イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

外科医エリーゼ:第12話『道』感想

 人生三回目の転生令嬢よ……迫りくる死の恐怖を越え、難病に立ち向かえ!
 チート知識と骨太な生き様でもって、かつて間違えた人生を新たに生き直す物語、外科医エリーゼアニメ最終話である。

 医師試験をフィナーレに持ってきて、全体としてはまだまだ続くけどキッチリ難局を乗り越えた満足度がある終わり方で、大変良かったです。
 『さんざん手術チート見せつけてきたし、フツーに難試験通ってもなぁ……』って状況だったけど、皇帝陛下を襲った正体不明の難病、愛しい人に降りかかる疑惑、迫りくる恐怖の白刃と、ガンガンに脅威度上げてクライマックス感をしっかり出した結果、納得いくフィニッシュになった。
  っっぱエリーゼさんのお話が幕を閉じるなら、こんぐらいのハッタリとワッショイはぶちかましてもらわねーと困るぜ!
 ……いやマジ、最後の最後までいかにエリーゼが凄いことしているのか、徹底的に口で喋り周りがビックリしながら持ち上げていて、ジャンルのプロトコルがどんなもんかを、門外漢に良く教えてくれる作品だった。
 『こういうのもアリだなー』と思えたのはやっぱ、ワッショイどころが”医療”であり、誰かを助けて世に認められていくという素直な構造、それにふさわしいキャラ造形が、僕と相性良かったんだろうね。

 

 というわけで前回衝撃のヒキ、ロクでもない貴族派が白刃ぶら下げて襲いかかってくる流れは、その首魁が白馬の王子役を買って出て解決された。
 最終エピソードに当たり急速な治安悪化が見られたこのお話、ミハイル殿下戦場仕込の殺人技術が図抜けて高く、息をするようにスムーズに人命奪える様子を、かなり気合の入ったアクションで描写してくれた。
 ぶっちゃけヌルい展開も多かったお話が、最後の最後に鳩尾に西洋剣ぶっ刺す描写を全力で叩きつけてきて面食らいもしたが、まーそんくらいロクでもない話だってのもちゃんと描いてきたので、異物感というより意外な面白さであった。
 末端の暴走を抑えられないくらい、貴族派も一致団結というわけではなく、腹違いとは言え兄弟を引き裂いて対立している情勢も、そこに付け入る隙を見出しどうにかなるかも……くらいの収め方。
 リンデン様との恋路と合わせて、帝国を二分する不安要素も未来に引き継ぎ未解決ではあるが、この『どうにかなるか……』感があるおかげで、納得しつつ幕引きを受け入れられた。

 1クールで語り切るには大部な原作なんだと思うし、最初っから資格試験突破までを見据えて話を編まないとこういう作りにはならないだろうけど、見定めた分のネタはしっかり書ききり、エリーゼを取り巻く諸課題、それを越えていける可能性をちゃんと書いて、いい塩梅に収まった感じ。
 そもそも皇国の内部対立がメイン課題にならないよう、エリーゼ個人の問題にフォーカスしながら話を勧めてきた感じがあり、その上で最後にふさわしい大ネタとして今回引っ張ってきた形なので、ここら辺の調整は巧かったと思う。
 エリーゼ自身が言っていたように、全然まだまだ道は続く幕引きになったわけで、デカい課題に齧りついたところで終わるのは、そこにちゃんと歯が立つ手応えを描いてくれた所含めて、今まで積み上げてきたものに嘘のない幕引きだった。
 医者としての修行、人間としての艱難辛苦は二度の前世で終わらせてきたわけで、だからこそ未だ越えたことがない大きな難問に挑み直して、三度目のベストエンドを目指していく物語の行く末を、アニメで見たい気持ちもあるけども。
 今は書けるだけを適切に選び取り、ちゃんと描ききった心地よさに感謝したい気持ちだ。

 

 つーわけで眼の前喫緊の第問題、皇帝陛下の”命”を救え!
 ”超執刀カドゥケウス”みてーな問診ミステリを時代を越えた知識でぶっ飛ばし、目視による開胸心臓手術敢行ッ!(多分人工心臓とかもあるッ!!)
 ……”異修羅”でも思ったけど、転生チートにより自然な社会発達をぶっ飛ばし、物語進行に必要な技術や物品だけを生み出す語り口、背景になっている社会がメチャクチャ歪になるので、便利だけど結構あぶねーなと思った。
 そういう所考えだすとキリないし、実りもないし本命でもないのでアタマから取り除いてはいたけども、主役の医療無双をぶっこむために結構軋んでいる部分はあって、でもまーそこ引っくるめて楽しむもんなのかな、くらいの認識。
 なにしろロングソードで殺し合いできる文明レベルなので、検査機器もそこまで超進歩しているわけではないと思うのだが、数字の裏打ちがないギャンブルに国父の命を張るエリーゼさんの侠気、やっぱハンパねーぜ……。

 そんなハチャメチャを周りに認めさせるだけの実力と実績も、この医師試験受験生たしかに持っているわけで、血栓除去……を越えて、糖尿病発症の根本原因でもあった悪性リンパ腫完全除去! 腫瘍マーカーとか調べんのでいいの!!?(その話はさっき終わった)
 ”一周目”ではなんもできんまま死なれて、要石を失った帝国が動揺した結果一族皆殺しの憂き目にもあったわけで、運命改変モノとしてもデカいイベント達成したなぁ。
 自身の疑惑を晴らし、オヤジの生命を救ってもらったリンデン陛下の好感度も既にカンスト
 お互い好き合ってるのに触れ合わないもどかしさを残して、しかしこっちも『どうにかなるかも……』という期待感を描いて、一時保留の未来に続く! となった。
 結果は分かりやすく示されていて、そこに至るまでの寄り道迷い路が面白い……という作りなので、リンデン様とどーにかなるまでの悪戦苦闘を見届けたい気持ちはあるが、それは原作で……つう話なんだろうな。
 さっきも言ったが、アニメの範疇でできる限りを、しっかりやってくれたのは大変ありがたい話ね。

 

 そんなアニメの物語を牽引する、メインエンジンになっていた王様との賭けを、エリーゼから譲る形で継続したのも、道が続いていく話が爽やかにまとまっていく上で、とても良かった。
 謙虚な生き様と誰にも何も譲らない主人公っぷりを同居させ、世俗の栄光やら表向きの勝ちやらをどーでもいいと投げ捨てつつ、人間にとっていちばん大事なものは何一つ譲らねぇ強欲を、清廉に輝かせているのが、この話で俺的に一番面白いポイントなわけだが。
 よりにもよって皇帝相手に『勝負継続ッ! 試験受かった程度で”人間”図られちゃたまんねーぜ!』と、爽やかに破天荒に突っ走る形になっていて、大変良かったです。

 やっぱエリーゼさんの人格が清らかかつパワフルで、運命に翻弄されるお姫様に見えてバリッバリに自主性と実力があり、ガンガン運命の扉を蹴り開けていくタイプなのが、見てて気持ちよかったです。
 二回の前世でさんざん辛酸を嘗め、反省も後悔も山盛り積んだ上で今生を望みのままに生ききるという、尊者の修行譚みたいなテイストが作品全体に漂っていて、やっぱ僕と相性良かったんだな……。
 オタク向けフィクションを軒並み、仏教説話に変換して飲み込む人間だからね……。

 そういうエリーゼ節に惚れ込んで最後まで見てきた人間としては、現世最高権力者にも一切物怖じせず、ただただ己の”道”をひた走る途中なのだと、眩しく描いて終わったの、大変良かったです。
 アニメ化という難行において、原作の何をどこまで描くのかはとても難しい選択だと思うのですが、アニメを契機にこの作品に触れた自分にとって、このアニメ化が選んでくれた描き方は肌にあっていたし、収まりも良かった。
 肩の力を抜き、時にツッコミ入れつつ素直に楽しめる作品を最後までやりきってくれて、とても良かったです。
 そういう、自分たちが選んだ”らしさ”を揺るがすことなく完遂してくれるお話は、やっぱり好きだ。

 

 

 というわけで、外科医エリーゼ全12話、無事完結とあいなりました。
 大変良かったです。
 正直転生ジャンルは体内に物語分解酵素が少なく、流行ってるのに食い方がわからない状態だったのですが、医療という武器を逆手に握り人間力で殴りつける、エリーゼ”三周目”の奮戦はとても面白かった。
 主役凄いと持ち上げる踏み台が、命を守り未来を生み出すポジティブなものであったり、悲恋に終わった想い人との新たなロマンスが華やかだったり、面白いなと思えるポイントが多々有りました。
 作画はスーパーリッチってわけじゃないけど、何を描きたいかはちゃんと伝わる水準をしっかり維持してくれて、要所要所では力の入った演出も見れ、総じて良かったです。
 最終話のミハイル殿下惨殺剣、冷たい殺意のある良いアクションだったなぁ……。

 全体的に善良で聡明な人たちが多く、あんまノイズなく主役がワッショイされる作りだったこと。
 作品全体を使って持ち上げられるエリーゼが、そうされるに相応しい人格を転生の中でしっかり育んでいたこと。
 主役の医療無双にフォーカスを合わせつつ、思いの外複雑な国内情勢をスパイスとして活かし、いい塩梅のコクが出ていたこと。
 面白いポイントが多岐にわたり、大変良かったです。

 真ん中辺りからエリーゼさんを、『誰も傷つけない、命を救う任侠』として見ていたきらいもあり、それは全く持って原作の素直な受容ではないと思うのですが……俺の食い方だとこうなっちゃうんだからしょーがないだろッ!
 ほんとエリーゼさんが、ドレスの似合う手弱女の外装をぶち破り、あふれる情熱と慈愛で全てを踏破していく”侠”だったのは、そういう飯しか食べれない俺にベストマッチだった……。

 とても面白く、1クールの物語を楽しませていただきました。
 早い段階から特級難易度の医師試験をゴールラインに据えて、サブキャラの魅力を掘り下げたり、特大級のアクシデントでクライマックスを飾ったりしながら、勢いを殺さず走りきれた構成、大変良かったです。
 肩の力を抜いて楽しみつつも、お話をバカにするのではなく自分なり膝を正して向き合う、ちょうどいい距離感で楽しむことが出来て、自分もありがたかったです。
 お疲れ様でした、ありがとう!!

僕の心のヤバイやつ:第24話『僕は伝えたい』感想

 2クールの長きにわたり繰り広げられてきた、付かず離れず青春大決戦も遂に最終局面!
 中学生の一大イベント、修学旅行を舞台に浮かれる心と流れる涙……仕事と好きピ、どっちが大事なの!!?
 怒涛のごとくひた走る、ラブコメ暴走超特急のフィナーレを見届けろ! な、僕ヤバ第24話である。

 二話構成の修学旅行エピを、爆エモAgraph劇伴に背中を押された泣きダッシュで決着……させると思いきや、激ヤバ女子部屋潜入でコミカルに引いて本戦は次回! という作りだった。
 この回またぎを成立させるべく、結構な再構築がなされていたわけだが、周りも自分もな~んも見えてないクソガキから、山田に恋してちったぁ世界が見えてきた京ちゃんの、”今”の視界を最後に再確認する話に、しっかりなっていたと思う。
 中学受験に失敗し、自分はダメなヤバいヤツで世界は下らない怖いところだと思いこんでいた……思い込むことで自分を守っていた京ちゃんは、眩しい光の中で山田杏奈が血を流しながら泣いているところを見上げて、ちょっとずつ目を開きだした。
 思いの外自分は大事にされていて、やりたいことも出来ることもそれなりにあって、目の前にいる人には尊敬できる部分が結構あって、世界は思いの外楽しい。
 そう思えるようになったからこそ、修学旅行相手に『ケッ!』と斜に構えつつも、心ウキウキ楽しい学校生活をエンジョイできている。

 

 そうさせてくれたのは、山田杏奈を好きでいて良い自分になるべく、京ちゃんが色々勇気出して頑張った結果、自分を変えた(あるいは取り戻した)からだ。
 好きになれる自分を見つける、一番大きな手助けをしてくれた人を好きになるという、すごく素直で真っ直ぐな恋心は山田にも同じであり、だからこそ京ちゃんと一緒の修学旅行をオーディションより優先して、涙を笑顔で覆ってはしゃぐ。
 仕事諦めるのも仕事のうちと、大人びたふりをしてるのに感情の起伏は激しく、密かに泣きじゃくる子供っぽさに気づかないまま、京ちゃんは奈良まで流れてきて、もうひとりの自分と対話しながら、山田が闇の中泣いている様を見る。
 そういう、パッと見の奥にある強がりとか痛みとか優しさとか、人間の柔らかな部分に目を向けて大事に出来る、強くて優しい人に本当はずっとなりたかったのに、なれてないガキな自分を思い知らされる。

 『ならもーなるしかないじゃん”男”にッ!』つうわけで、決意を込めて猛ダッシュするわけだが、ここで一回膝カックン、この話がコメディであることを思い出させるように、ドキドキハプニングで次回に続く!
 時折重たくシリアスな雰囲気を匂わせつつ、前編となる今回はいつもどおりの楽しいワイワイに満ちて、前回男の決闘を果たした足立くんもおバカな元気さを取り戻してくれてて、笑いつつもホッとする仕上がりだ。
 ここを滑走路にして、次回エモーションの極限までノーブレーキで加速していく終幕を描く……ってことだと思うが、女子部屋で演じられるトボケが混ざると、待ちに待った告白がブレるつう判断が、再構築の裏にあるんかなぁ。

 こぅして順番や見せ方を変えられると、当然印象も全然変わってくるわけで、実は『原作通り』のアニメ化なんて全然期待してなくて、常に『原作以上』のアニメ化を願っている自分としては、幾度目かの面白い挑戦だなぁと感じた。
 僕は原作好きでずーっと読んでるけども、のりお先生がWeb漫画で描いているもの、描けているものとアニメで描くべきものは当然違うと思うし、このアニメ化は結構そこら辺のギャップを鑑みつつ、アニメがやるべきこと、出来ることをやってくれた作品だと感じている。
 原作でフルスイングされている生っぽい下ネタは適度に加減しつつ、山田と京ちゃんのピュアラブっぷりに強くフォーカスして、音楽と色と動きがあるアニメの強さを適切に使って、色んな奴らがワイワイやってる世界の善さもちゃんと書く。
 一話早いけども、『様々な工夫を色々頑張ってくれて、大変良かったです』とまとめてしまっても良い、素敵なアニメ化だったなと思う。

 (まぁここら辺の手際を信じきれず、一期終盤で筆が止まったりもしたのだが、二期再開に当たりガッツリ5回ほど原作と合わせて見返し、自分なり”アニメ化”と向き合う角度を整え直せたのは、終わってみればいい経験だったと思う。
 安楽な視聴態度を投げ捨て、がっぷり四つに作品と相撲取らないとどうにもならないトコロにハマってしまうのはなかなか難儀だが、そうやって自分と物語を照らし直して始めて、生まれる視界と距離感というのは確かにあるのだと、思い出させてくれる視聴になったのはありがたかった)

 

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第24話より引用

 というわけで初手通学路ペヤング、『やっぱ山田が一番ヤベーんじゃねぇかな……』疑惑を深めつつ、最終章の幕が開いていく。
 京ちゃんや友達との修学旅行、行くべきか行かざるべきか悩み続けている山田は、日程明かされてガン凹みするわけだが、『明るく元気な、いつもの山田』を被り直し、日常は滞りなく過ぎていく。
 そんな、野放図に見えて思いの外自分を作ってもいる山田杏奈の変化を、問わず語りに感じ取れるナイーブさが京ちゃんにはあり、だから彼は山田の好きな人として選ばれる。(足立くんにはなかったので、前回男の玉砕へと進み出すことにもなった)

 見る、見られる。
 気にする、気にかけられる。
 違和感の正体を後半に持ち越したまま、視線の応答は幾重にも重なっていって、山田も京ちゃんもいろんなことに気付き、気付ききらない。
 彼らが経験豊富なオトナならば、夢も楽しさも両方大事に出来る器用な立ち回りも出来るのだろうけど、そうなっていくための戦いを一個一個積み重ねている彼らにとって、出会う全てが未知数だ。

 

 京ちゃんが三年目の修学旅行に、思いの外浮かれていることを、山田はビデオ通話越し、一年前のパンフレットを見て理解するし、キス妄想に浮かれつつも視界の端、置かれた単行本を京ちゃんは見落としはしない。
 そうやって、相手のことを良く見て考える……時に考えすぎるのは、やっぱり好きだからこそ。
 こそばゆくなるような純情が、最後の最後にもう一度強めにエンジンふかしてきて、待ってましたのありがたさに見てるこっちも体温上がるぜ……。

 ここで山田の涙をダイレクトには描かず、ブラックアウトした画面の向こう側に微かに滲ませて、京ちゃんの『見えなさ』とシンクロさせる描き方になったのは、このアニメらしい演出だと感じた。
 ここまでも原作なら俯瞰で描いてた部分を一人称に制限して、作中人物の心境や能力に重ね合わせ、引き寄せる描き方は幾度かあったけども、今回もそういうFPS的青春喜劇の文法を持ち込んできた感じ。
 なにっっしろメカクレスーパーピュアボーイの青春なんて、すっかり遠いトコロにいっちまった人間なので、こうしてシンクロ率を上げて京ちゃんのままならなさ、切実さ、瑞々しい痛みと優しさに見てる側を近づけてくれるのは、ありがたい語り口だ。

 

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第24話より引用

 鹿も迫りくるワイワイ修学旅行をコミカルに描きつつ、これまでも内省や世界を……この作品にとって大事なものを描いてきた窓辺の鏡面に、半沢さんが映り込む。
 近寄りがたい高嶺の花に思えて、ほわほわ赤ちゃん情緒な半沢さんは、メインヒロインの仕事を頑張る中で山田から抜け落ちてしまった要素を集めて再構築した、遅れてきたシャドウって感じがして可愛い。
 恋とは何かがわからない、けど山田と京ちゃんの望むままに恋を成就させてあげたい彼女を鏡にして、京ちゃんは今なら、今こそ思いを言葉にできる自分を再確認する。
 これまで幾度もそうであったように、騒々しいハプニングに邪魔をされて告白は遠く、ここらへんを紫髪のヤバ女にまとめ上げて井口裕香の声帯付けたのが、三年目からの新キャラとなるカンカンなんだろうけど。
 局面を一つの決着へと引っ張るべく、進級タイミングで作劇に必要なキャラクターを舞台にぶち上げ、圧力上げて押し出すフェイズなんだなぁ……とは思う。

 決着へと至る一連の流れを、強く後押しするのが山田杏奈の親友、小林ちひろである。
 露骨にシリアスな話するためだけにポップアップしてきた東屋で、遠い目をしながら無理する親友を見つめつつ、少女は普段あんま見せない成熟した顔をする。
 仕事か学業か、小林も納得行かないジレンマを結局解決するのは主役であり想い人である京ちゃんになるのだが、相談自体は小林にしかしてなくて、ここら辺の距離感のねじれが、なんだか切なく面白かった。
 少年めいた爽やかさで前向きに生きている小林は、恋も良く知らぬまま親友の隣りにい続けて、山田を一番思い悩ませている大問題に関しては、全く置いてけぼりのままだ。
 しかし京ちゃんには好きだからこそ言えない悩みを、打ち明け背負わせてもらえる特別さは確かにあって、でもそれがここから先、恋を知った山田と同じ世界で生きていられる保証にはならない。

 色々素敵なことに満ちていた、思わず応援したくなる京ちゃんと山田の恋路。
 それが何もかも率直に預け合って解決してきた同性の繋がりを、結構変えてしまうのだという事実を、ここで小林が京ちゃんに問題解決の主導権を手渡す様子を見ながら考えた。
 それは時の流れの中変わっていく彼らの必然であり、必ずしも哀しいことばかりではないのだけども、抜けてる山田の口を拭き面倒を見る仕事が小林ちひろの占有物でなくなることを、当人はわからないなりに理解っているとも思える場面だ。
 山田に彼氏が出来た意味を、受け止めるには恋愛方面の受容体発達が小林遅いのであるが、『山田杏奈が大事』という根源においては京ちゃんに負けず劣らずなわけで、でも解決権は京ちゃんにこそあるってのが……こう……。
 まーそういうもんだよなッ!(大声で逡巡を断ち切るマン)

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第24話より引用

 次週感動の最終回だってのに、全てを乗っ取る破壊力があるチンポバトルで殴りつけつつ、修学旅行の夜はふける。
 こんな爆弾、来週やったら何もかもダイナシになりかねないので今やっておくのは正解なのだが、最後の最後までおバカコメディの味わいが残って話が進むのは、そういう部分も好きな自分としては嬉しかったりもする。
 そして先週あんな魂のぶつかり合いしたのに、いつも通り最高の悪友としてアホなことほざいてくれる足立くんに、ありがたみを感じもするのだ。
 京ちゃんと山田が晴れて恋人同士となれば、色んなモノが変わっていくのだろうけど、変わんないものも当然あって、そういうものほど大事だったりするのだろう。

 原作では東屋の語らいで、小林に教えてもらうオーディションを京ちゃん自身が気づく形に変わったので、女子は女子でおバカに仲良く過ごしている裏で、意味深な顔を見せる山田……それを見守る親友の顔も、ちいと意味合いが変わって面白い。
 何でもかんでも言葉にするのではなくて、自分の中で複雑に噛みしめる大人っぽさを、山田一派でもいっとう子どもっぽい(その純粋さが良い)小林もまた背負っていて、それが山田と共鳴している感じになっていた。
 携帯電話に刻み込んでいた、夢の名残を消そうとして消せず、しかし直面して向き直ることも出来ず、宙ぶらりんで画面だけ消してしまう山田の迷いや弱さは、大人と子どもの間に立っている彼らにとって、大事にされるべき豊かさの影でもある。
 そうやって色んなことに迷って、迷う自分も受け止めてもらえる誰かと繋がって、見えたものが沢山あるからこそ、山田はこの修学旅行に来て、夢に迷ってもいる。
 答えが出ないけど……あるいはだからこそ大切なジレンマの真ん中で、どこか出発前の京ちゃんに似た迷い方をしているヒロインが描かれて、お話はもう一つギアを上げていく。

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第24話より引用

 鏡像関係は、クラスの底辺と頂上に見えて似た者同士……であることを、触れ合いの中で確認していった二人を描いてきたこのアニメにおいて、とても重要なモチーフだ。
 山田は窓ガラスの鏡に写った自分の夢を、諦めきれずに窓辺に沈み込むし、同じポーズで京ちゃんは自分の至らなさを嘆き、変われていない己に涙を流す。
 アマチュアの『ただただ好き』では終わらず、好きを仕事に繋げるために付箋張って幾度も練習してきた”秋野杏奈”の頑張りを、自分の指で引っ剥がす痛みに共鳴して、京ちゃんはうずくまり、他ならぬ山田が貸してくれた漫画から生まれたもう一人の自分との対話を経て、立ち上がり駆け出す。
 時に自意識パンパンの思春期ボーイの面白さを引き出し、時にその生真面目な良さを形にしてくれた、京ちゃんと同じ顔をした名助演、最後の見せ場と言ったところか。

 自己投射・自己投影の乱反射が随所に見える作品の中で、否定と深慮を繰り返す内省のプリズムを、イケすぎてるイマジナリーな自分との対話としてコミカルに、時に熱く描いてきたのは、とてもこのお話らしい”発明”だと思う。
 僕はイマジナリー京太郎のキャラも存在も好きで、思慮深く感じやすく、だから傷つきやすくて立ち止まってもしまう京ちゃんが、露悪の鎧の奥に隠しているものが良く出ている奴だと感じてきた。
 個別の意思を持ったキャラクターのように描かれながら、京ちゃんは彼が鏡写しの自分でしかないこと、その提案や対話は全部自分自身の内言であることを、しっかり認識している。
 彼が手渡す甘い夢や市川京太郎への信頼、『まさかね……』と打ち消してしまう未来を俯瞰で見据える視線は、全部京ちゃん自身が自分や世界を見つめるための、大事なレンズだ。

 彼が自分に投げかけてくるものが、あくまで自分の望みや認識の鏡像であって、答えを導くためにあえて否定するべき仮定をするのも、賢い少年の内省を分かりやすく描き直しているにすぎない。
 しかし自分ひとりなら迷宮入りしてしまいそうな悩みも、自分でありながら他人でもある『もう一人の僕』という鏡を使うことで、逡巡を踏み越え行動へ進み出す道へ、幾度も導かれてきた。
 そういう存在を京ちゃんが生み出して、ちっぽけで偉大な一歩を何度も踏み出してきたのも、そんな風に自分とよく対話して、本当はどうなりたいのか、何をしたいのか、身悶えしながらもちゃんと見据えて選べるようになった切っ掛けが、やっぱり山田杏奈なのも、僕は好きだ。

 

 山田が好きになってくれるだろう、少女漫画のヒーローみたいな自分を求めるようになって、京ちゃんはもうひとりの自分とよく話すようになった。
 鏡の向こう側、ひとりきりのベッド、あるいは人生勝負の土壇場で、一番身近な他人として、市川京太郎を客観視し、本当に大事なものを(この作品らしい愉快さで)手渡してくれる、大事な相棒。
 俺は彼が好きだったので、イマジナリー京太郎に導かれるように窓辺に出て、山田が何に苦しんでいるのか、自分が何を見落としたのか、京ちゃん自身が見つける展開になったアニメの変奏を、すごく良いなと感じた。
 受験失敗に傷つき、悪しざまに何かを罵りヤバくなることで自分を守ってきた京ちゃんが、今更取り戻しも進み出せもしない、どっか遠くにある理想像。
 それは手の届かない彼方にあるようでいて、自分の手で引き寄せられる/引き寄せるしかない現在の延長線上にしかなく、そんな人生の厳しさと尊さをなんだかんだ、ちゃんと理解ってる京ちゃんはなりたい自分になるための助けを、自分の中から導き出した。

 そういう、イマジネーションが現実を変えていける可能性に思い切り踏み出せるってのも、思春期の特長の一つであり、ちょっとイチャくてスカしてる部分引っくるめて、現実にこすれつつも夢を見る十代の、大きな力が最後に、京ちゃんに行くべき道を示す。
 薄々感じ取って気にもしていた、山田の迷いと涙。
 京ちゃんはずっとそういうモノを見落とさない、強く正しく優しい人になりたいと思っていて、山田杏奈に恋をすることで、そういう自分を取り戻していった。
 だから告白へと至る最後の一歩を、間違いなく京ちゃんであり、京ちゃんとは似ても似つかない彼の後押しで踏み出すのが、俺は凄く良いなと思う。
 それは京ちゃん自身が選び取って辿り着く場所であり、色んな誰かが助けてくれなければ辿り着けない場所でもあるのだ。

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第24話より引用

 さー物語が決着する場所へ、行けよ走れよ市川京太郎!
 ……って思ってたら、『そうはならんやろ……』っていう勢いで状況がゴロゴロ転がり、まさかまさかの女部屋乱入!!
 一触即発の激ヤバシチュエーション、最後の最後まで京ちゃんの青春は波乱万丈だぜ~~ってところで、次回最終回に続くのであった。
 『遂に往くのかッ!?』と思わせる激エモBGMでの全力疾走から、あっという間にコメディ時空に引きずり込まれていったの、大変このお話らしい引きで素晴らしかったです。
 このトホホでギャフンなところも愛おしく、ずっと見させてもらったお話だから、最終話一個前にそういう面白さを元気に暴れさせて、たっぷり味あわせてくれたのは嬉しかった。
 俺は僕ヤバの、色んなところが好きだ。

 

 というわけで、賑やかで思慮深い最後の大イベント、青春修学旅行でした。
 ぶっちゃけ先週までは『話数足んねぇ!』とか思っていたのだが、最終章を前後編にしてくれたおかげでじっくりどっしり、僕ヤバアニメどんな話だったか思い返しながら楽しむことが出来て、大変良かったです。
 事件の順番を入れ替えて、来週待ち構えるだろう最大級のエモーション炸裂が一番響くように、お話を整えてくれたのも良かった。
 小林に教えてもらうのではなく、京ちゃん自身が山田の秘密に気づく作りになって、当事者性が上がったと思いました。

 すれ違ったり立ち止まったり、踏み出して触れ合ったり。
 微細に震える心を寄せ合って、共に青春を駆け抜けてきた物語も残り一話。
 皆が知ってて、でも言葉になっていない京ちゃんと山田の思いを、アニメがどんな風に描いてくれるのか。
 来週がとっても楽しみです。
 色々あったけども、良いアニメ化でありいいアニメだったなぁ……。

ゆびさきと恋々:第12話『私たちの世界』感想

 透明な雪が舞い降りる季節に、出会い始まった恋が辿り着いた、花盛りの季節。
 雪ちゃんと逸臣さんがお互いの声を聞き解り合う努力を重ねながら、進み辿り着き踏み出していく世界を最後に丁寧に描く、ゆび恋アニメ最終回である。
 主役二人にしっかり焦点を合わせつつも、関わった人たち皆がどう生きていくか未来へ広がる描写も豊かで、大変満足なフィナーレとなった。
 素晴らしいアニメでした、ありがとう。

 

 とまー、本編良すぎてこれで終わりにしても良いんだけども。
 感じ入って揺れ動いた心をわざわざ言葉にまとめ上げて、こうして記録していくスタイルで長くやってきた自分としては、やはり蛇足をあえて書き足すことにする。
 何が描かれ何を成し遂げたのか、本編見りゃ一目瞭然なわけだけども、それだけでは満足しきれない余計な思いは、見届けたアニメーションが素晴らしかったからこそ湧き上がるものでもあると思うわけで、しっかり書ききって『またね』と言いたい。
 そう思わせてくれるアニメで、大変良かった。

 お話としては非常に落ち着いたエピソードで、主役カップルが恋人になって以来初めてのデートに出かけ、恋仲になってなお……というか親しく近づくからこそ知りたいと願う新たな発見を心に留め、豊かな”いつか”を見つめながら一歩ずつ進んでいく様子を描いている。
 分かりやすくデカいイベントとしては一緒に海外行ったり、結ばれたり結婚したりといろいろあるんだろうけども、無理くりそういうアニバーサリーをねじ込むのではなく、見落としがちな日々の歩みに確かに輝く美しさに、改めて目を向ける話で凄く良かった。
 ともすれば社会に埋没した存在にされてしまいがちな、ろう者を主役とするこのお話は『気づく』ということをとても大事に進んできたと思うが、今回花盛りの公園で新たに見つけたもの、冬から初夏へ季節が移ろったからこそ生まれた信頼と尊敬は、雪ちゃんにも逸臣さんにも目の前にある恋が特別な奇跡であり、丁寧に編み上げ織り上げていくものだと教え直す。
 自分がどれだけ、恋人と選んだ人のことを好きか。
 告白がゴールではなく、そうしてお互いの”ぜんぶ”になった後にこそ続いていく道のりに気付き直す思いが、見知らぬ同志だった二人がお互いの世界を、過去や夢や願いを贈り合いながら、混ぜ合わせて『私たちの世界』にしていける幸せ。
 そういうモノを、最後の最後にもう一度しっかり描いてくれて、大変良かったです。

 

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第12話より引用

 とにもかくにもまず見てくれ、この美しい花盛り!
 やっぱ……草薙は”最強”だなって思わせてくれて、ほんといいアニメでした……。
 優れた美術を堪能するシンプルな喜びはもちろんのことだが、冬から春を経て初夏、時の移ろいあればこそ生まれてくる変化を大事に進めてきた物語を、雪月花の美しさをしっかり刻み込むことで下支えしている所が、大変に良い。
 出会いの頃、逸臣さんは降りしきる透明な雪に雪ちゃんの善さを感じ取り、あるいは雪ちゃんは雪が自由に広がり降りていける空に、逸臣さんの特別さを見出していた。
 いまだときめきながら恋人であることに慣れてきているこの初夏、二人はお互いワクワクと心を弾ませながら計画したデートで、冬ではないからこそ、出会いの季節から時が過ぎたからこその美しさに、お互いを満たしていく。

 逸臣さんは雪ちゃんが花が好きだと知らなかったし、雪ちゃんは逸臣さんが海外へ出かける理由をまだ聞いていなかった。
 恋に落ちて、愛が形になって終わるのではなく、時が過ぎる中でよりお互いを愛しく思えばこそ、お互いが見ている世界を自分に引き寄せていく。
 もっと、あなたを知っていく。
 そういう歩みは幸せで美しいのだと、冬にはなかった新たな美しさを最終話に堂々描いて告げてくるのは、あまりに豊かな映像の詩であり、ドラマと絵画が同居するアニメーションという表現だからこその面白さに満ちて、大変良かった。
 冬には雪として冷たく凝っていた水が、春を過ぎてこの季節には美しい水鏡となり、花の色を写している様子が、二人を包んでいる時間の流れ、移ろい変っていく世界への肯定にも思え、大変に良い。

 

 

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第12話より引用

 電車の中での出会いで始まった物語が、一旦幕を閉じるこのタイミングで再び電車の中の二人を描き、同じ状況だからこそ手に入れた変化を愛しく噛み締めている様子は、1クールに及ぶ物語が何を積み上げてきたのか、しっかりと振り返る助けになってくれる。
 運命的に出会い、目を見て言葉を聞き届けてくれる人だからこそ好きになった二人は、あの時踏み込めなかった場所へと共に進み出して、交わせなかった言葉を手渡し合う間柄になっている。
 目もくらむような眩い色彩の中で、小さな幸せをひだまりに感じ取りながら歩みを進める時、男は女を、女は男を、幾度も見とれて立ち止まる。
 細やかな感情のゆらぎをクローズアップで切り取る、繊細な筆致が豊かだったこのアニメ、最終回でも……最終回だからこそどんだけ雪ちゃんと逸臣さんが、恋人になってなおお互い好きすぎる様子を、丁寧に描いてくれる。
 告白して終わり、キスして終わりではなく、恋すればこそ日々新に愛が生まれ直している様子をとても大事に、良いものとして描いているのは、勝負としてのロマンスに拘泥しない自由な姿勢を感じられて、大変いい。
 勝ったの負けたの……恋を支えに今を生きていく時大事なのは多分、そういうことじゃないのだ。

 雪ちゃんは逸臣さんにデートの計画を任されて、自分が大好きな花に一緒に包まれて、同じ眩さを見つめる事を選んだ。
 それは自分が好きなものを共有し、自分が見て感じ愛しく思う世界へ、隣り合う人に踏み込んで欲しいと願う誘い文だ。
 恋人の健気な誘惑に、逸臣さんはしっかり向き合って踏み出し、カメラロールに記録された『雪の世界』を見つめる。
 透明で純粋なだけではない、数多色彩と生命の息吹に満ちた、新しい雪のかんばせ
 手のひらに収まる記憶装置を借り受けて、そこに自分と彼女の肖像を刻むということは、そうして見せてくれた『雪の世界』に自分を入れて、『私たちの世界』にしていくという決意表明だ。
 この幸せな日々が、一つの物語の幕引きが、全ての終わりなどではなく、もっとより善く、美しく、幸せになっていけるのだという確信。
 私とあなたで……私たちで、そういう時間と世界を一個づつ作っていくのだという、優しく力強いメッセージ。
 そういうモノを、適切に的確に届けられる人だったからこそ、雪ちゃんは逸臣さんを好きになったし、もっともっと好きになっていくのだろう。

 

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第12話より引用

 しかし好きになったからと言って、時と場合を選ばず愛に励むのもまた違う。
 逸臣さんは口づけのサインを誤読しかけるが、直前で立ち止まっって雪ちゃんの真意を聞き、見知らぬ手話の意味を新たに学んで、今はキスをするタイミングじゃないと身を引く。
 いま・ここで・俺と。
 時と場合によって移り変わる関係性の中で、最適な判断をしていくのはとても難しいことだし、逸臣さんはそんな難問に無条件で正解できる人間ではない。
 それを解っているから、雪ちゃんの顔を見て声を聞き、自分の口の動きや手話や携帯電話によるコミュニケーションを積み重ねて、相手が何をしてほしいのか、どんな場合なら良くて今はダメなのか、一個一個確認する。
 親しい間柄になっても、むしろだからこそ適切なコンセンサスを積み重ね、敬意を持って相手の言葉に耳を傾けることの大切さは、最終話になってもこの話の真ん中にある。

 控えめに流されつつも、NOを言うべきタイミングで雪ちゃんがちゃんと意思表示できていることと、それを逸臣さんが凄く尊重して関係性を編んでいる様子を、僕は12話見れて嬉しかった。
 聴覚に障害を持ち、一般的なコミュニケーションをそのまま援用できないからこそ、相手のことを知ろうとしっかり目を見て、語彙を学び、意思を確認する。
 そういう恋路を追いかけてきたこのお話において、キスをすれば恋人というわけでも、セックスすれば愛の証明が出来るわけでもない。
 それはお互いの同意の元、適切なタイミングと場所を選んでなされるべきことであり、焦ることなく一つずつ、今だからこそ味わえる幸せな色を楽しみながら、進んでいけば良いことなのだ。
 いつかは頑なな強張りも雪ちゃんから取れて、恋人同士がする”ぜんぶ”をお互い望んでいるとおりに、自然に幸せに果たす日も来るのだろうけど、それが未来であったからと言ってこの恋が、無意味で無価値なものにはならない。
 大きな”イベント”が起きずとも、その途中にある全ての歩みが特別な色と発見に満ちて幸せであると、最終回にこういう話を、こういう色を選ぶ物語は語っている。

 

 花の暖色に包まれていたデートが、キスを先送りにした後繋がれる手を、弾む笑顔を、揺れる心を、新たな青い色で描いているのが好きだ。
 そうやって新しく美しい色が、何かを選び為すことだけでなく、今ここで話さないことを選び、お互いに同意する中で見つかっていく。
 そんな出会の喜びが瑞々しく心を揺さぶるから、雪ちゃんは逸臣さんの背中を写真に収め、『雪の世界』に加えようと思えるのだろう。

 僕はアニメーションの中で携帯電話がどういう表象として扱われるかに、個人的な興味を持ち続けているので、ろう者である雪ちゃんの大事なコミュニケーション手段であり、バイトをする自分へと近づいていく武器になり、あるいは”世界”を切り取り共有できる大事な手立てとして、豊かに描かれているのはとても面白かった。
 遠く離れていても思いを伝えたり、数多世界の欠片を収めればこそその人の”世界”がどんなものか解ったり、このお話における携帯電話はとてもポジティブに、フェティッシュに描かれててきた。
 今回のデートにおける描かれ方は、その総まとめとして大変に力強くて、非常に良かったです。

 

 

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第12話より引用

 そしてこのお話が描く『私たちの世界』は、ラブラブ主役カップル二人で狭く閉じたものではない。
 最終話にあたって、雪ちゃんと逸臣さんの物語に関わった様々な人が、今どこにいてどんな未来へ、誰と進み出していくかをしっかりスケッチして終わっていくのは、僕には凄く良いことだと思えた。
 放送時の描かれ方を切り貼りして語ることになるが、それぞれの新たな恋、新たな関係に至る前に登場人物の周囲には、仕事とか友情とか恋以外の関係がしっかりあって、それに支えられてどこかへ踏み出せる様子を、しっかりと描いている。
 それは恋だけが世界の全てではないが、それあってこそより豊かで多彩な世界を生み出せると、主役二人で描いてきたお話らしい最後の一筆だったと思う。

 桜志くんと悪友の、チャーミングな距離感。
 結構深いところまで踏み込んでくれる、エマちゃんの同僚。
 サラッとした間合いを維持しながら、部下の人生が豊かになるよう店を貸してくれる心くんの上司。
 サブキャラクターたちの隣には、彼らを愛する誰かが必ずいて、それに支えられ取り入れて成立している『私たちの世界』があってこそ、特別な誰かと手を繋げるもう一つの『私たちの世界』も成り立っている。
 最終話だからこそ、主役二人がどんな思いで繋がっているかクローズアップで照らす構成なわけだが、そこに執着しすぎる狭さを上手く逃がして、このお話が捉えている世界、進み出す未来の横幅を、優しく描いてくれる場面だった。

 

 こういう支えがあって、皆が新しい恋へと踏み出していく。
 じっくり踏み込めば雪ちゃんと逸臣さんと同じくらい……あるいはそれ以上に面白い物語がありそうで、マージ『二期で深堀りお願いします!』って感じではあるが。
 りんちゃんと店長の恋路がガッツリ深まっているのも良かったし、高校以来宙ぶらりんだった心くんの手のひらをエマちゃんが掴んでくれたのも素晴らしいし、桜志くんの夢をずっと見守ってくれてる子がいるのだと、描いてくれたのもありがたかった。
 桜志くんが手話通訳士という未来を選ぶのは、間違いなくあの夏の日『桜志の世界』に雪ちゃんが滑り込んできたからなんだが、当て馬という役柄を割り振られ、負けるための恋に最初から呪われていた彼の夢が、それでもあの日の出会いは間違いではなかったと教えているのが俺は好きだ。

 そういう恋の着地もあるし、思い出の中だけに桜志くんにとっての雪ちゃんがいるわけではなくて、ぶっきらぼうながら色んな人に愛され見守られて進む中で、『アイツのもの』になってしまった雪ちゃんとより善く、より豊かに繋がりうる可能性は、彼の中で輝いている。
 成就した恋のその先、お互いを好きだからこそより解り合いたいと願い、キスした後にもっと相手を知っていく様子を描く今回、恋になる前に積まれてしまった桜志くんの思いが誰かを傷つける呪いではなく、自由に羽ばたく翼になる気配を描いてくれて、僕は嬉しかった。
 桜志くんの尖って危うい気配は、人が恋に向き合う時当然の難しさを強く反射していて、お互いを人間として尊重し合って最高の恋をしていく主役には、照らせない陰りを背負っていた。
 その暗さ、危うさを描かなければ絵空事として浮ついていたかも知れない物語に、地面に縫い止め重みを出す大事な仕事を、このクソ生意気で身勝手で真っ直ぐな青年は果たしてくれていたわけで、彼が涙の先へと手を伸ばし、伏せかけていた目を上げて世界と自分の顔を見れる強い青年なのだと、最後に示してくれたのは嬉しい。
 俺は……芦沖桜志が好きだから……。

 

 

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第12話より引用

 雪美しき冬から風あたたかき春、そして花盛りの初夏へと時が流れる中で、雪ちゃんと逸臣さんの距離は縮まり、あの時保留にされた質問に答えが返ってくる。
 何故、自分は言葉を交わすこと、見知らぬ土地に飛び込むこと、子どもたちと触れ合うことを、人生で大事にしているのか。
 波岐逸臣という人間の核へ切り込む問いかけへ、長い返答を携帯電話に預けて応える時、その過去が豊かに綴られていく。
 逸臣さんの人間が読み切れず、どこかミステリアスな空気を漂わせていたことは、だからこそ知りたいという雪ちゃんの心理……『知る』ということを話しの真ん中に据えたテーマへの切り口として、有効に機能していた。
 一種のミステリとしてロマンスを描く手腕が、恋人たちをここまで導いてきたわけだが、その中も深まった最終回、波岐逸臣という謎の奥に踏み入って根源を見せるのは、なかなか気持ちの良い決着である。
 人当たりの良い彼が、しかし自分のすべてを簡単に預ける人間ではないことも12話かけて教えてもらっているわけで、雪ちゃんにシンクロする形で謎めいた美青年の一番柔らかいところを、最期に手渡してもらえる充実感のあるまとめだ。

 ドイツで孤独に迷っていた逸臣少年は、勇気を振り絞ってボールを手渡し、暗い影から光の中へと踏み出した。
 この歩みが、ドヤバイ拗らせ方しかかってた桜志くん相手に、グイッと踏み込み手を引いて明るい場所に引っ張り上げてきた、逸臣さんの”今”と重なるのが俺は好きだ。
 かつて自分が体験して、人生を変えてくれるほど眩しいと思えた行いを、逸臣さんはヤベー恋敵にだって手渡して、自分が感じた風と空が目の前に広がっているのだと、教え直すおせっかいを、幾度も繰り返せる人なのだ。
 自分自身、思いが伝わらないもどかしさ、そこに閉じていく暗さを知っていればこそ、桜志くんの純情と痛みに手を添えて、酒の勢いも借りつつ『解る』と言えたのだろう。
 そういう意味でも、今回は最後の”答え合わせ”である。

 窓もねー場所でマッズいシリアル食ってる所から、風が吹き光が満ちた場所で、しっかり食事を口にいれる心境まで。
 こういう心理表現のリフレインがめちゃくちゃ上手いからこそ、このお話がみっちり豊かに色んなモノを語れたわけだが、やっぱ村野監督全話コンテは偉業中の偉業としか言いようがねぇ……。
 赤と青、光と影に塗り分けられた校庭で、過去に狭く閉じこもるものと未来へ向けて開かれているものが同居していて、逸臣少年は前へ進むことを選んだ。
 語りかけること、解ってもらうことを選んだのだ。
 それはコミュニケーションに生来難しさを抱える雪ちゃんが、それでもガラスのやさしい檻を出て自分を世に問うと、世の中を知ろうと、踏み出した歩みにしっかり重なっている。
 電車の中、偶然出会った他人のように見えて、お互いを突き動かす衝動はしっかり重なり合い、同じ夢を見据えていたのだ。
 だからお互いを翼にして、より自由な空へと飛び立ってもいける。

 

 

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第12話より引用

 この物語で幾度も象徴的に描かれてきた、青い空に力強く刻まれる飛行機雲。
 私たちはどこへでも行けて、共に幸せになっていけるという希望を乗せる翼は、常に言葉とともにあった。
 自分がどういう場所から来て、どこへ行きたいと望むか。
 そこに何故あなたがいてほしくて、どれだけ愛おしいのか。
 ろう者と聴覚保持者に分断されかねない世界の中で、逸臣さんは身近な異国として雪ちゃんに出会い、彼女が手のひらと指先と表情と心で作る言葉を、しっかり受け止め返してきた。
 手話を学び、雪ちゃんがしてほしいこととしてほしくないことを確認し、二人の間にルールを定めて、一つ一つ確かめて渡してきた。
 そういう、眼の前の一人をとても大事にしたコミュニケーションを瑞々しく、力強く手渡してくれる人だから、雪ちゃんは逸臣さんを好きになったのだ。

 恋とコミュニケーションという、作品を貫通する大きな柱を最後の最後、穏やかな日々の一幕に強く刻みつけて終わっていくのは、僕はすごく好きだ。
 ずっとそういう話なのだと思いこんでみてきたアニメが、確かにその通りだよと僕に告げて別れてくれるのは、満足と納得と安心を得れる。
 でもそれは自分が見ていたものをなぞってくれる快楽だけではなくて、確かに雪ちゃんと逸臣さんを主軸に幾度もこのお話が描いたものは、人間がより善く生きる上でとても大事だと、新たに思えるからでもある。

 

 逸臣さんは仕上がった顔面にけして甘えず、あらゆる人に(ヤベークソガキ桜志にすら!)親切であり、恋人になった後にこそ雪ちゃんをもっと、知ろうとする。
 人間解り会えないものだという暗い理解をその身に刻んで、でも断絶に立ち止まるのではなくむしろもっと踏み込んで、かつて自分を光に包んだ喜びと発見を、色んな人に手渡そうとする。
 その主目標が”子ども”であることに、メチャクチャ個人的な好感がバリバリに上がったりするわけだが、雪ちゃんという特別な個人……”ぜんぶ”を与え受け止めて構わないと思えるほどの他人に出会えたことで、彼の魂はより元気に、嘘なく望む未来へ進んでいくのだと思う。
 それは雪ちゃんにも同じで、バイトを始め知らない世界を知り、ろう学校から出たいと思った衝動をより善く、逸臣さんとラブラブする中で叶えていくことになるだろう。
 そうやって人生を前に進めていけるだけの爆発力が、逸臣さんと雪ちゃんがお互いに交換することばの中にはあって、幾度も愛に心揺さぶられることで、彼らはより善い未来へ近づき、自由に羽ばたいていく。
 そういう、自己実現の大いなる助けとして”恋”を描いていることが、僕にとってこのお話がとても特別なものになった、大きな理由だと思う。

 月見れば君を思い、携帯電話越しに離れてなお、思いは繋がる。
 人がより善くなっていくために何をすればいいのか、凄く理念的で綺麗なものを視界に真っ直ぐ捉えつつも、肉欲にも近い純情がどう胸に燃え上がっているのか、身体性をもって描いているのも良かった。
 恋人となり、キスをした後のその先にどう踏み込んでいくべきなのか、静かに燃え上がるエロスをなぞりつつ焦らず、雪ちゃんの様子を見ながら進んでいく道には、世に満ちる『べき』がない。
 世間一般ではそういう事をするから、そういう事になってるから、そうする『べき』。
 そんな不可視の圧力に押し流されて、心と体が告げている本当から目を背けて、進むべきではない場所へ踏み込んでしまう危うさから、逸臣さんは自分たちを遠ざけて、自分たちだけの地図を頼りに、自分たちだけの恋を削り出している。
 そうして生まれていくものが、彼らの世界になっていく。
 その時時に汚らわしいともされるフィジカルは精神的な透明性を手に入れて、ただ目の前にある一つの真実として、恋人たちに共融されていくだろう。
 そんな幸せな未来を、爽やかな光の中確かに感じさせる熱があるフィナーレで、大変良かったです。

 

 

 というわけで、ゆびさきと恋々全12話、無事見届けました。
 大変素晴らしかったです。
 お疲れ様です、ありがとう。

 少女漫画のど真ん中を味わいたいと、ある種斜めからの視線で見始めたアニメでしたが、出会いから恋が生まれるまで、形になるまで、恋人になった後より深まる絆まで、美しくも雄弁な筆跡でしっかり描ききってくれて、大変に良かった。
 雪ちゃんと逸臣さんのロマンスをぶっとく主軸に据えつつも、そこに絡んでくる様々なキャラにもそれぞれの恋があり、人生があり、尊厳があることを大事に描写を積み上げてくれて、負け役だろうが敬意と愛情を持ってしっかり描いてくれたのは、自分にとってとてもありがたかったです。
 冬から初夏までを描く物語の中で、美術と色彩がとにかくハチャメチャに良くて、ビリビリ痺れるほど美しいものを山程味わえたのも、また最高でした。
 繊細さと明瞭さを同居させたレイアウトと演出、シリアスで力強い胸キュンと可愛すぎるSD作画の同居、力強くもクドすぎない語り口の妙味。
 いい所がいくらでもある、素晴らしいアニメでした。

 

 ろう者を主役にし、聴覚保持者である僕が知らない”身近な異国”としての面白さをスパイスに話を牽引する……といういやらしさを、ろう者が持つ豊かなコミュニケーションを徹底的な量と質、描き抜くことでぶっ飛ばしていたのも、大変良かったと思います。
 当たり前に可愛く、自然に幸せな雪ちゃんは社会から庇護/隔離されるだけの異物ではけしてなく、私達の世界に確かにいる隣人であり、同時に個別の難しさと立ち向かい方を既に身につけている、タフな生活者でもあります。
 メッセージアプリ、手話、筆記、口話
 ともすれば聴覚保持者よりも多彩なメディアを活用して、思いを伝え受け取ることが……それを糧に力強く未来へと踏み込んでいける、尊敬すべき存在として、自然と恋を応援したくなってしまうスーパーキュートガールが描かれていたのは、大変良かった。
 ありえんほど胸キュンなおとぎ話感と、想像の埒外にあったんだけども描かれてみると身近に体温を感じるハンディな質感が同居していて、ろう者がそこに居る『私たちの世界』に自然、耳が行くような強さがあったのは、ただのロマンスを越えた作品の善さだと感じました。

 この生っぽい手触りは、ろう者にとってのコミュニケーションが、あるいは生活の難しさがどんなものであるか、徹底的に取材し描いた結果だと思います。
 監督クラスの逸材を複数手話アニメーターに起用し、ガチもガチの気合でもって描ききったことで、逸臣さんに恋する雪ちゃんを『私たちの世界』の一員なのだと、否応なく受け入れてしまいたくなる魅力が、シーンに宿っていました。
 それは教条的な上からの正しさではなく、雪ちゃんが彼女なりの世界を必死に生きて、素敵な運命と出会ってときめき、可愛くも必死に未来へ進んでいく足取りに、しっかり寄り添った結果生まれてくる。
 『ああ、この子はここで生きてるんだな、頑張ってほしいな』と、見ているものに思わせるだけの物語をちゃんと作ったからこそ、偉大な物語が描ける。

 逸臣さんは雪ちゃんの善さを、透明で汚れのないガラスに例えていましたが、恋のバチバチからあえて距離を取り、様々な人がそれぞれの幸せを探っていく前向きな歩みに注力したこのお話自体が、透明で美しい雪のような物語だったと思います。
 それは熱を宿しながらも溶けることがない、永遠の不香花として僕の胸の中に刻まれて、ずっと素晴らしい作品だったと、思い続けることでしょう。
 本当に、素敵なアニメでした。
 お疲れ様、ありがとう。
 心から、出会い見届けられて良かったです。

わんだふるぷりきゅあ!:第8話『まゆのドキドキ新学期』感想

 リアルよりひと足早く、アニマルタウンは新学期!
 新たな学校、新たな友達に馴染めるか不安な猫屋敷まゆ、勝負の転校デビューやいかに!? という、わんぷり第8話である。
 毎度のことながら、大変良かった。

 

 

 

 

画像は”わんだふるぷりきゅあ!”第8話より引用

 猫屋敷まゆの物語としての今回は、自分の外側へ開けていく窓に背を向け、暗い場所で事前準備の鎧ばかり固めているところから始まる。
 考えすぎで大失敗! …と自分では思ってしまう自己紹介が、いろはちゃんの助け舟で上手く落着し、眩しい場所と暗い場所の間を繋ぐ渡り廊下でしばらく迷った後、”姉”であるユキが開いてくれた窓から燦然と輝く夕日を見るまでの、小さな冒険のエピソードである。
 私服で過ごす春休みの間に、プリキュアとして闘う非日常に首を突っ込んだいろはちゃんとは毛色が違うが、こういうありふれて難しい等身大の戦いをすごく大事に描いてくれるのがわんぷりの良さだと思うので、なかなか上手く生きれない猫屋敷まゆが『学校面白かった、行ってよかった!』と思えるまでの旅を、丁寧に描いてくれたのは嬉しい。
 これが完全に現実と季節をシンクロさせず、もしかしたら数週間後の初登校や環境の変化にナーバスになってるかも知れないメイン視聴者の、未来への予防接種としてちょい早めに、まゆちゃん等身大の頑張りを描いてくれていたのが、誰に向けて作品を作っているのか、強いエールを勝手に感じてジンと来た。

 いろはちゃんは非常に幼いこむぎを受け止め導く立ち位置なので、既に人間力が分厚く適切なコミュニケーションをズバズバ手渡せる。
 何しろ変身後の決め台詞からして『あなたの声を聞かせて!』なわけで、眼の前の相手のやりたいことを傾聴し、自分の出来ること、するべきことを見定めて適切な補助を行うことが、人格の一部として既に仕上がっている少女だ。
 対して猫屋敷まゆは過剰に失敗を恐れ、事前準備で自分を雁字搦めにして、頭の中で膨らませた恐怖に縛られてしまう、コミュニケーションが下手くそな……いろはちゃんのようにスーパーな存在ではない当たり前の女の子として、ずっと描かれている。
 出来ないことがあるとはつまり、出来るようになる余白をたくさん残しているということで、人見知りがはげしいまゆちゃんがいろはちゃんと出会い、新たな環境で変わっていける物語には、独自の活力が宿っていくだろう。
 その一歩目として、ブルブル考えすぎて震えてるところから始まり、自分に親切にしてくれるいろはが”自分にだけ”優しいわけではないと見て一歩引きそうになってしまったり、その後退をガッチリ捕まえられて新しい学校の楽しいところを教えてもらったりする。
 自分に欠けているものを友達に助けてもらう体験を経て、見知らぬ怖い場所だった学校は楽しいかも知れない場所に変わっていって、ありふれた怯えと憂鬱は晴れやかに吹き飛んでいく。
 その小さな、でも大事な一歩がすごく丁寧に描かれていたのが、とても良かった。

 

 『人間万事塞翁が馬』を、好きな言葉として先生が上げているのが、僕は凄く良いなと思った。
 それは目の前に立ち現れてくる幸と不幸を、頭の中で簡単にジャッジせず身一つで飛び込んで噛みしめる、勇気が必要な態度だ。
 物語が始まった時、自己紹介の文面を幾度もこねくり回しているまゆに、思い通りに行かない現実を楽しむ余裕はない。
 既に傷ついている体験から過剰に怯え、それに縛られて実際”失敗”してしまうわけだが、偶然と運命が事前に結びつけておいてくれたいろはとの縁が、動物大好きなクラスに受けが良い話題を引っ張り出して、ファースト・コンタクトは良い方向へと転がっていく。
 まゆ一人だったら確かに最悪のデビューになっていたかも知れないが、彼女がシコシコ手作りのハーネスを作り、友情の証として手渡した過去が、ちょっとコケてもそれを好機に変えてしまえる、明るく元気な女の子の助け舟を呼び込んだ。
 ここまで8話、いろはとの出会いを無下にしなかったことが、あんなに怯えていた新たな出会いに傷つくのではなく、明るく楽しい場所として学校を受け取れる足場を、まゆに作っていたのだ。
 いろはの分厚い人間力はマジ凄いんだが、まゆちゃんなりに不器用ながら新しい街、新しい友達と親しくなろう、不安と戦おうと頑張ってきたことが、今回の”塞翁が馬”に繋がっているのが、僕には凄く嬉しかった。

 前々回こむぎの身勝手を受け止めきれない、ティーンエイジャーとして当然の(喜ばしくすらある)未熟をみせたいろはちゃんだが、今回はバキバキに仕上がったコミュニケーション筋をフル動員し、クラスの中心として光り輝く姿を見せつけていた。
 新学期が始まり、クラスという社会が初めてスケッチされたことで、そこにおいて犬飼いろはがどういう人物であるか……太陽のように眩しい犬飼さんに、悟くんがどんだけ参っちまってるかが良く見えて、新鮮な喜びがあった。
 あんな素敵ガール……そらー瞳奪われ、心高鳴っちまうよなぁ……。
 こむぎと向き合う時とはまた違った、引っ込み思案なクラスメイトをグイグイ開けた場所へ引っ張っていく犬飼さんが見れたことで、彼女をもっと好きになれたのは大変良かった。
 いろはが前に出てまゆが手を引っ張られるこの初期配置から、プリキュアとしての非日常の戦い、学校生活や放課後を共に過ごす日常を経て関係が深まれば、色んな善さや強さが形になって、関係も変わっていくだろう。
 一年アニメの醍醐味とも言えるそんな変化を、最大限堪能するには”今”猫屋敷まゆがどんな少女であるかがちゃんと描かれているのが大事だと思うので、そこをしっかり、影も光もどっしり削り出してくれたのは、大変良かったです。

 

 まゆの小さな奮戦記と並走する形で、とにかくいろはと一緒にいたい犬飼こむぎの大暴走も、明るくコミカルに突っ走っておりました。
 ハチャメチャ元気で明るい幼めの語り口が、まゆのお話に伸びている思春期特有の陰りと面白い対比をなしており、良い感じのメリハリが付いたのは良かった。
 ブレーキのぶっ壊れた感情機関車として、バリバリ突っ走り続けるのが”獣”の定めって感じもあり、幼いからこそ怖い物知らずで街駆け抜け、あっちにフラフラこっちにフラフラノンキに生きている様子は、それよりちょっとオトナだからこそ難しいまゆの様子を照らす、良い鏡にもなっていた。
 更に言うと次回犬飼こむぎ制服着込んで学校にGO! なので、その前奏としてもスーパーハッピー元気印、とにかくいろはと一緒にいたいワン! な様子がよく見えて、良い滑走路になってたと思います。
 人生の難しいところに直面していないときの犬飼こむぎは、マジで元気の塊で恐れるものなし、純粋さと力強さの象徴でいてくれていて、見てて凄く元気貰えるんだよな……。
 ありがたい……(アニマルタウンの方角へ、合掌礼拝)

 そんな暴走超特急とわんにゃん大戦争を繰り広げた猫屋敷ユキも、うにゃうにゃスーパーチャーミングな様子をたっぷり見せてくれて最高だった。
 はー可愛い……本当に可愛い。
 色々精神不安定な”妹”が、自分をもみくちゃに安らぎを得ようとするのを『ったくしょーがねーなーコイツはよー……』という顔でされるがままにしてたり、そんなまゆちゃんが明るい顔で幸せを報告してくるのを聞き届け、『見ろよ……お前の未来だぜ……』とばかりに夕焼けの窓辺へ導いていくの、あまりに”姉”で良すぎた。
 姉妹ってのは血縁でも年齢でも種族でもなく『生き様と心意気』なので、ひとつ屋根の下共に暮らす2×2を主役に据えたことでそういうトコロにビシッと切り込めているわんぷり、かなり新しいプリキュアな感じがある。
 姉妹キュアって案外いねーからな……”ふたり”をこういう角度から削り出していくのも、わんぷり特有の新機軸な気がしている。

 実際、どーも過去の失敗に傷ついている匂いがあるまゆちゃんが、それでもユキが大好きだからなんとか人生戦えている描写、猫屋敷の少女たちの繋がりの描き方としてめっちゃ好きなんよな……。
 傍から見りゃちっぽけで下らない事かもしれないけど、まゆちゃんにとって社会の中で上手く振る舞えない自分、傷つけてくる世界との向き合い方は命懸けの戦いで、自由で優しいユキに体重預けることで、ギリギリ戦えている部分も大きいじゃない。
 ユキもユキなりに、そういう立場にいる自分を悪くないと感じてるからこそ、時折猫パンチぶち込みつつ手のかかる”妹”の、心の支えになってやってるわけで。
 人とか猫とか横に置いて、誰かと誰かがそういう繋がり方をしているってのは大いに意味ある営為だと思うし、そんな繋がりが色んな出会いによって広がって、見知らぬ同士が友だちになれるかもって可能性も、今後描いていくわけでね。
 そういう作品が豊かに広がるキャンバスが、なかなか良い感じだと教えてくれる回だったと思います。
 めっちゃ良かったです。

 

 というわけで、猫屋敷まゆ等身大のデビュー戦でした。
 僕はプリキュアが住まう街がどっかぶっ飛んでてファンタジックな所が好きなので、『どう考えても学校レベルじゃねぇだろ……』という飼育施設に、色んな動物が暮らしている様子とか最高でした。
 やっぱメインテーマに選んだネタならね、あんくらいぶっ飛ばしたスケールで扱って欲しいわけよ。
 ガルガル出た時、ハリネズミは丸まり兎はスタンピングして、種族によって対応が様々であると描かれていたのも、細かいけど良いところだったな……。
 毎回色んなガルガル出てきて、その生態を契機に浄化が行われるの、自然な生き物教育要素で好きだぜ、わんぷり。

 色々出来ないことも多いけど、だからこそ自分なり必死に頑張る等身大の成長物語の二歩目を、猫屋敷まゆがどう踏み出したか。
 学校という舞台をわんぷりがどう活かしていくか、そのテストケースとしても大変良い話数でした。
 この青春の園に、ブレーキぶっ壊れた純情まっしぐらが飛び込んでくるわけだが……一体全体どうなることやら。
 犬飼こむぎ制服デビュー、ワクワクと次回を待ちたいです!

プレイレポート 24/03/23 ストリテラ『Bestiaire -群獣寓意譚-』

 今日はナラティブTRPGオンリーオンラインコンベンション”ジャムコン2nd”

sites.google.com

にて、ストリテラのオリジナルシナリオを遊ばせていただきました。

 

 シナリオタイトル:Bestiaire -群獣寓意譚- システム:ストリテラ

 キズミさん:”三年坂の蝮”葛羽恭路:33才男性:妄執の狂犬 とある二次団体を率いる若き獣。親分亡き後、その夢を引き継いでテッペンを目指してきたが、病魔に侵された身体に残された時間は少ない。命を燃やし尽くし、譲れない道をひた走るか、それとも……。遺品である時計は非常に時を刻み、答えてはくれない。

 フレッド緑野さん:”暴虐の龍”井出遊馬:38才男性:不遜なる獅子 昇り龍の入れ墨を背負った、冷徹にして傲慢な生粋のヤクザ。頭が切れ利に聡く、それ故情の引力で街をまとめるには足らないが、今更爪を収める手立ても知らない野獣。いつかどこかでねじ曲がった道が、定めだと譲らぬ一本気を背負う、孤独な侠客。

 コバヤシ:”色無し伽藍”桑原伽藍:42才男性:還りし龍 かつて悲劇に襲われ、稼業から遠く距離を取って花屋をやっている巨漢。オヤジの死を契機に因縁が荒れ狂う街に、かつて逃げ出した道を辿って首を突っ込んできたハンパ者。色を入れる前に散った背中の花を、赤く染まるのは決意か、犠牲か。

 

 こんな感じの感情と因縁こんがらさせたドヤクザ共が、沸騰する街にそれぞれの生き様をぶつけ合うお話をやってまいりました。
 大変面白かったです。
 お二人共ストリテラ初体験ということで、経験者としては良い出会い方になってくれればな~~と願いながらのセッションとなりました。

 ですが、積極的に『俺はこういうお話をしたくて、こういう奴なんだ』というメッセージを出し、それを受け取って『俺達のお話はこうなると面白いんじゃないか?』という提案をしていただいて、ノーデータ・ノーGMの特異なシステムが最高速を出すために必要な、ロールプレイの燃料をガンガンに投げ込んでいただいて、最高に煮えたセッションとなりました。
 コンベンションでの初顔合わせ、初システムということで緊張もされていたとは思うのですが、積極的にコミュニケーションを取り、楽しい時間を一緒に過ごそうと前のめりにバンバン熱い一撃を入れてくれたおかげで、こちらも引っ張られて良いロールを沢山返すことが出来て、大変面白い時間を過ごすことが出来ました。

 

 お話の方は過去の事件で人生ねじ曲がったヤクザ二匹と元ヤクザ一匹が、抗争に加熱していく街の中で譲れない生き様を探り、激しいぶつかり合いの末に進むべき未来を見つけていく展開に。
 とにかくずーっと雨が降り続いている、湿り気の多い話になったわけですが、キャラクターは出口の見えない業と因縁に溺れつつも、プレイヤーはしっかり皆でどこに行くべきか話し合い、ロールプレイでつっつき空い、理想的なバランスで一緒に走ることが出来ました。
 『俺はこうだ!』という芯を安易に譲らずしっかり構えて、その上で『俺はこうして欲しい!』という願いにちゃんと耳を傾けて、自分含めて同卓している相手全員を尊重した上で、今共有している物語を大事に、皆で納得行く展開を探っていく。
 ストリテラの、ナラティブ・システムの一番大事で一番強い所が、しっかり噛み合って強い出力を絞り出す展開となって、二時間のスピーディーなセッションながらやるべきこと、やれることを全部振り絞った、大満足の物語体験となりました。

 キャラクター提出時、あるいはロールプレイを始める前の相談ではなかなか思い至れないところに、実際のプレイを通じてグイと乗り上げていく手応えも随所にあって、リアルタイムで話を作り上げていくからこその面白さを、たっぷりと味わいました。
 終わってみると想定していないところに全キャラクターが流れ着き、しかしこれしかありえないという納得と満足を持って一つの結末にたどり着くことが出来て、手捻りで先の見えない話を編んでいく醍醐味を、堪能できるセッションでした。
 カタギがヤクザに、ヤクザがカタギに、オセロのように動かないはずの生き様が動いて未来が拓けていくのは、血みどろでどうしようもない人間の業を描きつつも、どこか前向きな希望がある感じで凄く良かったです。
 雨に濡れつづけていた街に日が差し込み、『固い絆』を花言葉とする朝顔が花開いて終わるエンディングも、詩情があって良かったな……。

 

 というわけで、大変楽しい時間を過ごさせていただきました。
 同卓していただいたお二人、コンベンションの運営スタッフ、ストリテラという最高システムを作ってくれたフユ先生、みんなありがとう!