2007年03月25日

大阪249

編集集団140Bの主幹にして、クエストルームのボスであり、北新地では止まり木の癒し系でもあるし、プロのマジシャンでもある。歌うしかき鳴らすしかき乱すし一体全体…という私の兄貴分のお洒落番長イシハラ氏(ながっ)。彼のブログで「893239」を知る。そしてサンプルDVDを借りる。しびれる、ちびる、震える、泣ける。

「893239」は「ヤクザ23区」と読む。東京都23区から選んだ1区とヤクザをテーマに、10~15分程度のショートムービーを制作し、その26作品をオムニバスにしたものだ。手塚眞さんなんかも参加されているが、監督の有名無名やそれこそ普段の職種なんかもバラバラで、さらにフィルムだったりビデオ撮影風だったり26の作品は、そのどれもが温度も手触りもまったく違う。「893239」のWEBサイト→http://www.893239.com/index.html

同じ「ヤクザ」というテーマでこんなに視点が変わるのかという風景の違いにドキがむねむねし、それはつまり「港区」か「世田谷区」か「江東区」か…街の持つ土壌や気配によるものなのだと推測させられることがなによりも面白かった。サイレンを鳴らして車が駆け抜ける池袋のデンジャラスなネオンや、ぷかぷか丸太が浮かぶ江東区の木場、江戸川区のど下町な商店街の豆腐屋など、関西人の私には全くの異界である、そこにしかない東京の街の一片。それを観ているだけでも、胸がわさわさとなる。

ソフィア・コッポラの見たTOKYOが『ロスト・イン・トランスレーション』であるとするならば、その中でトランスレーションされていなかった東京が「893239」にはあるし、逆に言うと、ソフィア・コッポラのTOKYOはそこにはない。どの表情が正解というのものがなくなった街こそが東京であり、複雑怪奇で哀しくも愉しくも痛々しくも切なくもある街だと改めて思う。もはや東京は時代の概念であり、東京23区はたまたヤクザ23区いやはやどう言い換えても捉えられないのかもしれない。だからこそ、私も嫌いだけれどなぜなのか惹きつけられて仕方がないのかもしれない。


モノを作る立場から観ると、「893239」の26作品の中には、あー何かを伝えたいというよりもテクニックをみせたかったんだなあー、と意地悪に取れる作品もあったけれど、それもまた、その「区」らしくも思えそれも踏まえてのことなんだろうなと推測できる。

ちなみに、私の好みにぴったりときたのは墨田区『走るフラメンコ』と江戸川区『ヤクザの宅配便』どちらも、むっちゃ笑えるし、ちょっと泣ける。それぞれのヤクザ像もグッとくる、それはユーモラスに、そして軽やかに描かれているヤクザが、その実すごく深いからだろう。

だいぶと前になるが私がミーツ・リージョナル誌の編集しているとき、確か2001年頃だったと思うが、『大阪24区』という特集をしたことがある。その特集リード文の中に「街が違えば人種も違う」みたいなフレーズがあった。文脈上では「夜行人種」「業界人」といういわゆる生活パターン別の「人種」であり、ミーツ・リージョナル誌では常套句の一つでもあった。

発売当日の夕方か翌日の昼に、発売日から3日間の予定だった大阪市営地下鉄の車内吊りが「不適切な表現がある」と撤去された。もちろん表現や文言など全て事前審査でチェックされ通過しての車内吊り。不適切だという表現が、前述の「人種」という言葉であった。大阪市営地下鉄側の説明では、乗客からの指摘によりとあったけれど、そのあたりは結局具体的に説明されず、指摘の内容も曖昧であった。けれども、形として明確に、その『大阪24区』特集のポスターは全て撤去された。

その影響で、近鉄百貨店関連の書店でも発売中止となる。いくら美味しく作れても八百屋に並ばないトマトなんかと同じで、雑誌も店頭に並べられてなんぼ。書店に商品が並ばないというのは致命的だし正直、これはきつかった。もちろん、なんとか並べて欲しいとお願いに行く。1軒や2軒の書店に並ばなくても…というのはそうかもしれないけれど、そこから「ウチも止めておこう」「ならウチも」という集団心理がなによりも怖い。そして、理由に納得していないまま、放置するのは今後の信用にもかかわる。いろんな思いを抱えて天王寺の担当者を訪ねた。

ご担当者の方とはだいぶと話をした。「言葉狩り」みたいなものに流されないで欲しいとかなんとかかんとか。話のなかで、私は差別問題に関しての自分の不勉強をいくつか恥じることとなったし、それでも、納得のいかないこともあったけれど、百貨店という信用にしか値札がつかない場所ではわざわざ危険のあるものは仕入れなくていい、という単純な商売の原理には納得せざるを得なかった。

近鉄という電鉄の路線は、大阪の街の多様性がグラデーションを描くそのまんまをガタゴトとなぞっているような感じだ。浪速区も通れば西成区も通る。奈良にも行く。国籍がジャパンではない住民が多い街もあるし、お好み焼きの味も街的偏差値も何もかもが違う街を電車はガタゴトと走る。

「近鉄が走る街でこそ、今月の『大阪24区』を売りたいのです」と青く唾を飛ばす私に、「あおやまさんの気持ちはわからんでもないし、正直に言うと仰ってる通りの意味なんやろうとも思います。ただ、ウチでは誤解を招く可能性があるものは売れませんねん」。おそらく、筋金入りのクレーム処理班であろう担当のおっちゃんは、強面なんだけど困った顔でそう言った。しゃーないんですわ、という心のつぶやきも聞こえた。本当に困っているのがよくわかった。

大阪24区の面白さは、「わかるこまるしゃーないねん」というところにあるのだと思う。そういうのは、どことなく社会におけるヤクザの存在についても同じように言えるような気がして、893249があればどんなだろう、面白いな、と思うのであった。

ちなみに、『大阪24区』の特集は車内吊り撤去事件が朝日新聞に取り上げられたせいもあり売れに売れた。わははははーであった。売れ行きが悪いと、「なんか事件起こすかー」という自虐的な冗談が流行った。ともあれ、この時にお会いした担当者の方の名刺は未だにすぐに出せる場所にある。ふとした時に目にすると、無性にどきりとする。ともすれば上滑りした文章を書きがちな私は、ふと何かが引っかかり書いたものを読み返し、その名刺を思い出すことがある。言葉が足りているかいないのか…。宮崎学さんの『突破者』的な社会の暗闇が同様に広がっているかの百貨店で、長い間いろんなものを受け止めてきたあの強面を思い出す。『大阪24区』はいろんなことを私に教えてくれた特集でもあった。

東京23区、大阪24区。893239、893249。夏頃にはDVDも発売予定だそうで、とても楽しみだ。と、最後になりましたが、更新が鈍っていて、絶望視しながらクリックいただく方には申し訳ありません。精進いたします(ぺこり)。

2006年12月19日

どうぞそのママ

「北新地 銀座 提携」という360級(適当)ぐらいの大見出しが目に入り、思わずキヨスクでその新聞を手に取ったら、やっぱり夕刊フジだった。「東西代表 夜の社交場」というベタにもほどがある見出しにも胸がわさわさとなり、もれなく購入。早速、駅のベンチで読みふける。


内容は…不況のあおりをくらいアップアップの北新地、これはマズいと北新地社交料飲組合が、銀座社交料飲組合に話を持ちかけた。てか、この状況マジヤバくない? でさ、考えたんだけど〜。普段オレのシマで飲んでる客が、アンタのシマへ行くじゃんか。でも、しらねー店はこえー。だから、行かない。それ勿体なくね〜? だからさ、オレッチの客をここなら安心だってアンタとこに回すし、アンタんとこの客もウチなら安心ってまわしてよ。オレッチ潤う、アンタ感謝される。逆もしかりで万万歳。ほら、スタンプラリーとかもしよーぜー。おー!!(握手)


もー、こんな記事を1面トップにする勇気、いや男気ならぬおっさん気は、夕刊フジにしかないよなあ(黒川博行さんの連載『大阪バガボンド』も、本当におっさん丸出しで楽しすぎるし)。それはさておき、でも、この記事はそもそも誰にそのメッセージを向けているのだろうと不思議に思った。


もちろん、このシステムを喜ぶ人もたくさんいるはず。私のところにも北新地のおっちゃん飲み友達から、「今、銀座やねんけど、ケイコママのとこぐらいの値段で、ええことしらん? ウィ〜ッ、ヒィ〜ック。そこ右や、いやちゃう左いってくれ(タクシー風)」などと、たまに夜中にろくでもない電話が入る。ほんまにもうー、おっさん、命がけである。


同じくおっさん体質極まりないアオヤマは、この記事の背後の、そのまた奥にいる命がけなおっさんの気配に鼻がひくひくとなった。

北新地を庭と豪語するデスク部長は言う(以下、妄想)

「タカノ(注1)のおばはん(注2)とこも大変んみたいやなあ。こないだも、えらい酔うて言うてたで(注3)。そういうたら、なんや河口のおっさん(注4)が銀座と組むんやーて言うてるなあ。それ決まったら、トップ(注5)いったれや。お、ほんまか、アゲインのマミ(注6)もそんなこと言うてたなあ。いったれいったれ。絵ぇ(注7)は、新地は本通りや。銀座は和光でええやろ」

注1:タカノ→座ると2万、ボトルを入れた日は5万のクラブ。ママは北新地で1番と言われたクラブで雇われママをしていて独立。誰もが知る有名なひと。こうなると、名前ではなく店名で呼ばれることが多い。ジュンコとか名前を言うより、なんとなく名字をそのまま店名にした方が、値打ちっぽい。ちなみにタカノは仮名

注2:おばはん→親しいママをなぜかわざわざ「おはばん」と言いたがるのが、おっさんという生き物

注3:えらい酔うて言うてた→オレには愚痴までこぼす…つまりそういう親密な関係。ということを暗示した、大人っぽくさりげない自慢

注4:北新地社交料飲組合の河口貴賦理事長のこと(実名)。たぶん、きっと、おそらく何度か一緒に飲んでいる。もちろんお互いが会うときは、役職付きの呼称で呼びあう。それが大人の礼儀。なぜか、肩書きが大層になるほどに、親しくない人からも陰で「おっさん」よわばりされるのが関西風味。知事も社長もセンチュリーに乗るようになったら、一般人からは「おっさん」扱いされる


注5:でっかく一面にドーン!といったれや〜。タカノのおばはんも喜ぶやろ(と心の中で思っている)

注6:永楽町のスナックの女の子(仮名・自称23歳・よく言えば崩れた常盤貴子風)。クラブとか面倒くさいから、スナックの方が気楽でええわ、と週に4日だけヘルプのような状態で入る。だからなんでも責任なくペラペラ喋る。

注7:紙面を語るメインカット。 北新地はやっぱり本通りがメインストリート。でも、両方がネオン街の写真になると絵がかぶる(似てくる)ので、銀座はちょっとイメージカットっぽく澄ました感じにしてみた。関西人ならではのメリハリ


という感じに、これは北新地の中に向かう、ママや女の子への励ましのメッセージであるような気もしなくはないが、でも、これだけ妄想を掻き立てるってことは、何百万のおっさんの同胞も同じようにニヤニヤと読んで、久しぶりにチカんとこに顔だすか!なんて張り切っているに違いないのである。ちなみにチカちゃんは、アオヤマがミーツ時代に連載をはじめた「ダメよだめだめ北新地」というコラムを書いてくれている、座って4万円ぐらいのクラブのホステスさんである。


さてはて、北新地と銀座のタッグ話を聞き、思い出したのがクラブKのさっちゃんママ(仮名)。今までたくさんの先輩に揉まれてきたアオヤマであるが、このさっちゃんは思い出深い。北新地で遊び始めた頃にご紹介いただき、以来ものすごく可愛がっていただいたけれど、それは同時にぶるんぶるん振り回された数々の夜を思い出させ、もう眠いよぉ帰りたいよぉ家がどこかわからないよぉ〜と泣いた涙のしょっぱい味も、同時に思い出すのであった。打ち止め宣言の出せない夜は、朝になろうが終わらない。さっちゃんママが「もういらない」と言うまで、止まらないわんこそば。ママという人種について、体にいろんなものをたたき込んでくれた人だった。相手には断らせないけれど、自分ではいともたやすく断る。それがママというものである。これ、結構難しい。どちらかといえば芸に近い。


このさっちゃんママがもう何年か前になるけれど、本業のクラブ経営以外に触手を伸ばし、創作和食店を出店したことがある。値段もこなれた居酒屋風で、なかなかいいお店だった。なので、ある本で掲載しようとしたことがある。それは総集編の別冊だったので、写真は以前に撮影したものを流用しようと考えた。けれども、写っているスタッフが変わったので再撮影をしてほしいとママ。わかりました。撮りました。本ができ上がりました。やれやれ。その翌日、アオヤマの携帯に着信。さっちゃんママは不機嫌に言う。「店、閉めたから」。えっ? 「もう、小さいことやってらんないわよ」。ママはその時期、銀座にも出店した2軒目のクラブ経営に夢中だったので、私が作っているような「ちっぽけ」な雑誌なんてもうどうでもいいワケである。ただひたすら絶句する私の気配を感じたさっちゃんママ、幾多のおっさんをゴロリと崖の下に転がしてきた甘い声で囁く。「久しぶりに遊びましょうよ〜。今週末あたりなんて、どうでちゅか〜。あぁおぉやぁまぁさぁ〜んん(ハート)」


「北新地 銀座 提携」の夕刊フジを読んで思った。「これはさっちゃんママ、追い風やなぁ」。そして、その追い風に乗りまくりほくそ笑むさっちゃんママの顔を想像すると、怖くて逃げたいのにちょっぴり会いたくなるのはなんだろう。それもママの、ママたる芸というものなんだろう。

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