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melancholic

@madlolita

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やっててよかったTumblr 誰も見てないところでも私は存在している

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そろそろ良い人作って落ち着きたい気持ちはあるが、自分が結婚とかできるほどの器と生活力(経済力)を持ち合わせてないので結局、都合の良い人と遊ぶくらいがちょうどよくかんじてしまう
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死ぬほどヤンデレの男(顔がいい)に愛されて、家に連れてこられて一生ここにいて僕のそばにいて仕事とかしなくていいからって言われてニートになりたい
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何もかも消えてしまえ

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愛されたかったな。

君は一緒に寝てくれるけど、好きとも愛してるとも言ってくれない。

私のこと、どうおもってるんだろう。

やれたらそれでいいと思ってるのかな。寂しい私は恋人みたいなことしたいよ。

不安にさせるのだけは得意なんだから。今までそうやって女の子を泣かせてきたの?私の前の子はどうだった?

私は、私だけは他の子と違うっておもってもいい?ぐっすり寝てる顔を見れるのは私の特権のはずなのに。頭を撫でる手の優しさは本物のはずなのに。不安になるよ

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死んでしまいたいと思う日が続いている

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あんなことこんなこと

できたらいいな。

やりたいこと、欲しいものであふれている世界。

私にとって一体どれが一番大切なのか、わからないから全部全部手に入れる。

わがままかもしれない、よくばりかもしれない。

でもそれが私の生き方に合ってるような気がしてる

多分だけど、前も同じ子ことを考えてログを残している気がする

でもその時よりきっと視野も広がってるし、ジャンルも、違うものな気がしてる。

だからこそ、今やるべきなのは何でもいいから手を出してみることなのかもしれないと思っている。

わがままなんて、今に始まったことではないはず。

ずっと自分の性格をわがままマイペース女で通してきたのだ

自分でも知らない自分を見つけるのに必死になっているけれど、それだけはわかる。だって、手紙で伝えたから。

わがままでごめんね、と。

涙が出たのも覚えている。10歳の私がなぜ泣き出したのかはいまだにわからない。感極まった。のだと思う。今の私があるのはよくも悪くも、親が私をこの世に産み落としたからだ。

お願いだから手放せないでほしい。

そのためになら少しわがままになっていいでしょ。自分のために生きるとかいうのは口実で、やっぱり人のために生きるほうが性に合ってるのかもしれない。だから、人を振り回すことに抵抗してしまう。

もっと自分本位で生きれば、わがままだなんて考えずに振り切った生き方ができるような気がする。

自分に寛容になろう。

「やりたいことがあるんだ」

「やればいいじゃん」

「欲しいものがあるんだ」

「買えばいいじゃん」

たった、それだけ。それだけのことなんだ。

何も難しくはない。

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雨。

青々とした快晴の空はあまり好きではない

かと言って土砂降りの雨が降る天気もあまり好きではない

天気雨くらいがちょうどいい

暑くもなくて寒くもない、心地よい気温の中に

包まれるような感覚へと陥る、笑いながらも不安をチラつかせて弱みを見せてくれるような、そんな天気

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自他。

人間には2種類いる、

" 自分 "と" 他人 "

それだけ

" 自分 "以外は家族だろうが友だちだろうが恋人だろうが究極のところ、" 他人 "になるわけで。

いくら深い関係だとしてもそれは簡単に壊れる

しかも壊れたものは自分を傷つけてくる

ならば自分を傷つけないように

自分を大事にするように、他人も大事にする。

決してみかえりを求めるわけではないけれど、優しさを与えることで自分も受け取りやすくなる

自分の感情って案外、相手にも伝わるもので

嫌な気分でいる人といい気分でいる人のどちらに惹かれるかと問われたら

ほとんどの場合が後者を選ぶのではないか

いい気分でいるだけで自分も他人もいい気分になれるのならそのほうがきっと両者にとってきもちよく過ごすことが出来るだろう

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呪。

仕事は好きなものを

という文面をよく見る

仕事はがまんする必要なく、好きなことをやったらそれが収入につながるというもの

自分もそれを信じていた

どのように好きなのか、どれくらい好きなのかの度合いにもよってくるのではないか

具体的にいうと、

  1. 作られたものがすることが好きなもの(受け身的なもの)
  2. 自分で作るのが好きなもの(能動的なもの)

の2種類に分けられる

一つ目の受動的に好きなものの例を挙げるとすれば、アニメやゲーム、などの自分では何もしなくてもよいもの。

二つ目の能動的に好きなもの、というのは自分が動かないと生産できないもの

そうすると、表面のきれいな部分だけをみていられたらよいのですが仕事にしてみると裏の隠れた部分が見えてくる

そして、嫌いになって好きだったものそのものを手放してしまうことになります

それだけは避けたい

だったら能動的に好きなものを仕事にすればいいのか、ということになるのだが個人的にはこちらもあまりやるものではないように感じています。

それを感じたのは、今回のコンセプトカフェで働いてからより感じるようになりました。好きなものだったら何でもいいとおもって初めてはみたものの、より疲れるようになってしまったからです。

世の中には好きなことをして生きていこうと提唱をしている人がいます。

自分もそのように生きていければよかったのだが、実際にやってみると今度は受動的に好きだったものが楽しめなくなってしまい本末転倒の状態になってしまった

ずっと能動的に動くことが自分には向いていなかったのかなと感じる

だから、仕事は目的では手段なのだと考える

その手段をいかに楽しめるか、ということが大切なのだなと感じ自分が人生の主人公なのですから、自分で何をするのかを選ばなければならない

この時代、仕事といっても選択肢が幅広くある

選択肢が広くなるにつれて自由に選ばなければいけないのか、奇しくも不自由なのかはわかりませんがどちらにしても自分で選ばなければいけない

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人間なんていうのは結局いつかは死ぬものだ、

みんな、みんな。

それだけは確定事項なので、それまでをいかにして過ごすのかっていうことのように思う。もしかしたら今生きてるということさえも思い込みだったり。脆いし、弱い。

どうせ死ぬ。そんな言葉に救われているところもある。

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私の中の誰かが消えた。いないほうがよかったから抜けたのかもしれない。でも、それを埋めるには?空いた穴は大きい。それだけ存在感が大きかった。私の中に、確かにいたものが、いなくなった。果たしてこれは吉なのか、凶なのか、わからない

だから自分を騙すしかない。面白い、楽しいと思うことも、自分を褒めることも、今が幸せだと思うことも。全部自分のためになんとか上手く騙してあげる。本心からなのか、表面だけの気持ちなのか、わからなくなるくらいには

面白い面白くない、楽しい楽しくない、いい人悪い人、美味しい不味い、全部主観で変わる。いい人なんていない。いるのは都合のいい人だけ。笑いながら泣くのはもう慣れたよ。

自分を騙して騙して騙し続けた結果が今

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私がいなくても、世界は回る

人ひとりいなくなったくらいで日常は変わらずにいつも通りに過ぎていく。

仕事には大体代わりがきくし、教室には空席ができるだけ

全体で見たら何も変わりはない、ちっぽけな存在だ

いなくなったときの変化はといえば自分の世界がひとつ、終わるだけ

そして新しい世界の幕開けとなる

「しなきゃいけない」って呪いにかけられて、周りに合わせて、なんで自分だけできないんだろう。なんて考えたら、きっとそこは居るべき場所じゃないってこと

魚が陸では生きていけないみたいに、それぞれ生きるための環境がどこかにある

でもそのどこかが、どこなのかわからないから悩んでるんだろう

だから逃げてもいいと思うし、生きていける環境を見つけるまで色んなことをやってみるのもひとつの手だと、私は思う。

世界は回る、他の人なんかどうでもいい

自分中心に回してしまえばそこからがスタートになる

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