漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

中年から漫画家になるためのアドバイスを求められることがある関連

 僕が34歳から同人活動を始め、37歳で同人誌で漫画の賞を受賞、39歳から商業仕事を始めて、40歳から連載を始め、今42歳で単行本を6冊出したりしているため、ときおり人から、中年から漫画家になるためのアドバイスを求められることがあります。

 でも、あんまり上手く答えられたことがないので、改めてちょっと考えてみようと思います。

 

 漫画家になるということは、運の要素もあり、極端な話をすればたった一人に漫画を気に入られれば、商業誌で漫画を描くことはできると思います。それは、その一人がその雑誌の編集長である場合です。

 でも、それで1冊単行本が出て漫画家になることって実はそんなに意味がないことです。なぜなら、「商業誌で漫画を描き続ける」ということは「何千何万の人に漫画を面白いと思ってもらい、そして単行本を買ってもらい続ける」ということだと思うからです。なので、運良く一人に気に入られて漫画家になったとしても、何千何万の人にウケて買ってもらえなければ、結局は続けられないものだと思います。

 

 なので、何千何万もの人に面白いと思ってもらい続ける漫画とは何か?を考えて描き続けていれば、それぐらいの面白い漫画を描ける頃には、受賞や担当がつくことやデビューや連載や単行本が出ることは、中間のプロセスとして自然とついてくるのではないかと思います。

 漫画は仕事じゃなく、趣味としても楽しく続けられるもので、今はネットがあればお金もほとんどかからずに漫画を描いて発表する活動ができます。その中でわざわざ商業誌でやろうとすると、「ちゃんと継続的にお金が貰えるものを描く」ということの意識が前提として必要なのではないかと思っています。そこがないと、仮にデビューができたとしても、思ったのと違うと思って辞めちゃう可能性も高いんじゃないかと思います。

 一方で、そんな意識なんて何もないのに自然と爆売れする人もいるのが漫画の面白いところでもありますが。

 

 そういった前提のもとに思うことを書きますが、まず今の漫画編集部では、年齢が問題にされることは基本的にないと思います。少なくとも僕はされたことがないですし、色んな編集さんに聞いても「関係ない。面白い漫画を描けることの方が大事」という言葉が返ってきます。

 

 ただし、伸び代は見られるかもしれません。漫画家としてデビューする時点では、トッププロの漫画家さんたちと比較して、相対的に多方面の能力がまだ低い状態のことが大半だと思いますが、「この人はこの先どんどん能力を伸ばしていく人なのかどうか?」というところは見られているのではないかと思います。

 つまり、前作より今作の方が良くなっているかは見られるのではないでしょうか?例えば10作漫画を描いた場合、1作目より10作目が目に見えて面白くなっていれば、面白くするためのスキルが伸びていると感じてもらえて、将来、さらに面白いものを描けそうだと思って貰える気がします。

 

 「若い人と中年の差」として捉えられているのは、実は「伸び代の有無」がではないかと思っていて、若い人がどんどん伸びているときに、中年が何年も停滞していると、若い人の方が将来性があると思われるでしょうし、逆に若い人だとしても何作描いても変化が乏しければ期待をかけて貰えないかもしれません。なので、中年だとしても1作1作でより面白いものを作れるようになるということが大事なのではないかと思います。年齢は関係ありませんが、伸び代を見せることは必要だと思います。

 そのために必要なのは「考えて描く」ことだと思っていて、自分の考える面白いとは何なのか?より面白くするためには何をすればいいのかを考え続け、漫画に反映する必要があると思います。

 

 ちなみに、この辺のことは僕とかのような凡才が前に進むための方法として書いているので、才気溢れる人ならば、何も考えなくても先に進めるのかもしれません。

 

 「面白いって何なのか」は答えがひとつではないと思うので難しい話です。僕は物語における面白いには、大きく3つの方向性があると思っていて、それは「気持ちがいい話」「感動する話」「価値観が転換する話」です。

 それぞれ細かく色々思うところはあるのですが、読者がその漫画を読む前と後を比較して、気持ちよくなった、感動した、価値観が変わった、などを思った場合、読者はそこに価値を感じるため、今後も読み続けてくれる可能性が高くなると僕は考えています。それを効果的に読者に伝えるためにこそ、お話の構成や情報の出し方、言葉の選び方、キャラクターやどのように絵で表現するかなどの沢山の要素があると思います。

 

 面白い漫画を描く方法については、僕はまだまだ浅いところで試行錯誤中なので、何も偉そうなことは言えませんが、少なくとも付き合いのある編集さんたちには、僕の描く漫画が描き重ねるうちに良い方に変化していて、それがいずれ大きな結果に繋がるかもしれないという中年の伸び代を足場にして今仕事をもらえているように感じています。

 

 言いたいことは、「賞をとる」とか「デビューする」とかは実はそんなに重要なステップではなくて、自分の漫画を例えば100万人の人が買ってくれるだろうか?そこまでは望まなくても何千何万人の人がこの漫画を買いたいと思うだろうか?そのために、ここにはどのような面白さがあって、それは想定読者にちゃんと響くだろうか?という先々を見てやっていくと、中間ステップとして、何らか先に繋がっていくように思います。

 自分の描く漫画がなんらか読者にとって、お金を出してでも手元においておきたいものになるだろうか?というところが凡才が商業誌で描く上ではとにかく重要だと思っていて、そんなことより自分の表現を追求したいとかであれば、同人誌でもネットでもいくらでも描けるわけなので、そっちでも全然いいと思います。漫画が描けるだけで楽しいですよ。

 漫画を描いて年に4回コミティアに出るだけの時期も僕は毎回すごく楽しかったですし、今もコミティアに適当な漫画を描いては参加し続けているわけですからね。

 

 …と書いてみましたけど、この文章がアドバイスと求めた人の参考になるかはやっぱり分からないなと思いました。

もし美少女になったら関連

 最近、とみに忙しく、やらないといけないことがあまりにありすぎるために、別にやらなくてもいいかと思えることがどんどん後回しになっていて、セルフネグレクト気味になっています。そもそも自分のことをかなりどうでもいいと思ってしまう人間なので、自分のことについて様々なケアをするということが得意ではありません。

 最低限健康に生きられる部分を確保したら、それ以外のことにかける労力限りなく最小化して、そこに生まれる時間をやらなければならないことに全投入するような生き方をしています。それで楽しくやっていますが、本当はもっとちゃんとケアをした方がいいだろうなとは思っています。

 

 オタクの話で、自分が美少女になったら?みたいなことを考える話があると思うのですが、自分なこんな人間だということを考えると、もし明日の朝いきなり美少女になったところで、多分自分には、その美少女性を長期間維持することができないだろうなと思います。

 

 美少女性というのは肉体が自然にあればいいものではなく、例えば、ファッションに気を使っているとか、食べ物に気をつけたりしっかり運動して体型を維持したりとか、スキンケアやヘアケアなどの各種ケアをやったりとか、化粧をしたりとか、あとは対人関係を愛想よくしたりとかがあってこそ輝くもので、そのための労力を支払うのが自分には全然できそうにもないと思ってしまいます。

 きっと、素材はいいかもしれないけれど、なんか変で近寄り難いか変な人しか寄ってこない感じの変な女の人になってしまうだろうなと思います。

 

 僕は変なおじさんですが、おじさんはある程度変なところがあるので、まあ許されているところがあり、おじさんでよかったなと思います。おじさんはとにかく楽で、楽だから、他に色んなことができているんじゃないかと思ってしまいます。

 

 あと、おじさんのいいところは、他人から仲良くしたいとあんまり思われないことです。基本的に黙殺されているので、対人関係も自分が望んで構築したもの以外はなくて済みますし、それがとても楽です。僕は対人関係ですごく消耗してしまうことが多いので、人付き合いができる量がとても限られています。

 ただ、付き合っても疲弊しない友達は結構いて、そういう人とは気軽に遊ぶことができます。でも、この世の中でそういう人を探して仲良くなるまでには何年もかけていますし、貴重です。僕の人生は、そういう友達を大切にして生きていけばいいので、変なおじさんであるために、それ以外の人間関係を他人からあまり求めらることがないのはとても楽です。

 

 昔、美人の友達と話してたら、色んな人から連絡を貰っていて大変そうだなと思いました。美人とは仲良くしたい人が多いようなので、色んな人から色んな連絡が来るようで、全てを受けるのも大変だし、それを断るのも大変だし、変な断り方をしたら逆恨みされたりするので大変みたいな感じなので、大変そうだなと思いました。

 幸いその友達は、あんまり対人関係が苦ではないようだったので、ちゃんとやれていましたが、僕がその立場だったら、あまり知らない人から連絡がくることに疲弊して、疲れ果ててしまっているだろうなという想像があり、自分が美人じゃなくてよかったよという話をそのときもしたと思います。

 

 人間関係が苦手なので極力やらずに済ませようとしているのですが、そんな自分にとって、この中年の変な身体はとても役に立っていて、誰も自分のような陰気な中年と第一印象だけで仲良くなんてなりたいとは思わないだろうと思っていて、それによって生きるのが楽になっているなと思います。

 変で陰気な中年でよかったです。生まれ変わるなら、また変で陰気な中年に生まれたいと思っています。それはそうと、自分の身体のケアはさすがにやった方がいいのでやっていこうとここのところ思っています。

漫画家が集まって漫画を描いたりしている関連

 僕は会社員と漫画家の兼業なこともあり、iPadさえあれば自分の家以外で漫画を描いていることも多いです。

 

 今年に入ってからは漫画の仕事も会社の仕事もすごく多くて、だいたい常に漫画を描いており、人と遊びに行っても喋りながら漫画を描いていたり、飲み会でも飲みながら漫画を描いたりしています。カラオケに行って、みんなが歌っているときに漫画を描き、自分の番が来ると歌って、歌い終わるとまた漫画を描いたりもしています。札幌に旅行に行った時も、深夜のパフェに並びながら立ったまま漫画を描いていましたし、そういうことをして、なんとか締め切りを守って漫画が掲載されています。

 

 僕が兼業をできているのは、そのようにどんな隙間時間でも描けるという状況になっていることが大きなポイントで、場所にも時間にも縛られずに好きなときに描いています。

 

 さて、先日、貸し会議室を借りてみんなで漫画を描きませんか?というお誘いがあり、二つ返事で参加することにしました。いつでもどこでも描けるので、当然、この時間にこの場でと指定されても描くことができます。

 当日は、iPad等を携えた漫画家が何人も集まって、同じ会議室でそれぞれ自分の漫画を描きます。

 

 雑談をしている時間もあれば、みんな集中している時間もあり、お互いに描いている漫画を見せあったり、描き方を見せて情報交換をしたり、相談したり、人のポーズの資料写真を撮ったりと一日楽しく過ごすことができ、進捗も大きく出ました。

 なので、すごくよかったです。

 

 僕はひとりで漫画を描いているため、あんまり人と一緒の空間で漫画を描いたことがあまりなく、仲良しの漫画家のいそふらぼん肘樹さんと遊んでいるときぐらいだったのですが、色んな漫画家さんが色んな感じにそれぞれの漫画を描いているという空間が、すごく漫画の仕事をしなきゃという気持ちを駆り立ててくれたのでめっちゃよかったですね。

 またやりたいですね!とみんな言っていたので、またやりたいと思います。

 

 会社も在宅勤務がほとんどだった時期はすぐに気が散って能率が悪く、今は、上司として会社にいた方がいいということと、自分の中のスイッチを切り替えて能率を上げるために、基本的に出社して仕事をしています。漫画も同じところがあるので、何かを仕事をするためのスイッチにできるといいなと思っていて、みんなで集まるのはそのひとつだなと思いました。

 あと、今度漫画家の友達が事務所を開くので、休みの日はそこに出勤するのもアリかなと思っています。

漫画の宣伝をやっている2024年春

 直近で単行本が2冊出たので漫画の宣伝をやっています。

 

 

 なんでやっているかというと、商業媒体で漫画をやっている以上は、「売る」ということが継続的に活動していくために必要な要素であり、自分以外の人が宣伝をしてくれるという身分でもいまのところないため、自分がやるのが適切だろうと思っているからです。

 

 何かの漫画を人が買うには基本的に以下のステップがあると思います。

  1. 漫画の存在を知る
  2. 漫画を手に取ってみる
  3. 漫画を読んでみる
  4. 漫画を面白いと思う
  5. 漫画を手に入れたいと思う

 書評によって買うなど、別の誰かの感性を利用することで3と4のステップは飛ばせることもあるかもしれません。でも、基本的にはこういうことだと思います。人な何かの本を知り、そこに価値を感じ、手元に置いておきたいと思って買います。

 

 そして僕は長年漫画オタクをやっていたため実感としてあるのですが、ほとんどの漫画は、1の存在を知って貰うステップにすら至ることなく買われずに終わっています。漫画の新刊は月平均1000冊以上出ているのですが、皆さんは毎月そのうちのどれぐらいの割合を知っているでしょうか?おそらく知らないことの方が多いと思います。しかしながら、存在を知らない漫画を買うことはほぼありえないため、まずは知って貰う必要があるということです。その中でも自分でできることが宣伝です。

 

 宣伝のコツですが、「頑張らないこと」です。僕の様子は頑張っているように外からは見えるかもしれませんが、気持ちの上ではあんまり頑張ってはいません。頑張るといけません。頑張るといけないのは、「頑張りに見合った結果」が欲しくなるからです。「こんなに宣伝したのだから、これぐらいは売れて欲しい!!」と思ってしまうかもしれませんが、その場合、宣伝したのに実際は特に売れなかった場合、こんなことをしても意味がないと思ってしまうかもしれません。そうすると止めてしまいますし、止めてしまうとより知られなくなるわけですから、売れるかもしれない機会を逸してしまいます。

 なので、精神のエネルギーをできるだけ使わない方法で淡々と続けていくことが大事だなと思っています。

 

 僕の漫画もありがたいことに固定のファンになってくれている人はいるので、出ますと言えば、初動は動きます。でも、電子書籍のランキングなどをみると、初動は動いてもじりじりと順位を下げていってしまいます。同じく初動で動く漫画がその後もたくさん出てくるので当然の現象です。

 ただ、ヒットしている漫画との違いはそこで、ヒットしている漫画は、発売直後に一極集中するのではなく、その後も色んな人が様々なタイミングで前述の1から5のステップを踏んで買っているということだと思います。

 100万冊売れる本には100万人分の、それを買おうと思った物語があります。その物語を作っていくことが本を売っていくことだろうなというのが今の僕の考えです。

 

 そこで重要なのは、本人の自力宣伝以外の、別の人たちが「おもしろいよ」と紹介してくれることだと思います。なぜなら色んなところに情報の発信源があれば、タイミングや場所をずらしながら、そういう購買行動に繋がるうねりが生まれやすいからです。しかしながら、特に無名の新人漫画家にはその機会が訪れることは少なく、待っていても仕方がありません。

 とはいえ僕も先日テレビでGACKTさんがオススメしてくれたので、そういう非常に幸運な機会が訪れることはあります。でも、そこは自分でコントロールできない領域なので、あると期待していると、ないかもしれず、であるならば、期待してもしょうがないので自分でできることをした方がいいなと思います。

mgkkk.hatenablog.com

 

 こういう考え方をすると、漫然と宣伝をするのではなく、自分の宣伝が購買層に対してどのように届くことを期待して、どのように作用するのかということを考えていく必要があります。見てくれた人の中での物語のステップを動かすことが宣伝の目的だからです。

 

 漫画の宣伝で言うと、SNSでバズることは一つの分かりやすいやり方です。バズるということが通常の宣伝とどのように違うかというと、普段自分のことを見てくれている人たち以外の大量の人たちに接点ができる状態であるということです。1の知られるというステップを上手く果たす機能があります。

 バズるためにはその宣伝自体が拡散したくなる内容である必要があり、「漫画が出ます」みたいな情報だけでは、既に自分のことを知ってくれている人以外は拡散したくなったりはしないと思うので、そこになんらかの面白い要素があった方がいいです。

 

 でも頑張りたくないんですよね!!!!!!!!!!

 

 なので今のところ頑張ってないです。宣伝用に新たな何かを描いたりとかをする手間をかけたくないので、それでもできるのが漫画を1話貼るとかになります。既にあるものだから貼るだけでよく、楽です。

 それに漫画を直接貼ると、2の手にとってもらうや、3の一度読んでもらうまでは達成できるわけです。そして、面白い漫画を描いていれば、4の面白いと思って貰える確率は上がるでしょう。そうなれば、その中から5の購入に至ってくる人も出てくれます。

 

 なので、漫画をSNSなどに貼ることで宣伝するのは理にかなっているなと思います。ここで重要なのは、宣伝がバズらなくても気にしないことです。気にすると止めてしまうからです。止めてしまうと可能性がゼロに近づきます。損ですよね。

 

 作者にできる宣伝がインターネットでの自力宣伝ぐらいだとすると、漫画の内容をバズるための内容にするという方法もあり、これは結構重要な要素だと思います。みんなが言及したくなるような内容であれば、拡散力が強く、多くのまだその漫画を知らない人の元に届けることができます。

 

 でも、そこで難しいのは「拡散力が強い漫画」にしたかったら「賛否両論になる漫画」を描くという方法があるんですよね。それはある種の重要なテクニックであるというと同時に、取り扱いがとても難しいと感じています。

 賛否両論になる漫画とは、例えば「みんなが気にしている話題について、偏った考え方を漫画の中で披露する漫画」です。そうすると、その考え方を叩きたい人と擁護したい人の争いの起爆剤となり、争いの中で拡散されていくということになったりします。

 それによって色んな読者に届くことがある反面、それはあくまで話題提供の役割を担っているだけに過ぎず、4の漫画そのものを面白いと思ってもらったり、それによって5の買って手元に置いておきたいというところには特につながらない可能性があります。そして、賛否両論にしてしまった副作用として、大量のアンチを生み出してしまい、その後、ネットで嫌がらせをされてしまうリスクもあります。

 

 漫画は100人いたら100人にウケるということはありません。「タイムパラドクスゴーストライター」では、そういう理想の漫画のことを「透明な傑作」と読んでいて面白いなと思いましたが、それはありえないと感じているものだからこそ面白いなと思いました。

 Amazonで「寄生獣」の1巻のレビューを見てみてください。星1をつけている人もいます。え??寄生獣のあんなに面白い1巻に星1を??と思ってしまいますが、その人の感性がおかしいわけではありません。人は多様だということです。僕が気にしないようなことを気にする人はいますし、僕が気にすることを気にしない人もいます。それぞれの人の中の複雑な作用の中で、その人にとっての面白いと面白くないは決められていて、それは当人の中の話である限りは全て尊重されるべきものだと思います。

 なので、自分の漫画についても、これをおもしろいと思ってくれるような読者はどこにいるのか?この漫画の存在は、その人にまで届くような状況になっているのか?漫画と読者を繋げられる方法が宣伝であるとするなら、この漫画はどこでどのように宣伝をすべきかということも考える必要があると思っています。

 

 100人のうちの1人しか面白いと思ってもらえない漫画があったとして、その1人に漫画の存在を知らせる方法って何があると思いますか?僕は結局まず100人に読んで貰える漫画にするのが一番近道だったりするのではないかと思うんですよね。そうなると多くのマイノリティに響く漫画を描くためには、まずマジョリティにウケないといけないという話になってきます。

 それぐらい、どこかにいるかもしれないその1人をピンポイントで狙い撃ちすることは難しいと考えています。まあ、戸愚呂(兄)のように根気よく、強さと悪さを兼ね備えた人間だけがキャッチできる特殊な波長の信号を送り続けることもできますし、それだけの時間をかけるという方法もあります。もしくは、そういう感性の人が集まる場所、同人誌即売会でもいいですし、discordのサーバでもいいかもしれませんが、そういうところに入っていくなどもあるかもしれません。

 

 ともあれ、商業誌での活動を継続する以上は、漫画を売っていかねばなりません。そのためには、自分の漫画を買ってくれるかもしれない人に適切に届ける必要があります。それは一朝一夕で突発的そうなることもあるかもしれませんが、そうならないことの方が多いと思うので、いつか来るかもしれない幸運のときへの備えとして、根気よく続けて、ファンとなってくれる人を増やしていくしかないなと思っています。

 今は単行本が出た時期なので、そういうことを淡々とやっています。幸い、初動としては既刊も含めて動いており、でもまだまだヒットしているという領域は遠いので、省エネの工夫をしつつ漫画も宣伝も続けて行こうと考えています。

テレビで漫画を紹介して貰った関連

 先週の土曜日に「メシドラ ~兼近&真之介のグルメドライブ」という番組で、僕の描いている漫画を紹介して頂きました。

 

 

 事前に取り上げて貰うことは聞いていて、なぜなら出版社に書影や漫画のページを使っていいかの確認があったからです。でも、どういう形で取り上げられるのかはよく分からなくて、かなりドキドキしながら見ていましたが、GACKTさんが、今オススメの漫画として、自分の漫画「ひとでなしのエチカ」を挙げてくれたのが、なんでそんなことが起こるんだ??というぐらいびっくりでありがたいなと思いました。

 

 自分の漫画を誰かが誰かにおすすめしてくれているというのは、あまり目にすることがないので、それを見ることができたのがとても嬉しかったです。また、一方的にこちらから向こうを見るだけだと思っていた人が、こちらの作っているものを読んでくれていて、そして気に入ってくれているというのが、言うなればフィクションと現実が繋がったようで、世界観の立て付けが変わるような話だなと感じました。マジ嬉しい。

 

 「ひとでなしのエチカ」は僕がコミティアで毎回30冊ぐらい売ってた同人誌だったのですが、それが漫画雑誌の編集さんの目に止まって、ちばてつや賞の受賞になったり、また別の編集さんから単行本化と連載化につなげて貰ったり、タイトルに勝手に曲名等を使わせて貰っていたamazarashiの秋田ひろむさんから帯に言葉を頂けたり、今回のGACKTさんに推してもらったりと、本当に幸運に恵まれた漫画です。

 

 そういえば、ウチの妹が昔からGACKTさんのファンで、母親と一緒にライブとかにも行ってましたし、実家でもよく曲がかかっていたので聞いていたのですが、ああ、妹に自慢してえという気持ちがすごくあるものの、僕は漫画家をやっていることを実家に一切言っておらず、実家の人たちにとっては、東京でなんだかよく分からない難しい仕事をしているお兄ちゃんという感じだと思うので、言いたいけど兼業で漫画家やってることは言いたくない!という気持ちが反復横跳びを繰り返しています。

 

 この文章を書いているのは、TVerによる見逃し配信が今日の夜21:59までだと分かったので、よかったら見てくださいという気持ちからです。僕の漫画の話が出てくるのは焼肉屋に行った最後の方です。

tver.jp

 

 

 メシドラの放送は4/13(土)だったのですが、4/15(月)に連載漫画の新刊の電子版が出まして、紙の本は1週間遅れて4/22(月)発売というタイミングです。こんな単行本宣伝に都合がいい話がたまたまあるのか?という衝撃もあり、降ってわいたような幸運と嬉しいことがあってよかったですね。

 では、漫画買ってください。おもしろいのを描いていると思うので。

 

課長の仕事の2年目を終えての感想

 絶対向いてはいないが、人に任せて不満だけ抱えるよりは自分でがんばった方がいいかもしれないと思って続けている課長職ですが、2年目を無事終えました。この前の賞与査定も最高評価だったので、まあ上手くやっていると思います。

 

 仕事の詳細は書けないのですが、僕は新規事業を興す仕事をしていて、それが過去の事例のないものであるため、前例に倣うこともできないところが多く、都度都度今何をすべきなのかの判断をしつつ、仕事を進めています。

 今のところ、様々な操舵を小刻みに繰り返しながら、目的にちゃんと進んではいるのですが、そのための人員は足りないし、時間も金も潤沢とは言えず、それでもまあなんとかやってはいます。

 

 課長としてしていることの中で重要だと感じていることは、人を確保し、人を育て、体制を構築していくことです。そのために、対外的にも発表できる仕事を色々して、この仕事はやる意義があると会社の経営陣と社内の人たちに思って貰うようなことをしています。お金と人を投入してもらい、やりたいと思う人を確保したいからです。

 それはそんなに簡単にはいきませんが、この1年でどうにか新しい人材も確保でき、一緒に仕事をしながら、その人たちに専門的な知識と経験を積んでもらっています。社内的に色々動いたおかげで、この4月からは予算も新しい体制も構築できて、だんだんとなんとかなってきたような気がします。

 

 若い人が育って、自分がいなくなってもこの事業が進んでいくようになるといいだろうと思っています。それが見えてきたら気兼ねなく辞められるなと思うので、早くそうなって欲しいです。

 

 人って教えられただけでは育たないと思うんですよね。教えてもらうのはきっかけでしかなくて、教えられただけでは意味が分からなかったことを自分で再発見したときに、初めてそれが身になるように思っています。

 

 思い返せば子供の頃に、色んな大人が話してくれたことの意味が、今になってようやく分かってきたと感じることが多いです。答えはとっくにあったのに、そこに実感を込めて理解できるようになるのにとても時間がかかりました。そこにはその教えに対応する実体験が必要だったのだと思います。

 先人と同じことを自分で発見した時に、ようやくその教えの意味が分かるような気がしています。だから、人に教える時にも、教えることそのものは教えにはならないだろうなと思います。その人に自分で発見してもらう機会が多分必要なのだろうと考えているので、若い人たちにその機会をできるだけ設定するようにしています。そこで困ったら頼って貰えるようにはしつつ。

 

 課長になってよかったのか?と問われると、とにかくずっとしんどいので、やめときゃよかったなと思うことも多いです。でも、とても重要なやってよかったこともあります。それは最初にも書いたように、自分でできることの範囲が広がることで、他人のせいにしなくて済むということです。

 

 平社員の頃は、上司が何かをしてくれないということに不満を抱えて、でも上司が何かをしてくれなければ不満を抱えたままです。不満を抱えていると自分が正しいような気がしますし、やってないのに正しいような気持ちになると楽なので、そこに居続けてしまいそうになります。

 なので、自分の成果がでなくても上司のせいで会社のせいで、自分は悪くないし、そこに浸っていれば楽になれましたが、でも、問題が解決していないんですよね。解決したかったのであれば、それを自分の頑張りでなんとか手を打てるようになったことは良いことです。誰かをバカだと言ってなにもせず、不満の前に座り込むみたいな不毛なことをせずに済むからです。

 

 お金が足りない、人が足りない、新規事業だからまだ体制がない、それらは全て僕が抱えていた不満でしたが、それぞれ手を打って、少しずつ解消に向かっています。問題が解決すると不満を溜めずに済むので、少しずつ気が楽になります。自分の頑張りで不満が解消されるなら、もう少し頑張ってもう少し解消しようとなるサイクルが生まれますし、それが生まれているということに救われているところがあります。

 

 40歳を超えて思うのは、日本というのは自分だなと思っていて、例えば景気が悪いと言っても、その景気をやっているのは、そのごく一部だとしても自分の仕事で、今は日本社会の中で一番働いて実務を動かしている年代だと思うので、自分達がやらにゃあなというような気持ちがあります。もうおじさんなんですよね。大人に庇護される存在ではなく、若い人を庇護するのが自分の役割だなと思います。

 働く環境を少しでも良くして、若い人が働くことを面白いことだと感じられるような会社組織を作って維持したいんですよ。おじさんが若い人にできることなんてそれぐらいだから。

 

 これをやりきれたら自分のことをやり遂げられた人間として、さらに好きになれるだろうなと思います。どうにか頑張って事業立ち上げを完遂し、自分がいなくなってもそれが続いていくことを信じて、そして、辞めてえなあ…と思っています。

ピエちゃんは会社辞められへん関連

 会社、この3月末で辞めようかなと半年ぐらい前には思っていたのですが、結局辞めていません。次の辞めチャンスとして、この前までは、自分がやらないとみんなが困りそうな仕事が終わる7月末かなと思っていましたが、僕が課長をしている課のメンバーで、長期休みに入る予定がある人の話を聞いて、じゃあ、彼が復帰するまでは働くか…と思い、辞めるかものタイミングをまた延ばしました。

 

 辞めたいです。なぜ辞めたいかというと、こんなに沢山働く意味がないからです。生活に必要な額の何倍も稼いでも、使いもしないので意味がありません。生きるために働くのであれば、もっと楽な仕事でいいし、あとは資産を回しながらぼちぼち漫画を描いていれば、生きて行けそうな感じになっています。

 

 辞めない理由を挙げます

・今やってる仕事を最後までやりきりたい

・今やってる社会的意義のある仕事を途中で降りることの申し訳なさ

・今辞めたら困る人が沢山近くに見えている

・仕事環境を良くするという自分との約束を守りたい

・物価と給料が上がっているときに資産を頼りに辞めるのが不安

・仕事上の不快な人間関係があることで自分の頭がハッキリすることがある

・仕事で役割を担ったり、経験することで自分がよりよく変わっていると感じられている

・仕事を進める中で色んな気持ちになることが漫画になっているという自覚がある

・仕事を辞めたら家を出なくなり引きこもりが加速するかもと思う

・自分の社会的信用力は会社から生まれていると感じているので失うことに不安

・生活をガラリと変えることへのストレスがあり現状維持が楽

 

 今書き連ねていて分かりましたけど、会社の仕事をしたいという部分が全然ないですね。辞めるのが嫌なのはあるけど、続けるのが好きなわけではないということだなと思います。

 これって悲しい状況かもしれません。

 

 会社は辞められるなら辞めたいです。やりたいゲームができないから。気が済んだらまた会社員として就職すればいい話でもあります。でも、辞められないんですよね。とりあえず上記に挙げた項目をひとつひとつ潰していければ辞められるかもしれないので、それを頑張ってみます。