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《櫻井ジャーナル》

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天下兼相愛則治、交相惡則亂(墨子、巻之四)
順天意者、義政也。反天意者、力政也。(墨子、巻之七)
天下有義則治、無義則亂。(墨子、巻之七)

天下は人々が相愛すれば治まり、互いに憎しみあえば乱れる
天意に従う者は義に従って正す。天意に背く者は強制する
天下に義があれば治まり、義がなければ乱れる

#1
『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』三一書房、2005年

OPC

三一書房創立60周年記念出版。アメリカの権力者が行なってきた戦後の秘密破壊工作(テロ活動)の実態を具体的に検証する。「読書人」「共同通信」など各誌賞賛。自分のいる足場に深淵がひらくような衝撃にみちる一冊。付録としてキューバ侵攻作戦の「機密文書」収録、秘密破壊工作に関する全事項と関係者をインデックス化。人物ダイヤグラムも多数。

#2 『アメリカ帝国はイランで墓穴を掘る』洋泉社、2007年

イランの問題はイスラエルの問題と表裏一体の関係にある。イラン攻撃を狙うアメリカの新保守/神保守(親イスラエル派)は勢いを失ったが、消え去ったわけではない。イスラエルに軍事強硬派政権が存在し、プーチンにロシアから追い出されたエリツィン時代の「富豪」もロンドンとイスラエルを基盤に暗躍する。

2024.05.12
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カテゴリ:カテゴリ未分類

 ​ネゲブ砂漠にあるイスラエル軍の軍事基地には収容所があり、パレスチナ人が劣悪な環境の中で拘束され、拷問されている​という。その様子をCNNが伝えている。ネオコンの広報機関のひとつとみなされているメディアがこうした話を明らかにしたのだ。アメリカとイスラエルとの間に亀裂が入っていることは事実なのだろう。

 何千人もの人びとが拘束されているが、その多くはイスラエル当局が適切な手続きを経ていない。それでも無期限に投獄できる法律が作られている。CNNによると、拘束されている人びとは人間扱いされず、拷問だけでなく、常に手錠をかけられていたために負傷し、手足を切断される人もいて、放置された傷口の腐敗臭が充満していたという。

 アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権は2003年3月、アメリカ主導軍を使ってイラクを先制攻撃し、サダム・フセイン体制を破壊して100万人を超すと見られるイラク人を殺害した。

 その際、アメリカの軍や情報機関は戦闘員も非戦闘員も関係なく拘束して拷問を繰り返し、少なからぬ人が殺されたと言われている。そうした行為を正当化するため、ブッシュ政権は「敵戦闘員」というタグを考え出し、捕虜の待遇について定められたジュネーブ条約(第3条約)も刑事訴訟手続きも無視することにした。

 アメリカによる拷問の実態が初めて発覚したのはイラクのアブ・グレイブ収容所において。アブ・グレイブを含むイラクの収容所で拷問が横行、死者も出ているとAPが2003年11月に報道、軍隊の内部でも調査が始まった。

 この収容所ではCACI、タイタン、ロッキード・マーチンのようなアメリカ企業の社員が尋問官や通訳として働き、人道に反する方法を使っていたことが明らかにされた。(William D. Hartung, “Prophets of War”, Nation Books, 2011)

 アブ・グレイブ収容所を管理していたのはアメリカ軍の第800憲兵旅団で司令官を務めていたジャニス・カルピンスキー准将。2004年1月に停職になったが、その5カ月後、BBCに対し、収容所内で拷問が行われていたセクションを管理していたのは軍の情報部であり、彼女は実態を把握していなかったと主張する。当時、収容所内で撮影された写真が外部に漏れていたが、これについて彼女は兵士が独断で撮影することはありえないと主張、収容所にイスラエル人の尋問官がいたともしている。カルピンスキーは2005年5月、准将から大佐へ降格になった(BBC, 15 June 2004)

 アメリカでは治安対策をイスラエルに学んでいる。収容所にイスラエル人の尋問官がいても不思議ではない。アメリカやイスラエルの収容所における残虐行為とガザでの虐殺は関連している。

 ガザで殺されているパレスチナ人はイスラエル軍とハマスとの戦闘に巻き込まれたのでなく、イスラエル軍に虐殺されているのだ。これは民族浄化作戦だ。その作戦を支えてきたのがアメリカ、イギリス、ドイツをはじめとするNATO諸国、あるいはインドなどにほかならない。

 アラブ系の人びとが住んでいたパレスチナでシオニストがイスラエルの「建国」が宣言したのは1948年5月14日のこと。シオニストとはエルサレムの南東にあるシオンの丘へ戻ろうという「シオニズム運動」の信奉者で、ユーフラテス川とナイル川で挟まれている地域はユダヤ人の所有物だと考えていた。その計画を実現するため、破壊と虐殺を続けているのだ。ヨーロッパから移住してきた人びとがアメリカで行ったことを繰り返しているとも言える。

 イタリアのジェノバに生まれたクリストバル・コロン(コロンブス)がカリブ海のグアナハニ島に上陸したのは1492年。ピューリタンたちを乗せたメイフラワー号がにマサチューセッツのプリマスに到着したのは1620年12月。「ピルグリム(巡礼者)・ファーザーズ」と呼ばれているプリマスについたピューリタンは「新イスラエル」を建設していると信じていたという。

 イギリスでは16世紀に自分たちを「失われた十支族」の後継者だと信じる人が現れた。旧約聖書の記述によると、イスラエル民族の始祖はヤコブ。彼には12人の息子があり、それぞれ支族を形成するのだが、そのうちユダ族とベニヤミン族の後裔とされる人びとが「ユダヤ人」と呼ばれている。残りは行方不明で、旧約聖書を信じる人びとから「失われた十支族」と呼ばれている。勿論その話は神話であり、背景に史実があるかどうか不明だ。

 スチュワート朝のジェームズ6世も自分を「失われた十支族」の後継者であり、イスラエルの王だと信じていたという。そのジェームズ6世の息子、チャールズ1世は「ピューリタン革命(17世紀半ば)」で処刑されたが、その「革命」で重要な役割を果たした人物がピューリタンのオリヴァー・クロムウェル。その私設秘書を務めていたジョン・サドラーもジェームズ6世同じように考えていた。シオニズムはこの時代から始まる。これがイギリスの権力者がパレスチナを侵略し、アラブ系住民を虐殺してきた背景でもある。

 イギリス政府は1838年にエルサレムで領事館を建設、その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査し、68年2月から12月、74年2月から80年4月までの期間、イギリスの首相を務めたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収した。買収資金を提供したのは友人のライオネル・ド・ロスチャイルドだ。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018)

 ディズレーリは1881年4月に死亡、その直後からフランス系のエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドがテル・アビブを中心にパレスチナの土地を買い上げ、ユダヤ人入植者へ資金を提供しはじめた。

 シオニズムという用語を1893年に初めて使用したのはウィーン生まれのナータン・ビルンバウムで、近代シオニズムの創設者とされている人物は1896年に『ユダヤ人国家』という本を出版したセオドール・ヘルツルだが、いずれも「熱心なユダヤ教徒」ではなかったようだ。






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最終更新日  2024.05.12 01:23:06


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