2024年5月1日水曜日

追悼ポール・オースター:九分九厘の幸福

2024年4月30日、ポール・オースターが肺がんのため77歳で亡くなった。私の最重要作家のひとりであるが、出会いは遅く2004年に最初の一冊『オラクル・ナイト』を読み衝撃を受け、当時私が運営していた「おフレンチ・ミュージック・クラブ」の”今月の一冊”として紹介記事を書いた。「おフレンチ」にはもう一冊オースター小説を紹介している。2005年の『ブルックリン・フォリーズ』であり、以下に再録するが、そのイントロ部分で「私の2005年のベスト」と書いている。今の爺ブログなら「★★★★★」評価をつけるところだと思う。ユートピアが見えそうになる時、2011年9月11日の朝で幕を閉じる小説である。読み返してみよう。


★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★


これはウェブ版『おフレンチ・ミュージック・クラブ』(1996 - 2007)上で2006年2月に掲載された記事の加筆修正再録です。


Paul Auster "Brooklyn Follies"
ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』


(Actes Sud刊2005年9月)

の数ヶ月、本を読まなかったわけではない。悪い本にばかり当たっていたような気がする。悪い本は精神衛生上よくないし、この欄で私が悪い評を書いたところで、その読書体験が報われるわけではない。だから2ヶ月前に読んだものだが、ポール・オースターを取り上げることにした。私の2005年のベストの一冊である。それにしても2006年2月の現在において、まだ日本語訳が出ていないというのは不思議だ。

 話者ナタン・グラスは60歳の元生命保険セールスマンで、ガンと診断されるが一時的に鎮静状態にあり、早期退職して限りある余生を自分の原点であったブルックリンに戻って過ごすべく、かのニューヨークの一角に移り住んでくる。妻とは離婚し、娘とは時々連絡をとる程度の独り身暮らし。散歩や昼食のレストランなどでこの選ばれた「終生の地」はナタンを魅了していく。残り少ないと仮定された人生は、その若き日の文学趣味を再び呼び起こし、ナタンはこのブルックリンの日々を文字として留めていくことになる。その書き物のタイトルは『人間の狂気の書 Le livre de la follie humaine』と言い、この書のもうひとりの主人公はトム・ウッドという名のナタンの甥である。長い間会っていなかったこの甥は、過去には秀才の文学青年で、今頃は当然成功してどこかの大学教授に納まっているはずであったが、2000年春、彼がいるはずのないニューヨークのブルックリンの古本屋でばったり出会ってしまう。トムは若くて純粋な精神が勝ってしまって、教授職を選択せずに、青春の放浪の末にほとんど無一物でニューヨークに流れ着き、ブルックリンの古本屋に店員として拾われる。この文学好きな二人の再会によって、小説は理想を求める心優しい男たちの奮闘記に一転していく。この男たちのひとりを形成するのが、ハリーという名の古本屋店主である。富豪の娘と不詳不詳結婚させられたホモセクシュアルの男で、画廊で一時は成功するがその成功を維持するために贋作を売り、詐欺罪で監獄を経験したのち、第二の人生としてやり直すべくニューヨークになってきた。

 このハリーから、立ち行かなくなった世界の救済場所という、夢のヴィジョンが提案される。この場所は「実存ホテル HOTEL EXISTENCE」と称され、そのドアを開けば外界からどんな被害を被ることもなく、現実世界が効力を失ってしまう場所である。戦乱の地にも、自然災害の地にも、必ずそういうホテルが存在するのだ、と彼は信じている。

 小説はマトリョーシカ人形(ロシアこけし)のようにさまざまな人物が次々と現れ、それぞれ固有の小物語が矢継ぎ早に展開される。トムがナイーヴな純愛ごころから近づけないでいる子連れの女性(名付けて)”JMS(至高の若母 Jeune Mère Sublime)"。その夫で名前がジェームス・ジョイス(そういう大作家がいたということも知らない家庭環境で生まれた男)。その母親であるジョイス・マズケリ(夫の姓と母のファーストネームが同じという符合)は小説の終盤ではナタンとの老いらくの恋仲に結ばれる。トムの妹で、ポルノ女優から麻薬中毒者に身を落とし、新興宗教セクトの男に拾われ、そのセクトから抜け出せないでいるロリー。その娘でまだ9歳半のルーシーが家出してきてトムの前に現れる。母親ロリーの居場所は杳として知れない。この一筋縄ではいかない家出少女を連れ立って、トムとナタンの珍道中が展開される。そのロードムーヴィー的展開の道すがら、立ち寄った「チャウダー旅籠」という民宿にトムとナタンはハリーが言っていた「実存ホテル」のこの世の姿に違いないと見てとるのである。地上においてもしも「実存ホテル」があるとすれば、この旅籠のことに違いない、と。

 この話を実存ホテル論の元祖ハリーに伝えると、ハリーはその旅籠をわれわれの実存ホテルにできる可能性があるから、まかせておけと言う。ハリーにはもうすぐ大金が転がり込んでくるはずなのだ、と。ナタンは信じない。友人としてナタンはハリーに忠告するが、ハリーは耳を貸さない。アメリカ文学ゴシック小説の傑作として名高いホーソン作『緋文字』(1850年)のオリジナル手稿の贋作をコレクターに売りつけるという企てだったが、ハリーの一世一代の大詐欺作戦は機能せず、逆に共犯者に騙されていたことが発覚し、その揉み合いの果てにハリーは命を落としてしまう。

 小説は大団円に向かっていき、ナタンはハリー殺しへの復讐を果たし、トムはチャウダー旅籠の娘と所帯を持つことになり、悪ガキ少女ルーシーは母親ロリーと再会し、ロリーは新興宗教セクトから解放され、老いらくの恋(ナタンとジョイス)は成就し、万事がまるく納まるかのように思われた。そしてナタンのガンが再び体を蝕んでくるのであるが、それは前もってわかっていたこと。ジョージ・W・ブッシュが大統領に当選し、急激な保守化右傾化の波の中で、それでもブルックリンはナタンたちが自らつくった自らの実存ホテルのように、良い顔をした町になった。そういう顔の町に青空の朝がやってくるのである。2001年9月11日の朝が...。

 ポール・オースターは2001年9月11日の後、3編の小説を発表しているが、いずれも”9月11日”に関連したものではなかった。フランスの文学雑誌LIREのジャーナリスト、フランソワ・ビュネルはその間オースターに会うたびに同じ質問をしていたという。「9月11日に関した小説は書かないのですか? ニューヨーカーとして、小説家として、そしてツインタワーに面と向かった場所に住んでいた人間として、アメリカの顔を激変させてしまったこの日に関して書かずにいられるのですか?」。オースターはその返事として、ひとつの大悲劇を一編の小説という形に凝縮することには疑問に思うところがあるとし、彼が過去にニクソン大統領の事件をフィクション化した小説『ムーン・パレス』(1989年)を書き上げるのにも20年の月日を要したのだ、と答えたという。しかしながら『ブルックリン・フォリーズ』は20年の歳月を待たずに、事件の4年後に発表された。

 言わば”戦前”の幸福で明るい狂気であふれていた”Y2K"期のアメリカ、ニューヨーク、ブルックリンであるが、これは世代論的にあの頃はみんなこうだったという”十把一絡げ”な作品では断じてない。ガンを患う60歳の男が奮起すれば、理想も愛も現実に近くなっていくのだ、というおめでたい人生論とももちろん異なる。われわれの日常とはたぶんこれに近くてもいいのだ、と思わせてくれるなにかがありがたいのだ。実存ホテルはもちろん実体のものではなく内在するものである。そのドアはたぶん開くのである。そのホテルの窓から見える青空は、9.11ニューヨークの青空のゆに危ういものであっても。生きて行こう。

Paul Auster "Brooklyn Follies"
Actes Sud刊 2005年9月 368ページ 23,40ユーロ

(↓)1987年、40歳のポール・オースターが国営TVアンテーヌ2のベルナール・ピヴォのインタヴューに答えて、いかにしてフランス語を習得し、どんなフランス人作家詩人を米語に翻訳したかを語っている。

2024年4月30日火曜日

追悼ポール・オースター:おめえも来るか

2024年4月30日、米国ニューヨークの作家ポール・オースターが肺がんのため77歳で亡くなった。フランスで最も愛読されるアメリカ作家であり、私も遅いスタートだったが2004年から読み始め、今や本棚には十数冊が並んでいる。そのアメリカ観、世界観、ストーリーのパワーなど本当に教えられるものが多かったし、信頼していた。爺ブログの前身おフレンチ・ミュージック・クラブ(1996 - 2007)では、オースターの2つの作品を紹介していた。下に再録する『オラクル・ナイト』(2004年4月フランス刊)は、私の初オースター体験であった。ちょうど20年前、私はこんなふうに読んでいたのか、と自分発見の再録であったが、総じて文章はちょっとくどい。ごめんなさい。


★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★

これはウェブ版『おフレンチ・ミュージック・クラブ』(1996 - 2007)上で2004年5月に掲載された記事の加筆修正再録です。

Paul Auster "La Nuit de l'Oracle"
ポール・オースター『オラクル・ナイト』


めて読むオースターである。フランスでも今や翻訳が出版されればたちまちベストセラー上位になるという立ち位置にある人気作家で、2004年4月1日刊行の本書も4月3周目現在フランスのフィクション書籍売り上げランキングの4位にある。フィリップ・ロスと並んで、フランス人が最も愛読する現代アメリカ文学作家のひとりであるが、なぜ、こんなに当地で評価が高いのであろうか? 敬愛する友人である吉田実香さんと伴侶のデビッド・G・インバー氏が共著した『90年代アメリカ話題の作家&BOOK』(スパイク社刊1998年)の中のオースターのページの見出しは「ヨーロピアンな生粋のアメリカ人、オースター」となっていて、その欧州的文学性を強調した作家像を紹介している。またそのページの小さな囲みの短い作家プロフィールのところでは「稀有な現代のストーリー・テラー」という位置づけがされている。
 なぜフランスでオースターが好んで読まれるか、ということは最初の数ページを読んで即座に納得できた。これが本物の「ストーリー・テラー」なのだな、と。それがストーリーはひとつではなく、マトリョーシカ人形(ロシアこけし)のように、ストーリーの中からまた違うストーリーが生まれ、そこからまた別のストーリーが派生し、ときりがないほど多くのストーリーが出てくるのである。一編の小説にここまで多くのストーリーを詰め込んでいいのか、あとで収拾がつかなくなるのでないか、と読む方が心配になってくる。地下鉄に乗っていたら、絶対にひと駅ふた駅は乗り過ごすであろう。物語の中から次々と現れる別ストーリーで読む途切れを与えないのだ。とは言うものの、物語内物語、小説内小説は突然途切れ、再開し、また途切れるということを繰り返す。読む者はわくわくすると言うよりは、その中断/再開の不安定なリズムに不安になる。これは字句通りの意味の「サスペンス」(宙吊り状態)の感覚なのだろう。この未決状態がいやだから読者が先へ先へと読み続けなければならない。これがオースターの小説にあっては多元的に宙吊り状態があるのだからたまらない。
 小説の時間は1982年9月、場所はニューヨーク。34歳の小説家シドニー・オアは、一時は死を宣告されるところまで悪化していた病気を長い闘病生活の末に奇跡的に克服し、自宅に戻ってくるが、なかなか創作活動を再開できない。シドニーにはグレースという妻がいて、出版社詰めのグラフィック・デザイナーとして仕事しているが、シドニーの患った大病の入院費/治療費のせいで二人はほぼ破産状態にある。ある日、シドニーは散歩の足をブルックリンまで伸ばし、一度も入ったことのない中国人経営の文具店に吸い込まれるようにして入っていく。そこで彼はポルトガル製の青い表紙の手帳を購入する。この手帳との出会いが、それまで一行の書けなかったシドニーを変えてしまう。デスクに向かい、この手帳を開くと、シドニーの持ったペンが勝手にすらすらと物語を書いてしまうかのように、次から次に創作のアイディアが出てくるのだ。
 シドニーはここでダシール・ハメットの小説『マルタの鷹』にインスパイアされた過去と一切の関係を絶った男のストーリーを書き始める。小説内小説のはじまり。主人公はニック・ボウェンという名のニューヨークの大出版社に勤める有能な編集者。妻を愛しながら倦怠している男。彼のもとに1920年代の著名な女流作家であったシルヴィア・マクスウェルの未発表原稿が、その孫娘から送り付けられる。その原稿の題名は『神託の夜(オラクル・ナイト)』。つまりこの原稿は小説内小説内小説。この原稿を出版社に持ち込んだ女性、つまり作者女優作家の孫娘であるローザにボウェンは一目惚れをしてしまう。そしてその直後、ボウェンは目の前数メートルのところに見舞った落雷と遭遇する。自分はあと一歩間違えば死んでいたはずである。紙一重の死を体験してしまったボウェンはそのショックによって、自分を一旦死んでしまった人間として悟り、過去と絶縁した新しい人間として再生すべく、衝動的に空港に向かい、自分の一度も行ったことのない土地カンサス・シティーへと旅立つのである。カンサス・シティーでの出会い、新しい友情の始まり、ローザへの未練.... 小説説内小説は思わぬ方向へ独り立ちしていくのであるが....。
 シドニーはわれに還ると、青い手帳の魔力を恐れる自分があり、またグレースとのなぜか釈然としない夫婦関係がある。またシドニーの親友で20歳以上年長の著名作家ジョン・トラウスとの、敬愛もあり、コンプレックスもあり、文学観哲学観の相違もままあるという複雑な友情関係がある。しまいにはこれがグレースをめぐる三角関係であったということが明らかになるが、シドニーはそれを小説最終部になるまで気がつかない。袋小路と迷宮はいたるところにあり、青い手帳を売っていた中国人文具店は忽然と消えてなくなり、妊娠を喜ばない妻グレースは謎の不在の一夜を過ごし、小説内小説の主人公は冷戦時代に作られた核シェルターの中に閉じ込められ、苦しい家計を救う臨時収入となるはずだった映画シナリオはボツにされ、親友トラウスの息子は情緒の欠落した凶暴なジャンキーとなってシドニー夫婦を執拗に攻撃してくる....。そのほか枚挙したらきりがない無理難題をたくさん抱えながら小説は進行する。

 おフレンチ・ミュージック・クラブ『今月の一冊』でこれまで紹介してきたフランスの本とは違って、このアメリカ小説は近々に邦訳が刊行されるであろうから、これ以上の内容説明は控えよう。世界で数百万部読まれているエンターテインメント小説を、何もここでかいつまんで筋を明かす必要などない。
 レクスプレス誌の書評の表現を借りると、オースターは”Thriller métaphisique"(形而上的スリラー小説)という新分野を開拓した人なのだそうだ。よくわからない分野であるが、なんとなく雰囲気はつかめる。この小説でもオースターは無理難題/袋小路をほうぼうに配置しているのであるが、その綿密に計算された構成は名人芸と言うしかないものではあるとは言え、無理難題はゲーム的にひとつひとつ解題/解決されていくわけではない。ほとんど宙吊りのまま放っておかれるのだ。読者は小説内小説の成立に立ち会うかのような期待を持たされるのであるが、小説内小説は中断され、その主人公は核シェルターの中で永遠に助けを待ち続けることになる。青い手帳の魔力もそれが何であったのか、答えはない。文学はそのようなものでは成立しない、というオースターなりの答えなのかもしれない。そして、この小説の核心のそのまた核であるかのような印象を持たせる小説内小説内小説の『オラクル・ナイト』は、最終的になんら中心的な役割を果たしていない。文学においてオラクル=神託など真ん中に持ってきてはいけないのだ、ということか。神の不在はここでも大いなる不安となってこの小説を支えている。
 小説が成立しようとすると、存在が壊れ始める。小説家シドニーの生きたドラマはこれである。作家は身を切られる思いで小説を書いているのではない。実際に身を切られてしまうのである。小説内小説が成立しないのは、その身の切られ方が足りないからだ。この点で言うならば、この小説はメタフィジックであるよりもフィジックなスリラーとして読まれることになる。
 初めて読んだオースターであった。この盛り沢山なストーリーの塊を前にして、これが世界で数百万部のエンターテインメントであることは容易に納得できたが、それだけではすまないだろう。私の知らない現代アメリカ文学は恐ろしい重厚さを持っているようで、もっともっと読まれなければならないと痛感しながら.... また次回。

Paul Auster "La Nuit de l'Oracle(Oracle night)"
Actes Sud刊 2004年4月 220ページ 20ユーロ


(↓)2020年のYouTube投稿で、ポール・オースターのインタヴュー日本語字幕つき「小説家になるには」


2024年4月28日日曜日

町の小さなお風呂屋さん

Matia Bazar "Ti Sento"(1985)
マティア・バザール「ティ・セント」(1985年)


詞曲:Carlo Marrale - Aldo Stellita - Sergio Cossu

の朝市という意味ではない。マティア・バザールは1975年地中海の港町ジェノヴァで結成されたイタロ・ポップバンドである。オリジナルメンバーは、ピエロ・カッサーノ(kbd)、カルロ・マッラーレ(g,vo)、アルド・ステリータ(b)、ジアンカルロ・ゴルツィ(dms)、そして紅一点ヴォーカルのアントネッラ・ルッジエロであった。1979年にはイタリアを代表してユーロヴィジョン・ソングコンテストに出場し、"Raggio di luna(月の光)"という曲を披露したが、エントリー19曲中、15位という結果に終わっている。イタリアでは70年代からずっと第一線のポップバンドであったろうが、私はずっとフランスにいるのでその活躍のほどはよく知らない。マティア・バザールがフランスで”ヒット”したのは2曲しかない。ひとつは1978年の"Solo Tu(あなただけ)"、そしてもうひとつが1985年の”Ti sento"である。「ティ・セント」はイタリアでシングルチャートNO.1だっただけでなく、ベルギーで1位、オランダで2位、その他西ドイツ(当時)や北欧圏でチャートインし、1985年と86年を通してヨーロッパ中でヒットしたことになっている。そのヒットの国際化に対応してマティア・バザールは「ティ・セント」の英語ヴァージョン"I feel you"も録音している。
 フランスは1981年(ミッテラン当選の年)にFM電波が解放され、一般視聴者(特に若いジェネレーション)への音楽情報量が飛躍的に増加し、音楽の”聞かれ方”が革命的に変化した。1984年、フランスはSNEP(全国音楽出版協会)が統計する公式のナショナル・チャート”TOP 50”がスタートし、テレビ(カナル・プリュス)で発表される週間チャートはたいへんな視聴率を上げていたのだよ。日本からは英米ヒットや旧時代のビッグ(アリデイ、サルドゥー、ヴァルタン...)が支配的と思われがちだったフランスのチャート事情の現実はまるで違っていて、この1980年代半ば、この国のチャートやFMは欧州が元気だった。ベルギー、西ドイツ、イタリア。ユーロ・ポップ、ユーロ・ビート。欧州産シンセ・ポップはだいたい英語で歌われるのだが、ベルギーからはフランス語ものも出てくるし、イタリアからはイタリア語ものも堂々と出てくる。当時私はイタロ・ポップのシングル盤たくさん買いましたよ。Righeira "Vamos A La Playa"(1983年)、Finzi Contini "Cha cha cha"(1985年)、Gazebo "I Like Chopin"(1983年)、Ryan Paris "Dolce Vita"(1983年)、Andrea "I'm a lover"(1986年)、Tullio De Piscopo "Stop Bajon"(1984年).... 
 この当時、私は”音楽業界”に入っておらず、一介の音楽リスナーだったが、イタリアが欧州ポップの前衛であることは実感していて(当時の私の知る範囲というのはシングル盤ヒットとFMヒットの領域に限られるものの)、サウンドテクノロジーにおいてもプロダクションの繊細さにおいてもフランス”ヴァリエテ”はイタリアにかなり遅れているという印象があった。Italians do it better。あの頃の私の"遊び場"だったレ・アール地区で、"FIORUCCI"の店がひときわ面白かったのも懐かしい記憶。

 そういう1980年代半ばにあって、マティア・バザール「ティ・セント」は大変な衝撃であった。端的に”のけぞりもの”、進行するにつれて果てしなくクレッシェンドしていき、最後には絶頂がある、性的オーガズム型。どこまで上昇するんですか、というアントネッラ・ルッジエロのハイトーンパワー・ヴォーカルに圧倒されるしかない。このヴォーカルは後年、セリーヌ・ディオンやアデルなどと並んで、21世紀のテレビのど自慢/タレント発掘リアリティーショーたる「ザ・ヴォイス」その他のリファレンス・パフォーマンスとなり、挑戦者の定番レパートリーとなっていく。だが、誰もアントネッラに比肩できる歌唱などできはしないのですよ。


La parola non ha 言葉には
Né sapore, né idea 
香りも想いもない
Ma due occhi invadenti ただ迫りくる二つの眼か
Petali d'orchidea 蘭の花びらのようなもの
Se non hai その言葉に
Anima, ah 魂がなければ

Ti sento わたしはあなたを感じる
La musica si muove appena 音楽はかすかに動いている
Mi accorgo che mi scoppia dentro 私はそれが私の中で爆発するのがわかる

Ti sento わたしはあなたを感じる
Un brivido lungo la schiena 背中に走る戦慄
Un colpo che fa pieno centro 真ん中から突いてくる一撃

Mi ami o no? あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami o no? 
あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami あなたはわたしを愛しているの?

Che mi resta di te あなたにはわたしの何が残っているの?
Della mia poesia わたしのポエジー?
Mentre l'ombra del sonno その愛の影が忍び寄り
Lenta scivola via ゆっくりと去っていく
Se non hai もしもわたしのポエジーに
Anima, ah 魂がなければ

Ti sento わたしはあなたを感じる
Bellissima statua sommersa 水に沈んだ世にも美しい彫像
Seduti, sdraiati, impacciati 座り、横たわり、身動きがとれない

Ti sento わたしはあなたを感じる
A tratti mia isola persa 時には私の失われた島のように
Amanti soltanto accennati 何も見えないまま愛し合うこと

Mi ami o no? あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami o no? 
あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami o no? 
あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?

Ti sento わたしはあなたを感じる
Deserto, lontano miraggio 砂漠のはるかな蜃気楼
La sabbia che vuole accecarmi 砂嵐がわたしの目をふさぐ

Ti sento わたしはあなたを感じる
Nell'aria un amore selvaggio 大気に舞う野生の愛
Vorrei, vorrei incontrarti 会いたい、あなたに巡り合いたい

Mi ami o no? あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami o no? 
あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami o no? 
あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?

Ti sento わたしはあなたを感じている
Vorrei incontrarti! あなたと出会いたい!


なんとも20世紀的なまだ見ぬ恋人への激しい恋歌でした。

(↓)1987年西ドイツ、ミュンヘンでのライヴ。たいへんな実力のシンセテクノ・ポップバンドだったことがわかる。アントネッラの超絶ヴォーカルも。



(↓)1986年、スウェーデンのレーナ・フィリプソン(Lena Philipsson)によるカヴァー"Jag Känner"。なんか歌謡曲になっちゃいましたね。


(↓)2009年、ドイツの”ハッピーハードコア”バンド SCOOTERによるカヴァー。ここでフィーチャリング・ヴォーカリストとして歌っているのは、なんとアントネッラ・ルッジエロご本人。


(↓)2023年、フランスのスターDJ、ボブ・サンクラールによるリミックス、もと音源はマティア・バザール&アントネッラ・ルッジエロ(vo)のオリジナルヴァージョン。


(↓)2024年、イタ車アルファ・ロメオ・トナーレのコマーシャル・クリップ。

2024年4月14日日曜日

「やりすぎたらバランスが壊れる」

"Le Mal n'existe pas"
『悪は存在しない』


2023年日本映画
監督:濱口竜介
音楽:石橋英子
主演:大美賀均(タクミ)、西川玲(ハナ)
2023年ヴェネツィア映画祭銀獅子賞
フランス公開:2024年4月10日


うすぐ日本公開(2024年4月26日)なのだから、爺ブログの出る幕じゃないとは思うのだが、どうしても書き記しておきたいことがあるので。フランスで濱口竜介の評価は非常に高い。2015年の超5時間映画『ハッピーアワー』(フランス上映題”Senses")はフランスでもアートシアター系上映館を中心とした配給だったが、観客数は10万人を超えた。ダイアローグだらけ、言葉だらけの5時間だった印象がある。ノン・プロ俳優陣の棒読みセリフの洪水のような。フランス語字幕はちゃんと追っていただろうか?往々にして字幕は”はしょる”ものである。しかし私は母語として日本語を解してしまうので、この洪水に耐えた。そしてこの濱口という映画作家は「言葉の人」という第一印象を持った。それがフランスではよくエリック・ローメール(1920-2010)と比較される所以で、監督本人もその影響を認めている。2018年の日仏合作映画『寝ても覚めても(フランス上映題"Asako I & II"』はプロの男優女優が演じる”動き”と”筋”がある映画になって、これもフランスで10万人を動員した。そして日本でも大ヒットし、カンヌ映画祭脚本賞、米オスカー国際映画賞も取った3時間映画『ドライブ・マイ・カー』(2021年)は、文学と演劇とロードムーヴィーが交錯する”大家撮り”のヘヴィースタッフで、フランスでは20万人を超す観客を呼んだ。ああ、この人完成してしまった、という印象。ただ、この映画で音楽を担当した石橋英子サウンドトラックというのはあまり印象に残っていない。←私の耳は節穴。
 映画『悪は存在しない』は『ドライブ・マイ・カー』での石橋英子・音楽との出会いが出発点になって制作された作品だそうで、その経緯は日本語版ウィキペディアに詳しい。そうか、言葉よりも音楽がものを言う映画なのか、という映画を観る前に構えてしまった私。これは私の”映画の観かた”を問われる問題で、自覚的に私は筋ばかり追いたがり、セリフ/ダイアローグに従って映画を”解ろう”とするタイプである。散文的な観客。そうか、今回は石橋英子の音楽が映画を引っ張っていくのだな。←私の耳はそれに感応できるのかな。
 映画冒頭はかなり長いシークエンスの風景トラヴェリング(移動撮影)で、冬の森を地面の側から木々を空に向かって撮っていてゆっくり移動する。たぶん自然音と弦楽器群が奏でるゆっくりした物憂い(モノトーンな)音楽が聞こえる。そうか、これか、と思った。この寒さはタルコフスキー的だとも思った。濱口の初めての言葉の少ない映画の始まり。 
 映画で場所は特定されていないが、長野県八ヶ岳山麓のとある集落らしい。タクミ(演大美賀均 = ノンプロ俳優ではあるが、映画関係者で濱口のスタッフでもある)は職業不詳(自分では”何でも屋”と言い、薪割りや湧水汲みをしている)の言葉少ない寡夫で小学児童の娘ハナ(演西川玲 = プロの子役)と二人暮らし。ハナの下校時間に二人で森の中を歩いて帰り、木々や動植物の名前と自然の事象について教えている。鹿の通り道、その水飲み場や食べ物や習性についても。出会うことは稀でもここは鹿と人間が共棲している自然。調和(バランス)は取れているがそれは壊れやすい。ここまでが(調和的な)イントロ。その親子二人の幸福な自然を学び教える時間に、うっすらと影があるとすれば、タクミが近頃この約束の下校時刻をうっかり忘れることがある、という....。
 この静かな集落に、東京の芸能プロの子会社がコロナ助成金目当てに高級キャンプ施設(これを今日びの日本語では”グランピング”と言うらしい)の建設を計画、集落住民全員を集めてその説明会を開く。東京から派遣された説明員は二人:タカハシ(演小坂竜士)とマユズミ(演渋谷采郁)、その美辞麗句でかためた建設案を住民たちは問題点をひとつひとつ挙げて突き崩していく。ここでわかるのはこの集落に住む人たちにとって、その湧き水がどれほど大切なものであるか、ということ。それを高級キャンプ施設が汚染してしまう可能性があること。タクミはその水は鹿とも共有していること、その建設予定地が鹿の通り道であることも知っている。住民たちは即答できない東京もん二人にさまざま宿題を課し、その回答があるまで建設には賛成できない、と。
 タカハシとマユズミは東京もんの分際で住民たちの主張に理ありと考えてしまう”弱さ”があり、東京に戻り、会社と建設企画コンサルタントに再考を促すが、東京側のリベラル資本主義論理は、形式的に説明会は成功したことにして、日程通り計画を実行するべく、逆にタカハシとマユズミに、再度現地に飛び、集落の賢者にして重要人物であるタクミを抱き込んで味方につけて計画を軌道に乗せよ、と命令。
 観る者はここで映画題の「悪」とは東京ゼニ儲け勢力であると単純に構図化するかもしれない。心にその「悪」に承服できないものを多く抱えながら、「悪」の使者たるタカハシとマユズミはしぶしぶ車を走らせ集落へと向かう。この自動車の中という閉鎖された空間で、運転席と助手席というポジションで、二人は”本音の会話”を展開する。お立ち会い、ここがこの映画でほぼ唯一「言葉の人」濱口の(これまでの彼の映画で見慣れた)ダイアローグアートの見せ場なのである。その”本音”は会社上司への抑えきれない憤りに始まり(タカハシはマユズミに「おまえこんな会社やめちまえよ」と執拗に進言する)、二人がそれぞれどんな経緯でこの”悪の手先”の現在位置までたどり着いたのか、そしてそれぞれの極々私的な体験(マッチング・アプリでの経験)に至るまで。”戦場”に着くまでの和みの時間のように。
 重い気持ちで現地に着いた二人をタクミは好意も敵意もなく自然体で迎える。東京側のタクミ抱き込み策は試す前から頓挫することが二人にはわかっている。着いた時、タクミは薪割りの作業中で、タクミはその仕事の切りがつくまで薪割りをやめない。「ちょっとやらせてもらっていいですか?」とタカハシはタクミからまさかりを借りて薪割りを試みる。生まれてこの方薪割りなどやったことのないタカハシはまさかりを振り上げ振り下ろすのだが、割るべき丸木に命中しない。何度やっても結果は同じ。見かねたタクミは両足の位置を教え、まさかりは頭上に振り上げたらあとは力を抜いて自然落下させろ、と。すると、なんと薪はスパーンと割れたのである。タカハシは「この10年間でこんなに気持ちよかったことはないです!」と素直な喜びを。(←薪割りシーンの写真)
 俄然タカハシとマユズミはタクミとこの自然環境に魅了され、東京悪との決別を思うようになる。タクミは汲んできた湧水で茹でて調理した(脱都会夫婦がやっているうどん屋の)うどんを二人に賞味させ、さらに二人を連れて湧水の汲み馬まで行き、水汲み作業を手伝わせる。三人の心の交流が始まったかのように見える。水は存在する。この生態系を共有するすべてのもののために。集落の人々はこの水を拠り所にしてここに住みついている。彼らはスマホやインターネットや四駆の車を使う21世紀フツー人であり、大なり小なりこの生態系にダメージを与えて生きている。タクミは守るべきバランスがあると言う。「やりすぎたらバランスが壊れる」と言うのだが、この言葉に映画のすべてが集約されている、と観終わったら気がつきますよ。
 水は存在する ー 私はとっさにこの映画題からのダジャレで「アクア存在する」なんて独語してみたのだが、出来わるいっす、ごめんなさい。
 ここまでが映画の第三段階。そして映画は最後のカタストロフィーに向かっていく。やりすぎたらバランスが壊れる。東京もん二人との心の交流にうつつを抜かしていたタクミは、娘ハナの約束の下校時刻をすっかり忘れてしまう。あわてて小学校に車を飛ばしたタクミだったが、そこにはハナはもういない。その場にいた教員の女性は「おとうさんの毎度のことだから、と言い残してひとりで歩いて帰って行った」と。ハナは家に戻っていない。ここからハナを隠してしまった自然の中にタクミとタカハシと集落民たちが分け入り、大捜索が展開される。映画はふたたび森の中の移動撮影(トラヴェリング)と石橋英子の不安げな音楽と自然音の長いシークエンスへ。音楽はものを言う。自然とはしかしてその正体は「悪」なのか、とも思わせるような。われわれはタクミの言う「バランスが壊れる」局面に立ち会っている。そしてカタストロフィーはやってくる。観る者がまったく予期できなかった映像が展開される....。
 そこはネタバレが許されないところなので、これ以上は触れない。

 とてつもないカオス、混沌が最終章となる時、そういう終わり方をする音楽として私はラヴェルの「ボレロ」の最終音、ビートルズ「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の最終音などを想ってしまうのだが、石橋英子の音楽はどうだったのか、私は憶えていないのだ!←私の耳は節穴。それよりもなによりも最後のミステリアスなカオスの強烈な映像にあっけに取られてしまったのですよ。

 テレラマ誌の執筆ライターで自ら映画監督でもあるマリー・ソーヴィオンがそのYouTubeチャンネルの動画の中で、去年7月のヴェネツィア映画祭で初めてこの映画を観たあとで、驚きを隠せない周囲の人たちに「最後のところわかった?」と尋ねると「あまりよくわからない、でもこのミステリアスなエンディングは心にずっと残るだろう」と答えたという話を伝えている。私はこれに膝を叩いて同意する。私が観たパリ6区の映画館では、観客たちは映画の最後に口をポカンと開けながら、エンドクレジットを読むでもなく眺めながら、じっと映写ホールの灯りがともるのを待っていた。わかるもわからぬもなくこれは重く残るのですよ。
 映画題『悪は存在しない』は反語であろうし虚言でもあろうが、エリック・ローメール映画の諺・格言のように、それはそれでありがたいものである。映画のトーンは(エコロジックな)寓話のように捉えられようが、この映画で善悪は重要な問題ではない。問題はタクミが言うように「バランス」なのである。それを濱口は(「言葉の人」の才を抑えて)トラヴェリングと音楽と自然音を前面に出して表現したのである。できる映画監督なのだと思う。ことさら山麓の映像は美しい。Pourtant la montagne est belle.

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『悪は存在しない』フランス上映版予告編


(↓)仏民放テレビTMCのトーク番組QUOTIDIEN で『悪は存在しない』のプロモでインタヴューに答える濱口竜介(Bonjour... とちょっとフランス語も)。濱口の日本語語りが多い中で自動車の中の対話シーンに関する説明が面白い。

2024年4月5日金曜日

日本で震度2は軽い

"Sidonie au Japon"
『シドニー、日本で』


2023年フランス映画
監督:エリーズ・ジロー
主演:イザベル・ユッペール、アウグスト・ディール、伊原剛志
フランス公開:2024年4月3日

ルヴィル東京』(2011年)のエリーズ・ジラール監督の最新作でイザベル・ユッペール主演で日本で撮られた映画『シドニー、日本で(Sidonie au Japon)』、本日フランス公開、わが町のランドフスキー座13時45分の回で観た。人は結構入っていて、わが町の日本文化ずきとおぼしき年配女性たちがほとんど。桜の季節でもあるし。

 事故で両親家族を失い、次いで夫も事故で失い、それ以来小説が書けなくなってしまったかつてのベストセラー作家シドニー(演イザベル・ユッペール)、そのかつての代表作が日本で復刻再出版されることになり、その出版社からプロモーション来日の招待を受ける。この日本行きを最後まで躊躇してフライト時刻に遅れて空港カウンターに着き、「もう乗れませんよね」と問うと、カウンター女性が「大丈夫です、出発時刻が3時間遅れましたから」と。あ、これは軽〜い映画の始まり、っと思わせるのだが...
 日出ずる国の空港では日本の出版社の代表ミゾグチ・ケンゾウ(まあ、それを狙った役名ではあるが、映画中にシドニーに著名映画監督の縁者かと問われ、ミゾグチとは日本ではザラにある名前と答えている。演伊原剛志)がいて「ビヤンヴニュ・オ・ジャポン、シドニーさん」と迎え、日本式に「カバン持ち」をする要領で、客人のスーツケースとハンドバッグをほぼひったくりモードで奪い取り、すたすたと前を歩いていく。この不思議の国ニッポンの「カバン持ち」作法はこの映画でギャグとして多用され、重要なファクターとなるのだが、古今の欧米映画監督が日本を撮る際に誇張したがる(非日本人からは奇妙に見える)”ジャパニーズ・ビヘイビア”はこの映画でもたくさん出てくる。その描き方はソフィア・コッポラ『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)のやり方を踏襲していると思われる部分が多い。繰り返される深々としたお辞儀とか日本の高級ホテルの不思議な決まり事(”セキュリティー・リーズン”で絶対に開かない窓)とか。
 しかしその”セキュリティー・リーズン”を破って、ある時シドニーのルームの窓は大きく開いている。このホテルには幽霊が出没してイタズラをしている。ミゾグチにそのことを告げると賢人のようなものの言い方でミゾグチは「日本ではいたるところに幽霊がいて、われわれは幽霊と共に生きている」とのたもう。


 6日間の日本滞在中、書店でのサイン会、レクチャー、文芸ジャーナリストたちのインタヴューなどの合間を縫って、ミゾグチはシドニーに不思議の国ニッポンを案内して回る。奈良東大寺、京都法然院(+谷崎潤一郎の墓)、香川県直島(ベネッセハウスミュージアム)...。それはそれは絵になる”絵ハガキ”日本であり、しかも時期が桜満開の頃となっていて、シドニーさんは外国人観光客のようにためいきをついて目を瞠り、その美しさに魅了される。あ〜あ、ヴェンダースの『パーフェクト・デイズ』の時にも書いたけど、スポンサー(この場合は直島)の言うがままのような映像であるよ。
 そしてこの不思議の国の旅に幽霊もついて回るのである。シドニーの前に姿を現した幽霊は亡き夫のアントワーヌ(演アウグスト・ディール)。幽霊の出やすい国にシドニーがやってきたから、出ることができたみたいな。いつまでも”喪が明けられない”シドニーが気にかかってこの世を彷徨っているという、幽霊譚はなんとも日本的なおもむきである。シドニーはこの黄泉の国から戻ってきた実体のない霊体を捕まえたい、離したくないと望むのだが、相手は幽霊なので。他の人には見えず、自分にしか見えない幽霊。ここでフランス人監督は、見えるものと見えないものが共に生きる国ニッポン、みたいなイメージを映像化しようとするのだが、それ、どうかなぁ?

 桜の季節なのに、ここで援用されているのは「お盆」であろう。この数日間だけ死者は戻ってきて現世の人間たちと共に過ごし、また去って行く。シドニーは夢うつつのうちに、この死者との別れ、すなわち喪の終わりを悟るのである。喪が終わらなかったから書けなかった作家がふたたび筆を持ち書き始めるという「生き直し」の瞬間を描こうとした映画なんだが...。
 そして図らずもその作家再生の不思議の旅を道案内してしまったのがミゾグチという男なのだが、映画はこのぼそぼそと不明瞭なフランス語(フランス上映版では伊原剛志の話すフランス語には全部フランス語字幕がつく)を話すこの日本男性に道士的役割まで与えてしまう。「日本人は本心を隠すことを美徳とする」なんてことを言っておきながら、このミゾグチはある夜、シドニーの泊まるホテルのバーで、氷なしストレートのウィスキーをガブ飲みしながら(日本の男はヤケ酒でも飲まないと本音を吐かないというクリシェ)、自分の妻との壊れっちまった関係のいきさつを吐露する。サムライ映画のパーソナリティのようだったミゾグチが壊れっちまった時、シドニーにこの不思議ニッポン人へのシンパシーが芽生えるという...ちょっとちょっとカンベンしてくれ、なシナリオなんですよ。
 旅の疲れという設定なのか、この映画でヒロインはよく眠るのである。ホテルでも旅館でも、はたまた電車の中でも(電車の中で熟睡するというのも欧米人からすれば特殊な光景でしょう)。この夢とうつつと幽霊が混在する世界がシドニーの日本であり、その幽玄ワンダーランドに奥深く浸ることが、歌を忘れたカナリア、筆が進まなくなった作家たるシドニーの再生セラピー、という映画を企図したんだ、ということはわかるんですがね、それ、めちゃくちゃ薄っぺらくないですか?いたるところに桜咲く日本の(観光クリップ然とした)映像は、そういう世界を喚起できますか?
 幽霊は消えていき、喪は終わり、目の前にはあの幽玄ワールドガイドのミゾグチがいる。旅の途中から書き始めたノートはまた文章を創造するパワーを取り戻していく。こじつけのように滞在最後の夜は、女と男の愛情まじわりで...。

 エンドロールに「吉武美知子に捧ぐ」という字幕あり。個人的にお会いしたことはないが、2019年に亡くなった在パリ映画プロデューサーの吉武さんは、仏日の映画の架け橋として大変重要なお仕事をされた方。この映画を捧げられて草葉の陰でどう思われただろうか。笑ってくれたら、それはそれで。
 ケチをつけたくなるところをいちいち挙げていったら大変な行数になると思う。この”夢みられた”日本は、監督の勝手だろうが、私は違うと思う。とにかく軽すぎて、薄い。人物もシナリオもニッポンも。大女優イザベル・ユッペールをこんなふうに使ったらいけないでしょう。皆さんのご意見聞きたいです。


カストール爺の採点:★☆☆☆☆

(↓)『シドニー・オ・ジャポン』予告編

2024年3月23日土曜日

オート・シネマ・ヴェリテ


"Une Famille"
『ある家族』

2023年フランス映画(ドキュメンタリー)
監督:クリスティーヌ・アンゴ
フランス公開:2024年3月20日


2021年晩夏、クリスティーヌ・アンゴはそれまでの作家キャリアで最も評価の高い作品となる『東への旅(Le Voyage dans l'Est)』(同年のゴンクール賞候補にも上り、最終的にはフランスで重要な文学賞であるメディシス賞を獲得することになる)を発表し、その出版社フラマリオンはそのプロモーションにその小説題にあやかりフランスの東部3都市(ナンシー、ストラズブール、ミュルーズ)をめぐるレクチャーとサイン会のツアーを企画した。その中のストラズブールはアンゴには深すぎる因縁の町であり、1999年に他界した実の父ピエール・アンゴがその妻と二人の子供(つまり義弟と義妹)と共に住んでいた町であり、クリスティーヌが13歳の時に始まり長期間にわたって続いた実父による近親相姦の最初の場所であった。2021年の時点でその未亡人エリザベートと義弟と義妹はまだその場所に住んでいる。フラマリオン社がこのフランス東部へのプロモツアーを提案した2021年6月(小説はまだ最終校正段階で誰も読んでいない)、アンゴはこのツアーにヴィデオ撮影班を同行させるというアイディアがひらめく。私の真実はすべてエクリチュールの中にある、だがそれは映像としても提出できるのではないか。シノプシスもシナリオもなくアンゴが撮りたいもの、見せたいものを映像化する。その夏の終わり、アンゴの”東への旅”は二人の撮影スタッフを同行し、”監督”アンゴの指示で自分(+対話者)を撮るカメラは回る。アンゴ流(セルフ)シネマ・ヴェリテである。
 父ピエール・アンゴとの文通先の住所、そこが亡き父のストラズブールの邸宅であった。自らの記憶では約35年ぶり、その住所にタクシーで乗りつける。まだそれは残っているのだろうか。半信半疑でタクシーを降り、辺りの風景にかつての痕跡があるか自問するが記憶の答えは確かではない。その白い建物の外門から入り、ポーチの下の玄関扉の横にあるインターフォンの名前を確認する。父の未亡人、すなわちクリスティーヌの義母にあたる人物エリザベートの名前があった。「名前があったわ」とクリスティーヌは撮影スタッフに言う。さあ、どうしよう、何と言おう、門前払いを喰ったらどうしよう、ここまで来てクリスティーヌは極度にナーヴァスになる。その人物とは父の死後面会したい旨の連絡は書簡で何度か試みたが、固定電話の番号は持っているものの相手は受話器を取らず、携帯番号もメールアドレスもない。会う意思があるのかも定かではない。さあどうしたらいいのか。クリスティーヌは意を決して、扉のインターフォンのボタンを押す。応答はあった。インターフォンに向かって言う「私、クリスティーヌよ」。
 扉が開き、エリザベートが現れる。門戸開放されたと思われた瞬間、中の女はクリスティーヌの背後にカメラを構えた撮影スタッフ二人の姿を認めたとたん、猛然と三人を押し返し扉を閉めようとする。クリスティーヌはドアの間に足を挟みいれる勢いでドアを再び押し開けエリザベートに「あなたは私たちをここに入れなければならない!」と叫ぶ。エリザベートとクリスティーヌの怒号の応酬による押し問答。あなたひとりならばと思ったけれど、私はカメラを家の中に入れるのは許さない、と言うエリザベート。それに対してクリスティーヌはこう叫ぶ:
J'ai besoin de me sentir soutenue par des gens qui sont de mon côté !
(私は私の側にいる人たちに支えられてると感じていなければならないのよ!) 
アンゴがこの映画全編で求めていたのはまさにこのことだったのだ。クリスティーヌ・アンゴはあまりにも孤独だった。孤立無援だった。たったひとりの反乱だった。近親相姦という世のタブーをオートフィクション小説『近親相姦(L'Inceste)』(1999年)で、「クリスティーヌ」という名の「私」という一人称体の話者で告発して以来、この作家はそのスキャンダル性ばかりを取り沙汰され、世にも重大ながら社会が目をつぶり続ける近親相姦という問題については議論すらされない。そればかりか、(映画の中でその録画映像が挿入されるが)、テレビのトークショー番組(ティエリー・アルディッソンの"Tout le monde en parle" 1999年11月)でコメンテーターと聴衆の嘲笑の対象にされ、屈辱に耐えきれず番組のゲスト席から立ち上がりその場から去っている。だがアンゴはその反乱を止めることなく、父による近親相姦はその後の小説でも繰り返し登場し、書けば書くほどその問題は深化され、アンゴの一生の傷はその度にいよいよその後遺症を増幅させていくのだっt。2021年の小説『東への旅』はアンゴ”近親相姦”年代記のような総括編であり、彼女自身の入魂もすさまじいものであったろうが、文壇の評価もそれまでのアンゴ作品とは全く異なり、ゴンクール賞候補(最終的はメディシス賞受賞)にも上った。これも映画の中に挿入されるのだが、アンゴが自宅のラジオで国営フランス・アンテールの著名な文芸時評番組"Le Masque et la Plume"を聞いているシーンがあり、その番組(2021年放送)の中で文芸批評家アルノー・ヴィヴィアンがこの『東への旅』に触れて、この20年あまり(つまり『近親相姦』発表後)フランス文壇がどれほどクリスティーヌ・アンゴを軽視・蔑視してきたか、と発言している。(この最新小説への手の裏を返したような高評価に)ヴィヴィアンは「クリスティーヌ・アンゴが変わったのではない(アンゴは一貫している)、世の中が変わったのだ」と付け加えている。それはヴァネッサ・スプリンゴラの『合意』(2020年)とカミーユ・クーシュネール『ラ・ファミリア・グランデ』(2021年)という2冊の性犯罪告発の書の大ベストセラーによって市民たちの性犯罪への見方が大きく変わったことを指してのことであろう。確かに世の中は変わったのだが、それでもクリスティーヌ・アンゴはまだまだ”たったひとり”なのである。
 映画の始めのシーンに戻ろう。激しい押し問答の末、エリザベートはクリスティーヌと撮影スタッフ二人をサロンに通し、着座する。さあ、話を聞かせて、あなたの亡き夫が私に何をしていたかをあなたは知っているはず。「あなたのことで私は心痛めているわ J'ai de la peine pour toi」というエリザベートの言葉にアンゴは逆上する。あたかもこの義理の娘が未亡人の心を傷つけているかのような。義母はクリスティーヌが”暴力的だ”とも言う。あなたの20年間の沈黙の方がどれほど暴力的なの?とアンゴは抗弁する。生前夫ピエールがあなたに何をしたのかは全く知らなかったが、あなたの小説でそれを知った。でもそれは小説でしょ、事実の部分もあれば創作の部分もあるでしょ(ここでもアンゴは逆上する)。あなたの父は私にとっては最良の夫であり、私の二人の子供にとっても最良の父だった。あなたはそれを破壊しようとしている....。
 近親相姦のメカニズムとはまさにここなのである。それを公にすれば、その個人だけでなく家族や属する社会のもろもろを破壊してしまう。被害者であるおまえの被害よりも、告発するおまえが破壊する世界の被害の方が甚大なのである。この方便をもってこの未亡人は亡き夫の被害者たるクリスティーヌを逆に攻撃してくる。おまえさえ忍んで黙っていれば、こんなことにはならなかった...。
 この映画の冒頭のストラズブールの故ピエール・アンゴ邸でのエリザベートとクリスティーヌの応酬の映像は10分ほど続いたであろうか。希に見るヴァイオレントなダイアローグが展開されるのだが、およそ”対話”なんてものではない。その生々しさに胸がキリキリする。こうして映画のあたまのストラズブールでクリスティーヌ・アンゴは茫々たる砂漠の孤独をあらためてかみしめることになる。
 アンゴのシネマ・ヴェリテは、"les gens qui sont de mon côté (私の側にいる人々)"は本当に存在して、私の孤独に手を差し伸べてくれたのだろうか、という問いを”身内”を通じて確かめようとする。登場するのは母ラシェル・シュワルツ(二部のパートで現れる)、最初の夫クロード・シャスタニェ(アンゴの一人娘レオノールの父)、2000年代の伴侶だったミュージシャンのシャルリー・クロヴィス(マルティニック系黒人)、そして娘のレオノール・シャスタニェ(1992年生れ、彫刻家/造形アーチスト、↑写真)。
 映画公開時のラジオなどでのインタヴューで、アンゴが最もしんどかったのは母ラシェルの2回に分けたインタヴューだったと述懐している。母のことはアンゴの小説『ある不可能な愛(Un amour impossible)』(2015年、のちに2018年ヴィルジニー・エフィラ主演で映画化)にくわしく書かれているのあが、ピエール・アンゴはラシェルとの熱烈な恋愛にも関わらず、もろに属する社会階層の違い(ブルジョワと貧乏人)とラシェルのユダヤ人の血を理由に結婚を拒否し、二人の子クリスティーヌ誕生にもかかわらず、ストラズブールでドイツ系上流階級の女エリザベートと結婚し家庭を持った。しかしラシェルとの不倫関係はその後も続いていて、仕事出張を装ってラシェルと逢瀬を重ねていた。しかしクリスティーヌが少女の年頃になり、このインテリ博識のパパに惹かれるクリスティーヌをラシェル抜きで連れ出すようになった時から、ラシェルはクリスティーヌに嫉妬するようになるのである。妙な三角関係。そのピエールによるクリスティーヌの連れ出しが、13歳の時から近親相姦関係になっていったことをラシェルは知らない。そしてこのことをクリスティーヌが母ラシェルに告白できなかったのは、娘が母をプロテクトするためだった、と。映画は上のような説明は一切ない状態で、ラシェルが、母が娘を守らなければならなかったはずなのに、あの13歳の時から娘が母を守って犠牲になっていたことを後悔して涙するシーンがある。この不幸な”三角関係”と言うべきか、母ラシェルは娘がその男の性犯罪の犠牲になっていたの知ってからもなお、ピエールとの”愛”の思い出にしがみつこうとすることに、クリスティーヌとラシェルを分つものがあるというのがこのシネマ・ヴェリテに見えてしまうというのが....。
 そして最初の夫クロード・シャスタニェ(←写真)はどうしようもない。結婚2年後、クリスティーヌが25歳の時(父ピエールとの近親相姦関係が終止して9年後)、ピエールと「正常な父娘関係を築きたい」と望んで再会することにしたが、クロードが住む部屋の上の階の部屋に宿を取ったピエールはその部屋で9年前と同じようにクリスティーヌに性交を強要した。その一部始終を下の部屋で聞いていたクロードはクリスティーヌを助けに行かなかった。なぜかとこのシネマ・ヴェリテはクロードに問う。クロードが怖気付いて下の部屋で動けなくなっていたのは、自分が11歳の時に2歳上の少年によって強姦された記憶のせいだ、と。このシークエンスは終始穏やかなダイアローグなのだが、クリスティーヌの寒々とした反応は痛々しい。
 映画はこれらのシネマ・ヴェリテ対話映像の合間に、クリスティーヌ・アンゴの幼少時からの写真アルバムや、幼いレオノールとクロードと20代のクリスティーヌの子育てシーンのプライヴェートヴィデオ映像などが挿入される。若いママのクリスティーヌの幸せそうな表情が印象的だ。そう、こういう孤立無援の戦いを強いられている女性にも、幸せな瞬間はあるのだ。父親ピエールが少女クリスティーヌを呼び出すのは学校がヴァカンスの時期に決まっていた。みんながヴァカンスの時に私は父親に犯され続けていた。そういう回想のバックに流れる挿入音楽がミッシェル・ポルナレフ「愛の休日(Holidays)」(1972年)なのだよ。クリスティーヌ・アンゴ(1959年生)が13歳の時(父による近親相姦関係が始まった年)のヒット曲か、計算が合っているな。

 そしてこのシナリオもカタストロフもないアンゴの孤独に満たされていく映画にも、救済はやってくる。ニースの海の見える日の当たるカフェ、大人の女になったレオノールとその母クリスティーヌが紅茶を飲みながら静かに語り合う。レオノールははっきりとこう言う:
Je suis désolée, maman, qu'il te soit arrivée ça.
(ママン、あなたにあんなことがあったということが私にはとても悲しいの)
おそらく、これは誰ひとりとしてクリスティーヌ・アンゴに言わなかったことなのだ。誰ひとりとして。誰ひとりとして少女クリスティーヌが見舞われたおぞましい性犯罪について、心を暗くすることなどなかったのだ。母クリスティーヌ、人間クリスティーヌ・アンゴはここに太陽が差し込んできたことを感じたに違いない。シネマ・ヴェリテは期せずにして光あふれるエンディングに向かう。ふたりはカフェを出て岸壁の遊歩道にたたずみ、無言で光あふれる紺碧の海を見つめるのである。そしてここで流れる音楽が、カエターノ・ヴェローゾの「ラ・メール」(シャルル・トレネのシャンソンのカヴァー、新録音!)なのだよ。これがどれほどエモーショナルか。そしてそのまま画面はエンドロールへ。

たしかに私のような「アンゴ読み」でなければ、無説明にこの映画を見せられても理解が難しいところが多いと思う。だからクリスティーヌ・アンゴがほとんど紹介されていない日本では上映が難しいだろう。私が入った映画館では入場者ほぼ全部女性だが、最後の「ラ・メール」のところで拍手が起こった。『東への旅』の成功のおかげだと思うが、アンゴは(熱く)読まれているということをあらためて実感した。この人たちは私の同志。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『ある家族(Une Famille)』予告編

2024年3月18日月曜日

小説ミドリ事件

Karyn NISHIMURA "L'Affaire Midori"
西村カリン『ミドリ事件』


西村カリンは在東京のフランス人ジャーナリストである。私はリベラシオン紙の読者であり、公共放送ラジオ・フランス(France Inter、France Info等)のリスナーであるから、彼女の記事やラジオ報道レポートの声にはずいぶん前から親しんでいると思う(多々参考にしていただいている、多謝)。ジャーナリスト活動は日本語とフランス語の両方で行っていて、日本のメディアにも登場しているので、知る人も多いはずである。著作も日本語で日本で発表しているものと、フランス語でフランスで発表しているものがある。フランスでの近著では2023年10月にエッセイ『日本 - 完璧さの裏側La face cachée de la perfection)』(Editions Taillandier刊)があり、書名が示すように表面的に完璧を装うことができる国日本の議会制民主主義の”半独裁”状態や、報道の自由の大メディア側からの”自主規制”など、日本の「反権力」不在の状態について詳説している(是非とも日本語訳出してもらわないと)。
 さてこの本は上述の著からわずか4ヶ月後に発表された西村カリンの初の小説作品である。フィクションであるが、"Presque tout est vrai"(ほぼすべてが真実)と序文と裏表紙に強調されている。小説の話者「私」は日本に長年駐在しているフランス人ジャーナリストであり、日本で二人の子を産み育ててもいる”日本生活者”である。作者自身を投影させたような設定ではあるが、建前はフィクションの人物である。事件は2017年の東京、ヤマダ・ミドリという名の20代の女性が5歳になる娘を自宅で殺害し、バラバラに切断した遺体を自宅で発見された状態で逮捕され、犯行を自供した。さらに、その前に起こっていた双子の嬰児殺害+コインロッカー遺棄事件の容疑がかかり、DNA鑑定の結果ミドリと一致してその犯行も自供した。自分の幼子を3人惨殺した風俗系の職業のごく若い女、事件は連日のワイドショーねたとなり、その出演タレントたちの情緒的なコメントで全国のお茶の間の犯人バッシングの大波を形成していく(というような”日本的特殊事情”を話者はフランス読者に説明しなければならない)。バッシングの矛先は家族に及び、全国ネットテレビのカメラの前に母親が引き摺り出され、深々と頭を下げて娘の凶行を全国民にお詫びすることになる(これも”日本的事情”)。そして、このような稀に見る非道な凶悪犯罪には「当然死刑でしょ」という一般市民のオピニオンがすぐに出来上がってしまう。
 話者はここで日本が世界の時流に逆らうように死刑を頑なに固持している国であり、しかもその刑の執行が確実に行われているという事情を示す。OECD加盟38か国のうち、今なお死刑を執行している国は日本だけ。日本で死刑廃止を求めて運動している市民たちはいる。しかし世論調査をすれば死刑存続賛成が大多数になってしまう。この世論の支持を担保にするかのように、日本の司法は死刑基準(話者は”永山スタンダードという言葉で説明する)に相当すると判断するや躊躇なく死刑判決を下している。

 ジャーナリストとして話者はこの残忍な子殺し事件を理解しようとする。理解することは犯罪を赦すことではない。なぜ、いかにして、この若い娘は凶行に至ったか。彼女は貧困など不幸な生い立ちがあるわけではない。そのヤマダ家は自営業(漁業+魚類販売)の父、主婦の母、早稲田まで進学することになる兄リュージ、そして近隣都市(いわき市)の専門大学に進学するミドリの四人家族だった。だがその家族のいた場所を聞いて合点がいく者も多かろう:福島県双葉郡双葉町。すなわち2011年3月11日東日本大震災による福島原発事故で、全町民が家屋を捨て強制的に避難を余儀なくされた町である。小説は悲劇のルーツをここに集中させる。父母は家業も家も放棄し、2度の避難移転の末、県内の仮説住宅に身を寄せる。子供二人の学費は?(話者はフランスとは全く違う日本の教育事情を子供が大学を出て社会人になるまでの莫大な費用についても言及している)ー そしてこのような大惨事が待っているとはつゆ知らず20歳になったミドリは恋(と呼べるのか)をし、妊娠してしまう。大震災+原発事故はヤマダ両親を徹底的に痛めつけ(のちに父は自殺に追い込まれる)、両親に相談できたり頼れる場合では全くないと悟ったミドリは、(おまけに子供の父親になるはずだった男は無責任に逃げ、生まれても子を認知しない、と)、大学を捨て、首都圏に出てシングルマザーとして生きることに。そこからのミドリの行状はフランスの読者にも想像できないことではないと思うが(ネットカフェに寝泊まりしたり、JKの扮装で接客したり、NGOに子守りを押しつけたり...)、”風俗の闇”へ深々と入っていくのである。生まれた娘マヤは食事を食べさせてもらえないことはざらで、愛人か客か、そういう男がミドリのアパートに来る時は、ベランダに出されて夜を明かすこともあった...。
 ディテールであるが、作者は兄のリュージをあまり登場させることなく、非常に重要な役目を課している。それは小説の最終3ページのカタストロフィーの中心人物にまでなるのだが、その結末についてはネタバレしないでおこう。ヤマダ家にあって父親はリュージに家業の魚類販売業を継がせたいのだが、リュージは包丁で魚をさばくことを覚えようとしない。次いでジェンダー問題である。リュージはゲイである。ステロタイプ化された見方であるが封建的東北人のオヤジたる父親はこのことでリュージと軋轢があり、その間に入ってリュージを擁護するのが妹のミドリだった。この兄妹には強い絆があった、という重要な軸がなければ、あの最後のカタストロフィーは成立しないのだけど、この小説のこの分の組み立てはかなり強引で無理がある(と私は思う)。
 ミドリは捕らえられ、2件計3人の子殺しを認め、長い取り調べの間中抗弁もせず、自分の犯した罪の大きさに打ちひしがれ、憔悴していった。ジャーナリストとして話者はこの裁判に立ち会っていくのだが、もはや争点は有罪か無罪かではなく、誰が見ても有罪が確定しているこの事件にあって、検事側が間違いなく求刑するであろう死刑、そのために検察が準備した鉄壁の書類の壁に、弁護側がどれだけ情状酌量の可能性で抵抗できるか、ということになる。話者の視点はロベール・バダンテール(1928年 - 2024年、奇しくもこの小説の発表時期だった2月8日に他界し国葬となった)の尽力で1981年に死刑を廃止した国フランスのそれであり、ヒューマニストの立場と言っていい。死刑から救うために凶悪殺人犯を法廷で弁護していたバダンテールを想起し、話者はこのミドリ裁判でバダンテールのような弁護士の弁論があれば、と願う。ここがこの小説の重要な読ませどころで、法廷に立った弁護士ニシミヤ・カズオは小説の6ページ(p74 - 79)にわたって、ミドリの双葉町での生い立ちから大震災・原発事故そして首都圏での風俗地獄など、仔細におよんで展開し、この境遇を考慮に入れる必要性を力説した。おそらく西村カリンが最も力を込めて書いた箇所であろう。見事にシアトリカルにしてロジック。そしてなんとニシミヤ弁護士はこの弁論の中で、フランスでのテロ事件も引き合いに出すのである。
想像してみてください。フランスのような国がその国籍を持つ若者たちによる数度のテロリズム攻撃に見舞われたのです。これは私のつくりごとではありません。最近の出来事から例として引き出したのです。彼らが犯した行為の動機を、その社会的背景を抜きにして、彼らの狂気によるものとだけ見なすことは可能でしょうか?みなさんは普通の日本市民であり、この事件について何も知らないかもしれない、フランスは遠い国でしょう、しかしながら、みなさんの心の中で直感的にこう思うでしょう:この若者たちには明らかに生きづらさがあり、憎悪を抱いている、と。そして彼らの生活について思いをめぐらすでしょう。彼らは不幸なのだろうか、移民系の出身なのだろうか、差別の被害にあっていたのだろうか、仕事はあったのだろうか、彼らは社会から放棄されたと感じていたのだろうか?みなさんはそう考える前提としてその社会的背景を問うのです。それはごく当然なことであり、社会的背景は間違いなくある役割を果たしたのです。ミドリ事件についてもみなさんの同じような考慮をお願いしたいのです。(p78-79)
(↑)これ日本の法廷でどうでしょうね? それはそれとして、ニシミヤ弁護士の大雄弁は見事に功を奏し、判決は死刑を退け、無期懲役刑となる。これに話者はある程度の安堵は得るのであるが、監獄で一生を終わるであろうミドリという若い娘に心とらわれ、ジャーナリスティックな視点を離れて、ひとりの女性として(ひとりの二児の母として)このミドリを深く知りたいと思うのである。つまり記事やルポルタージュのためではなく、人間として出会いたい、と。ここが言わば”作家西村カリン”誕生の瞬間であろう。ミドリの母に会いに行きミドリの生い立ちや人となりや夫(ミドリの父)の自殺について聞く。次に話者は獄中のミドリに手紙を書く。ミドリから手紙の返事が来たら小菅の東京拘置所に面会に行こう、と。この手紙を書く段で話者はフランスの読者向けに日本語で手紙を書くことがいかに難しいかを講釈している。あいさつはどうするのか、敬語はどうするのか、主題の切り出しはどうするのか、たしかに日本語の手紙は難しい。手紙文例集などを参考に話者はミドリにペン書き日本語書簡をしたためる...。
 話者はジャーナリストとしてではなく私的個人としてミドリと向かい合い、ミドリに信頼のようなものが芽生えていく。ミドリの母とミドリの繋ぎ役になり、さらにミドリは兄リュージへのメッセージも話者に託す。
 だが死刑の国日本の司法はリベンジを用意していて、ミドリ事件第一審の無期懲役判決を不服として検事側が控訴する。何が何でも死刑をもぎとろうとするこの圧力はどこから来るのか。刑事裁判において99.4%が有罪となることを誇示する日本の検察は、それを100%にすることが目標(上からのお達し)であるかのようだ。上のお達しへの服従に関連して作者は司法の政治権力への”忖度”の可能性もフランス人読者に解説する。

 この小説の時間の中で、話者はオウム真理教事件の死刑囚13人全員の刑執行(2018年7月)、カルロス・ゴーンの逮捕と逃亡劇(2018年11月から2019年12月)、京都アニメーション放火殺人事件(2019年7月)、袴田事件(1966年から現在。この項で話者はメディアや一般市民が間違って”ハカマダ”と呼んでいるが、”ハカマタ”が正しいと強調している)を詳説している。それは在日本ジャーナリストとして20年のキャリアを持つ西村カリンから見える、なにかが立ち行かない日本の例であり、私人として自分が愛する日本ゆえに憤りやエモーションを禁じ得ない書き方になる。自分名義での小説の上で初めてできている「告発」かもしれない。この小説で私が最も評価し、同意するのはこの部分である。

 かくして、あたかも最初から予定されていた事柄のように、ヤマダ・ミドリ事件の控訴審は一審を覆して死刑判決を下すのである(!)
 話者の心はおさまりがつかず、最終ページでジャーナリスト業を休止して在野で行動する(児童虐待防止、死刑廃止、袴田事件再審実現、貧窮者救済...)決意まで語るのである。容易ならぬことを知りながら。
  175ページの勇気ある書であり、(職業上)メディアでのルポルタージュではできなかった(怒りを伴った)プライベートな視点にも共感できる読み物で感服する。フランス人読者にはたくさんの”立ち行かない日本”が見えるであろう。観光絵はがきのような日本を称賛し、この夏の海外旅行デスティネーションの上位に日本を押し上げているフランス人たちにこそ読んでもらいたいものである。上にも書いたことだが、この批判精神は作者の「日本を愛すればこそ」の所為である。これには私も感服しかないのであるが、文学作品(フィクション小説)としてはどうなのだろうか。ジャーナリスト視線を離れた話者のパトス、情念のようなものはよく現れていると読めるのだが、ミドリ、ミドリの母、リュージというプロタゴニストたちの人間的な厚みが見えず、ルポルタージュ記事のインタヴューで語っている程度の人間像に留まっているのが、私には残念に思えた。(上にも書いたがあのレベルのリュージの描き方で、最後のカタストロフィーの大役を任せるのはちょっと無理)。もっと文学であってほしいと私は次作に期待します。

Karyn Nishimura "L'Affaire Midori"
Editions Picquier刊 2024年2月 175ページ 17ユーロ

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)自身のYouTube チャンネルで「ミドリ事件」と日本の死刑の現状について語る西村カリン。日本にはまだロベール・バダンテールに相当する人物が出ていないと。



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追記(2024年3月31日)

 
著者西村カリン氏がご自身の「X」でこの『小説ミドリ事件』記事を紹介してくださったおかげで、この記事のビュー数が一日で300ビューに迫る勢いで読まれています。ありがとうございます。この記事の掲載前の3月14日に私のFACEBOOKページに紹介記事のイントロとして、話者がミドリの世代が抱えてしまった無気力・無抵抗の性向を戦後日本の歩みによって俯瞰的かつ総括的に(主にフランス人読者たちに)説明する2ページのパッセージを日本語訳して紹介した。この日本を見るジャーナリストの視点を私は正しいと思う。以下再録します。

ミドリにはその世代に顕著な弱さがあった、戦うことをせず、ガードを下げてしまう弱さである。彼女も最初はいわゆる三つの「安(あん)」を求めていた。すなわち安全、安心、安定であり、20-30代の若者たちがこの3つを追求することが、彼ら自身を麻痺させ、萎縮させ、危険を避けるようにさせた。この三つの「安」こそが何年も何十年も前から政治家たちがその長広舌の中で約束してきたものだった。かつて1950-1960年代においては、「三種の神器」とは電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビであり、次いで「3C」と呼ばれたカー、クーラー、カラーテレビがそれに代わった。これらの物質的財産はしまいには万人が所有するものとなった。しかしながらそれは幸福とは別のものだった。人々は過剰なまでにその物欲に耽ったあとでそのことに気がついた。それ以後彼らは若い世代に与えるものが何もなくなってしまった。三つの「安」を約束すること以外は。ミドリにとっては、2008-2009年の(リーマンショック)地球規模の金融危機、そして2011年の福島原発事故がそのすべてを放棄させることになった。しかしこの二つの事件は当時から10年前と7年前に起こったことで、この二つによって直接の影響を受けなかった者たちにとっては、すでに過ぎ去ったことにすぎなかった。ある尺度から見れば、とりわけ大学新卒者たちにとっては、三つの「安」は現実のものとなっていた。彼らは全員大学課程終了の数週間前あるいは数ヶ月前には就職の内定を得ていた。彼らは柔軟で従順であればあるほど、安定した職業生活、職の安全性、精神的安心感を得られる可能性が高かった。しかしそのためにはいくつかの権利を放棄することが必要だった;要求すること、反抗すること、自己主張すること、よそで冒険を試みること、外国に発つこと、拒否すること、背くこと。多くの者たちは三つの「安」のためにそれらの権利を犠牲にする準備ができていた。この安定、この安心、この安全、彼らはそのために政府を信頼することにした。獲得した平静さをなにものも動じさせたり混乱させたりすることのないように。彼らが投票するのは変動を妨げるためであり、政権はそれを過剰なまでに利用した。50年間同じ保守政党(極右を含む)が支配した。そして2009年にある別の(中道派)政党による政権交代があった時、その2年後にあの悲劇があり、その政党は収拾のすべを知らなかった。人々の失望。それゆえにかの前政権保守政党は以前よりもさらに強力になって返り咲き、救世主のごとく安倍晋三が君臨することになる。
(Karyn Nishimura “L’Affaire Midori” p63-64)

https://x.com/AgenceLaBande/status/174695593 (み3756903738?s=20 (↓)小説の重要な舞台のひとつ福島県双葉町を再訪し(警察/パトロールの目を掻い潜って!)映像でルポルタージュする西村カリン。2011年3月の姿をそのままとどめ、瞬時にしてゴーストタウン化した町の細部をその場で解説する勇気あるジャーナリストの姿が衝撃的。12分。