イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ガールズバンドクライ:第4話『感謝(驚) 』感想ツイートまとめ

 ガールズバンドクライ 第4話を見る。

 鮮烈なデビューを果たした”新川崎(仮)”であったが、人にはそれぞれ事情というものがある。
 祈りと呪いの間で引き裂かれそうになりながら、なんとか立ってる難しさを、人生アクセルしか踏まない正論モンスターが学んでいくすばるちゃん回である。
 相変わらずパワー全開で状況を引っ掻き回し、事情を斟酌せず突っ走る仁菜が元気でウゼーが、だからこそ生まれる力強さと可愛げが何を生み出していくのか、改めて確かめれるエピソードになった。
 やっぱ桃香さんの後方姉ッ面が、暴走超特急を肯定的に見るためのスポットライトとして、有効に機能している感じだなぁ…。

 初ステージに浮かれ倒す仁菜は、すばるの脱退騒動にいちいち動揺し、自分の思いを叩きつけ、他人を振り回して突っ走る…つまりは子どもだ。
 バンドとしても人間としても経験値が太い桃香さんにとっては、”よくある事”なアレソレが仁菜には新鮮で、耐性もなく動揺し、だからこそ上手く乗りこなすのではなく思ったままんま生の意見が、ズバンとお出しされる。
 それは青臭くむき出しで、配慮と嘘がないからこそ力強く、ロックンロールを発火させていく一番プレーンでシンプルな燃料だ。
 そういうモンを主役が持っていると、事情ってやつに雁字搦めで、だからこそロックで弾けたいお姉さんたちと、絡めて描く回である。

 

 何事にも新鮮なリアクションを返す、素直で元気な仁菜の様子と、それを『うぜー…』という顔で見つつも微笑み楽しんでいる二人の姿が、三話構成のロック爆弾を正面から受け止めた後に、心地よく響く。
 仁菜が突っ込んで二人が見守る、”新川崎(仮)”の基本姿勢は、暴走ばっかの正論モンスターから力強い真っ直ぐさだけを取り出して、肯定する姿勢を僕らに伝えてくれる。
 仁菜を仁菜らしく暴れさせたまま、その余波を不快には思わせない魔法のタネとして、世慣れた二人が末っ子を愛しく見つめている様子、大人だからこそ囚われる影を仁菜が壊していく様子を積み重ねていくのは、とても有効だ。
 クセ強い仁菜のアクを抜かないまま好きになれるの、ホントデカい。

 同時にこの大暴走は力強くも当然間違っていて、仁菜はブレーキの踏み方も覚えていかなければいけない。
 フツーの青春物語で幾度もコスられた、『ありのままの自分に素直でいること』を上手く捻って、『複雑に折れ曲がった事情と情をそのまま飲み込んで、嘘っぱちの現状維持を続けること』を結論にしたのは、なかなか面白く、このアニメらしい選択だった。
 ある意味”ラブライブ!”以降のアニメだからこその展開と主人公造形というか、『既に鳴った音楽と同じフレーズ、奏でてもしょうがない』と、自作のポジションに極めて自覚的というか。
 仁菜が今学ぶべき答えとして、願いと願いが衝突する複雑さは適切で、とても面白い。

 世界が仁菜が思うほどシンプルではない事実を、メチャクチャシリアスな大問題で教えられると重すぎるわけで。
 仲良くコミカルな脱退騒動のなか、窮屈さと愛着を同時に感じているすばるちゃんの内面と重ねつつ、大人の複雑さを少し学ぶ展開はとても良かった。
 あんだけ良いデビューして即脱退なパンチもあるし、凸凹が噛み合った良い距離感を更に深めていく善さもあるしで、”第4話”に相応しい一手だったと思う。
 俺は”新川崎(仮)”の三人が既に好きになっているので、騒がしくイチャイチャしてもらえると…嬉しいッ!
 欲しい元気さと仲良しが、毎回特盛でお届けされるのは、欲しいところにタマ来てる気持ちよさがあるわな。

 

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第4話より引用

 ノーブレーキで思いっきり突っ込む、仁菜の真っ直ぐ勝負。
 それはすばるちゃんにぶっこむ前に、桃香さんの過去へと切り込んでいく。
 二人の私的空間であるキッチンにおいて、桃香さんが隠したがっている(だから影になる)”ダイヤモンドダスト”の事情と感情。
 光と影を相手取り、二人がどういう距離感で立ち回るかが、過ぎ去った過去に当事者と今のバンド仲間がどう向き合うかを、明瞭に可視化していく。
 普段の騒がしい高速展開が鳴りを潜めて、メロウに鳴らす心理主義的描線が繊細で強靭なのは、やっぱこのアニメの強みだなーと思う。

 何気ない世間話を重ねている時はふたりとも、キッチンの明かりに照らされて、眩しく楽しく。
 そこから暗い影に逃げ込み、ギターの音で自分をごまかそうとした桃香さんへ、バンドの末っ子は真っ直ぐ踏み込む。
 上から興味本位で覗き込むポジションではなく、膝を折り曲げておずおずと、仲間だからこそ憧れだからこそちゃんと聞いておきたいと、桃香さんの陰りに共存する姿勢を見せる。

 そうして聞き届けた、終わってしまった過去は桃香さん自身が自覚しているよりもまだまだ輝いてて、青春を一緒に駆け抜けた仲間との笑顔は、思い出の中で何より眩しいままだ。
 この光は、影の中にうずくまる桃香さんの”今”からは見えにくい。
 当事者だからこそ、複雑な事情と感情が絡まるからこそ自由になれない、魂に癒着した思い出…あるいは想い。
 そこに無遠慮に切り込んで、本当の自分がどんな場所に立っているのか客観視するためのメスとして、青臭い正論モンスターはいい仕事をする。
 仁菜が踏み込み、語らせ、聞き届けたからこそ桃香さんは、クチャクチャに絡まっている自分の気持ちを見つめ直し、影の中に遠ざけて忘れようとしたズルさから、もう一度光の中に立ち直す事ができるのだ。
 その眩しさは、ただ真っ直ぐなだけじゃない屈折の若き鬼を、望ましい方向へ導くための力にもなっていく。
 この二人、結構お互い様なのだ。

 

 仁菜が溢れるパワーを正しく制御できない、暴走モンスター系主人公であるのは、二話でぶん回された川崎モーニングスターで良く解っている。
 自分を暗い場所に追いやったモノとなかなか対峙しきれず、弱くて身勝手な己とも向き合えていない未熟なボーカリストは、あくまで暗い影の中にいる。
 そっから既に抜け出して、青春の痛みから遠く大人びた姿勢で導いてくれる…ように見える桃香さんも、色々めんどくせーモノにアタマ突っ込んで、悩んでる当事者なのだと、このキッチンの語らいは上手く描く。
 そっから仁菜が引っ張り出してくれるからこそ、桃香さんは作品を支える”いい先輩”でいられるのだ。

 ここでの桃香さんの描写は、後々”ダイヤモンドダスト”と正面対峙する時への布石であり、まだまだ根治は先の傷なんだろうけど。
 頼れる先輩の奥に潜む難しさと痛さを、助けられっぱなしの仁菜がしっかり知って、同じ影を共有し送り出せる頼もしさを、バンドの末っ子がちゃんと持っていると書いたのは、今後効いてきそうな良い描写だった。
 仁菜の無遠慮な直線勝負が、時に迂回しまくりの大人に必要なのだと、暴走モンスターの強みと正しさをもう一回描いたのも、主役を好きになれる良い手筋だったと思う。
 色々問題山盛りのめんどくせー奴だが、仁菜には…仁菜だからこそ出来ることが確かにあるのだ。

 

画像は”ガールズバンドクライ”第4話より引用

 そう描いた上で、桃香さんの心に切り込んだ仁菜のスタイルが万能の解決策ではないと、すばるちゃんの事情に踏み込む物語は語っていく。
 唐突な脱退宣言に揺り動かされ、机の下の爆速タイピングで本音を隠していたところから、呼び出されてタワマンの一室。
 すばるちゃんは桃香さんとはちょっと違って、暗い場所から積極的に外に出て、大画面で自分の名前の由来、今感じていることを仁菜に曝け出してくれる。
 モノクロと天然色、過去と現在、祖母と孫、湧き上がる思いと押し付けられた嘘。
 色々違えど確かに重なって、そしてズレている思いの形を、仁菜は目を見開いて受け取る。
 こういう感受性も、確かにロックンロール・モンスターの中にあるのだ。

 家族が自分の味方になってくれなかった、むしろ率先して傷つけてきた仁菜にとって、憧憬と愛着と束縛が重なり合う家族の情景には、見知らぬ美しさがあったのだと思う。
 自分には縁遠いはずのものなのに、それは確かに嘘がない美しさを宿していて、でもそのままでは解決しない複雑さを持ってもいる。
 そういう世の中にありふれた難しさを、仁菜が自分に引き寄せて受け止められたのは、彼女がすばるちゃんのことが好きで、同じく仁菜のことが好きなドラマーが躊躇わず、自分の気持ちを伝えてくれればこそだ。
 そのための象徴装置として、綺麗で大きくてさみしいタワマンと大型ディスプレイは、大変いい仕事をしている。

 

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第4話より引用

 お金持ちでお嬢様で有名人の孫であっても、だからこそ満たされないすばるの影に、仁菜の真っ直ぐな生き方は深く切り込む。
 お互いの事情と気持ちを、クッションに乗せてキャッチボールしたことで、仁菜は(桃香さん相手に良薬になった)自分の真っ直ぐさだけが、世界の正解ってわけでもないことを学び取っていく。

 嘘なく、ただ真っ直ぐに。
 屈折した嘘を重ねる”大人”だからこそ、仁菜の在り方に眩しさを感じているすばるちゃんが、憧れの星のように思いを伝え…ロックンロールの爆弾でなんもかんもぶっ飛ばそうとしたのを、仁菜自身が止めていく。
 そんなブレーキが今、すばると自分に必要なのだと思えたから、仁菜は大事な友だちの手を取って嘘っぱちの方へ、暗い影の中へと引っ込んでいく。
 正論モンスターらしくない、逃げた対応だ。
 でもすばるの中の祖母への思いが嘘ではないと、曝け出してくれた心の見つめて解ったなら、逃げることだって時には必要なのだ。

 この決断が、『演技をする』というすばるの現状(押し付けられた嘘っぱち)としっかり共鳴しているのが、とても良いと思う。
 押し付けられた仮面を引っ剥がして、自由に呼吸をしたいと暴れる気持ちと、その嘘を愛しく抱きしめる心は、引っ剥がしたら壊れてしまうくらい繊細に、確かに繋がっている。
 なら山盛りの嘘を貫き通して、優しく守っていくことも間違いではない。
 そう思い直して、すばるが役者として積み上げていく嘘もまた、誰かが自分の中の本当に出会うための、大事な光になっていくかもしれない。

 

 そんな風に複雑な色で明滅する世界を、バンドメンバーの影や光…それが入り交じる嘘のない気持ちを受け取る中で、仁菜は学び取る。
 ここまで3話、『こういうやつです!』と力強く描いてきたものを、あえて曲げることで変化や複雑さ、共鳴する人生を削り出していく、とても良いエピソードでした。
 いやー…確かに仁菜がモンスターなのは間違いないので、人間社会のやり方も学んで、変わってくれなきゃ困るのよ…。

 同時にあの暴走赤ちゃんが、くだらねぇしがらみ全部ぶっ飛ばして突っ走る爽快感が、作品最大武器なのも間違いない。
 ここらへんを肯定するように、すばるちゃんが底抜けの笑顔でニカーっと笑って話が終わるの、大変良かった。
 迷いも暴走も、間違いなんかじゃない。
 ロックンロールと青春を描く、作品全体を新たに照らし直すような前向きな顔は、正論モンスターと後方腕組み理解者顔が、いてくれたからこそ生まれたのだ。
 悪しざま内い草でドラムを叩いて、イイ話を濁しかねない身勝手をキャラクター自身がコミカルに指摘しぶっ壊すの、めっちゃ上手いよな…アップテンポな萌えコメディを暴走させているようで、相当テクニカル。

 

 間にデビューライブを挟み、前回Aパートと合わせて安和すばるがどんな少女なのか、仁菜と僕らに教えてくれる回でした。
 バンド仲間の過去や事情に踏み込むことで、仁菜が持ち前の暴走パワフルだけではなく、他の戦い方でロックしていく可能性が見れたのは、お話の横幅が広がってとても良かったです。
 でも大人しくまとまってしまうわけではなく、力強い爆走が作品と友達を引っ張ってくれる様子も、楽しく見届けられた。

 助けてられてばっかだった仁菜が、すばるちゃんの悩みをぶっ飛ばす手助けを確かに果たせていたことに、安堵と幸せを感じつつ、楽しい奴らの物語をもっともっと見たくなりました。
 次回も楽しみッ!

ダンジョン飯:第17話『ハーピー/キメラ』感想

 生と死、禁忌と願い、人と怪物。
 様々なモノがぶつかりあって入り交じる、人間関係の大鍋。
 そんなダンジョン征くか戻るか、人生の交錯点に生命が瞬く、”ダンジョン飯”アニメ第17話である。

 

 というわけで、1クールを費やした大冒険の結末は、ファリンを人と魔物の混ざった”狂気の魔術師”の走狗へと書き換え、その異形の手のひらを血に汚させるという、なんとも残酷な色に塗り替えられた。
 ここまでも顔を出しつつ致命的な事態にはなっていなかった、ライオスの人間下手くそっぷりがシュロー相手に最悪の発火を遂げたり、一箇所に集った3パーティーがそれぞれの道へと進み直したり、まー色々あった回である。
 ドズドズド迫力で逃げていく様子含め、キメラ・ファリンの苛烈な戦いぶり、容赦のない殺戮がライオス達の選択が何を生み出したのか、説得力ある描き方で大変良かった。
 あんだけ血みどろの怪物になってしまうと、シュローのマトモな公平さも、カブルーの正しき殺意も道理にかなったものと認めざるを得ず、ではそういうマトモさから遠いライオスの私情は全否定されるべき間違いかと言えば、そうと言い切れぬ情も滲む。
 人と魔物が混じり合ったキメラとの対峙は、何が正しく間違っているのか、狂気の迷宮で人が人として生き抜くにはどうしたらいいのか、入り交じる難しさも描く。

 ここら辺、人の間を泳ぐ器用さ、不器用さにグラデーションがある男三人が一同に集ったことで、解りやすく可視化された部分でもあろう。
 激昂したシュローに冷水を浴びせるように、『ファリンを正しく殺す』という選択肢を言語化し彼に否定させることで、ギリギリ対話を維持させるカブルーの対人視力は、そのままキメラの膂力に鎧は無意味と、不意打ちの邪魔になる金物を脱ぎ棄て急所を刺し貫く腕前に繋がってもいる。
 しかしもはや”魔”の存在であるキメラ・ファリンの生命はそこにはなく、人間を殺すのがどれだけ上手くても、魔物を打ち倒しダンジョンを踏破する力……人間下手くそなライオスが得意とする領域には、なかなか手が届かない。
 生真面目に張り詰めすぎて、眠りも食べもしなかったシュローもまた、生きて何かを掴み取る逞しさとは上手く付き合えていなくて、三者三様、様々な正しさと難しさを抱えている。
 転移の掛け軸を抜けて、人の理屈が支配する地上へと戻る者たちと、無惨な失敗に終わった旅の先に、『迷宮の主を倒し、愛する者の魂を取り戻す』という目的を見つけ突き進む者。
 その別れが近いうち、またぶつかることを人をよく見るカブルーは確信していて、ぼんやりライオスは再会の約束に、全然ピンときてない。
 そういう幕引きも、また印象的な回だった。

 

 ライオスとマルシルが禁忌と知りつつ選んだ、ファリン復活の道。
 そこには未知の力学が働いていて、火竜の肉体を素材にしたことで彼女は”狂乱の魔術師”の下僕となってしまった。
 その存在がどれだけ強力で凶暴か、死力を尽くした大決戦……そこであっけなく死んでいく連中の血しぶきが、鮮明に教える。
 1クール、その苦労も笑いも特等席で見させてもらったライオス一行に肩入れしたくなる気持ち、彼らの私情に同調する心は見てるこちらにもあるけど、あんだけ大暴れされるとカブルーの『いい加減にしろよ……』が、上から目線の正しさの押し付けだけではないことも、認めざるを得ない。
 認めた上で、怪物の中に確かに滲む愛妹の涙に剣を取り落としてしまうライオスの甘さを、彼の人間味も、また否定できない僕らも、無明ながらも面白い”ダンジョン飯”のど真ん中へと、既に引き込まれているのだろう。
 シュローやカブルーがライオスの背負う価値観や特徴を相対化することで、主役に限定されていた視点が大きく広がり、多様な決断を飲み込む迷宮の複雑さ、面白さが、一気に際立った形だ。

 シュローに見えているライオスも、ライオスに見えているシュローも、二人の間にぼんやりと立ち上がっていた”現実”とは大きくズレていて、妹と想い人、方向性は違えど大事なファリンの死と蘇生を境にして、激しくぶつかっても行く。
 1クールライオスの旅路に付き合ってきた僕らとしては、シュローが耐え難くイラつく程ヘラヘラエイリアンみたいな顔で生きているわけじゃないと養護も……いやまぁ、やっぱヤベーんだけども。
 何しろ妹が自分の決断の結果怪物に成り果てての第一声『マジかっけぇ……』だからな……。
 しかしまぁ、あの魔物マニアにも情があり人間味があり、それが世間一般の常識と噛み合いにくく、極めて伝わりにくいものだということは解っている。

 

 そしてライオスは自分がそういう、社会に馴染みきれない異物である事を心底理解は出来ていなくて、島での初めての友達と思っていた男との間にある、越えがたい断絶と摩擦を理解しないまま、ある意味甘えた共感を押し付けて跳ね返される。
 この視力の悪さは、地獄を背負って魔物と闘っているカブルーに、魔物食を勧める意味を全く理解しないまま『すっごくいい人!』と思った(思わされてしまった)在り方と重なっている。
 人間の形をしたコミュニケーション不能な魔物と、切り捨てられかねない他人から見た危うさと、魔物への”好き”を隠すことなく、結構ナイーブな感性とどっかぶっ壊れた鈍感さを無理なく共存させている自己認識の、危ういキメラ。
 そんなライオスの現状も、またこの衝突から見えてくる。

 そんなライオスこそが状況打破の鍵だと、冷静に俯瞰で睨んでいるカブルーであるけど、他人の懐に入り込むためには何でもする底知れなさは、”コミュ強”とかいう耳障りの良い長所を飛び越して、彼なりの秘めたる怪物性ですらある。
 個人的な感情を押し殺し、複雑怪奇な絡み方をする人間の感情と関係を興味深く見通して、悲惨な過去から生まれた悲願を達成するためなら、どんなことでもやってみせる。
 それはライオスとはまた別の、人と魔物……感情と理性の混ざったキメラであり、そんな彼がダンジョンに適応した魔物になれないからこそ、迷宮探索の先頭にはライオスが立っている。
 そしてそんな現実を、別に悔しい顔もせず静かに見据えて、この物語の主人公がどんな人物であり、彼が踏破していく道の先に何が待っているのか、主役ではない自分がそこにどう食い込めるのか、急所を観察し言葉の刃を突き立てるタイミングを、冷静に測っている。

 

 そんな雄体のキメラ達の複雑さに対し、シュローは強さも弱さもどこか真っ直ぐで、結構分かりやすい印象がある。
 良くも悪くも一本気、正しさと私情の間に揺られつつも”マトモ”な選択を選び取り、寝食を忘れて大願に邁進しても届かない、冒険ロマンスの主役になりきれなかった青年。
 彼はファリンとの再開に激昂し揺らぎつつ、だからこそライオスとの関係を(致命的な傷を生む太刀ではなく)拳で作り直して、マイヅル手作りの食事で魂を潤し、自分なり納得できる道へと堂々進み出していく。
 不良が河原で殴り合って解り合う、オールドスクールな友情バトルをダンジョン味に変奏した殴り合いは、血みどろの惨劇(あるいはハーピー相手の激闘の真っ只中)とは思えないくらい爽やかで、実りが多い。
 クソムカつくライオスと殴り合い、勝てないことで彼は過剰な精神主義に呪われ、食べなきゃ弱る生身を置いてけぼりに突っ走った過去を乗り越え、生家の地位をかさにきて振り回していた仲間にも、頭を下げれるようになる。
 『負ける=死ぬ』という魔物相手のルールが崩れて、殴り合うかからこそ解りあえ、そこから同じ釜の飯を食うことだって出来る人間の道が拓けていくのは、緊張感漂う展開の中、一筋の光に思えた。

 シュローは迷いも弱さも不器用さも人間的と言うか、解ろうとして解り会えないコミュニケーションの難しさを、体現するようなキャラだと思う。
 やり過ぎ感溢れる愛情の高まりっぷりとか、ライオスのヤバっぷりを認めた上で上手くやれなかった未熟さとか、白い魔物マニアと褐色の人間マニアに比べると、”魔物”の混合比率が少ない感じがある。
 そんな彼だからこそ、黒魔術を忌避し厳しい裁きを受け入れる地上のマトモさにも順応できているわけだが、果たしてそれは誰のための法であり、正しさなのか。
 死を否定し、人間の在り方が魔物と混ざって変容するこの迷宮において、長命種優位な政治力学を反映した倫理と正義は、どれだけの有効性をもっているのか。
 ここら辺は混じり合った3つの道が、一旦ダンジョンの奥と拓けた地上に分かれた後、問われ直す部分なのだろう。

 シュローもまた正しさの奴隷というわけではなく、思い詰めて視野が狭くなっていた自分をぶん殴られ、苦手意識と背中合わせ、確かにあったライオスへの友情を飲み干す素直さを、ちゃんと持っている。
 それは嘘偽りのない本当で、でもそれだけで何もかもうまくいくほど万能でもなく、混ぜ合わせてどうにか美味しく消化していくべき、ややこしい青春の食材だ。
 調理法はずいぶん荒々しくなったが、そういう子供じみた相互理解を許してくれる仲間(’パーティー)に助けられて、シュローは法を遵守しつつ私的な逃げ道を用意する、自分だけの答えをライオスに手渡すことが出来た。
 あのある意味半端なケリの付け方は、飯も食わずに正しさに思い詰めていた時間が終わって、三食食って寝るからこそ戦える”人間”へと彼が戻ったからこそ選べる、もう一つの道だ。

 

 形や表れ方は違えど、迷宮に挑む人皆に譲れないものがあり、ぶつかったり混ざったりしながら形を変えて、新しい可能性へと繋がっていく。
 キャラを一気に増やして展開したこの数話は、そういう”ダンジョン飯”の描くべき物語を、より深く豊かに面白く料理してくれる、とても良いエピソードだった。
 臆病で手前勝手な我利我利亡者に見えるミックベルが、クロの死闘と散華を目の当たりにしてマジでパニクってるのとか、パッと見の印象以上のものが”人間”には必ずあるのだと教えてくれてて、好きな描写だ。
 マスコットに見えたクロが猛烈な闘志を剥き出しに、果敢にファリンに挑む様子とかも、色んな連中が色んな顔を持っているからこその”キメラ”な面白さを、良く描いていたと思う。
 こういう感じで、新キャラ投入して視座を増やす挑戦が意味をもってくるのは、話数重ねた物語だからこそ紡げる豊かさって感じで、やっぱ良いわな。

 そらーチルチャックもメチャクチャ文句言う、運命に導かれてのダンジョン踏破。
 『火竜を倒し、ファリンを救う』という物語開始時の大目的が最悪の形で破綻し、八方塞がりに思える状況を『”狂乱の魔術師”を倒し、ファリンを救う』という目的に書き換えて、ライオス達の旅はまだまだ続く。
 導くように、誘うように口を開けた下階への階段を進む四人を、待ち構えるものはなにか。
 新展開も、とっても愉しみですね!

花野井くんと恋の病:第4話『初めての初詣 』感想ツイートまとめ

 ロマンティックな出会いの先に、強く拡がる恋の波紋。
 花野井くんと恋の病 第4話を見る。

 トキメキ満載なクリスマスを越え、お試しカップルにちょっとずつの変化が蓄積していく様子を描く回。
 ロジカルで理解可能な感覚だけを頼りに生きてきたほたるちゃんが、花野井くんを自分の中に受け入れ思いを花開かせることで、パッションに溢れ言語を越えたところにある新たな感覚へ、だんだん親しんでいく。
 押し付けられ気味だった恋心と化学反応することで、見知らぬ何かが見えてきて、どんどん自分が変わっていく。
 モノローグ多めの一人称視点が、そんな青春を鮮やかに削り出していた。

 

 お話は年明けて初詣行ったりバイト始めたり、ほたるちゃんのハッピー高校生活に花野井くんが寄り添う様子をゆっくり描く。
 ほたるちゃんが見ているもの、感じている感覚をざーさんの声でじっくり切り取ってくれることで、その死角にある花野井くんという異物、彼と触れ合って生まれる恋心という未知を、ほたるちゃんがどう受け入れ、当惑し、引き寄せられていくかも鮮明になっていく。
 なかなか見えない他人の心に、自分の在り方を反射させることでようやく確認できる、自分が知らない新しい自分。
 花野井くんの在り方と同じくらい、そういうモンをほたるちゃんが知っていく物語である。
 めっちゃ正統にジュブナイルだな…。

 メイン二人の関係をクリスマスまでで分厚く描いた結果、カメラを横に振る余裕が出てきて、ほたるちゃん以外には優しくない(と、自分で思い込んでいる)花野井くんが描かれた。
 愛情を注ぐ相手を限定することで、一心不乱に重たい感情を届ける激ヤバスタイル…というには、お婆ちゃんも助けているし牽制の仕方も可愛いもんだし、ほたるちゃんの意思も尊重しているしで、花野井くんは全然バランスが取れた生き方していると思う。
 ここら辺のバランスがぶっ壊れた博愛気取りのエゴイストが世間には山盛りいるわけで、視野狭窄な愛を自称しつつも、自分と相手がどこにいるのか、ちゃんと見えてる花野井くんは偉いよなー。

 花野井くんが結構紳士的に自分との距離を探り、欲しいものと与えてくれるもののアンバランスを自覚しつつ、自分は恋人(お試し)が求めるものを手渡そうと頑張ってくれる様子を、ほたるちゃんもしっかり見る。
 それに報いる正しさと同じくらい、花野井くんだけを求める熱いエゴが少女の中には燃え始めている。
 しかし清く幼く美しい場所しか知らなかったほたるちゃんにとって、特別な誰かを(情欲を微かに交えつつ)求める気持ちは馴染みがないもので、当惑しつつそれがどんなものか、噛みしめるように花野井くんとの距離を縮めていく。
 そのおずおずと伸ばす手つきが、なんとも純情で可愛らしい。ピュアだなー。

 

 与えすぎていた花野井くんは、自分がしてほしいことをノート越し求めるようになり、受け取りすぎていたほたるちゃんは、未だ痛む自分の過去を曝け出して、人生の柔らかな部分を共有するようになる。
 アンバランスだった関係性を、目の前の幸せから受け取る実感に応じて修正して、もっと幸せになるにはどうしたらいいのか、自分たちなり考えながら見知らぬ何かに手を伸ばす。
 好きだからこそ良く見て、ともすれば相手自身が気づいていないような欲望や願いに先回りして、一緒に近づいていく。

 そんな尊重と願望のダンスが、爽やかで甘酸っぱい距離感の中に踊っていて、なんだか見ていて幸せだった。
 花野井くんもほたるちゃんも、解らないからこそ解りたいものを、お互いを傷つけない速度と強さで追い求めて、踏み込みすぎれば『ごめん』と誤って後ろに下がって、良い距離感を探っている。
 このクレバーな距離調整が、バチバチ突っ込んでぶつかりまくる痛みを遠ざけ、今っぽい空気感でもって初々しい恋を描く、大事な画材なのかもしれない。
 『情熱的にヒロインを求める、美しくて特別な男』つう属性は、これまでの少女漫画ラブコメの男の子と同じでも、同意と尊重をベースにコミュニケーションを図る器用さが、僕にはなんだか新鮮に映る。
 いやまぁ、花野井くんの他者尊重は現状、ほたるちゃん限定なのだが。

 ここら辺、あまりに公明正大に生きれてしまうほたるちゃんと彼氏彼女していく中で、唯一絶対の相手じゃない誰かにも程よく、敬意を手渡せる器用さを今後学んでいく感じ…なのかな?
 態度のブレーキ/アクセルが極端な、ヤバ人間の恋人として選ばれてる特別感は、ロマンスを発火させるいい材料だけども、作品全体に漂う空気感は換気が良くて爽やかで、あんまそっちだけで押し切る感じがない。
 花野井くん自身にも関心のバランスを取る姿勢がもう見えているし、隣に立つほたるちゃんも花野井くんの重たい愛情と釣り合うよう、自分から歩み寄り何かを手渡す歩み寄りを忘れない。

 

 進んで、下がって、心地よい距離を探って。
 そんな恋の…というか人間関係の根本にある試行錯誤は、相手を好きだからこそ出来ること。
 そんな特別感と、それに全然自覚的でないほたるちゃんのピュア不器用が、微笑ましくも愛しい回だ。
 『なんで花野井くんにだけこんなに前のめりなのかな、おかしいな解んないな』と、新しい自分の取扱説明書手に入れてないまま、真心の赴くまま優しく正しく活きてるほたるちゃん、あまりに眩しく直視できない。
 いい子ねぇ~~~ホント!(ピュアガールに出逢ったときの、ジジイの鳴き声)

 これが恋だと自覚したとき、ほたるちゃんのパッションがどう爆裂するかマジ楽しみだ。
 それは自分の中にある、花野井くんに良く似た部分を真実ほたるちゃんが掴み取って、異物に思えた自分が好きすぎる誰かが、同じ熱を抱えた鏡写しなのだと気づく瞬間になるだろう。
 花野井くんと触れ合うなかで、正しすぎて他人が分からないと自分を縛っていた鎖が、ほたるちゃんから解けていく。
 過去の傷を開陳したことで、そんな未来にも道が拓けたように思う。
 そしてそんな変化は恋心を通じて、与えるばかりで返して貰えてなかった花野井くんに、誠実な釣り合いを教えていくのだ。
 そうやってちょっとずつ、恋の相手とそこに反射する自分の在り方を真摯に見つめながら、変わっていったり取り戻していったりする、凄くオーソドックスな青春物語なのだと分かって、とても良かった。

 

 まーそんな望ましい人間的成長ばっかが世界を埋めるわけもなく、揺れたり傷ついたりもする…のかな?
 この作品世界が想定してるアクシデント発生率、解りたいからこそ解らないもどかしさとすれ違いの強度を、未だ測りかねてる部分があるからなぁ…。
 でもどんな嵐が来たとしても、正反対でありながら相補的でもあるチャーミングな二人を好きになってる自分なら、ハラハラワクワクしながら楽しめそうな感じはある。
 やっぱそういう、キャラとドラマへの期待感、信頼感が作られているかってのは、お話を見続ける上でとても大事だ。
 微笑ましく温かいエピソードを積み上げる中、そこしっかりやってくれて大変ありがたい。

 ぶっちゃけ、ほたるちゃん(≒女)が受取り花野井くん(≒男)が与えるアンフェアなお姫様構造がどう崩れていくのか、探ってた視点が僕の中にもあり。
 微細な波紋を心のなかに積み上げながら、フェアに恋人やっていく姿勢が今回しっかり見えたのは、非常に良かったです。
 『与えるだけの愛、いらないッッ!』って、”泣き虫(クライベイビー)”サクラも言ってたしな…。

 

 あと花野井くんの専売と思われていた、Hotな身体的欲望がおすまし顔の乙女ちゃんにもキッチリ燃えてて、おずおずとフィジカル・コンタクトを測ってきたのもニタニタ出来て最高でした。
 燃えろ、燃えろ…胎の奥で黒く滾るほむらよ…。

 思いっきり振り回せば、関係も心も簡単に壊せてしまえる強い欲望と、どう付き合うのか。
 無いものとして否定すれば潔白に過ぎて無理が出て、首輪無しで暴れさせれば全てを燃やし尽くして。
 人が育つなら必然的に燃え盛る、エロティシズムとも同意と尊重を大事に、良い距離感で向き合えるよう一歩ずつ、間合いを計っていく話なんかなー、と思った。
 バッキバキに欲望滾らせつつも、『触らない』って約束を必死に守って”充電”頑張る花野井くんも、そんな紳士協定を思わずぶち破り、無自覚な恋心に後押しされて身体接触へ踏み込むほたるちゃんも、可愛くて良かった。
 自分たちだけの柔らかさと距離感で、愛欲を抱きしめていきなさいよ…。
 次回も楽しみッ!

響け! ユーフォニアム3:第3話『みずいろプレリュード』感想

 楽しいってなんなのか、雨に隠れて見えなくなる日もある。
 過大な責任を背負う黄前部長が、おどけた策士に焚きつけられて火消しに走り回る、ユーフォ三期第3話である。

 瞳や指先、脚や髪の毛。
 細やかな身体表現を丁寧に切り取り積み重ねる、京アニイズムが大変元気な回で、初コンテとなる以西芽衣の演出に、作監一人原画六人の超絶タイトな陣容がしっかり生命を吹き込んでいた。
 幾度目かのアニメブーム、スタッフが水膨れする傾向が強い中でこのクオリティをこの人数で仕上げきる、怪物的制作体制こそが京アニの凄みだなと、改めて感じる回だった。

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 前回まではやや引いたカメラ位置から、客観的に久美子最後の一年を麗しくスケッチしていた感じが濃かったが、部長として人間として重たい課題に向き合う今回、カメラは瞳や指先、ほつれる髪の毛へと近寄り、そこに宿る細やかな感情を切り取り積み重ねる。
  静止画ではなかなか伝えにくいのだが、誰かの言動が体の一部に表出されて飛び出し、それを受け取って揺らぎ変化するそれぞれの心が、滑らかかつ多彩に変化する瞳の色合い、指先の震えにしっかり描かれているのが、とても良かった。
 水面に投げられた石が波紋を呼び、それが触れ合って新たな形を水面に描くように、誰かが自分の外側に顕にした言葉や仕草は、空気を伝わって確かに届き、何かを変えていく。
 その媒介となる透明で不定形で、名前をつけえない特別な空気に”部活”が満ちていること……それが許され、否応なくそうなっていく時間と空間を、このお話はとても大事にしていると思う。

 初心者も経験者も、エンジョイ勢もガチ勢も、様々な考えと経歴と実力をもつ他人同士が100人集まって、高い理想へと駆け上がっていく特別な空間。
 そのトップとして、迷いながら皆を導いていく立場に久美子はなってしまっているわけで、生まれる軋轢や溢れ出す感情に気圧され傷つきながらも、必死に必要な顔を取り繕い、必要な言葉を紡ぐ責任がある。
 それは部と部員のためであると同時に、誰よりも上手くなりたくて、誰よりも吹奏楽で最高になりたい久美子自身の欲望を、そこに繋がった仲間と音楽を、高みに押し上げていくためでもある。
 クローズアップで切り取られる個人的感情の震えは、”部”という複雑で特別な空間を通じて他の誰かに伝わり、何かを書き換えていく。

 それがかつてあった衝突や崩壊にならないよう、大人になりかけな久美子は確かに震えながらもなんとか受け止め、時に視線を下げて自分に言い聞かせるように、時に顔を上げて誰かに伝わるように、嘘のない真意と誰かに刺さり何かを動かす社会的言辞を、混ぜ合わせながら発していく。
 都合の良い偽善か、心からの誠意か。
 久美子自身にもなかなか区別がつかず、つける必要も多分ない、個人的でありながら社会的でもある言葉が、どこから生まれるのか。
 細やかに感情の変化を切り取る、身体部位のクローズアップはその源泉を、強い迫力と説得力を込めて描いていた。
 身体とそこに宿る心が、隠せないほどに揺らぎ震えるからこそ、運命を動かすほどに強い音が世界へと、確かに放たれていくのだ。
 ……青春を奏でる楽器としての、少女たちの身体にクローズアップした回とも言えるか。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 何かを動かしうる強い圧力をもった、シリアスな身体のクローズアップと並走する形で、ちょっと崩してあざとくかわいい記号的表現と、視線の行く先を描くバストアップも有効活用されている。
 エピソード内部を駆動させるミステリを機能させるべく、釜屋すずめはわざと空気読めないお騒がせキャラとして印象付けられ、おちゃらけた雰囲気ととびきりの可愛さを、コミカルに演出される。
 それが煙幕となって、友達と部の危機を未然に防ぐべく久美子を手のひらの上で転がす、ズルくて賢い気質が見えにくくなる。
 最後まで見るとすずめの本性、今回の危機の本質が暴かれて『裏切られた!』となるわけだが、この驚きはパッと見の印象が必ずしも人間のあり方に繋がらない、ユーフォらしい複雑さが未だ健在であることを良く語る。
 セルメガネに異様な奥行きを隠し、複雑怪奇な人格と計算高さで深奥にたどり着かせないすずめの難しさは、どこか田中あすかを思い出させるものであり、都合よく久美子を操るズルさに起こるよりも、湧き上がる懐かしさと切なさに助けられて、より好きになってしまった。
 俺は砂糖菓子みてーな甘さと嘘くささで覆われた、いかにもアニメな美少女から生っぽい味がする瞬間が大好き。

 後に破裂する……前に、適切に切開して部活全体にダメージがいかないよう対処できた、サリーちゃんの暗い爆弾。
 それが確かにそこに在ることに、久美子は繊細に気づくし、気付けるように視線のアンテナを張り巡らせている。
 先輩として部長として、なにより色々な波風に翻弄された黄前久美子個人として、青春探偵は三年生になっても人間の機微をしっかり視線で追いかけ、眼の前の相手をちゃんと見ようとする。
 泣きじゃくる新人と、ビシバシ釘を刺す親友両方を視界に入れ、お互いの理と情がどこに在るのか、どこに行くべきかを、余裕の微笑みを頑張って取り繕いながら考えている。

 繊細に切り取られ重ねられる視線の変化は、時に自分の内側と外側、ある考えと別の考えを行ったり来たりし、あるいは自分の外側にいる誰かを見届け、別の誰かへと移っていく。
 『全国金』という未踏の目標を掲げた以上、泣こうが喚こうが気にせずビシバシ鍛え続ける、麗奈のやり方は正しいし必要だ。
 しかしそれが取りこぼしてしまうものは確かにあって、だからこそ今の北宇治は職分を分け合ったトロイカ体制で、公私ともにバランスを取りながら進んでいる。
 そうやってなお、トップを目指すからこその厳しさは誰かの心を削り取り、その痛みに目が行ってしまう優しい誰かを、ともすれば当人よりも傷つけていく。
 本質的にバラバラな人間存在が複数集まる以上、”部活”にとってそれは必然であるし、それでもなお誰も欠けず最後まで走りきりたい久美子の願い(あるいはエゴ)は、当たり前の難しさを前にして、複雑に揺らめく他者を見つめさせる。
 あの黄前久美子が、こうして一歩引いて”視る”存在になったこと、そこに自分自身も含まれていることを、数多の視線を綾織にして紡がれる今回のエピソードは分厚く教えてくれていて、なかなかに感慨深い。

 

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 『一生久美子をペタペタイジって、急に「にゃん」とか言い出す久石奏があざとすぎてキッレそ~~~~~~~~~』とか、まぁなってもいるが。
 このアニメが”ユーフォ”である以上、重たく暗くなるのは必然ではあって、そういうシリアスな曇り空に一点の清涼剤、スカッと爽やかわざとらしい萌えっぷりがありがたくはある。
 ホント三期の奏、劇場版での呪いが反転して久美子LOVE力バリバリ上げてきて最高に可愛いのに、『人工甘味料なんて全く使ってません。黄前先輩のことは特別好きでもありません』みてーなお澄ましヅラ維持してんの、マジあざとい。
 こういう深夜アニメ特有の味わいと、天然素材でじっくり出汁を取った本格青春ドラマのコクが、絶妙にブレンドされていい塩梅なのはやっぱ良い。
 唐突にぶっこまれる黒江真由の戦闘力開陳とかも、京アニらしい清潔感と精一杯の媚態が堪能できて素晴らしかった。
 最高だ。

 まーそこら辺でギリギリ呼吸をさせつつ、世界はどんどん重く暗い色合いに染まっていく。
 ガチ勢拗らせたあまりド素人に努力を供与する、明らかにヤバいところにやる気がリーチしている後輩たちにも微笑みながら応じ、『話を聞いてくれた!』という実感を手渡して難しい問題を保留し、適切にガス抜きつつ方向性を見定める。
 ”部長”がやるべき極めて難しい立ち回りを、久美子が立派にやっている様子が明暗同居する中二階に描かれ、『マジ頑張っとるな……』という気持ちも濃くなる。
 前回真由を案内する時も印象的に使われていたこの場所は、集団としての意思を統一して”金”へと突き進んでいく順風満帆の影、確かに蠢く不穏を書きつけるキャンパスとして、いい具合に有効活用されている印象だ。

 そういう上手く調整された外面を、なんとか顔面に貼り付けて本音を覆い、人間の間を泳いでいくのが、強豪大集団のスタンダードであるけども。
 人間は社会的動物であると同時に感情をもった一個人であり、未だ発展途上な思春期の住人となればなおのこと。
 滝先生い激務の残滓を見届け、うっかり『大人って大変そう……』と口にしてしまった久美子と、鬼教官への苦手意識が口から飛び出したサリーちゃんが、同じ仕草をしているのは印象深い。
 コミカルな明るい場所でも、暗雲立ち込めるシリアスな現場でも、社会性の扉をこじ開けて思わず飛び出してしまう本音ってのは、一年三年区別なく確かにある。
 『人間そんなモン』だからこそ部活を運営していくのは難しいし、難しかろうが皆でやっていく以上、その頂点に立ち重荷を背負う久美子はなんとか、建前と本音に挟まれながらなんとかやっていくしかない。

 ……のだけども、サリーちゃんの口から爆弾飛び出した瞬間、久美子はその衝撃に立ちすくんでしまう。
 この動けなさは生身の18才として大変リアルで、やらなければならない正しさだけではどうにも前に進めない、感情の動物としての黄前久美子を見事にえぐっていた。
 トップを目指す競技集団と、未だ柔らかい感情を残す子どもの共同体と。
 ”部活”が持つ複雑なあり方の間に、たっぷり溜まった軋みがサリーちゃんを通じて飛び出した瞬間だが、この難しさを余裕顔で乗りこなせるほどまだ、黄前久美子は大人ではない。
 この未熟な立ちすくみも、同じ方向を向けない影の中の足先も、部長になった久美子が”今”どこにいるかという記録の一つであり、嘘のない大切なものだ。
 暗い廊下の向こう側へ、サリーちゃんを撮り逃してしまう経験があってこそ、久美子は100人からの大集団の代表として、『難しそう』な大人のなりかけとして、もっと強く正しくなっていける。
 そんな成長への途中経過としても、麗奈がビシバシ叩きつける”正しさ”がサリーちゃんだけでなく、親友なはずの久美子も取りこぼし足を止めさせている共鳴としても、とても良い描写だった。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 釜屋すずめが狙って出してるコミカルな空気を前置きに、雨脚は強くなり世界は暗くなり、大量離脱の悪夢再びかとショックを受けたところで、画面の重さは最高潮に達する。
 視線を反らし動揺を気取られないように務める可愛らしい仕草と、地獄の底みたいになってる踊り場の闇が面白い対比をなし、明るいギャグ担当が持ち込んだ爆弾がどんだけ重たいか、憂鬱に探るガラス越しの景色へと繋がっていく。
 マージでサリーちゃんを包む暗闇重たすぎ濃すぎで、ユーフォらしい心理主義の一番強い部分を食べれて良かった。
 こういうドス黒いモノと上手く向き合えず、三年前の北宇治は内部崩壊していったわけだが、あの時はエンジョイ勢がガチ勢を駆逐する形だったのに対し、今回は本気すぎる連中の力みが初心者を泣かしている構図で、人の繋がりの多彩さ、難しさが良く伝わる。
 何しろユーフォも第三期、おんなじピンチに翻弄されていても成長は見えないわけで、滝先生の元結果を出し、出しきれず今年こそはと意気込む強豪だからこその課題克服を、作品は切り取っていく。

 重たく暗い闇のそこから顔を上げて、久美子は開いた窓越しに色んなものを見る。
 泣きじゃくっていた子がサリーちゃんの指導を受けながら、『上手くなりたい』と必死に頑張っている姿も、ノートに刻んだ自分の願いも、確かにそこに在る。
 上を目指すからこその厳しさに涙しても、悔しさをバネに自分を鍛える逞しさは、かつて久美子自身が噛み締めた苦みと、だからこそ上手くなれた事実を、初々しい後輩たちから滲ませている。
 上手くなろうとする誰かと、それに寄り添う誰かはかつての久美子自身であり、見通しの効かない闇の中に遠く離れていくように思えても、他人事とは思えない……部長として思ってはいけない親しさを残している。
 窓辺からノートに目を戻し、かつての自分が何気なく書きつけていた願いを確認することで、その思いは更に強まっていく。
 視線は断絶と衝突に満ちた暗い世界から、光が在るからこそ影が生まれる場所へ……そこで肩を並べている誰かの頑張りと、責務と情熱を両方背負って”部長”やってる自分へと、確かに伸びていく。

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 とはいえそんな風に世界と自分と他者へ伸びていく視線が、絡まり惑うのも人間集団の難しさであり。
 ”部”としての歴史と経験、それが生み出す目的意識や集団としての目標をがっちり共
有しているおなじみの面々から、一人黒い制服を着込んだ真由は露骨に浮いている。
 積極的に排除さrてるいるわけじゃないけど、流され漂うばかりに思えて鋭い毒を隠し持つクラゲ少女は、自分という異物が和を壊さぬよう慎重に間合いを探りつつ、勝ち負けよりも楽しさを大事にしたい己を、曲げも譲りもしない。

 この柳のような態度が、大人のなりかけとしていい塩梅に距離感を測り、明るく楽しくガチろうとしている低音パートでどういう距離感なのか、やや引いた位置から切り取るカメラは示唆的だ。
 真由の抱える当惑や不安も、戸惑い髪先をいじる指先にしっかり刻まれているが、今回課題を炸裂させて解決へと至るサリーちゃんがどんだけ、揺らぐ瞳のクローズアップを抜かれているかを思うと、彼女の深奥は未だ遠い。
 その遠さ、解らなさい、底知れなさに挑んでいくことが、三期の物語を牽引する大きなエンジンであり、未だ完璧ではない未熟な存在だからこそ、少しでもより良い自分を掴もうと足掻く久美子の戦いを反射する、大事な鏡にもなるのだろう。

 

 そこら辺は先の話として、ゴシップ気質なさっちゃんが騒ぎ立てる一年生ボイコットの危機を前に、久美子はちょっとバランスを崩し前のめりになる。
 ここで一年指導係に指名された葉月ちゃんとりりりん先輩が、しっかり部長の手綱を握って良い間合いを取り戻させているのが、久美子だけが物語の中成長したわけではないと、豊かに語っている。
  『そういう仕事だから』と責任を任され、果たすべき使命として積極的に頑張っている、かつての自分たちに似た誰かのケア。
 そればっかりにかまけてもいられないけど、とても大事なものを誰かに預けることで、100人の大集団はなんとか成立している。
 前回麗奈と秀一と力を合わせ、他には預けられない弱音を吐き出しながら頑張る部長が描かれたけど、それとはまた違った形で頼れる仲間が久美子を支えてくれること……そういう強さを葉月ちゃんも梨々花も育んでいることを、強く感じられる。

 気持ちをただ素直にぶつけて、自分に都合のいい何かを引っ張り込むだけではなく、相手の願いを受け止めて、お互いが気持ちよく過ごせる距離を測る。
 1年時も2年時も波乱まみれ、そういう大人っぽさとは無縁だった北宇治の現在地は、思いの外風通し良く、周囲を見ながら動いていることが、一年組と先輩たちが朗らかに交流する様子に見えてくる。
 ここら辺はあっという間に後輩の心をつかんだ、剣崎梨々花の対人性能の高さかなとも思うが、重たく苦しい凶器だけでなく楽しく繋がれる笑顔を携えて、三年目の北宇治は雨上がりに明るい。

 その真中に立つ久美子が、柔らかく礼儀正しく差し出した手のひらは、『私は貴方を思い、尊重します』というメッセージを強く発している。
 身体言語は時に、発声言語が語るべき意味内容よりも雄弁で形のないものを、その仕草の中に宿すが、サリーちゃんと二人っきりで話せる親しさを、それを許す信頼を獲得するために、久美子がかなり意識して自分の体を使っている様子が、この訪問からは見て取れる。
 体を使って意味を宿す行為は、楽器を媒介にして曲を作っていく……そえで彼岸の全国金を勝ち取ろうとする吹奏楽表現者の使命でもあるので、久美子がボディランゲージの使い方を気にかけている様子は、作品のテーマ的にも大事だろう。
 この細やかなメッセージ性を受け取ることで、すずめも自分が誘導した部長の人格を最終確認して、一対一の青春勝負を明け渡したんだろうしね……。
 サリーちゃんのプライベートが閉じ込められた私室の、更に近しいベット脇まで踏み込む資格があるのか、キッチリ至近距離で確かめてから状況にGO出すの、セルフレームの奥の冷静を感じれて好きだ。

 

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 いよいよ熱を増す繊細な表現は、優しいサリーちゃんが抱え込んでいる辛さを吐き出し、それを黄前部長が受け止めメッセージを返す様子を、丁寧に積み上げていく。
 素直で真っ直ぐで良い子だからこそ、苦手意識とか痛みとか、暗い感情に慣れていなくて強く傷ついてしまうサリーちゃんの気持ちを、美しいみだれ髪は豊かに語ってくれる。
 そこにはサリーちゃん個人の気持ちだけでなく、結果のために何もかも振り捨てて突き進む競技集団であると同時に、孤星豊かな思春期の子ども達を百人集めた教育と生活の現場でもある、”部活”の難しさが反射している。
 上手くない今と、上手くなりたい自分と、上手くなれるだろう未来が複雑に反響し、時折ノイズを交えつつも熱くて複雑な共鳴を……北宇治の音を作っているその場所が、久美子は好きだ。

 そんな自分を確かめるように、強く手のひらを握りしめた後、黄前部長はそれを拡げる。
 自分に言い聞かせるように視線を下に向けて、必死に言葉を探しながらサリーちゃんが預けてくれた思いに、自分の気持ちを重ね応えていく。
 かつて先輩たちが自分にしてくれて、かつて自分が先輩たちにした、触れ合うからこそ暖かく傷も生まれる旅路の新しい一歩を、出来る限り誠実に適切に進めるよう、その視線は色んなものを視る。

 ここでまず久美子の意識が、自分の中にある心と体験を彷徨い探り、その後『ここから私の言葉が出ているんだよ!』と告げるように胸に当てられて、サリーちゃんへと飛び立っていくのが、俺はすごく好きだ。
 貴方と私の間にある、すれ違っているけど結び合うことだって出来るとても柔らかく温かいものを、どこに定めればこの病床から立ち上がって、一緒に進めるのか。
 外から借りてきた正しさではなく、あくまで自分の体験と感情に根付いた嘘のない思いを届けられるよう、久美子は必死に『良い先輩、良い部長』の顔を作りながらも、サリーちゃんに語りかける。
  立派だ、とても。

 

 厳しさに涙することがあっても、皆で一緒に高みへと進み、最高の景色を見てみたい。
 久美子のそんな願いが、眼の前のサリーちゃんだけではなく境内に遊ぶ友人たち……厳しくて悔しくて泣いていた初心者の子、汗を流しながら後輩を指導するドラムメジャーにも伸びている様子も、凄く良い。
 人間が人間であり、だからこそ心の通った音楽が生み出せる以上、北宇治吹奏楽部は迷うこともぶつかることも、今までそうだったように必ずある。
 それでも可愛らしく絵馬に刻まれた決意と祈りを、なんとか共有しながら進んでいくことを、久美子は願い祈り、彼女を部長とする皆が共有している……はずだ。

 それが不可能ではなく、押し付けでもなく、泣きじゃくっていた弱い子が弱いまんまなんかじゃなくて、昨日出来なかったことが出来るようになって嬉しくて、その喜びを糧にもっと頑張れるのだと、ちゃんと書いてくれているのが俺は好きだ。
 弱みも迷いも見せず、進むべき理想像へとビシバシ仲間を駆り立てていくドラムメジャーが、弱い存在を踏みつけにする喜悦に酔わず、ただただ高みを目指して一心不乱である様子も。
 演奏のクオリティを担保する責任を、自分の気質と重ねて背負ってる麗奈の厳しい言葉と態度は、生徒が自分で掲げた高い目標を成し遂げるためには絶対必要であるし、泣かされた側にもそこに薄汚い私心がないことは、ちゃんと伝わっている。
 だから久美子もサリーちゃんが……自分を慰めたり真意を通訳してくれる誰かがいない場所でも、二人はとても良い顔をして、真っ直ぐ前を向いて汗を流している。
 音楽のならない場所で柔らかくお互いの思いを伝え合う以外にも、心が通じ同じ場所を見つめられる瞬間は沢山あって、そのどれもが眩しく正しい、嘘のない決断なのだ。
 サンフェスに向けて奮戦する書士sん車とドラムメジャーを挟むことで、久美子だけが立派に頑張っているわけではなく、彼女が導く仲間たちも傷つきながら力強く、同じ未来へ進んでいけると教えてくれる回で、大変いい。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 部長として先輩として人間として、親しくても近すぎない最適距離を必死に探って心を通わせた久美子よりも、更に密接した義井沙里の0距離を釜屋すずめは独占する。
 湧き上がる不安や痛みに押しつぶされそうになっていたサリーちゃんは、久美子の誠実な態度に己の心を預け、本来彼女が向き合うべき明るい光へ視線を戻す。
 そんな親友の回復を見届けて、しかしすずめが同じ光を見つめるのではなく背後の闇に顔を逃がすのは、後に暴かれるチャーミングな犯行計画への予告として、とても印象深い。
 光に必ずつきまとう闇に耐性がない、真っ直ぐ優しくいい子がだからこそ陥った、人間性のどん詰まり。
 空気読まずにおちゃらけてばかりいるようでいて、部を揺るがしかねなかった一大事を火種の段階でもみ消し、一年生エースの憂いを晴らした今回の解決策、一体誰が書き上げたのか。
 そこら辺の視力の良さと、影の中が見えてしまうからこそサリーちゃんが真っ直ぐ見つめる未来を、自分の景色だと受け止いきれない釜屋すずめの複雑さが、隣り合って交錯しない視線には反射している。

 暗い場所から明るい場所へ、鮮烈に歩を進めることで再生と成長を眩しく輝かせるサリーちゃんが、一人では越えられなかった壁。
 それがすずめには見えていて、誰がどう動けばより善い未来を掴めるか……ともすれば影の前に立つすくむこともあった黄前部長よりも鋭く、見抜いていた感じもある。
 この賢しさが他人にどう見えるのか、理解っているから笑いで覆い隠している部分もあるのだろうし、ここら辺の制御の巧さは後輩にめちゃモテのりりりん先輩も、多分同じなのだろう。
 いい人、面白い人、可愛い人が皆、透明で眩しい光だけを見据え、自分をその中においている訳でも、置けるわけでもない。
 そういう人間の難しさと面白さが、軟着陸を無事果たしたボイコット未遂事件に……その犯人であり探偵役でもあった釜屋すずめに、鮮烈に反射する回である。

 黄前久美子に、そういう怜悧な知性は似合わない。
 一個一個世界と自分と他人を探り探り、思い出の中に解決策を探しながら、正しい建前と熱い本音を必死にないまぜにして、生真面目に不器用に手渡す。
 そういう、とても黄前久美子らしいやり方で此処から先の旅も走っていくし、そこには色んな人が……特に久美子の0距離を唯一専有する麗奈が隣り合って、進んでいくということが見えるエピソードだった。
 この”特別”に滑り込むべく、久石奏がかなり暴れている様子、俺はマジ好きだぜ……。

 自分とは全く違うタイプでも、心響き合って人生が交わることがあるし、その差異と共鳴は面白いものだと、あすかや麗奈などなど、アクの強い連中と魂のぶつかり合い果たした経験から学び取っているのは、黄前部長の強みだろう。
 55人編成のブラスバンドが、金管木管高音低音、様々な楽器があればこそ最高の音楽を生み出せるように、100人の社会集団にも様々な個性や願いや思惑があって、ぶつかり合いながら自分たちだけの音を探していく。
 その先頭に、真ん中に、震えながら立って未来へ進んでいく久美子の姿が、とても鮮烈な回でした。
 頼もしさを必死に演じ、一人間として震える心と視線を抱えながら”部長”であろうとしてる三年生の久美子は、やっぱ立派だ。

 

 まだまだ物語は始まったばかり、今回大爆発しなかった火種は別の場所で、全てを焼け野原にするかもしれません。
 そういう人間集団のヤバさを嘘なく描けばこそ、響き合い高鳴る青春の鼓動。
 まずはサンフェス本番……どんな可愛げと颯爽とギスギスが見られるか。
 次回も楽しみです。

響け! ユーフォニアム3:第2話『さんかくシンコペーション』感想

 全国大会金賞という目標を定め、動き出した久美子部長の北宇治吹奏楽部。
 しかし部員百人を超える大集団の運営はなかなかに大変で、晴れたり曇ったり押したり引いたり、色んなトライアグルが随所で蠢く……という、ユーフォアニメ三期第2話である。
 2年分の波風に鍛えられ、一見順調に”先輩”やっているように見えて、今まで通り何も完璧ではなく揺れ動き、未来に迷いつつも強がり背筋を伸ばして部長を頑張っている久美子と、彼女を取り巻く様々な三角形。
 それは奏と真由を交えた三人のユーフォ奏者であったり、 麗奈と秀一と三人で引っ張っていく部内政治であったり、3つの楽曲から一つを選ぶ決断だったりする。
 後輩の前では揺るがない安心感を演じ、苦楽を共にする仲間の隣では私人でいられ、吹奏楽を離れたところにも勿論未来が繋がっている、高校3年生が身を置く複雑な景色も含むだろう。
 色んな”さんかく”が複雑な力学の中で踊る中で、未だ成し遂げられぬ黄金の結末へ皆でたどり着くために、久美子は何を選び、何に迷うのか。
 未だ静かな序奏ながら、待ち構える嵐とそれを超えればこその晴れ間は確かに予感できる、ユーフォアニメらしい第2話でした。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第2話より引用

 というわけで、100人を超える大所帯の部長になった久美子はかつてあすかや優子が見せていた頼もしさを必死で演じながら、より良い音を奏でコンクールを勝ち残るためにも、数多の実務をこなし人間関係を調整する、極めて面倒くさい立場に立っている。
 去っていく人の背中を追い越して、同じ立場に経って初めて見えてくる苦労と、それを見せないことでなんとか成立していた……あるいは荒れに荒れて壊れかけて、だからこそ強くなっていった、部活という社会。
 部長になった久美子は感情むき出しの幼い一年生でも、エースとして後輩を導くニ年生でもなく、揺らぐ弱さを見せられない強豪校の要として、一見頼もしくも見える。
 しかし先輩たちの苦労を思いつつピアノの上で書き記す書類には、どこか頼り投げな影が確かに写っていて、未来を刻む進路調査票も真っ白だ。
 『立場が人を作る』という言葉に従って、完璧で強い自分を演じきって部を背負おうと頑張る姿の奥には、今まで僕らが見てきたまんまの頼りなく愛しい黄前久美子が、確かにある。

 全国レベルの演奏集団として、部活をまとめ上げていくことの難しさは、常に嵐が吹き荒れて、それを背に受けて大きく飛翔してきた北宇治吹奏楽部の生え抜きだからこそ、良く理解っている。
 部長・副部長・ドラムメジャーと役割を分担しつつ、複雑怪奇な小社会をコントロールしなければいけない立場になった久美子たちは、普通の高校生たちのように座席ではしゃぎ、安楽に腰を下ろすことは許されていない。
 帰りの電車でも北宇治首脳会談に頭を悩ませ、三年越しの念願をどう叶えていくべきなのか、完璧ではないからこそ完璧であろうと、必死の背伸びを続けている。
 それはけして楽ではなく、しかし誰かに強要されたわけでもない、彼ら自身の夢の形だ。
 これを性格も能力も立場も異なる百人と、理想をぶつけ合いこすり合わせながらなんとか、一つの曲を奏でられるように闘っていく。
 ヘラヘラ笑って楽しい部活に時間を使う道を、自分たちで拒絶してしまったからには、厳しくても立たなければいけない場所があるのだ。

 

 とは言うものの、どんな立場にいようが久美子たちは人間であり、未熟で発展途上な子どもでもある。
 気心のしれた仲間に信頼を預け、お互い支え合うことでなんとか苦境を乗り越えて、未来への道を切り開いていくためには、弱音や希望を確かめ合う親しさが、どこかに必要になる。
 それがあればこそなんとか背筋を伸ばして立っていられる、厳しい全国への道へと仲間を導いていける、人間としての体重の預けどころに、三年生になった久美子たちがどう向き合っているのか。
 美しさと緊張感のある構図に鮮烈に焼き付ける筆は、三期になっても元気である。
 やっぱユーフォの……京アニの美術とレイアウトは良いなぁ…。

 北宇治を牽引するトロイカにおいて、久美子と麗奈があまりにも特別な……なかなか名前がつかない濃厚な距離感で繋がっていることは既に幾度も描かれた。
 雨上がりのベンチに間近に座り、一つのイヤフォンを分け合って同じ曲を聞く。
 そんな特別すら当たり前の、あまりにも特別な関係。
 部活に加えて恋愛までは背負えないと、一回関係をリセットした久美子のわがままを、苦笑交じりに受け止めてくれた秀一との絆も、未だ素直になれない頑なさを残したまま強いものだ。
 久美子-麗奈、久美子-秀一の二辺に繋がるもう一辺、副部長とドラムメジャーの関係性がどんなものであるか、今回描かれたのはとても面白かった。

 何かと背負いがちな久美子に過剰な重さを背負わせぬよう、細かい言い回しにもピリピリ口を突っ込んでくる麗奈に、秀逸は素直に道を譲って追いかける。
 この優しさが自分に向いてしまうことが、親友をどう揺らがせるか想像できてしまえるところに、麗奈の可愛さと面倒くささ、自分を固く保ちつつも結構他人のことも見える周辺視野の広さが、良く表れていると思う。
 苛烈で己を譲らないからこそ、妥協なく音楽を追求するドラムメジャーをやれている麗奈に対し、仏の副部長は柔らかく不満を受け止め、部内の人間関係を裏から調整する役割を背負っている。
 厳しい嫌われ役と優しい理解者、それぞれ部内政治に必要な役割を背負いながら、確かな信頼で繋がっている二人の距離が、電話ボックスをナメながら的確にスケッチされていく。
 こういう繋がり方があればこそ、あすか達にも優子達にも預けなかった勝負の選曲を三人だからこそ特別に任せてくれたと、確信を込めて麗奈も言い切るのだろう。
 高坂麗奈が三年生になっても、群れに埋没せず、何者かであること……特別であることを常に望んでいる様子も伺えて、そこも面白い回だった。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第2話より引用

 こんな屋台骨の頑張りで支えられている北宇治高校吹奏楽部だが、人が集まれば影も生まれるわけで、嵐の予感は静かに近づく。
 やはり台風の目は謎めいた転校生・黒江真由であり、聖母めいた透明な笑顔に嘘はないものの、彼女の周囲には底抜けの眩しさだけでなく、濃い影も追いついてくる。
 彼女の微笑みの奥にある獣が牙を向くのは先の話だけども、本気で競い合うからこそ強くなった北宇治イズム(≒滝昇イズム)を押しのけるような、ガチって傷つく人を見たくない優しさが秘める凶暴さは、明暗の中に既に元気だ。
 負けて本気でなく麗奈の気持ちが解らなかった中学時代から、二年の時を経て同じ温度で並び立てるようになった久美子が、過去においてきた柔らかな凶器が、限られた椅子から部長を押しのけレギュラーを奪いかねない実力と、並び合っている静かな強さ。
 そこには客観的な衝突の予感だけではなく、部長でありながら一人の演奏者でもある久美子が、自分の居場所を奪われ、大事な人達と積み重ねてきた何かを否定されてしまう未来への、形のない主観的不安が反射している感じもある。

 部長という立場を得てしまった以上、メチャクチャな意見だろうと一応は聞き届け受け止め、落ち着く場所を見つけてあげなければいけないわけで、シスコン拗らせて暴走する釜屋妹のぶっ飛んだ提案にも、親身に向き合う姿勢を久美子は作る。
 この公平なスタンスが、嫌悪とまでは行かない個人的な違和感や不安を表に出さず、自分を殺して真由に向き合うストレスの影を、長く伸ばしてもいるのだろう。
 ここら辺の私的感情に、先回りして警戒感もあらわに”三人目のユーフォ奏者”に牽制を入れ、けして名前では呼ばない久石奏のイイ性格が、何かと息苦しそうな今の久美子を見ていると、ちょっとありがたくもある。
 に年目の物語において計算高く自分を装い、ビシビシ尖ってぶつかって来た彼女は、だからこそ自分の狡さや賢さすら見つめ受け止めてくれた久美子を、彼女の”特別”として認め愛している。
 おどけた態度で距離近く、ベタベタ引っ付いてくるのは戯れ半分、本気半分って感じだと思うが、公明正大な部長様が付きさせない針を、慇懃な態度の奥からプスプス真由に刺しているのも、愛着の逆位相という感じがする。
 そこら辺の張り詰めた間合いを、隙なくしっかり描くことで、部内に満ち人と人の間に蠢く不可視の空気を、視聴者に伝える静かな雄弁さが、やっぱり俺は好きだ。

 

 真由を中心に渦を巻く不穏さや、愛が高じてメチャクチャ言い出すすずめの言い分は、まだ笑える可愛げに満ちている。
 しかし確かに沢山の人がいる吹奏楽部の未来は、入り交じる空気を反射して晴れ間ばかりではなく、暗くなったり雨が降ったり、色んな天気に移り変わる。
 それでも久美子が率いる人間集団が、より善い音楽を作り上げるべく集まっている以上、世界が黄金に輝くのはやはり、音に満ちた瞬間になる。
 高校生活最後の年、全国に夢を届ける勝負の曲が決まった時、世界を満たしていた湿り気と暗さを一気に押しのけて、眩い光が久美子と麗奈を包む美しさは、圧倒的なまばゆさに満ちていた。
 ずーっと人間と人間が肩を寄せあい、支え合ってぶつかりあって活きてる狭い空間を切り取ってきた(だからこそ、そこに宿る息吹を細やかに切り取れていた)画角が、首脳部全員の気持ちが一つに重なり” 一年の詩 ”が鳴り響いた瞬間、あまりにも広く美しい宇治の情景を黄金色に照らすの、開放感ハンパなくて良かったな……。

 色々薄暗いものもありつつ、苦労し傷ついて譲れない願いを見つけ、ぶつかりあって一つの曲を奏でてきた久美子の歩みは、常に音楽とともにあった。
 晴れる日もあれば曇る日も、吹き荒れる嵐に翻弄されるときだってあったけど、自分を譲らず本気で向き合い、見つけ重ねた歌に嘘はなかった。
 そういう輝きを、湿った暗がりと同じくらい……あるいはそれを上回る力強さと真実味で描いてきたお話の、”特別”がどこにあるのか。
 麗奈と久美子の願いが重なった瞬間を、極めてドラマチックに描く筆先が、改めて語ってくれてとても良かった。
 やっぱこのエモーションの炸裂が、俺はいっとう好きだ……。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第2話より引用

 あんなにも世界を美しく染め上げる、強く真っ直ぐな音が鳴り響いたんだから、たかが100人からの社会集団、同じ方向を向いて光に向かってまっしぐら!!
 ……って甘っちょろさが、ユーフォの味じゃないのもまた、皆さんご承知の通りで。
 純粋に善い音楽を追い求めることを役割と求められている麗奈が高く掲げた指先に待つ、険しくも特別な歩み。
 それが多くの部員を包み込みつつも、既に陰りに囚われている誰かがいることをカメラは見落とさない。
 オイー、一年エースの伏せた視線と伸びる影、明らか不穏なんだがッ!

 全国の高みを目指し、一丸となって突き進まなければ夢など叶わないと解りつつ、人間である以上迷いや揺らぎは当然あって、しかしそれを飲み干す度量を見せなければ、部を導くことなど叶わない。
 久美子部長が身を置いている、極めて難しい人生の居場所がどんな影と光に満ちているのか、丁寧に描く回でした。
 ”先輩”になった葉月ちゃんや、アンコンを経て演奏者として人間として頼もしさを増したつばめちゃんを描く筆がなんとも頼もしく嬉しいけども、群像の成長の隣には常に、人が人であるがゆえの、そんな存在が集まるからこその難しさが、複雑な陰影を奏でている。
 さてはてサンフェス近づく中で、一体何が起こるやら。
 次回も楽しみですね。