育部門)に、准教授として着任しました。最寄駅は大井町線尾山台、世田谷キャンパスです。一般教養を担当する形です。

 もとは武蔵工大といった大学で、今度東京都立大学に名称を戻す首都大学東京とは別の大学です。よく間違われますが…。とまれ今後とも、よろしくお願い申し上げます。
(2019-04-01)
○『武田氏研究』59号刊行と春期講座のご案内
 年度内最後で、ようやく更新ができました。

 まず、『武田氏研究』59号が刊行されました。お求めは岩田書院か、ジュンク堂にて。
北条氏政正室黄梅院殿と北条氏直浅倉直美1
戦国大名武田氏と甲府―信虎、信玄、勝頼の城下町―山下孝司14
研究ノート 真田幸綱宛の武田晴信初見文書について柴辻俊六28
史料紹介 新発見の武田氏発給文書二点―武田氏の伝馬制度に関する新知見を兼ねて―平山優31
史料紹介 甲斐国追放後の武田信虎・信友関連古記録補遺丸島和洋38

 平凡社「シリーズ中世から近世へ」は今年に入って二冊(黒田基樹『今川氏親と伊勢宗瑞 戦国大名誕生の条件』/長澤伸樹『楽市楽座はあったのか』)が刊行されました。特に楽市楽座の本は必読です。

 それと、先週末発売の『歴史REAL 関東戦国150年史』のpart3を執筆しています。細かいタイトルやキャプションは編集任せですが…。「法の支配」は自力救済の対語ではないし、江戸時代に適用すべきではないから外せ、っていったんだけどな。

 最後に、春期の一般向け講座のご案内です。

●早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校
 「人物でたどる戦国史―史料からみた戦国武将の実像・東北動乱編―」
 全10回 ・04月10日 〜 06月19日(毎週水曜・10時半〜12時)
 同時代史料をもとに、小説や講談・ドラマ、あるいは研究において定着してしまった虚像を考え直したり、あまり馴染みがないけれど戦国時代を考える上で重要な人物の紹介を行います。完全な講義形式になります。今回は東北の大名・国衆を取り上げます。
 本年は、水曜午前中の本講座のみとなります(今までと時間も変更になっています)。古文書の講座は行いませんので、ご注意ください。

※なお、講座が開始すると、ウェブ上では「受け付け終了」と表示されますが、電話申し込みは継続して受け付けているそうです。ただし、受講料は変わらないとのこと。

●江東区豊洲文化センター講座
 「〜甲府を創った男〜武田信虎の生涯とその時代」
 全4回 ・06月01日 〜 07月13日(隔週土曜・14時〜15時半)
 甲府開創500年ということで、武田信虎についてお話しします。募集期間はもう過ぎていますが、まだ受け付けているようです。興味のある方は担当に御連絡ください。しかしNHKカルチャーといい、なんで本題のほうに〜をつけるのさ?おかしいだろ。

●武蔵大学生涯学習講座
 「川中島合戦を捉え直す」
 全1回・06月02日(日) 13:00〜14:30 千代田サテライト教室
 連続講座「武士の権力論 第七弾」のひとつです。この連続講座は、好きな講座だけ受講することが可能です。総論または特論をお話しする講義です。なお「史料から日本の歴史を考える」については、後任にバトンタッチしました。

(2019-03-31)
○冬期講座のご案内
 冬期の一般向け講座のご案内です。

●早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校
(1)「古文書からみる戦国時代―武田信玄の書状を読む 対織田外交編―」
 全8回 ・01月09日 〜 02月27日(毎週水曜・13時〜14時半)
 戦国時代の古文書の崩し字を読む講座です。前回(2018年度秋期講座)に引き続き、武田信玄の出した書状や命令書を読んでいきます。今度は信長との外交書状を中心に読みます。なお、本講座はこれで一区切りとする予定です。

(2)「人物でたどる戦国史―史料からみた戦国武将の実像・東国黎明編―」
 全8回 ・01月09日 〜 02月27日(毎週水曜・15時〜16時半)
 同時代史料をもとに、小説や講談・ドラマ、あるいは研究において定着してしまった虚像を考え直したり、あまり馴染みがないけれど戦国時代を考える上で重要な人物の紹介を行います。こちらは完全な講義形式になります。
 今期は、著名な東国戦国大名の父親世代を取り上げます。

※なお、講座が開始すると、ウェブ上では「受け付け終了」と表示されますが、電話申し込みは継続して受け付けているそうです。ただし、受講料は変わらないとのこと。

(2019-01-07)
○『戦国時代の大名と国衆』刊行その他
 何とか年内に更新せねばと思いつつ、気がついたら大晦日です。相変わらずいろいろばたばたしているせいもあるんですが…。

 2017年7月16日に行った戦国史研究会シンポジウム「戦国期における大名と「国衆」」の成果論集が刊行されました(もうだいぶ経ちますが…)。書名は『戦国時代の大名と国衆――支配・従属・自立のメカニズム』(戎光祥出版)と変更になっています。

 あのシンポは、西の方の研究者もお招きしてという形で企画がなされ、当日は200名を超える来場者を得ることができました。企画立案者のひとりとして、有難いことだと思っています。本をご一読いただければわかると思いますが、個々の論者の主張は一致していません。それぞれ2〜3回の準備報告を行い、そこで討論を行った末でのシンポなのですが、誰かの意見に統一してしまっては意味が無いという判断です。概念用語も、国衆/戦国領主が混在しています(同じ対象を指しています)。そもそも戦国時代は、地域毎に大名権力が多様性を持った時代ですので、「国衆」と位置づけうる権力も地域によって個性が生じるのは自明の話といえるでしょう。個性があることを踏まえた上で、共通点を探っていくというのが私個人のスタンスです。なお今回は、質疑応答は収録していません。
第1部 地域権力論・国衆論の軌跡をたどる
T 室町期の守護・国人から戦国期の領域権力へ水林純6
U 戦国期地域権力論の成果と課題石渡洋平34
第2部 全国各地の地域権力の動向
T 田村氏の存在形態と南奥の国衆佐藤貴浩50
U 戦国期の東関東――真壁氏と佐竹氏の関係を中心に中根正人72
V 信濃高梨氏の「国衆」化花岡康隆98
W 国衆の本領・家中と戦国大名――今川領国を事例に糟谷幸裕124
X 上杉氏における国衆の譜代化――北条・毛利安田氏を素材に丸島和洋148
Y 畿内近国における国衆の特質新谷和之177
Z 中国地域の戦国領主について村井良介210
[ 土佐国の地域権力――長宗我部・土佐一条家を中心に平井上総241
\ 戦国期南九州の有力領主畑山周平260
総括 シンポジウム「戦国期における大名と「国衆」を終えて柴裕之294

 それとこれももう店頭には並んでいないかもしれませんが、『歴史人』2019年1月号(武田信玄特集)で領国経営に関するパートを担当しました。ただ、デザインしてもらった「晴信」朱印2種類(単郭・二重郭)が、両方とも同じ朱印になってしまっています。念校(なかなか修正が反映されない)で一部修正指示をしたら、同じものを載せろと勘違いされてしまった模様。担当に電話したら、気がついていなかったようで、ちょっとこういうのは困る…。

 今年最後の原稿としては、『古文書研究』86号に随筆として「進物折紙の返却」という短文が掲載されました。『戦国遺文真田氏編』の調査成果の一端です。なお同書の編集は、今のところ順調といえましょうか。

 相変わらず、原稿書きで年を越しそうです。特に今月行った佐賀県立図書館の調査成果が結構難題。遅れていた書評も、一本しか入れられませんでした。冬休み明けまでに何とかいろいろ目途を付けたいのですが…、結構厳しい。

 皆様におかれましては、よいお年をお迎えください。
(2018-12-31)
○横浜市歴史博物館・横浜さいかちの会共催「さいかち中世講座」
 先日は「真田丸」非公式イベント「カロフェス」に多くの方にお運び戴き、ありがとうございました。台風で電車が止まることは早い段階でわかったのですが、遠方(四国や九州)から宿を手配して東京入りされている来場者もおられるということで、そのまま行わせていただきました。足下が悪いどころではない中、多くの方にお集まりいただき、非常に盛況に行われました。改めて御礼申し上げます。またスタッフの皆様、不慣れな中、本当にお疲れ様でした。

 講座のご案内が遅れていました。横浜市歴史博物館で、横浜さいかちの会共催の「さいかち中世史講座」(PDF直接リンク)を行います。私の担当は、第5回です。

 定員は各回150名、会費は各会500円とのことです。詳細はリンク先をご参照ください。こちらも、よろしくお願いします。

 原稿。一本、遅れに遅れていたものをようやくいれました。これで何とか年内刊行ができる…はず。
(2018-10-06)
○『論集戦国大名と国衆21 真田信之・信繁』刊行
 めずらしく、連日の更新です。黒田基樹・丸島和洋編『論集戦国大名と国衆21 真田信之・信繁』(岩田書院、352頁、5000円+税)が刊行されました。

総論T 真田信之の研究黒田基樹5
総論U 真田信繁の研究丸島和洋41
真田信之と真田信繁井原今朝男71
真田弁丸の天正一〇年丸島和洋81
真田信繁(幸村)の証人時代再考寺島隆史91
真田信繁の「第一次上田合戦」参戦の有無について堀内泰121
名胡桃城奪取事件とその周辺赤見初夫131
戦乱の時代と境目の人々―沼田領内における天正・文禄「下河田検地帳」に見る農民像―諸田義行159
豊臣政権下の真田氏と上野沼田領検地―天正・文禄期「下河田検地帳」の分析を中心に―鈴木将典189
真田信之の連歌矢羽勝幸201
元和五年秋和目安考―戦国期地域民衆の一動向―尾崎行也223
真田氏の松代入封坂田尚子243
藩政のしくみ鬼頭康之255
地方知行とその特色鈴木寿263
家臣団の構成と地方知行鬼頭康之277
「真田騒動」再考原田和彦289
真田信之の遺金をめぐって原田和彦325

 編集に携わってきた本シリーズも、これで区切りをいれ、完結ということになりました。いつもながら、コピーフリーではありますが、是非お買い求め下さい。今月末の「真田丸」自主イベント「カロフェス」にも、持って行きます。割引きで販売します。注目は原田論文で、信政死後の御家騒動の存在そのものに、再検討を促す重要な論考を再録させていただきました。

 カバー色は、勿論赤備え。「赤い彗星」というよりは、「真紅の稲妻」という感じです。

 話はかわって、講座のご案内。
 NHK文化センター横浜教室で、新規講座「戦国大名武田氏の興亡〜信虎、信玄(晴信)、勝頼三代〜」を開講する予定です。
 全6回・2018年10月19日 〜 2019年03月22日(毎月第4金曜・16:00〜17:30、一部変則的な週あり)

 あまりに解説文が寂しかったので、差し替えを御願いしました。こちらもよろしくお願い申し上げます。
(2018-09-14)
○Facebookアカウントの取得
 色々悩んだのですが、Facebookを始めました。主として告知用(と知り合いとのやりとり用)で、本サイトと併存させていく予定です。ホームの背景画像は、岩櫃城。2014年撮影です。実は日曜にのぼってきたばかりなのですが…。
(2018-09-13・12-31)
○Facebookアカウントの取得
 色々悩んだのですが、Facebookを始めました。主として告知用(と知り合いとのやりとり用)で、本サイトと併存させていく予定です。ホームの背景画像は、岩櫃城。2014年撮影です。実は日曜にのぼってきたばかりなのですが…。
(2018-09-13)
○『戦国史研究』76号と国衆真田兄弟刊行、そして「カロフェス」
 酷暑はあっというまに過ぎ、気がつけば、9月も半ば。そろそろ諸原稿をとりまとめねばなりません。締切が…。

 『戦国史研究』76号が刊行されました。久々に、私も投稿しています。

若狭武田氏における「国家」笹木康平1
天正後期の細川信良と長宗我部氏の関係―細川信良書状之分析を通して―山下知之12
羅針盤――――
松平元康の岡崎城帰還丸島和洋24
足利義輝側近進士晴舎と永禄の変木下昌規26
元亀年間の斎藤龍興の動向木下聡28
武蔵国岡上村の名主免と定使給池上裕子30
戦国史関係論文目録(平成29年7月〜12月)32

 拙稿は、研究余録の形で書いた試論です。どんな論考でもそうですが、あくまで「作業仮説」ですから、どう解釈するかは、議論の余地があるでしょう。勿論私自身は、この考えでいいと思っていますが。ただ、最後に注釈を追加したら、柴論文の通し番号の順序が滅茶苦茶になってしまいました。大失敗です。

 それと、岩田書院より、『論集戦国大名と国衆21 真田信之・信繁』が刊行されます。今週末の納品だから、戦国史研究会にはぎりぎり間に合わないかな…?豊臣期以降の信之・信繁は、戦国大名でも国衆でもないのですが、そのあたりはご愛敬ということで。
 信之の総論を黒田さんが、信繁の総論を私が執筆しています。表紙のカラーは…期せずして、というべきか、案に違わず、というべきか。関係者の意見が一致しました。色見本をみましたが、なかなかよさげです。

 この本を、今月末の「真田丸」自主イベント「カロフェス」に少し持って行こうと思っています。まあ再録論文集なので、専門性が高いのですが(値段も)、割引販売をするよう手配をしました。興味がある方は、声をおかけください。
 「カロフェス」(twitter)については、主催者側のペースを乱さないように、ここまで発言を控えてきました。私が関係したきっかけは、大河の時代考証への誤解が色々広まっている気配を感じたことです。何とか軌道修正を図りたいな、と考えていたところ、偶然この話が耳に入り、せっかくの機会だとお手伝いすることになった次第です。
 ただ、NHKが絡まないイベントに公に参加するのは久しぶりです。イベント関係を私的参加(といっても関係各位に話は通しているのですが)にしていたのは、私自身の立ち位置の問題が大きいです。ようするに、お前は何様か、ということなのですが。もっとも、『校注本藩名士小伝』や『戦国遺文真田氏編』刊行につながるなど、学問的フィードバックも進んできました。大河終了後、堅実な蓄積が進んでいる点は、得がたいことと考えます。「真田丸」という作品に関わらなければ、こうした動きは当分起こることはなかったでしょうから。

 とはいえ、イベントで堅苦しい話をするつもりは、毛頭ありません。「三家老」を中心に制作時の思い出話をしつつ、歴史に親しむ場を提供できれば、と思っています。当時の資料を眺めながら、記憶の糸を辿る楽しみができたといったところです。
(2018-09-12)
○『武田氏研究』58号刊行と秋期講座のご案内
 御連絡が遅くなりましたが、『武田氏研究』58号が刊行されました。

〔記念講演〕頼朝政権と甲斐源氏木村茂光1
在国の公家正親町三条公兄の足跡土屋比都司26
戦国期武田氏領における「代官」の諸様態柴辻俊六46
〔余滴〕堀田作兵衛とすへ丸島和洋58

 木村論考は、昨年総会の講演録で、鎌倉幕府成立期の甲斐源氏について整理したもの。なかなか読み応えがあります。拙稿は、頁調整用の執筆で、堀田作兵衛と、真田信繁の娘すへについて、書き残しをまとめたものです。

 秋期の一般向け講座の案内がちらほらと出始めましたので、ご案内いたします。

●早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校
(1)「古文書からみる戦国時代―武田信玄の書状を読む 対上杉謙信編―」
 全8回 ・10月03日 〜 12月05日(毎週水曜・13時〜14時半)
 戦国時代の古文書の崩し字を読む講座です。前回(2017年度冬期講座)に引き続き、武田信玄の出した書状や命令書を読んでいきます。今期、川中島合戦編と打っておきながら、第四次までいきそうになく。事実上川中島合戦編後編です。

(2)「人物でたどる戦国史―史料からみた戦国武将の実像・戦国胎動編―」
 全8回 ・10月03日 〜 12月05日(毎週水曜・15時〜16時半)
 同時代史料をもとに、小説や講談・ドラマ、あるいは研究において定着してしまった虚像を考え直したり、あまり馴染みがないけれど戦国時代を考える上で重要な人物の紹介を行います。こちらは完全な講義形式になります。
 今期は、2017年度春講座とほぼ同内容のものですので、受講に際してはご注意ください。しかし今やっている享徳の乱・明応の政変関係の人物、一番反応が良かったのが越後守護上杉房定だったというのは想定外でした。冬講座はまた新規内容になります。

※どちらも、現在は受け付け準備中です。ウェブ・電話での一般申し込み受け付け開始まで、しばらくお待ち下さい。
※なお、講座が開始すると、ウェブ上では「受け付け終了」と表示されますが、電話申し込みは継続して受け付けているそうです。ただし、受講料は変わらないとのこと。

●武蔵野大学生涯学習講座
(1)「戦国大名と分国法」
 全1回・2018年11月18日(日) 13:00〜14:30 千代田サテライト教室
 連続講座「第六弾 武士の権力論」のひとつです。この連続講座は、好きな講座だけ受講することが可能です。こちらは、総論または特論をお話しする講義です。某新書と丸かぶりなタイトルですが、偶然です。別件のお仕事のからみで自分なりの考えをまとめてみようと、このテーマになりました。
 ※今回は日曜が開講日になっております。ご注意下さい。

(2)「第一次上田合戦考」
 全1回・2018年12月12日(水) 15:00〜16:30 三鷹サテライト教室
 連続講座「史料から日本の歴史を考える 第六弾」のひとつです。こちらも、好きな講座だけ受講することが可能です。(1)と違い、古文書を解説しながらそこから何が読み取れるかをお話しする講座です(くずし字読解ではありません)。『戦国遺文真田氏編』第一巻で、第一次上田合戦関係の史料が網羅的に集められましたので、それをもとにお話ししたいと思います。なお、今回は平常の時間通りの開講です。

●NHK文化センター青山教室
(1)「中世の古文書を読む〜武田勝頼編V〜」
 全6回・2018年10月18日 〜 2019年03月14日(毎月第3木曜・15:30〜17:00、03月のみ第2木曜)
 引き続き武田勝頼の出した書状や命令書を読んでいきます。春講座(U)で長篠までいくと思いましたが、どうも直前でとまりそうです。長篠合戦からスタートになる予定。

(2)「戦国社会への招待〜戦争・政治・習俗〜」
 全6回・2018年10月18日 〜 2019年03月14日(毎月第3木曜・13:15-14:45、、03月のみ第2木曜)
 戦国時代の様々な事象について、最新の研究成果を掘り下げて解説をしていく講座です。第二シーズンは、私の専門の「大名間外交」や国衆、桶狭間合戦などを扱います。各回タイトルは、リンク先をご参照ください。なお今年は午前中に講義が入っているため、移動時間の関係上、少し変則的な時間にさせていただきました。

(3)「真田丸と古文書」
 全1回・2018年10月18日(木) 19:00-20:30
 青山教室の特別リレー講座【おとなの教養アラカルト】のトップバターをやらせていただくことになりました。めずらしく夜間講座です。基本的には、「中世の古文書を読む」の紹介講座なのですが、大河ドラマ「真田丸」で使われた書状類が、どのような学問的裏付けでなされていたかもお話しする予定です。なおこの講座も、、好きな講座だけ受講することが可能です(全体受けた方が頭割りすると安いそうですが)。

●NHK文化センター横浜教室
(1)「戦国大名武田氏の興亡〜信虎、晴信、勝頼三代〜」
 全6回・2018年10月19日 〜 2019年03月22日(毎月第4金曜・16:00〜17:30、一部変則的な週あり)
 新規に依頼を受けた講座です。戦国大名の最新の研究状況を、武田三代の興亡を解説しながらお話しする予定です。各回タイトルは、リンク先を御覧下さい。ただ、ちょっと紹介文が寂しいですね…。明日から出張なので、帰ったら考えましょう。

 とりあえずはこんなところでしょうか。あといくつかあるんですが、市民限定とかそういう感じなのか、Webにでていないので。次回更新は『戦国史研究』刊行の御連絡となるかと思います。
(2018-08-26)
○上田市立博物館の展示
 上田市立博物館で、昨年度購入文書「金井家文書」の展示「信之のまちづくり―金井家文書にみる真田氏の藩領統治―」が行われています(会期は7月21日〜9月24日)。

上田市博展示パンフ表 上田市博展示パンフ裏

 「金井家文書」は幕末の『真田家御事蹟稿』編纂以来、所在が不明となっていました。信之発給文書がずらりと並んでおり、情報をキャッチしたときは私も驚きました。幸い、上田市博の所蔵に帰すこととなり、ほっとした次第です。明日はちょうど上田のお祭りですので、あわせてご観覧いただくとよいと思います。
(2018-08-03)
○さよなら、Athlon
 ここしばらく、メールの返信が途絶え、一部の方には失礼をいたしました。

 実は普段使っている自作PC、というよりもその搭載HDDとDVDドライブの挙動が怪しくなり、パソコンを交換していたのです。HDDの異音に始まり、久しぶりの青窓(ブルースクリーン)、さらにDVDドライブでディスクが読み取れないという状況では、致し方ありません。今まで使っていたCPUは、AMDのAthlon 64 X2 Dual Core 5000+でしたので、多分組み立て時期は2006ないし2007年。11年以上経過しているわけで、HDDの寿命は3〜5年が目安ですから、おかしくなって当然といえます。ケースは静音のもので、気に入っていたのですが、こちらも色々破損箇所があり、もう使用に耐えなさそう。・・・というわけで、新規PCへの移行のため、久々に秋葉へ。

 毎度ながら、CPUは「インテル以外」、マザボは昔一度ASUSで初期不良にあたったこともあり安定性の高いGIGABYTE、ケースはミドルタワーないしフルタワーで静音のもの、というのは前提条件として決まり。となるとCPUは現状ではRyzen第2世代、長く使いたいのでRyzen 7 2700X一択。問題はGIGABYTEの対応マザーがゲームPC用のものしかないという点と、Ryzenの公式対応OSがWindows10だけになってしまうこと。前者は設計がかなり親切なのでよいとして、後者はできればWindows7のままで行きたいんですが(入れる方法はあるけど面倒だし)、仕方ないと許容(在庫状況からミドルクラスのマザボに)。後はドスパラの店員さんと雑談しながら決めていきます。静音ケースはフラクタルデザインび流行にのっかるとして、グラボはGeForceであれば正直さほど性能は不要。動画の編集がサクサクできれば十分ですから。となればメモリは16メガ、電源も550Wあれば大丈夫でしょう。HDDはびっくりするほど安かったので、PC-98時代からのお馴染み、Western DigitalのBlueシリーズ(Redは高い)。起動はSSDでやるので、HDDはほぼ純粋にデータ保存用。容量を迷いましたがこの値段なら3テラにしてみるか、と思ったところ品切れだったので4テラに引き上げ。大して値段変わらない。SSDもWestern Digitalで。この内容なら、ファンの増設は不要、CPUおよびケース付属のもので十分でしょう。当面はオーバークロック試す時間ないし。

 ディスプレイ・キーボード・マウスは正直前のものでいいんですが、移行作業を2台同時に立ち上げて行うので、いったん自宅にかえって机周りのスペースを確認した上でヨドバシで購入。ドスパラで、現在販売されているキーボードは酷いことが確認できたこともあり…。省スペースしか考えていない製品ばかりで、キーストロークがよいものもどうも設計そのものがあまり打ちやすいデザインとはいえません。当面の移行作業用とはいえ、今使っているもののキーストロークとキーサイズを確認・比較してからでないと購入できないと判断しました。

 「安くするための自作」ではなく、「自己満足のための自作」なので、全体では正直痛い出費ですが(ソフトウェアも更新したので)、現行HDDが壊れる前に移行を済ませないといけません。製品到着後、2〜3時間でハードウェアを組み立てて、Windows10(64bit)インストールまでした上で、BIOSをいじって気がつきました。BIOS上で設定変更しても、DDR4-2800規格のメモリが2133でしか動作してくれていない…。Ryzenと相性のよいメモリを勧めてもらったんですが、ひょっとしてXMPに対応してない?検索した限りでは対応しているんだけど…。取り敢えず後回し。それと、今更ながらRAIDを組めばよかったと気がつきますが、後の祭り。
 後はソフトウェア。問題はこれで、一太郎、MS-Office、Adobe CCあたりは(出費以外は)いいとして、サイズがばかでかくなっていたメーラーと、大量に使っているフリーウェアの類いの移行が大変。ATOKは先日青窓が出た際に、ユーザー辞書ファイルがぶっ壊れてしまったので、少し前のバックアップから新規登録したばかり。これを再度読み込んでもらう。問題はソフトウェアのインストール先で、SSDの耐久性を考えると、頻繁に書き込みがなされるようなものはHDDにいれておきたい。ただ、これができるのとできないのとがあって、インストールするまでわからなかったりします。当面先送りしたのは、いまだにメインで使っているLotus系ソフト。Windows10でも何とかインストールができて、安定はしなくても動作するという情報を得てほっとしましたが、これも時間がかかりそう。普段使うファイルだけ、Excelの旧形式で保存しなおして急場をしのごうと思います(逆にいうと、それが終わるまでは旧PCは解体できない)。

 何より急務なのが、原稿や教材、史料調査データの移行。HDDを取り外して付け替えて移せば早いんですが、元の環境を確認しながらソフトウェア周りをインストールしているので、それができない。すぐに壊れはしないよねと思いつつ、現在進行形で作業中です。予想通り、ハードの組み立ては簡単でしたが、ソフトウェアとデータの移行がまったく終わりがみえない…というのが現状。急ぎで使用するデータから移して、コピーをしながら仕事するという感じ。問題は、無線キーボード混線がどうやら起きていること。まったく問題ないという話と、すぐ混線するという話があったのだが、どうも後者であったらしいです。マウスは問題ないけれど、キーボードが時々反応しなくなるってしまう。元のPCで使ってたやつのほうが明らかに電波が強いようなので(使い勝手も上だし)、早めに交換してしまおうか、と検討中。

 この夏は、しばらくPCの移行作業に時間をとられそうです。ディスプレイも大きなものに替えたので、机周りの配置も変更です。旧ディスプレイと2画面使う、という手もあるのですが、そうするとデッドスペースが生まれてしまうのが難点。大掃除を兼ねて、という感じでしょうか。でも8月〜9月も予定詰まってるんだよなぁ。
 ただ起動を含めた動作は軽快です。まだアプリが少ないということもありますが。ベンチマークをかけてみると、CPUだけで15倍以上の性能差が出たので、当然といえば当然ですね。

Ryzen

 GIGABYTEの第2世代Ryzen対応マザーはゲーミング仕様しかないので、動作中は内部がイルミネーション状態です(offにも出来ますが…、上の写真はテスト動作時のもの)。ケース左側は窓になっているので、内部の状態がよくみえます。個人的にはイルミネーションを楽しむというよりは、挙動や配線、埃の確認が出来て便利。フラクタルデザインのケースは配線が非常にやりやすい設計なので、簡単にケーブルをよけて配置できます。ただ、静音性はこれまで使ってきたアルミ製ケースよりは劣るようです。ファンの数が多いせいかと思いましたが、BIOS制御によりファンの回転を最小に抑えているタイミングでも、新PCのほうが音が気になります。
(2018-07-31)
○『戦国遺文真田氏編』刊行開始
 販売開始から1ヶ月も過ぎてしまいましたが、『戦国遺文真田氏編』第一巻が無事刊行されました。最初の巻の責任編者ということで、けっこうまだ体にダメージが残っています。色は真田の赤備えということで、真紅。収録年代は、天文元年(1532)から後北条氏が滅亡する天正18年(1590)まで。関連史料を分かる限り盛り込みましたので、真田氏研究はこれ一冊である程度できる、というようにしています。もちろん、周辺大名の史料も読み込まないといけないのですが。
『戦国遺文真田氏編』第一巻

 近年の『戦国遺文』にしては、多めに刷っていただきました。予想外に売れ行き好調とのことで、こちらも驚いています。なお受贈図書を結構いただいているのですが、ちょっと紹介しきれない。。。

 夏期講座のご案内です。
●早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校
(1)「古文書からみる戦国時代―武田信玄の書状を読む 内政改革編―」
 全10回 ・07月11日 〜 09月05日(毎週水曜・13時〜14時半)
 戦国時代の古文書の崩し字を読む講座です。前回(2018年度春期講座)に引き続き、武田信玄の出した書状や命令書を読んでいきます。ただ「内政改革編」と銘打ったものの、前回第二次川中島合戦までしかいかなかったんですよね。同じタイトルでナンバリングが不可という、大学の講義要項のような縛りのせいなんですが…。どうしようかな。
(2)「人物でたどる戦国史―史料からみた戦国武将の実像・東西乱国編―」
 全10回 ・07月11日 〜 09月05日(毎週水曜・15時〜16時半)
 同時代史料をもとに、小説や講談・ドラマ、あるいは研究において定着してしまった虚像を考え直したり、あまり馴染みがないけれど戦国時代を考える上で重要な人物の紹介を行います。こちらは完全な講義形式になります。今回は、永享の乱・享徳の乱および明応の政変に関わる人物を取り上げます。ただ従来講座との関係で、太田道灌は秋講座で取り扱います。ちょっと人選がマニアックでしょうか。

 ゆうきまさみ先生の「新九郎、奔る!」、今月号は『月刊スピリッツ』の表紙を飾っています。表紙で千代丸がかぶりついているのは「瓜」ですね。室町〜戦国期の贈答品の中で、頻繁にみられるものです。病人への贈答にも使われました。今で言えば、果物の贈答のようなもので、「春日権現験絵巻」などをみると、枕元に切って置かれています。
 実は『真田丸』制作時、秀吉の子・鶴松が病に倒れた際、諸大名から送られてきた見舞いの品にも、瓜をしのばせています。石田三成と大谷吉継が帳面をくくっているシーンです。まあこれくらいは表に出してもいいですよね?黒田さんからも「マニアックすぎ」と言われた代物です。
『真田丸』病気見舞い目録1
『真田丸』病気見舞い目録2

 色々原稿で四苦八苦しています。ちょっと暑さでダウン気味というのもあり。『武田氏研究』58号も、なんとか責了しました。7月14日の総会にぎりぎり間に合うという感じです。危ない危ない。
(2018-06-30)
○『信濃』5月号刊行
 GW半ばに風邪を引き込み、ちょっと低空飛行気味な状況が続いています。まずいなぁ。『戦国遺文』を校了したことで、気が抜けたのでしょう。
 さて、信濃史学会の雑誌『信濃』70巻5号が刊行されました。丸島も一本投稿させていただいております。

応永〜永享期における信濃村上氏の動向と室町幕府花岡康隆1
真田信之の軍制改革―「小山田家文書」進出分の紹介を兼ねて―丸島和洋23
高野武貞による『諏訪大明神絵詞』書写の経緯―安政5年・6年の日記から―五味夏希41
中世後期における地下人の考察―16世紀を中心に―宮島義和53

 丸島の論考は、小山田家(小山田茂誠の御子孫)の近世文書の束から出てきた4点の新出真田信之朱印状の紹介・・・のつもりだったのですが、書き始めたら少し大きな話になり、論文に衣替えした上で投稿したものです。調査したのは2016年3月で、投稿が昨年後半ですから、取りかかるのに結構時間をかけてしまいましたね。

 それと、『戦国史研究会史料集』6として、磯川いづみ編『伊予河野氏文書集(1)』が刊行されました。(1)の収録範囲は文安元年(1444)〜永禄4年(1561)、受発給文書など278点・参考5点が採録されています。河野氏は同じ実名を持つ人が多いので、年次比定がかなり混乱していました。それに大幅な訂正が加えられています。今後の研究の指標となるものでしょう。
 まだ戦国史研究会のウェブサイトには出ていませんが、注文は受け付けていると思います。前回の戦国史研究会例会が初売りで、歴史学研究会大会など、学会大会での販売が予定されています。このシリーズは、売れないと次が出せないので、是非是非お買い求めいただければ幸甚です。

 受贈図書。大石泰史氏より『今川氏滅亡』(角川選書)をご恵贈いただきました。タイトルは『武田氏滅亡』という名前の凶器(鈍器)に合わせた形ですが、内容は戦国期今川氏全般に目を配ったものとなっています。今川関係の論考にも手を出しているところなので、勉強させていただきたいと思います。

 目録や研究業績など、アップしないといけないものが溜まっているのですが、なかなか時間がとれません。もう少しペースを掴めればよいのですが。
(2018-05-20)
○祭りの後
 昨日から上田市にお邪魔し、「上田真田祭り」に遊びにいってきました。去年は、祭りの前夜祭として、吉川邦夫プロデューサーとの「時代考証秘話」イベントがあり、お仕事の一環でしたが、今年は完全に私的な形で、俳優やスタッフの皆さんへのご挨拶をしてまいりました。なんか「今年は来たんだ」という声がちらほらあるようですが、「上田真田祭り」に関しては、去年も、それも半公式の形で参加しています。そのような背景があったからでしょうか、上田市の広報では、なぜか隣にいた吉川Pの顔はモザイクかかってたのに対し、僕の顔はそのまま掲載されました(苦笑)。
 しかし今年も、やっぱり真田丸スタッフTシャツ持っていって、控え室で着替えれば良かったですね…。

 いろいろ記念撮影もさせていただきましたが、僕は俳優さんとの写真は、事務所からOKをいただいてもネットにはあげないことにしていますので(僕が映った写真を俳優さんがブログに載せるのはまったく気にならないのですが)、個人的愉しみとしてご容赦ください。

 あの大河は本当に雰囲気がよくて、変な言い方になりますが、俳優部やスタッフの方とお会いすると、本当に心が安まります。普段狭い世界で生きているせいでしょうか。
 ただ、やはりこれは「非日常」の世界に足を踏み入れた結果であって、「日常」とはしっかりとした線引きが必要なのだと思います。このあたりは何度も書かせていただいているのですが、なかなか汲んでいただけない方がいるのは残念です(スタッフや俳優部の方は、それこそ専門分野になるわけですから、説明をしなくてもラインをわかってくださいます)。
 昨夏のように、こうした案件で誰かとトラブるのは嫌なんですが…。あまり重なると、関係者の方にだけご挨拶して、そのまま帰るという形を選ばざるをえなくなりそうです。イベントでの目撃情報で、それに一言紹介を足す程度なら、何の問題も無いんだけどな、ということなのですが。

 明日は祝日ですが、非常勤先の大学は祝日講義日となっています。ハッピーマンデー法で月曜に祝日が集中したところに、大学改革で半期講義日数がどんどん増加していった結果です。ハッピーマンデー法は、旅行などをしやすくして経済効果を期待したもののはずですが、こと大学生に関しては、月曜に限らず祝日講義日が増えてしまい、完全に逆効果になっています。
 GW中という時点で、一昔前なら休講にしたものですが、今の学生さんは大変真面目ですし、休講そのものがやりづらい大学も増えています。昔とは大学の雰囲気がまったく違うんですよね。
 ただあまり堅苦しくならないよう、「中世の言葉と時代劇言葉」というお題で話す予定です。テーマそのものは悪くないと思うんですが、上手くまとめられるかどうか。今回に限っては、気持ちを切り替えてというよりは、今日の気持ちを上乗せする形で講義準備に入りたいと思います。
(2018-04-29)
○『戦国史研究』75号刊行
 今週の頭、ようやく『戦国遺文 真田氏編』第一巻の決着をほぼ付けました。後は念校だけなので、何とか歴研大会に間に合いそうです。天文元年(1532)から天正18年(1590)まで、真田氏の受発給文書および関連文書、真田氏の記載のある古記録類を収めました。『戦国遺文』シリーズとしては、かなり毛並みの代わった編纂方針で臨んでいます。高額な本ですが、是非一度御手に取り下さい。

 御連絡が遅れました。平凡社「中世から近世へ」、今年に入って2冊刊行されました。黒嶋敏『秀吉の武威、信長の武威 天下人はいかに服属を迫るのか』、野村玄『豊国大明神の誕生 変えられた秀吉の遺言』です。御味読ください。

 また、4月にずれ込んでしまいましたが、『戦国史研究』75号が刊行されました。海老沼君の史料紹介は、某民放テレビ番組で放映された文書です。私も調査に同行し、自筆と判断しました。

織田・上杉開戦への過程と展開―その政治要因の追求―柴裕之1
賀茂別雷神社文書中の丹羽長秀・織田信長文書について金子拓16
【羅針盤】
日野富子と山名宗全との連携の発端家永遵嗣32
第四次川中島合戦直前の武田氏―新出の武田信玄自筆書状から―海老沼真治34
内容が判明した大道寺政繁書状黒田基樹36
戦国史関係論文目録(平成29年1月〜6月)38
例会記録44
例会報告要旨例会記録45
会員消息50
投稿規定52

 慶應での非常勤は2年の任期(内規)が切れ、今年は立教大と、日本女子大・国士舘大で講義をもたせていただいています。新規の講義・講座が多いため、4月はあっという間にすぎてしまいました。ゴールデンウィークで、何とか立て直したいところです。ただそう思った瞬間に、別件の校正ゲラが届くんですよね…。
(2018-04-27)
○『歴史REAL 織田信長』刊行
 『歴史REAL 織田信長』(洋泉社MOOK)が刊行されました。私は滝川一益の項目を執筆しています。当初の先様のご要望は、「東国支配中心(武田氏滅亡以後)」ということだったのですが、それだと柴さんの研究の丸写しに陥りそうだなぁと考えながら書いてみると、むしろそれ以前、伊勢における一益の位置づけがメインになりました。もうちょっと掘り下げてみたいところで、いいお話しをいただいたと思っています。執筆陣も、金子拓さんを中心に手堅い顔ぶれですので、是非御味読ください。

 さて、春期講座の開始が近づいてきましたので、まとめて再掲します。早稲田のエクステンションは、講座が開始されると「受け付け終了」云々とHPに書かれますが、電話受け付けは継続しています(ただし、受講料は全回分必要)。募集する気があるんだかないんだか…。

●NHK文化センター青山教室
(1)「中世の古文書を読む〜武田勝頼編U〜」
 全6回・2018年04月19日(木) 〜2018年09月20日(毎月第3木曜・15:30〜17:00、8月のみ第4木曜)
 引き続き武田勝頼の出した書状や命令書を読んでいきます。現状の進み具合ですと、このシーズンで長篠合戦に入ることになるかと思います。

(2)「戦国社会への招待〜戦争・政治・習俗〜」
 全6回・2018年04月19日(木) 〜2018年09月20日(毎月第3木曜・13:00-14:30、8月のみ第4木曜)
 戦国時代の様々な事象について、最新の研究成果を掘り下げて解説をしていく講座です。最初のシーズンは、4月)地震と戦争、5月)刀狩り、6月)川中島合戦、7月)長篠合戦、8月)湯起請と鉄火起請、9月)高野山信仰の広がりという構成です。

●早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校
(1)「古文書からみる戦国時代―武田信玄の書状を読む 川中島合戦編―」
 全10回 ・04月11日 〜 06月20日(毎週水曜・13時〜14時半)
 戦国時代の古文書の崩し字を読む講座です。前回(2017年度冬期講座)に引き続き、武田信玄の出した書状や命令書を読んでいきます。
(2)「人物でたどる戦国史―史料からみた戦国武将の実像・応仁大乱編―」
 全10回 ・04月11日 〜 06月20日(毎週水曜・15時〜16時半)
 同時代史料をもとに、小説や講談・ドラマ、あるいは研究において定着してしまった虚像を考え直したり、あまり馴染みがないけれど戦国時代を考える上で重要な人物の紹介を行います。こちらは完全な講義形式になります。今回は、応仁の乱で活躍した人物を取り上げます。ただ従来講座との関係で、朝倉孝景などは別シーズンで取り扱います。

●朝日カルチャーセンター横浜教室
(1)「早わかり 1日集中 戦国時代」
 全1回・2018年4月14日(土) 13:30-17:00(途中休憩あり)
 戦国時代の概説講座で、完全な講義形式になります。

●武蔵野大学生涯学習講座
(1)「キリシタン大名の実像―肥前有馬・大村氏を中心に―」
 全1回・2018年7月28日(土) 13:00〜14:30 千代田サテライト教室
 連続講座「第五弾 武士の権力論」のひとつです。この連続講座は、好きな講座だけ受講することが可能です。こちらは、総論または特論をお話しする講義です。
 ※当初は7月14日(土)を予定しており、配付パンフレットもそのようになっておりますが、日程が変更となりました。御迷惑をおかけします(2018-02-25追記)。
(2)「戦国期の人身売買―「乱取り」という奴隷狩り―」
 全1回・2017年7月25日(水) 10:00〜11:30 三鷹サテライト教室
 連続講座「史料から日本の歴史を考える 第五弾」のひとつです。こちらも、好きな講座だけ受講することが可能です。(1)と違い、古文書を解説しながらそこから何が読み取れるかをお話しする講座です。なお、私の講座は時間が変則的ですので、ご注意ください。
(2018-04-06)
○論文ネット公開の難しさ
 少し前の事になるが、一般向けの原稿をひとつ入稿した。図録以外では、結構久しぶりかもしれない。その際、ちょっと思うことをまとめておこうと思って、一ヶ月以上御蔵入した文章がある。いささか不用意だと思って削除したのだが、思いもよらない事態に巻き込まれたので、批判を覚悟で公開しておく。

 ここ数年、論文のネット公開が一気に進展した。これは史料も同様であり、私のように論文を自宅で書く研究者にとっては非常に便利である。論文発表の媒体は、ざっくりと学会誌、紀要、書籍に大別され、そのうち紀要論文の公開が進んでいるのが現状である。学会誌・書籍はそれぞれの運営維持のため、困難だが(書籍についてはその後動きがあったようである)、ネット購入が容易になっているので、さほど問題はない。なお最初に動き出した紀要に関しては、媒体の性質上入手困難なものが多い上、図書館の収蔵スペースという物理的問題があった。

 そのためもあり、歴史愛好家の方が論文を読まれ、ネットなりに感想を書かれることが増えた。もともと戦国と幕末は、雑誌や専門書にも目を通す方が多かったから、当然の帰結だが、以前から危惧していたことがやはり起きてしまっているように思う。以下は、平凡社『勝頼』のあとがきで「危険性を孕む」と曖昧に書いたことの中身である。

 平井君が著書『兵農分離はあったのか』で、読者の意外な反応として、「自分は騙されていたというものがあり、困惑した」云々という話を書いている。歴史学が人文科学である以上、史料の読み直しや新しい史料の発見によって、研究成果は日々塗り替えられていく。また歴史上起こった「事実」はひとつだが、それをどのように位置づけるかが歴史学研究である以上、確定した「事実」であっても、その扱いは研究者によって異なる。

 同時に、義務教育段階や、高校段階の教科書は、それぞれの教育段階に応じた記述がなされている。大学の講義で教えるような内容を、基礎知識のない相手にいきなり話すわけにはいかない。物事には手順というものがあるわけで、「教科書に騙された」などとは思わないで欲しい、ということなのだが、なかなかそのように受け取ってはもらえない。

 私自身も講談社選書メチエを書いた時、「選書は新書よりも高い内容が求められるのに、文章が平易すぎるのは読者を馬鹿にしている」という感想が来て困惑した。最初に単著の形で書いた一般書だったから、いささか「感想を気にしすぎた」きらいがあったが…。なお、専門書の帯に「どうしてこの絵を選んだのか説明がないのは怠慢だ」という非難をしてくる方もいるようだ。答えをいえば、私にとって最初に出したカバー装の本であり、出版社とデザイナーに任せていた。このあたりは、メチエの表紙の武田信玄像が指定と違っていたことに気がつかなかった(画像を渡していたので、間違いは起こらないと思い込んでいた)ところと似ているのかも知れない。ようするに、「最初の本だからどこまで口を挟んでいいかわからなかったし、楽しみにしていた」というところである。これ以上何かいうようであれば、こちらとしては対応を考える。

 話を戻そう。ネットにおける論文公開は、9割の功に、1割ほどの罪が混ざるように思う。学生がネットでしか論文を探してこない、といった類いの話では無い。第一の問題点は、私などは特にそうだが、著書にまとめる段階で論文は書き直す、ということである。したがって、とっくに著書に収め直した論文の雑誌段階の「旧稿」の感想を目にすると、「いや、その見解はもう修正しているんだけど…」となる。

 しばしば誤解されるが、論文というものは、100%完成したものを出すわけではない。学術雑誌の投稿規定に「投稿は完成原稿で」とあるのは、「採用決定後に、内容や文章の大幅な書き直しをするようなものは駄目ですよ」という意味で、「批判の余地のない完璧な論文ではないと受け付かない」というものではない。
 そのために査読制度があり、査読をパスした後に書き替えられては査読の意味がないのだ。なおこれまたしばしば誤解されるが、査読とは論文の正しさを保証するものではなく、そこで示されている論拠をもとに論旨が通っているかどうかを審査するもので、論文の完成度を高めるためという要素が強い。だから「書き直し再投稿」という審査結果が存在する。同時に、査読者の意見と異なっていても、論文として成り立っているものを落とす事はルール違反となる。

 これまた誤解を招きそうだが、「論文の完璧さ」にこだわると、永遠に論文はかけなくなる。完璧な論文など、存在しないからである。だから私は、論文刊行直後しばらく、史料や先行研究の見落としがないか、不安に陥るのだ。しかし、それが現実というものである。
 議論として筋が通っており、一定の反論にも堪えうると判断した段階で、論文は投稿・発表するものである。一般に「8割完成で出すもの」といわれる。その後、批判を受けたり、自身の研究の進展で論旨の修正が必要になるとなったら、著書に収める段階で修正する。特に紀要論文となれば、尚更である(穴埋め原稿を求められることが多いし、学会誌に比べて字数制限などをあまり気にせず自由に書ける)。だから著書段階で、頂戴した批判に対する修正や反論を加え、論文としての完成度を高める。著書再録後であれば、別の論文で論旨の修正や反批判を加えるということになる。いずれにせよ、著書に収められた内容が、その研究者の見解であることが一般的だ。

 しかしネット上には、雑誌段階の「旧稿」ばかりが流通している実態がある。もちろん一回発表した以上、文責を負わねばならない事はいうまでもないが、既に修正を加えた見解を、何度も説明し直すというのはかなり疲れる。

 また論文というものは単独で存在するわけでなく、複数の論文で議論を進める。それをまとめた結果が著書になるのだが、最近どうもこの点の理解が研究者間でもおろそかになっているようで、ひとつの論文を読んだだけで批判している論文を目にする。「それへの回答は別稿に書いていたはずだよな、あの人は」と思う事が増えており、自戒の念を強くしている。だからネット上で「旧稿」が拡散している状況は、何とも恥ずかしいのである。なお昔この点を指摘したところ、逆ギレをした族がいて、「まあそんなもんだろう」というのが感想ではある。

 第2の問題点は(こちらのほうが個人的には重要なのだが)、論文の読み方が身についているか、ということだ。私がはじめて自分の金で購入し、腰を据えて読んだ学術書は、永原慶二『戦国期の政治経済構造』(岩波書店、1997年)であった。これは学部2年在籍時、講義で出された夏休みのレポートを書くためである。古代から近現代まで網羅された課題図書から一書を読んで自分の見解を述べよといったような課題であったと思う。もっとも学部2年の話である。永原慶二先生という大先達の著作一冊を自分の言葉で整理することはできず、部分的なレポートになったと記憶している。今読んだら赤面ものであることは断言できる。

 ただそのレポートのデータを探し出すまでもなく、同書を開くだけで頭を抱えてしまう。当時の私は、読書に際して重要箇所に線を引くことを自身に課していた。問題は線を引いた場所で、主として「自分が知らない話」に傍線が引いてあるのだ。
 何が言いたいかというと、「この本が主張している内容」とズレがあるのだ。つまり当時の私には、まだ「先行研究整理→問題点の指摘と課題の提示→本文における論証→結論の提示」という論文執筆の作法が身についていなかった。だから、読む時には「自分の興味がある話」にばかり目がいってしまっている。

 ネット上で眼にするコメントは、非常にありがたいものだが、同時に自分が学部生時代に書いたレポートを思い起こさせる。一言でいえば、「その論文はそんなことを議論するために書かれたものではない。だからその点について指摘されても意味がよくわからない」というものだ。もっとも、論文というものはある種生き物で、別の角度から再評価されることはいくらでもあるから、新たな視点をもたらしてくれることは有難いことではあるが…。
 実際ネット公開されている私の論文について、同じ歴史学であっても、別分野(東洋史とか西洋史)の研究者が、SNSつながりがあるからと目を通してくれた感想は、「難しい」というものであった。私も東洋史や西洋史、国文学・国語学の論文を読む事はあるが、やはり難しい。議論の前提を共有していないから、そこから引き出せる情報に限界がある。ネット上の議論では、この問題がどうしても付きまとう。なお、私はめったに海外の研究者の名前を引用しないが、それはその論文を読んでいないからではなく、消化し切れているか慎重であるためだ(『武田勝頼』がはじめてのはずだが、まだ論文で引用するかは躊躇する)。

 私が学会発表や講座・講演の内容をネットに書かないでほしいといっている理由のひとつもこれで、特に学会発表は、論文のさらに前のたたき台だから、荒削りなものなのだ。試食会で食べた商品の内容を公開することを許容する企業は、どこにもないだろう。それと同じである。著作権とも関わる問題で、既に講演内容の無断ネット公開については、「認められない」という判例があったと記憶している。

 誤解を招くかも知れないが、なにも研究者以外は論文を読むな、感想を書くなという話をしているつもりはない。そうでなければ、岩田書院や戎光祥出版で論文の再録論集のお手伝いなどをしない。ただ上記ふたつの難点があわさると、いささか面食らう、というのが正直な感想だ。

 この点は、一般書も変わりは無い。研究者は一般書について、新聞書評などを除けばどうこうとコメントすることはまずない(学術誌の書評では取り上げない)。また日本史学は専門書であっても、批判的な書評を避ける傾向が強いから、一般書なら尚更だ(この原稿は、呉座君の本が出る前に書いたものである。なお、現時点で彼の本は読んでいないし、多分読まないと思う)。これは逆に、一般書への「不当な評価」への対応も困難ということを意味する。本人が対等な場で反論できないだけでなく、周りが名誉挽回することも難しいのだ。

 それぞれの本は、各研究者が自身の問題関心に基づいて、自身の研究成果をもとにまとめている(残念ながら、そうでないものもあるが…)。だから「私の興味と違う」とか、「私の知っている話が書かれていない」「私の知っている史料を使っていない」というコメントに、心を折られる若手は少なくない。酷いものになると、「もうこの前提になっている論文は読んだから、不要だった」というコメントを眼にしたこともある。ここまでくると、「貴方ひとりのために書いているわけではないのだから」と代弁してあげたくなる。私自身は、もうエゴサーチをしなくなっているが、Amazonあたりに書かれると嫌でも眼に付く。

 また、「どうしてこの史料を使ってこう主張しないのか」と示されると、学問に誠実であろうとすればするほど、かえってその話はできなくなる。現状日本史学は、ウェブサイト上で、しかもハンドルネームを使って書かれた文章を引用することをまだ許容していない。URLの引用がようやく認められつつある程度だが、多くは公的機関のものである。だからこれは歴史学界側の課題となるが、プライオリティ(先取権)を尊重すると身動きが出来なくなってしまう。一般書なら話は別となるが、それが他の研究者にどう映るかを考えると、心理的ハードルは大きい。
 私の場合、「論文化しませんか?」とお声がけする事もあるが、論文の形にまとめあげるのはやはり相当難しいという現実もある。一般誌とは書き方が違うからだ(逆も真であるが)。それぞれの研究者は様々な問題関心を抱えており、世間の方が思っている以上に、個々の史料は共有されていない。たとえば豊臣秀吉の発給文書集はようやく第四巻(小田原合戦まで)が刊行されたばかり、石田三成にいたっては史料集すらないのだ(『彦根市史』が部分的に集めたのと、谷氏が編著『石田三成』で目録を作ったのが最新の成果)。

 したがって「どうしてこの点が書かれていないのか」という問いへの回答は、「その問題について、まだ関心が集まっていないか、問題があるとわかっていても他に課題が多く、リソースがさけていない」というものが一番多い。現状、歴史学界は深刻な人手不足にあえいでおり、学会運営にすら支障をきたしている。専任教員が大学で抱えている仕事量の増大については、言うまでも無い。

 もしその著者の論文を読んでいるのであれば、その人はきちんと研究を進め、自分の論文を踏まえて一般書を書いていることを意味する。批判をするのは自由だが、同時に褒めるところは褒めてあげてほしい。そうしなければ、良質な研究者であればあるほど、一般書執筆を敬遠するようになり、そうでない書き手ばかりが残ることになる。現状でも、一般書執筆は推奨されてはいない現実があるのだ。私はむしろ、そうした未来の到来を懸念する。

 ・・・さて今回、私が御蔵入にしたつもりのこの原稿を引っ張り出した理由もそれで、「北条と徳川間の取次」について論じた論文で、「北条と今川間の取次」の話がおかしい、という指摘を受けたことにある。ブログ名は「自説に好都合な史料だけ開示した論文」とあり、「奇妙な論文」「Twitterのフォロワからご教示いただいた論文で、驚くようなことがあったので記録しておく」と続く。最後に、「なぜ史料を紹介しなかったのか」として、ようするに自説に都合がよいからだ、と結論づいていた。さらにいえば、ツイッターで「ぱっと見で判る陰謀論より、こういうケースのほうが危険な気がする」という解説まで付せられている。

 驚いたのはこちらで、そもそもこの論文は「北条と今川間の取次」を論じてはいない。不都合な史料を引用していないがごとき批判を受けたが、該当箇所は北条氏の他大名への取次一覧を作った際に、注釈で典拠史料を書き込んだに過ぎず(本文は数行かな)、ここでは「そもそも史料の引用を行ってはいない」し、作成した表を見れば一目瞭然だが、本稿の結論に沿う形にはなっていない。「なっていないからこそ、事例を増やそうと都合良く操作したのでは?」といういわゆる「邪推」が浮かんだので、コメント欄で抗議をした上で、論文の執筆意図を説明した。その上で私の見解に賛同するか、納得できないと思うかは別問題」として、純粋な意図を糺した。

 それに対するレスポンスはあり、表題を「論文内で史料開示が限定的であるケース」に変えること、最後の憶測に基づく箇所は削除することは行われた。しかしその「危険な気がする」対象は私ではなく「自戒」というニュアンスということで、コメント内では特に誤解を招いた(ということにしておこう)ことへの謝罪もなく、ツイッターでもごく簡単な軌道修正コメントが成されただけである。普通こういう場合、リンクが貼られた当該ツイートそのものを削除・投稿し直した上で、ひとことあってしかるべきだと思うが…。

 やはりここで問題となるのは非対称性であろう。上にも述べたが、きちんとした研究者は専門の訓練を受けていない論文への言及は控える傾向が強い。そのために、一般書があるし、私も積極的に執筆をしている。ただ一般の方が専門の論文の世界に足を踏み入れるのは、相当注意したほうがよい。そもそも学術論文は、一般読者を想定して書かれていない。一つの論文を読むには、前提となる論文を読む事が不可欠の作業となることは、理解しておいてもらいたい。
(2018-03-25)
○講座開講日の変更
 武蔵野大学の生涯学習講座「武士の権力論」でやらせていただく「キリシタン大名の実像―肥前有馬・大村氏を中心に―」が、諸事情により日程変更になりました。

 変更後の日程・2018年7月28日(土) 13:00〜14:30 千代田サテライト教室

 既に申し込みいただいた方には御迷惑をおかけしますが、申し訳ありません。
(2018-02-25)
○春期講座のご案内(2)
 春期の一般向け講座の追加のご案内です。NHKカルチャーは、新規講座を立ち上げました。

●NHK文化センター青山教室
(1)「中世の古文書を読む〜武田勝頼編U〜」
 全6回・2018年04月19日(木) 〜2018年09月20日(毎月第3木曜・15:30〜17:00、8月のみ第4木曜)
 引き続き武田勝頼の出した書状や命令書を読んでいきます。現状の進み具合ですと、このシーズンで長篠合戦に入ることになるかと思います。

(2)「戦国社会への招待〜戦争・政治・習俗〜」
 全6回・2018年04月19日(木) 〜2018年09月20日(毎月第3木曜・13:00-14:30、8月のみ第4木曜)
 戦国時代の様々な事象について、最新の研究成果を掘り下げて解説をしていく講座です。最初のシーズンは、刀狩りや長篠合戦、鉄火起請などを扱います。各回タイトルは、リンク先をご参照ください。

 今日からWeb申し込みが開始されました。今月21日より、電話申し込みも受け付けるとのことです。なお、途中からの受講も可能です。

 他の講座とあわせて、よろしくお願い申し上げます。新規講座は夜間も考えたのですが、受講生の数が読めない、とのことで昼に持っていきました。たしかに、以前早稲田で夜間講座をやった時も、なかなか人がこなかったんですよね。
(2018-02-16)
○春期講座のご案内(1)
 春期の一般向け講座の案内がちらほらと出始めましたので、ご案内いたします。

●早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校
(1)「古文書からみる戦国時代―武田信玄の書状を読む 川中島合戦編―」
 全10回 ・04月11日 〜 06月20日(毎週水曜・13時〜14時半)
 戦国時代の古文書の崩し字を読む講座です。前回(2017年度冬期講座)に引き続き、武田信玄の出した書状や命令書を読んでいきます。  
(2)「人物でたどる戦国史―史料からみた戦国武将の実像・応仁大乱編―」
 全10回 ・04月11日 〜 06月20日(毎週水曜・15時〜16時半)
 同時代史料をもとに、小説や講談・ドラマ、あるいは研究において定着してしまった虚像を考え直したり、あまり馴染みがないけれど戦国時代を考える上で重要な人物の紹介を行います。こちらは完全な講義形式になります。
 今まで、だいたい1年で一回りするような形で講座を組んできましたが、2018年度から完全にリニューアルすることにしました。応仁の乱からリスタートです(途中、従来の講座があるシーズンが混ざります)。2018年度はなかなか有名人までいかないか…な。なおできる限り従来講座と重複受講できるように、従来講座はいじらない方向にしています。なので朝倉孝景などは、別講座(従来と同じもの)内でお話しする予定でいます。

※どちらも、現在は受け付け準備中です。ウェブ・電話での一般申し込み受け付け開始まで、しばらくお待ち下さい。
※講座が開始すると、ウェブ上では「受け付け終了」と表示されますが、電話申し込みは継続して受け付けているそうです。ただし、受講料は変わらないとのこと。

●武蔵野大学生涯学習講座
(1)「キリシタン大名の実像―肥前有馬・大村氏を中心に―」
 全1回・2018年7月28日(土) 13:00〜14:30 千代田サテライト教室
 連続講座「第五弾 武士の権力論」のひとつです。この連続講座は、好きな講座だけ受講することが可能です。こちらは、総論または特論をお話しする講義です。
 ※当初は7月14日(土)を予定しており、配付パンフレットもそのようになっておりますが、日程が変更となりました。御迷惑をおかけします(2018-02-25追記)。
(2)「戦国期の人身売買―「乱取り」という奴隷狩り―」
 全1回・2017年7月25日(水) 10:00〜11:30 三鷹サテライト教室
 連続講座「史料から日本の歴史を考える 第五弾」のひとつです。こちらも、好きな講座だけ受講することが可能です。(1)と違い、古文書を解説しながらそこから何が読み取れるかをお話しする講座です。なお、私の講座は時間が変則的ですので、ご注意ください。

●NHK文化センター青山教室
 準備中です。後日ご案内しますが、新規講座を立ち上げます。

●朝日カルチャーセンター横浜教室
(1)「早わかり 1日集中 戦国時代」
 全1回・2018年4月14日(土) 13:30-17:00(途中休憩あり)
 戦国時代の概説講座です。タイトルはあちらの要望によります。完全な講義形式です。何でも横浜教室は、古代以外はなかなか関心が集まらないとのことで、意外な気がします。
 明日から受け付け開始とのことです。

 それから『中日新聞』の安城市松平シンポでの萩原大輔氏報告紹介「第1次上田合戦 「家康と連携」新解釈」にコメントを出しました。ばっさりきってしまいましたが、記者の方が理解のある人で助かりました(無理なコメントを求められることが多いのです)。
 紙幅の関係で省略されていますが、「成政との連絡役の家臣」つまり大久保忠世はもともと佐久郡小諸城代として川中島表=対上杉氏最前線の責任者でした。真田が上杉に寝返った結果、徳川との国境が小県まで動きましたから、彼が対真田=対上杉の軍事指揮を執るのはごく自然な流れだということです。
 そもそも大久保は、真田昌幸が家康に服属する際の取次役でもありました。真田謀叛となれば、第一義的な責任が大久保に降りかかります。こういう場合、取次役が責任をとって軍事指揮を執る事が戦国期の通例です。また家康自身は、秀吉の動向を気にして動けなかったこともあり、第一次上田合戦では甲斐衆(平岩・鳥居)・信濃衆(大久保)を派遣したという流れになります。
(2018-02-12、02-25追記)
○『武田氏研究』57号刊行
 先週末〜今週頭にかけ、沼田・吾妻に文書調査に行ってきました。色々な方に御世話になり、様々な発見がありました。感謝しきりです。

 『武田氏研究』57号が刊行されました。発行日は2017年12月20日になっていますが、実際の刊行は2018年1月末です。予定より遅れてしまいました。そのうち、取り扱い元である岩田書院のウェブサイトや、ジュンク堂書店などから購入できるようになるかと思います。

甲斐国初期金山開発の様相―一五世紀後半〜一六世紀前半を中心に―数野雅彦1
山梨県の中世石仏―中村右近丞に係わる諸尊ほか―坂本美夫14
沼田衆恩田越前守家文書の紹介と検討黒田基樹29
〔史料紹介〕諏方勝頼・望月信頼の岩櫃在番を示す一史料丸島和洋41

 数野論考は、史料のない16世紀前半以前の甲斐金山について、丸島が以前紹介した高野山成慶院供養帳から、存在を実証したもの。坂本論考は、北杜市の中村右近丞という武士にまつわる石仏についての分析。黒田論考は、館山市立博物館所蔵「恩田家文書」の紹介。同館図録で一部が紹介されたことがありましたが、本格的な分析ははじめてです。なお、同文書群は昨年同館寄託から寄贈になったとのこと。全点写真つきです。
 拙稿は、古書店売立目録に掲載されていた北条氏康書状(小山田信有宛)の紹介。史料の所蔵の性格上、写真はなしです。第二次国府台合戦関係の書状なのですが(年次比定はこれによる)、「四郎殿・三郎殿」を筆頭とする武田勢が「岩櫃」に在番している旨が記されている点が注目されます。永禄7年(1564)2月のものなので、岩櫃城の初見史料ということになりました。
 ただ、状態がかなり悪く、写真から無理して判読したので、誤読があろうかと思います。また望月信頼の法名について、冒頭の「捐館」は「死去」の敬語であって法名の一部ではないというご指摘を早速頂戴しました。不勉強を恥じるばかりです。謹んで訂正いたします。

 今日は亡父の十三回忌でした。あの時はちょうど『戦国遺文武田氏編』6巻の編集が佳境であった上、論文や口頭報告も複数抱えており、葬儀や相続・会社関係の処理を差配しながら、よく体がもったなと今更ながら思うのですが、精神面を仕事に逃避させる形でバランスをとろうとしていたのかもしれません。
 歴史好きな菩提寺の副住職に対し、武田信玄の預修法要や、室町期の四十九日の繰り上げ事例について雑談をしながら、ふとそんなことを思い出しました。
(2018-02-10)
○「新九郎、奔る!」雑感
 体調を崩したところに、思いがけない事態に遭遇し、完全にダウンしています。

 そんななか、心のオアシスとなったのが、ゆうきまさみ先生の新連載「新九郎、奔る!」(『月刊!スピリッツ』)。「北条早雲」こと、伊勢新九郎盛時=早雲庵宗瑞が主人公で、一読したところ最新の学説(家永・黒田)がもとになっていますね。開始はなんと文正元年。第二回タイトル予告が「文正の政変」というのも凄いです。

 ゆうき先生は『パトレイバー』以来のファンということもあり(あの作品はゆうき先生独自ではないですが、漫画版が一番好きです)、純粋に楽しみにしています。武家言葉に横文字が出てくるのは、ご愛敬(笑)。
(2018-01-31)
○『古文書研究』84号刊行
 『古文書研究』84号が刊行されました。今号より、取り扱い元が吉川弘文館から勉誠出版に変更となります。それに伴いまして、表紙の色が茶系統から緑系統となり、デザインもいくつか変更となっています。吉川弘文館様には、長い間大変御世話になりました。

明応年間における備前西大寺の復興造営―古文書と縁起のあいだ―苅米一志1
備前国西大寺における縁起絵巻群の形成と保持川崎剛志16
鎌倉末期当寺領播磨国矢野荘の成立―後宇多法皇による寄進理由を再考する―赤松秀亮27
「銘尽(龍造寺本)」から見える中世刀剣書の成立とその受容―申状土代の裏に書写された現存最古の刀剣書―吉原弘道42
天正四年洛中勧進の特質に関する一考察長崎健吾75
南部信直の元服書について熊谷隆次96
研究ノート
家康「忠恕」の印章―家康御内書成立前史―藤井讓治115
地域と古文書
上田市における古文書解読とその展開尾崎行也129
随筆
新発見の侍所頭人今川貞世請文生駒哲郎134
研究余滴
東寺観智院賢賀と五大虚空蔵護摩供西弥生137
書評と紹介
石野弥栄著『中世河野氏権力の形成と展開』山内譲139
彙報 平成二十九年度新指定文化財紹介142
口絵解説 京都国立博物館所蔵 伏見天皇宸翰消息羽田聡149

 ぎりぎりで永青文庫の展示に行く事ができました。何というか、図録がないのが非常にもったいない(機関誌で特集号が組まれていますが)。新出文書があったばかりか、解説文がなかなかの力作で、あれ自体を載せてほしいレベルです。「細川家文書」を読み込みたいという意欲にかられました。

 余暇。「オリエント急行殺人事件」も間に合いました。オリエント急行の走行そのものがもの凄い迫力。どうもポワロというとデヴィッド・スーシェ版をイメージしてしまうのですが、「何故か挿入されるアクションシーン」もまあありかな、と。当たり前ですが相当端折られているので、原作未読の方がどれくらいついていけるのか(たとえば「傷跡」の説明は不足に過ぎる)と思いましたが、スーシェ版の「オリエント」はアレンジが結構入っている回なので、総体的に見るとこちらのほうが原作に近い部分もあり、両方みたほうがよい、というところでしょうか。

(2018-01-28)
○謹賀新年
 明けましておめでとうございます。さっそくながら、新年に対応できるよう、XSLを書き替えました。毎年、どうしてもこれが億劫になります。

 今期冬の公開講座の御知らせを載せておきます。

●早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校
(1)「古文書からみる戦国時代―武田信玄の書状を読む―」
 全8回 ・01月10日 〜 02月28日(毎週水曜・13時〜14時半)
 戦国時代の古文書の崩し字を読む講座です。今回から、武田信玄の発給文書を連続して読んでいきたいと思います。NHKカルチャーが勝頼なので、こちらは信玄です。8回だと、晴信時代の途中で終わる予定です。
(2)「人物でたどる戦国史―史料からみた戦国武将の実像・群雄割拠編―」
 全8回 ・01月10日 〜 02月28日(毎週水曜・15時〜16時半)
 同時代史料をもとに、小説や講談・ドラマ、あるいは研究において定着してしまった虚像を考え直したり、あまり馴染みがないけれど戦国時代を考える上で重要な人物の紹介を行います。こちらは完全な講義形式になります。

 元日はのんびりと「風雲児たち」を見ていました。吉川プロデューサーから、「時代考証の突っ込みはなしで」と冗談交じりに言われていたのですが、私は江戸時代中期、それも文化面については不勉強もいいところですので、何か偉そうなことをいえる立場ではありません。純粋に、楽しんで視聴していました。やはりテンポがいいですね。

 劇中、前野良沢がオランダ語を翻訳する際に、新たに漢語を作るシーンが繰り返し出てきました。これこそ、明治以降に本格化する作業でして、欧米言語の翻訳の過程で新たな漢語が生まれていきました。実は「時代考証」作業の最大の難関がこれでして、「いかにも時代劇にふさわしく、重々しく聞こえる漢語は、実は明治の翻訳語」というのが結構あるのです。それを外して、かつ「時代劇に不慣れな世代」を意識して台詞の直しをすると、結構選択肢が狭くなるんですよね。これが一番の悩みどころです。

 そのあたりのさじ加減を考える上で、NHK内部の時代考証担当大森さんの御著書が大変勉強になります。素直に読み物として面白いので、ご一読をお勧めします。

 「時代劇演出の歴史」といったらよいのでしょうか。考証と作劇のせめぎあいについて、三猿舎の安田清人さんの連載コラムをまとめた本がこちら。これも気軽に読めると思います。

 「時代考証」というと、実は「まだ生きている人がいる」時代のほうが難しくなります。ようするに、近現代ということですね。これには2つの理由があります。

 ひとつは、視聴者自身の体験との齟齬。ただ実は日本全国おなじ文化かというとそうでもないので、作劇上念頭においている地域では考証上問題がなくても、違う地域で生まれ育った人からすると違和感が出る、ということがあるのだろうと思います。
 自分の経験で言いますと、亡父の会社の残務処理で、地方の方に連絡をとったことがあります。その際、いわゆる「方言」が電話越しでは上手く聞き取れず、困惑しました(対面では問題なかったのですが)。幸い、電話相手の近隣(隣村だったかな?)出身の方がいたので、仲介を御願いしたのですが、複雑な話であったことも手伝って、やはりよくわからないという。やむを得ず、郵便でやりとりをすることになりました。これは言葉の問題ですが、その背景には当然文化の違いがあると想像されるわけです。

 もうひとつは、制作スタッフが「当たり前」と認識してしまっていること。たとえば戦国時代のドラマを作る際には、「これは当時あったのかな?」という確認は意識的に行われます。それが時代考証への問い合わせとなりますし、逆に時代考証ができあがった映像をみて「次回への注文」を出すことも容易です。もちろん、それが反映されるかどうか、というのはまた別の問題となりますし、「時代劇」としての経験の蓄積と、歴史学の進展との差違というのも当然でてきますが。「真田丸」でいえば、書状の様式や、百姓の帯刀が該当します。

 ところが年代が近すぎると、「当たり前」と思っていることが増えますから、それに確認作業の必要性を感じることは非常に難しくなります。私などでは、学生との会話で認識の齟齬が生じて、はじめて気がつく、という感じです。電子記録の保存について講義をしている時に、相手がフロッピーディスクを見たことが無い事に思い当たる。となると、1990年代の話でも相当きめこまかいチェックが必要になることは容易に想像できるわけですが、果たしてすべてに行き届くかなぁ?という素朴な疑問が出ます。

 ネタバレになるので詳細書きませんが、「僕だけがいない街」のネットドラマ版に、原作と話を変えているところがありました。原作段階から出ていた疑問点への対処だと思うのですが、私の記憶が正しければ、「時代考証」的にはどうだろうか、という気がしています。原作でも半透明ゴミ袋の使用年代に違和感を思えましたが、東京マターの話かもしれません。ただいずれにせよ、作劇を優先すると決めてやったのなら、それでいいと思うのです。
 SNSやっていた頃、ドラマやアニメの感想を呟くだけで「考証をしている」といわれたので、何となく書いてみました。あ、「ハガレン」映画版、そんなに悪くなかったような。「鷹の目」がイメージ違うなと思ったのですが、大佐がボケないのでツッコミ役に回れなければそうなるかな、と。
(2018-01-05)
○ぎりぎりの更新
 いろいろご紹介したい新刊があったのですが、気がついたら年末になってしまいました。受贈図書をすべてご紹介できない点、ご寛恕ください。

 峰岸純夫先生より『享徳の乱―中世東国の「三十年戦争」―』(講談社選書メチエ)、新名一仁氏より『島津四兄弟の九州統一戦』(星海社新書)をご恵贈いただきました。後者は戦国期島津氏の歴史がいかに粉飾されたものかを考える上で、重要なものと思います。実は戦国期島津氏の通史って、自治体史以外にはほとんどなかったんですよね。
 

 次に平凡社のシリーズ「中世から近世へ」、第5段は黒田基樹『北条氏康の妻 瑞渓院 政略結婚からみる戦国大名』です。こちらもよろしく御願いします。

 丸島の今年最後の研究成果としては、戦国史研究会編『戦国期政治史論集』東国編・西国編(岩田書院)に論文を執筆しています。戦国史研究会の現代表委員である山田邦明先生の還暦記念論集となっています。後北条氏研究会から出発し、東国戦国史研究会、戦国史研究会と変遷した学会が、「西国編」(三河・美濃以西)を出せるようになったことに、ちょっとした感慨があります。といっても、そんな昔の話は知らないわけですが。ただ九州がないのが残念。そっちで書けば良かったかな。

 丸島は「甲斐に下向した奉公衆武田氏について」として、在京奉公をしていた下条武田氏本家の動向を、冷泉家時雨亭文庫所蔵和歌書の紙背文書から整理しています。かなりばたばたしていたので、ちょっとケアレスミスが多いのと、「論」というよりは「紹介」である点がお恥ずかしいです。
 なお『武田氏研究』の次号ですが、1月末刊行(奥付は今月末)で動いているという連絡を頂戴しています。こちらに史料紹介を一本書いているので、それが日付の上では年内最後の論考となりそうですね。まだ、ゲラ待ちなのもあるんですが…。

 それでは皆さん、良いお年をお迎え下さい。丸島は年賀状配達のバイトを長期間やっていた関係もあり、紅白やら駅伝といった年末年始のテレビをみる習慣がありません。明日『風雲児たち』を視聴する以外は、普段どおり原稿執筆でパソコンにかじりつく年越しとなりそうです。

(2017-12-31)
○講演と展示のご案内
 先週末から、半徹3、完徹1。流石に支障が出てきたのですが、今日も完徹になってしまいました。まずいなぁ。

 ●安中市学習の森ふるさと学習館で、下記企画展が催されます。
 企画展名:「山本菅助―真下家所蔵文書の発見―」
 展示期間:2017年12月2日(土)〜2018年2月26日(月)

 それに合わせて、連続講座「山本菅助の実像に迫る」が行われます。丸島はトップバッターを仰せつかりました。

 第1回
  日時:2017年12月17日(日) 13:50〜15:30
  講師:丸島和洋
  論題:「「足軽大将」山本菅助から「軍師」山本勘助へ―その実像と虚像―」

 第2回
  日時:2018年1月21日(日) 13:50〜15:30
  講師:海老沼真治
  論題:「武田氏滅亡後の山本氏―高崎藩士への道程と由緒の形成―」

 第3回
  日時:2018年2月11日(日) 13:50〜15:30
  講師:中村茂
  論題:「高崎藩士山本菅助―風林火山の余光を受けて―」

 時間・会場はどれも同じですね。
 会場:学習の森ふるさと学習館 市民ギャラリー
 定員:50名(先着順)
 申込:電話または学習館受付け(当日申し込み可)
 資料代:300円(展示観覧料含む)

 図録にも、上記内容で執筆をしています。なぜ安中で山本菅助をというと、大河ドラマ「風林火山」放映後、市内の真下家に山本菅助の家伝文書の一部が伝わっていることが明らかになったからです。
 このあたりの経緯は、海老沼真治編『山本菅助の実像を探る』(戎光祥出版)をご参照ください。

(2017-11-25)
○シンポジウム関係のご案内2件
 ぎりぎりになってしまいましたが、シンポジウム関係の御連絡です。

 ●武蔵野大学 文学研究科博士課程開設記念シンポジウム「武士と合戦」
 日時:2017年11月16日(木) 13:30〜16:00
 場所:武蔵野大学 武蔵野キャンパス 8号館 8303 教室
 パネリスト:高橋典幸・漆原徹・丸島和洋
 備考:聴講無料・事前申し込み不要

 リレー形式で鎌倉から戦国までの合戦や武装の変化についてお話しした後、パネル討論のような形になる予定です。当然ながら、戦国時代を担当します。

 ●馬の博物館 開館40周年記念秋季企画展「馬をめでる武将たち」記念講演会
 日時:2017年11月23日(木・祝) 11:00〜
 場所:馬の博物館イベントホール
 講演者・論題:
  長塚孝「朝倉右京進―鞍を造る武士の周辺―」
  丸島和洋「戦国大名の軍隊における騎馬衆―「武田騎馬隊」像の変遷をたどる―」
  江田郁夫「信長を歓喜させた東国の名馬」

 午前の部が長塚さん、午後の部が丸島と江田さんになります。まあ私がお話しするのは、既に先行研究で記されたものの再整理に近いですが…。あと武蔵野大学のシンポと内容が一部かぶります。

 本企画展の図録『馬をめでる武将たち』にも、「戦国時代の書状を眺める」という題で寄稿をさせていただきました。崩し字が読めない方でも、古文書を展示でみて楽しむ方法があるよ、というものです。まあ、昨年ツイートした内容も結構多いです。
 ただ、お恥ずかしいことにいきなり書き間違えに気がつきました。  6頁下段9行目冒頭 宛所に「北条殿」「相模守殿」などと書く場合の説明   目上宛て → 尊敬表現

 「北条殿」はどちらかというと対等相手の書札礼ですし、「相模守殿」は室町幕府儀礼なら目上宛てなのですが、戦国期には一門宛てもしくは礼遇表現の場合が多いので、正確な書き方ではありませんでした。目上に宛てるなら、その次の段落にある居城宛て(「小田原」)か家臣宛ての披露状となります。大名の家臣から他大名に書状を出す場合は、居城宛てか披露状をとります。この点、訂正してお詫びします。
(2017-11-14)
○「考証ズ」と呼ばないで
 いろいろ慌ただしく、また更新が滞ってしまいました。月曜のイベントにお運びいただいた皆さん、ありがとうございました。ちょっと失敗したなと思ったのは、内容のSNSアップ禁止を通達し忘れたこと。どうやっても私が話した内容とズレがでるので、ちょっと困るんですよね。消して欲しい、というわけではないんですが。他の禁止とした講演での内容をアップする方が出てきていて、それじゃあアップ禁止を御願いしたイベントの話もいいよな、と考える方がでてきていて(当然そうなりますよね)。案の定、話したはずがない内容が出回っているようです。

 さて、11月11日(土)の上州沼田まつりで、平山さんと真田氏に関する「歴史対談×沼田と真田〜NHK大河ドラマ「真田丸」時代考証が語る〜」をやります。タイトルは「沼田と真田氏について」ですが、岩櫃も含んだ話をさせていただく予定です。
 書籍販売の許可もおりましたので、『本藩名士小伝』はじめ、真田・武田に関する著書を持っていく手配を進めています。少し割引販売をさせていただきます。

 こういうイベントを受けておいてなんなんですが、もう「考証ズ」というよくわからん「渾名」はご辞退したいな、と思っています。もともと高木さんたち「カローズ」に乗っかったその場限りの冗談めいた言葉と思って気にしないでいたのですが、どうも一部で定着しているようですね。ちなみに私は一度も使ったことはありません。
 「元」がつこうがなんだろうが、「真田丸」はもう一年前の大河で、今年の「直虎」も佳境です。現時代考証の小和田・大石両氏に申し訳ないですし、これは次の時代考証に対しても同様です。もともと、風俗考証の佐多さんをはじめ、他の考証も含まれていれていない呼称で(入れられても迷惑でしょうが)、その意味でもどうかな、と思っています。考え方は人それぞれなのでしょうが。

 御礼の遅れ。最初の『勝頼』刊行イベントに際し、小栗さくらさんからお花を頂戴いたしました。心より御礼申し上げます。
(2017-11-08)
○『校注 本藩名士小伝』刊行
 『校注・本藩名士小伝 真田昌幸・信之の家臣録』(高志書院)の見本誌が家に届きました。数日中に店頭に並ぶと思います。もう少しだけ、お待ちください。なかなか表紙が良いデザインで、気に入っています。

 『武田勝頼』刊行講演会第3段を、11月6日(月)に、ジュンク堂池袋本店でやらせていただくことになりました。19時開場で、事前予約が必要なようです。詳細はこちらを御覧下さい。

 今月から来月にかけ、戦国時代に関する展示が非常に多いです。ちょっと回りきるのは無理かな。でも東北と九州は行きたいし…。あ、今日から日本古文書学会大会で沖縄です。なので、戦国史研究会例会は欠席します。すいません。
(2017-10-14)
 
 
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