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2010.06.22
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カテゴリ:礼拝メッセージ
大きなわざをするよ
キリスト教 , 礼拝メッセージ | 22:02

2010年 6月13日(日)

説教者:兼松一二 牧師

聖書箇所:ヨハネ 14章11-17節




 昨日の朝日新聞のある記事にこんなことがありました。「目標を高くかかげると非現実的と言われ、現実的なことを言うと覇気がないと言われる」。サッカーW杯の岡田ジャパンは目標を高くかかげ、ベスト4をかかげた。それに対し多くの人々は「それはちょっと現実離れしていると言われているらしい。先日新しく首相になった管さんが「日本を最小不幸社会にする」と現実のことを言ったら、それは心が小さく縮んでいると言われているらしい。

私たちは目標を高くかかげるか、現実に沿って考えるか、この二つしか生き方はないのか。私たち教会に通う者は、自分の置かれた場所でイエスさまを見上げていくとき、イエスさまから「志」を与えられ、その志をひとつひとつ行っていくことによって、イエスさまの栄光を表わしていく(14章13節)のである。



 第一、イエスさまから与えられた「志」が14章12節に記されています。「わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりも更に大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです」。イエスさまは地上を去るにたって、イエスさまを信じるわたしたちに、特別な力と役割をくださった。イエスさまを信じる人は、イエスさまが行う働きを行うことができる。このことばを見て、イエスさまを信じるということは、こんなにすばらしいことができるように力を与えられていることを早く気がつくべきだと思った。今からでも遅くはない。目を覚まして確かめましょう。

「わたしを信じる者はわたしの行う業を行います」。イエスさまは、心の渇いている人に生ける水を与えて下さった。暗闇の中にいる人を光の子に造り、愛することをなさった。そして、病に苦しむ人たちをいやされた。罪の中にいる人に「子よ、あなたの罪はゆるされた」とゆるしを与えてくださった。そのような業を、イエスを信じるあなたはすることになるというのです。

私たちは一週間の内で色々な方と接する機会があります。ある人に接して、「この人は今、暗の中にいる」と感じることがあります。実は、単なる私ではなく、キリストを生き生きと信じる私が暗の中にいる人にとって光となっている。そして、更に「私をこのように輝かしているイエスさまはもっと明るいお方なんだ」と証すとき、私という者がその人にとって貴重な世の光となるのです。イエスさまがなさった業を、イエスさまを信じる私たちすることができる。なぜ、イエスさまは父なる神のもとに行くからです。その代りに、あなたがイエスさまの業をするというのです。

さらに驚くことに「わたしを信じる者は・・・またそれよりも更に大きな業を行います。」と言われたのです。これは驚きじゃありませんか。イエスさまを信じる者はイエスさまよりも更に大きな業を、働きをするということは、とてつもないことです。しかし、イエスさまはそうさせるというのです。

今から60数年前、松下幸之助さんというナショナルという会社の創設者、社長のところに、あるセールスマンがやってきたそうです。「ある工場を買っていただけないでしょうか」。松下さんは考えてこう答えた。「君が私の会社に入って、その工場の経営を引き受けてくれたら買いましょう」。するとセールスマンは答えた。「いや、そういうわけには行きません。私はこの工場の社長ですから、現在の会社は他にも工場がありますから辞めるわけにはいきません」と断りの内容だったそうです。松下さんは、「あなたは社員ではなく社長でしたか。」と言うと、彼は「いや、自分は社員ですが、心は社長のつもりで働いています。」と答えた。松下さんは、このことに非常に感心した。この人は偉い。一人一人がそれぐらいの心意気をもって、仕事をするなら色々な発見をし、色々なことを改善し、日々著しく成長するだろう。

よーく考えると、これは「社員はひとりひとり、自分が社長になったつもりでしていきましょうという教訓です」。ところがイエスさまは現実のことを話されたのです。「わたしを信じる者は、わたしが行う業以上の、さらに大きなことを行う。なぜなら、わたしは父のもとに行くからです。わたしは、この地上では、もう業を行うことはできない。地上に残るのはあなたがただからです。わたしよりも、あなた方がさらに大きなわざ、働きをすることになる」。それは何か。イエスさまはイスラエルの国の一部の人々にしか福音という教えを伝えることができなかったのです。

しかし、イエスさまを信じる人たちが福音を伝えているのは、自分の国だけではない。イエスさまを信じて、心からイエスさまに献身的に仕えている人たちも一億、二億の人ではない。イエスさまを信じる私たちが、イエスさまのなさったような業ができ、それ以上のさらに大きな業も現実に行われて進められていると思うと、私たちは確かにイエスさまを信じ、志をもって主に仕え、自分をイエスさまにささげたいとおもう。



 第二、イエスさまのなさる業を行い、イエスさまよりも大きな業をすることができるのは、どういう仕組みなのか、二つあります。13-14節 あなた方がわたしの名によって何かを求めるなら、わたしがそれをしよう。実りのある豊かな奉仕を生き生きとしていくのは、イエスの名において求めるからである。イエスの名によって求めることは、イエスさまが最終責任を負って成し遂げるようにする。イエスさまは、この地上から天に行かれる。そこで、この地上に名前を残していかれた。イエスさまの名によって祈るというのは、イエスさまの責任にかかっていく。

私たちの社会には印鑑がある。大事な事を頼むときは、名前のサインと印鑑が必要です。中には「名前を貸して下さい」と言われる。名前を貸したら、印鑑も押す。その時は信用・信頼にかかわることですから、内容をよく検討する。イエスさまは、地上に名前を残していかれ、私たちがイエスさまの名前で真剣に志をもって祈る時、イエスさまはよく聞いて、よく吟味し、それがすすめられるようにイエスさまご自身が責任を負われるという。15節、イエスさまの名前を用いて祈るときは、イエスさまをとことん愛していくことが必要である。イエスさまを愛してイエスさまの名を用いていくときは真実な祈りである。それはきっと成功する。きっと成し遂げられることになるというのである。

16-17節、イエスさまは私たちが確かな働きをするために、16節、助け主、真理の聖霊があなた方と共にいて助けてくれるように父にお願いする。「助け主」は「私のそばに立って弁護してくださる方」という意味です。私たちは実りある人生を送るには、努力も必要、忍耐も、継続することが必要です。それに誰かの助けも必要です。実りのある働きをするのに、誰かの助けは欠かせないものだ。ここにイエスさまは、16節で「わたしは父にお願いし、助け主をお与えになるようにし、いつまでもあなた方と共におられるようにする。」と約束した。私たちは注意深く、この助け主を待ち望んでいるか。この聖霊の助けなしに私たちは、ひとつのよいこともできない。実りはない、成果もない。しかし、聖霊の助けがあって驚くべき、イエスさまの業よりもさらに大きな業をする。しかも一時的にチョコチョコとするのではなく、いつまでもよい、豊かな実りある働きができる。(イエスさまは16-17節を言われる)






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Last updated  2010.06.22 11:39:57



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