Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

国鉄No.1めぐり

鉄道P誌1964年1月号掲載記事落穂拾いの続編です。

【鉄道P誌1964年1月号表紙】


3.国鉄のNo.1めぐり

新年1月号に合わせた企画記事が掲載されてます。 国鉄一の●●●と言っても、時代と共に変化する物もあれば変わらない物もあります。 国鉄自体が消滅しJRに変わってるので、当時と変わらぬNo.1は最も標高の高い駅野辺山くらいかもしれません。


➊駅アレコレ
駅にまつわるNo.1めぐりは乗降客の多い駅からです。

1970年代から1日の乗降客が一番多いのは新宿駅の時代が続きましたが、1963年は78万人で東京駅でした。 新宿の逆転は新宿副都心高層ビル街が誕生し、小田急/京王沿線通勤客が増えてからなのでしょう。 この時代の都庁舎は丸の内口の有楽町側にありました。

東京駅朝のラッシュ風景です、本文では78万人を静岡/浜松/沼津全市民が1日に上京した様な物と形容してますが、静岡/浜松は今や政令指定都市、平成の合併太りもありますが。


一方貨物駅のNo.1は、1日1万3千トンの貨物が発着した京浜工業地帯の真ん中にある浜川崎駅でした。 2軸有蓋貨車900両分の貨物です。

駅の所在地標高No.1は小海線野辺山駅の1,346mでTOP8全てが小海線の高原駅です。

本文では読者が想像し易い様に伊吹山頂上付近と表現してます。 一方、標高が最も低いのは関西本線弥富駅の-0.8mで、堤防で囲まれたこの地方特有の輪中の駅なのでしょう。

駅間距離が最も長いのは天北線小石-曲淵間の17.7kmがNo.1、一方短い方のNo.1は御徒町-上野間で0.6kmしかありません。 ホーム端同士なら400mしかなく、2列車立往生すれば車内で連絡できる距離です。


➋長大トンネル

筆者が鉄道に興味を持った時代の日本で一番長いトンネルは上越線清水トンネルでした。 1962年開通の北陸トンネル13.78kmが日本一になり、掘削中の新清水トンネルはわずかに短く、青函トンネル開通まで日本一の座を守りました。 断面図が掲載されてます。

トンネルには必ず勾配が付いてます、出入口が低い拝み勾配が一般的で、一方が高く一方が低い片勾配のトンネルもあります。 トンネル内の湧水や雨水排水が目的で、水が流れる緩勾配で運転への影響は些少です。


➌長大橋梁

トンネルの次は橋梁、羽越本線阿賀野川橋梁が1,229mで大正元年完成以来半世紀日本一でしたが、この後完成した新幹線新富士川橋梁1,370mにその座を明け渡しました。 一方鉄橋下が深いのは、先日紹介した高森線第1白川橋梁の64mが当時のNo.1でした。


➍長大貨物列車
子供の頃、山手線電車待ちの際に貨物線をEH10牽引貨物列車が通ると両数を数えました。 大体50両前後で、鶴見事故原因の貨物列車脱線が43-45両目でしたから間違いありません。 しかし列車長は東海道・山陽の本線有効長320mが上限で、この範囲に収まってました。

【室蘭本線運炭列車牽引D51】・・・岡谷湖畔公園
何でもスケールの大きい北海道では62両編成全長563mという運炭貨物列車が運転されてました。 これだけ長いので炭鉱のある発駅から苫小牧まで東室蘭以外ノンストップ運転で、特急並みに旅客列車が運炭列車を待避するダイヤで運転されてたそうです。

【同上】
この運炭列車の重量は2,800トン、本州勾配線区で重連・三重連で牽いてた貨物列車の2.5倍ですが、D51が単機牽引してました。 運転区間全体が平坦か緩い下り勾配だったからできた事です。 大正時代に9600が75両、3,000トンを牽いた記録が残ってるそうです。


➎最急勾配
山や峠の多い国鉄路線は、幹線は25‰(1/40)、ローカル線は33‰(1/30)以下を目安に敷設されており、その為に全国に100ヶ所以上のスイッチバックやループ線も各地にありました。 しかし自然地形が急峻で更に急勾配でないと越えられない峠もありました。

その一つが奥羽本線板谷峠の40‰(1/25)で、DC特急『つばさ』も電機補機運転でした。 No.1はアプト式を採用してた信越本線碓氷峠、一般には66.7‰(1/15)と言われてますが、旧線に68‰区間が200mあり、これが最急勾配でした。 現在のNo.1は板谷峠です。


200m区間の68‰と66.7‰の標高差は2.6mです、39m路線長が長ければ(大回り可能なら)全線66.7‰敷設できたのに、この様になったのは測量誤差の補正だったのか、当初設計通りなのか定かではありません。


➏最長直線区間
東京近郊の直線区間として中央線東中野-立川間が知られており、複々線化・高架化が行われてない当時、先頭車運転席後ろから2駅先まで見通せました。 これは3番目でNo.1は原野に線路を敷設した北海道でした。

室蘭本線白老-沼ノ端がNo.1で約29km、東京駅から横浜駅に匹敵する長い直線です。 多分世界一は米国西部大陸横断鉄道かシベリア鉄道、桁違いに長いのではと思います。

最長直線区間のついでにロングレール、N0.1は東北本線山ノ目-平泉間2,100mとなってますが、恒温状態のトンネル内では3,000mクラスも珍しくないと書かれており、No.1は判然としません。 写真は新幹線弁天山トンネル付近で1,500mロングレールが使われてます。


ロングレール継目は通常のジョイント板ボルト止でなく、ポイントトングレールの様な形状で伸縮を吸収しており、複線区間にしか使われないので割り込み脱線しない方向に設置されてます。 青函トンネル内に敷設されたロングレールはかなり長いと推定されます。


➐最大機関区
機関のNo.1指標は在籍機関車数でなく、機関区勤務国鉄職員数です。 在籍機関車数で見ても大きな順位変動はないと思います。

No.1は門司機関区で、1,423人の国鉄職員が働いてます。 在籍機関車もEF30、ED72、ED73、DD13、D51、9600、C11の総勢113両で北九州全域を担当してました。 第2位以下は岡山、盛岡、水戸、福島の順になっており、門司以外は県庁所在地駅機関区でした。

この機関区ランキングは動力近代化計画進行中の当時毎年変動しており、吹田の様に電機機関区分離で圏外に去った機関区もあります。


掲載記事はここまででしたが、日本一の黒字路線(山手線)と赤字路線(美幸線)とか、日本一●●●な車両とか、範囲を広げてくれれば更に興味深かったと思います。


ではまた。

水田➋を作る

一番駐車帯側、貯水槽の水で工作する水田➊が完成しました。

続いて水田➋を製作しますが、水田間標高差を決めなくてはなりません。 傾斜地棚田の田越し灌漑では、水田間標高差が40-50cmは珍しくありませんが、この場所で大きくすると、川の増水時に水田➌の冠水リスクが高くなり、標高差は小さい方が安全です。


1mm/15cmと2mm/30cmで比較検討し、1mm/15cmを選びました。 水田➌の冠水リスクが低く、水田➊-➌間で2mm低くなる県道に揃えて、水田も2mm低くした方が自然な風景になるからです。 スペーサーを3mmにすれば良いので、3x10mm工作材を敷きました。

水田➋ベースを現物合わせで作りました、水田➊と相似形で一回り大きなサイズです。

水田➋長手方向は、水田➊表面材を取った残材が使えるサイズです。

水田➋製作工程は水田➊の経験を活かし変更します。 最初は水田➊側の畔から作りますが、5mm幅を使うと1mm高低差の10mm幅になり広くなり過ぎるので、切り出して使わなかった7mm幅の1本を半裁して、水田➊➋間と水田➋➌間に使う事にしました。

➊水田に接する面2mmを斜めにヤスリ落とし(黒色部)ます、3.5mm幅なので平坦部分は1.5mmしかありません。
➋水田➊排水口が水田➋給水口になるので、その部分をヤスリ落としてベースに接着しました。 高低差1mmなので水田面の残り肉ゼロです。
➌この状態で畔をフラットアース塗装します。
➍水田➊排水口から水田➋に流れ込むので水田➊側残り肉は1mmです。

長手方向畔用の10mm工作材半裁を切り出しました

➊水田面側をヤスリ落としベースに接着しました。
➋接着した畔をフラットアース塗装します。
➌水田面側と石垣面をヤスリ落としベースに接着しました。
➍同じく接着した畔をフラットアース塗装しました。

➊短い5mm幅材の4面をヤスリ加工して排水口畔を作ります。
➋それをベースに接着固定し、
➌これも先にフラットアース塗装します。
➍排水口反対側の畔を長目に切り出し、石垣に接しないので3面をヤスリ加工します。

水田➊と同じ様に帯板細工で排水口を作って塗装します。

排水口を畔溝に嵌めて接着固定します。 水田➊で先に両側固定した溝に排水口取り付けるのに苦労したので工程変更しました。

必要長を採寸して切断、排水口付近をフラットアース塗装してベースに接着固定、残りを塗装して外形完成です。

お決りの工程で3種混合砂を撒きボンド水で固着しました。

水田表面材を必要寸法に切り出し貼って水田➋単体完成です。

水田➋を3mmスペーサーに接着し、石垣隙間など周辺に植物素材を配置しました。 水田➊と➋の境界の➋側畔に3.5mm幅材を使ったのは正解で、間延びせずに済みました。

植物素材の残りを、貯水槽オーバーフロー水出口と、気になってた駐車帯柵継目の隙間隠しに使いました。 チロチロ流れなので岩の隙間と植物の下を流れてる事とし、水流や水溜り表現なしに変更しました。

引いたこのアングルから見ると、雑木林斜面にするより水田の方が山里の雰囲気が出ると感じます。  看板・道路標識・電柱設置でこのエリアの風景が完成します。


ではまた。

水田➊を作る

前回7mmに狭くした畔幅がまだ広過ぎて作り直しになった処まででした、その続編です。 なおこの水田を水田➊と名付けます、貯水槽側から水の流れ順に➊➋➌とします。

➊10mm工作材を半裁して狭い畔材を作りました、7mmと並べると差は歴然としてます。
➋貯水槽前畔も2mmカットして狭くし、水田に接する部分(黒色)2mmをヤスリで斜めに削り落し、ベースに接着しました。
➌作り直した5mm幅畔の水田に接する部分(黒色)2mmをヤスリで斜めに削り落し、ベースに接着しました。
➍基台端側長辺畔は断面がヤスリで削り落し台形ですが、県道石垣側は石垣角度に合わせ奥もヤスリで削り落としてるので断面は平行四辺形に近いいびつな四角形になってます。

ここで現場確認、畔を接着したベースがキチンと嵌りますし、幅を狭めた畔で水田面積最大化を狙った感じでバランス良くなりました。 最後の一辺には、水の出口があります。 7mm幅材を5mm幅に加工するより、新しい5mm幅材使った方が楽なのでそうします。

➊右辺畔42mm長の半分弱の20mm+αを2本切り出しました。
➋2本の端面に小丸ヤスリで溝を作り、平ヤスリ側面で掘り込んで、2.5mm幅、2mm深さの溝を作りました。 排水口をここに設置します。
➌県道石垣側のパーツは水田に接する左側(黒色)2mmをヤスリで斜めに削り落し、奥は石垣角度に合わせヤスリ落とし、右側は1mmコーナーをヤスリ落として接着しました。
➍基台端側のパーツは石垣逃げが不要なだけで同じです、溝対向させて接着しました。

水田本体畔が完成したのでフラットアース塗装しました。 水田表面材と畔の境界は塗装しますが、水田面は不要です。

当初材料計画では、写真上の端材をこの水田に、下の端材を2番目の水田に、3番目の水田は新品素材を使う構想でした。 素材ジックリ見てると天使の囁きが聞こえました。 下の端材で取り方を工夫すれば水田2枚作れそうです。 すると上の端材で3番目?、どうなるか解りませんが絶版素材なので大切に使った方が良さそうです。

採寸してロス最小で切り出し、コンマ数ミリ単位で調整しピタリ収まる水田面を仕上げました。 上が残り、一回り大きい2番目水田はこの素材を使える様に製作します。

➊0.8t板紙2mm幅と1.5mm幅の帯板細工で排水口を作りました。
➋コンクリート枠に流出防止板を嵌め込んだ構造なので持ち手を残したままニュートラルグレーを筆塗りしました。
➌流出防止板は遠くから状態確認容易な様に赤や黄色の着色例が多いので、黄色の色差しをしました。
➍持ち手を切断して畔の溝に嵌め込み接着しました。

畔に3種混合砂を撒きました。 先に撒くと排水口溝が詰り取り付け難くなるので、この順番にしました。

設置位置にセットし無理が掛かってない事を確認して接着固定しました。

石垣側はわずかな隙間ができるので植物素材を配置しました。 水田➊は左側駐車帯との間の風景整合が必要です。 まずをは紙粘土を両者間に盛り、乾燥待ちです。

➊紙粘土が乾燥したらフラットアース塗装します。
➋3種混合砂を撒きボンド水で固着します。
➌植物茂みを生やし、貯水槽オーバーフロー水が流れる駐車帯石垣側に細かい岩素材と2種混合砂を撒きボンド水で固着しました。
➍1分間にバケツ1杯の水量なので、チロチロ流れる程度です。 タレ吸収用ティッシュを当て半ツヤトットコート数滴垂らしました。 水溜りがあるのが解れば良いのですが・・・。

乾燥後垂れ防止ティッシュを外すと、水がある雰囲気は出てる物のティッシュに吸収されたのか水溜りができてません。 半ツヤトップコートを追加滴下しても結果は同じでした。 手前の川の川面表現にレジン使用予定なので、それに合わせて再挑戦にします。

と言う事で一番小さな水田➊が完成しました。 水田面面積は実寸換算で38㎡、11.5坪、畳23枚分の狭小水田です。 千枚田と呼ばれる棚田の中には、稲6-8株の極小水田もありますので、想定時代の水田として、十分あり得たサイズだったと考えてます。


ではまた。