那覇港~鹿児島新港フェリーの旅+新幹線で帰途

なぜフェリー

最近フェリーにはまりましてね。そして

・もし北部訓練場で弾薬とか拾えたら、フェリーなら保安検査ないから持って帰れる
・YouTubeでフェリー動画みると、本部港入港前後で、辺野古向けの砂利運搬船がたくさん見れるようだ
・入港などでの荷物の積み込み積み出しを見るのも面白そう

などあるので、那覇から鹿児島までフェリー移動することにしました。
さらに、鹿児島からはオール新幹線で。鹿児島では中央駅近くのみょうばん温泉に立ち寄ってと。

那覇港出航まで

朝6:00~6:30が乗船手続き時間帯。並んでいます。今回は1等船室(シングルルーム)を奮発して予約してます。

出航風景を撮影していると・・・なんかコンデジの具合が。多分SDカードの具合が悪そう。保存できない。ということで、まず取り急ぎ今回の撮影内容をPCにコピー。ここはできた。つまり読み込みはできる。書き込みができないようだ。容量いっぱいというわけでもない。削除もできない。つまり書き込みができない。まぁ今回の撮影内容の吸い上げはできたので、フェリーでの撮影はすべてiPhoneだのみということになった。落とさないようにしないと・・・・

本部港前後

本部港入港30分前ぐらいにデッキに出ると、おお。もう砂利運搬船が目の前に。もうちょっと早く出るべきだったかと思いつつ、静止画・動画をとる。

フェリーから本部港側だけかなと思ったら、反対側にもいる。つまり砂利運搬船の間をフェリーが通っているということ。日曜日なので搬出はないはずだけれど、あれだけ大量に停泊して待っているんだなと。1隻は砂が積んである船も見かけた。本当にびっくりするぐらいの船の数。

奄美大島:名瀬港

途中与論島とか沖永良部とか徳之島とか寄っていくのである。そのたびにコンテナの積み出し積み込みもあって、フォークリフトがくるくる動き回るのをデッキで見るのは楽しい。

で、名瀬港はもう夜だから見えないよな・・・と思いつつも寄港時間も長いのでデッキに出てみると、ちょっと変わった車両たちが見えたりする。

鹿児島港

いよいよ鹿児島港入港。やはり名瀬から乗り込んだ車両は自衛隊車両だった模様。なぜなら隊員さんたちがいた。そして下船して駅までのバスに乗車してバス発車を待っていると、横に下船した自衛隊車両が集まってきた。バスの窓がきれいならもっとよく見えるのに・・・

おまけ

鹿児島中央駅までバスでついたので、コインロッカーに荷物をぶちこんで、鹿児島中央駅近くの「みょうばんの湯」へ。温泉銭湯。しかもここのお湯は私にとって化粧水。すべすべになる大好きなお湯。カランも温泉+地下水。地下水水風呂もあるから、冷温交互欲もできる。そして中央駅からちかいというものすごくいい場所。なので、今回フェリーおりたら絶対行こうと思っていたところ。やはりとてもよかった。るんるん。

鹿児島中央駅からまずは博多駅まで。JR九州の株主優待があるので乗車券はそれで。特急券のみ購入。車内で博多駅周辺で何を食べるか調べる。アミュプラザに一人でも食べられるもつ鍋屋がある模様。ということで、博多下車後アミュプラザのインフォメーションで株主優待の500円券×5枚をアミュプラザ博多の商品券に変更して、博多名物 もつ鍋笑楽へ。
なんとちょうどいい具合に2500円のもつ鍋と馬刺しのセットがあるのでそれを。うーおなか一杯。

博多から新大阪までさくら。新大阪からひかり。ジパング倶楽部の割引を特急券まで効かせようとしたらひかりになるので。で新大阪で乗り換えのついでに駅弁を・・・とコンコースに降りたら、「りくろーおじさん」に3組ぐらいしか並んでないので、つい手を出してしまった・・・。もちろん駅弁も入手。ビフカツサンド。

ひかりはかなり外国人観光客が多い。直前に買ったのかグループで微妙にばらばらだったり。途中駅で降りるのか?と思ったらそうではないようだった。なぜひかり?と思ったら、後でわかったのだが、ジャパンレールパスはのぞみに乗ろうと思ったら「のぞみ券」を追加購入する必要があるようだった。ジパング倶楽部民と同じような理由でひかりに乗っていたわけだ。しらんかった。

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RB研修:3日目:フリータイム 嘉数高台~浦添西海岸~平敷敷七ギャラリー

嘉数高台

今日はフリータイム。行きたいところは?と希望を聞かれたので「浦添西海岸行ってみたい」と希望を伝えたところ、私も行きたいと思っていたという人がいて、結果1台のレンタカーは浦添西をまわることに。その前に友人と会いたいというメンバが嘉数高台で待ち合わせすることにしたということで、まず嘉数高台へ。

普天間基地を見下ろすところ。土曜日なので訓練はほぼお休みの模様。それでもヘリの動きは少しある。メンバとその友人さんが合流したので、少しお話をするなど。

浦添西海岸

埋め立てて軍港を作ろうとしている場所。こちらの状況には全く詳しくなく、ただ国分寺のイベントのときに浦添西海岸のパネルもあったので、行けるなら行っておきたいと思った場所。「サンエー浦添西海岸パルコシティ」がキャンプキンザーの一部返還地にできていて、そこからよく見えるし海にも出れるということ。

パルコシティの駐車場に車を止めて、まず海に出る。磯場というか浅瀬というか、きれい。魚も見える。小さなカニやシャコっぽいエビも見える。海に少し入る。サンゴのかけらで足の裏が痛い。

次はパルコの屋上から見る。これを埋め立ててしまうの?なんともったいない・・・

平敷兼七ギャラリー

浦添西海岸を出て、一人浦添美術館でまちあわせというメンバを浦添美術館まで送り、その後那覇にむけて移動。ふと運転をしていた中村之菊さんが「あ、ここへしきギャラリーが近い。寄ってみる?」というので、全然知らなかったので寄ってみることにした。

平敷兼七さんという写真家の方がいた。娘さんが美容室の隣でギャラリーを開いている。ギャラリー鑑賞とお茶付きで700円。行ったときはCollage Exhibition展というのをやっていた。ギャラリー展示を見た後、資料コーナーで資料をみながらコーヒーとお菓子をいただく。お菓子だけじゃなくてゆで卵までいただいてしまっているのだが。

ギャラリーのインスタはこちら

那覇着

ホテルまで送ってもらってとりあえず終了。明日早いので那覇新港の場所を確認。あとは夜、一緒に食事するメンバで集まって一次会まで。翌朝早いのでそこまで。ここでみんなとはお別れである。

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RB研修ツアー:2日目:辺野古~コザの夜

辺野古

まず辺野古浜のテント集合。浜のテントで説明を受ける。昔の写真があり、そこにRB松本共同代表の若いころの写真が!

その頃の私はまだ「辺野古」すら知らなかったレベルでした・・・・

浜に行くと、フェンスが台風の影響?か穴だらけ。

宮森小学校

宮森小学校へ。ここは米軍ジェット機が小学校に墜落し、18名の死者を出す事故が起きたところ。「仲良し地蔵」という碑がある。この碑は武者小路実篤が寄贈したもの。

沖縄市戦後文化資料館ヒストリート

ここは知らなかった場所。撮影を全然していないが、参考サイトはこちら。

https://www.histreet.okinawa.jp/histreet/FAA10/init#aboutHistreet

説明もしていただけたので、本当にためになった。いや知らないことありすぎ。2Fに資料コーナーもあるので、今度時間をとってじっくり調べてみるのもよいかも。

道の駅かでな

前に来た時に、行きたいと思いつつ時間の関係で断念した場所。嘉手納基地を望む場所。また学習展示室もある。

でっかい望遠レンズをつけて構えている人たちあり。金曜日の夕方なのでもうあまり飛んでいない。

夜のコザ

歌舞伎町とはまた全然違う夜の街だった。日本ぽくない、そしてガタイのいい外人さんが多い。タコスに舌鼓を打った後、コザの夜の散歩。そして民謡酒場へ。沖縄民謡が聞ける。リクエストにも応じてくれる。お客さんが演者の伴奏で歌うこともできる。

宮古出身の人が「八重山民謡でもいいですか?」と聞いたところOKだったのでリクエストしたら、三線のチューニングを変更していた。聞くとたしかに音階が違うのだ。そういうのにも対応できるんだ。すげー。と思っていたら、リクエストした人が「普通2番ぐらいまでしか聞けないんです。フルで聞いた経験ほとんどないです。すごいです。」と感激していた。コザの街は芸能の街なので、すごい能力の持ち主が普通にいたりするらしい。

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RB研修ツアー:1日目:北部訓練場

はじめに

沖縄の米軍基地を東京へ引き取る党 の「RBコラボレイターズ」研修で沖縄に向かった。

まず初日は北部訓練場の現状を知り、米軍廃棄物のゴミ拾い。高江の売店集合。とはいっても公共交通機関で行けるはずもなく、那覇空港でメンバ(の一部)集まってレンタカーで移動。

FMコザ

高江に移動する途中、沖縄の米軍基地を東京へ引き取る党の共同代表である「中村之菊(なかむらみどり)」さんがFMコザに出演するというので、冷やかし攻撃をしに立ち寄る。

高江展望台

高江売店に集合後、まず北部訓練場を見渡す高江展望台へ。

「ブロッコリーの森」という表現がほんとうにぴったり。

宮城秋乃さんからいろいろ説明を聞く。RBCの取材記者がカメラを持って帯同している。

北部訓練場返還地

ビンがごろごろ埋まっている。割れたものが多いが、割れてないものもある。

私がいた場所はビンが多かったが、電池の山の場所とか、レーションの空き袋がいっぱいの場所とか、ともかく本当にゴミが埋め放題。焼却炉のゴミなのか、燃やした後の金属くずの地層とか、もう無茶苦茶。そしてゴミ掘りに夢中だと写真を忘れる。いや、危ないから作業用手袋していると、カメラ扱うのも大変だしね。

「いつの返還地」かで、取り扱いが違うとか、いろいろあるそうだ。頭が悪いので理解しきれてない。

北部訓練場ゲート前

北部訓練場ゲート前に移動して、またアキノさんの説明を聞く。

米軍廃棄物を引き渡すために、何度もアキノさんが廃棄物を置いた場所。

だから事実上アキノさん向けの警告書などがある。親切に忘れ物を返しているだけなのに。

だけど数日前には受け取らせることに成功している。

ゲートの中では、ゲート前の我々をビデオ撮影しているよう。

話を聞いていると、ヘリが現れ着地していくようだ。

再び高江展望台

ヘリが訓練で飛んでいるようなので、また高江展望台に移動してヘリ訓練を見る

旋回して着陸離陸などを繰り返しているようだった。もう日が落ちてきているので、ぎりぎりの撮影。

おまけ

琉球放送の取材結果はこのように。

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中間貯蔵施設見学に行ってきた(2)

富岡ワインドメーヌ展望台

ワイン用ブドウ畑にある展望台から福島第二原発を望む。

2017年に撮影した第二原発がこちら。この時やっていた護岸工事が終わったという感じか。

ふたばいんふぉ

ふたばいんふぉ こちらで双葉郡の状況のお話を聞く。

双葉郡未来会議という組織で運営している。「ふたばいんふぉ」という冊子をもらったが、これがわかりやすい。人口推移など見ると、町村の状況による差が大きく出ている。
住民票は残っているが、実際の居住人口は・・・。そして実際の居住人口も「戻ってきた」のか「新住民」なのか。富岡町などは2000人ぐらいの居住人口だが、半数が移住者。

やっと部分的に戻れるようになっただけの双葉町は、まだ学校がない。子どもが戻ってこないからだ。まぁ鶏が先か卵が先かというのもあるが。などなど。

夜の森・桜通り

2017年にも訪れた夜の森の桜通り。桜のシーズンじゃないけれど。公園の復旧工事もやっていた。

linkる大熊・ほっと大熊

大川原地区に新たに作られた大熊町の中心。新しい大熊町役場と大熊町交流ゾーン
ざっと施設の概要と、ほっと大熊で行われていた昔の大熊町の写真展。

大熊町の旧施設

老人福祉施設、図書館、消防団 などを車窓から。
図書館はランドマーク的な建物だったのだが、維持管理に金がかかるので解体予定とのこと。というか今なら解体に自治体の金はかからないが、それをのがすと自治体負担になってしまうなどの理由があるらしい。

双葉高校

ここは下車して見学。とはいえ外からだけれど。時間が止まった窓の応援。
写真にある「全国高校柔道選手権大会」は出れたのか?と話題になった。いまぐぐったら、大会自体中止になっていた。まぁそりゃそうだなぁ。

双葉駅周辺

駅も町役場も新しい。周辺残った建物でのアートや駅西側の再開発住宅など。

請戸小学校

震災遺構として残された請戸小学校。2017にも請戸地区自体は見学している。その時は「津波に流されて、いくつかの残った建物があるだけで何もない」ところだった。今も基本「何もない」が護岸工事など完了しており「整理されたなにもないところ」になっている感じがする。
小学校自体は、津波の爪痕がそのまま残っている。
なお途中でデジカメもスマホもバッテリー切れで、しかもモバイルバッテリーをバスに置いてきてしまってたという事態発生。

道の駅なみえ~浪江駅

クーポンをここで使うしかないので使う。まぁみやげだ。桃の恵みなど。
首都圏組は浪江駅で解散。浪江駅は以前浪江~富岡間が代行バス時代に、代行バスで到着したので乗車したことのある駅なのだが、前回は昼間だが今回はもう真っ暗である。

おわりに

ぴかぴかの建物が建っているところ、きれいに区画整理されてるけどなにもないところ、まだ手付かずにつかいところ、場所によりいろいろだった。
ともかく「まだ全然おわってない」し、忘れてはならないことだと思う。
特に原発事故については、都民は加害者でもあるのだから。
福島から見ると、自分たちのための電気じゃなかったのだから。
自分達の電気だった女川は、補助電源の場所を「そこじゃだめだ。もっと上に上げろ」と言ってさらに高い場所にしたら、ギリギリ浸水しなかったという。そういうところが自分ゴトか他人ゴトかのちがいかなと思わざるを得ない。

中間貯蔵施設に保存している土砂の再利用について、どうだろう、ネオ東京プランの東京湾埋め立てに使うというのは。東京湾をうめたて、そこに普天間をはじめとする沖縄に押し付けた米軍基地と地方に押し付けている原発をもってくるのだ。

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中間貯蔵施設見学に行ってきた(1)

5年前の福島原発20キロ圏ツアーを企画した方から声をかけていただき、中間貯蔵施設見学を含む現在の状況を視察するツアーに参加した。正式なツアー名は


11年目の福島原発20圏内ツアー~中間貯蔵施設見学と浪江・双葉・大熊・富岡

中間貯蔵施設見学

常磐線大野駅で首都圏組が合流となっている。ひたちが遅れていわき駅の乗り継ぎを心配したが、乗り換え予定の普通列車が接続をとってくれたので一安心。
大野駅からまずは中間貯蔵施設に向かう。

今回は中間貯蔵施設見学を含むツアーだが、中間貯蔵施設見学だけを単独で申し込む方法があるそうだ。詳しくはこちら。
https://www.jesconet.co.jp/interim_infocenter/observation.html
今回はこの「大熊コース」での中間貯蔵施設見学となる。

まず中間貯蔵工事情報センターでDVD等での事前説明。その後貯蔵施設群の見学となる。

中間貯蔵施設とは

福島県内の除染に伴い発生した除去土壌や廃棄物、10万Bq/kgを超える焼却灰等を貯蔵するための施設。現時点で福島県内のこれらの93%の中間貯蔵が完了しているとのこと。よって当初はトラックの行列やベルコトンベアのフル稼働などあったが、県内各所からの輸送のピークは終わったので、ベルトコンベアは撤去が始まっているとか。

(そういえば声をかけてくださった方と知り合ったきっかけは、陸前高田のベルトコンベアツアーだったっけ・・・土木萌え属性が・・)

サンライトおおくま

今回のハイライトと言っていいだろう。元老人ホームの施設のところから第一原発を望む場所。ちゃんと見学台が準備されている。

中間貯蔵施設も見える。そして福島第一原発も見える。そしてここは「サンライトおおくま」という老人福祉施設だった場所なのだが、急いで避難したということがよくわかる状況のまま残されている。

大熊③工区土壌貯蔵施設

(除染土砂の)中間貯蔵とは何かが一番よくわかる場所。そのための解説も含めてコースに当然なっているということだろう。

谷状になっている場所を除染ででた土砂で埋めていくのだが、まず遮水シートを敷いて貯蔵土砂を通った雨水などが外に出ないようにする。その上の排水用のパイプを準備する。(除染土砂を通った雨水などを回収して処理のため)土砂を投入して、その上にまた遮水シートで覆い、その上を通常の土砂で覆って終わりとなる。

もう完全に埋め終わったところ、貯蔵土砂のうえの遮水シートを敷いたまでのところ、今貯蔵土砂を投入中の場所と、違う工程の状況を見ることができた。

ほかにも車窓からいろいろ見たのだが、外に出ての見学はこの2か所だったかな。2か所目の見学の最後に、制限区域に出入りしたのでバスに乗る前に靴底のガイガーチェック?をされた。問題なし。

東日本大震災・原子力災害伝承館

伝承館に入る前に、伝承館の隣の双葉町産業交流センター屋上から、周りの景色を見る。ちょっと前までは草生す場所だったはず。(Googleストリートビューだと2013年の景色が見えた)なにもないが、突然整備された建物が出てくる。まわりは廃炉作業や解体作業を請け負う会社や作業員のための宿舎など。

そして災害伝承館へ。有名なアレのレプリカが屋外に展示してある。暗いしでかいのでうまく撮れてない。まぁレプリカだしね。

見学終了後、ホテルに向かう前に制限区域にバスが入っているので、いったん計測所?に行ってバスの計測後にホテルへということに。計測所は撮影禁止。

なぜ「福島」原発なのか

今日中間貯蔵施設見学で、JESCOの職員として案内してくれた方が、翌日の案内をなさると聞いた。そしてその方が交流をしたいとホテルにきているということで、夕食後に希望者だけでおしゃべり会のようなことをした。
その案内してくれた方の言葉。

東北電力の原発は?:女川原発
東電の原発、新潟にもあるよね?:柏崎刈谷原発
ねぇ、なんで「双葉大熊原発」じゃなくて「福島第一原発」なんだろうね

!!!!!!

たしかに「泊」「川内」「伊方」「大飯」とか町村単位の名前だよね。

案内の方の仮説は「誘致が県によって行われたからじゃないか。町に選択権がなかったのでは」

気が付かなかったけど、大事な視点かもしれない。

翌日編につづく(はず)

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開票立会人やってみた

開票立会人というものをやってみた。

0.開票立会人とは

そもそも開票立会人ってなに?と思うじゃないですか。

わたしはたまたま友人が以前衆院選の比例の立会人をやって、手記を書いたのを読んでました。なので存在は知ってましたが、誰がどう申し込むかまでは知らなかったのでした。

今回の参議院選挙で、東京選挙区に立候補した「なかむら之菊」さんのお手伝いをした関係で、「誰かやってみたい人いる?」と声がかかったので、興味深々で手を上げました。

開票立会人は、その選挙区の選挙人名簿に登録がある人が、候補者の選任によって行うもので、1開票所あたり3名~10名で行う。選挙区と比例区とそれぞれ。

私は「なかむら之菊」さんの選任で、新宿区の開票所の選挙区ということで申し込みを行った。

開票立会人届出書というものを書いて、新宿選挙管理委員会に届け出ました。

開票立会人届出書の様式がこちら

・投票日の3日前(木曜日)の17時まで届け出る

・締め切った結果、10名を超えた場合はくじ引き

・立会人の決定が電話でくる

・立会人決定通知書がレターパックで送られてくる

・(新宿区の場合)金曜日に説明会

1.説明会

金曜日に説明会ということで、会場に向かう。18時からなので正面から入れずにちょっとあたふたした。

資料が渡される。大きく2種類

1.開票立会人事務要領

  要するに開票立会人がなにをするか、また開票作業の主な段取りについて記載されたもの

2.投票の効力判定に関する判断基準の例示

  有効・無効になる投票の記載例、および今回の候補者の場合で按分になるケースの例など

この2種類目の判断基準が実に興味深い。基本的には「できるだけ救ってあげよう」という精神が基本だが、「みわけがつく」ことが大事。あと「余計なことは書いちゃダメ」●とか×とか💛とかだめね。

2.当日(1)-開始前まで

所定の時刻(20:20)に開票所の立会人控室に集合。担当者の案内により開票所に移動するのだが、不正を疑われないように

・バッグは持って入らない。(控室に置いておく)

・携帯/スマホは持ってもいいが、操作する場合は会場から出ること

・飲み物も書類も会場には持ち込まない。適宜休憩を控室でとってよいので、控室で水分は補給してくださいとのこと。(ポットとコーヒー類はあるとのことだが、暑いから熱いのは・・・持ち込んだペットボトルを使った。)

・確認でたくさんハンコ押す。その「チェックしました」ハンコはシャチハタでよいということで、日当受領用はシャチハタではなく認印ということなので、ハンコ2種持ち込み。

3.当日(2)-最初の速報が出るまで

場所はコズミックセンター2Fの大体育室。立会人はステージ上から。さらに観覧者は3Fから見学可能。

大勢のスタッフが持ち場につき、投票箱があつまり紐と鍵は外した状態。まだ明けてない状態。20:45から開票開始ということで、時報が流れる中、20:45に開票管理者(選挙管理委員会委員長)の開票の号令で開票が始まる。

このあとの手順は、以下の通り。フロアでスタッフがやっているのを見たらこんな感じというもの。

1.投票箱の中身を空ける

まず、投票箱を開けて中身を机の上に広げる。そして投票箱が空になったことを確認させるために、担当者は空になった投票箱が空になったことがわかるように、開票立会人のほうと見学者のいるほうにむける。頭上にあげてくる。たいへんそう。正直すべての投票箱が空であることを自分が視認できたかというと違うけど、立会人だけでなく観覧席にも向けている(おそらく観覧席のほうが見やすい)から、ごまかしはなさそう。

最初各投票所からの票を「まぜる」と説明されたとき、「傾向と対策のために混ぜないでってわけにいかないのか?」と思ったのだが、「ウチの集落は〇〇さんに入れろ!」みたいな話があったりすると、そこの集落で別の票があったとかヤバイので、やはり秘密投票を守るために混ぜるのだと理解した。秘密投票を守るためにできることはやっているのだ。

2.イチゴケースみたいなプラケースに票の向きを揃えていれる

読み取り機にかけるため、票の向きをそろえる

点字投票などはよりわけて担当に引き継ぐ

3.読み取り機にかける

読み取り機でおおよそわける。機械で処理できないものは人手で分類する。

疑問票などはここでその担当に渡される

4.読み取り機でわけられたものを、人が確認する

例えば「朝日けんたろう」とわけたものが置かれる台があり、その台では「朝日けんたろう」かどうかを人がチェックしている模様。

5.枚数カウント機にかけて、100枚束を作る

枚数カウント機にかけ、100枚束を作る。カウント装置は落下式と銀行式の2種類両方で計測する。

6.100枚束をチェックしながら500枚束を作る

100枚束をパラパラして混じっていないか確認し、同じ候補者の100枚束を5つ集めて500枚束にする

作成された500枚束を受け取り、500枚束としてパラパラチェックをして、ほかのものが混じっていないかチェックする

7.500枚束を集計部隊に引き渡し、得票数としてカウントする

8.速報のタイミングで、集計部隊に引き渡された500枚束が開票立会人の目の前の机に置かれる。立会人はそれを自由に手に取って確認してよい。(任意チェックなので確認しなくてもよい。)ただし束を分解してはいけない。(混票事故を防ぐため)

9.速報数字を確認してシャチハタ押す

1回目の速報は、1-5の手間があるので、500束はまだ少ししかできていない。

山添、竹谷、朝日、蓮舫、いくいなの5名分それぞれ1束のみだった。

4.当日(3)ー90%越えまで

読み取り機の処理は終わるので、束を作っていく作業になっていく。

おおまかな分類~読み取り機あたりの作業をしていた人は作業おわりで帰っていく。

30分おきに速報がでるが、500束がおおくなってくる

このあたりは速報時間以外はまぁ休憩を取りやすい。

5.当日(4)ー立会人のお仕事

立会人の必須確認業務が出てくる

1.点字投票の確認

点字投票は、点字を解読してくれる人が書いた紙が一緒についてきて、人ごとに分けられてまわってくる。特に問題なさそうならハンコ押す。点字読めないから解読者を信じることにはなるんだけどね。ヘレンケラー協会とかに依頼して、開票所に来てもらうらしい。

解読できて有効だったものと、無効分にわかれてくる。無効分は「なし」とか打たれたものや、東京都選出の用紙に政党名を打たれたものなどがある

2.疑問票として扱われて、結果有効票として扱われたもの

疑問票という扱いになり、選挙管理委員会の判断の結果有効票として扱われるものについて、これは投票用紙を確認してその判断に対してハンコを押すことになる。

例えば「蓮肪」とか「いくない晃子」とか誤字系

3.無効票

無効票と扱われたものについて、確認してハンコを押す。

無効票にもさまざまな種類がある。

候補者名以外の何かを書いたもの。

そもそも候補者名ですらない、他事を記載したもの

私以外の立会人で、無効票から「これは●●さんでは?」と救済できそうなのを見つけ、検討結果救済されたものがあったよう。そのときその無効の束を丸ごと再チェックしていた。

基本的には「極力救済する」なので、立候補者の組み合わせにもよるが、誤字脱字系は結構救済される。「余分なものを書いた」は救済されない。

4.按分票

「名字だけ」「名前だけ」などの記載の票で、同じ苗字だったり同じ名前だったりする候補者が複数いる場合、按分となる。

今回は「なかむら之菊」「中村高志」となかむらが2名いるので「なかむら/中村」のみの記載はこの2名での按分となる。

ほかに「セッタケンジ」「河野けんじ」がいるので「けんじ」票が按分。

5.白票

白票の束も確認対象

6.500枚未満の束

500束は任意確認だったけど、500未満は必ず確認として開票立会人は確認してハンコがいる。500未満は当然だが最後になって出てくるので、この最後のハンコ押しがたいへん。

6.当日(5)-おしまい

それまでに上がってきた票は、ステージ上人ごとに分けて積み上げられていた。(観覧席からわかりやすいように)この票を箱詰めして封印する。段ボールにつめ、ガムテをし、さらに白い幅広のテープで巻いて、テープのかさなったところに立会人が割り印を押す。これが最後のお仕事。

そして最終結果が印刷される

あとは日当をもらって受領印を押して、帰ります。(日当受け取るほうが割り印よりは先だったけどね。)

日当は額面14,000円、手取り13,828円。拘束時間が20:20~2:30ぐらいだったかな。6時間ぐらい。深夜割増あり(笑)。

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伊藤千尋さん講演メモ2

伊藤千尋さん講演メモ2

話しの中でコスタリカのことではないが興味深かったもの

講演会で、東北だと目の色が違う。キラキラしている。なぜか。

→野党共闘で、秋田以外は勝利した。この成功体験があるので「やればできる」と思っているから。

運動の内部対立など

被爆者でも、水俣病などでも、長崎や熊本は、それぞれ社会党系、共産党系、新左翼系と団体があり、おたがいいがみあっている。

新潟も水俣病がある。ここも団体は同様に分かれている。でもお互いのいがみ合いはない。なぜか。

→混乱したときには原点に返ろう。運動のスタートは?

→患者さんのため!

→だったら患者さんのために「それぞれ」がんばろう。

→それぞれの団体が競争して患者さんのために動く

→ハッピー

この考えが根底にあるので、突然の知事選などでも共闘がまとまれる。

911のあとの日本とアメリカ

911のあとのアメリカ。人を見る目が疑いの目になった。

そのあと日本に帰ってきて、変わったなと思ったことがある。それはなにか。

→指圧やマッサージの店がものすごく増えた。

日本は「疲れ果てる国」になったと感じた。

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2018/10/20 小国コスタリカは今 伊藤千尋さん講演メモ

なぜ軍隊をなくしたか
・内戦への反省
・軍事費にカネがかかりすぎ
なにカネを使えば社会は発展するのかをかんがえた。

目指したもの
・平和立国
・教育立国
・環境立国

軍隊なくしたときのスローガン
「兵士の数だけ教師を作ろう」
教育は高校まで無償。
大学も70%は奨学金(返済不要)
残りの30%も、3万円/年

「自分で考える教育」
入学して最初に教わるのは
「人は誰も愛される権利がある」

自然を壊すのは、欲と無知
無知は教育で制御できる

平和を輸出する。
平和に積極的に貢献する。(実際に近隣3つの国の内戦を終結させた)
あの核兵器禁止条約も、コスタリカ提案。

「この国を攻める国があれば、世界がほおっておかない。」
国際社会に守ってもらう。

憲法は必ず実社会に反映させなければならないという考えかた。
市民からの監視が必要。これこそが市民の義務。
コスタリカは違憲訴訟の窓口は24時間365日オープン。
小学生も違憲訴訟を起こす。
大統領を違憲訴訟で訴えて買った大学生もいる
その彼の言葉
「憲法が危機に陥ったとき、国民には戦う責任がある」

権利は行使しないと手元から逃げていく

権力は腐敗する。
だから、コスタリカは、国会議員になると、次の選挙は出れない。
(連続はできない)
そういう「法律」をつくる。

国会議員も、公務員も、男女クオータを法律で規定。
選挙は比例代表のみ。

誰も排除しない
人口400万のときに、ニカラグアの難民100万受け入れている。

質疑応答より
・何をすればよいか→やれることからやる!
・若い人たちに・・→発信しろ!スマホから!
・難民100万てどうしたの?
→自立できる手伝いをした。農業国なので人ではいくらでも欲しい。
日本で言う外国人労働者。3年たつと国籍も与える。
自立してもらって、税金も払ってもらえるようにするだけ。
お客様にするのではない。
・貧富の差は→あります!別にコスタリカは天国じゃない
・デモとか→あります!別にコスタリカは天国じゃない

・やる前からあきらめるな
・仕組みを作れ。アイディアはコスタリカにある
・メディアも市民が作る。いい番組をやったときに、ほめろ。
その声がメディアを変える。文句をいうだけではだめ。
・「だれかがやってくれる」じゃだめ

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福島原発20キロ圏内視察ツアーに参加して

まえがき

以前、陸前高田のベルコンツアーに参加したが、その企画をした会社の方から連絡があり、今度は福島原発20キロ圏内視察ツアーを行うという。「詳細決まったら声かけてください!」とお願いし、ツアーが決まったら早速申し込んだ。

なぜ申し込んだか。それはもうただただ「自分の目で見たい」の一言に尽きるといっていいだろう。そして私は免許を持っていないので、自分で車を飛ばすわけにもいかない。そして、「現地の人の声を聴きたい」これもある。もちろんこのツアーも現地の方のお話が聞けるものである。

「被ばくするってわかってるのに、勇気あるね」と言われたりもした。

が、少なくとも国が走ってよいと言った道路なので、即死だけはないだろう(笑)

そして

なにより、自分が願ったわけではないが、福島原発は首都圏の電力のために作られたものである。福島に犠牲を押し付けて、東京の人間が安全圏で見ないふりをするのはおかしい。

というきれいごともあるが、今はやめているが喫煙者だったので、明らかに危険であるタバコ吸いが、放射能だけ恐れるのはおかしい。というのと、もと化学科でベンゼンなど体に悪そーーーな薬品を使ってたし。つまり、すでにいろいろ悪いものとってるから、いまさら放射能ぐらい。という気分が大きかった。

まぁ能書きはさておき、そもそもツアーが成立するかどきどきしたが、成立したのでほっとして、仙台へ向かう。

このツアー企画会社は岩手県の会社なので、ツアーは盛岡発の日帰り往復。仙台での途中乗下車可能。ということで、仙台から参加した。

①松川浦

少し早いが松川浦の斎春商店で昼食。食後、すぐ前の港へ。

みんな真新しい船。そういうことか・・・とちょっと思う。

②浪江町

常磐自動車道浪江インターチェンジ

ここから今日のガイド役の富岡町の語り部さんが乗ってくる。

インター出口に、線量計の表示。

この浪江IC自体は帰宅困難区域。

避難指示解除準備地域に向けた道路の通行を可能としている。

インターから出た道を左折はできない。

帰宅困難地域は家に入れぬようバリケード

請戸地区。津波にもやられたところ。帰宅準備地域になったので、最近ようやく片付けが進んできたところ。語り部さんから、「私は富岡なので、浪江にはくわしくないんだけれど、ここの消防団の人が、3/11 の夜、”明日の朝重機入れて助けるからなー。待っててくれー”と言って引き揚げたが、原発で避難命令。助けられずに逃げた・・・というつらい思いをずっとかかえていた。という話を聞いています」とのこと。(この話は、3/8にアニメ「 浪江町 消防団物語「無念」 」でまた出会うことになる。書いてても泣けてくる話だ。)

請戸からは、遠く福島第一原発の鉄塔が見える。

請戸から津島地区に避難したが、実は津島は線量が高く、それを知らずに外で子供を遊ばせてしまったという親の後悔。もちろん再避難。先が見えない。

③浪江~双葉~大熊

国道6号を南下していく。途中福島第一原発に最接近する場所がある。

「天気が良くて団体だからいいけれど、天気の悪いときとか、夕方とかにここを走ると落ち込みますよー。」と語り部の方。たしかにまわりは人がいない、荒れ放題の場所。しかも人がいた形跡はそのままに。朽ちていく建物。

「田んぼはねー。5年放置すると木も生えるんですよー」

お約束のフレコンバッグ。いっぱい見たね。

④富岡

「今の作業は除染か解体ですね」

まずローソク岩があった場所が見えるところから、福島第二原発を望む。

ここはギリギリ1本外部電源が生きてたので、その外部電源を人力でケーブルを9000mつないで、冷却がギリギリまにあった。残り2時間ぐらいだった。なお、非常用電源はタービン建屋の地下にあったので、津波でパー。

そのときの富岡の話。

・停電しているので、ニュースは入らない

・若い人たちが、メールなどで「原発危ないらしい」というウワサがひそひそと流れる

→まだ他人事だった。

3/12、原子炉がら「ゆげ」が出ていた。

3/12朝はまだ爆発していない。

避難命令は爆発の前だったので、まだどっか他人事。万が一の避難で、大丈夫だろうとおもっていた。どっかでなんとかなるという期待。なので、避難とはいっても2-3日分のモノしかもっていなかった。

避難指示は山超えて隣の村だった。100歳近い年寄りと犬がいたので、避難所はムリと判断して、親せきを頼ることにした。これによりもう行政の枠からははずれて自己判断でやっていくしかないということ。誰も頼れない避難の始まり。

預金もおろすのに最高10万までといった預金封鎖があった。

みんなすぐ戻れるつもりだったのに、戻れなかった。すぐ修理すれば使えたのに、すぐ修理できなかったため、雨漏りやネズミで家はダメになった。

盗難も多かった。茶道具など中身とフタだけ持っていくなど。箱はあるので気が付かない。ネットオークションに出すらしい。追跡して犯人を捕まえたケースもあるらしい。広島の古物商だったとか。家の扉など、壊されたのを修理してもまた壊されるので、もうガムテを張るだけにしたとか。

ネズミにやられると、もうあの「ニオイ」がだめ。

もともと富岡は、繁殖牛。ブランド牛がここで生まれるところ。おいて逃げた牛が野良牛になったとか。今、ボランティアで牛の世話をしている人の牧場がある。

人のいない街。ぱっと見、ここが「被災地」であることがわからない、不思議な場所。

道路1本で、4/1から居住可能になるエリアと帰宅困難区域が分かれている。

写真を撮っている側は、4/1から帰宅できる場所。桜の名所でもある。

「桜の街に、住民戻る」とか絶対マスコミ来そうだね!と話をする。

「帰宅可能区域になるということで、ここ数か月で富岡はめまぐるしく変わりました」とのこと。富岡駅とか壊れたままだったのか、片づけられたそうな。

避難先に家を建てた人でも、住民票は移してないいない人が多い。心はまだ残しているんだろうね。

まず戻るのは、じっちゃ、ばっちゃだけだろう。

子供が帰ってきたときが、本当のスタートだろう。

もう元には戻れないんだ。元に戻れないのに「復興」っておかしい。

田んぼがメガソーラーになったところが、そこここにある。語り部さんは「私は農家じゃないのですが、なんか悲しい」と言ってました。「わかるけど、でも、本当にそれでいいの?って思う」と。(すいません。写真ありますがブレブレなのでカット)

おわりに

このツアーのあと、3/3にヒューマンライツナウのイベント「3.11を忘れない ~被災地の課題を考える~」に参加した。ここの質疑応答タイムで、質問じゃなくてもいいというので、このツアーの話をした。浪江の消防団の話をしたところで、話しながらこみあげてきて声が上ずるのがわかった。そして、3/8に江古田映画祭でアニメ「 浪江町 消防団物語「無念」 」を見て、また泣くことになったのである。

さらにおまけ

実際電気は、送電ロスが大きい。だからできるだけ消費地の近くで発電するのがロスが少ない。広瀬隆の「新宿に原発を!」という本があったが、論理的にこれは正しいのである。いまでも千代田区の真ん中に大きな土地ありますよね。本当に原発が安全で電気が不足するなら、あそこに作ればいい。

メガソーラも、同じ理由(送電ロス)で賛成しない。「それぞれの家で太陽光パネルのっけて、自給自足する」のがいいと思う。送電ロスがないから。じゃ、メガ発電は?というのは、日本は地熱か波力だと思うんだけどな。火山と海の国なんだからさ。

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