2009年05月19日

東京ロック地図

東京ロック地図 ん? そうだ、お伝えしておかなければ... と、思ったのは、このブログや自分が運営するウェッブ・マガジン、スマッシング・マグからリンクされているamazonのアフィリエイト・データのサイトを見ていたとき。どうせこんなものわずかな金にしかならないから、どれだけ売れようと、売れまいと、どうでもいいし、実際のところ、ほとんど売れないんですけどね。でも、やってきた人がなにをチェックしているのかをのぞき込めるのが面白い。当然のように(でいいのかな)、音楽好きな人がやはり多いらしく、彼らが買ったアルバムから、「ありゃ、こんなアルバムが出ているんだ」と発見することも多いのだ。そして、本末転倒なんだろうが、ミイラ取りがミイラになるという流れが生まれるのです。いずれにせよ、ミュージシャンのデータを調べていると、どんどん面白そうなアルバムがみつかって、わなにはまるのはいつものことなんですが。

 それで気がついたことなんだが、誰かがこの本、東京ロック地図を買っていた。これは友人の編集者が関わっている本で、基本的には東京のロックな店のガイドブックのようなもの。そのなかに、行きつけの店、中目黒のバードソング・カフェも掲載されていて、どんな流れだったか、この編集者からインタヴューを受けることになったのです。しかも、場所はこのバーなんですが、今振り返れば、なんでこの本に自分が登場するのか... よくわからない。ロック喫茶やバーに、とりわけ自分が関係あるとは思わないんだが、とりあえずは、ここに顔を出してしまったわけです。

続きを読む "東京ロック地図"

投稿者 hanasan : 09:35 | コメント (0)

2009年05月15日

再び、岡林信康にガツーン!

岡林信康 本当は、もっと他に書かなければいけないことが多々あるんだが... 例えば、2月末には韓国に行って、とんでもなく面白いことを発見し、3月はオースティンでSXSW取材。4月はロス、そして、その下旬には台湾と、たまたま格安のフライト・チケットが手に入ったというので、そんな場所をふらふらしているんだが、それを飛び越えて、先日手に入れたアルバムのことを書いてしまいたいのです。それは岡林信康のCD。なぜか知らないけど、このところとんでもない勢いで、「こんなのが出るの?」と言えるほどに岡林信康のレアな音源がどんどんCD化されているんですな。と言っても、その全てを買えるわけもなく... とはいいながら、まるで清水の舞台から飛び降りるような気持ちで買うこともあるのです。なにせ、国内盤はめちゃくちゃ高い。1枚買う金で輸入盤だったら、下手をすると3〜4枚は購入可能だというので、ほとんど買う気にはならないのです。が、これは、やってしまった。

 それが『岡林信康URCシングル集 +8』というコンピレーション。すでに購入されている方がamazonでいろいろな情報を書いてくれていて、それをチェックして判断したんだが、これがとんでもなく素晴らしいのだ。特に、ぶっ飛んでいるのは、はっぴいえんどと録音した数々のシングル。60年代の終わりから70年代の初めという、この時期といえば当然のように名作、『わたしを断罪せよ』から『見るまえに跳べ』、そして、『俺らいちぬけた』が、自分の中での『岡林信康三部作』といってもいい傑作の流れで、当然ながら、これは全て持っている。それだけではなく、数え切れないほど聞いてもいるのだ。おそらく、自分にとって、彼のベストの時代で、最も影響を受けた時代でもある。サウンドという、一面的な部分で言えば、見るまえに跳べ』が、おそらくベストなんだろうが、当時のシングルを集めたという、『岡林信康URCシングル集 +8』では、アルバムでは聴くことができなかった(ように思える)素晴らしいヴァージョンが収録されていることに改めて驚かされることになる。といっても、全てを聞き比べてはいないんだが、このアルバムを聴いた瞬間思ったものだ。「すげてぇ、また頭をぶん殴られたようなもんだぁ」と、驚喜したのが、このブログを書くきっかけだ。

続きを読む "再び、岡林信康にガツーン!"

投稿者 hanasan : 03:06 | コメント (0)

2009年05月05日

再び忌野清志郎氏のこと、そして、筑紫哲也氏のこと

筑紫哲也 結局、昨日はニュースに忌野清志郎の顔が出る度に、仕事の手を休めて、そんな番組の画面に見入ってしまうだけでほとんど一日が暮れたように思う。そして、そのたびに、いろいろなことが思い出されるのだ。お断りしておかなければいけないのだが、個人的にはそれほど近くはなかったし、どこかで偶然顔を合わせたときに、挨拶をして、ちょっと言葉を交わしていた方に過ぎない。それでも、どこかで彼は自分にとって重要な人物で、彼と自分をつなぐところに友人も多い。おそらく、自分だけではなく、そんな人も多かったのではないかと思う。

 そんな番組のひとつで、やはり「癌が発覚して」昨年亡くなったニュース・キャスター、筑紫哲也氏と忌野清志郎氏との対談の様子が流れていた。実は、筑紫氏ともほんの少しの繋がりがあって、あのときにも、なにかを書き残そうと思っていたことを思い出した。それは、謝罪と言ってもいいかもしれない。

 彼と初めて会って、まともに言葉を交わしたのは80年代の半ば。まだ、彼が朝日ジャーナルという雑誌の編集長をしていた頃のこと。ひょっとして、副編集長だったかもしれないが、あの頃、なにかのつてでちょっとした原稿を書くチャンスを与えられたことがある。おそらく、84年の夏頃で、テーマはグラストンバリー・フェスティヴァル。雑誌の中程にあるグラビア・ページをいただいて、当時、CNDという反核団体へのチャリティとして行われていたこのフェスティヴァルの様子をレポートしている。

続きを読む "再び忌野清志郎氏のこと、そして、筑紫哲也氏のこと"

投稿者 hanasan : 23:03 | コメント (0)

2009年05月03日

忌野清志郎氏の訃報を聞いて

忌野清志郎 昨日の夜、ひさびさに中目黒のバード・ソング・カフェに飲みに出かけた... といっても、スマッシング・マグで写真をやりたいという方との面接ということもあって、ここで待ち合わせたんだが、たまたまこのとき初めて聞いたのが忌野清志郎のライヴで、なんでも某放送局で放送されたもののコピーだった。そのとき、マスターやみんなと彼がどれほど素晴らしいアーティストかを語り合っていた。

 どれほど「ダサイ」と思われている言葉も、彼が歌うときに、とてつもないリアリティを持って迫ってくる。それは、彼のカバーによる「イマジン」や「明日なき世界」といった古典的なプロテスト・ソングを聴いたときに、強力に感じることなんだが、彼のそんな歌を通じて初めてこういった歌が抱えている「歌の力」をまざまざと見せつけられたように思う。彼以外に、そんなことができる人なんて... と、そんな意味で、この夜も彼はオーティス・レディングやボブ・マーリーと並ぶことのできるアーティストだよね... なんぞと話していたのだ。

 この店の電話が鳴ったのは、それから1時間もしていない頃ではなかったかと思う。そのとき、マスターが、「清志郎さんが亡くなった」と、僕らに告げてくれたときの驚きをどう書けばいいんだろう。驚愕の叫びと、それからしばらくの沈黙があった。そして、「なんとかなるかもしれない」と思いつつも、どこかで「ダメかもしれない」と予期していたことが交錯し、いろいろな思い出が吹き出してくる。

続きを読む "忌野清志郎氏の訃報を聞いて"

投稿者 hanasan : 17:46 | コメント (0)

2009年05月01日

なんと4ヶ月ぶり...Black Joe Lewisのこと

Black Joe Lewis & The Honeybears 実をいえば、忙しくて忙しくて、自分の好き勝手に書けるこのブログはずっと休眠状態です。トップページで更新素材として表示しているのもSmashing Magで書いたレヴュー原稿を移行させているだけで、新たにここに書いたものではない。が、本当に忙しいんです。

 でも、これからはほんの数行でも思いついたことなどを書き残しておこうと思うのです。そのひとつが、この3月にテキサス州はオースティンで開かれたフェスティヴァル、サウス・バイ・サウスウエストに出かけたときにみつけたこのアーテイスト。Black Joe Lewis & The Honeybears(ブラック・ジョー・ルイス & ザ・ハニーベアーズ)というんだが、彼らが飛び抜けて面白かったのです。といっても、ザ・ハニーベアーズというバンドを伴って、その名義でアルバムを発表したのは最近のようで、その名義で出ているのが『Tell 'Em What Your Name Is!』というアルバムと、バンド名そのままにタイトルの付けられた10インチのアナログEPの4曲入り、『Black Joe Lewis & the Honeybears』の二枚。今回、オースティンではこのほかに、単純に『Black Joe Lewis』と付けられた2007年のアルバムも買っていて、このバンドとしての活動はここ2年ほどのものではないかと想像する。

続きを読む "なんと4ヶ月ぶり...Black Joe Lewisのこと"

投稿者 hanasan : 20:14 | コメント (0)