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Posted by namjai at

2014年08月31日

ご案内。

 皆様、大変ご無沙汰しております。
バットニャオです。
 
 半年ほど前に、諸事情から一度は削除しましたこのブログですが、もう一度初心に戻って再出発する事になりました。

 そこで、今までの過去記事はこの『イサーンに埋没中』に残し、新たに別のタイトルでブログを始めましたので、これからはそちらのブログでお世話になりたいと思います。

 ブログタイトルは『イサーンで営業中』
http://muangchai.namjai.cc/
 相変わらずのイサーンでの日常生活を綴って行く予定ですが、今まであまり書かなかった、私自身の一日の大半を占める「仕事」である、我が店やそれに関わる客などの話を多く綴りたいと思っています。

 気を取り直して、これからも、新ブログの方で宜しくお願い致します。
  


Posted by バットニャオ at 00:18Comments(6)

2014年01月11日

お葬式

 ご無沙汰しております。

 もう、十日以上も過ぎてから、今更…と言う感じなのですが、改めまして、新年、明けましておめでとうございます。


 確か前回の更新が10月下旬の事で、それ以来、また書こうと思っては、その気が失せ、また書いてみようと思うのに、いざとなると行動に移せない…、そんんな日々の繰り返しでした。

 そう言う今夜も、このナムジャイのページを開くのに、かなりの躊躇がありました。
 
 この少し前に、偶然開いた、私と同じチャイヤプムのある村に嫁入りした女性のブログを見つけ、それを少し読んでみたら、「ああ、ブログとはこういう風に読んでいる人の興味をそそるような観光ガイド的な記事を書くものなのかも知れないな…。」などと、また自分の書いて来たストレス放出ブログに対し、自己嫌悪に陥って、やはりこのまま消え入った方がいいのでは?と思えて来たのです。


 しかし、今まで沢山のコメントを下さった皆さんに対し、逃げるようにブログを辞めるのもどうか…と思い、今回の更新になった訳です。


 さて、先日書こうと思っていた事ですが、先週の頭に、近所のタイヤ屋さんのご主人が亡くなりました。

 4年前に逝った私の父と同じく、肝臓ガンだったそうです。

 確か我が家がここに越して来て、店を始めた頃には、毎晩夜の10時過ぎまで、タイヤを交換する為の機械の音が響いていました。

 その頃は、まだ働き盛りで、ガンガン働いている…という印象でしたし、体型も中肉中背よりも、少し肉付きが良いくらいでしたが、ここ数年体調が悪くなったと聞いた頃から、極端に痩せて行き、ここ1年くらいは、遠目には細身の少年
かと見まがうほどの、痩せようでした。


 そのご主人は、タイ南部の出身。
我が家の隣に住む義姉の主人も南部スラーターニーの出身で、同郷同士、仲良くしていたようでした。

 共通点はそれだけではなく、お互いにイサーン人の奥さんに頭が上がらないと言うのも同じ。
 義姉も、その亡くなったタイヤ屋の奥さんも、女傑と言うのか、どこの男も恐れるような怖いものなしのイサーン女です。

 お互い、奥さんの故郷に婿入りして来て、働くだけ働かされて、なんとも可哀想な南部男でした。

 
 まあ、そんな事をお葬式の準備期間を含めた数日間考えていたら、私自身の行く末へと考えが向かい、仮に私の寿命が尽きた後、私は自身の遺体をどういう風に扱われたいのか…と言うか、扱われたくないのかを考えました。

 まず、タイ式のお葬式をして欲しくない。
でも、遺体はそのままでは困るから、海に流してもらう?水葬…などと思ってみても、ここイサーンは海から程遠いので、無理だろう…。

 やはり遺骨となって、どこかに埋めてもらうしかないのかも知れないが、主人の田舎のお寺にある墓には入るのは嫌だ。
 死後まで、この親戚付き合いを続けたくはない。

 しかし、そこに入らないと、子供たちに墓参りしてもらえないだろう…。
 出来れば、日本の実家の近くのお寺の墓に、父や祖母たちと一緒に入りたいと思うが、それには子供の誰かにそこまで運んでもらわなければならない…。

 それに、子供たちも墓参りなどには到底行けないだろう…。

 などと言う、思考の渦に嵌ってしまいました。


 まあ、タイの主人の実家の寺の墓に入ると言うのは、義母が買ってある墓地は全部で4つで、今のところすでに義父がその一つに入っているので、残りは3つ。
 タイの墓地は、日本の「何々家之墓」に一族で入ると言うのと違い、基本的に一人で一つの墓標を使うそうです。
 順番から言えば、そこに入る可能性はないのですが、主人はまた買い足すと言っていて、大きな墓地を買い占めて、そこに家族親戚で、一緒に遺骨を入れる日本のような墓にするそうなので、そこに入れられるのはご免だ…と思ってしまいます。

 と、こんなところがとりあえずの近況報告です。

 まだ気持ちが纏まらず、この先どうするのか決めかねていますが、そのときまで、ゆっくりとお付き合いください。  


Posted by バットニャオ at 22:53Comments(13)

2013年10月23日

4年ぶりの帰国〜最終回〜

 毎度毎度のことながら、相変わらずのマイペース更新で、もはや月に一度のペースになってしまいました。 

 4月に帰国した際の旅行記が、こうしてもう半年以上経って書き続けているのも、思えばおかしな話です。

 と言う訳ですので、話が纏まるかどうかは別として、今回でこの帰国記も終わりにしたいと思いますので、掻い摘んだ話になるかも知れません。


 さて、今回の帰国中の生活は、ほぼ週末に何らかの用事で遠出が入っていたりした以外は、本当に平凡な実家での滞在生活を過ごしました。

 普段出掛けるところと言えば、地元のスーパーに夕飯の買い物くらいで、特に遠出の旅行なども考えていなかったのですが、やはり久々の異国からの甥姪たちの来日に、だいぶ気を遣ってくれていた弟が、週末に外食に連れ出してくれたり、ゴールデンウィーク頃には、小旅行を計画してくれました。

 我が家は埼玉県なので、そこから無理なく行ける場所でなどと色々考えましたが、4年前に存命中の父と一緒に行った最後の旅行先だった那須高原には、子供たちの思い出があったので、そこにまず予約を入れました。

 それから、割と旅行に詳しい弟に相談して、温泉も近くにあり、子供たちも興味のある「サムライ」「ニンジャ」がいると言う、「日光江戸村」がいいと言う事になり、それを廻る2泊3日の旅行に行って来ました。

 まず、一日目の那須高原では、ペンションに泊まりましたが、そこで一番に印象的だったのが、夕食のコース料理に出た「那須牛のステーキ」だったようです。
 もともと半熟とか、肉で言えばレアのような半生状態が大好きな次男は、表面が焼かれ、中から血が滴るような牛肉に目を輝かせて食べていました。

 タイでも、コイと言う、半生状のラープなどを食べる人もいますが、お腹を壊す事も多いので、とても勧められません。
 生卵もタイでは食べる気にならないので、これは今回の滞在で、刺身に並んでのごちそうだったようです。

 そして、翌朝は早朝からペンション付近の牧場に寄り、その足で今回の旅行の目的地の一つ「那須ハイランドパーク」に行って、昼過ぎまで思う存分タイでは楽しめない遊園地に興じました。
 こちらで乗れるのは、せいぜい村祭りに来る、移動遊園地の手作りジェットコースターとか、手回しの観覧車がいいところ、日本の遊園地の乗り物とは比べ物になりません。


 その後、名残惜しみながらも遊園地を後にして、一路日光へ…。

 夕方には、予約していた旅館に到着。
久々の日光温泉街の旅館での出迎えに、やはり日本文化の良さを感じました。

 温泉旅館では、ゆっくり広々とした大浴場でくつろぎ、以前は恥ずかしがっていた長男長女も、今回はかなり乗り気で温泉に入っていました。

 温泉には付き物の、ゲームセンターの懐かし目のゲームも、タイから来た子供たちには新鮮だったようで、ミックなどは何度も挑戦していました。 

 
 さて、開けて最終日の3日目。

 いよいよ、待ちに待った「日光江戸村」(正式名は『江戸ワンダーランド日光江戸村』)に突入です。

 チケットを買って関所のような門をくぐって入ると、神社の参道のような道が続いていました。
 そして、その途中にサムライの格好をした人形が立っていたと思って、子供たちが珍しそうに見ながら通り過ぎようとしたその時…。

 なんと蝋人形かと思っていたそのサムライは、生身の人間でした。
ここから、もう子供たちも大喜びでしたが、途中のニャンマゲ像も同じぬいぐるみが実家にあったので、これも大受け。

 その後のアトラクションの忍者屋敷でのアクション芝居などにも、度肝を抜かれるくらい興奮していました。

 そして、TVの中のサムライドラマでしか見た事がない、サムライやニンジャがあちらこちらにいるので、本当に楽しかったようです。

 日本の子供にも受けるでしょうが、外国から来た人にはここはすごくオススメスポットだと思います。

 そして驚いたのが、さすがは「EDO WONDERLAND」と言うだけあって、国際色豊かな観光客に合わせて、パンフレットも英語はもちろん、中国語、韓国語などの主要な外国語に加え、タイ語版まであったのには驚かされました。

 ここには、タイ人もかなり来るのだと言う事が分かりました。
お陰で、我が家の子供たちもアトラクションの内容の説明がよく分かったようです。
まあ、説明無しでも楽しめたとは思いますが…。

 
 ここでも、昼過ぎまで過ごしましたが、今回一人で運転をしてくれている弟が、翌日から仕事だったので、そこそこに切り上げて、楽しかった日光を後にしました。 

 

 と言う訳で、この那須日光旅行記で、今回の日本帰国記を締めたいと思います。
まだまだ、細かい事を書けばキリがないのですが、本当に夢のような毎日でした。

 タイに帰って来た時には、自分がサラブリーのロータスのフードコートで夕食を食べているのが信じられない…、半分夢見心地でした。
 周囲にいるタイ人たちが、異次元の人間のような錯覚を覚えました。

 それも、もう半年近く前の事…。
 
 今では、すっかりまたイサーンに埋没している自分がいます。

 朝起きて店を開け、一日中地元の客相手に、時には憤りながら、また時には淡々と商売する日々…。

 朝起きて、働いて、少し自分の時間を楽しんで、寝る…その繰り返しの日常。


 そんな、イサーンの平凡な生活には、もうこれ以上何も書く事もないような気がして来た…今日この頃です。  


Posted by バットニャオ at 23:16Comments(10)

2013年09月25日

4年ぶりの帰国〜その6〜

 また、だいぶ間が空いてしまいました。
更新を待ってくださる方々には、大変申し訳ありません。

 カオパンサーのこの時期、本来なら店の仕事は暇な時期なので、もっとマメに更新出来そうなものなのですが、やはりこのところずっと引きずっている精神的な浮き沈みからか、中々思うように更新することが出来ません。

 今夜も、そうなり掛けたのですが、なんとか最近気に入っている音楽を聞きながら、気分を上昇させています。
 
 さて、すでに前回の更新から一ヶ月近くが過ぎようとしていました。

 
 もう、こう長々書いていると自分でも何を書きたかったのかを繋ぎ合わせるのが大変になって来ます。
出来るだけ、ピッチを上げて書き上げないと、日本帰国から戻れないような気がして来ました。



 もうこうなると、時間の流れを追って思い出しながら書くのもだいぶ無理になってしまいました。

 なので、場面場面で思い出した事を書きたいと思います。


 我が家では、昨年の5月にタイに来て十年と少し経ってようやく、2台目の自家用車を買いました。
子供たちの成長で我が家のフォードのピックアップに乗るのもすでに限界が来ていたため、家族全員で出掛けると言う時は、誰かが遠慮したり、長男や次男が後部荷台に乗って出掛けるようになっていたので、ここで決意をして2台目の車を買ったのです。

 それが、今回は三菱のパジェロが気に入って、ちょっと税金が高めですが、家族の車と言う事で購入したのですが、オートマ車だったため、頑固者の私は、「オートマは乗った事がないから…」買って以来一度も運転をしていませんでした。


 それが、今回の日本帰国に際して日本の免許が失効して久しいので、実家は車がないと移動に不便なので、もしかしたら運転する事もあるかと、タイの国際免許を取得して行ったのした。
 幸いな事に一度もその免許を提示する必要もなかったのですが、実家に滞在した間中、ほぼ毎日のように実家の軽自動車を借りて乗っていました。

 まあ、出掛ける先と行っても行き先は市内のどこかのスーパーやドラッグストアくらいのものなのですが、この軽自動車が日本では当たり前なのか、オートマ車で、最初は少しビクビクしていましたが、タイでパジェロを運転するのには抵抗があったのに、ここ日本では割とすんなり乗れました。


 最初こそビクビクもので、時速40キロに届かないくらいでしたが、もともとタイで一般道路を100キロくらいで走っているのが日常なので、慣れて来るとついつい60キロくらいになってしまい、それが日本ではかなりのスピードに感じられました。

 子供たちが何度も感心していたのは、私の40キロ運転もそうですが、そのノロノロ運転の私の後ろをきちんとついて走行する、他の車の交通マナーの良さでした。

 特によく観察している長女は、「どの車も追い越しとかしないで順番に後をついて走ってる」と、何度も感心して、タイに帰ってからも父親たちに話していました。


 タイだったら、こんな田舎道でも隙さえあれば、どんどん追い越して行くのが普通なのですが、確かに何をそう急ぐのか?と言うより、追い越す事に快感を覚えているとしか思えない運転マナーの悪さです。



 マナーと言えば、長女だけでなく、日本人の私でさえも本当に感心したのが、タイで眼鏡を作るとそのいい加減さに何度も作る事になるので…と日本で長男の眼鏡を作ろうと思っていて出掛けた、地元にもあった眼鏡チェーン店「眼鏡市場」と言う店での出来事でした。


 日本の会社や販売店では、本当に社員教育をよくやっているのは知っていましたが、それがこんなに徹底しているとは!と今回の帰国で日本人としての美徳に心から感嘆した出来事でした。


 まず、私たちが店の駐車場に入った時点から、店の扉を開けて待っている様子の女性店員の方がいたのですが、私が車の鍵を掛けたりしてモタモタしていたので、気が付かなかったのですが、そのときからその素晴らしい接客が始まっていたのでした。

 一通り、眼鏡のフレームの説明や選択を済ませ、視力検査などをして注文を済ませて、受け取りの日にちや代金を払うために椅子に腰掛けたのですが、その際に椅子を引いてくれたり…と言うところに、「あれ?日本ってこんなにサービスがいいんだっけ?」と言う感じを思ってはいました。

 しかし、本当に感動したのは、店を出た後の私たちを駐車場まで出て来て深々と頭を下げたまま見送り、そのまま私たちの車が店の駐車場を出て左折して大通りに入り、交通の流れに乗るまで、そのほぼ直角に腰を曲げた礼の姿勢のまま微動だにせず、見送り続けた事でした。

 
 もうこれには、長女はもちろんのこと長男まで「すごい!やり過ぎだよ。こんなのタイ人には絶対いないよ。」「大体、タイだったら、客が居ても、自分の好きな事してるし、客を客と思ってないよね。」と、感嘆と賞賛の嵐でした。


 残念な事に、よく名札を見ていなかったので、名前まで覚えていなかったのですが、「眼鏡市場」秩父店の女性店員の接客姿勢に、同じ日本人であったことに嬉しさを感じました。


 中々話がまとまらないので、この帰国記、まだもうしばらく続きそうです…。


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Posted by バットニャオ at 22:10Comments(8)

2013年08月28日

4年ぶりの帰国〜その5〜

 4年ぶりの日本での一日目の朝を迎えた…と言いたいところですが、私もタイとは違い、店を開ける必要がないのでだいぶ遅めに起きたのは、NHKの朝の連続ドラマが終わった頃でした。

 久々の日本での朝、実家の雰囲気も、空気も、私が今までタイで生活していた十数年の空白をすっかり忘れさせるような、ごく当たり前の日常を醸し出していました。

 ほぼ毎朝食卓に上る焼き魚の匂いや、日本米の炊けた香り…。
まだ、肌寒いような4月の中旬だったので、こたつにも足を入れて、母がお茶を飲む横でインスタントコーヒーに給湯ポットのお湯を注ぐ。

 そんなごく当たり前の日常の風景が、私の中にも自然に入ってきました。
多分、どれだけタイに住んでいても、実家に帰って来た途端に戻る日本人の感覚…。

 帰国一日目にして、すっかり日本の生活に馴染んでしまった感じがしました。
そして、このゆったりとした生活が、それ以後一ヶ月近く続いたのです。

 子供たちはと言うと、初日から帰国までの日々を、週末に立てた母の都合上の予定に同行する以外は、やはりこの母の実家の客間で、普段タイの家では出来ない、ゆっくりとした生活を送りました。

 特に、大学進学を控えていた長男は、普段家では、学校がなければ店の仕事をほとんど任されるので、ここぞとばかりに食事以外は部屋に籠って、持参したMacで大好きな日本のアニメ動画などを見て、有意義な高校最後の長期休暇を過ごしていました。

 長女は長女で、日本に行く事が友達の間ですっかり広まってしまったので、その子たちのお土産に初日から頭を悩ませ、また写真のリクエストも多かったので、私がどこか買い物にでも行くと、必ずお供して、写真撮影のチャンスを狙ってしました。

 長女の撮ったものは、もちろん、例のサクラの花や、神社仏閣などもありましたが、それよりも下校途中の日本の中高生や、学校でクラブ活動をしている子供たちを撮影したりしていました。

 タイは放課後のクラブ活動などがないので、とても珍しいのだとか。
それに、詰め襟やセーラー服やブレザー姿の中高生の制服姿や、坊主頭にした運動部員、自転車通学の子供などにとても興味を持って、見掛けるたびに大騒ぎしていました。


 また、次男は、前回にも書いたおばあちゃんへの特別な気配りに始まり、暇があると家の周囲をウロウロしたり、これはタイにいるときの休日でもそうなのですが、朝の洗濯物干しや庭先の草花の世話も積極的にやっていて、普段タイでは店の仕事はあまりやらないのですが、この日本滞在では、兄弟4人の中で一番の働き者だったかも知れません。


 そして、末っ子のミックは、次男が期末テストの成績で、3.9以上を取れたら買ってもいいと言う約束だった、任天堂のWiiと言うゲーム機を、今回の滞在で買おうか…と言う予定だったのですが、その前に実家の弟が自分の持っている機械を甥たちに貸してくれたので、それをほぼ一日中やっていました。

 そして、Amazonでそのゲーム機のソフトや、周辺機器を注文したのですが、タイの田舎にはない宅急便屋さんが「ピンポーン」と来ると、自分の欲しい物が運ばれて来る…と言う素敵な出来事にミックは大喜びで、この「ピンポーン」の音に似た、時計の時刻告知音が一時間ごとに鳴る度に、凄い勢いで部屋の襖を開け、玄関先まで走って出ていました。

 しかも、タイに戻った今でも、Amazonで注文すれば、あの宅急便屋さんが郵便屋さんのように、うちまで届けてくれると思い込んでしまったようで、未だに新しいゲームソフトをネットで探しては、「これAmazonで頼んで〜!」と要求して来ます。
…困ったものです。



 と、こんな状況で日本での日々が過ぎて行きました。

 次回は、こういう生活の中でも、「これ!」と言ったエピソードがいくつかあったので、その辺りから書いてみたいと思います。


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Posted by バットニャオ at 01:01Comments(8)

2013年08月18日

4年ぶりの帰国〜その4〜

 入国審査を終えてゲートを出た私たちだったが、迎えに来てくれるのは弟だけと思っていたら、母も一緒に来てくれていました。
しかも、私の告げた時間があやふやだったためか、かなり前から待ってくれていたと言う事でした。


 4年ぶりの再会、私や母、弟はそれほどの変化はないものの、連れて来た4人の子供たちはそれぞれ、4年前とは格段の成長を見せていました。

 この間まで、ろくに言葉も話せなかったミックはもう小学校入学目前。
長男は大学生になるし、長女次男も、それぞれ中高生、この頃の成長は早いものです。

 前の一行から比べると、サイズが一回りも二回りも大きくなってしまっています。
4年前にも迎えに来てもらって乗った弟の車が、心なし狭くなったような気がするのが、子供たちの成長を証明していました。


 成田を出発してすぐの道路脇には、まだ咲き残っていた八重桜が所々に見られ、タイにいたときから、「サクラ、サクラ」と大騒ぎしていた長女は夢中で写真を撮っていました。

 その後、一度都内の高速を通ったところで、河川沿いに噂に名高い(と言うか、急に日本に行く事になったので、慌てて日本の観光地を検索し、いろいろ観光を計画していたときに初めて知ったのですが…。)『東京スカイツリー』と言う建造物が見えました。
 正直言って、イサーンに埋もれて日本の情報にもほとんど感知していない私は、そのときまでその存在すら知らなかったのです。


 なので、今の今まで東京タワーが日本の代表だと思っていて、今回そんなに凄い名所が日本に出来ていた事すら知らなかった私は、せっかくだからこの機会に子供たちを連れて上って見ようと思っていたのです。

 運転席の弟に促されて、川の向こう岸に見えるのがその『スカイツリー』だと教えてもらったのですが、やはり遠目に見ては、それが噂のスカイツリーなのか、単なる送電線などを繋ぐ鉄柱なのか、あまりはっきりとは見て取れませんでした。

 でもまあせっかくなので、子供たちには、「あれが新しく建設された、東京タワーより高いスカイツリーって言う建物だよ。」と、観光ガイドのような事を言って見せました。

 相変わらず、友達から「日本の写真をいっぱい撮って来て。」と頼まれて来た長女は、遠目にしか見えないスカイツリーを一所懸命撮っていました。

 本当なら、滞在中に一日くらい都内に宿泊して、東京観光でもしようか…とも考えていたのですが、結局、私自身がなるべく実家に居たかったのと、子供たちがタイ人化していて、何しろ歩くのが面倒…。
 
 車での移動は構わないのですが、電車やバスでの移動に慣れていないせいで、子供たちも「おばあちゃんの家」からあまり出たがらなかったため、ディズニーランドや浅草、スカイツリーなどを計画していた東京付近観光は、私の計画だけで終わってしまいました。


 
 そうこうしているうちに、ようやく実家のある埼玉県に入りましたが、成田から数時間、辺りもすっかり暗くなり、お腹も空いて来たので、実家から小一時間のところにある寄居町で、恒例の…と言うか、4年前とは別の店でしたが、ラーメン屋に入りました。

 子供たちは、日本に来て初めての本格的な日本食?のラーメンに大満足で、4年前もタイに戻ってから、事あるごとに日本のラーメンの思い出を語り合っていました。


 そして、今回も言葉には出さずとも、4人とも期待していたのでしょう、久々の日本のラーメンに満足そうでした。

 そして、そのときのエピソードなのですが、店に入ると長男、長女は私とミックと同席で座ったのですが、何故か次男はおばあちゃんがどこに座るかを確認して、その横にぴったりと座り、おばあちゃんにだけ水を注いで上げたり…と言うサービスぶりだったのです。
 
 まあ、私たちは普段から、次男の周囲の空気を読めないと言うか意に介さない性格や、女性やお年寄りと言う弱者(タイの女性は弱者?と言う気もするが。)に極端に親切な行動を取るのを知っているので、何とも思わなかったのですが、滞在中に、弟がこの時の事を持ち出して、自分には水を出してくれなかったけど、次男はおばあちゃんには手を引いたり、歩調を合わせたりと、やたらに親切だと言う感想を述べていたので、おそらく日本で育っていたら、こうはならなかったかも知れないと言う、次男の長所?に改めて気が付きました。


 と言う訳で、ようやく実家に到着したのは、夜の9時近くだったと思います。

 それでも、大した時差ボケではないにしろ、タイ時間の抜けない子供たちは、迎えで疲れた弟や母には申し訳なかったのですが、夜中の12時過ぎまで、日本での第一夜に興奮してか、なかなか寝付かず大騒ぎでした。


 さて、これでようやく第一日目が終わりました。

 いったい、いつになったら日本帰国記の終わりが来るのか…。
書きたい事があり過ぎて、中々先に進めませんが、どうぞ気長にお付き合いください。 




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Posted by バットニャオ at 01:05Comments(9)

2013年08月03日

4年ぶりの帰国〜その3〜

 日本に到着し、飛行機から降り立った我々は、4年ぶりに日本の地を踏みました。

 とは言え、空港から出て日本の外気を吸うのは、まだ少し先の話でした。


 4年前に、約7年ぶりにして、移住後初めての一時帰国をした時には、この飛行機から入国審査までの通路が何だか物珍しく、その途中に展示されている、いかにも日本情緒を醸し出すような壁紙や装飾に、私たちがまるで外国から日本を訪れた旅行者のような気持ちにさせられたことを思い出しました。
 そのときの気分は、まるで浦島太郎だったのですが、今回は4年前に帰国したことがクッションとなって、その時ほどのショックと言うか、違和感は感じず、懐かしさだけがこみ上げて来るようでした。



 4年前にも立ち寄った、入国審査に行くまでの通路にあるトイレにも入りましたが、あの時は、日本のトイレの驚くほどの清潔さはもちろん、収納式のオムツ替え用のベッドや、母親が安心して用を足す為の、乳児を座らせて置けるシートなどにも新鮮な驚きがいっぱいで、「日本人は何て素晴らしい事を思いつくのだろう!」と一人でトイレの中で感心してしまったのですが、そのときに目が点になるくらい驚いた、空港のトイレの素晴らしさは、その女子トイレに設置されていた「ストッキング履き替え用の足置き台」でした。

 こんな痒いところに出が届くようなアイデアを誰が考えたのだろう。
しかも、それを空港のトイレの設備に採用するとは、本当に「日本人の気遣い文化」を見た気がしました。

 
 さて、4年前のトイレの感動を思い出しながら歩いているうちに、入国審査を通過して、預けた荷物を全員分受け取り、いよいよ問題の最後の難関?、到着ロビーに出る前の手荷物の検査がやって来ました。


 実は、毎回の事ながら、久々の帰国と言うと手放しで喜ぶ訳には行きません。

 主人が、主人の日本の知り合いや日本に住んでいるタイ人の友人に…と、イサーン名物として有名な「サイクローク•イサーン」を生のままで、大量に持たせるのです。


 サイクロークと言えば、要はひき肉やニンニクを腸詰めした物なのですが、香辛料より何より、大量に入ったニンニクの臭いが強くて、何重にも復路に入れてしっかり口を縛っても、まだ臭います。

 多少かさばっても、お菓子とかならまだいいと思うのに、主人は毎回これを持たせるのです。

 しかも、今回は日本にいる幼なじみとその職場の同僚に…と、10キロ近い生のサイクロークを持たされたのですが、それを長男、
長女、次男、私のスーツケースに手分けして入れて、持って行けと言うわけです。

 
 私は、もうどうにでもなれ…と言うか、もし、検査で引っ掛かったら、仕方ないのだからそこで処分してもらえばいい、くらいに気楽に考えていたのですが、真面目な長男は、父親から預かった物を無事、父親の知り合いに届けないと行けないとか、その前に、この空港で検査に引っ掛かって没収されたら、何て言おうかどうしようか…と、かなり内心穏やかではなく、一人であれこれ対策を練っていました。


 その長男が、急に呼んだので急いで後を着いて行くと、長男が引率して行ったその検査のブースには、日本ではよく見かけますが、花粉症なのか風邪なのか、それともただの防御策なのか、大きな真っ白いマスクをした係員の人がいました。

 長男は、自分たちのスーツケースから、サイクロークの臭いが漏れて、検査に引っ掛からないように、わざわざそのマスク係員のブースに駆け込んだのでした。


 長男の機転のお陰かそれともただの運か、何はともあれ、一番の難関だった日本入国審査を何とか通過して、晴れて成田到着ロビーのドアをくぐったのでした。



 さて、無事到着したから、迎えに来てくれているはずの弟に電話をしなければ…と思いながらドアを出ると、ドアを出たすぐのところに弟と母までが待っていました。

 こうして、いよいよ4年ぶりの日本での時間が始まりました。
この時点で、私の頭からはすっかりタイでの10年以上の日常が消えていました。

   


Posted by バットニャオ at 22:33Comments(8)

2013年07月18日

今年もビザ更新。

 今年4月から5月の長期休暇中に、4年ぶりの帰国を終え、その回顧記事をもうカオパンサーに入ろうとしている、今頃になって書いている。
 しかも、まだその記事が日本入国を済ませていない程進んでいないのであるが、ここで毎年恒例の、これから先後何回更新するのかわからない、ビザの期限日が明日18日に迫り、先週の10日にその更新に行って来たので、そのときのことを少し書いておこうかと思った。


 さて、昨年は確か『ビザ更新料の理由』と言うタイトルで、以前は500バーツと言う区切りのいい数字だったビザの更新料が、数年前にぐんと値上げされ1,900バーツになったが、その数字が「何故2,000バーツではなく、1,900なのか?」と言う内容で書いた。

 
 それを思い出してみると、昨年までの私と今年の私が少し変わった感じがしたので、こうして書き記したくなったのだ。


 昨年までの私は、この1,900バーツのお釣を、あれこれ因縁を付けながら、自分の懐に仕舞おうと画策しているタイ入管職員の不正に拘っていた。

 やはり、日本人的な感覚からは、公務員の汚職なんて許せない…と言う気持ちがあったように思う。
帰り道、ついその事を遠回しに愚痴って、主人の怒りを買ったものだった。
 「せっかく、処理が終わったんだから、100バーツくらいでグダグダ言うな!俺は、次の受け取りのときには、手土産にサイクロークを買って行こうと思っているのに!」と言うのが、主人のいい分だった。




 そうして、今年のビザ更新。

 例年の通り、コンケーンの入管事務所に入って行くと、昨年、お釣を待っている私に、話をはぐらかして、どうしてもその100バーツを返そうとしなかったオジさん職員の姿は、今年はなかった。

 受付のお姉さんは見た顔である、確かターリーにいたような…。
昨年オジさんが座っていた中央のカウンターには、確か、数年前はコラートの入管にいて、昨年からここに来た、30代後半くらいの職員。
コラートのときは何度も顔を合わせているので、タイ人の顔をほとんど覚えない私でも見覚えがある。

 そして、そこに呼ばれるかと思いきや、一番入り口に近いカウンターが先に空いた。

 その職員は、初めて見る顔だ…と思う。

 タイ人にアフリカ系のハーフを掛け合わせたような顔立ちの職員だった。

 
 今年は、毎年変わる入管の必要書類のいい加減さから、毎年時間を喰って主人の怒りを買うので、今年は昨年貰って来た必要書類一覧を見て、あらかじめ必要書類を完全に準備して行った。


 コピーもしっかり2部ずつ撮り、家族の写真は長男がコラートの大学から帰って来る土日に、家族揃って店の前で撮影。
確か3枚と書いてあったが、念のため角度や場所を変えて5枚撮り、それぞれを2部ずつプリントして持参。

 それぞれの書類のコピーにもすべて自筆サインを書いておき、なるべく入管での時間が省けるようにした。


 ところが…。

 完全に用意したはずの書類の中で、「結婚登記簿」と言うのが、私たちの認識では、外務省発行の「家族関係証明書」で代用と言うか、私たちのタイ語での結婚証明はそれしかない…と思っていたのだ。

 もともと日本で籍を入れ、それをタイの実家の市役所に籍入れしようとしたところ、田舎の職員がゴネタので、主人はバンコクに飛んで帰り、外務省に行って「日本の戸籍を証明する」家族関係証明書のようなものを作成して帰って来たのだ。


 それ以来、外務省の職員のアドバイスか、大事にパウチしたその紙切れを2部、主人と私用に用意して、色々な証明に使って来た。
そのため、主人もそれが結婚証明になると思って疑わなかったのだ。

 
 ところが、今回はこれで引っ掛かった。

 そのアフリカハーフ似の職員が、「これは決められた書式とは違うから、これだけではダメだ。日本の証明書はないのか?それを提出するように。」と言う。

 そして、主人が明日ですか…?
と少し渋っていると、

 「そうだな、ここまで来るのに遠かっただろう。チャイヤプムからガソリン代いくらくらい掛かった?」

 主人が、「1,000バーツくらいです。」と言うと、

 その職員はニヤッと笑って、「それは大変だな。そうだ、FAXで送ってもいいぞ。ガソリン代1,000バーツ払ったと思えば、来なくてもいいんだから、その方がいいだろう。」


 私は、このやり取りを聞いていて、何となく「ああ、賄賂要求してるんだな…。」と思ったが、何だかそれはもうタイ人に取っては当たり前の潤滑油なんだな…と言う気もして来て、その賄賂要求に昨年のように、怒りどころか、何の感情も湧かなかった。

 ただ、まあこれで済めばそれでいいのかも…と言う、他人事のような感覚になっている自分がいた。

 
 公務員至上主義のタイで、ここで権力を持つのは、外国人の私たちではなく、入管職員。

 つまり、入管職員がクロと言えばクロ。こっちがどう正当性を意見してもシロにはならないのだ。

 ここで、そういう無駄な時間を費やしても仕方がない。
 
 主人に言わせれば、もし明日出直せと言われれば、結局そのガソリン代と無駄な時間をダブルで喰う事になる。
 
 確かに、本来払わなくてもいい1,000バーツを払うのは悔しくなくもないが、それに反論して楯突いたところで、無効の反感を買っては、こちらのビザまで危ない。

 滞在許可のビザがなければ、堂々とタイにはいられない。別に好きでいる訳ではないが、我が子4人が立派に成長するまでは、何があってもタイに残らなければならない。


 どう見ても、ここで余計な波を立ててはこちらの形勢が悪い。


 結局、その話の流れでビザの更新手数料を払う際に、主人はさっと3,000バーツをその職員に渡した。

 そしてその職員も、さっと数えると「はい、ちょうどですね。」とにこやかに笑って応えた。

 それを横目に見ていた私の心の中で、「ちょうどかよ…。」と言う言葉が、独り言のようにこだました。


 
 タイに住んで11年目、ようやくタイに対する理解が深くなると同時に、眼光には諦めの色が増すのを自覚した出来事だった。




  


Posted by バットニャオ at 00:29Comments(11)タイの常識

2013年07月06日

4年ぶりの帰国〜その2〜

 リエントリーの取得を無事済ませた私たち母子5人は、4年ぶりのタイ出国に少し緊張しながら、出国ゲートをくぐりました。

 とは言え、朝の出国のためのチェックインから先ほど済ませたリエントリーの取得までで、結局かなりの時間を費やしていたため、スワンナプーム空港内の免税店を見て回る余裕などもなく、ゲートの方向を探しながら急ぎ足で進みました。

 途中、せっかくの機会なので、貯めて置いたヘソクリのタイバーツを、日本円に両替して…などと思ったのですが、気が付けば、もう最後の両替所で、慌てて聞いたところ、そこの日本円の在庫がないと言う事で結局両替は果たせずに、せっかく持参して行ったのにタイまで持ち帰って来ることになりました。


 それでも、もう乗機のゲートが開かれて、皆乗ってしまっているかと思ったら、まだゲートは閉まっていて、待合室に沢山の人が待っている状態でした。

 そこで、私と長女が広々と一列空いている空席を見つけて座り込んだのですが、しばらくして、長女がキョロキョロしているので、不思議に思うと、「ねえ、ここお坊さん用の席だよ。」と気が付いて教えてくれたので、慌てて全員で移動しました。
 ゲートに一番近い席に、僧侶用の優先席が設けられていて、そこのシートだけ少し色が違っていたのです。
もちろん、タイ語で僧侶優先席の表示も。

 が、私たちは慌てていたので、最初は見回す余裕がなかったのでした。


 今回は、最初は日系の航空会社で…と思っていたのですが、時間の都合上、長男が予約したタイ航空になりました。

 相変わらず、にこやかな出迎え。
 20年以上前に、初めて乗ったときは、この笑顔に「さすがは微笑みの国」と感動し、女性だけにサービスされる蘭の生花のコサージュにもまた感動したものでしたが、タイに住むようになってからと言うもの、この微笑みの正体も何となくながら理解出来るようになったし、第一この蘭の生花のサービスは、単なる無駄なのではないかと感じるようにさえなっています。

 この蘭を受け取ったときは嬉しいけれど、それも一瞬。
結局、襟につけるのも邪魔だし、何だかんだで結局はゴミ箱行き…。

 もう少し、別の料理の内容とか、飲み物サービスの向上などに経費を使った方がいいのでは…?と感じてしまいました。
でも、まあ、初めて微笑みの国を体験する方には、やはり感動もののサービスなのかも知れませんが。


 そんなこんなで、何度目かのタイ航空の空の旅を終え、無事に成田空港に到着したときは、毎回の事ですが、正直ホッとしました。

 昔、主人と最初にタイの実家に里帰りをした時に、当時のドーンムアン空港に無事到着したとき、着陸の直後に私が、

「ああ、無事着いてよかった。」と何気なく言ったら、

「そんな事を言うもんじゃない!」と主人に怒られた事がありました。

 そんな縁起でもないことを言うな!と言う意味だったと思うのですが、今こうしてタイに暮らしていると、うちの主人を始め、タイ人はもっと凄い事を「〜でなくて、良かった。」と言う風にではなく、事前に「〜するぞ!(死ぬぞ!とかぶつかるぞ!とか…)」ともっと縁起でもない事を平気で言い放ちます。


 その事はもう20年近く経った今でも、頭の片隅から離れずに、飛行機の離着陸時には決まって思い出すのです。

 この辺の価値観の違いは、タイにいくら住んでも、私は変わる事がないだろうな…と思うのです。
もちろん、タイ人の価値観に合わせて自分の価値観を変えられる人は別ですが、私は表面上はタイに慣れたフリをしながらも、心の底ではいつも、「自分の価値観が日本的だ」と言うことを強く感じています。

 

 と、そんな事を考えているうちに日本到着となりましたが、日本到着時の出来事はまた長くなるので、次回へ譲らせて頂きます。



 


 






  


Posted by バットニャオ at 01:24Comments(17)

2013年06月23日

4年ぶりの帰国〜その1〜

 4年前の父の葬儀に参加するために帰国して以来、せめて一周忌には帰国しようと思ってはいたものの、こちらの生活(子供たちの世話や、稼業の部品店の経営など)に足を引っ張られて、「まあ、私が帰ったところで、何も出来る訳でもないか…。」という無力感から、また一年また一年…と、もう一周忌に帰れなかったので、次はいつ帰っても同じような気がして、すっかり消えてなくなっていたのが、私の日本帰国の機会でした。


 ところが、例のマルチ商法の熱が残っているか冷め始めたからか、子供たちの長期休みを控えた2月の半ば頃になって、主人が急に「この休みに日本に帰って来れば?」と言い出したのでした。


 それからは、もう話がどんどん進んで、いつものように主人が強制するような感じで、私がまだ心の準備も出来ないうちから、パスポート、ビザ…と次々と話を進めて行ってしまったのです。


 と、こうして話は進んだものの、主人は「日本に行く前に、今注文して届いている商品を全部チェックしてから行け。」と言うので、出発の前夜まで、伝票と商品のチェックに追われての出発となりました。


 出発は、4月の16日の早朝の便。
そのため、15日の夕方には、日本行きの支度をして家を出発、主人の母と親戚と夕食をして、午後9時過ぎにスワンナプームに向けてチャイヤプムを出発しました。


 空港に到着したのは、夜中の1時半頃。

 主人は、往復6時間以上の真夜中の運転と、明日の朝から一人で店番をするため、私たちを空港まで送ると、そのまま急いでチャイヤプムの我が家に引き返しました。

 飛行機の出発時間が朝7時だったので、それまで空港の椅子に腰掛けて眠るバックパッカーの仲間入りをしました。

 とは言え、そういうことに慣れていない子供たちは、椅子に腰掛けてもろくに眠れない様子でしたが…。


 もう、すっかり目が覚めてしまっている末っ子のミックが、「お腹が空いた。」と言うので、空港の3階にあるフードショップでサンドウィッチや、ケーキを買って夜中の3時頃食べましたが、値段的には今から考えると、目玉が飛び出るくらい(ケーキが一個100バーツとか、パンが60バーツとか、)だったのにも関わらず、もう「日本に帰国!」と言う緊張感で、常軌を逸したこの値段にも、何の躊躇もなく買っていました。(まあ、タイの外国人向け料金からすれば、これはごく当然の値段なのかも知れないですが。)


 さて、そうこうしているうちにようやくチェックイン時刻の午前5時半になりました。

 実は、このとき私の頭の中は、あらかじめ用意出来なかった『リエントリーパミット』の事で頭がいっぱいでした。

 皆さんもご存知の通り、今まで10年以上毎年更新して来たビザも、もしこのリエントリーを取って行かなければ、ビザが消滅してしまいます。


 4年前の帰国時は、何故か一時的にチャイヤプムの入管の管轄がコラートになっていたので、コラートの事務所でリエントリーパミットを取得してから行けたのですが、もう3年以上前から管轄がコンケーンに変わってしまって、年に一度のビザの更新時以外は行かない…というくらい、縁遠い場所になっていたのですが、今回も時間がなくて行きにくいので、子供のパスポート申請の際に、足を伸ばしてスワンプルーの入管でリエントリーを…と思って行ったのですが、甘かった…。


 日本大使館から、徒歩とソンテウを乗り継いで着いた入管には、この4月に出国予定の外国人が溢れ帰っていて、整理券を渡して処理する始末。
 しかも、昼近くになって着いた私は、「今日はもう順番がいっぱいだから、明日来てください。」と断られてしまいました。

 住まいがバンコク市内ならまだしも、チャイヤプムから日帰りで来ている私には、明日はない!と言う事で、一か八か空港でのリエントリーパミット手続きに賭ける事にしました。

 「賭ける」と言うのは、ネットの中の情報を探しても、空港でのリエントリー窓口が閉鎖されたとか、再開されたとか、時間に関しても、朝の6時から夜中の24時までが営業時間だとか色々な事が書かれていて、私なりに見つけた最新情報では、出発が朝6時前の人は無理だが、私は朝7時の出発なので、なんとかなるのではないか…と言う事。


 もし、ここでまた閉鎖されていたり、職員がどこかに行っていて出来なかったりしたら、目黒(今は目黒ではないと言うことを後で聞きましたが)のタイ大使館に行って、ビザを取り直さなければならないかも…という心配でいっぱいでした。

 そうしたら、主人からは、事前に準備が出来ていなかった私の落ち度として、大目玉。ボロクソに言われるに決まっています。

 チェックインを済ませ、荷物を預け、外国人用の出国審査の方に歩いて行くと、出国審査のカウンターに行く手前の部屋の片隅に、リエントリーパミットと書かれた張り紙が見えました。

 しかも、係員のお兄さんもちゃんと座っています。

 私は胸を撫で下ろしました。

 ビザの必要のない子供たちを待たせ、必要書類に書き込んで物の十分も掛からずに終わりました。
あれだけ、頭を悩ませていたのがウソのようです。


 さて、これで帰国際しての問題はすべて解決し、心置きなく日本に出発しました。






 



  


Posted by バットニャオ at 23:38Comments(13)

2013年06月15日

久々の更新。

 前回の更新から、いつの間にか2ヶ月も経ってしまいました。

 このところ、精神的に追いつめられたような状況が多く、まあ様々な理由から更新がすっかり滞ってしまいました。


 そうしているうちに、今回は何と4年ぶりに日本への一時帰国の話が持ち上がり、私の戸惑いとは裏腹に事態はどんどん進行して行き、来たる4月16日の早朝の便でスワンナプームを出発、5月11日にタイに戻って来るという予定で日本帰国が決まりました。


 しかし帰国までの準備は、普段イサーンの田舎町の自宅に引き蘢っている私にとって、精神的にも身体的にもかなり大変なものでした。


 まず、私が帰国するに当たって、絶対条件は子供たちを揺れて行く事。

 自分一人で帰国するだけなら、行かなくてもいい…くらいの気持ちです。

 日本で暮らさず、タイに連れてきてしまった子供たちに、日本の生活を味あわせてあげたい…と言うのが、帰国の第一の目的です。


 と言う訳で、私は十年のパスポートを持っているけど、子供たちは前回の帰国時に使ったパスポートは切れてしまっているので、まずは子供たちのパスポート申請から始まりました。

 一昔前と違い、タイのパスポートについては最近は便利になっていて、バンコクまで行かずコラートで作れるようになっています。

 そこで、まずはタイのパスポートを作りにコラートへ。

 未成年なので、両親が揃って行く事が条件。
もしそう出来ない場合は、市役所で別の書類を作ってもらってから、それも持参しなければなりません。

 今回は、主人も同行したので、問題なく申請完了。
その後、手数料支払い時に郵送の手続きをして、タイのパスポートは郵便で送ってもらえるので、すごく便利です。


 そして、私が思いついたのは、今回はタイのパスポートでタイ人として日本行きのビザを申請して行こう!と言う事でした。

 どうせ日本のパスポートを作っても、使用するのはおそらく今回のみ。
4人分なので、手数料もバカにならないし、タイのパスポートがあるし、普段はタイ人として生活しているのだから、タイ人として入国すれば…と言う思いつきでした。


 そこで、その件について、日本大使館に問い合わせたところ…。

 「日本国籍を保有する者は、日本行きのビザは申請出来ない。」と言う事実。

 今すぐ、日本国籍を捨てても、その手続きに色々大変そうだし、結局大使館に行かねばならないだろうから、一度しか使わないのでもったいないけど、やはり正規に日本のパスポートも所持して二重国籍の子供として帰国するしかない…と諦めたのでした。


 一応、他の国(カナダだったかアメリカだったか)に住んでいる方のブログなどを見た限りでは、その方々は何の不都合もなくその国のパスポートで行き来出来たらしいけれど、それはもしかしてその国から日本に入るのに、ビザが必要でなかったとか言う事なのかな?と思いました。

 タイは、昔から不法就労不法滞在者の宝庫で、日本行きのビザは特に厳しいから、タイ人が日本に行くにはビザ無しではダメなのだろうと納得。

 
 と言う訳で、何とか飛行機のチケットも手に入れ、(当初の予定は4月の上旬だったが、こんな時期に思いつきで帰国することになったので、取れたのは4月16日になってしまった)何とか4年ぶりの帰国と相成ったのでした。


 ※この記事を前回書いていたところ、突然の消失…。
せっかくの復活となるはずだったのですが、その日はすっかり意気消沈。


 これがその日わずかに残った、自動保存の残りです。

 と言うわけで、これからぼちぼちと久々の日本一時帰国の感想や様子、その他の事も含めて更新したいと思います。

 また宜しくお願いします。  


Posted by バットニャオ at 23:28Comments(17)

2013年02月05日

待ち人来ず

 さて、仏歴2556年が明けてもう一ヶ月が過ぎた。

 今年の一月というのは、実は我が家にとっては二人の人を待っていた月であった。

 その一人というのは、『続•一期一会〜ロット•タイのその後〜』(http://mic.namjai.cc/e66134.html 参照)で、我が家が借金の肩代わりをする形で購入したロット•タイ(トラクター)を買った主なのだが、昨年の譲渡契約の時には、昨年中(つまり丸々一年間)に購入代金の未払い分の残金を支払う…という契約だった。

 つまりその期限というのが昨年の12月末日迄だったのだが、やはりお人好しの主人は、それを更にひと月待ってあげて、今年に入っての一月末日までに支払わなければ、売ったロット•タイを差し押さえに行く…と言う話であった。


 ところがと言うか、思った通りと言うか、やはりこの一月末日を過ぎ、2月に入っても一向に現れる気配がない。

 そして、これも思った通りなのだが、肝心の主人も一向に差し押さえに行くでもなく、平然と過ごしている。

 私と長女は、もう昨年の11月頃から、「もうそろそろ、電話でもして支払いの催促しておいた方がいいんじゃない?そうすれば、向こうも準備出来るし。」とか遠回しに促してみたり、仕事机の支払い日などを記した卓上カレンダーの一月の頁に、「ロット•タイ未払い分、100,000バーツ」などと書いたメモを貼り、主人の注意を促したが一向に気にしない様子。

 そして、ついに一月も下旬に近づいた頃、「例のロット•タイの買い主の電話番号は分かるの?もうそろそろ、連絡入れて置いた方がいいんじゃない?」などと何気なく言ってみたのだが、それが勘に触ったらしく、「そんな事はお前が、いちいち口出さなくてもいいんだ!お前はお前のやるべき事をちゃんとやれ!」と逆ギレ…。


 私も、これならもう何も言う事はないと見切りをつけ、主人の「責任」に任せる事にして、カレンダーの注意を促すメモもさっさと剥がし、それ以降「ロット•タイの未払金」の話は一言も口にしなくなった。


 
 そしてもう一人の待ち人と言うのは、『詐欺師』(http://mic.namjai.cc/e86355.html 参照)で登場した、「ローイエットの母親の葬儀に行くからお金を貸してくれ」と言って、見ず知らずの我が家の主人に借金を申し込み、借金の形にプラ(お守り)を置いて行った女性である。

 一応、主人は彼女の作り話(だと私は思う。)と「稲刈りが終わったら、借りた1,000バーツを返して、そのプラを取りに来る。」と言う言葉を信じて貸したのだが、やはり予想通り、稲刈りの季節が過ぎても、一向に現れる気配はない…。

 
 
 という二人のタイ人を待っていた、一月が終わった。

 さて、もう2月。
気を取り直して、そして細かい事は気にせず生きて行こう。

 他人の事で健康を崩しては元も子もない。

 プラの詐欺師はともかく、ロット•タイの買い主の件は、遅かれ早かれいずれ結果が出るに決まっている。

 主人が責任を取ると言った以上、私も口を噤んでいた方がいいようだ。

 我が家の家計に響かない以上、「俺の金」の収支に口を出しても仕方ないと言うものだ。

 


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Posted by バットニャオ at 00:15Comments(16)タイ人の実態

2013年01月12日

魔術師?詐欺師?

 先日、いつものように店の仕事をしていたの事だった。

 その前日に頼んで置いた、ポートートー(PTT)のハイドリックオイルの配送が来た。

 我が家はチャイヤプム県だが、このポートートーのオイルはコラートから配達に来る。
チャイヤプムにも代理店は有るのだが、コラートの方が少しだが安く仕入れられるので、そちらに頼んでいるのである。

 
 そして、配達のお兄さんも、もう何度も来て顔なじみであった。

 今回は、50缶頼むと2缶オマケがつくと言うので50缶頼んでいた。

 金額は、一缶980バーツで、総額49,000バーツだった。

 商品の搬送が終わるといつものように、さっきまで搬送していたお兄さんが、伝票を持って集金に入って来て、事務机の横にピタッと構えた。

 その机の上に現金を出して、10,000バーツずつ数えながら渡して行く。

 一万、二万…と数えて4万バーツ目の束を数えて、「8、9、10…。はい、4万バーツ。」と言って渡して、彼が確認のため一枚ずつ数えた。

 そこで、事件は起きた。

 「ジェー(奥さん)、一枚足りませんよ。これ、9千バーツしかないです。」
と言ったのだ。

 私がさっき自分で数えたときには、確かに10枚あった、あったからこそ渡したのだ。
足りないと気が付けば、自分でもう一枚足して10枚揃ってから渡すに決まっている。

 私は彼の持っている札束を返してもらって、もう一度数えた。
すると、確かに9枚しかない。

「???」

 何だか狐につままれたような感じで腑に落ちないのだが、こちらも絶対に10枚あったと言う確たる証拠がない。

 私は、思い切り不審の眼差しで、「あんた、ウソついてないか?」と言う、疑惑の思いを込めて彼の目を見つめた。

 しかし、敵も去るもの。
ニッコリと笑みを浮かべ、私が引き出しから1,000バーツ札をもう一枚出すのを待っている。


 実は、これは今回が最初ではなかったのだ。

 数週間前に来たときも、同じようなことがあった。

 そのときは、2万バーツに満たない金額だったのだが、やはり彼が数えてみたら、一枚足りない…と言うことがあった。

 そのときが最初だったので、私はてっきり自分が数えて束にするときに、数え間違えたか、その後に主人が、一枚抜いて何かの支払いをしたかも知れない…などと考えたので、彼が抜いたなどとは、微塵も疑わなかったのである。

 
 しかし、今回は違った。
いつもの事だが、私は引き出しにしまうときに、必ず数えて10枚ずつ重ねて折って、10,000バーツの束にしてしまって置くのだ。

 それを取り出して、渡す前にもう一度確認で数えているのだから、本来なら足りないはずはないのである。

 今回の事件で、この前の「一枚足りない」件も、彼の仕業だったと気が付いてしまった。

 学校から帰って来た長男に話したところ、「実は子供の頃、貧乏でお金がなくて、ついこういうクセがついてしまって、それが抜けなくなってしまったのではないか?」などと分析(想像)していた。

 その直後は、もう騙された自分が情けなくて、しかも人の良さそうなその満面の笑みに騙されていたかと思うと悔しくて、やはりタイ人は信用してはいけない…などと、地団駄踏んだのだった。
 しかし、落ち着いて考えると、このPTTのハイドリックオイルは売れ筋商品だし、我が家がハイドリックホースの製作をしている以上、このオイルを売らない訳にも行かない。

 しかも、この会社が一番安くて配達までしてくれるので、ここ以外の会社から買う訳にも行かない。

 つまり、この会社からの購入を止められない以上、この配達のお兄さんと付き合って行くしかない。

 
 そこで私が考えたのは、注文した時点で、金額が分かっているので、ちょうどの金額を用意して、ホッチキスで留めてしまう事だ。
 これなら、彼が抜いて、「一枚足りないです」が通用しないだろう。

 主人は、彼の目の前で、一枚一枚並べながらゆっくり数えろと言うが、実際店が忙しいときや、一人で店番のときは、そんなことをしていたら商売にならない。

 主人は、自分がいる設定で考えているが、そういう日にこの配達が来るとは限らないし、そういう手段では、実際配達が来て、慌てていたら、今度は2、3枚持って行かれるかも知れない。本当に、主人は甘い甘い…。
 普段、自分が一人で窮地に立たないから、その状況が分からないのである。


 
 さて今回は、私の疑惑の眼差しを振り切って帰って行った彼だが、次回はまた素知らぬ顔で、満面の笑みで「こんにちは!配達に来ました!」などと挨拶をするのだろうか?
それとも、もう来ないか?
 
 今回は大量に頼んでしまったので、次回の配達まではまだだいぶ日が経つだろう。

 タイに10年以上も住んでいながら、今更この手の詐欺に騙されたのは情けないが、この悔しさをバネに、またこのイサーンで逞しくなろう!と思った事件だった。


 

更新しました!! 

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Posted by バットニャオ at 01:05Comments(18)タイ人の実態

2012年12月14日

サトウキビ畑の収穫の後に…。

 最近、朝暗いうちから夜遅くまで、家の前の通りは、収穫したキャッサバ芋やサトウキビを過積載したロット•イテーンが爆音を立てて走り過ぎて行く。

 日本も秋は収穫の時期、タイに秋はないのだが、何となく季節が重なるように感じるようになったのは、もう何年も前からのことである。


 もちろん、米の収穫もこの時期にもあり(二期作、三期作をしている所もあるが…。)、米の刈入れ車を載せたトレーラーの往来もこの時期が一番多くなる。


 と、こんなところがイサーンの農業地帯の様子だが、今朝はいつも通り早朝6時半に店を開けた瞬間、何か焦げ臭い臭いが鼻を突いた。


 この臭いは、どこかで覚えがあるな…と思いつつ、店の周りを見渡したのだが、見渡せる限りの範囲では、どこからも煙の上がる様子も見えなかった。

 そのうち、この臭いは「クラッチディスクの摩擦で焦げた臭い」に似ているな…と気が付いたのだが、どこにもそういう物が見当たらなかった。


 その後夕方になって、風の向きなのか、またもあの「焦げた臭い」が漂って来た。

 すると、出掛けようとして車の準備をしていた主人が言った。

 「ああ!やっぱり、どこかでサトウキビ畑を焼いているんだよ。ほらっ。」

 主人の指差す車のフロントガラスには、確かに風に乗って飛んで来たと思われる、煤がところどころに乗っていた。

 

 しかし、私が「でも、サトウキビ畑だとは思わなかったよ。だって、焦げた車のクラッチディスクみたいな臭いじゃない?」と言うと、

 「そうだな、どうせ古タイヤに火をつけて燃やしているんだろう。だから、そういう臭いがするんだよ。」と言う。


 その後も家に入って、「何で古タイヤを使って燃やさなければならないのか?」について考えていた。

 主人たちタイ人が言うには、その方が燃えがいいから…と言うのだ。

 燃えがいいって、それだからって古タイヤを使うなんて…。
日本だったら違法だろうな…、だって家の裏でゴミを燃やすだけだって、近所に迷惑が掛かるから燃やしてはいけない…なんて母が言っていたし。

 環境問題に厳しい日本では、悪臭やダイオキシン発生などで問題になると聞いた事がある。

 しかし、ここはタイ。

 そういう細かい事は気にしないのが、タイ好きの皆さんの合い言葉「マイペンライ」。

 でも、タイ好きではなくなっている私は考えてしまう。

 いくら、日本や他の先進国で、環境問題について話し合い、規制などの合意をしようが、それ以上に多くの国が完全に無関心、あるいは一部の有識者だけで認識していても、ほとんどの住民にはその意識はない…という状況。

 よく日本で取り組まれているエコ活動も、同じ船に乗っているその他の大多数の国々の協力があり得ないのでは、意味があるのだろうか?

 今朝のサトウキビの焼き畑に、そんな思いに駆られた一日の終わりだった…。

 

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Posted by バットニャオ at 23:35Comments(9)田舎の生活

2012年11月29日

マルチ商法の罠

 確か、8月のブログで書いた(更新が遅すぎて、すでに月刊ブログになりつつある…汗。)『ネズミ講』の記事だが、その後色々調べた結果、また新たに私の世間知らずが発覚し、この主人の場合、お金のみではなく商品が関係するので、『ネズミ講』ではなく、『マルチ商法』と呼ばれることが分かったので、まずその訂正を一言。

 
 さて、本題に入ろう…。

 まあ、日本での呼び方はこの際どうでもいいのだが、その後の主人とその友人たちを巻き込んだマルチ商法『unicity』の展開について書いてみたい。


 まず、その商品を売りに来た友人とその上司からの何度にも及ぶラブコールにより、最初は「家族の健康の為に、購入して飲むだけ…。」と言っていた主人が10月の終わりに、遂にunicityの『キャンプ』なるものに参加した。


 それまでは、商品の服用や、商品を切らさないために頻繁に例の友人と連絡を取ってはいたが、商品の注文電話とメール、それから代金の振込などで、顧客と言う立場だけにとどめていた。

 それが、散々の友人からの誘いに断りきれなくなったそうで、最初は気乗りしない様子で、でも、その友人に応える為に…という様子で、リュックサックに数日間のお泊まりセットを荷造りして、10月の最終の木曜日の夜に夜間バスでバンコクに出掛けて行った。

  
 それから、数日間のキャンプの期間は、「外部との連絡は夜間だけ」と言うことで、昼間は携帯の電源も切らされていたそうである。

 まあ、我が家の場合、普段からあちこちへと出掛けて居ない事が多いので、主人が数日間失踪したところで、私にも店の商売にも何の影響もない。
 しかし、あちらから昼間だけでも電源を切られていると、何となく気分が悪いので、タイ人妻なら考えられない、夫の行動チェックなど普段からしない私だが、夜になっても連絡も全くせず無視していた。


 そうして数日が過ぎ、一応予定していた日曜の夜中には間に合わなかったが、月曜の朝8時頃になって、数日間の埋め合わせをするかのように手土産を両手いっぱいに抱えて、ようやく帰宅した。


 しかし、帰宅当初は、私も子供も主人の変化に全く気が付かなかった。

 その変化が徐々に現れ始めたのは数日後のことだった。

 帰宅した主人は疲れの為か、丸一日爆睡した後、また例の友人に連絡を取り始めた。
そして、数日後…。

 
 普段なら、義母を誘ってとか、主人の友人との約束くらいしか出掛けないのに、その日は夕方になって、
「おい、今夜の夕食は焼き肉を食べに行こう!」
と言い出したのであった。

 私だけでなく、子供たちもみんな、
「え?何だか怪しい…。また友達とでも約束してるのかな?」
と疑った。
 ところが、結局、友人も親戚も現れず、我々家族だけの焼き肉だった。


 主人の目的は、家族揃っての食事で、先日のキャンプでの様子やそのときの感動を伝えたい…ということだった。

 キャンプでの様子を腹の底から面白そうに、感動を交えて話す主人に、焼き肉の焼けるのを待つ間、仕方なく聞いていた私たちは、主人の思惑とは裏腹に、私も子供たちも思い切り白けていた。
 いいにおいで焼けた焼き肉の周りでは、主人の感動と決意だけが空回りしていた。


 その日を境に、主人は家族に告白した。
「俺は、家族の為にunicityで稼いで月給10万バーツ、ランボルギーニに乗る生活をするぞ!」と言う宣言の下、積極的に活動を始めた。

 私には、「これからしばらくは、店のことお前に頼むよ。少しの間の辛抱だ。」と言うので、私は内心、「今までだって、大して店の事なんかやってないんだから、別に今までと変わらないでしょ?」と思っていた。

 何だか分からないが、私も子供たちも、「ポー(お父さん)は、あのキャンプとか言う集会で、催眠術でマインドコントロールされて来たに違いない。」と思っている。

 とにかく、あれほど気乗りしない様子だった主人が一変して、こんなマルチ商法の僕と化してしまったのだ。

 もともと内弁慶で、外面はいいが、どちらかと言うと口べたで、セールスマンどころか、コンビニの接客さえ出来そうもない性格の主人が、こんなバカ高くて、買う人がいるのか?と思うような商品を売る為に、顧客リストを作ったりしている。

 しかも、私が何よりも驚いたのは、電話を買ってもその取り扱い説明書さえ読んだ事がないくらい、活字嫌いの主人が、そのセールスの先輩に勧められたからとかで、分厚いビジネス書を自分で買って来て読んでいるのである。

 まあ、もともと活字が苦手なので、読む速度はあまりに遅いが、マーカーで線を引いたりしながら、真面目に読んでいる姿を見ると、まるで別人なのである。

 実は、主人は何かの機械を使って洗脳されたのではないかと思ってしまう。
 
 今のところ、すでに一ヶ月以上が経過したが、日々悩みながらもこの新しいビジネスに没頭している主人。

 私的には、主人はこのビジネスのどこにそんな魅力を感じているのか、単に『金』の力か、またまたやはり洗脳されたのか?と疑問に思うのだが、あまりにも長くなってしまったので、今回はこの辺にしておくことにする。

 この続きは、次回に…。


 

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Posted by バットニャオ at 01:51Comments(21)タイでの商売

2012年11月08日

タイ男の行き着く先は…。

 とかく女性が多い主人の友人なのだが、その中でも数人の男友達の一人である高校時代の同級生にソンポンと言う友人がいる。

 彼は、高校時代は特に目立った秀才でもなかったが、高校卒業後軍隊に入り、軍隊生活を2年続けた後、軍隊生活の中で独学をしながら、カセサート大学でエンジニア学部に合格し、大学卒業後は民間の会社に引っ張られて、その後も引き抜きを繰り返し、今は月収6万バーツくらいというタイ人としてはかなりの高給取りとなった…という出世頭の友人である。


 ところが、その彼にも満たされない部分があった。
 
 彼は、外見もそう悪くはない、エリートサラリーマンという風貌なのだが、何故か未だに未婚なのである。

 タイだと、「ゲイだろう」などと言う事がささやかれるが、彼は至ってノーマル、過去にも数人の女性と交際して来たが、結婚には至らなかった。

 その過去の交際相手も、看護婦、スチュワーデス、女医…となかなか高学歴で容姿端麗な彼女たちだったらしいが、結局、最後の関門には至らなかった。

 彼曰く、綺麗で学歴もある女性は、わがままで扱いにくい。
最初は、ご機嫌を取っているが、最後には疲れてしまって、結局破局…というパターンだそうだ。

 しかし、彼の職業柄か、「庶民的だが性格の良い優しい女性」との出会いはなかったらしい。

 

 そんな彼が、40歳を過ぎてある思いに至った。

 このところ、友達とのネットでのおしゃべりでも、盛んに「仏法」の事ばかり話し始めると言う。

 そう!
彼は、僧侶になろうと言う決意をしたのだった。
 このソンポンの場合は家庭環境に問題があり、母をかなり前に亡くし、残された父との対立がもう数年続いていて、最近、その出家を思い立ってから、父の為に事務処理などを済ませようと思ったり、父との関係に折り合いがついて来たらしく、もう、結婚や家族への希望もないので、俗世を捨ててしまおうということらしい。


 まあ、このソンポンのような理由ならまだいいのだが、タイの男は、何かと言うと「出家」で逃げようとするから性質が悪い。


 博打で身を持ち崩した、家族を養って行けない、妾を作っていたが本妻との間で泥沼の関係になった…等、何でも「現実逃避」する為だけに、出家してしまおうという短絡的な出家僧が多い気がしてならない。

 頼りない若者ならまだ分かるが、教育者として人生の半分以上を過ごし、定年後は地元の役員などもした主人の友達の父親も、いい歳をして出家。
 出家と言えば聞こえはいいが、実際は、家にいる精神病の息子から逃げるためという、実に無責任な出家である。


 事実、タイ男は何か都合が悪くなると、すぐに「出家でもしようかな…」などと漏らす。

 こういう現実を見るにつけ、タイは有名な仏教国だが、タイの僧侶の80%くらいは、こうした真剣に仏教を学ばない「仮の姿」僧なのではないかと思っている。

 こういった「俗僧」は、仏教の戒律もそれほど守らないし、平気で金銭に触れる、車の運転はする、ヒッチハイクをしながら、寄進のお金を要求する…と言う、本来の僧侶には考えられない行動をしている。

 やはり、そういう僧侶は顔立ちもひどく俗物的で、我が家に買い物に来る僧侶などでも、お供が金銭を管理するのでなく、自分の僧衣の裾から現金を取り出す僧侶などは、顔立ちが実に俗っぽいので、私は内心、

「この僧侶は(タイでは僧侶であれば「人」ではないので「この人」と呼んではならない)、きっと、世間でやましいことでもして、それから逃げる為に出家したに違いない。」

と、勝手な想像をしながら、商売をしている私であった。



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Posted by バットニャオ at 00:06Comments(8)タイ人の実態

2012年10月28日

人生いろいろ…。

 最近、二日に一度くらいの割合で、相変わらず夜中の放蕩生活を続けている我が家の主人が聞いてきた話である。


 夜な夜などこに行っているのかと言うと、主人は、主人の高校時代からの同級生で、今も同市内に住んでいる女友達の家に入り浸っているらしいのだが、その女友達が最近親しくしている人が、偶然にも主人の従兄弟のお嫁さんだと言う事が分かった。

 
 その女性といろいろ話をしたらしく、聞いてもいないのに、いちいち私に教えてくれる。

 まず、その女性は過去にミアファラン(西洋系外国人の奥さん)だったらしく、イギリスに住んだこともあったらしい。

 ところが、そのイギリス人男性と結婚する前から付き合っていた主人の従兄弟が忘れられず、イギリス人を捨ててタイに帰国したそうである。


 これで、ハッピーエンドならめでたしめでたし…で終わるのだが、タイ人の場合そんなに簡単には終わらない。


 彼女が会いたくて仕方なく、イギリス人の彼氏(おじいさん)を捨ててまでして戻って来た主人の従兄弟は、一応電電公社で働いているものの、親戚中でも有名な賭博狂。

 しかもトランプなどの軽度の賭博ではなく、サッカー賭博が専門で、自分の給料では死ぬまで働いても払いきれないほどの借金を作っている。

 そういう借金が積もり積もって返せないから何とかしてあげたい…とその奥さんは、自分で捨てて来たイギリス人彼氏にも連絡を取ったが、きっぱり断られてしまったと言う。

 私にすれば、「それは当然だろう」と思うが、タイ人の思考回路はそうは行かない。
うちの主人と友人とその奥さんの飲み会の席では、そのイギリス人は「温情がない」と言うことになった。
これだから、我々はタイ人の理解に苦しむのである。


 その後数日して、主人がまた聞いて来た話に拠ると、最近その借金地獄の従兄弟が、「拳銃を探している」そうである。
その考えは…「借金を返す為に、保険を掛けて、拳銃を手に入れて自殺する」と言うのである。

 そんな事考える暇があったら、もっと真面目に生活をし、働いて何とかすることを考えろと言いたくなった。



 しかし、主人のこの件に関しての意見はまた別にあった。
主人は、そんな従兄弟の奥さんに同情して、「あ〜あ、イギリス人と別れなければ良かったのに。バカだなぁ。」と言う。



 自分中心の思考回路、愛情よりも何よりも現金至上主義。

 やはり、タイ人的思考にはついて行けないか…。
そう思わせてくれた話であった。



 

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Posted by バットニャオ at 00:34Comments(11)タイ人の実態

2012年09月21日

ネズミ講

 先月の11日、つまりタイの母の日の一日前の話である。

 以前、このブログにも登場したが、主人の高校時代の同級生で、今はとても親しい関係の女友達がいるのだが、その彼女がやって来た。

 普段は、ノンタブリーの刑務所に勤務する夫の内縁の妻として、刑務所のフラットに住んで居るのだが、母の日と言う事もあり、また別の目的もあり…という訳で帰省したのである。

 別の目的と言うのは、最近彼女が売り始めた「unicity」と言う会社のサプリメント製品の販売のために、「新規会員としての顧客を8人開拓する」というものだった。

 実はこの彼女、うちの主人に数回に渡って借金をせがみ、合計にして30万バーツ近い借金をしたままの状態で、未だに返す素振りもないという素晴らしい友人なのだ。

 しかしその後、新しく購入したという新居が去年の洪水で壊滅状態になってからは、ぷっつりと連絡が途絶え、数ヶ月の間音信不通になっていた。

 ところがまた連絡を再開して来たのも束の間、うちの借金を返したいから、銀行から借り入れる為に、見せ金としてまた「5万バーツ貸して欲しい」と懲りずにさらに借金をせがんで来たのである。
 しかし、ちょうど店も余裕のない時期に入って来たので、主人がおそるおそる断ると、それに逆ギレしたらしい彼女がまた、ぷっつりと連絡を絶った。

 
 それからしばらくの平穏な日々が続いたが、この彼女が現れる数週間前から、またもや主人に連絡を入れて来て、二人の関係が再開。

 そして当日、彼女はこのサプリで30キロも痩せたと言う、彼女の先輩会員を連れ立って現れた。


 その先輩会員を以前から知っている主人は、すっかりその話に乗ってしまい、もちろん最初から彼女を手伝いたいと言う意向があったのも手伝って、そのサプリのスタートセット、〆て2万バーツ相当を買い込んでしまった。

 そして、疑惑の目を向ける家族に言った。
「すべて、家族の健康の為だから、少しくらいお金が掛かっても仕方がない。医者に掛かったときの薬代を思えば安いもんだ。」と…。

 しかし、私も子供も内心は、「家族の為…? 友達の為でしょ?」と思ったが、口に出せば、家庭に嵐が吹き荒れるので黙っておいて、主人の居ないときに陰口を叩くにとどめた。


 タイは、この手のネズミ講がとても販売しやすい国である。

 親戚の親戚は皆親戚だし、友達の友達もしかり…。
知り合いに、こういうものを自分でろくに試しもしないうちに勧めるのも、まったく気にしないし、結果が良かろうが悪かろうが、後の責任は取らない。

 何でも、マイペンライで終わってしまうからである。

 我が家がタイに移住して10年、この手のネズミ講や保険の販売員が、「知り合い」だからという理由で、何度遠慮なく売りつけに来たことか。

 まだ主人の実家に寝泊まりしていた最初の1週間だけでも、保険屋が二人やって来たが、それも二人とも主人の友人だった。

 結局、断れない主人はそこから10年、20年物の保険に入らされることになった。
しかしその後、最初に販売した友人はどこかに消え、その友人から引き継いだという女性が毎年の保険料を徴収しに来る。
 しかもその後継者も何人となく入れ替わっている…というのがタイの日常茶飯事である。

 その後も、主に健康食品だとか、医薬外の薬物だとか、大手アムウェイだとかを入れ替わり立ち代わり売りに来たが、やはり主人は、何度となく断れずに買い込んで、最後は販売員も続かずに、どれも立ち消え状態になっていた。

 今回のサプリはどれくらい続くのだろう?
何しろ、値段が半端ではなく高い。これが普通のサラリーマン収入で買い続けられるのか不思議である。

 始めてからまだ一月半なのに、すでに8万バーツ近く購入している。
まあ、家族の分も入っているので、多めなのかも知れないが、サプリ一瓶が1000バーツくらいするものばかりで、しかも2週間分くらいしか入っていない。

 たまたま、うちは自営業で、蓄えた資金とかから引き出したり出来るから、こういう突然の大金も何とか捻出出来たが、普通、ひと月ひと月でいくら…という生活をしていたら、こんなものを買っていられるのか?と疑問である。

 いったい、タイ人のどういう人間が顧客になっているのだろう。

 この手のネズミ講は、幹部になればなるほど収入が増え、幹部は皆ベンツやBMWの横で自慢げに写真を撮ったものがパンフなどにデカデカと載っているが、ネズミ講と言うからには、その末端には、幹部たちの高級車生活を支える顧客がいるはずである。

 しかし、こんなバカ高いサプリを買い込めるタイ人がそれほどいると言う事は、やはりタイの富裕層はバカにならないくらい存在するという証明なのかも知れない。

 まあ、うちの場合は富裕層などではなく、単に主人の友達思いの出資なので、いつまで続くか分からないが…。







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Posted by バットニャオ at 02:56Comments(10)タイでの商売

2012年08月23日

詐欺師

 今日の昼過ぎ、客の依頼でハイドリックホースを作っていたときの事である。

 そのとき、主人は家の前でホースを切断したり、削ったりの作業をしていて、私は伝票を書こうと店の中に入っていた。

 店の前には、そのホースの依頼主である女性が一人座って待っていた。
 
 詳しい事は分からないのだが、店の斜め前くらいに一台のまだ新しいピックアップトラックが止まって、助手席から降りて来た農作業者風の女性が、作業をしていた主人のところに訪ねて来た。

 私は後から聞いたのだが、その女性はローイエットの人間で、何でも「母の葬儀に来たのだが、帰るお金がないから、このプラ(仏像のお守り)を形に1,000バーツ貸して欲しい。」
と頼んだそうだ。

 普通、もう基本的にタイ人を信用していない私だったら断ったのだが、何しろお人好しで外面のいい主人なので、すぐにその女性を信用して、女性のIDカードを借りて、私にコピーを取らせ、1,000バーツ貸してしまった。

 私は、そのIDカードも一緒に借金の形に預かって置けばいいのに…と思ったのだが、お人好しの主人はそうはしない。

 
 主人は一応、「まあ、これも人助けだと思って、タムブンタムブン…。」と独り言のように私に言いながら、仕事を続けていた。


 そして、そのホースが完成して、待っていた女性が支払いのときに、私にこんなことを言った。

 「さっき、プラを売りに来た女性、実は、私と母もこの前同じようなことがあったんですよ。そのときは、車の中に死人が出たので、そのプラを形にお金を貸して欲しいって。でも、母はプラは要らないから…と言って、300バーツだけ渡したんですよ。多分、同一人物だと思いますよ。同じプラだったし…。」

 私は、「あ〜あ、やっぱり…。」と思いながら、何でさっき言ってくれなかったのか…という気持ちになったが、後の祭り。

 それを後から主人に話したが、負け惜しみか、やっぱり「まあ、人助けだと思えばいいさ。俺たちが飲む酒代に比べたら、大した額じゃないよ。(だったら飲むな!)他の人にはもっとタダで上げた事もあるしな…。」と、やはり強がりを言っていた。



                        素朴そうなローイエットの女性のIDカード、実は詐欺団の一員か?


 その後、夕方帰って来た息子たちに、主人の居ないのをいいことにその話をしたところ、長男は、「やっぱり、タイ人だもんな…。仕方ないよ、タイ人なんだから。」と、妙に納得しながら、長男の友達が最近経験したいくつかの話をしてくれた。


 それは、以前『子供に学ぶタイ語』のブログにも登場した、計画性と向学心のある田舎の少年MAN君の経験なのだが、彼はここチャイヤプムの高校に通いながら、土日や長期休みには、バンコクのラーム大学に通って、教師の免許を取ろうと頑張っている。

 その彼は、当然の事ながらバンコクに頻繁に行っているのだが、その往復のツアーバス(長距離バス)の中であった事だそうだ。

 こういうバスでは、おしぼりやお菓子のサービスが付き物だが、このMAN君の乗ったバスは、押し売りサービスで、切符を切るときに、一個2バーツくらいのチュッパチャプスもどきのキャンディを配り、その後で、乗客の皆から20バーツを徴収したそうだ。
 普通、サービスだと思って受け取ったのに、後から単なる押し売りに変わったのである。
こういうのも詐欺に当たるだろう。 

 他にも、深夜のバスの中で彼がウトウトしていると、バスにムゥピン(豚肉の串刺し)と餅米を売りに入って来た行商が、しつこく彼に買えと迫る。
 そして彼が拒否すると勝手に品物を彼の腿の上に置いて、金を払え!と迫って来る。彼が要らないと言っているにも関わらず、「もう足の上に乗っている、お前の物だ、代金をよこせ、20バーツ!」のようにまくしたてるのだが、MAN君はさらに「細かいお金がないから…」と断ろうとすると、百バーツでもいいといい、諦めてMAN君が百バーツを出した途端、お釣も払わず逃げるようにバスから降りて行ってしまった、という話である。

 しかしこの話にはまだ落ちがある。
これを聞いたMAN君の父親が、バンコクに行くときに、やはりこの手の詐欺に遭遇した。
しかし、伊達に年は取っていないお父さん、ナイフを持参して行き、このムゥピン売りが来たときに、そのナイフを出して脅し文句を言い、一緒に居た友人に、「おい、出口を塞げ!」と指示し、見事に息子の借りを返したと言う。


 結局、子供たちと話した結果、タイで生きて行くには、こういう心構えが必要だと言う話で収まった。

 そう言えば、日常タイ語ではよく、「ローク(騙す)、トム(煮る=騙す)」と言う言葉が頻繁に出て来る。

 タイ人にとって、騙すとか自分の都合で言い訳をするのは、ごく当たり前の事のような気がする。

 詐欺は多くのタイ人の十八番だと言っても言い過ぎではないかも知れない。
そういう経験がない…という人は、とても幸せなタイ生活を送っていると言えるだろう。

 

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Posted by バットニャオ at 22:32Comments(16)タイ人の実態

2012年08月10日

我が家の新メンバー誕生!

 


                                      卵を抱えた母鶏




                                      ひよこの顔が見えた!  


 もう一年以上になるだろうか、義母がどこかから貰ったという「鶏卵用の鶏」だった30羽以上のひよこの中から、性質の悪い近所の犬たちの魔の手から逃れて、我が家に生き残った一羽の鶏がいる。

 さすがは、たった一羽の生き残りただ者もとい、ただ鶏ではなく、恐るべき攻撃力の持ち主で、見た人誰もが「闘鶏に出せば?」と言うくらいの凄腕だった。
 生まれながらにして処世術を身につけた鶏で、強き者には逆らわず、弱者には容赦ない攻撃を加える…。

 我が家でも、中2にしては小柄な次男と、末っ子のミックが標的となった。
そして、客の女性や子供にはさっさと攻撃するくせに、私と長女はその性格を見抜いてか、決して攻撃しては来なかった。
 いつの間にか、その鶏は「ガイ•ナックレーン(ヤクザ鶏)」の愛称で親しまれるようになった。

 ただ問題は、その鶏は「鶏卵を産む」はずだったのに、成長してから雄鶏だと言う事が判明した。


 そこで、またも懲りずに義母が何度か地鶏や、ミャンマー鶏だとかを何回か送ってよこした。

 ミャンマー鶏だとか言うハゲタカのような容貌の鶏は、最初はその素早さに生き残るかと思われたが、どこからか入り込んだよそ者の犬に殺られた。

 そして、この写真の真っ黒で毛並みの良くない雌鳥が来たのだが、何故か発情期に入っていた「ガイ•ナックレーン(ヤクザ鶏)」の目に留まり我が家の鶏の本妻の座を獲得した。


 そんな経緯で、今回めでたく「ガイ•ナックレーン(ヤクザ鶏)ジュニア」たちが誕生したのである。

 抱えていた卵は全部で10個。
今のところ、9羽までが確認されている。

 色も、父親が真っ白、母親が真っ黒なので、黒、黄色(いずれ白)、薄茶色、濃い茶色、柄入りと様々である。

 私は、このひよこたちが父親の血を引いて、群れを成してミックを追いかけるのを想像して一人楽しくなってしまった。



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Posted by バットニャオ at 22:57Comments(11)田舎の生活