2018/04/13

客観的意識予測(Objective Consciousness Conjecture: oBJe)を発表

客観的意識予想 (Objective Consciousness Conjecture: oBJe)を記した論文をプレプリントとして発表しました。

A conjecture for objectification of the content of consciousness
Daisuke H. Tanaka and Tsutomu Tanabe
(現在、科学哲学系の雑誌へ投稿中)

りんごの「赤らしさ」や手足の傷の「ヒリヒリした痛み」といった意識の内容(contents of consciousness)は主観的なものであり、客観的には扱えないので、科学で意識の内容を直接扱うことは出来ない、と広く信じられています。

しかしこれは本当でしょうか?

本論文は、「意識の内容は、それを生み出す神経基盤についての4つの条件が揃えば客観化できる」ことを論理的に予想しています。そしてその4つの条件は実験的に反証可能であるため、この予想の正しさは実験的に検証することができます。意識の内容は、直接、客観化できる可能性があるのです。

「意識の内容を客観化するなんて無理。だから仕方なく被験者の言動で判断している」
「意識の内容を、被験者の言動や脳活動で推し量る方法論では満足できない。でも科学的アプローチを諦めたくはない」
「意識の内容の検出は、統合情報量Φで代替出来る。客観化なんかしなくてもいい」

「意識の内容」と「科学的アプローチ」を巡る見解は、研究者により様々あると思いますが、意識の内容と物質的基盤の関係を明らかにしたいという熱意は皆同じかとおもいます。本論文が、そんな熱い皆さんのfood for thoughtになったら嬉しく思います。


2017/12/09

嗅覚と味覚のクオリアが似ている

視覚、聴覚、体性感覚それぞれ他のどれとも似ていないユニークなクオリアを持つ似ている。それらに比べ嗅覚と味覚のクオリアはよく似ている。

ここにクオリアの神経基盤に関するヒントが隠されている気がする。嗅覚の神経活動と味覚の神経活動の共通点を見いだし、それらが他のどの感覚の神経活動とも異なればそこに味覚や嗅覚っぽいクオリアを生み出す神経基盤の特徴を見いだすことができるのではないか。

興味深いことに、嗅覚と味覚は他の感覚と異なり、chemoreceptorでchemicalを検出する感覚である。と思ったが、かゆみも同様にchemoreceptorでchemicalを検出した結果だ。が、クオリアは嗅覚や味覚とかなり異なる。stimulus energyやreceptor classがクオリアのモダリティを決めているわけではない。まあ当たり前か。

「私は考える、ゆえにわたしは存在する」には賛同出来ない

デカルト「方法序説」
p47-48
「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」というこの命題において、わたしが真理を語っていると保証するものは、考えるためには存在しなければならないということを、わたしがきわめて明晰に分っているという以外にまったく何もないことを認めたので、次のように判断した。わたしたちがきわめて明晰かつ判明にとらえることは全て真である、これを一般化な規則としてよい、、、、
p54
われわれがきわめて明晰かつ判明に理解することはすべて真であるということ自体、次の理由によって初めて確実となるからである。神があり、存在すること、神が完全な存在者であること、われわれのうちにあるすべては神に由来すること。


→つまりわたしは存在するということの根拠が、「考えるためには存在しなければならない」という「理屈」にあると考えているらしい。そしてその根拠が神の存在。
→つまり僕が考えている根拠である「自明性」とは明らかに異なっている。したがってデカルトの言う「私は考える、ゆえにわたしは存在する」というのは僕にとっては真ではない。僕にとって心底納得できることは「私は考える、ゆえにわたしは存在する」ではなく、「クオリアがあること」であり、根拠は「必然的な自明性」である。理屈は不要。

2016/01/22

心脳問題を扱ったポパーとエックルスの共著「自我と脳(上)」を読んだ

科学哲学者であるカール・ポパーと、神経生理学者であるジョン・エクルズ(エックルス)の共著である「自我と脳」の上巻を読んだ。
 カール・ポパーは「科学理論は反証可能性を持つべきである」という主張をした有名な哲学者。一方のエックルスはばりばりのノーベル賞受賞神経生理学者で、東大の伊藤正男先生の元ボスでもある。そしてこの本の中心テーマが、ズバリ「心脳問題」。心と脳がどういう関係にあるのかを、この二人がどう議論しているのか、大いに興味がわいて読み始めた。
 上巻はポパーが書いたもの。で、いきなりずっこけてしまった。心脳問題では通常、心と脳の2つの存在がどういう関係にあるのかが議論されていて、未だに決着がついていないのだが、彼はここに、我々人間の思考の中にある、芸術世界や科学世界を「第三の世界」とよんで、なんと

「心と脳の他に、この「第3の世界」もあるから、この3つの関係を調べていかないといけない」

と主張して、そのまま上巻が終わってしまった。。

をいをい。。。
 
いやいやこんなんで終わるわけがない!
下巻はいよいよ神経科学界のドン、エックルスの主張!
乞うご期待!

2015/08/24

論文メイキング02: 脳進化研究と細胞移植

2011年、我々は「大脳新皮質の進化機構」の一部の解明に、「細胞移植」という実験的なアプローチで挑戦し、哺乳類・鳥類・爬虫類の共通祖先から哺乳類への進化の過程で、発生期のGABA作動性抑制性神経細胞の移動能力の進化が必要であったことを示唆する以下の論文を発表しました。

Tanaka DH, Oiwa R, Sasaki E and Nakajima K. Changes in cortical interneuron migration contribute to the evolution of the neocortex, Proc. Natl. Acad. Sci. USA 108 (19), 8015-8020 (2011)


Short Slides

研究の着想は2008年頃でした。丁度N研に異動してきたばかりで、これからどんな研究をしたらいいか考えていた頃、オフィスの隣の席のS先生とよくお話する機会に恵まれました。S先生は脳の進化にご興味があり、関連分野についてのものすごい知識と冷静に洞察する姿勢を兼ね備えられており、さらにそれを素人にも丁寧に説明してくれるという、大変オトナな魅力に溢れた方でした。それまで私は進化というものに特に興味があったわけではなかったのですが、心の赴くままにお話を伺っているうちに、改めて考えてみるとなんて不思議な現象なんだろうと、自然に興味が湧いてきました。

 そこで自分のこれまでの興味と進化研究を組み合わせることができないかと考え始めました。私は当時から心脳問題に興味があり、脳の中でも意識の起源であろうと推定されていた「大脳新皮質」に特に興味がありました。またそれまでの自身の研究も「発生期の大脳新皮質のGABA作動性抑制性神経細胞の移動経路」であり、大脳新皮質に関連がありました。そこでこれまでの自身の研究テーマであった「発生期の大脳新皮質のGABA作動性抑制性神経細胞の移動経路」と、新たな「進化」を組み合わせる方向で新たな研究テーマを模索することにしました。ここで「大脳新皮質」という広い興味から一気に自身の得意分野に限定することを決めた理由は、ややscientificな議論から外れますが、当時の雇用が年俸性で不安定であったからです。外部資金を元にした「特任助教」という肩書きで、1年毎に更新される雇用でした。実質的には普通のポスドクとほぼ同じです。ボスからは来年度も雇用が続くかは今年度の成果次第であることを初年度から言い渡されていましたので、雇用を継続してもらうためには初年度から成果につながるようなデータを出す必要がありました。そこで私は「ズーム」と呼ばれるアプローチを採用することにしました。この概念は阪大のM研にいた時に、休憩室で雑談している時に後輩のK君から教えてもらったもので、新しいことを始めるときはこれまでの分野に片足を残したままもう一方の足を新しいところに踏み出すイメージが良い、というようなものでした。この方法だとこれまでの分野での知識や経験がそのまま生かせるためスタートダッシュがつけやすいので、最初から成果が求められるような状況で、しかし新しい分野に展開することをもしてみたい時に最適だと考えました。
 そこで自分のこれまでのテーマに関連する進化研究について文献を検索し始めましたが、すぐにそれほど多くの文献がないことに気づきました。そしてそのほとんどが、ある遺伝子の発現パターンを、マウス以外の動物でも調べて比較して考察する、というアプローチに終始していました。このアプローチは古典的で極めて有効であることに疑問の余地はありません。しかし当時の私にとってはやや静的すぎて退屈に感じられました。もっと動的で興奮できるアプローチはないものか。そんなことを考えていた頃、まさにこれ!というような、その後の私にとって手本となるような下記の論文が発表されました。

Nomura T, Takahashi M, Hara Y and Osumi N. Patterns of neurogenesis and amplitude of Reelin expression are essential for making a mammalian-type cortex. PLoS ONE 3:e1454 (2008) 


彼らはニワトリの胚にマウスでのみ発現している遺伝子を発現させてニワトリをマウス化させるような試みをしていました。N先生のこのお仕事は以前から研究会の発表などでお聞きしていたはずなのですが、当時はあまり進化に興味がなかったため詳しい内容を覚えておらず、論文を拝読して改めて「進化研究もこんなに自由でいいんだ!」と衝撃を受けました。そして自分もこんな感じで研究できないか色々考え、最終的に「ニワトリやスッポン、マーモセット胎仔の細胞を、子宮内の生きているマウス胎仔に移植する」というアプローチに行き着きました。このアプローチは、過去にカメの細胞を培養しているマウスの切片に移植する、という研究報告があり、一方で子宮内の生きているマウス胎仔に細胞を移植する、という技術が報告されていましたので、それらを組み合わせたら面白いのではないか、と考えつきました。また、当時雇用されていた外部資金のプロジェクトにマーモセット関連の研究者もおられたので、同じ外部資金プロジェクト内での共同研究という視点からマーモセットを有効利用することもできると考えました。また遺伝子と異なり細胞の場合は、細胞が死なない限りなんらかの結果が得られる確率が高いため、成果も出しやすいだろうと考えました。また、本研究と並行して進めていた、統合失調症モデルマウスでの研究でも細胞移植というアプローチを採用する予定にしており、方法論における「規模の経済性」を考慮しても効率がいいのではないかと考えました。とはいえ、ややトリッキーなアプローチなためボスに許してもらえるか不安だったのですが、ご相談したら「へーいいんじゃない」と、予想外にあっさりと許可を頂けました。今考えてもこういう研究にこれほどあっさりと理解を示してくださる医学部教授というのはなかなかおられないのではないかと思います。そして早速実験を始めたところ、3ヶ月目にはあっさりと本論文のメインデータが出ました。顕微鏡下で、マウス胎仔の脳内を元気よく走ったり立派に突起を伸ばしているニワトリ細胞の姿を見たときの感動は今でもありありと覚えています。


2015年現在、本論文と似たような研究テーマはほとんどなく、また引用件数もそれほど多くはありません。社会的インパクトという意味ではそれほどなかったのだと思いますが、今でもユニークさは色褪せていない気がしています。ちなみに本論文の成果を発表した国際学会で、大脳皮質発生の分野で著名なアメリカのF先生に内容を聞いてもらったところ「私のアドバイスは、できるだけ早くこのプロジェクトを止めることだ」という衝撃的なコメントを頂きました。私がショックを受けてフリーズしている間に足早に立ち去ってしまったため理由を聞くことができなかったのですが、彼がなぜあれほどアグレッシブであったのか、今でもその真意を掴みかねています。もしかすると本研究に私自身が気づいていない重大な欠陥があるのかとやや不安になる一方で、一定の新しさがある研究をした時はいつでも一定の批判や反対は受けるものだ、と楽観的にポジティブに捉えてもいます。なにはともあれ、最近、脳の進化研究分野が盛り上がってきているので、本論文で採用した異種間脳内細胞移植というアプローチも盛り上がってくれるといいなあと期待しています。