想像の翼を羽ばたかせた名作
想像の翼を羽ばたかせた名作作家 村上 政彦ディネセン「ピサへの道」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、イサク・ディネセンの『ピサへの道』です。1934年、アメリカでディネセンの著作『七つのゴシック物語』が出版されました。ゴシック小説とはもともと中世建築の様式を表すものに用いられた用語であるが、文学ではゴシックの城や僧院からイメージされ、18世紀後半のロマン主義前期にイギリスで流行した中世風の怪奇恐怖小説の一群(ブルタニカ国際大百科事典 小項目辞典)です。出版当時のヨーロッパの文学界では、すでに小説家のジェイムス・ジョイスや詩人のT・S・エリオットなどが活躍していて、モダニズム文学が興隆していましたが、そこへあえて、古い「ゴシック物語」を持ってきたところに、作者の個性があります。イサク・ディネセンは男性名ですが、本書がアメリカで刊行されて評判になり、出版社が写真を求めると、届いたのは美しい夫人の肖像。作者は、デンマーク人のカレン・ブリクセンという女性だったのです。カレンは結婚後、アフリカに渡り、コーヒー園を始めましたが、夫と不仲、生業の破綻に見舞われ、17年間のアフリカ生活を終えて帰国。実弟に生活を支えてもらいながら、2年間で本書を書きあげました。文学で身を立てるという彼女の試みは成功したわけですが、当時の女性としては、なかなか腹の据わった決断だったと思います。さて、作者の身辺をみたところで、作品の世界へタイプしましょう。本書の題名にもなっている「ピサへの道」は物語の現在が、1823年と設定されています(他の作品もすべて19世紀が舞台)。古い時代を選んだ作者は「完全に自由になれるから」と述べる。言葉通り、作者は物語の翼を自由に広げています。ピサは「ピサの斜塔」で知られたイタリアの都市です。冒頭、ピサ近郊の宿で一人の男が、家庭を捨てたわけを友人に伝える手紙を書いている。名前はアウグストス・フォン・シメルマン伯爵。結局、彼は手紙を書きあぐね、散歩に出る。すると、目の前で大型馬車が暴走し、馬が逃げ出した。アウグストスが駆け寄ると、一人の老人が車内に横たわっている。悲鳴を上げる同行の侍女から帽子を受け取って被ると、威厳のある老貴婦人に変貌した。彼女はアウグストスに、ピサにいるはずの孫娘ロジーナを探し出してほしいと頼む。この娘はある公爵と結婚したが、若者マリオと恋仲になり、とこ入りが行われなかったことを理由に結婚の取り消しを求めた。性的不能者だった公爵は、二人の結婚を認める……。ピサへ向かうアウグストスの前に現れたのは、謎の男装の麗人。彼女とロジーナは、どのような関係にあるのか――物語の面白さで溺れそうになる小説です。[参考文献]『ピサへの道 七つのゴシック物語1』 横山貞子訳、白水Uブックス 【ぶら~り文学の旅⓲海外編】聖教新聞2023.1.25