2024年03月28日
地震体験記
『全古書連ニュース』が次号で第500号を迎えるとのことで、寄稿を仰せつかりました。
明日がその締め切り。いろいろ悩んだ末、求められた「祝いの言葉」ではなく、ささやかな提言をすることにいたしました。
書いてから気がついたのは、掲載されるのは5月号で発行日は5月10日。それまでに店主の提言が、意味のないことになっている可能性もあることです。しかしひとまず、このまま出すことにしようと思います。
その『全古書連ニュース』3月号には石川県組合の古本LOGOS・川端ゆかりさんによる「令和六年能登半島地震 体験記」が約3頁にわたって掲載されていました。
今回の震災がなければ、珠洲市に古書店があることを知らない組合員がほとんどだったでしょう。そしてこの体験記を読まなければ、そのご店主さんがここまで「筆の立つ」方と知ることもなかったでしょう。
自らが被った大きな惨事を、さほど時間も経ないうちに節度ある表現で報告するというのは、かなりの知性と筆力を必要とします。そして気力。きっとこの災難も乗り越えて行かれると思わせる、暗さを感じさせない文章でした。
ただ心配なのは、あるYouTube番組が伝えていた被災地の現状です。珠洲市の水道復旧率は、現在でもまだ7%程度だとか。輪島の朝市地区は、震災後手つかずのまま今日に至っているとも。
寄稿されてからでさえ、すでに2か月が過ぎました。今でもこの文に書かれたような気力を、維持されていることを祈ります。
明日がその締め切り。いろいろ悩んだ末、求められた「祝いの言葉」ではなく、ささやかな提言をすることにいたしました。
書いてから気がついたのは、掲載されるのは5月号で発行日は5月10日。それまでに店主の提言が、意味のないことになっている可能性もあることです。しかしひとまず、このまま出すことにしようと思います。
その『全古書連ニュース』3月号には石川県組合の古本LOGOS・川端ゆかりさんによる「令和六年能登半島地震 体験記」が約3頁にわたって掲載されていました。
今回の震災がなければ、珠洲市に古書店があることを知らない組合員がほとんどだったでしょう。そしてこの体験記を読まなければ、そのご店主さんがここまで「筆の立つ」方と知ることもなかったでしょう。
自らが被った大きな惨事を、さほど時間も経ないうちに節度ある表現で報告するというのは、かなりの知性と筆力を必要とします。そして気力。きっとこの災難も乗り越えて行かれると思わせる、暗さを感じさせない文章でした。
ただ心配なのは、あるYouTube番組が伝えていた被災地の現状です。珠洲市の水道復旧率は、現在でもまだ7%程度だとか。輪島の朝市地区は、震災後手つかずのまま今日に至っているとも。
寄稿されてからでさえ、すでに2か月が過ぎました。今でもこの文に書かれたような気力を、維持されていることを祈ります。
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2024年03月27日
2口の新入荷
ひさびさにルート便で、カーゴ1台の荷物が運び込まれました。先週の明古と、昨日の洋書会の買い上げ品です。
明古の分は、自店出品の買引。先日お引き取りにあがった、英国ロマン主義文学がご専門で学会長も務められた東大名誉教授の旧蔵書です。
故人が東大を退官されたのは約30年前。そのあと10年ほど他大学にお勤めになられたそうです。比較的保存状態の良い本が多かったのですが、一時代前のものという感は否めません。
思ったほどの値がつかず、結局、小店で買い取る形となりました。ゆっくり吟味して、店に並べるなり、あらためて市場に出すなりしてみようと思います。
洋書会の買い上げ品は、明古に出品されていたフランス書の大山を2点落札し、火曜日に仕分けをして会に再出品したものです。
大量出品の一口だったようで、洋書に関してはいくつかの揃い物以外は、12本、13本という大山2点にまとめられていました。
内容はまさに玉石混淆。中心となっていたのはデカルト関係の研究書でしたが、他にも演劇関係書などが目につきました。ポケットブックも相当量あったのですが、それらは余り状態が良くありませんでした。
購入した全25本を7点に仕分けし、そのうち自分で欲しいもの3点を落札、他は売却。4分の1ほどに減量することに成功し、今日それが店に届いたというわけです。
現代思想関係も含まれていますので、まずこちらから手をつけようと思います。
明古の分は、自店出品の買引。先日お引き取りにあがった、英国ロマン主義文学がご専門で学会長も務められた東大名誉教授の旧蔵書です。
故人が東大を退官されたのは約30年前。そのあと10年ほど他大学にお勤めになられたそうです。比較的保存状態の良い本が多かったのですが、一時代前のものという感は否めません。
思ったほどの値がつかず、結局、小店で買い取る形となりました。ゆっくり吟味して、店に並べるなり、あらためて市場に出すなりしてみようと思います。
洋書会の買い上げ品は、明古に出品されていたフランス書の大山を2点落札し、火曜日に仕分けをして会に再出品したものです。
大量出品の一口だったようで、洋書に関してはいくつかの揃い物以外は、12本、13本という大山2点にまとめられていました。
内容はまさに玉石混淆。中心となっていたのはデカルト関係の研究書でしたが、他にも演劇関係書などが目につきました。ポケットブックも相当量あったのですが、それらは余り状態が良くありませんでした。
購入した全25本を7点に仕分けし、そのうち自分で欲しいもの3点を落札、他は売却。4分の1ほどに減量することに成功し、今日それが店に届いたというわけです。
現代思想関係も含まれていますので、まずこちらから手をつけようと思います。
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2024年03月26日
触れてはいけない過去?
雨の今朝、店に着くとセブンイレブンの前にパネルバンが止まっていました。いつもの配達車ではなく、少し小型の引っ越しトラックです。
駐車スペースに車を納めて外に出ると、それを待っていたかのように若者が近づいてきて「先日はありがとうございました、助かりました」と挨拶してきました。
おととい日曜日の午後、「上に住んでいるものですが、台車を貸していただけませんか」と尋ねてきた青年です。どうやらマンションの住人らしいので、閉店時間までに必ず返すようにと念を押し、お貸ししたところ、店を閉めようとするころに返しに来てくれました。
その彼が「これから京都へ行って、本屋をやります」と驚くようなことを言います。表の車には、引っ越し荷物が積まれているようでした。
詳しい話を聞く暇もないので、ただ「京都のどこ?」と尋ねると「出町というところです」。傍らから家人が思わず「私たちもその近くに住んでいたのよ」というと「本当ですか?」と驚いた様子。
そこで店主が「もう50年も前のことだけどね」と付け足すと、「ご縁がありますね」そう言って、引っ越し作業に戻っていきました。
間際に言わずとも、せっかく「上に住んで」いて、本屋をやろうと考えるくらいなら、これまでに声をかけてくれても良かったような気がしますが、ふと、店主らが京都を離れたのも、彼の年頃だったのではないかと思いました。あるいはもっと若かったかも。
とても懐かしい気分になったのですが、いざ自分たちの引っ越し当時を思い出そうとすると、何の記憶も浮かびません。愕然として家人に尋ねると、「ひどい目に遭った」と言うばかり。
恐ろしくて、それ以上尋ねられないでおります。
駐車スペースに車を納めて外に出ると、それを待っていたかのように若者が近づいてきて「先日はありがとうございました、助かりました」と挨拶してきました。
おととい日曜日の午後、「上に住んでいるものですが、台車を貸していただけませんか」と尋ねてきた青年です。どうやらマンションの住人らしいので、閉店時間までに必ず返すようにと念を押し、お貸ししたところ、店を閉めようとするころに返しに来てくれました。
その彼が「これから京都へ行って、本屋をやります」と驚くようなことを言います。表の車には、引っ越し荷物が積まれているようでした。
詳しい話を聞く暇もないので、ただ「京都のどこ?」と尋ねると「出町というところです」。傍らから家人が思わず「私たちもその近くに住んでいたのよ」というと「本当ですか?」と驚いた様子。
そこで店主が「もう50年も前のことだけどね」と付け足すと、「ご縁がありますね」そう言って、引っ越し作業に戻っていきました。
間際に言わずとも、せっかく「上に住んで」いて、本屋をやろうと考えるくらいなら、これまでに声をかけてくれても良かったような気がしますが、ふと、店主らが京都を離れたのも、彼の年頃だったのではないかと思いました。あるいはもっと若かったかも。
とても懐かしい気分になったのですが、いざ自分たちの引っ越し当時を思い出そうとすると、何の記憶も浮かびません。愕然として家人に尋ねると、「ひどい目に遭った」と言うばかり。
恐ろしくて、それ以上尋ねられないでおります。
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2024年03月25日
店で買いたい
ある夕方のこと、閉店時間となって片づけを始め、表の移動棚も半数以上店内に収めたあたりで、一人の外国人が近づいてきました。ハンチング帽をかぶった、軽快な装いの中年男性。
「すみません閉店です」と申し上げたところ理解されたようで「分かりました、ひとつだけ質問していいですか」と日本語でおっしゃいます。
「なんでしょう」「Amazonで見ましたが、フランス語の本、売ってますか?」「うちをAmazonでご覧になった?」「はいそうです」
欲しい本をAmazonで見つけたところ、それが家人の出品しているものだったらしい。確かに、販売元をクリックすれば、小店名と住所が表示されています。
ですからこれまでにもお電話などで、直接買いに行けるかとお問い合わせいただき、実際にご来店されたこともあります。しかし、いきなり店に訪ねてこられたケースは記憶にありません。
お求めになりたいのは、どうやらフランス語の絵本だと分かりました。しかしすぐに見つけ出せる可能性は低そうです。「お近くですか?」「近くないです」「Amazonから注文できないですか?」「散歩のついでに本屋さんに寄って買うのが好きです」
なかなか小店を見つけられず、あきらめて帰るところでようやく見つけた、ともおっしゃっていました。いまから探し出すのは難しいとお伝えすると「ではAmazonで注文してみます」と言い残してお帰りになりました。
翌朝、家人にお尋ねの本を見つけてもらい、取り置き棚に置いたのですが、以来、ご注文はありません。またひょっこりご来店になるかとも思い、そのまま置いてあります。
「すみません閉店です」と申し上げたところ理解されたようで「分かりました、ひとつだけ質問していいですか」と日本語でおっしゃいます。
「なんでしょう」「Amazonで見ましたが、フランス語の本、売ってますか?」「うちをAmazonでご覧になった?」「はいそうです」
欲しい本をAmazonで見つけたところ、それが家人の出品しているものだったらしい。確かに、販売元をクリックすれば、小店名と住所が表示されています。
ですからこれまでにもお電話などで、直接買いに行けるかとお問い合わせいただき、実際にご来店されたこともあります。しかし、いきなり店に訪ねてこられたケースは記憶にありません。
お求めになりたいのは、どうやらフランス語の絵本だと分かりました。しかしすぐに見つけ出せる可能性は低そうです。「お近くですか?」「近くないです」「Amazonから注文できないですか?」「散歩のついでに本屋さんに寄って買うのが好きです」
なかなか小店を見つけられず、あきらめて帰るところでようやく見つけた、ともおっしゃっていました。いまから探し出すのは難しいとお伝えすると「ではAmazonで注文してみます」と言い残してお帰りになりました。
翌朝、家人にお尋ねの本を見つけてもらい、取り置き棚に置いたのですが、以来、ご注文はありません。またひょっこりご来店になるかとも思い、そのまま置いてあります。
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2024年03月24日
a time to die
昨日の小ブログに目を通した家人は、鬼の首でも取ったように「聖書の言葉じゃないの」と申しました。
店主だって、いずれそのようなものだとは思いましたが、まともに読んだことがありませんから典拠の求めようもなかったのです。
しかし家人はネットの力も借りて探し出し、「これでしょう」と示したのが旧約聖書「伝道の書」第3章。その第1、2節は次のとおり。
To every thing there is a season,
and a time to every purpose under the heaven:
A time to be born, and a time to die;
a time to plant, a time to reap that which is planted;(KJV)
たしかにこれが頭にあったかもしれません。だからと言って、デュトワさんの言葉を紋切り型の追悼句だとしたのでは、店主の感動はともかく、彼の哀惜も軽んじることになってしまいます。もちろん家人もそんなことは申しておりませんが。
それより店主は、この言葉からすぐに古い曲を思い出しました。メロディーだけ浮かんでタイトルが出てきませんでしたが、検索するとすぐに答えが。
ピート・シーガーが書いた「Turn! Turn! Turn!」で、店主が聴いて記憶に残っていたのは1965年発表のザ・バーズによるバージョン。詩句はかなりの部分、旧約聖書の文言がそのまま使われていたことが分かります。
ネット検索をしているうち、思わぬ拾い物がありました。ジュディ・コリンズがピート・シーガーと、ギター弾き語りでこの曲を歌っている動画です。彼女の歌声も耳に懐かしいものでした。
店主だって、いずれそのようなものだとは思いましたが、まともに読んだことがありませんから典拠の求めようもなかったのです。
しかし家人はネットの力も借りて探し出し、「これでしょう」と示したのが旧約聖書「伝道の書」第3章。その第1、2節は次のとおり。
To every thing there is a season,
and a time to every purpose under the heaven:
A time to be born, and a time to die;
a time to plant, a time to reap that which is planted;(KJV)
たしかにこれが頭にあったかもしれません。だからと言って、デュトワさんの言葉を紋切り型の追悼句だとしたのでは、店主の感動はともかく、彼の哀惜も軽んじることになってしまいます。もちろん家人もそんなことは申しておりませんが。
それより店主は、この言葉からすぐに古い曲を思い出しました。メロディーだけ浮かんでタイトルが出てきませんでしたが、検索するとすぐに答えが。
ピート・シーガーが書いた「Turn! Turn! Turn!」で、店主が聴いて記憶に残っていたのは1965年発表のザ・バーズによるバージョン。詩句はかなりの部分、旧約聖書の文言がそのまま使われていたことが分かります。
ネット検索をしているうち、思わぬ拾い物がありました。ジュディ・コリンズがピート・シーガーと、ギター弾き語りでこの曲を歌っている動画です。彼女の歌声も耳に懐かしいものでした。
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2024年03月23日
「ただ、時が来たのです」
「指揮者の小澤征爾さんを悼む声がやまない」という書き出しの追悼記事が、心に残りました。
載っていたのは数日前の朝日新聞で、タイトルは「音楽を生きた人 小澤征爾さんを悼む」と右上に顔写真入りで小さく。そして大きな見出しが「日本らしい繊細さ、世界を魅了 指揮者、シャルル・デュトワさん」とあります。
デュトワさんと小澤さんが、ほぼ同年というのは驚きでした。小澤さんというと若いころの姿が強く記憶に残っており、デュトワさんについては、比較的最近の指揮姿を目にする機会のほうが多かったからかもしれません。もちろんTVなどを通じてですが。
編集委員・吉田純子さんを聞き手とする談話を文章化されたものらしく、おそらくデュトワさんはフランス語で話されたはずですから、この追悼文は全体として吉田さんの翻訳ということになります。
店主がもっとも感じ入ったのは、最終段落の前半部分に置かれた以下の文章。
今、私だけではなく世界中が彼の不在を寂しく思っています。でも、彼の88年の人生は、とても良いものだったと私は感じます。亡くなったことは、決して悲劇ではない。ただ、時が来たのです。
この「時が来た」は穏やかな語りなのに、万感の思いが伝わってきます。デュトワさんがどのような言葉で語られたのか、とても知りたくなりました。
これが寄稿なら、原文を見つけて対照することもできなくはないでしょうが、談話となると録音か、文字起こししたものが残されているかどうか。
とはいえ残っていても、店主が読めるわけでもありません。そのワンフレーズを実際にどう発話されたのか、それが知りたいだけなのです。朝日に訊けば、教えてくれるでしょうか。
載っていたのは数日前の朝日新聞で、タイトルは「音楽を生きた人 小澤征爾さんを悼む」と右上に顔写真入りで小さく。そして大きな見出しが「日本らしい繊細さ、世界を魅了 指揮者、シャルル・デュトワさん」とあります。
デュトワさんと小澤さんが、ほぼ同年というのは驚きでした。小澤さんというと若いころの姿が強く記憶に残っており、デュトワさんについては、比較的最近の指揮姿を目にする機会のほうが多かったからかもしれません。もちろんTVなどを通じてですが。
編集委員・吉田純子さんを聞き手とする談話を文章化されたものらしく、おそらくデュトワさんはフランス語で話されたはずですから、この追悼文は全体として吉田さんの翻訳ということになります。
店主がもっとも感じ入ったのは、最終段落の前半部分に置かれた以下の文章。
今、私だけではなく世界中が彼の不在を寂しく思っています。でも、彼の88年の人生は、とても良いものだったと私は感じます。亡くなったことは、決して悲劇ではない。ただ、時が来たのです。
この「時が来た」は穏やかな語りなのに、万感の思いが伝わってきます。デュトワさんがどのような言葉で語られたのか、とても知りたくなりました。
これが寄稿なら、原文を見つけて対照することもできなくはないでしょうが、談話となると録音か、文字起こししたものが残されているかどうか。
とはいえ残っていても、店主が読めるわけでもありません。そのワンフレーズを実際にどう発話されたのか、それが知りたいだけなのです。朝日に訊けば、教えてくれるでしょうか。
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2024年03月22日
買引き再出品
いつの世も、若い時ほど昔を懐かしむものだろうか、それともやはりある種の高揚感が去ったあとの、あの時代の特長だったろうか。
昨日のブログを巡って、そんな話を家人といたしました。しかし結局のところ二人とも、今どきの音楽、歌についてほとんど知識がないので、答えの出しようがないというところで終わっております。
さて今日は明治古典会。先日宅買いに伺った英米学関係の和洋書一口カーゴ3台半を、仕分けは会にお任せで出品いたしました。店主は昼前に市場に行って、軒並み札を入れて回っただけ。
ふだんなら比較的「売りっ放し」にして、あまり自分で札を入れないことが多いのですが、今回の口は、そうすると札が入らないか、きわめて安く落札されてしまう恐れがありました。
英国ロマン派関係の本が中心で、ひところはずいぶん人気もあったのですが、現在ではどんな店でも売れるというものではありません。いきおいネットでも、それほど値がつくものが少ない。それならまだしも、自店で売ろうと考えたのです。
とはいえ「やらずの札」などではなく、ごく冷静な札のつもりでした。それでも終わってみれば、およそ半分は自分で買引く結果となっています。
これとは逆に、現在人気の哲学思想関係などなら、たとえ自分の出品でも、自分ではなかなか買えなかったことでしょう。こうしてみると学術系古書の世界にも、確かに流行りすたりがあることが分かります。
というわけで、カーゴ2台以上の買上となったのですが、火曜日の洋書会にもう一度、出品してみるつもりです。特に洋書に関しては、仕分けをし直せば、まだいくらかは売れるような気がします。
来週の洋書会も、朝から出かけざるを得なくなりました。
昨日のブログを巡って、そんな話を家人といたしました。しかし結局のところ二人とも、今どきの音楽、歌についてほとんど知識がないので、答えの出しようがないというところで終わっております。
さて今日は明治古典会。先日宅買いに伺った英米学関係の和洋書一口カーゴ3台半を、仕分けは会にお任せで出品いたしました。店主は昼前に市場に行って、軒並み札を入れて回っただけ。
ふだんなら比較的「売りっ放し」にして、あまり自分で札を入れないことが多いのですが、今回の口は、そうすると札が入らないか、きわめて安く落札されてしまう恐れがありました。
英国ロマン派関係の本が中心で、ひところはずいぶん人気もあったのですが、現在ではどんな店でも売れるというものではありません。いきおいネットでも、それほど値がつくものが少ない。それならまだしも、自店で売ろうと考えたのです。
とはいえ「やらずの札」などではなく、ごく冷静な札のつもりでした。それでも終わってみれば、およそ半分は自分で買引く結果となっています。
これとは逆に、現在人気の哲学思想関係などなら、たとえ自分の出品でも、自分ではなかなか買えなかったことでしょう。こうしてみると学術系古書の世界にも、確かに流行りすたりがあることが分かります。
というわけで、カーゴ2台以上の買上となったのですが、火曜日の洋書会にもう一度、出品してみるつもりです。特に洋書に関しては、仕分けをし直せば、まだいくらかは売れるような気がします。
来週の洋書会も、朝から出かけざるを得なくなりました。
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2024年03月21日
1975年
昨日、閉店後、駐車スペースから車を出そうとエンジンを入れると、カーオーディオからずいぶんと懐かしい歌が聞こえてきました。NHK-FMの番組のようです。
朝はほぼ、同局の「クラシックカフェ」を聴きながら店に到着します。それで帰りも最初はラジオ番組が流れてくるわけですが、大抵の場合、お喋りや選曲が好みと合わず、切り替えてUSBに録りためたCDを聴きながら帰ります。
しかしこの日はそのまま、ラジオ番組を聴き続けました。
家に着いてから〈らじるらじる〉の番組表で確かめてみると、店主が聴いたのは「心のこり」の終わりの部分から「『いちご白書』をもういちど」「22才の別れ」「想いでまくら」「私鉄沿線」「シクラメンのかほり」「我がよき友よ」、そして「昭和枯れすすき」の途中まで。
間に入るナレーションは、ほぼ曲目紹介だけでしたから、どんな番組なのかということも番組表を見て知りました。番組タイトルは「名曲ヒットパレード #31 1975年」。番組説明は以下のとおり。
誰の記憶にも刻まれた音楽、耳にしただけで当時の思い出がよみがえる歌があります。一時の時間旅行にいざなう、それが「名曲ヒットパレード」です。今回は1975年のヒットナンバーをご紹介します。
この年、店主はまだ京都に住み、大阪勤めの生活を送っております。あらためてこれらの曲を聴き、過ぎた日々をいとおしむものが多いことに気づかされました。今から思えばおかしくもありますが、当時は店主でも「もう若くない」気分はあったものです。
ちなみに上記のほかに店主が聴き逃した次の3曲も、この年のヒットだったそうです。
「時の過ぎゆくままに」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」「ロマンス」
朝はほぼ、同局の「クラシックカフェ」を聴きながら店に到着します。それで帰りも最初はラジオ番組が流れてくるわけですが、大抵の場合、お喋りや選曲が好みと合わず、切り替えてUSBに録りためたCDを聴きながら帰ります。
しかしこの日はそのまま、ラジオ番組を聴き続けました。
家に着いてから〈らじるらじる〉の番組表で確かめてみると、店主が聴いたのは「心のこり」の終わりの部分から「『いちご白書』をもういちど」「22才の別れ」「想いでまくら」「私鉄沿線」「シクラメンのかほり」「我がよき友よ」、そして「昭和枯れすすき」の途中まで。
間に入るナレーションは、ほぼ曲目紹介だけでしたから、どんな番組なのかということも番組表を見て知りました。番組タイトルは「名曲ヒットパレード #31 1975年」。番組説明は以下のとおり。
誰の記憶にも刻まれた音楽、耳にしただけで当時の思い出がよみがえる歌があります。一時の時間旅行にいざなう、それが「名曲ヒットパレード」です。今回は1975年のヒットナンバーをご紹介します。
この年、店主はまだ京都に住み、大阪勤めの生活を送っております。あらためてこれらの曲を聴き、過ぎた日々をいとおしむものが多いことに気づかされました。今から思えばおかしくもありますが、当時は店主でも「もう若くない」気分はあったものです。
ちなみに上記のほかに店主が聴き逃した次の3曲も、この年のヒットだったそうです。
「時の過ぎゆくままに」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」「ロマンス」
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2024年03月20日
駒場のルヴェ
祝日でもいつもどおり、小店は営業。
一緒に来ていた家人は、開店準備が一段落したあと、渋谷方面へ夕食材料の買い出しに向かいました。
すると何分もたたないうちにLINEで「ケモノ道が舗装されている!」「あとで証拠写真を撮って送ります」。
やがて買い物から帰り、西口から降りたところで一枚。娘たちとも共有しているLINEで送ってきました。
西口を出てすぐのところにある坂下門を入った、一方が崖、一方が小川という通称ケモノ道は、かつてのアスファルト舗装が割れて地面がむき出しになったところもあり、まさに名前通りの雰囲気でした。
それがきれいに整備されているようです。いつ頃、舗装したのでしょうか。ちょうど2週前の水曜日、この道を通って「ルヴェ ソン ヴェール」に行っております。その時は、まだ足場の悪いところが残っておりました。
その「ルヴェ」ですが、先日、平尾さんのご葬儀の際、一緒に並んだ文生書院の小沼さんから「本郷の店がなくなるんだ」と伺いました。今、ネットで確かめると、3月17日で営業を終了したとあります。その一年前には、南大沢の東京都立大店も閉店していたと知りました。
じつはこの間食事した際に、以前のような満足を得られませんでした。聞けば本郷のシェフが抜け、駒場から出向いていたという話です。それなら駒場店の味は、また復活するのでしょうか。
残された拠点が守られることを祈るばかりです。
一緒に来ていた家人は、開店準備が一段落したあと、渋谷方面へ夕食材料の買い出しに向かいました。
すると何分もたたないうちにLINEで「ケモノ道が舗装されている!」「あとで証拠写真を撮って送ります」。
やがて買い物から帰り、西口から降りたところで一枚。娘たちとも共有しているLINEで送ってきました。
西口を出てすぐのところにある坂下門を入った、一方が崖、一方が小川という通称ケモノ道は、かつてのアスファルト舗装が割れて地面がむき出しになったところもあり、まさに名前通りの雰囲気でした。
それがきれいに整備されているようです。いつ頃、舗装したのでしょうか。ちょうど2週前の水曜日、この道を通って「ルヴェ ソン ヴェール」に行っております。その時は、まだ足場の悪いところが残っておりました。
その「ルヴェ」ですが、先日、平尾さんのご葬儀の際、一緒に並んだ文生書院の小沼さんから「本郷の店がなくなるんだ」と伺いました。今、ネットで確かめると、3月17日で営業を終了したとあります。その一年前には、南大沢の東京都立大店も閉店していたと知りました。
じつはこの間食事した際に、以前のような満足を得られませんでした。聞けば本郷のシェフが抜け、駒場から出向いていたという話です。それなら駒場店の味は、また復活するのでしょうか。
残された拠点が守られることを祈るばかりです。
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2024年03月19日
明日から「さくらみち」
大口の仕分けが予定されていたため、本日の洋書会は全員集合の声が掛かっていました。
都合が悪ければ無理しなくて良いのはもちろんですが、店主の場合、朝のうちに注文品の荷造りさえ済ませれば、あとは店番を家人に任せて出かけることができます。
その荷造りが、今朝はいつもより若干多めでしたので、結局、集合時間に30分ほど遅れることになりました。
会館に着いてみると、すでに仕分けは始まっていて、平台の上に本が並んでいます。ただ想定していたより量が少なかったらしく、店主が加わるまでもなさそうでしたので、空き箱の折り畳みなど、雑用をこなしているうちに、仕分けは完了しておりました。
ところで集合を掛けてもらう手前、荷主である会員が「弁当を持つ」ことを、先週の時点で表明しております。そこで担当会員が、出席人数分の「高級」デリバリー弁当を注文してあったようです。
おかげで店主も美味しい弁当のお相伴に預かることができましたが、当の荷主さんは、思ったほどの出品量でなかったことから、声掛けを早まって余計な出費となったのを、いくらか悔やんだかもしれません。「高過ぎる」と冗談めかして注文者に抗議。しかし全員が「美味しい」と声を揃えたため、どうやら納得されたご様子でした。
市場を終えて帰る道、靖国通りで明日から始まる「神保町さくらみちフェスティバル」の出店準備をしている同業の姿を見受けました。
まだワゴンが出ているだけのところが大半でしたが、その上に置かれた店名表示の紙を見ると、良く知る若手の名も何人か。どうか天候と客足に恵まれますように。
都合が悪ければ無理しなくて良いのはもちろんですが、店主の場合、朝のうちに注文品の荷造りさえ済ませれば、あとは店番を家人に任せて出かけることができます。
その荷造りが、今朝はいつもより若干多めでしたので、結局、集合時間に30分ほど遅れることになりました。
会館に着いてみると、すでに仕分けは始まっていて、平台の上に本が並んでいます。ただ想定していたより量が少なかったらしく、店主が加わるまでもなさそうでしたので、空き箱の折り畳みなど、雑用をこなしているうちに、仕分けは完了しておりました。
ところで集合を掛けてもらう手前、荷主である会員が「弁当を持つ」ことを、先週の時点で表明しております。そこで担当会員が、出席人数分の「高級」デリバリー弁当を注文してあったようです。
おかげで店主も美味しい弁当のお相伴に預かることができましたが、当の荷主さんは、思ったほどの出品量でなかったことから、声掛けを早まって余計な出費となったのを、いくらか悔やんだかもしれません。「高過ぎる」と冗談めかして注文者に抗議。しかし全員が「美味しい」と声を揃えたため、どうやら納得されたご様子でした。
市場を終えて帰る道、靖国通りで明日から始まる「神保町さくらみちフェスティバル」の出店準備をしている同業の姿を見受けました。
まだワゴンが出ているだけのところが大半でしたが、その上に置かれた店名表示の紙を見ると、良く知る若手の名も何人か。どうか天候と客足に恵まれますように。
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