2024-05-12

イギリス帝国主義への道

イギリスでは十九世紀前半、自由主義思想が隆盛し、リチャード・コブデン、ジョン・ブライトらマンチェスター派の政治家は自由貿易、平和主義、自由放任を唱えた。1846年の穀物法廃止は、その輝かしい成果と言える。

新・人と歴史 拡大版 29 最高の議会人 グラッドストン

ところが十九世紀半ばから、自由主義に逆行する動きが目立ち始める。武力で植民地を維持・獲得しようとする帝国主義である。

自由主義を唱えるマンチェスター派は植民地について、自治権を与えて本国からの自立を促すよう主張していた。しかし現実の植民地政策はまったく逆の方向に展開した。

十九世紀半ば、イギリスの帝国主義をまず先導したのは外相、首相を歴任したパーマストン子爵である。彼はロシア帝国の南下政策を阻止するとして1854〜56年にクリミア戦争に参戦し、フランス、サルディニア(のちのイタリア王国)と協力して戦争を勝利に導き、国民的英雄になった。1856年には中国でフランスとともに第二次アヘン戦争(アロー戦争)を起こす。

同時にパーマストンは「イギリスの通商業者、製造業者のために新たな市場を確保するのは政府の仕事である」との確信を抱いて、帝国主義政策を世界各地で積極的に推進した。

次いで帝国主義政策の中心人物となったのは、保守党政治家のベンジャミン・ディズレーリである。1804年、ユダヤ系の文筆家の長男として生まれ、親とともにキリスト教(イギリス国教会)に改宗。1868年と1874〜80年の二度にわたり首相を務めた。外交政策では、本国からインドに至る「エンパイア・ルート」を、他の欧州列強の海外進出から防衛することを重視した。

ディズレーリは軍備を拡張し、露土(ロシア・トルコ)戦争に介入、同じくロシアの南下政策に対抗した第二次アフガン戦争を引き起こした。また、キプロスを占領し、南アフリカのトランスバール共和国を侵略した。

1875年にはエジプトのスエズ運河株を買収する。スエズ運河はフランス資本で作られ、株の多くをフランスが握っていた。破産しかけたエジプト副王が保有株(全株式の四四%の十七万六千六百株)をフランス資本家に売却するという情報をつかんだディズレーリは、議会に無断でユダヤ系金融資本ロスチャイルドから四百万ポンドを急ぎ借り受け、先手を打って株を買い取る。これによりイギリス政府がスエズ運河の最大株主となった。

ディズレーリはビクトリア女王に、「陛下、これでスエズ運河は陛下のものです。フランスに作戦勝ちしました」と報告したという。もっとも、本当に勝ちと言えるかは微妙だ。スエズ運河買収後、イギリスは約八十年にわたりエジプトを直接・間接に支配するが、その間、戦争と軍事費膨張、政治的動揺に見舞われることになる。

ディズレーリがスエズ運河を買収した狙いは、英本国とインドの往来をより安全にすることだった。そのインドでは十九世紀半ばまでに、イギリスは東インド会社を通じ、英語を公用語とし、官僚制度による近代的な行政・司法制度を導入した。一方で「野蛮な風習」を排斥するとして啓蒙主義的変革を進め、伝統の破壊として多くのインド人の反発を招いた。

1857年、北インドで東インド会社のインド人傭兵(シパーヒー、英語名セポイ)の反乱が起こった。シパーヒーはデリーを占拠し、ムガル皇帝を盟主として擁立。反乱は北インド全域に広がった。インド大反乱である。しかしイギリスは反乱を鎮圧。ムガル皇帝を廃し、東インド会社を解散させ、旧会社領をイギリス政府の直轄領に移行させた。

1876年、ディズレーリ首相はビクトリア女王にインド皇帝の新たな称号を贈る国王称号法を制定。翌77年1月にビクトリア女王のインド皇帝宣言が行われ、政府直轄領と五百程度の藩王国で構成するインド帝国を成立させた。

現地のデリーでは、インド総督リットンが旧ムガル帝国の儀式にのっとって大謁見式(ダールバール)を開催した。イギリスの君主制とインドが直結され、帝国の一体性と偉大さが強調された。

政府が推し進める帝国主義政策に対し、反対する声はあった。穀物法廃止で活躍したコブデンは議会に対し、クリミア戦争に介入しないよう訴えた。世界中を見回り、目に入るあらゆる悪事を正す「欧州のドン・キホーテ」になるのはイギリスの仕事ではないと主張した。しかし帝国の拡大を支持する声が強く、コブデンは反戦の主張のせいで一時議席を失った。

ディズレーリの政敵である自由党のウィリアム・グラッドストンも1879年の遊説で、武力による拡張主義外交をこう批判した。「我々が未開人と呼ぶ人々の権利を忘れるな。彼らの粗末な家の幸福も、雪に埋もれたアフガニスタンの丘陵の村に住む人々の生命の尊厳も、万能の神の目においては、諸君の生命の尊厳とまったく同じく、侵すべからざるものであることを忘れるな」

帝国主義に対する警告は的中した。政府が進めていた第二次アフガン戦争は頓挫した。南アフリカではズールー王国との戦争で八百人のイギリス兵が戦死した。さらに他の欧州列強との対抗上、地中海で海軍の配備を増強した。

ディズレーリは軍事費を賄うため増税に踏み切ったが、財政は赤字に陥った。これは前任首相のグラッドストンが減税し、しかも財政黒字を保ったのと対照的だ。

ディズレーリは、冒険主義的な外交を批判して平和主義を訴えるグラッドストンに1880年の総選挙で敗れる。グラッドストンは1894年まで首相を務めるが、帝国主義の流れは止められなかった。グラッドストンの退任後、イギリス政府はジョゼフ・チェンバレン植民相の下で海外膨張を推し進めていく。

歴史学者の間では、十九世紀の中葉、1850〜1870年代前半のイギリスの海外膨張を「自由貿易帝国主義」と呼ぶ。必要ならば軍事力による領土併合によって、自由貿易を各地に強制したからだという。

しかしこの主張は論理的に無理がある。そもそも言葉の定義上、「自由」を「強制」することはできない。もし国家が貿易を強制したのなら、それはもはや自由貿易ではなく、国営貿易とでも呼ぶべきだろう。逆に、イギリスと植民地時代のアメリカの貿易のように、貿易が自由な意思で行われているのであれば、それ自体に悪い点はない。悪いのは植民地にした帝国主義政策であって、その結果起こった貿易ではない。したがって、あえて「自由貿易帝国主義」などという言葉を使わず、単に「帝国主義」と呼べばいい。

経済学者シュンペーターは「帝国主義はその性格において原始的である。その特質は大昔からあらゆる社会で重要な役割を演じ、今まで生き延びてきた。つまり帝国主義とは現在ではなく、過去の生活状況の産物だ」と述べている。帝国主義は自由貿易とは相容れない政治行動だった。

近代文明の精華といえる自由貿易で豊かさを享受したイギリスは、前近代的で野蛮な帝国主義によって徐々にその土台を侵され、疲弊していった。戦前の軍国主義への反省を踏まえ、貿易立国として生きる日本にとって重要な教訓である。

<参考文献>

  • 秋田茂『イギリス帝国の歴史 アジアから考える』中公新書
  • 君塚直隆『物語 イギリスの歴史(下) 清教徒・名誉革命からエリザベス2世まで』中公新書
  • 尾鍋輝彦『最高の議会人・グラッドストン』清水新書
  • Jim Powell, The Triumph of Liberty: A 2,000 Year History Told Through the Lives of Freedom's Greatest Champions, Free Press
  • Jim Powell, Wilson's War: How Woodrow Wilson's Great Blunder Led to Hitler, Lenin, Stalin, and World War II, Crown Forum

2024-05-05

「覇権による平和」の代償

日本国憲法が5月3日に施行77年を迎えた。毎日新聞は同日の社説で、イスラエル軍による抵抗組織ハマスへの攻撃によりパレスチナ自治区ガザ地区で女性や子供を含む3万4000人以上が死亡したことなどに触れ、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する」(憲法前文)という「日本国憲法の平和主義の理念が今、国際社会の現実によって脅かされている」と嘆いた。しかし、「日本国憲法の平和主義の理念」が国際社会の現実によって脅かされるのは、今に始まったことではない。
戦後史をたどれば、日本が深く関わっただけでも重大な国際紛争は少なくとも5回あった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争だ。

憲法施行の3年後に勃発した朝鮮戦争では、朝鮮半島に近い日本は、兵站を支える補給基地のほか戦闘機、爆撃機、艦艇の出撃基地としてフル稼働し、結果として経済復興のきっかけをつかんだ。ベトナム戦争では、朝鮮戦争で果たした補給・出撃基地としての役割がさらに拡大強化された。米軍による北ベトナム攻撃(北爆)の主力は、沖縄から出撃するB29爆撃機だった。湾岸戦争では、米国が主力となった多国籍軍を戦費負担で支えた。米国の「テロとの戦争」の皮切りであるアフガン戦争では、艦艇への洋上補給作業に海上自衛隊があたり、続くイラク戦争では、陸上・航空自衛隊が復興支援の名の下にイラクへ渡った。

これらの戦争によって現地の市民は多数死傷し、「恐怖と欠乏」にさらされた。つまり、「平和主義の理念」は憲法施行以来、ほぼ一貫して脅かされてきたといっていい。けれども、毎日はそうは書かない。書いてしまったら、憲法施行以来、世界では戦争がやまず、その中には日本が深く関わったものもあるというのに、誇らしげに「平和主義の理念」を掲げることの偽善があらわになってしまうからだろう。

メディア関係者を含む多くの日本人は、戦後日本が平和でよかったとしばしば口にする。左派は憲法9条のおかげだといい、右派は日米同盟のおかげだという違いこそあれ、戦後日本が平和で、それはいいことだったという認識に変わりはない。けれども、視野を日本の外に広げれば、すでに述べたように、多くの人々が戦争で生命や財産を奪われ、恐怖と欠乏に苦しんできた現実がある。そしてそれらの戦争で、日本は直接戦闘にこそ参加しなかったが、さまざまな形で協力した。その協力は、一部違憲だと裁判所から指摘されたものの、おおむね「平和主義」の枠内だとされてきた。これを偽善と呼ばないのは難しい。

それでも「平和主義」がどうにか破綻せずに済んできたのは、なぜだろうか。韓国の日本研究者、権赫泰(クォン・ヒョクテ)氏は「憲法の「平和主義」は冷戦体制下での米国の対アジア戦略の産物」だと指摘し、次のように説明する。「米国は、日本とアジアを米国を頂点とする分業関係のネットワークのもとに位置づけた。韓国には戦闘基地の役割が、日本には兵站基地の役割が与えられた。日本が「平和」を維持できたのは、在日米軍の70%以上を沖縄に駐屯させ、韓国が戦闘基地、すなわち軍事的バンパーとしての役割を担い、周辺地域が軍事的リスクを負担したからだ」(鄭栄桓訳『平和なき「平和主義」』)

韓国は、朝鮮戦争では自国が戦場となり、ベトナム戦争では米国の要請を受けて、約5万人、のべ31万人余りに及ぶ実戦部隊を派兵した。その規模は、オーストラリアやニュージーランドを含む東南アジア条約機構(SEATO)諸国全体の派兵数の約4倍にも及ぶ数だった。今日では、韓国軍のベトナム住民に対する残虐行為が明らかにされ、枯葉剤による後遺症が深刻な問題となっている。韓国軍のこうした行為は批判されなければならないが、韓国が日本の分まで戦闘の役割を押しつけられた結果であることを忘れてはならないだろう。

権氏が指摘するように、日本の「平和」の犠牲になった点では、沖縄も同じだ。沖縄の人々が長年、米軍基地の過剰な存在に苦しんでいるにもかかわらず、日米同盟が必要だという多くの日本人は、基地を自分の町で引き受けるとは決していわないし、メディアもそうした主張はしない。これが日本の平和主義の醜い現実であり、日米同盟の醜い現実でもある。

権氏の「分業ネットワーク」論に通じる鋭い洞察がある。リバタリアン思想家のハンス・ヘルマン・ホッペ氏は、第二次世界大戦後、世界で西欧諸国や日本と韓国などが互いに戦争をしなかったのは、一部の論者がいうようにこの国々が民主主義国だからではなく、米軍の駐留が示すように「実質上、アメリカ帝国の一部になった」からだと述べる。覇権主義的で帝国主義的な大国である米国が、その「植民地部分」を互いに戦争させず、米国自身も衛星諸国に対して戦争を仕掛ける必要がなかったからにすぎないという。それはソ連の覇権支配時代、衛星国である東欧の共産主義諸国が互いに戦争をしなかったのと変わらない。日本の保守派はソ連に支配された旧東欧諸国を憐れむが、覇権国の事実上の植民地として「平和」を許されている点で、今の日本も違いはない。

「覇権による平和」ともいうべきこの体制には問題がある。一国が「平和」を享受する代償として、国内では沖縄のように、国外では韓国や「テロとの戦争」で戦場にされた国々のように、誰かが暴力の犠牲になる点だ。憲法前文に謳われた「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する」という真の平和は、誰かを犠牲にして手に入れるものであってはならないはずだ。

諸国の非難にもかかわらず米国のイスラエル支援によってガザで奪われつつある膨大な人命は、覇権国の支配がもたらす代償の大きさをまざまざと見せつける。もし日本が憲法の理念に忠実に、世界に真の平和を実現する役に立ちたいのであれば、覇権による偽りの平和を否定しなければならない。もちろん憲法に自衛隊や国の自衛権を明記しろといいたいわけではない。それは覇権下における分業体制の微修正であり、延長でしかない。

毎日は「市民の行動する力」に望みをかける。それに異論はない。たやすくはないにせよ、市民の力を背景に、覇権国の暴走に外交の場で何度もノーを突きつけるところから、真の平和追求は始まるだろう。

2024-04-28

語られないジェノサイド

ジェノサイド(集団殺害)とは、「国民的、人種的、民族的または宗教的集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われた」(ジェノサイド条約第2条)行為を指す。ナチス・ドイツが600万を超えるユダヤ人を組織的に殺害したホロコーストを契機として第二次世界大戦後に結ばれ、ジェノサイドという残虐行為を二度と繰り返さないという国際社会の決意を表すとされる。しかしこの言葉は、政治の都合によって利用されたり、無視されたりする。
朝日新聞は4月13日、イスラエル軍の攻撃が続くパレスチナ自治区ガザで、長年イスラエルの占領政策を批判してきた、パレスチナ人の人権活動家で弁護士のラジ・スラーニ氏のインタビューを載せた。ガザで3万3000人以上が犠牲になった今回の戦闘はジェノサイドだと同氏は明言する。

スラーニ氏の主張はおおむねポイントをついている。①昨年10月7日にガザの抵抗組織ハマスが攻撃を始めたからといって一般のパレスチナ人が死んでもいいはずはない②イスラエル軍は長年にわたり占領しているガザやパレスチナ自治区ヨルダン川西岸で多くの市民を殺してきた③ガザに降り注ぐ爆弾の多くは米国から供給されたもの——といった指摘だ。

しかしその中で、うなずけない発言があった。「ロシアによるウクライナの占領に西側社会が団結して反対し、ウクライナの支援に団結した」という箇所だ。

大手メディアは言及を避けているが、このブログで何度も書いてきたように、ウクライナ戦争とは、ロシアが一方的にウクライナに攻め込み、占領したという単純な話ではない。

政治学者の大崎巌氏も最近出版した著書で、「(2014年にウクライナで起こった)マイダン・クーデター後の8年間、米国・NATO(北大西洋条約機構)に支えられたポロシェンコ・ゼレンスキー両政権は、ロシア系ウクライナ人のロシア語を使用する権利を奪い続け、自治の拡大と生存権を求めて闘っていたロシア語話者の自国民をテロリストと呼んで弾圧・攻撃・虐殺し続けた」(『ウクライナ危機と<北方領土>』)と指摘する。

2022年2月に始まったロシアの軍事行動には、虐殺されるロシア系ウクライナ人を救うという目的があった。目的が立派でも所詮戦争は生命や財産の侵害だという問題はあるにせよ、少なくとも大手メディアが書き立てるような、領土欲に燃えるロシアが無実のウクライナを一方的に侵略したという単純な構図ではない。

マイダン・クーデターから2023年4月下旬までに、ウクライナ政府側は東部ドンバスで5000人を超える民間人を虐殺したとされる。大崎氏は現在のガザ危機と対比し、「(イスラエルの)ネタニヤフ政権が行なっていることは、2014年のクーデター後にポロシェンコ・ゼレンスキー両政権がドンバスで行ったことと同様、選民思想による他集団へのジェノサイドという犯罪行為だ」と批判する。

ところが朝日が掲載したスラーニ氏のウクライナ戦争に関する発言には、そうした視点がまったくない。同氏自身、「この(ガザでの)ジェノサイドは昨年10月7日に始まったわけではない」と述べ、イスラエル軍によるパレスチナ人の虐殺はその前から長年続いてきたと強調しておきながら、ウクライナ政府によるロシア系住民の虐殺が2022年2月以前から長年続いてきた事実は無視している。

朝日としても、ガザとドンバスの人々はどちらもジェノサイドの犠牲者だという真実を語られては、ロシアを一方的に悪者扱いする日頃の報道と矛盾し、都合が悪いだろう。朝日などリベラル派メディアはいつも、弱者に寄り添う姿勢を強調するが、どうやらその弱者の中に、政治的に都合のよくない存在であるロシア系ウクライナ人は含まれないようだ。

政治的に都合のよくないジェノサイドが語られない一方で、政治的に都合がよいジェノサイドは大いに喧伝される。それどころか、存在しないジェノサイドまででっち上げられる。

米国務省は今月、各国の2023年の人権状況を評価した年次報告書を公表した。報告書は中国について、新疆ウイグル自治区で、イスラム教徒の多いウイグル族やその他の民族的・宗教的少数派に「ジェノサイドや人道に対する罪」が起きたと指摘した。朝日新聞によれば、報告書の公表にあわせて記者会見したブリンケン米国務長官は、ウイグル族について「ジェノサイドと人道に対する罪の犠牲者」だと言及し、「責任を負う政府に直接、深い懸念を表明し続ける」と述べた。

このウイグル族に対する「ジェノサイド」とは果たして本当なのか、かねて疑問が持たれている。大手メディアの報道などによれば、中国政府はウイグル族を強制収容所に入れ、虐殺、拷問、洗脳、強制労働、強制不妊手術などを行っており、これがジェノサイドにあたるという。

これに対して中国政府は否定し、反論がなされている。①100万~200万人とされるウイグル族収容者の大半はすでに出所②ウイグル族収容者に対し行っているのは有用な労働技能の訓練③中国の脱過激化プログラムは2006年の国連グローバル・テロ対策戦略と一致し仏英米豪と類似④中東のイスラム諸国やイスラム教徒の多い東南アジア諸国にも同様の脱過激化プログラムがある——などだ。脱過激化プログラムとは、過激なイスラム主義思想を除去して元テロ実行犯受刑者を悔悛させ、寛容なイスラム理解を精神に移植する教育・訓練を指す。中国がテロ組織に指定するウイグル独立派組織「東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)」の元メンバーなどが対象とみられる。

2019年7月上旬、欧米21カ国と日本が国連人権理事会で、新疆ウイグル自治区におけるウイグル族弾圧の疑いで中国を批判する共同声明を発表したところ、グローバルサウスと呼ばれる新興・途上国の37カ国が独自の書簡で中国を擁護した。署名した半数近くがイスラム教徒の多い国だった。元豪外交官ジョン・メナデュー氏が運営するウェブサイトの記事は「中東、アフリカ、中央アジア、東南アジア全体で、新疆ウイグル自治区でのイスラム過激派の拘束に関する虚偽・誇張された主張に引っかかったイスラム諸国はひとつもない」と書く

最近、ロイター通信の報道により、米トランプ政権下の2019年以降、米中央情報局(CIA)が中国の国際的な評判を落とすための秘密作戦を展開していたことが暴露された。この作戦の一環としてウイグル族弾圧の偽情報が流布されたのではないかとの見方もされている。

あきれたことに、ブリンケン国務長官は記者会見で中国の「ジェノサイド」を非難した数日後に訪中し、虐殺犯であるはずの習近平国家主席とがっちり握手を交わした。どうやら米政府自身、中国の「ジェノサイド」が本当だとは信じていないのだろう。他国をありもしない罪で罵りながら、イスラエルによる正真正銘のジェノサイドに資金・兵器支援で加担するその面の皮の厚さには、ほとほと恐れ入る。だが政府にしろメディアにしろ、言葉を都合に合わせて利用する者は、やがて誰からも信用されなくなるだろう。

2024-04-21

日米同盟はいらない

岸田文雄首相が今月、ワシントンでバイデン米大統領と会談し、日米同盟の強化を打ち出した。会談でバイデン大統領は「我々の同盟は史上最も強固だ」と強調し、岸田首相はその後の米議会演説で「同盟」という言葉を10回も繰り返した。バイデン氏は多くの歴代大統領と同様、いかなる国とも政治上の同盟を結ばないという米建国当初の精神を忘れているようだし、岸田首相も同盟がむしろ人々の安全を脅かす危険を無視している。
米国が日本を含む多くの国と同盟を結ぶ現状からは想像しにくいかもしれないが、米国の独立期に活躍し、国の基礎を築いた「建国の父」と呼ばれる有力政治家たちは、いかなる国とも政治上の同盟を結ばないよう警告していた。

たとえば、初代大統領のジョージ・ワシントンは退任の辞で「世界のいかなる地域とも恒久的な同盟関係を結ばない。これがわが国の真の方針だ」と述べた。アメリカ独立宣言の起草者の1人で、第3代大統領となったトーマス・ジェファーソンは「あらゆる国と平和、通商、誠実な友好を保ち、いかなる国とももつれ合う同盟を結ばない」と強調した

建国の父たちが同盟を戒めたのは、同盟によって自国の防衛と無関係な戦争に巻き込まれることを恐れたからだ。当時心配されたのは欧州諸国との同盟だった。ワシントンは「人為的な結びつきによって、欧州によくある政治的な波乱や、結合・衝突、友好・敵対に巻き込まれるのは賢明でない」と警告している。

そうかといって、他国との関係をすべて断てといったわけではない。戒めたのは政治上の結びつきであって、経済上の結びつきはむしろ奨励した。ワシントンは「諸外国との関係において、わが国の行動規範の大原則は、通商関係を拡大する際に、政治的な関係をできるだけ持たないようにすることだ」と述べている。ジェファーソンはさきほどの引用で「あらゆる国と平和、通商、誠実な友好」を保つよう勧めているし、別の場所では「すべての国と自由に通商し、どの国とも政治的なつながりを持たず、外交関係をほとんど、あるいはまったく持たないことに賛成だ」と記している。

現代のマスコミは、米国の政治家が他国との同盟に後ろ向きな発言をすると、「孤立主義」「内向き志向」と非難する。しかし、政治的・軍事的な関わりを絶ったからといって、世界から孤立するわけではないし、内向きになるわけでもない。経済上の交流があればいい。そのほうが一般の人々にとっては有益だ。

一方、日本もかつて同盟で道を誤った。1902(明治35)年に結んだ日英同盟だ。日英同盟は短期では日本の勢力拡大に役立ったように見える。

1904年に始まった日露戦争で、日本はさまざまな形で同盟国である英国の支援を受けた。まず、物資面だ。日本海軍の主力の戦艦6隻すべてが英国製だったし、装甲巡洋艦8隻のうち4隻がやはり英国製で、最新鋭のものだった。日本陸軍が戦時中に発注した銃砲弾の約半分は英国のアームストロング社やドイツのクルップ社などに発注したものだった。次に資金面では、日露戦争の戦費(当時の国家予算の6倍にあたる18億円)の4割は外国からの借金で、そのお金を貸してくれたのが英国と米国だった。劣らず重要だった支援は、情報の提供だ。英国は日英同盟を結んだ1902年、世界の植民地や主要国との間の海底ケーブル網を完成させた。これを利用し、ロシア軍の状況など軍事情報を日本に提供した。また、日本に有利な情報のみが巧みに市場に流され、日本の国債販売を後押しした(山田朗『日本の戦争 歴史認識と戦争責任』)。こうして日本はロシアに勝利し、韓国に対する支配権などを確保した。1905年には日英同盟の改定によって韓国に対する日本の保護・指導権を認めさせ、1910年には韓国を併合する。

1914(大正3)年に勃発した第一次世界大戦でも、日本は日英同盟の「恩恵」を受けた。日英同盟を理由に連合国側に加担してドイツに対抗し、中国に対し山東省のドイツ権益を日本が継承することなどを柱とする二十一カ条要求を突きつけた。また地中海に駆逐艦を派遣したのと引き換えに、英国と秘密協定を結ぶ。太平洋に点在するドイツ領南洋諸島を赤道で分け、赤道以南については英国の要求を、以北については日本の要求を互いに認めることとし、あわせて山東省のドイツの権益を日本が引き継ぐことを英国が認めるという内容だった(梅田正己『これだけは知っておきたい近代日本の戦争』)。1918年にドイツが降伏し、連合国側の勝利に終わるとパリ講和会議が開かれ、日本は英国との秘密協定どおりに、山東省の旧ドイツ利権を継承するとともに、赤道以北のドイツ領南洋諸島を国際連盟の委任に基づく委任統治領とし、中国や太平洋で勢力を拡大した。

ここまでの経緯からは表面上、英国との同盟で日本は大きく得をしたように見える。しかし、それは政府の立場による見方でしかない。日本やアジアの人々は多大な犠牲を払った。日露戦争に動員された日本兵は約180万人で、戦死者8万8000人、戦傷病者44万人に達した。植民地にされた朝鮮では日本の統治に不満が爆発し、1919年3月1日、独立運動が全土に拡大した(三・一独立運動)。朝鮮総督府は軍隊まで動員し、厳しい弾圧を加えて鎮圧した。

第一次世界大戦でドイツが敗北した結果、皮肉なことに、日英同盟の意味は薄れた。1921年、米国の主導で開いたワシントン会議で、中国の主権・独立・領土保全の尊重などを取り決めた9カ国条約などを結び、日英同盟は破棄された。その背景には、中国で日本の独走を望まない英国や米国の思惑があった。中国をめぐる日本と英米の利害の食い違いは、やがて深刻な対立へと発展し、ついに第二次世界大戦での全面対決と日本の悲惨な敗北に至る。

日本は戦争の結果、多数の人々の生命・財産を犠牲にしただけでなく、かつて日英同盟を助けに手に入れた海外領土をすべて失った。特定の国と政治上の同盟を結んだり他国を植民地にしたりするのではなく、あらゆる国と経済上の友好関係を保っていれば、別の道が開けていたかもしれない。

岸田首相は米議会演説で「日本の堅固な同盟と不朽の友好をここに誓います」と強調した。しかしその美辞麗句とは裏腹に、日米同盟は「世界の安定に貢献していく」(日本経済新聞、4月11日付社説)どころか、東アジアなどで対立を煽り、不安定をもたらす恐れがある。ワシントンの言葉に従い、「恒久的な同盟関係を結ばない」という選択を真剣に考えるべきだ。

2024-04-07

北朝鮮制裁の非道

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対する経済制裁の履行状況を調べる国連安全保障理事会の専門家パネルが、4月末で廃止される見通しとなった。専門家パネルの任期を1年延長する決議案に、ロシアが拒否権を行使したためだ。

日ごろ悪玉として叩いている北朝鮮とロシアがセットになった話題だから、主要各紙の反応は想像がつくだろう。社説でここぞとばかりに、「北朝鮮の不正を隠す決議案否決」(日本経済新聞)、「身勝手過ぎる露の拒否権行使」(読売新聞)、「露は拒否権行使を恥じよ」(産経新聞)などと一斉に非難した。けれども、経済制裁を声高に叫ぶメディアは重要なことを無視している。制裁は一般市民を苦しめる非道な行為という事実だ。
2009年に設置された専門家パネルはこれまで、北朝鮮が海上で物資を密輸する実態を明らかにするなどしてきたとされる。読売は「専門家パネルが廃止となっても様々な制裁決議が失効するわけではないが、監視体制が緩むのは避けられない。北朝鮮の核・ミサイル開発が加速するのは確実だ」と述べる

しかし、そもそも制裁に政策変更を促す効果は薄い。ローデシア(現ジンバブエ)や南アフリカが人種差別政策を放棄したケースはあるものの、制裁でイラク戦争を止めることはできなかった。北朝鮮に対しては2006年以降、18年間も制裁が続いているにもかかわらず、核開発やミサイルの開発は止まらない。その理由の一つには、第三国経由で北朝鮮に禁輸品を積んだ船舶が入港するなどの「制裁破り」があるとされる。その監視の一端を担ってきた専門家パネルを日本のメディアは持ち上げるけれども、開発が止まらなかった事実から判断する限り、結局たいして役に立たなかったということだろう。

それ以上に重大な問題は、制裁が一般市民を苦しめることだ。最近の北朝鮮は闇市の発達で、壊滅的な飢饉に見舞われた1990年代後半に比べれば食糧が手に入りやすくなったようだが、それでも長期にわたる制裁や新型コロナウイルスに伴う国境封鎖で食糧難が深刻になり、一部地域で餓死者も出たとされる。2021年のことになるが、国連の北朝鮮人権状況特別報告者は、北朝鮮で子供や高齢者といった弱い立場の人々が飢餓のリスクにさらされていると指摘し、北朝鮮に対する制裁を解除するよう求めた

ロシア外務省のザハロワ情報局長は、今回の拒否権行使について「終わりのない制裁は、その目的を達成するためにはまったく役に立たない。だが国家全体の財政的・経済的封鎖につながり、その結果、国民に相応の影響を及ぼす」とコメントしている。

見落とされがちだが、北朝鮮に対する制裁の影響を受けるのは北朝鮮の市民だけではない。国連による制裁は2006年10月以降、安保理決議にもとづき実施されているが、日本政府は同年7月以降、独自の制裁を発動している。その内容は日本と北朝鮮との間のヒト・モノ・カネの流れを全面的に遮断するもので、国連の要請する制裁よりもはるかに広範囲に及ぶ。その結果、在日朝鮮人の自由を著しく侵害している。

在日本朝鮮人人権協会に寄せられた被害相談によれば、Aさんは北朝鮮の平安南道に住んでいた実姉が死去したため、葬儀への参列や墓参のため、北朝鮮への渡航を求めて再入国許可を申請したが、入管当局が規制措置の例外を認めず許可しなかったため、葬儀に参加できなかった。

また同協会には、朝鮮に在住する親族に生活物資や生活資金を送付したいが、経済制裁による規制に抵触しないかという相談が多数寄せられているという。北朝鮮の厳しい経済環境で暮らす市民の中には、日本に住む親族からの仕送りで命をつないでいる人々が少なくない。制裁はこうした親族たちを窮地に追い込むことになる。

大人だけではない。全国各地の朝鮮学校生は、高校3年になると修学旅行で北朝鮮を訪ねているが、日本に帰国した際、空港の税関で、現地で購入したお土産品を没収される例が相次いでいる。2018年に神戸朝鮮高級学校の生徒が関西国際空港税関当局にお土産を没収された際、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が行った記者会見によれば、「生徒たちは、朝鮮にいる親戚や友人からもらった心からの贈り物を目の前で没収され、その非情さに心を引き裂かれて泣きじゃくったという」。

さらに事実上の制裁といえるのが、朝鮮高校生を高校「無償化」から除外したり、朝鮮学校への補助金を事実上停止するよう各自治体に通知したりする、文部科学省の措置だ。文科省は表向き、政治・外交問題とは無関係としているが、朝鮮高校の無償化排除を決めた第2次安倍晋三政権の下村博文文科相(当時)は2012年12月の記者会見で「拉致問題の進展がないことや朝鮮総連と密接な関係があり、現時点で無償化を適用することは国民の理解を得られない」と堂々と述べていた

なお、「無償化」は実際には納税者の納める税金で賄われるので、正しくは「税金化」であり、補助金ともども、教育を政府に従属させる手段だ。自由主義の立場からは廃止が望ましいが、現実に制度が存在する以上、いうまでもなく朝鮮学校生など特定の学生だけが不当に不利益を受けるような運用は許されない。在日朝鮮人に税制上の優遇措置は存在せず、親には当然納税者としての権利がある。

意外かもしれないが、拉致問題を念頭に朝鮮高校の無償化排除論がスタートしたのは、保守派の安倍政権下ではなく、リベラルとされたその前の民主党政権下だ。明治学院大学教養教育センターの鄭栄桓(チョン・ヨンファン)教授は、非軍事的強制措置(引用元の書籍では「準軍事的措置」とあるが、鄭氏の指摘により修正)である経済制裁は憲法9条の理念から控えるべきだという考えがあっていいはずなのに、「ほとんど国会で全会一致で承認されている」と指摘。「根源的な平和主義、経済制裁にも反対するような平和主義の芽は、この間生まれてこなかった」(共著『いま、朝鮮半島は何を問いかけるのか』、2019年)と述べ、野党や市民運動を含めた戦後日本の平和主義のあり方に厳しい問いを突きつける。

経済制裁は戦争に比べ穏やかなイメージがあるが、実際は違う。イラクに対する国連の経済制裁では飢餓や病気で100万人以上のイラク人が死亡し、うちほぼ半数が子供だった。米クリントン政権のオルブライト国連大使(当時)が1996年、テレビ番組で記者から「これまでに50万人の子供が死んだと聞いた。広島より多いといわれる。犠牲を払う価値がある行為なのか」と聞かれ、「大変難しい選択だとは思うが、それだけの価値はある」と言い放ったのは有名だ。

一方、リバタリアンの反戦ジャーナリスト、ジャスティン・レイモンド氏は、同じイラク制裁について「国民と政府を同一視する思考の論理的帰結であり、政府の犯罪(現実のものであれ想像上のものであれ)に対して個人を罰する」とその本質をつく。そして「権力の計算では、個人は数に入らない。イラク人は存在せず、イラクという国家だけが存在するのだ」と喝破する

北朝鮮制裁を叫ぶ日本の政府、野党、メディアはまさに「国民と政府を同一視する思考」に陥り、北朝鮮政府の「犯罪」に対して北朝鮮市民や在日朝鮮人という個人を罰している。制裁を求める人々に北朝鮮を全体主義国家だと笑う資格はない。国家という全体だけに注目し、個人を無視する冷酷な考えこそ全体主義なのだから。

2024-03-30

「ルールに基づく国際秩序」の化けの皮

国連安全保障理事会は3月25日、非常任理事国10カ国が共同提案したパレスチナ自治区ガザにおけるラマダン(イスラム教の断食月)期間中の即時停戦を求める決議を採択した。日本、中国、ロシア、英国など14カ国が賛成し、米国は棄権した。昨年10月に戦闘が始まって以来、安保理が停戦決議を可決したのは初めてだ。日本の大手メディアは「イスラエルの後ろ盾として過去4度にわたって決議案に拒否権を行使してきた米国の変化が大きい」(朝日新聞、3月28日社説)と米国の姿勢を評価する。しかし、それは甘い見方だ。
朝日の社説は「イスラエルはパレスチナ自治区ガザでの軍事作戦を中止しなければならない。(ガザの武装勢力)ハマスは約130人とされる人質全員を直ちに解放すべきだ」と、あたかも停戦と人質解放がセットのような表現をしている。停戦決議に反対してきた米政府の主張をなぞったかのようだ。実際の決議は、即時停戦とともに「人質全員の即時無条件解放」とガザへの「人道支援実施の確保」を求めてはいるものの、人質解放を即時停戦の条件としてはいない。

さて、日本の報道では無視されたが、今回の停戦決議後、米政府関係者の発言が物議を醸した。決議に「拘束力はない(nonbinding)」と主張したのだ。トーマスグリーンフィールド国連大使は25日、決議後の説明で「この拘束力のない決議の重要な目標のいくつかを全面的に支持する」と述べた。やはり同日、ホワイトハウスの記者会見でカービー大統領補佐官は「拘束力のない決議だ」と何度も発言し、「だからイスラエルや同国がハマスの追及を続けることにまったく影響はない」と主張した。国務省のミラー報道官も「今日の決議は拘束力のない決議だ」と繰り返した。

米国の言い分はおかしい。拘束力のない国連総会決議とは異なり、イスラエルも含めて国連加盟国は安保理決議に従う義務があるし、違反すれば制裁の対象となる。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が人工衛星を打ち上げると「国際法違反」と非難されるが、これは北朝鮮による核・ミサイル開発を禁止した2006年の安保理決議に違反するとされるからだ。この件に関する朝日の記事で専門家が指摘するように、安保理決議は国際法上の派生法に当たり、法的拘束力がある。

いつもは米国に万事歩調を合わせる英国でさえ、今回の停戦決議は棄権せず、賛成した。英紙ガーディアンは「バイデン(米大統領)の外交官たちは驚くことに、決議には拘束力がないと主張する。この判断は英国と同じではない。英国は停戦決議の即時実施を求めている」と書く

それにしても米国はなぜ、安保理決議には拘束力があるという明白な事実をなりふり構わず否定しようとするのだろう。そこには各国を平等に縛る伝統的な国際法と、米国が近年盛んに推し進める、あいまいな「ルールに基づく国際秩序」との間の深い亀裂がのぞく。コラムニストのテッド・スナイダー氏は米シンクタンク、リバタリアン研究所への寄稿で「安保理決議を拘束力のないものと判断し、国際法並みの拘束力を否定することで、米国は覇権主義から一国優位主義へと次のステップを踏み出した」と分析する

国際法上重要な役割を果たす国連に対し、リバタリアン(自由主義者)の一部は、全体主義的な「世界政府」につながりかねないとして警戒心を抱く。しかし実際には、大国が国連を利用することはあっても、主権を国連に譲り渡したり、自分の支配の及ばない「世界政府」をつくったりするリスクはほとんどない。むしろ「国連、とくに国際司法裁判所(ICJ)は、実定法や立法による制約を受けにくい分、国際法とは何かを宣言する際に、伝統的な正義の概念に従う自由がある」とリバタリアン法理論家のステファン・キンセラ氏は指摘する。そのうえで「国際法は個々の国家の法律よりも自由主義的だし、今後もそうあるべきだ」と強調する

これまで米国の軍事上の行動や主張は、伝統的な国際法に照らして問題があると批判を浴びてきた。先制攻撃を認める自衛権の解釈、テロリストとされる過激派への武力行使、1999年のセルビア空爆、2003年のイラク攻撃、2011年のリビア攻撃、グアンタナモ収容所に投獄されたタリバン兵に対する捕虜資格の否定などだ。国際法学者ジョン・デュガード氏は「米国はこの種の国際法上の解釈について、ルールに基づく国際秩序の大ざっぱな「ルール」の下で見解の相違としておいたほうが、国際法の厳格なルールの下で正しいと証明するよりも都合がいいし、そうできると考えているようだ」と論じる

そればかりか、米国は厚顔無恥にも、「ルールに基づく国際秩序」を守れと他国に説教する。しかし米国のそのような身勝手な態度は、もはや通用しなくなろうとしている。その象徴が、今回のガザ停戦決議といえる。伝統的な国際法では、決議に従い、即時停戦しなければならない。戦争継続やイスラエル支援で政治的・経済的な利益を得る米政府はそうしたくないので、「拘束力はない」と言い張っているわけだ。米国の国際法を軽視する姿勢が改まらなければ、子供を含む多数の市民が命を失い、飢餓が迫る、ガザでの停戦実現は心もとない。

日本のメディアは何かといえば、米国に都合のいい「ルールに基づく国際秩序」を持ち上げ、日本人をそれに従わせようとする。だが、世界はすでに欺瞞に気づいている。最近、上川陽子外相がフィジーの首都スバで開催された「太平洋・島サミット」(日本を含め19カ国・地域が参加)の中間閣僚会合に共同議長として出席し、南太平洋地域で影響力を強めるという中国を念頭に、「ルールに基づく国際秩序」などの重要性を確認したものの、代理や欠席でない外相の参加は、日本を除き6カ国にとどまったという。化けの皮のはがれた「ルール」にしがみつくのは、もうやめたほうがいい。

2024-03-25

民主主義を語る資格のないメディア

ウクライナへの軍事行動が始まって初のロシア大統領選挙で、現職のプーチン氏が通算5回目の当選を果たした。投票率は74%で前回2018年を上回り、プーチン氏の得票率は8割強で過去最高の圧勝だ。これに対し日本の主要紙は一斉に、選挙結果は強権により演出されたものにすぎないと主張し、ウクライナへの「侵略」は正当化されないと強調した。みっともない。自らの行いを顧みずにロシアを非民主主義国と見下し、侵略国家と一方的に非難する、日本を含む西側のその傲慢で偽善に満ちた態度こそが、ロシア国民の反発と愛国心を強め、プーチン大統領を圧勝に導いたのだ。
産経新聞は「ウクライナ侵略に反対し、「反政権」「反戦」を訴えた立候補者が事前に排除されるなど、民主的な選挙の片鱗もみられない」と批判した。いつもウクライナの徹底抗戦を主張しておきながら、反戦派の排除を問題視するとはご都合主義もいいところだ。立候補を認められなかったのはリベラル派の元下院議員ナデジディン氏や平和主義を掲げた元ジャーナリスト、ドゥンツォワ氏らだが、いずれも提出書類に無効な署名が多すぎるなどの不備が原因とされる。

ナデジディン氏は戦争終結や徴兵制廃止を訴えていたといい、選挙で争えなかったのは残念だ。しかし基準を満たさないのに立候補を認めれば、それこそ「民主的な選挙」に反する。それらしい根拠もないのに、不当に排除されたかのように言い立てるのは、たちの悪い印象操作だ。それほど支持者の多くない反戦派らの不出馬がプーチン氏の記録的な圧勝を可能にしたとは、言いすぎだろう。気に入らない選挙結果なら認めないとは、民主主義にふさわしい態度ではない。

読売新聞は「立候補や投票の自由が保証されてこそ、選挙は民主主義の制度でありうる」と強調し、プーチン政権について「議会や司法も、政権の影響下にあり、チェック機能は期待できない」と批判する。ロシアは完璧な民主主義国ではないかもしれない。だがその一方で、ロシア非難の先頭に立つ米国では、返り咲きを狙い予備選に出馬中のトランプ前大統領が多くの刑事訴追の標的となり、事実上、立候補の自由を妨げられている。泡沫候補への妨害どころではない。

また日本では、国政選挙での「一票の格差」が法の下の平等に反するとして選挙の無効を求める訴訟が繰り返し提起されているにもかかわらず、裁判所は「違憲状態」というだけで選挙の無効は認めないし、いわれた国会もほとんど是正しない。その結果、昔からの選挙区で強固な地盤をもつ世襲議員が多く当選し、内閣に顔を並べる。とてもロシアの選挙を見下す資格はない。

なにより、ロシアと同じく戦時下のウクライナは、戒厳令を5月中旬まで延長することを理由に、本来であれば3月に行う大統領選をまだ実施していない。国民から投票の自由を奪っているのは、ロシアではなく、ウクライナのゼレンスキー政権のように見える。なおウクライナは他にも、野党系メディアを閉鎖したりジャーナリストを拷問して死に追いやったりと、立派とは言いにくい振る舞いが目に余る。

各紙とも2022年2月に始まったロシアの軍事行動を「侵略」と非難するが、これも悪質な印象操作だ。現在の戦争は、ウクライナに肩入れする日本の国際政治学者でさえ認めるとおり、10年前にウクライナ東・南部で勃発した紛争の延長戦上にあり、その紛争中、民族主義的なウクライナ政府は女性や子供を含むロシア系住民を迫害し、殺傷した。歴史上、ロシアに属してきたこの土地の住民たちを保護することが、ロシアが開戦に踏み切った一つの理由だ。戦争が最善の手段だったかどうかという問題はあるものの、1999年のコソボ紛争で、西側の北大西洋条約機構(NATO)はアルバニア系住民の保護を理由にセルビアを空爆したのに、今回ロシアだけを非難するのは筋が通らない。

毎日新聞は「ロシアが一方的に併合を宣言したウクライナ東・南部の4州でも投票が強行された」と書く。西側メディアが繰り返す、この「一方的に併合を宣言」という主張は事実をゆがめる。クリミア半島や東・南部4州は、かつて住民投票でいずれも約90%が賛成し、ロシアに編入した経緯がある。このときも西側は今回の露大統領選同様、投票結果は認められないと騒いだが、激しい抗日運動を招いた日本による1910年の韓国併合(住民投票の結果ではない)と異なり、編入地域の住民がロシアの支配に憤激しているという情報はないし、ソーシャルメディアで流れる映像はむしろ喜んでいるようだ。

産経は、クリミアなどでの大統領選投票について、林芳正官房長官の「(クリミアなどの)併合はウクライナの主権と領土一体性を侵害する明らかな国際法違反だ。これらの地域での大統領選実施も決して認められない」という言葉を引用し、ロシアを非難する。だが「明らかな国際法違反」と言い切れるほど単純な話ではない。

近年、国際法上の「救済的分離」という理論が議論されている。特定の集団が自国政府によってアパルトヘイト(人種隔離)やジェノサイド(民族大量虐殺)のような継続的で重大な人権侵害にさらされている場合などに、救済として分離を認めるべきだとされる。自国政府から長年迫害・殺傷されてきたウクライナのロシア系住民は、まさにこのケースに当てはまる(米軍基地問題に苦しむ沖縄もこの理論により日本から独立できるかもしれない)。

さらに踏み込んで、個人の権利を重視する自由主義者(リバタリアン)の立場からは、アパルトヘイトやジェノサイドといった特別の事情がなくても、住民が投票で分離の意思を表明しさえすれば、それを「領土一体性」という国家の論理を理由に妨げてはならない。

経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは「ある特定の領土の住民が、それが一つの村であれ、全地区であれ、隣接する一連の地区であれ、自由に実施される住民投票によって、その時点で所属している国家との一体化をもはや望まず、独立国家を形成するか、他の国家に帰属することを望むと表明したときはいつでも、その意思は尊重され、遵守されなければならない」と述べ、こう付け加える。「これこそが、革命や内戦、国際戦争を防ぐための、実現可能で効果的な唯一の方法なのである」

同じく自由主義の経済学者ハンス・ヘルマン・ホッペはウクライナ戦争について論じ、「平和をもたらす方法として、地域の分離独立を主張する声を真剣に検討すべきだ」と指摘する。「これはウクライナの領土を縮小することであり、当然ゼレンスキー一味は反対するだろう。しかし、住民が守りたがらない領土をなぜ守るのか。戦争に巻き込まれないことを望む地域に、なぜ戦争を持ち込むのか」

ウクライナのロシア系住民は、すでに住民投票によってウクライナからの分離とロシアへの帰属の意思を示している。ところが日本など西側メディアは、住民の意思を無視し、認めない。気に入らない大統領選の結果を認めないのと同じだ。民主主義を語る資格はない。平和な手段による分離を認めない結果、悲惨な戦争が起こっても、ロシアの即時撤退という非現実的な要求を繰り返すばかりで、和平の提案をしようともしない。

日本のメディアは、ロシアに説教を垂れる資格があるほど民主主義についてよく理解していると思うのなら、今すぐクリミアと東・南部4州のロシア帰属を支持し、それを前提とした現実的な和平案を提示すべきだ。