2023年の総括

昨年の総括の冒頭の1段落はこうだった。「昨年の総括に「あまりにも忙しい1年だった。生活と仕事に追われて、本当にそれだけで、その他は気絶していたみたいにすら感じるような1年だった。」と書いたことをやっとのことで思い出した。今年はそれと同じかそれ以上、本当にすべてをギリギリで回していて、まったく余白のない1年だった。日記もテキストファイルに書き溜めてはいたものの、ウェブ上で更新できず、現時点で半年分たまっている有様。これからぼちぼち更新する予定だけれど。とにかく目の前の育児と家事、そして締切のある仕事をする、そのための体力を確保するのが優先で、それ以外のことができない一年だった。」 今年は笑えるくらい完全に同じであった。それ以上に、ひたすら仕事と育児をこなしていた感があった。ほんまに今年は何もやってない気がする…という感じで、でもいざ思い返してみると、色々と仕事をしていたりもしたことに、この総括を書こうとして気付いた。今年の主な出来事は次の通り。

・執行部の仕事(通年) 昨年引き受けた執行部の仕事が通年で続いている。2月の重要任務、夏の出張、そのほか会議。レギュラーの会議が秋以降はほんとうに地味に仕事や生活を圧迫していた。部長が素敵な方なので楽しくやれてはいるけれども、やはりなかなかの仕事なのだなという感じ。とはいえ手当はもらえるのでいいことにする。

・翻訳出版(4月) 昨年引き受けた翻訳を春に出版。非常に評判がよくて、色々なところで好意的な感想もいただき、原著者ともSNSやメールでやりとりして、やってよかった!と思えた仕事だった。本当にいい本なので自信をもってお勧めしている。

・Kaの入院(5月) 次男Kaがアデノウイルス感染症をこじらせて、肺炎になって入院してしまった。日に日にぐったりしていって、目をあけたまま床に横になってじっとこちらをみていた姿が忘れられない。自分が交代で付き添いにつくつもりが、自分も発症してつけなかったり、Koがその間にRSになったり、東京出張が飛んだり、Gと一緒に本当にてんやわんやだった。無事に回復してよかった。このあと、子どもたちは8週にわたって誰かが発熱するという状況だった。

・発表会(7月) 産後初めて踊りの発表会に出た。なかなかチャレンジングな曲をやって勉強になったし、舞台で踊るのはやはり面白かった。群舞っていいよね。久しぶりに衣装を新調したのもよかった。

・コロナ罹患(7月) おそらく発表会のときにうつったのか、ついにコロナに罹患してしまった。高熱と悪寒がひどかったが、咳も後遺症もなく終わったのはよかった。洋室に自分だけ隔離して、子ども2人の面倒をGにみてもらうことになったりした。色々家族に負担をかけたけれども、他の家族にうつらなかったのは良かった…。ただ、コロナ以外では家族3人はしじゅう咳をしていたり体調を崩したりしていたのだけれども。

・AI関係の研究会合(8月) 今年初めから引き受けていた某学会の表紙企画関連の座談会のために東京で集まって皆で話したり、同じ週に岐阜高山に出張に行って色々と著名な方々に会って話をきいたり、AI関係の研究者に直接あってざっくばらんにお話しする貴重な機会をたくさんもてた。本当に楽しかったし勉強になった。腹をくくってちゃんと新たに1980年代以降のことについても原稿を書こうと心が決まった。

・久々の泊りがけ出張(9月) 執行部関係で初めて愛媛に行った。産後初めての泊りがけ出張で、仕事も道中も食べ物飲み物も満喫した。楽しかった。

・日本代表(9月) 学会で頼まれて、なぜか私が日本の代表としてオンライン24時間国際会議で発表した。準備にはT大のH先生とかアメリカのGW大のHさんとかからアドバイスをもらったり、かなりしっかり準備をして、だいぶ緊張した。どうにか乗り切ったが、本当に産後全然英語をしゃべっていないせいか、本当に英語が不自由になっていた。このままではいけない。ちょっと危機感をおぼえる。

・帰省と祭り(10月) 10月の連休に家族で帰省して、久しぶりに地元の祭りを見ることができた。しかも今年は父が氏子総代で、たまたまではあるが家の前まで神輿が来た。ラッキーだった。子どもたちに天狗をみせることができたのもよかった。

・ジュエリーのお迎え(通年) 本当に仕事が忙しかった反動か、今年もいろいろとジュエリーをオーダーしてしまった。かなりお金をつかったけれども、まあいいことにする。トルマリンのネックレスとか、ガーネットのネックレスとか、母から譲り受けたオパールリングのリフォームとか、昇進祝いに買った地金たっぷりリングとかいろいろ。

これを書こうとした時点では、2023年は一体何をやってたんやろう…という感じで、まるで思い出せず、Googleカレンダーを見ながら「仕事と育児ばっかりやないか…」と思いつつ、どうにかこうにか思い出そうとしていたのだが、冷静になって考えてみれば今年は追われながらいろんなことをやっていた。上に挙げた以外でも、2月には集中講義していたし、後輩の推薦書は書いたし、学会では相変わらず委員長をやっていて、しかも役員も10年目でかなりリーダーシップをとりながら物事を進めているし、N本G術会議では連携会員になったし、普段出入りしない学会でシンポに登壇したし、母校でも(非常に嫌々ではあったが)シンポに登壇したし、懸案だった祖父への聞き取りも秋冬にやったし、共訳に関して米国のカウンターパートとの交渉をめちゃめちゃ粘り強く半年以上かけてやってたし、11月には来年度からの昇進が決まったし。上に書いたなかでは春に出た翻訳と、一年かけてやっていた表紙企画の2つのクオリティと評判が非常によくて、たいへん充実感があり満足もした。ただ、頼まれての登壇と学務と授業に追われまくりつつ、しかも朝夕と週末には3歳児と1歳児の相手をしているもので、ぼんやりしたりのんびりしたりする余暇の時間がまったくなかった。おかげで、引っ越しから1年以上たっても家は片付かないし、ものによっては手続きが後手にまわって、個人ウェブサイトのサーバの契約がなぜか知らないまに終わっていたりした。よくもまあクリティカルなアクシデントが起こらなかったものだと思う。授業も破綻させないので精一杯だった。ハンドリングした自分が信じられない。ほとんど曲芸だったと思う。我ながら、産後1年なのによくやったと思う。

楽しかったことといえば、踊りのレッスンに継続して週2回以上行き続けたこと、高校時代の恩師が主催する巡検に念願かなって参加できたこと(桂川で石拾いするの楽しかった!)、98歳になる祖父の聞き取りができて元気なうちにいろんな話がきけたこと、子どもと一緒に植物園や動物園や水族館や青少年科学センターに行って一緒に楽しんだり、色んな絵本を一緒に読んだり、子どもたちを小脇にかかえて寝たりと育児をエンジョイできたこと、働きすぎて上がった収入にものを言わせてジュエリーをお迎えしたりしたことだろうか。春先に久々のお稽古サークル周年行事に顔を出せて旧交を少しあたためられたのもよかった。あとは隙間時間になろう小説などを色々読むのがささやかな楽しみだった。子どもの入院とか日常的な体調不良などはあったものの、家族も自分も真に重大に体調を崩すということがなかったので、それに助けられてお蔭様で充実した日々を送れていたということなんだろうと思う。もうちょっと落ち着いて過ごしたかったけど。

あとは仕事でも楽しみでもないといえば、少々投資をしたりしたことだろうか。とはいえ投資家といえるほどの投資はしていないので、趣味のようなものといえばそうかもしれない。

今年は「初めて」を追求できるような余裕は全くなかったが、それでもあえて思い返せば、子どもの入院、学内施設での合宿、子どもをつれてリアル会議あたりがそれにあたるかもしれない。

来年も、できれば健康は手放したくない。これは努力はするけど運も大きいので、神に祈るしかない。あとは、家を片づけたいし、海外出張を見据えて英語で一本書きたいし、共訳の仕事はメドをつけたいし、翻訳の新版の話も進めたい。あと、既に決まっていることでいえば、おそらくまた国際シンポにひっぱりだされるだろうこと、N本G術会議関連の物事があるだろうこと、昇進に伴って授業が増えるだろうこと、などだろうか。子どもに習い事をさせたいという話もあるし、自分の踊りも続けたいし、これまで以上に健康とタイムマネジメントの繊細なかじ取りが必要になりそうな気がする。今年はこれでもだいぶ色々と断ったのに、それでもこんなに忙しかったのだから…。あとは、たまには東京方面に出張して、古い友人たちや新しい(ネット上ではよく知っている)友人たちに会ったりもしたい。

今年の目標は「あくまで心身の健康を第一にする」であったが、それは結果的にはどうにかこうにか達成できたと思う。来年の目標は「できるだけ落ち着いて生活する」ということにしたい。浮足立たずに、追われすぎずに、しっかりやっていきたい。それが希望です。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

今日もくもり

子どもたちを保育園へ送っていく。今日はGにたのまれて午後からいかろ研なる研究会に出た。 色々専門知識からコメントしたが、何か色々作法があるようてそれは面倒であった。とりあえず威圧的なのはやめてほしい。私は関わる気はないんだし。コメント求められたので来ただけだし、なんならそのコメントは長年その実践をやっていた私でしかつけられないものもあったと思う。はーめんどくさ。はよかえって子どもの相手をする。

曇り

自宅で作業いろいろ。家事をして、原稿を仕上げて財団におくる。Nickとの食事について検討。昼食は残り物。それからウェブサイト情報のチェック。夕方に他学会関係のZoom情報交換会をO君およびO先生と行う。2027年にむけてなかなか忙しいことになりそうだ。それから保育園の迎え。夜はGが出かけたので3人でお風呂に入って寝かしつけ。子どもたちがかわいい。

曇りのち晴れ

子どもたちを保育園に送っていき、先日の高山でのフォーラムの報告を朝から書く。こういうのはさっさと片づけるに限る。疲れ果てていたので1時間ほど昼寝。それからおじいちゃんのインタビュー打ち合わせ。来月にみんなで行くことになった。あやうく忘れるところだったがしめクリニックへ。診察してもらってミレーナを装着してもらった これで月のものが軽くなると良いのだが。懸案をひとつ片づけられて一安心。

今日も暑い

家事をしてから登校。なかなかハードである。まず書類の片づけなどをして、某J書類を見る。なかなか悩ましい。これはいったいどないなることやら…。各所に連絡などをして15時から対面で4年生ゼミ。卒論の進捗を聞く。なかなかよい進捗の学生がいて有り難い。これでほかのメンバーも刺激を受けてくれるといいのだが。17時からはけーぷで懇親会。このメンバーでは初めての懇親会だったがめっちゃ盛り上がった。なによりみんなが犬好き。そして今日び珍しいことに映画好きが多くて、古いおすすめ映画の話などで盛り上がっていた。まるで古き良き大学のゼミのようである。食事もおいしかったし大満足。お疲れ様でした。

雲のある晴れ

本日じつは結婚記念日だったが、Gの体調が悪すぎてどうにもこうにもならない。子どもたちもどことなく疲れている。朝から家事をすませて4人で図書館へ。Koはからだの図鑑とか電車の図鑑とか、けっこう難しめの本をいろいろと椅子に座って閲覧していた。「これはなあに」と色々と尋ねるので横で答えつつ読む。昼食のあとはまったく昼寝しようとせず、Koをリビングに出し、Kaを先に寝かせたが、結局疲れたのかKoも昼寝。夕食は大丸で買ってきたアナゴの寿司とかつまみとかにした。高山からもらってきたビール(余っているので、と財団の方がたくさん持たせてくれた。要冷蔵で限定品もありとっても美味しい。なんと通販がない)とともにいただいたらたいへん美味しかった。デザートはモロゾフのプリンとチーズケーキ。ごちそうさまでした。