人を幸せにする人になろう

神戸海軍操練所の遺構

◆新聞記事で知りました。記事からは壊すという話ではなさそうなんですが、現場は見れるのでしょうかね。とっくに終わっている?

最後は燕市産業史料館

◆ここで新潟大学の先生も合流。展示もあったが見ずに、子供がいるので体験コーナーに。三条と燕は、ともに金物で発展したようだが、仲が悪いのだとか。新幹線の駅は燕・三条、高速道路のインターチェンジは三条・燕。
◆体験コーナーでは、小1の子がスプーンのメッキ、小5の子が錫の皿の成形。そしてわれわれ夫婦は銅製マグカップのタタキをやりました。そうこうするうちに、帰りの電車の時間が近づき、錫の皿の仕上げをしているなか、抜けることにしました。弥彦神社や山屋古墳なども行きたかったところですが、行きたいと思っていたのは豪農の屋敷でしたが、ちゃんと調べておらず、また次ですね。とにかく新潟は広大で、簡単にはまわれません。桜が満開の行楽日和でした。ああ、桜の写真を撮っていない・・・。

長岡市立科学博物館

◆次に市立の科学博物館に行く。1946年にできたというからすごいですね。いまは市役所と文化ホールなどの公共施設がかたまってある場所にあって、最初は違うところにあったそうである。県内第1号の登録博物館だそうです。植物・昆虫・鳥獣、そして考古の4研究室があり、いまはもっと部門が増えています。長岡藩の殿様は牧野というのだそうです。別途、牧野家史料館が同じ建物の上にありました。長岡城はいまの駅あたりだそうで、いまはほとんど城跡を示す地上遺構は残っていないようです。
◆この長岡藩、戊辰戦争時にやられ、城下も焼け、牧野家史料館の展示では、そこからの復興のことや、近代に活躍した人物を取り上げた展示がよかった。米百俵の話が有名なんですね。戊辰戦争後、支藩から百俵が送られたが、領民に配らず、金に換え、それで学校を建てたのだそうです。復興、そして発展を支えるのは人だ、だから学問だというわけです。26人を取り上げた冊子を無料で配布していました。たしかに人材が輩出されている。戦後すぐに博物館を立てたのも、長岡の城下町の学問や文化を背景とするものなのでしょう。

2024年4月14日、新潟県立歴史博物館

◆レンタカーを借り、新潟大学の先生のご家族と一緒にでかける(先生はこの日の大学でのセミナーに出席)。このご夫婦とはインターラッドのスペインでの学会でご一緒し、われわれ夫婦と奥さんとでセビリア観光に一緒に行って以来のおつきあいです(カミサンはその前からか)。大阪に来られた時に、飲みにも行きました。その後、子供を2人出産され、上の女の子が小5、下の男の子が小1になっています。家の近くの最寄り駅で集合し、長岡の県立歴史博物館に向かう。
◆開館の930の10分前に着き、入り口で空くのを待ちました。すぐ横には縄文の国史跡があって展示施設もあるようでしたが、そちらには立ち寄りませんでした。考古系は縄文が特別に部屋があって、火焔文土器がずらっとならんでいました。雪国の生活がひとつの柱で、大阪の住まいのミュージアムのように3階吹き抜けで雪が2階まで積もっている村の様子を再現したものがありました。軒先を歩けるようになっているが、まんなかは高さ数mの雪を積み上げてありました。

2024年4月15日 網野

◆3月の委員会で、2024年度はサイン設置で、墳丘の傷みを補うなどの整備工事は23年度で基本的に完了し、いまがいちばん状態がいいので、ドローンで撮影する話になる。自分でやってみたいと思い、4月はじめあたり行くかもといいつつ、時間はなく、15日となる。10時に現地に行こうとするも、やはり片道3時間はかかりますね。
◆思い出しつつやるも、動画撮影がうまくいかないし、なかなか風が強いこともあり、それほどいい静止画・動画は撮れなかった。20分飛ばして1時間充電というのを4回やったが・・・。

2024年4月13日 新潟

◆授業が始まって第1週目が終わりました。韓国の最後あたりから、のどが痛く、それをず~と引きずっていたので、なかなかしんどかったが、金曜日あたりにはほぼ回復したかなと。博物館実習は、この2年、2クラスでやってきたが、美術史の先生が前期サバティカルなもんで、履修生30名を1人で引き受けることになり、前期はこれがしんどいですね。金曜日、博物館資料保存論は、この2年やっていなかったが、これもサバティカルの関係で、久しぶりに第1回目と第15回目をもつことになる。だいたい80名くらいかな~と資料を刷って行くと、ほぼ100名くらいはいたのかな。金曜日、開講授業が少なく、空いてるから入れてきてるんだろう。増し刷りに戻り、なんとか1時間半しゃべる。
◆今日13日は、新潟大学の放散虫の先生の退任パーティがあり、カミさんに誘われ、ついていくことにしたもの。明日は、レンタカーで新潟を。まあ25年は来てないですね。

2024年4月2・4日 相生市塚森古墳の測量調査

◆4月の345の3日で設定、その後、5日にガイダンスが入ったので234。3日の水曜日は1日雨となった。やったのは、初日の11時現地着後の午後と、4日。2班で3日という見積もりはおおむね妥当なところで、もう1日あればできあがりそうである。
◆墳丘は学生らの1チームにまかせ、こっちは周囲の測量を担当した。そこそこ埋めました(図の黄色)。あとは東側くらいですね。

2024年3月31日 いくつかの書類

◆31日〆切の書類をやっつけないといけません。それと研究費の申請書。それから2日から相生に測量に行くのでその準備。

2024年3月30日 ソウル

◆昨日のことですね。朝は7:10集合。シンギル駅から地下鉄で、漢城百済駅まで行く。地下鉄で隣にすわったおじさんと英語で会話(悲しいが)。日本人とみて、こないだ?、ツアーで下関・広島・広島に行ったというから、こっちは大阪からだと言い、5日目で今日帰るのだと。漢城百済駅に行く方法を、間違わないよう熱心に話してくれる。ソウルの地下鉄は、各停と快速(急行)があって、石村で快速を降りて各停で漢城百済が順当なのだだが、オリンピック公園駅まで行ってひとつ戻るかと思っていたが、とにかく総合運動場で下りろと指示され、言われたようにするつもりはなかったのだが、3人が下りてしまい、ひとりはドアにはさまれる。3人と3人になり、わたしは下りるつもりがなかったので残った3人側。で、次の快速停車駅で下り、オリンピック公園駅と思ったが石村駅だった。地下鉄だが確定と快速があるので、時間調整などで止まっている時間などがあり、もどかしい。ラインで漢城百済で集合としていたが、まあ結局、各停に乗ろうとすると、下りた3人が乗っていたので再び合流。
◆8:30くらいに漢城百済博に行くが開館が9時なので、夢村土城をざっと見る(1周する時間はなく、風納土城も、石村洞古墳群も省略、中央博の時間を2時間程度は取る)。
◆新しくできた漢城百済博に行く。入口を入ると風納土城の剥ぎ取りが出迎えてくれる。TK23の須恵器というのは、並んでいたのでしょうか。探してみたんですけど。
◆地下鉄でイチョンに行き中央博。集合を13時として自由行動。こちらは何度か来ているので、3階からざっと見回り、1階を見て回るとちょうどくらい。彼らは通史的展示の1階を重点的に見て時間となったようです。
◆ソウル駅から空港線に乗ろうとするが、これまた直通は指定で満席、一般となる。まあ16:55発にはちょうどくらいでした。こっちは預ける荷物なしで来ているので、学生ら4人が荷物が出てくるのを待っているところで、あとは無事帰り着くよう言い、先に離脱する。これが19:30くらいのよう。みな無事に家にたどり着いたようです。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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