2011年10月20日

あきらめること,あきらめないこと

ものすごく,ひさしぶりに,つれづれにかいてみる。

病気になって,最終的に苦しいことはなにかというと,
あきらめることと,あきらめないこと。どこに線をひくのか,迷うこと。

癌も,移植も,そして寿命も。
どこまでがんばるべきなのか。
どこからあきらめていいのか。

死ぬのは怖い。病気でいるのは辛い。
けれど,頑張って,ほんとに先があるのか。
迷い戸惑い,そして苦しい。

経済が高度成長の時代,医学も高度成長していた。
いけいけどんどん。頑張ることは,医学においても基本的に美徳だった。
けれど,「スパゲティ症候群」にいきついて,どこまでもがんばる,
延命治療などへ疑問が持たれるようになった。
どこまでもがんばることは,美徳ではなくなった。

山村で在宅・老年期医療をしていたとき,よく迷った。
どこまで頑張るべきか。
家で治療をつづけるか,病院に治療を任せるか,それとも,看取るか。


・・・迷いを捨ててしまえば,楽になる。
病気は悪,病気は敵,として,徹底的に頑張る医者の道は,きっと正しい。楽にもなれる。
けれど,病気って,ほんとうに敵なのか?


イギリスは,高齢者の人工透析に保険適応はない。
腎不全の高齢者は,高齢者の枠に入ったとたんに,死を宣告されるのだ。
すごい選択がよくできたな,と思う。

がんばるか,あきらめるか。線を引く事,とても大切。
医者がその,とても大切な選択を引き受けるのは,たぶん間違い。
そのひとの人生を,そこまで支配してはいけない。

けれど,患者がその選択をひきうけることはとても難しい。
決断は苦しいし,決断するにたる情報を十分に手に入れることができるのか。
難しい。

イギリスみたいに国が指針を出すのも,方法。
実際日本も,保険点数をつけること,もしくは保険に含めるか含めないかで誘導している。
けれど,諦めるという選択を国が出すと,国民は国を恨む。
ときに,怨念が生まれている。怨念をもつことで,苦しみから逃げることが可能になるひともいる。


苦しいのは,迷うこと。

それを,みんなでもっと見つめることができれば,いいのかもしれない。

限界ある状況,限られた人間の能力で,Bestな選択肢はまず,選べない。
Betterな選択肢をなんとかみつけて,その結果の責任者を責めることはしないという納得の上で,
みんなでお互いを支え合いながら,前に進めればいいいのに。


あきらめることは逃げではない。
あきらめるから,前にすすめる。

つれづれに,ふと,感じる。

2010年04月16日

医療に携わる者の祈り

昔の資料を整理するためにひっくりかえしていたら、こんな文章をみつけた

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医療に携わる者の祈り

主よ
私をあなたの医療の僕にしてください。
病には治癒を
負傷には救助を
苦しみには安堵を
悲しみには慰めを
絶望には希望を
そして死には受容と平安とを
もたらすことができますように。

どうぞこの私が
自分を正当化するよりも
他の人びとに慰めを与え、
服従させることよりも
他を理解し、
名誉を求めるよりも
他を愛するようにしてください。
なぜなら
私は自分を与えることによって
人びとを癒し
相手の話を聞くことによって
慰めを与え、
そして死によって
永遠の生へと生まれ変わるからです。

聖フランシスの祈り(チャールズ。C・ワイズ翻案)


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やっぱり、こんな気持ちで医者していたい。
こんなふうに仕事させてくれるところで、医者したい。

患者の痛みを感じることができない上級医なんて、くそくらえだ

2010年04月12日

異世界

昔から、ぼくは何故だか、ものすごく好いてくれるか、ひどく嫌われるかのどちらかになることが多い。あと、何かしてくれそうなひと、といわれることもよくある。

なんでなのかなぁ・・・
よくわからなかったんだけれど、つい最近、わかった気がした。

自分は、ほかのひとと少しずれた世界を生きている。なんとなく、ずれている。
捕らえ方、行動の仕方、何かが違うのだ。

そうすると、同じ世界を生きていたいひとには、嫌われる。
変化がほしいひとには好まれる。

そうなのかな。やっと、わかった気がした。

2010年03月06日

なぜ僻地医療は崩壊したのか?

今日も新聞で、僻地医療崩壊の話を読んだ。
お産。車で5分のところに病院があるから安心して出産のために里帰りしたら、いざというときは車で30分の隣の県にいかなければいけない、とわかってびっくりした、という話だった。その原因は、研修制度で医者の配置が自由化されたからだと、記事にはまとめられていた。

以前から繰り返されている、論理。
なんだかなぁ。仕方がないけれど、勉強不足。


少し違う方面から話をまとめる。

医療費がなぜ高騰したか。
根本的な原因は、「生きたい!」というひとの欲望。その欲望から医療は進化し、新たな治療がつぎつぎに生まれている。技術の進歩とともに昔からの技術の値段は下がってはいるが、どうしても値段が高くなる新たな技術の出現に、値段の低下は追いつかない。
逆に、昔ながらの技術が、値段が下がったがゆえに経済的に維持できなくなり消えていく、という事態すらでてきている。昔ながらのいい薬剤が、経営効率のために消えていく、という事態などだ。


あれもこれも手に入れる。医療費は高騰し、それはできなくなってきている。そして、欲望の流れの中でいろいろなひずみも生まれている。
欲望に流されず実現可能な範囲を決断し、最善の仕組みを整える。人材も施設も限られた資源であることを認識した上で、できるかぎりの有効活用する。それが、大切。


もうひとつ、別の方面から。

今の研修制度が医者にもたらしたのは、情報改革だ。
大学卒業→出身大学の医局への入局、という、キャリアパスを医者たちが考えない時代が長く続いた。それは、医者自身はキャリアに悩む必要もなく、医局も定期的に人材を補給でき、地域も頭使わないで恩恵をうけることができた。
医者たちが、限られた情報の中にいたからだ。

しかし、研修制度ができ、医者がキャリアを考えなければいけない時代になり、かつ情報も整備され、医者たちが無知な中で仕事をしなくなった。

それは悪いことか?

医者たちは馬鹿でいろ。自分と自分の家族の人生を考えないで、きちんと僻地にいって奉仕しろ。
僻地に医者に強制的に行かせるというのは、上記を意味している。
しかし、そんな恥ずかしい欲望だと認識せず主張するひとたちは世の中けっこういて、しばしば頭にくる。


記者を通じてではほんとうの現場の意識はよくわからないし、そして記者は専門家だからしょうがないのわかるけれど、研修制度が今の僻地医療崩壊の原因とするのは、間違えている。

2010年02月04日

思い出にのこる患者さん

在宅医をして1年弱。そんな短い期間でも、こころに残る患者さん何人にも会わ
せていただいた。そんな患者さんのひとりについて、思い出してみる。


患者さんは認知機能低下ある90代の女性。
7年ほど前に胆管結石・胆管炎で手術。その後意欲・食欲低下。胃ろうや中心静
脈栄養で医学的加療行うもよくならず。しかし、家族によるりんごの料理をきっ
かけに経口摂取可能になる。その後、診療所から訪問診療を行っていた。医者が
いくととても喜んでくれて、歌を歌ってくれたりしていた。

そんな患者さんが、いよいよ状態が悪くなってきた。衰弱進み反応低下、下肢の
浮腫が進行。採血すると低アルブミン血症、低亜鉛血症ある。

どうするか。
じっくりご家族と話をすると、薬物治療は望まれない。確かに、これから亜鉛等
々を補正したところでよくなるとは思いにくい。薬なしで様子をみることに。
一度は訪問診療の回数を月2回に増やすも、特に医学的介入ですることもないた
め家族の希望あり月1回に減らす。
その後、徐々に浮腫悪化、レベル低下しつつも半年経過。が、いよいよ、のとき
がくる。状態が低下しているからと往診。確かに、以前のような受け答えなく反
応にぶい。いよいよかもしれない、そう告げて帰る。
翌日早朝連絡あり。朝、家族が見に行くと息を引き取られていたとのこと。駆け
つけると、家族は穏やかに患者さんを見守っている。

前日のことを聞く。昨夜もご飯をいつもの量たべたとのこと。食べ終わると、
「おいしかった。ありがとう」と普段言わないことを言う。へんだなぁ、と家族
も感じていた。そして就眠。翌朝、息をしていなかったと。


素敵なひとだなぁ。そう思った。
最後の言葉が「おいしかった」というのは、患者さんから家族へのほんとうの気
持ちだったんだろう。

家族がそこにいる。医者やることなし、出番なし。それはとても素敵なことだと
思う。


「おいしかった。ありがとう」
自分も、家族に最後にそういってもらえるように努力したい。とてもとても、難
しいことだけれど。

2010年01月30日

ぴんぴんころり?

今日,外来をしていたらショックなニュースが入ってきた.外来でずっと診てい
た患者さんが,亡くなられたというのだ.


患者さんは高齢者.以前,お風呂で意識を失い誤嚥からの肺炎で入院したとき担
当した方.記名力障害と高血圧のほか,頻尿,そして何故か足が前に出ない,と
いう症状があった.表情豊かで震えもなし,パーキンソンとか診断つけるには不
自然だったので退院後は外来で漢方薬で調整していた.牛車腎気丸や苓姜朮甘湯
という薬を使って頻尿や足の動きはある程度はよくなったんだけれど,でもある
程度以上はびくともしなかった.でも,なんか気に入っていただけて,一ヶ月に
一度のおしゃべり外来を,混んだ外来でこっそりお互い楽しみつつつ2年近くの
付き合いになっていた.

今日はその方の外来の日.けれど患者さんはいらっしゃらなくて,いつも一緒に
来ていた娘さんだけ.聞くと,2週間前に亡くなられたとのこと.お風呂で,水
に顔をつけた状態で発見されて,救急搬送・心肺蘇生も効果なかったと...そ
れを伝えにご家族がきてくれたのだった.

2年前に同じようなことあったから,ご家族もその方のお風呂はずっと気にされ
ていたのだけれど...
仕方はないとはいえ,ショックだった.


…ここ佐久にはぴんころ地蔵という地蔵がある.お参りするとぴんぴんころりと
なくなることができるというのだ.そういった名所は日本各地にある.ぴんぴん
ころり,憧れる方は多い.けれど,ほんとうにそれはいいものなのだろうか?

ぴんぴんころりといえばいい響きなのだけれど,それは急死,に近い.それは,
周囲が大きなショックを受けることがほとんど.死への準備ができていないから
だ.
人生,長い道のり,たくさんのことが詰まっている.それはやっぱり,きちんと
締めくくりたいのが人情というもの.いろんなひとに囲まれてゆっくり息を引き
取りたいし,周りもじっくり準備したいものじゃないかな.

その意味で,高齢者の癌は悪くはない.終末が見えるというのは死の恐怖と向か
い合わなければいけないということだけれど,けれど,すごく難しくはあるのだ
けれどそこを乗り越えれば,終末への準備に適度な時間をもらえる.今は痛みも
ほとんどコントロールできるし.ほかの病気は,そうはいかない.終末がいつか,
なかなかわからないから.


ぴんぴんころり.あるときの急な死.
できれば,避けたいもの.
終末に寄り添わせていただくというのが大事な仕事のひとつである在宅医として
は特に,そう思う.

今日は久しぶりに好きなレストランまで出てきてゆっくり時をかみ締めつつ,そ
んなことを考えていた.

2010年01月21日

いい医者?

昨日は,疲れた.
うちの診療所の在宅登録患者,けれどまだ登録後日が浅くて,自分自身は機会な
くて初めていく患者さん.それが,いよいよ脳血管障害の終末期という連絡が訪
問看護ステーションから急に連絡が入った.嚥下機能低下が進み確かに何度かミー
ティングで話題になっていたから知ってはいたけれど...でも,自分は初めて.
さて,どうする... 看取りは在宅?それとも入院...?

午後は外来あるから昼休みの短い時間での訪問.初めてのお宅で,患者・家族の
生活をはかりとりとるべき距離を測りつつ,患者さんと家族の人生観を写真など
などのご自宅のご様子とかいろいろな情報も使いつつ短時間で読み取り聞き取り
つつ,どこに介護的限界があるのかをはかりつつ,患者さんとご家族にとって一
番いいかたちはなんなのかなぁ,と考えつつ,以前から考えてもらってたとはい
え人生で最後の重要な決断を短時間で家族に迫り... 結局いろいろな状況から
やっぱり看取り目的の入院になったのだけれど,いろいろな患者さんの迷いを感
じてしまって疲れ果て,看取り入院は医者にとってやることないから医者には嫌
な顔されていろいろ注文されて...

へろへろになってそのあと外来して,そのあと書類仕事を片付けて,へろへろと
コーヒーのみつつふらふらしていたら,先輩心療内科医が,アドバイスをくれた.
以前していた質問への,先輩なりの答えだった.


以前,こんな質問をしていた.
「心療内科,そんなに患者さんから話を聞いていて,くたくたにならないですか.
消耗,しすぎないですか・・・?」
患者さんの言葉を受け止めすぎて,ぼくはしばしばぼろぼろになってしまう.来
年,精神科を身に着けたいとローテートを希望しているのだけれど,でも,自分
のこころを守りきる自信が,少し,ない.それで,聞いてみたのだ.
すぐには適切なことばが見つからなかったから,時間をおいて,それに丁寧に答
えてくれたのだ.

先輩の回答は,
「患者さんから元気をもらえばいい」

自分の診療がうまくいっているときは,自分も患者さんから元気をもらっている
のがわかるというのだ.先輩自身も頻度はまだ高くはなくて修行中なのだそうだ
けれど.

限りある自分の元気.与えようとしていたらすぐ尽きてしまう.実際,若いうち
は元気なのだけれどエネルギーを出し尽くして燃え尽きる医者はたくさんいる.
燃え尽きないためには,患者さんから元気をもらえばいい.元気をもらって,渡
して,その回転がうまくまわったときは,自分だけではなくて患者も元気になっ
ていく.

確かに.そんな気はする.何人か,そんな感じがある患者さんが,実際ぼくが担
当した中にもいる.まだ,ごくごく一部だけれど.

与えよう,なんて押し付けているのは,押し付けがましい医療,なんだろうな.


いい医者ってきっと,患者さんから元気をもらえる医者.
修行せねば.
そう,思った.