Ohmori Nozomi

ウィリアム・ギブスン・インタビュー (2001年1月5日、バンクーバーのギブスン邸にて)

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【前口上】

文藝春秋の月刊誌『TITLE』のIT特集号(2001年3月号)の取材のため、2001年1月5日、カナダのバンクーバーにあるウィリアム・ギブスン氏の自宅をたずねて、主にITに関するインタビューをさせていただいた。掲載誌では、SFに関する質問等はばっさりカットされているが、元原稿が残っていたので、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」のサイバーパンク特集を記念して、そのロングバージョンを20年ぶりに掲載する。リードは「TITLE」掲載のもの。この半分ぐらいが雑誌に掲載されたと思うが、入稿原稿のファイルが行方不明なのでよくわからない。

ちなみに当時の大森ウェブ日記の取材こぼれ話では――

 ギブスンの仕事場になってる地下室(といっても半地下)はこんな感じ。をを、PowerMac G4 Cube! しかし執筆は右の方のパフォーマを使ってるらしい。しかもプリンタはスタイルライターII(爆笑)。ついでに大森とギブスンの2ショット写真はこれ。大森が着てるのは裸のランチTシャツです(笑)

 冬のバンクーバーはやたら日照時間が短いので、写真撮影を含めて3時間ほどのインタビューを終えて外に出るともう暗い。
 電話で呼んだタクシーをわざわざ表に出て待ってくれるギブスン。そんなことしなくてもいいのにと思ったら、玄関で煙草が吸いたかったらしい(笑)。
「あ、まだ煙草吸ってるんですね」
「僕は北アメリカで最後の喫煙者なんだよ(笑)」
「やっぱり家の中じゃ吸えないんですか?」
「吸えなくもないけど、家族がいい顔しないからねえ」
 サイバーパンクのヒーローも螢族か。どうせなら喫煙ツーショットを撮ってもらえばよかった。バンクーバーではかなり犯罪的な感じですが、いや、煙草じゃなくてマリファナですと言い訳すれば許してもらえるかも。
 ところでギブスンの娘は日本アニメ/マンガおたくで、いまんとこ、「行きたいところリスト」のナンバーワンは東京らしい。



 では、本文をどうぞ。

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「キュートだね。これは誰だい?」
 同行した編集者が差し出した『Title』創刊号のカバーを見るなり、WGはそう声をあげた。「本誌専属のアイドル・キャラクターで、名前はユカワミオです」という説明を聞きながら、
「日本のヴァーチャル・アイドルは、リアリズムとは別の特殊な方向に進化してて、それがすごく面白い」と目を輝かせる。

 ウィリアム・フォード・ギブスンは1948年サウスカロライナ州コンウェイ生まれ。ヴェトナム戦争の良心的徴兵忌避で、1966年以来、カナダに住む。

 サイバーパンクのグル(導師)。インターネットの予言者。アウトロー・テクノロジストのアイドル。しかし、ウィリアム・ギブスンが持つ無数の称号の中で一般的に最も有名なのは、「サイバースペースを発明した男」かもしれない。

 この見慣れない造語が初めてこの世に誕生したのは今から20年前。インターネットはもちろん、「パソコン」さえろくに存在しなかった(当時、黎明期にあったPCは日本では「マイコン」と呼ばれていた)。しかし、ギブスンは驚くべき予見性で、コンピュータ・ネットワークを舞台にした二つのテックノワール短篇、「クローム襲撃」と「記憶屋ジョニイ」(映画『JM』の原作)を発表し、その仮想空間を〝サイバースペース〟と名付け、〝マトリックス〟と呼んだ。

 そして同じ1981年、この短篇の設定とキャラクターを使った処女長篇、『ニューロマンサー』の執筆に着手する。パソコンでもワープロでもなく、ポータブルのタイプライターから叩き出されたこの長篇は、1984年に出版されたとたん、全世界の若者たちを魅了した。80年代はまちがいなくギブスンの時代だったし、『ニューロマンサー』のビジョンは90年代のネット文化にも確実に大きな影響を与えている。

 ギブスンがいなければ、士郎正宗/押井守の『攻殻機動隊』/『Ghost in the Shell』も、ウォシャウスキー兄弟の『マトリックス』も存在しなかっただろう。それどころか、現実がフィクションを模倣するように、インターネットは『ニューロマンサー』のビジョンそのままに発展してきた。

 そのギブスンも今や52歳。『ヴァーチャル・ライト』『あいどる』『フューチャーマチック』の三部作を完成させた今、21世紀のWGは何を考えているのか。2001年1月5日、バンクーバーの閑静な住宅街にある自宅に、WGを訪ねた。



――あなたにとってたぶんこれが21世紀最初のインタビューだと思いますが。

ウィリアム・ギブスン(以下WG) たしかにそうだね、今年から21世紀だとすればだけど。英語圏では、2000年末に千年紀が終わることにまつわる不安だの、Y2K騒ぎだのがあって、去年の正月のほうが祝賀気分が盛り上がったね。あのときは、迷信めいた言説や神秘思想的な噂が飛び交って、観察していても面白かったし。19で始まる年号を書かなくなったせいで、2000年になったときはすごく大きな変化があった気がしたけど。
とにかく、年号がゼロからじゃくて1から始まるのは不合理な気がする(笑)

――どんな21世紀を予想していましたか?

 どういうわけか、自分がこの目で21世紀を見ることになるとは思わなかった。映画がまだ製作中のときに、『2001年宇宙の旅』に関する記事を読んで、気が遠くなるぐらい遠い未来だと思ったのをよく覚えている。子供時代は冷戦のさなかで、核の恐怖に怯えて暮らしていたわけじゃないにしても、なんとなく、そんな先まで自分がいるとは思えなかったんだ。

――現実に2001年を迎えたことに特別な感慨はない?

WG ないね。2000年から1年増えただけっていうか。ただ、SFを書くのは難しくなるよね(笑)。今までは年号の19xxを20xxに変えるだけで読者をびっくりさせられたのに。それともうひとつ、僕は小説の中で、(20世紀を指して)「前世紀には――」と書くのが好きだった。読者は一瞬、19世紀のことかと思って混乱するだろ?

――21世紀気分が盛り上がらない原因のひとつは、新しい未来のビジョンが存在しないことだと思います。かつて、SFに描かれる未来像はピカピカでした。クルマが空を飛び、ロケットで宇宙ステーションへ行く、みたいな。『ニューロマンサー』ですべてが変わり、デッドテックで猥雑な未来像が支配的になりました。日本の1980年代はちょうどバブル経済の時代で、スクラップ&ビルドの思想を結果的にサイバーパンク的な未来像が後押しした側面もあると思います。あなたは日本のSFマガジンに寄せたメッセージで、「きみたちは未来に生きている」と書き、日本人はそれで調子に乗ったんです。
 しかしその後の日本は不況に突入し、ある種の失望感や閉塞感が広がりました。いまや、インターネットに乗り遅れた、情報技術革命の後進国です。

WG それでも、いろんな意味で、日本には未来があると今も思う。未来は必ずしも、どんどんよくなるとか、どんどん大きくなるものとは限らない。
 今世紀に起きる技術的な変化でひとつだけ確実なのは、それが予測不可能だということだと思う。長期的な計画を立てることはできない。50年とか100年先を見据えた政府や大企業のグランドデザインは、もう有効じゃない。香港やシンガポールが巨額の予算をつぎ込み政府主導で整備している通信インフラにしたところで、50年先は、今は想像もできない別のテクノロジーに置き換わって、既存のインフラはまったく無用の長物になっているだろう。長期的視野に立てば、バスに乗り遅れたなんて心配は無用だと思う。

――日本で唯一可能性があると思うのは、i-modeと呼ばれるシステムを使い、女子高生たちが携帯電話でメールを送ったりインターネットに接続したりしていることです。

WG この電話でウェブサイトが見られるのかい? そりゃ凄いな。やっぱりきみたちは未来に生きてるじゃないか(笑)。これに似たものは北アメリカでも手に入るかもしれないけど、使ってる人は見たことがないな。
 日本の消費者の新しいテクノロジーに対する熱狂は特筆すべきものだと思う。若者たちがすぐ新しいものに飛びついて、新しい使い方を見つける。こちらでは変化の速度がもっと遅いんだよ。若者の一部が飛びついても、それが一般化するのにすごく時間がかかるんだ。
 そうか、女子高生は地下鉄でこれを使ってメールを送りあってる?

――ええ。まさに「街場は何にでも使い道を見つける」というか(笑)。音声コミュニケーションより文字コミュニケーションのほうが中心になっています。

WG それはたしかに「何かの始まり」だと思うよ。それが最終的に何になるのか予測するのはむずかしいけどね(笑)。
 じっさい、単純なパーソナル・コミュニケーションが世界の心理学的な地図を非常に謎めいた方法で変えつつある。去年、ロンドンでそれを強く感じた。地下鉄に乗っていても、クルマで走っていても、複雑怪奇なな煉瓦造りの迷路で途方に暮れているような、自分がその迷路に支配されているような気がして、アメリカでは一度も経験がないような、ある種の孤独を感じたんだけど、だれもが持っている安い携帯電話を手に入れたとたん、その孤独感がひと晩で消え失せた。ロンドンではみんなが携帯を持ってて、電車の中でもだれもかれもが、これからどこそこへ行くとか、離している。携帯を持つことで、その社会的なコミュニケーションの輪に入れる。
 その一方、その孤独感がなつかしく思えることもある。日本の女子高生はたぶん孤独感を味わうことなんかないだろうね。しじゅう携帯電話のメッセージで接続されて、一種の集合精神のようになってゆく。すごく面白いね。メールのコミュニケーションは、電話の会話や生身の会話ともまったく違う、別の種類のものなんだ。

――日本の若者たちは孤独を恐れるあまり、一種の相互接続中毒症のようになっています。電話番号メモリに何件の番号が登録されているかを競い合ったり。携帯電話なのにデジタルカメラになったり、MP3プレーヤーになったり。

WG ケータイで写真を撮ってメールで送る? そりゃ合理的だね。なんと言ったっけ、日本にはちっちゃな写真シールがあっただろ。そうそう、プリント倶楽部。日本の少女たちは昔からちっちゃな写真が好きなんだね。

――最近のインタビューで、「クローム襲撃」や『ニューロマンサー』を書いたときまったく予想していなかったのは、ふつうの人がコンピュータやネットワークを使うことでしょうか。

WG そう、僕はもっとエキゾチックなものを予想していた。まさかこんなに日常的な風景になるとはね。
 いま書いている長編は、ある意味ではSFなんだけど、技術的なレベルは今の僕らの世界とほとんど違わない想像上の世界が舞台になっている。だから、今この世界にあるテクノロジーを使ってどんな面白い状況をつくりだせるかをずっと考えているんだけど、すごくむずかしい。潜在的な可能性はあると思うんだけどね。もしかしたら携帯電話でメッセージを送り合う日本の女子高生をその小説に使えるかも知れないな。すごく面白い。
 そういう意味で、いま興味があるのはウェブサイト文化だ。人々がいかにして国際的なコミュニティを発見し、一度も会ったことのない人たちとのコミュニケーションにいかに依存するようになるか。考えてみるとすごく妙だよね。現実には存在しない場所なのに、そこに強烈な帰属意識を抱いたり。

――じっさい、ウェブサイトの掲示板を見ていると、非常に強いムラ意識がありますね。見知らぬ他人が失礼なことを書くと、常連が「あんなやつは追い出して、われわれの貴重な場を守らなければ」とか。

WG そうそう。場所でもなんでもないのに。僕もつい最近、そういう例を見たよ。実害なんかなんにもないし、殴りにいくわけにもいかないのに、どうしてみんなあんなに怒るんだろうね。知り合いが、掲示板の闖入者に腹を立てて、「これはテロリズムだ」と叫んでいたり。「テロじゃないよ、失礼で迷惑なだけだろ」と言ってやったんだけど(笑)。

――ただ、日本の場合は言語の壁が立ちふさがっています。インターネットは国境を無くし、グローバルな共同体を生み出すと言われていますが、日本のオンライン文化は、日本語サイトの中で閉じてしまう傾向があるような気がします。たとえばあなたの『あいどる』では、世界的な人気ロック・デュオのファンたちがグローバルなファングループを組織して、日本人もアメリカ人も関係なくコミュニケートしていますが、現実には……。

WG そう、僕の小説ではすごく優秀なオンライン翻訳システムが実現してるんだよね。最近、自分でフランス語→英語の翻訳ソフトを使ってみたけど、あまりにも精度が低いんでびっくりしたよ。日本語→英語はもっと難しいだろうね。
 日本語のサイトはよく見るんだけど、言葉が全然わからないから結構いらいらする。とくにほとんどの日本語サイトはリンクのタグを見つけるのがすごく難しい。あれはあんとかしたほうがいいね(笑)。言葉が読めなくても大丈夫なように。
 でも、言語の問題はいずれある程度まで解決すると思うよ。日本政府が「ITなんとか」を本気で進めるなら、まず有効な機械翻訳の開発プロジェクトにに予算をつけるべきだね。
 先週は、米軍の古いアーミー・ジャケットのすばらしく精巧で完璧なレプリカをつくってる会社が日本にあることがわかって、それをさがしてネットサーフィンしていたんだ。その途中で、今まで存在も知らなかった若者文化に触れて、すごく刺激的で妙ちきりんで面白かった。なにもかもネット上にある。
 ネットで出会ういちばん刺激的な情報はいつも偶然見つかる。まったく予想もしなかったときにね。それがインターネットの最大の面白さだね。

――電脳空間三部作に比べて、『ヴァーチャル・ライト』に始まる90年代の三部作は、非常になめらかで読みやすくなりました。初期のごつごつして無愛想な、なにが起きているのかよくわからないような感じがなくなったのは、時代が追いついてきたからでしょうか?

WG 1970年代後半に小説を書きはじめたとき、パンク・シーンに大きな影響を受けた。音楽に限らず、パンク的な美学とか文化にね。それともうひとつ、当時の僕は小説の書き方をよく知らなかった。技術的な未熟さと、パンク的な荒削りさが相俟って、あの文体が生まれたんだと思う。
 僕の技術が向上したのか、僕が書いてきたようなことに世の中が慣れてきたのか、自分ではどっちともつかないね。僕は根本的には同じ小説を何度も何度も書き続けてるんじゃないかという気がすることもある(笑)、まあ「未来における現代のリアリティ」を書くというスタンスは一貫しているからね。
『ニューロマンサー』を書いたときは、人間が電脳空間に入るというアイデアだけでも衝撃的だった。でも今はそうじゃない。ふつうの人がインターネットにアクセスしている。ある意味では、『ニューロマンサー』の特殊効果はあたりまえのものになってしまった。CGIのモーフィング技術みたいなもんだね。最初は目新しかったけど、技術の進歩によって見慣れた光景に変わってしまった。
 文章技法を磨こうと意識しないうちに、自然と小説技術が向上したのかもしれないな。いいこととは限らないよ。テクニックが芸術の敵になるという人もいるしね。だからなめらかなストーリーテリングをわざと壊そうとすることもある。『フューチャーマチック』で短い断章形式を採用したのはひとつにはそのためだ。

――『フューチャーマチック』と言えば、あれを読んで驚いたのは、いちばん最後にSFの王道を行くような変化のビジョンが描かれていることです。ウィリアム・ギブスンもまだSFが好きなんだなと思ってうれしかったんですが。

WG あれはある種アーサー・C・クラーク的なビジョンを書いてみようと思ったんだよ。でも、英語圏の読者がちゃんとあの結末を理解してくれたかどうかは疑問だね。あれで世界が一変してしまうことに気づかない読者がけっこう多くて。「最後はどういうことなんですか?」みたいな質問をよく受けるよ。
 その段階を過ぎるとまったく歴史が変わってしまうような特異点、想像もつかない変化が生じるような特異点を描きたかった。

――そういう変化が今世紀に起きると思いますか?

 ありうるとは信じているよ。なにかを発見するか、別々に発見された三つか四つのなにかが自然に組み合わさることで、想像を絶したなにかが起きて、そこから先の歴史はまったく変わってしまう。今は小さな変化が累積しつつある時代だと思う。この一世紀、変化の速度がどんどん加速していることを考えてみれば、そういう大変化は当然ありうる。

――伝統的なSFでは、その種の大きな発明や発見の結果、変わってしまった世界を書くタイプのものがありました。

 僕はそういうSFを読んで育った。でも、僕自身はむしろ、リアリティの手ざわりを必要とするタイプになってしまった。つまり、なにかとっかかりがないと書けないんだよ。
 たとえば、自分がスペースオペラを書けるとは思えない。僕バージョンの「スタートレック」は想像できない(笑)。説得力のある幻想をゼロから紡ぎ出すことも可能だと思うけど、僕には無理だね。僕が描いてきた未来世界がほとんどいつも古いジャンクの寄せ集めでできているのは、ひとつにはそのためだと思う。ジャンクを使えば、手ざわりが想像できるからね。また、それに基づいて、テクノロジーの奇跡や新奇性を物語の中でリアルに見せることもできる。
「スタートレック」的な世界は、すべてが想像の世界で、奇跡のテクノロジーでできている。そういう世界をリアルに描き出せる作家もいるだろうけど、僕はそうじゃない。

――『スタートレック』や『スター・ウォーズ』はほとんどファンタジーに近いものですが、SFにはもっとリアルな宇宙物もあるじゃないですか。アポロ計画とか、現実の宇宙開発にはあまり興味がなかったんですか?

WG 僕はアメリカの宇宙計画の黎明期に育ったから、そのころは夢中になったよ。それ以前、ロケットやミサイルや宇宙船のことを書いた子供向きの夢みたいな本がたくさん出てて、両親がよく買ってきてくれた。当時の僕は完璧なテクノロジカル・ファシストだったから、「こんな不合理なロケットが飛ぶわけがない」とかさんざん文句を言う、嫌味な子供だった(笑)。そのあとソ連がスプートニクを飛ばして、アメリカが必死に追いつこうとしはじめたときは、「ほらね、だから言っただろ。最初からこうすればよかったのに」と(笑)。
 2001年には、少なくとも月には人間が住んでいると当時の僕は思っていた。ところがアポロ計画のあとは何十年たってもなんにもなし。そこであきらめた。宇宙旅行は一種の政府の幻想というか、官僚制のファンタジーになってしまった。だからいまは宇宙よりもむしろロボティクスとテレプレゼンスに興味がある。
 世界でいちばんクールな仕事をしてるのは、マーズ・パスファインダーで火星の地表を探査するロボットをつくったやつだと思うね。宇宙開発はいいけど、どうして有人探査の必要があるのかよくわからない。ロボットでいいよ。

――最近日本では、ホンダとSONYが相次いで新しいヒト型のロボットを発表しました。

 ヒト型のロボットっていうのは、なんかすごく妙な感じがするね。僕自身は、効率的なロボットなら、べつになにかに似せてつくる必要はないと思うけど。まあ、買ってもらうためには人間が共感しやすいかたちが必要なのかもしれない。僕が書くロボットはだいたいすごく小さいか、すごく大きいかのどっちかで、あんまりロボットらしくない。ヒト型のロボットと宇宙旅行は、僕が子供の頃に読んでいたSFでは二大シンボルだった。そういうのを読んで育ったから、作家になってからはすごくオールドファッションな気がして、自分で同じことをしようと思わなかったのかもしれない。

――『マトリックス』は実際に見てみたら意外に楽しかったので驚いたとか。

WG そう。思いがけず(笑)。もっとハリウッド的な安っぽさを予想していたんだけど、そういう間抜けさはほとんどなかったね。人間を並行処理用のチップに使ってるという設定にしたほうがよかったと思う。

――『攻殻機動隊』はどうですか?

WG 娘が日本のマンガ/アニメのすごいマニアでね。『攻殻機動隊』も娘にひっぱっていかれて観た。家族の義務として(笑)。
 いい映画だったけど、『AKIRA』が持っていた、クレージーでシェイクスピア的な要素がない。『AKIRA』は、どういうわけか英語字幕入りのビデオを持ってなくて、日本語バージョンをくりかえしくりかえし見ていた。すごくミステリアスで想像力をかきたてられたよ。すごい映画だと思ったね。あとになって字幕入りを観たら、意外とふつうだった(笑)。
 百パーセント満足したサイバースペース映画はまだないね。情報のポリティクスを画面にするのは非常にむずかしい。

――1989年代は『ブレードランナー』が支配的な映像パラダイムをつくりました。

 世の中のありかたを現実に変えた最後のSF映画だ。ファッション・デザイナーも建築家も、多かれ少なかれあの映画に影響を受けて、現実が『ブレードランナー』の世界に近づいてきた。
 未来は過去の部品によってできているんだということをあたりまえのようにして描いた作品だね。それまで未来は新しいのがあたりまえだった。

――未来というコンセプトを変えた?
 いや、僕らは二十年前に、未来というコンセプトを失ったんだと思う。

正義と真実のサイバーパンク!(1988年1月刊、小説奇想天外2号「海外SF問題相談室」より抜粋)

■サイバーパンク狂騒曲の未来を大予想

  仁清{ニンセイ} 焼鳥{ヤキトリ} ホテルの棺桶{コフィン}
  杯溢{パイイツ} 折紙{オリガミ} ゲームの騒音{ノイズ}
  ブルース ギブスン サイバーパンク
  科学小説{エスエフ}は 行って行ってしまった
  科学小説{エスエフ}は 行って行ってしまった
  もうわからない……

 かつて、ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』の邦訳刊行に寄せてこう歌ったのは五木ひろし――じゃなくて浅倉久志ですが(タイトルはもちろん、「千葉市憂愁{チバ・シティ・ブルーズ}」)、作家兼編集者兼評論家のガードナー・ドゾワが〝サイバーパンク(cyberpunk)〟なる呼称を人口に膾炙させてから、早いものでもう三年。

 すれたSFマニア連中は、SFマガジンがサイバーパンク特集(一九八六年十一月号)を組んだあたりで、「もうサイバーパンクブームも終わったね、つぎはバッフォーかスチームパンクか*」なんてつぶやいてたもんだけど、狭いSF業界とは無縁のところでサイバーパンクは深く静かに浸透していた。

 思えば『ニューロマンサー』の書評が(ハヤカワ文庫SFから刊行された作品としては例外的に)山ほど出たころから予兆はあった。
 そして、《ユリイカ》一九八七年十一月号のサイバーパンク特集「P・K・ディック以後」を露払いに、どうやら一九八八年は、(世間的に)サイバーパンク元年となりそうな雲ゆき。

 たとえば、お正月映画第二弾の「ロボコップ」配給会社宣伝部のつけたキャッチコピーは〝最新SF・アクション・アドベンチャー・サイバーパンク映画〟だし(おかげで黒丸尚氏は某映画誌で「『ロボコップ』はサイバーパンクか」という趣旨の原稿を書かされてました)、某百貨店では『ニューロマンサー』をキー・コンセプトにした「サイバー・トラッド」なんてファッションをプロモートするわ、資生堂のPR誌《花椿》はギブスンの短編を載せたいと言い出すわ、もうたいへんな騒ぎ。もうちょいマイナーなところでは、PINKが「CYBER」ってタイトルのアルバムをリリースしたとか、「サイバータンク」なるアーケード・ゲームが出たとかって話題もありました。

 今年(一九八八年)は、SFマガジンがサイバーパンク特集第二弾を組むほか、文化好きで知られる某有名企業が大手広告代理店の肝煎りでサイバーパンク・ブームに乗ってくるという話もあり、そうなればもう、朝日ジャーナル「ファディッシュ考現学」(田中康夫)や週刊文春「ナウのしくみ」(泉麻人)でサイバーパンクがとりあげられる日も近い。

 なにしろロンドンで火事があったらいきなり地下鉄を終日禁煙にしてしまうような国だから、そのうちウォークマン・サイバーパンク・モデルとかケンウッド・サイバースペース・デッキとか、船井電機がOEM生産する韓国製再生専用ビデオ「らくらくサイバーくん」とかが売り出され、浦安にはチバ・シティ・ブルーズを聞かせる松井雅美*デザインのナイトクラブがオープンし、《anan》を見ても《広告批評》を見ても《少年ジャンプ》を見てもサイバーパンク特集なんて日が来るだろう。

 もちろんウォーターフロントのクラブではみんなミラーシェイドをかけて高橋幸宏の「ロマン神経症」で踊りながら、「ここに来ると没入{ジャックイン}した気分になれるね」とか、「湾岸沿いにできたホテルがサイバーしてるからさ、帰りに寄ってみない?」とか、そんな会話がかわされることになる。


 考えてみるとこれ、「スター・ウォーズ」前後のSFブーム華やかなりしころ、なんでもかんでもSFと呼ばれたのと同じ現象。SFのかわりに〝サイバーパンク〟という、なんだかわかんないけどかっこよさげなフレーズが使われてるだけなんだよね。だからSFを知らない人間は困る、なんてことが言いたいわけじゃなく、たいていの運動がそうであるように、サイバーパンクもひとつの流行なんだから、むしろこんな具合にどんどん消費していくのがたったひとつの冴えたやりかたなのである(というか、本国でもサイバーパンク小説自体はもはやほぼ生産終了状態にあり、現在は消費ムーブメントに移行していると見るほうが正しい)。

(後略)

太田出版『現代SF1500冊 乱闘編 1975-1995』所収

SFの定義 (『現代SF1500冊 回天編 1996~2005』巻末「おわりに」より)

 ちなみに前回も今回も、「SFとは何か?」という根源的な問題には触れていない。ジャンルの境界を人一倍気にする割りに、厳密な定義はとくに必要ないんじゃないかと個人的には思っている。ごくおおざっぱな定義としては、『広辞苑』に載ってるSFの語義程度でいいんじゃないですか。すなわち、
「科学・技術の思考や発想をもとにし、あるいはそれを装った空想的小説。ヴェルヌの『海底二万里』やH・G・ウェルズの『タイム‐マシン』『宇宙戦争』などに始まる。空想科学小説。」
 要するに、科学的論理(またはそれに準じる疑似科学的論理)を背景に、(その作品が書かれた時点で)現実には起こりえないことを書いた小説ってことですね。
 他のジャンル小説との違いを図で示すとこんな感じ。

     論理
      |
 ミステリ | SF
      |
現実 ———–+——-非現実
      |
 ホラー  | ファンタジー
      |
     非論理

 ホラーとファンタジーの区別はいいかげんで、現実世界を舞台にしたファンタジーもあれば、異世界を舞台にしたホラーもある。代表的な作品をプロットしたとき、いちばんたくさん含まれる象限に各ジャンルを割り振ったらこうなるという程度のもの。

 具体的になにをSFと呼ぶかについては、自分のサイトにむかし書いたことがあるので多少修正して引用する。

①科学的論理を基盤にしている。また、たとえ異星や異世界や超未来が舞台であっても、どこかで「現実」とつながっている(ホラー、ファンタジーとの区別)。
②現実の日常ではぜったいに起きないようなことが起きる(ミステリとの区別)。
③読者の常識を壊すような独自の発想がある(センス・オブ・ワンダーもしくは認識的異化作用)。
④既存の(疑似)科学的なガジェットまたはアイデア(宇宙人、宇宙船、ロボット、超能力、タイムトラベルなど)が作中に登場する(ジャンル的なお約束)。

 この四つすべてを満たせば本格SFだが、①+②とか、④だけとかでもSFに分類してかまわない。SF読者の間では、(リアリズム小説ではないという程度の意味で)②だけで「SF」と呼ぶ場合もある(例:「村上春樹の今度のはSF?」「まあ、一応ね」)。
 SFファンは③を問題にしがちだが(③を含まないSFに対して「こんなのSFじゃない!」と言いがち)、じつはそれを満たすSF作品は少数派。逆に、非SFファンは、いちばんわかりやすい④だけをマーカーにしがちなので、④を含まない作品を積極的にSFと呼ぶことも重要。稲葉振一郎『オタクの遺伝子』の定義に従えば、①と③を含まず、②と④だけで成り立っているようなSFは、「ジャンルSF」ということになる。
 本書で扱った小説の99パーセントは、前記四項目の少なくともひとつに該当するはずだ。本格SFはたぶんそのうちの一割ぐらいなので希少価値はあるが、本格SF=すぐれたSFというわけではもちろんない。いい本格もあればダメな本格もあるのはミステリと同じこと。僕の場合、本格SF原理主義的な立場はとらないので、むしろ本格SFに対しては要求水準が高くなり、結果的によほどすぐれた作品でないと高い評価を与えない傾向があるかもしれない。ともあれ、ある特定の作品がSFかどうかは読者が勝手に判断することだと思っているので、作家あるいは版元の立場は一切考慮していないことをお断りしておく。

キム・スタンリー・ロビンスン interview(1997年9月)

 LoneStarCon参加の海外SF作家インタビュー・シリーズもいよいよ最終回。今回のゲストは、今年のヒューゴー賞長編部門を Blue Marsで受賞したキム・スタンリー・ロビンスン氏。火星SFの本命と言われる〈Mars〉三部作は、いよいよ98年、創元SF文庫から邦訳予定。日本に対する関心の高いロビンスン氏だけに、日本人読者の反応が気になるようだ。
 ヒューゴー賞授賞式直前の忙しいなか、無理を言って短いインタビューを収録させていただいた。


 まもなく〈火星〉三部作が日本でも刊行されます。この作品について一言おねがいします。 

 火星に興味を持ったのは、これも最近日本で刊行された長編、『永遠なる天空の調』(創元SF文庫)を書いているときのことでした。この作品に関連して、太陽系内の惑星についてリサーチを進めてゆくうちに、火星という惑星の環境は地球と非常によく似ているのに、いまのところ人間の手がまだ触れていない場所であって、そこに新しい社会をゼロからつくりあげる可能性があることに気づいたのです。

 火星の植民計画には当然長い歳月がかかるでしょうし、われわれの知るありとあらゆる科学を総動員する必要があります。もちろん国際協力も不可欠でしょう。
 したがって、火星への植民というテーマは、密度が高くリアリティの豊かな大長編を書くのにうってつけだと思いました。しかも火星は、伝統的サイエンス・フィクションの最大のテーマのひとつです。

 そこで1989年に、火星をテーマにした長編を書きはじめました。書き終えたのは1995年。最終的にこれは、Red Mars、Green Mars、Blue Marsの三部作になりました。

 火星に入植する最初のグループ、総勢100人の中には、数人の日本人も含まれています。
わたしが日本文化について理解するかぎりのことを投入して、彼らがなるべく本物の日本人らしく見えるように努力したつもりです。
 彼らは、わたしの小説の中で日本を代弁しています。イワオという登場人物の名前は、草野球でいっしょにプレイしたことがある日本人の友だちの名前を借りました。 ええ、わたしがスイスで野球チームに入っていたとき、ショートを守っていたのがイワオという日本人だったんです。

 日本人のキャラクターを出すことがなぜ重要だったかと言えば、日本はいま、世界でいちばん進んだ文化を持っている国であり、21世紀でもその地位を保ちつづける可能性が高いと考えるからです。
 もし21世紀を舞台に火星の物語を書くとすれば、そこには日本の声が含まれていなければならないという気がしました。

 奇妙なことに——どうしてそうなったのか自分でもよくわからないのですが——登場人物のヒロコは(彼女は、カリフォルニア大学サンディエゴ校でわたしが教えているクラスの学生にちなんで名づけました)グリーン・ムーヴメント、生命を神秘的な力(フォース)と信じる人たちの運動のリーダーとなります。
 これは、ある意味で、日本的な思想を反映したものだろうとわたし自身は考えているのですが、いずれにしても、ヒロコというこのキャラクターは、小説を書き進むにつれてますます重要になってきました。
 そして、書きながらしだいにわかってきたのは、火星に生命を根付かせるためには、きわめて魔術的な——神秘的な活動、科学以上のなにかが必要だということでした。科学を越えたなにかが、生命を育ませるのです。そこで出てきたのがこの自然宗教(nature religion)でした。そして、その自然宗教のスポークスパースンという役割を担ったのが日本人の登場人物だというのは、興味深いことだと思います。

 わたしの日本人翻訳者は質問リストを送ってくださって、わたしが誤解していた日本語の単語などについて懇切丁寧に指摘してくれました。


 大島豊さんですね。話は聞いてます。日本人の入植地の地名が「サビシイ」になっているのはちょっと……とか(笑)。 

 ええ、ほかにもいくつかご指摘をいただきました。非常に丁寧に読んでいただいて感謝しています。ですから、日本版では、わたしのまちがいが翻訳者の大島さんによって訂正されて、もっと正確な、英語版以上によい作品になる可能性もありますね(笑)
 いずれにしても、日本のみなさんに楽しんで頂けることを祈っています。


 ありがとうございました。Blue Marsのヒューゴー賞長編部門受賞を祈っています。

 ありがとう。でも、もうひとつ、わたしの『永遠なる天空の調』は、日本の星雲賞にもノミネートされているからね。そちらでも受賞できるんじゃないかと期待してるんだよ。 


後記】

 残念ながら、星雲賞はロバート・J・ソウヤーの『さよならダイノサウルス』に奪われたロビンスン氏だが、ヒューゴーのほうはみごと獲得。6年の歳月をかけた火星三部作の掉尾を飾る受賞となった。

オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界[新訳版]』訳者あとがきより、一部抜粋(ハヤカワepi文庫)

     訳者あとがき


   「ついに、わたしたちはここまで来た」(中略)「『すばらしき新世界』」
    わたしには何のことかわからなかった。ミァハはそれを察し、
   「ユートピアだよ、霧慧トァンさん。書いたのはオルダス・ハクスリー」
   タタン。
   「幸福を目指すか、真理を目指すか。人類は〈大災禍〉のあと、幸福を
   選んだ。(中略)人類はもう、戻ることのできない一線を越えてしまっ
   ていたんだよ」

             ――伊藤計劃『ハーモニー』(ハヤカワ文庫JA)

 本書は、オルダス・ハクスリーの長編小説『すばらしい新世界』(Brave New World, 1932)の全訳である。ジョージ・オーウェル『一九八四年』と並ぶディストピアSFの歴史的名作としてつとに名高く、じっさい、一九六八年に出た早川書房『世界SF全集10』には、この二冊がセットで収録されている(前者は松村達雄訳、後者は新庄哲夫訳)。

 もちろん、二〇世紀の英文学を代表する名作としての評価も高く、たとえば、アメリカの老舗文芸出版社モダン・ライブラリーが選ぶ「英語で書かれた二〇世紀の小説ベスト100」では、①ジョイス『ユリシーズ』、②フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』、③ジョイス『若い芸術家の肖像』、④ナボコフ『ロリータ』 に次いで、本書が第5位に入っている(『一九八四年』は13位)。

 いやしくもSFファンなら基礎教養として読んでおかなければならない古典――というオーラに包まれていたから、中学生の時分、勉強のつもりで、このSF全集版を地元の図書館から借り出した記憶はあるものの、正直、中身はほとんど覚えていない。ちゃんと読み通したかどうかも定かではなく、どちらかといえば、神棚に祀っておく立派な本というイメージだった。

 おかげで、それから四十年余りのあいだ、一度も再挑戦することなくスルーしてきたので、今回、思いがけず新訳の話をいただいてから、あらためて原書で(というか、Kindle版を買ったので、電子テキストで)読み直してみたところ、おぼろげな記憶というか思い込みとのギャップに仰天した。いやもう、すばらしく笑えるじゃないですか。

 オーウェルの『一九八四年』より十七年も早く、一九三二年(日本では五・一五事件が起きて犬養毅首相が殺害された年)に刊行された小説なんですが、とてもそんな大昔の作品とは思えないくらい、現代的なユーモアとブラックなギャグ、新鮮なSF的ディテールに満ちている。書きっぷりも自由奔放、なんともやんちゃで型破りで、教科書的な行儀の良さとはほど遠い。

 そもそも、ディストピアというと、だいたい暗いイメージで、監視社会だったり管理社会だったりするもんですが、この小説に描かれる未来社会(西暦二五四〇年)は、『一九八四年』のそれと対照的に、たいへん明るい。フリーセックスと合法ドラッグ(ソーマと呼ばれる)が公的に推奨される一方、重くて面倒くさい人間関係は一切なし。

 この時代、子どもは母親からではなく、人工授精によって瓶から生まれる(〝出瓶〟する)ので、親子関係なるものは社会に存在しない(〝母親〟や〝父親〟は、人前で口にできないほど下品で猥褻な言葉と思われている)。結婚制度もないから夫婦関係もなく、当然のことながら家族という概念もない。特定の恋人と長くつきあうことは不適切な関係と見なされるから、みんな複数の異性とカジュアルに交際している。だれもがリア充な社会。

 テレビや感覚映画を中心に娯楽産業はおおいに繁栄する一方、シリアスな文学や芸術は社会から排除され、哲学も宗教も存在しない。テクノロジーの進歩によって病気も老化も追放され、六十歳で安楽にぽっくり死ぬまで、セックスとスポーツを楽しみながら、健康でしあわせな毎日が送れる(万一、なにか不愉快な目に遭ったときは、ソーマの力を借りて桃源郷に遊び、ストレスを発散できる)。

 この安定を維持するため、出生(出瓶)前から、各人の社会階層がアルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロンと厳密に定められ、さまざまな条件づけと睡眠学習がほどこされてるんですが、その結果、(主観的には)万人の幸福が実現している。

 少子化も高齢化も、戦争も暴力も、不況も金融危機も、自殺も食糧問題も教育問題もない社会。ちなみに、この理想的な世界をさらにソフト化したのが、冒頭に引用した伊藤計劃『ハーモニー』で描かれる、〝真綿で首を絞めるような、優しさに息詰まる世界〟。本書は、カート・ヴォネガット・ジュニア『プレイヤー・ピアノ』から、アイラ・レヴィン『この完全なる時代』、バリントン・J・ベイリー『時間衝突』(のレトルト・シティ部分)、栗本薫『レダ』、貴志祐介『新世界より』、さらにはアニメの『PSYCHO-PASS サイコパス』まで、無数のディストピアSFに直接間接の影響を与えているが、『ハーモニー』もその直系の子孫のひとつ。御冷ミァハが野人ジョンの後継者だと思うと感慨深い。




 このへんで、小説の中身を簡単に紹介しておくと、冒頭では、中央ロンドン孵化条件づけセンターを舞台に、この社会を維持するための仕組みが要領よく紹介される。孵化システムと条件づけシステム、それに睡眠学習システム。そのまことしやかな説明は、ほとんどシュールなコントの域に達している。

 胎児を入れた瓶がベルトコンベアで運ばれるあいだに酸素量を調節して体の大きさをコントロールするとか、瓶を回転させてバランス感覚を養うとか。あるいは、電気ショックを利用して赤ん坊のころから本が嫌いになるように条件づけしたり、寝ているあいだに「みんなはみんなのために働く」などのスローガンをくりかえし耳もとで流したり。

「みんながみんなのもの」という思想が徹底された結果、セクハラ的な行為はむしろ社会的な礼儀として奨励されてるので、エチケットにうるさい所長はかわいい女性スタッフのお尻につねにタッチするとか。それこそ、ありえない仮定(ネタ)を出発点に、どんどん肉付けしてふくらませたネタ小説のような設定だ。

 上級階層に属しているにもかかわらず、そういう社会になぜかなじめずにいる主要登場人物のひとり、バーナード・マルクスのコミュ障(コミュニケーション障害)ぶりがまた現代的で、その彼が、〝連帯のおつとめ〟と呼ばれる儀式を通じてなんとかグループになじもうと涙ぐましい努力をする第5章など、訳しながら思わず噴き出してしまったほど。

 長篇小説としての構成も破格で、視点は固定されず、主役がだれなのかもなかなか見えてこない。最初は孵化条件づけセンターの所長、それからヘンリー・フォスター、ついでレーニナ・クラウン、それからバーナード・マルクスとヘルムホルツ・ワトスン……という具合に、核になる人物がくるくる交替してゆく。小説の真ん中あたり、レーニナとバーナードが休暇旅行でアメリカに渡り、ニューメキシコ州の野人保護区=Savage Reservation(インディアン居留地=Indian Reservationのもじり)に赴いたところで、ようやく、後半の主役となる野人ジョンが、満を持して登場する。

 メサの上に広がるプエブロ・インディアンの集落(アコマ・プエブロがモデルか)で生まれ育ったジョンは、いわばターザン的な〝高貴な野人〟(Noble Savage)。村にあるほとんど唯一の英語の書物として、幼い頃から古いシェイクスピア全集に読みふけり、シェイクスピア劇のパッションを刷り込まれた彼が引き起こす騒動が後半の軸になる。ニューメキシコ州の荒野からシェイクスピアの母国にやってきたというのに、文明社会ではほとんどだれもシェイクスピアなんか読んでいないという皮肉。

 ちなみに本書のタイトルは、作中でジョンが頻繁に引用するシェイクスピア劇の台詞のうち、『テンペスト』第五幕第一場のミランダの台詞、"O brave new world"「ああ、すばらしい新世界」が出典(braveは「勇敢な」の意味だが、文語では「すばらしい」「立派な」の意味がある)。

 同じく何度も引用される『マクベス』では、「女から生まれた者には倒されない」という魔女の予言を信じていたマクベスが、(自然分娩で生まれたのはなく)帝王切開で人為的に腹から出されたマクダフによって倒されるが、『すばらしい新世界』のジョンは、ちょうどその反対。だれも女から生まれない文明社会にあって、ただひとりの〝女から生まれた者〟であり、父と母を持つこと自体がスキャンダラスに受けとめられる。ジョンは、マクベスに立ち向かうマクダフのように(あるいは、〝優しさに息詰まる世界に徒なす日を夢見る狂犬〟のように)、巨大な敵に挑むが、文明世界はびくともしない。異文化摩擦をネタにしたこのあたりのドタバタ劇も抱腹絶倒だが、下劣で低俗な社会に対する〝高貴な野人〟の異議申し立ては、やがて思いがけない結末を迎えることになる。

 このラストについて、著者は、一九四六年に刊行された『すばらしい新世界』の新版に付した序文の中で、野人ジョンに、野蛮か文明か、二つの選択肢しか与えなかったことが本書のもっとも大きな欠陥だと述べ、〝いま書き直すとすれば、野人ジョンに第三の選択肢を与えるだろう……正気の可能性を〟と書いている。その第三の選択肢を求めて、数々の後続のディストピアSFが生まれたとも言えるだろう。(後略)

大森望『現代SF観光局』内容一覧

※特記のないものはすべてSFマガジン初出(括弧内は年月号)


 序

■PART1 紙宇宙船の騎士たち (大森望のSF観光局 2007-2008)
1 伊藤計劃『虐殺器官』の衝撃――SF編集者列伝1 (2007-08)
2 宇山さんのこと――SF編集者列伝2 (2007-09)
3 短篇集ブームの光と影(2007-01)
4 追憶の翻訳ファンジン黄金時代(2007-02)
5 SFマガジン創刊とその時代(2007-03)
6 ミステリ史の中のSF史(2007-04)
7 日本SFと文学賞(2007-05)
8 “一〇〇一話をつくった人"の栄光と悲惨――最相葉月『星新一』を読む(2007-06)
9 狂乱トーストマスター日記――日本開催ワールドコン体験記(2007-11)
10 国際SFシンポジウム1970(2007-12)
11 ポケットいっぱいの秘密――テッド・チャン・インタビュー(2008-01)
12 ウイ・アー・レジェンド――SFファンの〝おこだわり〟(2008-03)
13 作家への長い道――SFコンテスト回顧(2008-04)
14 スラデック・アット・ランダム(2008-05)
15 Rendezvous With Sir Arthur――アーサー・C・クラーク会見記(2008-06)
16 人生に必要なことはメリルに学んだ その1 (2008-07)
17 ゴシップの極意――野田昌宏氏追悼「インサイド宇宙気流」傑作選
18 人生に必要なことはメリルに学んだ その2 (2008-09)
19 トマス・ディッシュの遺言(2008-10)
20  野田昌宏ができるまで(2008-12)

■PART2 SFアンソロジーの夏(大森望の新SF観光局 2009-2011)
1 追想のバリントン・J・ベイリー(2009-01)
2 年刊SF傑作選のベスト・イヤーは?(2009-02)
3 年刊SF傑作選のつくり方(2009-03)
4 当節オリジナル・アンソロジー事情(2009-04)
5 大学SF研今昔(2009-05)
6 伊藤計劃氏の思い出(2009-07)
7 サマーSFウォーズ(2009-09)
8 テッド・チャン経由コリアSFレポート(2009-10)
9 創刊五十周年記念「SFマガジン歴代ベスト号決定戦」 (2010-02)
10 柴野さんのこと(2010-04)
11 鏡明氏の生活と意見(2010-06)
12 SFセミナー三十年(2010-07)
13 海外時間SF短篇総まくり(2010-11)
14 浅倉さんの世界(『今日も上天気 SF短編傑作選』解説より)
15 ゼロ年代SF100選(2011-02)
16 二〇一〇年をなんとなくふりかえる(2011-03)
17 日本SF英訳事情(2011-04)
18 SF作家・萩尾望都の世界(2011-08)
19 ウィリス、ビッスン、チャンのSFトーク(2011-09)
20 小松左京とその時代 その1(2011-10)
21 小松左京とその時代 その2(2011-11)

■PART3 二〇一〇年代SFの航海図 (大森望の新SF観光局ほか 2012-2016)
1 二〇一〇年代の日本SFに向かって(2011-07)※単発原稿
2 《ハヤカワ・SF・シリーズ》温故知新――"銀背"の歴史を振り返る(2012-02)
3 チョウたちの時間――円城塔『道化師の蝶』芥川賞受賞の舞台裏(2012-04)
4 日本SFの世代(2012-11)
5 続・日本SF英訳事情(2012-12)
6 日本SF作家クラブ五十周年の光と影(2013-05)
7 トーレン・スミスのManga人生(2013-06)
8 "日本SFの夏"の見取り図(2013-09)
9 フィリップ・K・ディック・レトロスペクティヴ(2014-01)
10 日本ファンタジーノベル大賞の二十五年(2014-02)
11 日本SFの"現実"は厳しいか?(2014-08)
12 八〇年代SFリターンズ(2014-11)
13 いさましいちびのイラストレーター火星へ行く――水玉螢之丞追悼 ※cakes出張版
14 平井和正の革命――『狼の紋章』と『超革命的中学生集団』 ※cakes出張版
15 火星SFの二つの顔――『火星の人』と『火星年代記』のあいだ  ※cakes出張版
16  殊能将之の出来るまで(SF篇)(2015-10)
17 クラリオンから遠く離れて――SF創作講座開講事情(2016-06)
18 〝伊藤計劃以後〟はいつ終わるか――二〇二〇年代SFの始まりに向かって ※単発原稿

あとがき

大原まり子 『処女少女マンガ家の念力』角川文庫(1987年3月刊)より。

早瀬耕『グリフォンズ・ガーデン』(早川書房1992年4月刊)書評/大森望

 非ノイマン型バイオチップ・コンピュータ上に構築されたもうひとつの世界、デュアル・ワールド・システム。外部から情報を入力し、ディスプレイを見守る若手研究者「ぼく」……。 

 弱冠25歳の新人、早瀬耕のデビュー作『グリンフォンズ・ガーデン』はしかし、こう要約したとたん、魅力の大部分が消し飛んでしまう。いかにもSF的な設定を使い、(SFに接近を図る大部分の現代文学とは正反対に)SF的アイデアや議論が高密度に圧縮されているにもかかわらず、本書はSFの設計図に基づいて書かれてはいない。

 コンピュータ、認知科学、無限、エントロピーなどに関する高度で抽象的な議論が物語の大部分を占めてはいても、けして難解な小説ではないし、描かれる世界の空気は、むしろ村上春樹のそれを思い出させる。「ぼく」以外にまったくといっていいほど男性の登場しないこの小説は、たとえば『ノルウェイの森』のように読まれることさえ可能かもしれないが、同時に凡百のハードSFをはるかにしのぐ情報量が、違和感なくそこに同居している。いや、登場人物の魅力的な女性たちが、ほとんどあらゆるトピックに関しておよそ非現実的なまでの知識量を披露するとき、思わず口元が微苦笑にゆるんでしまう程度の違和感はたしかに存在するのだが、それさえも魅力に転じている。

 たとえば北村薫の『六の宮の姫君』(この小説の円紫さんの博学ぶりにも、ほとんど笑うしかない)が国文学おたく小説であるという意味で、あるいは川又千秋の〈ラバウル烈風空戦録〉シリーズが戦記おたく小説であるという意味で、本書は(もちろんよい意味で)理学部おたく小説である、といえなくもないが、前記二作が、国文学おたく、戦記おたく以外の人間にもじゅうぶん楽しめる広がりを持つのと同様、『グリフォンズ・ガーテン』を楽しむために、理系の専門知識は不可欠ではない。

 一ツ橋大学の卒論として書かれたというこの小説、現代のSFはどうあるべきかに対する、ひとつのエレガントな回答を示しているのかもしれない。

(初出不明・1992年)

http://www.amazon.co.jp/dp/4152035129

大崎梢『夏のくじら』(文春文庫)巻末解説

   解説

                                  大森 望

  よっちょれよ よっちょれよ
  よっちょれ よちょれ・よっちょれよ
  よっちょれ よちょれ・よっちょれよ
  高知の城下へ 来てみいや(ソレ)
  じんばも ばんばも よう踊る よう踊る 
  鳴子両手に よう踊る よう踊る
                  (作詞・武政英策「よさこい鳴子踊り」より)

 このにぎやかな歌は、高知の夏の風物詩。“よっちょれ”とは、「(わきに)寄っていろ」「どいてろ」という意味だから、考えようによっては傍迷惑このうえないが、南国土佐の夏は、よさこいに始まり、よさこいに終わる。
 せまい城下町のそこここで、踊りの練習に励むチームの鳴子の音が聞こえはじめると、いよいよ夏の始まり。毎年八月九日の納涼花火大会と前夜祭を経て、本番は八月十日と十一日。この二日間は、高知の町がよさこい一色に塗りつぶされる。
 最近は、祭りの規模でも知名度でも参加人数でも、札幌のYOSAKOIソーラン祭りに抜かれてしまったらしいけれど、よさこいの本家本元は土佐・高知。人口三十四万の地方都市で、およそ二万人が踊りのチームに参加し、市内十五箇所を練り歩くのだから、祭りとしては相当なものだろう。南国の陽ざしを浴びて、(規模はともかく)気分はリオのカーニバルなのである。
 本書『夏のくじら』は、この祭りを背景にした、ひと夏の青春小説。思春期の不安や人間関係の悩みを織りまぜながら、ほのかな恋や友情が鮮やかに描かれる。最大の特徴は、史上初(たぶん)の“よさこい小説”だということ。これ一冊読めば、そこらの(自分で踊ったことのない)土佐人以上に、よさこいの現場にくわしくなれる。
 主人公の篤史は十八歳。生まれも育ちも東京近郊だが、この春、高知大学に合格して、高知市内(中心街から車で二十分の山側)にある父方の祖父母の家に下宿して、新生活をスタートしたばかり。仲のいい同年配の従兄弟・多郎に誘われ、あまり気乗りしないまま、復活結成された鯨井町(多郎の地元商店街)のよさこいチームに参加することになる。
 篤史が初めてよさこいを踊ったのは、中学三年生だった四年前のこと。そのとき知り合った年上の女性のことが忘れられず、もしかしたら彼女の消息がわかるんじゃないか――と思ったのが、鯨井町のチームに参加する秘かな動機だった。
 かくして小説の前半は、外から参加した篤史の視点から、新チーム立ち上げの現場と当節よさこい事情が要領よく描かれてゆく。テーマ曲の作詞作曲および振り付け、衣装のデザインと製作、メンバー募集と踊りの練習……。さまざまなトラブルに見舞われつつも、しだいにチームの中に一体感が生まれ、目標に向かって邁進してゆく過程には、一種のプロジェクトもの(もしくはスポ根もの)のおもしろさが満ちている。チームを支える中心人物たちもそれぞれ魅力的だ。人付き合いの苦手な篤史とは対照的に、愛嬌たっぷりの性格で、だれからも好かれる多郎。チームのリーダー格をつとめる酒屋の月島。よさこい界のスターとしてその名を轟かすカリスマ、カジ。踊りに情熱を燃やす、性格のきつい美女、綾乃……。
 肝心の篤史はなかなかチームになじめず、読者は歯がゆい思いをさせられるが、うじうじしたその停滞があればこそ、祭り本番の爽快な盛り上がりが生きてくる。ドラマらしいドラマもないまま、ゆっくりと進む前半で、周到に伏線を張り巡らせてゆく手腕は、本格ミステリー作家・大崎梢の真骨頂。
 四年前のよさこいで“いずみ”と名乗った年上の女性はどこのだれなのか? 彼女はなぜ、よさこい本番の二日目を踊ることなくチームから姿を消したのか? ミステリーなら、謎が物語をぐいぐい牽引し、探偵役が推理を披露するところだが、『夏のくじら』では、祭りの熱狂がそれを覆い隠し、背景に追いやってしまう。そして、よさこいがピークに達したとき、ドラマは意外な山場を迎え、熱い南国の風が物語の中を吹き抜ける。
 よさこいを知る人なら、当日の暑さや音や汗の匂いまでまざまざと思い出すだろうし、よさこい未体験の人なら、本書のラスト二章で祭りを疑似体験できる。ネット上の感想を見ると、よさこいをまったく知らない読者からも本書が熱く支持されているのがよくわかる。よさこいに限らず、これほど鮮やかに祭りの興奮を再現した小説は珍しいんじゃないですか。
 よさこい小説というだけでなく、本書には、“高知小説”の側面もある。ぱっとページを開けば、それこそ森見登美彦の京都小説並みの頻度で、高知市内の通りや地名が登場する。篤史がチームに参加する鯨井商店街は架空の町だが(想定地域は愛宕か万々あたり?)、それ以外はすべて実在するから、この本を手にして高知観光ができそうなほど。電車通り、土電(土佐電鉄)、大橋通、ひろめ市場、帯屋町、中央公園、梅ノ辻、筆山、升形、上町、旭町……。
 全編を通じて乱舞するディープな土佐弁も、東京生まれの人が書いたとは思えないほどリアル。このところ、TVドラマその他でデタラメな土佐弁を聞かされる機会が多いので、こうやってちゃんと書いてあるとほっとしますね。最近の小説で言うと、高知出身の有川浩さんが書いた『県庁おもてなし課』に肉迫するレベル。大崎さんは旦那さんが高知出身だそうですが、奥さんがこれほど土佐弁をマスターしているとはうらやましい。
 ついでにちょっと解説すると、土佐弁の特徴は現在完了形があること。たとえば、朝起きたら地面が濡れていた場合は、「雨が降っちゅう」。いま降っている場合は「雨が降りゆう」となり、進行形と完了形との区別が明確にある。降っていたは「降りよった」、降るだろうは「降るろう」で、降らないだろうは「降らんろう」、降らなかったは「降らざった」。準体言の“の”や終助詞の“の”のかわりに“が”を使うのも特徴で、たとえば、「雨がやむのを待っていたの(だ)」は、「雨が止むがを待ちよったが」になる。理由を説明する「~やき」(~だから)、「き」(から)も頻出表現(「雨が降りゆうき、傘がいるがよ」)。
 ……などと、なくもがなの講釈をぶっていることからもお察しのとおり、解説者は高知の出身。自慢じゃないけど、子供のころ住んでいたアパート(高知新聞社の社宅)は高知城のすぐ前にあり、毎日、帯屋町のアーケードを抜けて、日曜市が立つ(よさこいの会場でもある)追手筋に面した高知市立追手前小学校に通っていたから、よさこい生まれのよさこい育ちみたいなもんである。同じ小学校の出身で帯屋町育ちの広末涼子さんは、いまも夏は毎年のように高知に帰り、帯屋町筋のチームでよさこいを踊っているし、かくいうわたしも(一回だけですが)よさこいを踊ったことがある。一九七二年、小学五年生のとき。
 本書の中で、主人公の篤史が、四年前に踊ったよさこいの振りをまだ覚えていて、細かいステップもちゃんと踏めると確認するくだりがあるけれど、オレなんか四十年前に踊ったきりの振りをまだ忘れていないんだから、げに怖ろしいはよさこいの力。本書を読んでいると、当時の記憶が鮮明に甦り、篤史が中学生当時の自分を思い出すように、小学五年生の自分を思い出して、一九七二年の夏へと一気にタイムスリップしてしまう。
 思い出しついでに回顧すると、わたしが参加したのは、当時、大橋通にあった老舗の八百屋、堀田青果のチーム。実はこのチーム、よさこいの歴史を変える重要な役割を果たしている。元爆風スランプのファンキー末吉氏(爆風スランプ時代の名曲をよさこいバージョンでリメイクした「よさこいランナー」を出しているほどのよさこいファン)がブログ上で語るよさこい史にいわく、

 よさこい祭りとは高知が、いや日本が世界に誇るべきお祭りである。(中略)
 当初は「正調よさこい鳴子踊り」に合わせて決められた踊りを踊るだけの祭りだったのであるが、70年代に入ってからそれが大きく様変わりしだした。/高知が誇る伝説のアマチュアバンド「トラベリンバンド」が、トレーラーにバンドの機材を乗せ、よさこい節とは似ても似つかない奇妙な音楽を演奏しながら、踊り子達はそれに合わせて自由な振り付けで奇妙なな踊りを踊ったのである。/新しもの好きの高知の若者は狂喜乱舞し、頭の固い大人達は顔をしかめ、後にこれが「ロック」だと初めて知った。(中略)
 伝説によると、ベースの堀田さんのおばあさんはいわゆる「土佐のはちきん(男も顔負けの高知女性の気質をこう言う)」で、孫が学校もサボって音楽ばっかりやりゆうきと言うことで、
「おまん、何がやりたいがか? 音楽やりたいがやったら音楽だけやり! 他のことは金輪際せんでえい!」
 と、自分のところのみかん山のみかん小屋にバンド一同を放り込み、実際バンドは朝から晩までバンドばっかりやりよったと言う話である。
 かくして次の年からはトラックに演奏機材を積んでよさこいに参加するグループが続出し、委員会はその対応に右往左往することとなる。
               (http://www.funkyblog.jp/2006/08/post_69.html より)

 一九七二年は、この堀田青果チームがよさこいに初参戦した年だった。生バンドの登場はこれがよさこい史上初。資料によると、チームのメンバーは四十五人。ほとんど知らない大人ばかりの中に混じって慣れない踊りを練習した日々の記憶は、篤史の中学生時代のよさこい体験にそのまま重なる。追手筋会場でメダルをもらったときのやけに晴れがましい気分も、四十年の時を超えてまざまざと思い出しました。
 よさこいの基本は当時からまったく変わっていないけれど、ヘアスタイルと衣装はこのあとからどんどん派手になり、音楽のアレンジは原曲からどんどんかけ離れてゆく。九一年の夏に帰省した折、数年ぶりによさこいを見物にいったら、C+C Music Factory の「Everybody Dance Now」で踊っているチームがあって驚愕した覚えがありますが、この“なんでもあり”のアナーキズムがよさこい流(規則上は、「よさこい鳴子踊り」のメロディーがどこか一カ所に入っていればOK。他には、鳴子を持つことと、踊りながら前に進むことぐらいしか決まりがない)。
 そもそも、“正調”と呼ばれる「よさこい鳴子踊り」がつくられたのは一九五四年のこと(作詞作曲・武政英策)。この解説の冒頭に引いた「よっちょれよ」の掛け声にはじまる前フリのあとに、江戸時代に成立した「よさこい節」が挿入される構成になっている。ちなみにペギー葉山の名曲「南国土佐をあとにして」(一九五九年)も同様に武政英策の作詞で、同じく歌詞の中に「よさこい節」が挿入される。どちらも、いまで言えばサンプリングの手法をとりいれているわけだ。その意味では、どんな曲で踊ろうが、鳴子を持っているかぎり、よさこい鳴子踊りになる理屈。本書の中では、チームが独自にアレンジした「よさこい節」の替え歌が使われているが、もともとの「よさこい節」も、さまざまな時代に歌われた替え歌のうち人気のあったものが時代を超えて生き残ってきたらしいから、それもまたよさこい流なのである。
「よさこい節」で比較的よく歌われるのは、おなじみの「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た」のほか、「御畳瀬{みませ}見せましょ 浦戸を開けて 月の名所は桂浜」「言うたちいかんちや おらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎよる」「土佐はよい国 南を受けて 薩摩おろしがそよそよと」あたりですが、出来事や地名や土佐弁を織り込んだ歌詞は、高知県外では意味が伝わりにくい。そう考えると、本書で披露される大崎梢バージョンが全国区の「よさこい節」として定着しないとも限らない。
「踊りみせましょあなたのために 朝な夕なに 舞い踊る」……。
 本書のページを開くたびに、この新しいよさこい節といっしょに、いつでも灼熱の高知にトリップできる。よさこいの夏を永遠に封じ込めた小説として、『夏のくじら』が末長く読み継がれることを祈りたい。

姫野カオルコ『よるねこ』(集英社文庫)         解説(大森望)

姫野カオルコ『よるねこ』(集英社文庫)

キンドル版 http://www.amazon.co.jp/dp/B00E95P6U6

   解説(初稿)

                                  大森望


 最近めっきり記憶力が低下して、読み終えた小説の内容をすぐに忘れる。若いころ読んだ本のことはいつまでも覚えているのに、この数年の本はさっぱりダメ。読んだはしから記憶が薄れてゆくので、一カ月もたつと、筋立てはおろか、その本を読んだ事実さえきれいに忘れ果ててたり。ハードディスクを検索してたら自分が書いた書評が出てきて、「あ、オレ、この本、読んでたのか!」と驚くことも珍しくない。

 まして短編となると、記憶力のザルから作品ごとこぼれ落ちてしまうため、奇跡的にひっかかって頭に残るのは年に一本あるかどうかというていたらくだだが、本書の表題作「よるねこ」は、その数少ない例外のひとつ。この十年ぐらいのホラー短編で言うと、最初に読んだときの印象を鮮明に記憶しているのは、この「よるねこ」と、牧野修の「おもひで女」(集英社文庫『忌まわしい匣』所収)ぐらいしかない。

 記憶に残るその二つが、どちらも〝記憶〟をモチーフにしているのは奇妙な偶然だが、今から三十年前、半村良の傑作「夢の底から来た男」に戦慄して以来、どうやら僕の脳内には〝記憶ホラー〟に強く反応する回路が形成されているらしいので、むしろ必然と言うべきか。

 さて、姫野カオルコの「よるねこ」は、なんと言ってもまずタイトルがすばらしい。

 よるねこ。

 ひとめ見たら忘れられない題名である。

「トルネコ」も「よるくま」もぜんぜん怖くないのに(前者は《ドラゴンクエスト》シリーズの登場人物名、後者は酒井駒子の絵本のタイトルです)、なぜ「よるねこ」だとこんなに禍々しい印象を与えるのか。三歳になるうちの息子なんか、『よるくま』は大好きだったくせに、父親が廊下の本の山のてっぺんに置いてあった『よるねこ』を見て、「こわいこわい」と騒ぎ出し、見えないようにしまってくれと泣いて訴えたくらいである。

 もっとも、この短篇の初出時の題名は、「深夜の寄宿舎で母が見たこと」(小説すばる二〇〇〇年四月号)。作中に〝よるねこ〟という言葉は登場しない。

 エッセイ「枯尾花の時代」の時代で、人間は正体不明の怪異に名前をつけることで未知の恐怖を克服してきたと書いたのは安部公房だが(たとえばライオンは、〝ライオン〟と名づけられることで、恐るべき謎の怪物から、対処可能な外敵へと変わる)、深夜の寄宿舎を徘徊する不気味な存在は、〝よるねこ〟と名づけられることで逆に怖さが倍増している。この短篇は、「よるねこ」の題名を獲得することでホラーとして完成したという見方もできるだろう。最終的にこの言葉を選びとる鋭い言語感覚が、姫野ホラーの特徴。それは、「よるねこ」の冒頭部分を見るだけでも了解できる。

 茂丸実也子の母は猫を恐れなかった。
 彼女は無神経な人だった。きっと、ものごころついたときから、無神経だったのだろうと、実也子は思っていた。

 一言でいえば、「よるねこ」は、夢見がちな少女が無神経な母親の意外な過去を知る話だ。話の主役は母親の緋左子だが、視点人物は小学校五年生の実也子。

 ある朝、母親がなにげなく口にした「猫は向こうのほうへ歩いていった」という言葉から、実也子は母親の女学生時代になんとなく興味を持つ。緋左子は戦前、女子師範学校で寮生活を送っていた時期がある。その寄宿舎には、「虎ほどに大きな牝の猫で、人のたましいを食べる」という「呪いの青猫」が深夜の廊下を徘徊しているとの噂があったらしい。

 作中でも(緋左子の元同級生の口を借りて)語られるとおり、それ自体は「よくある学校の怪談」でしかない。

 だが、姫野カオルコはそれを〝学校の怪談〟として語ろうとはしない。物語の現在は、それから約二十年後。呪いの青猫と遭遇したという女生徒、緋左子は結婚して娘の実也子を出産し、いまはごく平凡な母親となっている。身も蓋もない一言で魔法の効用を否定したり、温め直した味噌汁を冷えたご飯にぶっかけて食べたりする(娘の目から見ると)〝無神経〟なお母さん。家族コメディの主役を張ってもおかしくないキャラだが、映画『アンブレイカブル』のM・ナイト・シャマランがギャグの素材から比類ない恐怖を紡ぎ出したように、著者は、そういうどこにでもいる平凡な母親像に、驚くべき戦慄を発見して見せる。

「よく知っている身近な人物(親兄弟や配偶者)がある瞬間、見知らぬ顔を見せる」というパターンは、恐怖小説の世界では珍しくないどころか、使い古された切り口だと言ってもいい。たとえばそれをSFで書けば、ジャック・フィニィの『盗まれた町』やフィリップ・K・ディックの「父さんもどき」のように、家族がいつのまにか人間そっくりのなにか(異星人とかロボットとか)にすりかわっていた――みたいな話になる。

 しかし、姫野カオルコの世界では、そうした〝とりかえしのつかない変化〟はとっくの昔に起きてしまっている。なにか恐ろしい間違いが起きたのに、だれもそのことに気づかず、平凡な日常が続いてゆく……。

 緋左子の場合、その変化は、びっくりするような劇的なものではない。「頭が痛くなったらどうするの」と、バーネットやリンドグレーンや吉屋信子を娘の手から奪いとり、かわりに吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』(「日本少国民文庫」の最終巻として一九三七年に刊行された啓蒙小説)を買い与えたり、「本を読む人というのは、どこか悪いことをする性癖がある人だから」と断言したり。いつの時代にもそんなお母さんはいるものだし、小学生の娘がそういう母親に不満を持つのもよくある話だ。「ゆいちゃんちのママはあんなに若くてきれいなのに、うちのお母さんはどうしてこんなに太っててガサツなんだろう」とか、「わたしはおおざっぱな性格なのに、どうしてお母さんは細かいことにやたらうるさくて几帳面なの」とか、たいていの子供がそんな小さな不満を抱えて大きくなってゆく。「よるねこ」で描かれる母娘の関係はどこといって特殊ではなく、ごくあたりまえのものだ。そして、あたりまえの関係、あたりまえの光景だからこそ、「よるねこ」の恐怖は身近に感じられる。

 しかも、なにか超自然的で禍々しい事件が起きたと作中に明示されているわけではない。呪いの青猫と遭遇した話は母親が娘を怖がらせようと思って言っただけかもしれないし、緋左子が語る過去と元同級生が語る過去との不一致も、たんなる記憶違いかもしれない。説明されないことから生じたそこはかとない小さな恐怖の種は、あくまでも読者の想像の中で大きく成長してゆく。その効果を最大にするために、舞台設定やエピソードはもちろん、固有名詞のひとつひとつまでが念入りに選ばれている。この語りの妙によって、よくある〝学校の怪談〟が思いがけないなにかに変貌する。

 ありふれた日常と、恐怖小説の伝統的なパターンとを組み合わせて、いままで読んだことのなかった恐怖感を生み出す――きわめて小説的な難度の高い課題だが、表題作のみならず、本書に収められた他の作品群も、この厳しいハードルを楽々とクリアしている。

 たとえば、「吉田は力持ちだったので、倉庫に勤めていた」という印象的な書き出しで始まる「心霊術師」。伝統的な怪奇短篇のサブジャンルで言えば、これは〝悪魔との契約〟ものの風変わりな変奏と見ることができる。このモチーフに関しては、ありとあらゆるバリエーションはとっくに出つくしていると信じていたので、「心霊術師」には驚いた。このネタにこんなへんてこりんなひねりを思いついたのは、たぶん著者がはじめてだろう。

 ヒロインの吉田は、ごく平凡な毎日をしあわせに送っている。「よるねこ」と同じく、〝とりかえしのつかないこと〟はとっくの昔に起きてしまっているのだが(というか、この場合には、〝とりかえしのつかないことが起きなかった〟という、とりかえしのつかないことが起きている)吉田はそのことを知らない。その事実を知らされたときになにが起きるのか。固唾を呑んで見守る読者は、またしても意表を突かれることになる。

 ここでも、「(心霊術師は)とても小柄な人で、(洋服ダンスの)吊した洋服の奥にこそっと体育すわりをしていたの」というような形容にも天才的なセンスが光り、妙な話を読んだという記憶が長く残る。

 この調子で一篇一篇について書いているとキリがないし、読書の興を殺ぐ結果になりかねないので自粛するが、いまのホラー小説界を見わたしても、これだけ質の高い短篇を書ける作家はそう多くないだろう。それぞれまったく違った手法、まったく違った語り口で書かれた九つの短篇を、舐めるようにじっくりと味わってほしい。

 2005年4月

トーレン・スミス 日本マンガ英訳奮闘記

別冊宝島117 『変なニッポン』(1990年6月刊)掲載原稿より、一部を抜粋

(前略)

●外人おたく誕生

 トーレン・スミス、三〇歳。一九六〇年四月二〇日、カナダのアルバータ州ウェタスキウィン生まれ。バイクのサーキット・レーサー、コンピュータ・プログラマ、アメコミ原作者などさまざまな職業を転々としたのち、日本アニメ、日本マンガの魅力にとりつかれ、ついには日本マンガ英訳のビジネスをスタートさせる。身長一八八センチを越える長身、頭髪はやや薄め。もっともこれは、日本の出版社相手に苦労したせいではないらしい。話し方はソフトだが、議論になると一歩も引かない。サンフランシスコに住み、スタジオ・プロテウス代表兼翻訳者兼ライターとして、年に三、四度日米を往復する。

 スタジオ・プロテウスは、レタラー、アーティスト、イラストレーター、翻訳者などを含む五人の社員で、現在、月刊五タイトルを刊行、アメリカのコミック業界・Mangaファンのあいだでは、ブランド・ネームとして浸透している。この会社の創立者であるトーレン・スミスがなんらかのかたちで英訳出版に関わった日本マンガは十数タイトル、アメリカで出版された全Mangaの過半数を占める。文字どおり、アメリカにおける日本マンガ英訳出版のパイオニアだといっていい。しかし、その彼も、まったくの徒手空拳で日本を訪れ、なにもない土壌にManga出版のビジネスを築くまでの苦労はなみたいていのものではなかった。

 トーレン・スミスが日本に興味を持ったのは一九八三年のこと。子どものころからSFやマンガが好きだった彼は、八一年、カナダに住んでいたころからアメコミの原作を書きはじめ、八二年に渡米、サンフランシスコで新生活をはじめる。当時は、コンピュータ・プログラマで生活費を稼ぎながら、短編のSFコミックの原作を書いていた。

 そして一九八三年、友人から借りたビデオで、宮崎駿の劇場用アニメ「ルパン3世/カリオストロの城」を見た彼は、ジャパニメーションを″発見〓する。大人にも見応えのある完成されたプロット、生き生きとした動き、実写の映画とくらべてもまったく遜色のない映像。日本にこれほどすごいアニメがあったのか! たちまちジャパニメーションのとりこになり、手にはいる日本製アニメのビデオをかたっぱしから集め、日本語が読めないのにもめげず、日本のアニメ雑誌数誌を定期購読しはじめる。

 余談になるが、こういうルートでジャパニメーションおたくになるアメリカ人の数はけっこう多い。アメリカのSF大会では、参加している日本人の姿を見つけるとすぐに近寄ってくるアメリカ人ファンがいるが、彼らはほとんど例外なく熱烈なジャパニメーション・マニアで、新作情報にもおそろしくくわしい。「ミスター・オシイのつぎのプロジェクトはなんだ」とか、「ミスター・カワモリ(アメリカでカルト的人気のあるTVアニメ「超時空要塞マクロス」などの監督)が去年からつくっている劇場用アニメはまだ完成しないのか?」などと矢継ぎ早にきかれて目を白黒させることもしばしば。日本のSF大会に退去して押し寄せて、コスチューム・ショウ(アニメのキャラクターなどの扮装でステージに立つ仮装コンテスト)に参加した西海岸のアニメ・ファンたちもいる。だから、この段階ではまだ、トーレン・スミスも、ベイエリアではさほどめずらしくない日本アニメおたくの一員でしかなかったわけだ。

 しかし、トーレン・スミスは、部屋の中でビデオ・ウォッチングに浸るだけのジャパニメーションおたくではなかった。自分が好きになったものをもっとたくさんの人に見てもらいたい。ジャパニメーションの魅力をひとりでも多くのアメリカ人に伝えたい。当時ベイ・エリアには、CFOというジャパニメーションのファン・グループが存在していたが、もっぱらビデオの貸し借りが主な活動で、大きな上映会など開かれていなかった。そこでトーレン・スミスは、サンフランシスコで開かれるSF大会ベイコンに向けて、ジャパニメーションの上映会を企画する。ほとんどひとりですべての段取りをつけ、一九八四年、コンベンションの会議室を借りて開かれたこの上映会は、超満員の観客を集めて大成功。以後、恒例化して、八六年には劇場ひとつをまるまる借り切るまでになる。

 さらに、一九八六年の上映会のプログラム・ブックとして、日本アニメの解説書A Viewer’s Guide to Japanese Animationを執筆する。当時ビデオで流通していた日本アニメ約四〇タイトルの基本設定とストーリーを記した本格的なもので、編集から原稿執筆まで、はすべて独力でおこなった。それまでアメリカには、ジャパニメーションに関するまとまった情報はまったく存在しなかったから、これはファンにとってバイブル的なガイドブックとなり、のちにブックス・ニッパンから商業出版物として再刊され、一万部以上を売っている。

 この本の出版を契機ととして、彼は西海岸の一ファンから、ジャパニメーションの権威として一目置かれる存在にまでなったわけだが、ほかにもちょっとしたエピソードがある。上映会のロビーにいたとき、ひとりのフランス人ファンが興奮した顔でトーレンのところにやってきて、「これはあなたが書いたのか。ぜひサインしてくれ」とせがんだ。相手の胸の名札を見たトーレンは一瞬、絶句する。「もしやあなたは……」このフランス人こそ、本名で参加していた前述の世界的アーティスト、メビウスだったのである。この出会いが縁となって、のちにトーレンが「風の谷のナウシカ」のアメリカ版翻訳を手がけたおり、メビウスはオリジナルのナウシカ・カラー・イラストを付録ポスターとして描き下ろしている。

 一九八六年、小学館は、自社マンガのアメリカ進出を目的として、子会社のVizコミュニケーションを設立する。日本マンガの研究書「マンガ、マンガ」の著者で、アメリカにおける日本マンガ研究の草分けフレッド・ショットの紹介で、ヴィズ代表の日本人と知り合ったトーレン・スミスは、アメリカのコミック市場についてレクチャーする一方、当時、日本マンガに関心を示していたエクリプス・コミック社とヴィズの提携を仲介する。彼の関心は、すでにジャパニメーションから日本マンガへと向かいはじめていた。

 そしてこの年の夏、ひとつの転機が訪れる。日本マンガ、アニメーションをアメリカに紹介する仕事をしたい。そのためには、一度日本の土を踏まなければ。そう考えはじめていたとき、旧知の仲だったイギリス人SF作家ジェイムズ・ホーガンが、特別ゲストとして大阪で開かれる日本SF大会(通称DAICON5)に招かれることになったのだ。

 これこそ願ってもないチャンス。即座に心を決めたトーレンは、借りていたアパートメントを引き払い、車や家財道具を売り払って、旅費と当座の生活費をつくり、日本行きの準備を整える。もちろん、ヴィズのために、アメリカで出版可能な日本マンガをさがすのが最大の目的だった。

●Manga、アメリカ上陸

 一九八六年八月、トーレン・スミスはついに日本に降り立つ。年内にもスタートするヴィズとエクリプスの日本マンガ出版で、翻訳リライトの仕事がまかされる約束になっている。これが軌道に乗れば、どうにか日本で暮らしていける程度の収入にはなるはずだ。正式に日本語を勉強したことのない彼にとって、日本語の知識はアニメやマンガから得たものだけ。ヒラガナとカタカナは読めるが漢字はダメ、日常会話も話すほうはまったくダメ。しかし、言葉の問題は、日本で暮らしているうちになんとかなるだろう。「見る前に跳べ」を地で行く向こう見ずな行動ではあるけれど、先のことはそれほど心配していない。なによりも、もっとたくさんの日本マンガをこの目で見たいという情熱が彼を支配していた。

 日本語もできないのにどうして翻訳のリライトができるのかと不思議に思われるかたもいるだろうが、マンガの英訳は日本における映画の字幕翻訳などと同様、きわめて特殊な技術が要求されるため、日本語からいきなり、そのまま使える英文が起こせる人間はほとんどいない。ただ英訳しただけでは、アメリカのコミックに慣れた読者には受け入れられないのだ。そこで、トーレン・スミスのように、アメコミの原作を書いた経験のあるライターが起用され、日本語のできる人間がつくったラフの翻訳を、マンガにふさわしい文体にリライトすることになる。この点だけとりだしても、マンガの翻訳は困難な作業なのである。

 大阪のSF大会で、日本人のマンガ・アニメ業界関係者多数と知り合い、今後の活動の足場を築いた彼は、東京にもどってくると、駒沢大学前の外人専用アパート「レッツゴー・ワールド・ハウス」の六畳一間に居をさだめる。部屋の中にはマンガ雑誌や単行本がうずたかく積み上げられ、押し入れがデスク代わり。わずかな貯金と家財道具を売り払った金の残りがあるとはいってもぜいたくはできない。知り合いもほとんどいない、言葉も通じない異境の地で、こうして手探りの「外人の東京暮らし」がはじまった。

 SF関係の集まりに顔を出したり、マンガ出版社の編集部をたずねたりして人脈づくりに精を出すかたわら、ヴィズの親会社である小学館の資料室やマンガ図書館、マンガ専門店に出かけていき、アメリカで売れそうなマンガを物色する毎日。

 こうして彼が、アメリカ向きに選びだしたのが、白土三平の忍者マンガ『カムイ外伝』、超能力少女の活躍を描く、工藤かずや原作・池上遼一絵のSFマンガ『舞』、そして新谷かおるのミリタリーコミック『エリア88』の三本。日本独特のマンガとしてアメリカ人ウケの期待できるもの(『カムイ』)、アメリカ人になじみやすいタッチのもの(『舞』)、これまでアメリカに存在しなかったジャンルで新しい読者の獲得を期待できるもの(『エリア88』)と、バラエティにも気を配った結果の選択だった。版元はいずれも小学館で、権利の獲得は問題ない。

(小池一夫・小島剛夕の『子連れ狼』と大友克洋の『AKIRA』についても翻訳権を交渉したが、前者はすでに日本のエージェント、グローバル・コミュニケーションが海外交渉権を取得しており、後者は講談社側が態度を保留しているうちに、あとからオファーしてきたマーベルにさらわれてしまうことになる)。

 そして、翌一九八七年の四月、ファースト・コミック社の『子連れ狼』と、エクリプス/ヴィズの『カムイ外伝』とがほとんど同時期に(一週間以内の差で)コミック専門店の店頭に並ぶ。日本マンガの、事実上初のアメリカ上陸である。

 八〇年代のアメコミ市場では、さまざまな新しい試みがなされてきてはいたものの、ほとんどが失敗におわっていた中にあって、日本マンガはきわめて好運なスタートを切ることができた。十年一日のアメコミを読みつづけてきた読者のあいだに、なにか新しいものを求める下地ができていたというのも大きな要因だが、もうひとつは、フランク・ミラーによる強力なプッシュに負うところが大きい。フランク・ミラーは現在のアメコミ界における最大のスター。「ローニン」「デアデヴィル」、そして、全米バットマンブームの火付け役となった『バットマン:ダークナイト・リターンズ』など、彼のコミックは八〇年代アメリカにおいてつねに話題の的でありつづけ、その一挙手一投足が注目を集めている。その彼が、『子連れ狼』の熱烈なファンであること公言してくれたことで、出版社は彼のネーム・ヴァリューを最大限に宣伝に利用することができた(フランク・ミラーはアメリカ版『子連れ狼』のカバー・イラストまで描いている)。このため、『子連れ狼』は、モノクロ・コミックとしては異例の十万部を売り、大ヒットとなった。それに引っぱられる形で『カムイ外伝』も好スタートを切ることができた。日本マンガにとっては、これ以上ないほどの幸運な幕開けだった。

●スタジオ・プロテウス発足

 こう書くと順風満帆のようだが、知り合いもいない日本にたったひとりで暮らす、日本語のできないガイジンの生活は、けっして楽ではなかった。実際に翻訳リライト作業がはじまるまではヴィズからの収入はなく、貯えはすぐに底をついた。銀行の外国人向け宣伝プランに協力するアルバイトをしたり、SF大会で知り合った友人に食事をおごってもらったり、マクドナルドのタダ券をもらったりしてなんとか食いつないでいたものの、『カムイ外伝』のスタートが予定より遅れたこともあって、八三年の年末から八四年の一月にかけては、経済的にはどん底になってしまう。一週間の食費が千円以下、毎食インスタント・ラーメンで飢えをしのぐ毎日。家賃を滞納して、とりたてにやってきた管理人がドンドンとドアをノックするのを、電気を消した暗闇の中で息をひそめてやりすごしたり、窓から飛び下りて逃げだしたり、いまでこそ笑える貧乏エピソードにはことかかない。とうとう一銭もなくなり、飢えに耐えかねて、近くのコンビニエンス・ストアからカップ・ヌードルを一個くすねたことさえある。一年後、ようやくビジネスが軌道に乗ってから、トーレンはそのコンビニエンス・ストアをたずねて事情を話し、お金を返してきた。「一杯のかけそば」もかくやの話だが、いきなりガイジンからカップヌードル代をつきつけられたアルバイトの店員は、目を白黒させていたとか。

 そんな窮乏生活の中、Vizの代表が来日した。先の三冊につづく作品を選びだしていたトーレンは、『風の谷のナウシカ』『アップルシード』『パイナップル・アーミー』などを見せるが、まず小学館の出版物からでないと出せないと一蹴されてしまう。また、当初は、『舞』『エリア88』を含め、月に三タイトルの英訳リライトを担当するという約束だったのに、やりとりに金と時間がかかるなどの理由で、結局『カムイ』のリライトのみしか任せてもらえないことになる。

 しかし、『カムイ』一本の収入では、物価の高い東京ではとても生活していけない。ヴィズが出さなくても、自分が選んだマンガは、いずれは必ず他社が英訳権獲得に動くはずだ。自分でその英訳を手がけるためには、出版を望むアメリカの会社をさがしだし、日本の出版社と交渉するしかない。アメリカのコミック出版社とのあいだにはじゅうぶんなコネクションがあるし、自分はいま日本にいる。やってやれないことはないはずだ。

 トーレン・スミスはこのときはじめて、版権交渉の代理人兼リライターとして、日本マンガ英訳出版の前段階をコントロールするビジネスをはじめようと決意する。

 しかし、日本語ができず、うしろだてもない彼ひとりでは、「タフ・ネゴシエーター」である日本の出版社との交渉はむずかしい。たったひとりでがんばっても、ほんとうにやれるのか。が、Vizとの関係が行き詰まりかけていた八七年三月、絶好のパートナーが見つかった。(後略)

日本SF作家クラブ編『日本SF短篇50』(ハヤカワ文庫JA)収録作一覧

 早川書房facebookページ(https://www.facebook.com/hayakawashobo)より転載。

Ⅰ 1963-1972(2013年2月刊行)
1963 墓碑銘二〇〇七年 光瀬龍
1964 退魔戦記 豊田有恒
1965 ハイウェイ惑星 石原藤夫
1966 魔法つかいの夏 石川喬司
1967 鍵 星新一
1968 過去への電話 福島正実
1969 OH! WHEN THE MARTIANS GO MARCHIN'IN 野田昌宏
1970 大いなる正午 荒巻義雄
1971 およね平吉時穴道行 半村良
1972 おれに関する噂 筒井康隆


Ⅱ 1973-1982(2013年4月刊行)
1973 メシメリ街道 山野浩一
1974 名残の雪 眉村卓
1975 折紙宇宙船の伝説 矢野徹
1976 ゴルディアスの結び目 小松左京
1977 大正三年十一月十六日 横田順彌
1978 猫ひきのオルオラネ 夢枕獏
1979 妖精が舞う 神林長平
1980 百光年ハネムーン 梶尾真治
1981 ネプチューン 新井素子
1982 アルザスの天使猫 大原まり子


Ⅲ 1983-1992(2013年6月刊行)
1983 交差点の恋人 山田正紀
1984 戦場の夜想曲(ノクターン) 田中芳樹
1985 滅びの風 栗本薫
1986 火星甲殻団 川又千秋
1987 見果てぬ風 中井紀夫
1988 黄昏郷 野阿梓
1989 引綱軽便鉄道 椎名誠
1990 ゆっくりと南へ 草上仁
1991 星殺し 谷甲州
1992 夢の樹が接げたなら 森岡浩之


Ⅳ 1993-2002(2013年8月刊行)
1993 くるぐる使い 大槻ケンヂ
1994 朽ちてゆくまで 宮部みゆき
1995 操作手(マニピュレーター) 篠田節子
1996 計算の季節 藤田雅矢
1997 永遠の森 菅浩江
1998 海を見る人 小林泰三
1999 螺旋文書 牧野修
2000 嘔吐した宇宙飛行士 田中啓文
2001 星に願いを 藤崎慎吾
2002 かめさん 北野勇作


Ⅴ 2003-2012(2013年10月刊行)
2003 重力の使命 林譲治
2004 日本改暦事情 冲方丁
2005 ヴェネツィアの恋人 高野史緒
2006 魚舟(うおぶね)・獣舟(けものぶね) 上田早夕里
2007 The Indifference Engine 伊藤計劃
2008 白鳥熱の朝(あした)に 小川一水
2009 自生の夢 飛浩隆
2010 オルダーセンの世界 山本弘
2011 人間の王 宮内悠介
2012 きみに読む物語 瀬名秀明

21世紀SFベスト60(大森望選)2012.5.8作成/ブックファースト新宿店SFフェア用

■国内SF

秋山瑞人『猫の地球儀』電撃文庫

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』新潮社 

伊藤計劃『虐殺器官』ハヤカワ文庫JA 

伊藤計劃『ハーモニー』ハヤカワ文庫JA 

伊藤計劃『The Indifference Engine』ハヤカワ文庫JA 

上田早夕里『華竜の宮』ハヤカワSFシリーズJコレクション

冲方丁『マルドゥック・スクランブル』全3巻 ハヤカワ文庫JA

円城塔『Self-Reference ENGINE』ハヤカワ文庫JA

円城塔『Boy’s Surface』ハヤカワ文庫JA

円城塔『これはペンです』新潮社

小川一水『老ヴォールの惑星』ハヤカワ文庫JA

小川一水『天冥の標』IーVI ハヤカワ文庫JA

奥泉光『鳥類学者のファンタジア』集英社文庫

恩田陸『ねじの回転』集英社文庫

小林泰三『海を見る人』ハヤカワ文庫JA

神林長平『今、集合的無意識を…』ハヤカワ文庫JA

貴志祐介『新世界より』上中下 講談社

北野勇作『どろんころんど』福音館書店

瀬名秀明『ハル』文春文庫

田中哲弥『猿駅・初恋』早川書房

津原泰水『バレエ・メカニック』ハヤカワ文庫JA

津原泰水『11 eleven』

飛浩隆『グラン・ヴァカンス 廃園の天使1』ハヤカワ文庫JA

飛浩隆『ラギッド・ガール 廃園の天使2』ハヤカワ文庫JA

野尻抱介『沈黙のフライバイ』ハヤカワ文庫JA

野尻抱介『南極点のピアピア動画』ハヤカワ文庫JA

長谷敏司『あなたのための物語』ハヤカワ文庫JA

平山夢明『独白するユニバーサル横メルカトル』光文社文庫

古川日出男『アラビアの夜の種族』角川文庫

古川日出男『サウンドトラック』集英社文庫

古橋秀之『ある日、爆弾がおちてきて』電撃文庫

牧野修『楽園の知恵 あるいはヒステリーの歴史』ハヤカワ文庫JA

森見登美彦『四畳半神話大系』角川文庫

山尾悠子『ラピスラズリ』国書刊行会

山田正紀『神獣聖戦 Perfect Edition』徳間文庫

山本弘『アイの物語』角川文庫

山本弘『神は沈黙せず』角川文庫

早川書房編集部編『ゼロ年代SF傑作選』ハヤカワ文庫JA

大森望編『ゼロ年代日本SFベスト集成〈S〉ぼくの、マシン』『〈F〉逃げゆく物語の話』創元SF文庫

■翻訳SF

グレッグ・イーガン『万物理論』創元SF文庫

グレッグ・イーガン『プランク・ダイヴ』ハヤカワ文庫SF

コニー・ウィリス『犬は勘定に入れません あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』ハヤカワ文庫SF

ロバート・チャールズ・ウィルスン『時間封鎖』創元SF文庫

ジョー・ウォルトン〈ファージング〉三部作(『英雄たちの朝』『暗殺のハムレット 』『バッキンガムの光芒』)創元推理文庫

ウィリアム・ギブスン『スプーク・カントリー』早川書房

マイケル・シェイボン『ユダヤ警官同盟』新潮文庫

フワンソワ・スクイテン+ブノワ・ペータース『闇の国々』小学館集英社プロダクション

チャールズ・ストロス『アッチェレランド』早川書房

テッド・チャン『あなたの人生の物語』ハヤカワ文庫SF

パオロ・バチガルピ『ねじまき少女』ハヤカワ文庫SF

パオロ・バチガルピ『第六ポンプ』新☆ハヤカワ・SF・シリーズ

フェリクス・J・パルマ『時の地図』ハヤカワ文庫NV

トマス・ピンチョン『逆光』新潮社

マイクル・フリン『異星人の郷』創元SF文庫

コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』ハヤカワepi文庫

チャイナ・ミエヴィル『ペルディード・ストリート・ステーション』早川書房

チャイナ・ミエヴィル『都市と都市』ハヤカワ文庫SF

ケリー・リンク『スペシャリストの帽子』ハヤカワ文庫FT

アレステア・レナルズ〈レヴェレーション・スペース〉(『火星の長城』『銀河北極』)ハヤカワ文庫SF

《SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー》全3巻(中村融編『ワイオミング生まれの宇宙飛行士 宇宙開発SF傑作選』大森望編『ここがウィネトカなら、きみはジュディ 時間SF傑作選』山岸真編『スティーヴ・フィーヴァー ポストヒューマンSF傑作選』)ハヤカワ文庫SF