leomacgivena:

“いつか椎名林檎さんが、「林檎」は本名ではないから、ネガティブなことをSNSで書かれても「私」ではなく「仕事」のことを言われている……とおっしゃっていたことがあり、芸名や作家名は心を守るためにも大切な鎧となるのだなと思った。”

塩谷 舞(milieu編集長)さんのツイート (via gkojax)

sysmatsu20073:

motomocomo:

itokonnyaku:

highlandvalley:

highlandvalley:

“ある科学者が食べ物がなくても太陽の光だけで生きていける薬を開発した。 その後世界中の飢餓はすべてなくなったが、 何もしなくても生きていけるので人々は働かなくなってしまった。 ついにはみな動こうともせずただひたすら太陽を見ているだけとなり、 次第に体の機能もそれに合わせて退化していった。 何億年もたって、それを僕たちは植物と呼ぶようになった。”

この文章、好きです— kokokubeta; (via choccoto) (via aurorae, inujita) (via ak47) (via xyo) (via tsuyoshi) (via handa) (via ataxia) (via takkkun) (via nklog) (via efcetera) (via woak) (via fukuku3) (via classicwood) (via gongxxx) (via sentou) (via inu) (via hsmt) (via aarde-pool) (via usaginobike) (via edieelee) (via joriko) (via zengame) (via mitukiii) (via zya5) (via hepton-rk) (via rock-the-baby) (via gutarin) (via geonoize) (via tohya) (via deadairspace) (via dannnao) (via yoimachi) (via z0paradiselost) (via sho235711) (via akisuteno) (via kurimitai) (via biikame) (via ewa4618) (via darylfranz) (via bulu) (via shortcutss) (via hanemusi) (via mogomogo29) (via sakanappi) (via jhs002) (via fukuku3)

y-kasa:

“昨日忘年会で父親同士の教育談義が盛り上がり、 ・体罰がなくなったのは仕方ない。時代の流れ ・ただその結果クラスの秩序を乱すクソガキを強制的に抑え込めなくなってきて公立教育が崩壊してきてる ・体罰がダメなら隔離するしかないが、親が隔離を拒否する。結果昔なら殴って廊下に立たされて黙らされたクソガキにクラス全体が足を引っ張られる構図 ・まだそれでも小学校低学年は何とかなるかもしれないが高学年はどうにもならない ・地域によってはもう崩壊してる というとこで一致した。目の前で起きていてる現象についての所感を述べただけで、別に「体罰を復活させろ」ということを言ってるわけではないので誤解なきよう。”

宇佐美典也(本物) / X

ryotarox:

上図:2chなどで紹介されてる図
下図:オリジナルの図=清水章弘『習慣を変えると頭が良くなる』(高陵社書店)掲載の図

上図が変な点は、「解けた」と「解けなかった」の間に「わかる」があること。矢印の位置が間違いでは。

清水章弘の言いたいことは、「解けなかった問題の解き方の説明を聞いて解き方が《わかった》だけでは駄目で、そのわかった解き方を使ってを自分で解いてみることが(=《できる》ようになること)」が大事で、その「わかる」と「できる」の違いが「勉強」だという主張。

上図(=間違ってるほう)の出処はHayato Ikedaの2013年09月07日の記事のようだ。こういう「図を清書する際の転記ミス」がデマになるの酷いな。

上図出典
勉強できない人は、作業を勉強と勘違いしてる事がほとんど : 2chコピペ保存道場

下図出典
現役東大生が教える 「すごい学習習慣」(2)解き直しが大切!~清水章弘 |PHPファミリー|子育てママ、パパを応援

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Hayato IkedaのBlogosの記事(=上図の出処)へのブックマークコメント
http://b.hatena.ne.jp/entry/blogos.com/article/69584/

この非論理的な図は東大生が書いたんじゃないよな?
いうてる内容は理解できるが図が理解できない。なんで「わかる」が単独で別の流れ?「解けなかった」(「解けたけど気になる部分がある」ってことはある気がする)→「わかる」→「解き直す」ならともかく。

ryotarox:

sryuuki:

(Jun Nomuraさんのツイート: “えっちょっとこの図素晴らしい。オレの20年来のモヤモヤが晴れた。 #Designship2018… ”から)

出典は長谷川敦士さん

Design Confidence | Designship 2018

デザインコンフィデンス - これからのデザイナーに求められるもの #Designship 2018でのキーノートスピーチ

2018-12-02

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「自然/人工」と考えると技術はここなのかなという気がしないでもない。Technologyはその出自からArtと同じ「人工」を扱うもので「自然」を扱うScienceとは違うのでは。同じ理工系っぽいけど。

横軸はいいとして、縦軸は他にないかな。ビジネスや社会や政治という視座とか。四象限より3軸(6軸)で考えたら。

ウィキペディアの記述が正解かどうかおいておいてこんなことも。

芸術 - Wikipedia

ギリシャ語の「τεχνη techné(テクネー)」やその訳語としてのラテン語の「ars(アルス)」、英語の「art(アート)」、フランス語の「art(アール)」、ドイツ語の「Kunst(クンスト)[1]」などは、もともと単に「人工(のもの)」という意味の医術や土木工学などの広い分野を含む概念で、現在でいうところの「技術」にあたる。現在でいう「芸術」は、近代以前には、単なる技術と特に区別して呼ぶ場合「よい技術、美しい技術」(beaux arts, schöne Kunstなど)と表現され、本来の「art」の一部を占めるに過ぎない第二義的なものであった。

18世紀ごろから加速する科学技術の発展とともに、それまで「ものをつくる」という活動において大きな比重を占めた装飾的な部分よりも、科学的知識を応用した実用性の向上が圧倒的な意味をもつようになる。これにともなって各種の技術は分業化と細分化が進み、現代でいう技術(technics,technology)に再編されるのに対し、建築などの人工物を装飾する美的要素がこれと分化独立しながら、従前の「art」という呼称を引き継ぐことになった。

sysmatsu20073:

“「無知とは、知識がないことではなく、疑問が持てないこと」”

Bo-der Tsu-shin - nemurenai☆ (via taizooo)
2007-08-25 (via gkojay) (via petapeta) (via ipodstyle) (via yaruo) (via subdub) (via thinkupstudio) (via kondot) (via mekarauroko) (via ssbt) (via proto-jp) (via dannnao) (via konishiroku) (via yaruo) (via shin3) (via daccot) (via chiisanaehon) (via kimaman) (via takojima) (via ak47, kssk) (via ak47)