「生きる」ということ
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親の目を見て子供は育つ

そう思う。

唐突ですが、タイトル通りです。「親の背を見て子供が育つ」のではなく「親の目を見て子供は育つ」そう思う。

ウソや戸惑い、自信、愛。それらはすべて目に表れる。俺が親の目から教わった一番大きなモノ。それは忘れもしない、俺が高校3年の2月のことだった。

その前年の夏からガンとの闘病生活を送っていた父は、冬には脳にガンが転移し、少しづつ壊れていった。ろれつも回らなくなり、目の焦点もろくに合わず、箸も持てず、自分の体を律することすらできない。俺の受験のことも認識できているか微妙な感じだった。そんな中、俺は俺で大学受験を控えて、その1月もセンター試験に挑戦していた。今在籍している慶應大学の法学部はセンター試験を使ったA方式に懸けていて、センター試験はまさに大勝負だった。俺はその大勝負に負けた。唯一の武器である英語でコケ、他の科目もボロボロ。奇跡を信じる気持ちなんてカケラも無かった。1月半ばのセンター試験にこけた俺は、それ以来勉強ができなかった。本当に1分もできなかった。

でも時間はちゃんと一日24時間を消費して翌日が毎日やってくる。そうこうしている間にも滑り止めの大学の受験は迫っていた。そんな2月のアタマのことだった。とうとう調子が最悪になってきた父は、無理を言って在宅療養をしていたものの強制入院となった。病院に向かう父はろくに歩くことなどできない。その背中に昔のような強さは感じられなかった。これが最後の父の家で過ごす時間となったことを考えるとどれだけ重篤な状態だったかがわかる。

でも父が病院へ向かう車に乗ったそのときにその「目」を見た。以前の力強い父を象徴するような強い視線で俺を睨み付け、ただ一言「まー(俺の呼び名)、負けるな」そう言って、父は病院へと向かった。病気をする前の父の力強い、でも優しい口調だった。普段は焦点を合わせることすら危うい、俺の受験のことなんて考えられないと思っていた、死に瀕した父に俺は逆境を乗り越える力をもらった。生きる力をもらった。

結局そこからの挽回で、諦めていたB方式で奇跡的に合格することができた。父は、大学合格を聞いた2日後に息を引き取った。最初で最後の親孝行だと、自分で言うものの、それは親の力だという皮肉。

大学生活、司法試験受験、就職活動、日々試練に直面した時にいつも「あの目」が俺を見てる。「負けるな」あのときの声が聞こえてくる。それはこの先も一生変わらない。俺は何にも負けない。

牛と羊と馬鹿からできたもの

乳牛は自分の乳が人の生きる糧となっていることなんて実感するわけがない。ただ、ひたすらにエサを食べ、搾乳される生活を繰り返して、狭い牛舎の中でその一生を終える。食用の羊は放牧された草原で自分の食欲を満たして、牧羊犬に追われてストレスを感じて、放牧先の急斜面では「死にたくない」と足を滑らせないように必死に耐えて。でもその日がくれば人間の手によってあっさり殺され、人の口に運ばれる。彼らの生きている意味は何か?ただ自分が生きるため彼らは草を食べ、生きるために本能のまま行動する。人の生命を支えるという大きな役割の一部を彼らは負っている。でもその実感など味わうこともない。自分の存在意義・生きている意義を見出せない人生なんて、そして誰かに貢献しているという実感がなければ悲しすぎる。それは人間だって同じ。

自分はこれから先、一社会人として、一人の人間として何を自分の存在意義として感じていくことができるだろうか。自分の夢を叶える手段としての仕事で、誰の笑顔や幸せに、どのように貢献できるだろうか。馬鹿な俺には今はただ悩むことしかできない。

卒業旅行った日々

2月アタマから3週間ほど中学からの親友とヨーロッパ周遊の卒業旅行に行ってきた。

さて、どうやって写真をアップしたらいいものか。。。とりあえず、3週間も日本の生活から離れていたのは久々だったので、携帯を使うのも、流れの速い生活についていくのも面倒でたまらない。ので、ゆっくりアップしてみます☆

3週間の日々はとても有意義だった。ベルギー・フランス・イタリア・ギリシャって周ってきたんだけど、毎日毎日が充実しきっていたと言い切れる。メトロもあまり使わずに足を使って国の、町の空気や景色を味わいながら、そして飛行機ではなく列車移動をメインにすることで考える時間が生まれて、日本を離れているからこその自分との対話ができたり。確かに、3週間も男二人で歩き続け、相棒以外とは日本語を使えない日々は疲れた。でもその環境だからこそ考え至ったこと、感じられたことがあったし、それは日本に帰ってきた今も、旅行に行く前とはうって変わって自分の中にあり続けている。

卒業旅行はあらゆる意味で自分の深い思い出となったし、行って良かったって心から思う。


一冊の手帳で夢は必ずかなう

ホント今更って感じだけど、この本読みました。最近はブログの更新と同時に読書まで怠けてしまっていたので、昨日の本の一括購入を機会に溜まっている本も読んでしまおうと決意して、まずは記憶が無いほど前に買ったこの本から始めました。

本の内容、形式ともにとても読みやすく、押し付けも傲慢さも微塵も感じられない。読み終わった後はとても清々しく、力みなぎるような本だった。

昨日のブログで本という既成の、大衆向けの情報を通してこういうことを認識するのではなくて、自分で発見できるようにもっと動くべきだと反省と言ったけど、それに関する答えというか、道しるべを得ることができた。単純なことだけど、俺は夢も、それを導くプランも、そのための日常的な努力目標も曖昧なまま来ていて、そのせいで自分の夢につながるアンテナの感度が弱まっていたんだろうって思った。

著者である熊谷さんが述べる通りに、自分の夢や、ビジョンを明確にして、日常的にそれを意識して生活することで、無意識的にそれらに関する情報を取捨選択して集められるようなレベルまで潜在的な意志として持たなければその実現はあり得ない!って強く想いました。

いや~読んで良かった。俺の生活をガラリと変える決心をさせるくらい力のある素晴らしい本でした。

読書=自己投資ってか。

さぼりすぎだな。

既に1月も半ばを過ぎましたが、あけましておめでとうございます。2005年初ブログです★一度さぼると「何か大きなこと書かなきゃ」ってなっちゃううんだよね~。って久々に更新する今日も、大したこと書きません。。。

雑記ということで♪

今日は2005年初&学生最後の授業へ行ってきた。卒業のために必要な単位は4単位、申請単位も4単位ってことでこの授業だけは落とせない。最後の授業も積極的に参加。なんてことはなくこの本を読みふける!!こんなにおもしろい本があったなんて(;´Д`)って衝撃。広告業界に進む者として、そして公共広告や広告を通して世界を変えたいと思っている自分にとって、世界の公共広告のインパクトの強さ、伝えたいメッセージを単純にしかし明確に伝える力というものを知ることはホントに刺激的だった。本という既成の、大衆向けの情報を通してこういうことを認識するのではなくて、自分で発見できるようにもっと動くべきだと反省。。。とにかくおもしろかった☆

帰りにPENのバックナンバーを探しに渋谷のブックファーストに。目当てのバックナンバーを買うことはできなかったけど、こんな本こんな本、今更ながらこの本を買ってみた。やっぱり、少しでも自分のアンテナにかかった本は実際に買って読んでみるべきだと思う。それで何か「気づき」を得るだろうし、失敗から学ぶこともできるだろうし。否定的に考えるばかりで動かないで終わることが進化をもたらさないのと同様に「自己投資」しなければ「今の自分」から何も進化はないと思う。そういう意味で、本の購入は手ごろで現実的な自己投資ではないか。今日の俺のように手持ちの金がなくて彼女に金を借りてでもすぐに買うのは・・・格好悪いけど(笑)←もう返しました♪w

家に帰ってきてからは気になっていた本をアマゾンで一括購入☆こんな本こんな本、そしてこんな本を買いました♪

前に人の歴史については触れたけど、広告人として時代の一歩先を読んで動きたいと切に願う自分としては、最近特に自分の国の過去・歴史を知らなければな、と思う。文化がいかに発展・進化するとしても、過去が現在を、そして現在が未来を作るという構造にに変わりはないのではないか。というわけで、日本史が全く不出来だった高校時代を忘れて、歴史の勉強を今再び力を入れたいと思います。それが、国際人として当然のことだと思うし。

そして、最後に紹介した本をなぜ気になったかといえば「宗教がある限り世界平和は難しい」と考える自分にとって、共感できそうな、そして確信をもてそうな内容だったから。明後日あたりには届くだろうから、とっとと読んで勉強します!!

今テレビではNIKEのCMがやってたから触れると「いつか遊びがものをいう」ってキャッチコピーってまさにそうだよね!遊びの精神が何にでも大事じゃないかな?人生楽しまないとね♪

チャオ☆

真理は瀕死の人の唇からもれる

今日は少しセンチメンタルな俺です☆

マシュー・アーノルドの次のような言葉がある。

真理は瀕死の人の唇からもれる

まさにその通りではないか、とまた一つ共感する格言に出会いました。

この格言とも関係するんだけど、今日9時からフジテレビで放映されたサイエンスミシテリーで取り上げられたカナダ人のアシュリーという少女のドキュメンタリーを見て泣きました。。。彼女はプロジェリアというDNAの先天性異常で通常の8~10倍の速さで老化していく病にかかっている。彼女は現在13歳、そしてプロジェリア患者の平均寿命もまた13歳だという。以前にも少し見たことがあったんだけど、今日はその続編。アシュリーにはジョンという好きなボーイフレンドがいて、彼もまたプロジェリアだった。ジョンはアシュリーの3歳年上で、前回の放送を見たときも趣味のドラムを生き生きと演奏し、アシュリーとも仲良しだった。お互いに心の拠り所としている印象を受けた。しかし、今回の放送で明らかになったのはジョンの死。享年16歳。彼の生前のインタビューを見て一度泣いた。彼は自身がプロジェリアであることをどう思うか?と聞かれた延長でこう言った。

「人生はどう生きるかなんだ。長さは重要じゃない」と。

短命であることを運命づけられた人間の負け惜しみや、強がりではない。自分の人生と、死と切実に向き合っているからこそ言える言葉だし、あれほどまでに説得力を持って言えるんだと思う。寿命があるのは誰だって一緒。勝手に80年とか生きるつもりであって、実は明日死ぬ運命なのかも知れない。でも彼のような考えは持ってない人がほとんどだろう。それはマシューの言葉を借りれば「瀕死」ではないから、すなわち死を切実に捉えてないからではないか。自分の死を、俺らのように曖昧に感じながら生きるのではなくて、今すぐにでも死ぬかもしれないと考えながら生きるのはどれだけ勇気が必要だろう。その状況でも心を折らずに生きようとすることができるだろうか。自分の運命を受け入れた上でジョンのように言えるだろうか。

また、アシュリーはこんなことをインタビューで話した。

「自分は死ぬ覚悟ができている」と。

彼女もまた強い目でその言葉を口にした。今の自分に明日死ぬ覚悟ができるだろうか。それだけ充実した日々を、一瞬を送っているだろうか。彼女はインタビューで「死ぬまでにしたいことはあるか?」と聞かれこう答えた。

「死ぬまでにしたいことはない。ただ、私が愛していることを家族に伝えたい」

自分自身が死にゆく中で、なぜ家族に愛していることを伝えることが重要なのか。俺には正直わからない。自分がいなくなった後には与えられない一生分の愛を遺したいのかもしれない。自分の思い出を家族に遺すためかも知れない。でも俺が両親との死別の中で感じたこと、それは死者から最期に与えられた愛は残された者が死者の死後も強く生きる力になる、ということ。死者が家族に愛を与えることを目指そうとするのは自分のためではなく、残される者を救うためなのかも知れない。

真理は瀕死の人の唇からもれる

自分の人生を歩むことができなくなった時に初めて気づくのでは悲しすぎる。今、元気に生きていられる今この瞬間から「死」そして、その表裏一体にある「生」と真正面から向き合い、深く考えることで、死に瀕さなくても真理はつかむことができるのではないか?

ルソー!それそれ!

ルソーの次のような言葉を昨日知った。

私達はいわば二回この世に生まれる。
一回目は存在するために、二回目は生きるために


この言葉をふとしたことから知ることとなって、ホントに衝撃を受けた。

しつこいようだけど、俺の今の目標は「生きる」こと。心臓が動いて、自発的に呼吸して、瞳孔反応があって・・・ってそういう生きるってことじゃなくて「生き生きとする」って方ね!話すとまた長くなるのでそう言います☆

で、俺の生年月日として伝える日付は俺がこの世に存在するために生まれた日であれば、両親を亡くして「生きるんだ!」って決意した日付が、俺の生きるために生まれた日だって思う。前者が存在記念日で、後者こそがむしろ真の生年月日ではないだろうか。「生きる」と決意したときから「俺は生まれ変わったんだ」って認識してたから、このルソーの言葉を知ったときに腑に落ちた。納得した。実感した。俺の気持ちをうまく言い表してくれたと思った。そういう意味で衝撃的だったの♪

俺はこの言葉を俺の大事な人全員に伝えたいし、実感してほしい。存在記念日ではなくて、いつが真の生年月日なのかということを実感して生きてほしいから。

言霊を信じるか?

あなたは言霊を信じますか?

俺は信じます。どんな宗教も、神の存在も、霊の存在すら信じない俺ですが、言霊の存在だけは妙に信じています。俺の中での「言霊」っていうのは、口から発せられた言葉には力(魂)があって、その力ゆえに発せられたいかなる言葉も現実化するっていう認識なんだけど、それでいいのかな・・・。

言葉には絶対に力がある、そう考える。魂があるとまでは言えないけど、実現する力があるって思う。プラスの意味でもマイナスの意味でも。「俺なんてダメだ」そう言ったらそうなる。「俺は絶対成功する」そう言えばそうなる。極端に言ってしまうと、俺はそう思う。

俺の友達でおもしろい奴がいて、ある日「ちょっと調子悪くてさ~、絶対風邪なんだよね」って言うから「熱計ってみたら?」って聞いたらこう言った。「やだ、熱があるの確認したら風邪って自覚しちゃう」と。『病は気から』とは言うけれど、この世の中も『気』から出来ていると思う。プラスの『気』なのか、マイナスの『気』なのか、どちらか。そして、それら『気』を創り上げているものの一つの要素は『言葉=言霊』だと思う。

すなわち、言葉に魂があるというわけではないけれど、その発せられた言葉が自分にとってプラスの意味であれば発言に伴い「覚悟」をすることと同義であり、マイナスの意味であれば「悪い暗示」に転換すると考えてる。その結果、プラスかマイナスの自分の人生全体を支配する『気』を創ってしまう。

自分の境遇や現状、周囲に対する不平不満、愚痴ばかり並べる人がいる。どんなにプラスの言葉をかけても、マイナスの言葉で打ち消し、よりマイナス方向に突き進む。その人は一生その言葉から生じる暗示から抜け出せないと思う。もちろん、その不平不満をイイ方向に転換させようというエネルギーを持ってその言葉を発していれば特許をとりまくる人の様になるんだろうけど(笑)でもネガティブな発言ばかりしている人間に魅力は感じない。

プロのスポーツ選手や競技選手はイメージトレーニングを大変重要視している。言葉も同じことが言えるのではないか?自分にとってマイナスのことをいつも言って自分に悪い暗示をかける生活の中から成功につながる光を見出すのは難しいと思う。むしろ自分にとってプラスの言葉を多用することで、ポジティブな思考からチャンスを逃さない目とか行動力というものが生まれるのではないか。そう思う。

以前ポジティブシンキングの勧めをブログで書いたが、その延長にこの想いがあると思ってください。ポジティブな思考と、前向きな言葉♪

自分への愛より深い愛情って

今日は久々に「ラブストーリー」という韓国映画を観てみた。以前「僕の彼女を紹介します」という映画について触れたときにも出したクァク・ジェヨン監督の作品です。内容としては、家柄や戦争といった障害によって結ばれなかった愛する者同士だったが、それぞれがそれぞれの結婚生活で子供を授かり、その子供同士が世代を越えてやっと結ばれるという話。簡単に言えばこんな映画なんだけど、過程があまりに悲しくて&クライマックスがあまりに嬉しくて泣けた泣けた。

これを観ていて、ふと父が亡くなったときの母の想いを考えた。俺は、父が亡くなった時に初めて母が「女性」なんだな、というと語弊があるかも知れないけれど、弱いところがあるんだな、と初めて思ったのを覚えている。母はとても強い人だった。精神的にも物理的にも(笑)ホントに肝の据わった、男以上に強い女性だった。そんな母が、父の死を迎えたときだけは本当に弱りきっていた。死んでしまうんではないかって心配するくらいの憔悴っぷりだったし、そんな姿を見たことのない俺にとってはショックな姿だった。俺にとって、父親は生まれた時から「父親」であり、俺の知っている父親の歴史は18年間しかない。もちろん、父と息子としてとても濃い時間を過ごしたし、父が大好きだったから父の死はもちろん俺にとっても大きな悲しみだった。俺にとって父の死は唯一無二の「父親」の死だけど、極端な言い方をすれば「父親という役割の人」の死といえる。「父の死」それ自体だけでなく、生まれてから18年間の父親と息子としての歴史が思い出されることで悲しみが増えるのだとしたら、母にとって父は「父親」「夫」「彼氏」「同僚」というおよそ25年間の歴史を共有しているのだから、その悲しみはやはりレベルが違う。いや、共有した時間が長いと言うか、それだけの時間をかけて愛した誰かを亡くした悲しみは計り知れないな、と今更ながら感じた。

俺のもう一つ大好きな映画「グッドウィルハンティング」の中でもロビン・ウィリアムスがマット・デイモンに語る場面がある。ロビンは奥さんを亡くしていて、その奥さんの癖は寝ながらオナラをすることだった。それもオナラをした本人が飛び起きるほどの(笑)ロビンはこう言った「小さな思い出が今では一番懐かしい」「自分だけが知っている癖、それが一番愛おしい」と。この言葉も好きだな「自分への愛より深い愛情で愛した誰かを失う悲しみ」まさにウチの両親はその言葉が当てはまると思う。だから、たった3年の差で逝った今は両親にとって良いことだったんじゃないかな。自分への愛より深い愛情で誰かを愛することって簡単じゃないよね。死んでも守りたいもの、たくさん持つものじゃないかも知れないけど、やっぱり持ちたいものだよね。

今回は夫婦の歴史ってことで書いてみたんだけど「人に歴史あり」とは言うが、人を評価したり、批判したり、好きになったり、嫌いになったり、それもやはりその対象の人の歴史を知らなければ本当はできないことだと思う。確かに、人に対する印象は直感的に出来上がってしまうけれども、その人の過去が現在の「彼・彼女」を創り上げているのだから、その人の過去を知りもしないでその人のことをジャッジするのは間違ったことなんだろうな。

マジまとまりの無い文章書いちゃってすみません。もっと本読みます。

六本木で焼肉☆

築地(一つ前のブログ参照)から「ぐはぁ~、苦しい~」なんて家に帰ってきて、べちゃくちゃ喋ったり、ウィニングイレブン8でマジバトルしながら夜を迎え、

「晩飯何食う?」「焼肉」

ってことで、前に俺の誕生日に彼女と行った史上最高にウマイ焼肉屋を目指して、いざ六本木へ!激しく渋滞する金曜日の六本木通りに路駐して、颯爽と目標の愛しき焼肉屋『R』へと向かう。

「ギ~」(店の入り口開ける音ねw)

「すみません、二人なんですけど・・」

「今日予約でいっぱいなんすよ」

終了

金曜日の六本木をナメてた静岡人2人は路駐した車を心配しながらもテクテク10分ほど歩き、西麻布交差点のすぐ近くにある「十々」へ。

「ギ~」

「いらっしゃいませ、ご予約は?」

「してないです」

「1時間ほどお待ちいただ・・」

終了

完全に、完っ全に金曜日の六本木&六本木焼肉屋戦争をナメておった・・。すでに脳内100%焼肉モードになってた俺らは、これまた西麻布交差点近くのトラジへ最期の力を振り絞って向かった・・・

「ギ~」

「いらっしゃいませ、2名様?うーん・・」

ここもダメか、そう覚悟を決めたそのトキ

「すぐご案内します」

トラジが神に見えた(笑)あんた神や!!神に評価なんて恐れ多いが・・

★★★☆☆

神と言っておきながら3つ星であることはツッコミ厳禁♪

もう9時近かったので品切れの肉も多くて、上フィレ(いわゆる上ロース)すら無い。いただけね~な、トラジさんよ。でもメニューには載ってなかった(と思う)特選ロースとかいう肉を紹介してくれたからそれを試してみた。結局頼んだのは特選ロース×2、上タン塩×2、とんトロ×2、にんにく焼き×2、石焼ビビンバ、ユッケビビンバ、レバ刺し、以上。

特選ロースは特選なだけに柔らかくて実に「まいうー」でした。値段は見なかったけど、たぶん3000円だと思うんだけど、それで肉5枚くらいかな?うーん、あんまりイケてないな。値段に見合った味&量という点で『R』には勝てず。タンは、薄切りよりちょっと厚めで、見た目はたいしたことないけど食べると結構ウマイ!友達と思わず顔見合わせて「意外とやるね!」なんつってました。ご飯系は俺がユッケビビンバだったんだけど、量が少ない。5秒で食べ終わる・・・うん、言いすぎた☆とんトロはいたって普通。レバ刺しは1センチ角くらいでカットしてあって、すでにゴマ油&塩で味付けしてあって、これはウマかった。これはマジで5秒で食べ終わる(笑)にんにく焼き二つはね~、問題ありあり!次の日超臭い。。。

ってことで、当たりは特選ロース・レバ刺しって感じ。この二つで★が一つ増えたくらい♪でもって料金は男二人で18,000円。肉の満足度と料金で比べると、ちょっと不満かな。

金曜日の六本木の人ごみへの苛立ち、焼肉屋が埋まっていた悲しみ、そして少しの、いや、かなりのにんにく臭さを残して俺らは六本木を去った。


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