イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ガールズバンドクライ:第3話『ズッコケ問答』感想ツイートまとめ

声無き魚が、遂に産声を上げる。
 ガールズバンドクライ 第3話を見る。
 前回生粋のロックンロール・モンスターとしての資質を見せつけた仁菜が、その才能を初ステージに炸裂させるまでを描くエピソードである。
 Aパートで”三人目”であるすばるちゃんの人柄を掘り下げ関係を築き、満を持しての”声無き魚”まで一気に駆け抜けるカタルシスが、勝負の三話に相応しい仕上がりだった。

 

 やっぱ仁菜を演じる理名さんの歌が、圧倒的な説得力を持って作品を下支えしているのを感じる。
 燃え尽きたはずの桃香さんがもう一度魂を熱く燃やし、面倒くさいガールを導きたくなる、圧倒的な才。
 運命を引き寄せ人生を捻じ曲げる、巨大な星。
 スーパースター誕生の物語に必要な存在質量を、歌の説得力が分厚く下支えしてくれるのは大変いい。
 仁菜のチャーミングな面倒くささをここまでどっしり描き、それを爆笑しつつ嘲笑わない…むしろ面倒くさいからこそ期待を寄せる仲間たちの頼りなさで毒気を抜いて、『今爆発しなきゃ嘘だろ!』って所まで、物語のテンションを持っていく。
 熱さ一辺倒で力むわけではなく、心地よく抜いた笑いを随所に交えて、独自のテンポでバンドをやるしかない女の子たちの叫びを、高く高く響かせていく。

 濃い口なキャラの魅力をこすり合わせ発火させていく、ダイアログの良さを最大限活かして、気持ちよく初ライブまで行ける回だった。 初ステージを天国までぶっ飛ばすには、色々と仕込みがいる。
 前回顔見世だけしてたけど人間が見えきれないすばるちゃんを掘り下げ、バンドの起爆剤となる仁菜のロックンロール魂、自分が認められない魅力を発見し肯定してくれる仲間のありがたさを積み込んで、初舞台が話の筋書きで用意されたものではなく、運命であり必然であると思わせないといけない。
 今回のエピソードは、そういう物語的要請をしっかり果たしつつ、川崎や渋谷に生きる彼女たちの息吹を、今までよりも更に色濃く描き直してくれる回だ。
 嘘っぱちの世界に、確かに彼女たちが在る。
 その実感が、作品に前のめりに踏み込むための足場になっていく。
 ありがたい

 ここまで二話、圧倒的に面倒くさい主人公を目が離せない引力弦として削り出し、その推進力で進んできた物語は、やっぱり仁菜を真ん中に据えて進んでいく。
 冒頭、作曲アプリにドハマリしてガンガンその才能を燃やしていく(ついでに勉強して大学受かるフツーの幸せから、ガンガン遠ざかっていく)様子が、鳩の縦ノリを伴奏に大変良かった。
 小気味いいコメディと真っ直ぐな音楽スポ根を描きつつ、細かいところで『今、川崎で、ロックをやる』ことがどういう風景を生むか、編み上げていく指先が繊細だ。
 ド素人が『今、川崎で、ロックをやる』なら、教本より先に感覚で操作できるアプリが手渡される。
 なるほど、そういう手応えかと、小さな描写の中に納得が積み重なっていく。

 

 

 

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第3話より引用

 最高の初ライブに向けて笑いと期待をガン済みしていく、早くて強い流れの中で、作品が乗っかる舞台がどういう場所で、少女たちがどこに生きているのか横幅広く見せるのも怠けないのが、大変良かった。
 今回のエピソードは、ここまで描かれなかった少女たちのパーソナルスペースのお披露目会でもある。
 仁菜の予備校、桃香さんの家、すばるのアクターズスクール…そして後に仲間となる連中の吉野家
 それぞれ異なった場所に、それぞれ異なったキャラクターが、自分たちの在り方を反射させながら立っている。
 お互いがお互いの領域に足を運び、匂いを感じメシを食う。

 勉強して、大学行って、クズどもを見返す。
 仁菜の復讐計画をダイナシにする楽しいことを、ドンドン手渡す桃香さんの視界に”進路指導室”が入っているのが好きだ。
 それは確かにそこにあって、しかしそこから伸びていくフツーの幸せに背中を向けて、ロックンロールをやるしかない。
 桃香さんは仁菜をそういう存在だと、極めて正しくみぬいいているし、バカ後輩が無駄なあがきでその部屋に迷い込む前に、行くべき場所への道を拓く。
 全然自分に自身が持てない怪物を、自分がどっかに置いてきてしまったものを持ってる眩しい星を、受け止め励まし送り出していく。
 桃香さん、佇まいがかなり”姉”でありがたい…。

 

 ねじくれて面倒くさい仁菜のキャラクター性を、破壊力ある物語のエンジンとして肯定的に受け取れるのは、桃香さんの頼りがいが大きいだろう。
 彼女がクズの中にある炎を信じ、吉野家奢ってアプリ渡して、自分自身気づいてない可能性が開花するよう、期待し面倒見てくれるからこそ、仁菜を『おもしれー女』として受け取れる。
 ロックンロールをやるしかないバケモノを、フツーにいい子として矯正してアク取りするのではなく、エグみやヤバさ込で楽しい主役として受け止めさせるためには、三歳上の大人力が絶対必要なのだ。
 ここら辺、すばるちゃんが自分と他人をしっかり把握し、適正距離を積極的に探れる人格なのとも重なる。
 とにっかく面倒くさい主役一本に人格的問題≒作品に独自性と爆発力を与える、扱いの難しい火薬を絞り、物わかりの良い二人が主役の可能性を面白がり、支え導く構造が、前回に引き続き鮮明に照らされていく。

 しかし桃香さんも無傷の天使ってわけではなく、自分が置き去りにした/自分を置いていった仲間を眩しく見上げて、燃え尽きてしまった自分を燃やしてくれる新たな才能に、人生を預ける歪さを持っている。
 バブちゃん仁菜がちったぁ自分の足で立てるようになった時、多分この歪さに飛び込んで今までの恩を返す展開になると思うので、今からメチャクチャ愉しみである。
 マージで桃香さんには世話になっとるからな、井芹は…。

 第1話ラストで故郷に帰ろうと、青春を終わらせようとした桃香さんを川崎に留めた、仁菜の吠え声。
 カラオケボックスでそれが炸裂する時、桃香さんが陶然と聞き惚れている様子が良かった。
 それは彼女が失った…と思いこんでいるものを、もう一度取り戻してくれる特別な歌であり、だからこそ彼女は極めて面倒くさい情緒赤ん坊女の面倒を見る。
 思いの外、河原木桃香は利己的なのだ。
 透明でエゴのない天使の思いやりより、自分から失われ諦めきれない、ロックの原液を間近に浴びれるから助けていると、少し濁ったとびきりの優しさを感じれたほうが、もっともっと桃香さんを好きになれる。
 そういう描き方で、大変良かった。

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第3話より引用

 現状、自信ないくせにプライド高く、卑屈なのに傲慢な仁菜は自分を見れていない。
 そんな彼女がどんだけ特別で、どうすれば一番自分らしく叫べるのかは、仁菜の外側…河原木桃香の視界の中にある。
 ヨーグルトと肉まんを口に運んでもらい、ワンワン泣いては爆笑しながらあやしてもらい、『お前は最高の怪物だ』と褒めておだてて、歌わせてもらう。
 『完全にママじゃん…』って感じの、期待と信頼が仁菜の世界を開いていく。
 その先にあるのが”声無き魚”の眩い光であり、モニター越しようやく自分の姿を、数多同じ屈折を持った観客席の幻影を、見つける井芹仁菜である。

 井芹仁菜がどんな存在であるか、他人に決めつけられたくないと反発するくせに、自分でも見つけられていない…だからこそロックンロールをやるしかない少女は、世界に山ほどいる自分の分身へと、必ず声を届けていく。
 観客席にフリフリ衣装の仁菜の影が、彼女の叫びを待っている描写があったのは、この後主役たちの声が世間に届き、共感性で若者を殴るロックンロール兵器として仁菜達が、売れていく未来への滑走路を確かに開いていた。
 仁菜の鬱屈と爆発力は彼女固有の才能であると同時に、小さな身一つ飛び超えてもっと大きな場所へと届き、その反響で仁菜に己を教える、大きなエコーになってく、
 桃香さんは、そんな未来を確信してる。

 

 プロデューサー(あるいは教育者)に必要なヴィジョンと信頼を、プロ経験者である桃香さんはしっかり持っている…という話なのだが、そんな彼女の自己評価は思いの外低いと思う。
 何しろ全部辞めて故郷に戻ろうとしていたわけで、若いまんま人生に勝てなかった負け犬として、仁菜という才能…自分から失われてしまったモノを持ってる特別に照らされなきゃ、もう輝けない老いた星だと、自分を見ている感じがある。

 『んなわけねーだろ!』と、ロック幼児の面倒見てる姿を眺めりゃすぐに解るが、この客観と主観のすれ違いは、それこそ桃香さんと仁菜の間にある期待と自己卑下の構造に重なる。
 仁菜を信じ引っ張り上げた女が、自分を地べたに投げ出してる。

 自分のことで手一杯、人間的伸びしろしかない激ヤバ女はまだそういう事に気付けないが、仲間とロックンロールを駆け抜ける中で快楽と光りに包まれ、自分と世界のあり方が見えてきた時、そういう残酷を見落とせるのか。
 自分すら愛してなかった自分を愛し、信じ、導いてくれた人が、『アタシ終わってるし…』と下向いてるのを、ロックンロールの申し子が我慢できるのか。

 

 そういう未来への疑問を、熱の入ったハイボルテージに押し流されながらしっかり感じ取れる、良い”第3話”だった。
 桃香さんが『メシ食わす人』として描かれ続けてるの、俺好きなんだよなぁ…。
 ヨーグルトに牛丼、アプリに衣装にマイク。
 自己肯定感を簒奪され、己を証明するものに飢えている若者にたっぷり食わせて、自分を叫ぶための武器を用意してあげる、フィーダーとしてのありがたみ。
 それに報いて、実は飢えてたかぁちゃんに手ずから魂の糧を渡し返す責務が、間違いなく仁菜にはあるだろう。

 一歩後ろに引いて『井芹仁菜の物語』を軌道に乗せるサポーターを、自分の立ち位置とすることでなんとか背筋を伸ばしている桃香さんに、仁菜が『アンタ主役じゃん! アタシを主役にしてくれたじゃん!』と叫ぶ瞬間を、僕は心待ちにしている。
 それを果たしたときが、ロックンローラー井芹仁菜、真実の一本立ちになると思うから。
 やっぱね、ロックは仁義ですよ。

 

 

 俺は断然ももにな派なので、お話の順序をすっ飛ばしてその話をしてしまったが、Aパートのすばるちゃん掘り下げも大変良かった。
 仁菜と同レベルの激ヤバだと話が制御不能に沈没していくわけで、距離感解らず後ろに引く仁菜にグイグイ前に出つつ、自分を適切に開示して魂預ける足場を用意もしてくれる、とても人間育ったいい子だった。
 まー拗れて面倒くさい所も山盛りありそうだけど、今回のライブで成功体験を積んだ仁菜がもうちょい頼もしくなったら、そっちを掘り下げるターンが来るのだろう。
 つーかこのお話が面倒くさい女を描く筆は最高なので、すばるちゃん固有の面倒くささも、ガンガン表に出ていって欲しい。

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第3話より引用

 カトゥーン調の小気味いコミカルと、最高に熱い音楽描写と同じくらい、情感を背景とレイアウトに反射し、人間関係の変化を美術で語る表現の上手さはこのアニメの武器だ。
 尊大なくせにビビりな仁菜がまとう影に、前向きで力強いすばるの光が追いつき、逃げられ、また追いつき返して一緒に光の中に飛び込んでいく様子を描く、Aパートの変遷。
 それは仁菜が自分を追い詰める凶器になってる、持ち前のネガティブがかけがえのない誰かの助けで、少しは希望のある方へと向き直るまでを削り出していく。
 そうしてくれる、すばるちゃんのありがたさと素晴らしさも。

 薄暗く遠い街頭ですれ違う距離感は、役者を目指す明るい(と思われてる)光に、暗い仁菜の領域が照らされる間合いまで縮まり、最終的にハチ公前でズッ友写真取る所まで行く。
 すばると語り合い、お互いをよく知る前は気になっていた顔のない嘲り(仁菜が熊本で、一回殺された凶器)も、友達が隣りにいてくれるならもう聞こえない。

 お上りさんで陰気で、だからこそ炸裂するロックを内に秘めた怪物の顔は、すばるが撮ってくれるからこそ目に見える形になる。
 仁菜はつくづく自分の顔と辿り着きたい未来が見えない子どもで、すばる(と桃香さん)はそんな彼女の卑屈な退却戦を許さない。
 お前は、もっと出来る。
 私がいてやる。
 仁菜(が代表する、世界すべての子ども達)が一番欲しい言葉を、グイグイ前に出てガンガン手渡してくれる少女は、ロックの怪物がその才能を羽ばたかせるために、絶対必要な仲間なのだ。

 

 空気読めず自分の光を押し付けると思わせておいて、ビビって身を引く仁菜の呼吸をしっかり読み、柔らかく絡め取って本音引っ張り出せるあたり、すばるは相当に視力が良い。
 仁菜のチャーミング・モンスターっぷりに当てられている視聴者としては、作中でもアイツのやりたい放題を『しょーがねーな!』と受け入れて欲しい。
 その通りにすばる(と桃香さん)が振る舞ってくれるのは、求めているものと描かれるものが重なる、幸福なありがたさだ。

 とりあえず東京出て大学行けば人生に復讐できるだろうと、旧日本軍並のガバガバ戦時計画で逆襲戦に挑んでいる仁菜に対し、すばるは未来が見えないながらしっかり自分を探って、やりたいことを世界に突き出している。 
 家のしきたりに押し流され、やりたくもない役者人生を背負わされつつも、怒りをスティックに叩きつけドラマーでいる自分を、自分で選び取る。
 自分の手綱を己で握る独立独歩が、彼女の背筋を伸ばし眩しく輝かせ…そういうのに憧れつつもビビって背筋が曲がる仁菜を、影の方向に逃げさせようとする。

 でも仁菜だって、好き好んで暗い場所に逃げ込んでいるわけではない。
 そこじゃなきゃ、息なんて出来ないから。
 自分を殺してくる親と学校から、自分を生存させられないから、仁菜は自己卑下の影に必死に隠れて、何をやりたいのか見えなくなっている。
 ならそういうやつほど、光り輝く表舞台に引っ張っていかなきゃいけねーだろ! つうことで、すばるちゃんとぶつかり触れ合う中で、仁菜は光に近い場所へと進み出していく。

 安和すばるはそういう事をロック赤ちゃんにしてくれる、マジいい子で良い姉貴だということを教えてくれるAパートで、大変良かったです。
 三話にして既に、自分の中で仁菜は愛すべきベイビーになってきているので、自分じゃメシも食えねぇ赤ちゃんをバブバブさせてくれる人たち、全員好きになってしまう…。

 

 というわけで、大変良かったです。
 『勝負の三話』という深夜アニメの方程式が、通用しなくなるほど作劇もアップテンポになってきていると思いますが、時代に追いつく速さと熱量を維持しつつ、大事なコーナーを最高速で回りきる妙技を、たっぷり堪能させてもらいました。
 ファーストライブを最高の輝きと受け止めさせるために必要な、キャラとドラマへの愛着と期待をしっかり作り上げた上で、望んでいたより遥かに高くぶっ飛んでいった”声無き魚”、素晴らしかった。

 『やっぱ勝負どころで、キッチリ勝てるアニメはつえーな!』と、当たり前のことを思いつつこの後のお話、大変楽しみです。
 おもしれーなこのアニメマジ…。

 

 

 

・補記 あの時照らしそこなった、普通怪獣の陰りが彼らの瞼の奥に、僕と同じように突き刺さっているのなら。
 仁菜のロック野郎っぷり、矛盾だらけの青春モンスターっぷりは、ある意味高海千歌のリベンジなのかなと、極めて勝手に気楽に思ったりもする。
 スクールでもアイドルでもない、クドい萌記号を拾わなくてもいいセッティングで、本来は相当暗くてヤバいはずのキャラがキラキラ青春に飲まれ何かが歪んだ、遠い昔のあの話。
 あの時見たかった、怪物が怪物のまま怪物らしく暴れるお話を、ようやく見れてる手応え。

 でもそれは、怪物が怪物ではない何かになって、色々ガタつきながら必死に己の話を走りきったからこそ、今見れているものなのだろう。
 勿論、この話は内浦の続きじゃない。
 でも自分の中確かに、あの子の残影を追ってる部分がある。

 話のあやふやな輪郭、スタッフの共通項だけで何かを語るのは何の意味もない空言なんだが、こうして新たな波動に心揺さぶられてみると、全然あの子の物語にケリつけてられてなかった自分を新たに見せつけられて、その事書かないのも嘘だろうと思ったから、今ここに余計な補記を付け足してる。

 暗くて面倒くさくて暴力的で、ロックの怪物になるしか道がないくらい真っ直ぐな、仁菜の顔。
 彼女を主役とする、”ガールズバンドクライ”の顔。
 そこに重なる、怪物として設計されていながら、甘く柔らかな光でその影を塗りつぶされた少女の面影。
 それが妄想であると刻まないと、引きずられすぎて仁菜の顔、ちゃんと見えなくなりそうだ。

 

うる星やつら:第37話『飛鳥ふたたび/嵐を呼ぶデート 前編』感想ツイートまとめ

 うる星やつら 第37話を見る。
 約10話ぶりに水乃小路飛鳥が大暴れし、パニックと暴力とすれ違いが凄い勢いで混乱を生み出す、過去最大級にドッタンバッタン大騒ぎな回だった。
 宇宙人だの妖怪だの、人外の存在が当たり前に顔を出すお話なのに、一番カオスなのが超絶金持ちが好き勝手絶頂やる時だってのに、強めのこのお話らしさを感じている。
 ただの男性恐怖症なら落ち着くチャンスもあろうが、飛鳥は作中最強クラスの怪力も持ち合わせているので混乱に暴力で拍車がかかり、ドンドン状況が落ち着かなくなっていくのが、ドタバタコメディに特化したデザインだなぁ、と思うね。
 おまけに無垢でえっちだ。無敵だな…。

 

 つーわけで今週は、人間の範疇が獣/女/お兄様にぶっ壊れた怪力美少女が、母からの荒療治に友引高校を巻き込むお話と、唯一なんとか話が通じる男性である終太郎とのデートの前哨戦である。
 『性差の話しされたら俺の出番だ!』つうわけで、竜ちゃんもさらしに隠したお胸を見え隠れさせつつ、久々にちょっとエロティックな雰囲気で第1エピソードが進む。
 あとフツーに妹を案じ良い兄でいようと頑張る、トンちゃんが健気でカワイそう
 時が過ぎてみると、箱入り娘を極めた結果あらゆる常識が欠落した飛鳥がお兄ちゃんに迫るのは、半世紀先取りした無知シチュみたいな手触りがあり、”うる星”の先進性を改めて感じ取る次第である。
 そこら辺のアモラルな気配を魅力的なスパイスにしつつ、過剰なパワーをパニック状態でブンブン振り回す飛鳥が、ギャグ時空じゃなきゃ許されない器物損壊と傷害を量産しつつ、ちょっとずつ屋敷の外側に慣れていくお話だ。

 

 前回描かれた終太郎の閉所恐怖症と同じく、ギャグキャラに必要な濃い味付け、そいつがそいつでいるための聖痕を消し去って”マトモ”にするわけではない。
 だが壊れてるやつなりに社会に馴染む努力とか、ぶっ壊れたまんまでも自分の手綱を握るための一歩とかが、笑いと混乱の中確かにあるのは、やっぱ見てて安心するところだ。
 いやまぁ、その過程で発生する大暴れに巻き込まれる側はたたったもんじゃないが…。

 何もかもぶっ飛ぶうる星時空の中でも、極め付きの異常環境で育てられた飛鳥は、ラブコメが足場とする”マトモ”な性差をブンブン揺らし、壁に叩きつける。
 ドサクサに紛れてスケベ根性を満たそうとするあたるをぶっ飛ばしながら、最終的に竜ちゃんを『性別:お兄様』と認識する飛鳥はかなり強めにイカれているが、あんだけ被害を出しながらなんかホッコリしてしまう可愛げがある。
 まー体だけ立派に育った鎧仕立ての幼児なので、怒る気にもならない無邪気な天災というか、お騒がせ野郎勢揃いなうる星のなかでも、かなり独特なキャラをしていると、ガラス割過ぎヤリ過ぎ完満載なドタバタを楽しませてもらった。
 やっぱ可愛いね飛鳥は…。

 あとモノ壊す作画が旧作世代の懐かしい味がしつつ、キッチリ最新鋭の”良い作画”としてブラッシュアップされてたの、すごく令和うる星らしい味わいで好きだったな…。
 こういう『古い革袋に、最新鋭の気合はいった最高のぶどう酒を注ぎ込み続ける』スタイルは、今”うる星”やる上で絶対必要だったしキッチリやりきった、このアニメが選んだ一つの戦いだったと思う。
 作品を象徴するアンセムとなった”ラムのラブソング”をほぼ封印して、MAISONdes最新のクリエイティビティに任せているところといい、古典を敬しつつやるべき戦い方を貫いてくれてるのは、本当に尊敬する。

 

 あんだけの大立ち回りをしても飛鳥の常識は書き換わらず、作中最大のイカレっぷりをどうにか方向づけようと、遂に水乃小路母が横車を押すのが、第2エピソードと次回の連作となる。
 飛鳥エピは結構潤沢に話数使って、騒々しいドタバタをたっぷり描きながら話が転がっていくので、独特の手触りと連続性があって面白い。
 水乃小路兄妹を鏡にする形で、同じくぶっ壊れた面堂兄妹のあり方が際立ってくるのも、ここまで積み上げてきた話数を活かし、一つの集大成として長尺のエピソードを編もうとしてる感じがあって、『ああ、第4クールなんだなぁ…』って思う。
 ここに一つのピークが来るように、話数を選んで当てはめてきたわけだなぁ。

 ポニテメガネで変装したラムとか、黒子衣装に下心を隠すあたるとかが暴れるのは次回になるわけで、第27話第2エピソードと同じく、今回はあくまで序奏。
 とはいえ常識の通じぬ怪力珍獣箱入り娘を相手に、ある程度の絆を育んだ面堂くんの苦労が随所に感じられて、なかなか味わい深い。
 トンちゃんにしても面堂くんにしても、身近な男衆が純情怪力モンスターを見捨てず、優しくしてくれているのは救いだ。
 つーか狂った因習で純朴モンスター培養しておいて、手に負えないから許嫁に丸投げしてる、水乃小路母のメンタリティが一番の怪物な感じしてきたな…声帯が三石さんだから、ギリギリヤバさが笑いに転換してるけども。

 

 というわけで、久方ぶりでも大火力、ヤバさと可愛さの天井が振り切れている強烈キャラの帰還・前編でした。
 あんだけドッタンバッタン大暴れしても、全体の印象が『飛鳥、可愛かったね…』なのは、長きに渡って”うる星”見てきて価値観ズレてるのか、キャラ立ての妙味か…。
 この心地よき混沌に飲み込まれサッパリ判別はつかないが、絶対ろくなことにはならないデート本番、どうなることやら大変楽しみです!

 

ダンジョン飯:第16話『掃除屋/みりん干し』感想

 迷宮変貌の法則を解き明かしても、なお見えぬ運命と心の行方。
 3パーティーが一同に介して、交わったりぶつかったりする結節点、ダンジョン飯第16話である。

 ここまで別視点に隔てて描かれた、ライオス・シュロー・カブルー各一行が合流して、物語の激浪が彼らを押し流していく寸前の一休み……という塩梅のお話。
 切れ者チルチャックが己の職分を見事に果たし、物理的迷宮から帰還する道筋を立てるものの、運命と人間関係という複雑怪奇なもう一つの迷宮を見誤り、ヤベー男どもを触れ合わせた結果、のっぴきならない状況が発火する話でもある。
 『こっちのがヤバい!』と土壇場で勝負を張った、マイヅルとセンシの方は心を込めて食事を作る者たちの共感で穏やかに繋がり、ライオス一人きりにしたシュローとの対峙は境界線を見誤って一触即発の大惨事と、弘法も筆の誤り、チルチャックだって判断力チェックにファンブルするわなぁ! という展開になった。

 

 3パーティーが合流して賑やかになる前、最後のライオス式”ダンジョン飯”として描かれるのは、ダンジョンの恒常性を保っているダンジョンクリーナーの生態だ。
 放っておけば傷ついたまんまなリアルな損傷を治し、永遠にハック&スラッシュしていられる欲望の器を維持し続けるからくりは、目に見えない小さな生き物が生態系を維持しているからだ。
 幾度か語られた、一つの大きなエコシステムとしてダンジョンを見る視点を更に補強する描写だが、ライオスはそれも口に含んでみる。
 人間の舌には合わない食材だが、ライオスは『美味い/不味い』というグルメ漫画的価値観軸で魔物食を評価していない部分があって、これも一つの経験と激マズ食感も含めて味わってる感じがある。
 傍から見ればイカれた社会不適合者だが、しかしそんな好奇心や鷹揚な態度がどれだけ楽しいものか、1クール見守ってきた僕らには結構共感できる姿勢といえる。

 クリーナーは惨劇の跡を上手く隠蔽し、チルチャックがどう誤魔化したものか悩んでいたファリンの痕跡をかき消して、地上への道を開いてくれる。
 しかし階段を目の前にしてまき起こった諍い、ライオスが不用意にパナシた真相開示で、地上に戻るルートはとたんに危うくなり、人間同士のゴチャゴチャを全部ひっくり返す衝撃の異形が顔を見せもする。
 人を危機に陥れるはずのダンジョンが、チルチャックが一瞬夢見た希望へのマッピング通り道を作り、眼の前の相手の胸の中にある迷宮を読み残ったパーティリーダーがより深い奈落に自分たちを突き落としていくのは、なかなか皮肉で面白い構図だ。
 ライオスは魔物が蠢くダンジョンに惹かれここまで辿り着いたわけだが、カブルーは黒魔術のヤバさ引っくるめて人間が織りなすよしなし事全てに愉しみを覚え、複雑に絡み合う情念と関係全部に魅入られている。
 そしてシュローは東国のしがらみを引きずりながら辿り着いた異国で、出会ってしまった北方人への恋に飲食も忘れてのめり込み、ようやっと運命のたどり着くべき場所へと足を運んだ。
 人と人の間、人の内側にも”ダンジョン”はあり、攻略され簒奪されるばかりと思える”ダンジョン”にも人間に似た不思議な面白さが、確かにあるのだと改めて描く回である。

 

 人間と人間が触れ合う領域において、カブルーは壊すも繋ぐも思うがままな達者を見せる。
 どこか高みから興味本位、修羅場も愉しむ意地の悪さを冷ややかに匂わせつつ、地上の倫理から逸脱したヤベー魔物食野郎の懐にするりと入り込み、発言を誘導して情報を得ていく。
 先週チルチャックが危惧していた、人を見抜く眼力や適切な話術に欠けているライオスの危うさに、思い切り付け込まれる形で”迷宮攻略”された……とも言えるか。
 ライオスも脳みそ空っぽのカカシではなく、下手くそなりに嘘をつき間合いを測るわけだが、専門領域には舌が軽くなるというマニア特有の弱点を付かれて、ベラベラ喋って地金を晒すことになる。
 まーここで自分を隠し通せる器用な男を気に入って、ここまでこのアニメを見てきたわけではないし、イカれっぷりの奥に確かな人間味があればこそこのお話は面白いわけだが、対人心理戦において全く、ライオスはカブルーに勝ち筋がない。

 シュローが激怒する呪われし復活を、ライオスは後ろめたく感じている気配すらない。
 そういう芝居をすれば、シュローから共感の欠片でも盗み取れそうなうろたえ方をせずに、ゆらぎのない瞳で自分が感じていたこと、仲間に共感して欲しい事を真っ直ぐ突き出す。
 ストレートにしか生きれない、感じ取れないこの気質が地上に展開する人間たちの社会では雑音の源となり、ライオスを迷宮で生きるしかないアウトサイダーにしていった様子が、容易に想像できるガンギマリっぷりだった。
 いいとこの子弟として、社会常識をある程度以上身につけているシュローにとって、黒魔術行使の大罪を平然と語るライオスは、対話不可能なモンスターに見えているかもしれない。
 この難物をどう斬り伏せ、調理し腹に収めていくか。
 あるいは許せず斬り殺してしまうか、そういう土壇場にやせ衰えたサムライは立っているわけだが……まぁヤベー奴だよなライオス、普通に考えて。
 ここら辺の価値観にチルチャックが近いってのを、黒魔術師マルシルへの当てこすりで既に書いているところとか、やっぱ好きだな。

 

 カエルスーツにツノカブト、レンガ齧りの激ヤバ集団を、魔物と同等の存在と警戒したマイヅルの判断は偏見と切り捨てるには妥当であり、主人公一行以外の視点を作中に持ち込んだからこそ、気づけば慣れ親しんだキャラクターの異常性を、客観視するタイミングが来たとも言える。
 色んな人がそれぞれの角度から、自分に見えている世界や他人をマッピングして、誰が仲間で誰が魔物なのか見定めている、複合立体視の迷宮探索。
 爆発しそうな危険物と監視の目を届かせた、センシとマイヅルの調理場ではとても穏やかなコミュニケーションが育まれ、仲間たちが久闊を叙するはずの密室では、ライオスの魔物的価値観が不用意に飛び出し、マトモなシュローを打ちのめしていく。
 まこと一寸先は闇、道が見えたと思ったら迷い道くねくねの迷宮探索行であるが、では”マトモ”なシュローの考え通り、死の運命を受け入れて火竜に食われたファリンを諦めていれば良かったのか。
 ありえぬ富が溢れ、死者も生き返る奇跡の地が、ここ迷宮なのではないのか。
 そういう問いかけも、暖かな東洋飯作りとギスギス人生劇場の間で、面白い色合いを見せてきている。

 愛する肉親との離別を諦めきれない、ライオスの”人間らしさ”にも共鳴は出来るが、しかしこの世界の社会規範を当たり前に背負ったシュローのドン引きも、そらそうだと理解できる。
 かつてカブルーが兄妹を評した、『善人ではなく人間に興味がないだけ』つう言葉を裏打ちする、非人間的なズレ方が可視化される回だと言える。
 生き死にの土壇場で禁忌に踏み込むことを選んだマルシルといい、魔物食にためらいがない隠者たるセンシといい、そういう魔物性をライオス一行は、どっかに秘めている。
 ……どっちかと言えばシュロー的なマトモさを、備えているからこそパーティーの知恵袋になれているチルチャックは、貧乏くじ引くポジションだよなぁつくづく。

 では、この迷宮のどこに出口があるのか……あるいは”魔物”を殺し進むことで突破するのか。
 おぞましい怪物をなんとか料理して腹に収め、自分の一部と変えていくのか。
 簡単に見つからないからこそ迷い込み探る物語は、一触即発の危険を孕んだまま、まだまだ続く。
 人間の心のなか、あるいは人と人との間に広がっている迷宮は、より広く大きな”運命”にも足を伸ばして、様々な人を飲み込んでいく。
 ライオス達が迷宮を食っているように見えて、その実迷宮が人間たちを食っている入れ子の反転構造が可視化されていくのも、シュローやカブルーといった異物をライオス達に切り込ませ、新たな視点を付け足したからこそだろう。


 マルシル達と視聴者がうっかり美味しく楽しいものと馴染んできた、魔物メシがドン引き必至な異常行為であり、それでも命を繋ぎ願いを叶える大事な営みだった事実も、フツーのメシを作るマイヅルの手つきで、新たに照らされてきた。
 我が子同然に慈しんできた”坊っちゃん”が、寝食を忘れてやせ衰える悲しみを癒やすように、手ずから作った美味そうなメシを、危機を目の前にしたマイヅルは手放し符を握る。
 欠乏を満たすものであるよりも、戦うものであることを選んだ彼女が捨て去ろうとしたものを、センシがコミカルにキャッチしている様子が、僕にはとてもありがたいものに見えた。
 それは空中に危うく揺らぎつつも、まだ盆の上に乗っかって皆で食べれるものなのだ。

 ライオス達の楽しい冒険をカトラリー代わりに、この魅力的な世界を味わってきた僕らとしては、ファリン復活のために彼らが選んだ道が全部間違いだったと、地上の理屈で断じて欲しくはない。
 ましてや人間マニアの楽しい観察対象として、興味本位で引っ掻き回される言われもない。
 しかしそういう反発を突き抜けて、シュローやカブルーが持ち込んできた新たな視線は、確かに主役一行が選んでしまった道の危うさや問題を浮き彫りにし、当然起こり得る問題を表に引っ張り出してくる。
 というかカブルーがライオスの人となりをジロリと観察しているのは、能天気生物マニアに見えていない破局を回避するべく、大局的視座に立っているからこそだ。
 私的興味を満たしつつも迷宮の外に拡がる大きな世界、身内(パーティー)に収まらない広範な正義感を持ってる”マトモ”な人間は、やっぱり彼……あるいは愛する人の呪われし蘇生に真っ当に怒れる、シュローの側なのだ。
 しかしこの話……つうか血湧き肉躍る冒険譚全般、マトモじゃないからこそ面白くもあってな……。

 

 踏んだら終わりの対話トラップも、話していたらひょっこり顔を出すドン引きモンスターも、山ほど潜んでいる社会と世界をどう進み、どんな宝を持ち帰るのか。
 対話不能なモンスターではなく、対話必須な人間が話の真ん中に踊りだしてきたからこそ描かれる、融和と対立……その先に待つだろう決断と運命の物語は、人と怪物の中間点に立つキメラを画面に写し、不穏に次回へと続く。
 見知らぬ同士が交流するドラマを豊かに織りつつ、いいタイミングでテーマや価値観を相対化し、客観視した後に何が描かれるのか。
 次回も楽しみ!

花野井くんと恋の病:第3話『初めてのクリスマス』感想ツイートまとめ

 私だけを特別なお姫様にしてくる魔法が、最高のクリスマスプレゼント。
 花野井くんと恋の病 第3話を見る。
 ロマンティック山盛りの第一章完ッ! で、大変良かった。

 話としては衝撃の獣欲ゼロ距離戦闘開始ッ! …を上手くスカして、冷却期間を経てスーパー紳士に戻った花野井くんが、試験期間ラストにぶっちぎりのトキメキ体験をぶち込む感じ。
 パトス強すぎて時折溢れるけども、真摯に目の前の人間と向き合うべく必死にブレーキをかけて、傷つけぬよう思いが伝わるよう素敵な体験を沢山手渡してくれる、コンセンサス重点なスーパーダーリン、花野井くん。
 その魅力がみっしり伝わって、恋愛試験期間延長にもめっちゃ納得。
 二人共どんどん恋して、どんどん幸せになっていくんだよ~~~~。

 

 ほたるちゃんは優しい家庭に守られ、極めて正しい倫理観と人格を育んだ、とても素敵な女の子だ。
 自分ひとりの特別な日であるはずの誕生日が、家族のクリスマスと重なってしまっている状況にも、妬みより幸せを感じて問題視しない。
 恋を知る前の彼女を包む、日生家という繭の中においてはそれは当然のことであったが、花野井くんという異物と触れ合ったことで、家族=私だった幼い時間にも変化が訪れる。

 貴方が貴方だからこそ、私と出会って特別に思える。
 エゴと我欲の泥水から、理想と救済を救い出した恋心の一番ピュアな部分が、自分ひとりを特別だと思えない正しく清い少女の価値を、別角度から照らしていくのだ。

 花野井くんはその優れた顔面に引っ張られて、一足先に恋のヤベー部分、それで顕になる人間性の泥を思い切りひっかぶってきた。
 ほたるちゃんの無防備に獣欲を煽られても、すんでのところで庇い手付いて傷つけないよう頑張る誠実さは、他人を尊重できない凡人との恋愛に汚されてなお、彼を眩しく輝かせている。
 どれだけ重たい気持ちを抱えていても、それを一方的にぶつけたら暴力にしかならないと、恋に傷つけられた経験から彼は学んでいるし、それを自分を律する枷として有効活用できてもいる。
 それは日生家という繭の中、幼さに微睡んでいては見えてこない、世界のもう一つの形だ。

 多分ほたるちゃんは、恋を通じてそれを知る。
 今回過剰な正しさで既に誰かを傷つけ、それをフォローしきれなかった過去が描かれることで、ほたるちゃんもまた未熟な存在であることが解っても来るけど。
 何かを間違えたのなら新たな出会いの中でそれを改めていける、幸せな可能性が二人の前には拓けている。

 

 自分の中に溢れる愛を上手く受け止めてもらえなかった花野井くんは、常人離れした正しさを自然と体現できてしまう特別な少女と出会うことで、そのパトスを愛へと昇華していく。
 花野井くんの情熱を抱きとめ方向づける中で、ほたるちゃんは自分の正しさに何が出来るのか、その特別さを知っていく。
 お互い、全くもって普通じゃない事実を知っていく。

 それが傲慢な思い上がりにならず、極めて謙虚に誠実に、眼の前の誰かを尊重しながら幸せを探していく旅になれる期待が、トキメキいっぱいのクリスマスデートに豊かに映えていた。
 幸せだけど、自分を特別な一人として選び取ってはくれないいつもの家族行事から、高校生らしいハンディな手応えがありつつ、素敵な特別感に満ちてもいるお試しデートへ。
 屋台食べ比べにイルミネーション、スケート体験と続く二人のスケッチが、そこで何が生まれているかを適切に削り出していって、大変いい。

 触れ合わなければ転んでしまう、同意と必然に満ちた身体接触
 やりたかったけど出来なかったスケートは、二人の恋の現在地を適切に示す。
 お試しで付き合って、ノートにしたいことを書いて。
 清く正しい…おままごとみたいな恋の先にある、魂と肉体の強い触れ合い。
 花野井くんはそれを強く望んでいて、ほたるちゃんはそれが良く解らなくて、二人の欲望のギャップはときに激しく衝突しかけるが、極めて善良な子ども達の魂が、恋心をお互いを傷つけない適正距離へと豊かに導いていく。

 どれだけ情熱が背中を押しても、ほたるちゃんのいちばん大事な所有物であるその体に触れる時は、『触っても良い?』と確かめてから。
 NOと言われるのなら欲望を抑え、YESと言われる時を待つ。
 理性と倫理の口枷をはめることで、恋の獣は人間の形を保っていく。

 このコンセンサス重視のダーリンっぷり、なかなか現代的で面白いなぁと思いつつ、ほたるちゃんが手渡してくれる彼女の強み…”正しさ”を花野井くんが学んでいく様子は大変に喜ばしい。
 正しすぎるがゆえに、他人の情熱を理解しきれないほたるちゃんが、花野井くんの溢れるLOVEを受け止める中、だんだん”それ”を理解していく様子とも重なるし。
 資質も性格も異なる二人が、お互いの凸凹を噛み合わせ混ぜ合わせて、違うからこそ互いの鏡となって真実の自分を見つけていく間柄を、幸せに作っていく。
 やっぱそういう、釣り合いのある恋を描いてくれると爽やかで良い。
 二人の関係すげーフェアだし、フェアになろうと頑張ってる。

 

 ほたるちゃんは世界にたった一人の自分がそこにいる実感を、幸せで清廉であるからこそ得れない人で、自分を求めてくれる眼の前の誰かを『世界にたった一人』と本気で求められる花野井くんと向き合うことで、それを学んでいくのだろう。
 これまで花野井くんの恋を不幸せに終わらせてきた、求められる強さと受け入れる優しさのアンバランスが、同じくらい奇跡の人格持ってる”自称・普通の女の子”と出会う中で是正され、あるべき善さが開花していく。

 手を差し伸べ、妬まず、濁らない。
 花野井くんが挙げたほたるちゃんの善さは、これまで求めて凡人共が返してくれなかった彼の祈りを、そのまま反映しているように思う。

 それはつまり、何でも与えてくれるスーパーダーリンに思える彼が何かを求める幼子な部分を全然残していて、救われなければいけない子どもである証拠だ。
 花野井くんは優しいほほ笑みとジェントルな仕草の奥に、結構深い傷を隠している感じがして、ほたるちゃんの自然な振る舞いがそれを適切に癒やしている手応えが、今回感じ取れて良かった。
 良すぎる顔面が邪魔をして、『あ、この人泣いてる子どもだ…』って気づいてもらえなかった少年が、ツラの良さに誤魔化されない鋭い視力を持った女の子と出会うことで、本当の自分を見つけてもらう。
 そういう話でもあるのだろう。

 とすれば、今回”看病”してたのはかなり大事な描写か。
 無意識に待望していた特別なお姫様抱っこを、自然手渡してくれる花野井くんもまた、ほたるちゃんの満ち足りた幸せの奥にある欠乏を暴き、癒やし、満たす特別な誰かで。
 そういう意味でも、二人はお互いの釣り合いが取れている運命の相手…なのだろう。
 このフェアな感じは、やっぱ好きだ。

 あとスーパーロマンティックを生み出すために都合よく機材トラブル起きて、最高の瞬間に復旧してドラマティックティック止められそうもない展開になるの、俺好みの心理主義で大変良かった。
 俺はプリキュアとか百合アニメとかで唐突に映えてくる、女と女が本音で触れ合うためだけの美しい空間が好き…。

 

 恋するなら花野井くんが良いし、花野井くんならいいな。
 そういう気持ちが自然と沸き上がっている時点で、お試しの”答え”はでてしまっているし、ほたるちゃんの過剰な正しさ、他人が持ってるパッションを感覚できない不全は、適切に丸められている。
 形から入る不自然を越えて、正しさを横に退けて何かを求める欲求が自分の中にもあるのだと、家族で過ごすクリスマスを自分だけの特別に変えた女の子は、だんだん実感していくだろう。
 その隣で、無限の愛と溢れる情熱を誰かに受け止め、返してほしかった少年も満たされ、自分らしさの使い方を見つける。
 すれ違いぶつかる時もあるけど、それすら幸せに触れ合う、恋という癒やし。

 幸福に無限延長を迎えた恋人試験がどこに行くのか、幸せに見取り図を描く第3話でした。
 キャッチーな状況とキャラで転がりだした物語が、その勢いを止めることなく一応の決着まで走って、さらにその先に可能性を広げていく。
 ”第一章”が果たすべき役割を見事に描ききっていて、大変良かったです。

 高校生主役だからこその透明度と幸福感、清廉な純情と豊かなロマンティックがしっかりあって、このお話でなければ感じられない芳香が豊かだった。
 世にラブコメは溢れているが、だからこそこの話じゃなきゃいけない特別さってのに出会えると、幸せな気分になる。
 ここら辺、ほたるちゃんが今回受け取った実感に似てるか。

 

 

 

・補論 顔立ちよりも雄弁に、己の在り方を語る靴たち。

画像は”花野井くんと恋の病”第3話より引用

 別れ際、恋人候補たちの足元を照らすカメラは、二人の装いが釣り合っていない様子をしっかり示す。
 デートするには芋っぽすぎる、ほたるちゃんのスニーカーとデニムに対し、大人びたバイカラーの花野井くん。
 それが多分、二人の現在地を何よりも雄弁に切り取っている。
 この足元の差異は不幸な摩擦ではなく、違っているからこそ照らし会える幸福な対照へと、この靴で進み出していく未来も教えてくれるわけだ。

 身長差のある二人でも、足元は平等に並び合っていて、しかし同じではない。
 同じではないからこそ面白く、無理な背伸びもなく、自然な歪さを隠すことなく晒しながら、ちゃんと向き合っている。
 恋と情熱が良く分からない未熟と、過剰に大人びてしまった痛ましさ。
 二人の足りない部分もお互いの靴選びには示されているが、しかしその欠落よりも、何も隠していないでいられる幸せ、それを見せあって認めあえる繋がりの強さが、より鮮明だ。
 足は未来へ進むための武器であり、そこに二人の現在地を率直に刻むことで、二人三脚で進んでいく未来への期待も自然高まっていく。

 いつかほたるちゃんが、花野井くんの素敵な靴に並び立つオシャレをするようになるかもしれないし、花野井くんが飾らない自分でほたるちゃんの前に立つ時も、必ず来るだろう。
 そんな”いつか”を見届けたくなる、チャーミングな二人の現在地。
 良く魅せてくれる第3話で、とっても良かったです。
 オーソドックスで濁りのない話運びに、こういう勝負をキッチリねじ込む手腕……やはり好きだ。

時光代理人-LINK CLICK- II:第2話『夜襲』感想ツイートまとめ

時光代理人-LINK CLICK- II 第2話を見る。

 先週衝撃のヒキでワクワク二機を待ってた視聴者の顔面ぶっ飛ばした時光が、決定的瞬間に至るまでのプロセスを丁寧に語り直すことで、事件のダメージを更に拡大する回。
 人情モノからサスペンスへと舵を切った作風を重たく生かしつつ、取り返しのつかない惨劇の奥に何があったのか、重いブロウを叩きつけてきた。
 激務の中、当たり前の幸せを確かに掴み取っていた平凡で善良な人こそが死んでいく、殺伐とした狂気と悪意の渦。
 これからトキとヒカリが向き合っていくものの手触りを、良く教える第2話だった。
 いやー…ハラハラワクワクしつつも、やっぱ辛ぇわ。

 

 話の大枠としては人格交換能力者の内実や周囲を掘り下げつつ、長く伸びてきた陰謀の手とバチバチやり合う感じ。
 敵もまた写真を媒介に能力を発動すると解ったことで、異能行使にルールを定め、現実を身勝手に歪めないよう生きてきた主役コンビの、歪んだ鏡としての危うさ、怖さがより鮮明になってきた。
 力を使って都合よく、現実を書き換えることにためらいがなかった場合、トキたち異能者がどれだけ凶悪な存在になってしまうか、無貌の殺戮者が振り回す凶行は良く教えてくれる。
 話の舵取りは結構変わったが、このヤバい許せなさは一期で異能を使って、人の人たる証を写真の中から取り戻してきた、時光代理人の行いあってこそか。

 チェン刑事の私生活が新たに描かれるほどに、一期でトキ達が慎重に守ってきた小さな幸せを、凄い粗雑さで踏みにじりぶち壊す連中の恐ろしさ、おぞましさは際立つ。
 因果に触れてはいけない異能者の定めと、人間としての悲痛な情の間で引きちぎれそうになっていた、時空改変能力者として生きるにはあまりにも、善良すぎる青年。
 彼らが崖っぷちギリギリで留まり、その小さな手のひらで守ってきたものを、ためらいなしに叩き壊せる連中は、情け容赦がなく悪知恵が働き、数が多くて凶悪だ。

 現状、突破口が全然見えない息苦しさを今後どう抜け出し、あるいはさらに追い詰められていくのか。
 サスペンスに必要な閉塞感と緊張感。
 そういうモノがひたひた、バキバキに仕上がった画面から立ち上ってくるような第2話である。
 味方サイドの対応を上回るスピードと苛烈さで敵の手が伸びてくるので、気が休まる瞬間が全然ないのは、ここまでの話を見てトキ達が好きになっちゃってる視聴者としては、心地よいストレスとともに先を見させられてしまう要員にもなってて、つくづく引っ張り(Suspense)が上手いなぁと感じる。

 

 知略の限りを尽くして主役を追い込む尖兵として、先週戦慄のスーパーセクシー・デビューを果たしたチエン弁護士の描かれ方も、そういう牽引力を上手く生み出している。
 元同僚の家に労りを演じて上がり込み、致死の凶器を盗み出す手際。

 旧友を信じて疑わない妊婦が差し出した飲み物を、歓迎するような仮面をつけつつ一切口はつけず、汚れ仕事を担当する助手は下品にすすってゲップを漏らす。
 歓待と食料をどう扱うかで、チエン弁護士がどういう人間であるかを鮮烈に見せる演出で、大変良かった。
 (ここら辺一期第2話で『飯を食う人』として描かれた主役たちと面白い対比で、結構フード理論で回っているアニメと言えるかもしれない)

 何しろこちらの予断を操り捻って自在に動かすアニメなので、今見えているものの印象が次の展開で、180度意味を変えても全くおかしくないが。
 現状、チエン弁護士は異能の殺人者と手を組んで、謎を秘めた携帯を奪う圧巻に見える。
 人間が人間でいるためのルールを捻じ曲げ、尊厳を踏みつけにしながら死体を積み上げる連中が、それほどまでに欲する携帯電話には、何が秘められているのか。
 物語が追いかけるべき聖杯の値段を、暴力交えつつ上手いこと上げていく展開で、アクセルバリバリ踏み込まれていて気持ちがいい。
 敵の全容も目的も分からないが、切れ味抜群の格闘アクションが前座に過ぎない激ヤバ状況がドンドン加速していってる手触りが、凄くハラハラ出来てて良い。

 状況の深刻度が増すほど、番外編で習得した<格闘>スキルの重要性がガン上がりしていくの、あまりに独特の味で面白いな。
 『ノー功夫、ノー時光』じゃんもはや!!
 受け流しとカウンターを特徴とするトキの”柔”に対し、肘と膝を多用するムエタイスタイルの”剛”がいい対比生んでたのも良かった。
 打撃部位だけじゃなくて、トラッピングと受け流しの”感じ”が凄くムエタイっぽくて、ああいう所のクオリティで作品を下支えしてる手応え、大変このアニメっぽい。

 

 アニメを構成する全領域に手を抜かない力みは音響にも生きてて、サスペンスフルなBGMが物語の緊張感を保ってもいた。
 OP/ED含めて、音楽いいのもやっぱ好きだな…。
 今後もこの全方面に力んで流麗な作風を維持して、一瞬も油断ならぬお話を貫いて欲しい。
 窮地の主役の前に現れたのは、敵か味方か。
 次回も楽しみ!