おまけ サンタの話

 

このおまけで、このブログはいったん終了です。

サンタがいる、いないというのが、
子どもの成長の過程で必ず出てくる問題だと思いますが

 
サンタはいます。

 
子を思う親の「愛」の具象化が、サンタという形をとっているのです。
 
「愛」は目に見えなくても存在します。
 
ですからサンタも、目に見えなくても存在するのです。

 


ご愛読ありがとうございました。

世界を救うために

 

真の幸福
真の喜び
真の大安心
真の感謝
 
それは
「神性の自覚」無しにはありません。
 
己の神性の自覚が
深まれば深まるほど
 
神のみが実在であることがわかり
すべてが神であることがわかり
己が全一なることがわかり
 
命そのままに
「天地礼拝」になります。
 
現象世界は
我々の心
現在意識、潜在意識、深層心理
によって存在し、展開する
「3次元映像」
の世界ですから。
「神性の自覚」を持つ人には
幸福の世界が展開します。
 
「神性の自覚」を持つが
増えれば増えるほど
この世界から不幸が消えてゆきます。
 
ですから
世界を救うためには
「神性の自覚」を持つ人を
増やしてゆくしかないのです。
 
もし、このブログで
幸福になった人がいたとしても
あなた一人が幸福になるために
このブログがあるのではありません。
 
あなたの神性の自覚が深まることによって
この世界を救うために
このブログはあるのです

神はすべてのすべて

 

神はすべてのすべて
 
神ならざる何物も無く
 
神ならざる我は無し
 
神 すなわち我
 
我 すなわち神
 
我はすべてのすべて
 
天地間 唯我のみ
 
我ならざる何物もなし
 
神は愛なれば
 
愛ならざる何物も無く
 
愛ならざる我は無し
 
我 すなわち愛
 
愛 すなわち我
 
天地間 唯愛のみ
 
我とは、皆さんの事です

神様 神様

 

唯々
御心を為さしめたまえ
御心を顕しめ給え
 
神様の作り給うたままの我を
観さしめたまえ
顕しめ給え
 
神様の作り給うたままのすべてを
観さしめたまえ
顕しめ給え
 
神ここにいまし給えり
神ここにいまし給えり
 
ありがとうございます
ありがとうございます

今何かに苦しんでいる人へ

 

「無条件に感謝せよ」というのは
 
現象に何が顕れていようとも
五感に何が映ろうとも
神の作りたもうたままの
本当に存在する世界には
何一つ悪しきものは無く
ただただ、神様の愛と御恵みのみが満ちているから
それに対して感謝しましょう。
 
というのが第一義でありますが
 
心の間違いや迷いによって
本来存在しない問題事、悩み、苦しみ、病が
現象世界に、あるかの如き観を呈している
ということも、実は感謝すべきことなのです。
 
なぜなら、問題事、悩み、苦しみ、病等は
人が「神様」に対して、心を向ける契機になるからです。
 
「神様」を知らず、己の「神性」を知らないままで
人生が順風満帆なのは
幸せなようでいて、実は不幸な事です。
人生の目的は
「神様」を知り、己の「神性」を知って
それを現象世界に表現する事にあるからです。
 
ならば
問題事、悩み、苦しみ、病等が
本当は、どれほどありがたいことでしょうか。
 
人生で一番大切なものに
目を向けさせてくれたのが
その問題事、悩み、苦しみ、病等だったのですから。
 
そういう意味でも、神様の作りたもうた世界に
悪しきものは一つもないのです。
 
それがわかれば
悩む事も苦しむ事も無く
ただただ感謝の念が沸き起こるのみです。
 
そうなれば結果的に
すべての問題事、悩み、苦しみ、病等は
その役目を終えて
現象世界からも消えてゆくのです。

感謝生活を続けていると

 

感謝生活を続けていると、
物事がうまくいくようになってきます。
健康になる人がいるかもしれません。
豊かになったりする人がいるかもしれません。
 
最初のうちは、そういうことに対して
「なるほど、ありがたいことだ」
と思うかもしれません。
 
しかし、だんだんに気づいてきます。
 
物事がうまくいく、とか
健康になる、とか
豊かになる、とか
 
そういったことがありがたいのではなかったのです。
 
「全てに感謝することができる自分」になった。

「全てに感謝することができる、本当の自分」が
顕れてきた
その事自体がありがたいのです。
 
現象は心の影ですから
心が良くなれば、現象が良くなるのは当たり前なのです。
しかし、そこで「現象の良さ」に捉われてしまうと
「現象の良さ」を追いかける事になりかねません。
 
どこまでいっても、現象は「心の影」であり
実体の無いものです。
それを「あり」として執着し始めるところから
心の転落が始まるのです。