花のなごり

早歌の研究者外村南都子さん(1935-2021)の追想文集『花のなごり』(アジール・プロダクション 非売品)が届きました。表紙にはお好きだったという水引草が描かれ、南都子さんと交流のあった25人の追悼文が執筆者のあいうえお順に並べられています。古い写真や南都子さんが勤務先の広報誌に書いた短文、略年譜も載っていて、ほどよい重さの1冊。私もこのブログに書いた「先輩の背中」を少し書き直して入れて頂きました。

幼い頃から偉い女性たちに囲まれて、当時では神童と言われても不思議ではない優秀な進学路を辿り、あの頃の女性像としては完璧に理想的なー美人で口数が少なくて、失敗がなく、しかし芯が強いー人でした。同僚、同窓、同業、同好、隣人等々さまざまな視点からの追憶は、その点で一致しています。

職場の話は私は聞いたことがなかったのですが、教え子や後進の若手研究者たちの追想を読み、私の経験を引き比べて、教育者としての南都子さんの姿がありありと見えるような気がしました。最後まで、袋の口を締めない(未来に向かって課題を設定し続ける)姿勢を保ち続けられたこと、研究者の道を歩くとはそういうことです(近年は、自説が「通説」となって袋の口を閉じ、瓶の蓋を締めることを目標とする研究者が多い)。

よけいな係累を作らないという一線を密かに引いておられた南都子さんでしたが、ある時研究会でお会いした時、青紫蘇の白い花の小さな束を渡され、庭に咲いてるの、と言われました。出がけに摘んできた、という感じで未だ雨に濡れているような束で、少々面食らったことがあります。本書を読む内に、何となく意味が納得できた気がしました。

本書に関する問い合わせ先:アジール・プロダクション(電話03-6801-6207)気付 外村大

蕪が安い。というか、蕪だけが安い。最近、野菜が軒並み値上がりする中で、小松菜と蕪は¥100以下で1束買えるので、よく買うようになりました。旬は冬か早春でしょうが、この時季、どこかで沢山作っているのでしょうか。いつも行くスーパーは、時々ある野菜が妙に安値だったり(先週は三つ葉が普段の半値だったので3束も買って、スープ、和え物、煮物、食べ尽くしました)、高騰していたり(変動の激しいのが葱、キャベツ、ブロッコリー、サヤエンドウ)するのですが、ここ半年、蕪は必ず安い。

葉や茎も一緒にざくざく切って、ベーコンと炒めます。味付けは塩胡椒、根を同じ厚みに切り揃える(火の通りが一律になるように)のが結構難しいけど、麦酒にも合う。蕪は味噌と合うので、油揚げの細切りと一緒に薄い味噌味で煮込んだりします。煮物はへんに柔らかく(ぞろぞろに)なるので、元来好きではありませんが、味噌でさっと煮るのは美味しい(勿論、味噌汁もよし)。しかし一番美味しいのは醤油漬です。六つ割りにして瓶に詰め、醤油を差しておくだけ。塩漬は塩加減が難しいが醤油は簡単です。

小松菜はかつてはえぐみがあって、煮物以外は料理法がなく、すぐ飽きてしまっていたのですが、最近の小松菜は癖がなくて、電子レンジにかければ温サラダにできることを発見しました。適当な大きさに切って、しらすと一緒にチンします。酢醤油をかけても、中華ドレッシングをかけてもいい。定番は細切りの油揚げと共にめんつゆで煮て、仕上げに胡麻油を垂らす惣菜ですが、最近の小松菜は柔らかくて、煮るというより、さっと火を通すくらいの方がいい。調理が簡単、短時間であることが我が家のレシピの第一条件なので、小松菜の変貌は有難かった。

今年は山菜も枇杷も、高くて手が出ませんでした。どうか桜桃はそうなりませんように。

争奪戦

バスに乗って伝通院前の花屋まで、花の苗を買いに行きました。先週、わざわざ大塚駅前の花屋に買いに行き、ペチュニャの苗を買う所存で、しかし他に何があるかな、と見回した隙に母娘らしい2人連れが、ごっそりカートに入れている。思わず、それ全部持ってっちゃうんですか、私もバスに乗ってそれを買いに来たんだけど、と言っても取り合ってくれません。仕方なく、全部は酷いと思うなあ、と呟いて歩き出したら、呼び止められ、3株だけ譲ってくれました。

コロナ以来、花苗を入手するのが難しくなったのです。しかしたかだかペチュニャの苗を取り合うなんてー嫌気が差し、もうベランダにプランターを置くのをやめようか、とも思いました。3株では寄せ植えには半端で、つり合う苗が入手できるかどうかも分かりません。しかし今年は花の季節の通り過ぎるのが速い。例年梅雨入りまでは咲くビオラもパンジーも、はや枯れ始めました。

伝通院門前の花屋では、ペチュニャはなく、もう日々草が出ていました。これは梅雨明け頃に買いたい花。しかしそんなことを言っていると買いそびれます。仕方なく日々草6株を買い、売れ残りのコリウス2株、ロベリア2株を買い集めました。寄せ植えには足りませんがもう持てないので諦めて、バスで帰りました。汗びっしょりになりました。

川越某邸の芍薬

花作りするならやっぱり、川越くらいの土地がなくっちゃ、とくよくよしながら帰って、ムスカリとクロッカスの球根を掘り上げ、干すことにしました。

しかし、クロッカスの鉢には表皮が残っているだけで、球根は姿形もありません。ぎょっとしました。1度買った球根で毎年咲かす客が増えたら花屋は困る、1年限りで消える仕掛けがないとは限らない、という疑惑が脳裏を掠めました。まさかね。

信濃便り・庭前薔薇篇

長野の友人から写メールが来ました。同居の妹さんが転んで、当分経過観察になり、彼女が妹さんのご主人と手分けして家事を引き受け、今まで切り盛りしていた主婦の偉大さを改めて認識している毎日らしい。

リンカーン

我が家の紅薔薇は4輪咲きましたが、細かな葉ダニがついて落葉し、丸坊主になってしまいました。思い切って剪定して身軽にしてやるかと考えているところです。

薔薇は平安時代から日本にもあったようで、実を薬用にしたらしい。和漢朗詠集には「首夏」(初夏)の項に、白楽天の詩の一節が載っています。

甕の頭の竹葉は春を経て熟す 階の底の薔薇は夏に入て開く

去年の冬に仕込んだ酒は春を経て熟した、階段の下の薔薇は夏を迎えて開いた(さあ一献吞もうではないか、花を見ながら)。

無名草子の冒頭、83歳の老婆は5月10日過ぎ、仏前の供花を摘みに東山辺りを歩くうち、竹の植え込みや卯花垣などのある、庭の広い古屋敷に迷い入り、若い女性たちに乞われて経を読みます。その後、女性たちの会話に耳を傾けて一夜を過ごします。

前栽むらむらいと多く見ゆれど、まだ咲かぬ夏草の繁みいとむつかしげなる中に、撫子、長春華ばかりぞ、いとこころよげに盛りと見ゆる。軒近き若木の桜なども花盛り思ひやらるる木立をかし。

長春華は四季咲きの薔薇。青草が伸び放題、葉桜の木下闇に撫子や薔薇が混じって咲くのを見ながら、女性たちは物語や歌集の批評を語り合うのでした。

アプリコット

近世初期の奈良絵本には、ときどき八重咲きの薔薇が屋敷の庭先に描かれます。牡丹に似ていますが、葉の形と蕾とが違うので薔薇だと分かります。

人工香料

一昨年あたりから、2ヶ月おきくらいに酷い香害に苦しめられるようになりました。防虫剤のような刺激臭、眼が痛み、涙が止まらず、喉もひりひりします。うつむいて本を読んだり、夜になって窓を閉めると息苦しくなることさえあります(脱臭剤を枕元に置いて寝た晩もありました)。数日経つと徐々に消えていきます。最初は冷蔵庫のガスが漏れているのかと思ってメーカーに電話して訊いたら、可燃性ではあるが無臭、とのことだったので可能性は消えました。東京ガスは、人間の鼻で分かる前に防災センサーが感知する、との返事。いろいろ調べて、どうやら水回りの排水口から臭気が上がってくるようだと分かりました。大量に流した家があるらしい。

マンションの管理会社に注意喚起の貼り紙を出してくれ、と言ったのですが消極的。どうやら私の気のせい、もしくは過敏症だと思われているらしい。数日間ずっと目の痛みに苦しんでいるのに、腹立たしい。

調べると、芳香剤や柔軟剤の香害は10年くらい前から増えていて、中でも柔軟剤の被害が多いようです。殊に効果が持続すると謳っているものは、微細なプラスチックのカプセルに香気を閉じ込めて空中を漂流させるので、大気汚染にも繋がり、肺にも悪いのだとか。SDGsはまず自分たちの身の回りから注意を向けるべきでしょう。

そもそも近年流行の、人工的に合成した香気をいい香りとは思えないのです。キッチュな、どころか安っぽい。甘ったるい、いかにも化学製品を思わせる香り、しかも濃すぎる。香りはあるかないかにほのかなところがよいので、柔軟剤や洗剤にこんなにしつこく、なくてはならないものなのでしょうか。家事達成のしるしなら、お日様の匂いか、清冽な水の匂いだと思うのですが。とにかくこの刺激臭、何とかしてくれ!

働き方改革

教員の働き方改革案が報道で紹介されています。しかし首をかしげることばかり・・・審議会もあるようですが現場を知らない委員たちなのでは。11時間インターバル制とか、自宅へ仕事を持ち帰るなとか、当事者を却って困らせるような提案が目立ちます。そもそも小・中・高校ではそれぞれ事情が違う。一律に決めてもやりにくい。

11時間インターバル制は計算すると、残業時間80時間を越えてしまうのだそうです。そうでなくとも11時間では通勤時間や、食事・睡眠といった生存に必要な時間も不足している。教員は、学校にいる間は休憩時間といえども休憩はできません。生徒が来れば応対するし、休み時間を狙って父兄からの電話は掛かる。では学校滞在時間を制限すればいいのか。私が教員をしていたときに思ったのは、キャレルでいいから採点や教材に独り向き合える空間が欲しい、ということでした。職員室は大部屋、生徒は出入り自由の学校すらあります。生徒の提出物や答案に朱筆を入れる作業にも、ざわざわと人の出入りする場所しかないのでやむなく自宅へ持ち帰る、ということが当たり前になっていました(それは大学教員になって個室を貰っても同じ、学生が絶えずやって来る)。

時間外手当を一律支給する制度はたしか、私が高校教諭になった頃始まったのでした。それまではただ働きだったので、ちょっと嬉しかった記憶があります。今は評判がわるいようですが、しかし、医師と教員は時間外手当という制度にはもともとなじまないのではないでしょうか。教師になる時、24時間勤務だよ、いいね、と念を押されたような記憶があります。上司からだったか指導教授からだったか。

要は、教師以外がやるべき仕事を担う人員を確保することです、保護者に頼むのでなく。今は用務員、学務補助員と呼ばれたスタッフがいない学校が多いのではないかしら。

落とし物

落とし物が増えている、というニュース。NHKは、小さい携帯品が多くなったので、持ち歩く物品の数が増え、落としたり置き忘れたりするのでは、という分析をしていました。イヤホーン、携帯用の充電器、ミニ扇風機など。

落とし物と言えば傘が定番。私も覚えがあります。母方の叔母が傘寿に、娘たちに携帯用の傘を配り、私にも同じものを呉れました。娘たちはお洒落な姉妹なので、傘も仏蘭西製、柄は細い金属でくるりと曲がっている、洒落たデザインでした。通勤に初めて持って出た朝、満員電車を降りたら無くなっていました。柄が誰かの何かに引っ掛かって、持って行かれてしまったらしい。遺失物届を出しましたが戻っては来ませんでした。

その後、比較的近年のことですが、区内を回るコインバスに乗って六義園に出かけ、窓際に懸けた赤い傘を忘れました。ところが帰りに乗ったバスの窓際にちゃんと、赤い傘!区内を何周かしていたようです。友人と顔を見合わせて笑いました。古い小さな傘だったのがよかったかもしれません。今も近所の買物などに持って出ます。

報道によれば動物の落とし物が多くて、警察でも手を焼いているという。猫や犬、モモンガ(!)も。TV画面で視ると老犬老猫が多いように見え、落としたり忘れたりしたのではなく、捨てたのでは?と疑いたくなってしまいます。悄然としている当の動物たちが哀れでした。ペットブームと言われますが、ペットは独力では生きていけないのだから、むやみに増やすな、と思います。品薄なくらいでちょうどいいのでは。

スーパーから帰ってきて、袋詰めの棚に苺を忘れたことに気づきました。一瞬、呆けが始まったか、とぎくっとしましたが、この日は潰してはいけない物が2つあったので、最後に袋に入れる心算で苺の方を忘れたのでした。あれを買いに行ったのに。