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名無し人の観察日記

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2024.02.25
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テーマ:政治について
昨日の続きで歴史に学べない人のお話です。

「新しい戦前」に「特攻」の経験から学ぶこと その2

とツッコミを入れていく前に、肝心の知覧特攻平和会館のホームページから理念を見てみましょう。

知覧特攻平和会館

>知覧特攻平和会館とは
>私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。

という事で、同会館は特攻という戦術を否定し、戦争を再び起こしてはならない、という理念を持っている事が分かります。ですが

・戦争の美化は戦争を肯定する事
・知覧特攻平和会館は戦争を美化している
・よって同会館は戦争を肯定しており平和の敵である

という雑な三段論法しかしない大変に好戦的な限界おリベラル様によって、聖戦を仕掛け滅ぼすべき対象と認定されてしまっています。怖いですね。
では改めて記事を見て行きましょう。

>「英霊」という大きな物語に対抗するためにはどうすればいいのか。大きな物語を崩すためには、一人ひとりの命を語っていくしかないと考えました。本当にみんな喜んで死んでいったのだろうかと、まず『きけわだつみのこえ』に向き合うことになりました。

とりあえず相手がどのような理念をもってそれをしているのか、という事を確認するのが限界おリベラル様の大好きな「話し合いによる平和の構築」だと思うのですが、そう言うのをすっ飛ばして「自分の主張を一方的に相手に押し付け、相手が聞き入れなければ滅ぼせば平和が来る」という本音が窺えます
ちなみにこの後で「遺書は検閲されてるから本音じゃない」みたいな事を言っているのですが、「きけわだつみのこえ」もこれはこれで出版当時(昭和22年)はGHQの検閲を受けていたことに留意が必要です。
もちろんだから「きけわだつみのこえ」に価値がないとは言いません。社会背景を考えると、知念に展示されている遺書同様鵜吞みにせず考える材料とする事の大事さは変わりません


>出撃前に大西中将(瀧治郎、特攻の生みの親とされる)に向かって、腕利きのパイロットが「私は搭載した爆弾で、敵の輸送艦を2隻ぐらい沈める自信があります。それだけ沈めたら帰ってきていいですか」と言ったことに、大西中将が「死んでくれ」と言ったという話がありました。特攻が何を目的におこなわれたのかがよくわかる話だと思います。

これは誰の話なのでしょうね。
良く「特攻を否定していた指揮官」として知られる美濃部正少佐(第一五三航空隊指揮官)は大西提督に特攻を命じられた時に

「特攻以外の方法で長官の意図に副えるならば、その方がすぐれているわけです。私は、それに全力を尽くすべきと思います」
「だいいち、特攻には指揮官は要りません、私は指揮官として自分の方法を持っています。私は部隊の兵の使い方は長官のご指示を受けません」

と堂々と命令を拒絶していますが、「死んでくれ」と言われるどころか大西提督から「すべて君に任せる」と命令を撤回されており、その後美濃部が夜間戦闘部隊を結成した時には大西がそれを支援したという話もあります。
まぁそれ以前にわからないのが「特攻が何を目的におこなわれたのかがよくわかる話」という部分です。山元氏が「何を目的と考えた」のかがちゃんと書かれていないので。この人は大西提督が若者を殺したくてやっていたと思ってるんじゃないでしょうか。さすがにそんなわけは無いと思うのですが。


>ところが、なぜそういう作戦になったのかは、知覧の特攻平和会館の展示では何も見えてこないのです。

見えてこないではなく、見る気がないだけなのでは? 初めから「大西をはじめ当時の日本の上層部は戦争大好きで若者を殺したくて仕方ないから特攻をやった異常な集団だ」と決めつけ、知覧の展示もそれを美化し称賛する内容だと思い込んでいるからそうなるのでは、という疑念が湧いて仕方がありません。


>陸軍中将で、フィリピンにおける特攻作戦を指揮した富永恭次はフィリピンにおけるマニラ戦の現場から、司令官であったにもかかわらず部下を戦場に置きざりにしたまま台湾に逃げています。

とかく評判の悪い富永将軍ですが、この「戦場に部下を置き去りにして逃げた」と言うのは軍に批判的だった作家の高木俊朗が著書の戦記小説でフィクションを交えて書いたことが主な元ネタになっており、その後の研究で高木の富永批判はほとんどが捏造として否定されてたりします。まぁ未だに独り歩きしてますが……この辺からも山元氏の知識のアップデートに対する怠慢が感じられます。


>陸軍中将の菅原道大(みちおお)は陸軍の特攻作戦を指揮した人物です。この人が戦後の「英霊」化の道をつくったのです。

この人も高木俊朗にめちゃくちゃな悪評を流布されてしまった一人ですね。しかし戦後生き延びて特に悪評に反論しなかった富永・菅原両将軍に対する山本氏の感想を見ると


>彼が生き残って多くの証言を残した方が、かえってよかったように思えてなりません。

と言う大西提督に対する評価は信じられませんね。もしそうなってたら絶対に自分と意見が違うという理由で批判してるでしょう。と言うのも大西の遺書は「特攻隊の英霊に曰す」で始まるからです。そもそも「英霊」というのは戦死者に対する敬意を込めた呼び方であり、戦前戦中とそれが日本においては当たり前の価値観だったのですから、宇垣提督も含めこれらの指揮官が「英霊化」を否定する事はまずありえません。

ところでこの駄文まだ続くんですか……とうんざりしつつ感想を見て行きます。


>私たちは戦争の当事者が敗戦した後も尚、自分たちの行動を美化した「英霊神話」を安易に受け入れて、それが真実であるかのように思い込むのではいけないと思います。

やっぱりこの人は自他境界線が無く、息を吸うように自分の主張を他人に押し付けるのが当たり前になっているので、指揮官と特攻隊員の区別がついていないのですね。菅原将軍が「美化」したのは特攻隊員であり自分の振る舞いではないのですが。


>二度と戦争はしないと憲法に誓ったことを、私たちは新たな歴史の出発点とするべき

知覧特攻平和会館はそういう目的(戦争をしない)で存在してると言っているので、それを否定するならその証拠を持ってきてほしいものです。まぁ「証拠を探す」という高度な知的作業はこの人にはできないので無理ですが。


>遠くない将来に平和憲法の思想に則った展示内容に改編し、間違っても母親が幼子に「あなたも、こういう人になりなさい」などと恐ろしいことを吹き込むようなことのないようにしたいものでございます。

平和憲法に従ってないと判断したら、その判断を他者に押し付けその思想を変えさせて良い、という全体主義的発想をする人が平和を唱えるのって恐ろしい事ですよね。この人は「自分が思う平和」にそぐわないものは抹殺するのを躊躇わず、まかり間違って権力でも握った日にゃポルポトの再来になるのは避けられないでしょうね。





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Last updated  2024.02.25 15:30:11
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