櫻井桃華研究会

櫻井桃華さんに関する研究を発表します。

仮面の少女・櫻井桃華――あなたは『U149』桃華編を誤読していないか?

導入編

0.はじめに

 筆者は、つい数日前まで誤読していた!!!

 櫻井桃華研究会を僭称する本ブログを偉そうに立ち上げた筆者が、『U149』桃華編完結から四ヶ月近くも、この体たらくだったのは慙愧に堪えない。誤読したまま本ブログに考察記事の類を書かずに済んだのは不幸中の幸いであるが、「正しい読み方」*1に気付くまでの間、Twitter等では『U149』や櫻井桃華に関する明らかに誤った言説を間断なく撒き散らし続けてきてしまったので、それらを訂正するため慌てて筆を執った次第である。また、もしも同じような誤読に陥っている人がいたら(いないかな……)そこから解放しなければならないという、勝手な使命感にも駆られている。

 たとえば、あなたは「桃華編はありす編の焼き直し/リフレイン」だと思っていないだろうか? 筆者は思っていた!!

 これら筆者が犯していた致命的な誤読については当記事の「懺悔編」で詳しく紹介し懺悔するが、それらの誤読を招いた原因のほとんどは、「桃華に対する(誤った)先入観」である。さらに踏み込んで言えば、mobage版『アイドルマスター シンデレラガールズ(以下モバマス)』の『星降るクリスマス』*2で出会って以来、七年近くかけて自分の中に築いてきた桃華の人物像が、『U149』桃華編に対する理解を大きく誤らせたのである。

『U149』は熱心なプロデューサーからの評価が高い作品である。筆者もその端くれとして、この作品を大いに楽しんできた。しかし上に引用した廾之先生のツイートにも「デレマスあまり知らない人も楽しめて」「いろんな人に楽しんで貰えると嬉しいです」とあるように、決して熱心なプロデューサーのみに向けて描かれているわけではないことに注意するべきだ。

 すなわち他媒体における桃華を知らない者であっても、『U149』はそれ単体で「正しく」読むことが可能なように制作されているはずなのである。むしろ先入観がないゆえに、誤読の罠を回避することができる場合さえあると筆者は考える。

『U149』本編を読解する当記事の「読解編」においては、読者および筆者自身にこの「先入観がない」状態を擬似的に作る意図から、『U149』以外の『シンデレラガールズ』媒体への言及を可能な限り避け、それらの媒体からの台詞や描写、情報の引用は完全に排除した。

 これは2011年の桃華の初登場時から彼女の担当プロデューサーを自認し、彼女が登場するあらゆる媒体を追い掛けてきたという、桃華をクローズアップした記事を執筆する上での筆者のアドバンテージを自ら捨てる行為である。しかし『U149』を『シンデレラガールズ』の一部ではなく、独立したひとつの漫画作品として捉え直して真摯に向き合うことで、初めて見えてくるものも少なからず存在すると筆者は確信している。

 当記事の読者のプロデューサー各位、特に桃華担当Pの各位においては、アイドルたちと築いてきた思い出を一旦宝箱に収め、しっかりと鍵を掛けてから、次章以降を読み進めてほしい。

 

読解編

1.『U149』における櫻井桃華とは何者か

 櫻井桃華を主役に据えた『U149』桃華編を読解するためには、それまで『U149』において彼女がどのように描かれてきたかを知っている必要がある。第0話で初登場してから桃華編に至るまで、桃華は個性豊かな第3芸能課のアイドルたちの中でも、特に複雑にして特異な描き方を、おそらく意図的にされてきた。本章では桃華の登場するエピソードを時系列順に追う形で、櫻井桃華というキャラクターをもう一度捉え直していく。

1-1.完全無欠の〈レディ〉

『U149』における櫻井桃華が、第3芸能課の中でも、ある種「別格」の存在として描かれてきたことは間違いないだろう。「~ですわ」というお嬢様言葉に、子供ながら落ち着き払った礼儀正しい振る舞い。それだけでも異質ではあるのだが、個々のエピソードを読んでいくごとに、我々は彼女の異常ともいえる完璧さ、隙の無さを目の当たりにすることになる。

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『U149』第6話 橘ありす③ より

 橘ありす編においては、柔らかな物腰に秘めていた意外な強気さを発揮して、自身の撮影をカメラマン曰く「文句なしの出来」でこなす。一方で壁にぶつかるありすを気遣って距離を置く、子供とは思えない思慮深さも見せる。再々撮影に臨むありすに対しては多くを語ることなく、ただ視線を交わすことで、ありす編における「先を行く」「導く」役割を完璧に務め上げた。後続の回ではこうした役割にあたるのが一ノ瀬志希ら先輩アイドルだということを考えれば、桃華の扱いの破格さが分かるだろう。

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『U149』第19話 佐々木千枝③ 中編 より

 第3芸能課のアイドルたちがライブのオープニングアクトに臨む佐々木千枝編でも、桃華はその「格」を崩さなかった。ダンスの実力に限っては覚えの早いみりあ・晴・梨沙に一歩譲ると思われるものの、レッスンの過程でつまずく様子やトレーナーに注意される様子は一切描かれず、本番直前には仲間たちが揃ってそわそわする中でも平静を保つ胆力を見せつけた。

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『U149』第15話 特別編 より

 他にも一貫して知性派として描かれるありすと並んで「勉強ができる」と扱われるなど、桃華は『U149』作中でとにかく優れた存在として存在感を発揮し続け、逆に欠点らしい欠点や隙はほとんど描かれないのである。(「道路の白い線からはみ出たらアウトゲーム」や「食玩」を知らなかったくらいか?)

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第23話 第3芸能課⑤ 後編より

 壁にぶつかってもなお、桃華は「別格」を発揮する。

 オープニングアクトで成功を収めた第3芸能課の面々は、続いて三船美優、佐藤心がレギュラーを務めるバラエティ番組にゲスト出演する。しかし番組内のクイズで台本に沿わない「(子供らしく面白い)誤答」を要求され、さらにカメラを前にしたプレッシャーから、彼女たちは上手い回答をすることができなかった。(ここで壁にぶつかったのはサブタイトル通り「第3芸能課」であり、桃華ひとりだけが失敗したわけではないことには留意すべきだろう。「桃華だけができないこと」は一貫して描かれていない)

 しかしその悔しさから顔を強張らせるありす、梨沙に対し、桃華は内心で自身の未熟を痛感しつつも、それをほとんど表情に出すことはなかった。それどころか、佐々木千枝に「素敵」と褒められるほどの笑顔を保ち続けていたのである。

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『U149』第23話 第3芸能課⑤ 後編より

 以上のように、目に見えるような弱点はなく、第3芸能課のメンバーを導きこそすれど後れを取る場面は存在せず、自身の未熟を突き付けられてなお揺るがない精神面も併せ持つ――もはや完全無欠と言っても過言ではない、異常な描かれ方をしてきた櫻井桃華

 この場面では、そんな桃華の自己認識が初めて明かされる。それは「自分は〈レディ〉*3である」というものだ。

 この〈レディ〉という語は、桃華編およびそれを読解する当記事において、非常に重要な役割を果たす。〈レディ〉を桃華の単なる口癖と軽視したとき、あるいはその意味を取り違えたとき、我々は容易に誤読に陥るだろう。特に、『U149』における桃華の自認は決して「将来、〈レディ〉になる/なりたい」ではなく、「今、〈レディ〉である」だという点には十分に注意したうえで、次項へと進んでほしい。

1-2.仮面の少女、偽りの〈レディ〉?

 そんな完全無欠の〈レディ〉であった桃華に明らかな異変が起こったのは、桃華編の直前、『第37話 特別編』のことである。

 この話において、桃華は事務所の屋上で、的場梨沙、市原仁奈、福山舞と紙ヒコーキで遊ぶことになる。投げた紙ヒコーキがほとんど飛ばなかった桃華は、梨沙と共に夢中になって練習を積み重ねた末、とうとう紙ヒコーキを上手く飛ばすことに成功する。

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 『U149』第37話 特別編 より

 梨沙に「やるじゃない」と声を掛けられ、

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『U149』第37話 特別編 より

 思いっきり笑う桃華。そんな彼女を梨沙、仁奈、舞は面食らったように見る。桃華は「はっ」と気付き、「……っ」と恥じる様子を見せ、ひとつ咳払いをして「失礼」と元の落ち着き払った態度に戻る――

 上に引用したページは、桃華が可愛いだけの場面ではない。『U149』における櫻井桃華についての重要な情報をふたつ、我々に与えてくれる。

 今までにない恥じる様子を見せた桃華。その後の彼女の「どんな時でも恥ずかしくないよう振るまうのがレディ」という弁を字義通り捉えるならば、今まで作中で見せてきた桃華の振る舞いは、常に彼女にとって恥ずかしくないもの、彼女が自認する〈レディ〉にふさわしいものであったということである。すなわち、一つ目の「重要な情報」は次のようなものだ。

  • 今までの桃華の「別格」「完全無欠」は、桃華が思う〈レディ〉の基準を満たす振る舞いである。

 ここで桃華への理解を深めるために注意すべきなのは、思いっきり笑うことは恥じる彼女が、今まで見せてきた意外な強気さや、自信に満ちた振る舞いを恥じることは決してなかったという点である。すなわちそういった面は〈レディ〉の基準を逸脱していない。桃華の考える〈レディ〉とは、一般的にレディという言葉からイメージされるような単におしとやかで上品な女性ではなく、ある種の強さをも兼ね備えた存在なのだ。

 また、紙ヒコーキを上手く飛ばすことができた喜びのあまり思いっきり笑ってしまったように、気を緩めた時には(彼女の中の基準で)恥ずかしい、つまり〈レディ〉にふさわしくない振る舞いをしてしまうことがあるということも判明した。第3芸能課の仲間である梨沙、仁奈、舞を驚かせるほど珍しいことではあるようだが、それは次のような二つ目の「重要な情報」を示している。

  • 櫻井桃華は、意図的に〈レディ〉を演じている。

 比喩を用いて、さらに次のように言い換えることもできるだろう。

  • 櫻井桃華は、〈レディ〉の「仮面」を被っている。

 この『第37話 特別編』は、桃華の被っていた〈レディ〉の仮面がズレて、〈レディ〉らしくない素顔が見えてしまうという、櫻井桃華の〈レディ〉としての姿を長らく見てきた我々にとってはあまりにも衝撃的な話なのである。我々が見てきた〈レディ〉たる桃華、すなわち「別格」「完全無欠」である桃華は、彼女自身が意図して装ってきた作り物だったと判明したのだから。

1-3.本章の結論

 以上のように、桃華編直前の『第37話 特別編』になってどんでん返しが起こったが、『U149』における櫻井桃華の描かれ方を追ってきた本章の結論はこうだ。

『U149』の櫻井桃華は、〈レディ〉の仮面を被った少女である。

1-4.本章の補足

『第37話 特別編』における僅かな描写をもとに、『U149』の櫻井桃華が見せてきた完璧さを〈レディ〉の仮面だったと断じる本章の「仮面説」に対しては、「特別編を深読みしすぎ」「小さな描写を重く受け止めすぎ」などの異論も当然想定される。かく言う筆者も、当初はこの特別編に作劇上、桃華の解釈上の大した意味はないと考えており、「桃華はカッコよく描きすぎたし、可愛いところも描いとくか」程度の意図で挟まれた、箸休め的な話だと思い込んでいた。

 しかしこれに続く桃華編を先入観なく読解したうえで見つめ直せば、「仮面説」に立ったほうが、桃華編が物語としてより筋が通ったものになるということが分かるはずだ。また桃華編を読解する次章では、「仮面説」によってのみ意味を持つと思われる、一見不可解な描写についても説明する。これは「仮面説」のさらなる根拠となるだろう。さらに第3章(「考察編」)では「仮面説」自体の妥当性についても論じているので、今はひとまずこの「仮面説」を前提に話を進めさせていただきたい。

 

2.桃華編を読解する

 本章ではいよいよ『U149』桃華編の読解に入っていく。

 桃華編の導入は次のようなものだ。"準"デビューを果たした第3芸能課。最初の仕事のオファーは櫻井桃華にやってきた。その内容はなんとバラエティ番組でのバンジージャンプだった。まったく経験のない度胸試しに、果たして桃華は――

2-1.簡単には揺るがない〈レディ〉

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『U149』第38話 櫻井桃華 より

『第37話 特別編』では〈レディ〉らしくない素顔を見せてしまった桃華だったが、続く『第38話 櫻井桃華』では〈レディ〉を完全に復活させているようだ。遠慮がちにバンジージャンプの仕事を持ってきたプロデューサーに対し、何を弱気になっていらしてと叱咤し、心配は無用と受けることを即決。現場では先輩アイドル・輿水幸子相手にまったく物怖じせず自信に満ちたトークを繰り広げ、自分はより華麗にバンジーを飛んでみせると宣言する。

 これほど堂に入った振る舞いを見せられると、桃華の〈レディ〉は仮面であるという前章の結論を早くも忘れてしまいそうになるが、我々は彼女が〈レディ〉の仮面を連載期間にして二年弱の間、綻ばせずに保ってきた恐るべき少女であることに注意しなくてはならない。彼女の〈レディ〉の仮面とはそれほど精巧なものなのである。

2-2.アイドルの「素」礼賛

 一方で、『第38話 櫻井桃華』において見落としてはならないのが、番組スタッフたちが輿水幸子道明寺歌鈴という先輩アイドル二人の「素」を褒め称える描写である。

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『U149』第38話 櫻井桃華 より

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『U149』第38話 櫻井桃華 より

 反復されるこの「素」への礼賛は、「素」すなわち「素顔」である先輩アイドル二人とは対照的に「仮面」を被っている桃華への戒めでもある。もちろん、実際は彼女らを褒め称えるスタッフたちに桃華を皮肉るような意図は無かっただろうが、作劇上はそのように機能している。

 ここでは輿水幸子道明寺歌鈴が、その「素顔」を強みとしており、「仮面」を被った桃華とは対照的なアイドルであるということを覚えておこう。この「素顔」と「仮面」の対照性が、やがて桃華を追い詰め、葛藤へと導くのである。

2-3.〈レディ〉は「子供らしくない」のか

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『U149』第38話 櫻井桃華 より

 因縁のディレクターに、暗に「子供らしく怖がって飛べ」と要求される桃華。プロデューサーは(おそらく子供扱いされた桃華の自尊心を慮って)彼女をフォローしようとするが、当の桃華が気にしていたのは――

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『U149』第39話 櫻井桃華② より

 少々コミカルにも思えるシーンだが、桃華の一挙一動を見つめ、そこに意味を見出そうとする我々は、この「真剣」な反応を軽く流してしまうべきではない。彼女はこの場面まで、普段の自分の振る舞い(=〈レディ〉)が「子供らしくない」とは気付いていなかったのだ。

 このことは何を意味するか。桃華の中には「〈レディ〉」⇔「〈レディ〉らしくない」という確固たる価値観がある一方で、「子供らしくない」⇔「子供らしい」という価値観は存在しないか、したとしても非常に曖昧なのである。普段の桃華(=〈レディ〉)が「子供らしくない」のは当然のように思えるが、桃華にとっては〈レディ〉であることと「子供らしくない」ことは無関係なのだ。そもそも桃華には「子供らしくない」が分からないのだから。

『第37話 特別編』においても、桃華は「思いっきり笑うこと」は「〈レディ〉らしくない」と恥じても、それに至る過程で「紙ヒコーキといういかにも『子供らしい』遊びに熱中すること」は恥じていなかった。「紙ヒコーキに熱中する〈レディ〉」のような、「一般的な価値観では『子供らしい』と思われる一方で、桃華の思う〈レディ〉の条件は満たしている状態」は容易に成立しうるのだ。

 我々は「〈レディ〉」と「子供らしくない」を混同したり、「〈レディ〉らしくない」と「子供らしい」を混同してはならない。それは桃華の持つ価値観を軽視する、彼女に対して(ディレクター並に)不誠実な態度である。桃華編の結末を致命的に誤読することにも繋がるため、本項の内容を十分に理解してから次を読み進めてほしい。

2-4.仮面を付け替える桃華 

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『U149』第39話 櫻井桃華② より

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『U149』第39話 櫻井桃華② より

 ディレクターの言葉を受け、今までの櫻井さんで十分いけると言うプロデューサーに対し、桃華はさも当然のように、番組に求められているなら「子供らしい」振る舞いも身に付けるべきではないかと主張する。

 ここが桃華編の一見不可解な場面である。桃華の持つ「プロ意識」の高さを示す描写のようにも思えるが、これに対してプロデューサーの「これが櫻井さんにとっての"普通"の認識なのか…」と、桃華との価値観の違いを実感するようなモノローグが挟まれている点が引っかかる。スタッフ側とはいえ芸能界に携わってきたプロデューサーが、「プロ意識」に対してこんな反応を示すだろうか。桃華が見せた姿勢が本当に「プロ意識」だとしたら、それに対するプロデューサーの反応は「さすが櫻井さん、ものすごいプロ意識だ……!」といったものになるのではないだろうか。桃華が「子供らしさを身に付ける」ことを当然と見なすのは、芸能界関係者から見ても「プロ意識」の範疇を大きく外れた、異常な態度なのではないか?

 この場面で桃華が見せたものが「プロ意識」ではないのなら、いったい何が彼女にこんな主張をさせたのか。桃華は「番組の求める子供らしい振る舞いを身に付けること」のみならず、「求められた振る舞いを身に付ける」ということを"普通"だと思っていたのではないか。ここでの桃華は「子供らしさ」を「自分」そのものと完全に切り離して扱っているように見える。つまり、周囲に「求められた」通りに振る舞うことこそが桃華の行動規範であり、普通の人なら「自分に向いている」あるいは「自分には無理だ」と考えるような、素の「自分」という概念は、ここではもはやノイズとして関心の埒外に置かれている。桃華はそんな常人離れした発想を"普通"だと思って生きてきたのではないか。

 そうだとしたら、桃華にとってなぜそれが"普通"になってしまったのだろうか。この疑問は、普段の振る舞いである〈レディ〉からして、「子供らしさ」と同じく自然なものではない、「求められて身に付けた振る舞い」だからと考えれば説明が付く。つまり桃華の〈レディ〉は意図して演じているものだとする「仮面説」を取ることによって、この不可解な描写にも筋の通った解釈を与えられるのだ。

 桃華は普段から〈レディ〉の仮面を被っているため、求められれば子供の仮面を被ることも当然だと思ったのではないだろうか。

2-5.一度目のバンジージャンプ

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『U149』第39話 櫻井桃華② より

 かくして子供の仮面を被ってバンジージャンプに臨むことを決意した桃華。仮面を被ることには慣れているゆえか、プロデューサーには自信ありげな微笑みさえ見せてバンジー台に上った。

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『U149』第39話 櫻井桃華② より

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『U149』第39話 櫻井桃華② より

 しかし、番組内のアミダくじで最後に飛ぶことになった桃華は、「仮面」の桃華とは対照的に「素顔」を強みとする先輩アイドル、輿水幸子道明寺歌鈴がそれぞれの「素顔」を見せて飛ぶところを目の当たりにする。

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『U149』第39話 櫻井桃華② より

 そんな素顔で真摯に仕事に向き合う二人に対して、桃華は自分が不確かで経験のない振る舞いで臨む――すなわち慣れない子供の仮面を被ってバンジージャンプを飛ぶことが、不誠実でありアイドルとしてふさわしくないのではないかと葛藤してしまう。結局、機材の不調で撮影は中断。彼女はアクシデントに救われる形になったのである。

2-6.桃華の気付き

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『U149』第39話 櫻井桃華② より

 撮影中断で一旦バンジー台を降りた後も、ひとり葛藤を抱え込む桃華。どう飛ぶか――すなわち、ディレクターの言葉に従って慣れない子供の仮面で飛ぶか、それとも普段から被り慣れてはいるが番組の求めるものではない〈レディ〉の仮面で飛ぶか、という二者択一に陥り、答えを出せずにいるようだ。そんな彼女に対し、プロデューサーは自ら先んじてバンジージャンプに挑戦することでアドバイスをしようとする。

 絶叫しながらバンジージャンプを飛んだプロデューサー。その後の桃華へのアドバイスでは、配慮なく「怖かった」と言ってしまったり、一度目のバンジー前と同じ助言を繰り返してしまうなど、バッドコミュニケーションが目立ったが――彼の話を聞く中で、桃華は二度、何かに気付いたような表情をする。

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『U149』第40話 櫻井桃華③より

 一度目の「気付き」はこの場面である。「大人だって怖いもんは怖い」というプロデューサーの言葉から、いったい何に気付いたのだろうか。この一度目の「気付き」について作中で深く掘り下げられることはなかったので、筆者の想像になるが、「自分の負っている役割(『大人』)とは関係なく、自分の気持ち(『怖い』)が存在する」ということではないかと思う。おそらくこの気付きで、桃華の抱えていた〈レディ〉の仮面か子供の仮面かという二者択一に、小さな綻びが生まれたのではないか。

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『U149』第40話 櫻井桃華③ より

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『U149』第40話 櫻井桃華③ より

 二度目の「気付き」は、プロデューサーに「そういうのを一切考えないで飛ぶ」ことを提案されたときに起こっている。一度目の気付きとは異なり、ここで桃華が得たものは明白だ――〈レディ〉の仮面で飛ぶか、子供の仮面で飛ぶかという二者択一で迷っていた桃華は、「素顔」で飛ぶという第三の選択肢を得た。

「いつもの櫻井さんらしく」「櫻井さんの思う子供らしさで」は、〈レディ〉と「子供」の違いこそあれど、どちらも桃華にとってはどのような自分を「演じる」かを「考える」ことだ。それゆえ「そういうのを一切考えないで」というプロデューサーの言葉は、「演じる」こと自体をやめるという意味になったのだ。

2-7.桃華の決意を支えるもの

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『U149』第39話 櫻井桃華③ より

 プロデューサーの言葉を受け、桃華は素顔でバンジージャンプを飛ぶという決意を固めた。

 前項の繰り返しになるが、桃華にとって素顔で飛ぶということは、今まで――おそらくはアイドルになる前から――ずっと頑なに守ってきた仮面を脱ぎ捨てるということだ。それもカメラの前で! 彼女にそんな大決断をさせたのは何だろうか。自らバンジージャンプを飛ぶという、プロデューサーの体当たりの助力に応えたい思いもあったのかもしれない。素顔のまま真摯に仕事に向き合ってみせた輿水幸子道明寺歌鈴と並び立つ「アイドル」としてふさわしくあるためには、自らも素顔で臨むのが最良だという考えもあっただろう。

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『U149』第37話 特別編 より

 そして、思わず見せてしまった彼女の素顔を「可愛くて好き」と肯定した、市原仁奈の言葉も背中を押したはずだ。

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『U149』第40話 櫻井桃華③ より

  決意を固めた桃華のもとに、さらに結城晴、古賀小春、的場梨沙、橘ありすが駆けつける。紙ヒコーキを上手く飛ばしたときの彼女が思わず素顔を見せたのは、信頼する第3芸能課の仲間たちが見ていたことと無関係ではないだろう。中でも梨沙は「やるじゃない」と声を掛け、桃華の素顔を引き出すことに成功した張本人である。 

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『U149』第40話 櫻井桃華③ より

 桃華は仲間たちからそれぞれの「気合注入」を受け、最後にありすとは視線も交わす。この場面は、上にも引用した『第6話 橘ありす③』でふたりが視線を交わすシーンの明らかなリフレインである。

 こうして、桃華が仮面を脱ぎ捨て素顔を見せるために、最良のコンディションが整ったのである。

2-8.素顔のバンジージャンプ

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『U149』第40話 櫻井桃華③ より

 素顔でバンジー台に立った桃華。一度目の挑戦では霞んだように描かれていた地上の景色が今ははっきりと見えるようになっており、桃華はふぅと息を漏らす。葛藤がバンジージャンプそのものの恐怖を忘れさせていたか、あるいは被っていた仮面には彼女を守る効果もあったのかもしれない。それらが失われた今、恐怖が実感を伴って迫ってきたのだろう。それほどまでに無防備な素顔の桃華に、いったいどのような飛び方ができるのだろうか。

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『U149』第40話 櫻井桃華③ より

 桃華は「くるっ」と振り返って、

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『U149』第40話 櫻井桃華③ より

 ウィンクと口上でカメラにアピールし、

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『U149』第40話 櫻井桃華③ より

 背中から、飛んだ――!

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『U149』第40話 櫻井桃華③ より

 桃華の飛び方を見て、観客たちは拍手を送り、幸子と歌鈴、小春と晴は彼女を讃える。晴が口にした「かっけー」というのは、〈レディ〉の仮面を付けていたときの桃華に対してたびたび用いられてきた褒め言葉である。素顔の桃華は、まさに強く華麗な〈レディ〉の飛び方を見せつけたのだ。

 紙ヒコーキを飛ばしたときの笑顔を恥じて押さえつけたように、確かに今までの〈レディ〉は仮面として桃華の素顔を覆い隠すものだった。しかしその一方で、〈レディ〉は桃華の素顔の一部でもあるということを、桃華はこのバンジージャンプで証明してみせた。

 では、仮面でもあり素顔でもある〈レディ〉とは、桃華にとっていったい何なのだろうか? その答えを追求することは読解編の範疇を越えているため、「考察編」で再び論じることにして、読解を進めよう。

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『U149』第40話 櫻井桃華③ より 

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『U149』第40話 櫻井桃華③ より 

 桃華の素顔は〈レディ〉だけではない。空中の桃華が「ぎゅ」と目を閉じるのは〈レディ〉ならば見せないであろう恐怖の顕れであり、バンジージャンプを終えた後に「怖かった!」と見せた表情は、紙ヒコーキを飛ばしたときに見せた〈レディ〉らしくない、しかし愛らしいあの笑顔の反復である。〈レディ〉らしくない部分もまた、桃華の素顔の一部なのだ。

 すなわち――強く華麗な〈レディ〉の部分と、誰よりも愛らしい〈レディ〉らしくない部分を、自然体のまま併せ持つ。それが桃華の隠していた素顔の正体にして、因縁のディレクターさえ認める真の「桃華らしさ」、つまりは「櫻井桃華(わたくし)」だったのである。

2-9.桃華の成長/変化

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『U149』第41話 櫻井桃華より 

 観覧車の中で、ありすは桃華について「なんだか雰囲気が変わりました」と語り、小春と晴もそれに同意する。

 桃華の「雰囲気を変えた」のは何だろうか。おそらく彼女は普段から〈レディ〉の仮面を被ることをやめて、素顔で振る舞うようになったのだ。「怖かった!」と言ったときの笑顔は、明らかに紙ヒコーキを飛ばしたときの〈レディ〉らしくない笑顔の反復であるが、今の桃華にはその笑顔を見せたことを恥じる様子はない。桃華は〈レディ〉らしくない部分も含めて、自らの素顔を受け入れたのだ。

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 『U149』第41話 櫻井桃華より

 桃華は素顔にも(背中からバンジージャンプを飛べるほどの!)〈レディ〉の部分を持っていたので、第3芸能課の仲間たちにも「雰囲気が変わった」程度の気付きしか与えなかったのだろう。

 それでも桃華にとっては大きな変化である。彼女はバンジージャンプを経てようやく、この場に駆け付けた仲間たちと「同じ」ように素顔になり、「同じ」景色を見ることができるようになったのだから。

2-10.本章のまとめ

『U149』桃華編は、今まで〈レディ〉の仮面を被っていた櫻井桃華が、その仮面を自ら脱ぎ捨てるまでの物語である。

 

考察編

3.桃華編に残る謎

 前章の『U149』桃華編の読解はいかがだっただろうか。桃華編が明確な成長の物語だったことが分かったはずだ。一方で、作中では明らかにされなかった部分も多くある。本章からは『モバマス』など他媒体からの引用を解禁し、多角的な視点から『U149』桃華編について、そして『U149』における櫻井桃華について考察していきたい。

3-1.これからの桃華はどうなるのか?

 桃華編でのバンジージャンプを経て、桃華は〈レディ〉の仮面から解放され、普段から素顔で振る舞うようになった。これは喜ばしいことのように思えるが、ひとつの疑問が残る。

 今後の桃華は〈レディ〉を名乗ることをぱったりとやめてしまうのだろうか?

 これは非常に難しい疑問である。桃華が依然として〈レディ〉を名乗り続けるならば、彼女は〈レディ〉の仮面の呪縛から抜け出しきれていないようにも思える。一方で、桃華は素顔にも〈レディ〉の部分を持っていたのに、その〈レディ〉を頭から否定するようになるのもまた違和感がある。

 このジレンマに一石を投じてくれるのが、他媒体における桃華の姿である。明確な答えにはなり得ないが、違う世界の彼女の在り方が、『U149』の桃華の今後の在り方のヒントとなりうるかもしれない。 自らの〈レディ〉らしくない部分さえ受け入れた桃華の姿を、筆者は知っている。桃華担当Pの読者もおそらく知っているはずだ。

 ごきげんよう、プロデューサーちゃま。アニバーサリーに相応しい陽気になりましたわね♪正直に申しますと、わたくしワクワクしていますわ。
 いいえ、今に始まったことではなく、プロデューサーちゃまと出会ってアイドルになってから、わたくし毎日ワクワクしておりますのよ♪
 ウフフ、わたくしとしたことが、淑女らしくありませんわね。でも、わたくしたちの記念日だと思うと、つい浮かれてしまって。
 だから今日は……プロデューサーちゃまがついていてくれるから、わたくしも少しくらいはしゃぎすぎても、大丈夫ですわよね!
 夜の舞踏会には、わたくしが一番輝く姿で参ろうと思っていますの。プロデューサーちゃまが、どんな顔をするのか……楽しみですわ♪

モバマス』[4thアニバーサリー]櫻井桃華 思い出エピソード

モバマス』の[4thアニバーサリー]における桃華は、アニバーサリーに浮かれてしまう淑女=〈レディ〉らしくない自分を認めながらも、それを本気で恥じるのではなく、むしろ悪戯っぽく笑って受け入れている。『U149』における今後の桃華も、『モバマス』で描かれたこの桃華のように、今まで通り〈レディ〉に自認を置きつつ、自分の〈レディ〉らしくない部分もまた喜ばしいものとして受け入れていくのではないだろうか。

 もしそうなるならば、『U149』で描かれてきた仮面を被った桃華は、『モバマス』の桃華の前日譚的な存在だったと言えるだろう。

『U149』の桃華は、『モバマス』の桃華(に近しい存在)へと成長した、あるいは成長していくのかもしれない。 

3-2.桃華はなぜ仮面を付けるようになったのか?

 当記事の2-4.で書いた、「桃華は求められた振る舞いを身に付けることを当然だと思っている。それは普段の〈レディ〉からして求められて身に付けたものだから」という説が正しいならば、桃華は〈レディ〉を「求められた」ということになる。では、彼女に〈レディ〉を「求めた」のは、いったい何者なのだろうか?

 まず考えられるのは、他ならぬ桃華自身が〈レディ〉を求めたという説である。桃華自身の完璧主義が行き過ぎるうちに、彼女は完璧な〈レディ〉であれと自分に命じるようになったのだ。この説を取るならば、桃華編は「自らに掛けた呪縛を打ち破る」話だったということになる。物語としては無理のないものだろう。

 続いて考えられるのは、「櫻井家」が彼女に〈レディ〉を求めたという説だ。今更言うまでもないが、桃華は特殊な生まれ育ちをしたお嬢様である。両親や使用人、教育係や家庭教師、あるいは家を満たしていた空気など、生まれ育った家庭環境の一部または全部が、彼女に〈レディ〉であれと要求し、彼女はそれに応えるために〈レディ〉の仮面を身に付けたのではないか。この場合、桃華編は「家庭環境によって受けた呪縛を打ち破る」という話になるが、これも物語としては無理のないモチーフだと言えよう。筆者としてはこちらの説をより推したい。個人的な好みもあるが、何より次項で述べる「櫻井家からの解放」への導線となるからである。

3-3.素顔の桃華は「櫻井桃華」で良いのか?

『U149』の桃華は、背中からのバンジージャンプの前に「櫻井桃華(わたくし)から目を離してはいけませんわよ?」という口上を残した。この場面において、筆者は「櫻井桃華(わたくし)」という当て字の部分が気に掛かっていた。「桃華(わたくし)」では、いけなかったのか?

 どういうことかと言うと、もしも前項で述べたように『U149』桃華編が「家庭環境によって受けた呪縛を打ち破る」話だとしたら、その呪縛を打ち破ったばかりの桃華が「櫻井桃華(わたくし)」と、「櫻井」という姓まで含めて自認としているのは違和感がある、という話である。ここでの彼女の「櫻井桃華(わたくし)」という自認は、「櫻井」という姓が、すなわち家庭環境の呪縛が仮面を脱いだ下の素顔にも食い込んでいた、という、将来乗り越えなければいけないもうひとつの壁を示す不吉な伏線なのではないか。

 かなり穿った読み方であることは承知の上だが、筆者がその穿った読み方をここに記したのは、それが『モバマス』の桃華の経験した物語に繋がりうるものだからである。

モバマス』の桃華はとにかくプロデューサーにぞっこんで、大半のカードの特訓前はプロデューサーへの求愛やデート、果てはお泊まりで占められているのだが、アイドルとしての活動を描く特訓後においては、彼女がひとつの物語を経験していたことが示唆されてきた。その物語とは、「櫻井家からの解放」である。

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モバマス』[オープンハート] 櫻井桃華+

 初めに桃華が「櫻井家からの解放」を示唆する台詞を口にしたのは、第15回ドリームLIVEフェスティバルの上位報酬、[オープンハート]である。特訓前のエピソードは桃華がアイドル活動の思い出を詰めた宝箱の「鍵」をプロデューサーにひとつ託してくれるというものだが、桃華が鳥籠の中で切なげに歌う絵柄の特訓後において、「鍵」という言葉は鳥籠に閉じ込められた彼女を解き放つための「鍵」という意味へと転化する。

 今日の桃華は閉じ込められた鳥籠のカナリア。その声を喜びの歌に変えるため、檻の鍵を開け、このわたくしを大空に解き放ってくださる? その鍵は…そう、(プロデューサー名)ちゃま、アナタですわ…!

モバマス』[オープンハート]櫻井桃華+ アイドルコメント

 桃華の言葉によれば、特訓後においてこの「鍵」は物質的なものではなく、「プロデューサー」自身である。

 檻の中の鳥は…昔のわたくしのようで。少し、切なくなりますわ

モバマス』[オープンハート]櫻井桃華+ マイスタジオ(親愛度MAX時)

 鳥籠の中の鳥は「昔のわたくし」で、鳥籠を開ける鍵は「プロデューサー」。ここから「プロデューサーにスカウトされ、アイドルになることで、櫻井家の束縛から解放された」という物語が見えてくるのではないだろうか。

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モバマス』[ひと夏の華] 櫻井桃華+

 続いて、[ひと夏の華]特訓後である。このカードの台詞には明確に櫻井家の束縛やそれに対する反発心を匂わせるようなものはないが、金髪の桃華に紫のドレス、そして飛んでいく無数の灯籠という絵柄そのものが、ディズニー映画『塔の上のラプンツェル』(原題:Tangled)をオマージュしたものだと思われる。

塔の上のラプンツェル』は、魔法の髪を持つ少女ラプンツェルが、母親(だと思い込んでいた魔女)マザー・ゴーテルの呪縛を打ち破る物語である。森の中に立つ高い塔に暮らすラプンツェルは、幼い頃からゴーテルに塔の外に出ることを厳しく禁じられていた。しかし王家の城からお姫様のティアラを盗んだ大盗賊フリン・ライダーが偶然ラプンツェルの住む塔へと逃げ込んだことをきっかけに、彼女はフリンを伴い、憧れていた外の世界へと初めて飛び出すのだ。ラプンツェルの境遇は、[オープンハート]特訓後で示唆された、櫻井家による束縛とプロデューサーによる解放という物語に通じるものがあるだろう。

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モバマス』[綿雪の戯れ] 櫻井桃華+

 さらに、桃華が「櫻井家からの解放」を経験していることを少々露骨なまでに示したのが、[綿雪の戯れ]特訓後である。

 月の姫の心…。撮影のお仕事でも、つい入れ込んでしまいますわ

モバマス』[綿雪の戯れ]櫻井桃華+ マイスタジオ

 このカードは桃華曰く「撮影のお仕事」とのことだが、ドラマ撮影なのか、雑誌のピンナップのような写真撮影なのかは不明である。どちらにせよ「月の姫」「月の使者」といった台詞からしてシチュエーションは「竹取物語」をアレンジした内容だと思われ、ここでの彼女はすなわち「かぐや姫」である。(……かぐや姫!? この格好が!?)

 空に輝く月こそが、帰るべき故郷…。でもわたくしは、地上にしかない煌めきに…あなたという星の光に、魅せられてしまいましたの。
 だから、わたくしのことは…二人だけの秘密、ですわよ♪

モバマス』[綿雪の戯れ]櫻井桃華+ アイドルコメント

 ふふっ…まさに名演、でしたかしら♪でも、地上の星に魅せられたという言葉も、その想いも…演技だけではないのですから♪

モバマス』[綿雪の戯れ]櫻井桃華+ 親愛度MAX演出

 豪華な月の宮殿より、わたくしは(プロデューサー名)ちゃまの隣が…

モバマス』[綿雪の戯れ]櫻井桃華+ お仕事(親愛度MAX時)

 本来の「竹取物語」では、かぐや姫は最後月の使者に迎えられて故郷である月へと帰ってしまうが、桃華の演じるかぐや姫は地上に愛を見出し、地上に残ることを選んだようだ。桃華はこの地上に残るかぐや姫に感情移入している。彼女にとって「豪華な月の宮殿」は櫻井家であり、「地上」はアイドルの世界、あるいはプロデューサーのいる場所なのだ。 

『U149』の桃華は〈レディ〉の仮面こそ外したものの、「櫻井桃華(わたくし)」という自認が示すように、『モバマス』の桃華のように櫻井家の呪縛から真に解放され、アイドルとして生きることを決める段階にはまだ至っていないのではないか。もしそうだとしたら、今後の『U149』で来るかもしれない二度目の桃華編では、真の自由を得るために、櫻井家と対決する桃華の姿が見られるのかもしれない。

3-4.これまでの桃華とは何だったのか?/そもそも「仮面説」はどれほど正しいのか?

 当記事が誠実であるために、桃華が「〈レディ〉を演じる」ことを指して使った「仮面」という比喩が絶対のものではない可能性もここで示しておきたい。

 思わず見せてしまった満面の笑顔を恥じる様子や、「考えないで飛ぶ」というプロデューサーの言葉が気付きを生んだことから、確かにバンジージャンプまでの桃華には意図して〈レディ〉を演じていた面があったはずだ。

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『U149』第20話 佐々木千枝③ 後編 より

 しかし、たとえばありすをはじめとする第3芸能課の仲間たちと結んだ友情や、オープニングアクトを終えて汗と共に見せた笑顔が、すべて仮面だったとしたら――桃華が「〈レディ〉はこのようにあるべき」と意図して演じたものだったとしたら、それはあまりにも寂しく、恐ろしいことではないか。バンジージャンプで素顔になったはずの桃華が〈レディ〉らしい振る舞いを失っていなかったことから察せられるように、〈レディ〉は彼女にとって「演じるもの」であると同時に「自分らしさ」でもあり、そこに明確な境界はなかった。そう考えた方が自然であるし、何より救いがあるだろう。

 一方で、桃華が12歳まで続けてきた特殊な生き方はまさに仮面そのものであり、彼女に友情や歓びさえ偽らせるほどの歪みを生んでいたと解釈するのも、まったくの無理筋ではないように思う。ともかく今後の『U149』や関連コンテンツで語られるまで、確実な答えを出すことはできまい。

3-5.キーパーソンは的場梨沙?

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『U149』第37話 特別編 より

 紙ヒコーキを飛ばした『第37話 特別編』、そしてバンジージャンプに臨んだ『第40話 櫻井桃華③』。桃華が「素顔」を見せる瞬間が描かれるこれらの話には、共に的場梨沙の姿があった。『第40話 櫻井桃華③』では単に12歳組の括りで集まっただけ、梨沙が両方にいるのは偶然――と考えることもできるが、梨沙の存在に何らかの意味を見出すこともできるのではないか。

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 『U149』第37話 特別編 より

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『U149』第37話 特別編 より

 そもそも『U149』において梨沙は、ありすとは別の意味で桃華にとって特別な位置付けの人物なのではないかと筆者は考えている。父親のことで仁奈に配慮していた梨沙に「意外と考えていらっしゃいますのね」と少々イヤミっぽく感心してみたり、逆に自分のお嬢様キャラをつつかれて「梨沙さんはわたくしのことなんだと思っていまして!?」と声を荒らげてみたりと、梨沙に対して桃華は、ありすにも見せないほどフランクな、言ってみれば少々荒っぽい態度を取る。これはありすに対するものとは毛色の違う、一種の信頼の顕れなのではないだろうか。

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『U149』第15話 特別編 より

 仁奈の家庭環境には(父親絡みだからかもしれないが)なるべく触れないようにする配慮を見せる梨沙が、桃華のお嬢様育ちは容赦なくつつき回す辺りにも、この「荒っぽい信頼」の双方向性が感じられる。

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『U149』第34話 市原仁奈⑥ 前編 より

『第37話 特別編』において、桃華の素顔を引き出したのは梨沙の「やるじゃない」という一言だった。また、桃華がプロデューサーに対して「ですわっ」と語気を強めた(どちらかと言えば〈レディ〉らしくない、すなわち素顔に近い態度ではないかと思う)ときも、同じコマには梨沙が描かれている。

 以上で挙げたような桃華と梨沙の描かれ方から、本項で筆者が提唱する仮説は次のようなものである。荒っぽい態度で接されることを含めて、梨沙には桃華の素顔を引き出すことができる力があるのではないか。だからこそ、桃華が素顔を見せる瞬間に二度とも立ち会ったのではないだろうか。

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 『U149』第40話 櫻井桃華④ より

 桃華がバンジージャンプを経て素顔を見せるようになった後、観覧車の中で「桃華の雰囲気が変わった」という話をしているとき、梨沙は唇を尖らせてひとり喋らず、不思議そうにしているとも取れる表情をしている。ここで、梨沙には桃華の「雰囲気が変わった」ことが分からなかったのではないか。その場合、梨沙がよほど(晴よりも)鈍感ではないとしたら――梨沙には、以前から桃華の素顔が見えていたから、変化に気付かなかったのではないのだろうか?

 桃華と梨沙は、『モバマス』でも共に「ももぺあべりー」*4で活躍する仲である。これから『U149』において桃華と梨沙の間に深い関係性が生まれても、あるいはそれが既に育まれていても、決して不自然ではないだろう。彼女たちの今後から目が離せない。

懺悔編

4.筆者の誤読を懺悔する

 本章では筆者が実際に犯しており、そのうえTwitterなどで自信たっぷりに撒き散らしていた誤読を、恥を忍んで訂正し懺悔していく。訂正部分には読解編の内容と被る部分も多くあるので、筆者ほど盛大に誤読していなければ少々退屈に思えるだろう。項題を見てピンと来なければ読み飛ばしてしまっても構わない。

4-1.誤読1「『U149』の桃華は最高に桃華らしい桃華/『U149』の桃華は『モバマス』の桃華」

 項題の前半部であるが、「仮面説」が完全に正しくないとしても、『U149』の桃華が、バンジージャンプ以前には「自分らしさ」の少なくとも一部を抑圧していたという形で描かれていたのは間違いないので、これは明らかに誤読である。

 わたくしがどうなりたいのか、ですのね。ウフフ、もちろんわたくしらしいアイドルですわ

モバマス』ぷちデレラ 櫻井桃華 テクニカルボードコメント

 プロデューサーちゃまに見初められて始めたこのアイドルというお仕事はもうわたくしにとって自分の一部ですの。
 でも、わたくしが櫻井桃華であることに変わりはありませんわ。わたくしは、わたくしらしいままアイドルになりましたの。

モバマス』ぷちデレラ 櫻井桃華 ステップアップエピソード2 より

 スラッシュ以降の後半部については、断言してもいいだろう。『モバマス』の桃華に自分らしさを抑圧して〈レディ〉を意図的に演じているなどという設定は存在しない。ぷちデレラ*5での描写では、むしろ「自分らしさ」に特別こだわっているようにさえ思われる。すなわち少なくとも仮面を外すバンジージャンプのときまでは、『U149』の桃華は『モバマス』の桃華ではなかった。よって、誤読である。

 これらは、それ自体致命的な誤読でありながら、さらに大量の誤読を招いた最悪の誤読であった。

 筆者は『U149』の桃華は最高に桃華らしい桃華、イコール『モバマス』の桃華だと思い込んでいた。それゆえ『モバマス』の桃華らしくない様子、つまり恥じる様子を見せた『第37話 特別編』の桃華を、「キャラがブレた」「『U149』もたまには桃華を描くのに失敗する」などと不誠実に捉え、「恥じる様子」の意味を真摯に考えようとしなかった。『第37話 特別編』を単なる桃華が可愛いだけの箸休めと見なし、『U149』が珍しく「失敗」した話として、歪んだファン心理から存在自体を忘れようとしてしまった。その結果、続く桃華編も「桃華はやっぱりすごいという感じの話」という曖昧な認識しかできず、桃華に起きていた大きな成長や変化をまったく理解できなかったのだ。猛省したい。

4-2.誤読2「桃華編はありす編の焼き直し/リフレイン」

 これは誤読1ほどの明確な誤りとは言えないまでも、認識があまりにも雑だった。

 確かに「主人公が壁にぶつかり、その壁を乗り越えて『自分らしさ』を見せる」という物語の大筋は似通っている。また、桃華とありすが視線を交わすシーンは紛れもなく意図的にリフレインされたものだ。

 しかし、それでもふたつの物語は大きく異なっている。

 ありす編は、橘ありすが緊張やクライアントの指示という壁を乗り越えて、「いつもの自分」すなわち「自分らしさ」を出すまでの話だ。ありすは、「自分らしさ」に自分本来の価値があることも、「いつもの自分」が真の「自分らしさ」であることも最初から分かっていた。ゴールの場所は最初から知っていたのである。そのゴールに辿り着くためにプロデューサーはカメラマンに直訴し、ありすは三度目の撮影に臨む。いわば目標の定まったトライアンドエラーの物語である。

 一方の桃華編では、幸子との自信たっぷりなやり取りを見れば分かるように、桃華は「いつもの自分」を最初から出している。しかし桃華にとって「いつもの自分」は仮面であって「自分らしさ」ではない。「自分らしさ」という物語のゴールはありす編と同じようでいて、まったく違う、どことも知れない場所にある。さらには桃華は「自分らしさ」がゴールだということも知らない。桃華編はディレクターの言葉で「いつもの自分」である〈レディ〉の仮面を封じられた桃華が、葛藤の中で「自分らしさ」を発見し、さらにそこに価値を見出すまでの物語だ。その道のりはほとんど手探りであり、確固たる目標はない。ありす編とは物語の性質がまったく異なるのだ。

4-3.誤読3「桃華の素顔は〈レディ〉と『子供らしさ』の両方」
 これは筆者が「仮面説」に一度辿り着いた後、さらに犯してしまった誤読である。
 2-3.でも述べたが、普段の自分の振る舞いが「子供らしくない」ことに気付いていなかったことからも分かるように、桃華の中には「子供らしくない」⇔「子供らしい」という価値観がそもそも存在しなかった。ディレクターの言葉で「怖がるのが子供らしい」という思い込みを一時的には獲得してしまったが、「大人だって怖いもんは怖い」というプロデューサーの言葉で「解呪」されたと考えていいだろう。
 以上のように、『U149』という作品を通じて桃華の中にあるのは、「〈レディ〉」⇔「〈レディ〉らしくない」という確固たる価値観である。だというのに、紙ヒコーキを上手く飛ばせたときや、バンジージャンプを終えたときの彼女のはじける笑顔を「〈レディ〉らしくない」ではなく、「子供らしい」という言葉で語ろうとするのは、単に不正確であるだけでなく、桃華の持つ価値観を軽視する行為であった。
 そもそも、『第37話 特別編』に紙ヒコーキといういかにも「子供らしい」遊びが題材として選ばれたのは、思いっきり笑うことは恥じても、「子供らしい」遊びに熱中することは恥じない桃華の様子を描くことで、〈レディ〉と「子供らしくない」の混同を避ける意図に基づくものなのではないだろうか。筆者は雑に読解した結果、その意図を無碍にしてしまったわけだが……。反省したい。
 

終結

5.おわりに(謝辞)

 本ブログの記事では他に例を見ないほどの長文になってしまったにも関わらず、ここまで読んでくれた読者の皆様には心から感謝したい。『U149』はこれほど書いてもなお語りつくせない魅力と謎を持つ作品なので、皆様も気に入った話や担当アイドルが主役の話は何度でも読み返してほしい(先入観には注意して!)。そこにはきっと新たな発見が眠っているはずだ。

 当記事が完成に漕ぎつけたのは、着想時からDM等で相談に乗ってくれた親切なフォロワーの方々のお陰である。感謝申し上げたい。特にアイディア出し、執筆、ブラッシュアップに至るまで全面的に協力してくれた @omochitecture氏、的場梨沙に関する知見の提供のみならず校正の役目も果たしてくれた@ssasasssaassasa氏には深い感謝を申し上げる。

 そして本研究会の研究対象でありながら、辛い時期を支えてくれた櫻井桃華さんに対しては、心よりお礼を申し上げたい。

 本当にありがとうございました。

*1:言うまでもないが100%正しいという意味ではなく、明らかな誤読よりは筋が通っており制作側の意図に近いと推測される読み方という意味である

*2:櫻井桃華が『モバマス』で初登場した記念すべきイベントの名前。『モバマス』における最初のイベントでもある

*3:作中では「レディ」「レディー」という表記ゆれがあるが、当記事中では桃華編で使われた「レディ」表記で統一する

*4:モバマス』に登場する櫻井桃華・橘ありす・的場梨沙の三人から成るユニット。桃華と梨沙の「ももぺあ」として始まり、三人構成の「ももぺあべりー」として完成を見た後、桃華・ありすの「ももべりー」、梨沙・ありすの「ぺあべりー」という派生ユニットも繰り出された。

*5:モバマス』のコンテンツのひとつ。2本目のPR動画での桃華の「わたくしにできないことなどなくてよ」「アイドルでも妥協はしません」という発言はぷちデレラの台詞をアレンジしたものだと思われ、『U149』は少なくともこのコンテンツをまったく無視しているわけではない

『U149』櫻井桃華のここを見ろ!


『アイドルマスター シンデレラガールズ U149』が『サイコミ』で大好評連載中だ。

 単行本第1巻も発売し、ますますその勢いを増している『U149』。

シンデレラガールズ(以下モバマス)』に基づいた緻密にして正確なアイドル描写はまさに「信頼」の一言に尽き、登場アイドルのプロデューサーからの評価も一様に高い。
 そんな『U149』には我らが櫻井桃華も登場し、個人回はまだ来ない(第20話現在)ものの、脇を固める形で活躍している。特に橘ありす回(第4-6話、単行本第1巻収録)の桃華のカッコよさは必見である。

 さて、桃華役の声優・照井春佳さんも「桃華がモバゲーさんの桃華だな、って思ったんです」「最初に出会った桃華がここにいる」(サイコミTV #01より)と評す『U149』版桃華だが、実は今までに描かれたどんな桃華とも異なる特徴をいくつか持っている。
 以下で紹介するそれらのポイントを意識しておくことで、いずれ来るであろう桃華の個人回の感動がひとしおになる(かもしれない)ので、『U149』を読んでいる方、そしてこれから読もうという方は是非ともチェックしていただきたい。

 

1.「ちゃま」呼びがない!

 なんと、プロデューサーを「ちゃま」と呼ばない!!

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『U149』17話より

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『U149』19話より 直接話してもやっぱり「ちゃま」無し

  読者の皆様はご存知であろうが、櫻井桃華といえば、「○○ちゃま」というプロデューサーへの二人称が印象的なアイドルである。プロデューサーやファンの間では「桃華ちゃま」「ちゃま」という愛称もあるほどだ。
 しかし『U149』では、単行本1巻限定版付属のCDドラマも含め、第19話現在まで*1、桃華からプロデューサーへの二人称はすべて「プロデューサー」で通されているのである。
 実は『モバマス』でも、初期Nの親愛度MAX前の台詞や、ぷちデレラの育成序盤から見られる台詞では、桃華は「プロデューサー」という呼び方をする。

「プロデューサー、わたくし喉が渇きましたのよ」
モバマス櫻井桃華(N) マイスタジオコメント

ごきげんよう、プロデューサー。きびきびとした返事ができるのは良いことですわ」
モバマス』ぷちデレラ櫻井桃華 ぷちコメント

「櫻井の娘だと思って遠慮するのはお止めなさい。プロデューサーに卑屈は似合いませんわ」
モバマス』ぷちデレラ櫻井桃華 ぷちコメント

 しかし、『モバマス』では少々お仕事するだけで親愛度がアップし、すぐに「○○ちゃま」と呼んでくれてしまう。

○○ちゃま、いつも見ていて下さるの、嬉しいですわ!
モバマス櫻井桃華(N) お仕事(親愛度UP)

 そんなごく短いはずの桃華の「プロデューサー」期が、『U149』では第19話に至ってもなお続いているというのは、前代未聞の事態と言っても過言ではないのだ。
 桃華の個人回では、「プロデューサー」呼びが「ちゃま」呼びに切り替わる、その瞬間がクローズアップされるのかもしれない。注目していきたい。

 

2.アイドルになったきっかけが不明 

櫻井桃華ですわ。アナタ…わたくしを見る目つきが普通の人のソレと違ってよ。…ウフ。いったいナニを考えていらしたの?教えて下さる?ふぅん、わたくしをアイドルに…。それは面白そうですわね!」
モバマス櫻井桃華(N)プロフィールコメント

  以前の記事でも述べたように、『モバマス』『デレステ』の桃華はプロデューサーの視線を感じ取り、プロデューサーに興味を持ち、その場でスカウトされるという形でアイドルになる。
 いわば、「プロデューサーをきっかけにアイドルになった」形だ。

 しかし、『U149』の桃華は、プロデューサーと初めて出会うより前に、もう既にアイドル候補生として第三芸能課に所属している

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『U149』第0話より どんなプロデューサーが来るかを想像する桃華

  少なくとも、『U149』の桃華は「プロデューサーをきっかけにアイドルになった」わけではないのは確かである。
 別の誰かにスカウトされたのか。あるいは自らオーディションを受けたのか。どのような理由でアイドルの道を選んだのか。
『U149』の桃華のそういったバックストーリーは、第20話現在一切不明なのである。
 これも個人回で明かされるのだろうか。やはり目が離せないポイントである。

 

3.プロデューサーへの親愛度/信頼度が低め

 前二項にも通じるところだが、『モバマス』『デレステ』の桃華は、プロデューサーに全幅の信頼を置いている、プロデューサーのことが大好きなアイドルである。

○○ちゃま、わたくしのお家は気に入りました?部屋はたくさんあるから住んだっていいんですわよ?
モバマス』[薔薇色お姫様]櫻井桃華 親愛度MAX演出

またこの結婚式場にプライベートで来たいですわ。
その時は桃華の隣には…○○ちゃま、もちろんエスコートしてくださる?
モバマス』[薔薇色花嫁]櫻井桃華 親愛度MAX演出

 家に住んでもいいと言ってきたり、ウェディングドレス姿で思わせぶりな(と言うには直接的すぎる)ことを言ってきたり、やりたい放題である。

 しかし、『U149』の桃華は違う。

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『U149』第2話より プロデューサーへの不信感を表明する桃華。やはり「ちゃま」無し

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『U149』第6話より 浮かれるプロデューサーを諌める桃華

 決して『U149』のプロデューサーを悪く思っていたり、敬意を欠いているわけではないようだが、やはり『モバマス』や『デレステ』で見られるプロデューサーへの信頼しきった・愛情に溢れた態度とはかけ離れた、どこかドライな接し方をしている。
「ちゃま」呼びがないことを含め、『U149』のプロデューサーに対して、桃華はいわば「一般の大人への対応」をしているようである。
 ここからやがて桃華が家に住んでもいいとアプローチしたり、プロデューサーとの結婚を示唆したりするようになる――そんな大転換が起きるのだろうか?
 それとも、『U149』のプロデューサーとは一定の距離感を保ったまま、物語は続くのだろうか?

 『U149』から、そして櫻井桃華から、ますます目が離せない。

*1:第20話に桃華からプロデューサーへの呼び掛けはない

櫻井桃華の裏設定② なぜ視線に敏感なのか?

 こちらの記事の続きとなります。

 前記事では、櫻井桃華の「視線への敏感さ」、そしてそれがキャラクター性に深く関わっていることを証明した(はずだ)。
 では、その「視線への敏感さ」を、櫻井桃華はどのように身に付けたのだろうか?
 桃華が持つ、他のアイドルにはない「視線への敏感さ」という性質については、やはり他のアイドルにはない要素に原因を求めるのがふさわしいだろう。
 桃華と他のアイドルたちの最大の相違点は、やはりその生まれ育ちにある。

「○○ちゃま、わたくしのお家は気に入りました?部屋はたくさんあるから住んだっていいんですわよ?」
モバマス』[薔薇色お姫様]櫻井桃華 親愛度MAX演出

 端的に言うと、桃華はとんでもないお金持ちの家に生まれたお嬢様だ。
 しかし、お嬢様だから視線に敏感、と言ってしまえば意味不明だろう。
 シンデレラガールズで言えば西園寺琴歌も、桃華に引けを取らないお嬢様育ちであるはずだが、彼女は桃華ほど視線に対して敏感な様子を見せることはない。

 そこで私は、桃華が「視線への敏感さ」を身に付けた原因は、櫻井家が桃華に施した「特殊な教育」にあるのではないだろうか、という仮説を立てた。
 本記事では、やはり公式媒体における描写を手掛かりに、その仮説に至った理由を述べていきたい。

 

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『U149』第1話 橘ありすを指差すプロデューサーを注意する桃華。かわいい

「○○ちゃま、お仕事中はエスコートしてくださいます?」
モバマス』[メルヘン&ゴシック]櫻井桃華 お仕事(親愛度MAX時)

「ウフフ、わたくしとしたことが、淑女らしくありませんわね。」
モバマス』[4thアニバーサリー]櫻井桃華 思い出エピソードより


 その上品な物腰からも分かることだが、桃華はかなり厳格な礼儀作法を身に付けているようだ。
 だからこそプロデューサーにも紳士としての礼儀作法、エスコートを要求したりする。
 どこで礼儀作法を身に付けたか、といえば、家で教えられたと考えるのが妥当だろう。お嬢様だから礼儀作法を身に付けている、というのは不自然ではない。
 しかし、どうやら桃華が教え込まれてきたものは、単なる礼儀作法の域には留まっていないように思える。
 

桃華「ヴィジュアルレッスン……わたくし、このレッスンはあまり得意でないかもしれませんわ。トレーナーの方に何度も注意を受けてしまいました。」
桃華「注意を受けた理由は、わたくしもわかっています。理解していてもなかなか上手にできないのは、お恥ずかしい話ですわ。」
桃華「わたくし、人前で表情をあらわにするのは、控えるように教えられましたの。いつも優雅に上品に、微笑みとともにあれ、と。」
桃華「そんなわたくしに、『怒って』や『せつなそうに』など……できるわけがありませんわ。そんな表情、誰にも見せられませんの。」

モバマス櫻井桃華ぷちエピソード Vi1 より ※強調はGo_8yoによる

 「人前で表情をあらわにするな」というのは、十二歳(おそらく、もっと幼い頃からだろう)の桃華に施す教育としては不健全に思えるというか、私はどこか薄ら寒ささえ感じてしまう。
「表情をあらわにするな」など普通子どもに強制するものではないし、「人前で」というのも引っかかる。
 曲解じみているが、「人前でなければ、表情をあらわにしても構わない」のだろうか?

 これだけでは華やかなお嬢様が実は歪んだ教育を受けていた、という、やはりネットで好まれそうな「裏設定」程度の話になってしまいそうだ。

 しかし私はこの教育に、桃華というキャラクターが抱えるある種の「矛盾」に繋がるものを感じた。

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『U149』第5話 撮影で強気な面を見せる桃華に驚くプロデューサー

 桃華Pの諸賢はご存知だろうが、実は桃華は勝ち気で行動的な性格の持ち主である。
 アニメやゲームで勝ち気なお嬢様キャラといえば、高笑いをしているとか、あるいは無愛想にツンとすましている、というのが定石ではないだろうか。
 しかし、桃華はそうではない。彼女自身が言うように、いつも優雅に上品に、微笑みとともにある。私の言う「矛盾」とは、この性格と振る舞いの不一致のことである。
『U149』でも、プロデューサーは、桃華が撮影の際に見せた、「的場(梨沙)さんに負けないくらい」強気な性格に驚いている。桃華の普段の物腰からは想像しにくい面だということだろう。

  私の考えはこうだ。桃華は、おそらく「人前で表情をあらわにするな」を筆頭に、「外面」を繕わせるための教育を受けたのである。
 それも、怒りや切なさの演技が不得手になるほどに厳しく、徹底的に。もしかしたら、礼儀作法すらその一環に過ぎないのかもしれない。
 その教育ゆえに桃華は、「内面」の勝ち気な性格の一方で、「外面」では上品に微笑みを湛えているという、ある種の矛盾を内包するキャラクターになってしまった。
「外面」を繕わせる目的ははっきりしているだろう。すなわち「他人にどのように見られるか」のためである。他にはあるまい。
 桃華は「外面」を身に付けるための厳しい教育を通して、「他人にどのように見られるか」、すなわち「他人の視線」に非常に敏感になってしまったのではないだろうか。


 余談にはなるが、実はさきほど話題に上げた西園寺琴歌も、ぷちエピソードにおいて桃華と同様にビジュアルレッスンに苦戦する様子を見せる。
 しかも、そこで琴歌が明かす苦戦の理由は、桃華と一見似通ったものである。

琴歌「はぁ……難しいですわね、いろいろな表情をするというのは……。だからこそレッスンするのでしょうけれど……。」
琴歌「父から、泣いたり怒ったりするなとよく言われたせいですわ。西園寺家の娘なのだから、いつでも冷静であれ……と。」
モバマス』西園寺琴歌ぷちエピソード Vi2 より

 しかし、琴歌の台詞を字義通りに捉えるならば、琴歌が父に泣いたり怒ったりするなと言われたのは、「いつでも冷静である」ためだ。
 即ち、西園寺家の娘にふさわしい冷静さを身に付けるための、「内面」の教育である。
「人前でなければ表情をあらわにしても構わない」とも取りうる櫻井家の「外面」の教育とは、一見似通っているようで、正反対のものなのである。

 
 以上のようなことから、私は桃華が「視線への敏感さ」を身に付けた理由は、櫻井家で受けた、徹底的に「外面」を繕わせる特殊な(あるいは、歪な)教育のためだという説に至った。

  

「檻の中の鳥は…昔のわたくしのようで。少し、切なくなりますわ」
モバマス』[オープンハート]櫻井桃華+ マイスタジオコメント(親愛度MAX時)

  

櫻井桃華の裏設定①


 櫻井桃華には「視線に敏感」という裏設定がある。


 長ったらしいのが嫌いな人は上の一行だけでも覚えてから帰ってください。頼む!!

 

 そもそも櫻井桃華の「視線への敏感さ」について、裏設定という言葉を使うのは正確ではない。(目を惹くタイトルを付けたかったので……ごめん……)
モバマス』を始めとした様々な公式媒体で描かれる櫻井桃華の発言や行動には、「実はわたくし視線に敏感ですの!」みたいな直接的な表現はなくとも、この設定を示唆する要素がたくさん散りばめられているからだ。
 本記事ではそれを踏まえて、公式における櫻井桃華の台詞や描写をいくつか取り上げながら、彼女の「視線への敏感さ」を証明していきたいと思う。

 

櫻井桃華ですわ。アナタ…わたくしを見る目つきが普通の人のソレと違ってよ。…ウフ。いったいナニを考えていらしたの?教えて下さる?ふぅん、わたくしをアイドルに…。それは面白そうですわね!」
モバマス櫻井桃華(N)プロフィールコメント

 

 以上が、『モバマス』における櫻井桃華(N)のプロフィールコメントである。

 桃華はプロデューサーがスカウトするより先に、プロデューサーの「目つき」に興味を示して声をかけてきている。
 初期カードのプロフィールコメントにおいて、「プロデューサーがスカウトするより先に、アイドルの側がプロデューサーに興味を示す」というパターンの台詞を言うアイドルは、実はけっこう珍しい。
 桃華の他には以下のような例がある。

 

「あ、キョーミ深い実験材料を発見♪ふふ〜ん、そこのキミキミ♪ツンツン♪キミ、なんかイイ匂いがするね!ふぅーん、プロデューサーってのやってるの?おもしろそーだね!あたしにも教えて教えて〜♪」
モバマス一ノ瀬志希(N)プロフィールコメント

「まゆ、○○さんにプロデュースしてもらうために来たんですよ。うふ…ステキですよね…これって運命? ねぇ、貴方も運命…感じますよね?ねぇ?うふ…まゆの事、可愛がってくれますか?」
モバマス佐久間まゆ(R)プロフィールコメント

 

 一ノ瀬志希なら「ニオイ」がプロデューサーに興味を示した理由だし、佐久間まゆならばプロデューサーに感じた「運命(=一目惚れ)」が理由になるだろう。

 プロデューサー諸賢は知っての通り、「ニオイ」も「運命(=一目惚れ)」も、それぞれ志希とまゆの個性の根幹と言っていいほどの重要な要素である。
 ならば、桃華が言う「目つき」も、桃華のキャラクター性に深く関わる要素なのではないだろうか?
 その仮説に立って、桃華の他の台詞をいくつか見てみよう。

「○○ちゃま、いつも見ていて下さるの、嬉しいですわ!」
モバマス櫻井桃華(N) お仕事(親愛度UP)

「○○ちゃま、わたくしだけを見てください…」
モバマス櫻井桃華(N) お仕事(親愛度MAX時)

「○○ちゃまがわたくしを見る目…とってもゾクゾクしましたわ。このままトップアイドルになって、視線を釘づけにしますわ!」
モバマス櫻井桃華(N)親愛度MAX 

「いつも見ていて下さる」「わたくしだけを見て」「○○ちゃまがわたくしを見る目」「視線を釘づけに」……。
 初期Nの特訓前だけを取っても、やはり桃華は明らかにプロデューサーから向けられる「目」に何らかのこだわりがあるように思われる。
 ここで仮説をもう一歩進めてみよう。桃華はそもそもプロデューサーのものに限らず「目つき」、すなわち「他者から向けられる視線」に敏感なのではないだろうか。 

「みなさんの眼差し、ゾクゾクしましたわ!」
デレステ櫻井桃華 LIVEクリア(Aランク)時ボイス

「みなさんの視線、一人占めでしたわね!」
デレステ櫻井桃華 LIVEクリア(Sランク)時ボイス

「会場の視線を、一人占めですの! 完璧なレディーを、お見せしますわ」
モバマス』4thアニバーサリーアイプロ 桃華をプロデュース お仕事時

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『アイドルマスター シンデレラガールズ U149』第5話より 橘ありすの視線から対抗心を感じ取ってしまう桃華

   ※『デレステ』のボイスはGo_8yoの書き起こしによります。以下同様

 これらの描写からは、プロデューサーだけではなく、ファンや他のアイドルの視線も意識し、かつ敏感に感じ取っていることがわかる。

 やはり、桃華は「他者から向けられる視線」そのものに敏感なのである。

 

 さて。以上で引用した描写からは桃華が「視線への敏感さ」を持っていることは分かっても、それがキャラクター性に深く関わっているとは言い切れないかもしれない。それこそ"裏設定"程度のものに過ぎないと思われる方もいるだろう。

 だが、アイドルとしての櫻井桃華はこの「視線への敏感さ」ゆえに成り立っていると言っても過言ではない。

「よそ見していたせいですわ! 次は、必ず……!」
デレステ櫻井桃華 LIVEクリア(Cランク)時ボイス

 ここで「よそ見」をしていたのは桃華ではなく、プロデューサーが何らかの理由で桃華から目を逸らしてしまったという意味だと思われる。

 プロデューサーが「よそ見」していると、桃華は力を発揮できないのだ。

「どんな仕事でもレッスンでも受けますわ。プロデューサーちゃまがわたくしを見つめていれば」
モバマス』ぷちデレラ櫻井桃華 ぷちコメント

 逆に言えば、桃華にとって、他者(中でもプロデューサー)から向けられる「視線」は、アイドル活動の「原動力」なのである。

 先に引用した台詞(『デレステ』LIVEクリアAランクなど)を見れば、それが同時にアイドル活動の「報酬」でもあるということは想像に難くない(桃華は視線を集めることに快感を覚えている節があるように思う)。

 他者から、特にプロデューサーから「見られている」かどうか、そしてどのように「見られている」かが、アイドル・櫻井桃華にとっての重要な課題なのである。

 

  櫻井桃華に「視線への敏感さ」があること、それがキャラクター性、アイドル性の根幹に関わっていることについて、十分に根拠を示すことができたと思う。
 桃華がプロデューサーに興味を示すにあたって、その「目つき」に注目した理由は、この「視線への敏感さ」ゆえだと考えてもいいだろう。

 この「視線への敏感さ」を意識して様々な媒体の桃華を見ていると、彼女の何気ない一言や振る舞いが、一転して深い意味合いを持つものに見えてくることが少なくない。この記事を読み終えた皆さまは、是非とも試してみてほしい。
 次の記事では、この「視線への敏感さ」を、桃華がどのようにして身につけたのかについて考察していきたい。

 

「いついかなる時だって 目を離してはいけません」
ラヴィアンローズ』より

こちらの記事に続きます。