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最終更新日:2024年4月15日



山納銀之輔さんの臨死体験



 銀之輔さんの臨死体験談がとても興味深いです。










 (2024年4月15日)

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2025年7月問題に関する雑談(2)



○ 一つのシミュレーション

 以前、記事に書いたことがありますが、新型コロナワクチンで私は自分の力のなさを痛感したことがありました。
 ワクチンを打つか打たないかは個々人の判断なので、私は自分から積極的に周りの人たちに「打ってはいけない!」とアピールすることはしない方針でした。
 私にできることは、自分のHPでワクチンの危険性を訪問者の方々に訴えることだけと決めていました。
 しかし、もし誰かがワクチンについて私に相談してきたら、全力で打たないように説得するつもりでした。
 そうした人が一人だけいました(私が所属するテニスサークルの人です)。
 私は、それまで入手してきた情報を駆使して「新型コロナワクチンは極めて危険であること。もし打ってしまったら二度と元の身体に戻れないこと」を必死に訴えました。
 その方は、最初は私の説明に納得されたふうでした。
 しかし、しばらくして、私の訴えもむなしく、「職場のプレッシャーにもう耐えられない!」と打ってしまったのです。
 職場で打っていないのは自分だけで、周りからの無言のプレッシャーに耐えれきれなくなったといいます。

 私はその言葉を聞いて、強い無力感とともに混乱もしました。
 「職場って、なんで? 命より会社の方が大事なの?」という思いが駆け巡ったのです。
 しかし、今になって冷静に考えたら、結局のところ「新型コロナワクチンは殺人兵器」という私の主張は、「どうせ陰謀論。テレビに出ている有名な大学の先生や政府の言っていることの方が信頼できる」ということだったのでしょう。
 普通に考えたら、自分の命より会社を優先するなんてありえないことだからです。
 ワクチンを接種したその方は、1度目はなんともなかった(おそらくプラシーボ)のですが、2度目は「アタリ」を引いたようで、その場で意識を失って倒れたそうです。幸いその後意識は戻ったのですが、体調はさらに悪化するようになり、今は(新型コロナワクチンの典型的な症状である)帯状疱疹に悩まされています。また時々、心臓が痛くなるとのこと。これも典型的な心筋炎、心膜炎の可能性があります。
 後日談ですが、先日その方とテニスサークルの飲み会で話す機会があり、「本山さんが言っていたことは本当だったかもしれない」と言われました。が、時すでに遅しです。もう(メドベッドが世に出ない限り)元に身体に戻ることはありません。
 私は、慰めることもできず、掛ける言葉もありませんでした。
 私にできることとして、「具合が悪くなった時は、言ってくれればイベルメクチンを送ります」と言うのが精いっぱいでした。

 前振りが長くなりましたが、2025年7月問題に関しても同じようなことが起こるのではないかと考えています。
 新型コロナ騒動が盛り上がっているとき、「ワクチンは殺人兵器」と言えば、「お前、頭、大丈夫か?」と言われるのがオチでした。日本人の大勢は、ワクチンを打った方がいいでした。実際に日本の国民の8割がワクチンを打ったのですから、はっきりと数字に表れています。
 2025年7月問題ですが、今は日本人の大多数は知らないですが、今年の夏のパリ五輪が過ぎた頃から、徐々にマスコミが取り上げ始め、一般の人々の話題に上るようになると私は思っています。
 私の予想では、ワクチンのときと同じように日本人の8割ほどが、「本気でそんなこと信じているの?」という態度をとると思っています。政府とマスコミを信じるのが8割であれば、2025年7月問題に無頓着なのも8割ぐらいではないかと思うのです。
 よって、2025年7月問題を真剣にとらえ何らかの対策をとろうとする人々は、せいぜい2割ぐらいだろうということです(現時点では)。

 日本の人口1億2400万人の2割というと、2480万人です。
 この2480万人は、2025年7月問題を真剣にとらえ、何らかの対策をとらなければと考える人々です。しかし実際に標高の高い宿に泊まるといった具体的な対策を講じるのは、もっとだいぶ少なくなると考えています。その割合を予想するのは難しいですが、かりにその中の3割だったとします(日本全体の6%、744万人)。

 ここで一つのシミュレーションをしてみます。
 標高の高い場所としてよく候補にあがるのが長野県です。
 私が現在住んでいる長野県茅野から東京の新宿まで、特急あずさで2時間ほどで着きます。東京駅から新幹線で佐久平まで1時間10分ほどです。これは、もはや通勤圏と言えるかもしれません。
 それゆえ、関東平野の住民のうち長野県を目指す人がかなり多くなることが予想されます。
 また、長野は名古屋経済圏と強い結びつきがあるようです。
 長野県は愛知県と接していますし、余談ですが私が大手ビールメーカーに電話して長野県で売っているビールの製造場所を聞いたところ、名古屋だと言っていました。
 近いという意味で、名古屋経済圏680万人も長野を目指す人が多いと思われます。
 関東平野の4千万人と名古屋経済圏680万人を合わせた4680万人のうち6%が実際に対策を打つ人だとすると、4680万人×6%=280万人となります。
 これも難しいのですが、この280万人のうち7割が長野を目指すとします。すると196万人になります。
 ここで驚くべき数字を出します。
 長野県の人口は199万人です(2024年2月)。
 つまり、県の人口と同じレベルの人々が押し寄せることになります。
 これは完全にキャパオーバーで、収容できるはずがありません。
 試しに賃貸大手のサイトで、茅野と(私の東京の仮住まいである)町田で賃貸物件数を比較してみました(中央線沿線の茅野駅と横浜線沿線の町田駅で検索)。

 茅野 ... 918件
 町田 ... 18685件

 なんと町田は茅野の20倍の物件数です。
 東京という大都会の郊外の町と、長野県でそこそこの規模の茅野での物件数でも20倍の開きがあります。町田は横浜線のほかに小田急線が乗り入れるハブ駅でもあって人口が多いのですが、それでも圧倒的に人口密度が違うことがわかります。
 長野県の中では大きな都市である長野市や松本市でも、物件数は5〜6千ぐらいです。
 これは何を意味するかというと、関東平野と名古屋圏の人々が実際に行動を取り始めると、長野県の賃貸物件は瞬間的に無くなるということです。
 もちろん車中泊やキャンプで長野を目指す人も相当数いると思いますが、賃貸を考えている場合には大きなミスマッチがあることを認識する必要がありそうです。
 賃貸でなく、不動産購入に関しても、物件数が大都市圏のニーズに比べたら、あまりにも少ないという点では同じと思われます。
 それゆえ、行動することを決めている方は、早めに行動を起こした方がよさそうに思えるのです。


〇 長野県の発電所事情

 第一回の「未接種の会」で参加者の方から、長野県の電力事情を調べたか聞かれました。
 前々から調べようと思っていたのですが、大変だろうなという思いがあって、先延ばしにしていました。
 大変だろうなと思ったのは、発電所がどこどこあって、出力はどのくらいあるといった細かい情報を出しているはずがないという思い込みがあったからです。
 しかしネットで検索すると、一発で出てきてあっけにとられてしまいました。
 以下は、長野県をカバーする中部電力の各発電所と出力ワット数です。

http://agora.ex.nii.ac.jp/earthquake/201103-eastjapan/energy/electrical-japan/operator/4.html.ja

 水色が水力、赤が火力、黄色が原子力となっています。
 原子力は静岡県御前崎市にある浜岡原子力発電所です。
 しかし311以来、浜岡原発は休止状態となっており現在使われていません。それゆえ、巨大津波が襲っても影響はありません(しかし施設が破壊されることで放射能汚染の可能性はあります)。
 火力(バイオマスを含む)は名古屋経済圏に集中しており、巨大津波が襲ったら、ここは壊滅するでしょう。
 しかし、地図を見てわかるように長野県全体に水力発電所が散らばっており、これらは破壊を逃れる可能性が高いと思われます。
 長野県全体の平均標高は1132mなので、巨大津波が襲っても水力発電の大半は無傷で残りそうです。
 これは私にとって朗報で、私が一番心配したのは、電力が失われることで水道が使えなくなることでした。
 私は茅野市の水道課に電話して、電力が失われた場合、水道がどうなるか聞いてみたことがあります。
 すると私が住んでいる地区は、池から水を汲み上げているとの答えでした。職員の答えは斜面を利用して水を供給しているので大丈夫とのことでしたが、そもそも池から水を汲み上げているのは電気です。ですから電気が止まるとしばらくは大丈夫でも、いずれ水道は止まると覚悟していました。
 しかし、巨大津波の後でも水力発電が生きているなら、事情は変わってきます。
 おそらく311の時のように計画停電にはなるでしょうが、水道のような人々の生活に直結するライフラインは優先されるでしょうから、水道が完全に止まるということはないと思うのです。
 そういえば神秘家のゲリー・ボーネルさんはかなり昔から安全な場所として長野を挙げていました(注)。

 でもこうした情報は誰でも簡単に手に入ります。
 いざとなったら標高の高に処に非難しようと考えている人々は、まず長野に注目するはずです。
 やはり準備を始めるのは早い方がいいのかもしれません。


(注)私がゲリースクールに通っているとき、ゲリーさんは世界の主要都市は海に沈むと言っていました。天変地異による海面上昇があるというのです。そして海抜900m以上は安全だと言っていました(900mという数字の根拠はわかりません)。
 ゲリーさんは、原因が巨大津波とは言っていませんが、アカシック・レコードにそうしたビジョンが見えていたということでしょう。



〇 「明和の大津波」で語られる人魚伝説


 江戸時代の1771年に沖縄の石垣島やその周辺を巨大津波(明和の大津波)が襲いました。
 全人口の3割が犠牲になったという大災害でした。
 そしてその災害を人々が忘れないようにということでしょうか、人魚伝説が語られるようになったそうです。
 『2025年7の月に起きること』(神薙慧(かんなぎけい)著、第二海援隊)から抜粋して紹介させていただきます。


 ・・・<『2025年7の月に起きること』、p69〜p74から抜粋開始>・・・

 石垣島の100年を奪った「明和の大津波」

 きらびやかな海に囲まれ、国内外を問わず観光地として高い人気を誇る沖縄県の石垣島には、1771年4月24日(旧暦:明和8年3月10日・江戸時代中期)に壊滅的な被害をもたらした「明和の大津波」に関する不思議な言い伝えが残っている。NPO法人・沖縄伝承資料センターによると、それは人魚(沖縄では「ザン」という)と津波に関する伝説で、以下が簡単なあらすじだ。
 かつて、石垣島の東北に野原(のばる)村という小さな部落があったという。ある日の夜、その部落の若者が浜辺で宴会をしていると、どこからともなく美しい歌声が聞こえてきて、沖合に出てみるとそこにはなんとも美しい人魚がいたのであった。若者たちはその人魚を捕まえ、村の皆に見せびらかそうとした。すると、人魚は泣きながら許しを請うた−−−「私は海に住む生き物、人魚です。どうか海に放して下さい」。
 若者に交じってそこにいた年配の漁師が泣いてせがむ人魚に同情し、若者たちに「逃がしてやろう」と提案した。すると、人魚は次のようなことを口にしたという−−−「もし放してくれたら、海の秘密を教えます。これは大変なことです」。若者たちも、人魚を逃がすことに同意した。これに大喜びした人魚は、感謝の言葉を述べた後、海の秘密を話し始めた−−−「明日の朝、この島をとんでもない津波が襲うのです。それは、島を呑み込んでしまうほどのものです」。
 これを聞いた若者たちは仰天したが、「人魚には不思議な力がある」との言い伝えからこれを信じ、部落に戻って「明日の朝、津波が来るらしいから早く山へ避難しよう」と強い調子で知らせた。時間は迫りつつあったが、一部の若者は「隣の村にも教えた方がいい」と大急ぎで隣に村まで警告に走ったが、隣の村の連中は「そんな、まさか」と言って取り合わなかったという。
 次の日の朝、実際に津波はやってきた。それも、とんでもない大きな津波で、村人の目には黒い雲が水平線に連なるように見えたという。そして、島のありとあらゆるものを呑み込んで行った。まさに、人魚の警告が現実のものとなったのである。人魚の話を真剣に受け止めた野原村の人々は、山(高台)に避難していたので助かった。一方、警告を聞き入れなかった隣の村は、全滅してしまったのである。
 この言い伝えは、八重山列島を崩壊に追いやった「明和の大津波」の教訓を後世に残すために、昔の人たちが創作したもののようだ。石垣島や宮古島には、このほかにも明和の大津波に関する言い伝えが数多く残っている。最近の研究では、数百年ごとに八重山列島や宮古列島を惨劇レベルの津波が襲っていたことがわかってきた。原因は、「琉球海溝における大規模な地すべり」によるもので、そのほとんどは地震による被害というよりは津波の威力が島々を破壊してきたという。明和の大津波の最大波高は、石垣島で30メートルに達したうようだ。中には、85.4メートルだったという説もある。
 当時の沖縄は琉球王朝であったが、明和の大津波は琉球史で最悪の自然災害であった。事実、石垣島はこの大津波をきっかけとして、“地獄の100年”を過ごすはめになる。明和の大津波による八重山列島の死者数は、なんと人口の半分におよんだ。また、耕作地の多くが塩害の影響を受けて農作物の生産が低迷したばかりか、衛生環境が極度に悪化したため津波発生の翌年6月頃から疫病が大流行。現地では「イキリ」という言葉で伝承されているが、これはおそらく赤痢のことを指しているようだ。
 その後も1776年、1802年、1838年、1852年と飢饉や疫病が続き、明和の大津波から約100年後(明治時代初期)の八重山列島の人口は当時の4割から3割程度まで減少してしまった。以前の人口に戻ったのは、約140年後の大正時代のことだという。明和の大津波によって、八重山列島はまさに“失われた100年”に直面したのだ。
 最近の沖縄県というと、もっぱら「綺麗な海」のイメージが先行してしまうが、多くの防災関係者は同地域における大津波の被害は周期的に確認できるため、今後も高度な警戒が必要だと口を揃える。明和の大津波からすでに250年あまり経過しているということもあり、「もはや、いつ起きても不思議ではない」というのだ。沖縄の災害と言えば台風が有名だが、普段は穏やかで綺麗な海が時に大津波という暴力的な態度に出るということを、私達現代人は肝に銘じるべきだろう。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 ネットで「明和の大津波」のことを検索してみたら、以下のサイトに当たりました。

https://www.bo-sai.co.jp/yaeyamajisintsunami.html

 これによると石垣島に野原(のばる)村というのは無く、野原崎というのがあり、46.7mの津波が押し寄せたとあります。
 最大のものは、宮良村の85.4mです(死亡率85.9%)。
 各村の生存率ですが、ひどいところでは20%前後で、仲興銘村というところで村民283名全員が亡くなっています。
 実に八重山群島全体での死者数は3割に達しています。
 こうした事例から、津波の恐ろしさを後世に伝える為に、人魚伝説が語られるようになったようです。


 (2024年4月13日)





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