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店じまい・店びらき ~閉店のヘキレキ~

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2017年 12月 29日

再開

来年から再開します。

# by misejimai | 2017-12-29 22:51
2016年 03月 23日

追憶

2年ほど忙しさにかまけて放置していた弊ブログ。
もはや去年のことになってしまうが、下町・台東区根岸のかつての蒲鉾屋「和泉屋蒲鉾店」のお孫さんから
連絡があった。
営業していた当時の写真が載っていたブログを見つけたとのこと。

それが、「ぼくの近代建築コレクション」なるブログ。
2008年4月27日の記事には、確かに、生き生きと店を開いていたときのお店の写真が写っていた。

ブログの管理人の流一さん(ハンドルネーム)に許可を取り(それも去年のことだが)写真をここに掲載いたします

追憶_e0030939_1125553.jpg



右から2番目、赤い格子戸の店である。
今から27年前、1989年3月に撮ったものだという。
このときはまだ、お店が営業していたんだと思うと泣ける。
そして、この時、店の奥で、おそらくおじいさんがおでん種を作っていたのだなあと思うとまた泣ける。
もちろん、この写真に呼びかけても、おじいさんは出てきてはくれないのである。


掲載許可をいただいたのは以下のブログ「ぼくの近代建築コレクション」
http://blog.goo.ne.jp/ryuw-1/m/201603

古い物への心を忘れない良ブログである。ぜひお立ち寄りください。

# by misejimai | 2016-03-23 11:32 | 蒲鉾屋さん
2014年 12月 13日

人の悲しみの上に



いつも当たらない人騒がせな天気予報とは打って変わって
ここのところのソレはきちんと正確に告げていた。
この日も予報通り、トゲのような風が吹き付けている。


人の悲しみの上に_e0030939_2323237.jpg


やってきたそこは、かつて蒲鉾屋さんだった。
今はタールを流したような黒い外観だが、昔は赤い格子がはめられていて、洒落ていた。
名は「和泉屋」、明治から100年、3代続く老舗だった。
「おでん種」を1つひとつ手作りで仕込んでいた3代目のおじいちゃんは、
年寄る波には勝てず、
2006年、自ら店の幕引きを選び、さらには翌年、残念なことに他界してしまう。


だがその後建物だけは壊されずに、後ろにあったマンションのオーナーが相当のお金で買い取ってくれて、
そのまま残されることになった。
誰かがテナントとして借り受け、オフィスにしていたようだ。

しかし先日、この建物の取り壊しが決定した。













人の悲しみの上に_e0030939_232479.jpg




白いやつによれば、
それはそれは立派なマンションができるそうだ。















人の悲しみの上に_e0030939_23262762.jpg


脇には、少し場違いな自販機が、口をふさがれている。
























人の悲しみの上に_e0030939_23284588.jpg

やがて、どこからともなく自販機メーカーの方がやってきて、



























人の悲しみの上に_e0030939_23343266.jpg
自販機を移動し、運んでいった。



























人の悲しみの上に_e0030939_23333212.jpg


残るはいよいよ、この家屋が壊される番だ。


3代目のおじいちゃんの練り物や煮こごりの味を知っているというお孫さんのWさん。今は鹿児島に住んで
いる。
少年時代、ここによく遊びに行ってはおじいちゃんから美味しい切れ端を口に入れてもらって食べていたという。

そして今・・折に触れ、鹿児島から都内に来たときに彼が僕に話してくれたおじいちゃんとの思い出が、古びたランプの光のように、いつまでも温かく、僕の胸の中に揺らめいている。

自分の経験したことではないのに、1匹の夜光虫のように離れない。


ところでWさん、おじいちゃんの背中に追いつくことはなかったが、
商人の血を譲り受けたのだろう、
奥様のお父様が経営するコンビニの店長を長年務めたのち、
もう1つの夢でもあった、タコスで一旗揚げようと移動販売を開始。
遠い薩摩の空の下で、頑張っている。













Wさんだけに宛てる「追伸」

Wさん、
みんな、名残惜しそうに
この店の前に立ち止まってくれていましたよ。

誰も見向きもしない、
名もない店の閉店が多い中、
振り返って見てくれるだけで
幸せなほうかもしれません。


ちなみに隣の160年続く提灯屋さんに聞いてみると
提灯屋さんの敷地にも、マンションができるそうです。

提灯屋さんは、道向かいの自宅でしばらく仮で営業を続けた後に
マンションの1階に何とか入らせてもらうことになったそう。
「ほんと、いやになっちゃうよね」と一言。



人の不幸の上に人の幸せは作られます。
人の悲しみの上に人の喜びが作られます。
人間はそうやって生きてきたのです。
だから決して感傷的になることなどないのです。

そんな永遠不変の摂理に逆らって
マンション建設反対!などというのは、
殺されるのは、とうの昔にわかっているのに、
この期に及んで命乞いする者です。


そう言いながら、やっぱり僕は、少し涙が出て仕方がないのです。
どんなに頭をかきむしっても、答えは出ないし、何も助けになれずにすみません。

# by misejimai | 2014-12-13 23:53 | 蒲鉾屋さん
2012年 05月 02日

鉄の木の下で鉄の空き缶集め

ホームレスの朝は早い。
特に水曜日、墨田区のホームレスたちは一斉に住宅をうろつき始める。
空き缶の回収日だからだ。
もちろん違法なのは分かっているが、生きていくより仕方がない。
時間帯は、近隣住民がゴミ出しをしたあとから回収車が来る前の数時間で行う。
たいていは隅田川のほとりにある公園からやってきて、一通りあさって歩いていく。

自転車の前かごに少し詰めていく者。
リヤカーを引く者。
おばあちゃんが押しているような手押し車を使う人もいる。
おしゃれにキャリーバッグなんてしゃれこむ御仁も。
しょってるリュックに詰める者。そのリュックには、だいたい、小学生がランドセルにリコーダーを刺して入れるのと同じように、カサを刺している。
台車にダンボール箱を置いて歩く者。
自転車なのかリヤカーなのか分からない、専用車両で街を横切る物もいる。
彼らは知恵と工夫をほどこして、生きているのである。

42歳。建築工事をやっていたが、体を壊して仕事ができず、公園、公園を渡り歩きながら
空き缶集めする男性。

70歳。
薬注(やくちゅう)といって、地盤を固めたり、地盤中の水の流れを止めたりするために、 セメントミルクなどを地盤の中に入れる仕事をしていたが、年齢のために雇ってくれずやむなく
これまたホームレスに優しくない江東区から追い出されて墨田区へ逃げてきた。

68歳。わけあって宮城から上京。山谷の5人部屋(彼はパレスといっている)に住みながら
観光客が捨てた空き缶を探すために墨田区にやってきて集めている。
500円で買ったラジオを大事にしている。
空き缶のとっておきの隠し場所があるとか。
派出所のおまわりさんからは「一生懸命がんばってるね」と言われるという。
逆に住人からやいのやいの言われるとか。


アルミニウムは1キロ75円から90円だという。スチール缶は1キロ10円。売れないが、それでも抜き取っていく。
そうだ、スカイツリーを溶かして売ったら、きっといいお金になるだろう。
鉄の木の下で鉄の空き缶集め_e0030939_75301.jpg

# by misejimai | 2012-05-02 08:41
2012年 05月 01日

放尿スカイツリー

スカイツリーのお膝元、業平1丁目。
最近では犬に限らず、観光客と思しき御仁も小便をかき捨てするらしい。
放尿スカイツリー_e0030939_4132567.jpg

# by misejimai | 2012-05-01 04:14 | スベカラ区キンシ町