イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

響け! ユーフォニアム3:第3話『みずいろプレリュード』感想

 楽しいってなんなのか、雨に隠れて見えなくなる日もある。
 過大な責任を背負う黄前部長が、おどけた策士に焚きつけられて火消しに走り回る、ユーフォ三期第3話である。

 瞳や指先、脚や髪の毛。
 細やかな身体表現を丁寧に切り取り積み重ねる、京アニイズムが大変元気な回で、初コンテとなる以西芽衣の演出に、作監一人原画六人の超絶タイトな陣容がしっかり生命を吹き込んでいた。
 幾度目かのアニメブーム、スタッフが水膨れする傾向が強い中でこのクオリティをこの人数で仕上げきる、怪物的制作体制こそが京アニの凄みだなと、改めて感じる回だった。

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 前回まではやや引いたカメラ位置から、客観的に久美子最後の一年を麗しくスケッチしていた感じが濃かったが、部長として人間として重たい課題に向き合う今回、カメラは瞳や指先、ほつれる髪の毛へと近寄り、そこに宿る細やかな感情を切り取り積み重ねる。
  静止画ではなかなか伝えにくいのだが、誰かの言動が体の一部に表出されて飛び出し、それを受け取って揺らぎ変化するそれぞれの心が、滑らかかつ多彩に変化する瞳の色合い、指先の震えにしっかり描かれているのが、とても良かった。
 水面に投げられた石が波紋を呼び、それが触れ合って新たな形を水面に描くように、誰かが自分の外側に顕にした言葉や仕草は、空気を伝わって確かに届き、何かを変えていく。
 その媒介となる透明で不定形で、名前をつけえない特別な空気に”部活”が満ちていること……それが許され、否応なくそうなっていく時間と空間を、このお話はとても大事にしていると思う。

 初心者も経験者も、エンジョイ勢もガチ勢も、様々な考えと経歴と実力をもつ他人同士が100人集まって、高い理想へと駆け上がっていく特別な空間。
 そのトップとして、迷いながら皆を導いていく立場に久美子はなってしまっているわけで、生まれる軋轢や溢れ出す感情に気圧され傷つきながらも、必死に必要な顔を取り繕い、必要な言葉を紡ぐ責任がある。
 それは部と部員のためであると同時に、誰よりも上手くなりたくて、誰よりも吹奏楽で最高になりたい久美子自身の欲望を、そこに繋がった仲間と音楽を、高みに押し上げていくためでもある。
 クローズアップで切り取られる個人的感情の震えは、”部”という複雑で特別な空間を通じて他の誰かに伝わり、何かを書き換えていく。

 それがかつてあった衝突や崩壊にならないよう、大人になりかけな久美子は確かに震えながらもなんとか受け止め、時に視線を下げて自分に言い聞かせるように、時に顔を上げて誰かに伝わるように、嘘のない真意と誰かに刺さり何かを動かす社会的言辞を、混ぜ合わせながら発していく。
 都合の良い偽善か、心からの誠意か。
 久美子自身にもなかなか区別がつかず、つける必要も多分ない、個人的でありながら社会的でもある言葉が、どこから生まれるのか。
 細やかに感情の変化を切り取る、身体部位のクローズアップはその源泉を、強い迫力と説得力を込めて描いていた。
 身体とそこに宿る心が、隠せないほどに揺らぎ震えるからこそ、運命を動かすほどに強い音が世界へと、確かに放たれていくのだ。
 ……青春を奏でる楽器としての、少女たちの身体にクローズアップした回とも言えるか。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 何かを動かしうる強い圧力をもった、シリアスな身体のクローズアップと並走する形で、ちょっと崩してあざとくかわいい記号的表現と、視線の行く先を描くバストアップも有効活用されている。
 エピソード内部を駆動させるミステリを機能させるべく、釜屋すずめはわざと空気読めないお騒がせキャラとして印象付けられ、おちゃらけた雰囲気ととびきりの可愛さを、コミカルに演出される。
 それが煙幕となって、友達と部の危機を未然に防ぐべく久美子を手のひらの上で転がす、ズルくて賢い気質が見えにくくなる。
 最後まで見るとすずめの本性、今回の危機の本質が暴かれて『裏切られた!』となるわけだが、この驚きはパッと見の印象が必ずしも人間のあり方に繋がらない、ユーフォらしい複雑さが未だ健在であることを良く語る。
 セルメガネに異様な奥行きを隠し、複雑怪奇な人格と計算高さで深奥にたどり着かせないすずめの難しさは、どこか田中あすかを思い出させるものであり、都合よく久美子を操るズルさに起こるよりも、湧き上がる懐かしさと切なさに助けられて、より好きになってしまった。
 俺は砂糖菓子みてーな甘さと嘘くささで覆われた、いかにもアニメな美少女から生っぽい味がする瞬間が大好き。

 後に破裂する……前に、適切に切開して部活全体にダメージがいかないよう対処できた、サリーちゃんの暗い爆弾。
 それが確かにそこに在ることに、久美子は繊細に気づくし、気付けるように視線のアンテナを張り巡らせている。
 先輩として部長として、なにより色々な波風に翻弄された黄前久美子個人として、青春探偵は三年生になっても人間の機微をしっかり視線で追いかけ、眼の前の相手をちゃんと見ようとする。
 泣きじゃくる新人と、ビシバシ釘を刺す親友両方を視界に入れ、お互いの理と情がどこに在るのか、どこに行くべきかを、余裕の微笑みを頑張って取り繕いながら考えている。

 繊細に切り取られ重ねられる視線の変化は、時に自分の内側と外側、ある考えと別の考えを行ったり来たりし、あるいは自分の外側にいる誰かを見届け、別の誰かへと移っていく。
 『全国金』という未踏の目標を掲げた以上、泣こうが喚こうが気にせずビシバシ鍛え続ける、麗奈のやり方は正しいし必要だ。
 しかしそれが取りこぼしてしまうものは確かにあって、だからこそ今の北宇治は職分を分け合ったトロイカ体制で、公私ともにバランスを取りながら進んでいる。
 そうやってなお、トップを目指すからこその厳しさは誰かの心を削り取り、その痛みに目が行ってしまう優しい誰かを、ともすれば当人よりも傷つけていく。
 本質的にバラバラな人間存在が複数集まる以上、”部活”にとってそれは必然であるし、それでもなお誰も欠けず最後まで走りきりたい久美子の願い(あるいはエゴ)は、当たり前の難しさを前にして、複雑に揺らめく他者を見つめさせる。
 あの黄前久美子が、こうして一歩引いて”視る”存在になったこと、そこに自分自身も含まれていることを、数多の視線を綾織にして紡がれる今回のエピソードは分厚く教えてくれていて、なかなかに感慨深い。

 

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 『一生久美子をペタペタイジって、急に「にゃん」とか言い出す久石奏があざとすぎてキッレそ~~~~~~~~~』とか、まぁなってもいるが。
 このアニメが”ユーフォ”である以上、重たく暗くなるのは必然ではあって、そういうシリアスな曇り空に一点の清涼剤、スカッと爽やかわざとらしい萌えっぷりがありがたくはある。
 ホント三期の奏、劇場版での呪いが反転して久美子LOVE力バリバリ上げてきて最高に可愛いのに、『人工甘味料なんて全く使ってません。黄前先輩のことは特別好きでもありません』みてーなお澄ましヅラ維持してんの、マジあざとい。
 こういう深夜アニメ特有の味わいと、天然素材でじっくり出汁を取った本格青春ドラマのコクが、絶妙にブレンドされていい塩梅なのはやっぱ良い。
 唐突にぶっこまれる黒江真由の戦闘力開陳とかも、京アニらしい清潔感と精一杯の媚態が堪能できて素晴らしかった。
 最高だ。

 まーそこら辺でギリギリ呼吸をさせつつ、世界はどんどん重く暗い色合いに染まっていく。
 ガチ勢拗らせたあまりド素人に努力を供与する、明らかにヤバいところにやる気がリーチしている後輩たちにも微笑みながら応じ、『話を聞いてくれた!』という実感を手渡して難しい問題を保留し、適切にガス抜きつつ方向性を見定める。
 ”部長”がやるべき極めて難しい立ち回りを、久美子が立派にやっている様子が明暗同居する中二階に描かれ、『マジ頑張っとるな……』という気持ちも濃くなる。
 前回真由を案内する時も印象的に使われていたこの場所は、集団としての意思を統一して”金”へと突き進んでいく順風満帆の影、確かに蠢く不穏を書きつけるキャンパスとして、いい具合に有効活用されている印象だ。

 そういう上手く調整された外面を、なんとか顔面に貼り付けて本音を覆い、人間の間を泳いでいくのが、強豪大集団のスタンダードであるけども。
 人間は社会的動物であると同時に感情をもった一個人であり、未だ発展途上な思春期の住人となればなおのこと。
 滝先生い激務の残滓を見届け、うっかり『大人って大変そう……』と口にしてしまった久美子と、鬼教官への苦手意識が口から飛び出したサリーちゃんが、同じ仕草をしているのは印象深い。
 コミカルな明るい場所でも、暗雲立ち込めるシリアスな現場でも、社会性の扉をこじ開けて思わず飛び出してしまう本音ってのは、一年三年区別なく確かにある。
 『人間そんなモン』だからこそ部活を運営していくのは難しいし、難しかろうが皆でやっていく以上、その頂点に立ち重荷を背負う久美子はなんとか、建前と本音に挟まれながらなんとかやっていくしかない。

 ……のだけども、サリーちゃんの口から爆弾飛び出した瞬間、久美子はその衝撃に立ちすくんでしまう。
 この動けなさは生身の18才として大変リアルで、やらなければならない正しさだけではどうにも前に進めない、感情の動物としての黄前久美子を見事にえぐっていた。
 トップを目指す競技集団と、未だ柔らかい感情を残す子どもの共同体と。
 ”部活”が持つ複雑なあり方の間に、たっぷり溜まった軋みがサリーちゃんを通じて飛び出した瞬間だが、この難しさを余裕顔で乗りこなせるほどまだ、黄前久美子は大人ではない。
 この未熟な立ちすくみも、同じ方向を向けない影の中の足先も、部長になった久美子が”今”どこにいるかという記録の一つであり、嘘のない大切なものだ。
 暗い廊下の向こう側へ、サリーちゃんを撮り逃してしまう経験があってこそ、久美子は100人からの大集団の代表として、『難しそう』な大人のなりかけとして、もっと強く正しくなっていける。
 そんな成長への途中経過としても、麗奈がビシバシ叩きつける”正しさ”がサリーちゃんだけでなく、親友なはずの久美子も取りこぼし足を止めさせている共鳴としても、とても良い描写だった。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 釜屋すずめが狙って出してるコミカルな空気を前置きに、雨脚は強くなり世界は暗くなり、大量離脱の悪夢再びかとショックを受けたところで、画面の重さは最高潮に達する。
 視線を反らし動揺を気取られないように務める可愛らしい仕草と、地獄の底みたいになってる踊り場の闇が面白い対比をなし、明るいギャグ担当が持ち込んだ爆弾がどんだけ重たいか、憂鬱に探るガラス越しの景色へと繋がっていく。
 マージでサリーちゃんを包む暗闇重たすぎ濃すぎで、ユーフォらしい心理主義の一番強い部分を食べれて良かった。
 こういうドス黒いモノと上手く向き合えず、三年前の北宇治は内部崩壊していったわけだが、あの時はエンジョイ勢がガチ勢を駆逐する形だったのに対し、今回は本気すぎる連中の力みが初心者を泣かしている構図で、人の繋がりの多彩さ、難しさが良く伝わる。
 何しろユーフォも第三期、おんなじピンチに翻弄されていても成長は見えないわけで、滝先生の元結果を出し、出しきれず今年こそはと意気込む強豪だからこその課題克服を、作品は切り取っていく。

 重たく暗い闇のそこから顔を上げて、久美子は開いた窓越しに色んなものを見る。
 泣きじゃくっていた子がサリーちゃんの指導を受けながら、『上手くなりたい』と必死に頑張っている姿も、ノートに刻んだ自分の願いも、確かにそこに在る。
 上を目指すからこその厳しさに涙しても、悔しさをバネに自分を鍛える逞しさは、かつて久美子自身が噛み締めた苦みと、だからこそ上手くなれた事実を、初々しい後輩たちから滲ませている。
 上手くなろうとする誰かと、それに寄り添う誰かはかつての久美子自身であり、見通しの効かない闇の中に遠く離れていくように思えても、他人事とは思えない……部長として思ってはいけない親しさを残している。
 窓辺からノートに目を戻し、かつての自分が何気なく書きつけていた願いを確認することで、その思いは更に強まっていく。
 視線は断絶と衝突に満ちた暗い世界から、光が在るからこそ影が生まれる場所へ……そこで肩を並べている誰かの頑張りと、責務と情熱を両方背負って”部長”やってる自分へと、確かに伸びていく。

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 とはいえそんな風に世界と自分と他者へ伸びていく視線が、絡まり惑うのも人間集団の難しさであり。
 ”部”としての歴史と経験、それが生み出す目的意識や集団としての目標をがっちり共
有しているおなじみの面々から、一人黒い制服を着込んだ真由は露骨に浮いている。
 積極的に排除さrてるいるわけじゃないけど、流され漂うばかりに思えて鋭い毒を隠し持つクラゲ少女は、自分という異物が和を壊さぬよう慎重に間合いを探りつつ、勝ち負けよりも楽しさを大事にしたい己を、曲げも譲りもしない。

 この柳のような態度が、大人のなりかけとしていい塩梅に距離感を測り、明るく楽しくガチろうとしている低音パートでどういう距離感なのか、やや引いた位置から切り取るカメラは示唆的だ。
 真由の抱える当惑や不安も、戸惑い髪先をいじる指先にしっかり刻まれているが、今回課題を炸裂させて解決へと至るサリーちゃんがどんだけ、揺らぐ瞳のクローズアップを抜かれているかを思うと、彼女の深奥は未だ遠い。
 その遠さ、解らなさい、底知れなさに挑んでいくことが、三期の物語を牽引する大きなエンジンであり、未だ完璧ではない未熟な存在だからこそ、少しでもより良い自分を掴もうと足掻く久美子の戦いを反射する、大事な鏡にもなるのだろう。

 

 そこら辺は先の話として、ゴシップ気質なさっちゃんが騒ぎ立てる一年生ボイコットの危機を前に、久美子はちょっとバランスを崩し前のめりになる。
 ここで一年指導係に指名された葉月ちゃんとりりりん先輩が、しっかり部長の手綱を握って良い間合いを取り戻させているのが、久美子だけが物語の中成長したわけではないと、豊かに語っている。
  『そういう仕事だから』と責任を任され、果たすべき使命として積極的に頑張っている、かつての自分たちに似た誰かのケア。
 そればっかりにかまけてもいられないけど、とても大事なものを誰かに預けることで、100人の大集団はなんとか成立している。
 前回麗奈と秀一と力を合わせ、他には預けられない弱音を吐き出しながら頑張る部長が描かれたけど、それとはまた違った形で頼れる仲間が久美子を支えてくれること……そういう強さを葉月ちゃんも梨々花も育んでいることを、強く感じられる。

 気持ちをただ素直にぶつけて、自分に都合のいい何かを引っ張り込むだけではなく、相手の願いを受け止めて、お互いが気持ちよく過ごせる距離を測る。
 1年時も2年時も波乱まみれ、そういう大人っぽさとは無縁だった北宇治の現在地は、思いの外風通し良く、周囲を見ながら動いていることが、一年組と先輩たちが朗らかに交流する様子に見えてくる。
 ここら辺はあっという間に後輩の心をつかんだ、剣崎梨々花の対人性能の高さかなとも思うが、重たく苦しい凶器だけでなく楽しく繋がれる笑顔を携えて、三年目の北宇治は雨上がりに明るい。

 その真中に立つ久美子が、柔らかく礼儀正しく差し出した手のひらは、『私は貴方を思い、尊重します』というメッセージを強く発している。
 身体言語は時に、発声言語が語るべき意味内容よりも雄弁で形のないものを、その仕草の中に宿すが、サリーちゃんと二人っきりで話せる親しさを、それを許す信頼を獲得するために、久美子がかなり意識して自分の体を使っている様子が、この訪問からは見て取れる。
 体を使って意味を宿す行為は、楽器を媒介にして曲を作っていく……そえで彼岸の全国金を勝ち取ろうとする吹奏楽表現者の使命でもあるので、久美子がボディランゲージの使い方を気にかけている様子は、作品のテーマ的にも大事だろう。
 この細やかなメッセージ性を受け取ることで、すずめも自分が誘導した部長の人格を最終確認して、一対一の青春勝負を明け渡したんだろうしね……。
 サリーちゃんのプライベートが閉じ込められた私室の、更に近しいベット脇まで踏み込む資格があるのか、キッチリ至近距離で確かめてから状況にGO出すの、セルフレームの奥の冷静を感じれて好きだ。

 

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 いよいよ熱を増す繊細な表現は、優しいサリーちゃんが抱え込んでいる辛さを吐き出し、それを黄前部長が受け止めメッセージを返す様子を、丁寧に積み上げていく。
 素直で真っ直ぐで良い子だからこそ、苦手意識とか痛みとか、暗い感情に慣れていなくて強く傷ついてしまうサリーちゃんの気持ちを、美しいみだれ髪は豊かに語ってくれる。
 そこにはサリーちゃん個人の気持ちだけでなく、結果のために何もかも振り捨てて突き進む競技集団であると同時に、孤星豊かな思春期の子ども達を百人集めた教育と生活の現場でもある、”部活”の難しさが反射している。
 上手くない今と、上手くなりたい自分と、上手くなれるだろう未来が複雑に反響し、時折ノイズを交えつつも熱くて複雑な共鳴を……北宇治の音を作っているその場所が、久美子は好きだ。

 そんな自分を確かめるように、強く手のひらを握りしめた後、黄前部長はそれを拡げる。
 自分に言い聞かせるように視線を下に向けて、必死に言葉を探しながらサリーちゃんが預けてくれた思いに、自分の気持ちを重ね応えていく。
 かつて先輩たちが自分にしてくれて、かつて自分が先輩たちにした、触れ合うからこそ暖かく傷も生まれる旅路の新しい一歩を、出来る限り誠実に適切に進めるよう、その視線は色んなものを視る。

 ここでまず久美子の意識が、自分の中にある心と体験を彷徨い探り、その後『ここから私の言葉が出ているんだよ!』と告げるように胸に当てられて、サリーちゃんへと飛び立っていくのが、俺はすごく好きだ。
 貴方と私の間にある、すれ違っているけど結び合うことだって出来るとても柔らかく温かいものを、どこに定めればこの病床から立ち上がって、一緒に進めるのか。
 外から借りてきた正しさではなく、あくまで自分の体験と感情に根付いた嘘のない思いを届けられるよう、久美子は必死に『良い先輩、良い部長』の顔を作りながらも、サリーちゃんに語りかける。
  立派だ、とても。

 

 厳しさに涙することがあっても、皆で一緒に高みへと進み、最高の景色を見てみたい。
 久美子のそんな願いが、眼の前のサリーちゃんだけではなく境内に遊ぶ友人たち……厳しくて悔しくて泣いていた初心者の子、汗を流しながら後輩を指導するドラムメジャーにも伸びている様子も、凄く良い。
 人間が人間であり、だからこそ心の通った音楽が生み出せる以上、北宇治吹奏楽部は迷うこともぶつかることも、今までそうだったように必ずある。
 それでも可愛らしく絵馬に刻まれた決意と祈りを、なんとか共有しながら進んでいくことを、久美子は願い祈り、彼女を部長とする皆が共有している……はずだ。

 それが不可能ではなく、押し付けでもなく、泣きじゃくっていた弱い子が弱いまんまなんかじゃなくて、昨日出来なかったことが出来るようになって嬉しくて、その喜びを糧にもっと頑張れるのだと、ちゃんと書いてくれているのが俺は好きだ。
 弱みも迷いも見せず、進むべき理想像へとビシバシ仲間を駆り立てていくドラムメジャーが、弱い存在を踏みつけにする喜悦に酔わず、ただただ高みを目指して一心不乱である様子も。
 演奏のクオリティを担保する責任を、自分の気質と重ねて背負ってる麗奈の厳しい言葉と態度は、生徒が自分で掲げた高い目標を成し遂げるためには絶対必要であるし、泣かされた側にもそこに薄汚い私心がないことは、ちゃんと伝わっている。
 だから久美子もサリーちゃんが……自分を慰めたり真意を通訳してくれる誰かがいない場所でも、二人はとても良い顔をして、真っ直ぐ前を向いて汗を流している。
 音楽のならない場所で柔らかくお互いの思いを伝え合う以外にも、心が通じ同じ場所を見つめられる瞬間は沢山あって、そのどれもが眩しく正しい、嘘のない決断なのだ。
 サンフェスに向けて奮戦する書士sん車とドラムメジャーを挟むことで、久美子だけが立派に頑張っているわけではなく、彼女が導く仲間たちも傷つきながら力強く、同じ未来へ進んでいけると教えてくれる回で、大変いい。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 部長として先輩として人間として、親しくても近すぎない最適距離を必死に探って心を通わせた久美子よりも、更に密接した義井沙里の0距離を釜屋すずめは独占する。
 湧き上がる不安や痛みに押しつぶされそうになっていたサリーちゃんは、久美子の誠実な態度に己の心を預け、本来彼女が向き合うべき明るい光へ視線を戻す。
 そんな親友の回復を見届けて、しかしすずめが同じ光を見つめるのではなく背後の闇に顔を逃がすのは、後に暴かれるチャーミングな犯行計画への予告として、とても印象深い。
 光に必ずつきまとう闇に耐性がない、真っ直ぐ優しくいい子がだからこそ陥った、人間性のどん詰まり。
 空気読まずにおちゃらけてばかりいるようでいて、部を揺るがしかねなかった一大事を火種の段階でもみ消し、一年生エースの憂いを晴らした今回の解決策、一体誰が書き上げたのか。
 そこら辺の視力の良さと、影の中が見えてしまうからこそサリーちゃんが真っ直ぐ見つめる未来を、自分の景色だと受け止いきれない釜屋すずめの複雑さが、隣り合って交錯しない視線には反射している。

 暗い場所から明るい場所へ、鮮烈に歩を進めることで再生と成長を眩しく輝かせるサリーちゃんが、一人では越えられなかった壁。
 それがすずめには見えていて、誰がどう動けばより善い未来を掴めるか……ともすれば影の前に立つすくむこともあった黄前部長よりも鋭く、見抜いていた感じもある。
 この賢しさが他人にどう見えるのか、理解っているから笑いで覆い隠している部分もあるのだろうし、ここら辺の制御の巧さは後輩にめちゃモテのりりりん先輩も、多分同じなのだろう。
 いい人、面白い人、可愛い人が皆、透明で眩しい光だけを見据え、自分をその中においている訳でも、置けるわけでもない。
 そういう人間の難しさと面白さが、軟着陸を無事果たしたボイコット未遂事件に……その犯人であり探偵役でもあった釜屋すずめに、鮮烈に反射する回である。

 黄前久美子に、そういう怜悧な知性は似合わない。
 一個一個世界と自分と他人を探り探り、思い出の中に解決策を探しながら、正しい建前と熱い本音を必死にないまぜにして、生真面目に不器用に手渡す。
 そういう、とても黄前久美子らしいやり方で此処から先の旅も走っていくし、そこには色んな人が……特に久美子の0距離を唯一専有する麗奈が隣り合って、進んでいくということが見えるエピソードだった。
 この”特別”に滑り込むべく、久石奏がかなり暴れている様子、俺はマジ好きだぜ……。

 自分とは全く違うタイプでも、心響き合って人生が交わることがあるし、その差異と共鳴は面白いものだと、あすかや麗奈などなど、アクの強い連中と魂のぶつかり合い果たした経験から学び取っているのは、黄前部長の強みだろう。
 55人編成のブラスバンドが、金管木管高音低音、様々な楽器があればこそ最高の音楽を生み出せるように、100人の社会集団にも様々な個性や願いや思惑があって、ぶつかり合いながら自分たちだけの音を探していく。
 その先頭に、真ん中に、震えながら立って未来へ進んでいく久美子の姿が、とても鮮烈な回でした。
 頼もしさを必死に演じ、一人間として震える心と視線を抱えながら”部長”であろうとしてる三年生の久美子は、やっぱ立派だ。

 

 まだまだ物語は始まったばかり、今回大爆発しなかった火種は別の場所で、全てを焼け野原にするかもしれません。
 そういう人間集団のヤバさを嘘なく描けばこそ、響き合い高鳴る青春の鼓動。
 まずはサンフェス本番……どんな可愛げと颯爽とギスギスが見られるか。
 次回も楽しみです。

響け! ユーフォニアム3:第2話『さんかくシンコペーション』感想

 全国大会金賞という目標を定め、動き出した久美子部長の北宇治吹奏楽部。
 しかし部員百人を超える大集団の運営はなかなかに大変で、晴れたり曇ったり押したり引いたり、色んなトライアグルが随所で蠢く……という、ユーフォアニメ三期第2話である。
 2年分の波風に鍛えられ、一見順調に”先輩”やっているように見えて、今まで通り何も完璧ではなく揺れ動き、未来に迷いつつも強がり背筋を伸ばして部長を頑張っている久美子と、彼女を取り巻く様々な三角形。
 それは奏と真由を交えた三人のユーフォ奏者であったり、 麗奈と秀一と三人で引っ張っていく部内政治であったり、3つの楽曲から一つを選ぶ決断だったりする。
 後輩の前では揺るがない安心感を演じ、苦楽を共にする仲間の隣では私人でいられ、吹奏楽を離れたところにも勿論未来が繋がっている、高校3年生が身を置く複雑な景色も含むだろう。
 色んな”さんかく”が複雑な力学の中で踊る中で、未だ成し遂げられぬ黄金の結末へ皆でたどり着くために、久美子は何を選び、何に迷うのか。
 未だ静かな序奏ながら、待ち構える嵐とそれを超えればこその晴れ間は確かに予感できる、ユーフォアニメらしい第2話でした。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第2話より引用

 というわけで、100人を超える大所帯の部長になった久美子はかつてあすかや優子が見せていた頼もしさを必死で演じながら、より良い音を奏でコンクールを勝ち残るためにも、数多の実務をこなし人間関係を調整する、極めて面倒くさい立場に立っている。
 去っていく人の背中を追い越して、同じ立場に経って初めて見えてくる苦労と、それを見せないことでなんとか成立していた……あるいは荒れに荒れて壊れかけて、だからこそ強くなっていった、部活という社会。
 部長になった久美子は感情むき出しの幼い一年生でも、エースとして後輩を導くニ年生でもなく、揺らぐ弱さを見せられない強豪校の要として、一見頼もしくも見える。
 しかし先輩たちの苦労を思いつつピアノの上で書き記す書類には、どこか頼り投げな影が確かに写っていて、未来を刻む進路調査票も真っ白だ。
 『立場が人を作る』という言葉に従って、完璧で強い自分を演じきって部を背負おうと頑張る姿の奥には、今まで僕らが見てきたまんまの頼りなく愛しい黄前久美子が、確かにある。

 全国レベルの演奏集団として、部活をまとめ上げていくことの難しさは、常に嵐が吹き荒れて、それを背に受けて大きく飛翔してきた北宇治吹奏楽部の生え抜きだからこそ、良く理解っている。
 部長・副部長・ドラムメジャーと役割を分担しつつ、複雑怪奇な小社会をコントロールしなければいけない立場になった久美子たちは、普通の高校生たちのように座席ではしゃぎ、安楽に腰を下ろすことは許されていない。
 帰りの電車でも北宇治首脳会談に頭を悩ませ、三年越しの念願をどう叶えていくべきなのか、完璧ではないからこそ完璧であろうと、必死の背伸びを続けている。
 それはけして楽ではなく、しかし誰かに強要されたわけでもない、彼ら自身の夢の形だ。
 これを性格も能力も立場も異なる百人と、理想をぶつけ合いこすり合わせながらなんとか、一つの曲を奏でられるように闘っていく。
 ヘラヘラ笑って楽しい部活に時間を使う道を、自分たちで拒絶してしまったからには、厳しくても立たなければいけない場所があるのだ。

 

 とは言うものの、どんな立場にいようが久美子たちは人間であり、未熟で発展途上な子どもでもある。
 気心のしれた仲間に信頼を預け、お互い支え合うことでなんとか苦境を乗り越えて、未来への道を切り開いていくためには、弱音や希望を確かめ合う親しさが、どこかに必要になる。
 それがあればこそなんとか背筋を伸ばして立っていられる、厳しい全国への道へと仲間を導いていける、人間としての体重の預けどころに、三年生になった久美子たちがどう向き合っているのか。
 美しさと緊張感のある構図に鮮烈に焼き付ける筆は、三期になっても元気である。
 やっぱユーフォの……京アニの美術とレイアウトは良いなぁ…。

 北宇治を牽引するトロイカにおいて、久美子と麗奈があまりにも特別な……なかなか名前がつかない濃厚な距離感で繋がっていることは既に幾度も描かれた。
 雨上がりのベンチに間近に座り、一つのイヤフォンを分け合って同じ曲を聞く。
 そんな特別すら当たり前の、あまりにも特別な関係。
 部活に加えて恋愛までは背負えないと、一回関係をリセットした久美子のわがままを、苦笑交じりに受け止めてくれた秀一との絆も、未だ素直になれない頑なさを残したまま強いものだ。
 久美子-麗奈、久美子-秀一の二辺に繋がるもう一辺、副部長とドラムメジャーの関係性がどんなものであるか、今回描かれたのはとても面白かった。

 何かと背負いがちな久美子に過剰な重さを背負わせぬよう、細かい言い回しにもピリピリ口を突っ込んでくる麗奈に、秀逸は素直に道を譲って追いかける。
 この優しさが自分に向いてしまうことが、親友をどう揺らがせるか想像できてしまえるところに、麗奈の可愛さと面倒くささ、自分を固く保ちつつも結構他人のことも見える周辺視野の広さが、良く表れていると思う。
 苛烈で己を譲らないからこそ、妥協なく音楽を追求するドラムメジャーをやれている麗奈に対し、仏の副部長は柔らかく不満を受け止め、部内の人間関係を裏から調整する役割を背負っている。
 厳しい嫌われ役と優しい理解者、それぞれ部内政治に必要な役割を背負いながら、確かな信頼で繋がっている二人の距離が、電話ボックスをナメながら的確にスケッチされていく。
 こういう繋がり方があればこそ、あすか達にも優子達にも預けなかった勝負の選曲を三人だからこそ特別に任せてくれたと、確信を込めて麗奈も言い切るのだろう。
 高坂麗奈が三年生になっても、群れに埋没せず、何者かであること……特別であることを常に望んでいる様子も伺えて、そこも面白い回だった。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第2話より引用

 こんな屋台骨の頑張りで支えられている北宇治高校吹奏楽部だが、人が集まれば影も生まれるわけで、嵐の予感は静かに近づく。
 やはり台風の目は謎めいた転校生・黒江真由であり、聖母めいた透明な笑顔に嘘はないものの、彼女の周囲には底抜けの眩しさだけでなく、濃い影も追いついてくる。
 彼女の微笑みの奥にある獣が牙を向くのは先の話だけども、本気で競い合うからこそ強くなった北宇治イズム(≒滝昇イズム)を押しのけるような、ガチって傷つく人を見たくない優しさが秘める凶暴さは、明暗の中に既に元気だ。
 負けて本気でなく麗奈の気持ちが解らなかった中学時代から、二年の時を経て同じ温度で並び立てるようになった久美子が、過去においてきた柔らかな凶器が、限られた椅子から部長を押しのけレギュラーを奪いかねない実力と、並び合っている静かな強さ。
 そこには客観的な衝突の予感だけではなく、部長でありながら一人の演奏者でもある久美子が、自分の居場所を奪われ、大事な人達と積み重ねてきた何かを否定されてしまう未来への、形のない主観的不安が反射している感じもある。

 部長という立場を得てしまった以上、メチャクチャな意見だろうと一応は聞き届け受け止め、落ち着く場所を見つけてあげなければいけないわけで、シスコン拗らせて暴走する釜屋妹のぶっ飛んだ提案にも、親身に向き合う姿勢を久美子は作る。
 この公平なスタンスが、嫌悪とまでは行かない個人的な違和感や不安を表に出さず、自分を殺して真由に向き合うストレスの影を、長く伸ばしてもいるのだろう。
 ここら辺の私的感情に、先回りして警戒感もあらわに”三人目のユーフォ奏者”に牽制を入れ、けして名前では呼ばない久石奏のイイ性格が、何かと息苦しそうな今の久美子を見ていると、ちょっとありがたくもある。
 に年目の物語において計算高く自分を装い、ビシビシ尖ってぶつかって来た彼女は、だからこそ自分の狡さや賢さすら見つめ受け止めてくれた久美子を、彼女の”特別”として認め愛している。
 おどけた態度で距離近く、ベタベタ引っ付いてくるのは戯れ半分、本気半分って感じだと思うが、公明正大な部長様が付きさせない針を、慇懃な態度の奥からプスプス真由に刺しているのも、愛着の逆位相という感じがする。
 そこら辺の張り詰めた間合いを、隙なくしっかり描くことで、部内に満ち人と人の間に蠢く不可視の空気を、視聴者に伝える静かな雄弁さが、やっぱり俺は好きだ。

 

 真由を中心に渦を巻く不穏さや、愛が高じてメチャクチャ言い出すすずめの言い分は、まだ笑える可愛げに満ちている。
 しかし確かに沢山の人がいる吹奏楽部の未来は、入り交じる空気を反射して晴れ間ばかりではなく、暗くなったり雨が降ったり、色んな天気に移り変わる。
 それでも久美子が率いる人間集団が、より善い音楽を作り上げるべく集まっている以上、世界が黄金に輝くのはやはり、音に満ちた瞬間になる。
 高校生活最後の年、全国に夢を届ける勝負の曲が決まった時、世界を満たしていた湿り気と暗さを一気に押しのけて、眩い光が久美子と麗奈を包む美しさは、圧倒的なまばゆさに満ちていた。
 ずーっと人間と人間が肩を寄せあい、支え合ってぶつかりあって活きてる狭い空間を切り取ってきた(だからこそ、そこに宿る息吹を細やかに切り取れていた)画角が、首脳部全員の気持ちが一つに重なり” 一年の詩 ”が鳴り響いた瞬間、あまりにも広く美しい宇治の情景を黄金色に照らすの、開放感ハンパなくて良かったな……。

 色々薄暗いものもありつつ、苦労し傷ついて譲れない願いを見つけ、ぶつかりあって一つの曲を奏でてきた久美子の歩みは、常に音楽とともにあった。
 晴れる日もあれば曇る日も、吹き荒れる嵐に翻弄されるときだってあったけど、自分を譲らず本気で向き合い、見つけ重ねた歌に嘘はなかった。
 そういう輝きを、湿った暗がりと同じくらい……あるいはそれを上回る力強さと真実味で描いてきたお話の、”特別”がどこにあるのか。
 麗奈と久美子の願いが重なった瞬間を、極めてドラマチックに描く筆先が、改めて語ってくれてとても良かった。
 やっぱこのエモーションの炸裂が、俺はいっとう好きだ……。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第2話より引用

 あんなにも世界を美しく染め上げる、強く真っ直ぐな音が鳴り響いたんだから、たかが100人からの社会集団、同じ方向を向いて光に向かってまっしぐら!!
 ……って甘っちょろさが、ユーフォの味じゃないのもまた、皆さんご承知の通りで。
 純粋に善い音楽を追い求めることを役割と求められている麗奈が高く掲げた指先に待つ、険しくも特別な歩み。
 それが多くの部員を包み込みつつも、既に陰りに囚われている誰かがいることをカメラは見落とさない。
 オイー、一年エースの伏せた視線と伸びる影、明らか不穏なんだがッ!

 全国の高みを目指し、一丸となって突き進まなければ夢など叶わないと解りつつ、人間である以上迷いや揺らぎは当然あって、しかしそれを飲み干す度量を見せなければ、部を導くことなど叶わない。
 久美子部長が身を置いている、極めて難しい人生の居場所がどんな影と光に満ちているのか、丁寧に描く回でした。
 ”先輩”になった葉月ちゃんや、アンコンを経て演奏者として人間として頼もしさを増したつばめちゃんを描く筆がなんとも頼もしく嬉しいけども、群像の成長の隣には常に、人が人であるがゆえの、そんな存在が集まるからこその難しさが、複雑な陰影を奏でている。
 さてはてサンフェス近づく中で、一体何が起こるやら。
 次回も楽しみですね。

忘却バッテリー:第3話『だから、なんだ』感想ツイートまとめ

 忘却バッテリー 第3話を見る。
 前回ややピリ付いた空気纏って動き出した、小手指一年五人組。
 強面剥いでみれば年相応のクソボケぼんくら男子高校生なわけで、そこら辺のおバカっぷりをたっぷり堪能できるギャグ濃いめなエピソード。
 …から、高校球児の概念存在、強豪・帝徳の国都くんに引きずられ、初の試合形式怪物ピッチャー一発ズドンまで、一気に走っていく回となった。
 宮野がボケて梶が突っ込む、高校生サイドの笑いの作り方はいつもどおりにパワフルなんだが、金尾がボケて杉田が突っ込む、帝徳大人サイドの”二発目”が程よく緩んだ腹筋に、深く刺さった。
 『監督ッ!』のバリエーションだけで笑わせるのズルいな…。

 

 

 前半は汗臭さを抑え笑いを山盛りにした、みんな大好きおバカ男子高校生の朗らかな日常。
 トゲトゲツッパってるフリして、野球は楽しいから大好きで、それを一緒にやってくれる仲間も大事で、皆ピュアないい子だよ! つうのが、前回の補足として良く効いてる回である。
 藤堂も千早も、生真面目な強者ッ面一枚剥げば等身大の野球少年…つうかフツーの高校生よりピュアピュア夢追い人なわけで、距離縮めようと一生懸命な圭ちゃんの笑えるから周りに乗っかって、彼らの”純”が上手く滲んでいた。
 このお話の子ども達、皆かわいいから好き。
 そこら辺の純粋さを、ちゃんと見抜いて言語がする山田太郎のありがたみは、ギャグ回でも強い。

 正直原作だとややエグみとクドさがあるパートなんだが、アニメは声優の熱演と後退のネジを外したパロディ山盛りで塩梅を整え、勢いよく啜り込める仕上がりになっていた。
 笑いのさじ加減は本当に難しいと思うけど、アニメ化にあたりちょうどいいテンポと温度、勢いと味付けでもってまとめてくれて、素直に笑えるのはありがたい。
 笑って緩んだ腹筋に、『あ、この子ら活きてるな。好きだな』という印象がぶっ刺さっていくわけで、スポ根ドラマに視聴者をノセる上でも、ギャグが想定通りドッカンドッカン爆発するってのは大事なのだ。
 圭ちゃんママのイヤっぷりとかも、過剰にならない絶妙さでコスってくれて、大変良かった。

 

 

このお話、楽しい遊びとしての野球の原点と、そこから切磋琢磨と過当競争を経て、残酷に優劣が決まる競技としての野球が、ネタの薄皮の奥みっちり詰まった話である。
 小っ恥ずかしい青春っぷりで、捨てたはずのグラブをワクワク手に取り、キャッチボールにウキウキする復活の二遊間は、野球と出会った頃の純粋さを幸せに取り戻している。
 ここら辺の真っ直ぐさを程よくコスり、笑いの火種にして楽しく生かす手際もまた良い感じなのだが、ミジンコ都立で野球人生再スタートを切った負け犬たちは、野球を楽しめる自分を、笑いながら取り返しつつある。

 だが彼らの才能は彼らを勝たせてしまって、勝敗が乗れば楽しいだけでは終わらない。
 圭ちゃんが愛されること、嫌われないことにしがみついている様子は、この段階では無様な笑いの種であるけども、話が軌道に乗って持ち前のシリアスさを顕にした後アニメで見返すと、なかなか笑えない。
 負けた相手を殺して恨まれ、その痛みを忘れるために勝つ機械に自分を作り変えて、おバカな甘えん坊な本性が消えてなくなるまで、鍛えて鍛えて鍛え倒した。
 そんな智将のあり方がぶっ壊れた後、ブツクサ文句言いつつ野球の楽しさを一個ずつ学び直している圭ちゃんは、何も覚えていないはずなのに嫌われること、恨まれることを極端に怖がる。

 野球をやって楽しくて、お互いを好きになってそれで終わり。
 幼く無邪気な遊びの夢は、殺した相手の名前を覚えていない葉流火の残酷が軋轢を生む中で、土足で踏みにじられていく。
 葉流火をそういう存在に作ってしまったのもかつての圭ちゃんだし、敬意と愛情を置き去りに結果だけを求める戦い方に殺されて、一人相棒を置き去りに原点に戻ってしまったのも圭ちゃんだ。
 要圭が野球のエグい部分、全部背負ってくれたから成立していた、残酷で傲慢なピッチングマシーンは今、支え導いてくれる存在を失ったまま一人、最悪最強なエースとして立ちすくんでいる。
 そのシリアスな孤独のヤバさを、自覚できるほど葉流火の人格は成熟しておらず、それはある意味”智将”の檻が彼の幼さを守った結果だ。

 思春期の柔らかな心が受け止めるには、あまりに残酷なスコアボードの毒薬。
 それが人間を壊す様が実に多彩で絢爛で、ある種のカタルシスすら孕んでいる事実を、楽しくおバカなこのお話は鋭く睨みつけている。
 野球をやり続けていれば、競技と向き合っていけば、否応なくその毒を飲んで大人になり、あるいは毒に殺されて野球をやめ、あるいは何もかも忘れて無邪気な子どもに戻っていく。

 

 そんな残酷を笑いの中に照らしつつ、しかしそればっかりが野球の全部じゃないとも、このお話は描く。
 気の合う仲間とバカやって、上手くなるのが楽しくて、キツイ練習くぐり抜けて、チームがチームになっていく。
 どんだけ殺されても消えてくれない、”好き”と”楽しい”をオイルに込めて、閉じ込めていたグラブを優しく撫でる瞬間は、確かに野球の一部なのだ。
 子ども達を野球に惹きつけた”好き”と”楽しい”が、ひどく寿命の短い輝きで、それで何もかんも乗り越えていけるほど、本気の勝ち負けは優しくはないけども。
 その厳しさに一度倒れ伏して、何もかも忘れるほどに傷ついてなお、野球に出会い直しもう一度動き出してしまう子ども達で、小手指野球部は構成されている。
 いやまぁ、ゴミみてーな先輩とかモブ顔とかもいるけど…でもアイツラだって、圭ちゃん達との出会いを通じて彼らなりの”野球”をしだすんだよマジ!!

 極めて残酷に的確に、才能の有無とそれで刻まれる結果が、”好き”と”楽しい”を殺しに来る世界。
 そこでガキっぽく『野球が好き!』とか言ってるの、現実見てない恥ずかしさが確かにあって、バカ高校生達の真っ直ぐさをコスって笑いを作るスタイルは、そういうシニカルを作品内部にまくりこむ。

 ああ、こんなに残酷な世界で何かを本気で好きなの、確かに恥ずかしいよね。
 ガキっぽいよね。
 でも、それが良いんじゃないか。
 そうさせてくれるから、野球って凄いんじゃないか。

 時に笑えすらする熱血を、シニカルに上から嘲笑ってハイ終わりではなく、そんな世間の賢い目線に笑いで同調したフリで重なり、ドラマで殴る。
 アニメで改めて、矢継ぎ早に突っ込まれるおバカ男子高校生ギャグを見ていると、作品が選んだ物語の戦術を腹に落とせる感じがあった。
 こういう風に、お話と出会い直して改めて顔を見つめる体験が出来るのが、僕が”アニメ化”に一番求めることで…つまり忘却バッテリーのアニメは、いいアニメだってことだろう。

 

 野球の残酷さに噛み殺されず、強豪校でガチる道を選べた勝者達が、帝徳には集う。
 監督はちょっと…イヤ大分ヤバい感じの人だが、野球で勝つことと負けること、その歯車に子ども達が巻き込まれることに、作中随一の誠実さで向き合ってくれる存在だ。
 野球は、少年たちを殺す。
 そんな当たり前の毒を飲み干し、それでもなおエリートなり、エリートだからこそ野球が好きで楽しくて、魂を引きちぎられる痛みを噛み締めて戦う者たちを率いて、彼は監督をやっている。
 大人の指導者なし、恵まれた練習環境なし、課せられた責務なし。
 どん底だからこそ楽しさの原点に戻れる小手指と、礼儀で殴るスタイルを当然身に着けている帝徳は、鏡合わせの双子だ。

 シリアスに描いたらあまりに重たく凶暴になってしまう、人生を野球に賭ける意味にクッションをかけるべく、この練習試合はギャグ濃いめでスルッと入った感じでもあるな。
 そしてバズーカみたいな音立てた葉流火の初球は、そういう柔らかさを引っ剥がす。
 葉流火の才能は否応なく彼を勝たせてしまうし、対手を否応なく負けさせてしまう。
 清峰葉流火が清峰葉流火である限り、野球の残酷さも真剣さも、彼を逃さない。

 だが、野球は清峰葉流火だけでやるものではなく、清峰葉流火だけがやっているものでもない。
 彼が負かし忘れた、忘れていいよと誰かに言ってもらった敗者たちも、屈辱を噛み締め血が滲む努力を積み上げ、自分だけの”好き”と”楽しい”にしがみつくべく、ゲロ吐きながら練習しているのだ。
 それを思い知ってもらわなきゃ、野球ガチってる甲斐がない。
 国都と帝徳の怒りは、コミカルに彩られているものの正統で苛烈だ。そらー、まーね…。

 

 

 運命に流され、ミジンコ都立に集ってしまった最強つよつよ一年生は果たして、即席チームでどれだけ強豪に噛みつけるのか。
 その付け焼き刃を跳ね除け、野球を選び野球に選ばれた強者達が、高校球児のスタンダードの生き様を見せつけるか。
 肩の力を抜いて心底笑える日常が終わり、初の練習試合にシリアスな熱が入っていく。
 勝って負けても笑えねぇ、傷ついてなお続けるしかねぇ。
 ダイヤモンドの祝福と呪いが、どんな輝きを放つか。

 次回そこらへん、このアニメがどう描いてくるか。
 とても楽しみ。
 プレイの作画が全体的に良いので、それメインに持って来た時どんだけ作品全体がアガるかってのも、見ておきたいんよな

夜のクラゲは泳げない:第3話『渡瀬キウイ』感想

 激ヤバドルオタお嬢様を仲間に加えたJELEEだが、世間にうって出るにはまだコマが足りない……。
 なら動画作成に強い現役クリエーターだッ! てんで、頭ピンクのキウイちゃんに白羽の矢が立つ、ヨルクラ第3話である。

 第1話はまひると花音、第2話は花音とめいに焦点を合わせて展開したわけだが、今回はJELEE最後の一人となるキウイちゃんにフォーカスして、幼馴染とガッツリ噛ませて仲間に引き込むまでを描く回となった。
 第1話においては自由な悪魔を羨ましそうに見上げる側だったまひるが、花音やめいと出会って自分らしい創作活動に踏み出したことで力を取り戻し、嘘っぱちの影に沈み込んでいた彼女のヒーローを、新しい場所へと引っ張り上げる様子は、出会いが生み出すポジティブな力を感じれてとても良い。
 ”竜ヶ崎ノクス”という偽りの名前で、登校拒否児である現状を覆い隠していた偽りのヒーローが、彼女がいればこそ最高になったJELEEデビュー曲”最高ガール”に愛と友情を乗せて、堂々四人で何かを作り上げる手応えも、荒波かき分け生きていく頼もしさに満ちている。

 絵画、歌唱、作曲、動画編集。
 色んなジャンルのアートが一まとまりにぶつかって、JELEEという新たなアイデンティティを生み出していく気持ちよさも濃くて、多彩な才能と表現が自分たちだけの価値になっていく清々しさを、たっぷり味わうことが出来た。
 花音が見つけ信じたヨルのアートが、まひるの曲がっていた背中を伸ばして力を与え、解釈違いを乗り越えののたんLOVEを蘇らせためいが曲を生み出し、そこにキウイちゃんの編集技術が命を吹き込む。
 色んな人の力が結集しなきゃ生まれないMVという表現形態に、誰かに本当の自分を殺され、名前を奪われていたクラゲ達の魂がしっかり集まって、何かが始まり動き出す。
 出会い支え合えばこそ生まれていく、クソみてーな世界に負けない強さが熱く滾っている様子が、一度関係を壊し結び直した幼馴染コンビの絆から感じられて、見ててメチャクチャ元気になる回だった。
 第1話では蓄光性の輝き窃盗生物だと、自分を卑下していたまひるだけども、オメーが必死にダチのために藻掻いて踊ったことで、悪堕ちしかけてたヒーローだって力と名前を取り戻していけるのだ。
 薄暗いヨル(ラテン語でNox)にだって、輝くものは確かにあるのだ。

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第3話より引用

 というわけでVRの鎧、生徒会長という嘘で覆い隠しているもの、キウイちゃんのリアルは大分暗い。
 性別を超越した世界でガッツリ稼ぎ、名声を得ている”竜ヶ崎ノクス”の無敵っぷりは、現実世界の自分に背を向け閉じこもる逃避癖と、いつでも背中合わせだ。
 三話にして切開されていくキウイちゃんの薄暗さは、新しい仲間とともに青春リスタートをキメたまひるの明るい充実っぷりと対照をなし、幼馴染のはずなのにどっか遠い場所に流れ着いてしまった、クラゲのような少女たちの姿をシビアに照らす。
 文字通りお山の大将として、高くて危うい場所にふんぞり返っていた幼い自分が、高校デビュー失敗とともに地面に落ちた痛みを、ひた隠しにすることでキウイちゃんはまひるのヒーローを継続できている。
 かつて自分を見上げてくれた幼馴染の、視線を逃げ込んだ先でも維持しているようなヒーロー・アバターを、キウイちゃんは花音たちと出会う時も引き剥がせない。
 ”竜ヶ崎ノクス”でいることで、ギリギリ彼女は強い自分でいられるのだ。

 この軋みを通話越し、たしかにまひるは(まひるだけが)なんとなく感じ取っていて、ナイスな仲間ができたとニッコニッコな花音&めいちゃんとは、少し違う視線で画面を睨んでいる。
 形は変わっても確かに繋がっていて、でも画面の奥にある嘘を見抜けはしない微妙な距離感が、まひるがヨルに戻りかけていることで変容していることを、無自覚ながら感じ取っている気配。
 それがキウイちゃんの健気な強がり、必死な嘘の奥チリチリと発火していて、なかなか緊張感のある絵面だった。
 目的なくダラケていた第1話より、この第3話のまひるはやるべきことを見出して、活力に満ちているように思える。
 キウイちゃんもVtuber活動こそが自分の居場所だと、胸をはれているならそれも良い青春なんだろうけど、ヒーローの御神体で必死に守った自分の居場所には、どこか危うさと苛立ちが軋んでいるようにも思える。

 

 導火線に火が付くのは、子どもが好むジャンクなお菓子が底をついて、薄暗い部屋の向こう側へと進み出さなきゃいけない瞬間だ。
 ラップに包まれたサンドウィッチと、置き去りにされた千円札。
 学校という社会に自分をうまく接合できなくなり、苦しんでいる我が子に家族がどういう態度でいるのか、短いカットながら良く伝わる痛ましい描写の後に、無敵なはずのキウイ=ノクスは地獄に直面する。
 唯一の友達より高い場所に立つために、付いた嘘をもう引っ込めることも出来ぬまま、学校に戻ることも出来ないまま、蛍光色のフードとグレーのマスクで自分を守ってる女の子は、扉の向こう側に拡がる闇に立ちすくむ。
 それが、自称無敵のヒーローの現在地だ。

 僕は今回のエピソード、キウイちゃんが学校に戻るでもVtuberを辞めるでもなく、”竜ヶ崎ノクス”のまんまJELEEに入るのがスゲー良いな、と思う。
 自分を置き去りに皆が大人に近づき、着飾った女の装いでヒーローごっこの衣装を投げ捨てる流れに、乗り切れず置き去りにされて選んだ居場所で、キウイちゃんはしっかり成功した。
 逃避で選んだ嘘っぱちだったとしても、新たに選んだヒーローネームに相応しい強さと華やかさは、電脳空間で確かに花開いている。
 Vtuberという新しい仕事を必死に頑張ったからこそ、スパチャでたっぷりお菓子も買えるし、JELEEに必要な編集技術を手渡して、彼らのアートをより良くすることだって出来る。
 まひるが最終的にたどり着く、幼馴染のヒロイズムを先取りするように、どんだけ苦しかろうと逃げていようと、”竜ヶ崎ノクス”が嘘っぱちなんかじゃないのだと物語が告げているのは、とても良いなと思うのだ。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第3話より引用

 ひょんなことから暴かれた嘘から溢れ出す痛みに、耐えかねてまひるとの絆を断ち切ってしまったキウイちゃんは、これまでで一番濃い闇に自分を沈める。
 世界で一番高い場所で、ヒーロー幻想に溺れる今までのやり方がダダ滑りし、クラスに馴染めぬまま逃げ出した過去にどう向き合えばいいのか、わからないまま蛍光グリーンのクラゲは、夜の街に逃げ出していく。
 キウイちゃんがドヤ顔で差し出す、彼女なりの”好き”をガキっぽい異物と拒むクラスメートが、年頃の女の子なら当然読んでいるべきティーン誌を新たなバイブルと抱えていたり、暴走したキウイちゃんが一番拒絶反応を示すのが、チンピラの好色な視線なのが、かなり痛いなと感じた。
 ”女”なるものとして誰かに求められ、それに相応しい装束や行いをするものなのだと、勝手に世の中が決めて生まれる大きな流れに、ずっとヒーローでいたかったキウイちゃんは乗っかれなかった。
 そこでまひるみたいに量産型を目指し、”好き”を諦めたフリで自分を守る道だってあったわけだが、彼女はそれを選べなかったのだ。

 周りの連中が当然と飲み干す、性的成熟を当然とする新種のコミュニケーションが、キウイちゃんには不自然で恐ろしいものと写り、怖くて怖くて逃げ出した。
 それを大人になれない情けなさだとか、当然を受け入れられない空気の読めなさと切り捨てるのは、どうしても僕には出来ない。
 自分がどんな存在であるのか、決める自由が当然子ども達には用意されるべきで、その範疇は勿論、性成熟にも及ぶ。(『成熟しない、選ばれない』と選ぶことも含めて)
 女性名詞のHeroineではなく男性名詞のHeroであり続けることを望んだキウイちゃんは、女という鋳型にはめ込まれて自分の大事な部分が切り落とされる辛さを、教室を満たす窒息生の流れから感じ取って、誰でもない誰かになれる電脳空間で、ようやく息が出来たのだと思う。

 

 そのヒロイックな深海は、まひると一緒に笑えた過去と確かに繋がっていて、逃げて逃げて痛みにうずくまってたどり着いたのは、新しく輝き直した夜のクラゲの足元だ。
 そこにしかもう居場所がないと、苛立ちとともに刹那的消費を連打し、過剰な武装で尖った課金アバターに警告喰らいながら、携帯電話の中の嘘っぱちはキウイちゃんを満たして/癒やしてくれない。
 自分が眩しく輝いて、照らしてあげるはずだった彼女のヒロインは、うずくまったままの自分を追い抜かして、どっか遠い場所で輝き直している。
 たった一人では輝けない夜のクラゲの一人として、とても苦しい時間を過ごすキウイちゃんにとって、黄金色の思い出だけがギリギリ、自分の形を保つ切り札だ。

 その思い出も、嘘がバレて壊れてしまった。
 弱さ故に向き合えず、自分で命綱を断ち切ってしまった。
 そんな痛ましいクラゲ少女の姿は、携帯電話の中の思い出をかき消した先週のめいちゃんとか、うずくまって何かが起こるのを待ってた先々週のまひるとか、後にJELEEとなっていく同志と、良く似ている。
 何者かでありたいのにそれを許されず、窒息性の”当たり前”を押し付けてくる大きな流れにも乗っかれず、喉の奥で大きな叫び声が、世界に向けて飛び出すのを待っているような、そんな夜。
 そこに一人きりで漂うのは、とても痛くて辛くて、耐え難いことだ。

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第3話より引用

 『ならおんなじ痛みを知ってる夜の住人が、必死こいてエールを踊って届けて、暗い場所から引っ張り上げてやるしかねーだろーがッ!』という僕の願いを、既に”ヨル”としてのアイデンティティを取り戻した光月まひるはしっかり叶えてくれる。
 トンチキ無様に見える踊りを、ここにはいない誰かのために必死にやりきって、彼女だけのアマテラスを岩戸から出そうとするまひるの強さと優しさは、メチャクチャ胸に迫った。
 この奮戦が功を奏して、JELEEはデビュー楽曲”最強ガール”を世間にぶちかます力を得ていくわけだが、リアルとウェッブに優劣なく、様々な表現が確かに力を持ちうること、そのためには誰かのために作り届ける真心が大切なことを、身体を使った歌と踊りが先んじて語っている。
 ヨルが描きノクスが動かしたJELEEちゃんのダンスは実体を持たないが、夜に一人きりのどっかの誰かの心に確かに届いて、花音が思い出した『誰も置いていかない』という理念を形にしていくだろう。
 そういうJELEEの優しさと力強さが、生身の光月まひるが生身の渡瀬キウイのために、必死過ぎて無様ですらある、世界で一番かっこいい踊りの中に既にあるのが、俺はとても好きだ。

 このヒロイックなエールを携帯越し、闇の中に受け取ったキウイちゃんは、爆速でアレンジと動画制作を完成させ、”最強ガール”のMVを……彼女がJELEEになるためのパスポートを形にして手渡す。
 息苦しい夜の底で、アートをやることでしか自分でいられない不器用な少女たちが集う。
 その一員として自分を成り立たせるためには、何かを作るしかなく……竜ヶ崎ノクスであり渡瀬キウイでもある女の子は、己に参入資格が大いにあることを、作品の形でしっかり届けた。

 

 視覚に訴えかけるイラストレーション、聴覚から飛び込む楽曲制作、それらを統合した動画という表現。
 いろんなアートが重なり合ってJELEEがアイデンティティと命を得ていくわけだが、視覚芸術担当であるまひるが運命を見つけた時、夜が特別に輝く表現が僕は好きだ。
 第1話において極めて印象的に、『このお話はこういうお話です!』と己を叫んでいたこの美しさは、JELEEのヴィジュアルデザインを担う彼女だからこそ見えるものであり、自分の感性から溢れ出させて世界を満たすことが出来る、特別な空気だ。
 この極彩色の蛍光の中でなら、フツーも当たり前も飲み干せないまま逃げ出した、生きていられぬほどに息苦しい夜の生き物たちも、自分たちのまま世界を泳げる。
 そんな切実で必死な……余暇遊戯と侮られがちな”アート”なるものがその実真っ先にえぐり取るべきものを、まひるのセンスはしっかり感覚し、体得し、表現しうるのだと、この美しい夜は強く語っているように感じる。

 その眩さは、夜に涙ぐんでいる貴方の光の反射なのだと、まひるはキウイちゃんに真っ直ぐ告げる。
 そんな率直さは、量産型の仮面で自分を覆い隠していた、かつてのまひるでは差し出せなかったものだろう。
 あの時花音がヨルの美術を見つけ治し、貴方の”好き”が私の”好き”なのだと共鳴してくれたからこそ、今ここでまひるは彼女のヒーローを眩しく照らす光になれる。
 誰かから輝きを盗まなきゃいけないと、なにもない己を卑下していた少女は、暗闇に迷って沈みかけていた大事な人へ、眩しい息吹を差し出せれているのだ。

 

 そんな風に、いろんな光が受け渡されて乱反射することで、世界は楽しく眩しくなっていく。
 冷たい無関心や嘲りで、誰かの”好き”を押しつぶして窒息させるクズたちに負けず、自分たちで選んだ新たな名前を高く掲げて、生きる術(Art)を形にしていける。
 そういうお話をここまで三話、色んなキャラでやってきたし、これからもやっていくのだという叫びが、涙ぐんだり驚いたり笑ったり、表情豊かなキウイちゃんの”今”から分厚く匂い立つ。
 出会ったときは竜ヶ崎ノクスのアバターで自分を守らなければ、未来の同志と繋がることが出来なかったキウイちゃんが、まひるからの愛と憧れを受け取った後では生身の自分で、嘘のない”渡瀬キウイ”で繋がれているの、俺は本当に良いと思う。

 いろんな名前とあり方が全部本当で、何にもすり潰されないまま夜に瞬く世界。
 息継ぎを許さぬまま自分を追い詰めてくる苦界でも、必死に積み上げてきた技術(Art)が、誰かと出会えた奇跡の中でもう一度輝き直して、未来を切り開いていける物語。
 そういうのはなんか……前向きでスゲー良いと思う。
 そういう、人間がより善くより自由により明るく在るための武器として、このお話が己を語るための術として選んだアニメを筆頭とする、人間のアートは在るのだと思うし、作中で描こうとしているテーマとそれを削り出す表現がシンクロし重なっている構図は、とても力強い。
 このアニメ自体が、一人きり夜を漂う誰かのために紡がれる、もう一つのJELEEの音楽なのだろう。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第3話より引用

 『怖いものなんてなにもないよ』と、怖いもの息苦しいもの自分を傷つけるものだらけの世界で強がれるのは、一体なぜか。
 少女たちの出会いとすれ違いと衝突と再生を、色んなキャラクターと色んな形で描いてきた物語は、そんな問いかけに『一人じゃないから』という答えを返す。
 どピンクに染まり直した新しい自分と、思い出の中確かに力強く胸を張っているヒロイックな過去が、確かに重なり合って嘘じゃなかったと、キウイちゃんは2年ぶりの再開に微笑む。
 無敵のフィンガーサインを、もう一度親友に突き出せる自分を、渡瀬キウイは取り戻したのだ。

 そんな彼女がいてくれたから、『最強ガール』は世に飛び出し、少女統合ユニットJELEEは息吹を得る。
 思春期の大きな流れにずたずたに引き裂かれた生身の自分を、バーチャルな洞穴で癒やし鍛えた先にある未来へ、皆で進み出していくのだ。
 それが力強くて眩しいだけじゃなく、『アタマピンク~~!?』と大騒ぎでなんかかわいいのが、俺はすっげぇ良いと思う。
 自分たちを窒息領域に追い込む暗い影は、確かにクソな現実を満たしているけど、それがなんぼのもんじゃい。
 笑い飛ばし、肩を組み、力強く自分たちだけの表現を形にしながら、夜のクラゲは荒れ狂う未来へと進んでいくのだ。
 その爽やかでパワフルな一歩目が、とてもチャーミングなエピソードでした。
 大変良かったです。

 

 つーわけで、キウイちゃん加入エピでした。
 あえてメインになるキャラを絞ることで、それぞれが背負う影や痛み、置き去りにされた祈りや願いが強くクローズアップされたり、それを明るい場所へと引っ張っていく誰かの強さやありがたさが、愛しく輝いたり。
 このアニメが選んだ語り口が、アート少女青春群像劇という形式としっかり噛み合って、力強いトルクを生み出している手応えを、しっかり感じ取ることが出来ました。

 三話にしてJELEEの皆が凄く好きになり、こっから世界に殴り込みをかけていく戦いを応援したくなっているのは、大変ありがたい。
 やっぱ『いけ! やれ! メチャクチャしろ!!』って、観客席から身を乗り出してワーワー言いたくなるお話のほうが、見てて楽しいからな……。
 そうしたくなる切なさや苦しさも、出会いが生み出す眩い爆発や、いろんな才能とアートが結びあって生まれる美しさの中にしっかり感じ取れる、良い痛みのあるアニメだと思います。
 四人になったJELEEが、どんな青春を駆けていくのか。
 次回も楽しみ!!

わんだふるぷりきゅあ!:第12話『私はキュアニャミー』感想

 世界の歪みを正すのは、守るための拳か、愛に満ちた癒やしか。
 プリキュア名物女子ステゴロを遠ざけてきた、わんぷり最初の1クールを総決算するべく、愛する者のために爪を研ぐ美影身が月下に映える、わんぷり第12話である。
 大変良かった。

 

 わんぷりは1クール、犬飼姉妹から直接的暴力を遠ざけてきた。
 暴れるガルガルの攻撃を避け、追いかけっこでストレスを抜きつつ、望まぬ呪いを感染させられた犠牲者でもある彼らを優しく抱きしめ、本来の姿に戻してきた。
 今回キュアニャミーが爪を振るうことで、そんな戦い方が絶対の真理ではなく、愛と平和を守るべく暴力を選ぶ存在もいるのだと示されたが、この対比は優しいワンダフル&フレンディ VS 厳しいニャミーという構図に収まらず、プリキュア全体を俯瞰した自作批評にもなっている気がする。

 まゆがユキに出会い惹かれ、ちょっと姿が見えなくなっただけで身も世もないほどに狼狽する姿を丁寧に書いてきたからこそ、物静かなニャミーが手のかかる”妹”をどれだけ大事に思っていて、彼女を守るために誰かを傷つける覚悟を固めていることも良く伝わる。
 まゆがフクロウガルガルに襲われるシーンが、現代伝奇ホラーとしてしっかり仕上がっていたことで、犬飼姉妹視点では時折ぼやける、日常を脅かす侵略者としてのガルガルの在り方も、より鮮明になっていた。
 同時にニャミーの『プリキュアらしい』スタイリッシュな暴力でボコられたガルガルは、傷つけられた生命としての哀れさをしっかり描かれてもいて、日常を壊す加害者でありながら望まぬ暴力に駆り立てられた被害者でもある、今回の敵役の複雑さをよく掘り下げている。
 この二面性はニャミーにも言えて、彼女が振るう爪が大事な誰かを守るために振るわれているとしても、確かに制御不能な危うさを秘めて暴発しているのだと、割って入ったフレンディを傷つけかねない描写から良く分かった。
 ガルガルとの遭遇以来、登場するキャラクターがほとんど瞬きをしない緊張感を画面に満たすことで暴かれていく、異形の存在が脅かす平穏と、それを打ち払う力両方の危うさ。

 

 この二面性は、犬飼姉妹がワーワー騒がしく日常を駆け抜け、ただただ真っ直ぐな愛情でお互いを求め合うこれまでの物語を、キャンバスにするからこそ成立する。
 みんななかよし、ケンカはやめて。
 現実では通用しないお題目だからこそ、”プリキュア”が胸を張って告げなければいけない大事なメッセージを、こむぎといろはちゃんは時に傷つきながらその身で守り、貫いてきた。
 1クールに渡って生ぬるい非暴力バトルを続けてきた長さと重さは、”戦わないプリキュア”という大胆な挑戦がただの看板ではなく、穏やかな日常を誰よりも愛し守りたい、少女たちの心から生まれたものだという実感を、しっかり作品に根付かせている。

 では今回爪を振るってガルガルを傷つけたニャミーは、愛を知らない凶暴な獣なのだろうか?
 まゆとユキがどう出会い、色々難しいところのある”妹”がどれだけ”姉”に依存しているのか、ぶっちゃけヤリ過ぎ感ある甘えっぷりをどう許容しているかをじっくり見てきた視聴者からすれば、ニャミーの戦いには一定以上の正当性が宿る。
 愛しているものが脅かされた時、拳を握って脅威に立ち向かうのは勇気ある行動であり、とても正しいことだろう。
 しきりにまゆに『近づくな』と告げるニャミーが、ひたすらに愛のために闘っていること……非暴力を選んだワンダフル達と同じ泉から、戦う力を汲み出していることは適切に描かれた表現から、しっかり読み取れる。

 しかしニャミーの爪は痛ましく危ういものでもあり、それは”正義の”という枕詞がつ光がつかなかろうが、暴力なるものに必ず付随する属性だ。
 愛するものを守る正義の戦いに、割って入ったフレンディを傷つける寸前、ニャミーが蹴り足を止められたことは幸運であり、また彼女が分別をもって暴力を行使している事実を、良く示している。
 自分とは違う戦い方を選んだ誰かを、否定せず距離を取る落ち着きを持ちつつも、それによって踏みにじられる理想、実際に傷つく犠牲者に後ろ髪を引かれない、苛烈な強さ。
 ワンダフル達の選んだ戦わない優しさが、生ぬるいものではないことは例えば第7話でライオンガルガルと闘った時、彼女たちに刻まれた傷が良く語っている。
 傷ついてもなお守りたいものがある強さと、傷つけてもなお守りたいものがある強さは、どちらが正しいのか。
 1クール溜めに溜めて、満を持してのニャミー登場はそういう、両立が難しそうな2つの正義、2つの正解を確かな手応えをもって、見ているものに問いかけてくる。

 

 これはわんぷり内部での批評的対峙に収まらず、20周年を過ぎてなお続く”プリキュア”を改めて問い直す、優れた描写だと思う。
  映画Fという大傑作がプリキュアの20年間を総括し、『プリキュアとはなにか』という問いかけに堂々真正面から答えた後だからこそ、描け問える『プリキュアと暴力』
 大事なものを守りたいと願う時、望まぬ呪いに付けられた傷を癒やす時、拳を振るう選択は果たして、適正なのか。
 戦うことには、どんな意味と危うさがあるのか。
 拳を握る行為それ自体が、ひどく脆く弱い愛と正義を握りつぶしはしないのか。
 前作最終決戦において、ヒーローたるキュアスカイが討ち果たすべき悪と同質化し、制御不能になった危うさを乗り越え打ち破る決め手となったのが、武器を手放しソラちゃんを信じ抜くキュアプリズムの”強さ”であった描写とも、どこか響く問いかけだと思う。

 ヒーローの物語において力と愛、正義とその危うさを問うのは普遍的王道であると同時に、非常に現代的な問いかけだとも思うので、これがわんぷりだけの手応えをもって力強く、新鮮に機能する土台を1クール作って練り上げ、キュアニャミーという魅力的なキャラクターで炸裂するよう積み上げてきたのは、とても素晴らしいことだ。
 背負っているテーマの重たさを考えれば、一話で即加入というのも焦りすぎた筆致になるだろうし、『敵か味方かキュアニャミー!』という謎で引っ張りつつ、じっくり煮込む姿勢を見せたのも良かった。
 犬飼姉妹とキュアニャミーは正面衝突しそうな戦闘哲学の相違を抱えつつ、相手を完全否定して殴りかかる短慮ではなく、自分の望みと相手の願いをちゃんと見ようとする、コミュニケーションに対して開かれた姿勢を既に見せている。
 譲れない対立点と、知性と優しさに満ちた対話可能性を両立させている現在地も大変良い感じで、こっからどう転がっていくのか、大変に愉しみだ。

 

 

 そんなニャミーの本来の姿、猫屋敷ユキの気ままな猫ぐらしもめっちゃ良い感じに描かれて、マジ最高だった。
 流体のように狭い隙間をくぐり抜けるユキ、ガツガツキャットフードかじるユキ、ニンゲンの手を逃れて高みから見物してるユキ、”妹”の甘えを済まし顔で受け入れるユキ……。
 色んなユキが見れるとすごい幸せな気分になれて、大変ありがたい。
 ガルガルの素体になるエキゾチックアニマルだけでなく、身近なようでいて全然知らないイヌ・ネコがどんな動物なのか、どう活きて素敵で面白いのか、描写から感じ取れるように頑張ってくれているのは、生命をメインテーマに据えたお話として凄く大事なことだと思う。

 勝手気ままに気高く、人間の目の届かないところで夜を守る、猫という種族。
 何かと影に閉じこもりがちなまゆを、グイグイ前に出て光の中へ引っ張り出すいろはちゃんの”陽”に反射する形で、静かで暗いユキのあり方が際立つのも、また面白かった。
 いろはちゃんが人間的視野の広い、観察力のある少女だということはコレまでも描写されてきたが、ユキの変化でをに翳らせているまゆの表情をしっかり見て、『友達だよ!』と堂々告げれる頼もしさが、大変良かった。
 このダイレクトで真っ直ぐな感情表現と、猫らしいツンデレ気まぐれに重たい守護精神を隠すユキは真逆なんだけども、根っこの部分は完全に重なってもいて。
 日常パートで陰陽分かれた愛の形を描くことで、正義と愛と暴力を巡る非日常の戦いが奥行きを増しているのは、凄く良い表現だなと感じた。
 ここら辺のキャラ同士、あるいは日常と非日常の共鳴は、やっぱプリキュアの醍醐味かなーと思うね。

 ニャミーがまゆを案じて爪を振るうように、自分を守るために秘密の戦いを繰り広げている”姉”の身を、まゆだって心配している。
 なにしろ猫が人間になって暴れるんだから、秘密にするしかない影の戦いにはなるのだが、しかしまゆの真摯な祈りを跳ね除けるように、一人戦い傷ついてるニャミーの姿は、暴力に宿るものとはまた違った危うさが、確かにある。
 言葉がなくとも深く通じ合う、猫屋敷姉妹の出会いと現在が印象的に描かれたからこそ、人型をとなり言葉を得たからこそ新たな絆を育める、コミュニケーションの素晴らしさもまた、新キュア誕生に重ねて描かれるんじゃないか。
 そういう期待も、モリモリある。
 わんぷりは焦りのない穏やかな筆致の中に、かなり適切かつ精妙に物語の種を埋め込んで、いいタイミングで発芽させる能力が高い感じするので、お互いを思う猫屋敷姉妹のズレもまた、より良い形で止揚されそうなんだよなぁ……。

 

 対象年齢を下げ、柔らかで落ち着いた表現を選ぶことが必ずしも、物語の諸要素を研ぎ澄ませ使いこなす巧さを否定しないこと。
 むしろそんな巧妙さがあってこそ、平易な表現の中に難しいテーマ性、一筋縄ではいかない対比構造を盛り込めもする。
 そういうわんぷりの強さ凄さを、第1クール終了の節目にしっかり感じ取ることが出来るエピソードでした。
 いやー……巧いわ。
 単話としての仕上がりも良いし、ジリジリ積み上げてきた猫屋敷姉妹物語の転換点としても、拳を握らないプリキュアを掘り下げる勝負どころとしても、めっちゃ良い。

 極めてクールに熱く、主役たちの非暴力に拳を突き出してきた月光の戦士。
 肩を並べて戦うところまでは、結構時間がかかりそうですが、その難しさがより鮮明に戦いの意味を、愛の強さを削り出してもくれるでしょう。
 そういう巧さと強さ、わんぷりはしっかり持っているともう、ここまでの12話が教え示してくれとるからね……。
 『やっぱ新しいプリキュアを”理解っていく”時間は、最高に嬉しい……』としみじみ思いつつ、ここから拡がる新たな物語を愉しみたいと思います。
 ”わんだふるぷりきゅあ!”、いいアニメ、素敵なプリキュア、凄い物語です。