2024年3月23日土曜日

オート・シネマ・ヴェリテ


"Une Famille"
『ある家族』

2023年フランス映画(ドキュメンタリー)
監督:クリスティーヌ・アンゴ
フランス公開:2024年3月20日


2021年晩夏、クリスティーヌ・アンゴはそれまでの作家キャリアで最も評価の高い作品となる『東への旅(Le Voyage dans l'Est)』(同年のゴンクール賞候補にも上り、最終的にはフランスで重要な文学賞であるメディシス賞を獲得することになる)を発表し、その出版社フラマリオンはそのプロモーションにその小説題にあやかりフランスの東部3都市(ナンシー、ストラズブール、ミュルーズ)をめぐるレクチャーとサイン会のツアーを企画した。その中のストラズブールはアンゴには深すぎる因縁の町であり、1999年に他界した実の父ピエール・アンゴがその妻と二人の子供(つまり義弟と義妹)と共に住んでいた町であり、クリスティーヌが13歳の時に始まり長期間にわかって続いた実父による近親相姦の最初の場所であった。2021年の時点でその未亡人エリザベートと義弟と義妹はまだその場所に住んでいる。フラマリオン社がこのフランス東部へのプロモツアーを提案した2021年6月(小説はまだ最終校正段階で誰も読んでいない)、アンゴはこのツアーにヴィデオ撮影班を同行させるというアイディアがひらめく。私の真実はすべてエクリチュールの中にある、だがそれは映像としても提出できるのではないか。シノプシスもシナリオもなくアンゴが撮りたいもの、見せたいものを映像化する。その夏の終わり、アンゴの”東への旅”は二人の撮影スタッフを同行し、”監督”アンゴの指示で自分(+対話者)を撮るカメラは回る。アンゴ流(セルフ)シネマ・ヴェリテである。
 父ピエール・アンゴとの文通先の住所、そこが亡き父のストラズブールの邸宅であった。自らの記憶では約35年ぶり、その住所にタクシーで乗りつける。まだそれは残っているのだろうか。半信半疑でタクシーを降り、辺りの風景にかつての痕跡があるか自問するが記憶の答えは確かではない。その白い建物の外門から入り、ポーチの下の玄関扉の横にあるインターフォンの名前を確認する。父の未亡人、すなわちクリスティーヌの義母にあたる人物エリザベートの名前があった。「名前があったわ」とクリスティーヌは撮影スタッフに言う。さあ、どうしよう、何と言おう、門前払いを喰ったらどうしよう、ここまで来てクリスティーヌは極度にナーヴァスになる。その人物とは父の死後面会したい旨の連絡は書簡で何度か試みたが、固定電話の番号は持っているものの相手は受話器を取らず、携帯番号もメールアドレスもない。会う意思があるのかも定かではない。さあどうしたらいいのか。クリスティーヌは意を決して、扉のインターフォンのボタンを押す。応答はあった。インターフォンに向かって言う「私、クリスティーヌよ」。
 扉が開き、エリザベートが現れる。門戸開放されたと思われた瞬間、中の女はクリスティーヌの背後にカメラを構えた撮影スタッフ二人の姿を認めたとたん、猛然と三人を押し返し扉を閉めようとする。クリスティーヌはドアの間に足を挟みいれる勢いでドアを再び押し開けエリザベートに「あなたは私たちをここに入れなければならない!」と叫ぶ。エリザベートとクリスティーヌの怒号の応酬による押し問答。あなたひとりならばと思ったけれど、私はカメラを家の中に入れるのは許さない、と言うエリザベート。それに対してクリスティーヌはこう叫ぶ:
J'ai besoin de me sentir soutenue par des gens qui sont de mon côté !
(私は私の側にいる人たちに支えられてると感じていなければならないのよ!) 
アンゴがこの映画全編で求めていたのはまさにこのことだったのだ。クリスティーヌ・アンゴはあまりにも孤独だった。孤立無援だった。たったひとりの反乱だった。近親相姦という世のタブーをオートフィクション小説『近親相姦(L'Inceste)』(1999年)で、「クリスティーヌ」という名の「私」という一人称体の話者で告発して以来、この作家はそのスキャンダル性ばかりを取り沙汰され、世にも重大ながら社会が目をつぶり続ける近親相姦という問題については議論すらされない。そればかりか、(映画の中でその録画映像が挿入されるが)、テレビのトークショー番組(ティエリー・アルディッソンの"Tout le monde en parle" 1999年11月)でコメンテーターと聴衆の嘲笑の対象にされ、屈辱に耐えきれず番組のゲスト席から立ち上がりその場から去っている。だがアンゴはその反乱を止めることなく、父による近親相姦はその後の小説でも繰り返し登場し、書けば書くほどその問題は深化され、アンゴの一生の傷はその度にいよいよその後遺症を増幅させていくのだっt。2021年の小説『東への旅』はアンゴ”近親相姦”年代記のような総括編であり、彼女自身の入魂もすさまじいものであったろうが、文壇の評価もそれまでのアンゴ作品とは全く異なり、ゴンクール賞候補(最終的はメディシス賞受賞)にも上った。これも映画の中に挿入されるのだが、アンゴが自宅のラジオで国営フランス・アンテールの著名な文芸時評番組"Le Masque et la Plume"を聞いているシーンがあり、その番組(2021年放送)の中で文芸批評家アルノー・ヴィヴィアンがこの『東への旅』に触れて、この20年あまり(つまり『近親相姦』発表後)フランス文壇がどれほどクリスティーヌ・アンゴを軽視・蔑視してきたか、と発言している。(この最新小説への手の裏を返したような高評価に)ヴィヴィアンは「クリスティーヌ・アンゴが変わったのではない(アンゴは一貫している)、世の中が変わったのだ」と付け加えている。それはヴァネッサ・スプリンゴラの『合意』(2020年)とカミーユ・クーシュネール『ラ・ファミリア・グランデ』(2021年)という2冊の性犯罪告発の書の大ベストセラーによって市民たちの性犯罪への見方が大きく変わったことを指してのことであろう。確かに世の中は変わったのだが、それでもクリスティーヌ・アンゴはまだまだ”たったひとり”なのである。
 映画の始めのシーンに戻ろう。激しい押し問答の末、エリザベートはクリスティーヌと撮影スタッフ二人をサロンに通し、着座する。さあ、話を聞かせて、あなたの亡き夫が私に何をしていたかをあなたは知っているはず。「あなたのことで私は心痛めているわ J'ai de la peine pour toi」というエリザベートの言葉にアンゴは逆上する。あたかもこの義理の娘が未亡人の心を傷つけているかのような。義母はクリスティーヌが”暴力的だ”とも言う。あなたの20年間の沈黙の方がどれほど暴力的なの?とアンゴは抗弁する。生前夫ピエールがあなたに何をしたのかは全く知らなかったが、あなたの小説でそれを知った。でもそれは小説でしょ、事実の部分もあれば創作の部分もあるでしょ(ここでもアンゴは逆上する)。あなたの父は私にとっては最良の夫であり、私の二人の子供にとっても最良の父だった。あなたはそれを破壊しようとしている....。
 近親相姦のメカニズムとはまさにここなのである。それを公にすれば、その個人だけでなく家族や属する社会のもろもろを破壊してしまう。被害者であるおまえの被害よりも、告発するおまえが破壊する世界の被害の方が甚大なのである。この方便をもってこの未亡人は亡き夫の被害者たるクリスティーヌを逆に攻撃してくる。おまえさえ忍んで黙っていれば、こんなことにはならなかった...。
 この映画の冒頭のストラズブールの故ピエール・アンゴ邸でのエリザベートとクリスティーヌの応酬の映像は10分ほど続いたであろうか。希に見るヴァイオレントなダイアローグが展開されるのだが、およそ”対話”なんてものではない。その生々しさに胸がキリキリする。こうして映画のあたまのストラズブールでクリスティーヌ・アンゴは茫々たる砂漠の孤独をあらためてかみしめることになる。
 アンゴのシネマ・ヴェリテは、"les gens qui sont de mon côté (私の側にいる人々)"は本当に存在して、私の孤独に手を差し伸べてくれたのだろうか、という問いを”身内”を通じて確かめようとする。登場するのは母ラシェル・シュワルツ(二部のパートで現れる)、最初の夫クロード・シャスタニェ(アンゴの一人娘レオノールの父)、2000年代の伴侶だったミュージシャンのシャルリー・クロヴィス(マルティニック系黒人)、そして娘のレオノール・シャスタニェ(1992年生れ、彫刻家/造形アーチスト、↑写真)。
 映画公開時のラジオなどでのインタヴューで、アンゴが最もしんどかったのは母ラシェルの2回に分けたインタヴューだったと述懐している。母のことはアンゴの小説『ある不可能な愛(Un amour impossible)』(2015年、のちに2018年ヴィルジニー・エフィラ主演で映画化)にくわしく書かれているのあが、ピエール・アンゴはラシェルとの熱烈な恋愛にも関わらず、もろに属する社会階層の違い(ブルジョワと貧乏人)とラシェルのユダヤ人の血を理由に結婚を拒否し、二人の子クリスティーヌ誕生にもかかわらず、ストラズブールでドイツ系上流階級の女エリザベートと結婚し家庭を持った。しかしラシェルとの不倫関係はその後も続いていて、仕事出張を装ってラシェルと逢瀬を重ねていた。しかしクリスティーヌが少女の年頃になり、このインテリ博識のパパに惹かれるクリスティーヌをラシェル抜きで連れ出すようになった時から、ラシェルはクリスティーヌに嫉妬するようになるのである。妙な三角関係。そのピエールによるクリスティーヌの連れ出しが、13歳の時から近親相姦関係になっていったことをラシェルは知らない。そしてこのことをクリスティーヌが母ラシェルに告白できなかったのは、娘が母をプロテクトするためだった、と。映画は上のような説明は一切ない状態で、ラシェルが、母が娘を守らなければならなかったはずなのに、あの13歳の時から娘が母を守って犠牲になっていたことを後悔して涙するシーンがある。この不幸な”三角関係”と言うべきか、母ラシェルは娘がその男の性犯罪の犠牲になっていたの知ってからもなお、ピエールとの”愛”の思い出にしがみつこうとすることに、クリスティーヌとラシェルを分つものがあるというのがこのシネマ・ヴェリテに見えてしまうというのが....。
 そして最初の夫クロード・シャスタニェ(←写真)はどうしようもない。結婚2年後、クリスティーヌが25歳の時(父ピエールとの近親相姦関係が終止して9年後)、ピエールと「正常な父娘関係を築きたい」と望んで再会することにしたが、クロードが住む部屋の上の階の部屋に宿を取ったピエールはその部屋で9年前と同じようにクリスティーヌに性交を強要した。その一部始終を下の部屋で聞いていたクロードはクリスティーヌを助けに行かなかった。なぜかとこのシネマ・ヴェリテはクロードに問う。クロードが怖気付いて下の部屋で動けなくなっていたのは、自分が11歳の時に2歳上の少年によって強姦された記憶のせいだ、と。このシークエンスは終始穏やかなダイアローグなのだが、クリスティーヌの寒々とした反応は痛々しい。
 映画はこれらのシネマ・ヴェリテ対話映像の合間に、クリスティーヌ・アンゴの幼少時からの写真アルバムや、幼いレオノールとクロードと20代のクリスティーヌの子育てシーンのプライヴェートヴィデオ映像などが挿入される。若いママのクリスティーヌの幸せそうな表情が印象的だ。そう、こういう孤立無援の戦いを強いられている女性にも、幸せな瞬間はあるのだ。父親ピエールが少女クリスティーヌを呼び出すのは学校がヴァカンスの時期に決まっていた。みんながヴァカンスの時に私は父親に犯され続けていた。そういう回想のバックに流れる挿入音楽がミッシェル・ポルナレフ「愛の休日(Holidays)」(1972年)なのだよ。クリスティーヌ・アンゴ(1959年生)が13歳の時(父による近親相姦関係が始まった年)のヒット曲か、計算が合っているな。

 そしてこのシナリオもカタストロフもないアンゴの孤独に満たされていく映画にも、救済はやってくる。ニースの海の見える日の当たるカフェ、大人の女になったレオノールとその母クリスティーヌが紅茶を飲みながら静かに語り合う。レオノールははっきりとこう言う:
Je suis désolée, maman, qu'il te soit arrivée ça.
(ママン、あなたにあんなことがあったということが私にはとても悲しいの)
おそらく、これは誰ひとりとしてクリスティーヌ・アンゴに言わなかったことなのだ。誰ひとりとして。誰ひとりとして少女クリスティーヌが見舞われたおぞましい性犯罪について、心を暗くすることなどなかったのだ。母クリスティーヌ、人間クリスティーヌ・アンゴはここに太陽が差し込んできたことを感じたに違いない。シネマ・ヴェリテは期せずにして光あふれるエンディングに向かう。ふたりはカフェを出て岸壁の遊歩道にたたずみ、無言で光あふれる紺碧の海を見つめるのである。そしてここで流れる音楽が、カエターノ・ヴェローゾの「ラ・メール」(シャルル・トレネのシャンソンのカヴァー、新録音!)なのだよ。これがどれほどエモーショナルか。そしてそのまま画面はエンドロールへ。

たしかに私のような「アンゴ読み」でなければ、無説明にこの映画を見せられても理解が難しいところが多いと思う。だからクリスティーヌ・アンゴがほとんど紹介されていない日本では上映が難しいだろう。私が入った映画館では入場者ほぼ全部女性だが、最後の「ラ・メール」のところで拍手が起こった。『東への旅』の成功のおかげだと思うが、アンゴは(熱く)読まれているということをあらためて実感した。この人たちは私の同志。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『ある家族(Une Famille)』予告編

2024年3月18日月曜日

小説ミドリ事件

Karyn NISHIMURA "L'Affaire Midori"
西村カリン『ミドリ事件』


西村カリンは在東京のフランス人ジャーナリストである。私はリベラシオン紙の読者であり、公共放送ラジオ・フランス(France Inter、France Info等)のリスナーであるから、彼女の記事やラジオ報道レポートの声にはずいぶん前から親しんでいると思う(多々参考にしていただいている、多謝)。ジャーナリスト活動は日本語とフランス語の両方で行っていて、日本のメディアにも登場しているので、知る人も多いはずである。著作も日本語で日本で発表しているものと、フランス語でフランスで発表しているものがある。フランスでの近著では2023年10月にエッセイ『日本 - 完璧さの裏側La face cachée de la perfection)』(Editions Taillandier刊)があり、書名が示すように表面的に完璧を装うことができる国日本の議会制民主主義の”半独裁”状態や、報道の自由の大メディア側からの”自主規制”など、日本の「反権力」不在の状態について詳説している(是非とも日本語訳出してもらわないと)。
 さてこの本は上述の著からわずか4ヶ月後に発表された西村カリンの初の小説作品である。フィクションであるが、"Presque tout est vrai"(ほぼすべてが真実)と序文と裏表紙に強調されている。小説の話者「私」は日本に長年駐在しているフランス人ジャーナリストであり、日本で二人の子を産み育ててもいる”日本生活者”である。作者自身を投影させたような設定ではあるが、建前はフィクションの人物である。事件は2017年の東京、ヤマダ・ミドリという名の20代の女性が5歳になる娘を自宅で殺害し、バラバラに切断した遺体を自宅で発見された状態で逮捕され、犯行を自供した。さらに、その前に起こっていた双子の嬰児殺害+コインロッカー遺棄事件の容疑がかかり、DNA鑑定の結果ミドリと一致してその犯行も自供した。自分の幼子を3人惨殺した風俗系の職業のごく若い女、事件は連日のワイドショーねたとなり、その出演タレントたちの情緒的なコメントで全国のお茶の間の犯人バッシングの大波を形成していく(というような”日本的特殊事情”を話者はフランス読者に説明しなければならない)。バッシングの矛先は家族に及び、全国ネットテレビのカメラの前に母親が引き摺り出され、深々と頭を下げて娘の凶行を全国民にお詫びすることになる(これも”日本的事情”)。そして、このような稀に見る非道な凶悪犯罪には「当然死刑でしょ」という一般市民のオピニオンがすぐに出来上がってしまう。
 話者はここで日本が世界の時流に逆らうように死刑を頑なに固辞している国であり、しかもその刑の執行が確実に行われているという事情を示す。OECD加盟38か国のうち、今なお死刑を執行している国は日本だけ。日本で死刑廃止を求めて運動している市民たちはいる。しかし世論調査をすれば死刑存続賛成が大多数になってしまう。この世論の支持を担保にするかのように、日本の司法は死刑基準(話者は”永山スタンダードという言葉で説明する)に相当すると判断するや躊躇なく死刑判決を下している。

 ジャーナリストとして話者はこの残忍な子殺し事件を理解しようとする。理解することは犯罪を赦すことではない。なぜ、いかにして、この若い娘は凶行に至ったか。彼女は貧困など不幸な生い立ちがあるわけではない。そのヤマダ家は自営業(漁業+魚類販売)の父、主婦の母、早稲田まで進学することになる兄リュージ、そして近隣都市(いわき市)の専門大学に進学するミドリの四人家族だった。だがその家族のいた場所を聞いて合点がいく者も多かろう:福島県双葉郡双葉町。すなわち2011年3月11日東日本大震災による福島原発事故で、全町民が家屋を捨て強制的に避難を余儀なくされた町である。小説は悲劇のルーツをここに集中させる。父母は家業も家も放棄し、2度の避難移転の末、県内の仮説住宅に身を寄せる。子供二人の学費は?(話者はフランスとは全く違う日本の教育事情を子供が大学を出て社会人になるまでの莫大な費用についても言及している)ー そしてこのような大惨事が待っているとはつゆ知らず20歳になったミドリは恋(と呼べるのか)をし、妊娠してしまう。大震災+原発事故はヤマダ両親を徹底的に痛めつけ(のちに父は自殺に追い込まれる)、両親に相談できたり頼れる場合では全くないと悟ったミドリは、(おまけに子供の父親になるはずだった男は無責任に逃げ、生まれても子を認知しない、と)、大学を捨て、首都圏に出てシングルマザーとして生きることに。そこからのミドリの行状はフランスの読者にも想像できないことではないと思うが(ネットカフェに寝泊まりしたり、JKの扮装で接客したり、NGOに子守りを押しつけたり...)、”風俗の闇”へ深々と入っていくのである。生まれた娘マヤは食事を食べさせてもらえないことはざらで、愛人か客か、そういう男がミドリのアパートに来る時は、ベランダに出されて夜を明かすこともあった...。
 ディテールであるが、作者は兄のリュージをあまり登場させることなく、非常に重要な役目を課している。それは小説の最終3ページのカタストロフィーの中心人物にまでなるのだが、その結末についてはネタバレしないでおこう。ヤマダ家にあって父親はリュージに家業の魚類販売業を継がせたいのだが、リュージは包丁で魚をさばくことを覚えようとしない。次いでジェンダー問題である。リュージはゲイである。ステロタイプ化された見方であるが封建的東北人のオヤジたる父親はこのことでリュージと軋轢があり、その間に入ってリュージを擁護するのが妹のミドリだった。この兄妹には強い絆があった、という重要な軸がなければ、あの最後のカタストロフィーは成立しないのだけど、この小説のこの分の組み立てはかなり強引で無理がある(と私は思う)。
 ミドリは捕らえられ、2件計3人の子殺しを認め、長い取り調べの間中抗弁もせず、自分の犯した罪の大きさに打ちひしがれ、憔悴していった。ジャーナリストとして話者はこの裁判に立ち会っていくのだが、もはや争点は有罪か無罪かではなく、誰が見ても有罪が確定しているこの事件にあって、検事側が間違いなく求刑するであろう死刑、そのために検察が準備した鉄壁の書類の壁に、弁護側がどれだけ情状酌量の可能性で抵抗できるか、ということになる。話者の視点はロベール・バダンテール(1928年 - 2024年、奇しくもこの小説の発表時期だった2月8日に他界し国葬となった)の尽力で1981年に死刑を廃止した国フランスのそれであり、ヒューマニストの立場と言っていい。死刑から救うために凶悪殺人犯を法廷で弁護していたバダンテールを想起し、話者はこのミドリ裁判でバダンテールのような弁護士の弁論があれば、と願う。ここがこの小説の重要な読ませどころで、法廷に立った弁護士ニシミヤ・カズオは小説の6ページ(p74 - 79)にわたって、ミドリの双葉町での生い立ちから大震災・原発事故そして首都圏での風俗地獄など、仔細におよんで展開し、この境遇を考慮に入れる必要性を力説した。おそらく西村カリンが最も力を込めて書いた箇所であろう。見事にシアトリカルにしてロジック。そしてなんとニシミヤ弁護士はこの弁論の中で、フランスでのテロ事件も引き合いに出すのである。
想像してみてください。フランスのような国がその国籍を持つ若者たちによる数度のテロリズム攻撃に見舞われたのです。これは私のつくりごとではありません。最近の出来事から例として引き出したのです。彼らが犯した行為の動機を、その社会的背景を抜きにして、彼らの狂気によるものとだけ見なすことは可能でしょうか?みなさんは普通の日本市民であり、この事件について何も知らないかもしれない、フランスは遠い国でしょう、しかしながら、みなさんの心の中で直感的にこう思うでしょう:この若者たちには明らかに生きづらさがあり、憎悪を抱いている、と。そして彼らの生活について思いをめぐらすでしょう。彼らは不幸なのだろうか、移民系の出身なのだろうか、差別の被害にあっていたのだろうか、仕事はあったのだろうか、彼らは社会から放棄されたと感じていたのだろうか?みなさんはそう考える前提としてその社会的背景を問うのです。それはごく当然なことであり、社会的背景は間違いなくある役割を果たしたのです。ミドリ事件についてもみなさんの同じような考慮をお願いしたいのです。(p78-79)
(↑)これ日本の法廷でどうでしょうね? それはそれとして、ニシミヤ弁護士の大雄弁は見事に功を奏し、判決は死刑を退け、無期懲役刑となる。これに話者はある程度の安堵は得るのであるが、監獄で一生を終わるであろうミドリという若い娘に心とらわれ、ジャーナリスティックな視点を離れて、ひとりの女性として(ひとりの二児の母として)このミドリを深く知りたいと思うのである。つまり記事やルポルタージュのためではなく、人間として出会いたい、と。ここが言わば”作家西村カリン”誕生の瞬間であろう。ミドリの母に会いに行きミドリの生い立ちや人となりや夫(ミドリの父)の自殺について聞く。次に話者は獄中のミドリに手紙を書く。ミドリから手紙の返事が来たら小菅の東京拘置所に面会に行こう、と。この手紙を書く段で話者はフランスの読者向けに日本語で手紙を書くことがいかに難しいかを講釈している。あいさつはどうするのか、敬語はどうするのか、主題の切り出しはどうするのか、たしかに日本語の手紙は難しい。手紙文例集などを参考に話者はミドリにペン書き日本語書簡をしたためる...。
 話者はジャーナリストとしてではなく私的個人としてミドリと向かい合い、ミドリに信頼のようなものが芽生えていく。ミドリの母とミドリの繋ぎ役になり、さらにミドリは兄リュージへのメッセージも話者に託す。
 だが死刑の国日本の司法はリベンジを用意していて、ミドリ事件第一審の無期懲役判決を不服として検事側が控訴する。何が何でも死刑をもぎとろうとするこの圧力はどこから来るのか。刑事裁判において99.4%が有罪となることを誇示する日本の検察は、それを100%にすることが目標(上からのお達し)であるかのようだ。上のお達しへの服従に関連して作者は司法の政治権力への”忖度”の可能性もフランス人読者に解説する。

 この小説の時間の中で、話者はオウム真理教事件の死刑囚13人全員の刑執行(2018年7月)、カルロス・ゴーンの逮捕と逃亡劇(2018年11月から2019年12月)、京都アニメーション放火殺人事件(2019年7月)、袴田事件(1966年から現在。この項で話者はメディアや一般市民が間違って”ハカマダ”と呼んでいるが、”ハカマタ”が正しいと強調している)を詳説している。それは在日本ジャーナリストとして20年のキャリアを持つ西村カリンから見える、なにかが立ち行かない日本の例であり、私人として自分が愛する日本ゆえに憤りやエモーションを禁じ得ない書き方になる。自分名義での小説の上で初めてできている「告発」かもしれない。この小説で私が最も評価し、同意するのはこの部分である。

 かくして、あたかも最初から予定されていた事柄のように、ヤマダ・ミドリ事件の控訴審は一審を覆して死刑判決を下すのである(!)
 話者の心はおさまりがつかず、最終ページでジャーナリスト業を休止して在野で行動する(児童虐待防止、死刑廃止、袴田事件再審実現、貧窮者救済...)決意まで語るのである。容易ならぬことを知りながら。
  175ページの勇気ある書であり、(職業上)メディアでのルポルタージュではできなかった(怒りを伴った)プライベートな視点にも共感できる読み物で感服する。フランス人読者にはたくさんの”立ち行かない日本”が見えるであろう。観光絵はがきのような日本を称賛し、この夏の海外旅行デスティネーションの上位に日本を押し上げているフランス人たちにこそ読んでもらいたいものである。上にも書いたことだが、この批判精神は作者の「日本を愛すればこそ」の所為である。これには私も感服しかないのであるが、文学作品(フィクション小説)としてはどうなのだろうか。ジャーナリスト視線を離れた話者のパトス、情念のようなものはよく現れていると読めるのだが、ミドリ、ミドリの母、リュージというプロタゴニストたちの人間的な厚みが見えず、ルポルタージュ記事のインタヴューで語っている程度の人間像に留まっているのが、私には残念に思えた。(上にも書いたがあのレベルのリュージの描き方で、最後のカタストロフィーの大役を任せるのはちょっと無理)。もっと文学であってほしいと私は次作に期待します。

Karyn Nishimura "L'Affaire Midori"
Editions Picquier刊 2024年2月 175ページ 17ユーロ

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)自身のYouTube チャンネルで「ミドリ事件」と日本の死刑の現状について語る西村カリン。日本にはまだロベール・バダンテールに相当する人物が出ていないと。

2024年3月2日土曜日

美しい人よ、お茶を(ベッラ、チャオ)

”Black Tea"
『ブラック・ティー』

2023年フランス+ルクセンブルク+台湾合作映画
監督:アブデラマン・シサコ
主演:ニーナ・メロ、
張翰(チャン・ハン)、吳可熙(ウー・ケイ・シ)
フランス公開:2024年2月28日

ザール賞7部門(作品賞、監督賞、シナリオ賞....)を総なめにした『ティンブクトゥ』(2014年)のモーリタニア人監督アブデラマン・シサコによる10年後の新作で、舞台は中国である。設定では広東省広州市だったのだが、中国から撮影許可がもらえず、撮影は台湾で行われていて、俳優陣も台湾で固められている。まず予備知識として知っていただきたいこととして、広州市には「チョコレート・シティー」と呼ばれるアフリカからの移民が多く住む地区があり、そのアフリカ系住民の数は数十万人と言われている。
  映画は西アフリカ、コートジボワール某所で行われている結婚セレモニーから始まる。りっぱな会場で列席者も多く、その列席者たちは(暑い中それぞれ携帯扇風機で涼をとりながら)みな西洋風に正装で着飾り、それなりのステイタスを感じさせる(私の偏見か?)。白のタキシード姿の新郎と白のウェディングドレスの新婦は、この席に至ってもいがみ合っている。不本意な結婚、不実な男。(ここで大上段に”アフリカにおける女性の立場”を誇張しているわけでは決してない)。式のクライマックス、司祭が「なんじ、この女を...」と男に問うと、男は「ウイ!」と勝ち誇ったように答える。そして「なんじ、この男を...」と女に問うと、なんたることか女は「ノン! 」と答え、そのまま式場から駆け出して逃げて行く。ウェデングドレスのまま、女の自由への逃走が始まる。ここで映画は、誇り高く町を駆け抜けていく女のバックに(マリの行動的歌姫)ファトゥーマタ・ジャワラの歌声で「フィーリング・グッド」(ニーナ・シモン曲カバー)をかぶせるのである。
It's a new dawn it's a new day it's a new life for me
And I'm feeling good
わおっ、これはマニフェスト的。女の旅立ちに幸あれ。
 その女アイヤ(演ニーナ・メロ、コートジボワール女性の役だがニーナ・メロはフランスの女優)の行き着いた先が、中国広東省広州市のアフリカ人居住区通称チョコレート・シティなのである。映画はここからほぼ全編中国語(マンダリン語か広東語か私には判別できないが)で展開する。唐突にここで描かれる世界に入ると、多くの観る者は驚くと思う。中国の大都市の中にアフリカ人コミュニティーが非常に調和的に溶け込んでいる(ように描かれる)。アフリカ人たちはその美容サロンや装身具店があり、女性たちはエレガントにヘアーを決め、エレガントに着飾っていて、店の中には中国人客も普通に出入りしている。「ゲットー」というイメージは微塵もない。
 アイヤは完璧な中国語(とフランス語と英語)を話し、この中国社会の中に深く入っていく。大きな茶園を所有する中国茶商に雇われ、その主人チャイ(演チャン・ハン)の教育で奥深い中国茶の真髄を知っていく。映画はこの茶の育て方、扱い方、
淹れ方、味わい方などにも焦点をあてるのだが、それはチャイがアイヤに(触れ合いながら)手ほどきで伝授するものであり、茶が官能の触媒のように描かれている。かくして茶のマジックがとりもったのか、二人は恋に落ちる。この映画で二人の間に愛の言葉はない。身分ある中年男と教養あるアラサー女性の寡黙な恋物語であり、激情はなく音静かにひかえめに、ひかえめに。
 これがなぜひかえめなのか、というと、このリッチな茶商主人は別居中だが離婚していない妻があり、その妻が離れて行った理由には、チャイの過去の別の女性関係があり、といったことが映画の進行で徐々にわかってくる。寡黙で影のさした面影のある美男の中国人チャイは、その現在(妻子ある家主)とその過去(外国 = カボ・ヴェルデでの女性関係+その結果20歳になる隠し娘あり)ゆえに、おおっぴらにアイヤと恋愛できるポジションにはない。それをアイヤが解放してやるというシナリオを観る者は期待してしまうのだが、アイヤもまた過去において不義の男を捨ててきたという消えないわだかまりもあり...。

 (アブデラマン・シサコがフランス国営ラジオFrance Interのインタヴューの中で、この映画の撮影を中国が許可しなかった理由のひとつは、このチャイという男性主役の人間的キャラクターが中国的ではない、ということだった、と証言している)

 ここでチャイの妻のイン(演ウー・ケイ・シ)の微妙な立ち位置というのがあり、夫との冷めた関係はあれど、十代の息子リベン(演マイケル・チャン)は夫と自分を愛していて、この三人親子のバランスを保っていたいと願っているが...。1920年代の一夫多妻富豪を背景とした中国映画『紅夢』(チャン・イーモウ監督、1991年、ヴェネツィア映画祭銀獅子賞)をリファレンスにしているのか、映画の終盤、正妻インと”愛人”アイヤの間に和解と友情の芽生えのような関係をつくっている。← これがこの映画の救済と捉えるべきかな?

 映画はチャイがカボ・ヴェルデに置き去りにして一度も再会していない(当時の愛人との)娘エヴァが20歳になったことを祝ってやりたくて、茶器を手土産にしてひとりカボ・ヴェルデに会いに行くというエピソードを挿入する。夢にまで見た娘との再会・・・だがそれは文字通りチャイが見た夢、という話で終わるのだった。こうしてこの映画の第三のロケ地、カボ・ヴェルデが登場し、しっかりチャイが現地でポルトガル語で人としゃべっている。そして挿入曲としてカボ・ヴェルデの哀歌モルナ、マイラ・アンドレーデの「レガス(Regasu)」が流れてくるのですよ。うっとりですね。
 前作『ティンブクトゥ』でも音楽(この場合は砂漠のブルース)がたいへん重要なエレメントであったけれど、今作も音楽の使い方はすばらしい。テレサ・テン(1953-1995)の「莫忘今宵 」も挿入されている。それからチャイの息子リ・ベンとその若い仲間たちが、チョコレート・シティーのダンススタジオで、RDCコンゴのイノスB (Innoss'B)の「オランディ(Olandi)」(2020年コロナ禍期の世界的ダンスヒット)をアフリカ系も中国人もごっちゃになって踊るシーンは、感動的としか。
 この「オランディ」のシーンが象徴するように、この映画でチョコレート・シティーでのアフリカ系移民と中国人住民との共存関係はきわめて調和的友好的に描かれている。アフリカ系移民たちがこの地に同化して(中国語でコミュニケートして)自分たちの快適な居場所を得ている、という描き方は、やっぱり相当バイアスがかかっているのではないか、と訝しげに見てしまう私である。映画の中で、唯一露骨なレイシズムが見られるのは、チャイの家を訪れた義理の両親(妻インの両親)の父親の方が食事の席でアフリカ移民排斥論をぶちまけるシーンがある。寝室に隠れていた愛人アイヤにそれは全部聞こえてしまいアイヤは胸を痛める。だが映画上、これはさほど重要な問題ではない。
 国家や政治のレベルではなく、民衆のレベルとしてアフリカと中国の出会いは調和的友好的であってほしい。現実はそうではないと知りつつも、この映画の捉え方はひとつのオピニオンであろう。
 ひとりのアフリカ女性アイヤはこの地で出会った文化によって開花していく契機を掴んでいる。恋愛はポジティヴであり、ネガティヴであるわけがない。そして(チャイも含めて)身勝手な男たちに道を閉ざされるわけにはいかない未来がある。

 最後に、西欧人やわれわれが勝手に思い込んでいる”アフリカ移民”の偏見イメージである「貧困・悲惨から逃れて先進大国へ」は、この映画には全くない。私が日本からフランスに移住したように、「遠くに行きたい」「新しいものに出会いたい」「違うことをしたい」という理由で外国に移住することは、日本人や欧米人には出来ても、アフリカ人には出来ないと思っているフシはないですか? この映画で描かれるチョコレート・シティーのアフリカ移民たちはそうではない。だから文化と出会える。滞在したければ/仕事が欲しければこの国のやり方に100%従い、同化して、B級市民となることもやむなし、という卑屈さがない。ここがダメならばよそへ行けばいいという選択肢がある。アフリカ人だからそれができない、ということは絶対ない。そのことをこの映画ははっきりと示していると見た。
 だが、恋愛映画としてはどうなんだろうか。アイヤの行く先はまだあれど、この恋愛に行先はないように見える。そこがもやもやしてしまうのだ。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『ブラック・ティー』予告編


(↓)ファトゥーマタ・ジャワラ「フィーリング・グッド」(ニーナ・シモン)が流れるシーン

2024年2月27日火曜日

善悪宇宙帝国ウォーズ in パ・ド・カレー

"L'Empire"
『帝国』

2023年フランス映画
監督:ブルーノ・デュモン
主演:ブランダン・ヴリエーグ、ファブリス・ルキーニ、カミーユ・コタン、アナマリア・ヴァルトロメイ、リナ・クードリ
フランス公開:2024年2月21日

2024年ベルリン映画祭・銀熊賞(審査員賞)


またのブロックバスター映画は善と悪との戦いで善が勝利するものと決まっている。大衆娯楽性はその逆は絶対に求めていない。そういう世界では悪が破れ、ハッピーエンドが待っているのだが、映画館を出ると目の前はそういうわけではない。ブロックバスターの嘘はみんな知っているのだが、それが人々を惹きつけるのは善の勝利という要素よりも、戦いに勝つ快感ではないか。勝つ戦争が好きなのだね。ひいては戦争が好きなのかもしれない。
 ブルーノ・デュモンの最新長編映画(13作め)は”スター・ウォーズもどき”である。北フランス、パ・ド・カレー県、オパール海岸(Côte d'Opaleご)の砂丘と漁村住宅街を舞台としていて、この北フランスの一帯の砂丘はブルーノ・デュモン映画のほとんどに背景として登場するが、デュモンの映画で映されるとなんとも言えず美しい。こういう局地的と言うべき地球の片隅で、善 vs 悪の宇宙戦争が展開されるのである。日本のテレビ特撮シリーズ(スーパー戦隊もの)をも想わせるスケールの小ささもあるが、CG大仕掛けを使った擬似ブロックバスターこけおどしもある。"女王 La Reine"と呼ばれる善の宇宙帝国の元首(演カミーユ・コタン) が居城としているのがゴティック・フランボワイヤン様式の大伽藍(の宇宙船)で、悪の宇宙帝国の皇帝であるベルゼビュート(演ファブリス・ルキーニ)が住む宇宙宮殿がヴェルサイユのかたちをしているというのも、スペースオペラのわかりやすい”フランス化”のようで微笑ましい。
 このオパール海岸の小さな町が両帝国の地球侵略の最前線であり、両陣営が人間の形をした(たぶん帝国人と人間のミュータント)実行部隊を送り込んでいて、善の女王側にはジェーン(演アナマリア・ヴァルトロメイ、ほぼララ・クロフトのパロディー)とその部下のリュディ(演ジュリアン・マニエ←ノンプロ俳優、ほぼ’猿の惑星’あるいはチューバッカのパロディー)、悪のベルゼビュート側にはジョニー(演ブランドン・ヴリエーグ←ノンプロ俳優、人間生活での職業は半農業/半漁業の労働者)と映画の冒頭でジョニーの念力で部下にさせられたリン(演リナ・クードリ、私の大好きな女優なのだがこの映画では目立った役ではない)。
 悪の地上隊長ジョニーにはフレディーという名の赤ん坊がいるが、その子が悪の帝国から次代の悪神の使者と名指され、この子によって地球は悪が支配する星になるはずだった。地上での両陣営の衝突はこの子の争奪戦であり、ジェーンとリュディはジョニーのもとから赤ん坊を誘拐する。ジェーンとリュディの武器がスターウォーズゆずりのライトセーバーであることもこの映画の”本気”を窺わせる。善の兵士たるジェーンとリュディのやり方は善とは名ばかりのかなり手荒なやり方で、フレディーの母(ジョニーの妻ということになるのかな?定かではない)がフレディーをベビーシートに乗せて運転する車に横転事故を起こさせ、その女をライトセーバーで斬首したり...。この猿の惑星型戦士リュディはおつむが弱い上に凶暴。それに立ち向かう悪の戦士たちがジョニーを隊長とする十数人の白馬の騎兵隊(と言っていいのかな?農作業着の馬乗りたち←全部ノンプロ俳優たち)で、武器は持っていないように見えた。まあ、地上ではそういう不条理なシーンが多いが、ブルーノ・デュモンの映画なので...。
 その善悪宇宙帝国戦争をやっているという事情を知らないフランス、パ・ド・カレー県の警察(正確には憲兵 gendarme)は、自動車事故事件や女性斬首殺害事件を捜査するのだが、担当の二人の警官(←ノンプロ俳優)はブルーノ・デュモンの2014年のTV連ドラ"P"tit Quinquin"(2シーズン/全8回)でかなり有名なおとぼけ警官コンビだそう(私は知らなかった)。このダメ警官を、悪の帝国の代理人ジョニーは徹底的にバカにしている。これはひいては人間総体をバカにしていることなのだが、善の帝国の女王カミーユ・コタンは(↑写真)「人間たちは魅力的だ、だから私は征服したいのよ」と立場の違いを明白に。この善の女王が人間の姿で町にいる時はこの町の町長であり、露天市で町民たちの困りごとを聞いてやっている、というのも可笑しい。
 さて、スターウォーズが十分に形而上学的側面を持っているように、この映画も上辺の奇想天外さの下にかなり哲学的含蓄を孕んでいる。そもそも、と言い出したくなる、善と悪の問題である。宇宙の彼方にかなりピュアーな状態で善と悪というのがあって、それは電極のプラスとマイナス、二進法のゼロと1(これは映画の中で登場する概念)のように明白な相反する二つの要素としてあったものが、地球の人類にたどり着いた時にその明白さが欠き曖昧になってしまう。人間界には純然たる善人も純然たる悪人もいない。良さそうな悪人、悪そうな善人、人間は曖昧で不透明である。この映画で善の女王の手先となっているジェーンとリュディは暴力的であり殺しもする。悪の帝王ベルゼビュートの手先ジョニーは家庭を愛し、子供フレディーを命かけて守ろうとする。これが”人間的”ということで、善悪の杓子定規からおおいに逸脱する。
 この善悪がおおいに混乱するのは、ジェーンとジョニーが恋に落ちてしまう、ということ。おまけのようにジョニーの部下になったセクシー・バンプのリン(←写真 この映画での女優リナ・クードリの存在感はここだけ)は真剣にこの恋に嫉妬してしまう。なんと人間的な!善悪を飛び越えてしまうのは愛なのであるよ、お立ち会い。
 しかし人類の未来は愛を選ばずに戦争を選ぶ。悪の帝王ベルゼビュートは最終戦争を宣言し、人類にアポカリプスの到来を高らかに告げる。善悪両陣営の軍帥たるジョニーとジェーンは双方の宇宙砦に戻り、それぞれ幾万の宇宙戦闘挺を従えて、銀河の関ヶ原へと進軍していく....。ブロックバスター映画的見せ場はここからになるであるが、それ風なCG映像はやはり観るものをわくわくさせてしまうのだよ。さて、善宇宙軍と悪宇宙軍、どちらが勝つのか?

 私は熱心にブルーノ・デュモン映画追っかけをしてこなかったが、『マ・ルート(Ma Loute)』(2016年)、『ジャンヌ』(2018年、爺ブログ紹介記事あり)、『フランス(France)』(2021年)、そしてこの『帝国』と続けて観て、その奇才(鬼才)ぶりとフランス映画界における特異なポジションはわかったような気がする。出身地である北フランス(パ・ド・カレー)にすべてが凝縮されているという宇宙観は一貫していて、これは「中央」から見る見方に慣れた私たちには刺激的だ。そして積極的なノンプロ俳優たちの起用は、その言葉が聞き取れなかったり、動作の意味がよくわからなかったり、というごつごつざわざわした手触りに戸惑ったりもした。映画監督になる前は哲学教師だったというデュモンの映画が投げかける問いかけは、やはりちょっと難しさがあるよ、私には。この『帝国』はブロックバスターのパロディーのような表向きをしながら、”善”と”悪”とその二つが吸い込まれて消えていくブラックホールという大団円は、驚きこそすれ笑うことはできない。映画をつくる側は、さぞ楽しかったろうな、と想像はできるのだけど。

 最後にこの映画の最初のキャスティングで主役(ジェーン役)と決まっていたアデル・エネルが途中で自分から降りてしまった件。(仏Huffpost 2月23日付けに記事あり)。2020年2月のセザール賞セレモニーで、ロマン・ポランスキー受賞に抗議して退場した事件以来、アデル・エネルは映画と訣別して左翼系フェミニスト活動家となっている。アデル・エネルによると最初この役を受諾したが、シナリオを読んで登場人物に有色人種がひとりもいない「白人だけ」の(レイシスト的性格の)映画であることについてブルーノ・デュモンに抗議し、シナリオの修正を要求した。その間にコロナ禍で制作が中断し、1年後に、ブルーノ・デュモンがアデル・エネルに修正シナリオを送った。しかしアデル・エネルの目には一切(レイシスト的性格の)修正がなされておらず、出演の辞退を決定した、と。わからないでもない話ではあるけれど...。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『帝国』予告編  (予告編の方がずっとエンターテインメント性があると思う)

2024年2月22日木曜日

何もしないための地の果て(フィニステール)

Ann Scott "Les Insolents"
アン・スコット『横柄な人々』

2023年ルノードー賞


フィニステール(Finistère)、ブルターニュ半島の西端にある県、ここは字句通りの意味で「地の果てるところ fin de la terre」である。いい地名。この小説は40代半ばの女性アレックスが、長年住み慣れたパリ・マレー地区(まあ現在でもパリで最もアーティーでハイプな地区と言えるのだろう)を捨てて、フィニステールにひとり移住する物語である。
 アレックスはそこそこに名の通った映画音楽作曲家であり、サントラ盤の他に個人名義のアルバムも発表している。全く積極的ではないが、職業上のリリース告知などの必要性でSNSにもアカウントを持つが万単位のフォロワーがいて、ファンメッセージも送られてくる。いわゆる"マーベル映画”の音楽も手掛けていて、この仕事が入ると1年間生活できるほどのアドヴァンス収入がある。アレックスの移住を可能にしたのはそういう「まとまった金」の飛び込みのおかげでもあった。
 家探しはいとも無頓着で、インターネット上のオファー物件の写真や動画を見ただけで、希望する条件に合いそうなもの選び、家主にスカイプで交渉し、家主に会うことも現地で物件を直に見ることもなく、賃貸契約を交わした。完全に独立したまるまる一軒家が希望だったが、(車のないアレックスには必要ない)車庫と上階の部屋ひとつを家主が”物置”として使用するので、借家人アレックスには立ち入り禁止ゾーンとされ、この非賃貸ゾーンが小説の最後部でちょっとした問題になっていく。それはそれ。
 車がないこと、これがフランスの地方(それも奥まったところ)に住む上でどれほどのハンディキャップか。(よ〜く知ってます)ー しかしアレックスは単身パリ・モンパルナス駅からTGVで4時間かけてフィニステール(たぶん終着駅はブレスト)にやってくる。駅からタクシーで何もない集落へ。ヴァカンス期にはセカンドハウスとして使われているかもしれない一戸建ての家々はほとんどシャッターが下りている。どんなところか何も知らずにやってきたアレックスは、商店のある地区まで何キロ、大きなハイパーまで何キロ、(ほぼ一番の目的地である)3つの浜辺まで何キロ....という”現実”を知らされる。それでもアレックスは(遠方の大規模ハイパーでのまとめ買い物を除いて)この空間を徒歩で移動して用事を足し、それを苦とは思わない。小説は都会"ボボ bobo"が下野した”ネオリュロー Néoruraux(新田舎人)"現象とは全く違うものと読まれたい。あらゆる不便さ、秋冬の気候の厳しさ(独り住まい一軒家の暖房の難しさ)、住民づきあいゼロ.... にもかかわらず、アレックスはここがパラダイスだと感じている(強がりではなく)。
 パリのマレー地区でアレックスにはジャックとマルゴーという二人の大親友がいた。ジャックは60際すぎの画廊主でゲイ、マルゴーはアラサーの(おそらくファッション業界の)プレス担当。3人とも年齢も環境も異なるが、ハイプなマレー地区に長年住んでいそうなポジションのアクティヴな個性人だった。ジャックもマルゴーもおのおのが抱えてしまった人生の重荷だけで一編の小説になってしまいそうなヴォリュームなので、ここでは詳説しないが、共通しているのは二人とも若くして(尋常ではない)近親者の死というトラウマを引きずっている。特に少女マルゴーが体験した幼い弟の(両親の離婚に抗議しての)自殺、大人たちが捜索しても見つからなかったその死体を、弟との秘密の森で見つけそのまま埋葬してしまう、というエピソード、これは今日まで暴露されておらず、この抱えた秘密のせいでマルゴーにさまざまな行動障害が...。ジャックはそれを知っている。
 このジャックとマルゴーとの大親友関係は揺るぎないものとアレックスは思っていた。だから脱パリ/ブルターニュ移住しようが、連絡は絶やさないし、ジャックもマルゴーも気軽にブルターニュに会いに来てくれるだろう、と。ところがこれはそう単純なことではなく、この大親友たちとブルターニュで再会するには1年以上の月日を要したのである。
 たぶんアレックスを脱パリ/ブルターニュ移住に駆り立てたのは、(パリのアパルトマン環境では難しい)誰にも気兼ねなく音楽創造ができる空間と静寂が欲しかったことはあれど、それよりも近々に起こってしまった二つの関係の破綻ということが大きかったのではないか。ひとつは男との関係、もうひとつは女との関係、これが作家アン・スコット自身のアンビバレントなジェンダーの反映であろう。このアレックスも男たちがうるさくなるとレズを公言し、女たちがうるさくさるとヘテロと自称する。
 ジャンは音楽創造の最良のパートナーだった。第一線のミュージシャンであり碩学のギタリストであり、師匠であり、相談役であり、インスピレーションの共有者であり...。私はミュージシャンではないけれど、趣味+仕事で音楽のそばに何十年も生きていたので理解できると思うのだが、このパートナーとならばいくらでも音楽ができるという関係、何時間でも指から血が出るまでも一緒にギターを弾いていられる、それが喜びでしかない、という関係、同じ音楽を愛し、高めてくれる関係....。ジャンはそういう素晴らしい”相手役”だった。が、ある日ジャンは恋愛としてアレックスを愛し始めた。アレックスはその変化を受け入れられなかった。これをジャンはアレックスのエゴイズムであると謗り、非難罵倒の言葉をアレックスに投げるようになる。アレックスは過去の”最良の音楽パートナー”だったジャンを忘れることができない....。
 ルーはアレックスより20歳は若いかもしれない画家の卵である。アレックスと出会った時、既にルーには恋人/後見人/出資者/パトロンヌの女と同居していて、この女への操は絶対に守らなければならないと構えていた。しかしルーはアレックスの魅力に落ち、かの女に隠れて”浮気”を始める。ルーの画家的野心は(”模写”段階から脱して)自分の絵を描きたいと望んでいる。同じように若い頃にあがいた挙句音楽アーチストになることができたアレックスは、同じアーチストとしてこの画家の卵の芽を出してやりたいと思う。だがルーは画家として未知の海へ船出することができない。かの女と決別してアレックスの胸に飛び込むこともできない。ぬるま湯に漬かったどっちつかずの自分を嘆いて涙するが、結局この若い女はその場に立ちすくむことしかできない....。
 アレックスはジャンにもルーにも”すれ違うかもしれない”町に見切りをつけたのだ。

  (→写真:フィニステールに移住したアン・スコット)
 移住はゆっくり進行し、引越トラックがパリから家具・家財道具・楽器群・音響+録音機器などを届け、初めて住む一軒家(庭・サロン・キッチン・浴室+4部屋のヴォリューム)をひとりで少しずつ自分の空間にしていく。ミュージシャン衝動としては、ひと部屋に集めた楽器+機器を結線セッティングして、思いっきり大きな音で弾きまくりたい、と思うはずだったが、それもなく、作業はどれを優先するでもなくゆっくりと、新しい環境をひとつひとつ確かめるように時間をかかる。プロパンガスボンベや暖炉用の薪を買ったり、経験のないことにつまずく。暖炉の火を熾すなどということは簡単なことではない。だがこうしたことと一緒に生きていくしかない。どこから入ってきたのか、サロンに鎮座している大きなガマガエル、アレックスは最初パニックに陥りどうして追い出そうかとじたばたするのであるが、時間と共に一人暮らしの珍客として一緒に音楽を聴くのも悪くないとまで思うようになる。
 読者の余計なお世話であるが、どんなに小さくてもいいから車が一台あれば、この田舎生活のどれほど多くの問題を解決してくれるだろう、と思う。引越しで出た梱包廃棄物(段ボール等)は家から数キロ先の指定廃棄所まで自分で運んで行かなければならない。善良な借家人(+善良な住人)であろうとするアレックスはそれに従うのであるが、どうやって?
 アレックスは徒歩で移動する。日常的な買い物は数キロ先のコンビニのようなよろず(ミニ)スーパーですますが、そこにはパリでは見ることのない商標のついた食品や日用品が並んでいて(私もヴァカンス地の商店でよく経験する)チョイスがないのでそれを買うしかない。ヴァカンス期が過ぎたので人気(ひとけ)のない通り、人とすれ違うことはまれ、それでも身の危険を感じることなくアレックスは歩を進める。これが脱パリの具体的アスペクトである。孤独な散歩者はほぼ毎日のようにビーチ(砂浜)へと向かう。家から近い(3キロほどの距離)ビーチは3ヶ所あり、アレックスはその日の気分でビーチを選ぶ。どのビーチにも散歩者はいる。家族連れもカップルもいる。アレックスは誰とも交流しない。ヘッドフォンとタバコだけが道連れだ。このゆったりした時間がいい。小説はそれでもその道すがらに見えたものからの連想、スーパーのレジの待ち時間の考え事、そういう扉から失ったふたつの関係(ジャン、ルー)を繰り返し深々と反芻してしまうアレックスを描き、読者はそれがどんあものだったのかを知ることになる。この反芻する時間もブルターニュが与えてくれたものであるかのように。そしてアレックスはさまざまな”地方生活”の難しさや気候(寒さ)の厳しさや人間たちとの希薄な接触にもかかわらず、「ここは天国である」と独白する(小説中、何度も)。
 さて小説はこの地の果てフィニステールにパリからたどり着いたもう一人の人物を登場させる。レオはアラサーの若者であり、5年間ロサンゼルス、メンロー・パークのフェイスブック・キャンパスで次世代のエリート頭脳として養成されたのち、帰仏し、近く某多国籍コングロマリットの研究チームに配属されることになっていた。そのつなぎで日銭稼ぎでパリ東部のKFC(ケンタッキー・フライド・チキン)店舗のバイトをしていて、ある夜、バイト先からパリ16区の自宅までメトロで帰る途中、トラブルで乗り換え駅トロカデロで降ろされてしまい、しかたなく徒歩で帰るべく外へ。レオの進行方向、人気(ひとけ)のない深夜の路地の街灯(あ、パリの薄暗いオレンジ色の街灯ですよ)の下に佇む男の影あり。よせばいいのに(あまりに将来有望な楽天性によるものか)レオはその男に近づいていく。レオが口を開く前に、最初のパンチの一撃が飛んでくる。それからあとは数分間に及ぶ超サディックな殴る蹴るの暴行となり、顔、胴体、四肢を破壊され、助けを呼ぶこともできず、路上に放置されたレオは翌未明に周りの建物のコンシエルジュがゴミ箱を出すために出てくるまで、誰にも気づかれず転がっていたのだった。医学というのはありがたいもので、数ヶ月かけてレオの肉体はほぼ元どおりに再生するのだが、この極端な暴行のトラウマはレオを「もと来た道」(すなわち超エリートの道)に戻すことなどできない。その男は誰なのか、その超過激な暴力はなぜなのか、レオは知りたい。母親に諭されて社会復帰のトレーニングを始めたものの、続かず、ある日衝動的にパリ・モンパルナス駅からTGVに乗り込み、フィニステールにたどり着く。そしてブルターニュ最果ての人気(ひとけ)のないビーチのあてどない散歩者になる。
 レオはこの暴行のことを誰かに語らなければならない、その誰かに理解してもらわなければならない、さもなければ自分は再生できない、と妄信している。さもなければ死だ、ということも。最果てのビーチで、ある日、タバコの火を貸して、と近寄り、そして去っていった女性あり。自分よりかなり年上かもしれない。レオは、この女性こそ、自分が暴行のことを語れる相手に違いない、と思い込んでしまう。その日からレオは毎日のようにこのビーチにやってきて、アレックスが現れるのを待つようになる...。

 ジャック、マルゴー、ジャン、ルー、そして近々接点を持つかもしれない幻の若者レオ、それぞれのヘヴィーな物語に囲まれながら、最果ての地で自分の時間の流れを感じ取っていくアレックス、それには1年を超える月日が必要だったし、それがこの小説の時間である。その時間の最中にコロナ禍パンデミックがやってくる。人々との接触が困難になった時期の前に、既に最果ての地に移住していたアレックスはそれを前もって準備していたかのように、静かに「病禍による終末の到来」にあわてふためく世界を見ている。私はパリに戻らない。街々からポエジーが吹き出ていたパリが還ってくるまで、私はパリに戻らない。そしてこの地で(音楽創造もしないで)ほぼ何もしないでいることのありがたみをかみしめる。掛け値なしの親友ジャックとマルゴーはこの気持ちを共有してはくれないのか。

 小説の終盤近くで、アレックスの独白のようなかたちでアン・スコットはインターネットとSNSの世界を長々と糾弾している。それによってミュージシャンとしてたぶん生きられなくなる末路も見えている。この部分(数ページ)だけでも、いつか日本語訳して紹介したいと思うほど説得力に満ちている(やりますよ、いつか)。

 レオの前に再びアレックスは現れ、レオが妄信したようにアレックスによってレオは救済されるのか。たぶんそれはない。レオは死ぬだろう。だが、小説は明るみを帯びて終わろうとする。脱パリ/ブルターニュ移住の1年超後、いつ来るかいつ来るかと待ちわびたジャックが突然最果ての地に現れる。ジャックはすべてを捨て、老後のためにブルターニュに大きな家を買うだろう。マルゴーはそれに付いてくるだろう。ユートピアのようなものが少し垣間見れるような「条件法現在(conditionnel présent)」形の文章が続く。フランス語では条件法はたいがいは裏切られる仮定であると理解しておいた方がいい。

 この書評を書くのに2ヶ月は要したと思う。小説は2度読み返し、2度目でだいぶうなずけるようになった。ルノードー賞受賞の時、多くのプレスは意外、想定外、ダークホースなどと評したが、それは『スーパースターズ』(2000年)の頃のパンクでテクノでデストロいでポップなイメージが強過ぎるからだと思う。アン・スコットは変わった。この登場人物たちのヘヴィーで厚いキャラクターだけでも、古典的なバルザックを想わせるものがある。コロナ禍をはさんだ時期を背景にしたこの小説は、メモワール・コレクティヴ(共有された記憶)として「あの頃」を見直す機会を読者たちに与えただろう。私は孤独と静寂のブルターニュがもたらす孤的な救済に心打たれた。2度読んでよかったとしみじみ思う。

Ann Scott "Les Insolents"
CALMANN LEVY刊 2023年8月 194ページ 18ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)ボルドーの書店 Librarie Mollat制作のアン・スコットによる作品紹介(ルノードー賞受賞後)

2024年2月10日土曜日

叱ってもらうわマイ・ダアアアアアアリ!

"Daaaaaalí !"
『ダアアアアアアリ !』


2024年フランス映画
監督:カンタン・デュピュー
主演:アナイス・ドムースティエ、エドゥアール・ベール、ジョナタン・コーエン、ジル・ルルーシュ、ロマン・デュリス、ピオ・マルマイ
音楽:トマ・バンガルテール
フランス公開:2024年2月7日


地球規模メガヒットのエレクトロ・アーチスト Mr Oizoが、映画監督カンタン・デュピューになって、2007年から矢継ぎ早の多作で12本、2024年だけで公開予定新作が3本ある。映画評価は世界的に高く、すでに奇想天外映画の巨匠として君臨してしまっている。
この新作は20世紀の天才芸術家サルバドール・ダリ(1904 - 1989)を題材にしているが、ありていな”バイオピック”であるはずがない。
映画の時代は1970年代、最初に現れるのが自称30歳の女性ジャーナリスト、ジュディット(演アナイス・ドムースティエ)で、イデタチもふるまいもフツーの街おんな風で、”ジャーナリスト”を想わせる鋭いインテリジェンスが欠落している。自己紹介的なモノローグで、自分はその前は薬剤師をしていたがあまりにもつまらないのでやめて、思いつきで雑誌ジャーナリストになった、とイージーなことを言う。その最初の大きな仕事がなんと20世紀屈指の奇才芸術家サルバドール・ダリのインタヴューなのである。古風でクラッシーなホテルのスイートルームを用意して、大芸術家のお出ましを待つ。階にエレベーターが着き、ダリはステッキをつきながら早足で(ドア前に出迎えで出ている)ジュディットの待つスイートルームへと長い廊下を歩いてくる。このシーンが素晴らしい。映画を見る者には目視で約20メートルほどと映るこの長い廊下、ダリが早足で歩けど歩けどなかなか部屋に着かないのである。その歩く時間の間に、ダリの指定した飲み物(炭酸水)が用意されていないのに気づき、あわててルームサービスで取り寄せる(ルームサービスの方が早く来て難なく解決する)が、ダリは歩き続けている。その間にジュディットが緊張のあまり小用を催してしまい、トイレに駆け込み用を足して戻ってくるが、ダリは歩き続けている。映画全般にちりばめられたシュールな笑いの仕掛けの第一弾。序盤のこれで観る者はデュピュー(+ダリ)の奇想ワールドに引き込まれることになる。この果てしない歩行の間、ダリはあのカタルーニャ語訛りの強い独特のフランス語でしゃべり続けている。ほぼダリの声帯模写のこの語り口がこの映画のギャグ武器であるが、この最初のシーンで登場するダリを演じるエドゥアール・ベールがこの「ダリ口調」においては群を抜いている。

 さて、この映画でサルバドール・ダリを演じる男優はひとりではない。6人いる。エドゥアール・ベール、ジョナタン・コーエン、ジル・ルルーシュ、ピオ・マルマイ、ディディエ・フラマン、ボリス・ジヨ。この6人によるダリということで、映画題の"Daaaaaalì !"の[a]が6つ並んでいるのだ、と。このうちボリス・ジヨのダリは1時間17分の上映時間中、たった4秒しか登場しないし、誰もあれがそうだったのかと記憶するものもない。ディディエ・フラマンのダリは、他のダリ(特にジョナタン・コーエンのダリ)が幻視してしまう超老体のダリで車椅子に乗り、間近にせまる死におののいている。同時代の"同体”のダリを4人(ベール、コーエン、ルルーシュ、マルマイ)が分担して演じるのだが、この分担にルールもロジックもない。同じパーソナリティがつながりもなく別男優にひょいひょい移っていく。このキテレツな演出は、おおシュールレアリスムだわ、と感心する反面、罠としてこの4人のうち誰が一番”ダリっぽい”か?というモノマネ比較にもなってしまう。で、私は上に書いたように、エドゥアール・ベールが他3人をはるかに上回って”ダリっぽい”と判定してしまったのですよ。ピオ・マルマイ?あんなのダリじゃねえよ、っていう否定的評価も。(↑写真:演ピオ・マルマイのダリ)

 さて冒頭のホテルの廊下シーンに戻り、(エドゥアール・ベールの)ダリは長時間の歩行の末、やっと指定ルームに到着する。あの時代の(雑誌)ジャーナリストのように、メモ手帳とボールペンを携えて、ジュディットがいざインタヴューを始めようとした時、写真班もビデオ撮影班もその場にいないと知った超誇大妄想ナルシストのダリは激怒し、映像イメージのないダリのインタヴューなどあり得ない!とそのまま踵を返して、また長い廊下をすたすたと歩いて姿を消す。失意の悲しき新米ジャーナリストのジュディットは、リベンジの念に燃え、必ずインタヴューを取ってやる、と。ジュディットの上司ジェローム(演ロマン・デュリス)は気前よく、予算のことなら心配するな、と大掛かりな撮影スタッフを用意してジュディットをバックアップしてやるのだが、このジェロームは女性&職業差別丸出しに「まあ、パン屋の娘にまともなジャーナリストインタヴューなどできるわけないな」というセリフを映画中で何度か繰り返している。なぜ”パン屋の娘”に例えられたのかはジュディットにもわからないのだが、このニュアンスそれとなくわかる(ということは私も職業差別者か)。それからジェロームとジュディットがちょっと高級そうなイタリアレストランでのランチミーティング中に、伊丹十三『タンポポ』(1985年)を想起させてしまうような、ジェロームがいとも下品にパスタをずるずる頬張るシーンがある。こういう効果的な細いギャグがすごくいい。(↑写真:アナイス・ドムースティエとロマン・デュリス
 映画はこの新米ジャーナリストの再度(再々度、
再々度...)のインタヴュー申し込みと、それを断るダリの追いかけごっこのように展開するが、そのシロート女のようなひたむきなアプローチが功を奏して、ただのインタヴューではなくドキュメンタリー映画巨編の態をなすプロジェクトとして進行する...。それに加えて映画はサルバドール・ダリのコート・ダジュールのヴィラの暮らしぶりも映し出す。ヴィラの使用人たちが巨匠を「サルバドール!」と呼び捨てにする(しかし敬意は込められている)ところがいい。その使用人のひとり庭師のジョルジュ(演ニコラ・ローラン)がある夜サルバドールとガラのダリ夫妻を自宅に夕食に招待する。出てくる料理が、ルイス・ブニュエル(+ダリ)映画『アンダルシアの犬』(1928年)のリファレンスか、蛆虫の入った煮込み料理で...。それはそれ。 この夕食会にもうひとり客がいて、ダリの対面に座っているのが村の司祭のジャック神父(演エリック・エジェール)。ジョルジュはこのジャック神父の話をダリに聞いてもらいたくてこの夕食会をセッティングしたのだった。というのは、神父が世にも奇怪な夢を見たというのだ。この夢は巨匠ダリにインスピレーションを与えるに違いない、と。(そしてそのインスピレーションでダリは素晴らしい作品を描くことになり、それは天文学的金額で売れ、その売り上げ金の半分がインスピレーション元の神父とその仲介の庭師ジョルジュに入る、というよからぬ陰謀)。ダリがダリ以外の人間からインスピレーションを受けることなどない!と巨匠は立腹してその場を立ち去ろうとするのだが、まあまあまあまあ....となだめて、神父の世にも奇怪な夢の話が展開される....。火炎地獄から一頭のロバに救出され、それに乗って旅していくと背後からカウボーイに射殺され....。荒唐無稽な不条理ストーリーが続き、「ここで私は目が覚めたのです」で結ぶ。このパターンは映画の進行中、あと数回使われ、ストーリーの山が来ると「ここで私は目が覚めたのです」と。そういう感じで神父の夢はさまざまな方向に枝分かれし、ジュディットのインタヴュー追いかけごっことも絡み合い、ダリ贋作事件にも発展し...。カンタン・デュピュー監督の果てしない想像力のこれでもか、これでもか、という映画に膨らんでいくのであった。

 この映画の魅力を引き立てているのが、トマ・バンガルテール(ex ダフト・パンク)のオトボケ哀愁フォルクロール音楽のようなキャッチーなメロディーのテーマ音楽(映画中繰り返し挿入される/↓にYouTube貼っておく)で、私は「モリコーネ級」と称賛したい。サントラ盤(←写真)7インチシングルは限定で2月9日にリリースになっているので、欲しい方は早めにアクションを(売切れ必至)。

 冒頭の繰り返しになるが、この映画はダリの"バイオピック”ではない。カンタン・デュピューの想像力は、巨匠ダリと同じほど奇想天外な「ダアアアアアアリ」なる人物を創り上げてしまった。この人物はダリのコピーでも贋作でもない。このオリジナル・ダアアアアアアリで勝負したのがいさぎよい、と高く評価しておこう。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『ダアアアアアアリ!』予告編



(↓)『ダアアアアアアリ!』ティーザー、30秒版

(↓)トマ・バンガルテール『ダアアアアアアリ!』のテーマ

2024年2月1日木曜日

ホンキー・シャトーの伝説

2024年1月19日、国営テレビFrance 5が放映した1時間ドキュメンタリー「エルーヴィル城 - フランスのロックの狂気(Le Château d'Hérouville - La Folie Rock Française)」(クリストフ・コント監修)は、この伝説の城館録音スタジオの全容をよくまとめた優れものであり、これに刺激されて爺ブログは1976年にこの城で録音されたイギー・ポップの「チャイナ・ガール」に関する記事を書いた。
 エルーヴィル城に関しては(↓)に再録する2016年のラティーナ誌の記事のために、ずいぶん資料を読んだつもりだったが、上述のドキュメンタリーの内容は(「チャイナ・ガール」のエピソードを含めて)私が知らなかったことが多く、恐れ入った。このドキュメンタリー番組は国営放送FRANCE TELEVISIONSのウェブページで、2024年5月まで公開されているが、残念ながら放映権の関係で日本からの視聴はできない(フランスおよび欧州にいる人たちには見えます)。1972年にピンク・フロイドが『雲の影』をエルーヴィル城で録音しているのだが、当時のインタヴューで、どうしてここで録音することにしたのか、という質問にデイヴ・ギルモアが正直に「税金対策だよ」と答えている。そう、この時期に英国の大物たち(ボウイ、ストーンズ、T レックス、エルトン・ジョン...)がフランスで録音していたのは、おおかたが税金逃れのためだった。
(↓)の記事にも出てくるが、1971年6月、エルーヴィルの隣町オーヴェール・シュル・オワーズ(画家ゴッホの終生の地として有名)のロック・フェスティヴァルのためにフランスにやってきたグレートフル・デッドが、そのフェスが嵐で中止になり、避難してきたバンドにエルーヴィル城が緊急宿舎として使われ、その丁重なもてなしに感激したジェリー・ガルシアがお礼にこの城の庭園で無料コンサートを開いた。招待されたエルーヴィル村の住人や近くにいたファンたち約200人を前に徹夜の熱演。この模様はフランス国営テレビで中継されたようだ。件のドキュメンタリーで、グレートフル・デッドがLSDを持ち込んでいて、それを秘密裏に招待客に出す飲み物(シャンペン、ワイン...)に少量混入させていたということが証言されていて、(↓)記事で私が書いたことをはるかに上回る”ハイ”な光景が展開されたそうなのである。ロック・クリエイションの理想郷のような1970年代のエルーヴィル城の伝説は、その他にもさまざまある。
 その第一期黄金時代(1971〜73)のサウンド・エンジニアだったのがドミニク・ブラン=フランカール(1944 - )で、2016年ラティーナ誌8月号で私はこのフランス随一のサウンドクリエーターのことを書くつもりで書き始めたのだが、半分以上がエルーヴィル城スタジオの話になってしまった。以下に(若干修正して)全文再録します。

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この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で、2016年8月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。


サウンドエンジニア一代記
ドミニク・ブラン=フランカールとエルーヴィル城の日々

 ミニク・ブラン=フランカール(略称DBF)は1944年生れ(現在72歳)のサウンド・エンジニアである。裏方とは言え、この分野では当地の第一人者であり、フランスのレコードCDのクレジットで実に頻繁に見る名前である。この6月、そのキャリア50周年を記念して、彼が録音・編曲・制作をすべてを担当した企画盤『イッツ・ア・ティーンネイジャー・ドリーム』(フランソワーズ・アルディ、バンジャマン・ビオレー、アダモ、カルラ・ブルーニなど彼と重要な仕事をしてきたアーチストたちをヴォーカルに招いて2年がかりで作ったシクスティーズ・カヴァー集15曲)と、そのサウンド・エンジニアとしての仕事を網羅的に回想録にした300ページ強の厚い著作『イッツ・ア・ティーンネイジャー・ドリーム』を同時に発表した。また自ら音楽アーチストとして唯一発表した1972年作のプログレッシヴ・ロックアルバム『アイユール(外へ)』もLPで仏ユニバーサルから復刻され、この6月DBF氏は露出度が高くなっている。

 ブラン=フランカール家は父ジャン=マリーが国営ラジオ/テレビの技師で、兄パトリスは音楽ジャーナリスト/ラジオとテレビのディレクター、息子二人は第一線のミュージシャン(長男ユベールはエレクトロ・デュオのカシウス、次男マチューはサンクレールの芸名を持つ人気シンガー)であり、ゲンズブール+バーキン家のような芸能ダイナスティーを思わせるものを私は先入観として持っていた。特に1980年代の後半になって、フランスにTOP 50“なるチャートが出来てからレコード会社の第一存在理由が「ヒット曲を出すこと」のような風潮が顕著になり、DBF氏は演奏者・作詞作曲者・プロデューサーの陰にいながらも「ヒットを生むサウンド・エンジニア」として、メジャーヒットに大きく関係してくる。エチエンヌ・ダオ、ゲンズブール、フランソワーズ・アルディ、ジェーン・バーキン、イザベル・アジャーニ、ジャンヌ・マス。良くも悪くもヴァリエテ(テレビ向け流行歌とでも意訳できようか)ど真ん中の人、という印象。


 ところが今回初めて耳にした復刻LP『アイユール』(←写真1972年作)は、ヴァリエテっぽさなど微塵もないサイケデリック・プログレ作品で、ドラムスを除く全楽器・作詞作曲編曲ヴォーカルと録音ミックスまでDBFが一人で仕上げた音は私の印象をガラリと変えてしまった。このアルバムは当時DBFが専任エンジニアだったパリから50キロ離れたオワーズ地方の城館スタジオ、シャトー・エルーヴィルで録音されている。自伝本ではこのエルーヴィル・スタジオで過ごした71年から73年の日々が彼にとって最も重要な時期であったように記述されている。
 
 戦中生れのドミニクの世代は、第二次大戦が終ってもインドシナ戦争があり、次いでアルジェリア戦争があり、と戦争の脅威が続いていた。少年の頃、徴兵と戦地送りの恐怖は常にあり、少年たちはどうやって徴兵を避けるかということばかり考えていた。同時に彼らはティーンネイジャーでロックンロールの到来を体験した世代である。15歳でバンドを組み、18歳でバンドはプロデビューするが、リードシンガーを兵役で取られ,インストバンド(歌手のバックバンド)として1年ほど全国をツアーして解散。  

 1962
年アルジェリアが独立し、やっと戦地送りの恐怖は去り、1963年ドミニクは兵役に出かけるも精神病と偽り(精神病院に入院)3ヶ月で除隊を許可され、同じ年、パリ左岸の小さな録音スタジオETAにエンジニアとして就職する。朝8時から夜9時(往々にしてそれで終らない)まで、セッティングと録音の一切を任される過酷な修行時代。録音技術と機材が日進月歩で刷新されていた頃、ETAのような小さいスタジオはほとんどがデモ用の録音で、例えどんなに出来が良くても本録音の仕事は最新機材を備えた大きなスタジオに持っていかれる。またその頃はロックがテープ操作などのエフェクトで、奇怪な音を沢山発明していた頃で、その音はどうやって出すのかは同業者間では教え合わない。例えばレッド・ゼッペリンの「胸いっぱいの愛を」の音が右左ぐるぐる回る効果はどうやって作るのか、といったことは自分で探し出すしかないのだが、ドミニクは夢中でそれを解明し、クライアントが「ゼッペリン風に」と注文したらそれをやってしまい、その上自分が考案したエフェクトを提案することもあり、若いサウンドエンジニアは徐々に頭角を現していく。69年9月、新たに8トラック機を備えたETAスタジオで、25歳のDBFはデヴィッド・アレン&ゴングのアルバム『マジック・ブラザー』(↑写真)を録音している。そして71年、仏プログレの金字塔的作品、カタルシス『Masq』の録音を最後にETAスタジオを去リ、エルーヴィル城に移っている。


 エルーヴィル城スタジオ(
←写真、奥にミッシェル・マーニュ、手前にDBF)の創設者ミッシェル・マーニュ1930-1984)は作曲家で、実験的現代音楽でスキャンダルを巻き起こす一方、多くの大衆的映画音楽のヒットで財を築いた。この南北両翼を持つ18世紀建立の城館はマーニュが1962年に購入し、途中北翼を火事で焼失したものの、南翼の最上階を面積100平米、天井までの高さ6メートルの録音スタジオとして改装し、合わせて20の客室、厳選された酒蔵,フレンチグルメのレストラン、テラス、庭園、テニスコート、プールを備えた滞在型のレコーディング・レジデンスとして69年に開業した。人里離れた城館スタジオというコンセプトでは、ヴァージン創業者リチャード・ブランソンが英国オクスフォードシャーに開いたザ・マナー(1971年開業。マイク・オールドフィールド『チューブラー・ベルズ』の録音で有名)が知られているが、やったのはマーニュが先。しかし最初の2年間は来るアーチストたちも少なく運営は難しかった。その好転を狙って補強した27歳の凄腕サウンド・エンジニアがDBFだったのだ。彼の城での最初の仕事がマグマのセカンドアルバム『摂氏1001度』だった。

 その数週間後の71年6月、城から遠くないヴァン・ゴッホ終生の地として知られるオーヴェール・シュル・オワーズで開かれる予定だった大規模なロック・フェスが豪雨のため中止になり、その目玉バンドだったグレートフル・デッドがローディーや家族たちを引き連れて城に滞在することになった。ジェリー・ガルシア(
→写真)とその一党はこの城の環境ともてなしにいたく感動して、城で働く人たちや村人たちに感謝したく、城の庭園で無料のプライヴェートコンサートを開くことになり、DBFがその音響全てを任された。約200人がこの幸福な宵を共有し、城はありったけのシャンパーニュを振る舞い、葉っぱはバンバン吸われ、コンサートは夜を徹して明け方近くまで続いた。こんな音楽今まで聞いたことがないという村人たちも乗りに乗って踊って騒いだ。村の警察は見て見ぬふりをし、村の消防隊だけがその場に出動を依頼されて、ラリっては着衣のままプールに飛び込む人たちを懸命に救出していた、という。その翌日、グレートフル・デッドとローディーたちと家族たちは総出で前夜の大狂乱で荒れ放題散らかし放題になった庭園を丁寧に掃除し、元の美しい庭園の姿に戻したのち、静かに立ち去って行った。夢のような人たちだったとDBFは回想している。


 以来デッドのメンバーたちはエルーヴィル城のことを言いふらし、それが大きなプロモーションとなって英米のトップアーチストたちが次々に城に滞在してアルバムを制作するようになる。ピンク・フロイド(『雲の影』)、T.レックス(『ザ・スライダー』)、MC。エルトン・ジョンはここで3枚のアルバムを録音しているが、その1作目の『ホンキー・シャトー』はその滞在中のエルトンのパリのショッピングをよく手伝ったというので城の秘書のカトリーヌという女性に捧げられている。かの『黄色のレンガ路』 (1973年)もこの城で録音された。

 300
ページのDBF自伝本の50ページがこのエルーヴィル城時代に割かれているが、DBFが居たのは3年にすぎない。城の赤字は続き、ミッシェル・マーニュが73年に経営権を譲ったイーヴ・シャンベルラン(パリ最高の録音スタジオ「ステュディオ・ダヴート」の創業者)はその経営を立て直すどころか、マーニュを個人破産にまで追い込み、マーニュは1984年に自殺してしまう。DBF7310月に城を去ってフリーランスとなるが、その後の城のこと(マーニュ/シャンベルランの抗争について)は自伝では触れていない。城はその後もデヴィッド・ボウイ(『ピンナップス』、『ロウ』)、フリートウッド・マック(『ミラージュ』)、ビー・ジーズ(『サタデーナイト・フィーバー』)など歴史的なアルバムを録音してきたが、遂に1985年にその門を閉ざす。

 史実として19世紀にはフレデリック・ショパンとジョルジュ・サンドの逢い引きの逗留先だったことから、DBFが在籍時に作った第二録音スタジオは「ショパン・スタジオ」と名付けられる。またこの自伝でも、古城にはつきものの幽霊もDBFの体験談が二つ。この城のことだけで軽々と一冊の本が書けるだろうし、この城のロック・ヒストリーにおける重要性はもっと知られてもいい。

 その後のDBF氏はフリーランスとしてフランスだけでなく英米からもお呼びがかかる売れっ子サウンドエンジニアとして活躍することになるのだが、メインストリームであり、メジャーであり、ヒットの人である。1995年にはブラン=フランカール家経営の録音スタジオ「ル・ラボマティック」を開業し、世界最新の機材を売り文句にして、息子二人を筆頭に新旧の大物アーチストたちの作品を録音して今日に至っている。この最新機材というのがまさに曲者で、サウンドエンジニアが「職人芸」であった時代からこの仕事をしているDBF氏にしてみれば、この細部の細部まで機械がやってくれる今、エンジニアの勘やセンスやエモーションの入る余地がごくごく小さくなっていると嘆く。

 71
年から73年、若きDBFは幽霊が出るような古城の中で、その場の妖力や自然環境を愛すべき影響として受け止めているアーチスト/ミュージシャン/プロデューサーたちと、勘とセンスとエモーションで一緒に音を作っていた。彼が最高の職人だった時期だろう。ロック史はこの時期のドミニク・ブラン=フランカールを決して忘れないだろう。


(ラティーナ誌2019年4月号・向風三郎「それでもセーヌは流れる」)


(
↓)グレートフル・デッド、エルーヴィル城での伝説のライヴ(1971年6月21日)フランス国営テレビAntenne 2が中継していた!