ユビキタスの街角

Saturday, April 10, 2010

無理矢理blogspot.comに移行させられたでござる

FTPが使えなくなるということで無理矢理 http://tmasui.blogspot.com/ に移行させられてしまった。 古いアドレスも使えるといいのだがよくわからない。外部サービスなんか使うんじゃなかった...

パクりの思い出

ソフトウェアのアイデアのパクりは意外と多いものである。

たとえば 氏のケースが思い出される。 氏は10年前ぐらいに というシステムの開発で一世を風靡したものだが、このアイデアを という会社が勝手にパクって という名前のゲームとして販売した。 氏は当然抗議したのだが結構モメてしまい、 決着がつくのにかなり時間がかかったと聞いている。 氏は当時 だったからそれほどモメなかったようだが、もし 氏が と関係なかったらバックレられたかもしれない。

また、 氏のシステムも同じようにパクられたことがあるらしい。 氏は5年前ぐらいに というシステムの開発で有名になったが、このアイデアを という会社が勝手にパクって という名前で販売していたらしい。 氏のケースによく似てるわけで、 面白いシステムのアイデアを勝手にパクって商品化するということはよくあることなのかもしれない。 このトラブルについては2年ぐらい前に決着がついたと聞いている。

何故こういう話を思い出したかというと、私が昔開発した というシステムが という会社にパクられて という名前で商品化されてたことを思い出したからである。 の社長の 氏は知らない仲でもないのでひどい話だと思ったのだが、 どうせ商売にならないだろうと思って放置していたら、1年もたたないうちに という会社に売却されたようで、 現在もサービスは運営されているようである。 自分が最初に考案したサービスのアイデアが勝手にパクられて勝手に転売されているのは全く愉快なものではない。 特許などを取っているわけではないので怒る筋合いではないのかもしれないが、 もう少し仁義について考えてもらいたいものである。

(これは伏字.comのサービスをブログで利用してみた例であり、 内容についてはあまり気にしないで下さい)

Thursday, July 16, 2009

フリップチャート

外国の会議などでは、 イーゼルのような台に大きな紙を束ねたものを載せた「フリップチャート」というものがよく使われている。 ホワイトボードより便利かもしれないので、日本で買える製品を調べてみた。

とりあえずイーゼルパッドは使ってみようと思う。壁に貼ってから書き込んでもいいかも。

Tuesday, June 16, 2009

伊東豊雄氏のデザインデシジョン

Takramの田川欣哉氏と 伊東豊雄氏コラボしたときの裏話を聞いた。
インスタレーションに使う風鈴のデザインを議論してたとき、 風鈴の音をどこで鳴らすかが問題になった。 風鈴にメカをつけるのは難しいから天井で音を鳴らしたいと田川氏が主張したところ、 それじゃインチキ臭いと言って納得しない人がいてしばらくモメていたのだが、 伊東氏が登場して「風鈴がその場で鳴るなんて普通すぎるよネ。違う場所で鳴るのは面白いじゃないの?」と言ったら 「そうですよね。やっぱ天井ですよね〜」と全員納得してしまったらしい。
一見、大物が謎の発言で煙に巻いたようにも聞こえるが、 デザインとエンジニアリングのバランスを熟知している伊東氏だからこそ一瞬で正しいデザインデシジョンが可能であり、 またそれを全員に納得させるうまい説明が可能だったということなのだろう。 伊東氏のデシジョンで話がうまくまとまったことは他にも何度もあったそうである。

Friday, May 22, 2009

Web端末の利用状況を想像する方法

Web端末やデジタルサイネージが将来もっと増えると予想されているが、 これらが巷にあふれた状態を想像することは難しい。 将来の状況について考えるには、 すべての時計がWeb端末である世界を想像してみるといいかもしれない。

現代社会では多くの人が腕時計を持っているし、街中のあちこちに時計が設置されているが、 仮にWeb経由でないと現在時刻を知ることができない世界であったならば、 すべての時計はWeb端末やネット接続されたサイネージだということになるわけだから、 現在の時計の使われ方を調べれば 将来のWeb端末の使われ方をある程度想像できることになる。

  • どこにでもある
  • 誰もが持ち歩いている
  • 非常に安いものから高級品まで様々な種類のものがある
  • 壊れにくく、壊れてもあまり困らない
  • 簡単に貸し借りできる
  • 使い方はほとんど自明である
このような特徴をもつWeb端末やサイネージを作る努力をすべきなのだろう。

Wednesday, April 01, 2009

論文査読の落とし穴

学会の論文誌や国際会議などで論文を発表するためには査読というプロセスが必要で、 その分野に詳しい複数の査読者に承認された論文だけが出版/発表されるシステムになっている。 学会の質を保つためにこういうシステムが採られているわけであるが、 この方式に起因する問題も存在する。

まず、 査読者が理解できない論文は掲載されない という問題がある。 トンデモ論文が掲載されないのは良いことかもしれないが、 査読者の理解をはるかに越える素晴らしい論文が掲載されないというのは困りものである。

まぁこういうことは滅多に無いのでかまわないのだが、もっと身近なものとして 自明なことを述べた論文は掲載されない という問題があると思われる。 自明なものを論文として発表する意義なんか無いと思うかもしれないが、 「原理が複雑であまり便利でないシステム」の方が論文として 発表されやすくなってしまうのは問題である。 このようなシステムでも、真面目に評価して統計処理などを行なうと論文として格好がつくので、 良い査読結果が得られる可能性が高くなる。 この結果、全然役にたたないシステムが沢山論文として発表されてしまうことになる。 これだけだとまだ良いのだが、 査読で落ちた「原理は自明だが便利なシステム」が再発明され、 別の学会で発表されてしまう可能性があるのはさらに問題である。 この場合、再発明した人物がその手法の発明者として記録され、 最初に発明した人物は埋もれてしまうことになる。

こういう問題を解決するのは簡単で、 論文の発表とその評価を分けてしまえば良い。 論文を書いたらすぐそれをWebにアップし、読者に評価をまかせてしまうわけである。 実際、書籍の場合はこういうシステムが確立している。 お金があればどんな書籍でも作って売ることができるが、 売れ行きや各種の賞といった様々な評価基準も存在する。 論文もこれに近い方法で公開/評価を行なうことにすればいいだろう。

このような方式を採用するのに障害となるのは、 学会や論文誌の権威性 である。 大昔は発表媒体としての論文誌に意義があったかもしれないが、 現在では学会での論文発表は論文の権威づけという意義しか残っておらず、 論文誌の講読者数より投稿者数の方が多いのではないかという説が出るぐらいである。 権威づけ機関としての学会の立場を維持しつつ、 査読にまつわる問題を解決するようなうまい方法が求められているのだろう。

Sunday, March 08, 2009

遠くから見た色と近くで見た色

カラー液晶や発光ダイオードの赤と緑のドットを点灯させたものを遠くから見ると全体が黄色に見えるが、 近付いて見ると赤と緑のドットがばらばらに見える。 ところが私のような赤緑色盲の人間の場合、遠くから見ると黄色く見えるのは同じであるが、 赤と緑の区別がつきにくいため、近付いてみた場合は赤(か緑かよくわからない色)が並んで見えることになる。 つまり、遠くから見ると黄色の単色が見え、近くで見ると赤(か緑かよくわからない色)の単色が見えることになる。

遠くから見た色と近くで見た色が異なるというのはかなり奇妙な話であるが、色盲に特有の現象なのだろうか? それとも同様の現象は誰でも経験するものなのだろうか?

Tuesday, March 03, 2009

原島先生最終講義

卒論でお世話になった 原島博先生最終講義に行ってきた。 東大でどういう研究をやってきたかという話を1時間、 歴史的にみた技術や工学の位置づけや将来展望の話を1時間されたが、 最後に「明言したことはないが実は自分は「競争」とか「評価」というのが大嫌いで...」と発言されたのが興味深かった。 「競争」が存在するのならば相手に仕事をまかせてしまえばいいじゃないか、 自分しか出来ないことをやるべきじゃないのか、ということらしい。 確かに大学は試験や論文という「評価」が日常的だし、 プロポーザルを「評価」してもらって「競争的資金」を獲得しなければならないわけで、 平和的な人間は評価や競争に嫌気がさしてくることも多いのだろうか。

ちなみに3/11に 研究室公開 があり、違う話題で講演をされるそうである。