久間田琳加

ふりがな
くまだ りんか
生年月日
2001年2月23日
出身
東京都
所属事務所
レプロ
ニコモになった経緯
第16回(2012年)オーディション:グランプリ
合格時学年
小6
合格時身長
154cm
応募理由
大好きだった古畑星夏が、ニコラ誌面のオーデ告知ページで「みんな応募してね~」と言ってたから
応募形態
自己応募
初登場
2012年10月号
初表紙
2015年3月号
卒業
2017年5月号
最終的な表紙回数
11回
特記事項
  • 12272人の中から選ばれたグランプリ5人のうちの1人
  • 表紙回数11回は歴代ニコモ11位
  • 父親の仕事の関係で、生後すぐに家族でフランスに移住。1歳から5歳半まで、フランスで過ごして、帰国。現在は東京在住
  • 兄はフランス語ペラペラなのに対し、久間田は一切喋れない
  • 帰国後、小学入学まで1年だけ通った幼稚園は、偶然にも塚本凪沙と同じところだったりする
  • 2016年度ニコラ副部長&レピピイメモ
  • ニコラ卒業後、2017年9月号より「セブンティーン」専属モデル
みうりん不仲説について
  • 久間田と鈴木美羽とは、ユニット「みうりん」として人気急上昇。トップモデルとして定着する
  • そんな2人は、プライベートにおいても特に仲良しとされるが、ネット検索で「みうりん」と入力すると、真っ先に「不仲」と表示されるように、ニコ読の間では常に「みうりん不仲説」が絶えることはない
  • その理由としては、「見た目、雰囲気、性格、価値観、考え方から、ファッションの好み、好きな男子のタイプに至るまで100%正反対!」とお互いに認め合っているように、まったく違ったタイプの人種であることが大きい
  • また、ニコラ2016年10月号に掲載された北海道ロケでの対談においては、久間田が「もしミウと、ニコモとしてでなく、学校で出会っていたら、友達にはなっていなかった」と挑発すれば、鈴木も「リンカがいたから、自分はイメモになれないと思った」と返すなど、冒頭からバチバチ。微妙な空気で進行する
  • とはいえ、最初から2人が不仲であったわけではない。もともとデビュー時は、オーデ同期&最年少の小6ということもあり、モーニング娘。の「辻・加護」や、HKT48の「なこみく」のようにセットでの括られることも多く、自然と関係も近かった。しかし、2013年にニコプチ進級としてやってきた永野芽郁の加入により状況が一変することになる
  • 編集部はスターダストが、事務所の総力を挙げて売り出しにかかっていた永野をニコラのエースに育てるべく、当時すでに「みうりん」として定着しつつあったユニットを強引に解体。鈴木と久間田を無理やり引き剥がし、新たに「ながすず」として、永野の相棒に鈴木を抜擢し、編集部公認ユニットを結成。力を入れて推しはじめる
  • 一方、久間田には、大谷凜香が割り当てられ、こちらは「Wりん」としてユニットを結成するも、いまいち強く推されることもなく、パッとしないまま。この、おおいに大人の事情が絡む一連のドタバタに、久間田が反発。やがて、みうりん不仲時代が始まることになる。実際、撮影で一緒になっても口も利かないなど、その現場は、ピリピリした雰囲気を醸し出し、後輩たちも困惑するほどであったという
  • その後、ながすず&Wリンを合体させて「RMRM」なる新ユニットが作られたりするなど、さらにいろいろとゴタゴタもあったが、やがて1学年上の永野が卒業することになり、RMRMも終了する
  • すると編集部は、手のひらを返したように、この間、着実に人気が上昇し、もはや鈴木を上回る読者からの支持を得ていた久間田を、再び鈴木と組ませる決断をする
  • ここに2年の時を経て「みうりん再結成」となるも、2人の間に強いわだかまりは残ったまま。もちろん、プロとして仲良しを演じることになるが、どうしても「ホントは不仲なのでは?」と読者が感じてしまうのは、こういった経緯による
  • なお、後にポップティーン専属モデルとなった鈴木が同誌の「100質」において、今まで生きてた中で最も悔しかったこととして「リンカがSTモになったとき」をあげている。さらに「それを知った日は悔しくて泣いた」ということで、ニコラ卒業から半年たってなお、鈴木のこういった久間田に関する過度な執着・対抗意識もまた、ニコ読の間で、今もって「みうりん不仲説」が言われ続ける所以である

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