ゴトジンの一夜

昨夜、高木浩明さんが資料調査のついでに、と仕事仲間を連れて来訪。五島ジンを吞みながら4時間ほどお喋りしました。

2人ともジンは初体験らしく、こちらも強い酒をいきなり呑ませていいかどうか分からないので、最初は小さな盃に、石榴酢とスダチ蜂蜜とで割って試飲して貰いました。ばかにされてる、と思ったようですが、47度の酒は、その場は平気でも後で足を取られるからです。美味しい、と言うので、グラスに氷とジンとライム、そして炭酸水かトニック水か、ただの冷水かで割りながら、各自のペースで吞みました。

肴は胡椒の利いたチーズ、ポテトチップス、ドライデーツ、オレンジ風味のチョコレート。オリーブの甘酢漬、パプリカのサラダ、そして2人のお持たせの惣菜盛り合わせ。〆はバニラアイスクリームでした。

話題は最近のイベント、学会事情、同業者の動静、若手の人事、文化財保護のエピソード、往年の大学者の逸話、大学改革の行きつくところ、各人のいま手がけている仕事内容、有名アスリートの金銭感覚・・・時間・空間を自在に往来しました。高木さんは一人息子が大学に入り、国際観光に関する分野を志望しているとのこと。私は赤間神宮長門本平家物語のこと、先輩から聞いた池田亀鑑の挿話(授業中、作品の一節を読み上げながら感激して泣くこともあったそうで、女性的な人だったらしい)などを語りました。元禄以降は一般書扱い、という贅沢な図書館もあれば、写本の入っていた塗箱を、欠けてるから、と図書館員がさっさと捨ててしまった、という怖い話も出ました。

洒落たデザインのゴトジン1本、呑み終わりました。2人ともジンにはまったようです。私もおかげで何人もの人と、談笑を楽しませて貰いました。

落合博志最終講義

国文学研究資料館を定年退職する落合博志さんの特別講演「古典の本文と出典・解釈」を、オンラインで視聴しました。大学院時代から半世紀経っているのに、彼は全く変わらないー外観も話し方もその学識も。タイムスリップしたようでした。資料館主催だから講演資料は全て画面共有だろうと思い込んでいたら、27枚もあるという資料が出て来ないーまず慌てました(彼の話は途中からでは絶対追いつけない、これも半世紀前と同じです)。主催者が配信し忘れていたらしく、4つの話題の2番目から共有されました。視聴者は60名前後、会場参加者も含めれば90人近かったでしょうか。

話題は➀小町髑髏説話の「あなめあなめ」は「あな目痛」ではなく、苦痛を表現する語「あなべ」である(bとmの音は屡々入れ替わります)。②平家物語の成立に関わるとして有名な深賢書状の「可御覧物」の「躰」は誤読で、「觧」(解)であろう、「ごらんじとくべきもの」でもない、つまり書跡が散々で見苦しいことを言っているのであり、内容のことではない。③宗安小唄集に類歌の見える鴨長明の歌の末句「こぼれぬ」は打ち消しでなく完了で解釈するのがよい。④芥川龍之介泉鏡花が作中に引く平安時代の歌謡や風俗習慣の記事は、明治28年に出た藤岡作太郎平出鏗二郎『日本風俗史』を参照したのであろう、という4題でした。1つ1つが充実しているもののそこで話題として完結してしまうのが彼のスタイル。纏める気はない、と最初に断っていましたが、これまでのものもまとめて、ぜひ1冊にして出して欲しい。

殊に②は、コロンブスの卵というか、一遍で納得がいきました。聴き終わって、美味しい料理を食べた後の満足感、幸福感に満たされました。この1時間を振り返ると、文献学的、訓詁注釈的な話なのに、文学を論じた後のあの充実感が残ったのは、何故かしら。

國學院雑誌1403号

國學院雑誌3月号が来ました。スピアーズ・スコットさんが「和歌の研究と電子資料」というコラムを書いていて、国歌大観のオンライン検索を例に、作品検索、語彙検索、人名検索のほかに人間関係をグラフ化することもできるようになると、もっと便利になるだろうと述べています。軍記研究から見て羨ましいのは、和歌研究では当時の文壇、知識人の人脈を辿っていけることなのですが、それは研究者の水準次第でもあり、ITにやらせるようになったら研究者はどう差別化されるのかなあ、と考えてしまいました。

荒井洋樹さんの「『竹取物語』の和歌と解釈」は、通説のように和歌の技法を認めると解釈しにくい箇所があることに拘っています。なるほど『古今集』や初期の物語の和歌の技法を、全て現代語訳に遷そうとすると困ることがありますが、もともとこの時期の和歌には物名歌のような遊び心があるのかも。どうでしょうか。

鳴海あかりさんの「いわゆる「丑の刻参り」の完成」によれば、丑の刻、嫉妬に狂った女が藁人形に呪いの釘を打つ、という丑の刻参りの定型が決まったのは比較的新しく、18世紀末だとのこと。意外でした。

荒木優也さんの「心に詠ずる花ー西行和歌における歌道と仏道の共振ー」は力作です。『山家集』春部62~76番歌の後に何故「願はくは花の下にて」歌が置かれるのか、という問いを立て、この歌群の「心」と「花」に関する語を考察。西行50代の歌境を推測し、煩悩があるから悟りがある、悩み苦しむことは西行にとって一概に否定すべきことではなく、花への執着と往生祈願とは一連であった、という結論に至ります。もう少し刈り込んで書いてもよかったかと思いましたが、西行の仏心を追究して何がわかるの、と訊いた修了面接の答えに、しっかり取り組んでいるなあと感無量でした。

殿

福島県の相馬の旧藩主(34代目)が、東北大地震後、復興に尽力した話が新聞に連載されていました(「「殿、ご帰還」再起の福島」朝日朝刊経済欄 2024/03/12~16)。まるで読み物みたいに面白い記事でした。

相馬は騎馬武者が神旗の争奪戦を繰り広げる野馬追行事で有名。34代「藩主」は先代から牧場経営を業とし、北海道から広島に移って暮らしていたのだそうですが、2023年、浪江町に新居を構えて単身赴任、住民票も移したという。東京で開かれた福島復興シンポジウムでの相馬藩政反省の発言から始まって、旧藩主の思いと地元の微妙な反応、殿様商売の失敗と城跡地競売防止、そして、野馬追は故郷の原点で自分たちの生甲斐、とさえ言われて奮起する「殿様」のストーリーです。

都会の若者から見れば、時代錯誤の物語だと嗤われるでしょうか。いやいや地方出身者の中には、あるある、という人も少なくないのでは。今でも地元の祭には、東京から旧藩主が里帰りして行列の先頭に立ち、沿道から「との!」という声が掛かる、という土地はあちこちにあります。

故郷というアイデンティティ、歴史を背負った政治の責任、大災害後の復興は何を核に据えればよいのか等々、考えさせられる重い問題がここにはあります。東北大地震の復興政策は失敗だった、地元の思いを無視したからだ、という声が強いらしい。原発事故への対応を急いだためもあったかもしれません。しかし失敗と成功の両方の例が蓄積されて行き、単に建造物だけを造ればいいわけではない、郷土の復興には何が必要か、という教訓が北陸に活かされることを期待したいと思います。追憶や愛着のような、目にも見えず、個別性が強くて一般化の難しいものこそ、悲劇の後には重要だからです。

こちらのQRコードから

NHK-TVの番組を視ていて、最近いらっとさせられるのは、屡々司会者が片手を挙げて「詳しくはこちらのQRコードから」と、平然と言う場面です。我が家にはスマホがありません。しかしNHKの受信料は年間前払いで払っています。NHKとの契約は、スマホがあることを前提にしているわけではない。ならスマホのない世帯は割引にするか、詳しい内容も受信機だけで見られるようにしておくのがフェアではないか(実際には見る暇はないだろうけど、当然のように片手を挙げられるとカチンと来る)。生活情報番組などなら、まあいいやと思うのですが、報道や時事解説では許し難い。

私のケータイはすでに修理サービスが打ち切られていて、スマホに乗り換えるかどうか迷ったのですが、遠出をしなくなったので殆ど使う機会がなくなりました。料金はガラケーよりぐんと高くなるため、果たして何が必要か考えてみましたが、せいぜい道案内機能くらいで、エノキさんに訊くとあれは案外使いにくいと言う。ただ公衆電話が少なくなってきた街では、もしもの時(どんな「もしも」があるかはあまり思いつかないのですが)は困るかなあ、と未だに思案中です。

しかし新しい教科書が大量にQRコードを載せていて、デジタル教材へ誘導する傾向が強まっている、という報道を読んで、教育の質が大きく変わりつつあることを認識しました。QRコードから入る副教材は、便利ではあるが教える教師の手作り感はない。或いは部分的に作り変えることが可能なのだろうか?じつは教師にとって、自分の授業の副教材や試験問題を作る過程そのものが、生徒との見えない対話の機会でもあり、スキルを磨くチャンスでもあるのです。早くからプログラミングを学んだ世代なら教師も生徒も、そういう問題点を認知して、乗り越えていけるのかしら。

開花前

東京の桜開花予想は、19日、22日、24日と遅れて行っています。播磨坂へ、買物のついでに花見の下見に行きました。バスを降りて眺めると心なし並木の枝先が桜色にうるんでいるように思いましたが、樹下を歩いてみると蕾の輪郭はくっきりしているものの、当分開きそうにありません。ピンクの雪洞が掛け並べられ、仮設トイレも準備されています。桜まつりには賑わうことでしょう。鳩が2羽、向かい合って梢に止まり、1羽は羽づくろい、もう1羽はそれを見るともなく見ていて、根拠もなく夫婦だなと思いました。

並木道を往復すると、老木の幹から噴き出して1輪だけ、咲いている花がありました。年をとると気が焦る。

青空を背景に、白くなり始めた蕾を幾つか見つけた時、ふと、今年の花を観られる幸せ、という思いが胸に迫りました。余齢を数えるようになって、しかし進行中の仕事では、日々新見がもたらされるほどの交流もあるー充分な晩年ではないか。ゆっくり坂を登ると、道の脇には土佐ミズキやアズマイチゲが咲いていました。

野菜やパンを買いこんで、レジで今日もまた合計金額に目を剥き、荷物を背負って帰りました。風が寒い。開花は早くはならないだろうな、と思いながらバスを降りると、白木蓮が綻び始めていました。着実に春は近づいて来ているようです。

台所で買物の荷をほどきました。主婦にとってこれは楽しみの一つ。クレソンの勢いのよさが、嬉しい。葉も茎もしっかりしていて掌をはじき返してくるようです。株価も高水準のベアも無縁の年金生活者は一層の緊縮モード、いつもなら買ってみる山菜も小さな焼き菓子も買わなかったので、コチの薄造り1皿が本日の贅沢。ツレは熱燗かな。

マドレーヌ

最近のTVには他人の生活を見せて貰うドキュメントが多く、ドラマチックな話が結構あります。制作側が意図して盛り上げているのが分かると興ざめですが、偶然そういう話題に辿り着いた場合には、リアル感が増し、印象がつよい。殊にテレビ東京には「車代を払うから、家の中を見せてくれ」とか、日本在住生活が永い外国人にその理由を問うとか、秘境暮らしの人脈を辿って次々訪問する、といった番組が幾つもあります。

この局は最後発のTV局でした。1964年に開局した時は、科学技術学園高校用の放送が目的で、娯楽番組は0、民放なのにCMはなし。NHKとの合併話が出たり、企業や既発キー局が協力委員会を作って支えたり(1967年。この時から娯楽番組が放送時間の20%許可された)、当初は他局の番組の再放送権を譲って貰ったりしていたのですが、今思うとその後発性が却って、TVというメディアの特性を活かす要因になったかも。

先日は博多港仏蘭西人のカップルをインタビュー、自転車で世界を旅している、知人のシェフから預かったレシピを届けるのが来日の目的だと言う。今どきメールでも郵便でもいいのに何故?と思いながら視るはめになりました。大阪の一流レストランのシェフが受取人で、封書を読む時、客商売の温顔からはっと厳しい職人の眼に変わったのが印象的でした。入っていたのはマドレーヌのレシピと、リヨンの野で自ら摘んだというメリロットの粉末。25歳(仏蘭西では遅め)の新入りが44歳の日本人の先輩と共に修業した12年前、食事も摂れない忙しさの合間につまみ食いしたのが厨房で焼くマドレーヌだった。今は独自の香草を入れて自分の店で作っている、というのです。

メリロットは豆科の野草、毒にも薬にもなる香草です。仏蘭西らしい、粋な話。運び屋のカップルには新婚旅行になったかも。さらにあちこち旅をして帰ったようです。