わたしとわたしとわたしと・・・・

じろうが卒園。腕で目をこすり男泣きに泣いているじろうを見て、胸がいっぱいに。ビデオをとる腕が感動で震えた。 ♪さよならぼくたちのほいくえん ぼくたちのあそんだにわ さくらのはなーびらふるころは ランドセルのいちねんせい♪ 泣ける歌です(泣笑)

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さようなら。ありがとう。

去年の梅雨明けごろからの体調を崩し、かなりしんどい毎日が続いた。めまい頭痛吐き気で立ち上がることができない。仕事から帰って来ると倒れこみ、30分ほど寝込む。とうぜんウォーキングどころではない。体重が増え、肩こり腰痛が出てきた。暑さ寒さもこたえた。体調不良は正月明けまで続いた。


正月明けから一週間鍼に通う。なぜだか体が軽くなり、寝込むことも減った。茉莉花のことを考えた。いつの間にかいなくなっていたあの子のこと。


ウォーキングを再開した。あまり欲張らずに週2~3回程度のペースで。


写真の整理を始めた。同時にずっと動かしていなかった箪笥を動かし、中のものをあらかた捨てた。


そして次郎が卒園式を迎え、来月からは小学校へ。わたしもそろそろ働き方を次のステップにと考え始めている。


すこしずつ何かが変わっていく。物を捨てたい衝動が大きいときは、新しい自分を見つけるための準備なのだと聞いたことがある。今がそのときだ。


だから書きたくなったのかもしれない。夢の話を整理して茉莉花のことも確認したかったのかも。

やはり茉莉花は真理になったのだと思う。それはたぶん成長そして変化。


今はとても感謝したい気持ち。いろんなことに。いろんな人へ。


どうもありがとう。

夢の話3

茉莉花が感じられなくなったのはいなくなったから?(あるいは隠れているだけなのか?)

その理由について、自分なりに考えてみた。


去年の夏前から頻繁に夢を見た。それも今まで見たことの無い夢が多い。順番に思い返してみると、高校生大学生就職転職まで、続き物風になっている。まさか茉莉花は夢の中で成長して大人になっちゃったのではないかしら。というのが私なりの推理。大人になってもともといた真理と見分けが付かなくなったのかしら。あるいは同化したのかもしれない。


最近の真理はいまだにかなり落ち込むし、時々ヒステリックになったりもするけど、基本的にパパや家族との関係が安定している。パパには変わらぬ愛情と感謝を持ち続けているし、この人でよかったと幸せに思うことが多い。子供にもイライラすることが減って、落ち着いて付き合っている。 パパと子供達が変わったのかもしれないが、真理も変わったのかもしれない。


就職後の夢の話。私はネジを扱う会社の事務職をしている。ネジの注文を受けて、工場に発注する。工場から出来てきた製品を検品すると どれも微妙に規格とずれていて使い物にならない。長さがちょっと長すぎたり、筋の間隔が間違っていたり、ねじ山の形状が発注したものと違っていたり。。。  そのたびに間違いを指摘してやり直してもらうのだが、いっこうにちゃんとした製品に仕上がらない。注文主と工場の間の板挟みで、わたしはもう限界。。。。


また別のときの夢。 私はひとりの女性企業家と知り合いになっている。彼女は花のデリバリー屋さんのような仕事をしている。パーティーをする人から会場の飾り付けを一手に引き受けて花屋に手配してコーディネートする。彼女は私にも独立してその仕事をしてみないかとさそう。  そんなとき、知り合いの学校から卒業パーティの飾り付けを急遽依頼される。月曜の式のために、2日前の金曜日から手配しなければならなくなった。

電話の音で目が覚めるとすでに月曜の昼過ぎ。花屋への依頼もしないままに二日間も寝ていたらしい。なぜ?どうして? 自分でもわけがわからないが仕事は大失敗。取り返しが付かない。。。。


また別のとき。ある山奥に別荘風の隠れ家があった。夫と子供と住んでいたがどこかで戦争が起こったらしく引き払わなくてはならない。近所の人たちとぞろぞろ下山する途中で忘れ物に気がつき、ひとりで取りに戻る。ハングライダーをつけて自力で2~3メートル浮き上がり、誰もいない山のなかの舗装された道を漕ぐように上っていく。高度を取ると目立つからだめなのか、高さが怖いからなのかわからないが、落ちても大丈夫そうな高さで、ぎりぎり飛んでいる。自分達の隠れ家の近くまで行くと、特殊部隊のような人たちが占領しているのが見えたので、家には近づかず、そのまま山の頂上まで漕ぎながら飛んでいく。

山の頂上で道が途切れ、いきなり尾根になっていて2~3メートルの高度が一気に30メートルほどの断崖に飛び出してしまう。今失速したら墜落して死ぬ。と思う。なんとか向こうの断崖まで漕ぎながらたどり着くがあと30センチのところで失速。必死で木の枝をつかみぶら下がりよじ登る。やっと尾根にしがみついたと思ったら、特殊部隊の人に腕をつかまれ引き上げられてしまう。ホールドアップ。

なぜネジなのか? いくら考えてもわからないし、なぜ最初に花屋に電話もせずに2日間もほうっておいて眠ってたのかも、私の性格から考えてもありえないし、なぜ空を飛べるのかもまぁ不思議な話で、夢なんだから考えても仕方ないのだけど、どの夢もぐったりと疲れ果てて目が覚め、午前中の仕事中も脱力~なくらいしんどいものだった。


夢の話2

夢の中で。わたしは学校の構内にいた。小学校の体育館へつながる渡り廊下を歩いていると教室があってそこには高校のときの同級生が見えた。わたしは自分が小学生なのか中学生なのか高校生なのかわからない。自分が学校に属しているのはわかっていたけれど。


また別の夢の中で、わたしは面接を受けるために広い大学内を横断していた。定時までに受付をすませないと受験できないのに、構内の通路には人があふれていて、なかなか前へ進めない。坂道を押し合いへしあいしながら登ってやっと受付にたどり着くと、すでに定時は過ぎていた。「受付の人が、はいここまでで受付はお終い」という。ぎりぎり間に合い面接を受けることができた。


また別の日の夢。大学生の私は外国(たぶん韓国)へプチ留学に行っているらしい。言葉が通じないが、そこで何かの課題が出され、枯葉が舞う町へ出て行く。何かを探して町を歩く。時間までに課題を持ち帰らなければならないが、なかなか見つけられない。


別の日。就職活動の一環で、ドキュメンタリー撮影の取材班に同行する。海の中のドキュメンタリーで、監督は現実世界でのわたしのダイビングのインストさんだと後で気が付く。カメラマンもダイビングクラブのメンバーだった。みんな水の中でも余裕で撮影などの自分の仕事をこなしている。わたしは邪魔にならないようについて行くが、ダイビングがへたくそだからうまく中性浮力が取れなかったりして、内心すごくあせっている。なんとなく罪悪感でみんなに自然に振舞えない。そのメンバーから浮いてる感じがして居心地が悪い。





夢の話1

夢を見た気はするけど、目が覚めると内容はまったく覚えていないという人を知っている。目が覚めるとすぐに現実に向き合える人なのかしら。すこしうらやましい気がする。


わたしは夢をよく見る。そしてけっこうリアルに覚えている。色も、感触も、夢の中での自分の様子も。昔からそうだったみたい。 そして目が覚めてしばらくは恐怖に背中が凍っていたり、疲れ果ててぐったり、、、なんてことになる。楽しい夢もたま~に見るかな。楽しいというか、おいしいものを食べて嬉しかったり、とかなんか即物的な夢も見る。


夢判断の本を買ってみようと手に取るのだけれど、いまいち踏み切れずにまた棚に戻してしまう。それでも気になって夢のサイトなどを覗いてみたりする(笑)


火山の噴火の夢はちょくちょく見た。そこにいるのは子供の私。十歳くらいか。上の弟の手を引いて、赤ちゃんの下の弟をだっこしている。たぶん子供のころから見ている夢だけど、弟達を連れるようになったのは子供を生んでからかも。後から考えると、つれていた弟達は長男次男の顔をしていた気がするから。


もうすぐ、あと少しで山が噴火すると聞いて、私は避難するために弟達を連れてバス停に立っている。まわりに人はいない。みんなもうどこか安全なところに行ってしまって私達だけが取り残されたらしい。待てども待てどもバスは来ず、しんとした昼下がりお日様の光を浴びて足元の影を見つめていた。気持ちはあせるのに何の考えも思い浮かばず、誰も助けに来ない。


山が割れて、どろりとしたマグマが流れ出すのが見える。こっちに来るのだろうか。わたしは二人を連れて何とか木によじ登り、木の枝の上でぼんやりと赤い色が移動するのを見ている。

久々に

久しぶりにログインしてみて、いきなりマイページ?で戸惑ってしまった。アメーバブログ進化しているのだなぁ。6月から何ヶ月更新してないことか。もう呆れて数えもできない。


書かなくなった一つの理由は、茉莉花がいなくなってしまったから。今私の中に、茉莉花を感じることができない。そのことに気が付いたのは秋ごろ。。。思い当たる節を探っていくと、いなくなったのは梅雨のころかな。。。そのころ私に何が起こったのか。ずっと考えていた。

対岸の彼女

角田光代の「対岸の彼女」を読み終えた。やっと終わった(笑) すごく疲れた。。。


つらくて。。。途中で何度も一休みしながら(笑)。。。いつもインスタントが多いのにわざわざコーヒーメーカーで作ったのをさらにアイスにしてみたり。冷蔵庫開けてカスピ海ヨーグルトをジャムの空き瓶に増殖させてみたり、洗濯物をたたんでみたり。

そうやって、気持ちを落ち着けて、続きに取り掛かる。


作者とはほぼ同世代。わたしのほうが2年ほど年下かな? 主人公の二人とはたぶん同い年ではないかと思う。結婚子育て再就職とたどった道も小夜子と似ている。それなのに一人生きる葵が見ていられなくて辛かった。 


今の夫と結婚しなかったら、葵のように生きていたかもしれない。そう思うからかもしれない。


人生は選択の連続。あの時選んだ道が今の日々につながっている。選んだ道しだいで、だれでも小夜子にも葵にもなる。あるいは脇役の誰それか。


わたしはわたしの道を選んで今ここにいるのだ。なれなかった自分を羨んでみてもせんないこと。

今ならそう素直に思える。


数年前、自分が分裂していくようで怖かった。わたしの中にいるたくさんのわたし達が、独立して別の人生を生きているような錯覚が時々見えるようで。


あの時彼(今の夫)と別れていたら。銀行を辞めなかったら。子供を生まなかったら。あるいはあのまま流産していたら。なっていたかもしれない自分がわたしの中でしゃべり怒り泣き喚いていた。


となりの奥さんも、PTAママ友達も、会社の同僚も、学生時代の友人も、ネットで知り合った友達も、ダイビングで知り合ったヒトタチも。


なっていたかもしれないもう一人のわたしだった。選択しだいで、あるいは運命のいたづらで、別れ道で置いてきたもう一人の「たくさんのわたし達」なのかもしれない。


人と人との関係を恐れ、わけもわからずおびえ、傷つき、煩わしくて避けたくて、でも一方では自ら望んで欲しいと思う。

分かり合いたいと思う。理解したいそして理解して欲しい。手を差し伸べたい。相手を助けるために。そして助けてもらうために。


人間だから。わたしも人間だから。


六月だ

五月はきつい一ヶ月やった。

ゴールデンウィーク前から気分の浮き沈みが激しくて自分で自分をもてあましていた。

海外出張中のパパとの電話中にキレて泣き叫んだ挙句、実家に「自分はGW明けまでは帰国できないから、どうかまりをたすけてやってほしい」と電話されてしまった。で、せっかくのゴールデンウィーク中は実家から母が泊まりにきたり、父が車で迎えに来て実家に連れて帰らされそうになったり、たいへん(^_^;) 

実家に帰ると元気なときでも凹んでしまうので、こんな気分のときは絶対に帰りたくない。自分自身を守るためにぜったい実家に帰っちゃだめ。と思って、なんとか自分は自宅に残ることに成功。子供たちだけお泊りに連れて行ってもらった。一泊二日、片付け物に精を出した。集中して整理しているときに邪魔が入らないってステキ。ごはんつくらなくていいって最高! 昼寝もできたし。


もとはといえば電話で泣いたわたしが悪いんだけど、わたしの精神状態は実家には絶対知られたくなかったのに、すっかりばらされてしまって変に遠まわしに気を使ったような電話が母からしょっちゅう掛かってくるようになって正直しんどい。実家と電話すると自分自身の状態が悪くなるから今までは極力不要な電話しないようにしていたのに。。。。かといって電話掛かってきたら自分からは嫌と言えず切ることもできず、拷問に耐えるような時間が続く。


最近は気分も落ち着いてきているので、母からの電話はできるだけ明るい声で楽しげにふるまって「もうすっかりだいじょうぶ」をアピールしている。

父は休みの日にドライブがてら突然訪ねてきたりするし。家の中とっちらかってるときとかすごく嫌なんだけどこれも嫌といえず、にこにこしてさかんにありがとうありがとうと一つ覚えのように。


はぁ。いくら夫といえどもキレちゃだめ。こんな大変な結果になるって知ってたら、ぜったい泣いたりしなかったのになぁ~~~。


六月はいい月になりますように。。。

山の幸

会社で蕨とはちくをもらった。さっそく灰汁抜きして一晩水にさらし、今晩いただきます♪ 豚ばら肉と薄アゲと蕨の炒め物。それからとりもも肉と京厚揚げとはちくの煮物。あぁ。晩御飯が楽しみ~~♬

言い訳

歩いているとき、頭の中でとりとめもなく考え事&脳内独演会なんだけど、そのなかで気がつくと言い訳がましいことを言っている。

もちろん子供にとって母親が側にいることが大切なのはわかってる。子供たちは可愛いし、大事だし、大切にしたいと思ってる。でも100%母親であることを要求されると私がおかしくなる。99%母親でも最低のこり1%は私自身、母親でない自分でいられる時間がないと気が変になる。


そうかそうやね、仕事をしている時間は母親業から離れているから99%母親はやってないといえるかもね。そしたら母親は50%しかしてない? 50%母親して50%事務員? そしたら49%母親して1%は私自身でいられる? それじゃ母親業してる時間が少なすぎる? でも仕事してる時間は素の私でいられる時間じゃないのよ。仕事してる私は素の私ではないのよ。母親を50%しかしてないのに、さらにそこから1%の時間をさいて1人きりでいたいと思うのはわがままかな? 


でも、私がしっかり母親しなくちゃいけないがんじがらめのストレスでイライラして、笑ったり生活を楽しんだりまったく出来ないくらい余裕がなかったら、子供にとってはそっちのほうがいいとは限らないんじゃない? ときどき母親が側にいない時間があっても、それで母親が命の洗濯を終えて、ニコニコして帰ってきて気持ちよくまた日々を始められたら、そのほうが子供たちにとってもいいんじゃない? これって母親の勝手な言い草かな?


例えば、おんなじ30代の女性でも、独身だったら正社員で80%のエネルギーを仕事につぎ込んでても、のこり20%は自分の時間にできるじゃない? たとえば家事や実家のことに時間割くとしても、最低でも10%は自分の時間取れるんじゃない? もちろん配分は人それぞれちがうだろうけど、パートで子持ちの私がたった1日、命の洗濯することがそんなにいけないことかな?



書いてるとほんとにばかばかしくて苦笑してしまう。いったい誰に対する弁明なのか。誰が反対するからそれに対してここまで反論するのか。

今月末の土曜日に日帰りダイビングの予定を入れたことに関しての、自分自身に対する弁明(苦笑)


自分で自分に言い訳してる。


一番の敵は自分なのだ。自分の中のいい子でいようとする、親兄弟や隣近所やPTAの母親連中や会社の同僚やそういう世間一般の無言の圧力を恐れ、それらから身を守ろうとする、そんな私自身に必死に言い訳している。

無言の圧力なんてホントにあるのか? 被害妄想じゃないのか? ちゃんと母親してないんじゃないとかそんなこと言われるかもしれない、という恐れ。わたしはものすごく怖がりなのだ。

いい子

いい子であるということ。

いい子ってなんだろう。

なぜいい子であろうとするのか。

いい子であることを止めようとした。いやなんども止めたはずだ。

わたしはすでにいい子であることを放棄した。過去に放棄したはずだ。

・・・・・・はずだった。




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