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日常を綴るのではなく

暫くブログを更新していなかったことに気付く。

今日から何かしら毎日少しでも文章を書くと言うことをやってみたい。話題は何でもよい。最近読んだ本でも、考えたことでも、経験した感情でもよい。とにかく書くと言うことが大事なのだ。君がもし小説家になりたいと少しでも思うのならば、必ず毎日少しでもストーリイを綴ってみる、という事が重要だ。日々のトレーニングの重要性は、どんな職種にもついて回る。私は必ずしも小説家になりたいと思ったことはないが、それでも分泌に関連する職業に就きたいと思っている以上、このようなトレーニングの必要性は認識しているつもりだ。

さて、何について書こうか。

トピックを選んで、何かについて書くと言うことは、一体どういう事なのだろう。何事も語り出しが重要である。語りはじめの一言は、その後に続く全ての言葉の流れ出る源泉となって、語りの全てをまさに規定することのなる。だからどんな文章でも、最初の一文がなにより大切である。

この文章は、だから、「何について書こうか」という問いで始まった時点で、答えが提示されないことが最初からわかっている。この文章は、何について書くか、を問う文章なのだが、問いで始まった以上、問いで終わらねばならない。答えで終わろうと思うのならば、我々は、答えから始めなければならないのだ。

明日はもう少しまともなことを書こうと思う。例えば、いま丸山真男をよむことのシグニフィカンスについて、とか。このテーマで書くとは、必ずしも限らないが。

新しい日本語入力プログラム「かわせみ」

知らなかったのだが、10月に物書堂から新しい日本語入力プログラムが出ていたらしい。その名も「かわせみ」。ベースになっているのは egbridge universal らしい。僕はずっと egbridge を使っていたのだが、エルゴソフトが開発を終了してしまったので、仕方なく ATOK を使っていた(ことえりはあまり使い物にならないので)。それが新しく egbridge 系列のソフトが出たということで、早速インストールしてみた。
いや、これがなかなか良い。何が言って、まず起動が速いのが大変ありがたい。ATOK は変換精度は悪くないのだが起動がいやに遅く、全体的にもたつき感があった。かわせみはその辺がうまく解決されている感じで、 egbridge も元々 ATOK より速かったのだが、それがさらに加速されたようである。これは大きい。一方で、変換精度は ATOK と比べて少し劣るかもしれない。ルック&フィールも Mac らしいし、値段も安い(約2000円)ので、これは買ってしまうだろうな。

言語、新語、ユーロパント

母語における「新語創造」のかたちについて、内田樹。アカデミアにおける英語の使用は、英語を母語としない人々にとっては知的なハンディとなるため、Poor English─つまり、正しさを求めない英語─をベースとしていかなければならないという主張。頷かされること度々。

これはあるビジネスマンから聞いた話だが、国際的な会議に出席する際、使用言語は英語とされているにも関わらず、それがあまりにもブロークンであるため、ネイティブ(英国人、米国人、豪州人など)だけがそれを理解できないということが実際に起きているらしい。言語とは(人類史的には)常にそのようにして変化して行くのであって、発話主体の外に「基準」となる画一的な「文法」があり、それを常に参照して発話を行わなければならない、というのは、実は非常に近代的で、人類にとってここ数百年間で初めて起こった事象なのである。

この前フィレンツェで行われたサマースクールで、とあるアイルランド人に聞いた話。現在発生しつつあると言われる言語に「ユーロパント」がある。欧州翻訳委員会で行われている発話の営みであるらしい。ウィキペディアで調べると、ある翻訳官によって提唱された言語であることが分かった。

ユーロパントの主要な特徴は、定まったルールが存在しないと言うことである。単に推奨される決まりがあるに過ぎない。これは、誰もがユーロパントをすぐに話し出せると言うことを意味するが、一方で、自分と対象となる聴衆の間でどのような語彙が共有されているかは、話者が自ら判断しなければならないということでもある。

本来的には西ヨーロッパには二つしか言語は存在しない(広義のロマンス語と広義の北欧語、英語は二つが合成してできたクレオール語である)ので、この二つの間を架橋することが問題とはなるだろうけれど、本来言語に定まったルールなど存在しないのであって、話者の発話実践が反復されることによって、一応の秩序らしきものが発生してくるというのが正しい理解の仕方なのだろう。

帰国

長岩です。

英国における一年間の留学及びフィレンツェにおける一週間のサマースクールを終えて、今日帰国致しました。

今後、政治学/社会学における人類学概念の応用についてより詳しく記していきたいと思っています。

土蜘蛛

by

 どうも、天若です。
 今日は土蜘蛛というものについて記述してみたい。

 かつて葛城氏という豪族の支配した<葛城>という地域には数多くの土蜘蛛伝説が残っている。葛城とは、奈良県北西部にあたる場所である。南から金剛山、葛城山、二上山と並ぶが、その麓に位置する地域だ。

 土蜘蛛というのは、神代もしくはそれ以前の時代より日本に住まう原住民的存在であった。民間伝承のみにとどまらず、『日本書紀』などにも登場する。
 神武天皇の時代、身丈が低くて手足が長い土蜘蛛と呼ばれる氏族がいたが、天皇の軍は葛でつくった網を使い、彼らを征伐したという。これが葛城の語源であるという説もある。

 神武天皇は葛城と呼んだ地を征伐してからより東へ征き、「皇天(あまつかみ)の威(いきおい)を以てして、凶徒(あた) 就戮(ころ)されぬ。八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と爲(なさ)むこと、亦可からずや。」とのたまい、橿原に都を定めた。
 こうして日本と呼ばれる皇国(すめらみくに)が始まったのである。

 今回とりあげた葛城以外でも、全国的に原住民的存在は確認されている。『日本書紀』、『古事記』、各国の『風土記』などを参照いただきたい。
 土蜘蛛というのは一般称だったようで、彼らには長髄彦や大耳や鹿臣や猪祝など、体型の異形さをあらわす身体の特徴をあらわした名や動物に因んだ名が与えられている場合が多い。(この流れは蘇我氏の馬子や入鹿や蝦夷など天皇に刃向かったものたちに共通するものである。)
 以上の歴史書は、現代まで日本を支配している天皇家による原住民征伐の記録である。おそらく、彼らは大陸より日本にやってきた人々の一族に過ぎなかった。
 十五年戦争の際、「八紘一宇」や「おしてやまん」、「うちてしやまん」などとスローガンが掲げられたが、これらの言葉は『日本書紀』からの援用であり、原住民討伐のための言葉であった。

 いくつか土蜘蛛に関する史跡を紹介しよう。

 天孫降臨つまり高天原の地と伝わる、御所の高天(たかま)にある<高天彦神社>から五分ほど東へ歩いたところに、鬱蒼と茂る森の中に<蜘蛛窟>と呼ばれる穴がある。正確には大岩であるが。
 その穴は、土蜘蛛がかつて居住したとされる洞穴で、征伐の際に土蜘蛛が中にいるまま穴を大岩で塞いだと言われている。その岩を退かすことは今でも禁忌とされている。
 彼ら土蜘蛛が縄文人的生活をしていたことを実証する遺跡である可能性が高い。

 そしてもう一つ、<葛城一言主神社>という神社。『日本書紀』と『古事記』では記述が異なるが雄略天皇が葛城山中で出会った神が祀られている。(雄略天皇とこの神について記述すると大きな脱線が予測されるので、別途記したい。)
 この神社の本殿、拝殿、鳥居の柱の下に三つの石があるが、それが<土蜘蛛塚>である。
 征伐した土蜘蛛を頭、胴、足というように三つに切断し、各々祀ったという。 現在でも一言主神社では、ネコメシ(鰹節を混ぜた白米)と呼ばれるご供物を土蜘蛛塚に供えることで鎮めの儀式が行なわれている。
 供えるというよりは、塚の上にぶちまけるといった方が正しい、と神主に説明を受けた。私自身、その儀式は未見である。

 中世においては、謡曲「土蜘蛛」や「土蜘蛛草紙」などの文化面に土蜘蛛は朝廷を転覆させんとする妖怪として描かれている。それは既に人の形をとどめていない。それを源頼光が退治するという内容である。
 能や歌舞伎の演目としても古くより扱われてきた。

 

 葛城氏、ひいてはそれと関連があるとされているカモ(賀茂或は鴨など)氏と土蜘蛛との関係性は強いものだと私は考えている。新井白石や本居宣長らも土蜘蛛について研究しており、天つ神(天皇家:天皇の勢力)に対立していた土神、国つ神などと同一であった可能性を考察している。

 土蜘蛛たちは、「天皇さえも平伏させた神々」、「異形の化け物」、「まつろはぬもの」などと呼ばれることもあったが、最終的には抵抗して死していく者と天皇のしろしめす民の一員に同化していく者の二つに別れ、彼ら土蜘蛛は存在しないものとなった。

 日本というものを考える際に、土蜘蛛は忘れてはいけない存在である。万世一系の、さも当然のように日本に居座り続ける天皇の正統性に「揺らぎ」を与えるものではないだろうか。早計かもしれぬが、非常におもしろい可能性をもった存在である。どこか共鳴するものが私の心中にはある。

 そしてまた、葛城という地は修験道にとっても重要な地である。なぜかといえば、修験道の開祖、役小角が生まれ、修行を積んだ地であるからである。彼もまた朝廷に反逆した存在として処罰を受けているのである。
 修験道に関しても追って記したい。

 なお、私が記述する際に参考にしているのは、特記しないかぎり、自身がまとめておいた『志書』である。
 そして、その『志書』は、実際に寺社仏閣遺跡遺構を逡巡した際に見聞した案内図・説明版や神主・住職・案内人などの話をまとめたものである。

 訂正箇所や誤りなどがあったならば随時コメントをいただければ幸いである。

「我を知らずや其の昔、葛城山に年経りし、
土蜘の精魂なり。
此の日の本に天照らす、伊勢の神風吹かざらば、
我が眷族の蜘蛛群がり、六十余州へ巣を張りて、
疾くに魔界となさんもの。」
歌舞伎・土蜘より

「汝知らずや、我れ昔、
葛城山に年を経し、土蜘の精魂なり。
なお君が代に障りをなさんと、頼光に近づき奉れば、
却って命を絶たんとや。」
能・土蜘蛛より

通貨は廃止すべき?

Marginal Revolution の記事が面白かったので軽く紹介。Times Online の記事を紹介しているもの:

高齢の国民と今後10年続くであろうデフレを抱え、回復が見えにくい中で、日本は最もラディカルな金融政策について考え始めている。キャッシュの廃止である。

非正統的な今までにない試みだ。東京三菱UFJのストラテジストは「経済学的フィクションの領域」と呼んでいる。しかし、この話は東京の権力者たちの間で囁かれ続けており、経済学者は日本を実験場として適しているとしている。

政策目標の一つは、名目金利のマイナス化─出来ればマイナス4パーセントまで減らすこと─である。日本では携帯電話だけで豚の胎盤からつくったジュースを飲むことが出来るが、それでもGDPの16%は通貨である。

イランで起こっているのはクーデターだ

イランでは「クーデターが起こっている」。Leiter Reports: A Philosophy Blog: The Coup d’Etat in Iran はそう主張する。ニューヨーク大学の Farid Masrour による文だ。現在イランで発生している事件は明らかな不正選挙であるようだ。この状況を日本人にも知って貰うため、以上の記事を邦訳する。全ての人々の関心が高まり、更なる報道及び議論が行われることを期待している。

憂国のイラン人たちが即時の行動を呼びかける

イランでクーデターが起こっている。

今回の選挙における異常な投票率(有権者の85%が投票)から、政治アナリストは選挙結果が大きな変化を要請するだろうと予測した。

にもかかわらず、公式の選挙結果はアフマディネジャド氏に2400万票が投じられたとしている。かなり競争の激しい選挙であった2005年選挙におけるアフマディネジャド氏の得票数は1700万。人気のない外交政策、抑圧的戦術や女性の人権の軽視、人種的・宗教的マイノリティに対する扱い、内部からも批判の声が多経済政策などによって彼の得票数は大きく減るはずであった。前回から800万以上得票が増えるなどと云うことは、単純に信じることができない。

政府発表によれば、アフマディネジャド氏の主要な的であるムサビ氏(Mir-Hossein Mousavi。ムーサヴィー氏が発音に則す表記)は1300万票を獲得したという。この結果は様々な理由からショッキングだ。選挙活動期間中、ムサビ氏は改革派の元大統領ハタミ氏─ムサビ氏に席を譲って出馬を辞退した─の公的な支持を取り付けた。ハタミ氏は2回連続で2000万以上の票を獲得している。また、ほぼ全ての改革派グループがムサビ氏支持を表明し、他の改革派はキャッルービー氏側についた。アフマディネジャド氏の政策に不満を覚えている保守派の一部が、改革派との伝統的な対立を無視してムサビ氏を支持したという数多くの証拠もある。そして、今まで選挙をボイコットしていた数多くのイラン人たちが今回の選挙で初めて投票することを選んだという事実がある。特に、以前投票のボイコットを主張していた著名な人物の数多くが自らムサビ氏またはカルビ氏に投票すると宣言していた。これら全ての証拠が示しているのは、ムサビ氏は記録的な得票数を─ハタミ氏が1997年や2001年に得たものよりも多くの票を─この度誇ったはずだと云うことだ。政府発表による1300万という数字は、どれだけ低く見積もっても出てこないはずのものである。

もう一人の改革派であるカルビ氏(Mehdi Karroubi。キャッルービー氏が発音に則す)は、進歩的な政策をベースにしていた。彼は、イラン市民の民主的な権利や女性の人権を守るための憲法改正を主張している─ヴェール強制の停止、人種的及び宗教的マイノリティの権利の主張などだ。カルビ氏は元ハタミ内閣閣僚や数多くの著名な僧、女性運動のメンバーや人種的・宗教的マイノリティの代表、そしてイラン最大の大学生組織などの支持を獲得していた。政府発表によるカルビ氏の得票数、30万票─これは明らかにおかしい数字である。この数字は彼自身が執筆する新聞の発行部数よりも低く、全てのアンケートから予測される数字とも食い違っており、2005年にこの候補が得た票数の約 1/20 である─この年、彼は第一回投票でアフマディネジャド氏よりも60万票だけ少なかっただけなのだ。ここから予測されることは何か。政府発表の数字は偽造されている─恐らくイラン輿論におけるカルビ氏の不人気さを強調するために。

加えて、アフマディネジャド氏陣営による組織的・計画的な選挙結果の偽造を強く示唆する数多くの証拠がある。第一。イラン憲法によれば選挙を監視する公式の主体は監督者評議会(Guardian Council)であるが、ここ数回の選挙における評議会の中立性はきわめて疑わしいものである。評議会は12人の法学者によって構成されているが、彼らはアフマディネジャド氏を強く公式に支持するイラン最高指導者ハメネイ氏によって選ばれている。さらに、選挙の数日前に漏洩し広く読まれたある手紙の中で、イランの高僧の一人であるアーヤトッラー・メスバーフ・ヤズディーは「イスラーム共和国が危機にさらされているとき、選挙結果の操作は推奨されるだけでなく良きムスリムにとっての義務である」とまで主張した。

ヤズディーが推奨したとおりに物事が行われたという証拠もある。内務省(Interior Ministry)の職員によって選挙の一週間前に書かれた公開書簡によれば、省高官が選挙結果を操作しようとしていると危機感を表している。さらに、数多くの公式な記録が明らかにしているのは、二人の改革派候補は、組織的に、幾度も投票日に投票所にいることを妨害されたということである。イラン法では、全候補が全ての投票所に代理人を於いて投票及び開票のプロセスを監視することを許されている。これが行われなかったということは、法によって保証されている選挙の合法性が失われていたということである。

最後に、二つある軍のうちの一つであるイスラーム革命防衛隊は、公式な声明の中で、ムサビ氏とカルビ氏を、「東中欧や中亜で行われた〈色の革命〉を模し、革命によってイスラーム共和国を転覆させようとした」として告発し、そのような運動は革命防衛隊によって暴力的に鎮圧されるであろうと宣言した。これら全ての証拠は、選挙結果を改竄するだけでなく脅迫的及び暴力的手段でもって人民の反感を押さえつけようとする組織的な策略の存在を示唆している。

そして、この策略は実行に移されたのだ。6月11日木曜日、選挙前夜の事である。中央政府によって全ての SMS サービス(訳注:日本でいう携帯メール)は遮断された。ここ数年で政治的コミュニケーションの主要な手段と化したテキスト・メッセージングは、今日に至るまで停止されたままである。ペルシャ語 BBC 放送も同じく視聴不可能になった。BBC の高官によれば、正体不明の電波発生源が BBC 放送と同一周波数のノイズを発生させており、放送が電波妨害されているという。選挙当日、「投票用紙の不足」により数多くの人々が投票の断念を余儀なくされた。テヘランにあるムサビ氏の選挙対策本部は選挙当日の晩、アフマディネジャド氏の敗北が明確になったため攻撃された。

内務省と関連のあるソースによれば、政府発表の数字と実際の数字は大きく異なっている。3000万の人々が改革派に投票し、2400万人がムサビ氏を、600万人がカルビ氏を選んだ。我々が入手した情報によれば、アフマディネジャド氏の得票数は1000万程度だということである。今日に至るまで改革派候補二名は選挙結果を認めておらず、与党の行いを不法として非難している。

政府による選挙結果の発表以来、何十万人もの人々が立ち上がり、デモによって異議を申し立てている─これは盗まれた選挙を取り戻すための非組織的な抗議活動として認識されている。「独裁者を許すな」「我らの票を返せ」と彼らは叫ぶ。イランのほぼ全ての主要な都市でデモが行われている。この運動は内発的で、階級とは関係なく、明確なリーダーも持たない。外国による先導や資金提供、いかなる形での介入の証拠も見つけることができない。

100名以上の改革派と、地方及び国際的なジャーナリストが逮捕された。インターネットはまず完全に遮断されたあと一部復旧したが、BBC を含む様々なウェブサイトがブロックされたままである。

民衆による反対を予測したのか、地方警察及び機動隊が選挙結果発表の数時間前、土曜日朝に既に道々を占領していた。デモに対する行動は迅速であった。催涙ガス、胡椒スプレー、そして男女関係なく警棒が使用された。類を見ない暴力の証拠は、インターネット上で既にいくらでも見つけることができる。昨夜以降状況はさらに悪化している。警察だけではなく、政府によって資金を提供された私服民兵のグループ─革命防衛隊管下の民兵組織バシジを含む─が登場し、火器・ナイフ・なた及び手榴弾を用いてデモ鎮圧に当たっている。情報が統制されているためどれだけの暴力が既に振るわれたのか明確ではないが、イランの都市各地で銃声が響いているという様々な報告が存在している。信用できる情報源からの未確認情報によれば、午前1時過ぎ、少なくとも15名のテヘラン大学生が民兵たちによって大学寮で狙撃されたという。未確認だが大学寮襲撃による死者数は5名(男4、女1)だという。重傷者を含む400名近い学生が連行されたと報じられている。

ムサビ氏、カルビ氏及び改革派の全てのグループは今日、6月15日(月)午後四時から非暴力デモをテヘラン及びイランの全主要都市で行うことを呼びかけていた。この抗議デモはキャンセルされたかのように見える。しかし、我々が入手した情報によれば、このクーデターに対する憤怒と、政府による恥知らずな暴力は終わっていない。全ての抗議活動は違法であり深刻に取り扱われるという政府による声明と、それによって益々増大する危険にも関わらず、これからも抗議する人々は街頭にあふれ続けるだろう。選挙後の数日における人々の政府への反応と、昨夜以来の暴力の拡大を考慮すれば、これからも政府が抗議する人々を狙撃することを躊躇しないことは明らかである。数十万のイラン市民が、危機にさらされている。

よって、我々は、以下のことを要求する。

  1. 国際共同体が即座に、可能な全ての外交的手段でもってイランに介入し、大規模な殺戮を防ぐ事が最も重要である。
  2. 国際メディアは明確な論調でもってこのあからさまな不正選挙を暴かなければならない。現在これは全く行われていない。

イラン市民だけでなく、全中東地域にとって危険であり、甚大な影響を与えるような結果を防ぐため、これらの要求の流布をお願い致します。

はじめからはじめる ─ ジジェク

New Left Review 57 にスラヴォイ・ジジェクによる論文 “How to begin from the beginning” が載っており、楽しく読んだのでまとめ。どうでもいいけど、ジジェクはフランスの Contretemps にもほぼ同じ内容の論文を書いてました。別タイトルで。おぬしも悪よのう。完全に同じ内容ではないから良いんだけどさ。邦訳はもうされているようだ。凄いな。早い。勉強メモ程度のまとめのみ残す。

まとめ

  • 話は1922年のロシア内戦終結後、新経済政策 NEP を採用する際にレーニンが書いた “あるパブリシストの覚書 Notes of a publicist” である。そこでレーニンは、「幻想や落胆に惑わされず、力と柔軟性をもって何度でも最も困難な目標へ向けて’一から始める’事のできるコミュニスト」であることを強調する。途中からではなく、何度も最初から、一から始めなければならない。
  • レーニンのテロルとスターリンの全体主義は、レーニンが「沈黙する自由」を奪わなかったという点で大きく違う。政治的闘争の場から降りた敵にレーニンは銃を向けなかったが、スターリンの体制下では党の思うとおりの主張をすることを余儀なくされた。レーニンに於いて社会は人間たちの闘争の場であったが、スターリンにとって敵は人間ではなく、社会はそれから除外された虫けらと対立していた。この変化は、レーニンの理論に一つの社会的な行為者としての国家が存在しなかったことに起因している。レーニンは自らの鬼子と闘うこととなるが、その過去の過ちを矯正するためには既に遅かったのだ。
  • 共産主義は今、ソビエトの廃墟から始めるのではなく、また最初から始めなければならない。革命は持続的なプロセスではなく、何度も何度も立ち上がる断続的な運動である。Western Marxism にとって、最大の問題は革命主体としてのプロレタリアートの不在であり、精神分析によって階級意識の発展を阻害する無意識的な欲望のメカニズムを暴いたり、第三世界や学生、知識人など別の革命主体を求めようとしてきた。しかし、それは自らの怠惰を正当化するだけのものではなかったか。
  • フクヤマ的な論調を嘲ることは簡単だが、いま、多くはフクヤマ主義者である。人々は、自由民主主義的資本主義が結局のところ最良の社会であり、それをより公正なものにすることに心血を注いでいる。しかし、これが真ならば、アラン・バディウのように共産主義仮説 communist hypothesis を強調する意味はなんなのか?
  • 共産主義仮説を要請する歴史的現実における対立 antagonism は確かに存在する。本当の問題は一つしかない。『グローバル資本主義はその無限の再生産を防ぐほど強い対立を内包するのか』。答えはイエスであり、それは社会的アパルトヘイトの新しい形、包摂されるものと排除されるものの対立である。他の対立─環境破壊、知的財産と私有財産の対立性、遺伝子操作のような新技術に関連する倫理的問題─は重要ではあるが、先に挙げたものとはそのコモンズとの関わりに於いて異質のものである。
  • コモンズとはその私有化自体が暴力的行為であるような共有の何かである。私有化が断行されるようならば、それは必要ならば暴力でもって対抗せねばならない。第一には、文化のコモンズ─言語、コミュニケーションと教育の手段、電気や郵便、交通などの共有インフラ─がある。第二には、外的自然のコモンズ、石油や森林、自然環境そのものがある。そして最後に、内的自然、人類の遺伝生物学的な遺産としてのコモンズがある。このコモンズという概念へのアクセスを通じてのみコミュニズムは蘇生しうる。これらが資本によって囲い込まれるとき、我々は皆自らの実体から排除されたプロレタリアートとなる。
  • 排除されたものたちへの参照を通じてのみコミュニズムは正当化されうる。環境は「持続的発展」の問題へ、知的財産は「難しい法的チャレンジ」へ、遺伝子工学は「倫理問題」へと変質させられる。これでは、カント的な意味で「私的な」関心のみがあるだけで、普遍性には到達することができない。スターバックスは「フェア・トレード」のコーヒーを売るが、彼らは反組合運動も起こしているのである。つまり、「包摂されたものと排除されたものの対立を見つめなければ、我々は、ビル・ゲイツが貧困や病気と闘う最大の博愛主義者であり、ルパート・マードックがメディアを通じて何億人もの人々を動員する最も偉大な環境主義者であるような世界に住むことになる」。
  • ランシエールの言う「取るに足らない人々」、社会的身体の「なんの部分でもないもの part of no part」たち、社会の「指摘な」ヒエラルヒーの中で決定的な場所を持たない人々こそが真に普遍的なのである。マルクスのコミュニズムもまた、排除されたものが政治へと参与するという事が確信にあり、それこそがデモクラシーなのである。
  • 現在のリベラル・デモクラシーは、排除されたものを「マイノリティの声」として包摂し回収するという方策をとるが、ここでは排除されたものにおける普遍性は失われている。新しい解放の政治は、もはや、ある特定の社会的行為者によるものではなく、様々な行為者の爆発的なコンビネーションとなる。「我々は全てを失う危険に直面している」。「あらゆる象徴的内容を抜き取られた、抽象的で空虚なデカルト的主体に還元される」という危機、環境破壊・遺伝子操作・文化の抹消という危機。我々はここで皆「実体のない主体」、プロレタリアートとなる。もはや全ての人が排除されており、全ての人がホモ・サケルとなる可能性を秘めているのである。それを避けるためには、行動しなければならない。

コメント

  • 所謂 “Good Lenin and Bad Stalin” という構図を脱し切れていないのではないか。いまレーニニズムを強調することにどれほどの意味があるのか。
  • いつものジジェク節…行動せよ。だが、いかにして?
  • もう少し考える。

ロンドン、パリ、ローマ

水無月に入ってブログの更新が滞っているのは、ヨーロッパを旅行しているからである。試験も無事に終わり天若とヨーロッパぶらり旅を続けている。今のところ、ロンドンとパリをぶらぶらと歩き回った。長岩はデジカメを持っていないが、天若はパチリパチリと風景をメモリに納めていた。だが、彼はパソコンを持ち歩いていないので取り込むことができない。どちらにしても片手落ちである。

美術的センスというものが全く無い上に建築についても興味がないので、はっきり言ってヨーロッパを旅行することは余り楽しくない。建造物は天井が高く首が疲れることが多い。歩くのは石畳ばかりで足の裏が痛くなる。イギリス人は声が大きく人の迷惑を考えない。イギリス料理(笑)は料理と呼べる代物ではない。この地に食文化が成立しなかったのはいかなる所以があるのだろう。悪口ばかり言っている気がするが、良いところもある。今回の旅行で一番興奮したのはロンドンは南ケンシントンの英国自然史博物館である。ロンドンは博物館が入場無料で、ここ自然史博物館だけでなく大英博物館も一度行ったことがあるにも関わらず楽しめた。現在、ギリシャとパルテノン神殿関連の所蔵品が返却されるべきかを巡って争っているとのこと。イギリスの言い分は、「放っておけば朽ちていくものを我々が保存しているのだから、むしろ感謝すべきである」。彼らの知識に対する欲望は見習わなければならないだろう。フーコーは好きでは無さそうなタイプの知であるが。

パリはロンドンよりはもう少し人も街も湿気があり過ごしやすかった。料理も酒も、女性の美しさもイギリスに勝る。出会ったイギリス人は金を出せばイギリスでも良いものが食えると称していたが、イギリス人の舌は破壊されているので信用できぬ。少なくとも伝統的なイギリス料理はフランス料理の足元にも及ばぬ代物であることは間違いない。残念なのは博物館が随分と高額で、ルーヴル博物館は6時以降入場で安くなってから入ったにも関わらず一人6ユーロという暴挙である。こればかりは大英博物館を見習うべきだ。フランス人に衛生観念を期待するのは間違いだと理解しつつも、やはり街に清潔感が無いのは残念だった。糞尿が垂れ流しになっていた中世と比べればましになったのだろう。

これからローマ、フィレンツェへ向かう。イタリアは治安は悪いが料理と酒はうまいと聞く。夜で歩くのも趣味ではないのでさしあたり天気と料理が良ければ満足である。楽しみだ。

イラン大統領選挙は仕組まれたか

イランの大統領選挙は現職のアフマディネジャド氏が再選を果たしたという事だ。しかし、Informed Comment: Stealing the Iranian Election ではこの選挙結果に疑問を呈している。選挙結果と事前のアンケート調査の結果が食い違いすぎているというのである。

  1. アフマディネジャドはタブリーズで57%の票を獲得したことになっているが、彼の主要な的であるミル・ホサイン・ムーサビーはタブリーズが州都である東アーザルバーイジャーン出身であり、この地域では明らかにアフマディネジャドよりも勝っていた。この地域では、以前から地元出身の候補が大量の票を獲得している。
  2. テヘランでもアフマディネジャドは50%以上の票を獲得したことになっているが、彼は都市部では人気がない。彼の政策がインフレや高い失業率をもたらしたため、貧困層にも不人気である。テヘランでこの数字が出ることはおかしい。
  3. 改革派であるメフディー・キャッルービーは32万票を獲得し、ロレスターンなど西部で敗北したと言うことになっている。しかし、彼はロレスターン出身でありクルディスタンを含む西部地域では非常に人気がある。キャッルービーは2005年の大統領選挙の第1ラウンドで17%の票を獲得している。それ以来支持が減ったということを考えられるが、1%以下の支持しか得ていないと言うことはあり得ない。少なくとも西部ではもっと健闘したはずである。
  4. モフサン・レザイはアンケートでは全く人気がなかったが、67万票とキャッルービーの2倍以上得票している。
  5. アフマディネジャドはイランの全ての地域でほぼ同じくらい支持を得たことになっているが、今までの選挙では民族的及び地域的な変動が大きく見られた。
  6. 選挙委員会は選挙結果を公認するのに三日待ち、その後ハメネイに連絡、署名を得ることになっている。これは何らかの間違いがあった場合の是正のためであるが、今回はすぐにハメネイによる公認がなされた。

個人的に選挙結果を眺めたわけではないので何とも言えないが、これだけ見れば選挙結果に何らかの圧力がかかったという事は大いに有り得、公明正大な選挙が行われていない国家ということになる。これからの米国の対イラン政策などにも影響があるのだろうか。