January 2013, Boston and NYC

あけましておめでとうございます。2013年初ブログです。もう2月ですが。

 

1月は、3~5日にかけて、MLA (Modern Language Association)という学会の年次大会に参加しがてら、ボストンに行ってきました。四日間にわたって800近いパネルが組まれる、英語圏文学では世界最大の学会です。日本でご指導いただいている先生もお正月休みを活かしてこちらにいらっしゃり、久しぶりにお会いすることができました。

 

各出版社の販売ブース。

f:id:kiharin:20130105162114j:plain

 

 

ボストンの、なんかいい感じの教会。(なんて不敬なんだ) 

f:id:kiharin:20130105091930j:plain

 

凍った川。寒かぶぁい。

f:id:kiharin:20130104145301j:plain

 

先生に教えていただいた、アメリカ最古のオイスターバー。JFケネディが通っていたそうです。

f:id:kiharin:20130105111540j:plain

 

バークレー音楽大学。意外と小さかったです。

f:id:kiharin:20130105085238j:plain

 

 

それから、1月中旬には、カリブ演劇を研究している先輩が、乗り継ぎのためにNYCで一泊すると教えてくれたので、留学に来てから二度目の上京をしてきました。

 

クライスラービルの遠影。

f:id:kiharin:20130116165659j:plain

 

 

ランドセントラルステーション構内。

f:id:kiharin:20130116165855j:plain

 

ニューヨークの一風堂

f:id:kiharin:20130118061816j:plain

 

Akamaru-Modern。

f:id:kiharin:20130118055437j:plain

 

 

そして、そんな楽しい冬休みも終わり、1月末からまた春学期が始まりました。課題の量にめまいがし、力強く現実逃避して久しぶりのブログをつづってみたわけであります。いままでの人生で一番小説を数多く読んでいます。読む量や課題は多いし、英語の会話技術も特訓中で、大変なことがないわけではないけれど、とても楽しいです。アメリカ文学研究を志してよかったと思うし、実際に英語が使われて機能している空間でそれを学ぶのはとても刺激に満ちていて、恵まれたことだと感じます。とか言いつつ、数週間後にはスタートダッシュが減速して中だるみしているような気もしますけれども。

 

 

というわけで2013年もよろしくおねがいします。(さすがにもう髪は切りました。)

f:id:kiharin:20130105093718j:plain

 

2012 年と私

2012年もいよいよ年末ですね。

みなさんはどんな一年を過ごされたでしょうか。

 

 

個人的には、とてもチャレンジな一年間になりました。1月に某学会関東支部大会で発表、2月にイギリス資料収集(観光じゃないんだからねっ、たぶん)、3月に所属校開催のシンポジウムで研究発表(ゲストの先生のお迎えもやりました)、4月に投稿論文応募(査読通過)、5月と6月にそれぞれ学会発表一つずつ、それにコツコツvisa取得などの留学準備も進めながら、夏学期は休みがちとはいえ四つのゼミに参加させていただきました。そして8月15日に日本を発ち、同じ日にアメリカに着き、留学を開始しました。初めて授業で発言した時には、先生がビシッと小生を指して"Oh, KIHARINー!"(実際はもちろん本名ですよ)みたいな感じで、「立った、クララが立ったよ!」的な扱いではありながらも、なんとか楽しみながら授業に参加してます。同時に、奨学金をいただいている方々向けに、数年ぶりにパワポを作っちゃったりして、何度か英語でのプレゼンもやりました。そうした学業の合間にも、もうひとつの出発の関連で、みなさまにお力を借りつつずっとあわただしく動きました。もちろん、もっと頑張ることができた可能性は常にあるし、ベストを尽くしたなどとはとても言えないのですが、少なくとも、一年を振り返って怠慢だったと後悔に打ちひしがれるような年末にはならずに済んだ気がします(そんな年末過ごす人あんまり見たことないけど)。多くの方々の優しさに支えられて、貴重な経験を積み重ねることができた一年になりました。

 

 

だけど、個人的にはそれなりにやることをやったつもりでいても、この一年間で世の中がいい方向に向かっているとは思われません。この一カ月だけを見ても、12月の選挙結果は、事前にある程度覚悟していたとはいえやはりショックでした。戦争ができるように改憲、原発再稼働、最低賃金切り下げ、TPP加入で経済競争強化、いま支持を受けているこのへんの政策はみな一握りのラッキーな人と、そうでない多数の人たちの境遇を分断して固定化してしまうだろうに。たまたまラッキーな側に入れる可能性がごくごく低くても、とにかく今の希望のない状態には耐えられないという人は、自分は「勝ち組」になるという妄想ゆえか、一か八かのギャンブルに託してか、「変える」という方向性のわからない方針を支持する。いまよりずっと悪い方向に「変わる」かもしれなくても。そしていろいろな不満は、「愛国心」という、「売国奴でないひと」の言い換えにすぎない排外的なヴェールの下に回収されていく。また、アメリカに目を向けてみても、選挙の前日には現在の住まいから100キロほどの場所で銃の悲劇も起きました。にもかかわらず、NRAは頑なに銃を手放そうとはしていません。協会のお偉いさんいわく、「銃を持った悪人を倒せるのは、銃を持った善人だけ」だそうな。

 

 

色々なことがあまりに未消化なままに、正当に省みられることのないままに、抗いがたい力が不可避的に時間を押し動かしていく。これはまさしくヴァルター・ベンヤミンが「歴史哲学テーゼ」の第9節で書いたことでした。パウル・クレーの絵画(http://en.wikipedia.org/wiki/Angelus_Novus)を参照しつつ、ベンヤミンは、自決する1940年、第二次世界大戦の中でこんなアレゴリーを記しました。原文はドイツ語だけど自分にはわからないので、英語と拙訳を付します。

 

Illuminations: Essays and Reflections

Illuminations: Essays and Reflections

>>

A Klee painting named "Angelus Novus" shows an angel looking as though he is about to move away from something he is fixedly contemplating. His eyes are staring, his mouth is open, his wings are spread. This is how one pictures the angle of history. His face is turned toward the past. Where we perceive a chain of events, he sees one single catastrophe which keeps piling wreckage upon wreckage and hurls it in front of his feet. The angel would like to stay, awaken the dead, and make whole what has been smashed. But a storm is blowing from Paradise; it has got caught in his wings with such violence that the angel can no longer close them. This storm irresistibly proples him into the future to which his back is turned, while the pile of debris before him grows skyward. This storm is what we call progress. (257-8)

[日本語訳(拙訳)]

「新しい天使」と名のついたクレーの絵は一人の天使を描いており、彼は、自分がきつく凝視しているものからいままさに離れようとしているかのように見える。彼の眼は見開き、口は開き、翼は広げられている。歴史の天使とはこのようなものだ。彼の顔は過去の方へと向けられている。われわれが出来事の連鎖を知覚する一方で、彼はたった一つの破滅を見る。その破滅は、残骸の上に残骸を山積みにしていき、それを彼の足下に放りつける。天使は、そこに留まり、死者を目覚めさせ、砕かれてしまったものを一体にしたがっている。だが、楽園から暴風が吹いてくる。暴風があまりに暴力的に彼の翼をからめ捕るので、天使はもはやそれらに近づくことができない。この暴風は、背中の向いている未来へと彼と不可避的に駆り立ててゆき、その間にも、瓦礫の山は空へと伸びてゆく。この暴風こそが、われわれが進歩と呼ぶものなのだ。

<<

 

 

これは何のアレゴリーなのだろう。そもそもアレゴリーとは何でありえるのだろう。そしてそれを読むという行為は何でありえるのだろう。

 


2012年もお世話になりました。来年そしてその先、僕らやそれに続く人たちの時代をよい方に向けられますように。

A Christmas Gift from Deconstructionist Santa Claus

先日16日に提出した期末ペーパーに、担当教官からの返事が早くも帰ってきました。これが、ちょっとびっくりするくらいホメてくれて、(もっとも、facebookでつながっているクラスメートのポストを見るとみんなに優しいコメントをくれているようですが)、とても嬉しくなりました。「磨いて、どこかに掲載させた方がいいよ」と言ってもらえて、俄然テンションが上がりました。そう、おだてに弱いんです自分。単純だなあ。単純といえばシャ乱Q「そんなもんだろう」です。

ともあれ、特に予定もなく、いいコーヒー豆でも買うかあ、くらいにしか考えていなかったクリスマス前に、脱構築主義のサンタさんからありがたいプレゼントが届いたのでした。英会話が下手なのでここのところヘコむこともあったけれど、書き英語はexcellentだとホメてもらえて、根本的に能力が足りないわけじゃないんだ、と少し自信がつきました。

 

 

ペーパーのタイトルは、"Allegory of The Heart is a Lonely Hunter"としました。内容はタイトル通りですが、Carson McCullersの第一作 The Heart is a Lonely Hunterを、Walter Benjaminのアレゴリー論に対する脱構築論者たちの解釈を参照しながら読み解くというものです。もともと今年の一月に、新歴史主義的アプローチをとりつつ、同時代のポピュラーフロントの台頭や統計技術の浸透を背景にして同小説を読むという学会発表をやっていたので、ある程度アイディアや引用箇所などの下地があったのに救われました(というか、実質3~4日でゼロからペーパーを書くのはたぶん自分の今の力では無理でした)。ただし、昔イェールでポール・ド=マンに師事したという担当教官は歴史主義やマルクス主義批評がまったくお好きでないらしいのが明らかだったので、ガラッとアプローチを変えて、この小説におけるコミュニケーションの不在という問題を、"dialectics at a standstill" (静止した弁証法)や"spacialized time"(空間化された時間)という概念を鍵語として読み直しました。初めての試みだったし戸惑いもありましたが、結果としては、テクストの読解について何度かブレイクスルーの瞬間があって、いくつも新しい発見があり、書いていてとても楽しかったです。自分で書いたものと向き合うと、テクストを精読する技術はぐんぐん向上してきていると感じることができます(昔がひどすぎるのはさておき)。

 

 

少し研究手法について思うこと。

ある日のこの先生のクラスでのやり取り。

先生「歴史主義とかジェイムソンなんてダメザンス。ベンヤミンのいうmaterialist historicismはマルクス主義なんかとは根本的に異なっているんザンス。廃墟のイメージやショック・トラウマのイメージに注目するベンヤミンの神髄は、causalityや時間のsuccessivity を破壊するところにあるのでおじゃる。歴史主義は歴史がありのままに再現できるかのように振舞うのがダメなのでおじゃる。」

生徒(自分ではない)「でも、ジェイムソンがabsent causeを語るときに、彼の言う歴史とはあくまでも表象不能な大文字の歴史ナリ。彼は無意識の領野を視野に入れているし、だとしたらベンヤミンの言っていることとジェイムソンの言っていることはそんなに違わない気がするナリ」

先生「違いは破壊の概念があるかどうかザンス。マルクス主義や普通の弁証法はわれわれの思考をある方向に持っていこう、あるいはtotalizeしようとするからいくないザンス。」

生徒「でも、脱構築だってある意味では思考を制限、totalizeしていると思うナリ。」

先生「確かにそうザンス。同意するザンス。でも、脱構築はそのことに自覚的なのが違うザンス。だから、脱構築には新しい言葉を生みだすことができるんザンス」

ここで議論終了。

授業の最後の方で、このクラスメートに触発されて、自分もちょっとしゃべりました。

ベンヤミンのエッセイ「翻訳者の役割」の議論を思い出したピョン。「純粋言語」概念について語るとき、ベンヤミンは二つの言語を花瓶の破片にたとえていて、破片のそれぞれが互いをたどるさまは、特定の言語と純粋言語の関係にかかわりがあると示唆しているピョン。ド=マンはこのエッセイを精読しつつ、「破片は破片。決して全体を形作ることはない」と論じているけれど、ひょっとして、点線で描かれた全体像みたいなものを想定することはできないのかしらむ。(意訳。本当はもっと支離滅裂だったはず)」

結局バッサリと切り捨てられましたが、この日のやり取りはとても刺激的でした。

 

自分は脱構築的読解の経験がほとんどなかったので、今回の講義は本当にいろいろなことが勉強になったし、新しい視点を取り入れることができたと思います。ただ、現時点で自分なりにいい加減にまとめると、この手法はこの手法で、「泣く子はいねーがー」的に、「テクストが内破している瞬間はねーがー」とある種の宝探しをすることから自由ではないと思います。いいかえると、歴史主義が歴史コンテクストを描写して、そこにテクストを位置付けてみるとき、ある程度は不可避的に還元主義的性格が出てしまい、時として「金太郎飴」的になってしまうのと同様に、脱構築もまた、歴史を参照することはないにせよ、方針としては制約を受けていて、綻びをほどいたり撹乱するという別の金太郎飴作りになってしまう側面がないとはいえないのではないでしょうか。

 

 

こう考えてくると、どの手法を取るかというのは、バイアスのかかっていない手法が存在しない以上、「その解釈をすることによってどんな益が生み出されるか」という、一つメタレベルの政治的な問いに結びつくことになるのかもしれません。そうであるならば、差し迫った今日的な問題系―グローバル化という曖昧模糊とした隠れ蓑をまとった新自由主義化の進展、そしてそれと密接に結びついた日本の右傾化、さらにそれが隠蔽する格差の拡大など―に対して自分の研究が何でありえるのか、という問いに、自分の研究手法は向き合うものであってほしいと思います。(だから歴史主義だ、とは結論していません。)

 

 

ただ、改めてこの講義のペーパーを書く作業はとても勉強になりました。脱構築の論者は、思想史の系譜をたどることはあるけれど、基本的には外部を参照することなく、とにかくテクストをよく吟味します。もちろん歴史主義の論客も特に一流の人たちはほれぼれするような鋭い読みを見せてくれるけれど、どちらかというと歴史主義の読みがテクストのマクロな「構造」に光を当てる傾向にある(と思う)のに対して、脱構築の批評家たちは単語の一つ一つの語源までたどったりして、よりミクロなところに関心がある気がします。そのギラギラした緊張感、読むことのスリルみたいなものは本当に刺激的で、もっともっと自分もそこから多くを学びたいと思うのでした。

 

 

久しぶりに長く、まじめな話を書いた気がします。今後はもっとくだんないことばっか書きます。

Merry X'mas!

2012 Fall Semester Comes to an End

昨日16日、今期最後の期末エッセイを無事提出し、初めてのFall Semesterが終了しました。また、こちらに来たのが8月16日だったので、昨日でこちらに来てからちょうど4カ月が過ぎたことになります。あっという間だったような気もするけれど、8月は限りなく遠い昔のような気もします。心が折れそうになったり、自信がついたり、いろいろとアップダウンしながらも、たくさんの経験をして、着実に多くを学ぶことのできた4か月でした。すごい雑なまとめだ。

 

机の前に掛けてあるホワイトボードにはこれから一月末にSpring Semesterが始まるまでにやることが7つも箇条書きしてあって、あんまり(というか全然)ダラダラする余裕はないのですが、ひとまず今日はホッと一息です。最近発見した近所のオーガニック食品店(アメリカにもあるんですね。当り前か。)で買ってきた豆でコーヒーを淹れて、晩御飯では久しぶりにビールも飲むのだ!ウホホホホ。

 

選挙結果が明らかにするように日本は病んでいるし、そのすぐ前日のコネティカットの銃撃事件のようにアメリカもまた病んでいるなあと思います。ここ一カ月くらいはfacebookでもtwitterでも流れてくるニュースが全方位的に暗いものばかりでゲンナリもしますが、とはいえクサっていても仕方がないし、やれることをやっていこうと思います。やれることをやる「しかない」じゃなくて、やれることをやっ「ていこう」。この違いたぶん大事。これもすごい雑な感想だ。

 

修論を書いているみなさま、残り一カ月、まだまだできることはたくさんあります。自信をもって、最後までがんばってください!

感謝祭

23日はアメリカの祝日Thanksgiving Dayでした。毎年11月の第四木曜日がこの日にあたります。僕は、スポンサークラブのメンバーのMaryという方がご自宅のホームパーティーにお招きしてくれたので、初のThanksgiving partyを体験することができました。

 

しかし、のっけからドタバタとした展開。先方と連絡がうまく取れていなくて、その日は一日予定が空いているとこちらから伝えたままやり取りが途絶えており、とはいえディナーパーティーだというのでまあ早くても夕方からだろうとたかをくくり、昼夜逆転生活のまま当日朝8時くらいまで勉強してそれから床についたのですが、これが大失敗でした。昼一時半くらいに枕元の携帯が鳴る音で目が覚め、ギョッとしながら「まさか…」と恐る恐る電話を取ったら、なんともうアパートの前まで迎えに来ているとのこと。大慌てで三階から下まで降りて、正直に事情を話し、あと20分で準備するから勘弁してと伝え、大急ぎでスーツに着替えました。「コンディションの悪い寝ざめランキング」があれば相当いいセンにいくのではないでしょうか。

 

お迎えに来てくれたご婦人は面白がって笑いながら迎えてくれたのですが、てっきりMary本人に違いあるまいと思っていた彼女は、そのご友人のJannetでした。簡単に自己紹介をしながら車を運転することおよそ20分、Maryのご自宅に到着。正直言うと一度クラブの例会で全員に自己紹介したことが一度あっただけで、顔と名前が一致していなかったので失礼があったらやばいなあとか思っていたのですが、とても気さくな初老の女性で、暖かく迎えてくれました。気合入れて無駄にスーツなんて着てきてしまったけれど、仲のいい友人同士で気さくにやりましょうという会だったので、これなら自分ももっとリラックスした服装で来ればよかったと思いました。

 

参加者はMaryとKeithご夫妻、息子さんのSamご夫婦と生後数カ月の赤ちゃん、Jannet、それにお友達が7~8人でした。ホストのお二人が料理の仕上げにかかっている間僕らゲストはしばし談話、料理が揃ったところで、みんなで手をつないで輪になり、ホストからのお言葉とアーメンをいただき、食事になりました。この食事も、一つのテーブルをみんなで囲む感じだったらもっと緊張したと思うのですが、セルフサービスで好きなだけ取って、空いている椅子に座って食べるという形式だったので、とてもリラックスできました。感謝祭での欠かせない食べ物である七面鳥とかぼちゃパイの他にも、たくさんの料理が置いてあって、どれもおいしく、初めてきちんとした「アメリカ料理」を食べたという気がしました。帰り際にはタッパーにたくさんお土産を詰めてくれたので、帰ってからももう一度おいしくいただきました。

 

庭付きの白い家は内装もとても瀟洒な印象だったので、とても洗練されている感じがしますとか言ったら、飾ってあるいくつかの工芸品はMaryが自分で作っているのだそうです。さらに、絵本を作ったりもしているのだそうな。お連れ合いのKeithは料理の他にもピアノも趣味だそうで、グランドピアノが置いてありました。(ちらっと見たら、Steinway & Sons.の刻印があって、軽く衝撃でした。民家に置いてあるのは初めて見たかも。)なんか全体的に、アメリカのUpper Middle Classの生活を目の当たりにしたという気がしました。家族という単位を少しも照れずにとても大切にするところも含めて。

 

とはいえ、いまだに下手くそな英語で初対面の人たちと会話をするのはやはりいささか緊張もあるのですが、そこでさりげなく気を使ってくれたのが、行きと帰りに車を出してくれたJannet, (あだ名はJane)でした。1937年生まれだからすでに御年75歳のはずなのだけれど、「気持ちはまだ20代なのよ」と語る彼女は実にパワフルで若くて、しかも話がうまくて面白かったです。いろんな話の引き出しがあって、うまく茶々を入れてくれたり、いじってくれたりして、何度も腹を抱えて笑いました。実は何十年か昔にSUNY Albanyの英文科で修士号を取ったそうで、僕の大先輩にもあたるJaneは、アカデミックな話にも政治・時事問題にも広く通じていて、すごいバイタリティを感じさせました。教会で英語を外国出身者に教えることにも関わっているのだそうで、ノンネイティブとの接し方を熟知しているというのか、少し敷衍すると「もてなし慣れている」という余裕を感じさせました。こっちに来てから、ホスピタリティの豊かさに感銘をうけることがときどきあるけれど、彼女も間違いなくそうした精神の持ち主だと思いました。ああいう年の取り方をしたい。

 

翌日の金曜日は、通称"Black Friday"といって、各種小売店が商品を大安売りする日です。たくさんの人が明け方前からこぞってショッピングモールなどに集結して長蛇の列を作るのだそうですが、僕は参加を控えておきました。安くなったとはいえ、お金がないし、最低限の生活必需品はやっとそろったので。あと、人ごみが厭。Black Fridayが終わると、これからいよいよ冬本番用のコートが安く売られたりするらしいので、そこで本気コートを買えたらいいかな、と思っています。

 

ともあれそんなわけで、初めてのThanksgiving体験は、暖かいおもてなしとおいしいご飯をいただくことができ、とても思い出に残る日になりました。感謝祭、他の人たちはどんな過ごし方をしたんだろうか。

NYC再訪。

やんごとなき事情により、16日に日帰りでニューヨーク市に行ってきました。

 

が、のっけからイレギュラーな事態発生。朝4時30分出発のバスを予約したのに、乗り換え客が優先されるとかなんとかで、チケット持っているにもかかわらずバスに乗れず。同じ憂き目にあった人たちも、「ネットで予約しているんだからチケットの数量なんか把握・管理できるだろ。damned systemめ。」って頭のところで指をクルクルまわして罵っていました。約一時間後、5時15分に別のバスが来て(そんなバスはタイムスケジュールには載っていないのだが)、やっと乗れました。(お疲れのところ、深夜にバス乗り場まで車を運転してくださったKご夫妻、本当にありがとうございました。)Kingstonというところで乗り換えた後、道路混雑のためこのバスもまた大幅に遅延。道路事情だからしょうがないとはいえ、8時15分くらいに着く予定が結局9時10分ごろの到着。運転手が "I'm sorry for slight delay"ってアナウンスしてたけど、これは"slight"っていうレベルなのか・・・?

 

やんごとなき事情の開始時刻は9時15分で、幸いバス乗り場からすぐ近かったので、ダッシュしたら時間ピッタリくらいに到着。「遅刻したからハイダメー」とか言われたらがんばって戦おうと覚悟して行ったけれど、実際あちら側の事務もまた無能すぎて、結局開始時刻は30分以上遅れました。というわけで、バスの遅れが事務の遅れにより相殺される結果と相成りまして、日本のシステムってすごいよなあと改めて思いました。

 

終了後、マンハッタンをお散歩。大学三年の時に、初めての一人旅でやって来たのが2004年のことだから、もう8年前かと思うと限りなく懐かしい。まさか8年後にこんな形で再訪するとはあの頃の自分は夢にも思わなかっただろうなあ。

 

人気のハンバーガー屋さんShake Shack。なんかビーフがレア目に焼けてて、むっちゃうまかった。

f:id:kiharin:20121117050509j:plain

昼間のタイムズスクエア。

f:id:kiharin:20121117053359j:plain

Grand Central Station。この間ヒッチコックの授業でこの内側の空間について聞いたばかりだったのでとってもタイムリーでした。ドライサーの_Sister Carrie_で、キャリーとハーストウッドが降りるのもこの駅ですね。

f:id:kiharin:20121117062843j:plain

クライスラー・ビル。6月に福岡で時間つぶしに見たMIB3で、ウィル・スミスが飛び降りてたビルですね。偶然入った飛行機雲がいい感じ。

f:id:kiharin:20121117063145j:plain

ニューヨーク公立図書館。

f:id:kiharin:20121117064235j:plain

入口右にかかっている垂れ幕をよく見ると・・・。

f:id:kiharin:20121118092619g:plain

おお、ディケンズの特別展示をやっているではあーりませんか。生誕200年記念。今期履修しているディケンズの授業も、半分くらいは200年記念を意識してやっているんだろうなあ。

f:id:kiharin:20121117064958j:plain

ディケンズの小説はとにかくキャラが立っており、この展示も各有名キャラクターのモデル紹介とか、イラストにどう描かれてきたかの歴史などを扱っていました。ポストカードサイズのイラストがたくさん無料で置いてあったので、クラスメートたちへのおみやげにごっそりいただいてきました。僕のお気に入りは、_Great Expectations_冒頭の、Pipを脅かすMagwitchのシーン。展示室には老若男女たくさんの人が入れ替わり立ち替わり入っていて、ディケンズの人気を再確認できました。

 

 

そして、Empire State Buildingの夜景。高い高-い。ニューヨーク州の別名Empire Stateって、しかしすごい名前ですよね。帝国州。

f:id:kiharin:20121118093051g:plain

最後は、タイムズスクエアの夜景。右下の大きい人は、後ろ姿だから分かりにくいけどマリオです。キノコ食べすぎたのかしら。

久しぶりに来たけど、ニューヨークって人のゴミゴミ感といいネオンのうるささといい、少なくも繁華街については新宿っぽいよなあと思いました。

f:id:kiharin:20121117081155j:plain

 

 

帰りは18時半のバスに乗り、およそ3時間弱でオルバニーに帰還。忙しくて疲れたけれど、久しぶりに来れてよかったです。

8年前にはとんでもない大冒険をしているようなつもりで来て、10日間が夢のようにあっという間に過ぎて行ったけれど、今回は群馬から東京にバスで三時間かけてくるのとそれほど変わらないような感じで、ずっと親近感のある旅でした。良くも悪くも、マンハッタンはもう他者ではありませんでした。

 

いよいよ明日は大統領選

明日6日(現在東海岸は5日の23時)はいよいよ大統領選投票日です。今後4年間の世界情勢に大きく影響を与える選挙はどんな結果になるのでしょうか。

 

昨日挙げた鉄拳の動画と明日の選挙とをつなぐ素晴らしい動画がありました。死ぬほど笑いました。みなさんも見て爆笑してください。最後にどっちかの候補に投票する選択肢まで出てきます 笑。僕は力強くオバマに入れました。しかしこんなのよく作るなあ~。感動しちゃったよ。

 


Political Kombat '12: Obama vs Romney