高橋アキさんのコンサート2024/04/14

昨日は5年ぶりに高橋アキさんのピアノコンサートでした。

2020年以降はコロナ禍で当館でのコンサートは出来ませんでした。 入り口の桜と裏手竹林の枝垂れ桜が華やかに満開になって春爛漫の陽気の中でシューベルトから始まりナムジュン・パイクがアキさんへ送った楽譜?の初演が行われました。準備したカメラ2台がアキさんの演奏する手元を写してモニター2台に画像を送ります。見ているゲストの方々はアキさんが演奏するバッハの平均律旋律をモニター画面と共に聴いているのですが、時折リズムを止めちょっと調子が狂います。
一枚のパイクさんのイラスト譜面を解釈しての現代音楽の楽しい時間でした。
それから坂本龍一さん、武満徹さん「さよなら」のアンコール曲の演奏などで幕下ろしました。
アキさん素晴らしいピアノ演奏を有難うございました。またいつも楽しみに来てくださる皆さま、そして遠方より来てくださった皆さまに心よりお礼申し上げます。

舟越桂さんのご冥福を祈ります。2024/04/03

 当館で1998年開催の「左眼子と慈眼子」展に人物彫刻を出品してくれた舟越桂さんが3月29日にお亡くなりになりました。 まだこれからも作品を創作されることを楽しみにしていましたが72歳でその手を止められました。

1989年のサンパウロ・ビエンナーレには舟越桂さん、神山明さん、若江漢字さんと三人で日本代表としてブラジル・サンパウロに出品され、私もご一緒いたしました。 おおらかな物腰と思慮深さを讃えたとても魅力的な方でした。 当館の刊行紙「IMBOS」vol1では桂さんのアトリエを訪問してインタビューさせていただきました。 その中で、自分の作品について「自分の中を見ている彫刻だと思っている。遠いところを見ている視線だけど、もっと遠いところのあるのは自分自身なんじゃないかなって・・」
作品の視線の先に見える世界を追いかけて旅立っていったのですね。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

設立30周年記念日です。2024/04/01

1994年4月1日に当館は開館いたしました。 今日で30年経ちました、当時のアルバムを開いてみました。
多くの友人・知人が集まって門出を祝ってくれました。 昨日のことのようでもあり、様々な変化を経た30年でもあります。 明日からは次の目標に向かって歩みはじめます。

ボイスの作ったメダル2024/03/26

 当館のヨーゼフ・ボイスの常設展示室にあるガラスケースの中に石膏型と鋳ぬいた金属の小さいメダルがあります。
このメダルをデザインして作ったのがヨーゼフ・ボイスです。以前当館で展覧会をお願いした銅版画家Otto Koester さんのパートナーのChirstine Fausel さんから寄贈されました。

Fausel さんの実家は南ドイツで大きな繊維会社を営んでいて創業記念年に合わせてメダルを制作されたそうです。
Otto Koesterさんはデュッセルドルフの美術学校の教授でChirstine Fauselさんは彼の学生でした、同じ学年にはボイスも在学していました。才能溢れるボイスにChirstine Fausel さんが実家の記念メダル制作を依頼したのです。 戦後まもない頃のようですが、ドイツらしい「双頭の鷲」のシャープなデザインに当時のボイスの意識が伝わる思いがいたします。
Chirstine Fausel さんは実家の事業を継いだのですがアーティストの感覚では経営は難しくその後「Boss」という企業に売却したとご自身が話していました。

ボイスとの会話2024/03/17

 開催中のヨーゼフ・ボイス展には1983年にドイツ•デュッセルドルフのボイスのアトリエで取らせてもらったボイスの足型の凹型が出品されています。 当時、若江漢字さんが文化庁芸術家派遣生としてドイツに滞在中だったので7月16日に2時間ほどかけて取らせてもらった足型です。 このことはは前年11月にダライ・ラマ14世とボイスとの対談の際にボイスに直接頼み日にちは後日電話で決めたものでした。
(詳しいことは「ボイスの足型)みすず書房刊に若江漢字さんが記しています。
私も同席していて今でも忘れられないことがいくつかあります。
その日は夏の暑い日差しがボイスのアトリエの中庭に差し込んでしました。誰もが「今年のバカンスはここにゆくの」と話題の中心は夏の休暇の過ごし方でした。 忙しい日々を送るボイスだからこそきっと決まってゆく所があるのでは・・・と「この後にはどちらかへバカンスに行かれますか?」と聞いてしまったのです。すると「私はバカンスをとったことがない」との答えが返ってきました。作品に「Ich kenne kein Wochenende」「私は週末を知らない」があったのを思い出しました、しまった!!です。
「Ichi kenne kein Wochenende」 黒いトランクにはカントの本とソース

昨日は若江漢字さんのトークイベントでした。2024/03/11

 9日から始まったヨーゼフ・ボイス展にあわせ若江漢字さんによるトークイベント、2014年に当館で開催した来日30周年記念展時から10年ぶりとなるボイスについての講演会となりました。 会場いっぱいのご参加者に当館としても気持ちがこもった展覧会がより一層盛り上がりを見せてくれたように思われました。 はじめにボイスが育ったライン川西岸クレーベについて、ボイスが学んだデュッセルドルフアカデミーの教授のマタレーの作品を紹介し、ボイスがベニス・ビエンナーレに出品したトラム・ストップとの経緯などに話が及びました。
ご参加の皆さま、ご静聴ありがとうございました。
詳しくは後日HPにも上げさせていただきます。
早咲きの桜が今週いっぱいは見頃ですよ。

ヨーゼフ・ボイスからのメールアート2024/03/07

 明後日から始まるヨーゼフ・ボイス展には1976年にボイスから届いた一枚のハガキが出品されます。
このハガキは若江漢字さんがドイツ滞在から帰った翌年に世界のアーティストに世界地図が印刷されたハガキを「あなたの世界観をそこに描いてください」とメッセージを入れて送ったものです。 当時は個人情報などの守りも甘く、アーティスト・ダイアリーというイタリアから出版されている芸術家名簿などが簡単に手に入る時代でした。 返信してくれたのは音楽家のシュトック・ハウゼン、ジョージ・マチューナスやソル・リビット、リチャード・ロング、等々日本人39名、海外16名でした。
なかでもボイスからのハガキはとても興味深く魅力的な表現のものでした。 世界地図に数カ所の点と古式書体のドイツ語で「Geysir」とペンで書かれ、赤黒い色をしたその文字を斜めにかざすと緑色のような光りが反射して、子供の頃に傷口に塗った赤チンキと同じですまさに赤チンキを使ったのです そして古式書体の「Geysir」は解読するのに数年かかりましたが「間欠泉」であることがわかるとボイスの考えている世界観がグーンと具体的に迫り、さすがボイスらしい表現の素晴らしさに持つ手が熱くなりました。いまでは当館の宝物になっています。

IMBOS 復刊いたしました。2024/03/07

当館で不定期刊行している小誌「IMBOS」は1998年に初刊いたしました。 次は1999年に続けて刊行いたしました。 美術館へ来館された方々から自由な角度から執筆をお願いいたしました。
その後2019年に25周年記念としてのvol 6 まで続いておりますがその後ちょっと停滞しています。 vol 1 では舟越 桂さんのインタビューだったり、vol 2 では草間彌生さんの当館へのメッセージを掲載させていただきました。 当初の部数が少なかったことや来館される方へ配布したりで無くなり、今日までコピー版で凌いでおりました。 開館30年を機に当時のままに復刊いたしました。
ご希望の方へ頒布しておりますのでご連絡ください。

松澤宥展が終了いたしました・2024/02/25

昨年12月に始まった松澤宥展ですが、本日が最終日でした。 1996年の初回企画展に選んだ展覧会が松澤でした。あれから30年近く経ち、時代が松澤宥に追いついてきているように思われます。
2022年の長野県立美術館での大規模な回顧展はその大きな契機になりました。今回の松澤宥展にご来館される方の多くは実際にご覧になっていました。同時開催のご自宅近く下諏訪一帯での松澤関連イベントもご存知でしたし、前知識の豊富さにこちらが刺激されるほどでした。 これからもじっくりと理解が深まる松澤作品は様々な分野への今後の拡張作用が楽しみです。 この展覧会がこれからの松澤作品への一つの入口となってくれることを願いつつひとまずは閉展。 ご来館いただきました皆さまへ感謝申し上げます。

松澤宥展も来週迄です。2024/02/17

 昨年12月から始まった松澤展も来週一杯で終了です。 季節も変わり入り口のミモザもだいぶ花開いてきました、河津桜ももう八分咲きです。

今日は哲学を学んでいる学生さんが来られてゆっくりと作品を見てゆかれました。2022年の長野美術館の展示や下諏訪の展示にも行かれたそうです。
美術の領域と哲学とはかなり重なっていて松澤さんは言葉によって観念の世界に遊ばれた方なのでいつも楽しげでした。 松澤さんの時間の観念は通常とは異なるので展示作品も決して歳をとらず生きています。
毎年飾っている超コンパクト雛、今年もです。