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[22452] 【本編更新!】 Salvation-12 【現実→異世界(ファンタジー)・多重クロス・オリジナル主人公】
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:d452869e
Date: 2011/11/26 09:11
 はじめまして、ニーサンと申します。
 色々なトリップ物SSや多重物のクロスオーバーSSを読んでいるうちに、自分でも書きたくなりました。小説を書くのはずいぶんと久しぶりですが、なんとか続けて頑張っていきたいと思います。

 内容は、以下のようなものになる予定です。
 ・現実に生きていたオリジナル・キャラクターが、剣と魔法のファンタジー世界へ移動する転生・トリップ物。
 ・メインのオリジナル・キャラクターは12人の予定。
 ・オリジナル・キャラクターは漫画や小説、アニメやゲームに登場する能力や技能を一つだけ与えられている。
 ・「一年間、一ヶ月ごとに現れる全12体の敵を倒せ」という定期バトル物。
 ・主人公最強物ではなく、チームワークで戦う「ぼくの・わたしの、スーパーフィクション大戦」みたいなノリで、適度にシリアスなストーリーを目指しています。


 完結を目指して頑張ります。
 御意見、御感想、どうぞよろしくお願いします。


(-2010)
 10/10 プロローグと第一話を掲載。
 10/11 第二話を掲載。
 10/12 第三話を掲載。「その他」板に移動。
 10/14 幕間 その一を掲載。
 10/15 掲載分の文章表現を一部改訂。
 10/16 第四話を掲載。
 10/24 幕間 その二(前編)を掲載。
 11/03 幕間 その二(中編)を掲載。
 11/13 幕間 その二(後編)を掲載。
 11/22 第五話を掲載。
 12/18 第六話を掲載。


(-2011)
 01/01 一部の誤記を改訂。
 01/01 第七話を掲載。
 01/09 幕間 その三を掲載。指摘された誤字を訂正。
 01/16 第八話を掲載。
 01/31 第九話を掲載。
 02/11 第十話を掲載。
 02/12 登場人物紹介とメイキング・メモNo.1を掲載。
 03/20 第十一話を掲載。
 04/05 本文の表現を一部改訂。登場人物紹介とメイキング・メモNo.1を加筆。
 04/09 本文の表現を一部改訂。誤記を訂正。
 05/23 第十二話を掲載。
 05/23 本文の表現を一部改訂。
 06/05 メイキング・メモNo.1の一部を訂正。
 10/18 「次を表示する」のリンク不具合を修正。
 11/25 第十三話を掲載。
 11/26 感想掲示板で指摘された誤記を訂正。



[22452] Salvation-12 プロローグ
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:d452869e
Date: 2011/04/09 14:34
 耳に残っているのは、ぐしゃりという、肉と骨が潰れた際の凄惨な音。
 総合格闘技の道場に一年以上も通って鍛え上げた自慢の肉体は、総重量が1トンあるかないかという軽自動車によって、思いのほかあっさりと壊されてしまった。親しいクラスメイト達から岩みたいだと評された筋肉だったが、時速数十キロで突進してきた鉄の塊には無力だったらしい。いくつかの内臓は一瞬のうちに破裂していた。
 鼻、口、耳はもちろん、目尻からさえ、噴水みたいに血が飛び散った。
 軒並みへし折れた肋骨の内側が、ぶるんと不気味に震えて弾けた。
 道場のコーチに身のこなしを褒められたことがある。けれど、そうした運動能力や技術をろくに発揮できないまま、冗談のように宙を舞い、アスファルトに覆われた固い路面に叩きつけられた。
 急ブレーキをかけて停まった軽自動車から、顔面蒼白の男性が降りてくる。
 その男性はこちらを見るなり、短い悲鳴を上げて腰を抜かした。
 少し離れた場所では、幼稚園児くらいの女の子が大声で泣いている。あちこちに擦り傷ができている。助けようとしたとはいえ、突き飛ばしたのはまずかったかもしれない。
 周囲がざわざわと騒がしくなっていく。
 事故だ、とか、救急車を、とか、色々な言葉が雑音交じりで聞こえていた。
 それもごくわずかな時間だった。
 やがて静かになると、ぼんやりとしていた視界が段々と暗くなり、終いには墨を流し込んだかのごとく真っ黒になった。
(……あ、これ、まずいな)
 まるで他人事のように考えた直後である。
 彼の意識は、ぷつんと、完全に途絶えた。


 これが、おおよその顛末。
 彼───八島コウスケは幼子の身代わりとなって交通事故に遭い、確実に死亡するしかない状況に陥り。
 生まれ育った世界から『剥がれ落ちた』。









     Salvation-12
        プロローグ










 母親に抱かれている。
 そんな安らぎを錯覚しながら、コウスケは意識を取り戻した。閉じられていたまぶたを開くと、視界は明るく、しかし何も見えなかった。
 正確には、真っ白な空間だけが見えていて、それ以外が何も見えずにいた。
 地面がない。空がない。だから上下の区別すらつかない。
 どこまでも続く純白の空間に、コウスケはただ浮いているようだった。落下しているという感覚さえないので、そうとしか表現できないのだ。
 まるで理解の及ばない、あまりに不可解な状況である。
 しかしながら、不思議なことに、驚きはしても不安は感じなかった。
「なんなんだ……?」
 コウスケは呆然と呟く。
 ふと自分の体を見下ろせば、彼が在籍している県立高校の制服を着ていて、大怪我はおろか傷一つ負っていないようだった。確か交通事故に遭ったはずなのに、痛みもなく、詰襟の学生服が血で汚れているということもない。
 事情が全く分からず、混乱していると、それを見計らったようにどこからか声が響いた。
「八島コウスケ君」
 鈴の音のように澄んだソプラノだ。
 名前を呼ばれて、コウスケははっと顔を上げる。
 すると、彼の目の前に、いつの間にか一人の女性が姿を現していた。女性はコウスケと同じく白い空間に浮いており、まっすぐに彼を見つめていた。
「はじめまして、八島コウスケ君」
 もう一度、女性がコウスケの名前を繰り返す。
 聞き間違いではないらしい。
 妙齢の美しい人だった。おそらく日本人ではないだろう。波打つ長い金髪、緑がかった碧眼、彫りの深い顔立ち。背丈も高く、185センチ近いコウスケと比べても遜色がない。どこかの民族衣装か何かだろうか、エキゾチックな印象を受けるゆったりとした作りの服を着ていて、首元や腕に色鮮やかな装飾品をつけていた。
「あの……どなたですか?」
 どうにか平静を取り戻して、頭に最初に浮かんだ疑問を口にする。
 女性は穏やかに微笑みながら答えた。
「私はヴァーチェ。貴方が生まれ育った世界とは異なる、とある別の世界において、人類の集合無意識下に蓄積された『生存への意思』から生まれた存在です」
「……は?」
「少し語弊がありますが、分かりやすく言えば、神や精霊と呼ばれる類です」
 貴方の世界で言うところの八百万の神々のようなものだと、ヴァーチェは説明する。
 コウスケは思う。
 やばい、何かの新興宗教か?
 だが、今の自分が置かれている非現実的な状況を顧みれば、一笑に伏すのも難しい。むしろ、これはいわゆる臨死体験かもしれない。
 どちらにせよ危険だ。
 コウスケが顔から血の気を引かせていると、ヴァーチェは困ったように、
「まあ、貴方がこれまで生きていた世界の常識に照らし合わせれば、信じられないのも無理からぬことでしょう」
「生きていた……?」
 聞き捨てならない言葉に、思わず訊き返す。
 ヴァーチェは表情を真剣なものに改めて、厳かに尋ねてきた。
「事故に遭ったことを覚えていますか?」
 コウスケの心臓がどくりと大きく拍動する。
 冷たい汗が背筋を伝う。
 ごくりと唾を飲み込んで、ゆっくりと頷く。
「……覚えて、います」
「あの事故で貴方の死は確実となり、その存在は世界から剥離しました」
「はくり?」
「可能性が潰えたということです。貴方という存在は、貴方が生まれ育った世界での生存が不可能となり、世界の構成から零れ落ちたのです。そのままであれば、貴方という存在は純粋な可能性に分解され、再び世界群に還元されたのですが……私が貴方という形のまま掬い上げて、この世界へと導きました」
「じゃ、じゃあ、ヴァーチェさんが俺をここに連れてきたってこと!?」
「ここは意識に投影された場にすぎません。貴方の持つ知識に当てはめれば、ヴァーチャル・リアリティ、仮想現実のようなものです。実際には、貴方という存在は肉体を再構成されて、私の世界にすでに顕現しています」
「よく分かりません。顕現ってなんですか。それに、ヴァーチェさんの世界って」
「一度死んでしまった貴方に新たな肉体を与えて、私が生まれた世界に蘇らせたということです。私の世界と貴方の世界は、近似の平行世界ですから、自然環境はよく似ています。若干の違いはありますが、生存に関しては問題ないので安心してください」
「蘇らせた? 事故で死んだ俺を?」
「はい。私は生存を望む意思から生まれた、生命と人類種の存続を司る精霊ですから。条件付きの限定的なものですが、蘇生や転生も行えます」
「……ええと」
 コウスケはどう返答していいか分からず、周囲に視線を巡らす。
 純白の無限空間。幻覚や夢にしては生々しく、詐欺にしては大掛かりにも程がある。
 ここはとりあえず、ヴァーチェの言を真実と仮定して、話を聞くしかない。
「分かりました。とりあえず、信じます。続けてください」
「感謝します」
 ヴァーチェは一呼吸分だけ間を置く。
 話を再開した時には、その涼やかな声に深刻な色が混じっていた。
「白状すれば、貴方を蘇らせたことは、単なる親切などではありません。貴方に協力して欲しいことがあるからこそ、死の縁から引き上げたのです」
「協力?」
「───私の世界に住まう人類に、危機が迫っています。
 それも種の存続を脅かす危機です。
 ……私には対となる存在がいました。これは当たり前の話ですが、人類は生存や未来を望む本能と理性を持つ一方で、滅亡や終末を夢想する衝動と狂気なども有しています。これは知性ある生き物には避けられない精神性です。故に、人類種の存続を司る精霊である私が生まれたのと、時を同じくして、人類種の滅亡を司る精霊までもが生まれてしまいました。
 私の世界の人類は、私達、二柱の精霊神を善神ヴァーチェと悪神ヴァイスと呼び、信仰と畏怖を捧げてくれています」
 ヴァーチェは語る。
 彼女達は高次元の存在であり、恒常的な実存として世界に顕現できないという。そこで、神託や祝福といった形で、間接的に世界へ介入してきたらしい。具体的には、ヴァイスが人類を滅亡する方向へと誘い、それらをヴァーチェが選ばれた神官や英雄を介して阻止してきたのだそうだ。
 それは長い間、それこそ時代がいくつも代わるほどの時間に渡って、延々と繰り返されてきた。
 だが、遂にしびれを切らしたか、悪神ヴァイスは約一ヶ月前に恐るべき凶行に及んだ。それは精霊神としての力を使い果たし、自滅してまでも達成した、人類の命運を尽かしかねない恐るべき一手だった。
 介入の様式は一変せざるをえなくなったのだ。
 ヴァーチェは悲痛な表情でうめく。
「ヴァイスは、平行世界と繋がる≪門≫を作ったのです」
 平行世界とは可能性の形である。
 可能性には、当然、人類が滅びるという結末への経路も含まれている。
 ヴァイスは、こともあろうに、他の平行世界に生まれた『人類を滅亡できるという可能性を宿した存在』を、ヴァーチェの世界へと呼び込むべく、時空に穴を穿ったのだ。
 コウスケは首を傾げる。
「平行世界というのが、いまいちピンとこないんですけど」
「貴方はたくさん目にしているはずですよ」
「えっ?」
「平行世界とは可能性。いるかもしれない、あるかもしれない、ただそれだけで生まれてくる別の世界です。……こんな言葉を聞いたことはありませんか?
 ───『人が作り出した物語は、別の世界の出来事を記したものである』。
 人の空想や想像は、その実、別の現実であるという考えです。数多の架空の物語、フィクションは平行世界での現実であるという考えです」
 あくまで真剣なヴァーチェの言葉に、コウスケは首を左右に振った。
「そんな、無茶な」
「無茶でもいいんですよ。可能性は提示されるだけで、一つの世界となるのですから」
「架空の物語が実在する? じゃあ、なんですか? そのヴァイスが作り上げた≪門≫とやらからは、漫画やアニメに登場する怪物や悪役なんかが現れるっていうんですか?」
「そうです」
「例えば、その、フリーザとかでも?」
 冗談のつもりで、コウスケは世界的に有名なアクション漫画に登場する悪役キャラクターを例に出した。
 さすがに否定されるだろう。
 そう思ったが、ヴァーチェはあっさりと首肯した。
「あり得る話です。……もっとも、ヴァイスの特性を考えれば、征服欲といった人間らしい悪徳に従う侵略者ではなく、理性も知性もない、文字通り人類を害するだけに特化した怪物が現れるでしょう」
「そんな馬鹿な……」
 いくらなんでも荒唐無稽だ。
 馬鹿馬鹿しくなって、コウスケは話を切り上げようと、溜息混じりに尋ねた。
「それで、そんな与太話を俺にして、どんな協力をしろっていうんですか?」
「それら≪門≫から現れる≪可能性の怪物≫達と戦って欲しいんです」
「……はい?」
「≪門≫からは、私の世界に住まう人類を滅ぼしうる存在が現れます。確率は不明ですが、あの≪門≫を通れる以上、現れる怪物が『人類を滅ぼす可能性』は、人類が『怪物を倒して生き残る可能性』よりも大きいでしょう。私が守りたい人々の勝算は極めて低い」
「いや、その、だからって何で俺!? ちょ、おかしいでしょう!」
「私の世界を守る為には、異なる世界にある可能性が必要なんです。すなわち≪可能性の怪物≫に勝ち得る存在───それこそ、敵役を倒す運命を宿した主人公のような」
「じゃあ、そいつらを、漫画や小説の主人公達を呼べばいいじゃないですか。ヴァーチェさんが言う理屈が正しければ、そいつらだって別の世界に実在するんでしょう?」
「それができれば苦労はしません……!」
 あくまでも夢想事を否定するべく問い詰めるコウスケに、ヴァーチェは初めて激しい感情を見せた。
 その追い詰められた者だけができる、表情と眼差し。
 あまりの迫力に、コウスケは怯んで二の句を継げない。
「ヴァ、ヴァーチェさん……」
「……すみません」
 ヴァーチェは気まずげに視線を逸らす。
 彼女は声の勢いを緩めて、己の力量不足を恥じた。
「……≪主人公≫達のような存在は、内包する可能性が大きくて、下手をすると私やヴァイスより存在の規模が大きいんです。彼らをそのまま呼び込めば、十中八九、私は精霊としての力を使い果たして自滅するでしょう。……事実、ヴァイスは≪門≫を構築した直後に消滅しました。滅亡を司る彼は己の死さえも手段にできますが、存続を司る私には、そもそも自滅しかねない行為が取れないんです」
 自己の意義の否定、それは精霊を変質させてしまう。
 精霊の力の行使は司る概念に左右される。精霊としての本質が変わってしまっては、≪存続の可能性≫を呼び込むこと自体が失敗するかもしれないのだ。
 ヴァーチェは悔しげに俯く。
「だから、私は、より限定的に≪主人公≫を作り上げるしかなかった」
 コウスケは何も言えない。
 鬼気迫るヴァーチェに呑まれていた。
 ヴァーチェは言う。
「元来の世界で可能性を失い、限りなく存在規模の小さくなった人間を呼び込み、各並行世界にいる≪主人公≫クラスの存在が有する可能性……呼び込んだ人間に適合する能力や技能を付与して、私の世界に転生させる。≪可能性の怪物≫を倒せる≪主人公≫になれる『かもしれない』人間を召喚する。そうするしかなかったんです」


 可能性を失った人間。

 元来の世界で、死んでしまった人間。

 それは、つまり。


「俺を……≪主人公≫にするつもりなのか」
「そう、貴方を───貴方達を」
 ヴァーチェは告げる。
 ヴァイスの≪門≫は永続しない。精霊の力は超常的だが有限だ。そして、人類を殺し尽くせるほどの≪可能性の怪物≫ともなれば、存在規模が大きすぎて、一体ずつしか≪門≫をくぐれない。しかも一ヶ月に一回しか開けられないはずだ。
 だが、≪門≫はおそらく一年間は持続する。
 最低でも計12回、ヴァーチェの世界は滅亡の危機を迎えるのだ。
「私は、卑怯で、汚い、酷い手を使います」
 ヴァーチェは戸惑うコウスケをまっすぐに見据えて、はっきりと言った。
「貴方達は元の世界では確実に死んでいた人間です。私はその生命を救いました」
「だ、だから、だから戦えって言うのか? 恩を返せとでも言うのかよ!?」
「どう捉えてくれても構いません。私は断固として貴方達を私の世界へ送り込む」
「勝手なことを!」
「ええ、勝手です。貴方達の意思を無視した傲慢な強制です。でも、それでも」
 ヴァーチェは頭を下げた。
 深々と頭を垂れて、震える声で懇願した。


「どうか、どうかお願いです。私の世界の人々を助けて下さい……!」


 純白の空間が暗転する。
 唐突に重力が復活する。
 コウスケはあまりの不意打ちに声を失う。
「!!!?」
 はるかな高みから地上へと加速するような、抗えない落下感。
 ───あの女神の世界へと落ちていく。
 確信めいた予感を抱いて。
 八島コウスケは、再び、意識を失った。



[22452] Salvation-12 第一話「召喚! 未来の超戦士!?」
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:d452869e
Date: 2011/04/09 14:40
 全身を容赦なく吸い込まれていくような落下感。
 それは十分かそこら続いた後、突き抜けるような衝撃を最後にぴたりと止んだ。
 一瞬の静寂の後、希薄になっていたあらゆる感覚が戻ってくる。
 空気の匂い、床の冷たさ、呼吸に伴う筋肉の動き。
 五感が様々な情報を鮮明に伝えてきた。
「……すう……はあ……」
 息苦しさを覚えて、反射的に深呼吸をする。
 肺が新鮮な空気で満たされて、ようやく落ち着いてきた。
 跪き、四つん這いになっていたコウスケは、そこで初めて顔を上げて、周囲を見る。
 そこは彼の知らない、見たこともない場所だった。
「ここが……ヴェーチェさんの世界……?」
 小さく呟く。
 窓一つない石造りの部屋である。ずいぶんと広い。ちょっとした体育館ほどもあり、精緻な彫刻が施された円柱が規則正しく並んでいる。照明の類は見当たらなかったが、真上の天井が吹き抜けになっており、空からの採光で十分に明るかった。
 コウスケがいるのは部屋の中央部のようだった。
 床より一段高い、大きな石の壇の上である。
 そこまで確認して、コウスケは驚いた。
「え……ええっ!?」
 石壇から離れた暗がりの中に、何人もの人が片膝をついた姿勢で、コウスケを取り囲んでいたからだ。
 コウスケが壇上で泡を食っていると、幼さの残る女性の声が朗々と響いた。
「お待ちしておりました、ヴァーチェの勇者よ」
 正面で跪いていた人物が立ち上がり、こちらに近付いてくる。
 天井からの光に照らされて、その姿がはっきりと見えた。
 その人物は少女だった。
 コウスケより五歳くらい年下だろうか。外見だけで判断すれば、中学生になったばかりくらいに思える。彼女は、前にテレビのニュースで見たローマ法王のような服を着ていて、手に本革張りの分厚い本を持ち、その額にいかにも高価そうなアクセサリーをつけていた。
 そして、アイドルそこのけの美少女だった。
 長く艶やかな、銀糸のようなプラチナ・ブロンド。大きな宝石のような薄紫の双眸。形のいい唇は瑞々しく、ふっくらとした頬が愛らしい。
 彼女はコウスケのすぐ手前で立ち止まると、恭しく頭を下げた。
「わたくしは善神ヴァーチェの加護を受けたる西南の盟主、セヴェン王国は第一王女、フィーリア・イスチナ・セヴェンスと申します」
「あ、はい、俺は八島コウスケです」
 慌てて返すと、少女、フィーリアは柔らかく微笑む。
「ヤジマコウスケ様ですね」
「えっと、八島が苗字で、コウスケが名前なんだけど」
「ではコウスケ様とお呼びしてよろしいでしょうか?」
「うえっ?」
「? いけませんか?」
「いや、いえ、いいです。好きなようにどうぞ」
 コウスケは顔を真っ赤にして、ぶんぶんと手を振りながら答える。
 見知らぬ外国人の美少女から「様」付けで呼ばれる。
 なんの羞恥プレイだ、これは。
 自分の置かれた状況の特殊性を変な方向性で実感しながら、これからどうなるんだよと、コウスケは思った。









     Salvation-12
       第一話「召喚! 未来の超戦士!?」








 善神ヴァーチェに選ばれた勇者の降臨。
 それは、善神信仰の総本山であるチェントゥーロ大神殿からもたらされた神託通り、王宮内にある神殿において達成された。神託は予言した。ヴァーチェの導きを受けた勇者達は、大陸で権勢を誇る十二大王国の宮殿内にある各神殿に降臨すると。
 事実、このセヴェン王国においても予兆があり、本日正午、遂に神殿の祭壇に勇者は顕現したのだ。
 喜ばしいことのはずだ。これで悪神ヴァイスの怪物に対抗できるのだから。
 ───だが、気に入らない。
 セヴェン王国、王宮内神殿、祭壇の間。
 麗しき王女フィーリアの背後に控えたまま、彼女と何事か言葉を交わしている「勇者」の姿を、近衛騎士ヴァリエーレは苦々しく見つめていた。
(あれが勇者か……ただの若造にしか見えないが)
 若干十八歳である己のことを棚上げして、ヴァリエーレは内心で文句を零す。
 祭壇上に現れたのは、ヴァリエーレと同年代と思しき黒髪の少年だった。体格はいい。背丈は常設騎士団の団員らの平均と比べても、頭一つ分は高いだろう。黒い詰襟の服を着ているせいで分かり難いが、首も太く、分厚い体躯からはそれなりの訓練を積んでいることが窺えた。
 だが、実力のほどはどうなのか。
 例えば、幼い頃から剣術や馬術に打ち込み、十代の若さで王族警護に抜擢され、ここ数年においては魔法さえも修めた自分より優れているのだろうか。どうにも、あの少年からは戦士の気配を感じない。
 ヴァリエーレの胸中に疑念が渦巻く。
 あんな怪しげな小僧に、フィーリア姫の期待が寄せられている。
 近衛騎士の自分を差し置いて。
 ───気に入らない。
 ヴァリエーレはすっと立ち上がると、ファーリアのすぐ傍まで進み、胸に拳を置く騎士団式の礼を取ってから、平静を装った声で進言した。
「王女殿下。恐れながら、勇者殿との会話を楽しむのもよろしいかと存じますが、儀式は未だ途中にあります。まずは神託を勇者殿にお渡しになるべきかと愚考いたします」


 * * * * *


「ああ、ヴァリエーレ。そうですね、貴方の言うとおりです」
 フィーリアは頷き、神託をこちらに、と控えている家臣に命じた。
 その様子を、コウスケは「うわ、マジで王女様なのか」と黙ったまま眺めていた。
 コウスケはフィーリアのすぐ横に立つ、ヴァリエーレと呼ばれた男性を観察する。薄茶色の髪に、濃紺の眼をした、映画俳優みたいな二枚目だ。細面だが弱々しさはない。やはり時代がかった西洋風の服を着ていて、腰には鞘に収められた長剣を帯びている。多分、本物だろう。
 石造りの建物。王国や儀式という言葉。時代錯誤な衣装に剣やら何やら。
 コウスケは絶望的な気分で確信する。
(つまり、あれか。ここは剣と魔法の世界ってやつか?)
 ウェルカム・ザ・ファンタジー・ワールド。
 どうやら自分は、ヴァーチェの仕業により、大昔のコンピューターゲームよろしく、モンスターと戦う「勇者様」にされたらしい。
 こらから先の展開に、どうしようもないほどの不安を感じていると、いつの間に受け取ったのか、フィーリアが一枚の大きな紙をこちらに差し出していた。
「コウスケ様、こちらが神託となります」
「神託?」
「チェントゥーロ大神殿より受け取りました。善神ヴァーチェの御言葉が記されているとのことです。不可思議な文字で書かれており、わたくしたちには読めませんが、選ばれし勇者であればその意味を知ることができると伺っています」
 ヴァーチェの言葉と聞いて、コウスケは戸惑いと共に紙を受け取った。
 意外なことに、小説や映画などでよく見る羊皮紙ではなく、ちゃんとした紙だった。
 その紙面に目を向ける。
「うわ、日本語だ」
 フィーリアの言う不可思議な文字とは、楷書体の見本みたいな字で書かれた日本語だった。題字のつもりか、最初の一文は「説明書」と書かれていた。
(おいこら、他の人間が読めないからって「説明書」はねえだろ)
 分かり易い。分かり易いが、雰囲気ぶち壊しである。
 初っ端からげんなりさせられながらも、コウスケは黙って説明書を読み進めた。


『~説明書~
 八島コウスケ君。これは貴方に現状を把握してもらうための説明書であり、日本語で書かせていただきましゅた』


 吹いた。
(『しゅた』!? 『ましゅた』って!?)
 いきなりタイプミスか!? それとも実は意外に日本語苦手か!?
 どうにか笑いを堪えて、再び読み始める。


『貴方には、転生前に説明したとおり、これから≪可能性の怪物≫と戦ってもらうことになります。開戦までに、貴方と同じ境遇の≪主人公≫候補が11人、この世界に転生する予定です。貴方を含めて合計12人です。できれば、もっと多く呼び込みたかったのですが、私の力では怪物と同数が限界でした。また、多くの力を使ってしまうため、12人目以後はしばらく転生を行えそうにありません。
 申し訳ありませんが、12人でなんとか≪可能性の怪物≫を撃退してください。
 以下は、現在、私が提供できる情報です。

 ・≪門≫は開門するエネルギーを蓄えるのに、一ヶ月を要する。
 ・≪可能性の怪物≫はその存在規模の大きさから、一回の開門につき、一体ずつしか現れない。また、開門時刻は、天体の周期が魔法式に組み込まれているため、夜明けと同時と推測される。
 ・≪主人公≫達の転生準備のため、一体目はできないが、二体目移行からは「予報」が出せる見込み。どんな≪可能性の怪物≫が出現するのか、神託で事前に伝える予定。
 ・私の力は減衰しているので、戦闘時に死亡した場合、再度の転生は不可能。

 非常に厳しい戦いになると思いますが、どうぞよろしくお願いします。
 あらかじめ神託を下しているので、私を信仰してくれている国々が全力でバックアップしてくれるはずです。この戦いで活躍すれば、全ての戦いが終わった後も、功労者として優遇してくれるでしょう。貴方自身の為にも、頑張って下さい』


 なんて言い草だろう……。
 生き返らせてくれたことには感謝するが、その代償は高くついたようだ。
(いや、でも、妥当なのかもな)
 なにせ生き返らせてくれたのだ。命の重さを考えれば、不平を言えるものでもない。
 コウスケはどこか達観しつつ、最後の文を読んだ。


『最後に、貴方に付与した能力について。
 事前に説明したとおり、貴方には他の平行世界から抽出した≪主人公の力≫が与えられています。これは貴方が知っていて、なおかつ貴方に適合し得る能力や技能の中から、貴方自身の抱く『強さ』へのイメージを基準に選択されます。これは肉体や精神、才能への親和性を考えての処置です。
 いうなれば、貴方が無意識に望んだ、貴方が最強と感じた力です。
 この力をどのように成長させていくかが、今後の戦いを左右するでしょう。
 この力の内容については、末尾に記しておきます。
 貴方の戦いに運命の加護があらんことを祈っています』


 ≪主人公の力≫。
 そう、これだ。これがどんなものかが重要だ。
 見知らぬ世界にたった一人で放り出されてしまった。本当に戦うにしろ、いっそ逃げるにしろ、生きていくためには力や技能が必要になる。
 果たして、どんな力が与えられたのか。
 コウスケは期待と不安を胸に、紙面の末尾に視線を走らせる。
 そこには、まるでゲームの攻略本のごとく、分かり易いがやはり雰囲気ぶち壊しな書式でもって、彼に与えられた≪主人公の力≫が記されていた。





『勇者・八島コウスケの≪主人公の力≫。

 概要:生命エネルギー≪気≫の知覚と運用能力。
 出典:平行世界≪ドラゴンボール≫。
 内容:身体能力の向上、肉体強度の向上、その他応用技能各種。
 補足:現状においては、通常時の戦闘能力は3~5程度、気の開放を行えば50前後まで向上。一点集中により100前後レベルの攻撃も可能だが、気の残量には要注意』





「ふっざけんなあああああ!!!」
 フィーリア達の視線も気にせず、コウスケは絶叫した。
 ≪可能性の怪物≫は人類を滅ぼしうるという。
 おそらく、ドラゴンボールの敵役で言えば、最低でも初代ピッコロ大魔王クラス。


 戦闘力50って、俺、もしかしてチャパ王に毛が生えたくらいじゃねえか?


 冷静に考えれば、常人よりはるかに強くなっているだろう。
 でも、多分、死ぬ。
 神託に書かれていたヴァーチェの言葉を脳裏に浮かべた。
『貴方が知っていて、なおかつ貴方に適合し得る能力や技能の中から、貴方自身の抱く『強さ』へのイメージを基準に選択されます』
 昔ながらの少年漫画が大好きな自分。
 それが高じて、総合格闘技まで始めてしまったようなバトル漫画好きな自分。
 コウスケは生まれて初めて、強大な敵と聞いて、まずフリーザを連想してしまうような己を呪った。



[22452] Salvation-12 第二話「覚醒! 勇者のスーパー・パワー!?」
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:d452869e
Date: 2011/04/09 14:39
 さて、どうしたもんかな。
 高級ホテルのスイートルームもかくやという、広々とした豪奢な部屋で椅子に腰掛けたまま、コウスケは自分の今後について思案していた。
 陽が沈んでから、すでに数時間が経っている。大半の人々はすでに就寝しているだろう。
 コウスケがいる部屋は、王宮の敷地内にある離れの一室だった。外国の来賓を対象としたゲストハウスと聞いている。神から遣わされた勇者に相応しい居室をということで、フィーリアがわざわざ宛がってくれたのだ。
「顕現の直後ともなれば、落ち着くための時間も必要でしょう。詳しい話は、また明日といたしましょう」
 ヴァーチェの説明書を読んで、感情も露わに動揺してしまったコウスケを気遣って、フィーリアはそう言ってくれた。王国側が考えている今後の予定についての説明や、国王との謁見なども、明日に先送りとしてくれたのだった。
「ヴァリエーレさんは不満そうだったけどな……」
 フィーリアの傍で憮然としていた、近衛騎士の顔を思い出す。
 現代の日本で生まれ育ったコウスケには実感し難いが、国王との謁見を後回しにするというのがひどく不敬であるということくらいは、理屈で分かる。騎士なんて立場の人間にしてみれば、腹が立つのも仕方ないだろう。
 しかし、こちらとしても、フィーリアの言ったとおり、時間が欲しかったのは確かだ。
 もっとも、落ち着くための時間ではなく、考えるための時間ではあったが。
「……俺は、もう、ここで生きていくしかないんだよな」
 コウスケは改めて確認する。
 元の世界において、自分は死んでしまった。ヴァーチェはそれを『世界から剥がれ落ちた』と表現し、『可能性は潰えた』と断言していた。これは『自分が元の世界にいられるという可能性が消えた』という意味だろう。
 こうして他の世界で蘇ることはできても、元の世界に生きて戻ることはできない。
 そういう意味なのだと考えられた。
(そうでなけりゃ、≪可能性の怪物≫を倒したら元の世界に帰してやる、くらいのことは言うよな。普通なら)
 自分はこの世界で生きていくしかない。
 コウスケはそれが全ての前提になると判断することにした。
「……そうなると、最初に下す判断は二択だな」
 ≪可能性の怪物≫と戦うのか、逃げるのか。
 自殺して終わらせる気なんて欠片もない。違う世界だろうがなんだろうが、俺は生きていたい。生きていく以上、生活していかなければならない。
 生活に必要なのは、社会的な信用と経済力だ。
 今の自分が、こうして立派な部屋で寛いでいられるのは、ヴァーチェの勇者であるという立場と、セヴェン王国の援助があるからだ。言うなれば、勇者としての使命が仕事であり、その仕事をこなすことを期待された上で、報酬を前払いしてもらっているようなものだ。
 逃げたならば、新たに社会的立場と仕事を得なくてはならない。
 この世界に何のコネクションも持たない、十八歳になったばかりの高校生が、そう簡単に仕事など持てるだろうか。ヴァーチェの計らいか、会話に関しては問題なく交わせるようになっているようだが、読み書きに関しては絶望的だ。フィーリア達が日本語を読めなかったように、自分はこちらの世界の文字が全く読めない。それはこの部屋に置かれていた本で確認済みだった。
 仮に、この世界の文明が中世ヨーロッパ並だとしても、読み書きもできない人間では単純な労働力としてしか働き口はあるまい。下手をすれば奴隷のような生活が待っている。
 コウスケは、王宮付きのメイドが運んできてくれた昼食や夕食の味を思い出す。現代人の自分から見ても豪勢で、そこらのレストランのものよりずっと美味しかった。
 野に下れば、あんな食事にはまずありつけないだろう。
(まあ、暴力頼みの賊になるって手もあるけど)
 なにせ、ヴァーチェの言葉どおりなら、今の自分は戦闘力50の超人である。ドラゴンボールにおいて、肉体労働をこなしていたであろう農夫の男性が、たしか戦闘力5だった。単純に比較しても、今の自分は常人の十倍くらい強いのだ。
 総合格闘技をかじっていたコウスケには、十人力というのがいかに並外れたパワーなのかよく分かる。コウスケのパンチ力は、生前に計測したもので180キロほどだった。これを十倍にすれば1800キロ。プロの力士のぶちかましでさえ、衝撃は1000キロくらいだそうで、これは遅い速度で走る自動車との衝突に相当すると聞く。
 今の自分のパンチは、軽い交通事故並みの威力を秘めていることになる。
 交通事故で死んだ身には、ずいぶんと皮肉な話だ。
 けれど、他人から金品を奪い取るなんて論外である。自分はそこまで腐っていない。
「……って、あたりまえに考えてるけど、俺、本当にそんなに強くなってるのか?」
 コウスケは今更ながらに気付く。
 そういえば、≪主人公の力≫とやらを、自分はまだ一度も試していない。
 自分が何をできるのか知らないまま、今後の行動を決めるなんて、ちょっと愚かすぎやしないだろうか。まずは自分自身がどう変わったのかを確認するべきだろう。
「そうと決まれば、早速……」
 椅子から腰を浮かしかけるが、すぐに思い直す。
 今日はもう遅い。いくら王宮が広いといっても、騒いだら迷惑になるだろう。
 とりあえずしっかり眠って、明日の早朝から試してみよう。予定の説明や国王との謁見は昼前と聞いているから、それくらいの時間はあるはずだ。
「よし、そうしよう」
 コウスケは立ち上がると、学生服を脱いで、椅子の背もたれにかけた。
 いくつか灯っていたランプは点けたままにしておいた。
 下着代わりのTシャツにトランクスという格好で、天蓋付きのやたらと柔らかいベッドにもぐり込む。
 ランプの弱々しい光では溶かしきれない夜闇。
 薄暗い中、コウスケは元の世界のことを思い返す。
「……俺、死んだんだよな」
 子供を助けようとして、車に引かれて、ぐちゃぐちゃになって死んだ。
 この体はヴァーチェが作り直した物らしいので、元の体は道路に転がったままに違いない。すくなくとも、遺体のない葬式にはならないだろう。
「父さんと母さん。泣くだろうな」
 厳格だが理解のあった父と、優しいが心配性の母の顔を脳裏に浮かべる。
「ミユキも……泣き虫だしなあ」
 小学六年生の妹は、女の子なのに格闘技観戦が大好きで、コウスケが総合格闘技のアマチュア大会で入賞したときなど、見てるこっちが照れるくらい喜んでくれた。年頃の妹から「お兄ちゃんかっこいい!」と言われたことのある男子高校生なんて、はたして何人いることやら。




 ─────もう、会えない。




「……いやだ」
 仰向けになったまま、顔を両手で覆う。
 喉がひくつき、声が震えた。
「いやだ……いやだ……っ!」
 感情が高ぶる。思考がいまさらのように暴れだす。
「俺は……死にたくっ……なんてっ……なかった……!」
 だが、どうにもならない。
 自分は死んだ。
 だから、ここにいる。
「父さん……母さん……ミユキッ……!」
 コウスケはベッドの中で丸まり、頭を掻き毟りながら。
 一晩中、泣いた。









     Salvation-12
      第二話「覚醒! 勇者のスーパー・パワー!?」









 夜が明けて一時間ほどが過ぎた早朝。
 日課の鍛錬を行おうと、ヴァリエーレは運動着姿で、長剣と木剣を携えて広場へと向かっていた。近衛騎士は王宮内に常駐しており、当直でない時には、ある程度の自由行動が認められている。庭園や屋内以外で行うのであれば、自主鍛錬はむしろ推奨されていた。
 王宮の本殿と離れの間にある、芝生が敷かれた広場が見えてくる。
 ちょっとした家屋なら建てられそうな広さのそこには、すでに先客がいた。
「む、あれは───ヤジマ・コウスケか」
 思わず立ち止まり、ヴァリエーレは眉を顰めた。
 フィーリアの期待を向けられている、ヴァーチェの勇者。気に入らない少年だ。
「……あいつ、何をしているんだ?」
 ヴァリエーレは訝しがる。
 コウスケは、芝生に座り込み、両足を大きく開いて、体を折り曲げていた。その腹と顎はべったりと芝生についている。やけに体が柔らかいらしい。まるで曲芸師のようだ。
「鍛錬もせずに芸の真似事か……?」
 やはり気に入らない。
 ヴァリエーレは無遠慮にコウスケへと近付くと、こちらに気付いたらしい彼に、あえて刺々しく声を掛けた。
「これは勇者殿、朝から何をしておいでですか?」
「あ、おはようございます、ヴァリエーレさん」
 コウスケは体を起こして、ぺこりと頭を下げる。
 ヴァリエーレは目を細めて、
「質問に答えてもらえませんか」
「いや、単なる柔軟運動です。ちょっと体を動かそうと思って」
「柔軟運動……?」
 聞き覚えのない言葉だ。
 ヴァリエーレは頑固で直情的なところはあるが、決して愚鈍で高慢な男ではない。いくらか襟を正して、丁寧に尋ねた。
「柔軟運動とは? 寡聞にも聞き覚えがないのですが」
「へ? あー、ええとですね、体を動かす前に筋肉や関節をほぐすために行う準備運動のことです。ヴァリエーレさん達も剣の練習をする時に、体をほぐすでしょう?」
「……確かにほぐす程度のことはしますが、勇者殿がしているほどにはしませんね。そこまでする意味はあるのですか?」
「いやあ、これがなかなか効果的なんですよ」
 コウスケがひょいと軽快な動作で立ち上がる。
 昨日と同じ服のズボンを穿き、上着を脱いで薄手の半袖姿となっている。
 ヴァリエーレは、コウスケの体つきを改めて目の当たりにして、不覚にも感心した。筋肉の発達が並ではない。胸板は分厚く、肩回りの逞しさなどには目を見張るものがあった。これは相当に鍛えこんでいる。
 コウスケ自身は知る由もないが、スポーツ理学に基づいて組まれたトレーニングや効果的なプロテインの摂取によって鍛えられた彼の体は、ヴァリエーレの目にはただならぬ鍛錬によって作られた驚くべき体躯に映っていた。
 平静を装いつつも、内心で驚いているヴァリエーレに、コウスケは道場で教わったことを分かりやすく講釈した。
「ああいう柔軟を継続的に行うと、筋肉がしなやかになって、関節の可動域が広がるんです。結果、怪我をしにくくなって、ボディバランスも良くなります。体幹が安定するから、転倒しにくくなるし、格闘をするなら柔軟は必須ですね」
「ほう……」
 思わず感心してしまうが、ヴァリエーレははっと我に返る。
 こほんと咳を一つ。
「格闘というと……勇者殿は拳闘も嗜まれるわけですか」
「そうですねー、ボクシングにグラップリングに……これでもMMA選手ですから、打撃も投げも寝技も一通りはやってますよ」
「……MMAというのはよく分かりませんが、剣術や弓術、馬術などはどの程度?」
「あー……そういうのは経験ないですね」
 その返答に、ヴァリエーレは落胆した。
 ヴァーチェの勇者でありながら、こいつは剣や弓の心得がないらしい。それどころか馬にも乗れないという。しかし格闘は得意となれば、この男、もしや拳闘奴隷か何かだったのではないか?
 ヴァリエーレは疑念を無視できず、厳しく問うた。
「勇者殿、それでどうやって≪可能性の怪物≫と戦うのですか」
「は?」
「剣の心得もなく、弓も扱えず、どうやって戦うのか。その自慢の拳で殴りつけでもする気ですか」
「いや、実は、それを確かめようと思ってたんですよ」
「は? どういう意味ですか?」
 コウスケは苦笑すると、二度、三度と軽く跳躍してから、てくてくと歩き出した。
 そして、三メートルほど離れてから、ヴァリエーレを振り返る。
 彼は少しばかり緊張した面持ちで言った。
「ちょうどいいから、協力してくれませんか。ヴァリエーレさん」
「協力?」
「ヴァリエーレさんって剣術の腕、凄いんですよね。騎士ですから。その木剣で相手をしてくれませんか?」
「……稽古ですか。では、もう一本、木剣が要りますね」
「あ、俺は素手でやるんで要りませんよ」
「……は?」
「素手です。木剣、要らないです」
 きっぱりと断るコウスケ。
 ヴァリエーレは「ふはっ」と笑った。
「剣を相手に素手で勝てるわけがないでしょう。そもそも、稽古にさえならない」
「そうですよね。それが普通です。俺だってそう思います」
 コウスケの表情は真剣だった。
 遊びで言っているわけではないと気付く。
 ヴァリエーレは苦笑を引っ込めた。
 コウスケが言う。
「だから、確かめたいんですよ。俺の勇者の力ってのが、どの程度のものなのか」
「……いいでしょう」
 ヴァリエーレは長剣を芝生に置くと、軽く腕を回してほぐし、木剣を構えた。
 柄をしっかりと握り、正眼に構える。その動作に淀みはまるでなく、長年に渡って剣を振るってきた鍛錬のほどが窺えた。
 コウスケも両腕のガードを上げて、重心を低くして構える。
 ヴァリエーレは告げた。
「木剣といえど、当たり所が悪ければ致命傷にもなりえます」
「……でしょうね」
「だから、死んでも恨むなよ、小僧」
 最後に言葉の装飾をかなぐり捨てて。
 ヴァリエーレは最速の動作で剣を閃かせた。


 * * * * *


 コウスケは柔軟運動の際に、自分の体に起きた変化を自覚していた。
 意識的に体を動かしていると、はっきりと分かったのだ。
(これが『気の知覚能力』か……)
 自分の体内を巡る、形のない力の流れ。それをはっきりと感じ取れた。それは筋肉にこめる力のようであり、血管を流れる血液のようであり、肌を覆う大気のようだった。
 そして、その力は肉体の奥底から湧き出ているものだと感じられた。
 体の各所に渦があるように感じられるのだ。そして、その渦から力が流れ出しており、また渦の回転は意識的に速めることができた。回転を速めればより多くの力が流れ出し、遅くすれば流れ出す量が減っていく。
 それらのことが感覚的に分かった。
 そして、流れ出した力は全身を巡りだす。その巡りもまた、ある程度、コントロールできるようだった。おそらく、気の運用というやつだろう。一点に集中すれば、嘘みたいな話だが、本当に「ドラゴンボール」のようにエネルギー波を撃てそうな気分になった。
 いや、撃てそうではなく、本当に撃てるのだろう。
 気を練り上げ、高めるという意味の基本を理解できた気がした。
 まずは一つ一つ確かめよう。
 ヴァリエーレは本物の近衛騎士だ。実践的な剣術を修めた、本当の殺し合いを任務とする、本物の軍人だ。人間レベルなら、最も危険な相手の一人だろう。
 常人が素手で剣術の玄人を倒すなど、不可能に近い。
 だから、それができるとすれば、与えられた≪主人公の力≫が本物だということだ。
(さあ、やるぞ。多分、これが最初の分岐点だ)
 コウスケは両腕のガードを上げて、馴染んだファイティング・ポーズを取る。
 明らかに怒りを宿した目で、ヴァリエーレが剣を構えている。
 距離は三メートル前後。
 剣ならば、すでに間合いの中だ。
 ヴァリエーレが言った。


「だから、死んでも恨むなよ、小僧」


 瞬間、ヴァリエーレが弾けるように動いた。
 まさに電光石火、木剣が跳ね上がり、落雷のように振り下ろされる。プロボクサーのジャブすら遅く感じられるような技の冴えだった。
 だが───。
(見える!)
 あらかじめ、全身の気を高めていたコウスケには、ヴァリエーレの電光のような太刀筋さえ、肉眼で捉えることができていた。これが気の開放による身体性能の向上なのか。ドラゴンボールの作中において、超高速戦闘では「気の感知」ができなければ、敵の動作を捉えられないという描写があった。コウスケにはまだ「気の感知」などできない。それゆえに少し心配だったのだが、身体能力の向上は五感にも及んでおり、その精度を著しく高めていた。
 ふと思い出す。
(そういや、フリーザなんかは悟空の動きだって目で追ってたんだよな)
 剣がはっきりと見えていた。
 そして、この剣よりも速く動けるという確信があった。
「はっ!!」
 気合の発声と共に、フットワークで右から背後へと回り込む。
 動いたと同時に、コウスケは体感したことのない爆発的な加速を味わった。芝生が抉れ、竜巻のような風をまとい、コウスケの体が一瞬にしてヴァリエーレの背後に回る。
 その動きは反射神経すら置き去りにする早業で、ヴァリエーレは明らかにコウスケを見失っていた。
 騎士の口から驚愕の声が上がる。
「き、消えたっ!?」
 その背後で、コウスケは身を沈めて、得意のタックルを敢行する。ヴァリエーレの足を折らないよう、加減しながら引き倒し、仰向けに転がして馬乗りになる。
 マウント・ポジション。
 目を見開き、驚きも露わにするヴァリエーレの上で、弓を絞るように右拳を振り上げた。
 総合格闘技でいうところのパウンド攻撃だ。
 コウスケは振り上げた拳を、そのまま───ヴァリエーレの頭の横、固い芝生の地面に叩き込む。


 重く低い炸裂音が轟いた。


 それは、まるで地雷の爆発だった。
 打ち込んだ拳の先で、土が衝撃を受けて間欠泉のように噴き上がり、地面にぽっかりと穴が開く。直径二十センチほどの小さなクレーターが出来上がり、衝撃の余波がヴァリエーレの頬肉をびりびりと震わせていた。
 ヴァリエーレは悟る。
 見ずとも分かった。
 この拳が当たっていれば、自分の頭は落としたトマトのように粉々になっていただろう。
 ヤジマコウスケの拳には、鉄鎧さえ穿ちかねない威力が秘められていたのだ。
(これが……勇者の力か……!)
 瞠目するヴァリエーレの上で、コウスケが立ち上がる。
 立会いは明らかにコウスケの勝ちだった。
 勝者であるコウスケは、すっと身を退けて、倒れているヴァリエーレに手を差し伸べる。
 彼はわずかに息を弾ませながら、穏やかな口調で言った。
「ありがとうございました。立てますか?」
「あ、ああ」
 ヴァリエーレは手を握り返して、ゆっくりと立ち上がる。
 怪我はしてないようだ。
 ちょっとやりすぎたかと思っていたコウスケは、ほっと胸を撫で下ろす。そして、改めて、確認作業に付き合ってくれたヴァリエーレに頭を下げた。
「すみません。その、ヴァリエーレさんのプライドを侮辱するつもりはなかったんですけど……どうしても、力だけは確かめなくちゃいけなかったから」
 剣の相手を素手でする。
 こちらの超常的な力を知らないヴァリエーレにとって、それは侮辱に思えただろう。一言でも詫びなければという思いがあった。
 ヴァリエーレは服についた土を払い落とすと、ふうと嘆息した。
 そして、
「勇者殿。御歳はいくつですか?」
「はい?」
「年齢ですよ」
「十八歳ですけど……」
「奇遇だな、俺も十八だ」
 いきなり、口調が砕けた。
 ヴァリエーレはやれやれと肩をすくめて、
「力があるというなら、いいさ。それだけで十分だ。剣を交えた……いや、剣と拳を交えたことだし、同じ年齢ときた。お互い、ここらで堅苦しいことはやめにしないか」
 コウスケの前に、ヴァリエーレが右手を差し出す。
 彼は不敵に微笑み、
「どうだい、勇者殿」
「……ああ、そいつはいいな、騎士様」
 コウスケも笑った。
 二人はがっしりと握手を交わす。





 八島コウスケ、十八歳。
 異世界に来て初めての友人を得た瞬間だった。





 * * * * *


「ああ、そうだ。ヤジマコウスケ」
「コウスケでいいよ。なんだよ、ヴァリエーレ」
「王女殿下に色目を使うなよ。もし使ったらぶっ殺す」
「なんだ、おまえ、そうなのか。いや使う気ないし。王女様、俺の妹と年齢同じくらいだし。つーか、おまえに俺をやれるのか?」
「食事に毒を混ぜる。問題ない」
「卑怯だな近衛騎士っ!?」



[22452] Salvation-12 第三話「震撼! 衝撃の真実!?」
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:d452869e
Date: 2011/04/09 14:42
 セヴェン王国。
 この国は建国から二百年の歴史を持ち、二桁に近い小国家を支配下に置いて、大陸の西南部を統治している。温暖な気候に支えられた大規模農業、慎ましやかながら気品溢れる民族文化、実力主義の常設騎士団を三つの柱として、他国が羨む繁栄を築いている。
 その王都であるセヴェンス市は、当然ながら大都市だった。
 人口は十万近くに上り、市中の道路は全て石畳で整備され、王国が運営する都市管理局の活動により清潔さが保たれている。先進的な上下水道も実用化されており、公衆浴場の利用料金も他国に比べて安い。
 そして、最も重要な治安も、明文化された法律とモラルの高い警視隊によって、夜中に外出できるほど良好である。
 大陸の中でも、一、二を争う都市なのだ。
 早朝の立会いの後、朝食を終えたコウスケは、非番であるというヴァリエーレの案内を受けて、そんなセヴェンス市の全景を眺めていた。
 王宮の四方に位置する、城壁に併設された物見塔、そのうちの一つの最上階である。
 セヴェン王宮は都市のほぼ中心にある丘陵に建てられており、城砦としての機能も備えられていた。優美な作りの宮殿を頑強な城壁が取り囲んでいる。そして、一際高く築かれた物見塔からは、街の外縁までが悠々と見渡せた。
 王宮から放射状にのびる道路。それらに沿って建ち並ぶ石造りの家々。多くの人と馬車が行き交い、市場の賑わいなどここまで聞こえてきそうだ。
 コウスケは我知らず、感嘆の声をもらしていた。
「へえ~……これは凄いな」
 現代人の感覚からすれば、都市としての規模は小さい。しかし、独自の文化様式で統一された町並みは、歴史深いヨーロッパの都市に近い雰囲気があり、素直に壮観だった。
 案内役であるヴァリエーレが誇らしげに言う。
「素晴らしい街だろう。これも国王陛下の手腕の賜物だ」
「凄いんだな、王様……」
「賢君の鑑のような御方だ。国民の尊敬を一身に集めておられる。そして、その御息女であられるフイーリア殿下も、その聡明さから才媛として名高い」
「しかも可愛いしな、王女様」
「うむ、たまらん」
 ツッコミを覚悟したコウスケの言葉に、ヴァリエーレはしみじみと頷く。
 ……うわあ、こいつ、第一印象より斜め上に面白いなあ。
 コウスケは、躊躇わずに少女を愛でる近衛騎士に生暖かい視線を向けながら、そういやこの国だと何歳から成人なんだろうとか考えていた。日本でも、たしか戦国時代くらいまでは十六歳で元服だったっけ?
 コウスケの視線に気付いたのか、ヴァリエーレはこほんと咳をしてから、真面目な声音を作って続ける。
「まあ、とにかく、王族の方々は名実共にこの国を導いており、国民からの信頼も厚い。よって、最大限の敬意を払うのは当然のことだ。コウスケ、おまえはヴァーチェの勇者で、フィーリア殿下も礼儀作法にそれほど厳しくない方だから大目に見られているが、そこのところは理解しておけよ」
「あ……俺、やっぱり無礼だった?」
「無礼というほどではないが、馴れ馴れしいな。平民であれば叱責されるだろうし、他国ならば刑罰の対象にもなりかねないだろう。幸い、セヴェンは市民の権利を法律で尊重しているから、おまえが平民だとしても……」
「しても?」
「地下牢に禁固一週間。そんなところだな」
「いや十分にセメントだよそれっ!?」
「ともかく、だ」
 ヴァリエーレはぴしりと人差し指を立てて、教師のように告げる。
「国王陛下に謁見する際には、十分に気を払うことだ。貴族の礼儀作法を覚えろとはいわんが、とにかく、馴れ馴れしい態度は取るな。敬意を持って、よく考えて言葉を選べ。国王陛下は寛容な方だが、それに甘えていいという道理はない」
「う、わかった……気をつけるよ」
「それから、案内のメイドと着替えを寄越すから、このあと風呂に入れ。昨日から入ってないだろう。少し汗臭いぞ」
「そうか? ……だけど、意外だったな。入浴が当たり前だなんて」
 コウスケがセヴェン王国の文化に対して感心した一点だ。
 世界史の授業中、教師の脱線話で聞いたのだが、入浴というのは実は贅沢なものらしい。ヨーロッパでも多くの国では近代まで一般に普及しなかったそうで、日本やローマなどの例外を除けば、風呂は一種の特権だったらしい。
 しかし、セヴェン王国では専用の風呂がある家屋も少なくないという。
 ヴァリエーレは笑みを浮かべて、
「このあたりは水資源が豊富だからな。セヴェンほどではないが、一部の乾燥地域を除けば、大抵の国で入浴の習慣は根づいている。珍しいほどじゃない」
「嬉しい話だ」
 なにせ、コウスケは「世界一清潔好き」という「悪評」を持つ日本人である。
 お言葉に甘えて、入浴を楽しもうと決めた。


 国王との謁見まで、あと数時間。
 コウスケの新たな日常は、いまだ平穏だった。










     Salvation-12
       第三話「震撼! 衝撃の真実!?」









 コウスケはがちがちに緊張していた。
 度胸はある方だと思う。通っていた高校では文化祭のステージ・イベントの常連だったし、格闘技の試合にだって何度も出場した。他人からの注目を浴びることに苦手意識を覚えたことはない。
 しかし、これはちょっとばかり趣きが違いすぎる。
 入浴後に着替えた略式礼服───王宮付きの文官が選び、メイドが着付けを指導してくれた、『ベルサイユの薔薇』あたりにでも出てきそうなタイトな服───姿で直立したまま、コウスケは額に脂汗をじんわりと浮かべていた。
 王宮の奥にある、謁見の間。
 国王との面会を目的とした縦長の大広間である。外国からの使者を迎えることもある場所だけあって、その内装は豪華絢爛の一言に尽きた。敷かれた絨毯など踝まで埋まりそうなくらいふわふわで、目が痛くなりそうなほど細かい刺繍が施されている。
 一番奥にある数段高くなったところに、これまた豪華な、金細工や宝石装飾の施された玉座があった。国王はあそこに座ると聞くが、まだその姿は見えない。
 そして、広間の両サイドには、王国の高官がずらりと並んでいる。五十人近い人数だ。彼らはびしりと背筋を伸ばしていて、微動だにせず、完璧な静寂をもって、国王の登場を待っていた。
 さて、コウスケはというと。
 彼は謁見する張本人であるからして、当然、たった一人で広間の中央に立たされていた。
 もちろん、付き添いなどいない。
 謁見の進行について説明を受けた際、恥も外聞もなく「いやそれ無理だから誰か付き添ってせめて」と泣き言を言ったら、ヴァリエーレに「できるわけないだろ、馬鹿」と一蹴されてしまった。
 見捨てられたっ! 友情って儚いっ!
 三日前まで県立高校で青春していた若者には厳しすぎる仕打ちだった。
(ば、場違いにもほどがある……!)
 いい加減、胃が痛くなってきた時。
 玉座の下に控えていた文官が、オペラ歌手のような声量で言った。
「セヴェン国王、バードレイ・グロリヤ・セヴェンス陛下の、おなぁりいぃー!」
 その瞬間、両サイドに立っていた全員が、ずばっと同時に動いて、宮廷式の礼を取る。
 コウスケは驚いて硬直してしまいそうになったが、慌てて、事前に教わっていた通りの姿勢を取った。片膝をつき、胸の前で両手を組み、頭を下げる。これが謁見者の礼らしい。
 玉座の後ろ、閉じられていた幕が開き、その奥から壮年の男性が姿を現す。
 豊かな髭をたくわえ、がっしりとした体を白と金を基調とした服で包み、その頭には白銀の王冠を頂いている。
 セヴェン王国はバードレイ王の堂々たる登場だ。
 そのすぐ後ろには、儀礼用のドレスを着たフィーリアの姿もあった。
 バードレイ王は悠然と玉座に座ると、フィーリアが右隣に立ったことを確認してから、深みのある声で言った。
「皆のもの、楽にせよ」
 礼を取っていた全員が直立の姿勢に戻る。
 コウスケは礼を取ったままだ。事前に教わったことをひたすら忠実に守る。
 ……というか、緊張のあまり、それしかできない。
 バードレイ王の声が響く。
「善神ヴァーチェに導かれた勇者よ、面を上げよ」
「は、はいっ!」
 コウスケは胸の前で手を組んだまま、顔を上げる。
 視線の先には、威厳の塊のような国王の顔があり、こちらを鋭く見下ろしていた。
(うおお……いかにも王様って感じだぜ……)
 バードレイ王は、明らかに緊張過多なコウスケの様子を面白そうに見ながら、口元に太い笑みを浮かべた。
「そう固くならずとも良い。そなたはヴァーチェに予言された勇者なのだから。そなたの武勇については聞き及んでいる。なんでも、あのヴァリエーレを相手に、なんと素手で勝利したそうだな」
 その言葉に、居並ぶ高官達から「おおっ」というどよめきが起こる。
「ヴァリエーレは我が娘フィーリアの護衛も務める剣豪だ。その男を武器も用いずに制する……そなたのような剛の者を迎えられたことは、セヴェン王国にとって誇るべき名誉といえよう」
 コウスケは「国王陛下、耳早っ!?」と驚きながらも、礼儀に則り、口を開いた。
「も、もったいないお言葉でづっ」


 ──噛んだ。


 一瞬、静寂が謁見の間を支配する。
 だが、さすがは政治に携わる人々であった。王を含めて、全員がハイレベル極まりないスルー技能の持ち主だった。
「謙遜せずともよい」
 王の言葉でさらりと流される。
 ただ一人、フィーリアだけが必死に笑いを噛み殺していた。
 コウスケは思う。
(今すぐ弾けて『へっ、汚い花火だぜ』とか言われたほうがマシだッッ……!)
 そんな彼の哀れみすら誘う赤面振りをもスルーして、バードレイ王は締めくくった。
「この大陸の命運はそなたの双肩にかかっている。我がセヴェン王国は神託同盟の誓いの下、勇者ヤジマコウスケ、そなたを全力で援助することを宣言する。見事、悪神ヴァイスの手による怪物どもを討ち滅ぼし、ヴァーチェの正義を示してくれ」
 バードレイ王が玉座から立ち上がる。
 文官が再び舞台俳優のように言った。
「これにて、謁見の儀を終了とする!」
 その場にいた全員が礼を取ると、バードレイ王とフィーリアは幕の向こうへと戻っていった。そして幕が下り、空気に満ちていた緊張感が抜けていく。
 高官達が謁見の間から出ていく中、立ち尽くすコウスケに、礼服を用意してくれた文官がそそくさと近付いてきた。
「では、これから会議室にて、今後の予定を御説明いたしますので」
「はい……」
 力なく答えると、文官は慰めるように、ぽんと肩を叩いてくれた。
 コウスケは脱兎の如く、その場から逃げ出したかった。


 * * * * *


 会議室で説明を聞いた後、ゲストハウスで昼食を食べ終えたコウスケは、ヴァリエーレと立ち会った広場に来ていた。
 服は用意してもらった運動着だ。動き易い上下に着替えている。
 きらきらとした日差しの下、両腕を組み、うーむと唸る。
(なんか、流されるまま、≪可能性の怪物≫と戦う方向になってるな……)
 セヴェン王国の人々は、コウスケを勇者として扱い、その働きに期待している。
 まあ、当然の話だ。彼らはヴァーチェを信奉しているし、怪物を倒さなければ危険なのは明白だ。人類滅亡、というレベルで捉えているかどうかは知らないが、王国滅亡の危機くらいには考えているだろう。
 彼らからすれば、善神が力を保証している(少なくとも、そう考えられている)コウスケに戦ってもらわねば困るのだ。
 コウスケとしても、寝床やら食事やらを世話してもらっている以上、その期待に応えたいとは思っている。
 だが、しかし。
「憶測だけど、敵は初代ピッコロ並なんだよな……」
 エネルギー波で街を吹き飛ばし、天下一武道会で達人バトルを勝ち抜いた悟空や天津飯を子ども扱いした化物である。敵はそれと同レベルの怪物だと予想されるのだ。
 今の自分はどう贔屓目に見ても、初期のヤムチャ程度の強さしかない。
 逆立ちしたって勝てない。
 では、ドラゴンボールのZ戦士達みたく、修行すればいい勝てるだろうか。
 ……それも難しいだろう。
 訓練を積めば、間違いなく、強くはなれるだろう。気の知覚と運用を実際に体験してみたわけだが、なるほど、努力次第ではもっと多くのエネルギーを生み出し、操れそうだという実感を得られていた。
 だが、それでも重大な問題がある。
 如何ともしがたい障害だ。
 それは、時間だった。
「あと一週間か。いくらなんでも短すぎるよな」
 会議室での説明を思い出す。
 ≪門≫は大陸の中央部、チェントゥーロ大神殿がある善神信仰の総本山に出現しているという。そこはヴァーチェの聖地ということで、絶えず巡礼者が訪れることから、自然と都市が出来上がっていた。
 その都市は、宗教上の配慮から、特定の国家の支配下には置かれていない。その代わりに各国が全権大使を派遣しており、合同議会が設置され、大神殿の意向を尊重しながら統治しているそうだ。
 ≪門≫が出現し、ヴァーチェの神託が下りた後、各国と大神殿はこの都市の一部を簡易要塞化。『神託同盟』と呼ばれる期間限定の同盟条約を結び、国際合同駐留軍を配備して、着々と迎撃準備を整えているとのことだ。
 そして、迎撃に際しての主戦力は、言うまでもなくヴァーチェの勇者達である。
 つまり、コウスケを含めた12人の転生者に期待されていた。
 説明役の文官は言っていた。
 神託によれば、最初の≪可能性の怪物≫が現れるのは、今日を含めて一週間後だと。
 大神殿と≪門≫がある都市、ハイリヒトゥーム市までは馬車で三日かかるので、明日の午前中にはセヴェンス市を出立する予定になっている。
 実質、訓練に使える時間は四日足らずしかない。
 ドラゴンボールの作中において、主人公である孫悟空は、わずか数日の修行で戦闘力を18万という莫大な数字にまで向上させた。しかし、それは、主人公という役割を除外しても、高重力発生装置やサイヤ人の民族的特性、長年の修行によって培われた土台があってこそのパワーアップだったと考えるべきだ。
(たしか、亀仙人の戦闘力が140前後だった。仮に、俺がドラゴンボールで行われていた亀仙流の修行を積んだとしても、そのレベルに達するには何年もかかるに違いない)
 コウスケは考える。
 初期の悟空達とは違い、自分はすでに気の使い方を知っている。そして、ドラゴンボールの原作の知識がある。それらを参考に、気の増大を主眼に置いて訓練を積めば、短期間で亀仙人クラスにはなれるかもしれない。
 それでも、初代ピッコロのレベルには遠く及ばないけれど。
 なにより四日間ではさすがに無理だろう。
 結局、結論は一つだ。
「他の11人の≪主人公の力≫次第ってことか……」
 現在の自分の生活はセヴェン王国の援助で成り立っている。わずかな期間とはいえ、世話になった人達がいて、友達と呼べる知り合いもできた。
 できれば、いい生活をしたいし、彼らの期待と信頼を裏切りたくない。
 とりあえず、ハイリヒトゥーム市まで行き、他の11人と会ってから、最終的な身の振り方を決めようと思う。
「……少年漫画の主人公なら、みんなを守るためって、躊躇いなく戦うんだろうな」
 コウスケだって、できるならそうしたい。
 大好きな少年漫画の主人公達のように、弱者を守る為に戦いたい。
 だけど、怖いのだ。
 自分は死んだ。死を経験した。運良く転生したが、また死ぬかもしれない。
 交通事故でめちゃくちゃになり、体の感覚が失われていった時間のことを思い出す。
 意識が消え去る瞬間が忘れられない。
「俺は……」
 拳を振り上げる。
 芝生に叩きつける。
 ドシンという轟音と共に、凄まじい破壊力によって地面が抉れる。
 十人力のパワー。
 それが、ひどく、頼りなく感じられた。
「俺は、死にたくない」
 ≪本物の主人公≫達とは違う、臆病で利己的な自分を自覚する。
 善人にも悪人にもなれない、中途半端な自分。
「くそったれ……最低じゃないか。こんな奴のどこか勇者で、どこが≪主人公≫なんだよ」
 吐き捨てるように自嘲する。
 それでも。
 それでも、できることをしようとは思う。
 ヴァーチェは言っていた。コウスケに与えられた≪主人公の力≫は可能性なのだと。もし戦うことになった時、少しでも努力をしておけば、何かが成せるかもしれない。
 コウスケは顔を上げる。
 迷いがあろうが恐怖があろうが、前に進むことだけは止めないでおこう。
 そう決めた。
「とにかく、ドラゴンボールの代名詞、気功波を撃てるくらいにはなっておかなきゃな」
 この世界には魔法が実在するというし、攻撃魔法の練習場くらいあるはずだ。
 ちょっとした爆発が起きても大丈夫な場所があるかどうか尋ねよう。
 コウスケは立ち上がると、ヴァリエーレを探すべく歩き出した。


 * * * * *


 予想通り、攻撃魔法の練習場はあった。
 宮殿内にある、近衛騎士の屯所、その裏手に作られていた。
 幅10メートル、奥行き25メートルくらいの空き地で、石造りの塀に囲まれ、鉄製の的板が並んでいた。
 昼食時間の直後のせいか、コウスケとヴァリエーレ以外に人影は見当たらない。
 コウスケは、射撃場のように区分けされたブースの一つに入り、よしと気合を入れた。
「やったるぞー!」
「おまえが魔法を使えるとは知らなかったな」
 隣のブースに立ち、ヴァリエーレが言う。
 コウスケはいやあと頭をかいて、
「魔法は使えないんだけど、似たようなことはできるかなあと。これも確認なんだ」
「? よく分からんが、まあ、やってみればいいだろう」
 ヴァリエーレはそう言うと、正面の的を見据えて、こきりと右手の指を鳴らした。
 そして、拳銃の早撃ちのように手を振るい、鋭く唱えた。
「風よっ!」
 瞬間、突き出された指先から、ヒュオッという大きな風切り音が鳴り、正面の的からガンッという大きな音が響いた。
 驚いてそちらを見ると、的の鉄板は遠目から分かるほどへこんでおり、びりびりと震えていた。
「うおっ、本物の魔法だ……!」
「攻撃用魔法の『風の矢』だ。弾速が速く、鎧の上からでも骨を砕ける強力な術だ。本職の魔道士でもなければ、まず使えない、高難度の魔法さ。驚いただろう?」
 身につけるのには苦労したよと、ヴァリエーレは胸を張る。
 それを聞いて、コウスケは背筋に冷たいものを感じていた。
(強力な術? あれが?)
 確かに十分に凶器になる威力だ。
 それでも、今の『風の矢』の威力は、せいぜい小口径の拳銃程度ではないのか? 鎧の上からでも骨を砕けるというけれど、逆に言えば、鎧を着た相手を一撃で仕留められるほどの威力はないということだ。
 まずい。
 これは、まずい。
 ヴァリエーレ個人の意見しか聞いていないから、断言はできないけれど。




 ─────この世界の個人戦闘力は、想像以上に低い。




 今朝、ヴァリエーレはコウスケに剣術や弓術の心得を聞いてきた。つまり、主な武器は剣、槍、斧といった近接武器と、弓矢や石弓、発達していても投石器や初歩的な大砲くらいなのだろう。
 それは予想していた。なにせ剣と魔法のファンタジー・ワールドだ。
 それでも、それでも魔法があるのだから、少しは戦力になると思っていた。
(その魔法が───この程度なのか!?)
 こんなレベルのものがピッコロ大魔王級に通用するはずがない。
 コウスケは初めて、ヴァーチェの追い詰められていた意味を悟った。
 冗談抜きで、この世界は、滅亡の危機に瀕しているのだ。
「……う」
 コウスケは口元を押さえてよろめいた。
 ───気持ちが悪い。
「おい、コウスケ? 大丈夫か、顔色が真っ青だぞ!?」
 心配するヴァリエーレを手で制する。
 大丈夫じゃない。大丈夫じゃないけど。
「……大丈夫だ。大丈夫だよ」
 コウスケはぐっと腹に力をこめて持ち直す。
 大きく深呼吸して、正面の的を見据えた。
 全身で気を練り上げる。湧き上がってくる力を束にして、流れを作り、左手に集めるように意識する。
 左手をまっすぐに突き出し、手のひらを広げ、その中心に力を集めていく。
 集まっていく気の力を感じる。
 その量が十分に高まったと感じた瞬間、コウスケは咆哮した。
「はっ!」
 『ボッ!!!』という鈍い音と共に、左手からサッカーボール大の光り輝く球体が現れ、猛スピードで飛翔した。
 弓矢よりも速く撃ち出された光球は、寸分違わず鉄板に命中し、激しく炸裂する。
 いや、爆発した。
 轟音と爆風を撒き散らして、鉄板が高々と宙を舞う。
 地面に落ちてきた鉄板は、ぐにゃりと九十度近くまで曲がっていた。
「───やっぱり、こんなもんか」
 コウスケは呟く。
 凄まじい脱力感があった。ほとんど全ての気を使っても、漫画の初期における『かめはめ波』にすら遠く及ばない。
 ヴァリエーレは度肝を抜かれた表情で硬直していたが、やがて、「お、おおお……!」と感嘆の声をもらし、両手の拳を握り締めた。
 彼の顔は、希望に満ちていた。
 勇者の力に対する、勝利の未来に対する希望だ。
 コウスケは、そんなヴァリエーレに何も言えず、奥歯を噛み締めた。





 ───こんなものは通用しないんだ。





 その一言が、どうしても告げられなかった。



[22452] Salvation-12 幕間 その一
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:64ac6700
Date: 2011/04/09 14:43
 上下の感覚すら消失した純白の空間において、日御碕ハルカは不自然なくらい冷静だった。クリアな意識と客観的な思考。「ああ、今の自分はおかしいな」と自覚するくらい、己という存在が冴え渡っているのを感じていた。
 唐突に現れた女性、自らを精霊や神と名乗るヴァーチェの説明を聞いてさえ、ハルカは微塵もうろたえなかった。
 ───私は此処にいる。
 ───私は私として此処に在る。
 その確固たる認識が、不可解な現状がもたらす混乱をねじ伏せて、彼女の精神を安定させていた。
 死を経過して、なお、生前の決意は輝いている。
 それゆえに、彼女は揺るがない。
 あとで泣くかもしれない、いや、きっと泣くだろうと分かっていても。
 彼女は、あらゆる不条理に立ち向かおうと、そう決めたのだから。


「───どうか、私の世界の人々を助けて下さい」


 悲痛な響きに満ちた、精霊神ヴァーチェの願い。
 それは悪意に彩られていなくとも、ヴァーチェ自身が懺悔したように、明らかに強制である。こちらの意思を無視して、力ずくで突きつけられた、不条理な現実だ。
 『だから』、ハルカはそんなものには負けない。
 負けてなどやらない。
 悔しさや悲しさや痛みを、虚無の奥底に捨てたりなどしない。
 受け止めて、前進するのだ。
 屈辱に這いつくばろうとも、立ち上がれば、歩くことが出来るのだから。


 そして、吸い込まれるような落下感と共に、ハルカはヴァーチェの世界へと舞い降りた。










     Salvation-12
         幕間 その一










 強烈な衝撃を受けて目覚める。
 なかなかに過激な味わいだ。
 閉じていた目を開けると、たどり着いた先は石造りの広い部屋だった。
 集会場かホールのような屋内で、ハルカは床から一段高くなった台の上にいた。
 その周囲を、時代錯誤な衣装に身を包んだ大勢の人々が取り囲んでいる。彼らはハルカの姿を認めるなり、跪き、敬い出した。
「おお、ヴァーチェの勇者よ……!」
「精霊に導かれた戦乙女……!」
「ヴァイスの怪物を退ける希望が、遂に我が国にも……!」
 次々に呟かれる言葉の群れに、ハルカは「なるほど、そういうことか」と状況を推測する。彼女は下手に騒がず、悠々と場の流れに身を任せた。
 案の定、人々は勝手に納得して、一昔前に流行した異世界漂着物のファンタジー小説のようなやり取りを始める。
 彼らの言葉を、重要そうな部分だけ拾いながら、適当に聞き流す。
 その最中に、ふと気付いた。
(……うわ、なんだろ、これ)
 彼女が着ているセーラー服に、見慣れない色彩が加わっている。
 それは髪の色だった。
 ハルカの髪は長く、腰の近くまであるのだが、本来ならば黒いはずに色が眩い金色に変わっていたのだ。それも洗髪料で染めたような色ではなく、髪自体が光り輝いているかのような黄金色である。
 本物のブロンドを凌駕する、神々しい色だった。
 さすがに驚いていると、目の前で何かが動いた。
 改めて見れば、法衣か何かだろうか、上等な作りのローブを着た老齢の男性が、こちらに一枚の書状をうやうやしく差し出していた。
 男性は厳かな口調で告げる。
「チェントゥーロ大神殿より賜りました、善神ヴァーチェの神託に御座います」
「……私にですか?」
「顕現された勇者殿に御渡しせよとのことです」
 ハルカは素直に受け取り、その紙面に目を通す。
 親切にも日本語で書かれた文章には、ヴァーチェが把握している≪門≫に関する情報と、彼女に与えられた≪主人公の力≫の内容が記されていた。
 それを読み、理解して、ハルカは微笑んだ。
 何故なら、不覚にも、ちょっと嬉しかったのだ。
 この≪主人公の力≫に対して、自分に適正があったということが、まるで自分の決意と姿勢を認めてもらえたかのように思えたから。
 現在、自分はかつてないくらい不条理な運命に置かれている。
 今は平気でも、後々、きっと挫けてしまいそうな辛さを味わうだろう。
 その時、この≪主人公の力≫は支えになる。
 私の心に精神の輝きを与えてくれる─────そんな気がした。
「それでは勇者殿、こちらへ」
 法衣の老人と、あと何人かが、ハルカをこの建物の外へと案内しようとする。
 ハルカは≪主人公の力≫の確認も兼ねて、わずかに湧いた悪戯心を抑えずに、そのちょっとしたアクションを実行に移した。





 彼女が着ていた何の変哲もないセーラー服が、ぐにゃりと歪み、一瞬で≪変身(ターン)≫する。




 
 いまや、ハルカの身を包んでいるのは、平凡を形にしたようなセーラー服ではなく、全身をきつく締めつけるようにタイトな純白のボディスーツだった。
 長く艶やかな、輝く金髪がふわりと舞う。
 予想外な彼女の変身に、周囲の人々は感嘆とも畏怖とも取れる声を上げて驚愕した。
 法衣の老人が震える声で言う。
「ゆ、勇者殿……その姿は……!?」
「勇者じゃないわ」
 ハルカは『想像以上に想像通り』の結果を受けて、上機嫌に宣言した。
(おそらく、この場にいる全員が理解できない)
 ───だけど、これは自分自身の為の言葉だ。
 心から誇らしく、彼女は新たなる己を名乗り上げた。


「私は日御碕ハルカ─────最強の白兵戦用兵器として開発された存在と同じ力を持つ、万能道具存在(ユニバーサル・アイテム)よ」





[22452] Salvation-12 第四話「戦慄! 初めての実戦!?」
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:a213029f
Date: 2011/04/09 14:43
 神秘の生命エネルギー「気」。
 わずかばかりだが、その操作を実際に体験した八島コウスケは、漫画「ドラゴンボール」を読んでいた時に気づかなかった、ある事実に思い至っていた。
 それは「かめはめ波」が高等技術であるということだ。
 そう、ドラゴンボールで最も有名な必殺技の一つ、あの「かめはめ波」である。
 漫画の作中では、亀仙流を学んだほぼ全員が習得しており、登場頻度も高かったせいか、むしろ基本的な技術という印象が強かったのだが、それは大きな間違いだったらしい。
 攻撃魔法の練習場で、初めて気功弾を放った際に、コウスケは痛感させられた。
 かめはめ波。
 このユーモラスな名称の技は、気の扱い方を覚えたばかりの素人にとって、並々ならぬ高さのハードルと言えた。
 気功弾であれば、コウスケにもかなり簡単に撃つことができた。
 しかし、かめはめ波は難しい。少なくとも、今のままでは撃てる自信がない。
 それは何故か。
 気功弾は、言ってしまえば、手のひらに集中させた気を発射するだけの技術だ。破壊力を発揮する程度まで蓄積させた気を、大した調整もせずに、そのまま撃ち出せばいい。
 これに対して、かめはめ波には難度の高い「気の制御」が求められる。破壊力を発揮する密度にまで集中させた気を、獣の顎のように合わせた両手から、その「密度を維持したまま」に、弾ではなく波という形で「放射し続ける」技なのだ。
 分かりやすい表現で例えよう。
 気功弾が「水風船を投げつけること」だとすれば、かめはめ波は「消防車の放水を浴びせること」に等しい。
 つまり、気功弾は「集中・発射」という二工程で済むが、かめはめ波は「集中・収束・発射・持続」の四工程を経なければならない。複雑さがまるで違う。
 単発である「弾」ではなく、レーザーのような「波」という攻撃形態を作り、なおかつ、高密度に収束させた上で、標的に当て続ける。恐るべき破壊力を実現する代わりに、膨大な気と精密なコントロールを必要とするだろうことは想像に難くなかった。
「なるほどだな……」
 考察を終えて、コウスケは納得するしかない。
 パワーとテクニック。その両輪が備わっていなければ使えない絶技───「かめはめ波」。
 それは、たしかに、傑出した武仙・武天老師が編み出した「亀仙流の奥義」なのだ。
「今更ながら、悟空やクリリンの凄さが分かるよ……」
 コウスケは実感を伴いながら思う。
 圧倒的な出力の気を、かめはめ波をはじめ、気円斬や界王拳、元気玉といった多彩な技として操る、その腕前。正に超戦士と呼ぶに相応しい。
 果たして、自分も彼らのような達人になれるのだろうか。
 戦闘力50。
 明確な数字として示された己の非力が、コウスケの前に立ちはだかっていた。





 ≪可能性の怪物≫が襲来するまで、あと六日。










     Salvation-12
      第四話「戦慄! 初めての実戦!?」










 遂にハイリヒトゥーム市へと出発する日が訪れた。
 夜明け前である。
 空はようやく白み始めたところで、まだまだ薄暗く、空気もひんやりと冷たい。
 王宮の正門前には、旅の支度を整えた一団が集合して、装備や荷物の最終点検を行っていた。用意された馬車は全部で五台。説明されなければ馬車と分からなかったくらい大型のものばかりで、訊けば、キャンピング・カーのような代物らしい。荷物の運搬のみならず、野営時に住居としても使えるよう設計されているそうだ。
 つながれている馬の数は、一台につき五頭。それも日本の道産子がロバに見えてしまいそうな大きさである。なんでも大陸の南部が原産の種で、気性こそ穏やかだが、その脚力と持久力は他種の追随を許さないとか。
 飼育係の人々が胸を張って語っていた。
 この五台の馬車に、選抜された騎士達が騎馬で随伴する手筈になっている。
 総勢で百名に近い旅団だった。
「……大事だ」
 コウスケはぼそりと呟いた。
 彼は正門のすぐ側から、兵士や騎士達が働く様子を眺めていた。手伝いを申し出たら、勇者殿に雑務などさせられないと断られたので、せめて迷惑にならないように隅で大人しくしているのだ。
 学生服ではなく、用意してもらった旅装束を着ていた。袖や裾をしぼった動きやすい作りで、上質な生地を使っているのか、厚手ながら肌触りもいい。保温性も高く、今も寒さに震えずにいられた。足元は登山靴を思わせる頑丈なブーツとなっている。
 さて、いよいよ、≪門≫のある街に出発するわけだ。
 コウスケは未だ見ぬ他の≪主人公≫候補達に思いを馳せていた。
 11人の転生者達。
 彼ら、あるいは彼女らは、どうするつもりなのだろう?
 そうやって考え事をしていると、
「暇そうだな、勇者殿」
「そう言うお前もな、騎士様」
 聞き覚えのある声に、コウスケは振り返りながら、砕けた言葉を返した。
 ヴァリエーレだ。
 彼は硬そうな革製の鎧を着込み、腰に長剣を提げて、右太股に大振りのナイフを括りつけていた。長距離移動に適した軽武装といった趣きだ。
 ヴァリエーレは快活に笑い、
「どうした、コウスケ。ずいぶんと不景気な面をしていたじゃないか。もしかして緊張しているのか?」
「そりゃ緊張くらいするよ。こんなに大勢の人達が、俺を送り届ける為に働いているなんて、なんだか悪い夢みたいだ」
「自分の価値を低く見積もるのは褒められないな」
「期待が重いって言ってるんだよ」
「それも勇者の責務さ」
「勇者、ね……。なりたくてなったわけじゃないんだけどな」
 最後の一言は、小さな呟きだったので、ヴァリエーレに聞こえなかったらしい。
 コウスケが肩をすくめた時、周囲が一瞬だけざわめき、すぐに静かになった。
 その原因は門の奥にいた。
 フィーリアが一人の近衛騎士を従えて、こちらに歩いてきていたのだ。
 彼女の姿を認めて、ヴァリエーレは一歩下がり、姿勢を正す。
 コウスケもそれに倣う。
 フィーリア達が門から姿を現すと、その場にいた全員が一斉に敬礼をした。
 コウスケも見よう見まねで周囲に合わせる。
 王国の王女は柔らかく微笑んで、よく通る声で言った。
「皆、御苦労様。わたくしのことは気にせず、仕事を続けて下さい」
 その言葉で、各々が自分の作業を再開する。
 フィーリアは満足そうに頷くと、近衛騎士を引き連れたまま、コウスケの前までやって来た。
 彼女の美しいプラチナ・ブランドが微風にさらりと揺れる。
「おはようございます、コウスケ様」
「おはようございます、王女殿下」
 殊更に意識して丁寧に返事をすると、フィーリアが「あら?」と小首を傾げた。
 彼女は眉をハの字にして、
「なんだか、神殿でお会いした時と言葉遣いが違いませんか?」
「それは、その、あの時は王女殿下がどのような御方なのかも存じ上げていませんでしたから……」
 コウスケは慣れない敬語で答えながら、困った表情でヴァリエーレを見やる。
 それに気づいて、フィーリアは年相応な態度で頬を膨らませた。
「あ、ヴァリエーレ、貴方の入れ知恵ですね! コウスケ様に不敬だの何だのと小言を言ったのでしょう」
「いえ、あくまでコウスケ……あ、いや、勇者殿御自身の判断かと」
 ヴァリエーレが強い視線で「そうだよな?」と同意を求めてくる。
 コウスケも負けじと「この野郎、俺に振る気か?」と視線で返すが、場の空気を読むくらいの分別はある。
 ヴァリエーレの言うとおりですと答えようとした時、フィーリアはますますむくれて、ヴァリエーレからぷいっとそっぽを向いた。
「しかも、なんだか二人だけ仲良くなってます! これだから殿方はずるいです。ちょっと剣を合わせたり、ケンカをするだけで、すぐにお友達になってしまうんだもの」
「で、殿下?」
「ふーんだ。ヴァリエーレなんて、もう知りません!」
「ああ、そんな、殿下っ!? おい、コウスケ、お前もなんとか言え!」
「だから俺に振るなよ!?」
 フィーリアがツンとして、ヴァリエーレが頭を抱え、コウスケが困っていると、いきなり豪快な笑い声が上がった。
 フィーリアが連れていた近衛騎士が愉快そうに笑ったのだ。
 コウスケと比べても立派な体格をした男性で、年齢は四十台半ばくらいだろうか、野性的でありながら上品に整えられた口髭がよく似合っている。
 彼は「失礼」と断ってから、
「王女殿下。そのあたりで哀れなヴァリエーレめを御許し下さい。勇者殿も困っておりますゆえ。これから旅路を御一緒するのですから、和やかにいこうではありませんか」
「あら、マルテイロ。貴方はヴァリエーレの味方をするの?」
「まさか。ただ、いたらぬ部下を躾けるのは私めの役目であれば、殿下にそれを行われては、あわや失業の危機と焦っているのですよ」
「まあ、わたくし、貴方を不安がらせるつもりなんてなくてよ。仕方ありません。ヴァリエーレのことは許してあげましょう」
「寛大な御心です」
「その代わり!」
 フィーリアはびしりとヴァリエーレに人差し指を突きつけて、ぱちりと片目を閉じ、
「ハイリヒトゥームに着いたら、ヴァリエーレ、コウスケ様と一緒に私の市中巡りに付き合いなさい。これは命令ですからね?」
「はっ! 拝命いたしました!」
 大仰に敬礼するヴァリエーレ。
 次に、フィーリアの指がくいんと動き、コウスケの方を向く。
 王女は上目遣いで要求してきた。
「コウスケ様も。お時間のあるときで結構ですから。よろしいですか?」
「は、はい」
「言葉遣い」
「え?」
「こ・と・ば・づ・か・いっ」
「あ、ああ。分かった。市中巡りだね。つきあうよ」
「ありがとうございます♪」
 ぱっと笑顔になるフィーリア。
 すっかり機嫌を良くしたようだ。まるで妹のミユキを相手にしているみたいだと、コウスケが思わず懐かしんでいると、ヴァリエーレの顔がわずかに緩んでいるのが目に入った。
(このロリコンめ……)
 フィーリアに「実はヴァリエーレは殿下のような美しい少女に罵られるのが大好きな特殊性癖の持ち主なのです。ぶっちゃけドMです。しかもロリコン」とか言ってやろうか。そんなことを、半ば本気で企んでいると、ぽんと肩を叩かれた。
 マルテイロと呼ばれていた近衛騎士だ。
 さきほどの会話から、どうやらヴァリエーレの上司らしいが。
 彼はにこやかに右手を差し出してきた。
「勇者ヤジマコウスケ。こうしてお目にかかるのは初めてですな」
「あ、はい、はじめまして」
「私はマルテイロ。セヴェン王国常設騎士団、近衛騎士隊で副隊長を務めている者です。此度の旅団においては、護衛隊の指揮を任されております。以後、お見知りおきを」
「八島コウスケです。よろしくお願いします」
 しっかりと握手をする。
 コウスケはふと気づいて、マルテイロ達に尋ねた。
「そういえば、さっきまでの話からすると、王女殿下もハイリヒトゥーム市に行くんですか?」
「あら、いけませんか?」
 面白そうに訊き返すフィーリアに、コウスケは首を振って、
「いや、だって、≪門≫があるんだよ。危ないじゃないか。俺や騎士団はともかく、お姫様が行くような場所じゃない」
「それがそうでもない。≪門≫があるからこそ、王女殿下も赴く必要があるのですよ、勇者殿」
 マルテイロが言った。
 コウスケは理由が分からず、
「どういうことです?」
「一言で言えば政治ですな。この危機を解決するにおいて、各国がそれぞれどれほど貢献したのか。ヴァーチェ神を信仰する諸国の間では、それが外交上の力関係に影響を及ぼすでしょう。西南部の盟主である我が国としても、王族が出向くことで、ヴァーチェ神への信仰を示す必要があるのです。セヴェン王国は王族自らが危機解決に乗り出していた……そういう事実があれば、戦後、外交面で弱みを見せる危険性が減ります」
 つまりは、国家の威信や大義名分のため、ということだ。
 その方面に疎いコウスケには、釈然としないながらも、意見することができない。
 深刻そうに口元を引き結ぶコウスケに、フィーリアは微笑む。
「そんな顔をしないで下さい、コウスケ様。これも王族の務め。わたくしは納得した上で、ハイリヒトゥームへ行くのです」
「だけど」
「大体、コウスケ様や騎士団を矢面に立たせておいて、王族だからと安全な場所に引きこもっているほうが、わたくしの性に合いません。この細腕ゆえ、戦いの役には立てませんが、支援に関してはお任せ下さい」
 大国の王族の特権、フル活用しちゃいますよ?
 フィーリアは冗談めかした口調で言うと、可愛らしく「むんっ」と気合を入れるポーズを作る。中学生くらいの少女でありながら、しっかりと自分の役割を認識して、義務を果たそうとしているようだった。
 ───これは、かなわないな。
 他の≪主人公≫候補達と会うまで結論を保留している自分とは大違いだ。コウスケの目には、フィーリアの健気な姿が眩しく映っていた。
 そうこうしている内に、旅団の準備が完了したらしい。取り仕切っていた監督官が大きな声で、馬車への乗車を促し始めた。
「そろそろ出発のようですな」
「では、コウスケ様。また後ほどお会いいたしましょう」
 フィーリアは王族用の馬車に乗り込むべく、マルテイロと共に去っていった。ヴァリエーレは王族用の馬車に随伴する騎馬に乗るとのことで、その場で別れた。
 コウスケも、あらかじめ文官から教えられていた馬車へと向かう。
 それから半時間もしないうちに、人員の点呼を終えて、旅団はセヴェンス市を出発した。


 * * * * *


 セヴェン王国をはじめ、十二大王国と呼ばれる主要国があるのは、ヴァーチェの世界で最も大きな陸地にして、唯一の大陸である。
 この大陸はきれいな円形をしていて、善神信仰の聖地、ハイリヒトゥーム市はそのほぼ中央部に位置していた。多くの巡礼者と交易商人が足を運び、各国の文化が混じり合う、あらゆる意味で世界の中心と呼ばれる街なのだ。
 セヴェンス市からは馬車で三日を要する。
 整備された街道を通るので、初日こそ野営となるが、二日目の日没までには宿場町に到着できる。そこで水や食料を補給して、最後の道程を進む予定だという。
 旅団の道行きは順調だった。


 しかし、二日目の日没前、宿場町に到着する直前に事件は起きた。


 その異常に最初に気づいたのは、先頭を走る馬車の屋根上に陣取った、見張り役の兵士だった。彼は未だ遠くに見える宿場町の風景に、今までにない違和感を感じ取った。
 少しでも気になることがあれば、すぐに報告するべし。
 セヴェンの兵は命令に忠実だ。見張り役の兵士は、すぐさま伝令を呼び、護衛隊の隊長であるマルテイロに報告するよう言った。
「宿場町の様子がおかしい」
「どうおかしいんだ?」
「上手く説明できない。はっきり言えば勘だ」
「おいおい、勘で旅団を止めるのか?」
「俺は軍に入った頃から見張り役をやってんだ。いいから報告しろ。なんにもなけりゃいいが、なんかあったらまずいだろうが。マルテイロの旦那に斥候を出してもらえ」
「へいへい」
 報告は速やかに行われた。
 マルテイロはフィーリアが同行している点も配慮して、見張り役の勘とやらを一蹴するような真似はしなかった。直ちに旅団全体に停止を命じると、馬術に優れた騎士を指名して、早馬で様子を見に行くよう指示を下した。
 それから小一時間。
 斥候を命じられた騎士は、馬を全力で走らせながら戻ってきた。
 その背後に、緑色をした化物の群れを引き連れて。


 * * * * *


「なんだ、あれはっ!?」
 コウスケは我が目を疑った。
 馬車の振動に辟易していたところ、旅団が停止したので、外に出て空気を吸っていた。宿場町の様子がおかしい、斥候が出されたという話を耳にして、なんとなく町の方を眺めていたのだが。
 戻ってきた斥候は化物の群れに追われていた。
 それらは人間に似た形をしていて、不気味な緑色の肌を持っていた。体毛はなく、ぎょろりとした目は昆虫のような複眼で、人間的な知性は微塵も感じられない。コウスケは一目見て「ドラゴンボール」に登場した「サイバイマン」を連想した。
 誰かが叫ぶ。
「緑魔(イービル)だ! 五匹いるぞ!」
 あの化物はイービルというらしい。
 警戒していた騎士達がすぐさま行動を開始する。前方を持ち場としていた数人が戦列を組み、石弓を水平に構えて、射撃体勢を取った。
 しかし、矢は発射されない。
 このまま撃てば、斥候に当たる危険性があったからだ。
 焦りの声が響く。
「何をしている! 早く射れ!」
「馬鹿野郎、斥候に当たっちまうんだよ!」
「まずい、追いつかれるぞ!」
 斥候は手綱を荒々しく振るい、全力で馬を走らせていたが、なぜか鞭を使っていなかった。鞭を使えば、一時的ながら、もっと加速できるというのに。
 その理由はすぐに察せられた。
 騎士はその胸に一人の男の子を抱えていたのだ。
「やばい、馬を狙ってるぞ!」
 イービルは四つん這いで斥候を追っていた。これが速い。とんでもない瞬発力で馬に追いつくと、五匹のうち二匹がカエルのように跳ねて、両脇から馬の臀部にしがみついた。
 そして、ぞろりとした歯が生え揃った口を開けたかと思うと、怯える馬の尻に思い切り噛じりついた。


 悲痛な嘶きが響き、馬が前のめりに転倒した。


 斥候の騎士と男の子が宙に放り出される。
 騎士はあくまでも男の子を守ろうとしたのか、男の子を抱えたまま体を丸めて、背中から街道に叩きつけられた。
 砂煙が盛大に舞う。
 その中で、五匹のイービルは馬に群がり、瞬く間に八つ裂きにした。
 そして、口から血を滴らせながら、今度は騎士と男の子を狙う。
 騎士は立ち上がろうと身を起こしているものの、怪我をしたのか動けずにいた。男の子は恐怖に竦んで逃げ出せない。
「ちくしょう、弓じゃ無理だ!」
 砂煙や馬の体で、射線が確保できない。
 前衛の騎士達は石弓を投げ捨て、抜剣、イービルを目掛けて駆け出そうとした。
 だが、それよりも先に、猛烈な勢いで飛び出した影があった。
 疾風のような、人間離れした速度だった。


 八島コウスケ。


 勇者と呼ばれる少年は、両目を見開き、獣のように咆哮しながら突撃していった。


 * * * * *


 駆ける、駆ける、駆ける。
 とにかく地面を蹴って突っ走る。
 喉が破けそうなくらい大声で叫びながら、コウスケは「ああ、俺、なにやってんだ」と心のどこかで思いつつも、決して足を止めようとしなかった。
 前世で死んだ時と同じだ。
 交通事故から女の子を助けようとした時もそうだった。考える前に動いていた。
 もう、こういう性分なのだと諦めるしかないのかもしれない。
「うおおおあああああっ!!!」
 無我夢中で気を開放、戦闘力を限界まで向上、緊張と興奮からどぱどぱと分泌されるアドレナリンで恐怖を麻痺させて突撃する。
 みるみる近づいてくる化物の姿。
 イービルの群れまでの距離は50メートルほどもあったが、わずか2秒足らずで零にする。
 あまりにも速いコウスケの接近に、イービル達は反応さえできない。
 コウスケは拳を握り締めて、一番近くにいたイービルへと襲い掛かる。


 走る勢いそのままに───思い切り、力任せにぶん殴った。


 瞬間、轟音。
 とても骨肉同士がぶつかったとは思えない爆音を響かせて、イービルの体が吹っ飛んだ。首を支点に縦回転しながら、紫色の体液を口と鼻からびしゃびしゃと撒き散らして、10メートル近くまで飛んでいった。
 地面に叩きつけられて、バウンドし、仰向けに転がる。
 その顔面は完全に粉砕され、首はだらしなく折れ、どうみても絶命していた。
「キ……!?」
「キキキーーーーーっ!?」
 残った四匹のイービルから困惑と恐怖、そして怒りの鳴き声が上がる。
 それを掻き消すように、コウスケは吼えた。
「うるせえ、だまりやがれえええええっ!!!」
 体に染み込んだ動作。
 コウスケはほとんど何も考えずにタックルを敢行、傍にいたイービルを地面に引き倒すと、流れるような動きでマウント・ポジションを確保。一切の躊躇をせず、そのハンマーような拳をイービルの顔面に叩きつけた。
「うあああああっ!!」
 興奮で両腕の筋肉が異様に隆起する。
 暴走状態の気が全身を巡り、腕力を跳ね上げる。
 コウスケは一瞬で二十発近いパンチをイービルの顔面に叩き込んだ。イービルは頭蓋骨をあっという間に粉砕され、びくびくと痙攣するだけになる。
 コウスケは目を血走らせて、荒い息を吐く。
 その背後から、残る三匹が甲高い鳴き声を上げながら襲い掛かってきた。
「っ!?」
 コウスケは振り向きざまに、真上へと跳躍した。
 凄まじいバネ。
 体重90キロ近いコウスケの巨躯が、馬乗りという体勢からでありながら、5メートル以上も舞い上がる。
 眼下には、コウスケを見失った化物達。
 コウスケは空中で右手を突き出すと、一瞬で気を練り上げ、手加減せずに気功弾を撃ち込んだ。
「くたばれえええええっ!」
 空気が破裂するような重低音とともに、光り輝く気功弾が発射される。
 それは弓矢のような速度で、イービル達の間、先ほど倒したイービルの死体に命中した。
 閃光。
 そして、爆発。
『キイイイイイーーーーッ!!!』
 三匹のイービルが弾き飛ばされた独楽のように吹き飛ぶ。
 全身に傷を負い、体液を撒き散らしながら、地面に転がっていく。
 だが、三匹とも致命傷はなかったらしく、着地したコウスケを見るなり、脱兎のように逃げ出していった。
 コウスケは肩で息をしながら、その姿が見えなくなるまで、ファイティング・ポーズを崩さなかった。やがて、当面の危機が去ったことを悟り、両腕を下ろす。
 両足ががくがくと震えていた。
 目尻に涙が浮かぶ。


 ─────怖かった。


 斥候の騎士と男の子が、呆然とこちらを見ていた。
 地面には二匹のイービルが、死体となって横たわっている。
 たった今、自分は殺し合いをしたのだと、遅まきながら理解した。
 無数の足音。
 旅団から騎士達が駆けつけてくる。
 その中にヴァリエーレを見つけて、情けなくも、コウスケは心から安堵した。







[22452] Salvation-12 幕間 その二 (前編)
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:b60e3c3b
Date: 2010/12/19 00:11
 朝から不安定だった天候は、いよいよ本格的に崩れ始めていた。
 夕暮れ時である。
 しかし、空は分厚い黒雲に覆われて、茜色から程遠い鈍色に塗れていた。吹きつける風の勢いも強く、雨が降り出せば、たちまち嵐の様相を呈することだろう。
 今日中に街まで戻るつもりでいたけれど、それは諦めたほうがよさそうだ。
 『世界の中心』ハイリヒトゥーム市から幾里か離れた先にある、小さな山の麓である。鬱蒼と茂る森林に佇む廃墟を眺めながら、彼女はそんなことを考えていた。
「ここに泊まるにしても、屋根の下ってだけで、野宿同然よね」
 肩をすくめて、小さく嘆息する。
 目の前にある廃墟は、大昔の貴族階級が別荘として建てたらしいが、いまや幽霊屋敷にしか見えなかった。頑強な石造りゆえ、辛うじて朽ち果てずに済んでいるものの、その居心地の悪さは容易に想像できた。
「まったく、何を好き好んで、こんなところに居るのやら……」
 今度は大きな溜息をつく。
 まだ二十歳に達していないだろう、活発な印象の少女である。この大陸では珍しい、夜の闇に浸したかのような黒髪の持ち主で、きらきらと輝く瞳は上質な黒曜石を連想させた。その服装も些か変わっており、厚手の旅装束と外套の上から、やけに煌びやかな金属製の肩当てを身につけている。腰には本革製のポーチをいくつも帯びていて、扱い易そうな短剣を佩いていた。
 彼女はぼそりと呟く。
「いっそ、外から建物ごと吹き飛ばしてやろうかしら」
「何を物騒なことを言ってるんですか、ユイ様っ!?」
 背後から甲高い声で怒鳴られて、彼女───鹿島ユイはやれやれといった様子で振り返った。高い位置で一つに結わえた髪が、馬の尻尾のようにふわりと揺れる。
 ユイはさらりと言った。
「冗談に決まってるじゃない。あたしがそんな本末転倒な真似をすると思う?」
「ユイ様が言うと冗談に聞こえないんですよ……」
 げんなりした表情で答えたのは、ユイと同年代らしき、背の高い少女である。やはり旅装束姿で、丸々とふくらんだ重そうなリュックを背負っている。肩の辺りで切られた赤毛と頬のそばかすが愛嬌たっぷりで、その首に善神ヴァーチェの聖印を提げており、敬虔なヴァーチェ信者なのだと察せられた。
 ユイは心外だとばかりに腕を組み、
「ねえ、リリー・ジェーン。人のことを無鉄砲な暴れん坊みたいに言わないでくれる?」
「ユイ様。ここ最近、ユイ様が市中でなんと呼ばれているのか御存知ですか?」
「勇者様でしょ? あ、それとも聖女様とか?」
「残念ながら、勇者と呼ばれなくなって久しいです。あと、聖女様って、あつかましいにも限度がありますよ? いいですか、ユイ様。昨今のハイリヒトゥームではユイ様のことを……」
「おおっと、天気が怪しいわ!?」
 ユイはわざとらしく空を見上げて、リリー・ジェーンの言葉を遮るように叫んだ。
 そして、くるりと背を向けて、廃墟をびしっと指差す。
「さあ、早く用事を済ませないと!」
「うっわー、下手な誤魔化し方っ!?」
「うるさいっ! さっさと行くわよ!」
 顔を朱色に染めて、ユイは廃墟に向かって駆け出す。
 その背中を、ああもうとぼやきながら、リリー・ジェーンがよたよたと追う。
 二人の少女は不気味な廃墟の中へと足を踏み入れていった。










     Salvation-12
         幕間 その二(前編)










 別荘といえば瀟洒な館などが定番だが、この廃墟はまるで城のようだ。
 城壁こそ備えていないものの、石材を積み上げた堅牢な作りで、休暇や療養よりも戦闘に向いていそうな趣きである。
 錆びついた鉄扉を蹴り開けて、正面の玄関から中に入ると、そこは広々とした吹き抜けのホールだった。天井からはクリスタル・ガラスを失った骨組みだけのシャンデリアがぶら下がっていて、それ以外に内装は残っていない。
 床には壊れたガラクタや小動物の骨が散乱しており、どこからか風が流れ込んでいるのか、獣の唸り声のような音が絶えず響いていた。
 なかなか恐ろしい雰囲気を醸し出している。
 ユイは物見遊山を楽しむ観光客のように口笛を吹いた。
「これは絵に描いたような荒れっぷりね。まさに悪魔城な感じでグッジョブだわ」
「本当、ユイ様って肝が太いですよね……」
 若干、顔色を青くしながら、リリー・ジェーンが感心する。
 ユイは小首を傾げて、
「そう? 怖いなら、リリー・ジェーンは外で待ってても構わないけど」
「怖いですけど、外は嵐が来そうですし、おそばにいます」
「そっか。なーに、大丈夫だって! あたしにまっかせなさい!」
 ユイが胸を張った、ちょうどその時である。
 まるで彼女の自信を試すかのように、風の音に混じって、本物の唸り声が聞こえてきた。人間のものとは異なる、理性よりも本能が色濃く表れた、威嚇するような声だ。
 ユイとリリー・ジェーンは反射的に身構えた。
 周囲を警戒する。
 すると、あちこちの暗がりから、人間よりも一回り小さな二足歩行の動物達がぞろぞろと姿を現した。全身にごわごわとした毛を生やした、猿を醜くしたような外見をしていた。
 その数、およそ二十匹。
 多少なりとも知能があるのか、それぞれの手には、太い木の枝や折れた鉄柵が棍棒のように握られている。武装しているつもりらしい。
 リリー・ジェーンはごくりと息を呑む。
 しかし、ユイは平然としていた。
「なんだ、ベスティアか。こんなところにいるなんて珍しい」
 つまらなそうに言う。
 ベスティアは一般的に山岳地帯に生息する二足歩行型の動物で、いわゆる亜人の一種に分類されている。簡単な道具を使うが、火を怖がり、知能は総じて低い。本来ならば洞窟などを棲み処としているのだが。
「ここを気に入って、裏の山から下りてきたってとこかな。ケダモノ風情が贅沢を覚えるなんて生意気だこと。こんな獣臭い連中と一緒で、ここの家主は平気なのかしら」
「ここには『彼』が居るはずなのに。ベスティア達は『彼』が怖くないんでしょうか?」
 ユイに寄り添いながら、リリー・ジェーンが疑問を零す。
「自分を怖がるような動物をわざわざ駆除するほど、『彼』はまめじゃないんでしょ。もしくはベスティア達を番犬代わりにしてるのか。ベスティア達からしても、手を出さない限り無害なら、『彼』は便利な『人間避け』でしょうし、一種の共存関係なんじゃない?」
「な、なるほど……」
 そうやって会話をしている間にも、ベスティア達はユイとリリー・ジェーンをじりじりと取り囲んでいく。どちらかといえば臆病な気質のベスティアだが、数で勝り、相手が女性だけということから、ユイ達を獲物と見なしたようだ。
 普通に考えれば危機的な状況なのだが、ユイは鼻で笑った。
「ま、準備運動には丁度いいわ」
 鞘から短剣を抜き放ち、右手にだらりとぶら下げる。
 そして、挑発するように、左手で手招きをした。
 楽しそうに吼える。
「かかってらっしゃい、サル共!」
 その言葉の意味など分かるはずもない。
 しかし、獲物に侮られていると敏感に感じ取ったのか、ベスティア達は一斉にユイ達へと襲い掛かった。
 ユイは素早く腰を落として、左手で床に触れる。
 次いで、鋭く唱えた。
「地精道(ベフィス・ブリング)!」
 瞬間、ユイ達を中心に、床の石畳が直径数メートルに渡って消失する。
 足元で唐突に起きた現象に、揃って体勢を崩すベスティア達。
 その隙を逃さず、ユイは左手を振り上げながら、続けざまに唱えた。


「爆裂陣(メガ・ブランド)!」


 それは、さながら土砂の間欠泉。
 剥き出しになった地面に淡い光が波紋状に走ったかと思うと、土砂が猛烈な勢いで垂直に噴き上がり、爆音を響かせてベスティア達を飲み込んだ。


 * * * * *


 廃墟の二階にある、比較的状態の良い部屋。
 そこで眠っていた彼は、階下から伝わってきた震動に、ふと目を覚ました。
「……なんだろう?」
 ずいぶんと騒がしい。
 ちょっとした地震のような揺れが何度か起こり、一階に棲みついているベスティア達のものらしい悲鳴が聞こえていた。
 何かが起きている。
 大型の獣が迷い込んで暴れているのか。それとも街の人間がやって来たのか。
 後者であれば捨て置けない。
 彼は立ち上がると、すっかり薄汚れた外套から埃を気休め程度に払い、一階に繋がる階段へと向かうべく、部屋から出ていった。


 * * * * *


 ホールは悲惨な有様だった。
 最初から荒れていたが、今では爆撃でも受けたかのようにぼろぼろになっていた。壁や床に大穴が開きまくり、いたるところに真っ黒な焦げ目がついている。
 ベスティア達の姿はもはや一匹として見当たらず、ホールの中央では、ユイが短剣を弄びながら朗らかに笑っていた。
「あっはっは、超・楽・勝!」
「何度見ても、ユイ様の力は理不尽です……」
 明るく盛り上がるユイとは対照的に、土や埃に汚れて座り込むリリー・ジェーン。
 ベスティアとの戦いは一方的な蹂躙に終始した。
 平たく言えば、ユイが強烈な魔法を何度か叩き込んだ後、そのあまりの威力に怯えきったベスティア達を泣くまで追い掛け回したのだ。尻を蹴り上げ、顔面を剣の腹で引っぱたくなど、完全にいじめっこのやり口であった。
 ベスティア達は命こそ奪われなかったものの、這々の体で廃墟から逃げていった。
 圧倒的な破壊の痕跡を眺めながら、リリージェーンは思い出す。祖国の宮廷魔道士達がユイに対して、口を揃えて「同じ魔法使いとは思えない」と戦慄していたことを。
 確かに、ユイが不可思議な呪文───ユイ曰く、因果律に作用する「混沌の言語(カオス・ワーズ)」───を用いて操る魔法の威力は常軌を逸していた。一流と称賛される使い手の魔法でさえ、ユイの魔法に比べれば児戯にも等しい。
 素晴らしい≪力≫だ。
 しかしながら、ユイの奔放な性格がリリー・ジェーンを悩ませる。
(もっと、もっと勇者らしく活躍してくださったなら、私だって素直に喜べるのに……!)
 そう、勇者は、勇者というものは、決して「ヒャッハー、逃げろ逃げろー! 丸焼きにしちゃうぞー! おサルはおサルらしく、お尻を真赤にしてなさーい! あははははは、まっかっかーまっかっかー!」などと大喜びしながら、清々しい笑顔で弱い者苛めを楽しんだりしないのだ。
 当のユイはというと、そんなリリー・ジェーンの苦悩を知ってか知らずか、彼女の肩を上機嫌でぽんぽんと叩く。
「ほらほら、リリー・ジェーン。そんな神様に祈ってばかりいないの」
「うう、ユイ様……。もっと自重してください……。爆風やら何やらで、私まで死んじゃうかと……」
「手加減はしてるわよ。いいじゃない、スリル満点で楽しいっしょ?」
「私は平穏が好きなんです!」
「あたしはリリー・ジェーンの泣き顔が大好きだな♪ すっごく可愛い♪」
「か、確信犯……! 返して、私に平和な日常を返してくださいっ!」
「あっはっはっは」
 襟首を掴まれ、がくがくと揺らされながらも、余裕綽々で笑うユイ。
 彼女は明後日の方向を見ながら、リリー・ジェーンを宥めるように言った。
「ま、返すにしても、それはもう少し後でね。今すぐはちょっと無理そうだから」
「はい?」
「あっちを見なさい。ようやく家主の登場みたいよ」
 そう示されて、リリー・ジェーンは弾かれたように、ユイの視線の先を見た。
 ホールの奥、二階へと続く階段の上である。
 そこに一人の少年が立っていた。
「───っ!?」
「さて、本来の用事を済ませましょうか」
 絶句するリリー・ジェーンの手を襟から解いて、ユイは一歩だけ前の出る。
 短剣を鞘に収めて、こちらを見下ろす少年に堂々と相対する。
 少年はユイ達より何歳か年下に見えた。中性的な整った顔立ちをしているが、身なりは汚れきっていて、被っている外套も穴だらけだ。その髪はユイと同じ漆黒で、珍しい容貌なのだが、彼にはそれ以上に他人の目を引く特徴があった。


 左右の側頭部に、大きく鋭い角が生えている。


 白く艶やかな、硬質の双角。
 竜の牙のような一対から放たれる気配は、見ているだけで鳥肌がたつほど禍々しい。
 ユイは上唇をぺろりと舐める。
 この場に満ちた軋むような空気に反して、彼女はむしろ嬉しそうに呟いた。
「……≪尖角(ホーン)≫。話は聞いていたけど、どうやら本物みたいね。これはトップクラスの当たりだわ」
「ユ、ユイ様……。『彼』は、やはり、ユイ様の推測通り……?」
「ええ、間違いないでしょう」
 ユイは不敵に髪をかき上げながら断言した。





「彼は悪魔。≪クロノクルセイドの悪魔≫よ」



[22452] Salvation-12 幕間 その二 (中編)
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:0d204b18
Date: 2010/12/19 00:12
 石造りの階段を挟んで、鹿島ユイは悪魔と対峙する。
 正確には、悪魔の力を手に入れた少年とだ。
 ユイは少年の側頭部に生えた双角───≪尖角(ホーン)≫を改めて観察した。白く滑らかな、極上の陶器を思わせる突起物。竜の牙さながらのそれらが、世界に満ちている「霊素(アストラル)」を吸収する為の器官であることを、ユイは知っている。
 霊素(アストラル)。
 それは生命そのものとでもいうべき存在である。あらゆる生物に宿る魂もまた、霊素が変化した形の一つとされている。気や魔力などと呼ばれる、生命力に由来した様々な力の根源でもある。
 悪魔とは≪尖角≫を持つ異能生物の総称だ。≪尖角≫から霊素を吸収することで、超常的な能力を発揮する。少なくとも、ユイが生前に読んだ漫画「クロノクルセイド」の作中ではそのように語られていた。
 そう、ユイは善神ヴァーチェによってこの世界に送り込まれた転生者の一人である。
 少年も同じだ。あの≪尖角≫こそ、彼が得た≪主人公の力≫なのだろう。
(……いえ、≪尖角≫を得たんじゃなくて、肉体が悪魔化したんだわ)
 ユイは思考する。
 漫画「クロノクルセイド」に描かれた通りなら、普通の人間が≪尖角≫を移植された場合、心身に多大な負荷がかかり、記憶や人格に障害を生じるはずだ。しかし、目の前の少年にそんな兆候は見受けられない。
 ≪尖角≫と完全に適合している。
 これは、彼の肉体が群魔(レギオン)で構成された調律体、すなわち「悪魔」になったと考えるべきだろう。その力はもはや人間の範疇を超えていると推測できた。
(よほど≪可能性≫との相性が良かったみたいね)
 あたしとはえらい違いだと、ユイは胸中で自嘲した。
 ユイは転生に伴う≪主人公の力≫の獲得を、オリジナルとの適合性に左右されるものと認識していた。つまり、転生者の存在としての性質が、平行世界にいるオリジナルの≪主人公≫に近ければ近いほど、獲得する能力や技能がオリジナルにより忠実なものになるのではないかということだ。
 もしも、それが正しいならば、少年の≪主人公≫との適合性はユイよりも高い。
 ユイが手に入れた≪主人公の力≫は「魔法の知識と運用能力」である。それも小説「スレイヤーズ!」のリナ=インバースに準拠したものだ。今の彼女は魔法言語「混沌の言語(カオス・ワーズ)」を理解しており、術式を組み上げて、「スレイヤーズ!」の黒魔術や精霊魔術を使うことができる。
 あの「竜破斬(ドラグ・スレイブ)」でさえ、どうやれば発動できるか熟知していた。
 けれど、ユイはリナ=インバースのように自由自在に魔法を使うことができない。リナ=インバースは最上級の黒魔術さえ使いこなす大魔道士だが、ユイは「スレイヤーズ!」で言えば「そこそこ腕の立つ魔道士」程度にすぎない。
 白状すると、「竜破斬(ドラグ・スレイブ)」はおろか、そのワンランク下の魔法である「覇王氷河烈(ダイナスト・ブレス)」や「獣王牙操弾(ゼラス・ブリット)」さえ使えないのだ。「烈火球(バースト・フレア)」のような高位の精霊魔術でも難しい。
 知識があるにもかかわらず、である。
 その理由は至極単純で、魔法を発動させるのに必要な魔力が足りないからだ。
 ユイは魔法の知識や運用能力を得たものの、リナ=インバースが保有する莫大な魔力容量を引き継いでいなかった。魔法を使うには自前の魔力を用いるしかない。
 幸いなことに、ユイの魔力容量は小さくない。
 ただし、決して大きくもなかった。
 悔しいが、これがユイの≪主人公≫適正の限界なのだろう。リナ=インバースに対する適合性がもっと高ければ、魔力容量も増大していたかもしれない。
 それでも、ユイの力は十分に驚異的だ。
 この世界の魔法使い達をはるかに凌駕している。
 だが、≪可能性の怪物≫とやらを相手取るには不安が勝る。≪可能性の怪物≫は世界を滅ぼしうる化物と聞く。ユイはリナ=インバースとは違う。魔王を倒すような本物の英雄ではない。
 あくまでも仮初の勇者、≪主人公≫候補でしかない。
 だから。
「───だから、頼りになりそうな仲間を、みすみす逃がすつもりはないのよね」
 階上に立つ少年を見上げながら、ユイは静かに呟き、上唇をぺろりと舐めた。
 彼女はもう決めたのだ。
 どんなに困難だろうと、全ての≪可能性の怪物≫をぶち殺す。
 鹿島ユイ。
 彼女は本気だった。










     Salvation-12
         幕間 その二(中編)










 棲みついていた亜人達を容易く蹴散らしたことで弛みかけていた空気は、少年の登場で緊張を取り戻していた。そこにいるだけで周囲を威圧するような存在感。あれがユイの言っていた≪クロノクルセイドの悪魔≫なのか。
 リリー・ジェーンは脚の震えを抑え切れない。
 少年の無関心な眼差しが恐ろしかった。まるで虫けらにでもなったような気分だ。
 しかし、怯える彼女と異なり、ユイの背中は決して揺るがない。
 大胆不敵に、悪魔の少年と視線を交えている。
(流石はユイ様です……!)
 リリー・ジェーンは感心するほかない。
 鹿島ユイ。
 彼女は善神ヴァーチェが出現を予言した勇者達の中で、最初に顕現した人物である。夜闇で染めたような黒髪と、圧倒的な破壊力を誇る未知の魔法を持って、リリー・ジェーンの祖国であるウワン=エナ王国に現れた。
 ユイは出会った当初から豪胆で、奔放で、好奇心に溢れていた。
 王国の神殿に顕現した直後、己が置かれた状況を把握するやいなや、彼女はすぐさま行動を開始した。神官見習いのリリー・ジェーンを専属の従者に指名すると、数日かけて王都を見聞して回った。
「まずはこの世界を勉強しないとね」
 ユイが迷いのない瞳でそう言ったことを、リリー・ジェーンは覚えている。
 それから一週間と経たないうちに、ユイは早々にハイリヒトゥーム市入りを果たした。そして、ウワン=エナ王国の大使館を拠点に、フィールド・ワークと称し、リリー・ジェーンを連れて周辺地域を漫遊した。
 王国側は自重を求めたが、悪神ヴァイスの怪物が出現すると予言された日まで二十日以上もあったため、無理に止めることもできなかった。
 このフィールド・ワークの過程で、ユイは三つの悪名高い盗賊団を壊滅させ、五頭に及ぶ魔獣を仕留めている。これらの活躍は彼女の知名度を上げたが、同時に、勇者と呼ばれなくなる理由にもなった。
 なにせ、たった二人の少女がふらりと訪れたなり、警視隊や騎士団でさえ手を焼いていた悪党共を完膚なきまで叩きのめしたのだ。しかも、何頭もの魔獣まで屠っている。
 あまりに一方的な殲滅ぶりに、人々からの尊敬は畏怖へと変わり、いつしかユイは勇者と呼ばれなくなっていた。その代わりに、ただの従者であるリリー・ジェーンをも含めて、別の二つ名で呼ばれるようになった。
 たった二人の軍勢、死神の如き殲滅者達───「スレイヤーズ」と。
 リリー・ジェーンは不本意の極みだったが、何故かユイは大喜びしていた。
 それはさておき。
 ともかく、鹿島ユイは良くも悪くも破格の人物だということだ。たとえ相手が同じヴァーチェの勇者で、人間ですらない悪魔だったとしても、この大魔法使いは退かない。
 どんなことがあろうとも、彼女ならばなんとかしてくれる。
 そんな確信を抱かせてくれるのだ。
 だからリリー・ジェーンは逃げ出さない。ユイと共に歩いていくのだと誓っていた。
 ふいに、ユイが沈黙を破り、飄々とした口調で少年に話し掛けた。
「はじめまして、私は鹿島ユイ。あなたの名前を教えてもらえるかしら?」
「……カシマ?」
 それを聞いて、少年が眉をぴくりと動かした。
「日本人の名前だ」
「そう、あたしは日本人よ。あなたに話があって来たの」
「そうか。あんたは僕の同類ってわけだ」
 少年は皮肉げに冷笑し、前髪をかき上げた。
 失礼な態度だったが、ユイは特に気分を害することもなく、改めて尋ねた。
「それで、あなたの名前は?」
「あんたには関係ない」
「そんなことないわ」
「へえ、なんでだい?」
「あたしは相手のことをちゃんと名前で呼びたい。それじゃ理由にならない?」
 ユイの答えが意外だったのか、少年は少し驚いたような表情を見せた。
 彼は視線を逸らすと、わずかに躊躇ってから、どこか子供っぽい様子で渋々と答えた。
「……建部ケイト」
「ケイト」
 ユイは教えてもらった名前をはっきりとした声で繰り返す。
 そして、彼女らしい快活な笑顔を浮かべた。
「きれいな名前ね。あたしの好みよ」
「っ……!?」
 ケイトの頬に朱色がさす。
 彼は苦々しく言った。
「……それで、あんたは僕にどんな用があって来たのさ。ここを見つけるのだって楽じゃなかっただろ」
「まあ、それなりに苦労はしたかな。だけど大切な用事だからね。頑張って捜しちゃった」
「ふうん、言ってみなよ」
「ええ……ねえ、ケイト。あたしと一緒にハイリヒトゥームまで戻ってくれない?」
 ユイはあっけらかんと要件を告げた。
 すると、ケイトはあからさまに表情の温度を下げた。目を細めて、唇を引き結び、憎らしそうにこちらを睨みつけてくる。
 彼は冷たい声音で言った。
「断る」
「どうして?」
「どうせ、僕に怪物と戦えって言うんだろう。そんなのは御免だ。僕には戦う理由なんてない。ヴァーチェが勝手に生き返らせたんだ。恩なんて知るもんか」
「恩返ししろなんて的外れなこと言うつもりはないわよ」
「じゃあ、なにさ。この世界の奴らを守らなきゃいけないとか? それこそ冗談じゃない。あんな連中がどうなろうと僕には関係ない」
「ずいぶんと嫌ってるんだ」
「あたりまえだろ」
 ケイトは吐き捨てた。
「勇者だの使命だの……こっちの気持ちなんてこれっぽっちも考えないで、うっとうしい理屈ばかり押し付けてきて。この世界のことを知らなかったし、少し我慢してやったら、あいつら、調子に乗って好き勝手を言い始めたんだ。本当に───頭にきた」
「だから、暴れてやった?」
「そうさ! あんなに脆いなら、最初から滅茶苦茶に痛めつけてやればよかったよ!」
 ケイトは腕を振り回して、殊更に大声で叫んだ。
 ユイにはそれが「自分は悪くない」と言い訳しているように聞こえた。悪いことをしたと思っているけれど、幼い感情と意地が謝ることを許さず、それを隠したくて怒りを装っている。本当に傲慢な、力に溺れた暴君であれば、こんな主張はしない。
 ユイはハイリヒトゥーム市で見聞きしたことを思い出す。
 トルドヴァ王国に顕現した勇者の少年は、ハイリヒトゥーム市に到着した翌日、トルドヴァ王国の大使館を破壊して逃走した。まさに悪魔のような力で、大使館付の護衛戦士団を蹂躙。三十名以上の負傷者を残して、空の彼方へ飛んでいったという。
 ヴァーチェの勇者に逃げられたというスキャンダルは一夜にして市内を席巻し、トルドヴァ王国は各国代表と大神殿からの非難にさらされて、その威信は地に落ちていた。
(よっぽど高圧的に接したんだろうなあ)
 ユイはトルドヴァ王国大使の顔を脳裏に浮かべた。
 情報収集をした際、直に話を聞いたのだが、絵に描いたような堅物だった。国の論理と名誉こそ至上と言って憚らず、ことあるごとに「我が国の財産」とか「命令権」といった言葉を口にするなど、一挙手一投足に、ケイトを所有物扱いする意識が垣間見えていた。
『おまえは道具だ。怪物と戦うための武器だ』
『口答えせず、命令に従え』
 いきなり見ず知らずの大人達に強制されたのだとしたら。
 世間ずれしていない子供には些かショックだったことだろう。
「……まあ、あたしも似たようなもんか」
 その子供を望まない戦いに引きずり込もうとしているのだから。
 醜いエゴを通そうとしている。
 ユイはそれをはっきりと自覚していた。だからこそ、誤魔化さずに、そのエゴを全面に曝け出そうと決めた。
 両手を広げて、唐突に提案した。
「ケイト。賭けをしましょう」
「……なんだって?」
「正直に言うわ。あたしはケイトに戦って欲しい。あたしにはやりたいことがある。そのためには、この世界の人達が滅ぼされたら困るの。あたしは≪可能性の怪物≫を全て倒したい。ケイト、あなたの力を貸してちょうだい」
「あんたの為に戦えってこと?」
「そうよ。他の連中のことなんてどうでもいいから、あたしの為に戦って」
「あんたもあいつらと一緒か……」
 ケイトの表情が失望に歪む。
 彼はきっぱりと拒絶した。
「嫌だ。誰が戦うもんか」
「だから、賭けをしましょう」
「どういう意味だよ」
「あたしとあなたが闘って、勝った方の言うことに従う。それでどう?」
「……馬鹿馬鹿しい。そんな賭け、僕に何の得があるのさ」
「んー、けっこうあると思うんだけど」
「だったら答えてみろよ。どんな得があるっていうのさ」
「そうね。例えば……」
 ユイは真剣に考える素振りを見せたかと思うと、おもむろに、自分の胸を両手で寄せ上げて、その柔らかそうなふくらみを露骨なくらい強調した。
 そして、この上なく真面目な口調で言う。


「すっごいエッチなこととか要求できるわ」


 瞬間、その場の空気が凍りついた。
 なんとも表現できない居た堪れなさで満たされていく。
 ユイの背後でリリー・ジェーンが膝から崩れ落ち、わなわなと震えていた。階上のケイトは気の毒なくらい真赤になっていた。
 ユイはしてやったりと頷く。
「女体に興味のある年頃だもんね!」
「んなわけあるかあ!」
 ケイトが叫ぶ。
 ───思春期の少年が抱える特有の照れが肯定を許さなかったようだ。
 ユイはそのように解釈して、ケイトの本心を深読みしまくり、前に雑誌で見かけたアイドルのグラビアを真似てセクシーなポーズを決めた。
 誘うように問う。
「それで、どう? 賭ける?」
「あ、あんたなあ……」
「ちなみに」
「……?」
「あたしの胸、小さいけど形には自信があるわ」
「聞いてないよ! ちょっと黙れ、このセクハラ女!」
 石床を激しく踏み鳴らしながら怒鳴るケイト。
 彼は肩でぜえぜえと息をしながら、
「あんたが僕を馬鹿にしていることだけは、よおく分かったよ……」
「ひどい誤解ね」
 ユイの反論を無視して、ケイトは言った。
「いいさ。やってやるよ」
「……へえ?」
「あんたが自分の力にどれだけ自信があるのか知らないけど」
 ケイトが外套を脱ぎ捨てる。
 細身だが不思議と弱々しくない体躯が露わになる。ぴったりとした深い色のボディスーツを着ていて、背中からは一対の蝙蝠のような羽が生えており、両肘に刃を連想させる鋭利な部位が禍々しく尖っていた。
「っ……!」
 リリー・ジェーンが小さな悲鳴をもらす。
 人間に似た異形。
 ケイトの側頭部で、みしりと音をたて、≪尖角≫がわずかに伸張する。まるで深呼吸でもしているかのようだった。
 ケイトがユイを見下ろしながら言った。
「───きっと、後悔することになるよ」
 絶望的な力の差を思い知るといい。
 暗にそう告げるケイトに対して、ユイは鞘から短剣を引き抜き、身構えて応えた。
 彼女は不敵に微笑む。
「───上等。後悔させてよ。それくらいじゃないと、ここまで来た甲斐がないわ」
「いつまでそんな口がきけるかな」
 ケイトの体から眩い光が迸る。
 吸収した霊素から生成された魔力が猛烈なオーラとなって噴き上がっていく。廃墟の中に竜巻が起こったかのようで、肌に痛いほどの突風がユイ達をなぶる。
 少年の、悪魔の体がふわりと宙に浮く。
 その双眸に獰猛な色が滲んだ。
「───いくぞ」
 ケイトが階段の上から弾丸のように飛び出す。
 ユイはそれを正面から迎え撃つ。
 彼女は咆哮した。
「来なさい、ぼうや!」



 そして、魔道士と悪魔の戦いが始まった。



[22452] Salvation-12 幕間 その二 (後編)
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:abe4cb6f
Date: 2011/01/01 16:36
 目的はシンプルな方がいい。
 軸がぶれずに済む。そこへ至るまでの過程がどうであれ、やるべきことが明快になり、取るべき手段を素早く決定できる。選択肢の簡略化が迷いを排除する。瞬間的な判断の連続を迎え撃つことがいくらか容易になる。
 だから、目的はシンプルな方がいい。
 ユイが生前から持っている信条の一つだ。
 それゆえに、彼女は意識する。今から行うケイトとの戦闘の目的を。自分はケイトを仲間にしたい。≪可能性の怪物≫を倒すために力を借りたい。これからの戦闘の目的は、彼を確保して、その協力を得ることだ。
 ───いやいや、それではまだまだ複雑すぎる。
 漠然とした表現を削ぎ落として、もっと目先の目標を、より端的に認識しろ。
 まずは前提条件を確認しよう。戦闘は交渉手段に過ぎない。こちらの目的は勝利することではない。あくまでも協力を得ることなので、殺害は論外、ケイトの力を失わせても意味がない。彼を打ち負かすために≪尖角(ホーン)≫を傷つけるといった行為は避ける必要がある。群魔(レギオン)の再生力は凄まじいが、それも霊素(アストラル)を吸収できなければ発揮されない。
 過剰な火力の行使は厳禁ということだ。
 そして、すでに賭けが成立しているので、説得は不要である。ケイトに約束の反故を正当化させてしまうような理由さえ与えなければ問題ない。
 この二点から答えを導き出す。
 つまり、これからの戦闘で達成すべき目標は次のようなものだ。


 建部ケイトを負傷させずに、正々堂々、正面からねじ伏せる。


 ユイは己の思考に満足した。実にシンプルで分かりやすい。
(要は子供のケンカよね。川原での殴り合い。『なかなかやるな』『おまえもな』とか、そういうノリのやつ。引き分けじゃ駄目ってところは違うけど)
 力尽くで悪魔に負けを認めさせる。
 目にもとまらぬ速さで動き、鉄をも貫く腕力を誇り、多少の傷などたちまち治る。そのうえ、空を飛び、魔力まで操るような怪物を、攻撃手段が制限された条件下でぶちのめす。
 もはや困難を通り越して、不可能に近い所業だろう。
 だが、それを十分に理解したうえで、鹿島ユイは建部ケイトに言い放っていた。
「来なさい、ぼうや!」










     Salvation-12
         幕間その二(後編)









 ≪クロノクルセイドの悪魔≫建部ケイトが、階上から弾丸のように飛び出した。
 それは比喩表現であるものの、決して誇張ではなかった。≪尖角(ホーン)≫から吸収された≪霊素(アストラル)≫、それらから生成された莫大な魔力を糧として、悪魔は超人的な能力を発揮する。
 ケイトの突進は、文字通り、弾丸に等しい速度だった。
 ユイの一呼吸が終わるよりも早く、彼女の右側面を駆け抜け、背後に回り込む。ユイは視覚情報からではなく、ケイトの移動に伴って起きた風圧という触覚情報から、その事実を察知した。
 つまり、速すぎて、本当に目が追いつかなかった。
(は───はやっ!?)
 ユイは驚愕しながらも、ほぼ反射的な運動でもって、その腰を深く沈めた。
 漫画や小説などではよくある話だが、人間大の生物が超高速で移動するというのは、想像をはるかに超えるインパクトだった。冗談抜きで消えたようにしか見えない。知識と経験のギャップとでも言おうか。頭で理解していても、こうして目の当たりにすると、背筋が冷えるほどの驚きを感じずにはいられない。
 だが、それでも、洞察と思考を駆使すれば反応できる。
 素早く体勢を低くしたユイの頭上を、ケイトの右手が凄まじい速さで通過した。その手の形は掌握、開かれた指に攻撃の意思はなく、捕縛の狙いが明らかだった。
 ───やっぱり殺し合いとは考えてない。
 ケイトの行動を視界の端で捉えて、ユイは確信する。
 賭けを受けたのだから、当然といえば当然だが、それでもケイトには「ユイを殺す」という解決手段を選ぶこともできた。ユイとリリー・ジェーンを殺してしまえば、彼にとっての厄介事は消えてなくなるのだ。
 しかし、ケイトはユイの捕縛を狙った。
 抵抗できないように捕まえて、自分の力を見せつけることで、ユイに負けを認めさせようとしたのだろう。いかに悪魔の能力を手に入れたとはいえ、現代の日本で育った少年としては、ごくごく普通の判断と言えた。
 そう、建部ケイトはとてつもなく強いが、普通の少年なのだ。
 だからこそ、トルドヴァ王国の護衛戦士団に死者は出ず、ケイトはこんな場所に隠れていた。彼の暴走は一時の感情による突発的なものにすぎないのだ。
 ユイは体をひねりながら、避けられたことに驚いているケイトの顔を見上げる。
 付入る隙はある。
 今はまだ、建部ケイトに人を殺す覚悟は無い。
 覚悟の差は選択肢の差だ。覚悟とは選択肢を増やすための心の準備を差す。ユイを殺せない、殺したくないという「覚悟の不足」は、悪魔という強力な戦力を、むしろ足枷へと変えてしまう。
 なぜなら、ユイは脆弱な人間の少女なのだから。
 ケイトの攻撃が本気のものであれば、ユイなどかすめただけでも死にかねない。それゆえに、彼は手加減をせざるを得ない。全力という選択肢を選べない。
 建部ケイトにできることは少ない。
 もちろん、それはユイとて同様である。ケイトを殺すことも、深く傷つけることも、彼女には選べない。それでも鹿島ユイに与えられた選択肢は多い。
 理由は簡単だ。
 ユイとケイトの視線が合う。
「……!?」
「……」
 それをしっかりと認識した上で、ユイは不敵に微笑んだ。
 理由は簡単だ、何故なら。
(あたしとあんたじゃ、覚悟が違う!)
 ユイはとっくに決めている。
 自分のわがままを貫くために、他人を傷つけることを、とうの昔に覚悟していた。
 だから、彼女はここにいる。
 ユイは短剣を握っていない右手をケイトの胸板に向けて、鋭く叫んだ。
「魔風(ディム・ウィン)!」
 その瞬間、あきらかに自然現象とは思えない密度の突風が巻き起こり、ケイトの体を激しく叩いた。巨大な太鼓を打ち鳴らしたかのような轟音が響き、ケイトは台風に折られた枝の如く吹き飛ばされる。
「くうっ!」
 ケイトの膂力であれば、踏ん張れば留まれただろう。
 しかし、わずかな動揺が彼に瞬間的な判断を遅らせていた。
 彼は10メートル以上も後方に弾き飛ばされたが、その羽を広げて、見事に空中で停止した。体勢を立て直し、眼下のユイを見据える。
 ユイはすでに次の行動に移っていた。
 右手を突き出したまま、駆け出すと同時に新たな呪文を唱える。
「爆煙舞(バースト・ロンド)!」
 小さな火球が無数に発生して、一斉に発射される。
 撃ち込まれる先は、言うまでもなくケイトだ。
 飛来する火球の弾幕に対して、ケイトは忌々しそうに右手を横薙ぎに振るった。
「こんなものぉっ!」
 彼の右手から魔力の衝撃波が迸る。
 魔法に変換されていない純粋な力の波が、爆煙舞(バースト・ロンド)の火球群を残らず打ち砕いた。
 ところが、火球は吹き散らされるだけで終わらず、破裂した直後、凄まじい爆煙を撒き散らした。小さな火球からは想像もつかないような量だった。
「なんだとっ!?」
 予想外の結果に、ケイトは思わず声を上げる。
 煙は派手に広がり、あっという間に視界を覆い尽くしていた。
「くそっ、これじゃ何も見えない……!」
 ケイトは歯噛みする。
 彼は「スレイヤーズ!」をタイトルしか知らなかった。そもそも小説を読むという習慣があまりなかった。だから、ユイの魔法をゲームかなにかに登場する類と思っていたし、その呪文を聞いても効果を予測できずにいた。
 爆煙舞(バースト・ロンド)は威力に乏しい火炎系魔法だ。殺傷力が低い反面、見た目が派手という特徴があり、命中した先で光と爆煙を撒き散らす。
 つまり、これは意図的な煙幕だった。
 ケイトはそれに気づかない。彼には知識がなく、そして経験も足りていなかった。
 そして、何より。
(あんたには、自分が狩られる対象であるという自覚が足りない!)
 強すぎる力を唐突に与えられたがゆえに、上からの目線で対戦相手を見下している。
 それは油断だ。油断大敵という至言の意味を知るといい。
 ユイは胸中で叫びながら、煙幕の中を駆け、ケイトの背後へと回り込む。とにかく撹乱すること。格下が格上を打倒するにはそれしかない。真っ向からぶつかれば敗北は必至。だから、相手の能力を削ぐことに全力を傾けるのだ。
 賭けというルールで意識を縛り、煙幕で視界を奪った。
 次は本命の攻撃だ。
(ねじ伏せる!)
 ユイは右手を石床につけて、意識を集中、大声で≪力あることば≫を唱え上げた。
「霊呪法(ヴ=ヴライマ)!」
 ユイの魔力が地表を奔る。
 そして───大地が揺れた。


 * * * * *


「僕を甘く見るな……!」
 煙幕の中、ケイトは空中でぐっと四肢を縮めた。
 力を込める。彼は全身に光り輝くオーラを纏うと、四肢を勢いよく広げて、全方位に魔力を放射した。
「はあああっ!」
 先刻の魔風(ディム・ウィン)を髣髴とさせる烈風が荒れ狂い、瞬く間に煙を吹き飛ばしていく。視界はたちまち明るくなり、ケイトは鼻息荒く、周囲を睥睨した。
 そして、再び驚く。
 なぜなら、彼の周囲を、石と土でできた巨人達が取り囲んでいたからだ。
 その総数は三体。
 マッシブな体型をした、いかにも力強そうな石人形(ゴーレム)達が両手を高々と振り上げていた。
「ちょ、おい、これは……!」
「はーい、ケイト!」
 戸惑うケイトに、地上から声が掛けられる。
 ユイだ。
 ケイトは思わずそちらを見る。
 彼女はにこやかに笑って、選挙運動中のウグイス嬢のように、軽やかに手を振っていた。
(まずい!)
 その仕草にユイが王手を掛けていると悟り、ケイトはとっさに移動しようとした。だが、どういうわけか、まるで縛られたかのように動けない。
 自分の身に何かが起きてる。
 ケイトは己の身体を見下ろした。身体に異常はない。しかし、真下の地面には奇妙な状況があった。石床が不自然に消えていて、円形の地面が剥き出しになっており、ケイトの影が映っているのだが。
 その中心に、ユイが持っていた剣が突き刺さっていた。
(まさか───!?)
 昔の忍者漫画や、最近の超能力バトル漫画でも時折見かける技だ。
 影を介して自由を奪う。
 ケイトの想像は正しい。これこそ「影縛り(シャドウ・スナップ)」と呼ばれる、尋問用の拘束魔法だった。影を介して精神世界に干渉し、実体を束縛する魔法である。
 ケイトがゴーレムに驚き、動きを止めていた隙を突いて、ユイは短剣を投擲していた。悪魔の速力を考慮した、周到な策略と言えよう。
 魔法使いは朗らかに言った。
「優しく抱いてあげるわ♪」
 それを合図に、ゴーレム達が同時に両腕を振り下ろした。
 一切の容赦なく、その巨大な五指が合計三十本、ケイトを鷲掴みにして、そのまま地面に押しつけた。とてつもない圧力に、さしものケイトもなす術がない。
 石人形に三体掛かりで押さえつけられ、悪魔は地面に這いつくばらされた。
 そこへ、ユイが駄目押しの一発を叩き込む。
 石人形の構築と操作を行う魔法「霊呪法(ヴ=ヴライマ)」の効果を解き、石人形達を人型の重石にすると、確保した魔力で更に魔法を行使する。
 ゴーレムの一体に触れて、呪文を唱えた。
「氷窟蔦(ヴァン・レイル)!」
 ユイの右手を中心に、氷でできた蔓が幾本もゴーレムの上を這いまわり、わずか数秒で氷漬けにする。
 いまや、建部ケイトは岩と氷の封印によって、完全にその自由を奪われていた。
 人間ならば即死級の荒業だが、悪魔ならば命に別状は無いだろう。
 それを見越した上での厳重な拘束だった。
「ふう……」
 ユイは小さく息をつく。
 ほぼ作戦通りに動くことができた。
 彼女は肩をとんとんと叩きながら、小さく呟いた。
「ま、80点ってところかな。格上相手なら上出来よね」


 * * * * *


「凄い……あの悪魔を、いとも簡単に……!」
 戦いが始まると同時に、そそくさと柱の影に隠れていたリリー・ジェーンは、戦いの一部始終を見届けて感嘆していた。
 どうみてもユイの勝ちだ。それも圧勝だ。
「信じられない……。ユイ様が凄いのは分かってたけど、ここまで凄いなんて……」
 リリー・ジェーンは思う。
 あの悪魔の少年の力は、今まで目にした魔獣すら軽く凌駕していた。疾風よりも速く動き、呼吸するように莫大な魔力を操っていたのだ。トルドヴァ王国の戦士団が赤子同然に蹴散らされたという話は真実に違いない。
 そんな怪物を、ユイはあっさりとねじ伏せてしまった。
 なんという大魔道士。
 リリー・ジェーンは改めてユイに尊敬の眼差しを送った。
「素敵……素敵です、ユイ様!」
 まるで恋する乙女のような表情で、リリー・ジェーンはユイへ駆け寄ろうとした。
 だが、それをユイが手で制した。
 彼女はリリー・ジェーンの方を見ずに、石と氷のオブジェを睨みつけて、うめく。
「……やっぱ、そう簡単にはいかないか」
「え?」
 リリー・ジェーンもオブジェを見る。
 そこには、さっきまでなかった大きな亀裂が走っていた。



 刹那、石人形と氷塊が爆砕した。



 数十トンはあろうかという質量が、木端微塵に砕かれ、大量の土砂と氷片となって四方八方に弾け飛ぶ。
 リリー・ジェーンは柱の影で頭を低くし、ユイは魔法の風でそれらを打ち払う。
 轟音と粉塵が収まった先には、一つの人影。
 二本の角を頂くそのシルエットは、確かめるまでもなく悪魔、建部ケイトのものだ。
 ケイトは軽傷を負ってはいたものの、微塵も衰えた様子も見せずに、正面に立つユイを睨んでいた。
「あはは……純粋な魔力放出だけで、ゴーレム三体を壊してやんの。どんな馬鹿力よ」
 しかも、地面に刺さっていたはずの短剣が抜けて、ケイトの影の中に転がっていた。一連の衝撃で抜けたのではない。ユイはそのあたりも考えた上でゴーレムを動かし、岩と氷と影、言わば三重の拘束を施したのだ。
 小説「スレイヤーズ!」の作中において、影縛り(シャドウ・スナップ)は精神面からの拘束であるため、仲介要素である影が映っている限り、人間には解けないとされている。
 それが解かれている。
 人間を超越した生命力と魔力量で、無理矢理、術を破ったとしか思えなかった。
 生命体としての次元が違う。
 笑うしかない。
 クロノクルセイドの悪魔。なんという化物だ。
「ロゼット・クリストファって、ふっつうの女の子でしょ? こんな連中を拳銃だけで相手してたってわけ?」
 ユイは独り呟く。
 ロゼット・クリストファは「クロノクルセイド」のヒロインだ。特に特殊能力を持っているわけでもない、戦闘訓練を受けただけの人間である。非力な少女だ。しかし、彼女は漫画作中において、並みいる悪魔を相棒とともに倒し、罪人リゼールという高位悪魔さえ単独で撃破せしめていた。
 善神ヴァーチェは言っていた。フィクションは平行世界の観測描写だと。
 もしも、ロゼット・クリストファなる人物がどこかの平行世界に実在するというならば、一手御教授願いたい気分だった。
 ───貴女、尊敬するわ。どういう度胸と腕前よ。
 本物の主人公達。
 ああ、なるほどと、実感する。
「世界を救うっていうのは、こういうレベルなわけだ」
 ヴァーチェ、あんた、無茶ぶりにもほどがあるわ。あたしらみたいな凡人にどこまで期待してんのよ。
 ユイは深呼吸をすると、改めて身構えた。
(それでも、諦めるもんか)
 あたしにはやりたいことがあるんだ。
 絶対に諦めない。
 何度でも挑む。命ある限り。
 ユイは不敵に笑う。虚勢であろうが構わない。笑えなければ、先には進めない。
 彼女はケイトに告げた。
「OK、来なさいよ。何度だって出し抜いてあげるわ」
「……呆れるよ」
 ケイトは呟くと、右腕を掲げた。
 めきりと音をたてて、その右腕が変形する。肘の突起部分が前後に伸張し、薄く鋭く、人間を両断できそうな刃へと変わった。手首から先、1メートル以上もある刃物がぎらりと光を反射する。
 彼はそれをゆっくりと振るった。
 下から上に、簡単に、すっと切り上げる。


 怖気のするような風切音。ユイと10センチも離れていない床が裂け、壁が天井まで切り裂かれた。


 魔力の斬撃だった。
 いつでも殺せるという事実の提示。
 だが、ユイは目を逸らさない。身構えたまま、自らの意思でケイトを見据えていた。
 その瞳の奥にある気持ちを、ケイトは感じ取る。
(───怖がってないわけじゃない。諦めているわけでもない)
 恐怖をねじ伏せ、諦めを踏みにじり、鹿島ユイは建部ケイトと対峙しているのだ。
 ケイトは無意識に尋ねていた。
「勝てると思ってるのかよ?」
「勝つわ」
「どうやって?」
「これから考えるわよ。文句ある?」
 どこまでもふてぶてしく、鹿島ユイは言う。
 ケイトは静かに尋ねた。今度は無意識でなく、意識的に。
「どうして、そこまで頑張るのさ」
「言ったでしょう。やりたいことがあるの」
「……何をしたいんだよ、こんな異世界で」
 その問いに。
 ユイははっきりと答えた。




「元の世界に帰ることに決まってるでしょう」




 ケイトは完全に虚を突かれた。
 今、この魔法使いは、何と言った?
「元の世界に、帰る?」
「そうよ。あたしは家族と友達のところに帰る。なんとしてでも」
「そんなこと、できると思ってるのか?」
 ユイはその双眸に決意を湛えて答える。
「できるできないじゃない。やるの。あたしにはたくさんあるんだ。家族や友達にしてあげたかったこと、して欲しかったこと。言いたかったこと、言って欲しかったこと。山ほど残してる。こうして生き返ったんだから、諦める理由なんてないわ」
「ヴァーチェの話、聞いただろ」
「世界から剥がれ落ちた? 可能性が潰えたから存在できない?」
 ユイは鼻で笑った。
 この世界の人類に尊重されている、仮にも神と呼ばれる存在を笑って見せた。
「そんなの、ヴァーチェが言ってるだけじゃない。彼女は精霊よ。決して万能じゃない。≪主人公≫を呼べずに、私達のような半死半生の一般人を頼るようなこともする。全知全能の神様じゃない」
「だから、できるって?」
「だから、できるできないじゃない」
 やるのよ、とユイは言う。
 彼女は自分の胸を手のひらで叩き、きっぱりと言った。
「あたしの愛情と友情は、そんな神様もどきに否定されたくらいで諦めきれるような軽いものじゃない!」
 幸い、この世界には魔法という神秘がある。ユイ自身にも「スレイヤーズ!」の魔法知識が備わっている。他の転生者達にも未知の能力がある。更に言えば、ユイ達の世界のフィクション作品には「平行世界の移動」という能力や技術が登場するものだってある。
 研究すれば、きっと不可能じゃない。
「あたし達は元の世界に帰れる。あたしはそう信じてる!」
 だから、この世界に滅びてもらっては困るのだ。
 せめて、ユイの研究が成就するまで、存続してもらわなければならない。
 そのために、≪可能性の怪物≫には消えてもらう。この世界を滅ぼそうとする連中には軒並みくたばってもらう。
 そして、怪物を倒すには、力が要るのだ。
「ケイト。あんたは元の世界に戻りたくないの?」
「……」
「もう一度、会いたい人、いないの?」
「……」
「あたしね、いるの。たくさん、たくさんいるの。どうしても、もう一度、会いたいんだ」



 だから、力を貸して。



「……あんた、馬鹿だろ」
 ケイトは深々と溜息を吐きながら言った。
 その態度に、ユイはかっと頭に血を昇らせた。
「な、なにが馬鹿よ! 文句あるっての!?」
「ないよ。だから馬鹿って言ったんだ」
「……え?」
 今度はユイが虚を突かれた。
 呆然とする彼女に、ケイトは髪をかき上げて、やれやれといった様子で零す。
「そういう理由があるんなら、最初から言えってことだよ」
「は?」
「それなら、賭けなんてする必要もなかったんだ」
 ケイトはユイから視線を逸らして、呟く。
「いるよ。僕にも。もう一度、会いたい人達……さ」
「それじゃあ……」
「ああ、いいさ。いいよ。やってやるよ」



「鹿島ユイ。あんたに力を貸すよ」



 あくまでも、あんたにだ。この世界の連中なんて知らない。特にトルドヴァの奴らは。
 意固地にそう付け加えるケイトの顔に、柔らかなものが押し付けられる。
 それはユイの胸で。
 悪魔の少年は、飛び出すように駆け寄ってきた魔法使いの少女に、思い切り抱きしめられていたのだった。



「───ありがとう、ケイト! 大好きよ!」
「───離れろ馬鹿、セクハラ女!」


 * * * * *


 こうして、鹿島ユイと建部ケイトはハイリヒトゥームへと帰還した。
 後にリリー・ジェーンは語る。
 ユイは善神ヴァーチェを尊敬していなかったし、それには物申したいところだけど、目を瞑ろうと思う。なぜなら、全ての戦いを終えた時に、彼女はこう言っていたから。


『あたしは、ヴァーチェなんて嫌いだけど、一つだけ心から感謝してることがあるわ。
 ケイトに、コウスケに、ハルカに───皆に会わせてくれたこと。
 それだけは、本当に、ありがとうって、そう言える』


 * * * * *


 このような出会いが積み重なり。
 ───そして、12人の伝説が始まる。




[22452] Salvation-12 第五話「激戦! 宵闇の死闘!? (前編)」
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:570c6cfa
Date: 2011/04/04 22:33
 宿場町の郊外で起きた緑魔(イービル)との戦闘は、コウスケの活躍により、辛うじて人命を失うことなく終了した。旅団は少年を保護して、斥候を回収すると、そのまま警戒態勢を継続した。
 斥候は落馬で負傷していたが、幸いにも軽傷で済んでおり、速やかな報告が行われた。
 マルテイロはその内容を吟味すると、直ちに緊急会議を召集した。王族用の馬車のすぐ側に天幕と円卓を設置して、八名を選んで呼び集めた。
 集められた面々は以下の通りである。
 まず、最終的な決定権を持つ、フィーリア王女。次に、彼女の補佐役であり、文官勢を束ねる秘書官。ここにフィーリアの身辺警護を務めるヴァリエーレと、四名の分隊長、そして勇者であるコウスケが加えられていた。
 円卓を囲む出席者達に向かって、マルテイロは硬い声で切り出した。
「それでは、さっそく始めよう」
 マルテイロは、はじめに、斥候からもたらされた情報を要約して伝えた。
「───残念ながら、悪い報せだ。この先にある宿場町だが、一時ほど前からイービルの群れに襲われている。常駐している警備隊が対処に当たっているが、戦況は芳しくない。すでに民間人に少なくない死傷者が出ているようだ」
「イービルが町を襲っている?」
 思いがけない事実を聞いたように、分隊長の一人が眉を顰めた。
「連中は気性こそ荒いが臆病です。町を襲うなんて聞いたこともない。ましてや、警備隊が苦戦を強いられるなんて、何かの間違いじゃないですか?」
「いや、そうとも言い切れないぞ」
 別の分隊長が言った。
「もしかしたら、花魔(ヤービル)がいるのかもしれない」
「その通りだ」
 マルテイロが頷き、肯定した。
「斥候が連れてきた少年が、イービルとは明らかに異なる妖魔の姿を目撃している。外見の特徴を訊いたところ、九割九分、ヤービルと考えて間違いない」
「ヤービルか……! なんと厄介な」
 ヴァリエーレが苦々しくうめく。
 その様子を受けて、妖魔の知識に明るくないフィーリアが尋ねた。
「マルテイロ。ヤービルとは如何なる妖魔なのでしょう?」
「平たく言えば、イービル共の親玉です。詳しい生態は不明ですが、ごく稀に現れて、王の如くイービル共を率います。十年以上も前の話になりますが、ヤービルによって集落が襲われて、多大な被害を被りました。住民だけでなく、救援に出向いた騎士団にも多くの戦死者が出ました」
「恐ろしい妖魔なのですね?」
「人間よりも大きな体に、熊をしのぐ怪力と、鳥のような身軽さを備えています。また、その肌は鎧のように硬く、鈍らな剣では刃が通りません。並の腕前の戦士達では、十人がかりで戦っても敗北するでしょう」
 そのマルテイロの言葉に、ヤービルの存在を指摘した分隊長が付け加えた。
「イービルは動きこそ素早いですが、力はそれほどでもありません。一対一であれば、農民や猟師でも十分に立ち向かえる相手です。警備隊が劣勢に立たされている理由は、偏に、ヤービルの存在によるものでしょう」
 そもそも、イービルは大きな群れを作らない。主に森林地帯に生息し、十匹未満の小規模な単位で行動している。肉食のため、少人数で森に入った人間を襲うことがあり、緑魔と呼ばれる所以になっていた。
 大きな群れを形成し、町を襲えるほど攻撃的になっているのも、ヤービルに率いられているからだろう。ヤービルが花魔と呼ばれているのも、普段は森の奥に隠れているヤービル共を、まるで平原に咲く花のように目立つ行動に走らせることが理由だった。
 様々な説明を聞いて、フィーリアは神妙な面持ちで確認した。
「この旅団が有する戦力で宿場町を助けることは可能ですか?」
「もちろんです」
 マルテイロは断言した。
「この旅団に随伴している兵の練度であれば、まず間違いなく勝てるでしょう。ただし、大きな損害を覚悟する必要があります。敵がイービルだけであれば、戦死者が出る可能性もほとんどないのですが……」
「やはり、問題はヤービルの存在なのですね」
「はい。ヤービルもまた森に生きる妖魔です。町という立体的な戦場であれば、ヤービルはその能力を十全に発揮するでしょう。運が味方したとしても、人的損害は二桁に及ぶものと考えてください」
 ヤービルが孕む想像以上の脅威に、フィーリアの横にいた秘書官が息を呑む。
 しかし、フィーリアは王族に相応しい胆力で、表情すら崩さずにいた。
 彼女は毅然とした口調で言う。
「そうですか。けれど、セヴェンの民を見捨てるわけにはいきません」
「無論です。御命令とあれば、すぐにでもこの旅団から部隊を編成し、宿場町の救援に向かいます。その場合、王女殿下には最低限の護衛とともに、セヴェンス市へと戻っていただくことになります。また、勇者殿には案内役とともに、別行動でハイリヒトゥーム市へと向かってもらうことになるでしょう」
 マルテイロの言葉は提案でありながら、反論を認めない意志に満ちていた。
 騎士団として王族を危険に晒すわけにはいかない。そして≪可能性の怪物≫の襲来が迫っている以上、勇者であるコウスケが引き返すという選択も許されない。
 宿場町の救援を行うならば、旅団を三つに分けることになる。
 フィーリアはわずかに黙考してから、ゆっくりと頷いた。
「分かりました。それでは───」
「あの、いいかな」
「……コウスケ様?」
 フィーリアの言葉を遮ったのは、おずおずと手を挙げるコウスケだった。
 彼はためらいがちに、
「町を助けるのが難しいのは、ヤービルというのが危険だからなんですよね?」
「その通りです」
「そいつと戦わなければ、旅団の皆さんに犠牲が出ることもないんですよね?」
「ええ……少なくとも、戦死者が出る可能性は低くなるでしょう」
 マルテイロが訝りながらも肯く。
 イービルの群れも危険だが、それは非武装の民間人であればという話だ。同数以上の武装した兵士であれば、余裕を持って駆逐できる。警備隊が苦戦している理由は、ヤービルのことを除けば、純粋に数の問題と言えた。
 ヤービルをどうにかできれば、旅団の損害を著しく抑えられるだろう。
 それを理解した上でのことなのか。
 コウスケはわずかに震える声で、しかし、全員の注目から決して目を逸らさずに、はっきりと言った。
「───お、俺がヤービルと戦います!」










     Salvation-12
      第五話「激戦! 宵闇の死闘!? (前編)」










 マルテイロと分隊長達によって立案された作戦は、状況が差し迫っていることもあって、極めて単純なものだった。
 最優先される目的は、改めて言うまでもなく、住民達の安全を確保することである。そのため、宿場町が石造りの外壁に囲まれているという点を考慮して、一種の突入作戦が実行に移された。
 宿場町は街道の上にあり、前後に出入口となる門を構えている。身軽なイービル達は外壁を乗り越えて侵入したようだが、人間ではそうもいかない。町から逃げ出すにしても、門を通るしかない。斥候が見てきたところ、警備隊は両方の門を確保できずにいた。住民達は町から出ようとしたところを狙われてしまい、避難もままならないのだろう。
 仮に門を通れたとしても、イービルは走るのが速い。馬に乗っていたとしても、よほどの駿馬でなければ逃げ切れないほどだ。
 そこで、救援部隊は門の一つを確保して、避難経路を作ることを第一目標とした。
 投入される戦力は、フィーリアの護衛を除いた旅団の全兵員である。兵士48名、騎士12名、マルテイロを含めた隊長格4名。そして───勇者1名。総員65名により、この作戦は遂行されていく。
 実行の手順は次のように決められた。
 まず、三人の分隊長達が指揮する12人の騎士達が先行、騎馬隊として門の近辺にいるイービル達を排除する。次いで、マルテイロと兵士達を乗せた二台の馬車が突入、門を挟んで部隊を展開、円形に陣地を構築して、避難経路を作る。
 それから遊撃部隊がイービル達を撃退しつつ、住民達を誘導する手筈となった。
 最大の障害であるヤービルには、遊撃部隊の支援を受けながら、コウスケが当たる予定である。
 コウスケの申し出は、先刻の戦いぶりも評価され、思いのほかあっさりと承認された。ハイリヒトゥーム市への到着が優先されるとはいえ、勇者自身が望む以上、それを断る理由はないということだろう。
 何より、マルテイロ達には、悪神ヴァイスの怪物と戦う勇者ならば、単独でもヤービルと互角以上に戦えるに違いないという認識があった。五匹のイービルを圧倒した実力を見せられたことから、それは確信に近いものとなっていた。
 この作戦の成功の可否は、コウスケの双肩に委ねられたのだ。


 * * * * *


 太陽が半ば以上も地平線に沈み、薄い闇に包まれた中を、十五騎の騎馬が勇ましく疾走する。三名の分隊長に率いられた騎馬隊は、風のように門を通り抜けると、その勢いのままに攻撃を開始した。
 門の近辺をうろついていた数匹のイービル達。すでに襲われて命を落とした住民達の亡骸を、あさましく齧り喰らっていた妖魔達は、磨かれた剣の刃や槍の穂先によって、首を刎ねられ、あるいは心臓を貫かれた。
 熟達した騎士達の動きに淀みはない。
 騎馬隊が門の周辺を確保したのとほぼ同時に、巨大な馬車が二台、轟音を鳴らしながら突入してくる。馬が嘶き、砂埃を巻き上げながら停止すると、馬車から大勢の兵士が雪崩のように降りてきて、瞬く間に陣形を展開した。
 八島コウスケの姿は、その兵士達の中にあった。
 彼は馬車から飛び降りると、いつでも遊撃部隊に加われるよう陣形の外に立ち、準備が整うのを待つ。
 その姿には作戦の開始前と比べて、若干の変化があった。
 騎士達のものと同じ革の鎧を着込み、風変わりな手甲を嵌めていた。いや、よく見れば手甲ではなく、一種の手袋だった。これも革製らしく、指先が出る作りで、手首の少し上までを覆っている。妙に分厚く、遠目からだと手甲に見えるような代物だ。
 他者の目には珍しく映ったかもしれないが、コウスケにはむしろ馴染み深い道具によく似ていた。
(まさか、こんな物を用意してくれていたなんて……)
 コウスケは胸の前で拳を打ち合わせる。
 その手袋は、所謂ところのオープンフィンガー・グローブ───総合格闘技の試合などで使われる、指が開くように作られたグローブ───によく似ていた。
 コウスケがこの世界に馴染みのない総合格闘技、徒手空拳の技で戦うと聞いたフィーリアが、わざわざ用意してくれていた品だった。宮仕えの針子達に命じて、上等で頑丈な本革を材料に作らせたという。
 拳を守るというグローブの機能を維持しつつ、対戦相手の安全を考慮する必要がない実戦用のため、綿ではなく砂鉄が詰まっているという過激な仕様だった。いささか重いが、しっかりと拳を握りこめば、中の砂鉄が圧縮されて、文字通りの鉄拳となる。
 気を開放したコウスケの腕力ならば、恐るべき威力を発揮することだろう。
 コウスケは郊外に留まっているフィーリア達のことを思った。
(俺は何をやってるんだろうとか、やっぱり考えちまうけど)
 危険な妖魔と戦うことを志願するなんて、我ながら向こう見ずにも程がある。元の世界での交通事故や、イービルとの戦いを顧みても、馬鹿なことをしたと思わざるを得ない。しかし、同時に、目の前にある「自分にならどうにかできること」を放置できないという性分を受け入れている部分もあった。
 結局、八島コウスケという人間は、そういう風にできているのかもしれない。
 それが良いのか悪いのか、自分ではよく分からないけれど。
「期待してもらえるなら、応えたいよな」
 格好つけるつもりはさらさらないし、怖いのも辛いのも嫌いだけど。
 自分が戦うことで、傷つく誰かを守れるならば、それは頑張る為の理由くらいにはなる。
「今は、やれるだけやってやるさ……!」
 コウスケは緊張に震える歯の根を噛み締めると、己を奮い立たせて、前を睨んだ。
 そうしているうちに、指揮官であるマルテイロが到着し、馬上から本格的な作戦の開始を号令した。
「遊撃部隊、敵の撃破と住民の誘導を開始せよ!」
『応っ!!』
 遊撃部隊を任された騎士と兵士達が、三手に別れて町中へと駆けていく。彼らのいずれかがヤービルと遭遇したならば、警笛による合図が行われる。その際には、コウスケが現場に全速力で駆けつけることになっていた。
 陣形を保ち、石弓を構えている兵士達が、コウスケに声援を送る。
「勇者殿、御武運を!」
「───はい!」
 コウスケは雄々しく聞こえるよう大声で答えると、呼吸を整えた。
 気を練り上げて、開放する。
 イービルとの戦闘で気功弾を放ったので、気の総量は減っているが、それでも確かな力の感覚が全身を満たしていく。
 大丈夫、俺は戦える。
 改めて己に言い聞かせて、コウスケはその場で跳躍した。
 重々しい衝撃が地面を震わせる。
 コウスケの大きな体が家屋の屋根を超えて、高々と宙へと舞い上がった。


 * * * * *


 フィーリア達は宿場町の郊外に留まっていた。万が一の事態を考えれば、セヴェンス市に引き返した方が安全だが、政治的な理由を重視すると、≪可能性の怪物≫の襲来前に王族がハイリヒトゥーム市に入っていることが望ましい。
 マルテイロを説得した上で、フィーリアは三十人ほどの臣下達とともに残り、宿場町の様子を見守っていた。無論、すでにセヴェンス市へ援軍要請の伝令を送り、移動に必要な準備も整っている。進むにしろ、戻るにしろ、いつでも動ける状態だった。
 フィーリアは王族用の馬車の屋根にある物見台から、宿場町の様子を眺めていた。外壁があるので、町の中は見えないし、遠く離れているので喧騒すら聞こえない。
 それでも、思いを馳せることはできる。
 フィーリアは胸元に下がった聖印を握り、善神ヴァーチェに祈った。
「勇気あるセヴェンの兵達に御加護をお与え下さい……」
 そして、戦士らしからぬ優しい雰囲気を持った、若い勇者の面影を脳裏に浮かべた。
「コウスケ様、どうぞ御無事で……」
 ヤジマ・コウスケ。
 聞きなれない響きの名前を持つ、ヴァーチェに導かれた勇者。
 フィーリアにとって、彼は不思議な人物だった。大きく鍛え抜かれた体は、どう見ても戦士のものだ。しかし、彼からは血の匂いがまるでしなかった。騎士団にいる騎士ならば、どれほど紳士的な人物であろうとも、完全に消し去ることができない暴力の気配。力こそを拠り所にした精神の芳香。
 国と民を守る為に必要と分かっていても、好きにはなれないもの。
 そんな匂いが、コウスケからは感じ取れなかった。
 まるで、純粋な平和に生きた、戦を知らない人のようだった。
(間違いなく、戦士のはずなのに)
 あのヴァリエーレを上回る腕前を持ち、五匹のイービルを瞬く間に撃退した。この上なく強い力を持つ戦士だというのに、あんなにも穏やかだ。
 他の騎士や兵士達と何が違うのか。
(ああ、それは、多分……)
 彼女の勝手な思い込みだけれど、こうではないかという理由があった。
 多分、コウスケは戦う理由が違うのだ。
 騎士と兵士は、義務や名誉のために戦う。果たすべき使命として、武器を振るう。
 けれど、コウスケは義務や名誉を意識していない。重い使命を帯びていながら、それさえも理由としていない気がする。
 彼が拳を握り、力を振るう理由は、そういうものではない。
 おそらく、彼は。
「優しいから、戦うんですよね」
 矛盾していると思う。
 危なっかしくて、愚かしいとも思う。
 けれど、フィーリアには、尊いとも思えた。
 彼女はまぶたを閉じて、もう一度、コウスケが無事に戻るようにと祈りを捧げた。


 * * * * *


 宿場町は決して大きな町ではなかった。定住者の人口は千人に満たず、農業や狩猟を行っているものの、その経済を支えているのはハイリヒトゥーム市へと向かう人々が落としていく金銭に他ならない。
 つまり、民家だけでなく、多くの宿泊施設が軒を連ねているということだ。
 イービルの襲撃が起きたのは、ちょうど、ほとんどの宿で夕食が始まる時間帯でのことだった。外を出歩く人数が比較的少なく、住民と宿泊者の多くが屋内にいた。
 その為、大多数は閉じこもることを選び、小数が門や厩へと殺到した。
 ここで最初の命運が分かれた。屋外にいた者達は次々にイービル達に襲われて、柔らかな首筋を噛み切られ、あるいは数に群がられて絶命した。警備隊が動き出し、戦闘が開始される頃には、町の通りには無数の屍が転がるに至っていた。
 そして、襲撃の発生から一時間半ほどが経過した頃、命運の分岐点が再び訪れた。
 頑丈な家に住む者と、そうでない家に住む者の違いだ。
 屋外にいた獲物を襲いつくしたイービル達は、続いて家屋に隠れる人々を狙い始めた。富裕層の邸宅や、高級な宿屋であれば、石造りの壁と分厚いドアが守ってくれる。しかし、農業や狩猟で細々と暮らす人々の家々は、壁こそ石造りだが、ドアや雨戸の板が薄い。明確な暴力に耐えられるような作りをしていない。
 食欲と攻撃衝動に駆られたイービルがしつこく繰り返す体当たりに、ドアは軋み、最後には叩き割られていった。
 町のあちらこちらから悲鳴が響く。
 大通りの片隅にある、とある民家にも、そうした危機が迫っていた。狩猟で生計を立てているその家は、不運にも猟師である家主が留守にしており、若い母親と幼い女の子しかいなかった。
 二人は抱き合い、部屋の一番奥に身を潜めている。
 玄関のドアは荒々しく叩かれていた。明らかな破壊の意図をもって、大きな何かが激しくぶつかる音が、もう五分以上も続いていた。
 自分の胸に縋りつき、怯えて、無言で泣く娘に、母親は囁き続ける。
「大丈夫、大丈夫よ。お母さんがいるからね……」
 母親の手には、武器というには心もとない包丁が握られている。いざとなれば、これでどうにかするしかなかった。それが、どれほど絶望的な試みだとしても。
 ふいに、一瞬の静寂。
 次の瞬間、一際大きな音が鳴り響き、戸板が砕け散った。
 ランプの消された暗い室内に月明かりが射し込む。
 玄関には複数の小柄な人影があった。
 否、それは人影ではない。
 破壊された玄関に、三匹のイービル達が不気味な鳴き声を発しながら立っていた。
「キ……キキ……」
「キィ……」
「キキッ……キ……キキィ……」
「ひっ……!」
 思わず零れた母親の悲鳴に、三対の複眼がぎょろりとそちらを向いた。
 イービル達はまるで笑ったかのように、口の端を持ち上げて、ぞろりとした牙を剥く。
 恐怖を堪えきれなくなった母娘が絶叫したのを合図に、イービル達は唾液を撒き散らしながら、大口を開けて、二人に躍り掛かった。
 室内に三つの影が舞う。
 だが、そこに一つの大きな人影が飛び込んできた。
「おおおおおっ!」
 威嚇するような雄叫び。
 イービルより二回り以上も大きな人影は、母娘とイービル達の間に滑り込むと、その丸太のような腕を振り上げて、先頭にいたイービルの顔面を殴りつけた。ハンマーさながらの打撃が容赦なく減り込んでいた。
 瀬戸物が割れたような音とともに、イービルの頭部がぐしゃりと潰れた。そのまま蚊トンボのごとく床に叩き落された。
 人影の動きはそれで終わらず、風の速さで旋回し、未だ空中にいた二匹のイービルを迎撃する。返しの左拳で右にいたイービルを打ち抜き、右足を軸にして放った左脚の蹴りで、左にいたイービルの腹を強かに抉る。
 必殺の威力がイービル達を貫徹していた。
 その間、わずか一秒足らず。
 一瞬の攻防で、人影は凶暴なイービル三匹を永遠に沈黙させていた。
 目にも止まらぬ早業を披露した人影は、残身を取り、大きな息を吐く。イービル達が動かなくなったのを確認すると、母娘を振り返り、床に膝をついた。
 月明かりに照らされて、その顔が露わとなる。
 人影はコウスケだった。
 コウスケは、呆然としている二人に、落ち着いた口調で話しかけた。
「大丈夫ですか? 怪我はしていませんか?」
「あ……は……はい……」
 母親が答える。
 コウスケはほっとして、彼女達が安心するよう、簡単に説明した。
「俺はセヴェン王国の騎士団の者です。この町を助けに来ました」
「ほ、本当ですか!?」
 娘を抱いたまま、母親はコウスケの腕にすがりついた。
 よほど恐ろしかったのだろう……コウスケは母親をやんわりと引き離すと、家の外、門の方向を指差して言った。
「町の人達が逃げられるように、騎士団が向こうの門を守っています。今からそこまで行きます。立って歩けますか?」
「は、はい……」
 母親は頷いたが、どうやら腰が抜けているらしい。彼女の膝はかくかくと震えていて、とても自力で歩けそうになかった。
 無理もないと思う。
「失礼しますね」
 コウスケは母親と娘を軽々と抱き上げた。二人分の体重である、軽く見積もっても60キロほどもあったが、気を操れるようになったコウスケには、もはや大した重さではなくなっていた。
 その力強さに目を丸くする二人に、コウスケはぎこちなくも、優しく微笑む。
「少しだけ我慢してください」
 そう言ってから、コウスケは家を出ると、門へ向かって走り出す。
 大通りを駆けていく。その速度は、二人の人間を抱えていながら、並の大人の全力疾走よりもはるかに速い。
 みるみるうちに門へと近づいていく。
 その途中で、風の音に混じり、甲高い笛の音が聞こえた。
「っ!? 警笛の音っ!?」
 コウスケは靴底を擦らせて、その場に急停止する。
 そこに、別の通りから、住民達を連れた遊撃隊の一つが姿を現した。彼らが携えた剣や槍は紫色の液体で濡れており、一戦を交えた後で誘導している最中なのだと窺えた。
 遊撃隊の方もコウスケに気づいて、声を掛けてくる。
「勇者殿!」
「ちょうどよかった、この人達も連れて行ってもらえますか?」
「もちろんです。勇者殿は……」
「警笛が鳴った場所へ向かいます」
「ヤービルの相手ですね」
「はい」
「御武運を!」
 遊撃隊は母娘のことを快く請け負い、誘導を再開した。
 コウスケは彼らの背中を見送ってから、一回だけ深呼吸をして、夜空を見上げた。
 どこかの部隊がヤービルと接触したようだ。
 ここからが本番である。
「……やってみせるさ!」
 コウスケは跳躍した。
 素晴らしいジャンプ力で高々と宙を舞い、屋根の上に軽やかに着地する。
 再び、警笛が鳴った。
「あっちか!」
 コウスケは己の超人的な運動能力に慣れつつあった。
 警笛が鳴った現場を目指して、屋根と屋根の間を易々と跳び越えていく。
 夜の空気を切り裂きながら進む。
 宿場町はそれほど広くない。コウスケはあっという間に数区画を通過して、警笛が鳴ったと思われる区域にまで辿り着いた。
 そして、そろそろ下に降りようかと思った時、逆に何かが屋根まで飛び上がってきた。
 矢のような速さだった。
 コウスケは度肝を抜かれて、その場に立ち止まる。
 飛来した何かは、コウスケから数メートルほど離れた場所に着地していた。
「───!?」
 本能的に危険を感じた。
 コウスケは反射的にファイティング・ポーズを取っていた。
 屋根の上に、人間ではない存在がうずくまっていた。
「あれが……ヤービル……ッ!」
 呟き、ごくりと息を呑む。
 コウスケの視線の先で、人型の怪物がゆっくりと立ち上がる。
 身長は2メートルほどもあるだろうか。全身が装甲のような皮膚で覆われており、酒樽を繋ぎ合せたような筋骨隆々の体つきをしていた。イービルの上位種と聞いたが、イービルと似ているところなど、肌の色と複眼くらいしかない。
 恐ろしい迫力を漂わせていた。
 否が応にも感じる。
 この怪物は強い……!
「……ビビるな、俺!」
 コウスケはそう叫んで、さらに気を練り上げた。全身の筋肉が隆起して、湧き上がる力にはちきれそうになる。心に「自分は超人である」という確信が拡がっていく
 彼自身は知るべくもないが、わずかながら気の運用が上達していた。実戦を経験したことが功を奏したのか、気を開放することに肉体が馴染んできたのだ。
 仮に「ドラゴンボール」のスカウターで測定したならば、今のコウスケの戦闘力は70前後をマークしただろう。この世界に顕現した直後と比較して、平均値で四割近くも向上したことになる。
「うおおおおっ!」
 コウスケはヤービルに突撃した。
 瞬発。踏み込んで加速する。
 コウスケは一瞬にしてヤービルに肉薄していた。
「くらえっ!」
 硬く握った左拳を、コンパクトなスイングで振り抜く。
 肝臓打ち(リバーブロー)。
 人型ならば急所の位置も人間に近いだろうという推測。右の脇腹を目掛けて、強烈な打撃を打ち込んだ。
 何かが爆発したような打撃音が轟く。
(───命中!)
 コウスケはそう思い、吹き飛ぶヤービルの姿を想像した。
 だが、しかし。
「……え?」
 間の抜けた呟きをもらす。
 ヤービルは健在だった。吹き飛ぶどころか、微動だにしていない。
 見れば、コウスケの左拳は狙い通りに命中しておらず、ヤービルの左手によってがっちりと受け止められていた。
 完全に見切られ、防御されていた。
 そして何より驚くべきことは、気の運用によって増幅されたコウスケのパワーをものともしていないという事実である。
「……!?」
 コウスケの背筋に冷たいものが流れる。
 彼を見下ろすヤービルの複眼に、生物のものとは思えない、無機質な殺意が滴っていた。
(や、やばい!)
 ひとまず距離を取れ!
 コウスケは後退しようとして、がくりと失速した。
 ヤービルが彼の左拳を掴んだまま、万力のごとく放さずにいた。
 逃がさないという明らかな意思表示。
 次の瞬間、ヤービルの右拳がコウスケの顔面を無造作に打ち抜いていた。
「!!!!!?」
 おぞましいほど痛烈な打撃。
 とっさに右腕で防御していながら、コウスケの視界は一瞬だけ黒く染まり、後方へ何メートルも叩き飛ばされていた。そのまま、屋根にあったレンガ造りの煙突に激突する。
 息が詰まる衝撃。
 びしゃりと、鼻腔と口から血が噴き出す。
 歯が何本か折れていた。
「う、お……」
 どうにか意識を保つ。
 顔を上げて、前方にいるヤービルを見た。
 凄まじいパワーを見せつけた怪物は、背中をたわめて、獲物に襲い掛かる野獣のような前傾姿勢で身構えていた。
 ───来る!
 コウスケの予感を裏付けるように、ヤービルが一直線に襲い掛かってきた。
 その信じがたい瞬発力。
(こいつ───洒落になってねえ!)
 コウスケは猛烈な悪寒に身を震わせた。




 花魔(ヤービル)。
 この世界において屈指の強さを誇る妖魔である。
 個体差はあれど、もしもスカウターで測定したならば、その数値が100に達する場合があることを、誰も知らない。







[22452] Salvation-12 第六話「激戦! 宵闇の死闘!? (中編)」
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:6db85e7e
Date: 2011/04/09 15:11
 花魔(ヤービル)が風を切って迫る。
 煙突を背にしたコウスケは後退を許されず、瞬間的な判断を強いられて、半ばやけくそ気味に迎撃を決意した。
(カウンターでぶち込んでやる!)
 右拳を固く握り締めて、グローブに詰まった砂鉄を圧縮、比喩でなく鉄塊と化した一撃を全力で振り抜いた。
 アッパーカット。
 縦方向に突き上げるパンチだ。
 低い姿勢で駆けてきたヤービルには避けようもない攻撃である。また、アッパーカットのすくい上げるような軌道は防御も難しい。
 今度こそ直撃する。
 だが、そんなコウスケの確信は、予想だにしない形で再び裏切られた。
 コウスケの拳が届く直前で、ヤービルが両足を前に投げ出して、空中で背中を反らしたのである。全力疾走からのスウェーバック。常識では考えられない運動だった。
「……っ!?」
 渾身のアッパーカットが空を切る。
 続いて、さらに驚くべきことが起きた。
 いくら攻撃を回避したとはいえ、ヤービルの動きは重心を無視している。本来ならば、そのまま仰向けに倒れるしかない。しかし、あろうことか、ヤービルはその背筋力だけで上半身を跳ね上げた。
 ヤービルは倒れるどころか、バネ仕掛けのような不自然さで体勢を立て直し、攻撃を続行してきたのだ。
 パンチを打ったばかりのコウスケは完全に無防備を晒していた。そのがら空きになった胴体をヤービルの平手打ちが殴打する。革鎧の上から打たれたにもかかわらず、内臓がひっくり返りそうな衝撃が炸裂し、コウスケは何メートルも吹っ飛ばされた。
 隣家の屋根に激突する。
 コウスケの大きな体がまるで玩具扱いだ。
 屋根の斜面を転げ落ちそうになるも、なんとか踏み止まる。それでも、胃袋が痙攣し、たまらず、その場に跪いて吐いた。
「げほっ……!」
 吐瀉物のつんとした臭いが鼻腔を衝く。
 胃液が歯茎の傷に沁みた。
 あまりの苦痛に倒れこんでしまいたくなったが、そんな真似をすれば、たちまちまな板の鯉になる。気力を費やし、両足に喝を入れて、どうにか立ち上がった。
 さっきまで自分がいた煙突の辺りを見る。
 ヤービルの姿が見当たらない。
 はっとして空を見上げると、その視線の先にヤービルがいた。
 すでにこちらに向かって跳躍している。月明かりを浴びて、緑色の魔物がその鉤爪を振り上げていた。
(───やばい!)
 コウスケは咄嗟に回避を試みる。
 まさに間一髪。
 彼の鼻先を掠めて、ヤービルの豪腕が屋根を薙ぎ払った。いかにも堅牢な石材がたやすく砕かれ、悪夢めいた痕跡が深々と刻まれる。まともに食らえば、気で強化された肉体であろうと、骨ごと抉られかねない破壊力だ。
「な、なんてパワーだ……!」
 コウスケは慄きながら、必死に間合いを確保する。
 バックステップでヤービルを引き離し、改めて身構えた。
 そのコウスケを妖魔の複眼がぎょろりと射抜く。
「シイィィ……」
 呼気とも鳴き声ともいえない、おぞましい音がヤービルの口からもれた。
 それを聞いただけで、全身に鳥肌が立った。
(───おっかねえよ)
 コウスケは恐怖していた。
 声にならない泣き言で頭の中が一杯になる。
 かつてない重圧に苛まれて、コウスケは呼吸が乱れるのを自覚した。ここまで防戦一方になるとは。ヤービル、こいつはイービルなんかとは格が違う。
 コウスケは苦々しく呻いた。
「ちくしょう、自惚れてた……!」
 気を操れるようになり、超人的な力を手に入れた。数えられる程度とはいえ、この世界に来てから経験した全ての戦いで勝利を収めた。いつの間にか、自分を無敵の男なのだと錯覚していた。
 とんだ道化である。
 自分は一度も戦ってなどいなかった。気というアドバンテージに守られて、一方的に暴れていただけだ。己と同等以上の力を持つ存在を相手にして、コウスケは初めてそのことに気づき、思い知らされていた。
 これこそが戦いなのだ。
 敗北と死は等価であり、一切の容赦が介在しない。
 負けたら殺されるのではない。殺されたら負けなのだ。
 地獄のような真理がここにある。
(逃げる、か?)
 コウスケの心に甘美な誘惑が忍び寄る。
(でも、俺が逃げたら、誰がこいつと戦うんだ?)
 ヤービル。こんな奴と戦えば、どれほどの犠牲者が出るのか。マルテイロは二桁の人的損害を覚悟しろとフィーリアに言っていたが、十人やそこらで済むとはとても思えない。
 自分がヤービルを倒せなければ、救援部隊は壊滅し、この宿場町も滅びるのではないか?
 コウスケの脳裏に、町のいたるところで見かけた惨状が浮かんだ。イービルに襲われた住民達の末路。物言えぬ骸に成り果てた人々の姿が思い起こされた。
 駄目だ。
 駄目だ、駄目だ、駄目だ。
(死にたくない……!)
 拳を握り締める。力の限り、強く握り締める。
(死なせたくない……!)
 ヤービルを睨みつける。
 怖い。
 本当に怖い。
 怖い、けれど、あんな奴に好きにさせていいのか。
「……してもらったんだ」
 コウスケは己に言い聞かせるように呟く。
「優しくしてもらったんだ。親切にしてもらったんだ。俺は! セヴェンの人達に!」
 ヴァーチェの思惑があろうと、勇者という立場にいたからであろうと、八島コウスケという人間はセヴェン王国の世話になった。この国に暮らす人々に助けてもらった。
 恩がある。
 それが事実だ。
 だから、勇気を振り絞れ。
 他ならぬ自分自身のこの手で、目の前の妖魔を倒すのだ。
「てめえなんかに……」
 言葉には力がある。
 だから、叫べ。
「てめえなんかに負けてたまるかあああっ!」
 咆哮。
 コウスケは己を奮い立たせて、ヤービルへと突撃した。










     Salvation-12
      第六話「激戦!? 宵闇の死闘! (中編)」










 コウスケとヤービルの激しい攻防が始まった。
 アクロバティックな肉弾戦である。両者は互いに超人的な運動能力を駆使して、屋根から屋根へと飛び移りながら、空中で交差する度に、鋭く重い打撃を交換した。
 コウスケは直線的なパンチとキックを機関銃さながらに連打する。道場で学んだ格闘技術をベースに、パワーで劣る点を手数で補う。これに対して、ヤービルは闘争本能に身を委ねて、野獣の如く四肢を振り回していた。
 骨肉がぶつかり合い、宵闇に物騒な旋律が奏でられていく。
 コウスケは巧みな体捌きで辛うじてクリーンヒットを受けずにいたが、戦況は明らかに彼の不利だった。どれだけパンチやキックを命中させても、ヤービルに効いている様子は見られない。それに比べて、コウスケの肌には痣や傷が加速度的に増えていた。
 ヤービルの防御力がコウスケの攻撃力を上回り、ヤービルの攻撃力がコウスケの防御力を凌駕しているのだ。
 一見すると互角のような戦いは、その実、ぎりぎりのところで拮抗しているに過ぎない。
 コウスケの消耗が進めば、どこかで一気に形勢が傾くだろう。
 はっきり言って、ジリ貧である。
 コウスケの胸中にひりひりとした焦燥感が募る。
(くそ。なにか打開策を講じないとっ……!)
 顔面と胴体、上下に打ち分けたコウスケのパンチがヤービルに命中した。装甲のような緑色の皮膚がみしりと軋むが、ヤービルは一向に怯まない。鉤爪を鈍く光らせて、コウスケの首筋へと振り下ろした。
 コウスケはこれを際どいところで回避する。
 この振り下ろしは要注意だ。もしも当たってしまったら致命傷になる。
 不安定な空中戦。
 この攻防はいつまで続く?
 いつまで続けられる?
 コウスケは歯軋りしながら、光明の差さない戦いを耐え凌ぐ。


 * * * * *


 騎馬に跨り、イービルの掃討に奔走していた騎士は、頭上で行われている勇者と妖魔の決戦を目撃し、馬の脚を止めた。
 緊急会議に参加した分隊長の一人である。
 彼は自分に随伴している部下達とともに息を呑んだ。
「すごい……あのヤービルと正面から殴り合っているぞ……!」
 噂に聞いていたが、あのヤジマ・コウスケという少年は本当にとてつもない力の持ち主らしい。ヤービルは熟練の戦士団が決死の覚悟で挑むような敵である。コウスケはそんな桁外れの脅威と単独で渡り合っているのだ。
 あれが勇者の実力なのか。
 イービルの掃討は順調に進んでいる。住民の誘導も滞りない。作戦開始から発生した被害は皆無だ。ヤービルと交戦した部隊に何人か怪我人が出たようだが、幸い、命に別状はないという報告を受けている。
 これも、コウスケがヤービルを引きつけているおかげだろう。
 分隊長は思う。勇者の働きに我々も報いなければ。
「いくぞ!」
『応!』
 分隊長は己の責務を果たすべく、部下達とともに、再び馬を走らせた。


 * * * * *


 とうとう、その時が訪れた。
 コウスケとヤービルの間にあった均衡が遂に崩れてしまった。
 きっかけは、ヤービルが攻撃のリズムを一変させたことだ。
 それまでの弧を描くような攻撃を、直線的な打撃へとシフトさせたのである。明らかにコウスケから学習した技術的な動作だった。
 唐突に、突き刺すようなパンチが最短距離を飛んできた。
 単調な攻防に慣れていたせいで、コウスケはこの変化にまったく反応できなかった。
 クリーン・ヒット。
 コウスケの分厚い胸板に、ヤービルのパンチがまともに命中した。
「ぐはっ!」
 革鎧の胸部分が弾け飛び、胸骨がめきめきと軋んだ。
 コウスケは空中から叩き落された。砲弾のような速度で地面に激突、石畳が敷かれた大通りをボールのように跳ね回り、最後にうつ伏せに叩きつけられて、ようやく止まる。
 常人であれば、確実に死んでいただろう。
 だが、コウスケの体はこの猛威に耐え抜いていた。気を全身に巡らせていたおかげだ。
 それでも、極めて大きなダメージを受けてしまった。
 コウスケは体を起こそうとするが、四肢がぶるぶると震えて、まるで力が入らない。額から大量の血がぼたぼたと流れ落ち、石畳を赤く染めていく。全身の骨が折れたかのような痛みが神経を這いずり回っていた。
「う、ぐ……」
 朦朧とする意識を繋ぎ止める。
 少しでも気を抜いたら、一瞬で闇に飲み込まれてしまいそうな脱力感に支配されていた。
「根性……だ……ガッツを見せろ、俺……!」
 コウスケは血を吐き捨て、歯を食いしばりながら、立ち上がる。
 青黒い痣に塗れ、流血に汚れて、ぼろぼろになっていても、その表情に諦めはない。
 セヴェンの人達を守る。
 未熟ながらも固い決意が彼を支えていた。
(だけど、このままじゃ負ける)
 コウスケは十分に理解していた。
 ヤービルは自分よりも強い。もしも「ドラゴンボール」のスカウターで戦闘力を計測したならば、ヤービルの戦闘力は確実にコウスケを上回るだろう。感覚的な印象を述べれば、五割はなくとも、三割くらい高いのではないだろうか。
 30%の力量差。
 これを埋めなければ、コウスケに勝ち目はない。
(どうする、どうすればいい……)
 コウスケは藁にも縋る気持ちで思考する。
 自分の≪主人公の力≫の原典である「ドラゴンボール」において、主人公の孫悟空は格上の敵を幾度となく倒していた。最も印象深い例は、宇宙の帝王フリーザとの死闘だ。どう足掻いても敗北必至という状況下で、悟空はスーパーサイヤ人へと覚醒し、戦闘力を爆発的に増大させて勝利した。
 スーパーサイヤ人になる?
 無理だ。そもそもコウスケはサイヤ人ではない。どれだけ感情を昂ぶらせても、覚醒などするわけがない。激情のみでパワーアップできるなら苦労しない。
 もっと現実的な方法はないのか。
 戦闘力を上げる、そう、技術のようなものが必要なのだ。
「───あ」
 ふいに。
 コウスケはそれを思い出した。
「───ある。あるぞ」
 そうだ。思い出した。戦闘力を上げる方法はある。
 だが、果たして可能だろうか。
 それは確かに戦闘力を上げる「技術」だ。種族的特性でもなければ、主人公にもたらされた奇跡でもなく、技と呼ぶべきものに間違いない。
 技を身につけるためには練習が必要だ。
 もちろん、コウスケはその技を練習したことがない。
 だけど。
「もう、これしかない」
 それは「ドラゴンボール」に登場した技の一つだ。具体的な使い方を説明している場面こそなかったが、コウスケはヒントとなる台詞を覚えていた。
 この技を使っていた悟空が、彼の親友であるクリリンに説明していた。


『カラダじゅうのすべての気をコントロールして瞬間的に増幅させるんだ』


 コントロール。
 そう、コントロールと言っていた。
 コントロールとは制御するということ。肉体を鍛え上げて出力を上げるのではなく、あくまでも気を操り、制御するという手段で、パワーアップを図ることが可能なのだ。
 漫画の作中で具体的なことは語られていない。
 しかし、コウスケにはアイディアがあった。
 実際に正しいのかどうかは分からないが、こうすれば「制御という方法で戦闘力を上げられるのではないか」という方法を思いついていた。
 ぶっつけ本番にも程がある。
 完全に博打の領域だ。
 けれど。
「それがどうした。八方塞がりよか百万倍マシだぜ」
 コウスケは無理矢理に笑みを浮かべた。
 その思いついた方法を一瞬だけ試してみる。体内の気の流れを、ことさらに意識して、アイディア通りに制御してみた。
 どくんと、心臓が大きく脈打つ。
 明らかな変化に肉体が驚いたのだ。無理もない。成功すれば、戦闘力が上がる恩恵の代償として、尋常でない負荷が掛かるのだから。
 それでも、コウスケは心の底から喜んだ。
「いける……!」
 本当にできそうだ。
 この手には、まだ、戦う為の武器が残されている。
「やってみせる!」
 震える声で、しかしはっきりと言ったコウスケの前に、空から大きな影が舞い降りた。
 もはや断るまでもないだろう。
 傷ついた獲物にとどめを刺すべく、ヤービルが追撃してきたのだ。
「ヤービル……!」
「シイィィ……!」
 コウスケの慢心を完膚なきまでに打ち砕いた屈強な妖魔は、すでにコウスケに抵抗する力がないと高をくくっているのか、ゆっくりと前傾姿勢を取った。
 速さと威力だけを重視した攻撃姿勢だ。
 最速の一撃で、一瞬のうちに仕留めるつもりなのだろう。
「上等だ。受けて立ってやる……!」
 コウスケは踏ん張りが利くように、スタンスを広げて、腰を落とした。
 これが最後の攻防になる。
 全ての力を使い切れ。
 必ず勝つのだ。
「かかってこいやあっ!」
 コウスケの怒号に応じるように、ヤービルが地面を蹴った。
 二足歩行の限界を嘲笑う、圧倒的加速。
 緑色の妖魔が、暴力そのものとなって突っ込んでくる。
 絶体絶命の危機。
 それを前にして、コウスケは全身の気を制御した。
 最悪の条件下、たった一つだけ幸運を挙げるならば、それは彼の決意があらゆる逆境を受け止めきったということ。
 強敵の存在、セヴェンの人々の命運、自分自身の生死。恐怖と諦観を与えかねない圧倒的な重圧が、しかしこの時、八島コウスケという少年の集中力を極限まで研ぎ澄ましていた。
 ヤービルはそのことに気づいていない。
 コウスケは気を制御した。
 制御して───瞬間的に増幅させる。
 異変が起こる。
 コウスケの全身から赤いオーラが迸る。
 彼は、叫んだ。





「───── ≪界王拳≫!!!」





 界王拳。
 それは孫悟空がサイヤ人との決戦に備えて会得した、北銀河の管理者である界王から授けられた奥義である。
 その効果は、戦闘力の瞬間的な増幅。
 意識的に行う限界突破。
 コウスケとヤービル。
 両者が完全に互いの間合いに達した時、コウスケの戦闘力は120を超えた。



[22452] Salvation-12 第七話「激戦! 宵闇の死闘!? (後編)」
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:6db85e7e
Date: 2011/01/09 22:01
 界王拳。
 それは「ドラゴンボール」に登場する、北銀河の管理者である界王が編み出した技の一つである。孫悟空はこの技を使いこなすことで、驚くべきことに、その戦闘力を最大で20倍まで上昇させていた。
 コウスケが思い出した戦闘力を上げる技術とは、この界王拳に他ならなかった。
 界王拳で花魔(ヤービル)を打倒する。
 もちろん、実際に使えるという保証などない。あの孫悟空でさえ、この界王拳の習得には数ヶ月を費やしたのだ。一朝一夕で実現できるような技でないことは明白である。
 それでも、基本的な原理さえ分かれば、真似事くらいは可能かもしれない。
 背水の陣に置かれて、コウスケは一縷の希望に賭けたのだ。
 コウスケのアイディアは単純なものだった。
 彼がセヴェンス市の王宮で実感したことが正しければ、気は肉体にいくつか存在する「不可視の渦」から湧き出ている。この渦は、おそらく、古武術や気功などの分野において、気門とかチャクラとか呼ばれている類のものだろう。
 気を電力に例えるなら、気門は発電用のタービンといったところか。気門の最大出力は様々な要素から決まるようだが、肉体の強さが深く関係していると思われる。「ドラゴンボール」の戦士達が厳しい修行を積み、肉体を鍛え上げることでパワーアップを達成している点から考えても、決して的外れな意見ではないはずだ。
 気は生命エネルギーであり、肉体を活性化させて、著しく強化する。
 ここでコウスケが注目したのは、気を生み出す気門もまた、肉体が持つ機能の一部であるということだ。
 そこで、彼は次のように考えた。
(もしかしたら、気門そのものを気で強化できるんじゃないか?)
 気の流れを集中させて、気門の出力を強制的に上げること。コウスケはそれが界王拳の出発点ではないかと考えたのだ。
 気は水のように変幻自在のエネルギーである。気功弾とかめはめ波が異なるように、その扱い方次第で生み出せる力の強さは劇的に変動する。ここで悟空の言っていた「カラダじゅうのすべての気をコントロールして」という言葉が意味を持つ。
 肉体に高出力の気を巡らせるだけで終わらせず、その流れを細やかに制御して、最も効率よく作用させる。気の巡り方、注ぐ分量、流し込む強さ、さらにはそれらの連動をも視野に入れた、極めて複雑な制御を並列して行う。
 最小限の気の消費で、最大限の気の生産を行い、最も効率よく運用して、戦闘力を上げる技法。
 気を操るという行為の究極形。
 それがコウスケの結論した「界王拳」の正体だった。
 だからこそ、出力と強化のバランスを考慮して用いなければ、肉体に過剰な負荷が掛かり、最悪の場合には自滅する。まるで原子炉がメルトダウンを起こすかのように。
 言うまでもなく、コウスケにはそこまで精密な気の制御などできない。
 こんな神業を訓練もしないで使いこなせるほど、彼は才能に溢れていないし、経験だって積んでいない。理想的な界王拳はあらゆる身体能力を倍加させるが、そんな贅沢はとても望めない。
 だから、コウスケはたった一つのことだけをやろうと決めた。孫悟空のような完成度の高い界王拳の成功を最初から放棄して、ただ気門の出力を上げることのみに専念した。
 生み出したエネルギーを上手に活用しようなんて背伸びはしない。
 現在の八島コウスケが求めるものは、唯一つ。


 ヤービルを穿つ、圧倒的な攻撃力。


 それさえ手に入ればいい。
 殺られる前に殺れ。
 この一瞬だけ、彼は何もかも忘れて、目前の一事に没頭した。
「───── ≪界王拳≫!!!」
 死地に立ち、極限の集中を得て、コウスケは界王拳を発動させた。
 ヤービルを倒す。
 コウスケの全細胞がそのためだけに燃え上がる。彼の全身から界王拳特有の赤いオーラが噴き上がり、白熱した金属から立ち昇る陽炎のように揺らめいた。
 コウスケはかつてない力の滾りを感じた。漲るというにはあまりに凶悪な充足感が全身を満たしていく。同時に、界王拳の過負荷が重く圧し掛かってきた。心臓の鼓動が異常に速まり、全力疾走した直後さながらに暴れ出す。体のあちらこちらが増幅されたパワーに耐え切れず、声なき悲鳴を上げていた。
 稚拙な制御の代償が、予想以上の苦痛で支払われていく。
 否が応にも悟る。
 長くは、持たない。
(それがどうした! ここまできたら、あとはやるだけだ!)
 コウスケは歯を食いしばり、前方を鋭く睨みつけた。
 緑色の妖魔が迫る。
 荒々しい殺意。疾風のような突撃。振り上げられる豪腕。石材すら抉る振り下ろしが、これまでにない破壊力を孕ませて、コウスケの命を刈り取るべく空気を切り裂いていく。
 死が其処に在り。
 その黒々とした予感を凝視して。
 しかし、コウスケは躊躇わずに飛び込んだ。
 ヤービルの振り下ろしは最大の威力を誇る攻撃である。確かに恐ろしい。だが、それはコウスケがもはや死に体であるという判断に基づいた選択でもあった。
 つまり、避けられるはずがないという侮りが選ばせた、雑で隙の大きい一撃と言えた。
 野性の欠点だ。敏感ながら思慮に欠けている。
 たとえコウスケの動きを盗み、模倣しようとも、ヤービルの芯は獣だった。
 その本能の限界を。
 理性が作り上げた技術によって狙い撃つ。
「おおおおおっ!!!」
 コウスケは咆哮した。
 絶妙なタイミングで踏み込み、お手本のような体重移動で攻撃態勢を確保しながら、コウスケはヤービルの振り下ろしを紙一重のところで回避した。頬肉を鉤爪の先端で削ぎ落とされて、新たな鮮血が花咲くように散る。
 その紅色の痛みを無視して、コウスケは無心で拳を突き上げる。
 戦闘力120オーバー。
 界王拳によって引き出した気の全てを込めて、右拳を真っ直ぐに打ち込む。己の生命そのものをぶつけるように。
 それは芸術的なカウンター・ブローとなり───。


 次の瞬間、ヤービルの顎をぶち抜いていた。


 砂鉄入りのグローブに包まれた拳をくらって、ヤービルの装甲のような皮膚がべきべきと音を立てながら爆ぜ割れていく。顎の骨が圧壊し、牙が折れ、口と鼻腔から夥しい量の体液が飛び散った。
「ずあああああっ!」
「!!!!!?」
 ヤービルの双眸が驚愕と混乱に染まる。
 コウスケの体当たりにも等しいパンチが、妖魔の生命を粉砕していく。
 その勢いにまかせて、柔道の投げ技のように巻き込むことで、コウスケはヤービルの頭を容赦なく石畳に叩きつけた。
 轟音。
 石畳が冗談のように砕け、クレーター状に陥没、ヤービルは瓦礫の中に埋もれた。
 凄まじい衝撃に地面が揺れて、周囲の建物がびりびりと震える。
 やがて、それらの余波も収まり、夜気が落ち着きを取り戻していく。
 コウスケは界王拳を解除した。
 クレーターの中心、ヤービルの顔面に突き刺さっていた拳を引き抜いて、夜空を仰ぐ。
「はあっ……はあっ……はあっ……!」
 喘ぐように呼吸する。
 もう、限界だ。
 戦いによる負傷と疲労、そして界王拳の負荷が重なり、生きているのが不思議なくらいだった。肺がどうしようもなく痛い。心臓は今にも破裂しそうで、熱湯みたいな汗が止まらない。あちこちの筋肉が裂けているような錯覚。骨という骨が崩れているような幻覚。眩暈と吐き気が酷く、立っていることすら重労働に感じられた。
 コウスケはその場に跪いた。
 たちまち視界が薄れていく。
 それでも、最後に一つだけ確認した。
 クレーターで仰向けになったまま、瓦礫に埋もれて、微動だにしないヤービル。コウスケはその姿をはっきりと見る。
 花魔(ヤービル)。
 コウスケを崖っぷちまで追い詰めた難敵は、顎を無惨に砕かれ、その複眼を濁らせて、静かに息絶えていた。
 触れて確かめなくとも分かる。あれで生きているわけがない。
 コウスケは心から安堵して、かすれた声で呟いた。
「…………………………勝った」
 風に消え入るような、ささやかな勝利宣言。
 そして、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちる。
 己に課した役目を果たし終えて、八島コウスケは意識を手放した。










     Salvation-12
      第七話「激戦! 宵闇の死闘!? (後編)」










 目を覚ますと、最初に木製の天井が見えた。
 どうやらベッドで眠っていたらしい。
 まだ少し寝惚けながらも、コウスケは体を起こそうとして、鈍い痛みに悲鳴を上げた。
「ぐ……ぎ……っ!?」
 たまらず、ベッドに横たわったまま、脂汗を流して悶絶する。
 震える手でシーツをめくり、自分の体を確かめてみれば、まるでミイラのような有様を呈していた。トランクスだけという下着姿なのだが、絆創膏や包帯が幾重にも巻かれており、肌をほとんど露出していない。
 これらが負傷の手当てだとすれば、痛みを感じて当然だろう。
 コウスケが涙目になっていると、ふいに、聞き覚えのある声が掛けられた。
「お目覚めになりましたか?」
「……フィーリア?」
 ベッドの傍らにフィーリアがいた。美しいレース装飾が施された絹のショールを肩に掛けて、丸椅子に座り、穏やかな眼差しでコウスケを見つめていた。
 彼女は安心したように頬を緩めて、
「お加減は如何ですか?」
「あちこちがすごく痛いよ……って、あれ、俺、どうなったんだ!?」
 コウスケは戸惑う。
 界王拳でヤービルを倒したことは覚えていたが、それ以降の記憶が欠落していた。いったい、あれから自分はどうなったのか。作戦は成功したのだろうか。
 フィーリアは微笑んで、コウスケにシーツを掛け直しながら言った。
「大丈夫です。落ち着いて下さい」
 そして、彼女は現在の状況を丁寧に説明してくれた。
 コウスケがヤービルを倒してから、かれこれ数時間が経過していた。日にちこそ変わっていないものの、時間帯は真夜中になっている。ここは宿場町にある宿屋の一つで、旅団が一時的に徴発して使っているとのことだ。
 なんでも、救援作戦は無事に成功したが、今回の襲撃による宿場町の被害は予想以上に酷かったらしい。常駐していた警備隊はもとより、民間人にも多数の死傷者が出ており、役所も機能不全に陥っているという。
 そのため、旅団が行政を代行せざるを得なくなり、ここを臨時の役所として、マルテイロ達が事後処理等の指揮に当たっているそうだ。宿屋をわざわざ徴発したのも、そうした事情があってのことだった。
 町の外に非難させた人々も、すでに各々の自宅や宿に戻っており、町はどうにか平静を回復しつつある。もちろん、完全な復興にはいましばらくの時間を必要とするだろう。
 フィーリアは言った。
「コウスケ様を救助したのは遊撃隊の一つです。ヤービルのすぐ側で失神していたところを見つけて、すぐに陣地の救護所まで運んだと聞いています」
「そっか……。その人達には、あとでお礼を言わないと」
 コウスケはそう呟くと、ふと気づいて、フィーリアに尋ねた。
「もしかして、フィーリアは俺をずっと看ててくれたのか?」
「はい。でも、看ていたと言っても、大したことはできませんから、汗を拭いていたくらいです。……たくさん打たれたのでしょうね。体がすごく熱をもっていたんですよ」
 フィーリアはそう言うと、すっと手を伸ばし、コウスケの額を優しく撫でた。
 その所作があまりに自然だったので、コウスケは不思議なほどあたりまえに受け入れていた。一拍の間を置いてから、妙な気恥ずかしさを感じた。そして、それ以上に、一国の王女が自分を気遣ってくれているという事実に慌てた。
 つい、うわずった声で訊いてしまった。
「い、いいのかな?」
「何がですか?」
「その、王女様が看病とかして」
 口に出してから、コウスケは後悔した。これではフィーリアを非難しているみたいだ。彼女の厚意にけちをつけているようにも聞こえかねない。
 しかし、その心配は杞憂に終わった。
 フィーリアはくすりと笑うと、そうですねと頷いた。
「たしかに、激励や慰問ならばともかく、負傷した兵を直に看るといった行為は、お世辞にも王女らしいとは言えないでしょう。もし兄様がこの場にいたら、少しばかり叱られてしまうかもしれません」
「……お兄さんがいるのか?」
「イグリオ・ピエタ・セヴェンス王子。わたくしの五つ上で、コウスケ様やヴァリエーレの一つ上になりますね」
「王宮では会わなかったな……」
「イグリオ兄様は国外にいるんです。セヴェン王国はいくつかの小国を統治下に置いているのですが、そのうちの一国に領主として派遣されています。第一王位継承者として、国家統治の経験を積むようにという、父の命で」
「すごいじゃないか」
「イグリオ兄様は王族であるということの意味を、とても深く理解されていました」
「王族である意味?」
 フィーリアは首肯すると、寂しそうな表情を浮かべた。
「……兄様はよく言っていました。王は孤独であらねばならないと」
「……?」
「王は絶大な権力を持っています。その一言一句が国の運命を決定し、一挙手一投足が国民の人生を左右します。一人の人間として誰かを特別に扱うことは、それだけで国家を傾かせる火種になりかねません。……王には『国民』や『臣下』の為に泣くことは許されても、『私』として『誰か』の為に泣くことは許されない。そう言っていました」
 それは特別に思う相手を作らないということ。国を守るためにどこまでも公平であるために、独りで生きていくことを受け入れるということ。
 どこまでも正しく、誇り高く、けれど寂しい、王の生き方だった。
 それを聞いて、コウスケは胸が詰まるのを自覚した。
「お兄さんはその覚悟をしているのか」
「真面目で、責任感が強くて、頑ななくらい誠実な人なんです」
「……俺とは大違いだ」
 我知らず、コウスケは自嘲気味に零していた。
 ちいさな声だったが、静かな夜のこと、フィーリアの耳はその呟きを捉えていたらしい。彼女は驚いたように眉を上げて、
「コウスケ様。それはどういう意味ですか?」
「あ、いや……」
 コウスケは言葉を濁して誤魔化そうとしたが、フィーリアに真剣な表情で見つめられていたため、すぐに観念した。
 自分は今からとても情けないことを白状する。
 いささか重苦しい気持ちで、コウスケは密かに抱えていた本音を吐露した。
「……俺にはイグリオ王子みたいな覚悟がないんだ」
「どういう意味ですか?」
「フィーリア達は俺を勇者って呼ぶけど、俺は勇者なんかじゃない。せいぜい喧嘩自慢程度でしかない、ただのガキなんだ」
 コウスケは訥々と話した。
 自分が暮らしていた日本のこと。どこまでも平和で、血を見るだけでも非日常だった、決死の覚悟など必要としなかった生活のこと。体こそ鍛えていたが、セヴェンに来るまで実戦を経験していなかったこと。ヴァーチェに力を与えられて、済崩し的に「勇者」と呼ばれる立場になっただけだということ。
 前世での死やヴァーチェによる転生など、フィーリアに必要以上の動揺を与えそうな情報を除いて、コウスケは自分がいかに「勇者という使命に対して無責任でいるのか」という実情だけを明らかにした。
 これで失望されるかもしれない。
 それでも、フィーリアには嘘を吐きたくなかった。
 コウスケは言った。
「俺は勇者なんて立派なものじゃないんだ」
「………」
 フィーリアは黙って聞いていた。
 沈黙が訪れる。
 コウスケは彼女を見るのが怖かった。彼女から寄せられる期待が嬉しかったし、厚意に喜びも感じていた。だから、自分の薄っぺらさを暴露して、あの澄んだ瞳を曇らせてしまうことに罪悪感すら抱いてた。
 コウスケはフィーリアの言葉を待つ。
 フィーリアの唇が動いた。
「コウスケ様」
「……ああ」
「よく、頑張りましたね」
「───え?」
 今度はコウスケが驚いて、フィーリアを見た。
 彼女の態度はまるで変わっておらず、コウスケに対して優しく微笑むばかりだ。
 どうして失望しないのか。
「フィーリア。俺の話、聞いてたよな」
「はい。聞きました」
「怒らないのか?」
「なぜ?」
「俺は勇者なんかじゃないんだぞ」
「───『その者の価値は行動によってのみ示される』」
「え?」
「今回の作戦ですけど」
 いきなり、フィーリアが話題を変えた。
 彼女は窓から町並みを眺めつつ、ごくごく落ち着いた声音で言う。
「救援部隊に戦死者は出ませんでした。マルテイロが言っていたんですけど、ヤービルに率いられたイービルの群れを相手に、これは奇跡的なことだそうです」
 それから、とフィーリアは付け加える。
「コウスケ様が眠られている間に、一組の母娘がここを訪ねてきたそうです。彼女達は自分達を助けてくれた騎士に改めて御礼が言いたいと言っていたとか」
「それは───」
「その騎士は、騎士でありながら剣を持っておらず、素手で三匹のイービルを退治したそうです。そんな風変わりで、人間離れした戦い方をできる人は、この旅団には一人しかいませんよね」
 フィーリアはコウスケに向き直る。
 彼女はコウスケに言い聞かせるように告げた。
「今回の事件で、たくさんの人達が救われました。この任務が終わった後、全ての兵達は家族の下へ帰れるでしょう。先の母娘はまた父と食卓を共にできるでしょう」
 フィーリアの手がコウスケへと伸ばされる。そのたおやかな美しい指先が、再びコウスケの額に触れた。そして、流れるように頬へと下り、首筋を伝い、包帯に覆われた胸元を撫でていく。
 どこまでも優しい、少女の声。
「コウスケ様」
 フィーリアの言葉が、染み込むように、コウスケの胸を打つ。
「貴方が、傷つき、血を流して、それでも戦ってくれたおかげです」


 ───貴方が守ってくれたんです。


 この時に感じた熱さをどう表現すれば良いのか。コウスケは昂ぶりにも似た感情を覚えながらも、何も言えず、ただ奥歯をぐっと噛み締めた。
 言葉にならない。
 けれど、はっきりと思った。
 あの時、逃げ出さずに、最後まで戦って良かった。
 皆を守れて、本当に良かった。
「う、ぐ………」
 不覚にも堪えきれなかった。
 コウスケの目尻から涙が零れ落ちる。床に伏したまま、肩を震わせて泣く、傷だらけの大男。その髪を、傍らの王女がゆっくりと指で梳く。
 フィーリアが愛しげに囁いた。
「───優しいひと」
 コウスケは両手で顔を隠して咽び泣く。
 その無骨な指先を伸ばして、髪を梳くフィーリアの手に触れた。
 フィーリアは嫌がらず、それどころか、さらに手を重ねてくれた。しっとりとした温かさがコウスケの手を包む。
 嬉しかった。
 コウスケは深く思う。きっと、自分はもう、この人達を見捨てることなんてできない。フィーリア達の世界が滅びるなんてことには耐えられない。
 だから、誓う。
 どうしようもなく未熟で、どこまでも感情的だけど、それでも決意する。
 ≪可能性の怪物≫と戦おう。
 フィーリア達を守るために。





 この世界に召喚されてから、四日目の夜。
 八島コウスケは≪勇者≫になった。



 * * * * *


 さすがに夜も更けてきた。
 目を赤くしたコウスケが恥ずかしそうに「そろそろ自分の部屋に戻ったほうがいい」と告げると、フィーリアは素直に頷いた。
 去り際に、彼女はドアの前で立ち止まり、そこはかとなく頬を染めながら言った。
「さっき、わたくしは兄様に叱られるかもしれないって言いましたよね」
「ん、ああ、そうだね。王女らしくないからって」
「わたくしが王女として、選ばれた勇者を労いに来ている。それだけであれば、王女としての責務を果たしているに過ぎないと言えなくもありません」
 でも、と彼女は断りを入れた。
 上目遣いで、そわそわとこちらの様子を窺いながら、
「それだけじゃないから、わたくし、きっと叱られますね」
 言い終えるなり、ドアを開けて、そそくさと退室した。
 ぱたんとドアが閉じる。
 その姿があまりにも可愛らしくて、可憐で、しかも意味深で。
「……やばい。やばいって。まずいぞ。王女様だぞ。わかってんのか、俺」
 コウスケは口元を手で押さえて独り呟く。
 その顔は見事に赤くなっていた。
 そうして動揺しているコウスケを不意打ちするように、いきなりドアが開いた。
「うおっ!?」
 思いっきり驚いて、コウスケは跳ね起き、そして痛みに悶絶する。
 ベッドで悶えながら確認すれば、ドアの向こうにいたのは、薄茶色の髪をしたとびきりの美男子だった。言うまでもなくヴァリエーレである。考えてみれば、護衛役が王女から離れずに控えているのは当然の話だ。
 ヴァリエーレは無表情でコウスケを見据えていた。
 ドア越しとはいえ、色々と聞かれたのかもしれない。
 ヴァリエーレは王女に心酔する男。いや、はっきり「フィーリア萌え」と断言しても良いほどの猛者。
 コウスケがぞくりと背筋を冷やしていると、ヴァリエーレはコウスケの姿をじろじろと見てから、深々と溜息を吐いた。
 彼はその態度で「心底から不本意である」と主張しながらも、ぼそりと言った。
「今日は許してやる。……よくやってくれた、コウスケ」
 ぱたんとドアが閉まり、ヴァリエーレの姿が見えなくなる。
 どうやら褒めてくれたらしい。
 コウスケは「ははっ」と笑ってから、枕に頭を置いた。
 まぶたを閉じる。



 長い一日だったが、今夜はよく眠れそうだった



[22452] Salvation-12 幕間 その三
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:8c1dd2ba
Date: 2011/01/16 17:09
 アハトエス帝国といえば、十二大王国の中でも異彩を放つ、風変わりな軍事国家として知られている。大陸で初めて帝国という公称を掲げた国家であるが、その規模はそれほど大きくない。人口や領土面積など、単純な数字のみで国力を比較すれば、十二大王国において間違いなく下位となる。
 だが、この帝国を侮る国家は存在しない。
 その理由はアハトエス帝国の運営方針にある。生まれや家柄に左右されない実力主義、それこそが帝国の正義だった。能力を重視するという点では、セヴェン王国の常設騎士団が有名であるが、帝国の人材登用はさらに徹底されている。
 最も代表的な事例は、女性を制限なく公職に採用していることだろう。その役職に相応しい能力や技能を持っており、なおかつ帝国への忠誠を示していれば、性別や年齢を問題にせず、採用や昇格が行われている。
 世襲の地位など、それこそ皇帝くらいのものである。その皇帝にしても、数多く生まれてくる皇子や皇女が熾烈に競争した末に即位する為、人格はともかく、能力面で暗君と呼ばれていた者はいない。現在の皇帝とて、歴代と比べても、まずまずの君主と評価できた。
 歴史学者達は主張する。もしも国土の大半が生産力に乏しい山岳地帯や乾燥地域でなければ、アハトエス帝国は大陸を統一しかねないほどの大国に成長していたかもしれない、と。事実、帝国軍は人員数こそ並だが、その精強さは大陸随一と噂されていた。
 質の高い人的資源。
 それが帝国の威光を支えているのだ。
 そして、その優秀な人材の一人として、ファムエル=カヴァリエロは『世界の中心』ハイリヒトゥーム市に駐在する武官職に名前を連ねていた。










     Salvation-12
         幕間 その三










「……よし、これで最後だな」
 在ハイリヒトゥーム市アハトエス帝国大使館の三階にある、広々とした執務室。
 ファムエル駐在武官は事務机の前に座り、山のように積まれていた書類の処理をようやく終えて、小さな息を吐いた。
 今年で三十歳を迎える、駐在武官という重職に就くには若輩とも言える女性である。軍人としての訓練を受けてきた経験もあり、舞踏会に出席するような貴婦人ほど華奢ではないが、三つ編みにされた金色の髪は艶やかで、整った輪郭と相俟って、女性らしい魅力に輝いていた。
 惜しむらくは、その理知的な碧眼に疲労が窺えるところだろうか。
 濃紺色の軍服を颯爽と着こなしている才女は、このところ、不本意な雑務に忙殺されがちになっていた。
 慎ましい色合いの口紅が塗られた唇を自嘲気味に吊り上げて、ファムエルは呟いた。
「まったく……あの勇者様が来てからというもの、ろくでもない仕事が増えすぎているな」
 目の前に積み重なった、処理済みの書類。
 このほとんど全てが、駐在武官が担う本来の職務とは関係ない、市民や神殿関係者からの苦情や請求書の類だった。傷害事件の治療費や、物損事故の賠償費、珍妙なところでは奇声に対する騒音被害の訴えまで混ざっていた。
 そして、困った事に、この九割方が勘違いでも嫌がらせでもなく、ファムエルの目から判断しても「正当」と言わざるを得ないものばかりなのである。
 溜息の一つも零れるというものだ。
 ファムエルはぐっと背筋を伸ばすと、壁に掛かった大きな柱時計を見た。昨年末に発明されたばかりの機械時計で、その精度は素晴らしく、予算に余裕のある公的機関で次々と導入されていた。最初に導入を決定したのがチェントゥーロ大神殿だというから、その性能たるや、推して知るべしだろう。
 時計の針は午後二時を指していた。
 昼過ぎと言えなくもないが、ファムエルはまだ昼食を摂っていない。
(とりあえず、食事にしようか)
 午後からは本来の仕事が待っている。腹を空かして戦はできない。
 そう思い、ファムエルが腰を浮かしたところで、執務室の重厚なドアを遠慮がちに叩くノックの音が響いた。
「カヴァリエロ卿、よろしいでしょうか」
 聞き覚えのある若い男性の声。ファムエルの下で働いている文官のものだ。
 ファムエルは嫌な予感を覚えながら、ドア越しに尋ねた。
「どうした」
「その、あの方がいらっしゃってまして、カヴァリエロ卿に取り次ぐようにと……」
「……あの方か」
「……あの方です」
 肯定の文言を聞いて、ファムエルは机に両手をつき、ぐったりと肩を落とした。
 ちくしょうクソガキめと、軍隊仕込みの過激な表現で吐き捨ててから、文官へと声を張り上げる。
「わかった! すぐに応接室に行くから、そこで待っていろと伝えろ!」
「はい、分かりまし……って、ちょ、なんでいるんですか!? 困ります、いくら貴方でもここは関係者以外は立ち入り禁止だと……っ!」
「ほう、この我(おれ)が部外者だと? 帝国の者達もずいぶんと偉くなったものだな?」
 急にドアの向こうが騒がしくなる。
 文官が妙に尊大な喋り方をする何者かと言い争っているようだ。
 それでファムエルは何もかも悟り、ストレス性の頭痛を覚えつつ、諦めたように告げた。
「……かまわん、通せ」
「は、はい……」
 沈痛な返事とともに、ドアが開けられて、先の尊大な口調の主が執務室へと入ってくる。
 ファムエルは顔を上げて、底を尽きかけている愛想という名の戦略物資を表情に貼り付けながら、招かれざる客人を迎え入れた。
 どうにか微笑むことだけはできた。
「これは勇者様、今日はどういった御用向きでしょうか?」
「くくく、三日ぶりだな。ファムエル=カヴァリエロよ」
「……ええ、そうですね」
 訪問客の芝居じみた言葉に辟易しながら、ファムエルは答えた。
 溜息はぐっと飲み込んだ。
 その客人は『いつものように』、実に奇天烈な格好をしていた。
 まだまだ若いが、もはや少年とは呼べない年齢の男性である。本人はたしか二十一歳と言っていたが、ファムエルの目にはもう少し幼く見えた。帝国法では十八歳で成人と認められるが、元服している人間はもう少し落ち着いているものだ。
(少なくとも、こんな格好を好んでしない)
 ファムエルは客人の服、否、衣装をじっとりとした眼差しで観察する。
 大使館の予算を使って特注したものだが、雑費として計上するのも躊躇われる逸品だ。
 まず、とにかく無意味に黒い。おまえは暗殺者なのかと問い質したくなるくらい、上着もズボンも真黒で、靴に至っては黒い上に爪先が尖っている。そのくせ、肩や腰には形を整える為の針金が仕込まれており、鋭角的なボディラインを不自然なほど演出していた。あんなもの動き難くて暗殺者には向かない。おまけに襟や裾、袖やらには、金糸で複雑怪奇な刺繍が施されている。貴族でもあんなに華美で刺々しい飾りは選ぶまい。
 だが、それだけでは済まない。
 極めつけはマントと仮面だ。言い間違いではない。聞き間違いでもない。この青年は平時からマントと仮面を着用しているのだ。それもハイセンス過ぎて理解不能な意匠のものを自慢げに身につけていた。
 マントは当然のように黒い。しかし裏地は真紅で、襟が滅茶苦茶に高い。顔が半分隠れている。そのうえ、長さなど足首まであった。ファムエルは王侯貴族が式典などで羽織る儀礼用マント以外で、この長さのマントを見たことがない。そんなものを日常的に身につけるなど煩わしくないのだろうか。
 ぶっちぎりなのは仮面だ。なにがぶっちぎりなのかは、あえて言うまい。
 その仮面は銀色の軽金属で作られていた。仮面と言っても、舞踏会で使われるような目元だけを隠すものではなく、顔を斜めがけに右半分だけ覆う、仮面としての機能を果たしていない代物である。一見するとサーカス団のピエロのようだが、彩られた紋様は不気味さを醸し出しており、何故か右目の穴は成型された緑色の宝石で埋まっている。特注の留め具が使われていて、髪留めのように装着できるらしい。
 この仮面について、ファムエルは以前に二つばかり質問をしたことがある。
『一つ、なぜ留め具を特注したのか。紐やバンドを頭に回せばいいではないか』
『一つ、なぜ右目の視界を塞ぐのか。宝石は美しいが見通せるほど透明ではない』
 これらの質問に対して、客人はさも当たり前のように答えた。
『紐では片手で外しにくい。左手で引っ張るだけで取れなければ、いざという時に問題になる』
『我の魔眼≪凶界凍結(コキュートス)≫は常人には危険だ。それこそ神霊級の光気(プラーナ)でも纏っていない限り、狂気に陥り、魂は凍り砕け散るだろう。この呪われた視線を遮るには、エンペラー・グリーンのエメラルドの加護が最適。まあ、それでも完全には防げるわけではないが、無害にはできよう。くくく、我も丸くなったものだ。人間を気遣うとは。これもヴァーチェの影響か。あの女の甘さが移ったとみえる。ヴァイスを交え、三つ巴で争った時代も今は昔か。それはそれで寂しいものだな……いや、言うまい。堕天(フォールダウン)して地上(アトラス)へと下らざるを得なくなった責任は、俺自身にもある。この人間を模した体の脆弱さには呆れ返るばかりだが、贅沢など言えまいよ』
 つまり、片手で格好よく外したいからという理由と、右目は呪われているから危険だということらしい。ちなみに二つ目の質問に対する答えは本来はもっと長く、延々と真贋のはっきりしない神代の武勇伝が続いたのだが、あまりにも装飾語が多過ぎた為、ファムエルは本筋さえ覚えていなかった。
 付け加えれば、ファムエルが見たところ、青年の特殊性は右腕にあり、右目に呪いなど掛かっていなかった。彼女は魔法使いではないので断言できないが、正直なところ、青年の妄想ではないかと疑っている。
 そもそも、この青年の発言は嘘か真か判別しづらいものばかりなのだ。
 とてつもない≪力≫を持っていることだけは本当なので、尚更に性質が悪い。


 そう、この青年は≪力≫を持っている。
 何故なら、彼こそが、アハトエス帝国に顕現したヴァーチェの勇者だからだ。


 善神ヴァーチェの勇者。帝国の希望。この青年が祖国の未来を背負っている。
 ファムエルは善神に背信しかねない鬱憤をぐっと飲み込んで、改めて本題を尋ねた。
「それで、勇者ヒラオカ・セイタロウ。御用は何でしょうか?」
 私だって暇じゃないんだ。さっさとしてくれ。
 本音を隠して問うファムエルに、枚岡セイタロウは厳かに告げた。
「ファムエル=カヴァリエロよ。それは仮の名だといったはずだ」
「は?」
「本来の≪力≫に覚醒め、混沌神(カオティック・ドライバー)だった頃の遺伝記憶(ジーン・メモリー)を取り戻した今、人間としての仮の名に意味はない。魂の名、真名で呼ぶがいい」
 アハトエス帝国の帝都にある神殿に顕現した直後、セイタロウはただの挙動不審な青年だった。細っこい体をふらふらさせて、いつも不安げにおろおろとしていた。彼の髪は帝国でも一番多い金色なのだが、なぜかそのことに驚いていた姿が印象に残っている。
 それが軍の敷地内で≪力≫の試射を行って以来、人格が豹変した。セイタロウ本人曰く、≪力≫の行使を契機に、ヴァーチェに封じられていた魂が解き放たれて、本来の自分を取り戻したに過ぎないとのことだが。
 けれど、混沌神の存在など、どの伝承や書物でも聞いたことがない。
 ファムエルは根本的なところで懐疑的だった。
「はあ……」
 首を傾げる彼女とは対照的に、セイタロウは自らの口上に高揚していく。
 正にボルテージは最高潮と言わんばかりに叫んだ。
「───そう、混沌神リヴァイアサン・スタースクレイパーと!」
 ばさっとマントを大きく翻して、堂々と名乗りを上げるセイタロウ。
 ファムエルは思う。
 確かにセイタロウの≪力≫には、過去において彼が神であったと聞かされても納得できるほどのものがあった。むしろ、神のような超越者でない方が不自然と感じてしまうくらい、圧倒的で不条理な力である。それは十分に知っている。
 小さな街程度なら、それこそ一瞬で滅ぼせるだろう。
 『星を削る者(スタースクレイパー)』なんて名前をはったりだと笑えないくらいだ。
 しかし、である。
 ファムエルの心の奥で何かが囁くのだ。
 彼の≪力≫は彼のものではない。もっと誠実で、切実で、貴く、泣いてしまいそうな人が持つべきものなのだと。あの≪光≫を初めて目の当たりにした時、なぜか赤くたなびくものの幻影を目にした気がして、そう感じたのだ。
 

 あの、奇跡のような輝き。
 力強く、儚く、そして切ない。
 ≪A・ARM(エィンジェル・アーム)≫が放った光を見た時に。


「……あなたみたいな子供が持つべき力ではない」
「うん? 何か言ったか?」
「いいえ、何も言ってません。リヴァイアサン・スタースクレイパー」
「そうか」
「それで御用は何でしょう?」
 三度尋ねて、ようやく、自称・混沌神は答えた。
 なぜか瞑目して、妙に芝居がかった姿勢で、口元をニヒルに吊り上げながら、
「少しおまえの顔を見たくなった。それだけだ」
「───は?」
「おまえは人間にしては見所のある人物だからな。他の愚昧共とはいささか異なる。そのかんばせを見たくなる程度にね。……ふっ、笑ってくれ。かつて神の身でありながら戯言を口にする、この我の堕天ぶりを。ふははははっ!」
「……もう、本当に、もう……っ!」
 ファムエルは称賛に値する精神力で激情を押し込めると、腹の底から溜息を吐き出した。
 その様子を目ざとく捉えて、セイタロウはあっけらかんと問う。
「ふむ、お疲れだな。机の惨状を見るに、随分と多忙なようだ」
「……あなたの市中での『活躍』に対する意見書なんですよ、これらはね」
「ほほう?」
 セイタロウは嬉しそうに鼻を鳴らすと、またもマントを翻し、今度は顎を上げて天井を仰ぎながら言った。
「我としては忍んだつもりだが……いかんな。この我の邪光気(ネクロマンス・プラーナ)は隠せないか。愚かな人間共が我とつながりを持ちたいと願うのは必定。迂闊だったな」
「……どうせウワン=エナの『スレイヤーズ』に対抗して、小悪党をいびっていただけだろうが。最初から隠れる気などなかったくせに」
 ファムエルはぼそりと呟く。今度は聞かれなかった。
 あちらは冗談抜きで噂通りの傑物だが、こちらの勇者はどう見ても力に浮かれている大人に成り切れていない子供だ。あの魔法使いがトルドヴァ王国の逃がした≪悪魔≫を従えて凱旋したものだから、変な対抗心を燃やしたのだろう。
 その結果が、西区の裏通りでこそこそ活動していた窃盗団の壊滅であり、表通りにまで及んだ二次被害だった。建物の倒壊、民間人の負傷、交通の阻害など、数え上げたらきりがない。私が神殿と各国大使にどれだけ頭を下げたと思っている……!
 ───やばい、あたし切れちゃいそう。
 ファムエルは皇帝への忠誠心とヴァーチェへの信仰心を総動員して、どうにか平静を取り戻した。そう、これも世界をヴァイスの怪物から守る為なのだ。
 彼女はこめかみで青筋を痙攣させながら、
「そ、そういうわけで、まだ昼食も摂っていないんです。これから食堂へ行こうかと思っていまして……」
「そうだったのか。それは悪いことをしたな」
 その言葉とは裏腹に、まったく申し訳なさそうな態度を見せずに、セイタロウは鷹揚に頷いた。
「では、我も同行しよう。白状すれば、我も食事がまだだった」
「えっ!?」
「神であった頃ならば不要だったが、この身は構造上は人間と同じ。栄養摂取は欠かせないからな。ふはははははははっ!」
 不便なものよ、と言いながら、何故か嬉しそうなセイタロウ。
 ファムエルは完全に脱力して天を仰ぐ。
(ごめん、父さん。母さん。借金してまで高等学院に通わせてくれて、軍の士官学校に二回目の試験で合格して、十年かけてここまで出世したのに)
 あたしは挫けるかもしれません。少なくとも、近いうちに転属願いを出すことだけは間違いありません。仕送りが減ったら御免なさい。
 遠い祖国の両親に胸中で謝りながら、ファムエル=カヴァリエロ駐在武官は昼食を摂るべく、混沌神リヴァイアサン・スタースクレイパーと連れだって食堂へと向かった。
 鉛のように重い足取りで。





「さて、ファムエルよ。混沌神に相応しいメニューはなんだと思う? 我はこの若鶏の照り焼きなどがいい線をいっていると思うのだが」
「もー、好きにしてください……」



[22452] Salvation-12 第八話「集結! 運命の勇者達!? (前編)」
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:540f9373
Date: 2011/01/31 00:50
 妖魔達との戦いを終えてから、二回目の朝を迎えていた。
 昨日、夜明けと共に宿場町を出発した旅団は、平地の街道を抜けて、傾斜の緩やかな山道を進んでいた。入山前の野営では特に面倒も起こらず、十分な休息を取れたおかげで、人馬の足取りは軽い。この山を越えてしまえば、ハイリヒトゥーム市の街並みが見えてくる。目的地はもう目と鼻の先だ。
 予期せぬ出来事に遭遇したものの、ほぼ予定通りの道行きである。宿場町の役場が思いのほか早く立ち直り、行政の引継ぎなどに時間を取られなかったことは、先を急ぐ旅団にとって僥倖と言えた。
 緑が茂る木々に見下ろされながら、旅団は整然と列を成して、ハイリヒトゥーム市を目指す。
 八島コウスケは、その先頭を務める馬車に乗っていた。屋根の上に設けられた物見台に陣取り、薄いもやで煙る前方を眺めている。そろそろハイリヒトゥーム市が見えると聞き、見張り役の兵士に頼んで、昇らせてもらったのだ。
 その頬には絆創膏が貼られ、襟や袖口からは包帯が覗き、肌も痣だらけである。旅団付きの医者が診察したところ、幸いにも、深刻な怪我は負っていないという話だが、端から見るだに痛々しい。
 しかし、コウスケの表情は明るかった。フィーリア達を守ると決意して以来、それまで胸にわだかまっていた迷いが綺麗に払われたからだ。もちろん、不安は依然として残っているけれど、己の好奇心を楽しめるくらいには、心の余裕を取り戻していた。
 コウスケは改めて、隣にいる見張り役の兵士に頭を下げた。
「すみません。仕事の邪魔をしてしまって」
「いやいや、勇者殿が側にいてくれるとなれば、むしろ心強いですよ」
 コウスケよりかなり年上であろう兵士は、丁寧な口調で答えると、いかにも気さくな笑顔を見せた。花魔(ヤービル)を一人で倒したというコウスケの武勇は、いまや旅団の間で評判になっており、兵士達はコウスケが恐縮するほどの敬意を向けてくれていた。
 それが嬉しくて、コウスケも自然と笑顔になる。
 彼は兵士に尋ねた。
「ところで、ハイリヒトゥーム市がどんな街なのか知っていますか?」
「ああ、勇者殿は初めてだそうですね」
「はい」
「私も任務や巡礼で何度か行っただけなので、それほど詳しくはないのですが……そうですね、とにかく物凄い街ですよ」
「物凄い、ですか」
 なかなか個性的な表現である。
 兵士は髭の生えた顎先を指で撫でながら、言葉を選びつつ、話を続ける。
「他の街と比べて、規模が全く違います。どんな大国であろうと、首都の人口は五万から十万というところでしょう? 我がセヴェン王国のセヴェンス市でさえ、十万人に届いていません」
「ハイリヒトゥーム市はもっと多いんですか?」
「多いというか、桁が違います。どこまで正確なのかは分かりませんが、合同議会の発表を信じるなら、およそ百万人です」
「百万人……」
「登録市民はもっと少ないでしょうが、とにかく人の出入りが盛んな街なので。大陸の全土から人間が集まるものですから、十二大王国のあらゆる文化が混ざり合い、混沌の極みですよ。チェントゥーロ大神殿があるヴァーチェ神の聖域ですが、街自体は完全に魔窟と化しています」
 兵士は肩をすくめて、だからこそ面白い場所でもあるのですが、と苦笑した。
 なるほど、まさに国際都市といった風情らしい。百万人といえば、東京都の十分の一にも満たない数だが、この世界の文明レベルを考えれば、驚くべき大都市なのだろう。
 そこに≪可能性の怪物≫は襲来する。
 コウスケは当然の疑問を口にした。
「市民の避難はどれくらい進んでいるんですか?」
「避難……ですか?」
 兵士はきょとんとする。
 おかしなことを聞いただろうかと、コウスケは首を傾げながら、
「ヴァイスの怪物が現れることは、街の人達にも知らされてるんですよね?」
 もしかしたら、混乱を避ける為に緘口令が敷かれているのかもしれない。
 だが、その考えは否定された。
「もちろんです。そうでなければ、要塞化の工事や合同駐留軍の編成といった大掛かりなことができませんから。合同議会とチェントゥーロ大神殿が大々的に発表しています。でも、市民は避難なんかしていませんよ」
「危険じゃないですか!」
「それはそうかもしれませんが……≪門≫の周辺区域は立ち入り禁止にされたと聞いています。本当に危なそうな場所の人払いは行われていますし、要塞も八割が建造済み、合同駐留軍だって組織されています。そのうえ、ヴァーチェ神に選ばれた勇者が十二人もいらっしゃるわけですから、わざわざ街を出ていこうなんて考えませんよ」
 それは、この世界では至極当たり前のことだった。
 街を出て行くということは、そこで築き上げた人脈や財産を捨てることを意味する。情報インフラストラクチャーや法律制度が確立しているコウスケの世界とは異なり、この世界では集落の独立性が高い。ある意味、閉鎖的とも表現できる。交易商人のような一部の人々を除き、一般的な民衆が生活する場所を変えることは、生命の危険が目に映る形で迫りでもしない限り、避けるべき負担なのだ。
 合同議会や大神殿も、それが分かっているからこそ、危険を知らせていながら、強制退去まで踏み切っていないのだった。
 兵士は「それに……」と付け加える。
「故郷を捨てたい者はいません。ハイリヒトゥーム市で暮らしている人間にとっては、あの街こそが故郷なんです。骨を埋めるなら故郷がいい。ヴァイスの怪物がどれほどの化物か知りませんが、どうせ死ぬなら故郷で死にたい。それが人情というものでしょう?」
 そう話す兵士自身の仕事は、故郷を離れて戦うことである。その声音には、ハイリヒトゥーム市民に対する理解と共感がありありと浮かんでいた。
 それらを感じ取った時、コウスケは反射的に口を開いていた。
「───そんなことはさせません」
「は?」
「怪物にそんなことはさせません。俺が───俺達がさせません」
「勇者殿……」
 コウスケは唇を引き結び、ハイリヒトゥーム市の方角を見つめた。
 そう、そんなことはさせない。この世界を滅ぼさせはしない。己の非力など関係ない。あの夜、フィーリアの手の温もりを知った時に、そう決めたのだから。
 全力で戦うだけだ。
 そう決意を新たにしているうちに、旅団は山道を登りきっていた。木々が途切れ、眩しい太陽の光が降り注ぎ、もやが晴れていく。視界が一気に広がった。
 隣で兵士が下り坂のはるか彼方を指しながら、歓声を上げた。
「勇者殿、あれを!」
「あれが……!?」
「はい! あそこが『世界の中心』───ハイリヒトゥームです!」
 コウスケは興奮に息を呑んだ。
 視線の先に巨大な街がある。
 そこは想像をはるかに超えた、身震いするほどの大都市だった。山の向こう側、広大な盆地一帯を無数の建物が埋め尽くしている。中央部に大きな空白地帯があり、それを囲むように石造りの積層建築が連なっていた。北側に聳える一際大きな建物は、噂のチェントゥーロ大神殿だろうか。蜘蛛の巣のように張り巡らされた道路は、全てその建物へと繋がっているように見えた。
 あれが百万都市。
 悪神が遺した≪門≫がある場所。
 その名は───『世界の中心』ハイリヒトゥーム。


 セヴェンス市を出発してから、四日目の午前。
 勇者・八島コウスケは、遂に決戦の場に辿り着いた。
 ≪可能性の怪物≫襲来まで、あと二日。










     Salvation-12
      第八話「集結!? 運命の勇者達! (前編)」










 広大なハイリヒトゥーム市の最外郭壁には、合計で十二の門がある。この街を統治する合同議会、それを構成する十二大王国に準えた門である。管理そのものは合同議会に委任されているが、各門にはそれぞれ十二大王国の国名が与えられていた。
 西南門───セヴェン・ゲート。
 そこから伸びる大通りに、明らかに特注の大型馬車が五台、勇壮な騎士達に護衛されながら進入してきた。その堂々とした行進の様子を、市民達が感嘆の声を上げながら遠巻きに眺めている。
 誰かが「最後の勇者が到着したぞ!」と叫んだ。
 皆、知っているのだ。あの一団がセヴェン王国から≪勇者≫を連れてきたということを。
 これで十二人。
 全てのヴァーチェの勇者がハイリヒトゥーム市に集結したことになる。
 勇者の到着に盛り上がる大通りから、五百メートルほど離れたところに建つ、背の高い積層建築の最上階。最新型の遠眼鏡を用いて、大通りの喧騒を観察する、二人の人物が立っていた。
 浅黒い肌と灰色の髪をした男性達である。その特徴的な容姿から、一目で南方のアシャラ王国の出身者であることが窺えた。
 一人は禿頭のがっしりとした大男で、眼光鋭く、胸の前でたくましい腕を組んでいる。その腰にはアシャラ王国伝統の円月刀が下げられており、静かな威圧感を放っていた。
 もう一人は細身の優男だ。眉目秀麗の二枚目なのだが、どこか言いようのない胡散臭さが漂っている。腰帯に二本の短刀を差しており、楽しげに遠眼鏡を覗いていた。
 禿頭の大男が野太い声で言った。
「どうだ、モハレッグ。見えるか?」
 モハレッグと呼ばれた優男は、ぺろりと上唇を舐めてから、陽気な声で答えた。
「ああ、サッガン。よく見えるぜ。先頭の馬車だ。窓から身を乗り出して、阿呆みてえにはしゃいだ顔をしてやがる」
「間違いないか?」
「黒髪だ。まず間違いないだろ。セヴェンには黒髪の奴なんかほとんどいないからな」
 モハレッグの目に映っているのは、馬車の中から街の様子を眺めているコウスケの顔だった。獲物を物色する蛇のような眼差しで、勇者と呼ばれる少年の顔を舐め回すように観察していた。
 サッガンが訊く。
「どんな人物だ?」
「男だ。まだガキだな。だが……すげえ首をしてやがる。信じられねえくらい鍛え上げてるみたいだぜ。頬に絆創膏。血が滲んでる。まだ新しい傷だな。襟からも包帯が見える。やけに負傷してる」
「道中で戦闘に巻き込まれたという情報が入っている。その時のものかもしれん」
「ああん? 勇者だろ? あの化物共の同類にしちゃあ、ちょいと可愛げがありすぎるな」
「ヤービルを肉弾戦で仕留めたらしい。しかも単独でな」
「……肉弾戦? ヤービルを? 素手でか!?」
「徒手空拳の技で戦うらしい」
「……前言撤回だ。やっぱり化物じゃねえか」
 ヤービルといえば、西南地域で最も恐れられている妖魔の一角だ。板金鎧を着込んだ騎士を易々と引き裂く怪物である。猛者揃いの戦士団でさえ、全滅を覚悟しなければならないような相手なのだ。
 よもや、それを素手で倒すとは。
 モハレッグは遠眼鏡を下ろし、くひひっと肩を揺らして笑った。
「奴らが内輪揉めしたら、ヴァイスの怪物が現れる前に街が壊滅するかもな」
「笑えん冗談を言うな」
「笑える冗談は冗談とは言わねえよ」
 そう嘯くと、モハレッグは転落防止用の柵に寄り掛かり、わずかに表情を引き締めた。声を低くして、囁くように話し始める。
「大神殿のはったりかと思っていたが、冗談抜きでヴァーチェ神の加護を受けているみたいだな。どいつもこいつも人間の範疇を超えてやがる」
「我々が調査した七人だけでも、下手な軍隊など問題にならない戦闘能力だ。ウワン=エナはスレイヤーズの『黒曜の魔法使い』、トルドヴァの『契約の悪魔』、サラサトゥリアの『千変万化の聖女』、クワトールの『龍鱗の一角獣』、アハトエスの『道化師』、我らアシャラの『風神の巫女』……そしてセヴェンの花魔殺し。ヴァイスが使わす≪可能性の怪物≫とやらが気の毒になるほどだ」
「うちの巫女さんが一番しょぼいんじゃないか?」
 きひひ、と品のない笑いを零すモハレッグ。
 サッガンは咎めるように目を細めて、自国の勇者を擁護した。
「彼女はまだ己の力を使いこなせていないだけだろう。あれほどまっすぐな少女だ。ヴァーチェ神の加護が薄いとは思えん。実際、顕現の直後と比べて、扱える力は増してきている」
「空気を蹴る力、だっけか? 確かに浮遊や飛行の魔法は超高等技術だ。宮廷魔術師でさえ使えない奴は珍しくない。稀有な力だとは思うさ。だが、あの、蹴り技。名前は何ていったかな?」
「風打ちの第二座『切』だ」
「そう、それだ。大の男を数人、まとめて蹴り飛ばす威力は確かに凄い。でもよ、他の勇者の力はもっととんでもない。そうだろ?」
「それは否定しない」
「……正直なところを訊くぜ。一番ぶっとんだ勇者はどいつだと思う?」
「調査した七人に限って答えるなら『契約の悪魔』だろう。あれは桁が違う。頭抜けた戦闘能力の持ち主だ」
「ふうん、『道化師』はどうだい? 単純な力の強大さで比べたら、桁違いなのはあいつだろ。訓練用の張りぼてとはいえ、軍の演習場に作られた砦を一瞬で裁断したって聞くぜ。一部の噂じゃあ、ヴァーチェ神やヴァイス神と肩を並べていた『混沌神』の生まれ変わりだとか」
「嘘だな」
 サッガンはにべもなく断言した。こころなしか、その岩のような顔に不快感が表れているようにも見えた。いつも冷静沈着な相棒の珍しい感情表現に、モハレッグは興味をそそられた。
 きひひ、と笑う。
「根拠を聞かせろよ」
「あれは餓鬼だ。与えられた加護こそ最強だが、虚勢と虚構しか持っていない。空っぽで薄っぺらだ。あんな男は勇者どころか、戦士とさえ言えんな」
「かかかっ! アシャラの暴風、サッガン=カルブボリスの言となりゃあ、真実なんだろうな。だが、そいつは『契約の悪魔』も同じなんじゃないか? あれだってガキだ」
「確かに幼い。しかし、彼のそばには『黒曜の魔法使い』がいる」
「ウワン=エナのカシマ・ユイか。確かにいい女だけどよ、おまえが一目置くほどかい?」
「女傑だ」
 サッガンは簡潔に述べた。
 この豪傑は、人物を評する時、本音であるほど言葉を短くする。どうやらサッガンの中では、カシマ・ユイに対する心象はかなり良いらしい。
 モハレッグは思う。
(分かってはいたが、カシマ・ユイは要注意だな)
 モハレッグは柵から体を離すと、腰帯に遠眼鏡を差し込み、ぐっと背筋を伸ばした。凝った肩をぐるぐると回してから、相棒の背中をぽんと叩く。
「さて、そろそろ昼飯にしようぜ。午後からも色々と調べなきゃだろ?」
「……ああ。そうだな」
「不機嫌だなあ。まだ納得できてないのか。そんなにこの任務が気に入らないか?」
「納得はしている。ヴァイスの怪物を退けた後、勝ち残った勇者が戦後の趨勢を左右する要素になるという、宰相閣下の判断も正しいと思う。勇者達を調査するのは当然のことだ」
「じゃあ、何が気に入らないんだ」
「彼らは我々の為に矢面に立つのだ。力なき者の代わりにヴァイスの怪物と戦うのだ。その彼らを秘密裏に調べていると、尊い心意気に泥を投げつけているような気分になる」
「サッガンよぉ……おまえさん、ちょいと生真面目すぎるぜ」
「性分だ」
「まあ、おまえのそういうところ、嫌いじゃねえけどな」
「気持ち悪いことを言うな」
「そこは感激しろよ!?」
「すまん、生理的に無理だ」
「へこむぜぇ……」
 ぐったりと項垂れるモハレッグの姿に、サッガンは男くさい太い笑みを浮かべた。
 なんだかんだで、良い仲間らしい。
 二人は軽口を叩き合いながら、奥にある階段を下りていった。


 * * * * *


 ハイリヒゥーム市に置かれたセヴェン王国の大使館は、王国の代表が生活するというだけあって、とても立派な建物だった。高価な大理石が惜しみなく使われており、優美で堅固な佇まいである。三階建てであり、周囲の積層建築よりも随分と低いが、広さに関しては逆転していた。この敷地なら、普通の家屋が五棟は楽に収まるだろう。
 旅団は裏庭に停まり、荷解きを開始する。
 馬車を降りたコウスケはすぐに伝令に呼ばれると、フィーリア達と合流して、彼女達と一緒に大使の出迎えを受けることとなった。
 フィーリアを筆頭に、コウスケ、マルテイロ、ヴァリエーレ、秘書官の五名は、大使館の正面玄関へと回る。
 そこには大使館の職員が総出で並んでいた。楽隊まで控えており、フィーリアが姿を現したと同時に、華やかで格調高い音楽が流れ始めた。
 コウスケ達が玄関の前で立ち止まると、ここの主である全権大使と思しき男性が一歩だけ前に出て、深々と一礼した。
「ようこそいらっしゃいました。私をはじめ、大使館の一同、こうして王女殿下を迎えられましたことを心より光栄に思います」
「ありがとう、ペイトリエト全権大使。貴方達が王国の為、日々、このハイリヒトゥームで尽力していること、国王陛下は深く感謝されています。これからもセヴェンの為、その力を発揮して下さい」
「御意に」
「それでは、本日より一年間、よろしくお願いします」
「お任せ下さい」
 ペイトリエト全権大使は顔を上げると、好々爺然とした微笑みを浮かべた。
 マルテイロ達と共にフィーリアの後ろに立っていたコウスケは、そんな大使を見て、何となく次のような感想を抱いた。
(……サンタクロースみたいだ)
 白い髪と髭を持つ六十代くらいの男性で、赤色を基調とした服を着ているうえ、穏やかな雰囲気の持ち主である。これで大きな袋を担いでいれば、クリスマス・キャロルがさぞかし似合うことだろう。
 ペイトリエト全権大使は言った。
「道中でのことは聞き及んでおります。皆様、さぞかしお疲れでしょう。明日は大神殿側との折衝も予定されております。今日はゆっくりとお休み下さい」
 それから、コウスケ達はそれぞれの居室へと案内された。
 フィーリアと秘書官は王族用の特別室に。ヴァリエーレは護衛役として、その隣にある控えの間に通された。マルテイロには貴族用の部屋が用意されていたが、大使館の警備主任と話したいということで、衛兵所へと案内されていった。
 そして、コウスケはと言うと、やはり勇者という立場を考慮されてだろう、やたらと豪奢なゲストルームへと連れていかれた。王宮で使っていた部屋に勝るとも劣らない、はっきり言って庶民には落ち着けそうもない部屋である。
 部屋の真ん中に立ち、コウスケは「うわあ……」と声をもらした。
 その彼に、入口付近で控えていた案内役のメイドが一礼する。
「こちらが勇者様のお部屋となります」
「こ、ここしかないのかな?」
 コウスケが思わず尋ねると、メイドはがばっと顔を上げた。
 彼女は顔を青くして、震える声で言った。
「お、お気に召しませんでしたか!?」
「違う違う違う! そういう意味じゃないから!」
 慌てたのはコウスケである。案内役のメイドはコウスケと同世代くらいの少女で、身だしなみが整っていることもあって、とても可憐に見えた。そんな少女が怯える姿は、コウスケのような性格の少年にとって、もはや精神攻撃の一種だった。
 コウスケは身振り手振りを交えながら、立派過ぎて驚いただけだと弁解した。
 メイドはほっとした様子で、
「申し訳ありません。てっきり、勇者様に粗相を働いてしまったのかと……」
「気を使ってくれるのは有り難いんだけど、俺はそんなに立派な人間じゃないから」
 コウスケが苦笑しながら言うと、メイドは「いいえ!」と首を左右に振った。
 彼女は両の拳をぐっと握り、健気なくらい力説する。
「ヤジマ様はヴァーチェ神に選ばれた勇者様なんですよね! 立派です!」
「は、ははは……」
「実は私、今日からヤジマ様のお世話をするよう命じられていまして。これから一年間、誠心誠意、お仕えさせていただきます! なんでも仰ってください!」
「なんでも?」
「はい!」
「なんでも……」
 コウスケは呟き、改めて目の前にいるメイドを観察した。
 王宮にいる時もメイドの世話にはなっていたが、あの頃はとにかく精神的に余裕がなかったので、ほとんど気にしていなかった。しかし、年頃のメイドが世話をしてくれるというのは、実はとてつもなくレアなシチュエーションなのではなかろうか。
 しかも、目の前の少女は仕草がいちいち大袈裟なせいか、やけに可愛らしかった。三つ編みにした薄茶色の髪とか、大きな鳶色の瞳とか、清楚な給仕服との相乗効果で恐るべき攻撃力を達成していた。
 八島コウスケ、十八歳。
 真面目な性格であれども、健全な男の子である。
 彼の脳裏で、悪魔の誘惑がスパークした。まさに電光石火で主導権を乗っ取り、目の前の少女を素材に妄想をとんてんかんと作り上げる。


 妄想の中で、少女はなぜか恥ずかしそうに頬を朱色に染めていた。
 照明が最小限に落とされた薄闇の中で、彼女は長いスカートの裾を指先で摘み、今にもたくし上げようとしている。
 少女はこちらを躊躇いがちに窺いながら、ぽそりと言った。
『なんでも……仰って、ください……』


(イケるッッッ!!!!!)
 なにがどういけるのか。
 コウスケが心の中でガッツポーズをした瞬間、なぜか妄想の中のコウスケの首が軽やかに飛んだ。すぱんっと切り飛ばされ、鮮血が噴き出すイメージが克明に描かれる。崩れ落ちるコウスケの体の向こう側には、剣を振るった姿勢のヴァリエーレが悪魔のような表情を浮かべており、その隣にはフィーリアが立っていた。
 妄想の中のフィーリアは、これまた、とびきり素敵な笑顔をしていて。
 うっとりするような声で言った。


『いけませんよ、コウスケ様♪』


(イエス、マムッッッ!!!!!)
 王女の微笑みに、若き勇者は正気を取り戻す。
 額にびっしょりと冷や汗をかきながら、コウスケはメイドに礼を言った。
「あ、ありがとう。用事がある時はよろしく頼むよ……」
「はい!」
「ところで、君の名前は?」
「スティカと申します」
「そっか。じゃあ、スティカ。これからお世話になります」
 コウスケが右手を差し出すと、スティカは小首を傾げてから、何かに気づいたように目を見開いた。そして、何故かとても嬉しそうに、コウスケの右手を握り返す。
 握手をしながら、スティカは笑顔で言った。
「よろしくお願いします、ヤジマ様」
「うん、よろしく」


 * * * * *


 大使を交えての昼食が終わり、コウスケはフィーリア達と食後のティータイムを楽しんでいた。大使館の中庭に用意されたテーブルを囲み、春摘みの茶葉で煎れたという紅茶の美味を楽しむ。
 テーブルは小さな円卓で、コウスケ、フィーリア、ヴァリエーレの三人が座っている。少し離れたところで、フィーリア付きの給仕が控えていた。
 コウスケは中庭に咲き誇る花々を見ながら言った。
「こんなにのんびりしていてもいいのかな……」
 口元でカップを傾けていたヴァリエーレは、カップを置くと、ふむと頷き、
「気持ちは分かるが、今さら慌てても仕方がないだろう。特におまえは怪我をしているのだから、できるだけ休養を取り、すこしでも体調を万全に近づけることが大切だ」
「だけど、明後日の夜明けには、≪可能性の怪物≫が現れるんだろ?」
「ヴァーチェ神の神託にはそう記されているな」
「やっぱり焦るよ……」
「ヴァーチェの勇者はおまえだけじゃない。明日にはチェントゥーロ大神殿で他の11人との顔合わせも行われる。そう心配するな」
「そうですよ、コウスケ様」
 何かが印刷された紙の束を手にして、フィーリアが言った。
 彼女は紙の束を示しながら、
「コウスケ様以外の勇者にも頼もしい方達がいらっしゃるようですし」
「殿下、それは?」
「市中で売られている新聞です。さっき買って来てもらいました」
「またそのような下賎なものを……」
「そう馬鹿にしたものでもありませんよ、ヴァリエーレ。興味深い記事もたくさん載っているんですから。例えば、これとか」
 そう言って、フィーリアは紙面で三番目くらいに大きく扱われている記事を指した。見出し文には、装飾の施された大きな文字で何やら書かれている。
 ヴァリエーレは「ほほう」と感心し、コウスケはがっくりと項垂れた。
「……ごめん、読めない」
「え?」
「殿下。コウスケの生まれは大陸の外です。共通交易語の会話はできますが、読み書きはまだ学習中でして」
「そ、それは失礼しました」
「いや、気にしないでくれ。そのうち読めるようになってみせるから」
 空いた時間にヴァリエーレや文官に教わっているのだが、コウスケはまだこの世界の主要言語である共通交易語の読み書きが出来なかった。文字数や文法などは、どうやら英語に近いようなのだが、コウスケがこの世界に来てからまだ一週間も経っていない。言語の天才でもない限り、そんな短期間で習得するなど無理な話だった。
 フィーリアはこほんと一つ咳をしてから、記事の見出し文を読み上げた。
「ここにはこう書かれています───『黒曜の魔法使い、またまた大手柄! 乗合馬車を襲っていた害獣を退治!』」
「黒曜の魔法使い?」
「ウワン=エナ王国に顕現した勇者だ。まだ若い女性で、宮廷魔術師が裸足で逃げ出すような魔法の使い手らしい」
「なんでも、この一ヶ月で、いくつもの強盗団や魔獣を退治したとか」
「それは凄いな……」
「他にも、すでに評判になっている勇者が何人もいるそうです。ですから、コウスケ様、きっと大丈夫ですよ」
 フィーリアはこちらを安心させるように微笑む。
 彼女の心遣いに、コウスケは胸が温かくなるのを感じた。
(そうだな。ここで無闇に不安がっても始まらない)
 コウスケはカップを手に取り、琥珀色の紅茶に口をつけた。
 芳醇な味わいに、気分も落ち着いてくる。
 そうやって会話していると、大使館の職員の男性が一人、慌てた様子でこちらへとやって来た。彼はすぐ側までやって来ると、襟を正して一礼してから、フィーリアに告げた。
「お楽しみのところ、失礼いたします」
「どうしました?」
「はい。実はこの大使館に約束のない客人が訪ねて来られまして」
「わたくしにですか?」
「いえ、勇者様に……ヤジマ・コウスケ様にお会いしたいと」
「俺に?」
 寝耳に水の指名を聞いて、コウスケは驚いた。
 それとは対照的に、フィーリアは落ち着いた様子で職員に尋ねる。
「客人はどなたですか?」
「それが……」
 こういうのも偶然の悪戯というのか。
 職員が口にした名前は、つい今まで三人の間で話題に上っていた人物のものだった。


「ウワン=エナ王国の勇者、『黒曜の魔法使い』カシマ・ユイ様を名乗っておいでです」



[22452] Salvation-12 第九話「集結! 運命の勇者達!? (中編)」
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:5a1f220d
Date: 2011/09/19 17:32
意外な客からの指名を受けて、コウスケは戸惑わずにいられなかった。ヴァリエーレが言っていたように、勇者達の顔合わせは予定されている。十二人が一堂に会する機会はすでに用意されているのだ。
 黒曜の魔法使い、鹿島ユイ。
 まさか個人的に会いに来るとは。
 コウスケは些か判断に困り、彼と同じように驚いていたフィーリアに訊いた。
「どうしたらいいかな?」
 世間の注目を集めている勇者同士が接触することで、何らかのトラブルを引き起こしてしまうかもしれない。また、セヴェン王国にも色々な事情があるだろう。
 いまいち政治に疎いコウスケだが、彼なりに気を遣っていた。
 実のところ、ヴァーチェの勇者達は各国の指示に従う義務を負っていない。彼らは十二大王国が所有する神殿に顕現したというだけで、国民ではないのだ。指揮権などを主張する国も存在するが、理屈の上では、如何なる勢力にも帰属しておらず、独立した立場に置かれている。
 十二大王国はあくまでも「協力者」に過ぎない。
 しかしながら、コウスケにはセヴェン王国を特別視する意識が芽生えていた。
 それも無理からぬことだろう。この世界を訪れて以来、彼の生活はセヴェン王国からの支援で成り立っている。常に恩義を感じているし、それとは別に愛着も湧き始めていた。何と言っても、セヴェン王国はフィーリア達の祖国なのだ。
 迷惑を掛けたくない。
 だから、コウスケはフィーリアの意見を仰ぐべきだと考えた。彼女はセヴェン王国の第一王女であり、身分の序列においてはペイトリエト全権大使より上位である。
 フィーリアは不思議そうに小首を傾げた。
「会われないのですか?」
「いいのか?」
「そんなに難しく考えなくても大丈夫ですよ。でも、そうですね……許して頂けるなら、わたくしとヴァリエーレも御一緒したいのですが」
「俺は構わないよ。むしろ助かるくらいだ」
「ありがとうございます」
 フィーリアは嬉しそうに微笑むと、来客を報せてくれた職員に質問した。
「客人の身許は確かめましたね?」
「はい。ウワン=エナ王国の『魔杖』を確認いたしました。カシマ・ユイ様に間違いないと思われます」
「マルテイロと警備主任には連絡しましたか?」
「規定通りに対応しております」
「結構」
 フィーリアは頷き、面会する旨を告げた。
 職員は慇懃に一礼して、
「カシマ様を応接間にお通しします」
「わたくし達もすぐに向きます。礼儀を失せぬよう、十分に持て成しなさい」
「御意のままに」
 職員は再び一礼すると、大使館の中へと引き返した。
 コウスケはこの一連のやり取りを感心しながら見つめていた。これまでも何度か目の当たりにしてきたけれど、王女として行動する時、フィーリアは実に堂々としている。とても凛々しく、年下の女の子とは思えない貫禄を備えていた。
(まだ十四歳なのに)
 日本で暮らしていれば中学生である。学校の授業に退屈したり、友達との他愛無い会話で一喜一憂するような、あたりまえの幼さを残した年頃なのだ。大人を相手に主君として振舞うことは、その為の教育を受けているとしても、こちらが想像する以上に大変な仕事だろう。
 コウスケは改めてフィーリアに尊敬の念を抱いた。
(すごい子だ)
 フィーリアが優雅な所作で立ち上がり、その口元を楽しそうに綻ばせた。いつもの柔和な笑顔に、明るい好奇心が表れていた。
 彼女は言った。
「さあ、コウスケ様。ヴァリエーレ。噂に名高い黒曜の魔法使いがどんな御方なのか、この目で確かめに参りましょう!」
 ヴァリエーレが「はい」と答えて、すっと立ち上がる。
 コウスケも慌てて席を立ち、先を歩き出したフィーリア達についていく。
 帯剣したヴァリエーレを従えて、颯爽と歩く王女の小柄な背中を追いながら、コウスケはどうにも落ち着かない気分を味わっていた。
(……本格的にまずいぞ)
 彼は今更ながら頭を抱えた。
 どうやら、自分はヴァリエーレに偉そうなことを言えなくなってしまったようだ。何故なら、フィーリアの一挙手一投足が妙に気になるからである。ちょっとした仕草にさえ、無意識のうちに見惚れている。もはや認めるしかない。
 ───俺は彼女にときめいている。
 この胸の高鳴りは、果たして恋心によるものなのか。
 無性に恥ずかしくなって、コウスケは顔を真赤に染めながら、何とも言えないむず痒さに身を捩じらせた。










     Salvation-12
      第九話「集結! 運命の勇者達!? (中編)」










 鹿島ユイはようやく応接間まで案内された。
 大使館の門を叩いてから、三十分近くが経過していた。けれど不満はない。アポイントメントも取らずに押しかけた無礼を考えれば、それでも上手く進んでいる方だろう。ろくに話を聞いてもらえないまま追い返されたとしても、文句をつけるのは筋違いというものだ。
 在ハイリヒトゥーム市セヴェン王国大使館。
 その館内にある応接間はとても立派な部屋だった。内装は落ち着いた色彩でまとめられており、華やかさに欠けるものの、上品な美しさに溢れていた。飾られている調度品は、素人目にも、一流の職人による物ばかりだと窺えた。
 先ほど出された紅茶も素晴らしい。白磁のティーセットは明らかに名品で、この一式を売り払うだけで、庶民の生活を一ヶ月ほど賄えるだろう。また、注がれた紅茶の美味ときたら、危うく舌が蕩けてしまいそうなほどだった。
 ユイはクッションの柔らかな椅子に腰掛けて、大使館の持て成しに甚く感心していた。
 いやはや、セヴェン王国、世間の評判通りではないか。
(ほんと、大した国だわ)
 手に持っていたカップをテーブルに置く。
 ユイは椅子の背もたれに体を預けつつ、さりげない動きで室内に視線を巡らせた。
 最初に注目したのは天井である。四隅に小さな鏡が仕込まれている。光の反射を抑える加工の施されたそれらは、映した対象を遠隔地に投影する魔法の装置に他ならない。ユイ達の言葉で言うところの監視カメラである。おそらく、館内の警備室に映像を送信しているのだろう。
 巧みにカムフラージュされているが、ユイの目は誤魔化せない。この世界に来てから一ヶ月弱、短期間とはいえ、その手の知識は死に物狂いで学んできたのだ。
(それから、あのメイド、どう見てもメイドじゃないわよね)
 出入口であるドアの側に控えた、給仕姿の女性。紅茶を運んでくれたメイドなのだが、十中八九、別の本職を持っている。それも物騒な仕事だろう。紅茶を淹れる手際は見事なもので、いかにも給仕歴の長いベテランといった風情ではあったが、動きの一つ一つにまるで隙がなかった。いつ荒事に巻き込まれようとも、直ちに対処できますと力説しているかのようで、さながら臨戦態勢のボディガードだ。
(襟で隠れてるけど、首筋の筋肉が盛り上がってるし、重心も左側に傾いてる。多分、右足にナイフか警棒でも括り付けてるんだろうなあ。怖い怖い……)
 玄関の衛兵所ではマッチョな兵士が睨みを利かせていたし、現在は勇者の一行に随行していた騎士達も留まっているはずだ。セヴェン王国の騎士といえば、一人で三人分の働きをするという猛者揃いである。できれば喧嘩などしたくない。
 もちろん、無用な争いを仕掛けるつもりなど欠片もないのだが。
(できるだけフレンドリーにいかないとね)
 ユイは飄々とした態度で、そんなことを考えていた。
 数分が経つ。
 ふいに、ノックの音が響いて、ドアがかちゃりと開いた。
 美しい少女を先頭に、三人の人物が応接間に入ってくる。
「お待たせしました」
 少女が言う。
 ユイは椅子から腰を上げると、そちらを向いて、ウワン=エナ王国式の作法で滑らかに一礼した。
「唐突な訪問に応じて頂き、まことにありがとうございます。私は鹿島ユイと申します。畏れ多くもヴァーチェ神より、ヴァイスの怪物を討伐せよとの使命を賜りました者です。どうぞ、お見知りおき下さい」
「丁寧な御挨拶、痛み入ります。どうぞ顔をお上げ下さい」
「はい、失礼いたします」
 ユイは顔を上げて、三人の姿を改めて確認した。
 こちらの挨拶に応じた少女はかなり若いようだった。幼いと言い換えてもいい。清楚な印象のドレスを着こなしていて、透き通るようなプラチナ・ブロンドと、アメジストを連想させる瞳の持ち主である。同性のユイから見ても溜息がもれるような美しさで、もしも彼女から愛を囁かれたら、禁断の関係に踏み込むかもしれない。それほどの美貌が煌いていた。
 そんな彼女の右側にいる男性は護衛だろう。薄茶色の髪をした細面の二枚目で、セヴェン王国常設騎士団の平服を着ていた。腰に長剣を提げているが、帯剣していることに気負いは見受けられず、余計な力みも感じられない。なかなかの腕利きと推察できた。
 そして、もう一人の男性である。
 少女の左側に立つ彼こそ、ユイがわざわざ大使館まで出向いた理由だった。
 ユイと同年代と思しき少年である。黒髪と彫りの浅い顔立ちは、ユイには見慣れた日本人の特徴だ。身長は185センチほどもあろうか。この世界の基準では、かなりの大男と言えた。しかも鍛え込んでいる。服の上から見ても分かるほど、全身の筋肉がたくましく盛り上がっていた。穏やかな雰囲気を漂わせているが、負傷の手当てを受けた姿には凄みがあり、戦士としての迫力も感じられた。
 実に分かりやすい。
 この黒髪の少年がヴァーチェの勇者だ。
 しかも、事前に収集した情報通り、すでに実戦を経験した「使い手」のようだ。
 ユイは密かにほくそえんだ。
(うん、かなり強そう。これは期待できそうね!)
 内心のふてぶてしさをおくびにも出さず、ユイは自然な緊張を装う。
 三人の代表らしい少女が、セヴェン王国式の作法で一礼して、涼やかな声で名乗った。
「わたくしはセヴェン王国の君主、バードレイ・グロリヤ・セヴェンスが娘、フィーリア・イスチナ・セヴェンスです。そして、こちらが我が国に顕現されました勇者である、ヤジマ・コウスケ様です。また、控えておりますのは、わたくしの護衛を務める騎士、ヴァリエーレです」
 少女は紹介を終えると、ユイをしっかりと見据えて、麗しい微笑みを浮かべた。
 やけに底知れなさを感じさせる笑顔だった。
「カシマ様。我がセヴェン王国は、ヴァーチェの勇者たる貴女を歓迎いたします」
 不覚にも、ユイは驚かされていた。
 まさか全権大使どころか王女が同席するとは。フィーリア・イスチナ・セヴェンスの名声は聞き及んでいる。まさに才色兼備。十代半ばの若輩でありながら、その政治的な手腕は下手な役人など足下にも及ばないという。
 西南部の雄、セヴェン王国。一筋縄ではいかない相手だ。
 ユイは深く息を吸い、気持ちを引き締めた。


 * * * * *


 鹿島ユイはコウスケと同年代の少女だった。
 長い黒髪をポニーテールにした、いかにも活発そうな女の子である。美しいというより可愛いと表現すべき容貌で、幾何学的な模様の刺繍が施された深い色のローブを着ていた。コウスケには知る由もないが、このローブはウワン=エナ王国から認められた魔法使いに授けられる品物で、公的な式典にも耐える礼服でもあった。
 余談を述べれば、ユイの腰帯に差し込まれた短い杖こそ「ウワン=エナ王国の魔杖」であり、正式には「幻燈の証杖」と呼ばれるマジック・アイテムだ。魔法先進国として知られるウワン=エナ王国の国営工房で作られていて、国王に認められた魔法使いにのみ授与されている。特定の呪文を唱えると、高度な光の魔法が起動、持ち主の肖像画と国王の署名を空中に描き出す機能がある。一種の身分証として、ウワン=エナ王国内はもちろん、一部の外国でも認められている。
 鹿島ユイは礼儀正しく名乗り上げ、フィーリアからの返礼を受けた。
 そんなユイの様子に、コウスケは素直に感嘆した。
(勇者ってことは、俺と同じで、ヴァーチェさんにこの世界へ連れて来られたんだよな。長くても一ヶ月くらいしか経ってないのに、なんだか物凄く場慣れしていないか?)
 風の便りによれば、最も早い時期に現れた勇者の一人で、すでに数々に手柄を立てていると聞く。まったく知らない異世界に来て、一ヶ月足らずで有名になるなんて、どれだけバイタリティに溢れているのやら。
 鹿島ユイという人物に対して、コウスケはにわかに興味を抱いた。
 フィーリアがユイに言った。
「どうぞお掛け下さい」
「ありがとうございます」
 ユイが椅子に腰を下ろす。
 その対面にフィーリアが座り、コウスケは事前に指示された通り、彼女の左隣にある椅子に腰掛けた。ヴァリエーレは護衛役ということで、フィーリアの背後に立ち、不測の事態に対処できるよう目を光らせる。
 最初に口を開いたのはフィーリアだった。
「さて、カシマ様。この度はどのような御用件で来られたのでしょう?」
「単刀直入に申し上げます。私はセヴェン王国に顕現した勇者、つまり……」
 ユイの視線がコウスケに向けられる。
 どこか悪戯を楽しむような眼差しで射抜かれて、コウスケはどきりとした。
 魔法使いが言う。


「コウスケさんを夕食に誘いに来たんです」


 それは、まるでデートの約束を取りつけに来たかのような口ぶりだった。


 * * * * *


 待ち合わせの時刻は宵の口に定められた。
 フィーリアとペイトリエト全権大使に外出の断りを入れた後、コウスケはおっかなびっくりハイリヒトゥーム市内へと出掛けた。目立たないよう、服装は地元民らしい無国籍風のものに着替えて、包帯を隠すため、首に襟巻きを巻き、ひさしのない帽子を被る。頬の大きな絆創膏については、どうしようもないので目を瞑ることにした。
 懐には、ヴァリエーレから渡された財布が入っている。ハイリヒゥーム市で広く流通している、合同議会発行の銀貨と銅貨がたっぷり収まった革袋で、ずしりと重い。ヴァリエーレ曰く、花魔(ヤービル)を退治した功績に対する報奨金なので、遠慮なく使えとのことだった。
「夜遊びに不足しない程度だけ入れておいた。全て持ち歩くには、少しばかり大きすぎる金額だしな。足りなくなったら言え。俺から出納係に申請する」
 そう言う友達は、まるで小遣いをあげる母親のようだった。
 しかし、未だ金銭感覚を掴んでいないコウスケには有り難い。説明によると、日本円で十万円くらい入っているそうだが、無駄遣いは止めておこう。お金で調子に乗るとろくなことがない。それは異世界でも変わるまい。
 太陽が沈み、全天が深い紺色に染まる中、コウスケは待ち合わせの場所へと向かった。大使館から程近い駅である。言うまでもないが、電車の駅ではなく、乗合馬車などが集う乗降場だ。
 この時間帯では運行はすでに終わっていて、馬車は一台も停まっていない。それでも、コウスケと同じように待ち合わせているのか、人影の数は決して少なくなかった。
 コウスケがいた頃、日本は四月の中旬だった。こちらの世界も春らしく、日中こそ暖かいが、夕方以降は少し肌寒い。照明用にと篝火があちらこちらに灯されており、その火の温かさが心地良かった。
 駅でしばらく待っていると、覚えのある声が聞こえた。
「はーい、お待たせー!」
 そちらを向けば、鹿島ユイが元気良く右手を振りながら、こちらへと歩いて来る姿が見えた。左右に揺れるポニーテールの髪が文字通り馬の尻尾のようだ。場所が場所だけに、ちょっとしたユーモアを感じた。
「いや、そんなに待ってませんよ」
 右手を挙げてユイに応えながら、コウスケは言った。
 大使館を訪れた時とは異なり、ユイはずいぶんとラフな格好をしていた。やはり無国籍風の上下で、上着に貫頭式の長衣を着ている。足元はカンフーシューズのような平たい靴を履いており、ゆったりとしたズボンによく合っていた。
 彼女は「んんっ?」と眉を顰めて、
「あれ? コウスケ君って、普段から敬語で話す人?」
「いや、そういうわけじゃないですけど」
「じゃあさ、普通に話そうよ。大使館じゃないんだし。あそこだと、あたしだってああいう話し方をしなくちゃいけなかったけど、普段もあんなだと堅苦しいでしょ?」
「わかった。普通に話すよ。これでいいか?」
「大変よろしい。これから一緒に頑張る仲間だもんね」
 ユイは「にひひ」と笑うと、大使館がある方向とは反対側を指差した。
 その先はやけに明るく、わずかだが、ここまで喧騒が届いている。
 少し離れた場所にある繁華街らしい───いや、歓楽街か。
 すっかり夜遊びを楽しむ街娘の顔で、魔法使いが言った。
「それじゃあ行きましょうか。みんな待ってるわ」


 * * * * *


 在ハイリヒトゥーム市セヴェン王国大使館。
 その三階にある豪奢な居室で、フィーリアはもやもやとした気持ちを持て余していた。その胸に大きな枕を抱えて、クイーンサイズを超えた巨大なベッドの上をごろごろと転がり、何度も往復する。ドレスに皺ができるのも気にしない、なかなかの暴挙である。時折、ぴたりと止まっては、枕の向こうから憂鬱そうな溜息がもれた。
「……何なんでしょう、あの人は」
 ぼそりと呟く。
 彼女の脳裏に浮かんでいるのは、昼間、約束もなしにこの大使館にやって来た、ずうずうしい魔法使いの顔だった。客観的に判断しても可愛らしく、明るくて、いかにも男の子に好かれそうな少女の姿を思い出していた。
 フィーリアは「む~~~~~っ!」と唸る。
 カシマ・ユイ。ヴァーチェの勇者。ウワン=エナが誇る黒曜の魔法使い。
 どんな用件を持ってきたのかと思えば、コウスケを食事に誘うとは。しかも、王族の自分では同行も憚られる、市中での食事会だなんて!
 見聞を広める為に同行したいと言ったら、ヴァリエーレとペイトリエト全権大使に却下された。挙句、マルテイロと警備主任には叱られた。やんわりとした口調だったが、言葉そのものは厳しく、かなり本気で怒っていた。
「わたくしは駄目で、コウスケ様がいいのは何故ですか!?」
 頭に血が昇り、ついそんな馬鹿な反論をしたら、マルテイロに呆れられた。
「王女殿下。コウスケ殿は世間慣れしていないかもしれませんが、ヤービルを倒すほどの戦士です。あの方をどうこう出来るような輩は、同じヴァーチェの勇者を除けば、この街に十人もいませんぞ」
 確かにその通り。
 しかし、わたくしだって護衛がいれば問題ないはず。そう言ったら、警備主任が気の毒なくらい申し訳なさそうに答えた。
「……王女殿下。無論、我々としましても、殿下の御要望を叶えたく思っております。しかしながら、予定ルートの調査や、警備要員の配置、関係各所への連絡などを考えると、今夜のお出かけまでには準備が間に合いません。市内への外出に際しては、少なくとも三日前までに予定を知らせて頂きたいのですが」
 全くの正論である。
 なにせ自分は王族だ。この身に何かあれば、それは即ち国際問題。あらゆるところに飛び火する大問題であり、警備主任の首は飛び、不特定多数の人間の首が「本当に」飛ぶ可能性も少なくない。外出するならば、各方面に徹底的な根回しをする必要があるのだ。
 実際、以前にこのハイリヒトゥーム市で市中巡りをした際は、その準備に一週間が費やされ、三十人近い警備要員が動員された。表に出ない裏方を含めれば、多分、百人を超えていただろう。
 ぐうの音も出ない。
 今夜の外出は諦めるしかなかった。
 そんなわけで、フィーリアは居室で不貞腐れているのだった。コウスケが可愛い女の子と二人きりで出掛けるなど、どうにも我慢ならないが、ここで我が侭を通しては、王女としての沽券に係わる。
 同様の理由で、コウスケの外出を許さないのも却下だ。王族の権力を濫用したり、コウスケの義理堅さにつけ込むなど、フィーリア自身のプライドと良識が許さない。
 だから、フィーリアはにこやかに許してしまったのだ。
 挙句、楽しんできてくださいとか言って自爆した。
(本当にすごく楽しんできて、必要以上に仲良くなったらどうするの!?)
 だから、転がるしかない。
 あっちごろごろ、こっちごろごろ。
 政治情勢や外交に詳しい王女も、自分に対する異性の感情には精通していないらしい。
 コウスケの気持ちも露知らず、フィーリアは悶々と夜を過ごしていた。


 * * * * *


 ローザ通りは、ハイリヒトゥーム市に数多くある繁華街の一つである。飲食店や風俗店が所狭しと並び、日没と共に無数のランプや燭台に火が灯る。どこまで連なる積層建築の谷間は、日常の疲れを宴で癒そうとする人々で溢れ返り、混沌とした喧騒に包まれる。
 朝には静寂が、夜には欲望が主役に選ばれる。
 美味い食事で空腹を満たし、酒を浴びるように飲むことが正義となるのだ。
 そんな歓楽街を、コウスケはユイに連れられて歩いていた。
 ちょっとしたカルチャー・ショックである。なんという混雑、なんという騒がしさ。赤ら顔の人々がジョッキを片手に快哉を叫ぶ。ハレルヤ、ヴァーチェは偉大なり、今日の糧に感謝します。肌の色も髪の色も関係なく、ここでは誰もが狂ったように盛り上がっていた。
 コウスケは圧倒されるしかない。
 きょろきょろと周囲を見回しながら、人込みをかき分け、必死にユイについて行く。
 ユイは慣れたもので、平気な顔をして歩いていた。
「ちょっと、待ってくれ。歩くの早いぞ!」
「あー、ごめん。コウスケ、こういうところ初めて?」
「初めてに決まってるだろ! 鹿島こそなんでそんなに慣れてるんだよ!?」
 早くも呼び捨てで会話している二人である。
 同年代の若者らしく、あっという間に打ち解けていた。
「んー、日本にいた頃から、こういう所にはしょっちゅう出入りしてたしね。むしろホームグラウンドって感じ?」
「どんな生活してたんだ、おい!」
 思わず怒鳴ると、ふいに、右腕が柔らかな感触に包まれた。
 驚いて確かめると、いつの間にか、ものすごい薄着の女性が愛嬌たっぷりの笑顔を浮かべて、コウスケの腕を掴んでいた。
 しかも、むっちりとした胸を押し付けているではないか。
 コウスケは驚くのを通り越して、恐慌した。
「うおあわわわわっ!?」
「ねえねえ、お兄さん! うちらと遊ばない?」
 風俗店の呼び込みらしい。しかも、亜人のケトヴァッリ族である。人間と深い交流のある亜人で、知性の高さも人間と変わらず、多くの国で人間社会に溶け込んでいる種族だ。猫に近い性質を持っていて、しなやかな筋肉と抜群のバランス感覚を備えている。だが、最大の特徴は、やはり外見であろう。
 ケトヴァッリ族は人間によく似ている。だが、その耳は完全に猫のものなのだ。ふさふさとした毛並みの大きな耳が、頭の上にぴょこんと生えている。人間の耳があるべきところは髪で隠れており、不自然さはほとんど感じられない。
 つまり、コウスケの腕をリアル猫耳娘が引っ張っていた。
 しかも半裸に近い格好である。
 コウスケは一瞬で茹蛸の様になり、情けない悲鳴を上げた。
「ひいっ!」
「ねーねー、お兄さん、いいでしょー?」
「は、離してくれっ!」
「サービスしちゃうよー。すっごく気持ちいいよー。ぷにぷにだよー」
 ぷにぷにって何が!?
 それを聞いたが最後、逃れられない呪縛を架せられると直感して、コウスケは猫耳娘から顔を逸らした。彼の腕力なら簡単に引き剥がせるはずだが、何故だろう、体がまったく動かない!
 誰か助けてくれ!
 しかし、さらに魔の手が迫る!
「ねえってばぁ」
 その身長が150センチ足らずでありながら、猫耳娘は素晴らしい身軽さでコウスケの背中にしがみついた。そして、彼の耳の裏を、ねっとりとした舌で淫靡に舐め上げた。
 コウスケの背筋を電撃が走る。
 少年は絶叫した。
「ひゃああああああああああっ!」
「いや、ひゃあじゃないから」
 ぺちりと、いきなり額を叩かれた。
 正気に返ると、目の前には戻ってきたユイが立っていて、なんとも言えない表情で苦笑していた。言葉に変えたならば「しょうがねえなあ、男ってやつぁ……」といったところか。
 コウスケは慌てて訴えた。
「誤解だ!」
「はいはい。分かってるから。ほら、あんたも離れて。悪いけど、彼には遊んでる時間なんて無いのよね」
「んにゃー! なによアンタ!」
「いいから、さっさとあっち行きなさい」
 簡単に呼び込み嬢を追い払う。
 自由になったコウスケは、ユイに対して本気で感謝した。
「助かった……! まじでありがとう……!」
「うわー、反応に困るわー……」
 ユイは乾いた笑いを零しつつ、仕方ないなあとコウスケの手を掴んだ。
 手を繋いだまま、魔法使いはずんずんと歩いていく。
 彼女は弟に言い聞かせる姉のように言った。
「ほら、さっさと歩く。しっかりついて来なさい」
「あ、ああ」
 コウスケは引かれるままについて行く。
 人込みと喧騒の中を進みながら、ふいに、先を歩くユイが言った。
「コウスケって、まっとうな人生送ってきたのね」
「ええ? なんだって?」
 周囲が騒がしすぎて、よく聞こえなかった。コウスケは怒鳴るように訊き返したが、ユイは振り返ると、落ち合った時のような「にひひ」という笑顔を浮かべて、無邪気なくらい明るい声で答えた。
「なぁんでもないよ!」


 * * * * *


 目的の店は、ローザ通りの片隅で営業していた。
 店名は「シャストラ=ストラ」。ユイ曰く、美味い果実酒と創作料理が売りの飲食店で、彼女がハイリヒトゥーム市で生活するようになってから、ずっと贔屓にしているという。なんでも店主がとても気持ちのいい人物らしい。
 コウスケはユイに案内されるまま、「シャストラ=ストラ」に入店した。
 いかにも食通向けの居酒屋といった入口をくぐると、店内は想像していたより落ち着いた賑わいを見せていた。静かでもなければ、やたらと騒がしいわけでもない。気心の知れた仲間同士が旧交を温めているかのような雰囲気に満ちていた。
 店内は広くもないが狭くもない。二十ほど置かれた丸い木のテーブルはどれも埋まっていて、カウンター席もほぼ満席である。
 どうするのかと思っていると、ユイがカウンターの向こうにいる店員に声を掛けた。
「こんばんは、ミスタ・コラソン」
「やあ、来たね」
 店員は朗らかに微笑んだ。四十代後半といったところか。この世界では珍しいだろう眼鏡を掛けていて、歓楽街には似つかわしくない、どこか気品を感じさせる男性だった。
 このミスタ・コラソンが店主なのだろう。
 彼はコップを拭いていた手を止めると、奥で仕事をしていたウェイトレスを呼んだ。
「フェリ=シータ。予約のお客様だ」
「はーい」
 フェリ=シータと呼ばれたウェイトレスはすぐにやって来た。赤毛の髪をショートカットにした、二十代半ばくらいの女性である。切れ長の双眸が印象的だ。
 彼女はユイの姿を認めると、右手を上げて、はあいと気楽な挨拶した。
「いらっしゃい、ユイ」
「今夜もお邪魔するわね、フェリ=シータ。調子はどう?」
「まずまずよ。チップの払いがいいお客さんも来たしね」
「期待されてるなあ。その分、しっかりサービスしてよ」
「まかせなさいな」
「他の人達は?」
「もう揃ってるみたいよ。ケイトが『あとはユイ姐(ねえ)を待つだけだ』とか言ってたわ」
「OK。案内してちょうだい」
「ええ。……ところで、そちらが期待の新人さん?」
 フェリ=シータが手のひらでコウスケを示した。
 ユイは頷き、
「なかなかの使い手よ」
「そっか。……ねえ、新人さん。お名前はなんていうの?」
 唐突に尋ねられて、コウスケはわずかに気後れしつつも、素直に名乗った。
「コウスケ。八島コウスケです」
「コウスケ君ね。ふふ、やっぱり変わった名前。『あなた達』の名前って、とても神秘的な響きだわ」
「……?」
「フェリ=シータ。いいかしら?」
「あら、ごめんなさい。こっちよ」
 フェリ=シータの先導で、ユイとコウスケは店の奥へと案内された。奥にはいくつか貸切り専用の個室があり、ユイがその一つを予約していたらしい。
 案内されている最中、コウスケはユイに訊いた。
「駅で会った時に、みんなって言ってたよな」
「ええ」
「それって、やっぱり……」
「うん。でも、全員じゃないわ。あたし達を含めても八人だけ」
「八人」
「みんな日本人よ。どうやらヴァーチェは、一つの世界どころか、かなり限定された範囲でしか転生者を選べなかったみたいね」
 三人は個室の前についた。
 閉ざされた木のドアの向こうに、複数の人間がいる気配を感じる。この向こうに、明後日から始まる戦いを共にする仲間達がいるのだ。
 そう、仲間だ。彼らとは協力しなければならない。
 なぜなら、
(俺一人でピッコロ大魔王クラスになんて、敵うわけがないんだから)
 コウスケは誓ったのだ。フィーリア達を守る為、悪神ヴァイスの呼び込んだ≪可能性の怪物≫を倒す。この世界を滅ぼさせない。
 八島コウスケは≪勇者≫の使命を背負うと決めたのだから。
 フェリ=シータがドアをノックして、ノブを回した。
 ドアが開けられる。
 まずユイが入り、それにコウスケが続く。
 ついに、勇者達の本格的な対面が始まった。


 * * * * *


 貸切り専用の個室はずいぶんと明るかった。一般的なランプではなく、魔法が使われているらしい。天井に設けられた照明の光が、室内を隅々まで照らしていた。
 十人前後が宴会を催しても手狭に感じないくらいの広さで、部屋の中央には大きな円卓が置かれている。年季の入った木製のテーブルで、その上にはすでに料理や飲み物が並んでいた。
 そして、その円卓を六人の人物達が囲んでいる。
 彼らは食事の手を止めて、入ってきたばかりのコウスケ達へと視線を向けていた。
 それに対して、一切の物怖じをせずに、ユイが手を挙げて挨拶した。
「お待たせー! 最後の一人を連れて来たよー!」
「ユイ姐、遅い」
 出入口付近の席に座っていた少年が振り返り、ユイを見上げながら言った。
 コウスケよりも明らかに年下で、フィーリアと同い年くらいだろう、中性的な顔立ちをした少年である。小柄で細く、一見すると弱々しくさえ映るのだが。
 彼を見た瞬間、コウスケは背筋がぞくりとした。まるでヤービルと対峙した時のような、いや、それ以上の寒気を感じたのだ。
(なんだ、この子は……!)
 どう見ても普通の少年なのに、コウスケの動物的な本能が警鐘を鳴らしていた。この少年と戦うな。現状ではどう足掻いても勝てない。生物としての次元が違う。喧しいくらいに騒ぎ立てていた。
 そんなコウスケの戦慄を他所に、ユイが「にひひ」と笑って誤魔化す。
「ごめんごめん、ちょっと客引きとかに引っかかってさ」
「もう食べ始めてるからな。他の人達、待たせても悪いだろ」
「うん、それは全然OK。自己紹介とかも済ませちゃった?」
「それはまだ。全員が揃ってからじゃないと二度手間だし」
「グッジョブ。ケイトは気が利くね!」
「茶化すなよ」
 ケイトと呼ばれた少年は、ちょっと生意気そうに、ふんと鼻息を鳴らす。
 いつものことなのか、ユイは特に気分を悪くする様子も見せずに、立ちっぱなしのコウスケに奥の席を勧めた。
「コウスケ、とりあえず座っちゃって。初顔合わせだし、自己紹介から始めるから」
「あ、ああ」
 コウスケは言われるまま、最も奥にあった空席に腰を下ろした。そこに座るまでの間、円卓を囲む面子からの視線を感じていた。コウスケ自身もそうだが、誰もが自分以外の勇者に対して興味津々らしい。
 ふいに、コウスケは左側に座っている人物の様子に気がついた。やけにこちらを見つめている。睨んでいるといった風ではないのだが、妙にはっきりとした眼差しを逸らそうとしないのだ。
 二十代後半か、三十代になったばかりくらいの女性だった。度の強そうな黒ぶちの眼鏡を掛けていて、ぽけっとした表情を浮かべている。客観的に見て、特に美人というわけでもないのだが、なんだか小動物的な愛らしさを醸し出していた。
 コウスケが何となく見つめ返すと、眼鏡の女性も気付いたのか、慌てて「はわっ!?」という奇声を上げると、わたわたと挙動不審になってから、顔を真赤に染めるなり、俯いて黙り込んだ。
 なんと表現していいのか。
(……変な人だ)
 まあ、悪い人物ではなさそうだ。
 そうこうしている内に、ユイがフェリ=シータに追加の注文を済ませていたらしく、全員に新たな杯が配られた。注がれているのは果物のジュースだろうか、少なくともコウスケに渡されたものからはアルコールの匂いはしなかった。
 一人だけ立ったままのユイが、自分の杯を掲げながら言った。
「はい! それでは、改めて挨拶させて頂きます!」
 その場にいる全員がユイに注目する。
 静かになった個室に、魔法使いの通りのよい声が響いた。
「今夜はあたしと交流を持ってくれた勇者達に、親睦会ということで集まってもらいました! 明日には大神殿でも顔合わせが行われる予定だけど、そういう場だと絶対に余計な口出しとかあるし、きっと本音も言いにくくなるんじゃないかなーとか思いまして。この一ヶ月間で作った個人的なコネを総動員して、合計八人の勇者をここに招待させて頂きました! さあ、拍手!」
 勢いに乗せられて、全員がぱちぱちと拍手をする。
 八人の中で最も年上と思われる、四十代くらいの男性が、苦笑を交えて称賛した。
「大したものだな、鹿島君。君は簡単に言っているが、実際のところ、かなり無理をしたんじゃないか?」
「んー、そうですねー。でも南宮さんが心配してるほどじゃないと思いますよ。まあ、大神殿関係者の一部とか、いくらかの国の外交関係者からは、ちょっぴり恨みを買ったかもしれませんけど」
 ユイは平然と物騒なことを白状する。
 このうら若き魔法使いがどんな人物なのか、コウスケはますます分からなくなった。信じられないくらい頼りになりそう、ということだけは理解できたが。
 ユイはこほんと咳を一つすると、打って変わって、真面目な顔で言った。
「……あたし達は、例外なく、理不尽な形でこの世界に連れて来られたと思います。長い人で一ヶ月間、短い人だとまだ一週間くらいかな。まったく見知らぬ異世界で生きるっていうのは、少なからず大変だったよね」
 全員が黙って聞いていた。
 ユイは色々と思い出しているのか、少しの間だけ目を閉じてから、すぐに開いた。
「あたし達には≪勇者の使命≫が押し付けられています。ふざけんなって感じだけど、現実として、今の状況には向き合わなくちゃいけない。世界を滅ぼすような怪物が襲ってくる以上、自殺でもしない限り、逃げらんないしね」
 だから、皆、ハイリヒトゥームに来たんだよね。ユイはそう言って、少し哀しそうな、どこまでも乾いた笑みを浮かべた。
 だが、見ていれば分かる。
 彼女の瞳に諦観の色はない。
「でも、あたしは自殺なんてする気は微塵もない。みんなもそうだと思う。あたし達は『一回、経験してる』もんね。あんなのは二度と御免でしょ? だから、少なくとも、あたしは≪可能性の怪物≫と戦うことを選びます。積極的であれ、消極的であれ、この街にいる以上は、みんな同じ選択をしてるんじゃないかな」
 反対する意見は出なかった。
 ユイはうんと頷いて、
「今日、こうして集まってもらったのは、明後日から始まる戦い、それに臨む理由をはっきりさせたかったから。あたし達は戦う。すごく怖い。でも、戦わなくちゃならない。人は理由も無しに戦えるほど強くない。だから、それぞれの理由をはっきりさせて、モチベーションを作っておきたい。せめて立ち位置が揺るがない程度には」
 そこまで話して、ユイは「にひひ」と笑った。さっきとは違う、励ますような、前に進もうと訴えかけるような笑顔だった。
 彼女は続ける。
「あたし達を支援している国は、戦後を考えて色々と画策しているみたい。ここにいる皆を集めるのに手間取ったのも、そのあたりが理由です。まあ、拍子抜けするくらい協力的というか、あっさりした国もあったけど。……実を言うと、この店の外、各国のスパイだらけです。あたし達、今まさに監視されてるんだよね」
 コウスケを含めて、何人かが「ええっ?」と声を上げた。
 ユイが安心してと制する。
「だから、この店に集まってもらったの。この『シャストラ=ストラ』は、店主のミスタ・コラソンの方針で、プライベートがしっかりガードされてるから。諜報用の魔法に対するカウンターとか、冗談みたいなレベルで設けられてるんで、内緒話を聞かれたりしないわ。大神殿や各国の幹部なんかも密かに利用してるんで、摘発される心配も皆無だしね。
 ……話を戻すわ。
 ともかく、周囲には色んな思惑が錯綜してる。
 でも、あたし達には関係ない。あたし達がまず考えるべきは、≪可能性の怪物≫を倒して生き残ること。他は全て済ませてから考えればいい。だから、周りの雑音なんか無視して、あたし達はあたし達自身の理由を大事にして、戦いに臨みましょう」
 ユイは円卓を囲む一人一人の顔を順番に見つめた。
 そして、宣言するように告げる。
「どうして戦うのか。何の為に戦うのか。それをはっきりさせましょう。そして、お互いにそれらを認識して、全力で共闘しましょう。───生き残る為に」
 全員がユイを見つめていた。
 気持ちが統一されているとは限らない。それでも、ユイの言葉が変えようのない現実を述べていたのは事実だ。勇者達の現実は、自由は、これから始まる戦いを乗り越えなければ、新たに始まることさえできないのだから。
 明後日から、戦いが始まる。
 今夜のこの集まりは、一つの儀式、区切りとして確かに成立しているようだった。
 ユイが杯を一際高く掲げた。
「乾杯した後、時計回りで、自己紹介と戦う理由の発表をしましょう。状況に流されて、ここまで来てしまった人もいると思う。そういう人達の心が少しでも定まるように、みんなで話し合いましょう。あたし達は、仲間、なんだから」
 だから、親睦会か。
 コウスケはユイの言葉を噛み締めた。これは勇者に選ばれてしまった人達が、生き残るための絆を作っていく過程の第一歩なのだ。大神殿や各国が用意した顔合わせなんかでは成しえないであろう、道標を作るための宴である。
 コウスケは考えもしなかった。
 鹿島ユイ。黒曜の魔法使い。なんてすごい奴なんだ。
「……!」
 コウスケは立ち上がり、杯を掲げた。
 見れば、全員が同じように立ち上がって、杯を掲げていた。
 その光景を前にして、ユイが本当に嬉しそうに微笑む。明日への希望を見つけたように。
 魔法使いが大きな声で言った。


「乾杯っ!」
『───乾杯っ!』


 そして、八つの杯がぶつかり合う。
 勇者達による、未来を手に入れる為の宴が始まった。



[22452] Salvation-12 第十話「集結! 運命の勇者達!? (後編)」
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:5a1f220d
Date: 2011/09/19 17:33
 ユイの音頭で乾杯をして、それぞれの自己紹介が終わると、フェリ=シータをはじめとするウェイトレス達が主菜を運んできた。見栄えよく盛り付けられた皿が、円卓に次々と並べられていく。
 香ばしい匂いが食欲をそそる。
 コウスケ達は興味津々で料理を口にした。創作料理という看板を掲げているだけに、独特な味わいが際立つものの、馴染みがないというだけで十分に美味しい。気がつけば、全員が満足そうに舌鼓を打っていた。
 個人差こそあれ、食事を共にすると、人は饒舌になる。それなりに緊張もほぐれて、宴は和やかに進んでいた。元より、異世界で久しぶりに会えた同郷の顔ぶれなのだ。交わす言葉の数も、時間が経つほどに、自然と増えていった。
 コウスケも純粋に楽しんでいた。肩の力を抜いて、両隣に座る二人と語り合う。彼らとは年齢も近いせいか、学校で級友達と過ごした日々のことが思い起こされて、コウスケはある種の懐かしさを感じていた。
 右にいる少年、春日ハルトモがコウスケの太い腕をまじまじと見ながら言った。
「八島さん、マジですごい体してますよね。これで≪主人公の力≫が『ドラゴンボール』だなんて、ハマり過ぎっすよ」
 やけに調子の軽い話し方なのだが、不思議と嫌味たらしくない。
 ハルトモはテオエルバ王国に現れた勇者だ。十七歳の高校二年生で、短く刈り込んだ髪を脱色しており、いかにも今時の若者という風体である。性格は実に人懐っこく、あれやこれやと訊いてくるので、話題には事欠かなかった。
 コウスケは苦笑しながら、
「使いやすい能力ではあるけど、実際に戦う時なんか滅茶苦茶おっかないんだぞ。なにせ、相手を殴れる距離まで近づかなくちゃいけないんだから」
「でも、格闘技やってたんすよね。MTBとかいう」
「それだと自転車だ。俺がやってたのはMMA。ミクスド・マーシャル・アーツ。スポーツ特番とかで観たことないか?」
「あー、ありますあります」
「試合と実戦は別物だよ。春日君の≪主人公の力≫なら、接近戦をすることはないと思うけど、戦いが危険なことに変わりはないんだ。明後日は十分に注意しなよ」
 ハルトモの得た≪主人公の力≫は、ペルソナ能力と呼ばれる、絵に描いたような超能力である。コウスケは詳しく知らないのだが、有名なゲームに登場する能力で、心の本質とでも言うべき「もう一人の自分」を具象化するものらしい。
 つまり、自分自身を強化する類ではなく、強力な分身「ペルソナ」を生み出す力なのだ。
 彼のペルソナ「ヒメノカミ」は、攻撃能力こそ低いが、その代わりに「ディア」という回復スキルを備えている。これを使えば、かなり深い傷でも、ほとんど一瞬のうちに治せるらしい。しかも、10メートル程度までならば、離れている対象にも効果を及ぼせるそうだ。
 遠距離に対応した回復能力。
 命懸けの戦いにおいて、これほど頼りになる力はない。
 ユイなど、次のように言いながら、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「あたしも簡単な回復魔法なら使えるんだけど、あれ、魔法をかけた相手の体力と引き換えに傷を塞ぐ魔法だから、負傷の具合によっては逆効果なのよね。しかも触らないと効果がないし。ディアかあ。すごく心強いわ」
 確かに、重体に陥った者から体力を奪えば、それが止めになりかねない。ユイの回復魔法は、あくまでも軽傷用というわけだ。ハルトモの能力は紛れもなく吉報と言えた。
「でもさ、八島君。『ドラゴンボール』のバトルシーンは接近戦オンリーじゃないよね。かめはめ波とか、ああいう技は使えないのかい?」
 コウスケにそう質問したのは、左に座っていた青年、平野ケイジだ。
 彼はイレヴェン公国の勇者である。コウスケより一つ年上の十九歳で、日本では私立大学の文学部に通っていた。恰幅のいい太めの体と、洒落たデザインの赤い眼鏡がトレードマークだ。
 ケイジはいわゆるオタクで、大学でもその手のサークルに所属していたと聞いている。漫画やアニメ、ゲームなどはもちろんのこと、小説や映画にも詳しく、その知識が先々の≪可能性の怪物≫対策に貢献するのではないかと期待されていた。
 ちなみに、ケイジ自身の≪主人公の力≫は「リンカーコア」というものだ。どんな力なのか誰も知らなかったので、ユイが代表して尋ねたら、彼は自信たっぷりに教えてくれた。
「───ずばり、魔法少女のリリカルなパワーです」
 七人全員がドン引きしたことは言うまでもない。
 ケイジもさすがに空気を読んだのか、すぐに「冗談です」と弁解して、劇場版も作られたアニメ作品に登場する「魔法が使える素養」なのだと説明した。本来ならば、かなり汎用性に優れた能力らしいのだが、ケイジはいまいち使いこなせていないらしい。
「攻撃魔法がほとんど使えないんだ。防御や拘束を目的とした補助魔法なら、割と上手く出来るんだけどね。ただ、デバイスがないから、発動までやたら時間が掛かるんだよ。代替品を確保することが当面の目標かな」
 デバイスとは、件のアニメ作品で魔法使い達が使っているアイテムである。このデバイスを使えば、魔法の素早い発動や、威力の増幅が可能となる。しかしながら、詳しい構造が分からない以上、代替品と言えども入手は難しいだろう。
 余談だが、彼の自己紹介における締めの一言は完全にスルーされた。
 ケイジ曰く、
「つまり、僕はユーノ・スクライア。砲撃魔法が得意な魔法少女とパートナーになってしかるべきなわけですよ。そういうわけで、十歳前後の白いリボンとロングスカートが似合う相棒を募集中です。どこかの国にいませんか?」
 訳が分からない上に、仄かに犯罪の臭いがしたので、無視されたのも致し方あるまい。
 ともあれ、回復と防御を担える者がいたのは幸運である。
 コウスケはケイジからの質問を受けて、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「ただの気功弾なら撃てるんですけど、かめはめ波は難しいですね。悟空やクリリンどころか、亀仙人も桁外れの達人なんだと思い知らされましたよ」
「武天老師様、マジパネェっすって感じかい?」
「そんな感じです」
 答えて、コウスケは杯に口をつけた。
 コウスケも、空いた時間を見つけては、かめはめ波の練習を行っていた。しかし、気功波を収束させることは容易でなく、習得への道程は険しかった。それでも、何度かそれらしい形を作れた際には、目を見張るような威力を示していた。安定して放てるようになれば、戦力の大きな向上につながるだろう。
 ≪可能性の怪物≫との戦いは、まず間違いなく、ヤービル戦以上に厳しいものとなる。
 切り札は多ければ多いほどいい。
 フィーリア達を守る為にも、努力を惜しむつもりはない。
(そうとも。かめはめ波だって、必ず物にしてみせる……!)
 コウスケは静かに闘志を燃やす。
 ふと、対面にいる三人の様子が目に入った。落ち着いた雰囲気で話し合っているのは、鹿島ユイと南宮ヤスツナ、そして高千穂コズエである。彼女達のすぐ隣では、むすっとした表情の建部ケイトが、食器を片付けに来ていたフェリ=シータやウェイトレス達に抱きつかれて、何やらからかわれていた。
 南宮ヤスツナは、この場にいる勇者達の中で、最年長の人物である。年齢は四十四歳。日本にいた時は古物商を営んでいた。治安のよろしくない外国を渡り歩いた経験を持ち、哲学的な空気を漂わせていて、中肉中背ながら、荒事に動じない頑健さを感じさせた。
 ヤスツナといえば、自己紹介で予想外のハプニングに見舞われていた。
 彼が自分の≪主人公の力≫について説明しようとした時である。
「───君達は私と世代も違うので、知らないかもしれないが、私の得た力は漫画に登場していたものだ。私が学生時代によく読んでいた漫画でね、タイトルは『強殖装甲ガイバー』という」
 これを聞いて興奮したのは、古今東西の漫画に精通するケイジだった。
 彼はやおら立ち上がり、鼻息を荒くして、ヤスツナに質問した。
「も、もしや! 殖装できるんですかっ!?」
 状況を飲み込めず、首を傾げるメンバーに、ケイジは握り拳で解説した。
 漫画「強殖装甲ガイバー」とは、壮大なスケールのSFアクション巨編である。特殊な生物兵器「強殖装甲」を手に入れた主人公が、謎の秘密結社クロノスに立ち向かい、凶悪な改造人間「獣化兵(ゾアノイド)」と死闘を繰り広げるという内容だ。
 殖装とは、強殖装甲を装着して「ガイバー」に変身することを指す。ガイバーの戦闘力は凄まじく、特に胸部装甲に内蔵された生体粒子砲「メガ・スマッシャー」の破壊力ときたら、一撃で広大な森林を焼き尽くすほどである。
 まさに驚異の強殖装甲、規格外の強さを秘めたヒーローなのだ。
「ガイバーが味方にいるなら、よっぽど無茶苦茶な相手じゃない限り、楽勝ですよ!」
 ケイジは力説した。
 だが、それは当のヤスツナに否定される。
「すまないが───」
 彼は深く息を吸ってから、淡々とした口調で、全員に告げた。


「私が変身できるのは、ガイバーではなく、獣化兵のグレゴールだ」


 グレゴール。
 それは「強殖装甲ガイバー」の第一話に登場する、主人公が初めて戦った獣化兵の名前である。角のように尖った頭部と、分厚く頑丈な緑色の皮膚、そして常人の15倍に達する絶大な筋力を備えた生物兵器だ。熊やライオンすら素手で捻り殺せるような、とてつもなく強い改造人間なのだが……。
「グレゴール、ですか?」
「グレゴールだ」
「第一話でガイバーにやられた、あのグレゴールですか?」
「ああ。第一話で、ガイバーに両腕を圧し折られ、派手に叩きのめされた、あのグレゴールだ」
「……すみませんでした」
「気にするな。私も神託で『ガイバー』の四文字を読んだ時は、もしやと思ったものさ」
 その時の気まずさたるや、かなり居た堪れなかった。
 しかしながら、ヤスツナはユイと並んで、すでに幾つもの手柄を立てている有名な勇者だった。クワトール王国の「龍鱗の一角獣」と言えば、一部の悪党からは「黒曜の魔法使い」以上に恐れられている。
 ガイバーとは比較にならないが、決して弱い存在ではない。獣化兵の戦闘力は、生半可な近代兵器など圧倒してしまう。むしろ、強いと評価するべきだろう。それこそ生きた戦車にも等しいのだ。
 そんなヤスツナと話している高千穂コズエは、妖艶な色香を纏う女性である。年齢は三十歳。日本にいた時は会社員をしていた。くせのない黒髪をボブカットにしていて、顎の細い輪郭によく似合っている。
 コズエはフュンフペンデ王国の勇者だ。
 彼女の≪主人公の力≫は些か風変わりである。フィクションの能力に風変わりでないものがあるのかと指摘されたら否定できないが、ここで言う風変わりとは「超常的なもの」という意味ではない。
 コズエは他の勇者達と異なり、その能力の行使に「対価」を必要とするのだ。
 高千穂コズエの得た≪主人公の力≫は「契約者になること」。アニメーション作品「DARKER THAN BLACK」シリーズに登場する、制限付きの超能力である。
 「DARKER THAN BLACK」は、超能力者が暗躍する近未来を描いたアクション物で、劇中に登場する超能力者は「契約者」と呼ばれている。彼らは物理法則を超越した超能力が使える代わりに、その意味も定かでない「特定の行為」を強制されている。さながら、何者かとの契約を履行しているかのように。
 その「特定の行為」を「対価」と呼ぶのだ。「対価」には前払い式や後払い式があり、後払い式の契約者が「対価」を支払わなかった場合、どうなるかは分からない。劇中でも明確に描かれていないからだ。しかし、前払い式は分かりやすく、支払っていなければ超能力を使うことが出来ない。
 コズエは前払い式の契約者だった。
 その超能力は「生体ネットワークの構築」である。コウスケにはいまいち理解できなかったのだが、彼女はテレパシーのようなもので、複数の人間の意識を連結できるそうだ。分かりやすく例えるならば、彼女を中継基地にして、味方の間に無線の連絡網を築くということらしい。
 彼女は説明していた。
「最大の特徴は、精神を結んでいるが故の、圧倒的な通信速度よ。言葉と違って、一瞬で自分の意図を相手に伝えられるわ。仮に、そうね、『敵が背後から攻撃しようとしている。今すぐ横に跳んで逃げろ!』と伝えたいとする。言葉だと、逃げろと言うだけでも、1秒くらいの時間を必要とするでしょう? しかも正しく伝わるかどうか分からない。けれど、私の能力を仲介すれば、一瞬で、正確に意図を伝えることが出来るの。チームを組んで戦うんなら、それなりに役に立つと自負してるけど、どうかしら?」
 つまり、戦闘中の連携やフォローを極めて迅速に行えるということだ。
 素晴らしい。それなりどころか、これ以上なく役立つだろう。
 最後に、コズエは「対価」について言った。
「私の『対価』に関しては、またの機会にさせてもらうわ。今のところストックは十分にあるから。あんまり人に教えたい内容じゃないしね」
 コズエは悪戯っぽくウィンクをして、そう締め括った。
 この時、コウスケは失礼かなと思いながらも、ちょっとしたユーモアを感じていた。コズエは見るからに大人の女性で、仕事もできそうなキャリア組といった印象なのだが、彼女の得た能力はアニメのものである。「DARKER THAN BLACK」は深夜放送だったらしい。残業を終えて帰宅した有能なOLが、就寝前の一時にアニメを楽しんでいたというのは、なかなか微笑ましい光景ではなかろうか。
 コウスケのような少年にとって、大人の女性はどうにも近寄りがたい。
 けれど、先の事実が、少しばかり親近感を抱かせてくれるのだった。
(……あれ?)
 そこで、コウスケは気付いた。
 ユイ、ヤスツナ、コズエ。そしてケイト。対面には四人しかいない。
 残る一人、個室に入ったばかりのコウスケを見ていた眼鏡の女性───大神サオリの姿が見当たらなかった。
「どこに行ったんだ?」
 妙に気になって、コウスケはハルトモ達に席を外すと断ってから、ユイのところまで行き、彼女に尋ねた。
「なあ、鹿島。大神さんはどこに行ったんだ?」
「……目敏いわね、コウスケ」
 ユイはヤスツナ達に「ちょっと失礼」と告げてから、席を立つ。
 そして、コウスケの傍に寄り、囁いた。
「部屋の外で話しましょう。コウスケに頼みたいことがあるの」
「俺に?」
「詳しくは部屋を出てから言うわ」
 何やら込み入った話があるようだ。
 コスウケはユイの真剣な様子に気付いて、神妙な表情で頷いた。










     Salvation-12
      第十話「集結! 運命の勇者達!? (後編)」










 個室を出てから、コウスケ達は空いていたカウンターの席に並んで腰掛けた。
 ユイが慣れた様子で、カウンターの向こうにいるミスタ・コラソンに飲み物を注文する。
 ミスタ・コラソンは頷くと、アルコールの弱い果実酒の瓶を手に取り、その中身を滑らかな手つきで二つのグラスに注いで、コウスケ達の前に差し出した。
 ユイはグラスを手に取り、甘味の強い液体で喉を潤す。
 その姿を見ながら、コウスケは冗談めかして言った。
「いいのか? 未成年が飲酒してさ」
「ハイリヒトゥーム市の市営法だと、飲酒は十八歳から許されてるの。コウスケが飲んでも問題ないわよ」
「そうだったのか……」
 コウスケも果実酒に口をつける。飲酒の経験などなかったが、心地良い爽やかな酸味を感じて、こういうのも悪くないなと思った。
 ユイが言った。
「サオリさんね、二階のベランダにいるわ」
「そうなのか?」
「うん。フェリ=シータに頼んで、ウェイトレス達にそれとなく見張ってもらってる」
「見張って……?」
「そ。監視させてるの」
「どういうことだ?」
 唐突に飛び出した剣呑な単語に、コウスケは眉を顰めた。
 ユイは小さく嘆息すると、探るような眼差しでコウスケを見つめて、抑揚のない声音で訊いてきた。
「自己紹介の時、皆の戦う理由を聞いて、コウスケはどう思った?」
「ええと……」
 問われて、コウスケは自己紹介の時の様子を思い返した。
 ユイとケイトは、戦いに臨む理由を「元の世界に帰るため」だと語っていた。異世界間を移動する方法を発見するまで、人類に滅びてもらっては困ると。それが≪可能性の怪物≫と戦う理由だと断言していた。
 ハルトモとケイジは、ある意味では、ユイ達より現実的だった。短絡的と言ってもいいだろう。周囲から求められた「仕事だから」だ。この世界に転生して、まだまだどうすればいいのか分からない。自力で生活できる術を手に入れるまでは、勇者としての使命をこなして、衣食住を確保しておこうというわけだ。戦う意味を見つける前のコウスケとほぼ同じ方針である。
 ヤスツナとコズエはもう少し発展的だ。彼らは、ユイとケイトの主張する「異世界からの帰還」を困難だと判断していた。十中八九、この世界で生きていかねばならないと考えていた。それ故に、自分達がこれから生きていく社会を守り、なおかつ少しでも立場を良くする為に戦う。それがヤスツナ達の参戦する理由だ。大人ということだろう。
 コウスケの理由は言うまでもない。
 彼には守りたい人達がいる。今はそれ以上の理由など必要なかった。
 そこまで思い出して、コウスケは気付いた。
「……大神さんだけ、特に何も言ってなかったな」
 戦う理由もそうだが、他のこともほとんど話していなかった。名前や年齢、それから≪主人公の力≫について、必要最低限の内容だけを、機械的にぼそぼそと話しただけだった。
 ユイは頷き、
「そう。サオリさんには、戦う理由がないのよ」
「いや、でも、それは春日君や平野さんも同じじゃないか」
「いいえ。彼らには消極的ながら、戦いに参加する意思がある。言い換えれば、この世界でも生きていこうとしているわ。でも……」
「大神さんには、それさえない?」
「あたしの直感だけどね。あんなに儚い人、初めて見たわ」
 ユイはひどく疲れたように項垂れた。
 彼女は前髪をかき上げながら、ぽつりと零す。
「……初めて会った時から、ちょっとおかしいなと思っていたのよ。宴会を始める時に、あたし、自殺をする気なんてないって言ったでしょう?」
「ああ、言ってたな。それがどうしたんだ?」
「サオリさんだけ、ほんの一瞬、肩を震わせてたんだ」
「……?」
「それで確信した。どうにかしてあげたいけど、駄目ね。多分、あたしじゃ無理」
「ずいぶんと弱気だな」
 コウスケには、ユイのへこたれている様子が意外だった。このバイタリティの塊のような少女なら、無気力な人間だろうと、その腕を掴んで、無理矢理にでも引き上げてしまうと思っていたからだ。
 その考えが表情に出ていたのか、ユイはコウスケを見て苦笑した。
「まあ、普段なら、そうしてるかな」
「普段ならって、今は違うのか?」
「違うよ」
 ユイは人差し指でグラスの縁を弾いた。
 ちいんと、澄んだ音が響く。
「だって、あたし達、一度、死んでるじゃない」
「……?」
「これは、あたしの推測なんだけど」
 ユイはこれまでにないほど醒めた表情で、コウスケの背筋を冷やす言葉を告げた。


「───サオリさんの死因は、自殺よ」


 * * * * *


 コウスケが「シャストラ=ストラ」の二階に上がり、ベランダへと足を運ぶと、そこには一人で夜風にあたる大神サオリの姿があった。彼女は二人用のベランダ席に一人で座り、静かに夜景を眺めている。
 ベランダ側は大通りではなく、軒を連ねる建物に囲まれた空間、中庭のような場所が広がっていた。そこにも様々な明かりが灯されていて、多くの人々が宴を開き、喧騒に包まれている。まるで昼間のような賑やかさだ。
 照明の控えめな店内は、外の明るさから切り離されて、別世界のように見えた。
 静と動のコントラストがくっきりと空間を隔絶している。
 その中で、大神サオリは止まっているように思えた。
 コウスケはわざと足音を立てながら、サオリのいる席へと近づいた。
「大神さん」
「……!?」
 声を掛けると、サオリはびくりと震えて、恐る恐るこちらを振り返った。まるで森でどんぐりを拾うリスのようだ。
 コウスケは出来るだけ構えずに、自然な態度で、サオリの対面に置かれた椅子を指した。
「ここ、いいですか?」
「え、あ……」
 サオリは視線を泳がせて、しどろもどろになりながらも、こくりと頷いた。
 人と接することに慣れていないのか。それともコウスケのような大男を相手にして怖がっているのか。もしかしたら両方かもしれない。
 コウスケは礼を言ってから、椅子に座り、穏やかに話し掛けた。
「いい店ですよね、ここ」
「う……あ……えと、ん……」
 ほとんど聞こえないような声で零しながら、サオリは身じろぎしている。
 人によっては苛立ちを覚える態度だろう。しかし、コウスケは特に急かしたり、責めたりするつもりなどなかった。話し掛けたのはこちらなのだ。それで望んだ返事をもらえなかったからと気分を害するのは、少し傲慢な気がする。
 サオリは決してこちらを無視しているわけではない。答えようとしているのだから、待てばいいだけのことだ。
 コウスケが通りかかったウェイトレスに飲み物を注文したりして待っていると、サオリは顔を真っ赤にしながら、裏返った声で答えた。
「おいひっ……!」
「は?」
「美味しかった、よね!」
 美味しかったよね。
 彼女はなぜか力いっぱいの声でそう言った。
 コウスケは若干のタイムラグを経て理解する。
(ああ、料理が美味しかったってことか)
 こちらがいい店だと言ったので、自分もそう感じた理由を答えて、同意してくれたのだろう。自己紹介での無機質な喋り方とは違って、ものすごく必死な感じだ。
 コウスケはちょっと嬉しくなって、笑顔で答えた。
「そうそう。見たこともない料理でしたけど、すごく美味しかったですね」
「はひっ……!」
 まともな返事を期待していなかったのか、コウスケの言葉に、サオリはまた驚いたようだった。そして、もじもじとしてから、俯いて、黙り込む。
 コウスケは思う。
(……なんというか、とんでもなく内気な人だなあ。コミュニケーションを取ること自体を怖がってるみたいだ)
 それでも無視せずに、律儀に答えてくれるあたり、やっぱり悪い人じゃないよな。
 コウスケは自分の抱いたサオリに対する第一印象が正しかったと再確認した。客観的に判断して、八島コウスケは底抜けのお人好しと言えた。彼自身、そのことを自覚していないあたり、筋金入りである。
 ウェイトレスが飲み物を運んできた。地下水でよく冷やされたフルーツジュースだ。テーブルに二人分のグラスが置かれる。自分の分があることに、サオリは戸惑いを見せていた。
 コウスケは訊いた。
「あ、ジュース嫌いでした?」
「……!」
 サオリは無言ながら、ぶんぶんと首を左右に振る。
 やはり、どこか小動物を連想させる。年齢は二十六歳と言っていたから、コウスケより八歳も年上である。けれど、まるでシャイな後輩の相手をしている時のような気分だ。コウスケは学校ではそれなりに慕われるタイプだったので、年下の面倒を見る機会も少なからずあった。
 おずおずとグラスに口をつけるサオリを見ながら、コウスケはユイから頼まれた事を思い返した。
(……『なんでもいいから、サオリさんと話して欲しい』か)
 ユイから頼まれたことは、それだけだった。それだけでいいのかと念を押すと、それだけでいいと言われた。それならユイが話せばいいと言ったら、彼女はえらく乾いた笑顔で、タイミングが悪いと自嘲した。
 ユイは決まりが悪そうに目を逸らして、
「サオリさんが本当に自殺をしたなら、きっと、あたしの言葉を聞きたくないと思うの。だって、あたしははじめからサオリさんを否定しちゃったから。現状、あたしとサオリさんはさ、対極にいるんじゃないかな」
「それで、俺なのか?」
「最初にサオリさんの不在に気付いたからね。それにさ」
「それに、なんだよ」
「コウスケって、優しいじゃない」
「……俺と鹿島は今日が初対面だぞ。よくそんなことが言えるなあ」
「そりゃあ、言えるでしょう」
「なんでだよ」
「なんでって……」
 ユイは本当に不思議そうな顔でまばたきをしてから、あっけらかんと答えた。
 やけに温かい笑顔で、きっぱりと言ったのだ。


「あんたの顔を見ていれば、分かるよ」


 鹿島ユイは卑怯者だ。あんな笑顔で断言されて、断れる男などいるものか。
 だから、コウスケは彼女の頼みを引き受けた。もともと気に掛かっていた事でもあり、断る理由もなかったからだ。
 けれど、なんとなく癪に触り、コウスケは鬱憤を晴らすようにジュースを一気飲みした。
 頭を冷やそう、うん。
 そして、グラスをテーブルに置いた時、サオリがどもりながら言った。
「や、やじ、八島くんは」
「?」
「八島くんは! ど、どうして、わたしに、話し、かけてくれたの、かなっ!?」
「ああ、それは───」
 答えかけて、コウスケは一考した。
 ユイに頼まれたからと答えるのはまずい気がする。仮に自分がサオリの立場なら、誰かに頼まれたからなんて言われると、あまり良い気分ではない。だからといって正直に答えないのも、相手に対して失礼ではなかろうか。
 嘘も方便と、昔の人は言ったらしい。
 それは正しいのだろう。
 けれど、コウスケは、なんだか嫌だった。
(……つーか、そんな考え込むことか? 素直に思ったことだけ話せばいいや)
 友達とはそういうものだし、自分達はこれから一緒に頑張る仲間なのだ。
 コウスケは開き直って、思うままに喋ることにした。
「鹿島に頼まれたんですよ。大神さんと話してくれって」
「───頼まれた、から?」
「それで、ちょうどよかったから、話し掛けました」
「ちょうどよかった、って、どういう……」
「白状すると、年上の女の人と話した経験、あんまりないんですよね。どう接すればいいのか、よく分からなくて。でも、これから一緒に戦っていくわけじゃないですか。色々と話したかったから、ちょうどいいきっかけでした。鹿島に頼まれなかったら、多分、話し掛けるタイミングを掴めなかったと思います」
「……そう、なんだ」
「迷惑でしたか?」
「……ううん。そんなこと、ないよ」
 サオリは小さな声で、しかし、はっきりと答えた。
 人と接するのは怖いけれど、嫌いではないという印象だ。おそらく、人一倍、繊細な人なのだろう。それを弱さと断じるのは簡単かもしれない。だが、コウスケ個人としては、そういう断定はなんだか気に入らない。
 砕いて言えば、少しムカつく。最初から強い人間なんていないし、コウスケだって練習に練習を重ねたから、格闘技の大会で入賞できたのだ。弱いままではいられなくても、強くなるまでの猶予は与えられるべきだと思う。そして、強くなるペースなんて人それぞれ違うはずだ。
 だから、サオリはサオリのペースで、人と接することに慣れていけばいい。
 少なくとも、コウスケはそう思っていた。
 そんな彼の気持ちが伝わったわけではないだろうが、再び、サオリの方から話し始めた。
「八島、くんは」
「はい」
「守りたい、人達が、いるって……言ってた……よね」
「はい」
「き、君は、この、この世界に来て、まだ、一週間、くらいだよね」
「はい。でも……」
「で、でも?」
「───すごく親切で、優しい人達に会えたんですよ。少なくとも、俺は友達だって思ってます。そういう人達は助けたいじゃないですか。そういう人達が困ったり、≪怪物≫のせいなんかでいなくなるのは、寂しくて、悲しいじゃないですか。それに」
「そ、それに?」
「その人達と一緒にいるのが、すごく楽しいんです」
 素直な気持ちだった。
 コウスケはフィーリア達といるのが楽しかった。あの可憐な王女と話すことが嬉しい。あの同い年の近衛騎士と軽口を叩き合うのが楽しい。王宮で世話になった文官やメイド達には感謝をしているし、あの明るいスティカや大使館の人達とも仲良くなりたいと思っている。
 これからも一緒に過ごしたいと思える人達がいる。
 それは、十分に戦う理由になると思うのだ。
 コウスケがそう答えると、サオリは何か眩しいものを見るように目を細めた。
「君は、良い子、だね」
「な、なんか照れますね」
「……怖く、ないの?」
 縋るような瞳だった。
 サオリの双眸が、眼鏡のレンズの向こうで、複雑な感情に揺らめいていた。彼女は震える声で、問い詰めるように、救いを求めるように、コウスケに問う。
「命懸け、なんだよ? 怖く、ないの?」
「───怖いですよ。あたりまえじゃないですか」
 コウスケは言った。
 誤魔化さずに、ちゃんと答えようと考えて、言葉の一つ一つに感情を込める。ユイは戦う理由をはっきりさせようと言った。生き残るために、足下が揺らがないよう、理由を見つけておこうと。迷っている人がいれば、その人の心が少しでも定まるように話し合おうと。
 おそらく、サオリは迷っている。怖がっている。そして、それらの感情から自分を支えるだけのものを手に入れていない。それはひどく心細いことに違いない。
 きっと、辛い。
 助けてあげたいと思う。傲慢な善意と罵られようと、それがコウスケの素直な気持ちであり、変えることなどできない。
 自分の言葉が少しでも道標になれば、それはきっと幸いだろう。
 だから、コウスケは今日までのことを話すことにした。
「……このハイリヒトゥーム市に着く二日前です。立ち寄った宿場町で、俺達は戦いに巻き込まれました」
「……!?」
 サオリがびくりと震えた。
 彼女もすでに知っているのだろう。この世界で言う戦いとは、本当に生死を賭けた争いなのだ。決して比喩表現ではない。
 コウスケは続ける。
「俺もヤービルっていう化物と戦いました。ほら、俺は『ドラゴンボール』みたいに戦えるんで、自分から志願したんですよ」
「す、すごいね」
「ええ───すごく馬鹿でした」
「ば、馬鹿?」
「自惚れてたんです。自分が無敵だって。超人だって。……ヤービルはとんでもなく強い化物でした。俺が何をやっても通用しないんです。もう、滅茶苦茶にやられて、途中からは本気で後悔しました。俺は何をやってるんだろうって」
 そこで、コウスケは頬の絆創膏を剥がして見せた。
 サオリがはっと息を飲む。
 コウスケの頬には、未だに、ヤービルの爪に抉られた傷が深々と残っている。治療を受けているし、治りかけいるが、出血していないというだけで、赤黒く腫れて痛々しい。宴が終わった後に、ユイかハルトモに治癒を頼もうと思っている負傷の一つだった。
 絆創膏を貼り直しながら、コウスケは言った。
「……本当に殺されると思いました。あの時のことを思い出すと、今でも腰が抜けそうなくらいです。あんなに怖かったのは、初めてでした。だけど、悪足掻きをしたら、どうにかこうにか勝つことができて、生きて戻れました」
「そう、なんだ」
「それで、その後になんですけど、色んな人達から言われたんです。……『ありがとう』『よくやってくれた』って、そう言ってもらえたんです」
 それらはただの言葉かもしれない。
 けれど、コウスケの胸の奥は熱くなった。あの昂ぶりを感じられただけで、全ての痛みと疲労が、恐怖に抗うために勇気を搾り出したことが報われたのだと思えた。
 嬉しかったのだ。
「……うん。俺は嬉しかったんです。戦って良かったって思えました。俺のことを心配してくれた人もいて、この人達を守りたいって思いました。それで、俺は、≪可能性の怪物≫とも戦おうと決めました」
 ヴァーチェに言われたからではない。自分自身の意思でそう決めたのだ。
 八島コウスケは、他ならぬ己の意思で、勇者の使命を背負っている。
 だから、断言できる。
「俺には守りたい人達がいます。それが、俺の戦う理由なんです」
 そんなコウスケの話を、サオリは黙って聞いていた。
 彼女は膝の上でぎゅっと両の拳を握り締めて、俯き、視線を落としていた。そうして、しばらくしてから、サオリは苦しそうな声で言った。
「……わたしもね、怖かったんだ。いろんなことが、怖くて、怖くて、仕方がなくて、辛くて、わたしなりに頑張っても、良かったって思えることもなくて、どうしようもなくて、一人で、わけが、わからなく、なって、それで、嫌なこと、しか、感じられなくて」
 サオリは背中を丸めて、嗚咽をもらしながら告げる。
 罪を懺悔するように、告白した。
「だ、だから───自分で、終わらせたの」
 ユイの推測は正しかった。
 サオリの選んだ結末は、断じてしまえば、彼女自身の弱さが招いた悲劇である。強い人間はその有様を見下すかもしれない。対極から否定して、罪と呼び、強くなれと叱咤するのかもしれない。
 弱さを肯定することは優しさではない。
 やはり、それも正しいのだろう。
 だが、八島コウスケの感情は吼える。弱さを肯定することは優しさじゃない。でも、それが、弱い者を助けない理由にはならない。見下す理由にはならない。否定する理由にはならない。
 鹿島ユイの言葉通りだ。
 なぜなら、人は理由もなく戦えるほど、強くないのだから。
 コウスケはサオリに言った。
「大神さん」
「……な、に?」
「理由、探しましょう」
「え……」
「戦う理由じゃないですよ。大神さんが嫌なら、≪可能性の怪物≫となんて戦わなくてもいいです。でも、理由は探しましょう。別の世界ですけど、こうして生きてるんですから。怖くても、辛くても、頑張れる理由を探しましょう。俺も協力します」
「で、でも、た、戦わないと、この世界、滅びる、んだよ?」
「女の子が一人戦わないだけで滅びる世界なんて、とっとと滅びればいいんですよ」
「え、ええ!?」
「でも、まあ、滅びませんから大丈夫です。この世界はそんな馬鹿げた世界じゃありませんから。少なくとも、俺がこれまで見た限りじゃあ、俺達の世界に負けないくらい、いい世界です。だから、滅びませんし、滅ぼさせません」
 サオリはぽかんとした表情で、気楽に断言するコウスケを見つめていた。
 その視線を受けて、コウスケは笑ってやろうと意気込む。
 世界には楽しい事がある。嬉しい事がある。彼女がそう確信できるように、さあ、笑ってやるのだ、八島コウスケ。
 コウスケは、もう、これでもかと言わんばかりに、朗らかで楽しそうな、最高の笑顔を見せつけた。本当に、絵に描いたような笑顔で、大神サオリに右手を差し伸べた。
「大丈夫ですよ、大神さん」
 明確な根拠などない。強いて言えば経験則に基づく身勝手な確信だけだ。
 それでも、コウスケは自信たっぷりに言ってやった。


「明日は、きっといい日です」


 大神サオリは仰天した顔で、泣きそうな顔になり、恥ずかしそうに赤くなって。
「……うん」
 恐る恐る。
 八島コウスケの右手を、そっと、握り返した。


 * * * * *


「やっぱり優しいじゃない。あたしじゃ絶対に真似できないっての」
 二階の片隅から、ベランダ席で握手をする二人を眺めながら、鹿島ユイは我が意を得たりという表情で、にやにやとしながら呟いた。
 あたしの目もあながち節穴じゃないねと自賛する。
 八島コウスケ、なかなかいい男だ。
 明後日の夜明けには、運命の第一戦が始まる。
 これなら、どうにかなりそうだ。
 黒曜の魔法使いは不敵に笑った。
「───さあ、皆でしっかりと生き残りましょうか」


 * * * * *


 余談。
 貸し切り個室へと戻る途中での、二人の会話。


「そういえば、大神さんの≪主人公の力≫って面白いですよね」
「……面白、い?」
「他人の願いを彩色する、でしたっけ。かなりハートフルな感じですよね」
「絵を描くの、好き、だったから」
「たしかゲームに出てくる力なんですよね」
「せ、正確には、ゲームの、本。タイトル、は、ね。つ、月姫だ、よ。設定とか、番外編の小説とか、たくさんあって、そっちに出てくる、の」
「でも、名前はけっこう恐い感じでしたよね。ええと、なんて言いましたっけ」
「……第一階位降霊能力『デモニッション』、だよ」


 コピーライト・フォーデーモン・ザ・グレートビースト。
 願いを叶えるのは悪魔の所業。
 けれど、悪魔が強くて残酷だとは限らない。



[22452] Salvation-12 第十一話「開門! それぞれの前夜!?(前編)」
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:5a1f220d
Date: 2011/09/19 17:35
 マディスがヴァーチェの神子に選ばれたのは、およそ四十年前、まだ妻にも母にもなっていない、十代の少女だった頃のことだ。ただの村娘に過ぎなかった筈の彼女は、前触れもなく、先代の神子から指名されて、その後継者になることを余儀なくされた。
 あまりにも唐突な出来事で、運命という言葉が白々しく感じられたものだ。
 それからの日々は怒涛の如く流れた。
 ヴァーチェの神子はチェントゥーロ大神殿の威光を支える要職である。神託を預かる唯一の存在として、当然のように、気品と教養が求められた。それらは厳しい教育を通して、未熟なマディスに与えられた。
 ささやかな自由を奪われて、重大な使命が課せられた。
 あるいは、やはり等価交換だったのか。
 幸か不幸かを問われたならば、マディスは幸運だったと答えるだろう。結果として、彼女は無知な子供ではなくなり、地位と名誉を手に入れたからだ。暮らしぶりも驚くほど豊かになった。
 三十年前には結婚もした。大神殿の意向に沿って決められた夫だが、愛するに足る善良な男性で、五年前に彼が亡くなった時には、自然と涙が流れていた。二人の間に生まれた息子も大人となり、今では立派な神官として働いている。
 そう、自分は幸せな人生に恵まれた。
 だから、これから立ち向かうべき試練は、その正当な代償なのだ。



 壁に掛けられた機械式の柱時計が午後一時を指している。
 マディスは自室にて、秘書を務めるシルビア・ディーナーの手を借りながら、身支度を整えていた。
 彼女はチェントゥーロ大神殿の居住区に住んでいる。家を持たない神官達に用意された生活空間である。マディスの位階は最高司教に次ぐ高さなので、希望すればハイリヒトゥーム市内に邸宅を構えることもできるのだが、彼女はその手の特権に興味を示さなかった。夫が逝去し、息子も独立している以上、無闇に広い家など要らなかった。
 それでも、マディスには最も上等な部屋が割り当てられている。高い天井、開放的なリビング、庭園の見えるバルコニー。照明には魔法の品物が使われていた。彼女自身はもっと質素な部屋でよかったのだが、御身の立場を弁えて下さいと、部下達から説得されたのだ。
 マディスは化粧台の前に座り、シルビアに髪を梳いてもらいながら、鏡に映る自分の顔を見つめた。
「……私もずいぶんと年を取ったわね」
 彼女は目の前の現実を噛み締めるように呟いた。
 かつて亜麻色だった髪は白くなり、瑞々しかった肌には皺が刻まれている。無邪気だった瞳など、老獪な知性の鋭い輝きを宿らせて、すっかり古狸の貫禄をにじませていた。
 背後で櫛を扱うシルビアが、形の良い眉をハの字にして言った。
「マディス様。そのような弱気を仰らないで下さい」
「あら、不安にさせてしまったかしら。別に弱気になっているわけではないのよ」
 二十歳そこそこのシルビアは、若さゆえもあるだろう、とても素直で繊細だった。その表情は心のままにくるくるとよく変わる。秘書としては減点対象だが、人間としてなら好ましい。
 老いを自覚して以来、人間らしい者にこそ、近くに居て欲しかった。
 マディスはこれからのことを考えた。
 あと一時間ほどで、このチェントゥーロ大神殿に、十二人からなるヴァーチェの勇者達が集うことになっている。そして、悪神ヴァイスの呼び込んだ≪可能性の怪物≫を迎え撃つ為の、最後の打ち合わせが行われる予定だ。
 この戦いに敗北すれば、世界は滅亡する。
 遠い彼方から、偉大なる善神ヴァーチェはマディスに語った。≪可能性の怪物≫とは、異なる世界の暗黒から生まれた、人という種を絶やし得る災禍なのだと。それがどれほど恐ろしいものなのか、各国の王達でさえ、正確には理解していまい。せいぜい、並外れて凶暴な魔獣が現れるくらいにしか捉えていないだろう。
 その証拠に、神託同盟の号令で編成された合同駐留軍の規模は、予備兵力を加えても、一個師団ほどである。司令官は竜をも屠れる戦力だと息巻いているが、逆に言えば、竜程度の相手しか倒せないということだ。
 マディスは思わず苦笑した。
(まさか、竜を軽んじる日が来るなんて、夢にも思わなかったわ)
 王達や軍部の認識不足を責めることはできない。
 それくらい非現実的な事態なのだ。
 竜は最強の魔獣と謳われている。そんな竜すら超越する外敵を想定できる者など、それこそ、神託を直に授かった自分くらいのものだ。普通の人間は、竜の襲来という悪夢の底を、さらに掘り返したりなどしない。
 そこで、ある人物が脳裏に浮かび、マディスは意見を改めた。
(……いいえ。他にもいたわね)
 黒曜の魔法使い、カシマ・ユイ。
 彼女がいたではないか。
 ウワン=エナ王国に現れたヴァーチェの勇者。強大な魔法を操る稀代の魔女。実際に話したのは一度きりだが、彼女は自分以上に≪可能性の怪物≫の危険性を理解しているように思えた。
 何故なら、カシマ・ユイは明らかに恐れていた。
 あれほどの力を持つ魔法使いが、孤高を気取らず、積極的に人脈を作り、自前で戦力を整えようと奔走していた。まるで「自分だけでは勝てない」と知っているかのように。トルドヴァ王国から逃げ出した「契約の悪魔」をわざわざ連れ戻しに行ったのも、己の力不足を痛感していたからではないだろうか。
 これはマディスの想像だが、おそらく、ヴァーチェの勇者達は見たことがあるのだ。
 ≪可能性の怪物≫という脅威を。
「……だからこそ、ヴァーチェ様は彼らを呼んだのかもしれない」
「マディス様?」
「ああ、ごめんなさい。ただの独り言よ。気にしないで頂戴」
 首を傾げるシルビアに微笑み掛けてから、マディスは再び黙考する。
 十二大王国の首脳陣は現状の深刻さを読み違えている。大神殿の幹部達でさえ、今回の危機を利用して、大神殿の権威を強めようと企んでいる節がある。≪可能性の怪物≫の恐ろしさを実感できていない者達の暗躍は、世界を終焉へと近づける負の要素になりかねない。
 何らかの対策を講じていく必要があるだろう。
 ≪可能性の怪物≫と戦うことが、ヴァーチェの勇者達に課せられた使命ならば。
 ≪可能性の怪物≫以外の滅びの芽を摘むことが、ヴァーチェの神子であるマディスに課せられた使命に他ならない。
 年老いた自分にどこまでやれるかは分からない。
 しかし、この試練を投げ出して、傍観者に甘んじるつもりはない。
 マディスは思う。
 自分は幸せな人生に恵まれた。
 この世界には命を賭けて守るだけの価値があるのだと、マディス・ジリッツァは知っている。










     Salvation-12
      第十一話「開門! それぞれの前夜!?(前編)」










 その建築物はハイリヒトゥーム市内で二番目に大きく、中央行政区の北端を占拠するようにして聳え立っている。純白の壁面は美しく、優雅で荘厳な佇まいは、雪に覆われた山脈を彷彿とさせた。
 チェントゥーロ大神殿。
 大陸において、古くから隆盛を誇る善神信仰の総本山である。
 世界の中心と呼ばれるハイリヒトゥーム市で、なお中心と賛美される、この街のシンボルだ。また、政治に対して強い影響力を持ち、合同議会に比肩する枢軸の一つでもある。
 その西側に設けられた貴賓用の出入口の前に、一台の立派な馬車が停まった。黒塗りの古風な車体には、ヴァーチェの聖印を象った金細工が目映く輝いていた。
 チェントゥーロ大神殿が所有している、送迎用の公用車である。
 出入口の両脇に立っていた衛兵達が、VIPの来訪を悟り、すぐさま姿勢を正した。直立不動で敬意を示す。
 馬車の後部に取りついていたフットマンが飛び下りて、客室のドアを開ける。
 最初に降りてきたのは、風変わりな服装をした長身の青年だった。いや、その見事な体格を考えれば、偉丈夫と表現するべきかもしれない。分厚い装甲の板金鎧が似合いそうな巨漢で、短い黒髪が風に揺れていた。
 八島コウスケである。
 彼はチェントゥーロ大神殿の威容を見上げて、感嘆の溜息を洩らした。
「近くで見ると、本当にでっかいなあ……」
「ヴァーチェ神を祭るに相応しい神殿でしょう?」
 そう言ったのは、コウスケに続いて降りてきた、案内役の若い神官だった。
 彼は誇らしげだったが、少し残念そうに付け加えた。
「つい先月までは、この大神殿こそが、ハイリヒトゥーム市で最も大きな建物でした」
「今は違うんですか?」
「ええ。現在、その座はトルテア要塞のものです」
 トルテア要塞は、ヴァーチェの神託を受けて建造が開始された、対≪可能性の怪物≫用の砦である。街の一区画を丸ごと改造して、≪門≫を取り囲むように作られている。わずか一ヶ月という工期の短さを補う為に、莫大な予算と人員が投入されていた。
 この大規模な公共事業により、ハイリヒトゥーム市では多くの雇用が生まれ、物流も加速しており、にわかに好景気が到来しているそうだ。トルテア要塞は未だ八割ほどしか出来上がっていない。活況はしばらく続く見通しである。
 そこまで解説したところで、神官は肩をすくめた。
「景気が良くなるのは結構ですが、戦争特需では素直に喜べません」
「確かに……」
「さて、それでは参りましょう」
「はい」
 神官に付き添われて、コウスケは入口へと向かう。
 その時、衛兵達の探るような視線を感じた。怪しんでいるというよりは、珍しがっているという印象だった。おそらく、こちらの服装のせいだろう。
 コウスケは学生服を着ていた。この世界を訪れて間もない頃に着ていた、県立高校の制服である。これは「ヴァーチェの勇者達が揃う記念すべき日を祝して、各国に顕現した時の服装で来て欲しい」という、大神殿側の要請に応じたものだ。
 これから、ヴァーチェの勇者達の顔合わせを兼ねた、≪可能性の怪物≫を迎え撃つ為の作戦会議が行われる。
 明日、夜明けと共に、最初の決戦が始まるのだ。
 コウスケは気を引き締めながら、大神殿の扉をくぐった。


 * * * * *


 大神殿の中に入ると、そこは公共施設の通用口というより、高級なホテルのエントランスを思わせた。わずかな曇りもない大理石の床に、真赤な絨毯が敷かれていて、奥にある観音開きの扉まで続いていた。
 コウスケは神官に案内されるまま、社交場のようなホールを抜ける。
 いくつかの扉や廊下を通り、短い階段を上がって、ようやく目的の部屋に辿り着いた。
 神官が分厚い木製の扉を押し開ける。
 そこは会議室だった。
 天井や柱に魔法の照明が設置されており、採光用の窓がないにも拘らず、広い室内をはっきりと見渡せた。欧米の大学などで見られるようなすり鉢状の部屋で、五段に区切られており、たくさんの椅子が等間隔で置かれていた。
 コウスケが最上段から一段目の席を見下ろすと、見覚えのある面々を含めた七人の男女が座っていた。
 断るまでもなく、ヴァーチェの勇者達である。
 右側の席にいた鹿島ユイが、コウスケの姿に気付き、手を振りながら陽気な声を上げた。
「やっほー、コウスケ!」
「おう」
 コウスケは手を挙げて応えると、退室する神官に礼を述べてから、階段を下りた。
 すでに集合していたのは、昨晩の親睦会に参加していた七人と、見覚えのない一人の男性である。男性は二十歳くらいだろうか、やけに偉そうに踏ん反り返り、前の机に組んだ足を乗せていた。
「………!?」
 その男性を見て、コウスケは困惑した。
 横柄な態度に驚いたわけではない。もっと理解不能なものを目撃したせいで、どう反応すればいいのか、瞬間的に分からなくなったのだ。
 男性はとても奇天烈な格好をしていた。
 まず、とにかく黒い。上着もズボンも真黒で、靴など黒い上に爪先が尖っていた。肩や腰を中心にボディラインが補正されていて、広い肩幅や細い胴回りを不自然なほど強調している。裾や襟、袖には悪趣味な刺繍が施されており、光沢のある金糸が煌いていた。
 そして、仮面である。
 見間違いではない。男性は確かに仮面を被っていた。銀色の金属で作られた、右半面だけを覆う、ピエロめいた意匠のマスクである。不気味な紋様で彩られており、目出し穴には緑色の宝石が嵌め込まれていた。
 隣の空席に置かれている畳まれた黒い布は、マントか何かだろうか。外套の襟を思わせる部分が見て取れた。驚くべきことに、裏地は鮮やかな真紅である。
 コウスケは戦慄していた。
(黒くて、仮面で、マント───え? なに? あの格好でここまで来たのか!?)
 彼は自分の学生服を見てから、他のメンバーの服装を確認する。
 ユイは黒いパンツルックのスーツを着ていた。白いブラウスがやけに眩しい。幼い顔立ちの彼女が、今は妙に大人びて見えた。その隣に座る建部ケイトは、カジュアルなシャツにジーンズという、ごく一般的な私服である。春日ハルトモはブレザータイプの制服で、平野ケイジはパーカーに綿パンツという組み合わせだ。南宮ヤスツナは深い色の背広、高千穂コズエもOLらしいタイトなスーツを身に付けており、大神サオリは白いワンピースに桜色のカーディガンを羽織っていた。
 間違いない。皆、日本にいた頃の格好をしている。
 どうやら、大神殿からの要請はちゃんと全員に伝わっているようだ。
 コウスケはごくりと息を飲んだ。
 仮面の男性は自信に溢れた表情を浮かべていた。まったく恥ずかしがっていない。何かのイベントに参加している時や、趣味に興じている最中に不慮の死を遂げて、そのまま召喚されてしまったという雰囲気ではない。
(まさか……!)
 彼は普段からあのスタイルを貫いていたというのか───!?
 コウスケはすぐに懸命な判断を下した。
(よし、スルーしよう)
 きっと皆もそうしたに違いない。
 コウスケは表情を崩さずに、さっさと空いている席に座るべく、歩みを速めた。
 ところが。
「───ふふん、その無駄にでかい図体、おまえがセヴェンの勇者だな?」
 何の因果か、向こうからコンタクトを迫ってきた。
 仮面の男性は大袈裟なアクションで机から足を下ろすと、ファッション・モデルのような歩き方で、コウスケの目の前まで近づいてきた。
 男性は痩躯ながら、背丈が高く、どことなく針金を寄り合わせたような体型で、その顔つきはカマキリを連想させた。
 彼はコウスケの顔を無遠慮にじろじろと眺め回しながら、
「下級妖魔との小競り合いで負傷したと聞いていたが、ずいぶんと綺麗な顔をしているな」
「ああ、それは……」
 コウスケは反射的にハルトモの方を見た。
 指摘されたように、コウスケの顔からは負傷の痕が消えていた。服で見えないものの、顔だけでなく、身体中の傷もすでに癒えていた。
 これはハルトモのおかげだった。昨晩の親睦会が終わった後、別れ際に、彼のペルソナ「ヒメノカミ」の能力で治してもらったのだ。回復スキル「ディア」の効能は素晴らしく、鈍痛の残っていた無数の傷が、瞬く間に完治していた。
 その事実を告げようとして、けれども、コウスケは黙り込んだ。
 男性の後ろで、座ったままのハルトモが、両腕で大きなバッテンを作っていたからだ。
『すみません、勘弁して下さいっ……!』
 彼は渋面を作り、コウスケに無言で訴えかけていた。
 どうやら会話に巻き込まれたくないらしい。
(まあ、気持ちは分からなくもないな)
 ハルトモには恩義がある。
 コウスケはこほんと咳を一つすると、昨晩のことをぼやかして言った。
「ある人に魔法みたいなもので治してもらったんですよ」
「なるほど。もはや体調は万全ということか」
 仮面の男性はその金髪をかき上げると、こちらに人差し指をびしりと突きつけて、高らかに宣言した。
「だが、残念だったな。この我(おれ)がいる以上、妖魔ごときに苦戦するような未熟者の出番はない。全ての≪可能性の怪物≫は、この混沌神リヴァイアサン・スタースクレイパーの前にひれ伏すのだ。フゥアーハッハッハッハ!」
「……そ、そうですか」
 コウスケはじっとりと汗をかくのを自覚した。
 駄目だ、この人が何を言っているのか、さっぱり理解できない。
 助けを求めて視線を巡らせると、誰もが苦虫を噛み潰したような表情を見せていた。いや、ユイは肩を震わせて笑いを堪えており、サオリは顔を真赤にして俯いている。他人事ながら、恥ずかしくて見ていられないようだった。
(うわあ……。これ、どう収拾をつけたらいいんだ?)
 自称リヴァイアサン・スタースクレイパー氏はますますボルテージを上げて、どこかの神話だか武勇伝だかを朗々と語り出している。
 いっそ、軽く殴って黙らせようか。不思議と許されるような気がする。
 コウスケが最終的な解決手段を模索し始めた時、再び会議室の扉が開き、女性の神官に連れられた少女が姿を現した。
「こんにちは!」
 元気一杯の挨拶が室内に響き渡る。
 さすがのリヴァイアサンも口を閉じて、全員が少女に目を向けた。
 赤いジャージの上着を着た、黒いスパッツ姿の女の子である。中学生くらいだろうか。さらさらの黒髪をショートカットにしており、濃くて太い眉の下で、大きな瞳が強い輝きを湛えていた。
 一見して、熱血志向の部活少女といった趣きである。
 彼女は女性神官に「ありがとうございましたー!」と清々しく礼を述べてから、階段を一足飛びに駆け下りてきた。
 そして、自分を見ている全員に対して、凛々しい眼差しを返しながら、礼儀正しく名乗りを上げた。
「はじめまして! アシャラ王国から来ました戸隠ショウコです! これからよろしくお願いします!」


 * * * * *


 いい意味で空気を読まなかった戸隠ショウコの登場は、混沌神リヴァイアサン・スタースクレイパーこと枚岡セイタロウの垂れ流していた居た堪れなさを、きれいさっぱり吹き払ってくれた。
 爽やかで溌剌とした異性が苦手らしく、セイタロウは渋々と席に戻り、今は不満げな表情で黙り込んでいる。興に乗っていたところを邪魔されて、すっかり気分を害してしまったようだ。
 しかしながら、コウスケにすれば、まさに天の助けだった。
 コウスケは密かに感謝して、お礼のつもりで、ショウコに自分とユイ達を紹介した。ショウコは物怖じしない性格のようで、年上のメンバーに対しても、実にはきはきとした口調で話していた。
 コウスケと並んで席に着いたショウコは、昨晩の親睦会について聞くと、残念そうに肩を落とした。
「私も参加したかったなあ」
「戸隠さんは知らなかったのか?」
「知りませんでした。あ、私のことは呼び捨て構いませんから」
「じゃあ、俺のことも……」
「年上を呼び捨てとかできませんよ? えっと、先輩って呼んでいいですか?」
「もちろん。戸隠の好きなように呼んでくれ」
「えへへ」
 ショウコはにぱっと笑った後、少し唇を尖らせてぼやいた。
「親睦会ですけど、多分、大使館の人達がわざと隠してたんじゃないかなあ」
「隠してた?」
「はい。さっきユイさんと話した時に聞いたんですけど、ユイさんはアシャラ王国の大使館にも行ったそうなんです。でも、私と会うどころか、中に入るのも断られたらしくて。その後、改めて招待状をくれたらしいんですけど、私、大使館の人からはこれっぽっちも知らされてませんでした」
「それは……」
 コウスケは答えに窮した。
 おそらく、マルテイロが言っていたところの「政治」というやつだろう。詳しくは分からないが、アシャラ王国には何らかの思惑があり、ショウコを親睦会に参加させたくなかったのだ。独自に活動しているユイを警戒しているとも考えられた。
 ただ、それがどうしてなのかと問われれば、コウスケには見当もつかない。一週間前まで普通の高校生でしかなかった彼に、国家の権謀術数を見抜けというのは酷な注文である。
 何と言えばいいのか迷っていると、ふいに、鐘の鳴る音が聞こえた。
 外から、大きく甲高い金属音が、壁を通して耳に届いていた。
 午後二時を報せる鐘である。
 それから、ほとんど間を置かずに、会議室の扉が開いた。そして、数人の神官や衛兵を引き連れた法衣姿の老婦人が、しずしずと入ってきた。
 室内が水を打ったかのように静寂に包まれる。
 老婦人の厳かな存在感が、気軽に口を開くことを躊躇わせていた。
「……マディス・ジリッツァ」
 ユイの呟きが一段目にいる者達にだけ、かすかに聞こえた。
 マディス・ジリッツァ。それが老婦人の名前らしい。
 両脇に衛兵を、背後に神官を従えて、マディスがゆっくりと階段を下りてくる。彼女は一段目まで辿り着くと、車座で並ぶ勇者達に視線を巡らせてから、恭しく一礼した。
「ヴァーチェの勇者たちよ、ようこそおいで下さいました。私はマディス・ジリッツァ。ヴァーチェの神子を務める者です」
「なるほど。貴女がヴァーチェの声を届ける預言者か」
 鷹揚な口調で言ったのは、マディスから見て正面に位置する席に座っていた、枚岡セイタロウである。彼は混沌神リヴァイアサン・スタースクレイパーの顔で、チェントゥーロ大神殿のナンバー2と対峙した。
 コウスケを含めた他の勇者達が胸中で叫ぶ。
(うわははは、やっばい、さすが混沌神だわ!)
(ちょっとは痛い自己主張を控えろよ……)
(ある意味で大物だな)
(芝居がかった台詞回しが好きなのねぇ)
(うほっ! 中二病、乙!)
(あのお婆ちゃん、偉い人だよな。ど、度胸あんなあ。あの変な兄ちゃん)
(はわ、はわわわわっ!?)
(なんで仮面なんか被ってるんだろ?)
(ええと、どうなるんだ、これ)
 そんな勇者達の心境など露知らず、職務に忠実な衛兵達に緊張が走る。
 だが、マディスはあくまでも穏やかに、セイタロウへと丁寧な言葉を返した。
「アハトエス帝国に顕現された、ヒラオカ・セイタロウ殿ですね」
「否。それは我が遺伝記憶(ジーン・メモリー)を失っていた時の仮の名だ。かつての力を取り戻した以上、真の名前で呼んでもらおうか」
 セイタロウは立ち上がり、右腕を大きく振り上げた。
 吼えるように名乗る。
「そう、混沌神リヴァイアサン・スタースクレイパーと!」
 次の瞬間である。
 枚岡セイタロウの悪乗りが最高潮に達した。こともあろうに、彼はその右腕を発動させたのだ。
「!? この馬鹿……!?」
 ユイが苛立ちも露わに舌打ちした。
 セイタロウの腕が、肘の辺りから指先にかけて、淡い輝きを帯びていた。肌そのものが発光しているらしく、白い光が袖の布地を透過していた。目を凝らしてみれば、手首のあたりから、小さな天使の羽根のようなものが生えている。
 美しい。だが、それ以上に恐ろしい。
 マディスを除いた全員が、反射的にその場で身構えた。
 あらゆるフィクションに精通する平野ケイジが怯えるように零した。
「嘘だろ……!? あ、あれ、尖翼の生えた腕って、まさか……」
 ただならない力の気配に誰もが慄く。
 コウスケもまた、かつてない脅威を感じて、全身に気を巡らせていた。動物的な本能が一刻も早く止めろと叫んでいた。
(≪主人公の力≫……!? どういうつもりだ……!?)
 セイタロウの行動は予想外の極みだった。ここで≪力≫を発動させる理由など無い。彼の能力がどういうものかは知らないが、攻撃に類するものであれば、いきなり剣や銃を抜いたに等しい。とても正気の沙汰ではなかった。
 ───危険だ。
 コウスケが拳を握り締め、セイタロウを取り押さえようと決意した直後である。
 唯一人だけ冷静さを保っていたマディスの背後から、小さな人影がひょっこりと顔を出したのだ。
 そして、高く澄んだ声が響いた。


「わあ! 天使だー!」


 明かりの下で、人影の姿が露わとなる。
 コウスケ達は例外なく驚いた。
「───え?」
 鈴の音のような声の主は、小さな女の子だった。
 少女と呼ぶにも幼すぎる子供である。まだ十歳に達していないだろう。くせのある栗色の髪をツーサイドアップにしており、子供用の長衣に包まれた体はいかにも頼りなく、どう見ても、この修羅場に相応しい存在ではなかった。
 しかし、その子供は臆することなくセイタロウの傍まで近づくと、大きな瞳をきらきらさせて、禍々しい光を放つ「天使の腕」を嬉しそうに見上げた。
 まるで星でも掴もうとするかのように、細く小さな両手を伸ばしながら、彼女は呟いた。
「すごく、きれい……」
「……あー、なんだ」
 完全に毒気を抜かれた様子で、セイタロウは左手でぽりぽりと頬を掻く。己の力を誇示して畏怖されるつもりが、この上なく素直に感心されてしまった。ここからどう繋げれば、混沌神らしい魔王的恐怖を演出できるだろうか。
 この子供を蹴飛ばして、フゥアーハッハッハッハと哄笑してみるか?
(───ごめん、それ無理)
 流石のセイタロウも、今回ばかりは良識に軍配を上げた。
 彼は溜息を吐くと、右腕をそっと下ろした。光がゆっくりと消えて、天使の翼もみるみると小さくなり、完全に見えなくなる。
 子供が残念そうに首を傾げた。
「もう、消しちゃうの……?」
「……うむ……その……我もちょっと大人げがなかったやもしれん」
「また、見せてくれる?」
「……機会があればな」
 脱力して、椅子に腰を下ろすセイタロウ。
 コウスケをはじめとして、全員が言葉を失っていた。予想外の危機が、同じく思わぬ形で尻すぼみとなり、きれいさっぱり消えたのである。
 誰もが呆然としている中、マディスが満足そうに頷くと、子供の名前を呼んだ。
「ミク」
「?」
 ミクと呼ばれた子供は、きょとんとしてから、すぐにマディスへと駆け寄った。彼女はマディスの法衣の裾を小さな手で掴むと、可愛らしい笑顔で言った。
「天使、きれいだったね!」
「そうね。とても綺麗だったわ」
 マディスは目を細めながら、ミクの頭を優しく撫でる。ミクはくすぐったそうにしていたが嬉しそうで、傍目にも微笑ましい光景だった。
 マディスは近くの女性神官に命じた。
「シルビア。ミクを頼みます」
「はい、マディス様」
 幼いミクを部下に預けて、ヴァーチェの神子は勇者達へと向き直る。
 老婦人の厳かな声が、この場の空気を切り替えるように言った。
「改めて。歓迎いたします、ヴァーチェの勇者達よ。こうして十二人が一堂に会することができたことを、私達は心より嬉しく思います」
 十二人だって?
 コウスケ達の顔に疑問符が浮かぶ。この場に勇者は十人しかいないはずだ。残りの二人はどこにいるというのか。
 いや、まさか。
 全員が「もしや」と想像した時である。
 マディスがそれを見計らったように肯定した。彼女は左手でミクを示し、はっきりと断言したのだ。
「ノウェム王国に顕現した勇者、スワ・ミクです」
 ミクはやはりきょとんとしていたが、シルビアに促されると、少しだけもじもじとしてから、皆の前に出た。
 舌足らずな口調で自己紹介をする。
「すわみくです。ななさいです」
 ぺこりと頭を下げる、諏訪ミク。
 この七歳の女の子が勇者の一人だというのか。
『冗談だろ……?』
 コウスケ達が状況を飲み込めないでいる間にも、マディスは続けた。
「そして、サラサトゥリア王国に顕現した勇者、ヒノミサキ・ハルカです」
 マディスがそう告げた直後、さらに驚くべきことが起きた。
 ミクの着ていた長衣の襟元に付いていたボタンが、小刻みに振動して、自ら外れて宙に跳ね上がったのだ。そして、空中でめきめきと巨大化しながら、言葉では表現できない多元的な動きでもって、一瞬にして≪ひっくり返った≫。
 金色が花咲く。
 夢のような現実。
 固定観念が目の前で覆される。
 そうして、ありふれたボタンが、一人の少女に変身していた。
 その少女は輝くような長い金髪の持ち主で、ほっそりとしていながら弱々しくなく、セーラー服のスカートをふわりと広げて着地する姿はどこまでも幻想的だった。美しいかんばせは鋭さを帯びており、双眸に宿る意志の光は鋼の強さを思わせた。
 彼女は無駄のない動作でコウスケ達の方を振り返り、抑揚のない涼やかな声で名乗った。


「───日御碕ハルカ」


 それは最強の白兵戦用兵器として生まれ変わった生命。
 精神の輝きを宿した、サラサトゥリアの希望、千変万化の聖女であった。


 * * * * *


 在ハイリヒトゥーム市セヴェン王国大使館。
 先日、鹿島ユイも訪れたその応接間は、三人の客を迎えていた。正確に述べれば、三人のうち二人は護衛役なので、客として敬うべき人物は一人だけである。
 これに応じたのは、誰であろう、フィーリア・イスチナ・セヴェンスだった。彼女はヴァリエーレを従えて、自ら客人の相手を務めていた。王女である彼女が接待するのだから、いわんや、客人の格も推し量れるというものだ。
 フィーリアの対面、屈強な巨漢を左右に侍らせて、一人の男性が椅子に腰掛けている。
 眉目秀麗を絵に描いたような青年だ。藍色の髪と陶器めいた白い肌の持ち主で、薄紫を基調とした北部風の民族衣装を見事に着こなしている。ただ座っているだけの姿にさえ、高貴な出自を匂わせる気品が溢れていた。
 ノウェム王国の皇太子、ノヴィリス・スプレンデドゥス。
 セヴェン王国にとっては友好国の王族であり、フィーリアにとっても昔から付き合いのある、気が置けない知己だった。
 フィーリアは友人の来訪をひとしきり喜んでから、意外そうに言った。
「ノヴィリス殿下もハイリヒトゥームに来ていたなんて、驚きました」
「君の他にも王族が来るとは思わなかったかい?」
「ええ。危険ですもの」
 あっさりと頷くフィーリア。
 その歯に衣着せない豪胆さに、ノヴィリスは心から愉快だと笑った。
「相変わらずだね、フィーリア。君はやっぱりイグリオの妹だよ」
「それって、褒めて下さっているんですよね?」
「いや、半々かな」
「ノヴィリス殿下こそ、相変わらずです」
「僕の性格は生涯変わらないさ」
 悪びれもせず、むしろ誇らしげに言うノヴィリス。
 フィーリアはくすくすと笑ってから、一転、鋭く切り込んだ。
「───それで、今日はどのような御用向きでしょう?」
「旧交を温めにきた、では通じないかな?」
「難しいですね。少なくとも、わたくしには信じられません。そんな殊勝なノヴィリス殿下、正直、ちょっと気持ち悪いです」
「あっはっはっはっは!」
 ぱんぱんと手を叩きながら、ノヴィリスは大笑した。
「いや、ほんと、君は最高だ! やっぱり僕と婚約しないか?」
「それは二年前にお断りしたはずです」
「そうだね。好みじゃないの一言でばっさりふられたよね」
「ええ。心苦しい限りでしたけど」
「いやはや、あの時も驚かされたよ。『わたくし、もっと逞しい殿方が好きなんです』だものな。十二歳にプロポーズした僕もかなりのものだけど、君も相当だよなあ」
「昔の話です」
「じゃあ、今は異性の好みも変わった?」
「………」
「やっぱりマッチョ好きのままか」
「ノヴィリス殿下!」
 応接テーブルをばんと叩き、フィーリアは顔を真赤にして腰を浮かせた。
 ノヴィリスはその剣幕に怯むことなく、フィーリアをぴしりと指差しながら言った。
「はい、僕の勝ち。探り合いをするつもりなら、常に冷静でないと」
「……本当に相変わらずですね」
「イグリオからも頼まれているからね。妹を甘やかさないでくれってさ」
「……まったく、もう」
 大きく息を吐いて、フィーリアは椅子に腰を下ろした。
 どうにも、この幼馴染と兄には勝てる気がしない。
 散々にフィーリアをからかって気が済んだのか、ノヴィリスはいくばくか表情を引き締めると、声の調子を真面目なものに変えた。
「さて、僕がこの街に来た理由だけど」
「はい」
「白状すると、今回の危機を解決するにあたって、うちが貢献できるチャンスがえらく少なそうだからなんだ」
「それは、どういう……?」
「我が国に顕現した勇者がどこまでも無力だということさ」
「───無力」
「そう。君達のところに現れた勇者、噂の『花魔殺し』はもちろんのこと、他国の勇者達とも較べるべくもない。特別な力を何一つ持たない、ごくごく普通の子供。それが我がノウェム王国に顕現した勇者、スワ・ミクの偽らざる正体だ」
「ヴァーチェの勇者が、ただの子供だと仰るのですか?」
「真実だよ」
 ノヴィリスは包み隠さず、自国に現れた勇者の詳細を語った。
 諏訪ミク。七歳という女の子。直接的な戦闘力を何一つ持たず、補助的な能力さえ持っていない。武器を振るえず、魔法を操れず、特別な加護の兆候さえ示さない。
 ───純然たる「普通の子供」。
 諏訪ミクに対して、それがノウェム王国の下した結論だった。
 フィーリアは訊いた。
「神託には何と書かれていたのですか?」
 十二大王国にはチェントゥーロ大神殿からヴァーチェの神託が授けられている。コウスケが己の≪力≫について知ることができたように、神託には勇者を導く文言が書かれているはずだ。それは、彼らを支援する国にとっても、重要な指針に成り得る情報である。
 ノヴィリスは肩をすくめて答えた。
「読めなかった」
「ええっ!?」
「スワ・ミクは七歳なんだ。神託に書かれた言語は知っているようだったけど、文章が難しすぎて、ほとんど読めないと言っていたよ」
「なるほど……。それでノヴィリス殿下がこのハイリヒトゥームにいらしたんですね」
「そういうことさ。少しでも頑張りを示さないと、合同議会での立場も悪くなる。この街の政治と経済は、いまや国家の重要議題だ。大神殿への面子もある。つまらない話だけどね」
「いえ、分かります」
 百万という民が集まる都市の力は、あらゆる分野において圧倒的な存在感を持つ。極端な話、ハイリヒトゥーム市での経済的な権益が一つ欠けただけで、国家財政の一部には大きな損失が生じるのだ。
 ハイリヒトゥーム市の政治を支配しているのは、言うまでもなく、合同議会とチェントゥーロ大神殿である。今回の危機を解決する際、どれだけの貢献をできたかで、今後の議会における発言力は大きく変動することだろう。
 ヴァーチェの加護を持たざる勇者。
 それだけでも、国家としては大変な負担条件である。
 ノヴィリスは言った。
「まあ、そういうわけで、我がノウェム王国としては、セヴェン王国との協力体制を密にしておきたいんだ。そちらの勇者は、話に聞く限り、相当な猛者だ。王族である君を派遣することで、ヴァーチェ神への信仰も他より強く示している。このままなら、合同議会におけるセヴェン王国の影響力は増していくだろう」
「トルドヴァ王国の二の舞は避けたいと?」
「ああ。うちとあそこは、いまのところワースト争いをしているんじゃないかな」
 トルドヴァ王国は勇者に見限られた国として、今や、大きく発言力を損ねている。諜報からの報告によれば、鹿島ユイが建部ケイトを取り込んだことで、トルドヴァ王国とウワン=エナ王国との間に静かな軋轢が生じているらしい。
 水面下での動きはますます激しくなるばかりということか。
 フィーリアは嘆息し、思わず零した。
「下らないですね」
「そうとも。下らないことだ」
 神々の代理闘争という危機を直前にして、なお仮初の一致団結しかできていない。
 人の業は深い。その深さと危うさを分かっていてさえ、埋められないほどに。
 だが、フィーリアやノヴィリスは王族なのだ。
 そうした愚かさを背負う義務を、彼女達は持っている。
(ああ、なんだか)
 無性にコウスケに会いたい。
 フィーリアは、他者を救えたことに泣いた少年を想い、彼のように在りたいと、叶わない願いをほんの少しの間だけ抱いた。


 * * * * *


 チェントゥーロ大神殿における会合は、波乱含みの一幕があったものの、全体としては形式的な内容に終始した。大神殿と合同議会の間で合意された協約の内容が説明され、神託同盟による支援を確約する宣言とタイム・スケジュールの通知などが行われた。
 具体的な作戦に関しては、決戦場になるトルテア要塞に移動した後で行われることになった。合同駐留軍とも連携を協議する必要があるからだ。現在、実戦部隊はトルテア要塞で演習中であり、司令官もそれに参加している。
 本来ならば、司令官や参謀達もチェントゥーロ大神殿を訪れる予定だった。しかし、会合の直前になって、司令官から「多国籍軍を効率よく運用させる為の訓練が不足している」などの理由が挙げられて、演習を優先する運びになったのだ。
 ならば、ヴァーチェの勇者達にトルテア要塞へ出向いてもらい、演習風景を通して合同駐留軍の実力を知ってもらったうえで、作戦会議をするのも良いのではないか。大神殿側の担当官がそう申し出たところ、合同駐留軍も提案を受け入れたのだった。
 この一連の流れを聞いた時、マディスはその場で苦笑した。苦労して調整に努めた担当官には申し訳ないが、なんとも的外れなことだと思ったからだ。
 合同駐留軍の司令官は、チェントゥーロ大神殿の神官戦士団の軍団長である。彼を筆頭とした神官戦士団の精鋭を中核に、十二大王国から提供された戦力を組み込む形で、合同駐留軍は編成されている。
 おそらく、軍団長は嫉妬しているのだ。
 本来、ヴァーチェの剣となって悪神の手先と戦うべきは自分達だという自負があるのだろう。十二人の勇者の存在は、神の戦士であるという軍団長のプライドをいたく傷つけたに違いない。
 会合への不参加は、遠回しな上層部への意趣返しというわけだ。
「困ったものよね」
 衛兵達に案内されて、勇者達がトルテア要塞へと移動した為、会議室にはマディスとシルビアだけが残されていた。他の神官達もすでに本来の仕事に戻っている。
 マディスは椅子の一つに座り、側で立ち控えているシルビアを相手にして、愚痴にも似た話を零していた。
「いつの時代であっても、男達は自分の力を見てもらいたがるのだから」
「その、神官戦士団の方々は、勇者様達に非協力的なのですか?」
「どちらかといえばね。けれど、軍団長だって子供じゃないわ。適当に喧嘩をするなり、勇者達が力を示すなりすれば、あとは大人しく自分の仕事を全うするでしょう」
「力を示す……」
 シルビアはそう呟いた後、すこし考える素振りを見せてから、マディスに訊いてきた。
 彼女は恐る恐る、質問を口にする。
「ミクは本当に勇者なのでしょうか?」
「あら、心配?」
「もちろん、ヴァーチェ神を疑うわけではありませんが……。ノウェム王国より預けられて以来、彼女の世話をする機会が多々ありましたけれど、私の目にはミクが普通の子供にしか見えないのです。他の勇者様のような力を持っているとは、とても思えないのです」
「それはそうでしょう。彼女は何の力も持っていないのだから」
 マディスはミクの無力を認めた。
 至極、あっさりとした物言いだった。
「……マ、マディス様?」
「ミクは無力よ。本当に何の力も持っていない。他の勇者達のような≪力≫を、彼女は一切与えられていないの。私はそれをヴァーチェ様から直に聞かされたわ」
 マディスはヴァーチェの神子である。かの善神が下す神託は、マディスに預けられ、彼女を経て記されるのだ。日本語で書かれた神託も、マディスの手によるものだ。
 無論、マディスが日本語を理解しているわけではない。神託を記す際、彼女は肉体を一時的にヴァーチェに委ねる為、実際のところ、神託を書いているのはヴァーチェである。それでも、その内容に関しては、己に降臨したヴァーチェから詳らかにされていた。
 公にはされていないが、マディスは日本語で書かれた神託の内容を知っている。
 ヴァーチェの勇者達が異界からの転生者であり、他の異界で偉業を成した「救世主(しゅじんこう)」の力を得ているということも、彼女だけは知っていた。
 だから、マディスは断言できるのだ。
 諏訪ミクは、本当に普通の子供に過ぎない。
 マディスの言葉を聞いて、シルビアはあからさまに狼狽した。
「では、ミクは、何の加護も無しに≪怪物≫と戦わなければならないというのですか!?」
「そうなるわね」
「分かりません……。ヴァーチェ神は、なぜそんな残酷な仕打ちを……」
「そうね。私にも本当のところは分からないわ。けれど、ヴァーチェ様は私に仰られた。スワ・ミクの存在こそ、≪可能性の怪物≫と戦うには絶対に不可欠であると。それはとても分かり難いことだけれど、確かに人間を未来へと向かわせる道標になるものなのだそうよ」
 異なる世界の群れには、無数の絶望と暗黒が渦巻いているという。
 だが、必ずと言っていいほど、それらと対を成す希望と光も息づいているという。
 さながら、善神と悪神のように。
「ヴァーチェ様は私に一つの御伽噺を語られたの」
「御伽噺、ですか?」
「ええ。誰もが笑う、そんな御伽噺よ」
 ある名も無き世界の話だ。
 その世界の空には、途方もなく巨大な絶望が浮いていた。人々を蔑み、嘲り、虐殺していく。人類の尊厳という尊厳を剥ぎ取りながら、歩むような速度で、人類という種を絶やそうとする悪夢だった。
 幾人の英雄達が立ち上がっては、人々を率いて戦い、そして敗北した
 死んだ。
 皆、死んだ。
 累々たる屍のみが積み重なり、滅びはいよいよ真実にとって変わろうとしていた。
 けれど、人は諦めなかった。やはり英雄は立ち上がり、銀の剣を振りかざして、どこかの誰かの未来のために戦った。英雄でない人々もまた、本物の英雄が現れるまでの時間稼ぎであっても構わないと、武器を持ち、大声で歌いながら戦った。
 やがて、永い戦いを経て、彼らは遂に勝利した。
 そんな不屈の戦部達のかたわらには、必ず、それがいたという。
 それは誰にも分からないような形で現れては、鼻歌交じりで絶望を踏み躙るのだ。
 嘘みたいな話だ。やはり、これは御伽噺なのだろう。
 華やかな英雄の御伽噺に隠れた、本物の御伽噺なのだろう。
 だから、真実を知り得ない人々は、こう呟くのだ。


 ───それが世界の選択である。


 マディスはかつてヴァーチェから聞いた言葉を思い返しながら、しかし、それをシルビアに明かそうとはしなかった。何故か理由は分からないが、なんとなく、口にするのが憚られたのだ。
 彼女はただ微笑み、不安そうなシルビアを励ました。
「大丈夫よ。ミクが選ばれたことには理由があるのだから。ヴァーチェ様を信じなさい」
「………はい、マディス様」


 * * * * *


 諏訪ミクが顕現したノウェム王国の神殿には、彼女が読めなかったという神託が保管されている。ミク自身があまりに無力であったが為に、誰もが関心を失い、解読しようという意思さえ忘れ去られ、書庫の奥深くに沈められている。
 もしも、ノウェム王国の誰かがそれをハイリヒトゥーム市に持ち込んでいれば、すぐにでも解読されただろう。そこに書かれた日本語は、七歳には難しくとも、大人にとっては平易な文章しか記されていないのだから。
 仮に、ヴァーチェが漢字を全てひらがなにしていれば、ミク自身にだって理解できたはずだ。そうであるにも拘らず、なぜヴァーチェは漢字を用いたのか。
 それはヴァーチェ自身にも分からない。
 理由のない失敗。
 大袈裟に言えば、それもまた、世界の選択である。
 神託には、次のように書かれていた。





『諏訪ミクちゃんへ。
 これから大変な事が起きると思います。
 でも、大丈夫。たくさんの大人が貴女を助けてくれます。お母さんがいなくて寂しいかもしれないけれど、優しい人にいっぱい会えるから、どうか頑張って下さい。
 どう頑張ればいいのか分からなくても、心配は要りません。
 貴女は貴女のまま、大切にしたい人を大切にしながら生きていけばいいのです。
 それだけで、貴女はきっと誰かの光になるはずだから。
 貴女は、貴女に酷い事をする私に、泣かないでと言ってくれましたね。
 ごめんなさい、そして、ありがとう。
 貴女の未来が明るいものになることを祈っています。


 最後に。
 貴女に宿る力について書いておきます。
 分からなくても大丈夫。この力は、貴女が貴女であるだけで、皆を助けてくれるものだから。そういうものであるはずだから。


 諏訪ミク。
 貴女は≪人類の決戦存在≫です』



[22452] Salvation-12 第十二話「開門! それぞれの前夜!?(中編)」
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:5a1f220d
Date: 2011/11/25 17:43
 それは中央行政区から南に数キロばかり離れた場所にある。
 トルテア要塞。
 チェントゥーロ大神殿と合同議会が未曾有の予算と人員を注ぎ込み、わずか一ヶ月足らずで形にした最大級の軍事施設である。その敷地は都市の一区画を丸ごと占めるほど広く、建設作業員を除いた民間人が鉄条網を越えて侵入しようものなら、勤勉な警備兵がリンチさながらの捕縛を体験させてくれる。
 さて、まずは大人の事情を酌まずに指摘しよう。
 トルテア要塞という名称は詐欺である。あれは要塞と呼べるような代物ではない。チェントゥーロ大神殿の生臭坊主、或いは合同議会の腹黒政治屋、もしくは行政府のパシリ役人あたりだろうか。誰であれ、名付けた奴の面の皮はさぞかし分厚かろう。
 トルテア要塞は大きい。高さが30メートルを超える外壁など圧巻と評するしかない。
 ここで、賢明なる諸氏ならば、ふと疑問を抱くのではないだろうか。
 いくら建築技術の発達しているハイリヒトゥーム市といえども、そんなデカブツを一ヶ月やそこらで建造できるものなのか。
 答えはノーである。
 どれだけ血税を費やし、労働者を扱き使い、画期的な技術を駆使しようとも、無理なものは無理なのだ。
 しかし、トルテア要塞は現にそこにある。
 八割ほどしか完成していないが、ひとまずの運用に堪えられる水準で存在している。
 いったい、どうやって建てたのか。
 実は、その方法は意外なほど単純である。手抜きと表現してもいい。
 およそ一ヶ月前、悪神ヴァイスの≪門≫はトルテア広場の中心に出現した。トルテア広場は風光明媚な自然公園で、その近辺は住宅地として人気があり、主に中流階級者向けのマンションがずらりと並んでいた。
 大型積層建築の列が、まるで城壁のようにトルテア広場を囲んでいたのだ。
 もうお分かりいただけたと思う。
 チェントゥーロ大神殿と合同議会はそれらを全て買い上げて、強引な増築と補強を施すことで、即席の防壁をでっち上げたのだ。あとは内側に残された自然公園を戦い易いように整地してしまえば、トルテア要塞の出来上がりという訳である。
 実質的には単なる壁でしかなく、高さと頑丈さだけが売りの急造品に過ぎない。≪門≫を市街地から隔離する以外に特筆すべき機能も備えておらず、要塞というよりは闘技場、闘技場というよりは檻だった。
 そう、檻なのだ。
 トルテア要塞は地獄の釜に落とした蓋、奈落から這い出る≪可能性の怪物≫を閉じ込める為の檻に他ならない。
 だが、どれだけ厳重に封鎖しようとも、≪門≫は既に開錠されている。
 扉の隙間から流れ出して、濃厚に漂っているのに。
 誰も気付いていないだけだ。


 絶望の詰め込まれた深い穴の向こうで、漆黒の闇が蠢き、吐き出そうとしている。
 どろどろに腐り果てた、世界を殺す呪いの臭いに。










     Salvation-12
      第十二話「開門! それぞれの前夜!?(中編)」










 春日ハルトモは少年で、十七歳で、これという特技もない高校生だった。新学期を迎えたばかりのクラスで自己紹介が行われた時も、へらへらしながら下らない冗談を披露して、あえて失笑されることで溶け込むというチープな作戦を大真面目に遂行した。友達との会話において盛り上がるテーマは「学年の女子で一番イケてるのは誰なのか?」という高尚なものであり、ハルトモは五組の前田がビッグなバストで俺を誘惑していると嘯きながら、心の中では三組の天原さんこそがビジュアル的にナンバーワンだろと熱弁を振るうも、気恥ずかしくて口に出せないのが常だった。
 それから、学校の購買部では焼きそばパンが、食堂ではカツ丼がお気に入りでした。
 つまり、普通である。
 目立つような個性も才能も実力もない、普通の高校生だった。
 では、改めて自己紹介をしよう。
 名前は春日ハルトモ。特技は「ペルソナ能力」。職業は「勇者」です。
 ───どうしてこうなった。
 いや、今更、自問自答するまでもない。
 ろくでもない背伸びをして、下手をやらかしたからだ。
(……痛かったよなあ)
 時折、後頭部に幻痛を覚えることがある。
 前世で死因となった傷の痛みを、身体はいつまでも忘れてくれない。
 あれは四月中旬、金曜日の夜に起きた出来事だった。男子高校生にとって、悪い遊びを嗜むことはステータスの一つであり、ハルトモもまた、そんな子供じみた価値観を少なからず信奉していた。だから友達の誘いを断らず、教育上よろしくない繁華街に出向き、びびりながらも平気な振りをして、いわゆる「人気のクラブ」に足を踏み入れた。
 そこで、制服姿の客を咎めないバーテンダーに注文したノンアルコール飲料(チキンの烙印)を半分も飲み切らないうちに、血の気の多い酔っ払いの喧嘩に巻き込まれた。椅子やらテーブルやらが引き倒され、グラスの割れる音が響き、これはやばいと感じた時には手遅れで、見境を失くしたニキビ面のヤンキーにクリスタルの灰皿でぶん殴られていた。
 例えるなら、運悪く流れ弾に当たってしまったようなものである。
 それでも致命傷を負った事実は変わらない。噴水じみた出血は一向に止まらず、ハルトモは十秒足らずで昏倒して、気がつけばヴァーチェの用意した仮想空間に浮いていた。
 放課後の火遊びで、ハルトモの人生は全焼したのだ。
 当然、火災保険など無い。
 あんまりだと思う。
 せめて、もう少しドラマチックにはならなかったのか。
 もちろん、劇的であろうと何の慰めにもならない。そんなことは分かっている。けれども悪態の一つくらい吐いても罰は当たるまい。
 ……当たらないよな?
「春日君。ぼうっとしていると転んでしまうぞ」
「あ、すみません」
 南宮ヤスツナに注意されて、ハルトモは益体もない思考から抜け出した。
 反射的に頭を軽く下げる。
 ヤスツナは鷹揚に頷き、視線を正面へと戻した。
 どうやら皆に目を配っていたらしい。ずいぶんと余裕を感じさせた。人生経験が豊富だからなのか、はたまた大人としての責任感がそうさせるのか。まるで修学旅行を引率している先生のようだ。それも、普段は寛容でありながら、筋の通らない真似には厳しい先生を連想させられた。
 頼もしい反面、少し苦手なタイプかもしれない。
 ハルトモは気を取り直して、自分の置かれた状況を再確認した。
 最低限の照明だけが灯された、狭く薄暗い通路である。石造りの壁や床の仕上げは甚だ粗く、見栄えや快適さなど全く考慮されていない。なんとも無骨で殺伐とした印象を受けた。
「……要塞なんだから当たり前か」
 必要とされたのは、とにかく堅固にして暴力的なことなのだろう。
 やはり、一般的な施設とは違うのだ。
 トルテア要塞。
 現在、ハルトモ達はその中を進んでいた。チェントゥーロ大神殿を馬車で出発して、先ほど到着したばかりである。マディス・ジリッツァの部下に案内されながら、防壁の内側に設けられた戦闘領域を目指して、12人の勇者達はぞろぞろと歩いていた。
 戦闘領域では合同駐留軍が演習中らしい。
 これから、その合同駐留軍の司令官と面会する予定だ。
 ハルトモは思う。
 昨晩の親睦会では、鹿島ユイの演説に興奮すらしていたけれど、白状すると全く現実感がない。今の状況にほとんどリアリティを感じられなかった。
 明朝、この都市の軍隊と協力して、≪可能性の怪物≫と戦う。
 頭では理解しているけれど、心では実感していない。真剣に取り組んでいる人達には申し訳ないが、ろくに想像もつかないドンパチより、目の前に訪れた青春の予感の方が、彼の意識を強く刺激していた。
 ハルトモはこっそりと彼女に視線を向けた。
 セーラー服姿のすらりとした少女がハルトモの数メートルほど前を歩いている。諏訪ミクと手を繋ぎ、柔らかな表情で何やら言葉を交わしていた。
 日御碕ハルカ。
 チェントゥーロ大神殿で度肝を抜く現れ方をした、サラサトゥリア王国の勇者である。平凡なセーラー服に輝くような金髪。非日常的なコントラストに背筋の痺れるようなインパクトを感じて止まない。どこか冷ややかな鋭い眼差し、滑らかな曲線を描いた輪郭、ほっそりとした長い脚。芸術品めいた容姿には、ハルトモの知らない魅力が溢れていた。
 ボタンから変身した異能への恐れさえ、畏れに近い憧れとなっていた。
 見ているだけでドキドキする。
 あまりに綺麗なので、かなり近寄りがたいが、チャンスがあれば話し掛けたい。
(仲良くなれたらいいよな……)
 鼻の穴を膨らませて、密かに想いを募らせていると、
「いやらしい顔をしてますね、春日先輩」
「んなっ!?」
 不意打ちされた。
 ハルトモはびくりとして、声のした右隣を見る。
 そこには、いつの間に近づいたのか、ジャージ姿の女子中学生が潜んでいた。
 戸隠ショウコはにやにやと笑いながら、うろたえるハルトモを楽しそうに見上げていた。
「なるほど。ハルさんみたいな人が好みなんですね」
「おま、戸隠っ!」
「ハルさん、超美人ですもんねー。下手なアイドルそこのけですもんねー。これはあれですか。『ハルカとハルトモ、同じハルつながりだな!』とか、そんなウレシハズカシ少女漫画的アプローチであの娘のハートにダンクシュートな計画ですか」
「なに言っちゃってんのオマエ!?」
「おや、違いますか」
「ちげえよ! そんな計画、微塵も練ってねえよ! ……つうか、ハルさんって何だよ」
「いえ、さっき話し掛けたらですね、好きに呼んでいいと言われたんで。すごくクールですけど、優しい人ですよ、ハルさん。ミーちゃんが懐くのも分かります」
「ミーちゃん? ……ああ、ミクちゃんのことか」
「ミーちゃんからはショウコちゃんと呼んで貰えることになりました! いえいっ!」
 にかっと顔全体で笑って、嬉しそうにVサインをするショウコ。
 やはり物怖じしない性格らしい。馴れ馴れしいようでいて、敬語を用いるなど上下関係を軽んじないあたり、いかにも体育会系である。不思議なくらい元気一杯なところなど特にそうだ。この手の連中は悩んだりしないのだろうか。
(こいつ、状況を分かってんのかな)
 己のことを棚に上げて、ハルトモは少し不安に思う。
 殊更に年上ぶって訊いてみた。
「戸隠、おまえ、明日が本番だって分かってんのか?」
「本番?」
「≪怪物≫と戦うんだぜ」
「あ、はい、分かってますよ」
 ショウコはけろりと答える。
 その物言いがあまりに軽かったので、ハルトモは眉を顰めた。
「本当かよ。その割には緊張感がねえぞ」
「緊張はしてますよ。でも、そわそわしても仕方ないですから」
「おまえなあ……」
「それに」
 声のトーンがわずかに低くなる。
 ショウコの表情に真剣なものを感じて、ハルトモは思わず文句を飲み込んだ。
 少し気圧されながら、おずおずと続きを促す。
「それに、何だよ」
「頼れそうな人がたくさんいるから、きっと何とかなると思うんです」
「頼れそうな人……?」
「ユイさんにケイト君、それに南宮さん。ハルさんもそうですけど、もう雰囲気からして只者じゃないですよね」
「……まあ、実際、かなり有名人みたいだしな」
「あと、八島先輩もいますから」
「……?」
「これ、私の勘なんですけど、あの人は何とかしちゃう人です」
「なんだ、それ?」
「ほら、たまにいませんか? 普通ならそこでアウトなことを何とかしちゃう人」
「いや、分かんねえよ」
「私、小学生の頃からバスケをしてるんですけど、県大会の決勝や全国大会に出ると時々会うんですよ。この人は違うぞっていうプレイヤーに。そういう人って、ここぞというところで吃驚するようなプレイをするんです。何十点も差のついた試合に途中出場して、終了間際に逆転勝ちしたりとか」
 ショウコは前を見ながら、そんなことを口にする。
 彼女のつぶらな瞳には、八島コウスケの大きな背中が映っていた。
「あの人からも、そういう『違うぞ』な感じがするんですよね」
 本人が勘と述べたように、ショウコの意見には明確な根拠がない。
 それでも、ハルトモは彼女の言葉を否定できなかった。実体験ならではの重みとでも言おうか、不可解な説得力を感じたのだ。また、屈強な体と「ドラゴンボール」の能力を持つコウスケが頼りになりそうという意見には、全面的に賛成だったということもある。
 何だか言い負かされたようで、少し悔しい。
 ハルトモはさりげなく話題を変えた。
「全国大会に出たって、おまえ、そんなにバスケ上手いのか?」
「一応レギュラーでした。去年の夏大はベスト16まで残りました」
「マジですげえな!」
「今年は優勝を狙ってたんですけどね。残念です」
「……そっか」
 選択を間違えた。
 意図せず空気が重くなり始めた時、通路の先に固く閉ざされた鉄扉が見えた。近づくにつれて、にわかに騒がしくなる。鉄扉の向こうから、大勢の人間が走る足音や、大きな物同士がぶつかり合うような轟音が響いていた。
 案内役の神官が振り返り、声を張り上げた。
「ここから戦闘領域に入ります!」
 いよいよ要塞の外壁部を抜けるらしい。
 全員が会話を止めて、神官の開錠する様子を見つめた。
 がちゃりという金属音が鳴り、次いで鉄扉がゆっくりと押し開けられていく。
 外の光が差し込んでくる。
 ヴァーチェの勇者達は戦いの舞台へと入場した。


 * * * * *


 この世で最も恐ろしい怪物は何だと思う?
 それは神官戦士団の間で酒宴の度に繰り返される質問であり、古参の団員が己の戦歴を自慢する為の話題である。御存知の通り、神官戦士団はチェントゥーロ大神殿の保有する常備軍で、聖職者と名乗るにはあまりにも罰当たりな面構えをした男達の集団だ。フルフェイスの兜を脱げば子供が泣き出し、二の腕の馬鹿げた太さを見せればチンピラが土下座する。
 彼らは基本的に人間の相手をしない。神官戦士団の使命は人類の守護であり、善神ヴァーチェに仇なす魔物の討伐を任務としている。山賊退治くらいなら何度もしているが、創立以来、人間の軍隊と交戦した記録はない。
 だから、戦歴を自慢する際には、先のような尋ね方になる。
 この世で最も恐ろしい怪物は何だと思う?
 神官戦士団の副団長を務めるフレイデン・トルーペも、若かりし頃には幾度となく訊かれたものだ。実戦経験を積み、ベテランの仲間入りを果たしてからは、専ら訊く側である。そうして、青二才の新入りが答えるなり、訳知り顔でこう返すのだ。
「なるほど。そいつは確かに恐ろしい怪物だ。ところで、貴様はそいつと実際に戦ったことがあるのかな?」
 定番のやり取りである。
 ちなみに、フレイデンが問われたならば、やはりドラゴンを挙げるだろう。
 最強の魔獣と謳われる怪物───竜種・ドラゴン。小山のような巨体を鉄より硬い鱗で覆い、牙と爪と尾、そして飛行能力を有する竜種は、一頭で一軍と拮抗する力を持つ。古い書物や吟遊詩人が語る伝説では、炎の息吹を吐く火竜なども登場するが、フレイデンは未だに見たこともない。
 しかし、たとえ炎を吹かずとも、竜種は天災に等しい怪物である。
 フレイデンは何度かドラゴンの討伐に従軍したが、その全てに生き残れたことは誇張抜きで奇跡に等しい。過去に行われたドラゴンとの戦闘において、神官戦士団の平均損耗率は三割を超える。これはドラゴン討伐を除いた全戦闘任務の平均を五倍近く上回る数字だ。
 そんな竜種との戦いを経験しているが故に、フレイデンは今回の演習の内容を手堅いものと判断していた。
 トルテア要塞の戦闘領域である。
 そこで一個大隊、千人に及ぶ完全武装の兵士達が怒号を上げて駆け回っていた。
 神官戦士団を中核とした合同駐留軍、その実戦部隊による演習は終盤を迎えていた。演習内容は「シュート&ストライク」。各国の正規軍でも採用されている、バリスタと破城槌を用いた対竜戦術の一つである。
 まず、鶴翼陣形を敷いた大型弩弓隊が三回に分けて射撃を行い、飛翔中と想定されるドラゴンを撃墜する。竜種の鱗は容易に貫通できないが、翼膜の強度はそれほど高くない。バリスタの威力であれば十分に傷つけられる。竜種の飛翔は魔力によるものだが、姿勢制御は翼に依存している。翼を損傷した竜種は安定して飛ぶことが出来なくなる。
 次に、撃墜されたドラゴンを破城槌隊が狙い打つ。先端を尖らせて車輪を装着した移動式の破城槌を、三十人以上の兵士達が全力で加速させて、ドラゴンへとぶつけるのだ。大質量による刺突は鋼の如き竜鱗すら砕く。複数の破城槌を食らえば、いかに竜種といえども耐え切れるものではない。
 それを確信させるように、戦闘領域に置かれたドラゴン型の木製ターゲットは、合計10本の破城槌を受けて、ばらばらに粉砕された。あれが本物であれば、鱗の破片と赤い血潮を撒き散らしていたことだろう。
 今回の演習で見た限り、実戦部隊の連携はまずまずのレベルに達していた。
 実に慌しい部隊編成だったが、さすがは精鋭揃い、どうにか間に合った模様だ。
 本陣から様子を眺めていたフレイデンは、副官として安堵の溜息を吐いた。
「明朝の戦いには万全を期することが出来そうですな」
 フレイデンはそう言うと、すぐ隣に視線を向けた。
 指揮官用の立派な椅子に腰掛けたまま、シュトルゼ・クォムンデュール司教は肩を揺らしていた。戦場に不似合いな白い軍服を着ており、その胸には階級章と山ほどの勲章、そしてヴァーチェの聖印が輝いていた。
 彼は聖職者らしい表現でフレイデンの言葉を肯定した。
「これこそが信仰の力だよ、トルーペ司祭」
「……仰る通りです」
 フレイデンは抑揚に欠けた声で同意する。
 どうやら、司令官殿はようやく機嫌を直してくれたらしい。
 シュトルゼはそれなりに有能だが、些か扱い難い指揮官だった。三十代半ばという年齢は男盛りであるものの、現在の職責を任されるには少し若過ぎる。その点からも推測できるように、彼は筋金入りのエリートなのだ。チェントゥーロ大神殿の中でも屈指の派閥をまとめるクォムンデュール大司教の息子として、神学校を首席で卒業後、確実かつ順調に昇格を続けてきた。今では司教として神官戦士団を率いている。
 彼の難点は、その強すぎる信仰心だった。彼は近ごろ増えてきた建前だけの聖職者とは違い、本当に敬虔な信徒なのである。フレイデンの知る限り、彼は純粋にヴァーチェ神を崇敬しており、精力的かつ誠実な献身を行っていた。
 おそらく、その信仰心は男女の愛に近い。
 故に、ここ一ヶ月のシュトルゼは酷く荒れていた。表面上は落ち着いていたが、副官として側にいたフレイデンには、彼の激しい苛立ちがはっきりと感じ取れた。
 その原因は≪ヴァーチェの勇者≫の顕現を預言した神託である
 神官戦士団を差し置いて、悪神ヴァイスの≪怪物≫と戦うことを運命づけられた≪勇者≫達。己こそヴァーチェ神の騎士と自負するシュトルゼには、唐突に現れた勇者など怪しげな新参者でしかない。
 つまるところは嫉妬だ。シュトルゼは≪ヴァーチェの勇者≫に対抗心を燃やして、何かと理由をつけては≪勇者≫を尊重する上層部に反発していた。
(今は身内で争っている場合ではないのだがな……)
 フレイデンも頭を痛めているが、だからといって、シュトルゼの更迭を進言するわけにもいかない。そもそも、彼は更迭できるほど無能ではないし、その背後には父親の派閥も控えている。感情的な面はあれど、基本的には優れた、実戦経験を持つ指揮官なのだ。
 フレイデンは神官戦士としてのキャリアこそ長いが、元々が成人後に改宗した傭兵上がりなので、聖職者としての位階が低い。戦闘の指揮は執れても、部隊の運営に必要な政治力に欠けている。少なくとも、現在の大神殿には、実力と地位の両面から考えて、シュトルゼ以上の適任者は見当たらなかった。
 今回の試練については、彼に頑張ってもらうしかない。
 だからこそ、フレイデンはシュトルゼを宥めて、賺して、時には諌めて支えていた。
 演習の終了を告げるラッパが鳴らされる。
 バリスタなどを定位置に戻してから、兵士達が本陣の前に整列していく。
 ちょうど、その時である。
 幾つか設けられた出入口の一つで、本陣の真後ろに位置する扉がゆっくりと開いた。
 そして、見覚えのある神官に連れられて、十数人の男女が姿を現した。
「あれは……」
 フレイデンの呟きに、シュトルゼも背後を振り返る。
 彼はすぐに来訪者達の素性を悟り、あからさまに鼻息を荒くした。
「……ふん、なんともおかしな連中ではないか」
 シュトルゼの言うように、確かに彼らは奇妙な集団だった。年齢、性別、服装、全てがばらばらでちぐはぐである。どういう訳か幼い子供まで連れていた。もしも何の予備知識もなく、サーカス団の一行とでも紹介されたならば、フレイデンはおそらく信じただろう。
 無論、彼らはサーカス団などではない。
「精霊神に選ばれし者達か……」
 12人からなる男女。
 彼らこそが、神託に預言された≪ヴァーチェの勇者≫達なのだ。
 フレイデンは早くも波乱の気配を感じていた。



 * * * * *


 開かれた鉄扉の向こうには、空と壁と地面しかなかった。
 視界に収まり切らない戦闘領域。
 天を突くような壁により、市街地から切り離された空間は、一言で表すと荒野だった。元は自然公園だったと聞いているが、樹木の類は根こそぎ取り除かれて、池も埋め立てられており、大雑把に均された土の平面だけが広がっていた。
 トルテア要塞の形状は歪な円を描いている。積層建築を防壁に改造する際、増築した部分に一箇所ずつ通用口を用意していた。≪可能性の怪物≫が大型の魔獣という想定の下、攻城兵器や対竜装備の搬入口である五箇所を除いて、通用口はせいぜい二人が並んで通れるかどうかというサイズしかない。
 コウスケ達が使用したのは北側にある通用口だ。
 その位置は合同駐留軍の本陣の真後ろで、整列する実戦部隊の様子をはっきりと眺めることが出来た。
 どうやら演習はちょうど終了したところらしい。矢の番えられていない何十台ものバリスタや破城槌がきれいに並べられており、離れたところには木製の標的らしき物が無惨な有様を晒していた。
 コウスケにはどんな演習が行われていたのか見当もつかない。
 しかし、彼の隣にいたユイは違うらしく、短く「シュート&ストライク」と呟いた。
「典型的な対竜戦術か。まあ、どんな怪物が相手か分からないし、仕方ないことかもね」
「対竜戦術?」
 コウスケがオウム返しで尋ねると、ユイは肩をすくめた。
「この世界で最強の魔獣といえばドラゴンだから。合同駐留軍は≪可能性の怪物≫も竜種と想定してるんじゃないかしら」
「よく知ってるな」
「勉強したからね」
 謙遜も偉ぶりもせず、ユイは自然体で肯定する。
 やがて、演習の正式な終了が宣言された。
 コウスケ達は本陣へと向かう。
 簡素な天幕の下で、二人の軍人が待っていた。参謀や伝令らしき者達もいたが、今は遠巻きに控えていた。
 相対する。
 案内役の神官が双方の間に立ち、軍人達を示しながら言った。
「御紹介します。こちらが合同駐留軍の司令官であられるシュトルゼ・クォムンデュール司教猊下と、その補佐官のフレイデン・トルーペ司祭です」
 何とも対照的な二人だった。
 シュトルゼは三十台半ばくらいの美丈夫である。白い肌は瑞々しく、短く刈り込んだ金髪と切れ長の碧眼が煌いていた。大きな体に純白の軍服がよく似合っている。優美な顔立ちの二枚目なのだが、その雰囲気はよく言えば自信に、悪く言えば尊大さに満ちていた。
 一方、フレイデンは初老に近い中年男性で、黒髪には白髪が混じり、同じく黒い肌にも年波が寄せていた。決して貧弱ではないが、シュトルゼに比べると細身であり、こうして並んでいると体格差が際立つ。その双眸は老練な知性を感じさせる反面、どこか神経質な印象を伴っていた。
「───貴殿らが≪ヴァーチェの勇者≫か」
 シュトルゼが椅子から立ち上がり、コウスケ達を値踏みするように見つめた。
 12人全員の顔に視線を巡らせると、露骨に落胆した表情を浮かべた。
「皆、若いな。子供までいるのは何かの冗談かね?」
 ミクをじろりと見下ろす。
「あう……」
 その威圧的な眼差しを受けて、ミクはさっとハルカの後ろに隠れた。小さな手でセーラー服のスカートをぎゅっと握り締める。
 ハルカはそんなミクの頭を撫でながら優しく囁いた。
「大丈夫よ」
 彼女はシュトルゼの方を見向きもしない。
 それは無礼者に対する冷淡無比な反応だったのだが、当のシュトルゼはハルカが己の迫力に怯えているのだと判断した。いくら≪勇者≫といえども、幼い子供や麗しい少女を無闇に恐がらせるのは、彼の美学に反する。
 シュトルゼは一つ咳払いをして、最も年上らしき人物に尋ねた。
「代表者は貴殿だな。名を伺おう」
「南宮ヤスツナだ」
「……貴殿がクワトール王国の『龍鱗の一角獣』か。噂とは随分と印象が異なる」
「よく言われる」
「それで、貴殿が代表者でよいのだな?」
「いや、違う」
「ほう?」
「代表者やリーダーは特に決めていない。ただ、私個人としては彼女を推す。他のメンバーにも異論はないと思う」
 ヤスツナはユイを示しながら、背後の仲間達に視線で問うた。
 確かに妥当である。コウスケをはじめ、親睦会に参加した面々とショウコは頷き、どこか関心の薄そうなハルカも「構わない」と肩をすくめた。ミクはいまいち分かっていないようで、きょとんとしていたが、特に問題はないだろう。
 それで全員一致かと思いきや、どこまでも空気の読めない男がいた。
 正当な理由に基づく反対意見であればいい。しかし、その発言が強烈な自己顕示欲によるものであり、妙なプライドに由来する対抗心の発露であることは明白だった。
 マントをばさりと翻して、神をも恐れぬ男、枚岡セイタロウこと混沌神リヴァイアサン・スタースクレイパーが吼える───!
「否! 真のリーダーに相応しいのは───」
「枚岡くん」
 冷ややかな声が絶妙なタイミングで割り込んだ。
 高千穂コズエである。
 意外な人物の、しかも年上の女性からの制止を受けて、セイタロウはぎしりと固まる。
 彼はどこか緊張した面持ちで、しかし虚勢を捨てようとせず、あくまでも混沌神の流儀でコズエに反目した。
「高千穂コズエだったな。邪魔をしないで貰おうか」
「枚岡くん」
「否。我(おれ)の名は混沌神リヴァイサン・スター……」
「枚岡くん」
「いや、だから、混沌神……」
「───話が進まない。ややこしいから、今は黙りなさい」
「………そ、そのような要求には」
 なおも食い下がるセイタロウに対して、コズエはぐぐっと近寄る。
 鼻先が触れてしまいそうな距離まで迫られて、セイタロウはだらだらと冷や汗をかく。異性に免疫のないことがばればれだ。コズエは無表情で見つめていたが、ふいににっこりと微笑み、明るいのに底冷えのするような声で言った。
「───黙るわよね?」
「……要求に、従おう」
 混沌神、沈黙。
 コズエは微笑んだまま、満足そうに頷いた。
「ありがとう。素直な子は好きよ」
「おのれ、小悪魔め……!」
 ぶつぶつと呟きながら項垂れるセイタロウを尻目に、コズエはヤスツナとユイに「さあ、続けて」と促した。
 ヤスツナとユイ、同時に無言でサムズアップ。
 シュトルゼが呆れながら問う。
「……話はまとまったかね?」
「ええ、お待たせして御免なさい」
 ユイは一歩だけ前に出て、握手の為に右手を差し出した。
 堂々と名乗る。
「≪ヴァーチェの勇者≫代表の鹿島ユイよ。どうぞよろしく」


 * * * * *


 大袈裟にも作戦会議と題されているシュトルゼ達との面会だが、実際にはそう大した内容を話し合う訳ではない。何せ、明朝には≪可能性の怪物≫が襲来するのだ。作戦を練るには時間が足りないし、今さら小細工を弄したところで、現場に混乱を生むだけだ。
 だから、この面会の目的は、詰まるところ相互認識の確認である。
 ≪勇者≫と合同駐留軍がそれぞれどのような役割を果たすのか。戦闘時における行動の趣旨をはっきりとさせておくこと。それ以上でも以下でもない。
 ユイは最初からそのように捉えていたので、シュトルゼ達との会談における同席者を二人に絞ることにした。もちろん、希望する者を追い払うつもりなど無いが、綿密な話し合いでない以上、人数ばかり多くても仕方がない。
 それらのことを告げると、仲間達は概ね了承してくれた。例の如く混沌神様が騒いでいたが、そこはコズエとショウコの活躍により、無用の混乱を避けることができた。初心な暴君というのは存外に御し易いようだ。
 ユイが同席を頼んだのは、ヤスツナとコウスケである。ヤスツナは仲間で唯一のまともな成人男性であり、コウスケは本職の戦士から見ても侮り難い外見の持ち主だからだ。この世界の文明レベルでは、ユイ達の世界より、はるかに年齢や見た目が物を言う。力で脅すような方法を選ばず、正当なコミュニケーションで信頼を得たければ、それなりの手段を講じて説得力を演出しなければならない。
 ユイは世間の評判を別とすれば、一見したところ単なる少女でしかない。
 ヤスツナとコウスケの同席は彼女なりの配慮であり、ささやかな努力だった。
 あとは自信を持って応じるのみだ。
 トルテア要塞には会議室さえないので、会談はそのまま本陣で行われることになった。天幕の下、小さな円卓を挟んで、ユイ達はシュトルゼ達と向かい合う。
(あの司令官、あたし達を明らかに舐めてるわよね……)
 無理もない話だが、そのままにしておく訳にもいかない。
 まずは先手を取るべく、ユイは会談の口火を切った。
「では、クォムンデュール司教猊下。さっそく本題について話しましょう」
「本題か」
 シュトルゼは椅子の背もたれに身を預けた。
 ぎしりと軋む音がする。
「互いの役割分担について、だな」
「話が早くて助かります」
「決戦は明朝だ。最低限の確認以外にすべき事などあるまい」
「仰る通り。ただ、その最低限の確認というのが問題です」
「ほう……?」
「正直なところ、司教猊下はあたし達の力を信用していませんね?」
 ユイは淡々とした口調で切り込んだ。
 シュトルゼはぴくりと眉を動かしたが、それ以上の反応を見せずに、ただ愉快そうに微笑んだ。演技か本音か、ともあれ意図するところは余裕の表現だ。
 彼は素直に頷いてみせた。
「その通りだ。無論、カシマ・ユイ殿、貴殿らの勇名は聞き及んでいる。だが、我々はその活躍を実際に目の当たりにした訳ではない」
「それだけではないでしょう?」
「……聡明だな。現状を正しく認識しているようだ」
 ユイの言葉に、シュトルゼは一瞬だけヤスツナとコウスケを見た。
 彼ははっきりと告げた。
「この際だ。余計な気遣いなどせずに述べよう。魔獣殺し程度の戦士など、我が軍団には掃いて捨てるほど所属している。断言しよう。我々は貴殿らと同格か、もしくは上回る戦力である。明朝の戦いに貴殿らの出番は無い」
「……大層な自信ですね。あたし達の仲間、建部ケイトや枚岡セイタロウの力を御存知ありませんか?」
「噂に名高い『契約の悪魔』と『道化師』かね。魔獣殺しなど問題にならない力の持ち主という話だな。現にトルドヴァ王国の戦士団が手酷くやられたと聞く」
「建部ケイトの力は本物です。彼の力は竜種にも匹敵します」
「我々はその竜種を屠る者達だ」
「なるほど。つまり、どうあっても先陣は貴方達が切ると仰るわけですね」
「そうだ。それこそがチェントゥーロ大神殿の神官戦士団の使命であり、此度の合同駐留軍の任務である」
 この聖戦における名誉は断固として譲らない。
 シュトルゼの口調に頑ななまでの意志を感じて、ユイはやれやれと嘆息した。
 それを目敏く見咎めて、シュトルゼが問う。
「不服かな?」
「いいえ。貴方達は怪物退治の専門家です。その力は疑っていません」
「殊勝なことだな。本音かね?」
「もちろん。ただし、一つだけ要求があります」
「言ってみたまえ」
 あくまでも上から物を言うシュトルゼを、ユイは真正面から見据えた。
 うら若き乙女らしからぬ不敵な面構えで言い放つ。
「合同駐留軍の力が及ばないと感じた時は、速やかに引き、あたし達に譲りなさい。こちらから言いたい事はそれだけよ」
「───!」
 涼やかだったシュトルゼの表情に、初めて激情の色が浮かぶ。
 その様子を傍らで見ていたフレイデンは驚嘆した。
(なんと豪胆な少女だ……)
 この会談は予定通りに進んでいた。決戦の主導権を合同駐留軍側に握らせて、勇者達を後方に控えさせる。あくまでも≪可能性の怪物≫を倒すのは自分達であり、勇者達に活躍の場を与えず、その価値に疑問を生じさせる。
 シュトルゼの思惑通りである。
 しかし、少女の巧みな話術は合同駐留軍を前座のように感じさせた。
 もちろん、そんな印象など、現実には些かも影響しない。合同駐留軍が≪可能性の怪物≫を倒してしまえば、今のカシマ・ユイの発言など何の意味も持たない戯言と化す。
 フレイデンが驚いたのはユイの度胸に対してだ。
 一片も臆することなく、シュトルゼを相手に気を吐いてみせた。
 どうやら「黒曜の魔法使い」の異名は飾りではないらしい。
「……いいだろう。万が一にも、そのような事態は有り得まいがな」
 シュトルゼは不機嫌そうに答えた。ユイの言い分は実に気に入らないが、合同駐留軍が主力となり、勇者達を予備とする言質が取れただけでも良しとしよう。そんな考えが読み取れそうな表情だった。
 一方、ユイとしては、決戦の主導権に執着などしていなかった。何故なら、彼女の目的は名誉や功績ではなく、自分達が生き残ることと≪可能性の怪物≫の撃破なのだ。≪怪物≫を倒せるなら、活躍するのが誰であろうと知ったことではない。合同駐留軍が率先してリスクを背負ってくれるなら、先陣など喜んで差し出そう。
 ただ、こちらが無視されるのは困る。明らかな負け戦で戦力を損耗されては堪らない。≪可能性の怪物≫がどんな化物か分からないが、相性によっては合同駐留軍も有効に働くはずだ。戦いは12回も行われるのである。状況に応じて、勇者と軍隊の戦力を適切に使い分けることが肝要だろう。
 合同駐留軍の指揮官に「勇者達は自分達の戦力に自信がある」と印象付けること。
 それさえできれば、ユイにとって会談は成功なのだ。
 シュトルゼにとって思惑通りなら、ユイにとっても思惑通りである。
 会談はつつがなく終わると思われた。
 だが、その時。
「───ちょっと待ってくれないか」
 思い詰めたような声で口を挟んだ者がいた。
 コウスケだ。
 彼は拳を固く握り締めて、わずかに逡巡を見せる。
 しかし、最後にはきっぱりと主張した。
「俺は反対だ。合同駐留軍こそ後ろに引っ込んでいるべきだと思う」


 * * * * *


「あれ? なんか揉めてない?」
 本陣から離れたところで、仲間達と共に会談の終了を待っていた時、平野ケイジはその不穏な様子に気付いた。
 天幕の下が騒がしい。
 誰かと誰かが言い争いをしている。
 ケイジは両手で額の前にひさしを作り、本陣の状況を遠目に覗き見た。
「何かあったのかな?」
「軍隊側と意見が食い違ったんすかね?」
 横に来たハルトモが訊く。
 ケイジも最初はそう考えていたが、どうやら違うらしい。言い争っているのは、なんとユイとコウスケだった。ヤスツナが間に入り、二人を仲裁している様子が見えた。
 意外な展開に思わず呟く。
「鹿島さんと八島君が喧嘩してるみたいだ」
「あ、ホントだ。結構マジっぽいすよ」
 二人の発言を聞いて、ここまでずっと俯き加減で大人しくしていた大神サオリが、ばっと顔を上げた。彼女はばたばたとケイジ達の側まで駆け寄ると、本陣の方を不安そうに眺めたまま、ぼそぼそと訊いてきた。
「や……八島、くん……け、喧嘩……鹿島さんと、してる、の?」
「ええと、はい、そうみたいです」
 唐突に話し掛けられて驚きつつも、ケイジは見たままに答えた。
 サオリは白いワンピースのスカート部分を両手でぎゅっと握り締めて、どことなく戸惑うような、苦しそうな表情を浮かべた。
「な、んで……?」
「いや、分からないです」
「急に言い争いを始めたんすよ」
 そう答えながら、ケイジとハルトモは別のことに注目していた。
 ───大神さんて、こんな風に感情を表に出すんだな。
 寡黙で無表情なところしか見たことがなかったので、不謹慎ながら、動揺している様子がやけに新鮮である。
 ケイジは眼鏡をぎらりと輝かせて呟いた。
「……ヤシマ作戦の綾波的に萌える。無感情系の目覚めキタコレ」
「は? 萌え?」
「ミクたん以外にも有望株がいる予感……」
「ひ、平野さん?」
 ケイジの世迷言にハルトモが困惑しているうちにも新たな動きが起こる。
 言い争いがぴたりと止んだかと思うと、ユイが肩をいからせてこちらへと戻ってきた。その後ろには疲れた様子のヤスツナと、妙に真剣な表情のコウスケが続いていた。
 只事ではない雰囲気に緊張感が漂う。
 ユイはひどく苛立っており、誰もが躊躇う中、コズエが落ち着いた声で尋ねた。
「……ユイちゃん。何があったの?」
「……コウスケが爆弾を落としたわ」
「え?」
「合同駐留軍に引っ込んでろって言ったのよ、こいつ」
 ユイは後ろにいるコウスケを親指で示しながら、深々と溜息を吐いた。
 全員の視線がコウスケに集中する。
 彼は申し訳なさそうに首肯した。
「……はい。本当です」
「……また大胆な事を言ったわねえ」
 コズエが目を点にして、驚くというよりは感心したように言った。
 ヤスツナがこほんと咳払いをして、
「もちろん、彼には彼なりの理由があってのことだ。……鹿島君、頼む」
「はい。……それじゃあ、説明するから、皆の意見を聞かせて」
 そう言って、ユイはコウスケの爆弾発言の理由を話し始めた。


 * * * * *


「……つまり、八島さんは犠牲者を出したくないから、全て自分に任せろと言ったわけだ」
 建部ケイトは呆れ果てた様子で、ユイから聞かされた説明をすっきりと要約した。
 つまり、そういうことなのだ。
 あの仮想空間でヴァーチェが言っていたように、≪可能性の怪物≫が本当にフィクションで跋扈しているような化物であれば、合同駐留軍は間違いなく大きな被害を被るだろう。例えば、コウスケが最初に予想した敵は「ドラゴンボール」の初代ピッコロ大魔王だが、かの悪役は短期間とはいえ、近代的な軍隊を保有する世界を容易く支配してみせた。単純に考えても、火砲すら実戦配備していないような軍隊が敵うとは到底思えない。
 明朝に行われる決戦は、試合でもなければ演習でもない。
 敗北は即ち死である。
 そんな花魔(ヤービル)戦を通じて痛感させられた認識が、コウスケに先のような発言をさせたのだ。
「……コウスケ。さっきも言ったけど、もう一度、しっかりと聞きなさい」
 ユイは小さな子供に言い聞かせるような口調で言った。
「あたし達は特別な≪力≫を与えられたけど、決して無敵の存在なんかじゃないわ。それどころか、ちょっとしたアドバンテージを持っているだけの一般人でしかない。はっきり言えば素人の集団よ。実戦経験の少ない、あるいは全くない人間の集団なの。
 そして、合同駐留軍は本物の軍隊よ。
 彼らは装備や戦術こそ古いかもしれないけど、生死を賭けた戦いを幾度となく潜り抜けてきた本職の戦士達だわ。純粋な技量や覚悟に関して言えば、あたし達なんかよりも遥かに成熟してる。≪可能性の怪物≫との決戦において、断じて欠くことのできない戦力だと、あたしは思ってる。
 コウスケ、あんたはそんな彼らに引っ込んでろと言った。
 あたしはそれを自惚れだと思う。あたし達は彼らの戦力を借りなくて済むほど強くなんてないわ」
「……鹿島だって、あの指揮官に引けって言っていたじゃないか」
「あれは駆け引きでしょう。危なくなったら意地を張らずに後退しろって忠告しただけ。不要だなんて言ってない。ヴァーチェの言葉をよく思い出しなさい。この戦いはぎりぎりのところで行われるの。この世界の人達だけじゃ勝てない。だから、あたし達が転生させられたわ。でもね、それは『あたし達なら敵に勝てる』という意味じゃない。この世界に元からある戦力に、あたし達というイレギュラーを加えて、ようやくどうにかできるかもしれないというだけなのよ」
「……でも、合同駐留軍の人達は、きっと死ぬぞ」
「そうね。じゃあ訊くけど、あたし達は死なないの?」
「……!?」
 いきなり、コウスケはユイに襟首を掴まれた。
 細い指が学生服の詰襟に絡まった瞬間、信じられないくらい強い力で引き寄せられた。
 恐ろしいほど眉を逆立てたユイの顔がすぐ目の前にまで迫る。
 彼女は本気で怒っていた。
「他人の心配をする前に、自分達の心配をしなさい。まずは生き残る為に最善を尽くすべきよ。全てはそれからだわ。あと、それなら自分だけで戦うなんて選択も認めないからね。あんたは貴重な戦力なの。それを自覚なさい。自殺行為同然のスタンドプレーなんて迷惑千万よ」
「……じゃあ、合同駐留軍の人達を見捨てろっていうのか」
「それが自惚れだって言ってるのよ……! 見捨てる? 彼らがそんなに頼りない? 彼らは彼らの世界を守る為に戦うのよ。自分達の為に戦おうとしている。自分達の生存を勝ち取る為に、背負うべき責任を果たそうとしているの。コウスケ。あんたの発言はね、あたし達自身の命を軽んじた上、彼らの覚悟を愚弄していることに他ならないわ」
 ユイの言葉はどこまでも正論だった。果たすべき責任の所在を明らかにした上で、背負うべき役割の位置を間違えていない。彼女は守るべきものを守り、行うべきことを行い、果たすべきことを果たせと言っているだけなのだ。
 彼女は、正しい。
 ───でも、それでも。
 コウスケは襟首を締め上げられたまま、ユイの両肩をがっしりと掴んだ。真正面から彼女を見据えて、間違っていると知りながらも訴える。
 どうしようもない感情を搾り出した。
「───それでも、死ぬと分かっている戦いに立たせることが正しいなんて、俺にはどうしても思えないっ……!」
「っ……! あんたはっ……!」
 ユイは反射的にコウスケを殴ろうとした。
 だが、別の手がそれを止める。
「そこまでだ。君達の言い分は十分に伝わった」
 ヤスツナである。
 彼はユイの手首を掴んだまま、顎をしゃくって示した。
 コウスケとユイがそちらを見れば、ハルカに肩を抱かれたミクが泣いていた。
 彼女はぐずつきながら、それでもコウスケ達から目を逸らさずに、小さな声で言った。
「……けんか……しないで……けんかは、やだよ」
「─────」
「─────」
 ユイはバツが悪そうに、コウスケの襟首を掴んだままだった左手を放した。コウスケも視線を落とし、落ちつきなく身じろぎをする。子供にみっともない姿を見せてしまった。そんな自己嫌悪が少なからず二人の胸に突き刺さる。
 誰もが沈黙する中、ヤスツナが問う。
「鹿島君と八島君、二人の主張は分かってもらえたと思う。合同駐留軍を前面に出すか、我々≪勇者≫が前面に出るか。どうするべきか、皆の意見を聞きたい」
 それは理想と現実を天秤にかけるような選択だ。
 沈黙が下りる中、やはりここでも空気の読めない男が口を出す。
 混沌神リヴァイアサン・スタースクレイパーが哄笑した。
「フゥアーハッハッハッハ! 何を下らないことで揉めているのだ、貴様らは! そんなに悩まずとも、全てこの我に任せればいい。いかなる≪怪物≫であろうと、我が力の前には灰塵に帰すのみ! 下等な人間のことなど知ったことではないが、この我が戦場を華麗に舞う以上、犠牲者など出よう筈もない!」
「それならそれで万々歳なんだけどね……問題はそれが上手くいかなかった時の話よ」
 ユイはやれやれといった様子で零した。
 ≪怪物≫の出現と同時にセイタロウが≪力≫を叩き込み、それで決着がつくなら正に最善策だ。ケイジの談によれば、セイタロウの≪主人公の力≫は月をも穿つ≪A・ARM≫。オリジナルほどの高出力を再現できなくとも、初撃で≪怪物≫を倒せる可能性は十分にあるだろう。
 だが、最悪の状況は常に想定するべきだ。
 ともあれ、≪勇者≫の方針を決めなくてはならない。
 ユイはまずケイトに訊いた。
「ケイト。あんたの意見を聞かせて」
「……正直、僕はどちらでもいいよ。ただ、僕や八島さんなんかはともかくとして、他の人の安全を考えるなら、ユイ姐の主張が正しいと思うね」
 ユイは頷き、それから順番に訊いていく。
「南宮さんはどうですか?」
「鹿島君の意見が現実的だろう。我々の中で実戦経験があるのは半数以下だ。私や建部君のように変身できる者や、八島君のように肉体を強化できる者ならばいいが、身体的に普通と変わらない者が前に出るのは危険過ぎる。まずは軍に任せるのが堅実だろう」
「コズエさんは?」
「私は戦いのことはよく分からないけど、ユイちゃんや南宮さんの意見に賛成かな。私なんかは能力の性質上、どうしても直には戦えないし。気休めかもしれないけど、安全策はできるだけ取るべきだと思うわ」
「ハルトモとケイジ。二人の考えを教えてくれる?」
「……正直、俺は恐いっす。軍隊がやっつけてくれるなら、その方がいいです」
「……僕も慎重に行くべきだと思うな。僕は魔法の展開速度も遅いから、前に出たら正直ヤバいしね」
「ハルカとショウコちゃんはどうするべきだと思う?」
「鹿島さんの意見が現実的でしょうね」
「八島先輩には申し訳ないですけど、私もユイさんに賛成です」
「枚岡さんは……訊くまでもないか」
「うむ! 繰り返すが、我が倒すので悩む必要などない!」
「ミクちゃん。ミクちゃんはあたしの質問の意味が分かるかな?」
「よく分かんない。でもね、おかあさんは、あぶないことはしちゃダメって言ってたよ」
「そっか。……最後です。大神さんはどうですか?」
「……っ!」
 最後に問われて、サオリは唇を噛み締めた。
 自分を見つめるユイの視線から逃れるように顔を逸らして、恐る恐るコウスケを窺う。ここまで全員から否定されたコウスケは、嘆くこともなく、ただ黙り込んでいた。おそらく彼自身も分かっているのだろう。
 己の意見が間違っているということを。
 サオリは胸の前で両手を組み、苦しそうに俯きながら言った。
「ごめん……なさ、い。わ、わた……わたし、わか、分から、ない……」
 ユイは小さく息を吐く。
 サオリを追求するような真似はしない。
 彼女は改めてコウスケの方を向いて尋ねた。
「───以上よ。これでもまだ、合同駐留軍に下がるよう勧める?」
「───いや」
 コウスケは頭を振る。
 これ以上、我侭を声高に叫ぶ訳にはいかない。最初から感情論だったうえ、ユイのように筋を通したものでもない。自分の意見が皆を巻き込むものである限り、こうして拒否されたからには、無理に押し付けるなどできよう筈もない。
 胸の奥が軋む。
 けれど、ユイの方が正しいと思う。
 コウスケは奥歯をきつく噛み締めながら、現実を受け入れた。
「───そっちが正しい。鹿島に従うよ」


 * * * * *


 そして、会談は当初の合意通りに結論を迎えた。
 明朝の決戦、≪可能性の怪物≫との初戦は、合同駐留軍が先陣を務めることとなる。
 これが何を招くことになるのか。
 まだ、誰も知らない。



[22452] Salvation-12 第十三話「開門! それぞれの前夜!?(後編)」
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:c62bbb8f
Date: 2011/11/26 09:19
 夢を見ている。
 彼女がそれを自覚できたのは、目前の光景が過去を再現したものであり、現実味に欠けていたからだ。記憶の奥底に沈めていた記憶の残骸が、断片的に浮かんできては、贋物めいた鮮やかさで上演されていた。
 夢の中で、彼女は中学生の頃に戻っていた。
 少女には似つかわしくない場所にいる。ハイクラスに分類されるマンションのリビングルームである。モダン調でありながら、知的かつ上品な趣きがあり、いわゆる一般家庭のイメージからは懸け離れていた。
 彼女は白と水色を基調としたセーラー服姿で、黒い革張りのソファに腰掛けていた。膝の上で難しそうな専門書を開いている。しかし、彼女の視線は本にではなく、すぐ隣に座っている人物へと注がれていた。
 青年と呼ばれなくなって久しかろう男性である。どこか揺るぎない存在感の持ち主で、顎の輪郭に沿って短く刈り込まれた髭が精悍さを際立たせていた。これから外出する予定なのか、素人目にも高級品と分かるシックなスーツを身につけており、それが嫌味にならないくらい似合っている。
 二人は話をしていた。
 何てこともない、ただの世間話である。
 けれど、彼女はそれを楽しんでいた。こましゃくれた口調だが、幼さの残る声が弾んでいるのを隠し切れていない。大人びたポーカーフェイスを保てず、表情もころころと変化していた。
 男性はたわいない話題にもちゃんと耳を傾けて、時折、ユーモアに溢れた言葉を返す。その子供扱いしない接し方が心地良く、彼女はますます一人前を気取り、澄ました態度で話し続けた。
 今でも覚えている。
 この頃、彼女は無邪気に信じていた。この男性は無敵のヒーローなのだと。事実、かつて彼女が警察すら頼れない窮地に追いやられた際、彼は颯爽と助けてくれたのだ。理不尽な逆境を覆し、非情な悪党共を蹴散らして、挫けそうになっていた彼女の頭を撫でてくれた。
 それ以来、彼女は彼の勇姿を見届けてきた。
 彼は「面倒に巻き込まれたくない」とか「厄介事は御免だぞ」なんて言いながら、いつも誰かの涙を止める為に闘っていた。そして、どんな困難にも決して怯まず、知恵と技能を駆使して、最後には必ず何とかしてみせた。
 いったい、どれだけ大勢の人達が彼に救われただろうか。
 誰よりも強く、聡明で、優しい人だと尊敬していた。
 彼が傍らで微笑んでいる。
 彼女もそんな幸せが嬉しくて笑う。
 だが、これは遠い日の思い出に過ぎない。
 彼は沢山の知識と技術を彼女に授けてくれたけれど。きらきらと輝く宝石のような日々を与えてくれたけれど。彼女を「現在の彼女」に育て上げてくれたけれど。
 今は、もう、墓の下だ。
 もはや、彼は何処にもいない。
 彼女が高校を卒業した日に、彼は人気のない薄汚れた路地裏で発見された。その遺体には夥しい暴行を受けた痕跡があり、直接の死因と推定された頭部への一発を除いても、銃創の数は二桁に及んでいた。現金と幾つかの所持品を盗まれていたが、着用していたコートのポケットに、包装された小さな箱が残されていた。
 彼女の卒業を祝う贈り物だった。
 十代の少女にはいかめしく、少しばかり高価な品物。
 彼女がずっと前から欲しがっていた、彼の愛用品と同じモデルの腕時計だった。
 箱の中にはメッセージカードが添えられており、見慣れた彼の文字で短い文章が綴られていた。


『俺と君がこれからも同じ時間を刻んでいくことを願って。
 ───卒業、おめでとう』


 発狂しなかったのは奇跡だと思う。
 その日はひどく冷え込んでいた。
 凍てつくような夜、白い雪の降りしきる中、彼女は親友にきつく抱き締められたまま、顔中を涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃにして、喉が裂けてしまいそうな悲鳴を上げながら、骨の髄まで思い知らされた。
 そう───彼女は、鹿島ユイは思い知らされたのだ。
 この世に無敵のヒーローはいない。


 暗転。


 遂に終止符が打たれた。
 苦労して集めた証拠の数々は、法律上の有効を認められる形で検察の手に渡り、こちらが想定したとおりの破壊力を発揮した。これには悪名高い辣腕弁護士も黙るしかなく、外道を絵に描いたような被告は歯軋りしながら項垂れていた。
 大方の予想を覆しての有罪判決である。不謹慎かもしれないが、マスコミの大騒ぎする様子が痛快だった。
 この結果を踏まえて、捜査当局は積極的な摘発に乗り出すだろう。東南アジア方面の密売ルートが閉ざされてしまえば、あの連中も暫く動けなくなる。少なくとも、非合法な移植手術の件数は激減するに違いない。大本の供給が滞れば、いかに需要の高い闇ビジネスと言えども、成立のしようがないのだから。
 依頼主から見せられた写真を思い出す。
 生きたまま腑分けされた被害者達。自分はあの子達の無念に報いられただろうか。
 閉廷後、ユイは一緒に傍聴していたキョウヘイと一緒に裁判所を跡にした。報道陣に囲まれている関係者を尻目に歩き去る。
 外に出ると、午後の空には雲一つなく、きれいな青色に目を奪われた。暗く落ち込んでいた気持ちがわずかに晴れる。この勝利を喜んでいいと許されたような気がして、久しぶりに微笑むことができた。
 それを見て、隣を歩いていたキョウヘイが安堵の表情を浮かべた。
「ようやくだな」
「なによ、それ」
「ここ最近、ずっと不景気な面をしていたじゃねえか」
「……そう?」
「ママも心配してたぜ? 折角の可愛い顔から、眉間のしわが取れなくなりそうだってな」
「う、それは困る」
 ユイが慌てて眉間を揉み解すと、キョウヘイは革ジャンに包まれた分厚い肩を愉快そうに揺らした。彼のトレードマークであるシャープなサングラスの下で、鋭利な双眸が細まり弓を描く。
 彼は両手をぱんと打ち鳴らし、
「ともあれ、これで今回も『事件屋』鹿島ユイの勝利で幕が引かれたわけだ。祝勝会ってわけじゃないが、このまま食事にでも行かないか?」
「それならアヤメ達も呼んで『グラマラス』で騒ぎましょう。ママに言えば、今からでも貸し切れるわよね」
「おい、それだといつもの宴会と同じだぞ」
「いいじゃない。祝勝会なんでしょう?」
「……ほんと、空気を読まねえよなあ、おまえはさ」
「読んだ上でやってるんだけどね?」
「性質悪いな!?」
「あっはっはっは」
「最悪だ、こいつ」
「嫌い?」
「───いや、すまん。大好きだ」
「あっはっはっは!」
「……俺、こいつのどこに惚れたんだろう」
「キョウヘイって趣味悪いよねー」
「自分で言いやがった!?」
「もっと可愛い娘がいるでしょうに。コトリちゃんとかミャオとか」
「小鳥遊はともかく、ミャオに手を出したら人生終わるっつーの。そもそも、あの変態じゃあるまいし、子供に興味はねえよ」
「教授もねー、あの特殊性癖さえなければパーフェクト紳士なんだけど」
「ルックス良し、学歴良し、金もあるけど十四歳以下にしか興味無し、だからな」
「あらゆる美点が最後の一つで台無しよね。極上のワインも一滴の泥水が混じるだけで飲めなくなるっていうか」
「この間、ミャオをガチンコで口説こうとして、アヤメに殺されかけてたしな。急所をしこたま殴られて悶絶してたぞ」
「でも、堪えてなかったでしょ?」
「5秒で復活してやがった。あいつの回復力も謎だよ」
「自称ヴァンパイアだから。血を見ると貧血起こすけど」
「突っ込みどころ満載だな……」
「それよりさ、ほら、早く事務所に電話してよ」
「へいへい」
 裁判所の正門を通り過ぎて、並木道の半ばまで進んだところで、キョウヘイはジーンズのポケットから携帯電話を取り出した。立ち止まり、長年に亘る空手の鍛錬により節くれ立った太い指で短縮ボタンをプッシュする。
 短い呼び出しを経て、すぐに砕けた口調で話し始める。
 電話口にいるのはアヤメだろう。キョウヘイの話し方には普段以上に遠慮がなかった。
 ユイは小さく息を吐き、その場から少し離れると、手近な街路樹に背中を預けた。
 その時だ。
「鹿島ユイさんだね」
「はい?」
 唐突に声を掛けられた。
 何時の間に近づいてきたのか。ユイのすぐ側に一人の中年男性が立っていた。地味な背広姿で、妙に疲れ果てた雰囲気を漂わせているものの、一見したところ、どこにでもいそうな風体の人物である。
 だが、その眼差しが。
 深い絶望に翳りながらも、抑えきれない激情に爛々と光る両目が、まるで死神のようで。
 不覚にも気圧されて、ユイは危険を察知するのに遅れた。
 まるで悪い冗談のように、その中年男性の右手には拳銃が握られていたのだ。鈍い輝きを放つ金属の塊。その無機質な銃口がユイをぴたりと狙い定めていた。
(トカレフ? いや、ノリンコか───)
 ユイは反射的に飛び退こうとして、けれど間に合わなかった。
 発砲。
 乾いた銃声が空気を震わせる。
 腹部に焼けるような激痛が走り、洒落にならない衝撃を受けて、ユイはもんどりうつように倒れた。砂利の敷かれた路面に転がり、咳き込んで、大量の血を吐き出した。
 それでも意識を失わずにいた。
 揺らぐ視界に中年男性の姿が映る。
 こちらに銃口を向けている。正気と狂気の狭間を迷走しているような泣き笑いで、頬を不自然に痙攣させながら、彼は粘りつくような怨嗟を言い連ねた。
「死んだよ。あの子は死んでしまったよ。あんたが余計な真似をしたから。あんたさえいなければ。あんたが邪魔をしなければ。あの子は、あの子は移植を受けられたんだ! 今も生きていたんだ!」
「鹿島あっ!」
 キョウヘイの絶叫が木霊した。
 その直後、銃口から立て続けに閃くマズルフラッシュ。
 ユイの身体が何度も跳ねる。
 キョウヘイが猪のような勢いで駆けつけて、中年男性の顔面に拳を叩き込んだ。ユイの視界から二人の姿が消える。激しく揉み合う音と怒号が響き、発砲音に続いて、骨肉を打つ生々しい音が何度も聞こえた。
 やがて、一分も経たない内に、無傷のキョウヘイが戻ってきた。
 襲撃者を殴り倒して、気絶でもさせたのだろう。両の拳が赤黒く汚れていた。拳銃を所持した相手をあっさりと制圧するあたり、この男、つくづく漫画じみた武闘派である。
 それほどの猛者が、ユイの傍らに跪き、病人の如く青ざめていた。
「鹿島、鹿島っ!」
「キョウ……ヘ……イ……」
 呟いた瞬間、げぽっという怖気の走る音が喉から洩れた。
 吐血。
 鼻腔からもびしゃりと血が噴き出した。
 視界が急速に薄れていく。
「喋るな! 喋るなよ!」
 キョウヘイは携帯電話で救急車を呼びながら、止血を試みるべく、真赤に濡れたユイのジャケットとブラウスを力任せに引き裂き、傷の状態を確認した。
 ユイは「このスケベ」と軽口を叩こうとしたけれど。
 それより先に、サングラスの奥にあるキョウヘイの瞳が泣きそうなくらい歪んだことに気付いて、何も言えなくなってしまった。
(……ああ、そうか)
 ユイはどうしようもなく悲しい気持ちで悟る。
 あたしは死ぬのか。あの人と同じように。
「キョ、ウ……ヘ……イ……」
「喋るなって言ってんだろうが! くそったれ、ちくしょう、なんだよこれ、くそおっ!」
「アヤ、メ……エ、イ、イチ……コト、リ、ちゃ……ん………ミャオ……フィリッ……プ………稲荷、さん……教授……ママ………」
「鹿島……おい、鹿島! しっかりしろ!」
「父様……母様……」
「鹿島あっ!」
「…………………………アズマさん」
 大粒の涙をぼろぼろと零しながら。
 子供のように泣きながら。
 ユイは最期に懇願した。
「───あたし、死にたくないよ」
 ぷつんと、ユイのどこかで致命的な何かが断線する。
 視覚が途絶えて、肌が何も感じなくなり、血の臭いすら分からなくなっても、キョウヘイの声だけは聞こえていた。
『おい、鹿島………嘘だろ。ありえないだろ。だって、おまえ、鹿島ユイなんだぜ? おまえがこんなことでくたばるわけないだろ。なあ……鹿島、そうだろ、なあ? ………頼むから何か言ってくれよ鹿島あっ!!』
 あのキョウヘイが泣いている。馬鹿みたいに腕っ節が強くて、呆れるくらいタフで、恐れを知らない勇敢な仲間が───大切な友達が泣いていた。
 やがて、その泣き声も聞こえなくなった。
 世界から剥がれ落ちていく。
 静かに。
 とても、静かに。
 何もかもが、消える。


 暗転。


 ノックの音で目を覚ました。
 ユイは緩慢な動きで起き上がると、ぼんやりとした眼差しで周囲を見回した。あまりよろしくない夢を見ていたせいか、気分はすこぶる悪く、じっとりと嫌な汗をかいていた。
 反面、それほど寝惚けていない。
 彼女はすぐに自分の置かれた状況を把握することができた。
 よく知る場所にいた。
 在ハイリヒトゥーム市ウワン=エナ王国大使館に併設された宿舎の二階、公式にも認められているユイのプライベートルームである。清掃と整頓の行き届いた部屋だが、机の上だけは例外で、日本語と共通交易語の入り混じったメモが散乱し、何十冊もの本や公文書の写しが山積みになっていた。
 ユイはベッドの上に座り込んでいた。
 典型的な女の子座りのまま、雨戸の閉められていない窓から外を眺めれば、林立する積層建築群の向こうで、よく晴れた空が夜の色に染まりつつある。すでに月が輝き、星々が瞬き始めていた。
「……もう日没なんだ」
 ぽつりと呟く。
 どうやら、数時間ほど居眠りをしてしまったらしい。
 トルテア要塞でシュトルゼ=クォムンデュール司教との会談を終えてから、引き続き、ユイ達は要塞施設と≪門≫の案内を受けた。その直後、ユイは仲間達の力を把握しておきたいという考えから、戦闘領域の使用を求めたが、合同駐留軍の撤収にまだ暫く時間が掛かると言われた為、一旦解散した。
 日没後、トルテア要塞に再び集合する手筈となっている。
 ユイはケイトと共にこの宿舎へと帰ってきた。楽な格好に着替えようと思い、自室に戻ったところまでは覚えていたが、彼女の記憶はそこで途切れていた。
「……わりと疲れてたみたいね」
 再度、ノックの音が響く。
 そういえば、誰かが訪ねて来ていたのだ。
 ユイはポニーテールの解けた黒髪をかき上げながら、
「どうぞ。鍵は掛けてないわ」
 ドアが開き、一人の少年が入ってきた。
 建部ケイトである。
 彼は人間の姿に擬態したまま、無国籍風の動きやすそうな服に着替えていた。ランプも何も点けていないので、薄暗く、その表情までは窺えない。しかし、いつものように、少しひねた目つきで唇をへの字に結んでいることだろう。
 そんな推測を肯定するかのように、ケイトはやれやれと肩をすくめた。
「鍵くらい掛けなよ。無用心じゃないか」
「ここの警備なら……いえ、そうね、気をつけるわ」
 ユイは素直に謝ると、小さく呪文を唱えた。
「明かりよ(ライティング)」
 天井付近に眩い光球が現れて、室内を明るく照らし出す。
 すると、ケイトはこちらの姿を認めるなり、慌てて目を逸らした。
 心なしか頬が赤い。
「……ユイ姐、なんて格好してるのさ」
「ほえ?」
 そう言われて、ユイは自分の身体を見下ろした。
 まるで覚えていないが、着替える前に力尽きたらしく、スーツを中途半端に脱ぎ散らかしていた。ジャケットとパンツが床に落ちている。寝苦しさに自らボタンを外したのか、ブラウスも肌蹴ており、慎ましやかな胸が露わとなっていた。せめてもの救いは、下着まで脱ぎ捨てていないことだが、それでも十分にみっともない有様である。
 ユイはブラウスの前を引き寄せて、わざとらしく身をくねらせた。
 しなを作り、恥ずかしがる振りをする。
「いやんっ♪」
「何が『いやん』だよ。もうすぐ約束の時間なんだから、ほら、さっさと着替えて……」
 ふいに、ケイトが口を閉ざした。
 ユイは首を傾げて、
「ん?」
「ユイ姐さ」
「なに?」
「もしかして、泣いてた?」
「え?」
 問われて、ユイは自分の頬に触れた。
 かすかな違和感があり、それは確かに涙の乾いた跡に思えた。
 泣いて、いたのか?
 ケイトが気まずそうに訊いてきた。
「……気にしてるの?」
「……何を?」
「八島さんとのことだよ」
「ああ、そのこと」
 殊更に平淡な声で応じた。
 合同駐留軍に先陣を切らせて、自分達は後方に控えて慎重な行動を取る。明朝の決戦に際して、そのような方針を決定したのはユイである。正確には、シュトルゼを利用して、皆が同意するように誘導したわけだが、本質的に違いはない。
 合同駐留軍に予想される損害を黙認した上で、八島コウスケの意見を退けた。
 それは事実なのだから。
「おかしなことを訊くのね。あたしが気にするようなことなんてないわ」
「嘘だ」
「……断言するんだ」
「するさ」
「根拠は?」
「だって、ユイ姐は頭が良くて……優しいじゃないか」
「優しい? あたしが?」
「本当は八島さんが間違ってるなんて思ってないんだろ?」
「………」
 ユイはケイトの言葉を否定できなかった。
 勇者達と合同駐留軍の間では≪可能性の怪物≫に対する認識に大きな隔たりがある。勇者達の中でも、戦闘経験のないメンバーが実戦における危険や恐ろしさを具体的に想像できていないように、現実問題として、合同駐留軍の戦士達に≪可能性の怪物≫の脅威を理解させることは難しい。彼らはその身で魔獣や竜種の力を味わっている。彼らが戦歴を重ねていれば重ねているほど、フィクション作品に登場する≪怪物≫の力は説得力に乏しい与太話にしか聞こえまい。
 ましてや、予備知識を持っている勇者達にも、どんな怪物が出現するのか明言できないのだから。
 それでも、ある程度の推測は立つ。
 たとえ比較的弱い≪怪物≫が出現しても、コウスケの危惧する通り、合同駐留軍には多くの犠牲者が出るだろう。その損害を軽減したければ、勇者が前面に立つことも一つの方策と言えた。
(でも、命の危険については、あたし達だって変わらない)
 どう考えても、現時点での死亡率は五分五分としか思えない。
 具体的な情報は一つとしてあらず、≪可能性の怪物≫がどんな能力を備えているかも定かでない。仮に≪怪物≫の出現と同時に、こちらの最大火力である枚岡セイタロウの≪A・ARM≫を撃ち込むとしよう。おそらく高い確率で撃破できるはずだ。
 だが、もしも≪怪物≫がそれを防ぐ能力を持っていたら?
 あまつさえ、防ぐどころか反射できるような能力を持っていたら?
 撃破した瞬間に自爆して、市街地をも巻き込むような存在だったらどうする?
 杞憂かもしれない。
 しかし、ユイが知り得る範囲だけでも、フィクション作品には様々な能力が登場する。それらは読者や視聴者の予想を裏切る奇想天外なものも数多い。正体不明の敵に対して、様子も窺わずに立ち向かうことは、あまりにもリスクが高い。
 ユイの目的は元の世界に帰還することだ。その為に≪可能性の怪物≫を倒す。この目的を達成するには、勇者達の特殊能力が不可欠と考えられる。勇者達の≪主人公の力≫は代わりのきかない貴重な戦力なのだ。
 戦略的な視点から判断すれば、勇者達に安全策を取らせることは当然である。
 実戦は演習とは違う。失敗してもやり直せない。
 人間は弱い。人間は脆い。どんなに特別に思えても、その時が訪れたならば、あっけないくらい簡単に命を落とす。
 鹿島ユイはそれを痛いほどよく知っている。
 そうとも。いくらヴァーチェの勇者などと敬われ、精霊に与えられた力を称えられようとも、自分達はあくまでも只の人間なのだ。
 とうの昔に思い知らされている。
 この世に無敵のヒーローはいない。
 だから、
(───ああ、そうか)
 そこまで考えて、ユイは気付いた。
 ケイトに指摘されたとおり、自分は気にしていたらしい。
(だから、あんな昔の夢まで見て、必死に言い訳をしてるんだ)
 無敵のヒーローはいないと。勝利の確信でさえ裏切るのだと。どんなに特別に思われていても人間は簡単に死んでしまうのだと。だから、自分達の命を守る為なら、他者の犠牲を黙認することも仕方ないと訴えた。
 正論という何よりも強かな暴力を振りかざして、己を正当化した。
 自分は間違っていない。正しい判断を下している。
 夢の中でさえ、声高に叫んでいたのだ。
 それが酷く無様に感じられて、ユイは自嘲した。
「……そうね。コウスケは正しい。強い者が弱い者を守ろうとする。人間の情理だわ。あいつは確かに≪勇者≫なんでしょうね」
「でも、ユイ姐だって正しい」
「もちろんよ。あたしは間違っているつもりなんてない」
 それでも罪悪感に近い気持ちを拭えないのは、きっと誰かの犠牲を容認する論理の冷酷さに納得できていないから。コウスケの示した感情論を愚かと断じながらも、その人間らしい勇気や優しさを羨ましいと思うから。全てを守り抜くという理想に未練があるからに他ならない。
 要するに、辛くて、悔しくて、悲しいのだ。
 現実の衰えない手強さに、ユイは思わず零していた。
「───だけど、正しいことが、必ずしも皆を救うわけじゃないのよ」
「ユイ姐……」
「ごめん。変なこと言ったわ。すぐに着替えるから、先に行ってて」
「うん……」
 ケイトは部屋を出ようとして、しかし、ドアの前で立ち止まった。
 彼は背中を向けたまま佇んでいたが、何かを決意したかのように振り返り、ユイを正面から見つめた。
 少し固い声でユイに告げる。
「ユイ姐」
「……?」
「初めて会った時に、僕は言ったよね」
「ケイト……?」
「僕はユイ姐に力を貸す。そう言ったはずだよ」
 ケイトはその瞳に強い光を湛えながら、真剣な口調で続けた。
「僕はユイ姐の為にここにいる」
「───」
「僕の≪力≫はユイ姐を助ける為のものだ」
 そこまで言うと、ケイトはユイに再び背中を向けた。
 少年は力強く宣言する。
「ユイ姐は僕が守るよ」
 彼は後ろから見ても分かるほど、耳を真赤に染めて、脱兎の如く部屋から飛び出した。
 廊下を騒がしく走り抜ける音が遠ざかっていく。
 ユイは一人残されたまま、しばらく、ぽかんとしていた。
 しかし、次第に顔がにやけてくるのを抑えきれず、うつ伏せで枕に顔を埋めた。
(ああ、もう、あの子は!)
 まったく、なんて可愛くて頼もしい男の子だろう。
 あんなことを言われたら、悩んでなんていられないじゃないか。
「そうね」
 寝返りを打ち、窓の向こうに広がる夜空を見上げた。
 ユイは穏やかに微笑む。その口元に彼女らしい不敵な笑みが浮かぶ。
 黒曜石のような双眸を輝かせながら、彼女は呟いた。
「ええ、負けるもんですか」










     Salvation-12
      第十三話「開門! それぞれの前夜!?(後編)」










「皆で模擬戦をしましょう」
 再び集合した仲間達に対して、鹿島ユイはそう提案した。


 断るまでもなく、どんな分野であれ、訓練とは継続的に行われてこそ実を結ぶ。生兵法は大怪我の元と言われるように、中途半端は役に立たないどころか、下手をすれば判断を誤る原因にも成りかねない。
 今更、一回や二回の模擬戦を行うことには、一夜漬けの試験勉強ほどの効果すらない。
 ましてや、本番の前夜ともなれば、ゆっくり休んだ方がよほど建設的である。
 故に、今回の模擬戦は訓練ではない。
 しかし、自分と仲間達の力、即ち、ヴァーチェの勇者に与えられた≪主人公の力≫を確かめる為だけならば、それぞれに実演させれば事足りる。ユイのような少女がそれに気付いていない筈もなく、彼女がわざわざ模擬戦を提案したことには、十中八九、何らかの意図が隠されていた。
 南宮ヤスツナはそれを次のように推察していた。
(相互理解の促進。角が立たない言い方をすればそんなところか)
 彼が思うに、そもそも、ユイは勇者全員が戦力になるとは考えていない。先々は別だろうが、少なくとも、現時点において戦闘に堪えうる勇者は半数以下と見ているだろう。いかに特殊な能力を与えられているとはいえ、平和な日本で暮らしていた者達である。しかも、職業軍人のように使命感を抱いている訳でもない。経験不足はもちろん、士気の低さも避けられない。
 ヤスツナが考えるに、彼自身を除き、戦力に数えられる勇者はせいぜい五人までだ。
(鹿島ユイ、建部ケイト、日御碕ハルカ、八島コウスケ。あとは……純粋な火力要員として枚岡セイタロウくらいだな)
 既に実戦に臨み、ある程度の戦果を上げたとされる面々である。戦闘という異常な状況下に置かれても、自ら行動できることを証明した者達だ。≪主人公の力≫を相応に使いこなしていると判断すべきだろう。
 残りのメンバーは、≪主人公の力≫を使用したことはあっても、それを暴力として用いた経験はあるまい。もしあれば、多少なりとも噂になるだろうし、雰囲気にも表れる筈だ。春日ハルトモ、平野ケイジ、大神サオリ、高千穂コズエ、戸隠ショウコ。この5人に剣呑な空気はない。皆無と考えるのが妥当である。諏訪ミクに関しては、幼さもさることながら、≪力≫を備えているかどうかも怪しい。
(更に言えば、戦力扱いの五名とて、その力を目の当たりにしたわけではない)
 辛うじて根拠になっているのは、あくまでも世間の評判に過ぎない。
 だからこそ、ユイも理解と分析の機会を欲したのだ。
 模擬戦という形式を選んだのは、最も直接的で分かりやすいからだろう。今はまだ、勇者達の間に同郷意識以上の連帯感や信頼関係が培われていない。お互いの実力を肌で感じ合わせることで、ほんのわずかでもいいから、そうしたものを育もうという意図に違いない。
 一方、底意地の悪い解釈をすれば、戦闘能力の低いメンバーに身の程を弁えさせる為という見方もできる。本番で痛い目に遭わないよう、浮かれずに大人しくしていろという無言の忠告である。
 上から言い聞かせるのではなく、自発的に気付かせる為の配慮というわけだ。
 何にせよ、十九歳の少女らしからぬ思慮深さと言えた。
(まるで団体競技の監督だな)
 リーダーに推挙した手前、ユイが手腕を振るう様子には喜ぶべきなのだが、むしろ痛ましく感じていた。何故なら、有能さとは、時として発揮する者を苦しめるからだ。黒曜の魔法使いと謳われて、傍目には勇ましく快活であろうとも、決して小さくない重圧に耐えていることだろう。
(それでも、リーダーに相応しい器量の持ち主は彼女しかいない)
 情けない話だが、最年長であろうとも、南宮ヤスツナには他者を率いる資質がない。
 四十年余りの人生で、ヤスツナは己が人の上に立てる人間ではないことを教えられた。それなりに良心やモラルはあれども、自分以外の命運を背負えるだけの度胸も責任感も持ち合わせていない。所詮は風来坊気取りの卑怯な大人なのだ。
(なればこそ、卑怯者なりに努めよう)
 改めて気持ちを固めて、ヤスツナは思考を中断した。
 前方を見る。
 そこでは、正に今から、最初の模擬戦が行われようとしていた。


 * * * * *


「そういえば、自分以外の≪主人公の力≫って、ほとんど見てないよな」
 粗く均されただけの地面で屈伸運動をしながら、八島コウスケは誰かに聞かせるわけでもなく呟いた。
 なにせ、全ての勇者が集結したことすら、今日中の出来事なのだ。
 昨晩の親睦会に参加したメンバーの≪力≫に関しても、概要を聞いただけで、実際に見たわけではない。数少ない例外といえば、傷の治療をしてくれた春日ハルトモの≪ペルソナ≫と、枚岡セイタロウの≪A・ARM≫だけである。
 ハルトモの≪ペルソナ≫は控えめに述べても神秘的で美しく、彼のすぐ側に現れた東洋風の女神像が癒しの力を操る姿には、素直に感嘆させられた。≪A・ARM≫の異形にも、起動しただけでありながら、ただならない禍々しさを感じさせられた。
 それらのインパクトが強すぎたせいか、他の人達の≪力≫に対して鈍感になっていた節がある。すっかり確かめた気分に陥り、何故か疑問や感心を抱かなくなっていたのだ。
「普通なら、誰がどんなことをできるのか、具体的に知っておこうとするものだよな」
 つまり、自覚症状がないだけで、普通の精神状態ではないのだろう。
 どうやら、≪可能性の怪物≫との決戦を明朝に控えて、自分達は緊張しているらしい。
 そんな中で、こうして模擬戦を提案するのだから、ユイはやはり凄いのだと思う。この模擬戦は明らかに訓練ではない。本番前日の夜ともなれば、どう考えてもトレーニングをするタイミングではない。この模擬戦は確かめる為のものに違いない。
 自分と仲間達にどれだけのことができるのか。
 それを知る為の催しなのだ。
「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず……だったかな。≪怪物≫の正体が明らかでないにしても、せめて自分達のことくらいは分かってないと駄目だよな」
 コウスケ達はそんなことさえも失念していたと思う。
 けれど、ユイは気付いていた。冷静というか視野が広いというか。自分自身のことはもちろん、仲間達の状態も見えているのだ。
 あれで年齢が一歳しか違わないなんて。
 彼女はいったいどんな経験を積んできたのだろうか。
「そう考えると、昼間のことは、やっぱり俺が馬鹿を晒したんだな……」
 未だに感情面では納得していない。しかし、八島コウスケが鹿島ユイよりも正しいと胸を張れるほどの自信もない。結局のところ、コウスケは自分の気持ちを吐き出して、闇雲にぶつけただけなのだ。
 人が死ぬのは嫌だ。悲しいのは嫌だ。それを見るのも嫌だ。
 誰であろうと同じなのに。
 そう、ユイだって同じ筈なのに。
(俺は子供のように駄々をこねたんだ)
 あるいは、まだ驕り自惚れているのか。
 どちらにせよ───なんて情けない。
(……やめろ。今は目の前の現実に集中するんだ)
 コウスケは雑念を振り払い、ストレッチ運動を続けた。簡素な運動着の下で、鍛え上げられた逞しい筋肉がしなやかにうねり、入念にほぐされていく。
 現在、彼はトルテア要塞にいた。
 時刻は午後七時を回ったばかりである。
 夜を迎えて、トルテア要塞の内部にある戦闘領域は不気味な表情を見せていた。急造品という事情が影響しているのか、照明の魔法は施されておらず、数え切れないほどの篝火が燃やされていた。重厚な石積みの内壁は橙色に染め上げられており、わずかな凹凸にもくっきりとした陰影を生み出している。
 ずらりと並べられたバリスタや破城槌も例外ではない。戦闘領域の中心部に向けて、扇形に展開された兵器の群れは、昼間に見た時よりも、ずっと威圧感を強めていた。少人数の見張り番を残して、ほとんど無人とはいえ、それらの矛先を向けられている現状には背筋が冷える。
 コウスケは兵器の前方、戦闘領域の中心部からは離れているが、十分なスペースの広がる場所にいた。昼間の演習を終えて、合同駐留軍の実働部隊は撤収しており、一時的な貸しきり状態である。
 今、この場には、コウスケを含めたヴァーチェの勇者達が勢揃いしていた。
 ちなみに、立っているのは二人だけである。
 誰が持ち込んだのかは知らないが(いや、大体の予想はついているが)、少し離れたところに場違いな観戦席が設けられていた。市内の酒場で使われているような木製のテーブルセットが三つも置かれて、真中のテーブルには、ユイとケイト、ヤスツナ、コズエの四人が腰掛けていた。卓上にはジョッキと簡単なつまみまで用意されており、完全にナイター中継を楽しむノリである。
 ハルカとミクはコウスケから見て左の、サオリは右のテーブルに着いていた。相変わらずのコスチュームを華麗(?)に身につけたセイタロウは、昼間にクォムンデュール司教が使っていた立派な椅子を無断で運んできて、偉そうに足を組んで座っている。もちろん仮面は被ったままである。ハルトモとケイジの学生コンビは、何故か地面に体育座りで陣取り、些か困惑した面持ちでこちらを注目していた。
 それ故に、立っているのは、コウスケともう一人だけだった。
 コウスケの正面、7、8メートルほど離れたところで、戸隠ショウコが同じように柔軟運動をしていた。昼間と変わらず、ジャージの上着にスパッツという服装で、バスケットシューズを履いている。
 コウスケは最後に両手の指をほぐすと、ユイに向かって言った。
「こっちは準備できたぞ」
「私もオッケーです!」
 ショウコも元気よく応じる。
 ユイはビーフジャーキーのようなつまみを齧りながら、ジョッキを掲げて、実に気楽な口調で答えた。
「りょーかい。それじゃ、始めちゃってー!」
「緊張感ねえなあ、おい」
 昼間の気まずさを流そうという演出なのか、それとも素なのか。
 コウスケが半眼で呆れていると、ユイはしなをつくり、そのつぶらな黒い瞳を潤ませながら、可憐な声で訴えた。
「貴方の力を信じてるから……!」
「うさんくせえーっ!」
「あっはっは! いや、コウスケの実力に期待してるのは本当よ。あの花魔(ヤービル)を単独で討伐するような奴が弱いとかありえないし。ちょっとカッコいいところ見せてよね」
「へいへい。まあ、怪我をしない程度にな」
「ちょっとくらいの怪我なら、あたしの治癒(リカバリィ)とハルトモのディアで治せるから、即死級の攻撃でもしない限り大丈夫よ」
「誰がするか!」
「そういうことだから、ショウコちゃん、思い切りやっちゃいなさい。巷で評判のマッチョマンに女子中学生にKOされる恥辱を味わわせて、ちょっぴりマゾい快感に目覚めさせてあげるのよ!」
「おおいっ!?」
「ええと、私、年上の男の人に足を舐められても、あんまり嬉しくないです」
 もじもじと照れながら、しかし満更でもなさそうなショウコに、コウスケは思わず真剣な表情で指摘した。
「落ち着け、戸隠。おまえの発想はおかしい」
「え? でも、八島先輩はマゾいんですよね。マゾい人は女の子の足とか舐めたがりますよね?」
「マゾくねえよっ! あと言っておくけど、今の発言は誹謗中傷だからな! それから、おまえ、何かヤバい本とか読んでないか!?」
「畳み掛けるようなツッコミですね。女子中学生に何度も突っ込むなんて……先輩、いやらしい! マゾくていやらしいっ!」
「いやらしいのはおまえだ戸隠! ミクちゃんとかいるんだから自重しろ!」
「ふふふ、残念ながら、私は後退のネジを外しているんですよ」
「残念なのはおまえの感性だ。どっかの空手家みたいな発言をしても正当化なんてできないからな?」
「ねえ、コウスケ」
 いきなり落ち着いた声で呼び掛けられて、コウスケはユイに顔を向けた。
 視線で続きを促すと、ユイはさらりと告げた。
「面白いことばかり垂れ流してないで、さっさと始めたら?」
「おまえが言うのか!?」
「そうですね。私もそろそろ八島先輩に初めてを捧げたい頃合です」
「おまえも黙れ思春期! 最初は最初でも、これからするのは単なる模擬戦だ! 青春の1ページみたいに語るんじゃない!」
「今日の日記は長くなりそうです」
「聞けよ!」
「まあ、日記なんて書いたことないんですけど」
「うわあ、ツッコミが追いつかねえー」
「コウスケ、痛くしちゃ駄目だからね?」
「だから、そういう言い方をするんじゃねえよ! 大体、俺は三つも四つも年下の女子に興味なんか……な……い……」
 怒鳴りながら、コウスケの語気は段々と尻すぼみになっていく。
 彼はそこはかとなく動揺した様子で視線を逸らすと、こほんと咳払いをしてから、
「───そろそろ、始めよう」
「何か重大な真実を隠そうとしてませんか、八島先輩」
「そんなことはない」
「声がめちゃくちゃフラットになってるわよ、コウスケ」
「気のせいだ」
「どうでもいいから、さっさと始めなよ。ユイ姐と戸隠も遊び過ぎ」
 静観していたケイトが痺れを切らして諌言した。
 ユイとショウコは舌を出して肩をすくめた。
「そうね。馬鹿話もほどほどにしておきましょう」
「了解です」
「そうしてくれ」
 コウスケは襟を正しすと、腰を落として身構えた。
 御馴染みのファイティングポーズである。両腕のガードを上げて、同時に気を解放しておく。身体能力を強化、戦闘力を最大の七割程度まで引き上げた。
 対して、ショウコも身体を斜にした。格闘技のものとは異なるが、前後左右に動きやすそうな姿勢を作る。
 コウスケとショウコの≪主人公の力≫は、共に肉弾戦向けの能力である。その性質を考慮して、この模擬戦は素手による組手で行われることになっていた。
 合図をしてくれと、空気が語る。
 ユイは頷き、先程までとは打って変わって、凛とした声を発した。
「───始めっ!」


 * * * * *


 素手による格闘ならば、コウスケは胸を貸す立場と言える。
 もちろん、最初から先手を譲るつもりだったわけだが、そんな気遣いはすぐに意味を失くしていた。目の前にいる小柄な後輩は、根本的に攻める気性の持ち主らしい。
 開始の合図と同時に、ショウコは躊躇いなく飛び出してきた。
 地面を蹴り、勢いよく駆けてくる。
 シンプルな前進である。
 その動きをガードの隙間から見て、コウスケは純粋に速いと感じていた。
(驚いた。身体の動かし方が物凄く上手いぞ)
 洗練された動作とは、つまるところ効率の良い動作を指す。陸上競技や水泳競技などを見れば分かりやすい。無駄を排して滑らかに動くというのは、実のところ、訓練抜きでは成し得ない。ただ走るだけでも、素人では自覚できないくらい小さく躓いたり、体幹のバランスを崩したりする。
 比較して、ショウコの動きは素晴らしかった。重心を安定させたまま、筋肉の生み出す力を見事に推進力に変えていた。わずか数歩で、その身体は既に疾走しようとしていた。一流のアスリートさながらの加速である。
 バスケットボールで全国大会に出たというのは伊達ではない。彼女の運動神経はずば抜けていた。
 ショウコが迫る。
 間合いが2メートルを切ったところで、ショウコは幅跳びのように跳躍した。
「てやあああっ!」
「飛び蹴りだと!?」
 カンフー映画のようなキックがコウスケの顔面を襲う。
 迷わず頭部を狙うとは、女子中学生らしからぬ思い切りの良さである。
 ショウコの大胆な攻撃に驚きながらも、コウスケは素早く頭部のガードを固めた。両者のウェイト差は歴然である。いくら走ることで勢いをつけても、急所をピンポイントで打ち抜きでもしない限り、ショウコにコウスケを揺るがすことなどできない。
 ましてや、今のコウスケは気を解放している。パワーやタフネスはもちろん、動体視力や反応速度も常人の域を超えている。いくら速いとはいえ、ショウコのレベルではコウスケを出し抜くには至らない。コウスケを速度で圧倒したければ、それこそヤービル並みの瞬発力が必要だった。
(ガードの上を叩かせて、動きの止まったところを掴まえよう)
 打撃を用いるつもりは毛頭ない。
 頭の中で堅実なファイトプランを練りながら、コウスケは衝撃に備える。
 だが、次の瞬間、驚くべきことが起きた。


 ショウコが「空中で」方向転換をしたのだ。


「なっ!?」
 コウスケは我が目を疑う。
 けれども、現実は変わらない。ショウコは空中にいながら、壁を利用したような三角跳びを行っていた。急角度で跳ね上がり、ほとんど逆さまになりながら、コウスケの頭上まで舞い上がる。
 コウスケは反射的に目で追う。
 それをも出し抜くように、ショウコは再び空中で跳ねた。宙返りのような姿勢のまま、まるで空気を足場にしたかのように自由自在に反動を得て、三次元のフットワークでコウスケを撹乱する。
 これこそ、風打ちの第一座「跳(はね)」───ショウコが得た≪力≫の一つである。
 速度自体は大したものではない。
 しかし、あまりにもトリッキーな動きに、コウスケは完全に欺かれていた。
 ショウコの姿を見失う。
 半ば直感的に振り返る。
 そこでは、すでに「空中で姿勢を整えた」ショウコが蹴りを打ち込もうとしていた。その身体を「地面と平行になるくらい」横倒しにして、コウスケの右脇腹へと爪先を振り抜いていく。
「……っ!?」
 ガードは───間に合わない。
 反応自体が遅れていた。
 コウスケは全身の筋肉に力を込めて、気を巡らし、受動的な防御を試みる。
 動きこそとんでもないが、ショウコの体重は重くても50キロ前後、軽量級のキックならばはね返せる。コウスケのフィジカルにはそれだけの性能がある。この攻撃に耐えて反撃すればいい。
 これまでの経験から、コウスケはそう分析した。
 だが、そんな目論みは、ショウコの≪力≫によって粉砕される。
 彼女は蹴りながら呟いていた。


「風打ち、第二座───『切(きり)』っ!」


 風の渦巻く轟音が響く。
 比喩表現でなく、ショウコの爪先で見えない何かが炸裂した。
「ぐ、おっ───!?」
 空気が爆発した。
 そうとしか表現できない。
 コウスケは凄まじい衝撃を受けて、横殴りに弾き飛ばされていた。
 筋肉と骨格が軋みを上げる。数日前に食らわされたヤービルの一撃を髣髴とさせる威力である。とても年下の少女による攻撃とは思えなかった。
(これが風打ち……空気と空間を操る力ってやつか!)
 その強烈さを痛感しながら、コウスケは模擬戦の前にショウコから聞いた説明を思い浮かべた。
 戸隠ショウコが得た≪主人公の力≫は、漫画「神さまのつくりかた」に登場する「空間神の素養」である。空間神とは、作中に登場する現人神の一柱で、魂(みたま)と呼ばれる生命エネルギーを用いて、空気や空間に干渉できる超常の存在らしい。その能力は「風打ち」と呼ばれる技術に体系化されており、技の種類は二桁を数える。極めて高度に訓練された風打ちは、戦闘機並みの高速飛行を可能にし、鉄を切り裂き、巨大な岩をも砕くという。
 それが事実なら、正に神を名乗るに値する能力である。
 ショウコ曰く、現在の彼女にそこまでの力はない。飛行はおろか、初歩的な「空気を蹴る力」しか扱えない為、戦闘能力としてはまだまだ非力と苦笑していたのだが。
「これは非力じゃないよなあ!」
 そう毒づきながら、コウスケは巧みに受身を取った。地面をごろごろと転がり、その勢いを利用して立ち上がる。バックステップで体勢を立て直し、前方、着地したばかりのショウコを見据えた。
 ショウコは前傾姿勢を取りつつあり、明らかに追撃を掛けようとしていた。
 何とも勝負慣れしたものである。
 しかし、それを座視するつもりはない。
「悪いけど、今度はこちらから仕掛けるぞ……!」
 脇腹を中心にして全身が痛い。さすがにあの風打ちを何度も受けていたら、冗談抜きでKOされてしまう。いわゆる男性的なプライドを崇めているわけではないが、さすがに後輩の女の子に負けるのは頂けない。
 コウスケは気炎を吐くと、反動をつけて踏み込んだ。
 加速する。
 ショウコの横を駆け抜ける。
 その速度は常人の反射神経を凌駕する。いつかのヴァリエーレを同じように、ショウコはコウスケを見失い、驚きのあまりその場で急停止した。
「あ、あれ?」
 戸惑うショウコの背後で、コウスケも急ブレーキを掛ける。靴底で乾いた土を抉りながら減速、ショウコの襟首を掴もうと手を伸ばす。
 しかし、その指先が捉えるよりも先に、ショウコは跳躍していた。
 空気を足場にして、軽快なステップを踏み、一気に真上へと跳び上がる。
 コウスケはすぐに彼女の狙いに気付いた。
(上からこちらの位置を確認するつもりだな!)
 思考と決断が速い。ハイテンポなバスケットボールの試合で鍛えられているようだ。
 だが、そうはさせない。
 コウスケもすぐさま跳躍した。
(速さはこちらが上だ!)
 瞬間的に空中で追いつく。
 地上5メートル超、互いの手が届く距離で、二人は正面から向き合った。
「うわわっ!?」
「さあ、戸隠。どうする?」
「蹴ります!」
 全く躊躇しない。この後輩、実に格闘向きである。
 ショウコの右足が回し蹴りの軌道を描く。その爪先には≪力≫の気配がある。先刻と同じ風打ち。打ち込もうとしている本人は有効だと思っているだろう。
 だが、今回は状況が違う。
 格闘は必然的に近距離で行われるが、その枠内でも間合いが存在しており、遠近に応じて適切な戦術が変化する。踏み込まずに手が届く距離ともなれば、完全にインファイトの間合いである。
 至近距離の攻防において、回し蹴りを放とうとすれば───。
「いくら強力でも、こうなるんだよな」
「え?」
 ショウコの蹴りは途中で止まっていた。
 何故なら、コウスケの大きな左手がショウコの右太股を押さえていたからだ。運動の起点を制されたことで、回し蹴りは攻撃の体を為していなかった。爪先に込められていた≪力≫もまた、コウスケには命中せず、無関係な方向で炸裂、霧散していた。
 これが膝蹴りで、なおかつ風打ちであれば、コウスケは再び弾き飛ばされていただろう。
 至近距離で回し蹴りという遠距離用の打撃を選んだ、ショウコの戦術ミスである。
 コウスケは間髪いれずに右手を伸ばす。目をぱちくりさせているショウコの襟を掴み、力尽くで引き寄せると、身動きが取れないように抱え込んだ。そして、そのまま自然に任せて落下する。
「うわ、うわわわわっ!?」
「喋るな、舌噛むぞ」
 ショウコをがっちりと拘束したまま、両足で着地した。
 重々しい音が響くが、コウスケの両足は衝撃を容易く受け止めて、びくともしない。
 コウスケはショウコを放すと、そのまま尻餅をついた彼女の鼻先に向けて、拳を素早く突き出した。
「ひゃっ……!」
 ショウコがびくっと肩を震わせる。
 もちろん、当てはしない。
 コウスケは拳を寸止めにしたまま、軽い口調で尋ねた。
「勝負あり。とりあえず、今回は俺の勝ちでいいか?」
「……もう少し張り合えると思ったんだけどなあ」
 ショウコは少し悔しそうにしてから、観念したように微笑むと、素直に負けを認めた。
「───はい、参りました」


 * * * * *


 ───凄い。
 今しがた決着のついた模擬戦を見て、大神サオリが抱いた感想はその一言に尽きた。
 八島コウスケと戸隠ショウコ。サオリは格闘や戦闘についての知識など少しも持ち合わせていないが、二人の力が人間離れしていることくらいは理解できた。コウスケの身体能力は言わずもがな、空中を跳ね回っていたショウコの空間把握能力も尋常ではない。コウスケのような大男を蹴り飛ばした風打ちの威力にしても、常人に対しては十分に凶器と言えた。
 フィクション作品の超能力、平行世界に実在するという可能性の具現……精霊神ヴァーチェから与えられた異能≪主人公の力≫。
 あれが自分達を勇者と呼ばれる立場に立たせている力なのだ。
 サオリは改めて不安になり、疎外感を深めた。
(わたしには……無理だ。あんな風になんて……できっこない……)
 俯き、唇を噛んで、両手をぎゅっと握り締める。
 コウスケは戦わなくてもいいと言ってくれたけれど、他の人達がそれを許してくれるだろうか。いいや、許してはくれないだろう。自分に≪主人公の力≫がある以上、勇者としての働きを期待されることは避けられない。
 そして、失望される。
 サオリに与えられた能力、第一階位降霊能力≪デモニッション≫は極めて強力だ。白状すれば、サオリはこの能力を使用したことがない。しかし、どんなことができるかは理解しているし、この世界に顕現してから「能力が使える」という確信を常に抱いていた。
 何故なら、この≪デモニッション≫は肉体に宿された機能だからだ。
 傷を負えば痛みを感じるように、手足を自在に動かせるように、大神サオリは他者の願いを現実に描き出すことができるだろう。誰かが望むままに、彼女は「悪魔」という理想の生命を生み落とせる自信があった。
 それを嫌だ、と思う。
 それを怖い、と思う。
 サオリは戦うことも、能力を使うことも、何もかもが怖くて仕方なかった。
 この世界から期待されること、その全てが受け入れられない。
 覚悟を決めることも、開き直ることも選べない。
 そして、最後は失望と侮蔑の的になるのだ。
 今までと同じように。
(他の人達は平気なのかな。怖くないのかな……)
 皆が皆、八島コウスケのように優しくて勇敢だとは思えない。
 サオリはおずおずと顔を上げて、周囲の様子を窺った。
 隣のテーブルでは、ユイ達が今の模擬戦について、それぞれの感想を述べていた。
「さすがは『ドラゴンボール』の能力と言うべきかしら。戦闘力50くらいって聞いてたけど、想像以上に凄かったわね」
「八島君はもちろんだが、戸隠君の風打ちにも驚かされたよ。あそこまで立体的に動けるとは。攻撃力にしても、普通の人間であれば大怪我をしていただろうな」
「3メートルくらい飛ばされてましたものね、八島君。彼、体重が90キロくらいあるんでしょう? 私だったら死んじゃってたかも」
 ユイとヤスツナはともかく、一般人然としたコズエまで落ち着いていることに驚いた。
 ふいに、ユイが背後に立っていたケイトに水を向けた。
「ねえ、ケイト。あんたとコウスケ、どっちの方が速いと思う?」
「僕の方が速いよ」
 ケイトは即答した。
 彼はごくごく当たり前の事実を挙げるように、淡々と述べた。
「八島さんの全力がどの程度なのかは分からないけど、今の模擬戦を見た限りなら、単純なパワーやスピードでは負けないと思う。後先を考えずに戦えるなら、多分、1分以内に倒せるよ」
「大怪我させないように手加減したなら?」
「10分は欲しい。僕は駆け引きとか苦手だし。八島さんはそのあたり上手そうだ」
「なるほどね。まあ、そんなところか」
 ユイも妥当な意見だと頷いた。
 それがサオリには何となく面白くなかった。コウスケが不当に貶められている気がしたからだ。その感情がコウスケに対する贔屓から来ていることは分かっていた。理屈抜きで、自分に優しくしてくれた男の子の味方をしているだけに過ぎない。
 その気持ちとは別に疑問も湧いていた。
(建部くんはそんなに凄いの……?)
 サオリの目に映るケイトは、綺麗な顔立ちをした細身の少年である。中性的な美しい容貌からして、荒事が得意そうには見えない。腕の太さ一つを比べても、筋骨隆々のコウスケを大木とするなら、ケイトは庭木の枝のようだ。
 無論、サオリとて、彼がただの少年でないことは知っている。
 建部ケイトは≪クロノクルセイドの悪魔≫なのだ。
 あまり大きな声では言えないが、大神サオリも平野ケイジと同じく、いわゆるオタク趣味に傾倒していた。漫画やアニメ、小説、映画、ゲームなど。面白い物語であれば、その媒体を問わずに楽しんでいた。物語に没入している時だけは、現実の過酷さを忘れられた。
 サオリはたくさんの本を読んだ。
 その中に漫画「クロノクルセイド」も含まれていた。サオリとは全く正反対のヒロインが活躍するその物語において、悪魔と呼ばれる存在は凄まじい戦闘力を誇っていた。漫画で描写されていたとおりの力を持っているならば、ケイトの言葉をはったりとは笑えない。
 でも、本当にそんな桁外れの力を持っているのだろうか。
 コウスケとショウコの組手を観戦した後でも、半信半疑にならざるを得ない。
 悪魔の力はそれくらい現実離れしたものなのだ。
 そして、この疑念はサオリだけのものではなかったらしい。
 ユイとケイトのやり取りを聞いていたヤスツナが戸惑いを隠さずに尋ねた。
「建部君の評判は聞いているが、そこまで圧倒的なのか?」
「信じられません?」
「そんなことはないが……」
 面白がるユイに、ヤスツナは言葉を濁しながらケイトを見る。
 ケイトは自分の外見が与える印象について分かっているらしく、どうでもよさそうに肩をすくめていた。
 それなら、とユイが言った。
「次の模擬戦、ケイトと南宮さんでやりましょう」
「ふむ?」
「ユイ姐……また適当なことを……」
 嘆息するケイトを余所に、ユイは周囲に視線を走らせて、
「一対一だと、多分、戦力差がありすぎますから、南宮さんは何人かとチームを組む形でどうですか? 助っ人はサポート能力に秀でた人がいいでしょうから……ハルトモにケイジ、それとハルカに頼むとして……大神さん!」
「ふえっ!?」
 いきなり名前を呼ばれて、サオリの心臓が跳ねる。
 ユイの視線はいつの間にかこちらを向いており、明るい声で尋ねてきた。
「模擬戦、やってみませんか?」
「も、もぎ、せんっ!?」
「はい。ケイト対南宮チームのハンデ戦です。大神さんの≪力≫を見せてくれませんか?」
「え……あ……う……っ……!」
 にこやかに見つめられて、サオリは赤面した。
 動悸がして、喉がひりつき、手のひらにじっとりと汗をかく。何か答えなければと思いながらも、何を言っても的外れになりそうな気がして、唇が全く動かない。ユイとて強制するつもりはないはずだ。ただ一言、適当な理由を挙げて、模擬戦をしたくないと伝えればいいだけなのに。
 自分の意思を伝える。
 人として最低限のコミュニケーションすら、サオリには困難になっていた。
「あ、え、と……わ、わた、し……」
 声が出ない。
(また……呆れられちゃう……!)
 今にもユイ達の表情が曇りそうな気がした。
 まずい、このままだと泣いてしまう。いい歳の大人なのに。薄気味悪く思われる。
(助けて……!)
 心の中で叫んだ、ちょうどその時、誰かが横合いからぬっと現れた。
 八島コウスケである。すぐ後ろにショウコを連れていた。
 彼はごきごきと首を回しながら、
「あー、まだ痛いぞ」
 そのぼやきに、ショウコが他人事のように感心した。
「八島先輩、超タフですよね。練習に付き合ってくれたアシャラの兵隊さん達なんて、盾越しに受けてもすぐには起き上がれなかったのに」
「おまえはそんなヤバいものを俺に打ち込んだのか……?」
「いやー、何となく大丈夫かなって。ほら、実際、平気そうじゃないですか」
「平気じゃねえよ。すげえ効いてるよ。このリアルアマゾネスめ」
「あはははー♪」
 物騒かつ体育会系な会話を交わす二人を、ユイが朗らかに労う。
「お疲れさまー。なかなか良いものを見せてもらったわよ、二人とも」
「あいよ。後でいいから治癒(リカバリィ)とかいうの頼むわ。このままじゃ、朝まで痛みを引きずりそうだ」
「まともに食らってたものね。テレビ特番のびっくり映像みたいでかなり笑えたわ。もしくは実写スタント? CG使いません、ワイヤー使いません、世界最強の格闘技『風打ち』を使います、みたいな」
「そりゃムエタイだろうが……。まあ、どっちにしろ危なさに大差はないか」
「ユイさん、例えがマニアックです」
「戸隠、分かるのか……」
「面白かったですよね、あの映画」
 そこで、コウスケがユイを見下ろした。
「次は誰がやるんだ?」
「ん。ケイトと南宮さんチームかな」
「チーム?」
「ケイト相手に一対一は無理だから」
「それは……いや、凄そうだなとは思ってたけど、そんなにか?」
「少なくとも、あたしはこてんぱんにやられたわ」
 なるほど、それは確かに強そうだ。
 コウスケは続けて訊いた。
「それで、南宮さんと組むのは?」
「今のところ、春日君と平野君、日御碕君だな」
 ヤスツナの答えに、コウスケは瞠目した。
「一対四ですか」
「それくらい差があるらしい。あとは大神君なんだが……」
「そうそう。大神さん、どうしますか?」
「はいっ!?」
 再び尋ねられて、サオリは硬直した。
 コウスケの登場で話が逸れた為、ほっとしていたが、結論が出たわけではない。自分がまだ答えていなかったことに気付いて、サオリは慌てふためいた。
 それでも、やはり、言葉が上手く出てこない。
「え、あ、そ……の……」
 みっともなくどもっていると、助け舟が差し向けられた。
 やはり、コウスケだ。
「大神さん」
「あ……」
 コウスケは昨晩とよく似た眼差しをサオリに向けていた。
 彼は穏やかな声で、質問を一つ一つ、短く区切りながら訊いてきた。
「模擬戦、やってみたいですか?」
「わ、わた、し……」
 声が出ない。けれど、何の意思表示もしないのは駄目だと、俯いて首を左右に振った。
 コウスケはゆっくりと頷き、
「理由は話せますか?」
「り、ゆう」
「はい」
「デ……デモ、ニ……」
「大神さんの≪力≫ですね。それが?」
「せ、せい、げん……つ、使う、の……ちょ、ちょっと、む、難しい、の……」
「≪力≫を使うのに制限があって、今は難しいんですね?」
「あ、え、と……で、でも、そ、それは……」
 本当は制限なんてない。心配な要素は幾つかあるものの、能力そのものが使えないわけではなく、あくまでも個人的な感情から難しいだけだ。臆病者の我侭である。だから、正直に答えられなかった。
 咄嗟に嘘を吐いたことに良心の呵責を覚えて、どうにか取り繕おうとしていると、
「いいですよ」
「え……」
 コウスケがそう告げた。
 責めるでなく、突き放すでもなく、あくまでも穏やかな口調で、
「それでいいです」
「………」
 コウスケはユイとヤスツナの方を向いた。
 ざっくばらんな物言いで、
「大神さんは不参加だ。南宮さんもそれでいいですか?」
「ん。了解」
「ああ、構わない」
 予想外にあっさりと決まった。
 二人が席を立つ。ヤスツナは上着を脱いで、椅子の背もたれに掛けると、先程までコウスケ達が立ち回っていた所へと歩いていく。ユイは「それじゃ、よろしくね」とケイトの肩をぽんと叩いてから、残りの三人を呼び集めた。
「ハルトモ、ケイジ、それとハルカ。ちょっといい?」
 彼らをヤスツナの近くまで連れて行き、事情を説明する。
 その間に、ショウコはミクに後ろから抱き付いて、
「ミクちゃん、私とハルさんの応援しよっ!」
「うん!」
 明るくはしゃぐ、ショウコとミク。
 テーブルにはサオリとコズエ、コウスケのみが残された。
 コウスケはサオリの隣の椅子を引くと、腰を下ろして、ふうっと息を吐いた。
「や、やじ、八島、くん……」
 勇気を振り絞って話し掛ける。
「はい?」
「……ありが、とう……」
「───はい」
 それから、特に何かを話すわけでもない。
 けれど、コウスケが傍にいることに安心を感じて。
 サオリは、やっぱり自分は単純で現金で人間なんだと、少し恥ずかしくなった。


 * * * * *


 日御碕ハルカには信条がある。それは生前から抱いている意地で、殺される間際に気付いた悔いで、転生した際に定めた誓いでもある。言い換えれば、彼女がそう在りたいと願う彼女になる為のルールなのだ。
 つまり、自分を脅かすものに抗うということ。
 そして、目を逸らさず、耳を塞がないということ。
 だから、力に溺れず、力に怯まず、戦うことから逃げないということ。
 それこそが、他の誰でもない、彼女自身がその意志で掲げた、彼女のルールだった。
 この世界に顕現して以来、彼女はそのルールに従いながら生きている。尊敬できる人には頭を下げて、愛しい人とは握手を交わし、むかつく外道は殴りつけ、泣き濡れる人を助けてきた。
 そうして与えられた仇名が「千変万化の聖女」である。
 ちゃんちゃら可笑しいとはこの事だろう。
 前世において、自分は中途半端なちんぴらで、それでも慕ってくれた子の苦しみにも気付かない馬鹿でしかなかった。可哀想なあの子に拭いようのない罪を犯させたくせに、のうのうと転生して、勇者と呼ばれている。
 正直なところ、煩わしい。
 けれど、力を持つ意味と責任から逃げる無様にだけは甘んじたくない。現実は確固たるものとして其処に在る。目を逸らすな。耳を塞ぐな。前回はそうしなかったら、現実に殺されたのだ。
 二度と殺されるな。
 私は生きたい。私は生き抜きたい。
 その気持ちに気付いた。その気持ちを肯定した。だからこそ、日御碕ハルカは諏訪ミクを守ると決めて、勇者という運命を受け入れた。
 あらゆる脅威に抗うのだ。
 生命と自由の為に戦え。
 それは敵が≪可能性の怪物≫であろうとも例外ではない。
 故に、ハルカは存分に試すつもりでいた。自分以外の勇者達の実力がどれほどのものなのか。最も強大と噂される「契約の悪魔」が相手となれば、今回の模擬戦、実に望むところである。
 トルテア要塞内部、荒野のような戦闘領域。
 南宮ヤスツナ、春日ハルトモ、平野ケイジと並び立ち、ハルカは相対する少年を見た。
「───建部ケイト。≪クロノクルセイドの悪魔≫か」
 その存在を吟味するように呟く。
 きれいな顔立ちと痩せた身体は少女と見紛うばかりだ。
 ハルカは「クロノクルセイド」を読んでいないが、その常識外れの戦闘力については、他のメンバー達から聞いている。イメージとしては、爆撃機の火力と軍用ヘリの機動性を併せ持つ、自己修復機能付きの人型戦車といったところか。しかも飛ぶ。
 この想像が正しければ、本当に頼もしい。
 ハルカはケイトに期待していた。
(だから、本気で挑ませてもらうわ)
 この身に宿る≪主人公の力≫、SF小説「マルドゥック・スクランブル」に登場する能力≪反転変身≫。ダンディな黄金鼠、ウフコック・ペンティーノのように駆使して、噂の真相を確かめさせてもらう。
 ハルカが密かに企んでいると、この模擬戦を提案した鹿島ユイが先程と同じように確認した。
「さて、五人とも、準備はいいかしら?」
「いつでも」
 淡々と答えたのはケイトである。まるで気負っていない。
 対して、ハルカと組んでいる三人は、それなりに緊張した様子で応じた。
「ああ、私も構わない」
「オッケーっす」
「お手柔らかに」
 ユイは頷くと、どこか楽しむような視線をこちらに向けて、
「ハルカもいい?」
「ええ」
 この人は食えないな、と内心で苦笑しながら、ハルカも頷いた。
 ヴァーチェの勇者達を率いるリーダーは片手を上げると、合図と共に振り下ろした。
「それじゃ、第二戦───始めっ!」


 * * * * *


「それじゃ、第二戦───始めっ!」
 ユイの凛々しい声が模擬戦の開始を告げる。
 にわかに緊迫感を漂わせる戦闘領域で、春日ハルトモは野心を燃やしていた。
(もしや、これはチャンスじゃねえのか!?)
 やおら視線を走らせて、周囲の状況を確かめる。
 南宮ヤスツナ、平野ケイジ、そして───日御碕ハルカ。むさ苦しい男性陣に混ざり、神々しい金髪に清楚なセーラー服というスーパー美少女の姿が輝いていた。
 何度見てもクールな横顔が堪らない。
 ハルトモは男子高校生として健全かつ邪な思考を巡らせた。
(千変万化の聖女、だっけか。そんな風に呼ばれている日御碕と対等になるには、びしっと実力を示すしかねえ。具体的には、鹿島さんや南宮さんみたく、かっこよさげなニックネームをゲットできるくらい活躍しなきゃな。まあ、それは、明日以降の本番でどうにかするとして……今はこの模擬戦でいいとこ見せて、頼りになる男だと思わせるんだ!)
 ファンタジー小説の表紙よろしく、美しい聖女の肩を抱く英雄ハルトモの姿を夢想する。
 やっべー、超イケてんじゃねっ!?
 物凄い勢いでモチベーションを高めつつ、ハルトモは模擬戦の相手に注意を向けた。
 建部ケイト。何故だか知らないが、やたらめったら評価の高い美少年である。あれだけ容姿に恵まれているうえ、勇者としても高評価というのは、何かもう、色々と許せない。ハルカへのアピールとは別の理由で戦意が湧いてくる。
(うおおおっ、打倒イケメンっ!!)
 ハルトモは逆恨みめいた感情に任せて、真っ先に飛び出した。
 やる気満々で間合いを詰めて、ケイトから3メートルほどのところまで近づくと、様子見もへったくれもなく≪力≫を解放した。
「いっくぜえーっ!」
 叫びながら、特撮ヒーローばりのオーバーアクションで右手を振り上げると、彼の周囲に青白い光が溢れた。その輝きに呼応するように、頭上に掲げた右手の先に、仮面の描かれたタロットカードのヴィジョンが浮かび上がる。
 ハルトモは躊躇うことなく、そのタロットカードを掌握した。
 砕け散るヴィジョン。ハルトモは叫ぶ。
「ペルソナァ───ッ!!」


 次の瞬間、ハルトモの背後に「それ」が出現した。


 正に力あるヴィジョン。身長3メートルほどはあろうかという巨大な女神が確かな存在感を伴い現れていた。やけに無機質で工学的でありながら、同時に東洋風で芸術的なデザインの衣装を纏った、美しい女性の像。それはヴィジョンでありながら、物理的にも実在する異形として、圧倒的な威圧感を放出していた。
 これこそがハルトモの分身(ペルソナ)─── ≪ヒメノカミ≫だ。
 ハルトモは右手を振り下ろし、≪ヒメノカミ≫に命じる。
「≪ヒメノカミ≫、アサルトダイブッ!!」
 ハルトモ自身の活力を消費して、現在唯一の攻撃スキル「アサルトダイブ」を発動。
 ≪ヒメノカミ≫の全身を包み込むように風が渦巻き、女神は一気に加速してケイトへと襲い掛かった。
 身長3メートルの巨人による高速タックルである。
 土埃を巻き上げて突進する迫力たるや、離れて観戦しているコウスケ達が思わず身構えてしまうほどだった。
 だが、その矢面に立たされたケイトに動揺はない。
 彼は慌てるどころか、避ける素振りすら見せないまま─────直撃を食らった。
 耳を劈く轟音。
 地面がわずかに揺れ動き、大量の土煙が舞い上がり、視界を遮る。
 想像以上に強烈な≪ヒメノカミ≫の一撃に、周囲はにわかに色めき立った。
「ちょっ……あれ、まずくないかい!?」
「や、やりすぎた……?」
 ケイジが隣で真剣に慌てている様子を見て、ハルトモも顔を青くする。
 しかし、強まる喧騒とは裏腹に、ユイが暢気な表情で言った。
「あー、平気平気。あれくらいの威力じゃケイトはびくともしないから」
「……は?」
 やがて土煙が収まり、視界が晴れていく。
 そこには、ユイの言ったとおり、驚くべき光景が展開されていた。
「マ、マジですかーっ!?」
 ハルトモは思わず悲鳴を上げた。
 ケイトが無傷で立っていた。
 それどころか、衝撃によって地面が派手に抉れているというのに、あの細身の少年はまるで立ち位置を変えずに、≪ヒメノカミ≫の突進をがっちりと受け止めていたのだ。歯こそ食いしばっていたが、女神を平然と抱きかかえている。
 ただ、その側頭部には、先程までなかった二本の突起物が生えていた。
 竜の牙を連想させる、白く滑らかな太い角。
 ≪尖角(ホーン)≫。
 建部ケイトは一瞬のうちに悪魔へと変身していた。
「……なるほど。遠慮はいらないってわけだ」
 ≪ヒメノカミ≫を抱えたまま、ケイトが意地悪く微笑む。
 あ、やばい。
 ハルトモが本能的に危険を感じた時、ケイトはすでに行動していた。
「よ、いっ……しょーっ!」
 ケイトの全身から膨大な魔力がオーラとなって噴き上がる。
 あの細腕のどこにあんな力が秘められているのか。ケイトは≪ヒメノカミ≫の逆さまに持ち上げると、地面へダイナミックに叩きつけた。
 再び、轟音。
 異形の女神が地べたとキスをする。
 あんまりといえばあんまりな有様を晒した≪ヒメノカミ≫は、ハルトモの集中が切れたことを受けて霧散した。
 もう呆然とするしかない。
 あんぐりと口を開けているハルトモや、その側で驚いているヤスツナ達に対して、ケイトはさらりと言い放つ。
「次、どうぞ」


 * * * * *


「……凄いわね」
 ケイトに予想以上のパワーを見せ付けられて、ハルカはほとんど呆れながら呟いた。まるで物理法則を嘲笑うかのような膂力である。おそらく、肉体を動かす仕組みそのものが魔法に近い理屈で成り立っているのだろう。生物としての常識が違うのだと感じられた。
 さて、どう挑むべきか。
 真正面からぶつかるのは得策ではない。少なくとも、勝ちたいのなら、単純な力比べという土俵に上がること自体、大いなる無謀である。
 それは誰の目にも明らかなのだが、
「鹿島君の言葉どおりだな。彼は随分と格上のようだ」
 むしろ楽しそうに呟きながら、南宮ヤスツナがおもむろにシャツを脱ぎ捨てた。
 四十代という年齢を感じさせない、引き締まった上半身を露わにして、ヤスツナは昂ぶりを隠そうともせずに吼える。
「では、手加減抜きでやらせて貰おう!」
 そして、ヤスツナの≪変身≫が始まった。
 彼の身体がめきめきと音を立てながら、猛烈な勢いで膨張していく。それは空気や脂肪のふくらみとは違う、硬質な密度を感じさせる増大であり、骨と筋肉が巨大化していることを窺わせた。
 身長が伸びる。胴体の厚みが増す。肩が岩のように盛り上がり、腕は電柱のような太さを得て、足は内側からズボンを引き裂いた。皮膚が緑色に変色していく。髪がばさばさと抜け落ちたかと思うと、その顔は人間らしさを削ぎ落とした爬虫類じみたものとなり、額が鋭利な円錐状に盛り上がる。
 その姿は、さながら直立するドラゴン。
 わずか十数秒で、南宮ヤスツナは「龍鱗の一角獣」と呼ばれるに相応しい怪物へと変貌していた。
 ≪獣化兵グレゴール≫。
 神話から抜け出したような暴力の化身が屹立していた。
「す、凄い……! 本当にゾアノイドだ……!」
 平野ケイジが慄きながらも、漫画ファンとして感動の声を洩らす。
 2メートルを超える巨躯となったヤスツナは、両腕を畳んでコンパクトに構えると、ケイトを目掛けて駆け出した。
「いくぞ、建部君!」
 ヤスツナはちょっとしたモーターバイク並みの速度でケイトへと肉薄していく。重厚な外見に似合わず、惚れ惚れするような瞬発力だ。鰐のような皮膚の下に詰まった筋肉は、人間のものより何倍も高性能らしい。
 元来、獣化兵は近代兵器と渡り合うことを前提とした生物兵器である。重機のようなパワーに隠れがちだが、スピードも決して遅くはないのだ。
 ヤスツナがケイトを打撃の射程へと取り込んだ。
 グレゴールの巨大な左拳がケイトの顔面に向けて、矢のように打ち込まれる。肩口から一直線に放たれたそれは、決して素人にできる業ではない。
「……っ!?」
 ケイトはわずかに瞠目しながらも、紙一重で回避した。
 ヤスツナは左と右を巧みに織り交ぜながら、途切れることなく拳を打ち込み続ける。
 それらを、文字通り、人間離れした反射神経でかわすケイト。
 彼は回避を繰り返しながら、ヤスツナに尋ねた。
「南宮さん、素人じゃないだろ」
「若い頃、ボクシングを少々ね」
「やっぱり」
 ヤスツナはにやりと笑い、ストレート中心だった打撃にフックを混ぜた。左腕を鉤状に固めて、ケイトの頬にひっかけるようなパンチを放つ。
 攻撃のリズムを急激に変えられたことで、ケイトはタイミングを逸するが、その反応速度に物を言わせて、屈んで回避してみせる。
 しかし、それが罠だ。
 高速のコンビネーション。ヤスツナは左フックを戻す動きに合わせて、右のアッパーカットを突き上げていた。
 背筋が凍りつくような、鈍く重い打撃音が響く。
 だが、それはヤスツナのパンチがケイトの顎を捉えた証ではなく、一瞬のうちに差し込まれたケイトの左手が防御した音だった。
 小さな手が巨大な拳をがっちりと掴んで受け止めている。
 普通の人間であれば、例え現役のプロレスラーであろうと軽々と殴殺する一撃を、悪魔は物ともせずに防いでいた。
「むうっ!」
「凄い力だ。僕じゃなかったら死んでるよ、これ」
「……これは敵わないな」
「降参する?」
「いや、もうすこし悪足掻きをさせてもらおう」
 ヤスツナはケイトの左手を振り払うと、軽快なステップで後退する。
 そして、背後の面子に呼び掛けた。
「見てのとおりだ。彼はとんでもなく強いぞ。ここは協力して、ぎゃふんと言わせよう」
「う、うっす!」
「りょ、了解です」
「そうするしかないですね」
 ハルトモとケイジに続いて、ハルカも同意した。
 一対四のハンディキャップマッチがいよいよ加速する。


 * * * * *


「うっわー……本当に強いや、ケイトくん」
 ショウコは椅子に座るミクを背もたれ越しに抱いたまま、ケイトの無双ぶりに感心した。自分と対戦したコウスケも相当に強かったが、ケイトは輪をかけて凄まじい。客観的に見ても、ぶっちぎりの強さである。
 その点を考慮したハンデな訳だが、一対四でも足りないのではなかろうか。
「これは勝てないかなあ……」
「そうなの?」
 ショウコの腕の中で、ミクが首を傾げながら、くりくりとした瞳で見上げてきた。
 おお、なんと可愛い……!
 母性本能をびしばしとキックされつつ、ショウコは眉をハの字にして答える。
「春日先輩も南宮さんも簡単にあしらわれてるしね。さすがにちょっと厳しいかな」
「南宮のおじちゃん、怪獣みたいだよね」
「みたいっていうか、うん、あれは怪獣だね。ずばり怪獣。ミクちゃん、怖くない?」
「? なんで?」
 質問の意図が分からないという様子で、ミクはまた首を傾げた。
 ショウコは逆に困惑して、
「いや、ほら、南宮さんが変身するところとか、結構グロいというか、怖かったでしょ?」
「こわくないよ? おじちゃんはおじちゃんだよ?」
「あー、まー、確かにそうなんだけどね」
 何と答えればいいのか分からず、ショウコは言葉を濁す。
 ユイとコウスケが喧嘩しただけで泣きそうになっていたのに、ヤスツナの変身やハルトモのペルソナを全く怖がっていない。模擬戦といっても、大人でさえ竦み上がりそうな迫力だというのに、ミクは平然としているどころか、時には遊園地で遊んでいるかのように、無邪気にはしゃいでさえいた。
 普通の子供にしか見えないが、実はかなり大物かもしれない。
 目を細めていると、ミクが訊いてきた。
「なんで勝てないって分かるの?」
「ふえ?」
「ショウコちゃん、さっき勝てないかもって」
「あ、うん、そうだね。だってケイトくん強過ぎだし」
「? まだ使ってないよ?」
「……使う?」
「うん」
 ミクは当たり前のように言った。
「まだ誰もハルカお姉ちゃんを使ってないよね」
「使う? ハルさんを?」
「そうだよ?」
「えっと……それで、ハルさんを使うとどうなるの?」
「知らないの? ハルカお姉ちゃんを使うとねー、えへへ、絶対に負けないんだよ! あのね、さらさとりあのね、せんしのお兄ちゃんもそうだったんだ」
「サラサトゥリアの戦士?」
 いまいち理解できない。
 ますます戸惑うショウコを余所に、ミクは模擬戦の様子を見つめながら、どこか誇らしげに、無条件の信頼を表した。
「だって、ハルカお姉ちゃんは『むてきのゆにばーさるあいてむ』なんだから!」


 * * * * *


 万能道具存在(ユニバーサル・アイテム)。
 SF小説「マルドゥック・スクランブル」に登場する金色の鼠、ウフコック・ペンティーノは作中でそう呼ばれている。ウフコックは高度科学によって生み出された知性を持つ鼠であり、人工的にインプットされた数万パターンのデータと、体内の亜空間に格納した無尽蔵の物質を組み合わせることで、ありとあらゆる道具に変身することができる。
 暴力的な銃火器から精密な電子機器はもちろん、洒落たパーティードレスまで、ダンディな鼠はあらゆるオーダーに応えてくれる。その力は素晴らしく、男達の所有物として愛玩されるしかなかった非力な少女にも、運命に抗うことのできる強さを与えていた。
 スクランブル-09≪反転変身≫。
 ウフコック・ペンティーノが振るう魔法の杖。
 それこそが日御碕ハルカに与えられた≪主人公の力≫である。
 しかし、ハルカはウフコックではない。彼女の力はウフコックには遠く及ばない。万能道具存在と呼ぶには、彼女が有する変身パターンはあまりにも貧弱だ。ウフコックは最高水準の科学者達により膨大なデータを与えられていたが、ハルカにはそれがない。彼女は己の知識と感覚のみで、変身データそのものを一から作らなければならなかった。
 彼女の体内にも亜空間があり、ウフコック同様、無尽蔵の物質が貯蔵されている。これはどんな形状や性質にも変化できる万能性を備えており、これを「加工」して「裏返す」ことで、あらゆる道具に変身することができる。
 問題は加工の段階だった。
 ウフコックは豊富なデータと彼自身の才覚で、高速かつ柔軟に、複雑な組成の火薬や金属を作り上げていた。彼は熟練のデザイナーであると同時に、超一流の技術者であり、適切な運用を弁えたプロフェッショナルなのだ。
 ハルカは違う。彼女は≪反転変身≫こそ可能だが、肝心な道具のデータと加工のノウハウを持っていなかった。材料と工具を与えられているのに、その使い方を教わっていないという状態だった。
 衣類のような簡単なものであれば、顕現直後でも簡単に造ることができた。しかし、それとて粗悪な物真似であり、生地の具合や強度の面で、職人の織り上げた布には及ばない代物でしかなかった。試しに刃物を作ってみれば、巻き藁を切りつけた瞬間、あっけなく折れてしまうほど脆く弱かった。
 それは粘土細工のようなものだ。
 ウフコックが行えば硬質なセラミックや上等な陶器となり、ハルカが行えば紙粘土の工作でしかない。
 知識を学び、技を練り上げる必要があった。
 だから、そうした。
 己の非力を知らされてからの学習は、武術の鍛錬、あるいは芸術の追及に似ていた。この世界では科学的な学問があまり発達していない。また、ウフコックにとってのドクター・イースターのような、バックアップをしてくれる科学者もいない。
 だから、ハルカはひたすらに経験を積んだ。サラサトゥリア王国の王宮に武具を納めている鍛冶屋から冶金を学び、道具作りや築城の職人が積み上げた経験則を聞き歩いて、何度も何度も≪反転変身≫の試行錯誤を繰り返した。
 そして、己の肉体と会話した。彼女にとって、自分の身体こそが、最も身近な物体の見本だったからだ。彼女はその構造を感じ取り、感覚的に模倣して、変身に用いられる材料へと昇華した。
 わずか数週間の研究である。
 だが、寝る間も惜しむような、密度のある研鑽だった。
 何故なら、彼女は切実に求めていた。戦う為の力を。不条理な現状に抗う為の術を。生きる為に。ベル・ウィングから学んだルーン・バロットのように、彼女は己の無力さを打ち倒そうと全力を尽くした。
 その積み重ねは、やがて一つの結実を見る。
 まだまだ万能道具存在とは言えない、ささやかな収穫。
 だが、その時、日御碕ハルカは確かに一つの武器となっていた。


 * * * * *


「私が性能の差を埋めます」
 だしぬけにそう言ったのは、日御碕ハルカだった。
 ヤスツナは一瞬だけきょとんとしたが、彼女の目に理知的な光を見て、すぐに何か策があるのだと気付いた。
 端的に問う。
「どうやって?」
 ハルカもまた、端的に答えた。
「南宮さんに私を使ってもらいます」
「使う?」
「はい」
「それはどういう意味かな?」
「口で説明するよりも、実演した方が分かりやすいと思います」
 言葉もそこそこに、ハルカはいきなり、ヤスツナの腕にその身体を寄せた。グレゴールの樽のような腕を棒に見立てて、ポールダンスをするストリップ嬢のように、腕や足を無造作に絡ませる。
 ハルカは無自覚だろうが、異様に背徳的で色っぽい。
 何故か、ヤスツナよりも先に、ハルトモとケイジが悲鳴を上げた。
「NOー! 駄目っ! ああ、でも目を逸らせないっ!」
「う、羨ましすぐるっ!」
 そんな馬鹿な台詞をあっさりと無視して、ハルカは目を閉じた。
 瞬間、変化する。
 ハルカの身体が一瞬にして非生物的な軟体状に変質したかとおもうと、高速で伸縮と移動を開始、樹木に巻きつく蔦の如く、ヤスツナに巻き付いていく。腕から肩、首から胴、腰から爪先へと旋回していき、グレゴールの巨体を余すところなく被膜した。
 そして、完全に覆うと同時に、更なる変化が起きる。
 膨張と成型。
 ハルカはヤスツナの筋肉をトレースして形状を変化させて、その表面に黒く光沢のある装甲を配置したのだ。最後はフルフェイスのヘルメットまで作り上げ、全身を防護するボディスーツへと変身していた。
 ハルトモは驚きのあまり声が出ない。
 その隣で、ケイジが実に的確かつオタクらしい寸評を口にした。
「グ、グレゴールが仮面ライダーBlackになった……!?」
 まさしく、そう表現するべき変身である。
 ヤスツナは滑らかな装甲に覆われた自分の身体を見下ろしながら、
「日御碕君、これは……」
「私が一番得意とする……というか、唯一、まともな戦闘力を提供できる形態です。銃器はまだ無理ですし、剣や弓も作れますけど、建部君が相手なら、私が作れる程度の物は役に立たないでしょうから」
 黒い装甲のどこかから、ハルカの声が答えた。
 ヤスツナは驚きつつ、
「それで、鎧というわけか」
「ただの装甲じゃありません。装甲の強度は鋼鉄程度ですけど、内部に筋肉を真似た伸縮帯を仕込んであります。私が電気的に制御して、着用者の運動能力を増強する仕組みになっています」
「つまり……」
「南宮さんは今、本当に仮面ライダーというわけです」
「もしくはガイバーか。ゾアノイドに殖装とは、まるでハリウッド版だな」
「とりあえず、これで建部君ともそれなりに張り合えると思います」
「心強い」
 ヤスツナはぐっと拳を握り締めた。
 なるほど、確かに普段以上の力感がある。
 装甲化したハルカが、未だ呆然としているハルトモとケイジに告げた。
「春日君と平野さんの二人は、とにかく建部君を妨害して。注意が散漫になっているところを、南宮さんに肉弾戦で仕留めてもらうから」
「お、おう」
「肉弾戦って……そんなに運動能力が上がるのかい?」
 ケイジの尤もな質問に、ハルカは「さあ?」と答えた。
「普通の人間が装着したのに比べたら、それこそずるいくらい強いと思うけど、相手は悪魔だから。いいとこ互角でしょうね。でも、これは模擬戦よ。負けてもいいじゃない。私達が本番でどれだけやれるのか、あのチートデビルで試してみましょうよ」
「チ、チートデビル……?」
 ヤスツナは黒い装甲がにやりと笑った気がした。
 なんとなく悟る。
 ああ、この娘も鹿島ユイと同類なのだ。
「そうだな。試そう。私達の力を」
「三つ数えます。三人同時に掛かりましょう」
 男達は神妙に頷いた。
 余裕綽々で待っていたケイトに対して、それぞれ、取り囲むような位置に移動する。
 ようやく再開か、とばかりに、ケイトが拳をごきごきと鳴らした。
 ハルカがカウントを始める。
「3」
 ヤスツナは突撃姿勢を取った。
「2」
 ハルトモとケイジがごくりと唾を飲む。
「1」
 ケイトがわずかに腰を落として、
「GO!」
 ヤスツナ達は一斉に動いた。
 反撃を開始する。


 * * * * *


 ユイを安心させる為にも、圧倒的な力があることを証明する。
 表面上は無関心を装っていながら、ケイトは今回の模擬戦にやる気を持っていた。当初こそ憎らしかったが、今では≪クロノクルセイドの悪魔≫と化したことに、ある種の運命すら感じていた。
 この力があるからこそ、ユイは自分を必要としてくれた。
 この力があるからこそ、自分はユイを助けてやれるのだ。
 建部ケイトは最強でなくてはならない。
 だから、いくら模擬戦であろうとも負けられない。
「僕こそが最強だ……!」
 ケイトは呟き、改めて突撃してきたヤスツナを迎え撃つ。
 日御碕ハルカの力を借りて大袈裟に変身したようだが、果たして、どの程度のものか。
 半ば油断混じりのケイトに向かって、黒い巨体が地面を蹴る。
 当然の加速。
 だが、その度合いは、先程とは全く異なっていた。
 例えるなら、砲弾。
 尋常ならざる速度。
 刹那、黒い鎧で武装したグレゴールがケイトの眼前に到達していた。
「───なっ!?」
「ふんっ!」
 驚愕するケイトに、ヤスツナが右拳を打ち下ろす。
 これも速い。
 段違いに上昇した速度に翻弄されながらも、ケイトは間一髪で回避した。頬と肩を掠めるようにして、グレゴールの大きな拳が勢いの余り地面に突き刺さった。
 轟音。
 そして陥没。
 強化されたヤスツナのパンチは爆弾めいた破壊力を発揮して、地面を大きく粉砕した。亀裂が走り、隆起して、噴き上がる。たった一撃で、子供であれば腰まで隠れそうな穴が出来上がっていた。
 恐るべきパワーだ。
 ガイバーの基準で例えるなら、間違いなくスーパー・ゾアノイド級である。
「ここまでパワーアップしてるのか……!」
 ケイトは戦慄を覚えて、ひとまず距離を取る。
 そこへ、
「ペルソナァッ!」
 ハルトモが召喚した≪ヒメノカミ≫が襲い掛かってきた。空中に舞い上がり、急降下しながら攻撃スキルを発動する。
「≪ヒメノカミ≫、アサルトダイブッ!」
 自由落下に等しい高速タックル。
 先程とは違い、今のケイトは体勢が整っていない。あの強烈な体当たりを受け止めるのは難しい。しかし、避けることならば出来る。
 咄嗟に真上へと跳躍した。
 ≪ヒメノカミ≫が無人の地面を穿つ。
 だが、
「逃がさないぞ、建部君!」
「……っ!?」
 ヤスツナが同じように跳躍して、背後に回り込んでいた。
 機動性で追いつかれてる!?
 悪魔が銃弾並みの速度で動けるといっても、それはあくまでも地上における瞬間的な加速に限る。立体的な機動においては、強化された獣化兵ならば、なんとか追随できるレベルに収まっていた。
「くそっ!」
 ケイトは羽と魔力噴射で逃れようとしたが、ヤスツナの反応がわずかに上回った。
 獣化兵の無骨な両手が、ケイトの華奢な肩を挟み込むように掴む。
 そして、
「せいやあっ!」
「う、わあ───っ!」
 力任せに投げ落とされた。
 とんでもない腕力だ。空中ではとても抵抗できない。ケイトは地面に叩きつけられて、ボールのようにバウンドした。強烈な衝撃が全身を走り抜けるが、行動不能になるほど深刻でもない。
 ケイトは空中で姿勢を整えると、辛うじて、四つん這いで着地した。
 屈辱感に奥歯を噛み締める。
「油断した。でも、これくらいで僕を倒せると……」
 思うな、と言いかけた時。
 何の前触れもなく、ケイトの両手両足を光の輪が拘束した。
「なにっ!?」
 反射的に振り払おうとしたが、光の輪は空間に固定されたようにびくともしない。
 顔を上げると、視線の先で、平野ケイジが広げた両手をこちらへと向けていた。
 彼はひきつった笑顔で、
「バ、バインド成功ーっ! 良かった! 演算、間に合った! キタコレー!」
「───ま、魔法!?」
 ケイトは完全に不意を打たれていた。
 アニメーション作品「魔法少女リリカルなのは」に登場する魔法体系の一つ、ミッドチルダ式。この中距離から遠距離での砲撃戦を得意とする魔法様式において、相手の動きを阻害する拘束魔法「バインド」は、戦闘の必須魔法である。設置型や遅延発動型などの応用もあるが、ケイジが使ったのはごく初歩的なバインドだった。
 ミッドチルダ式魔法の発動は、コンピュータープログラムのような演算を必要とする。それゆえに、魔法の構築は複雑怪奇で、サポートシステムである魔法の杖「デバイス」を用いるのが一般的である。
 当然、ケイジはデバイスを持っていない。
 目立たぬようにしながら、ちまちまちまちまと地道にプログラムを組み上げて、ここぞというチャンスで発動させたのだった。
「僕の株価、今こそストップ高ーっ! ヒャッハー! アルファがベータをカッパらったらイプシロンした!」
「うわあ、なんか凄くムカツクッ!」
 テンションをうなぎ登りにさせているケイジの姿に怒りを覚えていると、ずしんという重量感のある着地音が響いた。
 ヤスツナである。
 フルフェイスの向こうで、その目がぎらりと光ったのが分かった。
 また、ヤスツナとは反対側で、≪ヒメノカミ≫が動けないケイトを挟撃するべく、再びアサルトダイブの準備を整えていた。
(ま、まずい!)
 いくらなんでも、あの馬力で挟まれたら、悪魔といえども無事では済まない。致命傷云々の話にはならなくても、失神、KO負けという事態ならば有り得る。
 ───負ける?
 ぞわりと、ケイトの背筋に悪寒が走る。
 おぞましいくらいの拒否感がぐつぐつと沸騰した。
「負ける、だって?」
 ヤスツナが疾走してくる。右肩を前に出したショルダータックルだ。
 ハルトモが命令している。戦闘スキル「アサルトダイブ」が三度発動する。
 ケイジがいやっほーうと諸手を上げていた。
 彼らは勝利を確信していた。
 だから、
「───ふざけんなああああっ!」
 ケイトは咆哮した。
 ≪尖角≫から大気中の≪霊素(アストラル)≫を急速吸入、最大効率で魔力に変換、嵐のようなオーラを迸らせた。バインドの拘束を引き千切る。空間に固定されている魔力製の堅牢な拘束具が、まるで飴菓子のように砕かれた。
 自由になって立ち上がる。
「なっ……!」
「嘘だろっ!」
 驚愕するヤスツナとハルトモ。
 しかし、もはや二人は止まれない。
 ケイトが悪魔のような、否、悪魔の笑みを浮かべていた。
 逆襲の狼煙が上がる。


 十秒後、地面には力尽きたグレゴールが倒れ伏し、≪ヒメノカミ≫を消し飛ばされたハルトモとケイジが土下座していた。


 しばらく動けそうもないヤスツナの背中の上で、人間の姿に戻ったハルカが座り、まあ、こんなもんよねと嘆息した。


 * * * * *


 第二戦の終了後、観戦していた面々からケイト達に賛辞が贈られる中、唐突に哄笑する男の姿があった。
 高らかに尊大な声を上げる黒衣の男。
 そう───混沌神リヴァイアサン・スタースクレイパーこと枚岡セイタロウ(二十一歳)である。
「フゥアーッハッハッハ! 前座の余興としてはなかなかだったぞ! それでは、そろそろ真打ちたるこの我(おれ)が神の力を披露してやろう!」
 赤いマントを翻して、セイタロウが爪先を直線上に揃えたモデル歩きで進み出る。
 その背中に降り注ぐのは、期待の声援ではなく、ツッコミの呟きだ。
「すげえー……何であんなに自分を上に置けるんすか、あの人」
「そこは気にしちゃいけないなあ、春日君」
「彼、人生楽しそうよね」
「黒いお兄ちゃん、面白いね!」
「ええ、そうね。もう少し自重すればいいのにね」
 そんな生暖かい評価も、混沌神の鋼の如き自尊心には届かない。
 セイタロウはいつものキメキメなアクションで両腕を振り回しながら振り返り、その場にいる全員の注目を強制的に集めると、右手を高々と掲げた。そして、今から自分が何を行うのか、誇らしげに宣言する。
「では、見せてやろう───神の雷が漆黒の闇を貫き、彼方の月を穿つ光景をっ!!!」
『待て待て待て待て待てっ!』
 全力で制止したのは、それまで静観していたユイと、セイタロウの能力について詳細を知るらしいケイジの二人だった。
 絶好調なところを邪魔されて、セイタロウは不機嫌に眉を顰めた。
「なんだ、何か文句でもあるのか?」
「あるに決まってんでしょーが!」
 ユイはずんずんとセイタロウに歩み寄ると、その薄い胸板に指を突きつけた。
「本当に月まで届くのか知らないけどさ、あんたの≪右腕≫ってとんでもない威力の大砲なんでしょう? あんた、それを全力でぶっぱなす気? そんな大威力の砲撃、どんだけ余波が起きると思ってんのよ。近くにいるあたし達とか、そこに並んでる軍の装備とか、要塞の内壁とか、無事で済むわけ? ちったあ考えなさい!」
「ぬう、やかましい女だな、貴様は。それと近い近い近い近い近い。離れるがいい」
「……いや、まあ、鹿島さんの言うことも尤もなんだけどさあ」
 そう言葉を挟んだのはケイジだ。
 彼はユイとは別の観点から異を唱えた。それも、混沌心的に決して無視できない、衝撃の一言で。


「そんなことしたらさ、枚岡さん、死んじゃうんじゃね?」


 沈黙が下りる。
 予期せぬ死亡宣告に硬直するセイタロウ。彼は額にびっしりと冷や汗をかき、口元をひくひくとさせながら、ケイジを問い質した。
「それは、どういう意味だ、平野ケイジよ……っ!?」
「いや、だって、枚岡さんの≪主人公の力≫って、ぶっちゃけ『トライガン』の≪エィンジェル・アーム≫ですよね。自律種(インディペンデンツ)プラントの力なんでしょう?」
「お、我の力は、あ、あくまで混沌神としてのものだが……か、仮にそうだとしたら、何だというのだ?」
「……『あの』ヴァッシュ・ザ・スタンピードでさえ、月に穴を空けた後の『トライガン・マキシマム』では、髪が半分くらい黒く染まってたんですけど。枚岡さんが自律種プラントとしてどれくらいのレベルかは知らないですけど、月に穴を空けたりしたら『黒髪化』がヤバくないですか?」
「…………………………あ」
 セイタロウは素の声で呟くと、さらに激しく汗をかき始めた。
 ケイジの言うとおり、セイタロウの≪主人公の力≫は漫画「トライガン」シリーズに登場する自律種プラントの能力≪A・ARM≫である。プラントは無から有を生み出せる超常生命体であり、文明を支えるほどの莫大なエネルギーを生み出せるのだが、そのエネルギーはあくまでも有限である。使えば使うほど消耗し、自律種の場合、その消耗具合は髪の色に表れる。
 輝くような金髪が、夜闇のような黒へと変わっていくのだ。
 つまり「黒髪化」とはそういうことである。
 能力を過度に使用して、その金髪が全て黒く変色した時、セイタロウはおそらく衰弱死するだろう。「トライガン」の作中で、自律種プラントとして稀に見る素養を持っていたらしいヴァッシュ・ザ・スタンピードでさえ、わずか二回の大出力使用で頭髪の半分近くが黒髪化した。月に穴を空けるような砲撃を行おうものなら、下手をすれば、その一発だけで力尽きかねない。
 本番前の試し撃ちで殉職。
 どんな冗談だろうか。
 力の大きさに浮かれるあまり、そんな重要事項を忘れていたセイタロウは、内心で泡を食いながら思い出していた。
(お、俺、今まで、どれくらい≪力≫を使ったっけ?)
 アハトエス帝国軍の演習場で初めて撃って以来、大出力での砲撃は行っていない。けれども、チンピラ共や窃盗団を蹴散らすのに、回数自体は重ねている気がした。少なくとも、正確な回数を思い出せないくらいには使っている。
 もしかして、かなり危険な状況なんじゃないか?
 混沌神リヴァイアサン・スタースクレイパーではなく、枚岡セイタロウは自分の鼓動が早まるのを感じた。
 死ぬということ。
 一度、その身で体感した絶対的な無の恐怖が、じわりと神経を苛む。
 気がつけば、セイタロウは次のように言っていた。
「そ、そうだな。民草に迷惑をかけるというのも、超越者としては器が小さい。今宵は止めておこう。ふ、ふはは、お、大き過ぎる力を持つと苦労するな」
「分かってもらえて嬉しいわ」
 ほっとした様子で、ユイが溜息を吐く。
 セイタロウは動揺を隠したい一心で、そんなユイに向かって言った。
「と、ところで、そういう貴様は≪力≫を見せないのか? リーダーを気取っているが、模擬戦に参加する素振りもないではないか」
「そうね。うーん、でも、あたしの魔法って、対人戦闘はともかく、模擬戦には向いてないのよ」
 ユイは少し困った表情で、その場から少し離れると、模擬戦が行われていた無人のスペースに向けて、右手を突き出した。
 そして、仲間達に耳を塞ぐよう促してから、短く呪文を唱えた。
「火炎球(ファイアーボール)」
 ユイの右手の先に、サッカーボール大の火の球が現れて、一直線に飛翔した。
 そのまま、20メートルほど先に着弾する。
 爆発。
 およそ半径5メートルほどの円形に炎と衝撃を撒き散らして、周囲を赤く染め上げる。魔法の炎はすぐに鎮火するが、地面には黒々とした焦げ跡がくっきりと残されていた。
 ナパーム弾の如き、強烈な攻撃魔法である。
 ユイは振り返り、セイタロウに言った。
「まあ、大体、ほとんどがこんな感じのばっかりなの」
「……それは、仕方ないな」
「でしょ?」
 にっこりと微笑む黒曜の魔法使い。
 セイタロウはすっかり気勢を削がれて、今の魔法に周囲が盛り上がる中、ふらふらとその場から離れた。
 手近なバリスタの固定台に腰を下ろして、呆然とする。
 両手をじっと見下ろす。
 使えば使うほど、自分の死が近づいてくる≪力≫。
 今の自分の立場を、生活を支えている、唯一の理由でもある。この力を失えば、混沌神は失墜し、アハトエス帝国にも自分の居場所は無くなるだろう。
 だが、使い続ければ───。
 急に怖くなった。
「……やばい。どうしよう」
 そう呟いた時、見下ろしていた両手を、別の小さな手がぎゅっと握り締めた。
 驚いて顔を上げる。
 そこには諏訪ミクがいた。
 初めて出会った時から、セイタロウをちっとも畏れなかった小さな女の子。そんな彼女が黙ってこちらを見つめていた。
 手が、温かい。
「な、何の真似だ」
 虚勢を張って問う。
 すると、ミクはほわっと微笑み、
「あのね」
「う、うん?」
「安心するよね」
「………は?」
「手をぎゅっとするとね、安心するの。お母さんが言ってた。どんなにすごい人や、つよい人や、勇気のある人でも、時々、こわくなったり、心配になったりするんだって。だから、そういう時は手をぎゅっとしてあげるの。そうしてあげなさいって。お母さんが言ってたんだ」
「お、我が怖がっていると言うつもりか?」
「あれ? こわくなかった?」
「怖くなどないわ! 舐めるな!」
「そっか。そうなんだ」
 ミクは手を離すと、ちょこんと跳ねて、少しだけ離れた。
 そして、はにかんで、言った。
「よかった。こわいのは、こわいもんね」
「あ、んん……?」
「みくはね、こわいのキライなんだ」
「そ、そうか」
「だから、みくが泣いてたら、ぎゅっとしてね?」
「な、なんだと?」
「約束だよ」
 そう言って微笑むと、ミクは踵を返して、ユイ達のところへ戻っていった。
 ワンピースの裾を揺らして遠ざかっていく小さな背中を眺めながら、セイタロウは何とも言えない不快感に襲われて、いらいらとバリスタを蹴りつけた。
 同情された。あんな子供に。
「……何がお母さんが言っていた、だ。クソガキめ」
 子供だって、それなりに狡賢いものだ。あんな無邪気そうに見えても、腹の底ではこちらを見下しているに違いない。ずっと年上の大人を励まして、小さな優越感に浸っているのだろう。
 腹立たしい。
 セイタロウは舌打ちして立ち上がる。
 そこに、すっと影が掛かった。
 影の主は見る。
 日御碕ハルカが立っていた。
「……何の用だ」
「別に。ミクが心配だったから、様子を見に来ただけ」
「あいつなら、もう戻ったぞ」
「知ってる。見てたから」
「それなら……」
「ただ、あなたの態度が気に入らない。そんなにプライドが大事?」
「なに……?」
「子供に同情されたとでも思ってる? 子供に見下されて悔しい?」
「……っ! なんなんだ、貴様は!」
「それはこっちの台詞だ、クソ野郎っ……!」
 小さく押し殺された、しかし、少女のものとは思えないほどドスのきいた声で、ハルカはセイタロウに吐き捨てた。
 細い腕がセイタロウの襟元に伸びて、驚くほど強い力で掴み上げる。
 痩せているとはいえ、セイタロウの方が身長が高く体重も重いのというのに、ハルカは軽々と振り回して、彼をバリスタの台に押し付けた。
 セイタロウはげほっと咳き込み、逃れようとしたが、ハルカを見た瞬間に力が抜けた。
 凄まじい目つきをしていた。
 視線だけで人を殺せそうな目だった。
 やばい。こいつはやばい。
 セイタロウはこれほどの怒りを向けられるのは初めてだった。
(な、なんだ。俺がいったい何をしたんだ。ここまで怒られるようなことをしたか!?)
 全く分からない。
 膝ががくがくと震えて、抑えようとしても、まるで治まらない。
 ハルカがひどく静かな声で告げた。
「ミクのことをクソガキと言ったわね」
「あ、あれは……その……」
「あの子が自分の優越感の為にあんなことをしたとでも思った?」
「う、ぐ……!」
「一つ、教えてあげる。だけど、絶対に誰にも言うな。口にも出すな。誰かにバラしたらぶちのめすよ」
 セイタロウは恐慌する。
 けれど、ハルカの言葉を聞いた瞬間、それまでのあらゆる感情が吹き飛んだ。
 どこまでも、淡々と。
 ハルカは、言った。


「あの子はね、母親に殺されたのよ」


 セイタロウは忘我していた。
 目の前の少女が言った言葉が理解できなかった。
 いや、違う。
 理解したくなかった。
「……あの子がどんな気持ちで、あんたにさっきの言葉を言ったのか、その腐れた頭でよく考えろ」
 ハルカは手を離すと、怒りを捨てるように、大きく息を吐いた。
 向こうから、ユイの呼ぶ声がした。
「ハルカ! 枚岡さん! コズエさんの≪力≫を試すから、戻って頂戴!」
「……戻るわ」
 こちらを冷たく一瞥してから、ハルカはユイ達のところへ戻っていく。
 セイタロウは何も言えないまま、ふらふらとした足取りでそれを追いかけた。
 ただ、両手に少しだけ。
 ミクの体温が、残っていた。


 * * * * *


~あとがきのようなもの~

 本当にお久しぶりです! 作者のニーサンです!
 十二話のアップから幾星霜、というか、本当に何ヶ月掛かってんだよという有様ですが、ようやく第13話を掲載です。
 そして、ごめんなさい! まだ≪怪物≫が登場しません!
 あれ、おかしいぞ、どうなってんの? プロット上じゃとっくに出てるのにっ!
 すみません、言い訳です。
 この手の小説はいわゆるキャラクター小説だと思います。だから、メインはテーマ云々ではなく、あくまでも登場人物の情念こそが主眼だと思うわけです。某サイドマテリアルで硝煙の臭い漂うグレートな先生が仰っていたように。
 自分なりにそんな風に書いていたら、もう、伸びる伸びる。
 今回はなんとテキストデータで80キロバイトを超えてマース(涙)。明らかに分割がおかしいよ、11・12・13話(大泣)。
 しかもストーリーそのものはほとんど進んでません。
 いや、その、本当にごめんなさい。
 だけど、作者は書きたいものを書けている実感があります。
 少しでも楽しんで頂けたなら、幸いです。

 それでは、また次回。


PS
 仕事が忙しくて死んでいた時期をどうにかクリア。
 いや、クリアというか、ゲームオーバーというか?
 ともあれ個人的な忙しさは改善されました。ただし、色々と悪化したね?
 頑張ります。色々と。



[22452] Salvation-12 登場人物紹介 (*注意* ネタバレがあります)
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:5a1f220d
Date: 2011/09/19 17:38
「Salvation-12」登場人物紹介



 ・八島コウスケ(男性・18歳・日本)
   ヤジマコウスケ。
   セヴェン王国に現れた「ヴァーチェの勇者」。
   漫画「ドラゴンボール」の能力、≪気の知覚と運用≫を持つ。
   本編の主人公。


 ・日御碕ハルカ(女性・17歳・日本)
   ヒノミサキハルカ。
   サラサトゥリア王国に現れた「ヴァーチェの勇者」。
   小説「マルドゥック・スクランブル」の能力、≪反転変身≫を持つ。
   通称「千変万化の聖女」。


 ・鹿島ユイ(女性・19歳・日本)
   カシマユイ。
   ウワン=エナ王国に現れた「ヴァーチェの勇者」。
   小説「スレイヤーズ」の能力、≪魔法の知識と運用≫を持つ。
   通称「黒曜の魔法使い」。


 ・建部ケイト(男性・14歳・日本)
   タケベケイト。
   トルドヴァ王国に現れた「ヴァーチェの勇者」。
   漫画「クロノクルセイド」の能力、≪悪魔の肉体≫を持つ。
   通称「契約の悪魔」。


 ・枚岡セイタロウ(男性・21歳・日本)
   ヒラオカセイタロウ。
   アハトエス帝国に現れた「ヴァーチェの勇者」。
   漫画「トライガン」「トライガン・マキシマム」の能力、≪A・ARM≫を持つ。
   通称「道化師」。
   自称「混沌神リヴァイアサン・スタースクレイパー」。


 ・春日ハルトモ(男性・17歳・日本)
   カスガハルトモ。
   テオエルバ王国に現れた「ヴァーチェの勇者」。
   ゲーム「ペルソナ・シリーズ」の能力、≪ペルソナ能力≫を持つ。
   ペルソナ名「ヒメノカミ」。


 ・平野ケイジ(男性・19歳・日本)
   ヒラノケイジ。
   イレヴェン公国に現れた「ヴァーチェの勇者」。
   アニメ「魔法少女リリカルなのは」の能力、≪リンカーコア≫を持つ。


 ・南宮ヤスツナ(男性・44歳・日本)
   ナングウヤスツナ。
   クワトール王国に現れた「ヴァーチェの勇者」。
   漫画「強殖装甲ガイバー」の能力、≪獣化兵グレゴールへの変身≫を持つ。
   通称「龍鱗の一角獣」。


 ・高千穂コズエ(女性・30歳・日本)
   タカチホコズエ。
   フュンフペンデ王国に現れた「ヴァーチェの勇者」。
   アニメ「DARKER THAN BLACK」の能力、≪契約者の能力≫を持つ。


 ・大神サオリ(女性・26歳・日本)
   オオミワサオリ。
   シス王国に現れた「ヴァーチェの勇者」。
   ゲーム「月姫」の能力、≪デモニッション≫を持つ。


 ・戸隠ショウコ(女性・14歳・日本)
   トガクシショウコ。
   アシャラ王国に現れた「ヴァーチェの勇者」。
   漫画「神さまのつくりかた」の能力、≪戦神子の力≫を持つ。


 ・諏訪ミク(女性・7歳・日本)
   スワミク。
   ノウェム王国に現れた「ヴァーチェの勇者」。
   ゲーム「高機動幻想ガンパレード・マーチ」の能力、≪人類の決戦存在≫を持つ。


 ・フィーリア・イスチナ・セヴェンス(女性・14歳・セヴェン王国)
   セヴェン王国の王女。
   才媛と名高い、絶世の美少女。


 ・ヴァリエーレ(男性・18歳・セヴェン王国)
   セヴェン王国の騎士。
   魔法も使いこなす、剣術の達人。フィーリアの護衛役。


 ・バードレイ・グロリヤ・セヴェンス(男性・50歳・セヴェン王国)
   セヴェン王国の現国王。
   フィーリアとイグリオの実父。


 ・マルテイロ(男性・45歳・セヴェン王国)
   セヴェン王国の騎士。
   セヴェン王国常設騎士団、近衛騎士隊の副隊長。


 ・リリー・ジェーン(女性・19歳・ウワン=エナ王国)
   ウワン=エナ王国の神官見習い。
   鹿島ユイの専属従者。


 ・イグリオ・ピエタ・セヴェンス(男性・19歳・セヴェン王国)
   セヴェン王国の王子。第一王位継承者。
   フィーリアの実兄。


 ・ファムエル=カヴァリエロ(女性・29歳・アハトエス帝国)
   アハトエス帝国のエリート武官。
   ハイリヒトゥーム市のアハトエス帝国大使館に勤務。


 ・モハレッグ(男性・32歳・アシャラ王国)
   アシャラ王国の諜報員。
   サッガンの相棒。うさんくさい優男。


 ・サッガン・カルブボリス(男性・36歳・アシャラ王国)
   アシャラ王国の諜報員。
   モハレッグの相棒。かつて「アシャラの暴風」と呼ばれていた戦士。


 ・ペイトリエト(男性・62歳・セヴェン王国)
   セヴェン王国の全権大使。
   在ハイリヒトゥーム市セヴェン王国大使館の責任者。


 ・スティカ(女性・16歳・セヴェン王国)
   在ハイリヒトゥーム市セヴェン王国大使館に勤めるメイド。
   八島コウスケの世話役。


 ・コラソン(男性・48歳・ハイリヒトゥーム市)
   飲食店「シャストラ=ストラ」の店主。
   鹿島ユイと懇意にしている。


 ・フェリ=シータ(女性・年齢不詳・出身不明)
   飲食店「シャストラ・ストラ」のウェイトレス。
   鹿島ユイの友人。


 ・マディス・ジリッツァ(女性・56歳・ハイリヒトゥーム市)
   ヴァーチェの神子。
   チェントゥーロ大神殿のナンバー2。


 ・シルビア・ディーナー(女性・20歳・ハイリヒトゥーム市)
   チェントゥーロ大神殿の神官。
   マディスの秘書を務める。


 ・ノヴィリス・スプレンデドゥス
   ノウェム王国の皇太子。
   フィーリアとイグリオの友人。



[22452] Salvation-12 メイキング・メモNo.1 (*注意* ネタバレがあります)
Name: ニーサン◆39c4baa4 ID:5a1f220d
Date: 2011/09/19 17:39
「Salvation-12」メイキング・メモ No.1

 これは「Salvation-12」を書く際に、作者のニーサンが参考にしたり妄想したり脳内保管したりした、作品を読む際には本気でどうでもいい情報及び設定をだらだらと書き連ねたものです。
 よく言えばメイキング・メモ、悪く言えば中二病乙。
 作者がゲームやアニメのムック本に書かれているような「設定集」とか「スタッフ座談会」とかに憧れて書いた、かなりアレな文章なので、そういう物が平気な人だけ読んで下されば幸いです。
 あと「むしろ好物だぜ!」という猛者はぜひ読んで下さい。
 それでは、覚悟完了の方のみ、どうぞ。





【勇者達の名前】
 ヴァーチェの勇者達の名字は、全国の神社から拝借しております。なぜなら、ニーサンが神子さんとか大好きだから。朱色の袴に胸がときめかない男の子はおるまいよ(最悪だ)。ただし、八島コウスケのみ例外。
 名前がカタカナなのは新世紀エヴァンゲリオンの影響です。碇シンジとか綾波レイとか。カッコいいよね!
 以下、元ネタ一覧表。

 八島コウスケ
  ……日本列島の古い別名「八洲国(やしまのくに)」から引用。

 日御碕ハルカ
  ……島根県の日御碕神社。

 鹿島ユイ
  ……茨城県の鹿島神宮。

 建部ケイト
  ……滋賀県の建部大社。

 枚岡セイタロウ
  ……大阪府の枚岡神社。

 春日ハルトモ
  ……奈良県の春日大社。

 平野ケイジ
  ……京都府の平野神社。

 南宮ヤスツナ
  ……岐阜県の南宮大社。

 高千穂コズエ
  ……宮崎県の高千穂神社。

 大神サオリ
  ……奈良県の大神神社。

 戸隠ショウコ
  ……長野県の戸隠神社。

 諏訪ミク
  ……長野県の諏訪大社。


【登場人物の身体データ】
 キャラクターの身長や体重に関しては、生きていれば増減する数値ということもあり、厳密に決めていません。漠然としたイメージは以下のような感じです。
 余談ですが、南宮ヤスツナの体重は生前のもの。グレゴール化しているので、現在の体重は150キロ前後まで増えているでしょう。

 八島コウスケ
  ……約185センチ、90キロ。体脂肪率7%以下。超マッチョ。

 日御碕ハルカ
  ……約165センチ、40キロ。スレンダー体型。脚長っ!?

 鹿島ユイ
  ……約160センチ、40キロ。手のひらサイズ(何が?)。

 建部ケイト
  ……約160センチ、45キロ。耽美。受けが似あう(!?)。

 枚岡セイタロウ
  ……約175センチ、55キロ。針金細工みたいな細身。

 春日ハルトモ
  ……約170センチ、60キロ。中肉中背。

 平野ケイジ
  ……約165センチ、80キロ。小太り型。ごっつぁんです。

 南宮ヤスツナ
  ……約170センチ、65キロ。中肉中背。余分な脂肪なし。

 高千穂コズエ
  ……約170センチ、55キロ。グラマー。ボンキュボン。

 大神サオリ
  ……約160センチ、45キロ。着やせするタイプ。

 戸隠ショウコ
  ……約155センチ、40キロ。溢れる健康美。

 諏訪ミク
  ……約120センチ、25キロ。細くて小さい。

 フィーリア
  ……約150センチ、40キロ。華奢。人形めいた造形美。

 ヴァリエーレ
  ……約170センチ、65キロ。実はムキムキ。


【王国の名前】
 十二大王国の名前は実はかなり単純な決め方をしています。
 ネーミングに幻想を抱きたい方は回れ右、そんなの関係ないという方はGO。
 まあ、ぶっちゃけ数字というだけなんですが。

 ウワン=エナ王国
  ……1の意。英語の「ONE」とギリシャ語の「エィナ」。

 トルドヴァ王国
  ……2の意。英語の「TWO」とロシア語の「ドバ」。

 サラサトゥリア王国
  ……3の意。アラビア語の「サラサ」とギリシャ語の「トリア」。

 クワトール王国
  ……4の意。スペイン語の「クワトロ」。

 フュンフペンデ王国
  ……5の意。独語の「フンフ」とギリシャ語の「ペンデ」。

 シス王国
  ……6の意。仏語の「シス」から。

 セヴェン王国
  ……7の意。英語の「SEVEN」。

 アハトエス帝国
  ……8の意。独語の「アハト」と英語の「EIGHTH」。

 ノウェム王国
  ……9の意。ラテン語の「ノエム」。

 アシャラ王国
  ……10の意。アラビア語の「アサラ」。

 イレヴェン公国
  ……11の意。英語の「ELEVEN」。

 テオエルバ王国
  ……12の意。英語の「TWELVE」。


【惑星のさみだれ】
 感想掲示板でも述べましたが、作者がばりばり影響を受けた漫画です。
 水上悟志さん作。少年画報社刊。全10巻。
 自信を持ってオススメする、最高に面白い漫画。漫画ファンのみならず、読まないのは損してるというレベルの傑作です。涙せずにはいられない、元気にならないわけがない、珠玉の「惑星を砕く物語」。
 現在、水上先生が連載中の「戦国妖狐」と合わせて、ぜひ読んで頂きたい一作。


【脳内イメージソング】
 キャラクターのイメージを膨らませたり、作品の方向性をむにゃむにゃと考えている時に、ニーサンが聞いていた楽曲です。歌詞などから、キャラクターの性格などをイメージしました。これらを聞きながら本作を読むと、なんというか、いい感じかも知れません。
 音楽って偉大です。
 しかし、見事にアニメとゲームの曲ばっかりですね(笑)。

 Angela「Beautiful fighter」
 いとうかなこ「スカイクラッドの観測者」
 岸田教団&明星ロケッツ「HIGH SCHOOL OF THE DEAD」
 Claris「コネクト」
 五條真由美「JUSTICE of LIGHT」
 坂本真綾「ヘミソフィア」
 戸松遥「Girls,Be Ambitious」
 中川翔子「RAY OF LIGHT」
 発熱巫女~ず「I Wish」
 ムック「約束」


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