HONMEMO

読書備忘録です。

「協力」の生命全史/ニコラ・ライハニ

細胞レベルから個体、家族、大規模集団まで、生物が協力により環境に適応してきた事例などを幅広く紹介。小さな集団(近い関係)では協力が行われやすいが、大きな集団(遠い関係)では難しく、大規模な協力が必須の地球環境問題などは困難な課題。

ヒトの繁栄は、社会的本能(social instinct 本書原題)を備えているからで、協力する性質がヒトの成功にとって極めて重要であることは間違いないが、世界規模の問題に対処するには、本能を超越し、本来の性質と違ったやり方で(見知らぬ人を信頼して)協力する必要があると。

 

 

 

ウィーン愛憎/中島義道

1980年代前半、ジャパンアズナンバーワンなどと言われた頃、4年半にわたる著者のウィーン留学記。

「うるさい日本の私」の闘う中島義道はこの頃から変わらない。というか、氏を形作った(あるいはその闘う姿勢を強化した)のは、ウィーン留学経験であったのか。

当時のウィーン人(西欧人)の日本人に対する差別意識や、非を認めず理屈なく反ぱくする態度、夜郎自大というか自分勝手な振舞いなどに驚き、怒り、その非を指摘し、反論していく。日本人は物事を丸く収めることばかり考えて、平等についての感覚が麻痺し、対等な議論を避けているのではないか。

そのエピソードの一つ一つが異文化体験というレベルを超えて結構衝撃的。40年ほど前という時代背景もあるだろうが。

 

 

 

居るのはつらいよ/東畑開人

ケアとセラピーは似て非なるもの。ケアは「傷つけない。ニーズを満たし、支え、依存を引き受ける。そうすることで…平衡を取り戻し、日常を支える」。ケアの必要な人は社会に「いる」のが難しい人たち、従って、ケアラーは「いる」のが難しい人と一緒に「いる」ことが仕事になる。一方、セラピーは「傷つきに向き合う。ニーズの変更のために、介入し、自立を目指す…」。「ただ、いる、だけ」のケアは、効率性、生産性を求める市場のロジックと相性が悪く、お金もつかないし、ケアラーも辛い。

そんなケアの実際を実体験をもとにユーモアある物語風に描く。楽しくケアとセラピーについて理解を深めることができる。

 

 



北関東「移民」アンダーグラウンド/安田峰俊

ベトナム人不法滞在者ら(ボドイ)のコミュニティの迫真の密着ルポ。窃盗、殺人、売春などろくでもない犯罪行為がてんこ盛りだ。アンダーグラウンドの人間模様も読みどころ。

これら眼前の違法行為はキチンと正されるべきだが、これだけアングラコミュニティが広がるのは外国人労働に係る制度の設計・運用にも問題があることは明らか。

著者が言うとおり、このまま労働現場が変わらなければ、このようなコミュニティは拡大を続けるだろう。

技能実習制度の見直しも行われるが、人権問題についての企業の取組の強化は急務(まともな雇用企業・監理団体も存在する)。特に一次産業の現場では外国人労働力は不可欠で、制度の問題もさることながら、究極には日本人のダイバーシティや人権感覚が問われている。

と書いたところで、育成就労制度閣議決定のニュース。中途半端な感じはあるが、まずはというところか。SNSでは自滅したい人たちの声であふれるのだろうな。

 



セラピスト/最相葉月

精神医療、臨床心理学にかかわる多くの関係者を取材、自ら大学院に学び、中井久夫のクライエントとなって箱庭療法風景構成法なども経験。河合隼雄中井久夫という臨床心理学の泰斗の活動をはじめ、カウンセリングの歴史的な発展過程や臨床心理学、精神医療の実際と課題を詳細にレポートする労作。

人間の精神、心理は、本当に複雑で、安易な一般化を許さない。だからカウンセラーは、時間をかけてクライエントに向き合う必要があり、また、経験やクライエントとの相性が重要になる。

精神科医、カウンセラーの仕事の困難、求められる覚悟の重大性がひしひしと伝わってくる。

 

 

 

経済学は悲しみを分かち合うために/神野直彦

宇沢弘文の思想の系譜に連なる財政社会学第一人者の自伝。大企業(日産自動車)の労務担当という経歴を持つ経済学者というのもなかなかいないだろう。

「分かち合い」「共生」を謳うグループの中心人物だと思うが、そのための負担(財政)のあり方についての国民的合意の道筋は全く見えない。今の野党(政権与党もだが)は高福祉、低負担というポピュリズムを増幅させるばかり。野党は昨今のような政治状況の下でも支持率が低迷していることをどう考えているのだろう。ヨーロッパ大陸型、スウェーデン型高福祉社会(共生社会)を目指すことを鮮明にして、財政については、消費増税+所得税の累進強化(富裕層増税)+年金等改革による若年層負担軽減と高齢者負担増というような対立軸を打ち出したらどうか。

政治を観客として楽しむ「観客社会」(ポピュリズム)から、問題解決者として自発的に参加する「参加社会」へと転換しなければ、新しい時代は作れないとの言葉は重い。

 

 

 

イノベーション・オブ・ライフ/クレイトン・クリステンセン

御説は至極ごもっともで、本書の理論を自家薬籠中の物として、折々に適用していれば、私も成功したキャリアを歩み、一廉の人物となり得たかもしれない。

家族には恵まれて幸せな人生ではあると思うものの、自らの主体的判断によってそれが得られたという実感があるわけでもなく、むしろ我が身については恥の多い人生を送ってきた。

本書の価値を汲み取り、幸せで成功したキャリアが歩めるようになるかは、当然ながら、読者次第。人生も折り返し地点をとうに過ぎて自身にとっては猫に小判だが、本書を推薦する冒頭の著名人たちの列に並ぶこととする(しかし帯、カバーでなく本体に推薦文が掲げられるというのも珍しいのでは?)。