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Mar 15 2024

少し長い休みを取った。それ自体はさほど重要な事ではないのだけども、その期間の間に見聞きしたことの一つに「真実を布教する人間ほど危ないものはない」という文言があって、確かにそうだと感じた。

一方で、他人に何かを教えたり報告したりすることと、何かを布教することの間には一応違いがありそうで、でも地続きであるようにも感じられる。その差は何だろうと考えるに、個人の感情や正義を抜きで語れるか、というのがあるかもしれないと思った。

自分が、何かを自信をもって正しいと主張する、それをもって他人を説得しようとする。その主張に根拠があろうがなかろうが、それは布教なのだろうなあと感じる。自分が好きか嫌いかに関わらず、あることが起きていてそれを私情を交えず報告する、そこから他人が何かを感じ取る、それは布教ではないように思える。もちろん、これでもまだ厳密に分離できたわけではないけれど、少し差が見えやすくなった気がする。

何かを断定し、それを大きな声で叫ぶこと、それは布教であって、とても邪悪なものに思える。当然、単なる自分の主観なので、邪悪だ!と決めつけて叫ぶつもりはないけれど、自分の考える邪悪からは距離を取りたいとは思う。


Feb 6 2024

唐突に思いついたので走り書く。アカデミックにおいて若手を重用するようになって久しいが、これが若手自身の幅を広げる機会を奪っており、結果として若手自身のミドルキャリアに深刻な影響を与えているのではないか。

若いうちに成果を上げることで早く安定した職につこうとする動きがあるが、そのためには一つの専門に集中して活動することが有利になる。20代、30代前半をそうして集中することである程度の成果をあげることができたとしても、仮に30代後半や40代になったときにその専門が陳腐化した場合、その人物は他に転向しようにも難しい状態になり、ミドルキャリアの危機が訪れる。少なくともこうした例を、自分は2例ほど知っている。

もちろん、陳腐化する前に安定した職につければそこからじっくり幅を広げることもできるし、20代30代前半に将来性のある分野にいた場合はそのまま40代に突入しても問題ない。ただ、安定した職につけるかどうかは運によるところが大きいし、何よりある程度成熟した分野の方が成果を上げやすい傾向もあると思われるので、早いうちに成功できる人のうちそれなりの割合は枯れた分野にいるように感じている。

こうなると、何をやっても成果を上げられる天才以外の取れるストラテジーというのは、実は若いうちにはさほど芽を出さずに幅を広げながらぎりぎり落ちないところを歩んで、なんとか40代まで生き延びながら広げた幅で食いつなぐ、可能であれば逆転するということになるのかもしれない。


Feb 3 2024

前々から、新しく出来たらしいブログサービスの「しずかなインターネット」が気になっていたのだが、先程ようやく試す気になって試してみた。試してみて、自分がこのtumblrでやっていることとあまりにもコンセプトが似ているので驚いた。一瞬引っ越しも考えたが、ここはデザイン等自分がそれなりに手を入れて作ったものであるのと、過去ログが惜しいので、すぐには移らない気がする。


Jan 28 2024

最近、自分が通っているオンライン大学院に通っている人のツイート(ポスト)を見かけた。これ自体は大して珍しくも無いのだけども、講義内容が難しく歯が立たないというときに「やはりトップレベル大学院のコンピュータサイエンス専攻だから…」というようなことが繰り返し書かれていて、違和感を覚えた。

確かに大学名はいわゆるトップ大学ではあるし、講義のレベルが低いとも思わない。ただ、内容が難しいかどうかはどちらかというと個人の資質によるところも大きい。見ていると、ツイートした人のバックグラウンドは文系のようで、他のツイートを見るにコンピュータサイエンスの基礎知識がかなり不足気味な印象も受けた。

こうした、「単に自分にとって難度の高いものを、大学のレベルが高いからだとする」ような、個人の印象を何らかの外部要因にすり替える心の動きは誰にでもあるのだけれど、それをしてしまいがちな人とそうでない人がいるようにも思える。もちろん、自分もAI驚き屋のような真似を1年くらいやったので他人事ではない。ただ、自分の場合は驚くたびにいつもどこかで「これは自分にとって新鮮だから驚きなのか、専門家や分野にとっても驚きなのか」を常に気にしていて、専門家の発言はチェックするようにしていた。

この心の動きに自分が少し引っかかるのは、外部要因へのすり替えに無自覚すぎると、自分の能力を正しく把握できない気がしているからだ。つまり、他人と比べて自分の知識が足りない、または能力的に劣っている、という状況を覆い隠してしまう危険がある。当然、なんでも自分の側に問題があると思う必要はないが、まずは自分が何か足りないのか、それとも大多数にとってもやはり難しいものなのか、はよく考えてから状況に向かいたい。


Jan 13 2024

最近、またいろいろなことについて考えている。ちょうどChatGPTが出てから1年少しが経ち、自分がAIについて真剣に学び考えるようになってからは10か月が経った。この間に起こったことを振り返れば振り返るほど、おそらく向こう5年から10年の間に自分は失職するのだろうな、という感覚が強まってくる。2024年になったので、4年から8年の間としてもいい。

大学教員という、権威と安定と知的活動の代名詞のような職種についているが、そのどれもAIからすれば取るに足らない。知性はやがてAIの方が上回るし、AIは権威など気にせず活動する。そして安定ほど今の情勢にほど遠い言葉はない。速く進化するものが勝つのだ。そして人間の進化速度はAIには勝てない。さらにはロボティクスの進歩もAIに引っ張られるようにして加速しつつある。

個人的には権威も安定もくそくらえで、できるなら職務を変えずに肩書だけ返上したいとすら日々思っているので、AIがやってきて何もかも破壊するのは大変気分が良い。知的活動についても、「自分より圧倒的に知的な人間はいくらでもいるのだから、自分など取って代わられて当然だろう、自分のやっている研究活動など、自分がやらなければ誰かがやるだろう、むしろそうでなければ困る」と前々から思っているので、AIが自分を越えていくことによるアイデンティティクライシスのようなものもない。むしろAIは指示をしないとやってくれないし、今のところはまだそこまでは賢くないので、自分がまだ手伝わないとならないのが面倒なくらいだ。

実は、知的活動に対するこの考え方を以前非難されたことがあるのだが、ここに来て唐突に状況への適応に役に立っているので人生何があるかわからない。コロナ禍の時も思ったが、ある人間のもつ生存に有利な要素・不利な要素なぞ世界の変化で簡単にひっくり返るものだ。


Aug 6 2023

自分はブログやSNSなど、インターネット上ではほとんど発言しない(こういう、他人がほぼ見ないような場所ですら、多くても日に数回が限界な)のだけども、朝から晩まで精力的に発言している人を見ると、バイタリティに感心するとともに「インターネットの外の世界ではヒマなのかな…」とつい思ってしまう。現実世界で忙しくして、疲れた分の気力を回復するために一人で何かにちょっと没頭すると、SNSなどでコミュニケーションをとる時間はあっという間に無くなってしまう。

もちろん、ExtravertとIntrovertの違いがあるのは理解しているし、自分がIntrovertなので疲れた時に一人になりたい(=Extravertであったらここで人を求めてSNSに向かう)のは分かっているのだけども、やはり感覚としては分からない気持ちが先に来てしまう。もし人類を二分する必要があるならば、それは老若や男女や居住地や貧富やその他のいかなる指標でもなく、ExtravertかIntrovertであるように感じてしまう。それほど自分にとっては感覚的に受け入れられない差である。


Jul 25 2023

AIとその応用について計算機科学外の分野の立場から考えるときに、その(外の分野での)AIの具体的な成功例が論文としてトップジャーナルに出てきて初めて「ああ、今はこのAIアルゴリズムがすごいのだな」と理解するようだと遅すぎるのではないか。そのアルゴリズムが計算機科学界隈でもてはやされてから、少なくとも数年のディレイがありそうに思える。これが徐々に短くなりつつあるのがここ1年か、半年かもしれない。


May 30 2023

一つ前の投稿にある思考の硬直化のアイデアと、自分の中のAIの進展への関心とが合わさって、ふと「AIは前からやってきて、後ろを向いている奴を頭からがぶりといくのだ」なる奇妙なフレーズが浮かんだ。
思考の硬直化には過去へのこだわりが大体関係しているように感じるので、「昔の価値観・基準・出来事に気を取られている、要は後ろを向いている状態だと、前=未来から来たAIにやられてしまう」というようなニュアンスを含んでいるように思う。それと同時に、昔の価値観への執着は往々にして現在への批判(ネガティブ・後ろ向きな態度)を生みがちなこと、それに対してAIが常に丁寧な物腰で概ね前向きな態度である点とが対照的なところから、「後ろ向きな態度の人間はAIに取って代わられる」というような解釈もあるかもしれない。
いずれにせよ、後ろを向いている暇がないことは事実なので、前から来るものを冷静に受け止められるよう努めたい。


May 30 2023

最近、非常に久しぶりにある人と会うことになったのだが、その人から受けた率直な印象と、昨年から少し問題を感じている職場の出来事が重なって見えている。端的に言ってしまえば、ある事柄へのこだわりとそれに伴う思考の硬直化なのだけども、かくいう自分も知らないうちにそういう面を持っている可能性は十分あるので、「自分が今思ったそれは本当に絶対なのか?硬直化していないか?」と常に自問自答していたい。


May 8 2023

一つ前の投稿のゴールとプロセスについて、ゴールは他人による評価が入る相対基準、プロセスは自分の中だけで完結する絶対基準のようなものだという印象を持ったのでそれも書いておく。他人からの評価を目標にしてしまうと評価が状況に左右され結果としてうまくいかないので、自分がやればやるだけ到達できるものを目標にするのは理に適っている。


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