2023/03/27

薄明り


 埃っぽい崖の下で横たわっている。頭ががんがんして、頬骨は左右の高さが違うし、右足首なんか変な方向に曲がってる。左足は感覚がなくて暗くてよく見えない。違うな、目がよく見えてないだけだ。


 なんでこんなことになってるんだっけ?いつもと同じように学校帰りに教会に隠れて、バレエ教室をサボって時間が過ぎるのをやり過ごしていただけだ。小さな、それでも確かで熱心な祈りに支えられた教会は、マリア像の口が裂けていた。


 踊ったり、飛び跳ねたりしている間だけは、すべてを忘れられたし、私は世界じゅうの時計の針を止めることができた。

 間違いなく私は幸福であった。


 でも、それは私がほしいものではなかったのだ



 崖の下で横たわっているあいだ、ずっとあなたのことを考えていた。小夜鳴鳥のさえずりが夕闇に消える。




2021/02/14

Many Words

言葉なんていらないと思ってたんだよ
言葉なんていらないと思ってたんだよ
言葉なんていらないと思ってたんだよ
言葉なんていらないと思ってたんだよ
言葉なんていらなかったのに

どうするんだっけ?
きみと言葉を交わしたいときは
どうしたらいい?
どうしたらいい?


Many Words - DROELOE

2019/07/12

おれたちはどう死ぬか?!

 どうしたらいい感じに死ねるのか?ということをよく考えている。昨晩寝床に就いてからそのことを考え始めたら頭が冴えてきて、500回くらい寝返りをうったし、トイレに3回行った。

 私はいつも死にたいと思っている。いや死にたくはないけれど、この「死にたくない」は「痛かったり苦しかったりするのはやだな〜」という意味である。例えば今ここで大型トラックが突っ込んできても「あれもこれも達成してない!誰かが悲しむ!死にたくない!」とは思わない。「ゲーッ、痛そ...」と、痛覚が少しでも鈍くなるようにお祈りをして、グチャグチャになる。

 どうしてそんなに生きるのが嫌なのかと訊かれても、そんなの知らん、気付いたらずっとこの気持ちで仕方なく毎日を過ごしているとしか答えようがない。30年近く生きてきて、途中に「死にた~い」が口癖の年頃もあったし、成長するとそういうのはあまりイケてないよなと気づき始めて言わないようにしたりした。根本的なところは何も変わらないけれど、口に出したってしょうがないらしいと理解するのだ。そして私は自分のうちに自分の帝国をつくり、そこでの独裁体制によって孤独を楽しみ過ぎた。死への魅力より生における倦怠感が上回ってしまっている。理由を掘り下げるときっと発見があるのだろうが、それが納得のゆくものである保証はないし、それどころか心が傷つくことさえある。抱える問題が大なり小なり、自分のうちに落とし所というのは存在して、それは理に適っているとも限らない。頭がよいけど要領は悪いひとや、優しすぎるひと、あと余裕がなさすぎるひとは理に首を絞められて殺される。私のような適当な人間はどれにも当てはまらず、きれいな色のロープで自分の首を絞めたり緩めたりして、繰り返してたらいつか痛くなくなって一瞬で終えることが出来るんじゃないかと期待している。そんなに暗くて悲しい話をしてるんではないのです。

 別に世のなかに絶望して厭世観モリモリなわけでもないし、極端に精神が繊細で生きづらいわけでもないし、砂漠の真ん中で孤立しすぎて死ぬしかないような状況でもない。生きている限り、健康や財産や人間関係や自尊心やその他をうまくこなしてゆく必要があるが、それらについて私はプラスの水準に引き上げる努力が難しい。

 いまの会社で病欠をしたことがないくらいには健やかだし、食べ物の好き嫌いもなくよく食べ、いちおう大学を出て会社員をやっている。まだひとを殺したこともないし、ひとの持ち物を盗んだこともない。ちょっとデカくてゴツいだけでちゃんと人間の見た目をしているし、気は利かないが真面目で素直なよいこだ。豊かで充実した生活をしているとは言えないが、さして悪いところはない。このままでいたい。このままがいい。

 しかしながら時は過ぎ、シワが増えたり速く走れなくなったりするので、それを補完するために年齢に比例して年の功パワーを養う必要がある。具体的にはお金をたくさん稼いだり、恋愛や結婚や子育てをしたり、ヘルシーな献立を意識したり、保険に加入したり、あとなんかカルチャースクールに通って社交的にふるまう。大人数で川原に集まりバーベーキューや花火などもする。

 でもそういうのが私にはかなりダルい。社会一般の水準よりもやる気がなさすぎるようなのだ。お給料が増えなくてもいいからいまの仕事量と責任で続けたいし、不摂生をしているわけではないのに大病をしたら仕方ないと諦めるしかない。あんまり事故には遭いたくないけど、運命と諦めることはできると思う。新しいことに触れるには知らない人間と仲良くする努力も必要だがめんどくさい。クヨクヨしたり向上心がないと言われたりするのは心が傷つくし、マイナスだ。少ない油を大切にして回り続ける歯車でありたい。進むにはエンジンが必要だけれど、エンジンを買って整備する金がない。ひとが努力をして100の成果をあげるときに、私は60くらいしか挙げられていないように思う。40を埋めるのが大変だから生きるのも難しいと言っているのではない。無理ではないはずの40をリカバーするためのやる気すら湧かず、60でじゅうぶんよくやっているよと寂しく自分の頭を撫でることに満足している自分にがっかりしているのだ。私は何と闘っているんだろう?

 だから私はゼロにしたくて、いい感じの死に方を考えている。

 でもそういう思想も希死念慮という言葉でまとめられちゃうの、私がとても繊細な人間みたいで誤解を招くし、誰かに相談などしたら腫れもの扱いをされるに決まっているので(ただ死にたいだけでヤケクソになっているわけではないので、生存している間は当たり障りなくやりたい)、こうしてインターネットに向かって書いている。そんなことのためにインターネットを使うんじゃないと呆れるひともいるだろうが、もっとひどい使い方のやつもいるんだからそっちを怒ってからこっちに来てくれ。できれば来てほしくないが…。

 まず、いい感じの死に方の条件は何か?という問題がある。死については、というかこれは生についても全く同じことがいえると思うが、社会・肉体の2つの側面がある。

 社会的な死はTODOにリストアップしておけば淡々とこなせる気がする。存在しない配偶者と結婚して存在しない新居に引っ越すことを想定するとつかみやすい。でも実際にはそんな相手も出来事も存在しないので、行動に移すまでのやる気のハードルが高い。自分のためだけにしか動きたくないけれど、その自分を適切に可愛がる方法をあまり習得できずに歳を取ってしまった。そもそもやる気がなさすぎて死にたいので、やる気を出すためのがんばりをいま考えているところだ。がんばりたくね〜。

 どうしても生きていくうえでは公的な設備の世話にならなければいけない。私が生まれた国では、手続きをしてお金を納めることで生活をさせてもらえることになっている。住居の確保により、寒かったり暑かったりの問題や、ものをしまう場所の問題を解決し、電気ガス水道により肉体を健康で清潔に保つことができる。お金があれば娯楽も楽しめるが、お金を得るには仕事をしなければいけない。もう2019年なのでインターネットがないと厳しい。幸いにして私はインターネットのことが大好きになったので、インターネット会社に登録してインターネット回線をひいて端末に繋いでお金を払ってインターネットをすることが嫌ではない。高いとは思うけども。何回インターネットって書くのか?あと誰でもひとつは銀行口座というものを持っていて、そこに色んなお金を入れたり、逆に使った分のお金を引いてもらったりする。あっちこっちに現金を運ぶのはイかれたやつに襲撃されて危ないからね、銀行を考えたひとはとっても頭がいい。でも銀行もたまに襲撃されて大変らしい。現金でないといえばクレジットカードというものがあって、1枚持っておけば色んなことができる。この仕組みがまたすごくて、後払いなのでお金がなくても欲しいものを手に入れることができてしまう。残念なことに世のなかワルやバカもおり、このズルっ子たちに都合よく利用されてはかなわんので、先に書いた他の例と同じく手続きが必要だ。責任のことはウザいと思うけど同時に大事だと思うし、ルールは守るだけじゃなくて守られるためにもあるのだ。サービスが便利になればなるほど、ものが大きければ大きいほど、享受しようとする人間には大きな責任が与えられ、社会性の鎧はガチガチに固められてかさが増える。でも死んでしまったら中身は空なのにデカくて重い鎧だけが残る。道端に5メートルくらいの蝉の抜け殻が落ちてたら邪魔だし嫌だと思うけど、蝉は飛び立ってしまってもう居ないんだから誰かが片付けなきゃいけない。そんなご迷惑をおかけしないためにも、死ぬ前に色々整理しておくべきだ。

 まず仕事を辞める。職場においていちおう頭数に入っているので、いきなり失踪したり死んだりしたら業務に穴を作ることになり、大変なご迷惑だ。ロッカーの遺品整理とか誰もやりたくないし、そこそこの年数勤めているので馴染みの取引先に説明することもあるかもしれない。そんなのはいい死に方ではない。死ぬやつ後を濁さずである。私はいつ何時でも仕事を辞めたいのですぐに取り掛かることができるが、フワッとした理由だと引き止められてなかなか辞められないらしい。まあでも私はどちらかというと無能なので惜しまれることも考えにくく、トントン拍子に進むだろう。ポンポコリンでよかった。ちゃんと菓子折りなどを持参して、めんどいので送別会などは丁重にお断りして、たぶんちょっとだけ支給される退職金を頂いて、グッバイ・フォーエバーだ。ただし退職時期も慎重に見極めねばならない。あんまり早いと残りの生存期間が延び、生活費がかかって困るのは目に見えている。すべての社会契約を解き、なおかつ走馬灯を手動で回し、そして実行に移すまでおおよそ3か月かと推測する。

 いま入居しているアパートも解約しなければいけない。賃貸物件で死亡した場合は事故物件という瑕疵をもたらすことになり、ついでに大島てるというホームページで火のマークを付けられて紹介される。条件のわりには格安で住まわせてもらっているのに、そんな不義理はできない。契約期間満了のかたちで退去を申し出るのが自然で誰も損をしない。契約書を確認したら出て行くひと月前には教えろと書いてあるので、そうしよう。私はまめに清掃をするほうなので、今まで入居した賃貸住宅で修繕費用を求められたことはないが、自分でも気付いていないキズ・汚れを指摘される可能性もある。それらもきちんと支払ってこそ死ぬ資格があるというものだ。大家さんの手を煩わさないためにも、引き続き自宅を清潔に保ち、丁寧に扱う必要がある。

 アパートを引き払うにあたって、電気・ガス・水道・光回線の手続きを済ませておく必要があり、これは退去日と同日に設定しておけばよい。これらは貸与品であって自分の持ち物ではないので、返却という形で手放すことができる。問題なのは、明確に所有物とみなされるものの処理だ。物理的に身体に近いものほど終わりまで必要になると私はみていて、そのなかでもスマートフォンは生涯の尾先の部分までともに行動することになると思うが、ひとつ問題に気付いた。解約をキャリアに申し出る必要があるが、その月の2か月後に最後の代金引き落としが行われるはずである。基本的に月額料金というものは後払いのシステムであるが、おそらく電話契約がいちばん締め日から支払い日まで長い気がする。プレ死として全ての銀行口座の閉鎖を検討しているが、死の直前にそれを持ってくるとしても、3か月ほどインターネットを手放した状態で過ごさなければならない。それはいやだ。死ぬ前にも迷子になってグーグルマップを見るだろうし、天気予報だってチェックするし、YouTubeで好きなマッシュアップを聴いたりしたい。ウ〜ンウ〜ンって悩んでいたが、いまはレンタルWiFiというのがあるらしい。借りる期間も決められるし、ポスト投函で返却もできるらしい。死ぬ前に郵便局に寄っておけば大丈夫です。世のなかよく出来てるね。レアメタルの希少性についてはずいぶん前から知っているのに、実は初めての携帯電話からずっと歴代の端末を手放していない。そのためそれらすべてをレアメタル集め屋さんに持ち込む必要がある。あと私はアホなのでレアメタルのことをいつもメアレタルって言ってしまう。関係ない話でしたね。

 そして肉体的な死についてだが、これが最大の問題だ。すべての死にたいマンも悩んでいることは同じだろう、とにかく痛いらしいのだ。私がこれまでの人生で一番「痛った〜い」と感じたのはゴルフクラブで顔面をブン殴られたときだ。「ぐ、ぐるじ〜っ」は小学生の頃に道に生えてる草を食べて高熱と謎の発疹で2週間寝込んだとき。3年くらい前にも頭痛と目眩と嘔吐と下痢がいっぺんにやってきてしかも3日続いたことがあって、あれもかなり辛かった。縦にも横にもなれず、座椅子を利用して斜めにしてトイレのドアの前で休んでいた。せっかくの連休だったのに外はものすごい大雨で、激しい雨音が響くボロアパートで悪夢にうなされ、ちょっとよだれも垂らしていた。あれ何だったんだろ?どれも痛いし苦しいし二度と経験したことがないが、私は生きているので、つまり死に至るにはこれより過酷な経験が待っているのだ。死にたくね〜。


 死に方にもいろいろあって、物理的な衝撃によって身体を損壊させる方法、血液や酸素などを減少させることで生命維持を妨げる方法、あとは毒物などでダメージを受ける方法だ。なるべく苦痛が少なく、金もかからず、肉や骨の処理が楽なやり方がいいと思う。トレンドの高所からの飛び降りや鉄道への飛び込みは、居合わせた人間に危害が及ぶおそれがあり、交通機関にも多大なご迷惑をおかけし、あとそんなもん見せられても困ると容易に想像できる。これらをご検討中の死にたいマンはやめたほうがいい。

 私がよく考えるのは、林にあらかじめ穴を掘っておいてそこに棺桶をはめ込み、何らかの方法で絶命+棺桶閉まる+土がかぶさる…の仕掛けだ。大学のアメリカ映画の授業で観たもので、男が銃に撃たれてゴロゴロ転がってそのまま棺桶に納まったシーンがあった。何で棺桶があったのかとかそういう流れは全然覚えておらず、隣にいた友人に「スタイリッシュ埋葬」とか呟いたりしてかなり寒いし不謹慎だった。

 どんなにエンジニアばりにデスゴラスイッチを考えても、いちばんの課題は「痛いのは嫌」なのだ。これを乗り越えないかぎり未来はない。あんまり痛くなかったよ!成功したよ!って方法があったら教えて下さい。

 ほんとうは安楽死を合法化させるのがいちばんの方法だと考えた時期もあったけれど、社会は表向きは人間を死なせないようにしているし、少子化だ何だと言っている日本では成立しないだろう。私は死にたいけど基本みんなはあまり死にたくないもんね。仮に私が国会議事堂前でプラカードを掲げて安楽死させろーッ!て騒いでたら景観に悪いし、あと一般市民はびっくりするし、偉いひとも嫌な気持ちになる。あとで書くけど「迷惑をかけない」ことも重要だと思うので、念願叶って成立しても「でもあのとき色々迷惑かけたんだよな…」って過程に落ち込むに違いないので、これもだめ。あと単純に公安に目をつけられて暗殺されるかもしれない。暗殺されたことないから想像だけど、たぶん怖い思いをさせられた上に時間をかけて惨たらしい方法で執り行われる。痛いのは嫌だからこの議論が始まっているのにこりゃだめだ。悲しくて悔しくて成仏できなくてメチャ強い地縛霊になって第2ラウンドがスタートしてしまうので困るし、この場合はあらかじめ霊媒師も手配しておかなければいけない。でもこの霊媒師も公安の関知するところとなるのか?日本の警察は優秀だからもうこっちを見てる可能性もあるな。

 自分の希望だからといって何でも押し通そうとするのはわがままだ。世のなかを変えるのではなく、自分を世間のルールにフィットさせるという選択肢もある。安楽死が認められている国へ行くというのもひとつの手だ。私は海外渡航の経験がないので当然パスポートを所持しておらず、まずは手続きをしてパスポートを発行してもらう必要がある。お役所のホームページで調べたら、5年使えるもので11000円も取られるらしい。こっちは経済的に豊かではないということも死にたい一因なのに何でそんなにお金を取られなきゃいけないんだ、焼肉に2回行けるがや。なので国内で死ぬことにする。

 警察だってもちろん覚悟はあるだろうが、遺体の処理を頑張りたいです!血まみれの現場のエキスパートになりたいです!って志望するひとはいないと思う。というかそんな動機はだめだし、どちらかというとそんな状況を未然に防いでほしい。いろいろ書いてたらどうでもよくなってきちゃったな。自分が死ぬための話をしているのに、どうして他人の理念に思いを馳せてしまっているのだろう。自分の理念よりも重要度が低いはずなのに。こんなんだからすぐに死にたいとか考えるんだよな。

 前の秋からこれを書き始めているのに、全然実行に移せていないし、平成が終わってしまっていた。私はグズ、誰からも軽んじられるゴミ、心がこんなにねじくれてしまってもうだめ。もう眠る。