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2010年01月13日

家電の低周波の不快さをメーカーに「要望」として伝える

皆さま お久しぶりです。お元気でお過ごしですか?

このところ仕事が深夜になってしまい、寝ては起きてはボーっとして仕事へ行き…の日々。
インフルエンザやさまざまなイレギュラーで、常に人手不足の状態です。

PCの調子も今ひとつで、大変遅い。
おかげで、何度も 作業中に寝てしまいました。

さて、
今現在の我が家の様子ですが、あまりひどい騒音は聞こえません。
たまに、深夜に 例の低音が気になることがありますが、日中は軽いことが多いようです。

気になるようになると、今まで気にならなかった音が聞こえてきますね。
低周波の被害を感じている方のほとんどが、これまで気にしなかった音が気になりはじめた
と、おっしゃいます。
冷蔵庫、洗濯機、空気清浄機、ファンヒーター、、、
この季節、在宅中はほぼずっと「コタツ」がついています。このコタツも、案外音が出ています。
昔は全然気にしなかったのに、コタツを切った時に ふと、圧迫が軽くなるように感じます。

きっと1年前の私なら、このコタツの音も苦痛だったと思います。
寒がりなので、ちょっとした寒さも暖房なしではとてもムリです。きっと悩ましかったことでしょう。。

そういえば 昔のあの、赤い光のコタツ。目には悪かったようですが、音はしませんでしたね!?
ストーブも、点火するタイプの古いものは もちろん、モーターがないので音はしませんでした。

正確には、何かしらの音はあったと思います。
コタツの、ちょっとじ~ん、、というかわ~ん、、というような音とサーモの働くカチっという音、
石油ストーブの点火のボっ…からじりじりと赤く染まっていく音、
洗濯機の一定のリズム、

そして、それには独特の匂いが伴いました

ストーブの点火、消化の匂いは 確かに臭いけれど、ちょと郷愁を誘うような思い出になっています。
もっと以前の練炭コタツとみかんとお茶と干菓子の匂いは田舎のおばあちゃんの匂い。
水をぐるぐる書き回す洗濯機の水の撥ねる音と洗剤と水の匂い。
それぞれには不便と危険がつきまとっていましたが、その分、人には知識と勘がありました。
‘人が動かしている’という自負がありました。

今の便利さを否定するわけではありません。もちろん、安全で便利なほうが助かりますし、
そうやって研究し、進化し、その恩恵にあずかっています。
ただ、その進化や知恵は、作る人のものであって、使うほうはさほど労力も進化もしてないのかもしれない、、とも思うのです。

昔の洗濯機など、フタなど取れても まあ、なんとか使っていました。おおらかで大まかでした。
今はそうはいきません。一部が欠けると全く動かないこともあります。
IHの修理などは、一般の者にはできないことが多いでしょう。

物と共に生きる時に、人と物は対等か、使う道具だったのですが、
既に今の機器はほとんどが機器のほうが優位に感じます。

「使いにくい」「音が大きい」「重たい」「もっと楽したい」という思いが家電を進化させてきたのです。
同じように「何だか頭が痛くなる音がしますね」「もうちょっと圧迫感のある音を抑えてください」
などのように、要望を伝えることで、メーカーの方にも 低周波の意識が伝わるかもしれませんね。
‘低周波撲滅!’のような被害者団体的行動よりも、こういう「お客様の声」のほうが、平和に希望として浸透するのじゃないかな と、最近考えるようになりました。

「静音設計」もあり、「低周波アレルギー対応」のようなものも選べるようになるといいかもしれません。
  
タグ :低周波家電


2009年11月18日

新しい「掲示板」型始まります!

ここにはたくさんの方のご訪問をいただいております。

2年前に自分が辛かった時に「こんな場所があったら」と思ったことがきっかけで
前向きで、気楽なブログをつくりました。

おかげさまで、たくさんの方とお知り合いになれました。
低周波の騒音というものが ものすごく不確かで精神的な病気のように思われていたのですが、
確実に存在する「音」であり、精神的なケアをしても「聞こえる」騒音であるということがわかってきました。

しかし、同時に 女性に多い、自宅で発症する、などの共通な点も見えてきました。
決して専門ではないのですが、経験者として 症状の緩和や根本的な解決に繋がれば・・
と、思います。

たくさんの方のお話、メール、メッセージをいただくのですが
私とのやり取りだけではもったいないな と思うことが多いのです。
たくさんの方と一緒に話せたら と、思い、新しいブログを作りました。

こちらでは「新規投稿」ができます。
ご自分で記事を立てることができますので、困っていること、悩みなどをお書きください。
それに対してのコメントも自由ですが、荒らしなどの対応のため、認証制とさせていただきます。
新しいカテゴリーもどんどん立ててください。
皆さまのお越しをお待ちしてます!

http://otonohanasi.junglekouen.com/
  


Posted by まあ at 13:18Comments(2)低周波

2009年11月05日

どうやって過ごしてますか?

低周波に悩むみなさん、
これから寒い季節になると あらためて 音について考える機会が多くなりそうですね。

さて、
いろいろな方からメールやコメントをいただき、
この問題の根深さや難しさ、そして、悩みや状況を話していくことの大切さを感じます。
ひとりで悩んでいる時って、本当に辛いですからね。

そこで、このカテゴリーでは
いかにして克服・軽減しているか、どうやったら楽になったか などを紹介しあう というのはどうでしょう?
素人技で もちろんOK。個人的な気持ちの問題でも、何でも構わないので
「こんなことしてみました」というものを教えてください。

対応の中から、もしかしたら 根本的な解決の方法が見えてくるかもしれません。


ちなみに、
私の軽減方法は これからの季節「ファンヒーター」です!
夏は「扇風機」でした。
自分の方に向けていると、少し和らぐ気がします。
周波には周波 ということで。
  


2009年10月06日

ものの感じ方

このところ深夜には低い音が鳴ってます。やはり季節によって頻度が変わるようです。

音はし続けてますが、気にする私のスタンスは変わってきました。

おそらく去年は毎晩耳栓して音楽かけても眠れずに冷蔵庫のそばで本を読んだりしてました。
どうせなら、自分の家の音のほうがマシだからです。
どこの何かわからない不快な音は、それだけでストレスが増し、悪意すら感じてしまうからです。

世の中には音や花粉や黄砂や光化学スモッグや、虫や動物の毛や、特定の音、食べ物、花、、
それぞれに反応する人がいる。反応しない人もいる。。
「気になるな・・・」という程度から始まり、過敏に反応してしまうようになったりもする。。
なぜだろう?体質もあるけれど、そのほかにも何か理由があるんじゃないかな?と考えるようになりました。

私の場合‘私はこれに反応する’と決めた時から、世の中は低周波音だらけになりました。
低周波を調べれば調べるほど詳しくなり、知識をつければ避けられるのじゃないか?と思ったのに、
かえって気になりはじめ、更にいろんな場所で音を拾いはじめました。


ある時、「反応する」ことをやめればストレスは入らなくなるのじゃないか?と思ったのです。
変な理屈のようですが、「そういえば私は花粉なんて全然平気だな」と気づいた時、
‘花粉には反応しない’と決めてるからなんじゃないかな? と。。
まあ、もちろん屁理屈なのはわかっていますが(笑)
大変な時期には何にすがってでも楽になりたいものです。(よね?)

実際聞こえてる音に対して「聞こえない」とは言えないんだけど、
「これには過剰に反応しないぞ」と、決めれば、少しは楽になるんじゃないかな?と。苦肉の策でした。

結果は??成功したと言っていいと思います。
今は耳栓をすることもないですし、原因を探ろうと出歩くこともしなくなりました。

まあ、たまにはやはり耐えがたい気持ちになることもありますが、
だったら割り切ってパソコンや読書を 眠くなるまで徹底的にします。
それはそれで身に付くこともありますからね。

「なぜ?なぜこんな目に遭うの?」「なぜ?誰がこんなことしてるの?」「一生聞こえて苦しむの?」
そんな風に毎日毎日、苦しい思いをされている方がほとんどかと思います。

明らかに原因が目の前にあるならば、ぜひ、それを取り除く工夫をしてください。
冷静に、適格なところへ相談したならば、きっと何かしら改善されるはずです。

原因がどこにあるかわからないという方、・・・私もそうなんですが、
「おそらくエコキュートなんだけど人の家の敷地内に踏み込まないとわからない」などの理由なら
‘それを何が何でも見つけて解決する!’という強い意志と体力と知識を身につけて向かえば
それもきっと解決すると思います。
‘そこまでするにはいろんな面倒な問題が山積みで、今の体力じゃちょっとなあ・・・’
と、いうことなら、とりあえず今は、自分が楽になる方法を探ってみるのがいいのじゃないかと思います。

ちなみに、当時の私がやっていたことを挙げてみます。
・冷蔵庫のある場所で本を読んで過ごす
・音楽を聴く
・テレビをつけっぱなしにする
・飲酒
・喫煙
・普段節制して、音がしたらどんな時間でも好きなものを食べる
・ネットサーフィン
・仕事
・耳栓をしてさらに音楽をかけてさらに布団をかぶって、枕に耳を押し当てて自分の息に集中
・いっそ音のする時間に働く・外に出る
・スピリチュアルな方向から分析する
・科学的に和らげる方法を調べる


・・・不健康ですねicon
でも、とにかく自分の心が病まないように!というのが一番の目的でした。

心が病むと症状は悪化します。
他人に話す時も、機関に相談する時も、とにかく心は健康でないとうまくいきません。
難しいですが、「音は気のせい」「耳鳴りの一種」「精神的な病気のせい」と言われてしまいやすいのも
たいていは本人の心が病んでしまっている時に相談するからではないかな と思います。

やはり、不健康な状態では訴える力も、事実も、伝わりにくくなってしまいますよね。
  


Posted by まあ at 01:50Comments(4)低周波

2009年08月08日

幸せの図式

おひさしぶりです。

PCは元々ちょっとおかしなヤツでしたが、ついにネットができなくなってしまいました。
1台目PCの治療中、2台目のノートPCを家族で奪い合って使っています。
なので、更新もとても遅くなってしまいます。

そんな中で、ブログをたずねてきてくださった方、メールでご無沙汰の方、
無礼をお詫びいたします。申し訳ありません!

さて、
久々にこうして書いていると…今明け方なんですが…やはり何かしら音がしています。
波打つような低音が響いてきます。
やはり意識してしまうからでしょうか。
実際、毎晩聞こえてはいるんだと思いますが 全くと言っていいほど気になりませんでした。
もう数ヶ月間 耳栓もしていません。

どうも意識を向けると不快に聞こえてしまうみたいです。

ここ数ヶ月で仕事の量が激増しました。慣れない事務や責任の負担が増え、立場も変わり、
部下から文句jを聞かされ、上司から叱責され、日々ストレスです。
ほとんどが夜勤で、帰るのが深夜になることも多くなりました。
そもそも体力がない ヤワなヤツなので、すっかり参ってしまい、
正直言って「それどころではない!」 ・・・という状態なのです。

私の場合、いろんなことを同時に処理できない単純な作りらしく、
もう、仕事のあれやこれやでクタクタになってしまって
深夜に帰ったら バッタリと寝てしまうようになりました。
午前中も2度寝してしまって、昼頃から勉強して、その後職場へ…そんな繰り返しで
少ない体力と気力を使い果たしたら 正に「それどころじゃない」と、隙あらば寝てしまう。。

音を拾っては苦しんでいたことを思うと、これはこれで それなりの解決法だったかもしれない
とも思います。
人間(私だけ?)ヒマだとろくなことを考えないなぁ~ というのが最近の感想です。
エネルギーが余ってるとあれこれ考えてしまいますね。
そして 同時に、「代替のストレスを抱えてるのだろうか?」とも思いました。
私は負荷を望んでいるのかもしれません・・・。

「辛いことを乗り越えてこその幸せ」=「辛くないと幸せになれない」
…という図式が頭の中に出来上がっているのかもしれません。
ぜひ、断ち切りたい連想です。
  


Posted by まあ at 04:43Comments(0)ストレス

2009年05月29日

嫌なヤツがいる

職場に嫌なヤツがいます。

まあ、大抵 どこに行っても「嫌なヤツ」はいます。
というか、嫌なヤツは「発生」します。

知り合う前は、もちろん、「知らない」から嫌じゃありません。
関わり、不快な思いを何度が体験し、だんだんと「嫌なヤツ」になっていきます。

そのうち、特に何をするでもない時にも その人は「嫌~な人」というオーラを発しはじめます。
何も言ってないのに態度が不愉快
挨拶の返し方が不快
ちょっと言われたことにムカつく
何も言わないことにもムカつく
話しかけられたら「何か嫌なことを言うだろう!?」と思い、ムカつく

・・・結局 何をしても、しなくても「嫌」になってしまうみたいです。

実は当人は「嫌~な人オーラ」なんて発していません。
受け取る私が その人の発する全てに「嫌な何か」を色づけしているのです。

なぜ、そんな面倒くさいことをするんでしょうか?

私の理由は次の通りです。
「あの人はきっと私の邪魔をする」
「あの人がいなければもっとずっと快適」
「あの人のせいで全てがうまくいかない」

ある日、「結局彼女と思いっきり関わっていて一日中彼女のことを考えているのではないか?」
と、思いついてしまってショックでした。

全ての理由が彼女を経由してやってくるのです。

すっごく嫌いなのに。
まるで好きな人のことを考えるかのように、ほぼ一日思い出しては不愉快になっていました。

実は今も ちょっと不愉快です。。

何やってるんでしょうか…

こんなに時間と気力を費やすなんて、どう考えても無駄です。

今はその人と「波調」が合ってしまってるんでしょう。向こうも同じこと思ってるのかもしれません。
だからバチバチと意識し合うのかもしれません。

好きな者同士なら相思相愛なのにね。

もしかしたら 恋愛の気持ちと同じ所を使っているのかもしれないな…と、ふと 思いました。
好きで好きで ずーっと考えてしまう時も 同じように「ストレス」を抱えてるのかもしれません。
自分の気持ちを発して、それが相手に投射されて はね返ってくるものを見て
勝手に ああだこうだ と、思い悩んでいるのかもしれません。

せめて関わっていない時には できるだけ思い出さないようにしよう と決めました。
つい、考えてしまっている時には 努めて「ま、別に関係ないけどね」と言うことにしました。
「私が気にするほどの人じゃないしね」 と、脳に言い聞かせることにしました。

きっとそのうち「関係 なくなる」と思います。
口癖が人生を作る と言いますからね。


  


Posted by まあ at 02:00Comments(0)ストレス

2009年05月28日

脳が選ぶ

実は今もぶ~ん という低音が響いています。
この時間になると深夜料金で様々なものが稼動するのでしょう。
最も苦手な低音がぶお~~んぶお~~んと鳴っています。

私は以前音楽を専門にやっていました。その時に「聴音」と言って音を聞き取る訓練をずいぶんしました。
メロディーの演奏を聞き取り 同時に楽譜に起こしていくのです。
単純な旋律だったり、複雑に休符が入ったものだったり、和音だったりもします。
その作業では 音に対してものすごく集中します。

以前にも書いたと思いますが、絶対音感があるので、大抵の音はドレミで聞こえます。
だから、聴音はごく自然にできるのですが、
これが普段の生活の音でもドレミ…「音楽」として聞こえるので、
今度は逆に 神経の休まる時がないのです。
雨音、水道の水滴の落ちる音、そしてもちろん 低周波のような低音も
もし、何かで再現しろ と言われたらできます。

集中して「聴き取ろう」としなければ少しはやり過ごせますが、やはり「聞こえてしまう」ことがほとんどです。
聞きたくないものには自在に耳をふさげたら どれだけ静かで落ち着くだろう と、思います。

音楽に対しては「聴く」 物音や言葉には「聞く」という文字を当てはめますが
「きこえる」ことに対して、それを自ら選べたらいいのに・・・
つまり、脳の中で「必要」と判断し「聴こう」とすれば聞こえ、不要なら「閉じる」
という処理ができたらいいのに
・・・と、いつも思います。

最近の ちょっとしたオン・オフができるのは これに近いかもしれません。
不快だから何が何でも許さない!追求して絶ちたい!と思うと、脳はより音を探るようです。
こうして ブログを書き始め、ちょっと気にするようになると、途端に低音が明確に聞こえ始めます。
反応っておもしろいものです。

今時の「引き寄せの法則」ではないけれど
「何なんだ?なぜなんだ?」と問いかければ答えを探るために 脳もエネルギーも働き始め、
「これが答えだよ」と、問いかけたのと同じ数の回答を受け取るのかもしれません。

だから、「なぜこんな目に遭うの?」 という問いではなく
「事実存在するようだけど、私は影響を受けたくないな」と、繰り返し考えるようにしています。
つい、「不愉快だ」と思ってしまうのだけど、その度に「でも気にしないでいいよね」と、いうふうに
打ち消すことを繰り返していました。

そうすると、ちょっとずつだけど 自分の言葉に「脳」が納得していくように思えます。

ちょっとカルトっぽいでしょうか?都合がよすぎる?

でもいいんです。自分が救われるためにはどんな手だって使っていいのだ!
と、決めたのです。

体は魂の入れ物 と言いますよね!?
だったら大事に使おう。不快を取り除き、魂である「自分」のために使いこなそう。そう思います。

とにかく、この不快な現象は「期限」がある!そう思うことです。
永遠に続く現象はないのですから。
現象が変化するか、自分が変化するか、それはどっちだっていいことです。

「いつまでもいいことばかりが続くはずがない」というのは信じられやすいようです。
私も、つい そう思ってしまいがちです。
だったら
「じゃあ悪いことだって続くはずがない」と、必ず付け加えてみることにしています。







  


Posted by まあ at 02:25Comments(0)ストレス

2009年05月26日

低周波問題 解決へ向けて



今、実際には音は鳴り続けています。

しかし、なぜだか「ちょっと気になる」程度までになりました。

音に集中し、不快感を憎悪し、犯人を捜し、全てのうまくいかない原因だと突き上げれば

恐らく今だってすぐに あの、苦しい日々は戻ってくるでしょう。

スイッチを切る  そんな表現がちょうどいいかもしれません。

スイッチのオン・オフができるようになった そんな感じです。

始まりに根拠がなかったように、今の状態も、根拠も保障もないし理由もわかりません。

ただ、精神的な面での工夫はかなりしてきましたので、

もし、他愛ない つまらないことでも、誰かが同じように救われれば…と、思います。

もし、不快に感じる方がいらしたら申し訳ないです。

ただ、ひとつ言いたいのは

その問題はあなたの一生を使うべき事柄ですか? ということ。

一生闘う・一生かけて解決していく・一生向き合っていく…そんなものでしょうか。

それが、誰のせいであれ、何のせいであれ、一生を費やすなんてもったいないです

どんな幼稚な策でも、どんな陳腐な思い込みでもいい とにかく楽になりましょう

ここからは、自分がやってきた対策や、あらゆる考え方を書いていきます。

医学的でも法律的でもなく、気持ちの問題から 解決への取り組みを考えてみたいと思います。

  


Posted by まあ at 23:45Comments(12)低周波

2009年05月01日

低周波騒音 解決へ向けて 1

かつての低周波の被害が、今はほとんど気にならなくなりました。

周囲の環境が変わったのか、自分の状態が変わったのか、

それははっきりとはわかりませんが、

とにかく、あれほど毎晩悩まされた低周波の症状が、今はかなり軽減している ということです!

音源になるものが無くなったのか、共鳴が何らかの理由で減ったのか、一時的なものか、

始まった時も今も「なぜ?」と思うことばかりです。ちょうど1年ということになります。


一旦 感知できるようになってしまうと、あらゆるものが聞こえ始めて、日常生活も苦しくなっていったあの頃、

自宅の冷蔵庫も、コンビニの冷蔵庫や室外機も、頭や胸に響いて耐えられなかったものです。

そういう外的環境が それほど激変したとは思えないことを考えると、

やはり 心的要因もかなりあったのだろうと推測できます。


今、音に苦しんでいらっしゃる方へお伝えしたいのは

どんなことも 永遠に続く なんてことはない  ということです。

その苦しみが一生続くなんてあり得ないんです。

まず 希望を持ってください。実際 私はごく普通に生活できるほど気にならなくなったのですから。

・・・とは言え、やはり実際に存在する「音」であることは確かですから、

おまじないや気休めで解決できることではない ということはわかっています。

しかし、自分自身の生み出す恐れが 被害を倍増させているかもしれないのです。

専門知識はごく僅かなくせに無責任だ と非難されるかもしれませんが、

今 苦しんでいらっしゃる方へ、明るい方向へ向くための考え方のひとつとして提案いたします

はその音、周波が気になっているに過ぎない」 と考えるのはどうでしょう?

低周波に限らず、同居する人が気にならない音が 自分には気になる という場合、

恐らく 自分の体調、状況、精神状況などが その音の周波に反応してしまっているのでしょう。

全てのものは波動である」と言う学者もいます。

とても気になる好ましいものがあるとしたら、自分がそれに「共鳴」しているのです。

つまり、逆に 低周波音にも「共鳴」しているのだと考えるとどうでしょう・・・?


ギターなどの音を調弦する時に使う(今はあまり使われていないかも…)「音叉」(おんさ)をご存知ですか?

先の部分を物にぶつけて振動させ、下の丸い部分を机などにくっつけると「ぽーん」と音が鳴ります。

机が共鳴して鳴るのです。自分の頭にくっつけても音が聞こえます。自分の頭蓋骨に共鳴するのです。

低周波の振動は それに似た感じがあります。

自分の場合は 初め 頭に響き、次に胸に共鳴するように不快感を覚えました。

今も 「共鳴しよう」と思えば 同じような不快感を感じますが、その逆もできるようになりました


例えば 明らかに家の前に音源があって 低周波・高周波などを含む普通騒音があるとしたら、

精神論だけでは もちろん解決できないと思います。原因を探り、相談し、物理的な解決も図るべきだと思います。

自分の感情や精神状態を知り、状況を冷静に把握して、双方から解決していくのがいいのではないか

と思います。




  


Posted by まあ at 00:58Comments(0)低周波

2009年02月08日

取るに足りないこと それでも。

ずいぶんなご無沙汰になってしまいました。

仕事も忙しくなり、PCもダウンしてしまい、長い時間 書き込むことができませんでした。


音に関して 意識して気にしないように 鈍感でいるように と過した数ヶ月でした。

低周波と思われる音は相変わらず断続的に聞こえます。

しかし、今は耳栓をして寝ることも少なくなりました。

音が小さくなったのか、季節で環境が変わるのか、精神的な変化なのか、わかりませんが、

ひとつだけ思い当たることは

低周波は、実際の被害はともかく、それを受け取る側の精神状態によってかなり左右されるということです

私はこの数ヶ月、仕事内容が激変し、深夜に帰ったり朝から出たり 生活もとても変動的でした。

役職も変わったので精神的なプレッシャーも大きくなり、疲労もかなりありました。

そんな時こそ被害も大きくなりかと思いきや、

実は「それどころではない」とさえ思うことすらありました。

突然 別の店舗に数日間行くことになったり 部下を持ったり、葛藤が大きかった時には

音が鳴っていることはわかるのだけど そこに集中できない状態になったのか 

以前ほどの苦しさやパニックを抱えることもなくなりました。


今の段階で思うことは、

「エネルギーが余ってたのかな…?」と。。

そこに注ぐエネルギーがあったということなのかもしれません。


様々な方法で、せめて精神的な被害だけでも軽減しようと努力してきました。

 「体力的にも精神的にもくたくたになるほど何かする」というのもひとつの方法かもしれないな と思います。

経験的に、音の事実から目をそらすということは やろうとすればするほど意識してしまうのです。

それだったら「それどころじゃない」ほどのプレッシャーを自分に課すことで 結果気をそらすのはどうだ??

まあ、そう意識したから忙しくなったということではないでしょうが、

結果的にはそれで症状は軽減されています

一時の「藁をもすがる思い」状態の自分ならば こういう取るに足りないような経験談にもすがったでしょう。。

今 被害に苦しんでいる方

とにかく 一人っきりで異常なことに苦しんでいるわけではないんです。だから抱えこまないでください

実際に存在する音に対して反応しているのです。同じ経験者はたくさんいます

ただ、実際の被害よりも、精神的に追い込まれていく2次的な症状のほうがはるかに辛いんです。

だから、せめて経験者同士で話して、取るに足りないようなおまじない的な情報でも交換しましょう。

一人っきりで苦しまないでくださいね。



  


Posted by まあ at 00:38Comments(0)低周波

2008年11月02日

気にするな

にしすぎなんやね」「にしないように」

低周波の騒音の話をすると、たいていこう言われて話は終わる。

聞こえない、見えないものに悩まされてる人に対して、やはりそう言うしかないかもしれない。

が見える」と言われても、それを共感することはできないので こう言ってしまうかもしれない。

「気にしなくてもいいけどね、キミの側に居るんだよね」と言って怖がらせることはできる。

「聞こえない音だけど確実にあなたの脳にも届いていて、肩こりや頭痛の不調はそのせいかもよ」

と、言ったら、まるで変な宗教かマルチ商法の信者かと思われてしまう。


時々、本を読んだり他人の話を聞いていると、

「あら、これは低周波なのでは?」と、思うことに出くわす。

寝ても肩が凝って…頭が重い…なぜか眠れない日は台所に行くと落ち着く…」等々

そんな表現は低周波被害の人と同じだったりする。


台所というのは、大抵の家庭が冷蔵庫を置いていて、それが休みなく音を発している

特に「低騒音設計」だと、音を低くして聞こえにくいようにした結果‘低周波’の範囲になっていたりする。

外から来る低周波や、自宅の家電の低周波で 耳には聞こえなくとも脳や体が振動を感じ取って疲れている時、

冷蔵庫などの音源の側に行くことで、それらが一時的にマスキングされて楽に感じるのだと思う。

実際 自分も眠れないほど気になる時には「えい!」と起きて台所に行く

そして、ワインやお茶などを飲みながら 本を読んだり勉強したり、眠気が勝つのを待つ。

時には朝になってしまうこともあるけれど、以前のように切羽詰った感じには あまりならなくなった。

「眠れなかった 音が聞こえるせいで。これがある限り安眠できないんだ、これをナントカしなければ…

仕事にも差し障る。このまま体調を崩したり精神的におかしくなったりするかもしれない…」

と、パニックになったり鬱になったりしなくなった。実際 数ヶ月前には結構 そういうこともあった。

けれど、最近はつとめて できるだけ冷静に、そして 不快をあまり溜めないように心がけている。

人の不調の原因が低周波じゃないかな?と思う時も、

まくしたてたり専門のサイトや本などを勧めたりせず、「こういうこともあるみたいよ」とだけ言う。

興味があるようなら もう少し話をすることもある。


様々なことで 被害者でありながら なかなか理解されない種類の人たちの訴えや運動を見ていて

自分なりに行き着いたのが、この「冷静さを保つ」ということ。

誰だって禍々しいものには近寄りたくない。ノイローゼか変な勧誘や変な信者みたいな人の言うことは聞きたくない

自分の環境を呪っても、涙ながらに訴えても、

「だったら引っ越すとか、音源捜して訴えたら?」と言われると思う。

もし、自分が被害者でなければ、目の前の完全にノイローゼ気味の人に対しては そう言うと思う。


それが、必死さからくるものであったとしても。人は不幸には本能的に近寄りたくない

冷静に、穏便に、でも自分は卑下しないようにしよう と考えるようになった。

状況を伝え、理解してもらうには それがいいように 今は思っている。


それでも今は微妙な時期で、ちょっとしたことで気持ちが萎えたりイラっとしてしまうこともあるので

あえて 低周波を扱うサイトや闘っている人のブログは見ないようにもしている。

気にしない」ことの効能の実験中 と言ったところ。。。


ただし、分析や 軽減するための方法などは 冷静に現実的にやっていこうと思っている。

実際に耳に聞こえる ということには変わりないし、それがなければ万事解決なのだから!


今も、夜中に何度か目が覚めたり 頭がモヤモヤするときには「ちぇ」っと思う。

「まあいいか、あの本読んで あのワインを開けよう」と、ご褒美を用意して

禍々しい方向に向かわないように、ちょっとしたお感を持つようにしている。

それで何とかなる自分は ちょっと成長したな と思う。・・・ことにしている。









  


Posted by まあ at 14:48Comments(0)低周波

2008年10月21日

行間とタイミング

自分の好きなものを含めて 何度かコンサートやイベントに出かけましたが、

そのたびに 会場の雰囲気って大切だな と感じました。

大きな会場でも、すごく盛り上がる時とそうでもない時があるのは、

客席からの拍手や掛け声やマナーなど、雰囲気によるんじゃないか と思うのです。

アーティストの仕掛けやねらいを感じ取って受け止めて楽しむ雰囲気だと 本当にいいものです。

いいな と思ったものは数多いですが、そのどれもが タイミングがとてもいいのです。

拍手だとか掛け声だとか、とてもスマートで 「ここで一声ほしいな」という時に口笛が聞こえたり、

音楽のない間合いもずっと繋がっているような とてもいいタイミングなのです。

そして それらが他人を不快にしない。これが最も大切なルールだと思います。


がっかりした例もあります。

アーティストが話しをしている途中で「お!それは●●!?」と横入りする。それも何度も。

周囲も冷めた笑いで やめるよう促しているけれど 当人は全く介せず。

そして、最近最も多く感じ 不愉快なのが、

曲の終わりになると拍手をし始める というパターン。

そうしたほうが盛り上がるものだってあります。終わりまで待てない!ブラボー!ってこともあります。

でも、全てがその調子。

歌が終わり後奏になると「終わる終わる パチパチ」 

静かなクラシックでもそういう人がいて、本当に文句を言いに行こうかと思うくらい腹が立ちます。

台無しじゃー。

余韻’というものを楽しみませんか・・・?最後のひと音…奏者が目を閉じ静かに手を下ろす…

そうして皆でタメイキと共に静かに拍手が起こる… 理想です。

個人的に その瞬間はくしゃみやセキなど死んでもするな!と言いたい。

そんな、音の無い間合いにこそ奏者の意図が働くように思うのです。

近頃 番組を見ていると そんな悠長なことやってられない とでも言うように

まるで間を空けてはならないかのように、次々と展開されていきます。

それを見て育つ若者には、「間合い」など体感できないかもしれません。



文章だって同じく。

何もない行間にこそ 筆者の意図が書かれてあるのだ」と、ある人が言っていました。

行間 ・・・ そこに心の動きがあるのです。それは読む自分の中で起こる体験。

自分の中に沸き起こる感情があるからこそ、読書は「体験」になるのだと思います。



近頃は会場に足を運ぶことが少なくなりました。他人の影響を受けたくないからです。

できるだけ県外に出かけ、自分が「お客さん」の立場で居ると、少しは楽に感じます。

大分のような中規模な会場だと 周囲の人がとてもリアルで、気になって仕方ないのです。

申し訳ないけれど、大分別府の大きな会場で純粋に音楽などを満喫した経験がありません。

「受け取る・受け入れる・雰囲気を大事にする・雰囲気を作る」という観念があまりないように感じます。

よほど高額なチケットでもないと 不快な思いをする確立が高い。

高額で高度な催しでも「0」ではないですから。


奏者・客席・空間・時間 全てがそろった奇跡のような瞬間。

小さな会場などだと そういうことがたまに起こります。

そういう場では個人がとても大きなファクターになり、本人もそれを自覚しやすいからかもしれません。

もしくは とても大きな会場ともなれば「現象」のようになって‘個’が目立たなくなるのかもしれません。

そんな 素敵な奇跡を味わえるといいな といつも思います。










  


Posted by まあ at 22:20Comments(2)ストレス

2008年09月29日

色覚障害



今日 新聞を読んでいて気になる記事に出会いました。

大分合同新聞9月28日朝刊 ニッポンの現場 記者が行く

色覚障害者の見え方と差別について

記事によると、色覚障害のある方の見え方の特徴は赤と緑などが識別しにくい色なのだそうです。

一般に、避難誘導の看板やプレゼンでの‘見やすい表’は、色などを使うことが多く、

実は 色覚に障害のある方には、それは却って区別しにくいものになる ということを、

恥ずかしながら 私は初めて知りました。

ワインの赤い色が濃い緑色に見える と言うことを知って衝撃でした。

自分の世界の小ささを痛感させられました。


愛知県のレンズメーカー「伊藤光学工業」という会社では 色覚障害の方の見え方を体験できるフィルターを

世界で初めて開発したのだそうです。(バリアントールというそうです)

それを通して見ると、黒地に赤の「キケン」の文字は背景に同化して見えないことや

カレンダーの休日や土曜日などもわからなくなるということです。

世の中の「当たり前」が一部の人にとって不便だったり危険だったりしてはいけないのですが、

実際 色覚障害のある人にとって 赤い文字での警告や「青ならOK」という定義は

命に関わる重大な事故に繋がることなのですね

だったら 休日が他の色でも 健常者には全く構わないことなのだから変えればいいことです。

ましてや、避難のための誘導や政府の配布物、危険を知らせる看板は 即刻変更すべきです。

なぜ そうならないか…!?

それは きっと習慣と無知だからでしょう。

「自分たちは困らない だから変えなくてもいい」 ではなく、事実を知ったのならば、

そして 変えてもさして困らないことであれば、すぐに 誰にとっても安全なものに変えるべきだと思うのです。


実は、以前一緒に働いていた男性が 色覚障害のある人でした。

それを知ったのは、彼が職場を辞める直前でした。

彼はそのことをあまり語らなかったので、知っている人はごく僅かでした。

どれだけ苦労があったことか、どれだけ工夫をしていたことか。そして、私もどれ程彼を無神経に傷つけたことか

知っていればもっと彼の世界を教えてもらい安全な工夫ができたのに と思います。


このような記事を もっと多くの人に見てもらい、もっともっとたくさん取り扱ってほしいと思います。

健常と思って見過ごしている日常を、無知を、無神経さを、私はもっと自覚しなければいけないと思いました。


厚生労働省は2001年「差別を無くすため」に労働安全衛生規則を改正し、採用時の色覚検査を削除したそうです。

が、それが一体何の意味があるのでしょう!?

検査をしない・知らない・差別しない…という図式? 無ければいいのか?と問いたくなる所業です。

ちゃんと知って、皆で改善すれば 結果誰にとっても過ごしやすく安全になるのではないでしょうか?


見た目にわからない障害をお持ちの方、人にわかりづらい苦しさをお持ちの方

もっと声を挙げて 世間に知らせてください。

決して 我慢すればいい、知られたら恥ずかしい、どうせ解らないなどということはないと思います

ぜひ もっと知識を深めたいと思います。


因みに、「障害者」はよくないということで 表記を「障がい者」にしよう・・・といわれますが、
個人的に そんなことはどうでもいいことで、もっと他に大切なことがあるだろう!?と、思っています。
「害」を「害がある」などと思い違う人などほとんどいないと思います。大体不自然に感じます。
故に、文中では「障害者」と表記しました。不快に思われた方には申し訳ありません。
また、新聞の記事でも同じく「障害者」と記してありました。



  


Posted by まあ at 00:35Comments(3)

2008年09月23日

低周波と2012年



今日は 少しスピリチュアルな視点から考えてみようと思います。

2012年 …と言ってピンと来る方も多くなってきているでしょう。

「ノアの箱舟」「ノストラダムス」と同じように考える方もいらっしゃるでしょう。

様々な説がありますが、マヤ文明の万年時計がこの年で止まっていることから、
人類滅亡の日・地球最後の日などとも言われています。
いやいや、そんな終末的ではなく これまで当たり前だったことが変化し、人類がその変化の波をかぶって「進化」するのだ
…等々…

アセンション フォトンベルト 等の言葉が出てくる方は、かなり詳しい人ですね。

そのようなことと、もうここでは聞き慣れた「低周波」を繋ぐのは
あまりに短絡的で現実逃避か?と思っていましたが、先日 気になる記事を見ました。

ナンシー・クラークさんというNLPの資格を持った催眠療法士であり哲学博士でもある方が
ある雑誌でこんなことを語っています。

「地球がシフトを迎える時期は、人間にもトランスフォーメーションが起こる」
人間の感覚が変わってきて、これまで見えなかったものを見、感じなかったものを感じ、
聞こえなかったものが聞こえるようになる…と。
彼女は、その「人に起こる変容」を15年も前から研究し続けていたのだそうです。

ここ数年でエネルギーやオーラの理解が急速に深まっていることも、そのひとつだと言います。
江原さんや三輪さんのおかげ…と思ってしまいがちですが…(笑)
事実、数年前までは「オーラ」というだけで「オカルト」と言われたのです。
スピリチュアルという言葉自体、一般に抵抗なくなったのも ほんのここ数年のことです。



音に限って かいつまんでご紹介しますと、
耳の中で音が鳴るような感覚を覚える人が増えている

・人間の聴覚が敏感になり、携帯電話の中継塔の周波、人工衛星の通信の波動などが聞こえる人もいる


・聴覚の進化に伴い「第三の耳の感覚」が発達する
 耳鳴りや頭の中で鳴る音と勘違いしがちだけれど、次元を超えた空間からのメッセージが発信されている

・それらは 音が直接頭の中心辺りで聞こえることもある

いかがでしょう…!?スピリチュアルや精神世界と呼ばれるものを拒否する人には とんでもない非現実的な話かもしれませんね。

私自身、精神や心理の探求はとても興味があるので こういう説はすんなり受け入れられます。

例え「調子のいい話」と思われても、実際に 自分だけに聞こえる音が鳴り、これまで考えもしなかったことに向かい、
日々「これは一体自分にとって何なんだ?どうしてこんな目に遭うんだ?」と考え続ける暮らしをしていれば、
この説は パニック症候群や鬱に陥ってしまうよりは ポジティブで建設的な考えだと思うのですが。

ナンシー博士は更に

記憶力の低下…これからもっと重要なことを学ぶために必要ない記憶を失う

喪失感・失望感…現在の世界はこれに見舞われている!?

視覚の変化(オーラを見たりすることも含め)

悪寒…話をしていてゾクっと鳥肌が立つ感覚は 話の真実性を物語っている

飢えと渇望…強烈に甘いものが欲しかったり、特定のものへの欲求が強く出る

…等も、これから来る変容(トランスフォーメーション)に備えての肉体的変化 と言います。

つまり、地球でたかまりつつある周波数に合わせるための変化であり調整期間である と。

忘れても、がっくりきても、あらぬものが見えても 聞こえても、やたらチョコを食べたくなっても、
それは決して病気や悲しむべきことではなく、正しい進化の過程だ!というのは 
都合はいいけど でも、何て励まされる言葉だろう!と、思いませんか?

不幸に思えることはプロセスで、その数の分、そして それに向き合った分、
その後のせはやってくるのかも!? と思えば、全てが無駄だなんて決して思わないのではないでしょうか。

いろんなポジティブシンキングがありますが、私には今これが最もしっくりきます。


ありがたいことに
「こうした症状は長くは続きません。これらの変化を恐れず「進化のしるし」として歓迎しましょう
と、彼女は言っています。

ちゃんと冷静に向き合って受け入れればいいのじゃないかな と思います。


「そうか…じゃあ この音を大好きになろう」・・・なんてことはやはり無理です。
 もちろん、ずっとさらされていれば幸せになれる・・・というのも無理です

いかに自分に肉体的な変化が現れているからだとしても、やはり人工的な低周波は愉快なものではありません。
地球のメッセージはエコ・キュートやボイラーからやってくるわけではないと思うので、
それはそれで解決できれば と思います。できれば冷静に。

決して無駄なことはない。そう考えれば、この現象によって自分が何を考え、どのような考えに至り、
どのように変化したかわかる、 そのままでいいのじゃないか と思うのです。 
「このことで私は自分の能力に気づいた だから 今後は不快な音は必要ない」
もちろん、それで音は消えないでしょうが、せめて少しでも 自分の中でスイッチのオン・オフができるようになると
自分の場合は格段に楽になりました。




  


2008年09月21日

低周波とは

さて、低周波が聞こえることで何が問題か?私なりの表現でご説明します。

聞こえない低音・低周波というのは 前回お話したように物を共鳴させて伝わります。
まず、家が共鳴し、部屋が共鳴し、部屋の中にいると「ぶおんぶおん…」と、不気味な低い音が鳴り続けます。
この音の表現は 発生源と個人の感じ方により異なりますが、
ドン…ドン…という太鼓のような音」「ぶーん…ぶーん…」「耳元で風が鳴るような」
頭蓋骨が圧迫される」「が圧迫される」「振動が伝わる
など様々。耳栓をしても聞こえるのが特徴です。

そしてもうひとつ不思議な特徴は、これらが「聞こえる」人と「聞こえない」人がいることです
同じ家に住む家族でも、同じ部屋にいても、やはり分かれることがあります。
なぜそのように分かれるのか?
「頭骨の形」「鼓膜や耳骨」「鼻骨」「交感神経」など、説は様々ですが
これといった決定的なものは今のところわかりません。よって医療的な対策もありません

第二の問題は、聞こえる人と聞こえない人が出ることによって、認知され難い症状であることです

先にも書きましたが、「聞こえない」という人に向かっていくら「わかってくれ」と言っても
「聞こえないものは聞こえない」のだから、実感できないのです
なので、よくあることですが「あなたが神経質なんだ」「気にしすぎだ」「精神的におかしいのでは
などと言われ、当人が本当に精神的な疾患を抱えてしまうことが多々あるようです。
理解されない、変人と思われる という苦しみは、偏見・差別に近く、鬱やパニック症候群などの
疾患にかかり、解決が更に難しくなることが多く見られます。
行政に相談しても、不幸にも相手が「聞こえない」人だった場合は(ほとんどそうですが)
やはり「あなたの問題では?」と言われ、解決の糸口を無くすのもよくあることです

また、行政は「あるはずのない音」という扱いをしているので、まずスムーズに問題解決へはつながりません。。
騒音と判断する基準値異様にハードルが高く、ほとんどが認定されません。
当人の苦しみや実際の健康被害に関わらず 高速道路等の他に個人的な低周波被害は「あり得ない
ことになっているので、裁判になっても勝つ見込みは少ないようです。
最近では「普天間」の問題で、常識的、人道的に考えればあり得ない判決が記憶に新しいでしょう。

因みに、先日アドバイスいただいた方によると
「耳鼻咽喉科学会も低周波症候群の被害を認めていないという立場」だそうです。
測定結果が訴訟などに利用されることを避けているのではないか という印象を持ってしまいます。

なぜこうまでして「低周波被害」を「無いもの」にしようとするのか…?
ひとつは やはり「聞こえない人にはわからない」という理由があるでしょう。
しかし、何より「関わると面倒な事項」という空気は否めません。
‘ひとつを認めたら全てを認めないといけなくなる’…薬害問題の時のような空気を感じるのは
勘ぐりすぎでしょうか…。


  


2008年09月21日

低周波って何が悪いの?

低周波の被害に遭われている方々からご連絡をいただきました。
また、専門家の方のサイトに書き込みをしたところ、そちらからもアドバイスをいただきました。

悩みのある時にはこうした 人との繋がりが本当にありがたいです
様々な方面からのアドバイスや情報をいただき、少しずつ 自分の受けている状況がわかってきました。

まず、低周波の被害というのは確実に存在する ということ。
低周波が聞こえないという人も多数います。そういう方に「聞こえるでしょう」と言っても通じないし、
苦しみを訴えてもきっと不気味に見えるでしょう。
霊視オーラが見えるのと同じく、その人の能力ですが、それが‘役立つ’か、当人だけが苦しいか、
の違いだと思います。今はまだ 低周波が聞こえることによる利点が残念ながらほぼ、ありません

ここで、初めてご訪問いただいた方、低周波の被害って何?と思われる方へ
低周波の被害について簡単にご説明します。

人の耳に聞こえる音は大体20Hz~20000Hzといわれています
人の話し声はだいたい80Hz~4000Hzです
問題の低周波はその80Hz以下を言い、更に20Hz以下は超低周波と言われます。
一般に超低周波は「知覚されない」と言われていますが、少なくとも「波動」であるので
「聞こえない」けれど「感覚としては捉えられる」のではないかと思います。
地震の前の嫌な感じ、山崩れの前の不気味な音、動物がそれらをいち早く感じ取るように
人の中にもこうした感じを「知覚」する者もいます。

「一般に聞こえないけれど存在する周波」です。

低周波の何が問題かというと、音源では聞こえなくても物を共鳴させて音と振動を伝えることです。
家を共鳴させ、ひどくなると物が振動で動いたり 家具の建てつけを狂わせたりします。
かつて、ダムのできた村で「位牌が後ろを向いていた」「扉が開かなくなった」などの被害が出、
「土地を沈めたための先祖の祟り」と恐れられたことがあったそうですが、
それらは かなりひどい低周波の被害だった可能性が高いようです。


低周波はほぼ遮断できません。コンクリートも外壁も通り抜けます。防ぐ建材はないと言われます。
少しでも緩和させるとしたら「ブチルゴム」と言われる特殊なゴムで家でも作るか(冗談ですが…)
もしくは 届いている周波と逆位相の周波を発生させて相殺するか。
都内の都市高などで行われている方法です。


  


Posted by まあ at 04:03Comments(0)低周波騒音とは?

2008年09月07日

空気読め


うるさい・騒音・とはいえないけれど、ちょっと迷惑だな…と感じる音
自分の場合は その音に その人の生活や習慣や思考を感じて 面倒に思うことがあります。

子育て中のお母さん、おばあちゃんが、妙にハイテンションで大声だったりするのも
気持ちはわかるけれど、日常のこちらは煩い。

公共の場で騒ぐ子どもに注意?する「も~う、●●ちゃん!静かにっ!しぃ~っ!」が大声だったり
映画館で話すコソコソ声が最大限だったり、
つまり、
それって「静かにしてます。私は静かにしなきゃイケナイってわかってます」的アピールです。
そんな「意図」が見える時、嫌な気分です。

本当の静けさ、本当に静かに保たなければいけない時、
そんな緊張感を感じることができるようであってほしいと思います。


昔は、身近にお葬式や集会があり、大人の空間は静けさや雰囲気を破ってはいけなかった
そんな 暗黙の約束を、子どもながらも感じていたと思います。
当然、そんなに長く保てるハズもなく、
こらえられなくなって外で大声で笑い転げる…子どもってそんなものでした。
子どもだけれど 場はちゃんと区別していました。

いつの頃からか、授業でも完全な静けさが要求されなくなり、
公共の場でも 個人の動向が優先されはじめ、

かつて、「その場」の空気を読んで自分の身の置き場を考えていたのが、
今や、自分の周囲の空気をまとったまま入り込んでくる。
まるで 自分の周囲に大きなシャボン玉があって、それ以外の世界はまるで解らないかのよう。
静かな本屋でもいきなり大声で入ってきて話しつづけたり、
列車の中でけたたましい着信音を響かせ、大声で話しながらデッキに向かったり、
しかもそこからも話しが漏れ聞えたり、
病院の待合室でぺちゃくちゃ喋っていちゃついたり、

何だろうな と思います。なぜ、いつからこんなのが大多数になったのかな…

自分たちの年代も微妙ではありました。
ゆとり・自由・尊重・個性・権利 と、言われ始めた時でもあります。

だけど、完全な自由が自分の責任の下でこそ許される ということを知るのはもっと先で、
教える側も、教わる側も、何となく不安定なままだった気がします。

そんな世代が大人になり、親になり、
「権利」を主張し、カフェを陣取り席をくっつけ宴会場さながら話しまくったり、
その子どもたちが、今 人間関係では「空気読めよ」と言いながら、場は読まない人間になっています。

場の持つ空気だとか、緊張感を感じる経験が大事なのではないかな と思います。


  


Posted by まあ at 13:21Comments(2)ストレス

2008年09月04日

進展







先日、近所の風鈴の音が気になる  と、書きました。
今日は その続きを…。少し進展がありました

昨日、風の強い一日でした。
風鈴はもう、これ以上ないというくらい連続して「コチコチコチコチコチコチコチコチ…」鳴り続け、
うるさい!」と叫ぼうか、いっそ石を投げて割ろうか!?と思わず思うほど。
これが 久しぶりの休みの一日なのだからたまりません。

結局 割りはしませんでしたが(当たり前か…)

さすがに主人も 少し気になり始めたようで
今日、地区の班長さんに出会った時に それとなく話してみたそうです。

そうすると、思いがけなく、その班長さんも
「私もずっと気になってて…あの家、毎年風鈴出すんですよ。うるさくてね
と言うではないですか。

そうなんだ。我慢してたのか。。近所のしがらみというヤツでしょうか
それ以前に近隣トラブルもあったらしく、あまりいい感情を持っていないようでした。

結局 班長さんが代表で当人に話してくださることになりました

もうひとつ、
私の気になる低周波の低音のことを あらためて話してみると、
そういえば…」と、
亡くなったご主人が生前
「向かいの家のボイラーがうるさい!」「この低い音は何だ?どこの家か聞いてこい!」
と、とても嫌がっていたことを思い出して話してくださいました。

近所にも聞こえる人がいたんだ
残念ながら もう亡くなってしまったけれど…

以前、相談した市役所の職員の方から
「近所の方からも情報を聞いてみて」と言われた時には そんな話は出なかったのですが、
それは、奥さん本人の体験じゃないから ということと、
「低い音」の表現や感じ方がそれぞれで違うために 同じものとは認識されにくい 
という原因があると思います。

近所で感じるのが自分だけじゃない!というのは とても大きな意味があります。

これまで 「そんなのは聞えないけど…」と二人に言われてしまった時点で
「ああ、一般的じゃないんだ…他人は不快じゃないんだ…」と思い込んでしまい、
「あの人神経質で変わってる」という陰口が怖くて それ以上聞くことも躊躇していました。

これは、いろいろなアレルギー過敏症を持つ人がよく体験することで、
そのために一人で抱え込んでしまい、神経を病んでしまうことも度々聞きます。
そのために 偏見も生まれ、原因の究明に至らないことがあるようです。

一人でも「聞えた」人が居たということは、
・実際に現象がある。(思い込み、耳鳴り という可能性が少なくなった)
音源の場所がある程度絞られる(周波なので方向性があるため
と、言うことで、
市役所や電力会社に相談するための重要なきっかけとなりました

ちょっと勇気を出して、同じ方角の家、ボイラーの近隣の家の方にも聞いてみようかと思います。




  


Posted by まあ at 22:41Comments(4)低周波

2008年09月03日

聞える人発見!








福岡の友人に半年ぶりに会いました。

なんと、彼女も同じ音で苦しんでいたんです。

彼女も「もはや心の持ちようで何とか乗り切るしかない!」

という、心境になっておりました。

彼女の嫁ぎ先は、天神に近い高級住宅地。とても立派なお宅で、

窓はなんと、防音設計の2重窓。お庭も広く、閑静な住宅です。

それが災いして、かえって低周波はクリアに聞えてしまうらしいです。

(低周波は、窓や壁など通り抜けてしまい、家・家具などに共鳴して聞えます。

同時に、人によっては自分の頭蓋骨や胸、その他に共鳴するように感じます。)


福岡はしばらくの間 地下鉄の工事をしていて、

その掘削の音が地面から体に響いているように感じたのが 彼女にとっての低周波の始まりだそうです。

地下鉄かぁ…大分にはありませんからね。

開通したらしたで、日々音が響くんでしょうね。

彼女はそれから 家の電気を全て止めて調べましたが原因はわからず、

庭にあった池のモーターも耐えられなくなり、池を埋めたそうです。

もう、「とにかく鳴るものは在るのだけど、それは自力で止められないのだ」と悟ると

さっさと仕事を見つけて半日帰ってこないようにしたそうです。


花粉症も ある日突然発症します。

低周波公害も、様々な蓄積の後、コップの水が溢れるかのように発症するのかもしれません。

でも、「それ」がやってきたからと言って人生が終わりというわけではありません。当然。

それに対する取り組みが違い、人生がわるのだと思います。


彼女は久しぶりの実家で、これまた久しぶりに熟睡できたと喜んでいました。


私は、相変わらず音を拾ってしまう耳の持ち主ですが、

同じ苦しみを知る人が、しかも友人にいたことで 少しホっとしました。

ホっとするっておかしいですが、「誰一人理解してもらえないわけではない」と思えたので…・。

同じように気になる音がある人、気になる現象をお持ちの方はいないでしょうか??

何が気になって、それをどうクリアしているのか、お聞きしてみたいと思うのですが。。


  
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Posted by まあ at 20:23Comments(4)低周波

2008年08月31日

静けさ



人の感じる不快さって、実在するそのものと共に、いろいろな感情や過去の経験が反映されますね。

今、近所で気になる音のひとつに「風鈴」があります。

2週間ほど前に突然 隣の家の軒先につるされたのです。
ガラスの「コチコチ」と鳴る風鈴。もちろん風が吹くたびに鳴ります。。

夏の風物詩であり、季節感と涼しさを演出する「風鈴」
しかし、これが昼となく夜となく、「コチコチコチコチ・・・」鳴り続けられると
ただでさえ色々な音を拾う自分としてはとても辛いです。

風の強い日だけでもしまってほしいのですが、
風鈴がうるさい」と言うことが、どれほど受け入れられるか を考えると
躊躇してしまうのです。

風鈴がうるさい
窓の開閉が強すぎてうるさい
ドアが大きな音を立てて閉まるのが不快
ゴミが目詰まりした掃除機の「キーン」という音
洗濯機の不要なメロディ
そして 問題のエコキュートらしい低音

「あの、お宅の●●がうるさいんですけど」
と言って 一般的におかしくないものはどれ?

自分にとっては神経を逆なでされるような音も「生活音」といわれればそれまで。



先日「2階で子どもを走らせるな!」光文社新書 橋本典久(はしもとのりひさ)著という本を少し立ち読みしました。

まさに、「走らせるな!」と、言う側の主張なのだろうと思っていたのですが、
「自分の感覚を脅かす者への過敏な反応、過剰な防衛、そして相手への過激な攻撃......。
近隣トラブルを解決するには? 」 
という、どちらかと言えば 反応する人に対してどう対処するか!?という本でした。

私は「過剰な反応」という見解でカチンときて
この本を買うには至りませんでしたが。

例えば、公園の水のみ場で子どもが遊んではしゃぐ声がうるさい! と、近所の女性から苦情があり、
役所は「子どものことだし、皆の憩いの場だから…たった一人の苦情だから」と、考えた。
そのことで 女性は更に怒りをつのらせ、裁判沙汰になってしまいます。
結果、女性の声は認められ、水場は閉鎖。子どもも騒がなくなった・・・。

著者はここで「女性は、静けさを勝ち取ったけれど、近隣からの孤立は免れない。それでいいのだろうか?」
と、書いています。

私に言わせれば それは「それでいいのだ」と言うところ。
音によって自分の平静さが乱されることの辛さは 我慢ならないものがあります。

「ぎゃー!」と叫ぶのが一人くらいいるからと言って 大人気ない…と言う親も居そうですが、
彼女の環境は その「ギャー!」が、次々とやってくる子によって延々続くわけで、
恐らくかなりストレスだと思われます。

既に、「うるさい」と言うことによって 孤立は覚悟であるし、
ましてや 「子どもだから当然よ~」などと言う近隣の親とは親しくなれそうもないのだから…。


本書の中で「騒音」と「煩音」とう言葉がありました。
数字では騒音の域でなくても 心理的に嫌な音を指すようです。

一日中子どもの騒ぐ声というのは 
わが子ならば許せる親もいるでしょうが、彼女にとっては「煩音」なわけです。

風鈴もまた、当人にとっては「涼しげで夏には当然」かもしれないけれど
日がな一日「コチコチコチコチ」を聞かされる自分には煩わしいだけの嫌な音


「子どもの元気な声が嫌なんて心が狭い」
「風鈴なんて涼しげで夏の風物詩なのに」
と、「変な人」扱いせずに
お互い 嫌なツボはあるのだろうから、
そこを「ああ、そうなんだ。少し気にしよう」と思えるといいのになと思います。

まあ、そろそろ秋だし、風鈴もしまってくれるかな。。。

この本にはドイツでの
民間で相談調停員のようなものを作って解決を図る例を挙げています。

確かに、第三者に入ってもらって「現状」「被害」「感情」と、冷静にわかってもらえると
こじれたり、その後の関係が悪くなって次のトラブルを招いたりしにくいかもしれません。
そういう場と、そういう意識が 日本にもあったらなぁ と、思います。






  


Posted by まあ at 13:25Comments(0)