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『年中行事の報告』

『年中行事の報告』

September 25, 2016
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【おことわり】
このブログは、当初、私のごく個人的な音楽的嗜好ついてダラダラ書き綴るという
コンセプトで始めましたが、友人との思い出を長々と作文することに快感を覚え始め、
2016年現在、年に一度開催される「アニソン限定カラオケ大会」の集まり(通称・某会)の歴史を
延々と書きなぐり、メンバーである友人たちとの思い出を、再確認するだけのものとなっております。
他人の思い出に興味がない方は、この先は読まないでください。

前回の続き

1997年9月。
彼らに会うためJR旭川駅に降り立つ。
2012年に開業となる第4代駅舎の前、まだ高架駅になる前の第3代駅舎だった。
どこで彼らと落ち合ったか、どういうルートで歩いたか、全く覚えていない。
街中のスガイビル(当時)で、ビリヤード、ボウリング、ゲームセンター、カラオケ、
そんなカンジだったと思う。SHKくんの記憶によれば、我々は学生時代を過ごした旭川市永山の
安い焼肉屋が、夕食会場となったそうだ。これもよく覚えていない。
Nくんのクルマでその焼肉屋に向かったが、学生らしき人で混雑しており、そこをあきらめた記憶がある。
それがこの時だったかどうか、わからない。別にどこで食べようがどうでもいいのだが、
某会では、大体この会食会場をきっかけとして、一気にヒートアップするのが恒例なのである。

では、私がこの日忘れられないこととは何か。そしてそれはなぜか。
忘れられないこととは、Nくんのアパートにお邪魔して翌日帰るまでのことで、
その理由は、その後の私の人生に大きく影響しているからと言っても過言ではないからである。
市内で唯一だったアミューズメントビル・スガイビルで、大学時代と同じように遊び、
食事をしながら、バカ話で大いに盛り上がり、Nくんのアパートがこの日の宿泊場所だった。
SHKくんももちろん一緒である。
半年ぶりに会う二人は、仕事を辞めてせいせいしていたのか、とても元気だった。
SHKくんに至っては、学生時代以上だったかもしれない。これには理由があった。
彼は、就職した税理士事務所で、有無を言わさず後継者になるためのサバイバル競争を強いられ、
社会人生活が始まって早々、精神的にかなりヤラれてしまったというのだ。
そんな厳しすぎる現実の前に「心が完全に折れ」、悩みに悩んだ挙句、退社の道を選んだ。
ちょうどこの時期は、その悪夢から解放され、その間に蓄積された鬱憤が大爆発し、
メラメラと燃え続けていた時期だったそうなのだ。
片やNくん、初めて出社してからわずか数日、「ここは俺の居場所じゃない」と採用された建設会社で、
ネーム入りの作業服を渡されるとほぼ同時に、辞職したそうだ。
それから約半年、今の彼からはとても考えられないのだが、彼はいわゆる”パチプロ”という身分で生活していた。
実家暮らしの私は、親のスネをかじり続けていたし、同じく実家暮らしのSHKくんも、
学生時代のバイト代や一時期働いていた頃の蓄えがあった。
Nくんが、学生時代にバイトしていた姿を見たことはないし、仕事は数日でやめているし、
見た目はとてもマジメそうな青年なのに、やってることはカタギと言えるものには程遠かった。
SHKくんは、すぐ仕事を辞めてしまったことで、実家に居ずらい状況だったらしい。
そんなわけで、Nくんの家に入りびたりの生活だったと振り返る。
深夜までテレビゲーム、SHKくんはそのまま泊まり込み、朝になるとNくんがパチンコ店へ”出社”。
留守を預かる(といってもそのまま寝てるだけの)SHKくんは、
Nくんの家に来た新聞の勧誘員がくると、このようにして断ったそうだ。

勧誘員:「新聞とっていただけないでしょうか」
SHK:「私はここの住人ではありません。ここの住人はたぶん新聞を読みません。」
勧誘員:「???」(退場)

そんなおかしなエピソードもあったが、Nくんがその正反対の厳しい現実にさらされているのもまた事実だった。
毎晩のように開催されるNくんとSHKくんによるアルコール抜きの宴は、立派なアパートではないから、
薄い壁の向こう側に住んでいる隣人にとって、迷惑千万であることは言うまでもない。
帰宅したら、クルマにキズをつけらていたとか、タイヤに穴をあけられていたとか、そういったトラブルがあったという。
また、Nくんの実家から「早く帰ってこい」という催促の電話がかかってくるのを、SHKくんは目撃している。

隣人とのトラブル、まともに働いていないという”うしろめたさ”に、Nくんはさぞ悩んでいたのだろう。
街中でヘラヘラ笑い楽しんでいた表情が、アパートに帰ってくるなり一変し、さっきまでの笑顔が突然影を潜めた。
まるで突然黒く暗い曇がかかったような具合だった。
私は、彼の部屋に入って、なんともいえない陰鬱な空気に支配されているようなものを感じ、なにかしら恐怖を覚えた。

2Kのアパートで、台所がある南側と思われる部屋には、自転車が格納してあり、それ以外はゴミの山だった。
居住部屋には、テレビとせんべい布団とセガサターンしかなかった。
しかしそんな中で、ひときわ怪しげな光を放っているものがあった。SHKくんの大きな二つの目である。
彼は、まるでこの部屋に充満する負の生気を食い物にして成長し続ける怪物のような目をしていた。
その一方で、Nくんは見た目こそやつれているわけではないが、精神的に衰弱しているのは明らかだった。

もう私は訳が分からなくなった。
私は、公務員試験を突破し、おそらく次年度から始まるであろう社会人生活の前にして、
”最後の学生気分”を存分に楽しむべく、旭川を再び訪れただけだった。ほんの軽い気持ちだった。
不真面目な学生生活を共にした悪友二人と、二度と戻ってこない青春時代を懐かしむという、
ちょっとした”息抜き”のつもりだったのである。
しかし、眼前に広がるのは”厳しい現実”であり、癒されるはずのない”現実逃避”という空間に私はどっぷりとつかっているのだった。

もっと厄介なのは、私がこの空気・空間を、強烈なほど肯定的に受け入れていることだった。
Nくんには失礼な話だが、こんな生活は精神衛生的にもよくないし、いつまでも続かない。私は御免である。
でも、心のどこかでこんな生活を渇望している自分がいるということも否定できなかった。
そして、現実にここで英気を養っているSHKくんが、たまらなくうらやましくもあった。

こんなところで英気を養っているのは間違っているのではないか。でもうらやましい。
この先私は、世間的に至極まっとうな生活をしていたとしても、心の奥底ではこういうものを
求めつづけることになるのではないかという、複雑な心境に陥った。
この気持ちを、どう表現したらよいかわからなかったのだろう。
「オレたち、結婚できねぇ」と私はつぶやいたと記憶している。
これから5年後、私は結婚し2人の子供をもうけた。マイホームを建て、世間一般的には”まっとうな人生”といえるだろう。
しかしながら、こういう人生だけでは私は息が詰まってしまって、本当の意味で生きてはいけない。
表向きにはマジメであっても、たまには陰でコソコソとこういったダメダメな時間を過ごすことこそが、
本当の私の生き方なのだと確信する。

季節の変わり目、一晩Nくんの家で過ごしただけだったが、喘息になりかけるほどカゼをこじらせてしまった。
帰り道はどうだったか、それもよく覚えていない。
とにかく、Nくんのアパートで過ごしたわずか数時間の記憶だけが、鮮明に残っているだけなのである。

劇的な再会ではなかった。ただ、何か心に引っかかってとれない事だけは間違いなかった。
そういったわだかまりを抱えたまま、私の社会人生活はスタートしてしまった。






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Last updated  September 27, 2016 11:18:50 PM


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