2010年1月7日木曜日

エルサレムの教会にて

2006年11月のある日、
ラーマッラーからエルサレムへ向かうバスの中で
名前は「カトレア」だったかな、40歳くらいのおばさまと知り合いました。

「うちにいらっしゃいよ!」

と気軽に誘ってくれるのがパレスチナの人たちですが、
彼女も例外ではありませんでした。
そこでその週末、エルサレムまで出がてら、
彼女の家を訪ねました。



おうちはエルサレム旧市街の中。
ダマスカス門を入って右手の方にあります。
この辺りはクリスチャンが多く住む場所です。

おうちにお邪魔する前に、
「あなたも行くべきよ」と誘われて近くの教会へ。


そこで端っこの方に座ってアラビア語のミサを聞いていました。


ミサでの呼びかけ曰く、



「私たちは日々、多くの困難に直面しています。
 ある時は、あなたを辱める人がいるでしょう。
 検問や道で、あなたの住む場所で、
 あなたを逆上させようと、

 様々な手段を尽くしてくる人々がいるでしょう。

 しかし、私たちはそれに乗る必要はないのです。
 やりたいように、言いたいようにさせておけばいいのです。
 私たちは耐えることができます。
 殴られようとも、差別されようとも。」



そんな言葉に、
「あぁ、ここはパレスチナだな」
と実感したのをふと思い出しました。
ミサもやっぱり、言葉の端々に「パレスチナ」が体現されていました。
占領のことも。隣人との共存のことも。




カトレアのおうちでは、
美味しいマクルーベとサハラブを出してもらいました。
子どもたちやおじいちゃん・おばあちゃんも交えた、家族の楽しい食事。
さっきのミサの言葉を忘れてしまうほど、
日差しの差し込む明るい場所でした。

それっきり、彼女とは会っていません。
元気で、毎日お祈りしてるかな。

2010年1月3日日曜日

ベツレヘムのクリスマス

12月は3記事しか投稿できなかった!!!
あくまでマイペースのナミキです、こんにちは。

さて、12月にずっとアップしたかったクリスマスの写真をば。



パレスチナでクリスマスといえば、
やっぱりベツレヘム!

(キリストの生まれた場所に建っている生誕協会の飾り付け)



2006年12月24日。
この日のベツレヘムは超厳戒態勢。
生誕協会ではアッバース大統領同席のミサを行っていました。





しかし、私がチビすぎる&人が多すぎて彼の姿は見えず。
肩車してもらっている子どもらが羨ましかった~。。。。



さて、このミサに参加するには、
事前にチケットが必要です。
エルサレムのジャッファ・ゲート付近にある協会へ行けば
チケットの抽選申し込みができます……が、


ナミキは見事に外れました!!!!
素直に「仏教徒」って書いたのがいけなかったか???




それで何故入ることができたかって、
パレスチナ自治政府にお友達がいたからです。。。。。




たくさんの人が入りたがっているのに
自分だけコネで入っちゃうなんて
今の私なら絶対しないのですが。
全世界のクリスチャンの皆様、ごめんなさい!




まぁ、ミサに入れなくったって
クリスマスのベツレヘムはかなりウキウキする場所です。


道中が素朴な電飾であふれ、
豆やサハラブ(コーンスターチの甘くて暖かい飲み物)を売る人がたくさん。
ピース・センターにはクリスマスツリーが飾られます。


(立ち入り禁止なのに展示に入り込んで浮かれている
 トルコ系ドイツ人サメット氏(24)。)





(撮影者の手腕がよろしくないため手ぶれしております。。)



(生誕協会の前の広場の様子。)





ここで会った子どもらは、こぞってナミキにサハラブをねだりました。
小学生8人くらいに「皆で一緒に飲みなさい」と一杯買ってあげたところ
殴る蹴るで奪い合いが起こり、
一人がカップを手に猿のように逃げ去って行きました。


「僕だけに買って!」
「私だけに買って!」


と叫び押し合う彼らをどう扱って良いものやら。

未だに答えが出ません。

2009年12月18日金曜日

テルアビブの車事情

ある夏の金曜日。
とある会合で知り合った
親日家のユヴァル氏(超美形だが残念ながら二児の父)
に誘われました。



ユヴァル:「うちの娘たちと奥さんが海行きたいっていうから、
      テルアビブまで迎えにいくよ!
      海行こう!」



彼らが住むのは、
西岸とのグリーンラインのすぐ外、カルキリヤの西、
カフル・サヴァ。
そこから車で出てきてくれたユヴァル一家と共に、
一日を過ごしました。



驚いたのは、
テルアビブの繁華街が金・土曜日でもオープンしていること。
ユダヤ教の決まりでは安息日であるにも関わらず、です。

宗教的な匂いのするエルサレムで店を開けようもんなら、
正統派ユダヤ教徒たちに石を投げられること請け合いですもん。
(お陰でハリポタが土曜日に全世界同時発売されても
 イスラエルの本屋では売りだせない、
 なんて事件が過去にあったなぁ)



まぁそんなわけで、
お陰様で海沿いのレストランでのディナーを楽しんだ我々。



しかし車まで戻ってみると、
辺りは数台の車のアラームで騒々しい。

それを見たユヴァルが一言。



ユヴァル:「またか…」


なみ:「またかって、どういうこと?」


ユヴァル:「いや、テルアビブで車の盗難は日常茶飯事なんだよ。
       だから皆セキュリティシステムを付けてるんだ。
       あのアラームはシステムの作動音さ」


なみ:「そうなのね」



ユヴァル:「一度盗まれたら最後、二度と戻ってこない。
       だって、やつらは西岸に持って行ってしまうからね」




あぁ、つまりそれは、



テルアビブまで出てきたパレスチナ人が車を盗んで、
西岸で売りさばいているってことなのね。




実際にそうなのか、
それともそう思われているだけなのか。
それは、まだ私には分かりません。

2009年12月7日月曜日

お金は大事?

ある日の朝のこと。
エルサレムのホステルからヘブライ大学まで通学途中、
バス停前にある食品雑貨店で、
7シェケルのペットボトルジュースを買おうと思った並木。
(1シェケル=25円くらい)


しかし、並木の手元にあったのは100シェケル札。



並木:「あのう、ちょっと大きいお金になっちゃうんだけど…」

店主のおやじ:「あぁ、いいよ。こうするから」



と言い放ったおやじ、

100シェケル札を……





破いた。

びりっと。真っ二つに。





並木:「………。」



口をあんぐり開けてぽかんとしている並木を見て、
おやじはハッハッハと笑いながら言い放ちました。



おやじ:「まぁまぁ。所詮紙なんだから~。」



そう言いながら、セロハンテープを紙幣にペタリ。
いや、そりゃ紙だけど。







しかし、破るとはいかないまでも、
中東のお金は概して使い込まれたヘロヘロのお札が多いと思う。
まるで布のよう。
そしてメモ書きや千切れがあるのも当たり前。
「おいおい、もっと大事にせいよ」と突っ込みたくなります。

ちなみにこれがエジプトの25ピアストル札。
誰ですか、「100」なんて書きこんだの。



ちなみにパレスチナ自治区で流通しているシェケルは、
イスラエルの通貨です。

でも西岸ではヨルダンのディナールも使えたりします。
以前、西岸はヨルダンの支配下にあったからです。
(だから「ヨルダン川」の「西岸」って呼ぶんだよね)



両替所の人にお金について聞いてみた。



なみ:「シェケルとディナール、どっちがマシ?」



返ってきたのはこんな答え。



「そりゃぁ、シェケルは嫌いさ。イスラエルの金だ。
 ディナールも好かないね。
 ヨルダンだってイスラエルと似たようなもんさ。

 でも、贈答用にはディナールが人気だよ。
 アラブだから、まだマシだと思ってるのかな。
 最近はドルって手もあるらしいけど、
 所詮アメリカの金だからなぁ。」



昔々は、パレスチナのコインなんてものもありました。



写真は、シリアのアンティークショップで見つけたもの。
100年くらい前の品物です。





ちなみに「お金を細かくする」という表現は、
この両替商のお兄ちゃんに教えてもらいました。



なみ:「お金を崩したい時って、qassam(分ける)って言うの?」


両替商:「それは…こうやることさ(ニヤニヤ)」



そう言って彼はお金の真ん中を二つの手でつかんで、


ビリッと切れ目を入れた!!!
またかよ!!!





両替商:「これからは『Sarraf』って言いな(笑)」






…はい。
道端が私の語学学校です。

2009年12月4日金曜日

寒いんだぞこらぁっ。

断言します。


西岸地区の冬は、




東京の冬より寒い。


まじ寒です。激寒です。
「パレスチナって、常夏でしょ~★」
という輩は非常に多いのですが、
半袖で冬のパレスチナに放り出してあげたいです。




どのくらいMAXで寒いかと言えばですね、
私は毎晩パジャマを二重に着て、
コートを着て、
毛布を3枚かけ、
羽根布団を2枚かけてもまだガタガタする
ような寒さです。
ナメてはいかんのです。

その原因は、2つ。
まず、高度の高い立地。
そして、夏の日差しの中でもヒンヤリするようにできている、
つるつるの肌色エルサレム・ストーン製の家。
こいつが底冷えを呼びます。



そして冬といえば雨。
中国製のカサ(シャムスィーエ)なんて役に立たず、
バケツをひっくり返したような勢いで降る雨。
梅雨なんてメじゃない。
家の前の坂は常に小川。ミニ滝。
スニーカーで歩こうもんなら1秒で足が水没です。



「へぇ、雨なんて降るんだ」と思われるでしょうが、
パレスチナでは「雨」と「冬」の結びつきがとても強いのです。

「冬=雨季」というべきか、冬と雨が同じ言葉です。
雨が降っている時、彼らは「世界が冬だね(addoniya toshtee)」と言います。
恵みの雨でもあり、
若者は雨の中、傘もささずにピョンピョンしていたりします。
風邪をひかないのか非常に心配です。



ちなみに、たまに雪も降ります。
その時は大人から子どもまでおおはしゃぎ。


ナーヘル兄(27)はニヤニヤしながら言います。

「雪が降るとよぉ、
 みんな雪玉を投げて遊ぶんだ。
 そんな時はさ、
 ヒジャーブ被った女の子に雪玉をぶつけたって
 お咎めナシさ。
 こんな出会いもアリだろ?(笑)」



まぁ、
「雪の日に出会った」なんていうのは
ロマンスが好きなパレスチナ人に似合う気がします(笑)。
でも私を標的に雪玉を投げてくる男・子どもらには辟易した、
2006年の冬でありました。

2009年11月29日日曜日

覚えやすいアラビア語

今朝、イタリア人の相方が
「肌荒れ」を日本語で何と言うか訊いてきました。


ペッペ:「ほら、あれ、なんていうの?」

なみ:「『カサカサ』だよ」

ペッペ:「そうそう、カサカ……えっ?(怪訝な顔)



ごめんなさい。「肌荒れ」です(笑)。




ちなみにエルサレムの宿で
バックパッカー相手にボランティアしてた頃、
外国人に人気の日本語は
「ソーソーソーソー」(頭を上下にカクカクさせながら)
でした。
日本人が集うと連発するこの言葉、
覚えやすくて面白い響きらしいです。



それはそうと、反復語みたいな言葉って
日本語に限らずあるんですねぇ。
私がパレスチナに飛んで、初めて覚えた方言もその類で、



それはずばり、


「ヒスヒス」


「シブシブ」


です。

なんじゃいな、と思われそうですが、
「ヒスヒス」は蚊のこと。
「シブシブ」はサンダルのこと。


何故だか分かりませんが、
西岸は蚊が非常に多いです。

ベープマットやかゆみ止めは必須!!!
薬局で買って下さいね~。

2009年11月25日水曜日

ゴマペーストの活躍

日本にもある「ゴマ」が、
実はパレスチナ料理では大活躍します。

どこの家庭にもあるのが、
「タヒーナ」と呼ばれるゴマペースト。
香ばしさが前に出る日本のゴマペーストとは違い、
何だか生っぽくて灰色を帯びたペーストです。




先ずこれは、タヒーナの兄弟で「ハルウェ」というお菓子。
イスラエルにもあって、「ハルヴァ」と呼ばれているらしいです。

甘さの中に、ぎゅぎゅっと詰まったゴマの風味があるお菓子で、
パンにつけて食べます。
向こうの人にとっては「お菓子」というよりも、
ジャムみたいな感覚の食品かも。


ハルウェが特に美味しい!とナミキが独断と偏見で決めているのは、
ヨルダン川西岸地区の街・ナーブルスのハルウェ。
ナーブルスはもともとお菓子のクオリティが高い(甘い)ことで有名なのですが、
旧市街を歩けばあちこちで
ハルウェやタヒーナ(ゴマペースト)を作っています。
試食もさせてくれる。


ちなみに映画「パラダイス・ナウ」の舞台はナーブルス。
「どうしてナーブルスの人たちはお茶に砂糖をいっぱい入れるの?」
と女の子が主人公に訊きますが、
まさにナーブルスっ子たちは甘いものが好きなのであります。




タヒーナを作ってる写真がどっかにあったはずなのですが、
今ちょっと見つからないので断念。


ナミキ家に来ると
エルサレムで仕入れたハルウェの試食ができます!(笑)





そして、タヒーナが欠かせないのは、
何といってもホンモス。



以前の記事でも紹介しましたが、
もともと「ひよこ豆」を指す単語である「ホンモス」は
中東料理の中でもポピュラーな逸品。


この写真の一品は、並木の相方が家のミキサーで作りました。
大雑把な作り方は、

1.水に一晩つけたひよこ豆を茹で、柔らかくする
2.つぶした1と、タヒーナを1:1くらいで混ぜる
3.水、レモン汁、にんにくなどを加えて出来上がり

といった感じ。
お店によって豆の味が強かったり酸味が強かったりと、
色々バリエーションがあるようです。
街で見かけた際にはぜひお試しを~。
日本ではあまり見かけませんが、
アメリカのスーパーには普通にあるらしいですよ!!