変わらない政官財学マスコミ一体
このところ石牟礼道子さんの本を中心に水俣関係の本を読んでいる。つくづく感じるのは、政官財学マスコミが一体となって犠牲者を圧殺しようとする体質だ。これは、明治以来変わっていないかのように思える。 沖縄の辺野古の場合は、さらに米国への奉仕が加わる。これらの権力は、暴力をむき出しにして、地元住民の意思を圧殺しようとしている。 福島第一原発事故でも、政官財学マスコミの一体ぶりは変わらなかった。一部学者マスコミの良心的な活動はあったが基本は同じだ。原発の再稼働や輸出を推進するこれらの連中の鉄面皮も変わらない。 政治が財界のいうがままになり、官僚や学者やマスコミがそれを支える権力構造が社会の上部にある階層にとってそれがごく都合のいいものである以上この状態を維持しようとする流れは変わらないだろう。 批判を強めねばならない。徹底的に批判することが必要だ。パンとサーカスに浮かれていてはならない。また、そうした現状に批判を放棄してもならない。