連載・読み物 医学史とはどんな学問か

医学史とはどんな学問か
序 〈新しい医学史〉と医者・患者・疾病の複合体としての医療

1月 07日, 2016 鈴木晃仁

 

医学と社会と文化を包摂した統合的な視点を持つ、
本邦初の「新しい医学史」入門

 
 

序 〈新しい医学史〉と医者・患者・疾病の複合体としての医療

21世紀の現在、医学はたしかに進歩を続けている。そのおかげで、より多くの人命が救われ、病気が治って幸福で充実した人生に再び帰ることができる人々が増えている。完全な治療ではなく、医療によって死亡が防がれて、その後に続くある種の障碍や医療への依存を抱えて生きる人々が増えているということでもあるが、たとえそうであったとしても、多くの場合において、それを可能にした医療の進歩はプラスに捉えるべきである。
 それにもかかわらず、私たちは、現代の医療の問題を考える時に、進歩する医学を賞賛してそれで事足れりとしない。医療という現象を、医科学の発展と治療技術の革新のみを軸にして捉えることを、日本も含めて先進国の社会はしなくなっている。仮定法的に言うと、もしそうしているとしたら、現代の医療に対する評価は賞賛に満たされたものになり、現代の医者たちは、新記録を出したスポーツ選手や心に響く唄を歌う人気歌手のように、栄冠に包まれた存在になるだろう。しかし、現実は、それとは大きく異なっている。医療は、進歩し続ける医科学と治療技術だけからなるのではなく、それ以外の何か・・・・・・・を持つ複合体だと私たちは考えているからである。

その複合体は、図式的にいうと、医者と患者と疾病の三つに還元できる。このこと自体は常識的な見解であり、約2000年前のギリシアのヒポクラテス派の医者も、<医療には三つの要素があり、それは疾病、患者、医者である>と書いている(1)。そのように考えなおされた複合体としての医療を論じるためには、医学の進歩のみに着目した歴史を書くよりも、はるかに複雑で重層的な分析が必要であることも明らかだろう。まず、複合体を構成する医者・患者・疾病をそれぞれ論じなければならないし、三者の間に起きるさまざまな関係を論じなければならない。個別の三要素について、どのような人々が医者であるのか、患者はどのような経験を持つのか、どのような疾病があるのかといった問いが出発点となり、それらが要素間の関係についての問いへと発展していく。たとえば、医者と患者はどのような関係を持つのかという問いは二つの要素の関係を、疾病は医者と患者を含めた医療の構造にどのような影響をもたらすのかという問いは三つの要素の関係を、それぞれ考えるものである。そして、最終的には、この三者の複合体である医療を、ある時代や地域のコンテクストの中に置いて理解することが重要になる。ある社会の、政治、経済、文化、思想、環境、科学技術などの文脈が、医者、患者、疾病のそれぞれの要素にどのような影響を与えるのか、それによって要素間の関係がどう変わるのか、そして複合体が全体としてどのような姿になるのか。これが、社会全体との連関において医療を理解し、医療と社会との対話を構想する基盤となる。

このような全体的な構図は、欧米においては1980年代から、日本においてはそれよりも少し遅れて2000年代から現れた<新しい医学史>の背景にあった。新しい医学史は、1970年代には閉塞感に陥っていた古い医学史に、主として人文社会系出身の研究者たちが新しい息吹を吹き込み、それに応えて医学系出身の医学史の研究者たちも改めて研究に参与するかたちで形成された。現在の欧米や他の諸国では、医学史の研究者になる過程も再活性化され、有力な大学で続々と教えられるようになって、洗練された議論が発展するようになった。この新しい医学史の考え方を、具体的な歴史記述を通じて伝えることが、本書の目標である。

過去の医学史――二つのパターン

新しい医学史を説明する前に、過去の医学史の二つのパターンに簡潔に触れる。過去の医学史の基本的なパターンは、研究の中心は医師たちであり、彼らが現代の医学と類似性を持つ歴史上の医師や医学者を選んで、歴史における医学の進歩の過程として医学史を語るものであった。ドイツやアメリカでは大学医学部の医学史の講座の教授たちが執筆するのが一つの典型であり、医学史の講座がほとんどなかった日本においては、医学部の他の講座の教授がこのタイプの医学史を書いた。そこで取り上げられる歴史の素材は、現代の医学からみたときに重要な基礎医学上の発見や有効な治療法の発見であった。現代との類似性の軸を用いて歴史を串刺しにする手法である。日本語で書かれた書物の中で、この視点に基づいた優れた書物の代表は、川喜田愛郎の『近代医学の史的基盤』(1977)であるが、その浩瀚な二巻本の冒頭で、川喜田はハーヴィの血液循環論にふれて、「疑いもなく近代医学の進水式にもたとえられる意味の深いできごとであった」(1巻3ページ)と記している(2)。ここに、このタイプの歴史記述の狙いと限界の双方が象徴的に浮き彫りにされている。医学の歴史を語ることは、近代医学がどう作られたかを明らかにすることであり、その物語は、「近代医学の進水式」から話を説き起こす必要があるのである。このタイプの歴史記述が、生き生きとした脈動を持っていた時代もたしかにあった。医者たちが、医学の目標は正確な医科学と有効な治療の発展であると迷いなく信じており、その起源を問うことが自らの襟を正すことであると信じていた時代、そして、それが優れた医療のための唯一無二の特徴であると社会が信じていた時代である。

この視点と対立するもう一つの古い医学史は、近現代の医療のある側面に対して批判的な立場をとり、そこから見た時の欠陥を過去の医学から探すものである。このタイプの医学史は、医学のアカデミズムの外部にいる開業医や病院勤務医などによって書かれることや、医療に批判的な立場をとる人文社会科学系の学者によって書かれることが多い。欧米では、精神科医のトマス・サズやR.D. レインは、それぞれ『狂気の思想』(1970; 邦訳1975)や『ひき裂かれた自己』(1960; 邦訳1971) などの著作で「反精神医学」を唱えて精神病院の制度と精神医療を批判した。社会学者イヴァン・イリッチの『脱病院化社会』(1975; 邦訳1979)は、医原病を論じて「医療機構そのものが健康に対する主要な脅威になりつつある」と述べて、一時は大きな影響力をもった。日本においても、左翼の運動が高揚した1960年代から、いずれも医師である丸山博、中川米造、川上武、岡田靖雄などが、これと類似の現代医療批判の視点を取った優れた歴史学の成果を発表した(3)。これらの書物は、前述した川喜田の著作と記述の方向性は対照的だが、実はほぼ同じ意味での正しさと限界を持つ。理論上の発見や治療上の革新が史実として存在したのと同じように、医原病、医療の過失や乱用、患者の権利の侵害が存在したことも、史実として正しい。しかし、それらのネガティヴな事例を並べると医学の歴史になるという発想は、現代医学を批判する運動のための素材収集であり、学問的な枠組みではない。とりわけ、それが洞察や分析を伴わない場合は、安易なイデオロギーの産物となってしまう。日本では1990年代以降の左翼運動の衰退とともに、このような医学史研究も衰退したことは、このタイプの医学史の限界を物語っている。

医者の歴史

複合体としての医療をトータルな文脈で捉える新しい医学史の構図を持つ本書でも、やはり取り上げなければならないのは<医者>である。医者にはさまざまな側面があるが、科学的知識と技術の担い手という古い医学史が主として着目していた点は、本書でも重要な主題になる。しかし、本書で過去の医科学と治療を位置づける文脈は、現代医学との近親性ではなく、それらの変化が起きたのと同時代の社会と文化に関連付ける方向である。この点では、アメリカの指導的な医学史家であるチャールズ・ローゼンバーグや、フランスの偉大な思想家で医学史に関連する著作を数多く残したミシェル・フーコーなどの視点を参考にした(4)。ローゼンバーグは、「感染症を説明する」や「疾病を枠付けする」などの論考において、医学理論と実践を社会・文化への方向性を論じる視点を切り開いた。フーコーの医学的知識と医療の実践に関する<知の権力>の分析は、患者の監視、医療空間の設計と運営、症例の記録など、医療の根本にかかわるものである。

医者は科学的な知識と技術の担い手だっただけではなく、教育や訓練に基づいて資格をとり、治療を通じて収入を得て生活し、行政や社会において医療や医療に関連するさまざまな機能を果たしてきた存在でもある。医療者の資格の問題は、医療政策学や専門職をめぐる社会学の視点から、歴史学においても掘り下げた議論がされてきた。かつてのヨーロッパでは、医師という一つの職業団体は存在せず、内科医、外科医、薬種商の三種の同業者団体がそれぞれの領域を規制していた。その後、欧米各国はさまざまな経路をたどり、イングランド、アメリカ、フランスは、時期と期間は違うが、医療の規制が実質上消滅して誰でも医療を行ってよい状態を経験したのち、19世紀にはどの国家も「医師」という一つの資格を定めて、この資格を持つものだけが医療を行ってよいことを定めた。それと並行して、初期近代には医学教育を受けていない非正規の医療者たち、近現代にはホメオパシーなどの「代替医療」もさかんに行われ、これらの医療の歴史は、人々の身体意識を探る素材として研究の対象となった(5)。医師の収入は、かつては医療の市場で診療費として患者から得ていたが、20世紀に入ると先進国では公的医療保険が整備されるようになった。市場を通じて提供された医療の数量的分析や、その内実が質的にどのようなものだったのかという分析は、医療の社会史が始まって最初に現れた議論である。これらの議論は、適正な医療費とその配分構造の議論に歴史的な基盤を与え、現在の医療経済学や医療政策学の重要な主題となった。また、医者たちが参加した社会の組織としては、ヨーロッパでは病院という制度が歴史上もっとも重要な役割を果たした。病院は、中世ヨーロッパでは宗教的な慈善施設であったものが、初期近代には医学教育の機能を持つようになり、フランス革命期のパリの病院は「臨床医学革命」と呼ばれる大きな変化を起こして、西洋の医学を、中国やインドの医学とはっきりと違う別の性格のものにした。また、医師が果たしたそれ以外の公的な役割の拡大と変質も分析の対象となった。宮廷、国家、地方自治体、WHOなどの国際医療機関など、さまざまな組織に職を得て公的に果たす役割の分析は、医師たちを過去と現在の世界に位置づけるために重要な発見であった。

1 2
鈴木晃仁

About The Author

すずき・あきひと  静岡県生まれ。静岡県立清水東高等学校卒、1986年、東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学専攻を卒業、同大学院総合文化研究科地域文化研究(イギリス文化)に進学、1992年にロンドン大学ウェルカム医学史研究所で博士号を取得した。博士論文は啓蒙主義時代イングランドの精神医学思想史を主題とし、指導教官はロイ・ポーターであった。その後、ウェルカム財団医学史研究所リサーチ・フェロー、アバディーン大学研究員などを経て、1997年に慶應義塾大学助教授となり、2005年から慶應義塾大学経済学部教授。